2009年12月31日

2009年を振り返って

 というわけで、2009年もあと僅かになりました。今年はついに40の大台に到達しました。しかしながら、「不惑」などといった域には到底達せず、相変らずいろいろ試行錯誤しながら、という一年でした。
 そんななか、生活では6時台起きを初めました。これは、仕事を効率的に済ますためには、早い時刻に出るのがいい、という考えから出てきたものです。まあ、これまでより40分ほど早起きするようになっただけですが、何とか一年間続けることができました。
 これからも、時間を効率的に使う方法と手段については、追及を続けたいものです。

 サイトのほうは相変らず長文の更新が滞りました。そんな中、夏頃に、Yahoo!のトップから2クリックで当サイトのあるページに飛べる、という椿事が発生しました。その日のページ別アクセスランキングが万単位で増えていく様は、なんかの冗談のようでした。
 それによって具体的に得した事と言えば、それを見たアメリカ在住の妹からメールを貰ったくらいです。とはいえ、やはりこれは貴重かつ楽しい経験でした。
 一方、趣味のほうでは大変残念な事がありました。ここ数年応援していた千葉ロッテマリーンズは、異常な経営陣のせいで、チーム成績のみならず、ファンサービスにおいても最悪の状態になりました。
 さらに、球団社長が「千葉のくだらないファン」などと言った事が判明したにも関わらず、リーグや機構はそれを問題としませんでした。そのような対応も一因となり、球団単体のみならず、プロ野球というもの自体への愛着と関心も大幅に下がりました。
 というわけで、昔からの趣味であるスポーツ観戦において、大きな転機となった年でもありました。
 まあ、いろいろありましたが、何とか一年を終えることができました。お世話になった皆様には改めて感謝したいと思っています。

2009年12月30日

実感のない年末

 今年の年末年始は普通に仕事です。しかも、普段より体力を使う勤務になります。まあ、自らそれを望んだので、別に困るわけではありません。いずれにせよ、15年ぶりに、「働きづめの暮れ正月」となります。
 というわけで、年越しらしい事も特にしていません。なんとか、明日中に年賀状を刷れそうな体制を整えている、といった感じです。
 そんな感じで、一年の終わりを迎えようとしています。果たして、明日はどれだけ「年越し」の実感を持てるだろうか、と他人事みたいに思っています。

2009年12月29日

ぶっ倒れたりコミケ行ったり忘年会行ったり

 昨日の朝、突然体調がおかしくなりました。何とか仕事をしてきたのですが、食事が喉を通らない状態に。夜になってやっとお粥と、昼食だったはずの弁当を食べることができた、という状態でした。
 しかし、夜に医者に行ったのと、その晩になにもせずに10時間ほど寝たのが大きく、何とかコミケに行くことができました。もっとも、サークルチェックの打ち出しも出来ず、お世話になっている方への挨拶にすらいけない有様でした。結局、朝に行列整理をした以外は、ほとんど動かず、半分寝ていました。

 しかし、そんな中、私を訪ねて来てくださった方もいらっしゃいました。中には、近所に住んでいて当サイトを見ている、という理由でわざわざいらして下さった方も。
 今まで発行していた本は今回が最終号で、同人誌もこれを最後にしようかと思っていたのですが、こういう事があると、また何か作りたくなります。
 かなり無理したのですが、これだけでも行った甲斐があったというものでした。
 その後は、会社の忘年会に参加しました。体調が戻っておらず、ギリギリまで欠席しようかと思っていたのですが、気合いで参加してきました。
 我ながら無茶していると思ったのですが、行きがけの電車で考え事をしているうちに、昨日からのストレスから解放される、という「効果」がまずありました。
 さらに、会のほうもいろいろ楽しく、これまた行った甲斐がありました。
 年も年ですし、無理ばっかりしてはいけない、という事は重々承知しています。とはいえ、やはり少し頑張ればできそう、という事については、頑張れるだけ頑張ろうと思った二日間でした。

2009年12月27日

白菜の紐

 散歩をしていたら、収穫直前の白菜が生えている畑がありました。何となく見ていたら、頭の部分にピンク色のものがあるのに気付きました。
 何かと思ってよく見たところ、店に並んでいるときに、頭の部分を縛っているビニール紐と同じ物でした。
 おそらく、畑に生えている間に葉の先端が開くのを防ぐためにつけたのでしょう。これまで、あれは収穫してから梱包みたいな意味でつけるものだと思いこんでいただけに驚きました。
 子供の頃から今に至るまで、白菜は大好物です。鍋物・煮物・浅漬け・キムチ漬けといったどの食べ方も気に入っています。
 それだけ好きであるにも関わらず、そのような事すら知らなかったわけです。世の中には分かっていそうで分かっていないことがあるんだな、と改めて思いました。

2009年12月26日

忘年会週間終了

 先週の土曜から昨日にかけ、飲み会などが集中しました。この七日間で家で夕食を食べたのは二日だけ、というペースでした。
 さすがに、これだけ続くと、アルコールが飽和(?)するようで、自宅で夕食を食べた日は、晩酌をやろうとする気にならなくなるほどでした。
 最終日(?)となった昨日は、大学の近い代の先輩・同期との会でした。在学中から開催されており、既に20年近い歴史があります。発起人は、あと30年は続けたいと言っていました。ぜひともそうなってほしいものです。

 その後も会は盛り上がり、学生時代にカラオケでよく唄った曲を20年ぶりに歌ったりして、楽しいひとときを過ごしました。
 そしていい気分で帰りの電車に乗っていたのですが、乗った直後、言い争う声が聞こえ出しました。50代くらいの男性二人が、60代くらいの男性の胸ぐらを掴んで、何やら怒鳴り合っています。
 別に暴力団風というわけでもなく、外見だけ見れば、普通の会社員です。そのような人々が、周りの迷惑も顧みず、車内で大声を挙げているわけです。
 そのうち、二人組が他の乗客に追い出されるような感じで降車し、争いは終了しました。
 酒の勢いがあったとはいえ、いくら何でも大人としての分別がなさ過ぎます。このようなご時世で精神がささくれだち、自制心が劣化しているのでしょうか。
 楽しかった飲み会とのギャップが強く、それゆえに色々と考えさせられた一件でした。

2009年12月22日

15年ぶり

 大学時代にバイトでやっていた仕事を久々にやりました。卒業後も数年ほど正月休みなどにやっていたので、15年ぶりにやった事になりました。
 もっとも、仕事に使う機器や設備は15年前とほとんど変わっていませんでした。作業自体は比較的単純なので、その時点でほぼ完成していた、という事なのだろうか、と思いました。

 ただ、物は同じでも、やっている自分は当然ながら変わっていました。一つは肉体的なものです。学生時代はは連日12時間働く、などというのを普通にやっていました。ところが、4時間ほどやっただけで、膝が痛くなりました。年齢による衰えに加え、かつてできた効率的な体の動かし方を忘れた、というのがあるのでしょう。
 また、15年やっていないだけに、頭のほうもいろいろ忘れていました。目の前の仕事を見ながら、「あの頃は、こんなの簡単にこなしてはずだ」とは思うのですが、実際に何をやればいいのかが思い出せません。
 なんか、「アルジャーノンに花束を」の主人公が、脳の衰えを感じ始めた頃みたいな気分になりました。
 まあ、衰えを嘆いてばかりもいられません。この冬、あと何回かやる予定があるので、何とか戻せるところまで戻したいものだ、と思っています。

2009年12月20日

風邪気味とつきあう

 昨日、寒空の下に少なからぬ時間いました。それだけ冷やしたので、あらかじめ用心はしていたのですが、夕方くらいに少々風邪みたいな症状がでました。
 そこで、その後に出た飲み会では、温かいものばかり注文するなど、可能な限り体を冷やさない事に注力しました。
 その甲斐あって、今朝になっても、体調は悪化していませんでした。とはいえ、今日も寒いので無理はできません。さらに明日からは怒濤の忘年会週間となっており、一度体調を崩すと、戻すのに苦労しそうです。
 そこで、なるべく安静に過ごし、ちょっとでも体調に違和感が生じたら、即座に布団に潜る、という一日を過ごしました。
 おかげで、何とか体調を維持して一日過ごせました。このまま、風邪をひかずにすめば、かなりの達成感が得られるので、ぜひともこのまま行きたいものです。

新宿駅東口にて

 新宿で飲み会がありました。集合場所は東口の駅前広場でした。少々早く来たので、まだ誰もいません。そこで待とうと思ったのですが、折からの寒さに加え、異様なまでに煙いのに閉口しました。
 広場の一角に喫煙スペースがあるのですが、どう見てもそのスペース外と思われるところでも、皆、平然と煙草を吸っています。というわけで、至る所から煙が出ているのです。
 こんな事なら、「分煙」しないほうがまだ煙害が少ないのでは、と思いました。

 一方、別の一角からは歌声が聞こえます。こんな混んでいるところでストリートミュージシャンか、と思って見たら、迷彩服着ている青年が、楽器も持たずに歌っていました。
 曲目は全て安全地帯で、しかもかなりマイナーな曲まで含まれています。なかなか巧いのですが、やはりその姿は異様でした。電波をバックバンドに唄っていたのでしょうか。
 せっかくだから聞いてみようかとも思ったのですが、いかんせ寒さと煙さが厳しすぎます。店の場所は知っていたので、集合時間前でしたが、店に向かいました。

2009年12月15日

忘年会シーズンらしからぬ

 仕事関係で飲み会に行きました。ところが、行った居酒屋は駅から歩いて2分くらいの好立地なのですが、閑散としています。始まったのが18時半とちょっと早めだったからかと思っていたのですが、19時を過ぎても20時を過ぎても状況は変わりません。
 そして、料理が出てきたのですが、これが美味しさの欠片もないものばかりでしたす。その上、段取りが悪くて飲み会も盛り上がりません。店内同様、かなり寒い時間となってしまいました。
 それにしても、この忘年会シーズンど真ん中というのに、この空きっぷりは異常だと思いました。おそらくは、不況と味の悪さの「相乗効果」なのでしょう。
 「忘年会シーズンはどんな居酒屋でも超多忙」という時代は過去のものになったのだな、と思いました。その情報を得ることができたのはある意味貴重かと思いました。もっとも、不味い料理とつまらない会に対して支払った金の事を考えると、どう考えても収支は大赤字になってしまいましたが・・・。

実績と人格の関連性

 成功者の伝記などを読むと、たいてい、主役は人間的に優れている、というキャラ設定になっています。したがって、そういうのを読んでいると、いつの間にか、「人間的に優れているから成功したんだ」という考え方を持ってしまいがちです。
 しかしながら、実際はそうではありません。最近の総理大臣は、所属政党に関係なく、ろくでもない事ばかり明らかになっています。また、歴史的に見ても、多くの「英雄」の実績は結局のところ、「自らが権力を得るために、大量の人を殺した」でしかありません。
 もちろん、成功者で人格が優れている人もいるでしょう。しかし、逆の人も無数にいるわけです。結局のところ、実績と人格には関連性はありません。
 にも関わらず、世間一般では、実績を残した人は優れた人格である、という事が大前提みたいにとらえられている事が多々あります。その「大前提」を見直せば、少なからぬ誤りが正されるのでは、とよく思います。

2009年12月11日

木登りの達人

 徒然草に、木登りの達人が、弟子の技を見ていて、地面に降りる直前になって初めて「気を付けて降りるように」と注意した、という話があります。
 子供の頃、これを読んだときは、「確かに、ここまで行けば後は簡単だ、という時に気が緩むことはある。とはいえ、木登りで地面に降りる直前でわざわざ注意するとは、大袈裟だ」と思っていました。

 しかし、「木登りでいうところの、地面に降りる寸前」にあたるような簡単なところで、とんでもない失敗をし、それまでの苦労が水の泡、という事は実際にある、という事は、今になれば分かります。
 というわけでこの年になって、「簡単に思える所でこそ注意するべき」という話で、あえて木登りの達人の逸話を使ったのは、適切だったのだな、という事が理解できました。
 同じ話でも、その時の自分によって感想が大きく変わる、という典型みたいな話だと思いました。

2009年12月08日

読んでくれる人

 こことは別に、大学時代に所属したサークルのOB会サイトを運営しています。開設したのは11年前で、各OBの紹介ページなどを作りました。その頃はまだ、卒業してから6年という事もあり、年に何回も現役の飲み会や大会にも顔を出していました。したがって、皆と面識があり、いくらでも紹介文を書くことができました。
 しかし、時が経つにつれ、OB会の活動の参加は続いているものの、現役とのつきあいはだんだんと減っていきました。卒業時の追いコンに顔を出しても、その卒業する人の顔と名前が一致しない、ということも普通になってきました。

 となると困るのがOB紹介ページです。あまり話したことがない人の紹介を書くときなどは、現役生が発行した会報を読みながら、そこの紹介文を編集するよりありません。しかし、これをやるには、かなりの気力が必要です。
 というわけで、卒業式から半年以上経過した先月末にやっと、今年卒業した人の紹介文を書き上げました。
 ところが、それを書きあげた数日後、その新卒の一人が急逝してしまいました。つい半月ほど前も、近い世代のOBたちと飲みに行っていたそうで、あまりの突然な事に皆、驚いていました。
 お通夜に行き、他の後輩達と一緒に、ご両親と話す時間がありました。そのうちの一人が自己紹介をすると、親御さんは、「ああ、○○さんね」と彼のあだ名をいいました。
 皆が驚くと、「実はOB会サイトを見ていました。先日やっと息子の名前が載ったと喜んでいたのですが・・・」と言われました。
 まさか、そのような読者がいるとは思わず、驚くと同時に、自らの遅筆を悔いました。ただ、結果的にですが、生前に掲載できたのはせめて良かったと思いました。今となっては確認する術はありませんが、本人も目を通してくれていれば・・・と思っています。

2009年12月05日

Jリーグ最終戦

 今日はJリーグの最終戦でした。今年から、相方の地元チームで、マスコットキャラが極めてユニークである愛媛FCを応援していました。といっても、メールマガジンに登録して速報メールを読み、Yahoo!で順位をチェックするくらいですが・・・。
 その愛媛FCですが、開幕からいきなり三連勝したものの、あとは失速、途中で監督が更迭されるほどで、何とか最下位にはならずにすむものの、下位に定着、という状況でした。

 そして最終戦では、優勝がかかっている仙台と対戦。首位と15位の対戦ではありますが、今季の対戦成績は1勝1敗です。そしてこの試合も、後半で先制されるも、終了間際にジョジマール選手が同点ゴールを挙げ、そのまま引分けになりました。
 これで2位のセレッソ大阪が勝つと、逆転優勝になるところでしたが、鳥栖に敗れて仙台が優勝となりました。
 とりあえず、優勝チームと1勝1敗1分と互角に闘った、というのは立派だと思います。もっとも愛媛は、最下位の岡山とも1勝1敗1分ですが・・・。
 ほぼ結果チェックだけでしたが、なかなか楽しめたシーズンでした。来季は千葉でも試合があるので、生観戦もできれば、と思っています。

 さて、一斉に12時半開始だったJ2が終わると、今度はJ1が15時半から一斉に開始されました。
 首位の鹿島が浦和に勝てば優勝ですが、引分けか負けて2位の川崎が勝つと、逆転優勝となります。川崎の相手は陥落が決まっている柏なので、鹿島としては「勝てば優勝、それ以外なら2位」という感じでした。
 別にどちらを応援しているわけではないのですが、鹿島がJ1二連覇中であるのに対し、川崎は直前のカップ戦を含め、何度も準優勝はするもののタイトルは取れていない、と聞いていたので、何となく川崎に優勝してほしいと思っていました。
 中継があったので埼玉で行なわれた浦和-鹿島を見ていました。川崎は予想通り序盤で3対0とし、勝利がほぼ確実に。一方、埼玉のほうは、0対0の展開が続きます。
 前半は浦和の攻撃のほうが多い感じでしたが、後半に入って興梠選手がシュートを決め、ついに鹿島が先制します。
 そして終了間際、浦和が猛攻を見せます。残り時間も少ないので、1点が入れば、鹿島の優勝はなくなります。しかし、鹿島は見事に凌ぎきり、1対0で優勝。Jリーグ史上初の三連覇を達成しました。
 選手の名前も、サッカーの戦術も分かりませんが、見ているとなかなか面白いものです。来年はJ1の中継も少し見てみようか、と思いました。

2009年12月04日

寝ても覚めても眠い

 昨晩、あまり眠れませんでした。したがいまして、朝起きても眠気が残ったまま。電車で座った直後に寝てしまい、次に気付いた時は下りる駅でした。したがって、体感通勤時間はかなり短くなりました。
 そのまま眠気と闘いつつ会社につきましたが、やはり眠気が飛びません。幸い、始業時刻まで少々余裕があったので、5分ほど寝ることにしました。
 目を閉じてすぐに眠ったのですが、今度は夢を見ました。そこでの自分は仕事をしていました。さらに、その夢の中でも眠くてたまらず、何とか眠気に耐えようと悪戦苦闘していました。
 精神的には全然寝た気がしませんでした。しかしながら、肉体的にはこの「短時間睡眠」がきいたようで、仕事が始まってしばらくしたら、眠気が飛びました。
 面白い夢を見れたのは貴重な経験でした。しかしながら、やはり生活のリズムはきちんとせねば、と痛感させられました。というわけで今日は早寝します。

2009年12月03日

ヒット商品番付

 数日前に「ヒット商品番付」が発表されました。新聞社とシンクタンクがそれぞれ作っているのですが、「東の横綱」だけは、「エコカー」「ハイブリッドカー」と、ある程度似た概念のものになっています。
 しかしながら、あとはかなり違う内容になっています。片方の「西の横綱」である「激安ジーンズ」は、もう片方では平幕にも入っていません。
 まあ、あれだけ多数の商品・サービスがあるのですから、調査する会社によって異なるのも仕方ないとは思います。とはいえ、せっかくほぼ同時期に発表するのですから、お互いですりあわせたほうが、より権威のあるものになるのでは、と思いました。

 ちなみに、毎年の事ですが、その「番付」に載っている商品の半分以上が、このニュースを見るまで存在を知らないものでした。ついでに言うと、両者共通の「東横綱」である、「エコカー」と「ハイブリッドカー」の概念および相違点も正確に理解はしていません。まあ、車に乗らないため、興味の持ちようもないのですが・・・
 なお、自分の中における今年最大の「ヒット商品」は「4リットル1670円の25度甲類焼酎」でした。これはこれで、ある意味世相を反映しているのでは、と思っています。

2009年12月02日

毎度の事ながら

 大阪の個室ビデオ店で火事が発生し、16人が死亡したという事件で、「自殺しようとして放火した」という事で逮捕・起訴された被告に死刑判決が下りました。被告の人は、取り調べでは自供したものの、公判では一転して全面否認しています。
 にも関わらず、裁判所は「取調べは適正に行なわれた」とし、当初の自供をもとに判決を下しました。そしてマスコミは被告の態度を批判し、被告が犯人であることと決めつけた上で、遺族の「怒りの声」を載せています。
 一方、弁護人側は会見で「認定するにあたり、弁護人側の疑問には全然答えていない」と言ったとされています。しかし、具体的にどのような疑問が提示されたかは記事になっていません。

 死のうとして放火し、さらにそれを取調べの時点では素直に認めた人が、いざ裁判が始まると、一転して無罪を主張する、というのは、あまりにも言動に整合性がありません。
 過去、似たような事は何度もありました。その度に問題になったのは、「取調べの内容」でした。今回の判決では「威圧的な取り調べはなく」となっているそうですが、その模様を最初から最後まで記録した映像でも入手できたのでしょうか。
 これまでこの事件については、ほとんど何も知りませんでした。そんな私が、「被告が犯人」という前提の新聞記事を読んだだけで、これだけの疑問が出てくるわけです。実際に弁護側の主張を見れば、さらなる疑問が出てくるのでは、と思います。
 人の命がかかっているのですから、控訴審ではより精密な審理が行なわれることを願っています。あと、「威圧的な取調べはなかった」というのなら、それを明らかにするためにも、「取り調べの完全録画と必要に応じての開示」を早急に実現する必要があると強く思いました。

2009年11月30日

「マナー」と時代

 かなり昔に聞いたのですが、短い手紙で封書の中が便せん一枚、というのは相手にとって非礼だ、という考え方があったそうです。そのため、一枚だけの手紙を送る場合は、別に白紙を入れるのが「マナー」だったそうです。
 紙一枚を作るのに費やされる植物の量を認識しなかった時代につくられた、「廃れたマナー」と言えるでしょう。
 ところで、今でも仕事などで書類が届くときは「送付状」が入っています。内容は、「送ったので、捺印して送り返してくれ」といった、決まり切ったものです。中には「資料を送ったから読んでくれ」だけ、の送付状もあります。

 一番最初の取引ならともかく、定期的にやりとりしている会社の手紙に送付状が入っていても、読むことはありません。はっきり言って紙の無駄です。
 別に、必要な書類や資料だけ入れて、挨拶などは電子メールですればいいだけだと思うのですが・・・。
 最初に書いた「因習」はさすがに廃れたようですが、まだまだ手紙の「マナー」には時代がかった物が多いと思います。抜本的な「マナーの見直し」を行なったほうが、地球資源のためにもいいと思うのですが・・・。「クールビズ」みたいに国策で行なわれるのを待つよりないのでしょうか。

2009年11月29日

やけに健康的な生活

 休みの日は10時過ぎまで寝ていることが多いのですが、今日は8時半に起きて、二度寝もせずにそのまま朝食を取りました。そして、懸案事項を片付けた後は、wiiフィットで運動、という午前中を過ごしました。
 さらに午後は、以前から興味があった、船橋にあるスーパー銭湯「湯楽の里」に行きました。一応、くみ上げた温泉もあり、数人しか入れない浴槽でしたが、「源泉掛け流し」になっている場所もありました。
 そこ以外は、消毒塩素臭の強い風呂でしたが、まあ入場料800円という事を考えれば、こんなもんでしょう。時間をかけて行くほどのものでもないので、最初で最後になると思いますが、久々に露天風呂で手足を伸ばせたのはいい気分転換になりました。

 その後、献血ルームに行きました。なぜか知りませんが、年に一度くらい、無性に献血をしたくなります。実際、献血カードを見たら前回は昨年の11月でした。
 そして、備え付けのTVで大相撲を見ながら献血し、家に帰りました。
 「休日の早起き」「午前中の運動」「銭湯」「献血」と並べると、やけに健康的です。どうやら、今日は無性に健康的なことをしたくなる日だったようです。
 我ながら「らしくない」と思いましたが、まあ、たまにはこんな日があってもいいでしょう。おそらく、次にこのような一日を過ごすのは、早くても一年後だろうな、などと思いながら、普段とかなり違う休日を楽しみました。

2009年11月24日

40にしてゲームにハマる

 20代の頃はかなりゲームをやりこんでいました。しかし、30代になって引退し、つい最近までは、帰りの電車の中でたまに携帯ゲームをやる程度になっていました。
 ところが、40になった今年の秋になって、立て続けにゲームにハマってしまいました。
 最初にハマッたのは「wiiフィット」です。相方がこれを愛用しており、実効もあったので、試しにやってみました。あくまでも、「ちょっとやってみようか」という感じでしたが、これがえらく性にあいました。

 とりあえず、複雑な動きを覚えなくても楽しめるのが有難いです。かつて、ゲームにハマっていた頃も、複雑なレバー操作は苦手でした。それだけに、簡単な動きを覚えただけで、スポーツをやった気分になれ、しかも実際に運動になっている、という仕組みは有難いです。
 続いてはまったのは、mixiアプリの「サンシャイン牧場」というやつです。といっても、まだ牧場経営をするほどレベルが上がっておらず、ひたすら畑で野菜や花を育てています。
 実は、小学生の頃、家庭菜園にハマっていました。裏の空き地でトマトや茄子を育てたり、庭の片隅に小松菜を植えた事がありました。また中学時代、ほんの一瞬ですが、生物部員だった事もあります。
 高校に入ってからはすっかり縁がなくなった趣味ですが、愛好する心はずっと残っていたようです。色々と問題点の多いゲームで、せっかく取得した種が消えたりするのですが、それでも懲りずに畑をいじっています。
 意外なきっかけで、過去の趣味が蘇った、といったところでしょうか。まあ、運動は体にいいですし、架空の菜園を楽しむのも心にいいはずです。過剰にのめりこまずに、楽しみながら心身に役立てることができれば、などと思いながら、今日も運動と栽培を楽しみました。

2009年11月23日

存在

 昨日行なわれた妹の結婚式に出るために、2月にアメリカに行った、もう一人の妹が帰国しました。そして、今日も家族で昼を一緒に食べました。もう数日間滞在する予定ですが、私が会うのは今日が最後で、場合によっては次に会えるのは2年後くらいになります。
 というわけで、別れる際に「また暫く会えないね」などと挨拶しました。すると、いつもこのサイトで近況を読んでいるので、離れているように思えない、と言われました。
 ここを読んで、そう思ってくれるのは嬉しい事でした。
 もっとも、近況だけは何とかほぼ毎日書けていますが、他のページはかなり更新が滞っています。書けるネタや、やりたいネタ集めなどはあるのですが、なかなか進んでいません。
 せっかく、ここを読んで、自分の存在を認識してくれる人がいるわけです。ならば、書ける題材がある以上、もっと色々と書くべきなわけです。
 日々読んでもらえる事を喜べたのと同時に、最近のダレた自分に対するいい激励となった、妹の挨拶でした。

2009年11月22日

コアファイターと杖

 妹の結婚式が椿山荘でありました。三連休の初日かつ友引という事で、結婚式ラッシュという感じでした。挙式後は中庭で記念撮影があるのですが、至る所に新郎新婦がいました。
 何年か前にもここでの結婚式に出たことはありましたが、その時は、そのような混雑は記憶にありません。それだけ、今日はお日柄が良かったのでしょう。
 そのラッシュの中で待つうちに、やっと順番が巡ってきました。まずは、新郎新婦の撮影なので、ベンチに座って待とうとしました。すると、ベンチの上には「ガンダム」胴体部分形態のコアファイターがあり、裏には杖が落ちていました。

 おそらく、撮影の時に一旦置いておき、慌ただしい中で忘れてしまったのでしょう。それにしても、コアファイターとは驚きました。ガンダムの玩具は何度も見たことがありましたが、胴体部分だけを見たのは初めてです。
 秋の夕暮れの中、幸せな新郎新婦と、置き去りにされたコアファイターと杖の対比、というのが、妙に印象に残りました。
 あと、椿山荘で結婚式に出て、何か忘れた時は、まずこの広場から探すのが最善、などとも思いました。

 なんかしょうもない事ばかり書いてしまいましたが、肝心の結婚式は、自分にとって初めての純和風で、貴重な経験がいろいろできました。
 ここ数年、いろいろ苦労していた妹の幸せな姿を見れたのは、何よりもの喜びでした。いい家庭が築かれることを願っています。

2009年11月20日

サラダをおいしく食べる酢

 半年くらい前、スーパーのドレッシングコーナーに、「サラダをおいしく食べる酢」という商品が並んでいました。作っているのは、日本最大の酢メーカーであるミツカンです。
 もともと酢系のドレッシングが好きだった事もあり、試しに買ってみました。すると、酢をまろやかにした味が非常に気に入り、以降、ずっとドレッシングはそれを使うようになりました。
 ところが先日スーパーに行ったら、棚にありませんでした。「たまたま品切れになったのだろう」と思って別のスーパーに行きましたが、やはりありません。

 どうやら、自分の味覚が一般的ではなかったようで、一年もたずに生産中止になったようです。
 ミツカンのサイトを見ると通販していますが、3,000円以下は一律送料が600円とのこと。いくら好きとはいえ、250円弱の酢を600円払って買ったり、10数本をまとめ買いする気まではおきませんでした。というわけで、二度とこの酢を味わうことはできないようです。
 好きだった物が消えるのは残念です。ぜひともミツカン開発陣には、この商品の良さを残しつつ、一般ウケする改良版を開発して「リベンジ」してもらいたいものだ、と思いました。

2009年11月17日

真剣な出会い

 ネット上には、様々な「男女の出会い」を介するサイトが存在します。それらでよく使われる宣伝文句に「真剣な出会い」というものがあります。
 もちろん、「真剣」という言葉には「本気」「一所懸命」という意味もあるので、日本語として何ら間違ってはいません。とはいえ、本来の意味である「本物の刀」のほうについ引っ張られてしまいます。
 そのため、この言葉を聞く度に、真剣を持った二人による立ち会いが頭に浮かんでしまいます。たまに、その二人は、真剣を振り下ろす面堂終太郎と、それを真剣白刃取りで受ける諸星あたるになったりもしました。
 我ながら変な感覚だな、と思っていました。ところが最近のニュースでは、「出会い」で命を失う話がよく出ています。そんな見出しを見ると、意外に自分の持つ「真剣な出会い」というイメージは間違っていなかったのかも、などと思ったりもしています。

2009年11月15日

寝たきり生活

 火曜の午後に喉が痛くなりました。発熱はないので、話題のインフルエンザではありません。とはいえ、通常の風邪だからといって楽というわけでもありません。しかも今週は木曜に日帰り出張があり、日曜はかなり体力を使う用事が入っているなど、あまり療養できません。
 そこで今日は一日寝る日にしました。ただ、風邪の影響か頭痛がひどく、布団の上でのたうちまわっていました。ただそうこうしているうちに頭痛が引き、何とか眠ることができました。
 まだまだ完治してはいませんが、とりあえず、一日寝たきり生活をした効果はあり、ある程度は体調が戻りました。これで何とか、日曜の激務を乗り切ることができそうです。

2009年11月13日

「ヨドちゃん」の服

 今年になってあら、ヨドバシの秋葉原店にマスコットキャラが出来ました。外壁をはじめ、至る所にそのイラストが掲示され、ソフト売場ではダンスソフトで作られた、彼女たちが踊る映像が流れています。なんでも、名前はヨドちゃんというそうです。
 それまでは長年にわたってのマスコットキャラは、「丸い緑の山手線・・・」の宣伝歌にあわせた電車でした。私が最初に見たのは、中央線用の101系だったと記憶しています。
 それを女の子に変えたわけですが、長年の伝統は無視できないと考えたのか、着ている服は、山手線用E231系を元にデザインされています。最近流行の「鉄道擬人化」も取り入れているといえるのかもしれません。

 というわけで、秋葉原のヨドバシに行くたびに目にするわけですが、そのたびに、その服が気になります。
 先述したように、彼女の服は、E231系電車がモデルになっており、ちょうど胸元の部分に照明ランプを模したものが描かれています。そして、腹の部分に連結器を模したものが描かれているのですが、その組み合わせが、不気味な笑顔を作り出してしまっているのです。
 一度、気になるとそればかり目に行くようになります。前述のダンス映像でも、彼女たちよりも、服の「顔」ばかりが気になってしまいました。
 そうやって考えると、今からでも服のデザインは変えたほうがいいのでは、などとも思いました。まあ、こんな事を気にするのは私くらいしかいないとは思いますが・・・。

琵琶湖で痛車

 日帰り出張で米原と大阪に行きました。まず米原での仕事を終え、駅に戻るためにタクシーを呼びました。待っている場所は琵琶湖の湖岸で、対岸の街まで見渡せます。
 天気が良くないので、湖面の色もうすぐらいのですが、他にやることもないので、ボケーッと見ていました。
 目の前には何台もの車が行き交っています。タクシー待ちをしてうるので、来るたびに目をやっていました。
 その何台目かは黒い車でした。ところが、近づいていくと、黒塗りなのに一部にはピンク系の色がぬられていることが分かりました。

 なんか不可解な配色だな、と思っているうちに、その車は目の前を通りすぎました。そして、そのピンク系の色が、何かのゲームに出てくるキャラであることが分かりました。いわゆる「痛車」というやつです。
 盆暮れのビッグサイトではよく見ますが、公道で見るのは二度目ぐらいです。ナンバープレートは見なかったので、地元の人なのか、はるばる痛車で琵琶湖観光に来た人なのか分かりません。
 いずれにせよ、日本最大の湖をバックに走る痛車というのは、なんとも言えない不思議なものでした。
 これまで、琵琶湖を見る機会は何度かありましたが、いずれも車窓からのものでした。したがって、湖岸近くにたたずんでじっくり見たのは今日が初めてです。
 そういうこともあり、今後、琵琶湖のことを思い出すたびに、セットで痛車が出てくるのだろうな、などと思いました。

2009年11月10日

誰向けの報道?

 若い女性が殺害されて、遺体が損壊された、という事件について、連日のように「続報」が流れています。
 そして明日か明後日あたりには、被害者のプライバシーを侵害するような見出しが載った中吊り広告が電車に掲載されると思われます。
 毎度の事ながら、なんでこんな事を延々と報道するのかわかりません。死体の状況がどうであろうと、被害者が誰かが特定されれば、それ以上の情報を流す必要はないでしょう。
 もちろん、それで被害者が浮かばれることもありません。遺族だってそんな情報流されて、悲しみが増すことはあっても逆はないでしょう。そして、このような報道によって、犯人が捕まる可能性が高くなるとも思えません。

 もちろん、商業マスコミですから、売上げが目的で書いているというのは分かります。しかしながら、その観点から考えても、効果があるのか疑問です。別に普段は宅配の新聞紙か読まない人が、このような事件の詳細報道目当てで駅で他の新聞を買うとも思えません。
 もちろん、仮にこのような記事を延々と載せると売上げが増える、というデータが存在したとしても、このような報道をすべきでない事に変わりはありませんが。
 となると、長年の習慣で、とにかくこの類の事件が発生すると、無用な事を大きく報じる、というのが体質となっているのでしょうか。いずれにせよ、理解しがたいものがあります。
 ちょっと考えれば分かることなのですが、今の報道体制が続く限り、このような因習はなくならなさそうです。もっと報道すべき事は山ほどあると思うのですが・・・。

2009年11月04日

おろしたてのスポンジ

 食器洗いをしようとしたら、スポンジが新しくなっていました。一方、昨日までのメインスポンジも隣に残っております。こちらは今日から鍋にこびりついたしつこい汚れ用となります。
 そして早速、洗い物にしつこい汚れがついた鍋がありました。ところが、何を勘違いしたのか、それを新しいスポンジで洗ってしまいました。おかげで、おろしたてのスポンジに黒い煤がついてしまいました。
 そういう汚れを洗うための「先代スポンジ」があるにも関わらず、新品を汚してしまった、という失敗感はかなりのもので、少々へこみました。どうせ汚れるものだとは分かっているのですが、我ながら不思議なものだと思いました。

休日出勤慣れ

 仕事から帰ったら趣味に関連するメールが一通届いていました。送信時を見ると、11時半頃になっています。送信した人も会社員なのに、なぜこんな時刻に?有給でも取ったのか?などと思いました。
 その直後、今日は休日だったという事を思い出しました。我が社はサービス業なので、現場はもちろん、事務方も土曜・休日という概念はなく、公休が月7日、という制度になっています。
 したがって、会社に行っても、他の人も普通に働いています。そのため、特に「休日出勤」という雰囲気はなく、普通に仕事をした一日でした。その流れで一日を過ごしていたので、完全に平日感覚になっていたようです。
 おかげで、「休日なのに仕事」という損失感みたいなものは一切感じませんでした。とはいえ、ここまで平日気分になるのも我ながらどうなのか、とも思いました。

2009年11月01日

秋の大掃除

 我が家の大掃除は、毎年10月もしくは11月となっています。通常、年末に大掃除できない事に加え、この時期に来客があるため、いつの間にかそういう風習になりました。
 というわけで、世間とはずれがあるのですが、これがなかなか快適です。年末ほど寒くないので、雑巾がけが辛くなることもありません。特に今日は日差しが強いこともあり、11月というのに、半袖短パンでベランダに出て窓ガラスを拭いていました。
 また、複数の休みに分けて行なうので、一日あたりの疲れも減殺されます。慣れてみると、こちらのほうが年末に集中してやるより快適なように思えます。
 科学的に分析した場合、真冬に1~2日集中してやるのと、我が家のように秋の週末を何回か使ってやるのとどちらが効率的なのでしょうか。少々気になりました。

2009年10月30日

過去の対する複雑な心境

 仕事関係である人の話を聞く機会がありました。その人の前職は金融関係と自己紹介し、当時の話を何度かしていました。
 その人によると、滞納している人の家に督促をFAXするのは、家族に見られるとまずいからNGでそうです。そして、家に電話する時についても、「○○銀行の××と名乗ると、家族にバレるから、単に××と名乗ります。そして督促に応じないと、最後は『訪問』になります」と言っていました。
 私も過去に仕事で何度も銀行から電話を受けた事はありますが、会社名を名乗らなかった事などありません。とはいえ、この人の話した「どう見ても業務の電話なのに個人名を名乗ってくる電話」を取り次いだ事もありました。そして、そこで取り次いだ人は、いずれも消費者金融との「取引」がある人でした。ついでに言うと、よほどの異常事態が発生しない限り、銀行は家まで「取り立て」には行かないでしょう。

 というわけで、その人の「前職」がどんな金融だったかがよく分かりました。にも関わらず、昔話で「銀行」と詐称したのは、やはり名乗りづらい業種だと認識していたからなのでしょう。
 無事に辞めてちゃんと転職したのだから、もう無関係なはずですが、やはり、その頃の業界を率直に語れないのでしょうか。その一方で、ちょっと知っている人なら分かるような「たとえ話」をするわけです。それを考えると、遠回しに自分が、消費者金融をやっていた事を伝えたいという意思もあるようです。
 前職に対して、かなり複雑な心境を持っている事はよく分かりました。ただ、やはり正直に語れないのなら、そのような「昔話」はしないほうがいいのでは、とも思いました。

2009年10月28日

部分的記憶喪失

 内線電話がかかってきて、ある仕事を頼まれました。条件を確認して対応できる事を確認し、その旨を返答しました。ところが、直後に急用が入ってしまいました。それに対応したのですが、その後、先ほど頼まれたことが完全に記憶から消えてしまっていました。
 というわけで、恥をしのんで依頼してきた人に「先ほど、何を頼まれましたっけ」と尋ねました。ほとんど「黒ヤギさんの郵便」です。
 まあ、頼まれた事および頼んだ人の事を覚えていたのが不幸中の幸いと言えるかもしれません。それすら忘れたら、完全にすっぽかすところでした。
 それにしても、なぜ「何を頼まれた」だけ忘れてしまったのかと思いました。記憶というものの不思議さを感じた一件でした。

2009年10月27日

短眠奨励本

 本屋で、「眠る時間を短くして、その分時間をたくさん使おう」みたいな本をみかけたので、立ち読みしました。色々なデータを元に、「眠りすぎるのはむしろ体に良くない」などと書いて、短眠を奨励しています。
 もっとも、「そのような研究結果が出ている」と書いてはあるものの、出典の紹介は書いてありませんでしたが・・・。

 というわけで、信用できるのかどうか何とも言えない、と思いながら読んでいたら、「短眠を実戦している人の例」が出ていました。
 何でもその人は、毎晩3時半に寝て7時前に起き、通勤電車の中で一時間ほど眠り、昼食後は10数分昼寝し、合わせて5時間弱の睡眠時間で快適に生活している、という事でした。
 この生活パターンは、私のそれとほとんど変りがありません。違いと言えば、私のほうが就寝時刻が早く、合計の睡眠時間がちょっと長いくらいです。
 確かに自分もこれで生活できていますし、仕事中に眠くもなりません。ただ、その反動で、休みの日はかなり寝る上に、1~2ヶ月に一度は、24時間中12時間以上寝ている、という日があります。つまり、本質的には寝不足なわけです。
 その経験もあり、この短眠術はちょっと違うな、と思いました。やはり長年言われている通り、一日7~8時間は寝るのが正しい生活なのでしょう。
 まあ、そんな事をこんな時刻に書いても、あまり説得力はありませんが・・・。

2009年10月25日

生後一ヶ月

 妹の家に、の出産祝いを持って行きました。着いて早速、抱っこしました。先月は、私が抱くとすぐ泣き出したのですが、今日は普通にしています。
 一ヶ月の人生経験(?)で、母親以外の人間も安全であるという事を悟ったのでしょうか。それとも、先月の事を覚えており、「こいつはこの前抱っこして問題ないから大丈夫」と思ってくれたのでしょうか。
 いずれにせよ、赤ちゃんをあやすのに成功した、というのは嬉しいことでした。この調子で、物心がついてからも、懐いてもらいたいものだと思いました。

2009年10月24日

有害無益な「技術」

 職場のアルバイト採用部署にクレームの電話がかかってきました。うちの会社では、応募時の案内で「面接時にその場で採用することもあるので、印鑑などを持参して欲しい、というふうに言いいます。
 それを脳内で勝手に「面接時にその場で採用」と変換してしまい、喜んで行ったところ、即採用にならなかった、というのが内容でした。

 かなり無茶な論法ですが、どうやらこの人、この類の電話が得意なようです。隣で聞いていたのですが、まずとにかく「自分が嫌な思いをしたんだから、一言詫びるのが筋だろう」と主張し続け、根負けして詫びの言葉が出たら、今度はそれにつけこむ、という手法を使っていました。悪質なクレーマーがよくやる手段です。
 しかし、言うまでもなく、こんな所でやっては逆効果です。クレーマーなら、謝った売り手が根負けして、特別に商品を無料でくれるかもしれません。しかし、アルバイト応募の場合、「売り手」と「買い手」は逆です。
 仮に面接でそこそこ点数が取れていても、このような電話をすれば、逆の結果になることは明白でしょう。
 まあ、その「技術」で店員さんをいじめたりして少々いい思いをした事があるのかもしれません。しかし、今となっては、それがむしろ自分の首を締めているわけです。
 世の中には習得しないほうがいい「技術」もある、ということをつくづく思った次第でした。

2009年10月22日

電飾巻き付け作業

 とある施設に行ったら、植木の周りでヘルメットを被った人達が、何やら作業をしていました。何かと思って見てみたら、その植木に電飾を巻き付けていました。寒い季節になると、様々な植物に電飾が巻かれて「イルミネーション」になります。
 それ自体は何度も見ていましたが、その電飾を取り付ける作業を見るのは初めてでした。
 その作業は、植物を縛り付けているようにも見えました。演出される「イルミネーション」は幻想的になるのでしょうが、その過程はむしろ「植物虐待」みたいだな、と思いました。
 そういう考え方で見ていたせいか、こんなの単なるエネルギーの無駄なのでは、とまで思えてきました。その一方で、懸命に仕事をしている作業員さんを見ていると、これによって創出されている雇用があるんだな、などと思い、やや矛盾した心境になりました。

2009年10月20日

手洗いにハマる

 新型インフルエンザが大流行しています。その対策として、金がかからない手洗いとうがいを、一ヶ月くらい前から朝晩に始めました。その効果かどうか分かりませんが、とりあえず健康を維持できています。
 単純な作業ですが、毎日、手を洗っているとだんだんと「改良」したくなります。そのため、「手の洗い方」みたいな資料を読んで研究したりもしました。その結果、段々と洗う範囲も時間も長くなっています。

 そのため、最近は、爪の間を洗うブラシを買おうか、などと考え始めました。なんか目的と手段を取り違えているような感じです。
 ちなみに朝はアルコール噴霧器による手洗後の消毒を、夜はアルコール飲料による、うがい後の消毒(?)を欠かさず行なっています。
 これだけ頑張ってインフルエンザにかかってはシャレになりません。というわけで、少々プレッシャーみたいなものを感じながら、手洗い・うがい・アルコール消毒に励む日を過ごしています。

2009年10月19日

傾斜

 大掃除をしていました。本棚の整理をし、とりあえず、不要になった本を一通り抜き出し、次に本棚の裏を通っているコードの配線がえをしようとしました。
 そこで、本棚の裏をのぞいたのですが、下の部分は壁にぴったりくっついていましたが、上のほうは壁と隙間ができていました。しかも、上に行けば行くほど、隙間は拡がっているのです。
 つまるところ傾いているわけですが、その角度は10度くらいありました。しかもその本棚は、普段私が座っているパソコンデスクの真後ろにあるのです。つまり、傾きが限界に達したら、私の後頭部を本棚が直撃する構造になっていたわけです。

 さすがに身の危険を感じ、とりあえずその本棚の上段を軽くして、少しでも傾斜角を低くしようとしました。
 その視点で改めて本棚を見回すと、つい先刻には見逃した本のなかで、ここ5年以上目を通していないものがあることに気付きました。そして、それらを抜き出し、代わりに、傾いている本棚の上部に入っている本を移しました。
 「要るもの」「要らないもの」の区別をつけるのは難しいものです。特に本の場合は、捨てようとして本棚から出し、何となく目を通すと面白く読んでしまい、捨てれなくなった事を何度も経験しているだけに、なおさら難しいものがあります。
 しかし、それが「自分の身の安全」に関わるとなると、判断基準が変わる、という事が分かりました。そして、今後、ものを捨てるかどうか迷った時、今回の教訓を活かせるだろう、と思いました。

2009年10月18日

二度目の同期会

 昨年に続いて、中学の同期会が行なわれました。昨年はかなりの人が集まりました。しかし今回は、ただでさえ反応が悪かった上に、新型インフルエンザ、さらにはなぜかN建設の迂回献金事件の影響まであり、参加者の数は半分以下に減りました。
 一応幹事なので、無力さを悔いつつ、昨年に比べて盛り下がった会になると予想し、沈んでいました。
 しかし、いざ始まると、人数こそ少ない物の、昨年同様の盛り上がりぶりでした。今回はほとんどの人が「一年ぶりの再会」だったにも関わらず、昨年と異なる話題が次々と出てきます。

 というわけで、18時開始だったのですが、気付いたら終電の時間である24時になっていました。本当にあっという間で、事前の心配がうそのような盛会でした。
 実は、人数が少ないことを事前に知ったとき、先生の一人が「少なくても継続することが大切だ」とおっしゃったと聞きました。言われてみれば確かにそうで、何歳になっても、「先生の教え」というのは有益なんだな、と思いました。
 来年はもう少し幹事の仕事をし、内容はもちろん人数的にもより一層の盛会にしたいものだと思いました。

2009年10月14日

自己主張が激しすぎる人

 千葉県白井市が主体となる第三セクター「白井梨ブランデー株式会社」が破産申請をした、というニュースを見ました。その会社はもちろん、「梨ブランデー」というものの存在すら知りませんでした。
 ただ、先月、隣接する鎌ヶ谷に行った際、この地域が梨の一大産地だと知って驚いた事もあり、どんな会社だったのか気になり、調べてみました。

 Googleで公式サイトを検索したのですが、サイトを見る前にまず驚きました。検索結果一覧にはページタイトルとして設定された文字が載ります。会社のトップページですと普通は「会社名」になります。中には、SEO対策で「会社名+主力商品」としているところもあります。
 ところが、その会社は「○○が代表の白井梨ブランデー株式会社。高級ブランデー・・・。」となっていました。実際には「○○」に社長名が書かれているのですが、少なくとも私はその名前を知りません。
 今まで色々な企業のサイトを見ていましたが、トップページのタイトルが社長名で始まるのは初めて見ました。せめて創業社長なら分からなくもありません。しかし、第三セクターの雇われ社長という事を考えると、異常なまでの自己顕示欲だと思いました。
 開いたトップページも、商品よりも社長氏の写真のほうが目立っており、会社のサイトというより個人サイトみたいでした。
 そこで、今度はその人の名前で検索をかけてみました。するとウィキペディアのページが出てきたのですが、その内容は完全な賞賛記事でした。どう考えても、本人もしくは関係者が書いたとしか思えません。逆に言えば資料価値はゼロです。
 まあ、考えようによっては、「破綻した会社のサイトにふさわしいページタイトル」なのかもしれません。ある程度の自己主張は必要でしょうが、あまり過度になるとよくない、という典型例を見たと思いました。

2009年10月11日

全日本サッカー選手権で番狂わせ続出

 トッププロから高校チームまで参加し、元旦に決勝戦を行なう、サッカーの全日本選手権で波乱が続出しています。
 昨日、J2の湘南と水戸が大学チームに負けたのに驚いたら、今日は何と二年前のアジア大会を始め、何度も優勝経験がある浦和レッズが、「地域リーグ」所属の松本山雅FCに敗れてしまいました。
 サッカー下部リーグの仕組みはよく知りませんでしたが、調べたところ、J1の下にJ2が、その下にJFLがあり、さらにその下にあるのが「地域リーグ」だそうです。野球で言えば、一昨年のアジアチャンピオンであるドラゴンズが、関西独立リーグに所属している神戸9クルーズに負けた、という感じでしょうか。

 ちなみに、チーム名の「山雅」というのは、チーム創設時に選手達が愛用していた喫茶店の名前とのこと。そのあたりにも、「下部リーグのチーム」という印象がより一層強まります。
 他にも、J1の柏が勝ちはしたものの、ジェフ千葉の下部組織である「ジェフリザーブス」というチームに、0対0のまま引分け、PKで辛うじて勝つ、という試合もありました。
 ちなみに、10年近く前のフランスで、アマチュアチームである「カレー」が決勝に出た時も、それだけで日本でもニュースになりました。当時も今もフランスサッカーの事など何も知らない私が、それを10年経った今でもそのチームの事を覚えているほどです。それだけ、「番狂わせ」というのは印象に残るわけです。もちろん、あまり多発しては上位リーグの権威が疑われてしまいかねませんので、あくまでも「ほどほど」がいいのでしょうが・・・。
 ちなみに、私のサッカーにおけるひいきチームである愛媛FCは、同じJ2所属の福岡に負け、今日で終戦となりました。それもあって、この後は、番狂わせを最大の楽しみにして、全日本選手権を見物しようと思っています。

2009年10月10日

寝坊と寝過ぎ

 昨日の朝、目が覚めたら、目覚ましをかけていた時間から35分くらい経過していました。こんな寝坊することなど、ここ5年ほどありませんでした。
 もっとも、普段の起床時刻は各駅停車に座って乗ることを前提に設定しています。したがって、満員の快速に立ちっぱなしで乗って行ったところ、何とか定時には会社に着きました。
 その晩、夕食を食べてしばらくしたら、これまた強烈な眠気が。まあ、普段も、夕食後に眠くなり、1時間くらい「夜寝」することはあります。そのつもりでの一休みだったのですが、目が覚めたのは、今日の朝6時半でした。

 この時は、「むしろ早寝早起きで健康的だ」と思い、昨晩できなかった洗い物やゴミ捨てなどをやったのですが、終わるとまた眠気が。結局それから10時半くらいまで寝てしまいました。また、目が覚めている間も、かなりぼーっと過ごしていました。
 さらに夕方に眠気が来て、また2時間くらい「夕寝」までしていました。というわけで、一日の半分以上を寝て過ごした事になります。
 まあ、先月末からここまで、実質的な休みは一日しかありませんでした。それを含め、ついつい疲労が蓄積していたのでしょう。
 休みの数が増えるのは難しいので、日頃の生活を改善するよりありません。もちろん、「早寝」を習慣化するのが唯一かつ最善の手段という事は解っています。しかしながら、ついつい夜更かしする生活を10年以上続けていました。
 しかし、ここ二日の疲れぶりから、そろそろ本格的に生活改善する必要がありそうだ、と思うようになった次第です。

2009年10月04日

Wiiフィット

 しばらく前に相方がWiiとWiiフィットを購入し、熱心にやっていました。そして、明らかに効果がありました。自分も慢性的な運動不足なため、日頃から勧められていたのですが、なかなかきっかけがつかめませんでした。
 しかし、今日は全く予定のない完全休養日でした。何をやろうかと思っていたところに、再度の勧めを受けたため、ついに「デビュー」することを決意しました。

 まず最初に「自分のキャラ設定」をするのですが、これが意外に面倒です。そして何とか終わると、今度は体のデータ測定が始まりました。幸い、BMIは標準よりちょっと低いという事で一安心でした。
 さらにいろいろやった後、運動を選ぶのですが、これがまた、多種多様あります。これだけの中から選ぶと大変だと思ったのですが、目的別にあわせて複数の運動を組み合わせた「パッケージ商品」がありました。
 そこから「快眠とストレス解消」を選んだところ、ヨガ二つと、足踏みしながら手を動かす、というのが入っていました。早速やってみたのですが、いずれも覚えやすくてさほど時間も取られず、これなら続けられそうだと思いました。
 それにしても、まさかゲーム機を使った運動で、二千数百年の歴史を持つヨガを初体験することになるとは思いませんでした。
 何とか続けて、慢性化した運動不足を解消したいものです。

世代の違い

 仕事がらみで、お互い初対面である四人でディスカッションする事になりました。まずは自己紹介という事で、最初に二十代前半で立派な体格の人が「中本コウジロウ」と名乗りました。そして、隣のこれまた二十代前半で小柄な人が「高木です」と名乗りました。
 心の中では大いにウケたのですが、当の二人はもちろんの事、もう一人の三十代前半の人も平然としています。
 私が子供の頃は、ドリフターズは誰もが知る存在でした。しかし、二十代前半ということは、「全員集合」が終わった後に産まれた世代です。余程のマニアでなければ、ドリフターズなど知るわけもありません。
 妙なところでジェネレーションギャップを感じさせられた、短いディスカッションでした。

2009年10月03日

意外な政令指定都市候補

 神奈川県の相模原市が政令指定都市になる、というニュースをみました。どちらかと言うと、郊外のベッドタウンという印象を持っていたので、少々驚きました。興味を持って調べてみたら、いつの間にか相模湖町など、西側に隣接している町を合併していたとのことで、さらに驚きました。
 ついでに調べたところ、相模原市のみならず、既に政令指定都市になっている市よりも、世田谷区のほうが人口が多いと言うことを知りました。それどころか、世田谷区より人口の少ない県も少なからず存在しているそうです。

 半年ほどとはいえ、世田谷区民だった身とすると、ならば世田谷区も政令指定都市に昇格してもいいのに、などと思いました。さしずめ、区を作るとしたら、三軒茶屋区・経堂区・二子玉区・等々力区・烏山区とでもなるのでしょうか。
 ついつい「二十三区」という固定観念で世田谷区を認識していたのですが、まさかそんな「大都市」だったとは思いませんでした。これからは、かなり印象が変わりそうです。

2009年09月29日

無意味な再会

 3年半ほど前までいた職場の関係者に出くわしました。私が辞めた後、少々出世したらしいとの事ですが、こちらにとってはどうでもいい事です。何ら話すことも用件もないので、見かけても気付かないふりをやり過ごしました。しかし運悪く、向こうに気付かれてしまい、声をかけられてしまいました。
 無視したり逃げるのも大人げないので、一応、会話をしました。しかしながら、一方的に私にとって何ら興味も意義もない話をするばかりです。元々人柄に問題があったのですが、時間の経過と地位の向上(?)により、その横柄さに輪がかかったような感じでした。
 というわけで、数分間の会話でしたが、時間の無駄以外の何物ありませんでした。まあ、おかげで「さよなら絶望先生」のネタにあった、「無意味であればあるほど、実際の時間よりも体感時間が長くなる」という理論(?)を実感することができました。
 その一点においては、価値のある会話だったと言えるのかもしれません。もちろん、そのような実感は二度としたくありませんが・・・。

2009年09月27日

提携クレジットカード

 6年ほど前、日経BPのIT系展示会に行ったとき、脇から声をかけられました。どこかの会社でのアンケートかと思って振り向いたのですが、そこで言われたのは「当社のクレジットカードに入りませんか?」というものでした。
 なんでこんな所でカード会社の勧誘なのか、と思ったのですが、そのブースはVISAでもJCBでもなく、聞いたことのないFMラジオ局でした。もっとも、聞いたことがないのは、私が向こう20年くらいラジオと縁のない生活を送っているからで、別にその会社がマイナーだから、というわけではありません。

 「すでにカードは持っているし、ラジオは聞かないので、カード会員になる意味はないのですが」と答えたのですが、向こうは「別にラジオを聞く必要もない。しかもこのカードは年会費永久無料で、Edyとelioがついてくる」と言われました。
 当時は仕事でオンラインショップに携わっており、elioには興味がありました。そこで、まあタダだし、胡散臭かったらすぐ退会すればいい、と思って加入しました。
 ところが、その勧誘文句には嘘はなく、無料で普通にカードが使えました。もちろん、ラジオを一切聞かなくても問題ありません。こうなると、既存のカードに金を払うのがバカらしくなり、そちらを退会してしまったほどでした。
 そのまま現在に至ったのですが、先日その会社から手紙が来ました。そこには、このラジオ局のカードサービスを来年一月をもって終了します、と書かれていました。
 自分の事を考えれば、理由はよく分かります。何しろ、そこのラジオを一切聞かない客に対し、無料でカードサービスを提供しているのです。もちろん、客がローンで買い物すれば利息の一部でも入ってくるのでしょうが、この消費不況の中、その収入もたかがしれています。時勢柄、カード事業が見直しの対象になるのも無理はありません。
 IT景気にわいていた当時と、今の差を改めて感じさせられた、クレジットカードおよびその終了通知でした。

2009年09月24日

「閉」ボタン

 エレベーターに乗ったら、後から白人男性が乗ってきました。それを見たとき、13年前にオーストラリアに行った時の事が思い出しました。
 泊まったホテルをはじめ、どのエレベーターにも「閉」ボタンはありませんでした。そして、「閉」ボタンだと思って「開」ボタンの脇にある非常ボタンを押してしまったん日本人観光客を見もしました。
 そのため、あれは日本独特のものなのだろう、と思っていました。
 したがって、白人男性がどうするか気になったのですが、乗った直後に「閉」ボタンを押していました。

 最初は驚きましたが、考えてみれば、ベースになるのは単に13年前のオーストラリアの一都市だけでの体験なわけです。欧米の白人には当てはまる訳はありません。それどころか、オーストラリアでも別の州なら「閉」ボタンがある可能性も十分にあります。
 それだけの一般性があるかどうかが分からない経験を元に、「白人が『閉』ボタンを押すのは意外だ」と思いこんでいたわけです。
 この「一つの事例で得たケースを、他の事例と比較検証もせずに一般的な事であるとしてしまう」というのは、詭弁でよく使われる方法です。それは分かっていたのはずなのですが、何故か自分もそのような考え方に囚われていました。
 別にそれで何か損をしたわけではありませんが、改めて、「思いこみ」と「思考が硬直することの怖さ」というものを痛感させられた一件でした。

シルバーウィーク

 シルバーウィークこと、土曜からの五連休が終わりました。といっても、私の職場は祝日があろうとなかろうと原則月7日が休み、という規則なので、連休中も三日間は出勤でした。そのため、当初は普段と変わらない生活になると思っていました。
 ところが、休みの日はもちろん、仕事の後にも全て予定が入ったため、かなりのハードスケジュールに。連休としての行事はこなしつつも、仕事もする、という結果になってしまいました。

 おかげで今日、野球観戦が終わった後はかなりのもうろう状態に。普通に歩いて買い物したり食事をしたりして家に帰ったのですが、そのあたりの記憶が定かでありません。そのまま、帰宅してすぐ布団に倒れ込みました。
 出かけた先での事はそれぞれ楽しかったのですが、体力的には無理がたたった感じでした。
 いろいろ楽しみにしていた事が多く、ついつい詰め込みましたが、やはり年を考えて計画をしないと、と強く思った次第です。次回は気をつけようと思いましたが、次の「シルバーウィーク」は6年後とのこと。その時まで覚えていられるかは疑問です。

2009年09月21日

日曜大工

 本棚で使っていたカラーボックスが壊れたため、代替品として本棚を買うことになりました。前回買った椅子が良かった事もあり、今回はIKEAで買うと最初から決めていました。
 そして、丈夫そうな本棚を選び、本日到着しました。早速組み立てようとしたのですが、どうもこれまでの組み立ててきた本棚とは勝手が違います。最初に縦板と梁になる横板を組み合わせるところから、やけに複雑な作業を要求されました。
 その後も、説明書を読みながら、面倒な作業を進めていたのですが、そのうち、モンキーレンチを使う必要のある工程が現れました。さらに先を読んでみると、金槌で60箇所釘打ちをする、などと書いてありました。

 いずれの工具も我が家にはありません。仕方ないので、電車に乗って津田沼のユザワヤまで買いに行きました。
 最早単なる本棚の組み立てでなく、「日曜大工」になってしまっています。そして、60箇所の釘打ちを終了し、いよいよ立てました。ところが、苦労の末に組み立てた本棚は傾いていました。
 冷静に考えてみてみれば、前に住んでいたアパートも含め、16年間もモンキーレンチと金槌がない生活をしていた人間が、いきなりそれを使って家具を組み立てる、というのは無理があります。しかも、元々このような作業は苦手でした。
 とりあえず、足元に段ボールを入れてとりあえず並行にはしました。しかし、まだまだ傾きは残っています。そこで、近日中に耐震用の突っ張り棒を買うことにしました。工具代も含めると、かなりの追加出費です。
 確かに、ちゃんと作れば、既存の本棚よりずっと安定した物になっていたとは思います。しかし、それを実現するための技術がないと、逆の結果になってしまいます。
 椅子の件でIKEAの製品の丈夫さは分かったつもりでいました。しかし、今回の件により、自分で組み立てる製品については、組み立てる側に一定以上の技術力が必要がないとその丈夫さを得ることができない、という事を身をもって知りました。

2009年09月19日

「四日児」を抱っこする

 四日前に産まれた甥を見に病院へ行きました。新生児を見るのは八年ぶりです。
 抱っこしてみたのですが、私が抱くと泣き出し、母親である妹が抱くと泣きやみます。まだ、まだ四日間のつきあいでしかないはずですが、既に母親と他人の違いが分かるのでしょうか。まあ、単に私の持ち方が下手なのかもしれませんが・・・。
 もちろん、まだ首が座っていないのですが、縦に抱っこしてもさほど首の事を気にする必要はありませんでした。生まれつき、首の筋肉が強いのでしょうか。手足の指もスラッとしており、ついつい「優れた運動能力を持っているのでは?」などと、「伯父バカ」的な事を思ってしまいました。
 あと、頬に触ってみたのですが、その手触りの良さには驚きました。「もち肌」とか「手にすいつくような肌」というものの、数段上、という感じです。言葉で表現するなら「生後四日の乳児のような肌」としか言いようがないような手触りでした。
 とりあえず、元気に産まれてくれたようで、一安心でした。今後も、元気に育ってほしいものだと、改めて思った次第です。

2009年09月18日

ららぽーと休館日

 今日は仕事が休みで、IKEAで本棚を買ってから海浜幕張に出て野球観戦、という予定を立てていました。
 IKEAに行くだけなら、バスで海浜幕張か新習志野に出て京葉線で南船橋に行くのが最短です。しかし、せっかくだから、近接している、ららぽーとにも寄ろうと思い、京成で船橋競馬場に出て、そこから無料バスでららぽーとに行くことにしました。こちらのほうが交通費も安く上がります。
 ところが、船橋競馬場駅を降りると、「本日、ららぽーとは飲食店街と映画館を除いて休館です」という表示が出ていました。偶然にも、月に一度の休館日にぶつかってしまったようです。

 ちょっと不運だとは思いました。しかし、もともと、ららぽーとに用事はないので、特に困りもしませんでした。館内は歩けず、飲食店の並ぶ屋外を歩いたのですが、それはそれで新鮮でした。また、休館日でしかも平日午後であるにも関わらず、各飲食店にそこそこ人が入っていたのにも驚きました。
 船橋競馬場駅から乗った無料バスも、駅に休みの看板が出ているにも関わらず、そこそこ人が乗っていました。それだけの人気があるのでしょう。
 休館日にぶつかったのは予定外でした。しかし、そのおかげで、普段見ることができない「もう一つの、ららぽーと」を見れたわけです。そう考えると、かえって得したのかも、などと思いました。

2009年09月15日

二人目の甥

 朝、妹が二人目の子供を無事出産したとの連絡が入りました。男の子で、母子ともに健康ということです。ここ数年色々な事があって心配していました。それだけに、無事に二児の母になれたというのは、本当に嬉しいことです。
 ここのところ、色々面倒な事があるのですが、このニュースのおかげで、元気が出ました。本来なら、兄である自分が妹を元気づけなければならないのですが・・・。とりあえず、新たな甥の顔を見るのが楽しみです。

2009年09月13日

食中毒

 イオン津田沼店のフードコートに行ったら、ペッパーランチが休業していました。あれだけ食中毒で話題になってしまえば、仮に空けても客は来ないので、仕方ないところでしょう。
 ただ、そんな中一人だけ店員さんが出勤して、店内を掃除していました。社員の人なのでしょうか。考えてみれば、時給で契約している人は、別に何か悪いことをしたわけでもないのに、今回の休業で収入が減るわけです。
 ペッパーランチ自体は、以前からほとんど利用していなかったので、各地で休業と聞いても特に何とも思いませんでした。しかし、一人で掃除している店員さんを見ていたら、かなり印象が変わりました。

 ところで、ペッパーランチのほうが原因も含めて詳しく報じられる一方、ほぼ同時に同じ食中毒を発生させた「ステーキのどん」については、未だに原因が伝わってきません。
 ちなみに、ペッパーランチのサイトを見ると、トップがお詫び文になっているのに対し、「どん」のほうは、トップ下に小さくPDFファイルへのリンクがあるだけです。しかも、その上には、大きいバナーで「安心と品質への取り組み」などと書いてあります。
 普通、こんな事態になったら、その失敗した「取り組み」はとりあえず外しておくべきではないでしょうか。それも含め、「ペッパーランチ」と「どん」の差(というか、「どん」の異常なまでの反応の遅さ)が気になりました。

大回りを推奨する案内

 仕事で、「有楽町電気ビル北館」へ行くことになりました。ネットで調べたところ、案内地図と行き方が書いてありました。そこには「有楽町線有楽町駅、日比谷線・千代田線・三田線日比谷駅A3出口直結」と書いてありました。(該当ページ※PDFファイル)
 これを見た、有楽町線を使う人は、有楽町駅で降りて「A3出口」を探してしまう可能性があります。しかし、そんな事をすると、1キロ近く余計に歩く羽目になります。

 確かに、有楽町駅と日比谷駅はつながっています。しかし、両駅の間にはかなりの距離があります。乗換えの際に通し料金にするために「同一駅」という扱いになってはいますが、実質的には別の駅です。
 結論だけ言うと、有楽町線有楽町駅から行くなら、B2出口から出れば、3分くらいで着きます。それが、「A3出口」を使ってしまうと、10分くらいかかってしまいます。
 作った人だってこの建物を利用しているわけです。ということは、有楽町駅・日比谷駅の構造くらいは知っているでしょう。にも関わらずなぜこの「案内文」にOKが出たのだろうか、と不思議に思いました。

2009年09月11日

挙動不審

 二ヶ月ほど前、携帯を買い換えました。目的の一つにワンセグ視聴があり、それについては色々と重宝しています。それはいいのですが、この携帯、なぜかメールを見ようとして開くと、勝手にワンセグが始まる事が多々あります。
 なんでも、振ったり背面を突いたりするだけでボタンを押すのと同じ効果がある機能があるらしいので、その影響なのでしょうか。いずれにせよ、普通に操作しているにも関わらず、予想外の画面が立ち上がるのは不気味です。ついでに言うと、それが作動するとやけに電気を食います。おかげで、二日続けて充電する羽目になりました。
 携帯の進化は凄いと思いますし、実際にその恩恵にあずかっています。とはいえ、これはちょっと迷惑としか言いようがありません。やはり操作者の意図に反する動作はしないように作ってもらいたいものだと思いました。

2009年09月10日

日本一カネに汚い県?

 千葉県庁で長年にわたっての不正経理が発覚したそうです。まあ、警察と同様で、「組織の掟」化していたのでしょう。これに関して、「自分の就任前」という事で、責任を取らなくていい事が分かっている森田知事が大はしゃぎしているようです。
 そして、会見で日本一カネに汚い県と言われても仕方がないなどと言ったそうです。
 あまりに嬉しくて、ついつい原稿にあった「庁」を読み忘れたのでしょうか。おかげで、県職員を批判するはずが、全県民を批判する事になってしまいました。
 偉そうな事を言っていますが、「完全無所属」などと嘘で塗り固めた発言で支持を集めて知事になった輩です。いくら格好つけて批判したところで、説得力はまるでありません。

 さて、他人事を勇ましく批判している知事ですが、自らの疑惑については相変らずです。「違法献金」を返却したと言いながら、その領収書の提出をできなかった、というのは記憶に新しいところです。不透明なカネの流れ、という事では不正をはたらいていた県庁職員と大差ありません。
 それを考えれば、最初から棒読み用原稿に「庁」とは書いていなかった可能性も考えられます。「自分のようなカネに汚い人間を知事にした県」という事で、ついつい本音が出たのかもしれません。。
 まあ、中心市の市長と市議会議長が相次いで逮捕されたほどの「お県柄」です。あんな県知事が誕生するのも、県庁で大規模に不正が行なわれるのも根っこは一緒なのでしょう。
 いずれにせよ、税金を不正に使われた上に、同類の知事から「日本一おカネに汚い県」などと罵倒されたわけです。つつましく暮らしている一介の県民としては、まさに「踏んだり蹴ったり」でした。

2009年09月06日

一汁一菜

 休日を家で過ごすときの昼食は、スーパーでの「中食」かシリアルでした。ところが、今日は無性に納豆ご飯に味噌汁が食べたくなりました。先週買った雑誌で「御飯食の人はガン発生率がパン食の人の半分」という記事を読んだせいかもしれません。
 そして、おかずに常備菜の漬け物を出してもらい、食卓に並べました。それを見たとき、これがいわゆる「一汁一菜」だという事に気づきました。
 我ながら健康的だと思ったのと同時に、そのような食事をしたくなる年になったのだ、と思いました。
 というわけで、体にいい昼食を取ったのですが、やはり腹持ちがよくなく、夕方にチーズを「おやつ」にする羽目になりました。その空腹を感じながら、「これを普通に食事としていた、昔の人はすごいもんだ」などと感心しました。

2009年09月05日

画期的なレジ袋削減策

 仕事帰りに、駅前の安売りスーパーで晩酌用の4リットル入り焼酎とつまみのチーズを買いました。すると、レジの人が「すみません。ただいま、大きい袋が切れていまして、こちら(焼酎)はシールでよろしいでしょうか」と言ってきました。
 よろしいでしょうか?と言われても、他に選択肢は存在しません。というわけで、むき出しまま、4リットル入り焼酎ペットボトルを持って帰ることになりました。
 まあ、地元には知り合いは全くいません。したがって、別に見られても困ることはないのですが、やはり片手にビジネスバッグ、もう片手に焼酎のペットボトル、といういでたちで街中を歩くのは端から見ればかなり奇妙だろうな、と思いながら帰宅しました。

 それはともかく、結局自分はレジ袋を使わずに4リットル入りペットボトルを買って帰ったわけです。
 何年か前から、環境問題とも関連してレジ袋削減がうたわれ、色々な方策が取られています。しかし、なかなか決定的なものはないようで、そのため、何度も削減方法を変更しているスーパーなどもあります。
 そう考えると、この「袋がないから渡せないよ」というのは、直截的かつ画期的だと思いました。
 少なくとも、今の西友がやっている、「100円の買い物でも1万円の買い物でも、レジ袋不要なら一律2円引き」などとよりは、よほど合理的な「削減案」と言えるでしょう。
 このスーパーは、在庫管理ミスで偶然このような事態になったと思われます。しかし、この偶然をきっかけに一歩踏み込んで、この「削減策」を恒常化してもいいのでは、などと思いました。

2009年09月04日

夜寝

 最近、夕食後にうたた寝をすることが多々あります。食べ終わると眠気が訪れ、30分程度寝ると、スッキリする、という感じでした。いわば夜に行なう昼寝、という感じです。
 今日も眠気が訪れたので一眠りしたのですが、なかなか目が覚めません。気がついたら数時間寝ていました。どうせならそのまま朝まで眠ればいいのでしょうが、一度目が覚めると、眠気が飛んでしまいました。
 ならば、食後の眠気に耐え、早寝すればいいとも思えます。しかしながら、一度、眠気に耐えきると、なかなか次の眠気は訪れません。
 40年生きているわけですが、睡眠のコントロールはなかなか上達しません。これが上手くいけば、より時間を有効に使えるはずなので、我ながら困ったものだと思っています。まあ、もっと年をとれば自動的に早寝早起きになり、解決されるのかもしれませんが・・・。

2009年09月02日

久々のコーン茶割り

 津田沼パルコにある韓国料理店でたまに昼食を取ります。ここは、開業時は冴えなかったのですが、ある時期からランチタイムにキムチ・ナムルなどの副菜を食べ放題にしてから一躍行列の出来る人気店になりました。
 というわけで、我が家もそれ以来愛用しているのですが、私的にはキムチ食べ放題に勝るとも劣らず、この店が提供してくれるコーン茶を楽しみにしています。

 学生時代に一度飲んで感心し、その後一回、ネット通販で買いました。ネットで買ったのも美味ではありましたが、わざわざ手間暇と送料をかけてまで、というほどでもなかったので、それ以来、飲むことはありませんでした。
 それがこの店で飲めるだけでも嬉しかったのですが、先日行ったら、レジでティーバックを売っていました。袋にはハングルしか書いていない、純度百パーセントの本場製品です。
 それまで置いていなかったところを見ると、他のお客さんからも好評だったため、単品販売を始めたのでしょう。
 早速購入し、焼酎で割って飲みました。初めて飲んだ時に感じたほどの衝撃はありませんでしたが、その香りは焼酎とよくあっており、美味でした。
 一駅手前で降りて350円払えば買えるので、今後は頻繁に利用する事になりそうです。いずれにせよ、久々のコーン茶割りで焼酎が飲めたのは嬉しいことでした。

2009年08月31日

相撲協会公式キャラ

 日本相撲協会が公式キャラクター「ハッキヨイ!せきトリくんを発表しました。なんでも、このヒヨコが東北から上京して横綱を目指す、という設定だそうで、他にもライバルの「トリ」たちもいるようです。
 イメージキャラクターを作るのはいいのですが、視覚的にどうかと思いました。基本的な目的は「子供たちに大相撲への親しみを持ってもらう」だそうですが、このキャラがきっかけで相撲ファンになる人、というのは出てくるのでしょうか。

 普段から格式だの伝統だのと言っているわけです。ならばもう少し「日本相撲協会の公式キャラクター」と言葉が持つ重みも考えても良かったのでは、と思いました。
 あと、やはり「相撲取り」だから「トリ」というのは安直すぎると思いました。ちなみに、二年ほど前に放映されたアニメで、1分ほど出てきたちょいキャラにスモウトリンというのがいました。視覚的には、こちらのほうがずっと「力士らしさ」があると思いました。
 あと、この「スモウトリン」をデザインした人も、同じ発想で「日本相撲協会公式キャラ」が誕生するとは、夢にも思わなかっただろうな、と思いました。

2009年08月30日

東京と千葉の距離

 今日は将棋大会があり、都内に出ていました。そして14時頃に、マリンスタジアムでの野球が中止というメールが入りました。試合開始は17時ですから、かなり早い決定です。
 そこで、よほどの雨が降っているのだろうと思い、外を見たところ、確かに今にも雨が降りそうな空模様ですが、地面は濡れておらず、傘をさしている人もいません。
 夕方帰宅するときは、逆に会場周辺では豪雨でしたが、帰宅したらかなり弱まっていました。
 さらに22時頃、別件で都内に出ていた相方から電話があったのですが、そちらは相変わらずの豪雨で、逆に家は相変らず小振りでした。
 10年以上、毎日のように、千葉の自宅と都内を往復しています。そして、電車一本でつくので、ついつい同じような所だと思っていました。しかし、このような雨の振りかたの違いであらためて、やはり何十キロも離れた別の都県である、ということを実感させられました。

2009年08月29日

ブーム第二弾

 春先に続き、第二の「新型インフルエンザ流行」が到来しています。前回は知っている感染者はいなかったので、どことなく他人事のような感じでした。しかし今回は、同姓のプロ野球選手の感染もあり、より現実味が増しています。
 前回は、「とにかくマスク」という事で、品切れになるほど、マスクが流行しました。しかし今回は、「手洗いとうがい」との事。それもあって、通勤電車でもマスクをしている人はほとんどいません。
 ならば、あの「マスク大流行」は何だったんだ、と思いつつも、最近は、出勤と帰宅のたびに手洗とうがいをしています。そう言えば、前回も関西出張の時はマスクをしていました。

 基本的に、「流行するものには便乗しない」という主義なのですが、さすがに健康問題となると、報道や世評に影響されてしまいます。
 それにしても、インフルエンザなんて長い歴史を持つにも関わらず、未だに大流行時の予防策すらコロコロ変わるのですから、不思議なものです。
 有効性は高いのですから、もっと予算を投じて研究し、早く「抜本的な予防策」並びに「確実に防げる予防接種」を開発してほしいものだと思いました。
 ちなみに、自分は4年半ほど前に生涯で唯一のインフルエンザにかかった事があります。その時は、別の体調異常を検査するために病院に通った所、そこで院内感染しました。
 したがって、経験則に基づくインフルエンザ予防策は「よほどの事がない限り病院には行かない」です。とりあえず、これだけは守ろうと思っています。

2009年08月25日

進歩いろいろ

 派遣村がらみで厚生労働大臣が事実に基づかない暴言を吐いたそうです。そのニュースに関連づけられたmixiニュースを見ていたら、案の定「安易に派遣社員を選んだのだから、派遣村に行かざるを得ないのも自業自得だ」みたいな日記が多数ついていました。
 「派遣村」のニュースが出ると、必ずこの類の日記が大量につきます。まあ、「工作員」およびそれに煽られている人もいるのかもしれません。とはいえ、なぜそこまで誤解できるのか、と不思議でなりません。

 根本的に間違っているのは「好きで派遣社員になった」という部分です。まさか、派遣村にいた人が、年間休日130日で順調に勤めれば年収1千万になるような大企業の内定をもらいつつも、「より自由に働きたい」と言って派遣社員を選んだ、とでも思っているのでしょうか。
 さらに不可解なのは、派遣村の人は働かずに衣食住が保証されて楽をしている、みたいな感じで書いている事です。そんないいものだったら、少なからぬ会社員は、自ら進んで退職して派遣村に行っていたでしょう。その状態が幸せか不幸かを想像することすらできないのですから、呆れるよりありません。
 とはいえ、希望がないわけではありません。そのニュースと並んで、「公務員の給料を一律削減」みたいなニュースも出ていました。しばらく前までなら、情報産業の宣伝の影響で、「公務員は税金泥棒、減給大歓迎」みたいな反応が多数を占めていたでしょう。
 しかし、さすがに、公務員の給料が減ったところで、会社員が幸せになるわけではない。それどころか、私企業に勤めている人までとばっちりを受ける、という現実が理解されたのか、今回の減給には批判的な日記がほとんどでした。
 もちろん、批判の内容が、「それより先に議員の給料と人数を減らせ」であり、自公民および情報産業にとっての聖域である「政党助成金」には言及できないあたり、まだまだ、操られているという印象はぬぐえません。
 とはいえ、安易に公務員叩きに走っていた事を考えれば、少しはまともになったと思うべきでしょう。
 あまり楽観的に物事を考えない自分ですが、二つの反応を見て、「いつか『派遣叩き』をしていた人も、目が覚める時が来るかも」と希望的に考えることにしました。

2009年08月24日

気温が変わる場所

 仕事が終わり、駅まで歩いていました。今日は朝から涼しかった上に、昼過ぎには「スコール」があった事もあり、まあ過ごしやすいですが、それでもそこそこの暑さは感じました。
 ところが、駅近くにある桜並木のあたりに来たら、急に空気が変わりました。風は全然吹いていないのに、急に秋が訪れたかのような涼しさを感じたのです。
 もしかしたら、並木の前に来たら気温が変わったのですから、樹に溜まっていた昼下がりの「スコール」が蒸発して、その気化熱で涼しくなったのだろうか、などと想像しました。
 というわけで、意外な形で「夏の終わりの始まり」を体感しました。

2009年08月22日

撮影禁止

 汐留を歩いていたら、テレビ局のイベントが行なわれていました。簡易ステージの上で、10人グループのアイドルグループが何やらやっています。そして、客席の中には何人ものスタッフが立っていて、「撮影禁止」と書かれた札を掲げていました。
 携帯電話の進化で、ほとんどの人がカメラを日頃から持ち歩く時代になっています。そんななか、肖像権も重要な商売道具であるアイドルですから、当然の事でしょう。

 逆に言えば、「撮影防止」を行なう事に商品価値が出てくるわけです。目では普通に見れるが、携帯で撮影はできなくなるような物質をを開発し、それを売り込めばいい商売になるのでは、と思いました。
 そんな事を考えながら歩いているうちに、アイドルグループの顔も名前もすっかり忘れてしまいました。というわけで、「撮影禁止」の札ばかりが記憶に残ったアイドルイベントになってしまいました。

四百年の国交ならでは?

 仕事の関係でタダ券が手に入ったので、ホテルオークラ東京で開催されているオランダ絵画展に行きました。
 最初に展示されていたのはゴッホで、続いて19世紀から20世紀初頭にかけての風景画が並んでいました。このあたりを見ていた時は、普通の西洋画だな、と思っていました。
 ところが、次の部屋に行ったら雰囲気が変わりました。いきなり目に入ったのは、着物女性の大きな絵でした。さらに、普通のオランダ女性の肖像画なのですが、背景が相撲の浮世絵、という作品がありました。ご丁寧に漢字で「相撲」と書いてあります。あと、なぜかそこで取り組んでいる力士の廻しが、あきらかにずれており、「反則負け」直前、という状態だったのが気になりました。

 さらに続いて、北野武さんの肖像画がありました。非常によく似ているのですが、なぜか右目の下に漢字の刺青(?)が書かれていました。
 さらに絵画展といいながら、写真も展示されていました。その中にも、渋谷のドコモショップや京都の寺院などがありました。そして、長崎にあるハウステンボスの建物の写真までありました。オランダの写真家がわざわざ地球を半周して長崎まで行って、自国を模倣した建築物の写真を撮っているわけです。
 言うまでもなく、オランダといえば、徳川幕府時代に日本と交易していた唯一の西欧国家です。したがって、文化交流の歴史もあるわけで、入場時の案内でも「日本の影響を受けた作品が多い」と書かれていました。
 したがって、着物の女性あたりまではまだ予想範囲でしたが、北野武さんや、ハウステンボスの写真は想定の範囲外で、驚かされました。
 軽い気持ちで行った展示会ですが、まさかここまで驚かされるとは思いませんでした。世の中なんでも経験してみるものだ、と改めて思いました。

2009年08月20日

治す前に治る

 仕事で使っている、データ通信専用のFOMAに異常が発生しました。PCに挿して接続ソフトを立ち上げても、FOMAを認識しないのです。
 USBの挿し口を変えても、PCを再起動しても状況は変わりません。試しに、別のPCを使ってやってみても結果は同じです。そこで、FOMAの故障と思い、ドコモショップに持っていきました。
 まずは所有者確認という事で、通常の携帯同様、身分証と電話番号の提示を求められました。しかしデータ通信専用なので、番号が分かりません。そこで、店員さんはFOMAカードを抜き出して、番号を確認しました。

 これで事前手続きが終わり、いよいよ原因調査となりました。そこで、現象を見せようと、FOMAを挿して、接続ソフトを立ち上げます。ところが、次の瞬間、ソフトはFOMAを認識しました。
 かなり気まずくなりましたが、店員さんによると、FOMAカードの抜き差しで治るのはよくあること、との事でした。
 いずれにせよ、所有権調査を目的に行なわれた、カードの抜き差しで治ったわけです。拳の達人が、牽制で撃った軽い突きで相手をKOしてしまった、という逸話を何となく連想してしまいました。
 とりあえず今後は、通話用・データ通信専用を問わず、FOMAで異常が発生したらまずはカードの抜き差しだ、と強く思いました。

母校のありがたさ?

 竹橋のあたりで仕事があり、直帰になりました。そのまま東西線で西船橋に出ても帰れるのですが、なんとなく、他の経路もないか、と思って、周りを見回しました。
 すると、ちょっと向こうに、やけに大きなビルが見えました。よく見ると、上のほうに自分の出身大学の名前が書かれていました。
 自分が卒業してから10年以上経ってからできた新校舎なので、見覚えがあるわけでもありません。しかし、建っているところは同じなので、そちらの方角に進めば、御茶ノ水駅に着くことが分かりました。

 というわけで、しばらくそちらの方角に向けて歩いたら、駿河台下の見慣れた街並みの中に入り、そのまま坂を登って御茶ノ水駅に行って無事帰る事ができました。
 母校の新校舎については、在学中に建っていた味のある建物が、味気ない高層ビルになることおよび、その度に寄付を募る手紙が来たので、あまり好意的に感じていませんでした。
 それがまさか、このような形で、新校舎のお世話になるとは思いませんでした。それについては有難く思いました。とはいえ、今後、新校舎建設の寄付要請が来ても、金を払う気になるほどではありませんでした。

2009年08月19日

ビジネス書の検証

 書店のビジネス書欄に行くと、成功した経営者や企業を題材にした「なぜ儲かったか」という記事が多数見られます。
 しかしながら、結果的に成功すれば、どのような行動だって「成功の原因」になります。言い換えれば、それと同じ事をすれば成功できるかどうかを立証することはできません。
 したがって、そこに書かれている事が、本当に成功へ結びつくのかどうかなど、分かりません。

 たとえば、トヨタなどは、常に褒め称えられ、やることなすこと全てを「理想的な経営手法」と書いた本が何百冊と出ていました。
 それが現在では赤字に転落し、その中で経営陣の高給を維持するために「派遣切り」などという従業員をモノ扱いする事を行なったわけです。さらに、製品には大量にリコールが出て、社内では過労死者も少なからず出しています。
 さらに、「優れた企業体質」の象徴だった「QC活動」なるものは、単なるタダ働きの強制だった事も明らかになってきました。
 この現状を考えれば、かつて千何百円払ってトヨタ礼賛書籍を買って熟読した人は、カネと時間を無駄にしたと言えなくもありません。
 そうやって考えてみると、ビジネス書の場合、後の検証がかなり重要なのでは、と思えてきます。もちろん、失敗を取り扱ったり、失敗体験者が書いたビジネス書もありますが、それはそれで結果論になってしまいます。
 そこで思いついたのが、凋落した人が成功していた頃に出版されたビジネス書への「ツッコミ」です。当時書かれた褒め言葉と落ちぶれた後の状況を比較すれば、そこに書かれていた事が「一時的な効果しかなく、後で反動がくる方法」だったとか、「元々、たいして効果がないが、成功したためにその要因のように見えた」という事が確認できます。
 そのような検証を行なった本こそが、実際のビジネスに役立つのでは、と思いました。まあ、そんな本を出したら、現在出ている「成功者礼賛ビジネス書」の売上げに悪影響を及ぼす可能性があるので、出版される事はないとは思いますが・・・。

2009年08月16日

「日刺し」と対策

 今日は昼過ぎからビッグサイトに行き、一時間ほど歩き回りました。その後、IKEAで、懸案となっている本棚買い換えの候補を絞ったあと、ららぽーとを散策しました。
 というわけで、ほとんどは屋内にいたのですが、駅から建物や、建物から建物への移動というごく短い時間の間は、日陰の少ない埋め立て地ということもあり、午後の強い日光の強さは半端ではありません。肌に突き刺さる、という感じでした。

 事前に日焼け止めや帽子で対策をしていたので、特に問題はありませんでしたが、その日光の強さには改めて驚かされました。
 現在、日が降り注ぐさまを表す言葉は「日差し」です。しかし、このような刺すような日光が毎年夏に続くようだと、新たに「日刺し」という言葉も必要になるのでは、とまで思ったほどの強さでした。

年に2回の行列整理

 コミケにサークル参加しました。前回同様、午前中は行列整理が仕事になります。
 何度やっても慣れないうえに、お隣のサークルのお客さんは増える一方なので今日も大変か、と思っていました。しかし、今回は、館外に行列を伸ばす事になり、しかも並ぶ場所は日影になっていたため、非常に楽でした。
 一応、最後尾についてはいましたが、ほとんどやることはなく、もっぱら、行列に並ぶ人を観察し、「行列に並ぶ人にもいろいろなタイプがいるものだな」などと思ったりしました。

 私が外でそんな事をしている間に、中のほうでは大変な事に。東館に大量の人が押し寄せたため、西館から東館へ移動するのに最長1時間かかるほどの混み具合になっていた、との事でした。
 その大量動員の原因となったのは、「東方Project」というゲームだそうで、1.5ホールがそのサークルで占められていました。一応、名前だけは聞いたことがありましたが、そこまで驚異的な人気を持っているとは知りませんでした。
 自分の「アンテナ」の衰えぶりを改めて認識させられました。
 というわけで、今日は東館には行かず、コスプレ広場を散歩した以外は、スペースの中でのんびりしていました。コスプレ広場では、灼熱の駐車場でコスプレする人、その写真を撮る人の体力と精神力の強さが最も印象に残りました。
 なお、肝心の自分が作った本ですが、おかげさまで本日も14時頃に完売。「壁サークルで即日完売」を2回連続で続けることができました。まあ、10部も刷ってはいなのですが・・・。いずれにせよ、買ってくださった方、有り難うございました。

 帰りは、弟に勧められて、「台場ガンダム」の見学へ。ガンダムそのものよりも、それを見たり写真に撮ったりする人の多さのほうにむしろ驚かされました。まあ、今日はコミケ帰りの人が大量に押し寄せたためなので、何度も行っている弟も驚くほどの多さだったようです。

2009年08月13日

斬新そうだが使い古された発想

 イラストリンク集サイトを見ていたら、なぜか外国人にも理解し易いインターナショナルな将棋へのリンクが張ってありました。
 「漢字の代わりに動き方を駒に描くことにより、外国人でも分かりやすくする」という商品のようです。一見、斬新そうに見えますが、実は15年くらい前に将棋雑誌の表紙で全く同じ発想のものを見た記憶があります。しかも、その15年前にそれを見た感想は「確か子供の頃に似たような『新商品』を見たな・・・」でした。

 つまり、10数年周期で「開発」されているわけです。ということは、「前回開発された商品」が売れずに人々の記憶から消え去った頃に、同じ事を考えた人が「発明」をするのだと推察できます。
 消え去る理由はちょっと考えれば簡単です。発想の前提にある「外国人が将棋をやらないのは、駒が漢字で書かれているからだ」という考えに何ら根拠がないからです。ちょっと置換えれば分かると思います。漢字表記のチェスの駒ができたら、日本でもっとチェスが流行る、などと思う人はいないでしょう。
 この周期からすると、2024年頃にまた、「駒に動き方を描いた新将棋」が出るのだろうか、などと思いながら、掲載ページを見ていました。

2009年08月10日

熱さと旨さ

 ある店でうどんを頼みました。すると、店員さんが「熱いので、火傷をしないように気をつけてください」と言いながら持ってきました。鍋焼きうどんなら分からなくもないですが、普通のきつねうどんです。
 少々驚きながらも食べたのですが、確かに熱いです。あまりの熱さに、他の味覚が働きません。うどんの歯ごたえや、油揚げの旨味などもほとんど感じませんでした。

 熱さに耐えながら、なんとか汁までたどりつきました。そして飲んだ汁は、やけに甘いだけの味がしました。
 もちろん、生ぬるくては美味くはありません。したがって、一定の熱さが必要なのは分かります。とはいえ、「熱さと甘さ」しか印象に残らない、というのはどうかと思いました。
 カレー屋だと、辛さを変更する事が可能な店もあります。それにならって、この店も、温度を変更できるようにすれば、より多くの客層に対応できるのでは、などと思いました。
 もっとも、あの汁の甘ったるさから考えると、それだとごまかしがきかないため、あえて火傷するくらいの熱さにしているのかも、とも思いましたが・・・。

2009年08月09日

元祖の玉子焼き屋

 昨日出張し、そのまま自腹で神戸に泊まりました。主目的はプロ野球観戦で、副目的は久々の高校野球観戦なのですが、この暑い日差しのなか、朝から甲子園に行く気もおきません。そこでどこかに行こうかと考えているうちに、明石が思い浮かびました。
 実は、昨晩の夕食は、「明石焼き」を食べるつもりだったのですが、仕事が長引いて断念。結局、吉野屋で食べる羽目になりました。
 というわけで、朝食は「明石焼き」にしようと思ったのですが、ならば本場で、と思ったのです。あわせて、神戸-明石間の車窓に広がる瀬戸内海を久々に見たい、というのもありました。

 瀬戸内海を堪能したり、当時はなかった明石海峡大橋の大きさに驚いたりしているうちに、明石に着きました。しかし、まだ10時過ぎという事もあり、店はどこも開いていません。
 なお、明石市内では、「明石焼き」でなく「玉子焼き」と呼ばれている事が店頭に出ている表示から分かりました。
 ただ、10時半開店予定、という店もあったので、しばらく時間をつぶす事にしました。せっかくだから海を見ようとと思い、そちらの方に向けて歩きました。
 アーケード街を抜け、港が見えてきます。その時、交差点の向こう側に、のれんが出ているきむらやという店がありました。さらに、店の前にまで椅子が出ています。まだ朝だからそこには誰も座っていませんが、おそらく、食事時には店があふれるくらい客が来るのでしょう。
 これは歩いた甲斐があると思い、店に入りました。何度か取材を受けているようで、壁には雑誌の切り抜きも張られています。それによると、この店は、100年くらい前から屋台で営業を始め、1924年から店舗営業を始めたという、「玉子焼き」の元祖と言うべき店だという事が分かりました。
 そして、席に座ると、注文を取られる代わりに、「一人前でよろしいですか」と声をかけられました。おでんも売っているのですが、基本的に「玉子焼き一筋」なのでしょう。そのため、何を頼むかすら尋ねないわけです。
 そして、「玉子焼き」と「ダシ」が来たのですが、あわせて食べ方の説明がありました。ダシにつける他に、塩で食べるのもお勧めとの事でした。さらに、机の脇にあるソースについて、「これのほうがいい、という人もいるから置いています。よければどうぞ」との説明がありました。店としては「邪道」の食べ方ですが、「たこ焼きはソースでないと」という人の対策で仕方なく置いてある、という事なのでしょう。
 お勧め通り、ダシと塩の交互で食べたのですが、どちらも美味でした。また、作りもしっかりしていて、ダシに入れても、ほとんど崩れません。そこらへんの「明石焼き」だと、ダシに入れると、グズグズに崩れて、原型をとどめなくなったりするのですが、やはり元祖は違う、と思いました。気がついたら、20個を平らげていました。
 仮にもう少し遅く着いていたら、既に駅前の店が開いており、そちらに入っていたでしょう。したがって、この「元祖」にたどりつく事もなかったわけです。そういう点も含め、運が良かったと思いました。

2009年08月06日

自分だけの場所

 昼休みに休憩室に行ったら、先にいた若い社員が、「10畳くらいのワンルームで同棲を始めた友人」の話で盛り上がっていました。いくら同棲するほどの仲とはいえ、一部屋だと住みにくいのでは、というのが共通の結論でした。
 聞いていてそんなもんだろうか、と疑問に思いました。現在の我が家は2DKですが、別に「誰の部屋」という区分けはありません。仕切りこそありますが、実質的には一部屋のようなものです。そういう話をしたら、「それでも一部屋とそうでないのとは違う」との事でした。一時的にでも「自分だけの場所」が作れるかどうかでは、かなり違う、という事です。

 言われてみて、我が家に「自分だけの場所」があるかと考えたところ、ともに一つだけありました、それは「パソコンの前」です。お互いのパソコンデスクと、その前に座る場所だけは、ともに「自分だけの場所」になります。
 我が家の面積は42平米くらいあります。その中で、パソコン周りはともに2~3平米です。残りの37平米くらいが共有部分、という生活なわけですが、この比率が多いのか少ないのかわかりません。
 まあ、それで長年問題なくやっているのですから、適切な配分なのかも、などと思いました。

2009年08月04日

痙攣?

 たまに寝ているとき、体がビクッと動いたような感覚になって目が覚める事があります。もちろん、寝ているわけですから、本当に動いたかどうか分かりませんが、体感的には、10数センチくらい動いた気分になります。
 今日、その現象が、電車の中で寝ているときに発生しました。当然、座っていたのですが、やはり体が跳ね上がったような気がしました。
 ここで、周囲にいた見知らぬ人に、今、自分の体がどう動いたかを尋ねれば、長年不思議に思っていたこの現象の原因が判明するところではあります。しかしながら、さすがにそれをやる度胸はありませんでした。
 もしあらかじめ発生する事が分かっていたら、相方に観察をお願いするところですが、そういう訳にはいきません。自分の体の事でもあり、いつか正体を知りたいのですが、なかなか難しそうです。

2009年08月01日

「世の中はやっぱり金だ」・・・という会社へ

 電車の中に、11月半ばに上映される「クリスマスキャロル」の広告が出ていました。二種類のパターンがあり、それぞれが車内に張られています。そのうちの一つには、「世の中はやっぱり金だ」・・・というあなたへ、という宣伝文句が書かれていました。
 実際、原作の小説は、金儲けの事しか考えていない事の空しさを題材としています。これを、どんなに他人に迷惑をかけても、金さえ儲ければいい、という今のような時代に映画化するのは有意義な企画だな、などと最初は思いました。ところが、もう一度広告をよく見たところ、感想が180度変わりました。

 広告の下のほうに、製作会社名があったのですが、そこには筆記体で「Disney」と書かれていました。あまり目立たないように書かれており、最初は見落としていたのです。
 この文字を見ただけで、映画に対する印象は全く違ってきます。何しろ、著作権ビジネスによる自社の利益を守るため、著作権の期限が切れそうになるたびに、政府に働きかけて期限延長をしている会社です。
 さらにその一方で、「ライオンキング」などの、他人の著作権を軽視した作品で大儲けしている事もまた有名です。
 この会社が「世の中はやっぱり金だ」・・・というあなたへ、という言葉を使うのですからギャグにしかなりません。社員募集広告で使う予定の言葉を、間違えて映画の宣伝に書いてしまったのだろうか、などとまで思ってしまいました。

2009年07月29日

最悪のタイミング

 少々時間が余ったので、ドトールに入りました。コーヒーを飲みながら、ふと「そろそろ月末だが、携帯料金はどのくらいだろう」と気になりました。そこで、マイメニューから料金確認サイトへ行こうとしたのですが、そこへのリンクが見あたりません。
 以前は簡単に分かったのですが、トップページ変更に伴い、分かりづらく「改悪」されてしまっています。そこで、適当にそれっぽい名前のリンクをクリックしたのですが、残念ながら間違い。ドコモが運営する、クーポン配布サイトみたいな所に紛れ込んでしまいました。

 その中の一つに「ドトールコーヒー」がありました。ちょうど今いる事もあって気になり、ページを開いたのですが、なんとそこには「この画面を提示すると、S→MもしくはM→Lに、無料で増量」と書かれていました。
 別に喉が渇いていたわけでもないですから、コーヒーの量が少々増えようと、特に変りはありません。しかしながら、該当商品を買った直後に見てしまったため、とてつもない損をしたような気分になってしまいました。かなりの損失感です。
 同様の悲劇(?)を起こさないためにも、今後は店の中でネットクーポンがあるページを見る際は、自分が今いる店のページは絶対に開かないようにしよう、と強く心に誓いました。

2009年07月27日

体感時間の謎

 駅から会社までは歩いて5分くらいです。ところが、毎朝出勤の時に限り、この5分がやけに長く感じます。
 別に仕事場に入るのが嫌なわけではありません。その証拠に昼休みの時も、弁当を食べた後は外に出て休息を取り、同じように駅から会社まで歩いて戻ります。その時は別に長く感じません。
 会社までの経路は見晴らしが良く、駅舎から出ればもう会社の看板が見えます。そのような中で、朝に限ってなかなか会社が近づかない、というのは奇妙なものです。
 まあ、まだ朝なうえに、行きの電車の中では寝ているので、目が覚め切れていないためなのかもしれません。
 なお、同じ距離を一番短く感じるのは、当然ながら仕事が終わって帰るときです。まあ、これについては、仕事が好きかどうか、という問題以前の理由だと思っています。

2009年07月26日

三枚組(?)の広告

 京成バスに乗っていて、窓につり下がっている広告を見ていました。よく見てみると、その広告の下には、別の広告が隠されて(?)いました。さらにそれをめくると窓が見えたのですが、そこには、シール形式の広告がありました。
 別に、めくっていく度に話が進んでいき、一番下にオチがある、といった趣向ではありません。関連性はないですし、広告主も全て異なります。しかも、一番上にあるのは、京成バスグループという「自社製」で、その下に、他企業の広告を隠して(?)のです。

 別に車内が広告で埋まっているわけではありません。三枚とも見えるようにすることができる場所は十分にあります。
 理由は分かりませんが、これを見た広告主はもちろん、広告出稿を検討している人が見てもいい思いはしないでしょう。営業的には損することはあっても得することはありません。
 というわけで、その「階層構造」ばかりが印象に残ってしまいました。おかげで、埋められた二枚はもちろんの事、一番上に出ていた自社広告に何が書いてあったかも、降りてすぐに忘れてしまったほどでした。

2009年07月23日

噂をすれば・・・

 会社の飲み会が横浜でありました。その帰路、ホームで雑談しているうちに、横浜にある取引先の営業担当者が話題になりました。「あの人の営業の姿勢は・・・」などとホームで話しているうちに電車が来たので乗ったところ、なんと、その人が一つ隣の扉から入り、10mも離れていない所に座りました。
 無視するのもなんなので、一応、挨拶だけはしましたが、相手はかなり驚いていました。まあ、都内で働いている取引相手と、夜の横浜で乗り合わせるなど、普通は想像しないでしょう。
 向こうとしては、遅くまでの仕事が終わって帰りの電車に乗ったのに、また仕事モードに戻らされた、みたいな感じだったでしょう。自分たちが原因とはいえ、運が悪い日だったのだろうな、と同情してしまいました。

2009年07月22日

クールビズ雑感

 クールビズもすっかり一般化しました。今では、朝の通勤電車で、ネクタイを締めている人を見ると珍しく思えてしまうほどです。またその効果なのか、電車の冷房が以前ほど寒くなくなったように思え、大量の客が降りた後の車内で寒さに震えることもなくなりました。
 ただ、相変らず、「他社を訪れる時はネクタイをつける」というのは存続しています。別に、訪問先でもつけていないのですから、仮に相手がノーネクタイで来たから非礼、という事にはならないと思うのですが・・・。

 涼しい社内にいる間はノーネクタイでもいいのに、暑い外に出るときはネクタイをしなければいけない、というのも妙な話です。
 定着したおかげか、最近はあまりクールビズの宣伝を見ません。ここは一つ、さらなる温暖化防止と、外出する人の辛さを快勝するためにも、「客先を訪れるときもクールビズ」という宣伝をやったほうがいいのでは、などと思いました。

2009年07月21日

重要書類を干す

 朝イチで複数の印刷物を読み込んで一枚のPDFにする仕事を頼まれました。それ用のスキャナとソフトがあるので、ボタン一つですむはずなのですが、なぜか紙が何枚かまとめて読み込まれます。
 たまたま機械の調子が悪いのかと思い、紙を捌いてやり直そうとしたら、奇妙な手応えがして、紙が捌けません。どうやら、湿気で紙がくっつき、それが原因でスキャンも失敗したようです。何度か捌いたあと、再度読み込もうとしましたが、やはりダメでした。

 紙は普通のコピー用紙ですし、仕事を頼んだ人が汗をかいていたわけでもありません。にも関わらず、ここまで紙がくっつくのですから、相当の湿度なのでしょう。
 仕方ないので、紙をバラして「干す」事にしました。とはいえ、渡された印刷物はかなり重要度が高く、そこらへんにぶら下げておくわけにはいきません。紛失でもしたら一大事になります。
 そこで、目の届く範囲に一枚ずつ並べ、万が一にも飛ばないように、数分間、神経を使いながら「干し」ました。
 短い時間でしたが、そこそこ効果があったようで、三度目の挑戦で、なんとかスキャンできました。
 読み取れた事もそうですが、これ以上、このような神経を使う資料に関わらずにすむ、と思って一安心した次第です。
 こういう仕事をしていると、コンピュータに関わる、ありとあらゆる依頼が入ります。とはいえ、まさか書類を干し、それを監視するような事までするようになるとは思いませんでした。

2009年07月18日

立地と品揃え

 かつてよく利用していた飯田橋の本屋へ久々に行きました。全国展開のチェーン店で、他の系列店にも何度か行った事はあるのですが、この店だけ入口周辺の品揃えが違います。
 いわゆる「右翼系」の雑誌や本がかなり目立つところにあるのです。特に、ここの系列店も含めた普通の本屋では目立つところに置かれる事がない、かなり過激な右翼雑誌が二箇所で平積みにされていたりしました。
 前々から、なぜこの店だけ、と不思議かつ不気味に思っていました。ところがこの前、その本屋に行こうとして飯田橋駅を降りたら、浴衣姿の人が多数見かけました。何かあるのか、と思って見渡したところ、「靖國神社・みたままつり」という提灯が出ていました。どうやら、浴衣の人たちは、それの参加者のようです。

 自分の感覚だと、「靖國神社=九段下駅」という認識が強く、飯田橋から靖國神社に行く、という認識はありませんでした。しかし、「みたままつり」があると、飯田橋にこれだけ浴衣姿の人がいる、という事から考えば、「参拝者」が飯田橋駅を利用する可能性は、私が思っていた以上に高いわけです。
 というわけで、「なぜチェーン店でここだけ右翼雑誌・書籍が大量に」という二年越しの謎が解けました。
 それにしても、「みたままつり」は毎年やっていたのに、飯田橋で働いていた二年前の夏にはそれに気付かなかったというのは奇妙だと我ながら思いました。まあ、あの頃は色々と余裕がなかったので、そこまで頭が回らなかった、というのもあるのでしょうが・・・。

2009年07月17日

再開発と名残

 前いた会社のすぐそばで飲み会がありました。そこを辞める時、丁度周囲は再開発の真っ最中で、至る所で工事が行なわれていました。一年三ヶ月ぶりに訪れたら、工事は完成しており、かつての古さが残った街は、すっかりマンション街になっていました。
 前の会社が入っていた建物の向かいも、かつては千代田区にあるとは思えないような、古い民家が二軒並んでいました。しかし、いずれも地上げされ、マンションが建っていました。

 そんななか、敷地の前に一本の樹が立っていました。地上げの際に葉を全て切り落とされ枝だけになっており、切り倒されるのは時間の問題か、と思っていたのですが、なぜかその樹だけはそのままでした。
 まあ、おそらくは切り倒して根を抜いて整地するより、放置していたほうが安く上がる、という経済的理由によるものでしょう。
 同じ樹ですが、民家の前で葉を茂らせてささやかな木陰を作っていたのと、マンションの前で枝だけの異様な姿で立っているのは全然違います。残っている分、当時との違いがより際だってしまっていました。
 とはいえ、命あっての物種です。いつかまた状況が変わり、この樹が再び葉を茂らせる可能性もあります。そんな事を考えながら、無惨な姿をさらしている樹に対し、応援のような感情が浮かびました。

2009年07月15日

文献でしか存在を知らなかった料理を初めて見る

 夕食で味噌汁を注ごうと、鍋の蓋を空けました。我が家の味噌汁の具は、豆腐と若布が基本で、日によって油揚げ・ほうれん草・大根などが入る、という感じです。
 ところが、今日の鍋の中には、若布と麩が入っていました。麩の吸い物は食べたことはありましたが、味噌汁は40年間生きていて、一度もありませんでした。
 そこで、つい心の中で「今日、麩の味噌汁か・・・」と思ってしまいました。
 ご存じの通り、このフレーズは、子供向けの脱力ギャグ本に、高い確率で収録されています。当時読んだ時は「なんだこの実際にありえないネタは・・・」と思ったものでした。その時はまさか、自分が本当にそれを見て「今日、麩の・・・」と思う日が来るとは夢にも思いませんでした。
 世の中、何が起きる(?)か分からないものです。

2009年07月13日

謎の廃品回収業者

 夕方、呼び鈴が鳴りました。いつものように扉を開けずに「はい」と答えると、相手は黙って立っています。まっとうな人なら「宅配便」とか「集金」とすぐ名乗ります。逆に言えば、これだけで相手が我が家に何らかの不利益をもたらそうとしている事は分かります。
 もちろん、扉を開けると大変な事になるので、「なんかご用ですか」と声をかけました。すると、「廃品回収に来ました」と答えます。もちろん、廃品の引き取りを頼んだ記憶がないので、その旨を伝えたところ、「来月からでいいので・・・」と早速語るに落ちました。
 どこの世の中に、一般家庭に戸別訪問し、月決めで廃品回収の契約を集める業者がいるのでしょうか。まあおそらくは新聞でしょうが、しょうもない嘘を考えつくものです。まあ、それだけ売るために知恵を絞っているのでしょう。
 もっとも、彼らが工夫すればするほど、より強く「謎の客には扉を開けず、応対も早めに切り上げる」という防御策が徹底されます。典型的な「北風と太陽」だな、と思いました。

2009年07月12日

666円

 コンビニで買い物したら、合計額が666円になりました。一部では縁起の悪い数字とされていますが、それを題材とした映画も、その元になった書物も読んでいないので、特に気にせず、珍しい「ゾロ目」を喜んでいました。
 さらに、財布の中を見たら、ちょうど500円・100円・50円・10円・5円・1円の全種類の硬貨が入っていました。それを一枚ずつ出したら、ちょうど666円になるわけです。もちろん、こんな支払いをしたのは初めての事です。
 請求額といい、支払いといい、なかなか珍しいことだと思いました。ぜひとも次は、18,666円の請求を、全ての紙幣・硬貨を使って払ってみたいものだ、などと思いました。

2009年07月10日

栄養

 栄養士の人と話す機会がありました。雑談程度ですが、少なからぬ栄養士が、「みな、もっと栄養を意識して食事した方がいい」と思っているらしい、という事が分かりました。
 考えてみれば、40年ちょっと生きていますが、断片的な知識はともかく、体系だった「栄養理論」について考えた事はほとんどありません。一例を挙げると、野菜を食べる必要があるのは分かっているものの、一日・さらには一週間でどの野菜をどれだけ食べればいいのか、などは見当もつきません。
 家の食事は相方まかせですし、「食」に関する本はよく読んでいてくれます。したがって、日頃の食事については問題ないと思っています。とはいえ、実際に食べるのは自分なわけですから、何も知らなくていい、というものではありません。
 とくにこれから直面するであろう「老い」に対処するためにも、ある程度、自分でも栄養に関する基本くらいは学ばねば、と短い会話の中出痛感させられました。

倒れる瞬間

 朝、駅に向かって歩いていました。途中にある駐輪場の前を通ったとき、音がしたので見たところ、一台の自転車が倒れ、ドミノ式に何台か倒れている最中でした。
 我が町は風が強く、倒れた自転車、というのはよく見ます。とはいえ、自転車が倒れる瞬間を見たのは初めてでした。
 別に、その時に突風がふいたわけではありません。おそらく、ふき続ける風に、段々と傾いていって、さほど強くない風が「とどめの一撃」になったかと思われます。
 「空気の力」の強さ並びに意外性を、リアルタイムで見る、という貴重な経験をした、朝のひとときでした。

2009年07月08日

しんせん丼

 季節料理で深川丼を出している蕎麦屋で食事していたら、40代後半から50代と思しき男性が入ってきました。そして、いきなり「しんせん丼」と注文しました。
 一瞬、店員さんも何のことだか分からなかったようですが、数秒後に「ふかがわ丼ですか?」と確認し、お客さんも「そう、それ」みたいに答えて、注文が成立していました。
 普通に使われる日本語で「深川」を「シンセン」と読むことはありません。ただ、香港の隣に「深セン(漢字は土へんに川)」という大都市があります。誤読した人は会社員風ですから、中国関係の仕事をしているのだろうか、などと思いました。

 深川といえば、かつては「深川区」が存在したほどで、あのあたりを代表する地名でした。しかし、「深川駅」すら存在しないこともあり、地元の人以外にはなじみのない地名になっています。
 一方、「深セン」を調べてみたところ、30年前までは小さな漁村でした。ところが、香港に隣接するという地理的事情もあって経済特区に指定されて大発展し、現在は人口一千万人を越えるそうです。
 確かに、それだけ大差がつけば、深川から数キロしか離れていない蕎麦屋でも、「深川丼」を「シンセン丼」と呼んでしまう客が出てしまうのも無理はないな、と思いました。
 意外な所で、深センの発展ぶりを知ることができた、昼のひとときでした。

2009年07月07日

初回の大量点が大きく、快勝

 福島で行なわれた東北-千葉は長谷部投手と清水直行投手が先発。今日は対左という事で、四番の大松選手と両打ちの西岡選手以外は全て右打者。一昨日、「聞き間違い」でスタメン三塁だった堀選手も、普通に二番一塁で出場。今日は今江選手もスタメンだったので、聞き間違いではなかったようです。
 初回、1死から、その堀選手が中前に安打を放ちます。そして、死球と四球で満塁となり、サブロー選手の併殺崩れの間に先制しました。さらに、再び四球で満塁となると、七番に入った竹原選手が、左翼席にライナーで飛び込む3号満塁本塁打を放ち、初回に一挙5点を挙げました。

 登板前に大量援護を貰った清水直投手は、初回は三人で抑えます。しかし、2回に1死から四球を出すと、続く山崎武選手に三塁線を抜かれて2・3塁に。ここでリンデン選手に詰まりながら左前に落とされて1点を返され、さらに内野ゴロの間にもう1点入ります。
 初回は制球が乱れていた長谷部投手ですが、だんだんと調子を取り戻します。また、千葉も3回に先頭のサブロー選手が二塁打するも、バント空振りでタッチアウトになるなど、勿体ない攻めもあり、追加点を奪えません。
 一方の清水直投手も、3回の2死1・2塁を凌ぐなど、東北打線を抑え、序盤とはうってかわって、点が入りません。次に点を取るのはどちらか、という展開で中盤を終えます。
 6回、先頭の里崎選手が安打すると、初回に満塁本塁打を放った竹原選手が犠打で1死2塁とします。しかし、ここで登板の青山投手に抑えられ、ここも追加点が入りません。
 しかし続く7回、1死から井口選手が四球を選ぶと、続く大松選手がエンドランを決めます。そして、鉄平選手の三塁返球が悪送球となり、そのままベンチに入ります。これで井口選手は生還して、意外な形で貴重な追加点が入りました。さらに、規定によって大松選手は三塁まで進み、続くサブロー選手が犠飛を打ち上げ、もう1点が入りました。
 5・6回と三人で抑えていた清水直投手ですが、その裏、リンデン選手にこの試合3安打目となる本塁打をバックスクリーンに打ち込まれ、1点を返されます。
 しかし直後の8回表、この回から登板の朝井投手に対し、先頭の竹原選手が初回と同じ所に、今度は飛球で飛び込む4号ソロを放ちます。さらにベニー選手が歩いた後、高校の同期である今江選手が左翼ポール際に7号2ランを放ち、10点目が入りました。
 清水直投手は、9回にリンデン選手に適時打を打たれたものの、点差もあってそのまま完投。124球を投げて、8安打1四球4失点でした。うち、4安打3失点はリンデン選手によるものでした。
 これで千葉は連勝し、一方の東北は7連敗。これで両チームのゲーム差は0となり、明日千葉が勝てば4位浮上となります。観客数は8千6百人でした。

2009年07月04日

献花式

 今日は、ディファ有明で、三沢光晴選手の献花式がありました。本来なら行きたいところです。しかしながら、先週からの風邪が抜けきれず体調に不安がある上に、明日から七日連続で休めない予定になっています。そんな中、屋外に長時間並ぶ自信はなかったので断念し、家でG+での中継を見ることにしました。
 テレビをつけながら、ネットでも状況を見ていたのですが、一般参加の行列は凄いことに。14時から一般受付開始であるにも関わらず、13時半前には、最寄り駅から一駅離れた「市場前」駅まで列の最後尾が伸びていたとのことでした。最終的には、さらに一つ隣の新豊洲駅のさらに向こうまで伸びていたとの事です。
 最終的には約2万5千人のファンが訪れたとのことでした。

 この二駅、特に市場前駅の周辺には何もなく、普段はほとんど人が乗降しません。それを考えると、今日は両駅に取って降車人数の最高記録になったのでは、などとも思いました。
 会場内では、13時より、関係者による献花が始まり、それの中継が行なわれていました。元大善関こと富士ヶ根親方の、「また夢の中で会った時には、カラオケでアニメソング聞かせてください」という一言が印象に残りました。
 その後は、随所でノアの選手をはじめ、参列したプロレス関係者のインタビューが放映されました。
 その中で、強く印象に残ったのは、やはり小橋建太選手の談話でした。あれから三週間経ちますが、いまだに、三沢選手の死を「信じたくない」という気持ちが強い、と繰り返し語っていました。また、会場に流れる「スパルタンX」について、今からでも、この曲にあわせて、ファンの「三沢コール」が始まり、三沢選手が姿を現すような気がする、とも言っていました。
 最近ではたまにTVで試合を見るだけだった自分ですら、当日は「信じたくない。全マスコミが誤報しているのではないか」という気持ちがありました。したがって、何十年も共に過ごし、何度も極限に近い闘いをしていた、小橋選手が今でも「信じたくない」と思うのは、無理のないことでしょう。聞いている途中、気がついたら、TVの前で正座して聞いていました。
 その後も、伸び続ける行列を見ながら、改めて三沢選手が多くの人に慕われていたことを痛感しました。

2009年07月02日

教員の存在価値?

 とある雑誌に「はらぺこあおむし」というロングセラーの絵本を描いた、エリック=カールさんの記事が載っていました。なんでもその作者はドイツ系アメリカ人で、第二次大戦中はナチス時代のドイツで過ごしていたそうです。
 その時、彼が持つ絵の才能に気付いた美術教師は、ナチスに「退廃芸術」と烙印を押された、ピカソなどの絵を隠れて紹介したそうです。当局にバレたらその教師は制裁を受けた可能性はあります。しかし、その危険を冒しても、その才能を開花させたかったのでしょう。その効果もあって、カールさんは、世界中で読まれる本を初め、様々な作品を世に生み出したわけです。
 だからと言って、別にその美術教師が後世に名を残しているわけではありません。もちろんその人も、自分が名声を得たいために危険を冒してまでピカソなどを教えたわけではないでしょう。

 一方、日頃から従軍慰安婦否定など、右翼的発言で知られる埼玉県知事が、「国旗・国歌が嫌いな教員は辞めるしかない」などと発言したそうです。今だとある程度物議をかもすでしょうが、カールさんが高校生だった頃の日本では、このような事は誰も言いませんでした。
 何しろ、当時は全ての学校に「ご真影」が配布され、それを紛失だか破損だかした校長が、責任を感じて自殺した、という時代でした。当然ながら、少なくとも表向きには「国旗・国歌が嫌いな教師」などという存在はあり得なかったわけです。
 当然、県知事氏の目指すのも、そのような世の中なのでしょう。何しろ、高い地位にいる人たちがより一層効率的に儲けるには、そのような教育で「国旗・国歌」に象徴される、「上からの命令」に従順な人ばかりが世の中にいたほうが都合がいいからです。
 ちなみに、mixiの日記などを見ると、この知事に賛同する人も多数います。その中には「死ね」だの「国から出て行け」などと言う、これまたカールさんが高校時代の日本で一般的だった思想を表明している人もいました。また、産経新聞も「賛成のメール殺到」などと喜んで報じています。
 抑圧されていた時代に、危機を冒してでも、才能を伸ばそうと努力した教師がいた一方で、その頃に比べれば進歩したはずの現代日本にはそのような発言をする政治業者とそれの賛同者がいるわけです。
 まあ、その県知事氏および賛同者のおかげで、その美術教師の偉大さをより一層認識することができたとも言えます。だからと言って、彼らに感謝する機は毛頭起きませんが・・・。

2009年07月01日

風邪抜けず

 先週の金曜に貰った薬は飲みきったのですが、未だに風邪が抜けきれません。当初の喉の痛みは治ったものの、頭痛と咳などが止まりません。使い古された言葉ですが、「夏風邪は治りにくい」を痛感しています。
 そんな中、今日の午後は外回りで倉庫整理・施設見学・商談がありました。机に向かっていると、体調の悪さを実感しますが、外で動いたり話したりしていると、不思議と辛さを忘れる事ができます。そういう意味では、今日このスケジュールが入っていたのは幸運でした。
 とはいえ、こんな事続けていれば全快はできません。しかも、日曜にはかなりハードな予定を入れています。というわけで、何とかそれまでに治したいものです。そのためには休養に専念すべきか、同じ病院に再度行くか、別の病院にあたるか、などと色々な選択肢があり、その段階でまた迷っている今日この頃です。

2009年06月30日

最高裁の松

 久しぶりに内堀通りを通るバスに乗っていたら、最高裁が見えました。入口の所に「最高裁判所」という石造りの看板があり、その周りに背の低い松がぎっしり植わっていました。
 なかなか珍しい造園(?)だと思うのと同時に、この松たちの今後が気になりました。まさか、このまま最高裁の前庭を松林にするとは思えませんから、この松は、成長する度に、先端を切られるのでしょう。場合によってはまとめて引っこ抜かれるのかもしれません。
 もちろん、造園なのですから、そのようにして、植物の美を表現するのは当然の事です。とはいえ、普通に成長する可能性を奪われた松を見ていると、なぜか物哀しさみたいなものを感じてしまいました。

2009年06月29日

ほうじ茶

 ある店で飲み放題の宴会がありました。ドリンクのメニューを見たところ、「ほうじ茶」という文字がありました。少々アルコールがまわってきた所でしたので、「ちょうどいい。温かいお茶で一服しよう」と思って頼んだところ、氷とともにグラスに入って出てきました。
 ほうじ茶をこのような形で飲むのは初めてでしたが、これが意外にあい、美味しく飲めました。
 ではもう一度アルコールを、と思って再度メニューを見たところ、サワーの中にも「ほうじ茶」とありました。ついでだからと頼んだところ、純粋なほうじ茶同様、口当たりがよく、ついつい飲み過ぎてしまいました。
 結局、最初にメニューで見たときの目的であった「温かいお茶で一服」とは似ても似つかない結果になってしまいました。それ自体は不本意でしたが、ほうじ茶の新たな飲み方を二種類も知ることができたのは収穫でした。
 次にこの店に行く機会があったら、アルコール入りとそうでないものを適宜に飲み分けて、ほうじ茶を楽しもうと思っています。

2009年06月28日

夏風邪

 木曜の朝から喉に違和感があり、金曜に悪化したので医者に行きました。風邪薬を処方してもらったのですが、これが眠くなる種類のやつで、ぼーっとしたまま、週末を過ごしました。薬と休養の効果で何とか、文章が書ける程度に回復しています。
 サイト内検索をかけてみると、二年に一回の割合で夏風邪をひいています。原因は、一度は電車の冷房でしたが、それ以外はいつも「暑くなったので冷やしたら夏風邪」でした。今回も、夜が暑くなったので、布団を薄くしたら一発でひいてしまったわけで、我ながら、進歩の無さに呆れます。
 どうやら、夏風邪をひいた翌年は、「昨年こんな事があったから気をつけよう」と思って「予防」するのですが、もう一年経つと忘れてしまうようです。
 というわけで、二年後に夏風邪をひかないために、今から何らかの対策を練らねば、と考えています。

2009年06月23日

ゆとり

 「ゆとり教育」を受けた世代に対する蔑称として「ゆとり」という言葉があります。「厨房」みたいなネット用語かと思っていたのですが、日経などで普通に使われている一般用語だった事を知り、少々驚きました。
 「ゆとり教育」が良かったのか悪かったのかなどは知りません。ただ、その時用いられた学習指導要領によって、世代の特徴が決まる、というのは考えにくいものがあります。

 例えば、同世代の人と会話をしていて「やはり同じ学習指導要領で学校教育を受けただけの事はあるな」などという共感を覚えた事は一度もありません。
 まあ、結局のところ、20年くらい前にマスコミで流れた「新人類」などと同様、「最近の若者は・・・」という意味合いの言葉なのでしょう。
 ただでさえ、に自分たちより下の世代を「若いから」という理由で否定する発想は賛同できません。ましてや、上の世代が優位性を主張する根拠が「学習指導要領の違い」などという、文部省(当時)が定めたものでしたらなおさらです。
 ネット上の俗語ならまだ仕方ないところですが、それをマスコミが煽る、という感覚には、少なからず呆れました。

2009年06月16日

金融教育

 ネットのニュースを斜め読みしていたら、「学校での金融教育を提言」という記事を見かけました。
 「借金をしたことによって生じる責任」「連帯保証人」「手形」など、「金融」というものの怖さを若い頃から教育する事の重要性を日頃から感じていた身としては「至極真っ当な考えだ」と思いました。
 その一方で、マスコミで報じられる「教育への提言」というのはこれまで100%の確率でろくでもない物ばかりだったのに、なぜこのような真っ当な「提言」が?と不思議にも思いました。

 そこで読んでみたのですが、「提言」をしたのは証券業界で、内容は「貯蓄から投資」の流れを促す必要があると指摘。(中略)学校授業に金融教育を取り入れ、リスクに関する認識を浸透させることなどを求めている。というものでした。
 「リスクに関する認識を浸透」などと言うと、一見、「リスク」の怖さを教えているようです。しかし、前段を見れば分かるように、本音は「リスク」はあるけどそれを恐れず投資させよう、というのが主旨です。
 「『貯蓄から投資』の流れを促す必要がある」との事ですが、もちろんこれは貯蓄をしている人のためではありません。その貯蓄を「投資」させる事により、自分たちが儲けるためだけの事です。
 子供の頃から「洗脳」してまで、その金をむしり取ろうとする神経には分かってはいましたが呆れました。ただ同時に、マスコミに載るような「教育に関する提言」は100%ろくでもない、という認識に誤りがないことを確認できた事には意義がありました。

2009年06月15日

追悼

 朝になって、ニュース番組で流れた映像などを見て、改めて三沢選手が亡くなった事を実感しました。もちろん、昨晩の時点で事実であることは理性のほうは分かってはいましたが、それを信じたくない気持ちが強かったのです。
 そして今日は一日の大半を、ネットに書かれている三沢選手関連の記事を読んで過ごしました。
 読んでいて、改めて多くの人が三沢選手の試合を見て勇気づけられていたのか、という事が分かりました。
 自分も、プロレスにはまっていた頃、三沢選手の試合はもちろん、リング外での発言にも力を貰ったものでした。感謝しています。
 昨晩の時点では信じ切れなかったので書けませんでしたが、謹んでご冥福を祈ります。

2009年06月14日

三沢選手が・・・

 プロレスラーの三沢光晴選手が、試合中にバックドロップを受けて頭を強打し、そのまま死亡した、というニュースがありました。
 各報道機関のサイトにも載っていたし、テレビニュースでも確認しました。しかしながら、「実は誤報なのでは?」と思いたい気持ちがあります。
 色々な意味で信じられません。1990年代はプロレスにかなりハマっており、深夜の全日本を欠かさず見て、プロレス雑誌も買っていました。その時から、一番好きなレスラーでした。

 結婚してからはほとんど会場には行っていませんでしたが、G+の放送は可能な限り見ていました。
 当時から、雑誌などで「あの闘いは危険だ。彼らがいついなくなるか分からない」と書かれた事もありました。また、中継でアナウンサーが「死んでしまう!」と絶叫した事もありました。
 実際に見ていて、それらの技の激しさにはいつも驚いていました。ただ同時に、「自分が食らったら絶対に死ぬけれど、彼らは日頃から厳しい鍛錬を積んでいるのだから大丈夫なのだろう」みたいな感じで見ていました。
 選手としてでなく、経営者としても優れた手腕を発揮していました。リングの外でも色々と苦労していたのでしょう。今回の件で改めて、文字通り命を張って闘っていたのだな、と思いました。
 ただ、そのような事を思うと同時に、未だにこれが事実だと信じられない自分がいます・・・。

2009年06月12日

投げ売り

 仕事の帰りに秋葉原を歩いていたら、中央通り沿いの店で、森田健作千葉県知事の似顔絵が描かれた「健ちゃんまんじゅう」なるものが店頭で売られていました。以前、千葉県内でも見たことがありましたが、何で秋葉原で、しかも店頭山積み、と不思議に思いながら見ていたら、店員さんに「半額だよ、一つどう」と声をかけられました。
 どうやら、売れまくっているので店頭に積んである、というわけではなさそうです。
 その後、ラジオ会館に行ったら、同じく店頭に積んである店がありました。そこの表示は分かりやすく、「賞味期限が6月13日なので半額」と書かれていました。

 どうやら、売れ残りが安値で秋葉原に出回ったようです。とはいえ、足が止まっただけで店員が声をかけるところを見ると、それでもまだ売れていないようです。
 まあ、知事当選後に発覚した嘘八百もあって、「キャラクター」の評判は最悪です。最初に千葉県内で見たときも、「企画した人は何を考えているんだ」と思ったものでした。そう考えれば、「予想通りの売れ行き」です。
 というわけで、明日には大量の「健ちゃんまんじゅう」が消費期限を迎えるわけです。普通でしたらゴミ箱行きですが、この商品に限っては、14日以降も「消費期限2010年6月(実は2009年6月13日)」みたいな紙でも張って売るのもありかと思いました。
 なにしろ最大の特徴が「嘘つき」である人のキャラクター商品です。実現すれば話題性は消費期限前より大幅に増しそうです。

2009年06月09日

売家

 たまに散歩する所にある家に万国旗がかざられていました。玄関を見ると、「築7年、夜景がきれいで、三人家族向き」などという看板が貼ってありました。
 最寄り駅から歩いて15分くらいのうえに、線路に面していて、上は高圧線、というかなり不便な環境です。また、「三人家族向き」の名に恥じず、窮屈な造りです。とはいえ、一戸建てですから、それなりの値段はします。換算してみたら、我がアパートの家賃30年分くらいの値段でした。

 中古での売値がそのくらいですから、建てたときにかかった額はそれを上回ることは間違いありません。ローンが残っている可能性もあります。
 好意的に考えれば、金が貯まってより立派な家を建てれるようになった、もしくは長期海外赴任の可能性もあります。しかし、この不況の中ですし、即座に頭に浮かんだのは手放さざるを得なくなったでした。
 この7年の間に、この小さい家でいくつかの物語があったのでしょう。そんな事を思いながら、見も知らぬ、この家の元オーナーの心境を色々考えてしまいました。

2009年06月08日

情報と認識と記憶

 職場で弁当を食べていたら、「W杯、決まりましたね」と声をかけられました。言われて初めて、昨日のmixiニュースにそんな記事が載っていて、何千ものコメントがついていた事を思い出しました。
 他にも、Googleニュースも目は通しているので、昨日の間に、「W杯出場」のニュースは何度となく目にしているはずです。しかしながら、自分の頭に情報として認識はされていませんでした。
 などと言うと、単にサッカーに興味がないだけだろう、と思うかもしれません。しかし、今年からJ2の愛媛FCをささやかながら応援するようにしており、試合中はネット速報をのぞいていますし、速報携帯メールも登録しています。

 また、「アンチ日本代表」でW杯がらみのニュースを本能的に遮断しているわけでもありません。世間一般の平均から比べれば、かなり関心が低い部類に属すると思います。しかしながら、16年前の「ドーハの悲劇」や、12年前の「野人・岡野選手の活躍」は記憶に残っています。にも関わらず、一昨晩の結果が記憶に残らなかったのですから不思議なものです。
 まあ、日本サッカーが強くなるにつれ、「W杯に出ること」の価値が下がり、それに伴ってニュースの取り上げ方も小さくなっています。そのため、「ベタ記事の一つ」と認識してしまったのかもしれません。
 なお、話しかけた人に対し、ある程度話を合わせたり愛媛FCの話をしたら、そこそこサッカーを知っていると思われたのか、「好きな海外チーム」を尋ねられました。咄嗟に知ったかぶって「バルセロナ」と答えて納得されましたが、誰か選手を知っているわけではありません。
 ではなぜその名前が出たかというと、先日、何かの大会で勝ち上がったニュースを見たとき、「ストIIのバルログの故郷か。ゴールに登ってバルセロナアタックやる選手とかいないのかな」などとしょうもない事を考えたため、記憶に止まっただけでした。さすがに理由を尋ねられた時、それを言うことはできませんでしたが・・・。

2009年06月07日

海と湖沼

 雨がちの天気なので、ずっと家の中にこもっていました。適当に漫画を読んだり、ネットを見たりしていたのですが、急に「海の近くにある湖沼」が気になりました。
 たとえば、北海道の十勝川河口近辺には、湧洞沼をはじめ、極めて細い砂嘴で太平洋と別れている湖沼があります。その狭い砂嘴に立って、右手に太平洋、左手に湖沼、という風景を見たら、どうなるのだろうか、などと想像してしまいました。
 さらに北上して国後島の航空写真を見ると、島の一番細い部分に湖があります。その写真を見ながら、かつてはここは海峡だっのが、両端が繋がって、切り離された海の部分が湖になったのだろうか、などと考えたりしました。
 国後島はもちろんですが、湧洞沼も行く機会はないと思います。そのような所を、写真などを見ながら想像するのは、なかなかいい気分転換になりました。

2009年06月05日

冤罪事件の謎

 17年間刑務所に入れられていた人が冤罪であった事が釈明し、釈放された、という事件がありました。
 当時、有罪判決を導き出した理由の一つに「容疑者の自白」がありました。その後、一転してこの冤罪被害者の方は「自白」内容を否定したにも関わらず、最終的に無期懲役の判決が下り、17年間も不当な扱いを受けていたわけです。
 そして、その「自白」は、密室における取調官の強要によって「創作」された事も明らかになっています。

 このような事件は後を絶ちません、筆者が子供の頃、「免田事件」「財田川事件」など、同様の方法で強要された「自白」によって、無罪の人が死刑判決を受ける、という事がありました。
 そのような歴史があるにも関わらず、相も変わらぬ「密室での脅迫的取調」により、冤罪を作り続けているわけです。
 裏金問題もそうですが、なぜ、異常であることが明白であるのに、このような事が続けられているのか、不思議でなりません。

2009年06月04日

天安門とダブルスタンダード

 中国政府が民主化デモを行なっていた国民を戦車で虐殺してから20年たちました。その「二十周年」に対し、事件を風化させようとしている中国政府の動きを批判している論調を見ました。
 その批判自体は間違っていないと思います。ただ、産経新聞にそのような記事が載ったのには笑ってしまいました。何しろ、普段は日本がかつて行なった、自国民・外国人に対する残虐行為については、風化させようとする記事を懸命に書いているのです。もしかして、中国政府が天安門を隠蔽するのは悪だが、日本政府が南京虐殺や沖縄強制自殺を隠蔽するのは善だ、とでも言いたいのでしょうか。

 ちなみに、その記事からのリンクをたどったら、「日中国旗を背景にした水着写真を披露した中国人アイドルに、中国のネットで非難囂々」という記事を批判していました。これについても、そのような非難活動がおかしい、という事自体は賛成します。
 しかしながら、その一方で国内では、「日の丸」「君が代」を強制する自治体や教育委員会を賞賛した記事を書いているわけです。さらに言えば、イラク侵略戦争の時は、人質になった人々を批判する「ネット世論」を積極的に煽っていたりしました。
 もっとも、グループ全体で見れば、「エンタテイメント」を「本業」としている情報産業なわけです。そう考えれば、これらの記事も、その「対象によって態度を変える」ぶりを笑わせるのが真の目的なのかも、などとまで思ったほどの「ダブルスタンダード記事」でした。

2009年06月02日

ダウナー状態と過去の蓄積

 特に何かあったわけではありませんが、最近、えらく気分が沈みます。長年生きているのですから、別に初めての事ではないとは思います。したがって、過去の経験を元に解決する、というのが普通でしょう。
 しかしながら、自分の記憶では、「過去にあった嫌なこと」の一覧が、「その時に関わった嫌な人間」をインデックスにして整理されています。
 したがって、「その嫌な人間と関わりがなくなった事により、問題は解決した」という記憶はあっても、「その間、どうやって気を紛らわせていたのか」という記憶はありません。
 まあ、根源的な問題はそちらにあるわけですから、記憶がそのように整理されるのは仕方ないともいえます。とはいえ、とりあえず現状のダウナー状態を解消する方法が見えてこないのは困ったものです。
 まあ、暗い方向で考えるとスパイラルに陥ってしまう危険性があるので、よりまずいでしょう。したがって、「今まで何とかなったから、今度も何とかなるだろう」みたいに考えて、とにかく気分を上向きにすることから始めねばなりません。とりあえず、今度の週末は普段やらないことをやって気分転換しようかと思っています。

2009年05月31日

脱税と盗作の親玉による恫喝

 厚労省分割問題に関する会議で、批判を受けた読売新聞会長氏が「党利党略に新聞社の主筆たるものが便乗して振り回されているようなことを言われた。取り消していただきたい」と大声で反論した。そうです。
 このような会議で、怒声を挙げて「無礼」呼ばわりする事自体、社会人としてどうかと思います。そして、同時に気になったのが、氏が名乗った「新聞社の主筆たるもの」なる呼称でした。

 今日になって、その新聞社が2億7千万円の所得隠しを国税庁に指摘されたという記事が出ました。特に、うち1億円については、社員同士の飲食を取材費と偽って申告した、との事です。
 これを極めて端的に言えば、社員の飲食費を虚偽申告して脱税したわけで、税金を食い物にしたのとほぼ同じです。
 そのような悪質企業の親玉が、大量の税金を使う省庁再編問題で、自社での肩書きをふりかざして威張り散らすのですから、呆れるよりありません。
 さらに言えば、この新聞社では先日、他社の記事を盗作した記者、という問題も発生しています。そのような「物書き」として最も恥ずべき事を行なった記者の存在および、それを禁じる教育も、発生を防ぐチェック機能もない会社なわけです。ちなみに、前述の脱税についても、現時点では新聞社のサイトに何も記載がないという有様です。
 そのような言論機関の「主筆」だなどと威張られたところで、これまた笑うよりありません。
 まあ、金銭的にも記事的にもまともな言論機関の人間だったら、最初から会議で恫喝まがいの発言などするわけがありません。そう考えれば、「主筆」の質に見合った新聞社ということで、バランスは取れている、とは思いました。

2009年05月30日

ドーナッツバーガー

 久しぶりにモスバーガーに行きました。携帯サイトで、新製品である「ドーナッツバーガー」が割引になるクーポンがありましたが、「バンズがドーナッツになっているハンバーガーなんて、油っこくてまずそうだ」と思い、別のものを頼むつもりでいました。
 ところが、店にある垂れ幕をみたところ、バンズは普通で、中にあるハンバーグが、中心部がない「ドーナッツ型」だからその名前になったことが分かりました。それならと思い、再度の予定変更で注文しました。

 ただ、食べている分には、「ハンバーグの中心部の有無」を感じることはありませんでした。したがって、ソースがわさび味である事以外は、特に普通のハンバーガーと代わりはありませんでした。強いて言うなら、紙の中にやけに水が残ったくらいですが、それは単にレタスが多かったからかと思われます。
 こうなると、得したか損したか今ひとつよくわかりません。「売り」である、「中心部が空洞」を感じることができなかった事を考えると、損をしたと言えるかもしれません。しかしながら、中心部が空洞である分安くなっているとしたら、それを感じなかった分、得したと言えそうです。
 というわけで、色々な意味で不思議な感想を持たされた「ドーナッツバーガー」でした。

2009年05月28日

遅刻の言い訳

 「gooランキング」で、笑って許してもらえそうな遅刻の言い訳ランキングという企画をやっていました。お世辞にもセンスがあると思えるのはありませんでしたが、ランキング上位になるくらいですから、そのような「言い訳」を懸命に考え出す人は多いのでしょう。
 ただ、言い訳される側の立場で考えると、こんな事を言うのは百害あって一利なしなのでは、と思えてきます。

 聞いた相手が怒らなければ、言い訳した人は「うまくごまかせた」と思うのかもしれません。しかし、実際の所は「ごまかせた」のではなくて、「いちいち突っ込むのも面倒だ」と思われているだけなのではないでしょうか。
 以前、とある職場で、ネットに遅延情報が載ってなかろうが、近くに住んでいる人が定時で来ようが、寝坊すると「電車が遅れた」と強弁し続けた人がいました。そのうち、周りの人は突っ込まなくなりましたが、嘘を信じたわけでなく「こいつはまともに相手をする価値のない人間だ」と思うようになったからでした。
 というわけで、将来の事も考えれば、一番いい「言い訳」は、「寝坊しました。すみません」ではなかろうかと、「言い訳ランキング」を見ながら改めて思った次第でした。

2009年05月27日

自転車の鍵

 朝、改札に向かって歩いていると、目の前で音がしました。見てみると、自転車の鍵が落ちたところでした。落とした人は何も気付かず歩いています。拾ってその人を見たら、ちょうど改札を通るところでしたので、何とか渡すことが出来ました。
 さらに昼に出かけて始発駅で電車に乗り、座ろうとしたら、目の前にまた何か落ちています。拾ったら、これまた自転車の鍵でした。今度は既に落とした人は降りていたので、駅員に渡しました。
 これまで40年生きていたわけですが、自転車の鍵を拾った事など記憶にありません。それが一日で2回拾ったわけですから、かなり珍しい確率と言えるでしょう。客観的に見れば単なる偶然なのですが、ついつい「今日は何かの影響で、自転車の鍵が落ちやすい日なのだろうか」などと考えてしまいました。

「本場」を堪能

 昼休みに外に出たら、道ばたの石垣に、若い外国人男性が座っていました。近所に留学生の多い大学があるため、会社の近くで若い外国人を見かけること自体は全然珍しくありません。
 しかしながら、その青年は非常に印象に残りました。なぜならば、石垣に座った彼は、一心不乱に携帯ゲームをやっていたからです。
 日本がアニメ・ゲームの発信地として広く外国に知られるようになってからかなり時間が経ちます。したがって、彼としても、限られた留学期間の間で寸暇を惜しんで「本場」のゲームをやっているのだろうか、などと思いました。
 外国人留学生がどのような理由で日本に来たかのデータなどは見たことはありません。しかし、この姿を見たときは、「ゲーム・アニメが原因で」という留学生もいるのだろうか、などと思ったりもしました。

2009年05月25日

報道上は流行収束?

 先週、あれほど大騒ぎになった新型インフルエンザですが、今週に入って報道のほうは一気に下火になったようです。
 つい数日前まで、「○○県で患者発見」というのが毎日報じられ、一方で薬局の店頭でマスクがなくなり、ネットオークションで高値になっている、などというニュースまで出ていました。あれからまだ一週間すら経っていないのですが、何か昔の事のように思えてしまいます。
 確かに、一部で行なわれた「学校閉鎖」の終了日が決まったなど、発生時の社会的なパニックは収束しました。しかしながら、別に決定的な対策が発見された、というわけでもなさそうです。

 ならば、今後も感染についての状況や、予防策ならびに体調がおかしくなった時の対処などについての最新情報を地道に伝えるのが本来の「報道」ではないかと思います。
 そう考えると、先週の大量報道は、芸能人の離婚だの泥酔だのと同じような観点での「売らんがため」的なものだったと思えてきてしまいます。
 もちろん、現在の商業マスコミにとっての「報道」というものが、私企業による収益追及手段の一つでしかない、という事は重々承知しています。とはいえ、人の健康に関する情報を、そのような「報道商材」の一つとして扱う、という事には改めて異様さを感じました。

虚言知事

 「完全無所属」に始まり、様々な嘘が報じられている森田健作千葉県知事が、今度は芸能人時代からの売りである「剣道」でも虚偽発表していたと報じられました。
 別に彼の言う事など一切信じた事はないですし、もちろん二度の知事選でも投票などしていません。したがって、別にだまされたと思ったり、腹が立ったりする、などと言うことはありませんが、その「嘘つき」ぶりには呆れています。
 以前のいた会社に、とにかく嘘をつかねば気が済まない、みたいな人間がおり、一種の病気みたいなものだと認識していましたが、彼もその同類なのでしょうか。

 ただ、これだけ有名な「嘘つき」になったのですから、少しはそれを県民のために活かしてほしいものだと思います。
 たとえば、「『事故を起こしたので金を振り込んでほしい』『還付金があるからATMで指示通りに操作して欲しい』という電話および、『完全無所属で剣道二段』などという選挙宣伝は全部嘘です。だまされないで下さい」と書かれたポスターに登場する、などというのはどうでしょうか。これを大量に刷れば、千葉県の「振り込め詐欺」発生率はかなり減るかと思われます。もし彼に「期待」する事があるとしたら、それしかありません。

 話は少々ずれますが、先日は、国交省と交渉して、アクアラインの通行量値下げ試験を勝ち取った、とか言って喜んでいました。本人が喜ぶのは勝手ですが、その値下げ分の補填は国と県が折半するとの事です。つまり、県民負担が増すわけです。つまり、アクアラインを使わない県民にとっては、迷惑でしかありません。
 もう一つの公約である「成田リニア」もそうですが、本当に、土地を持っている人や土建関係ばっかり潤い、県民には負担ばかりかける政策ばかり打ち出す知事です。せめて、これらの「公約」が得意の「嘘」だったら救いようがあるのですが、こちらはそうでないわけです。本当にたまったものでありません。

2009年05月22日

惑いまくり

 今日で40歳になりました。かつて、孔子は「我、四十にして惑わず」と言い、そこから40歳の事を「不惑」と呼ぶようになったそうです。しかしながら、自分はこの年になっても、色々と惑い続けています。今後の人生設計すら満足にできていません。
 そう考えると情けないものがあります。もっとも、孔子ほどの何千年後にも名を残すような人ですら、四十にしてやっと惑わなくなったわけです。ならば、普通の人である自分が、40にもなって惑っているのも仕方ないとも言えます。

 あと、負け惜しみみたいですが、色々惑いながら人生を模索していくのも楽しいことではあります。というわけで、これからも惑い続けながら、好きなことをやっていこうと思っています。
 そう思う一方、「日本人男性の平均寿命は79歳だから、これからは人生の後半戦だ」などと考えたりもしています。
 それらのことを踏まえ、今まで以上に人生というものを意識しなければ、と思った40回目の誕生日でした。

2009年05月21日

謎のソース

 出張で米原と名古屋に行きました。
 夕食時に名古屋の仕事が終わり、乗換駅を出たところ、目に入った喫茶店の看板に「本日の定食・トンカツ(みそ・ソース・おろし)」と書かれていました。専門店でなく、普通の喫茶店での味噌カツ、というのに惹かれ、衝動的に店に入りました。
 注文をすると、まず水と一緒にソースが入っている瓶が出てきました。味噌カツを頼んだのになぜ、と不思議に思いつつも、料理が来るのを待ちました。

 そして、カツにはちゃんと味噌ソースがかかっていました。一方、つけあわせの生野菜にはドレッシングがかかっており、さらにマヨネーズまで盛られています。
 あとは御飯と赤だしですので、どこを見てもソースをかける物はありません。
 味噌カツにさらにソースをかけるのか、それともドレッシングのかかっている生野菜にマヨネーズをあえて、その上からソースをかけるのか、それとも御飯にかけるのか、などと、いろいろと考えてしまいました。
 味噌カツも、その後に出てきたコーヒーも美味しく、値段的には満足できたのですが、その不可解なソースが気になり、そちらのほうばかり印象に残った夕食になってしまいました。
 まあ、そういう食文化の違いを感じるのも、出先で食事をする楽しみの一つではあるのですが・・・。

2009年05月20日

「あむぱむ」存続

 ローソンがam/pmを買収しようとしたものの、名称存続の件で話がもつれ、ご破算になった、という話を聞きました。
 どちらかと言えば中堅のコンビニですが、昔からここは妙に縁があります。最寄り駅の構内にもあるため、日常生活で一番利用しやすいコンビニですし、前の会社・その前の会社とも、最寄りのコンビニはここでした。
 相方はなぜかここを「あむぱむ」と呼んでおり、電車で出かけた帰りなどに改札前で「『あむぱむ』に寄る?」と言うのは、我が家独特の「日常よく使われる方言(?)」となっています。
 買収されればお金をおろす際の手数料が無料になります(am/pmは三井住友以外は有料)。したがって、損得だけを考えれば、自分にとっては得になる話です。その一方、生活から「あむぱむ」という慣れ親しんだ言葉が消えるのも何となく寂しさがあります。
 というわけで、どちらがいいのかは判断つきまん。もちろん、自分の都合だけ言えば、名前だけ残して、キャッシュディスペンサーだけローソン仕様にしてくれれば、一番嬉しいのですが、さすがにそれはないでしょうね。

2009年05月18日

手応えの変化

 当然の事ではありますが、新たな仕事を担当する度に、その仕組みを習得する必要があります。ここ十数年は、担当柄、全てそれがコンピュータの使い方になっています。
 どんなアプリでも、最初に触った時は何がなんだか分かりません。それを、最初は断片的に覚えていくわけですが、その時期は、まだ何か、それを操作するときの感触には、ぎこちなさみたいなものがあります。

 その断片的な知識がつながるうちに、仕組みの基本的な事が分かりだします。その段階に行けば、後はかなり楽に使えるようになります。不思議なもので、同じようにマウスやキーボードで操作しているのですが、この段階になると、操作中の「手応え」が変わるのです。
 今関わっているシステムは、その仕組みそのものに加え、「外的要因」みたいなものがあり、これまで以上にとっつきにくく、苦労しています。
 しかしながら、最近になってやっと、断片的な知識がつながりだしたような手応えがありました。この手応えが錯覚でないことを祈りつつ、何とか早く、自分のものにしたいものだと、日々悪戦苦闘しています。

2009年05月17日

背筋痛

 三年くらい前から、しばしば腰から背中にかけての筋肉に張りと痛みを感じるようになりました。最初の頃は、ちょっと根を詰めた時だけに発生していたので、仕事が落ち着けば自然治癒になっていました。
 ところが最近になって症状が悪化。あまりにひどい時はマッサージ店に行くようにしているのですが、効果は持続しません。特に先月あたりから、労働時間は減少しているのですが、それでも痛みはひどく、朝から背中がバリバリでした。

 そこで抜本治療を行なおうと思いました。しかし、整形外科がいいのか整骨院がいいのかマッサージ店がいいのかも分かりません。というわけでネットで調べたのですが、「幕張本郷」に「腰痛」や「肩こり」を組み合わせて検索すると、近所の様々な店がヒットするのですが、「背筋痛」だと有力なページはヒットしません。
 それどころか、三番目にこのサイトに以前書いた苦労談が来るくらいです。自分のサイトが検索結果で上に来るのは嬉しいことですが、今回ばかりは「意味ないよな」と思ってしまいました。
 結局「ここなら」という所は見つからず、結局今日もマッサージ店でその場凌ぎをする羽目になりました。ただ、有力候補はいくつか見つかっています。そこからさらに絞り込んでなんとか抜本的解決ができる所を探し当てたいものだと思っています。

2009年05月11日

今更気付いた脈絡のなさ

 なぜか分かりませんが、急に特撮版「スパイダーマン」EDの歌詞が気になりました。そこで、検索してみたのですが、かなり自分の記憶と異なるので驚きました。
 正しくは「闇深く響く地獄の足音、墓標の下眠る父よ、胸に秘めた非情の定め、さらば友よ誓いの友よ」なのですが、それを「(前略)その模様下眠る血潮、胸に秘めた以上の定め(後略)」と覚えていたのです。
 我ながら妙な覚え方をしていたものですが、約30年前の自分は、「クモの模様が描かれた服の下に流れる熱い血」「自分が想定していたよりも過酷な運命」という認識をしていたのでしょう。

 もっとも、こうやって読んでみると、本当の歌詞のほうも、自分の誤記憶とさほど変わらないくらいに脈絡がありません。最初の三小節に至っては、一つの歌とは思えないほど、全然異なる意味の文がつながっています。
 さらに色々考えたら、OPの曲も小節ごとの意味のつながりはありません。たとえば、サビの「君は何故闘い続けるのか命を賭けて、一筋に正義の心をスパイダーマン」など、問いかけるだけ問いかけておいて、答えもせずに全く違うことを歌い出してしまっています。
 というわけで、歌詞はかなりやっつけ仕事だった、という事に気づいてしまいました。曲がいいので、好きな歌である事には変りはないのですが、全体的な印象はかなり変わってしまいました。

2009年05月10日

仕事の二日前にゴルフをするのは問題行動?

 昨日、横綱の白鵬関と朝青龍関を初めとするモンゴル人力士が何人かでゴルフをしたそうです。それをまた、一部のスポーツ紙が「問題行動」などと言って批判しています。毎度の事ですが、なぜか見出しには白鵬関の名前はなく、朝青龍関の名前ばかりが出ています。
 別に、本場所をサボったわけでもあるまいに、なにが「問題行動」なのか理解に苦しみます。だいたい、このことを「問題」と報じた新聞社では、出勤日の二日前にゴルフをしたら、「仕事の前々日だというのに、問題行動だ」と批判されるのでしょうか。

 まだこれが、参加した力士が日頃から成績不振だというのなら、まだ批判のネタになるかもしれません。しかしながら、参加した両横綱は二人あわせてこの五年三十場所で二十七回も優勝しています。
 この実績を見る限り、むしろ日本人力士たちも彼らを見習って、場所の二日前にはゴルフ場で調整したほうが、好成績に結びつくのでは、などとも思いました。
 あと、毎度の事ですが、この件を「八百長の温床」呼ばわりした相撲協会再発防止委員の漫画家や、「歌舞伎なら二日前に・・・」などと相撲と歌舞伎の区別もつかないらしい、横綱審議委員の歌舞伎役者の談話にも呆れました。
 なぜこんなしょうもない記事にまで登場して、自分たちの品格のなさを披露したがるのか、これまた理解に苦しみます。

2009年05月08日

珍しい虹

 会社から駅に向かって歩いていたら、空に向けて携帯で写真を撮っている人がいました。「貴重な建物があるわけでもないのに、何を撮っているのだろう?」と不思議に思って携帯の先を見てみたら、虹が天空を突き刺すかのように切り立っていました。
 ここまでくっきりした虹を見るのも久しぶりです。また、ここまで直線的なのを見るのは初めてかもしれません。
 というわけで、自分もその人同様、携帯で写真を撮ってみました。
 そして電車に乗ったのですが、帰る途中で雨が再び降りだし、駅に着いたら本降りでした。虹が出た後に雨がまた降る、という現象を見たのも初めてでした。
(※クリックすると同じ窓で大きな画像が開きます)。
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2009年05月06日

カラスの撒き餌?

 朝、駅に行こうとしたら、向こうから複数のカラスの鳴き声が聞こえてきました。何事かと思って声のあったほうを見てみると、ゴミ集積所に五羽くらいが集まっていました。そして、道路にはゴミ袋が散乱しています。
 その地域のゴミ回収日は火木土です。誰が捨てたか知りませんが、まさか、現在が連休の最中で、昨日の火曜日が子供の日だと知らなかったわけではないでしょう。それとも、カラスを集めたくてわざと回収のない日に捨てたのでしょうか。
 ちなみに、今回の黄金週間は、4月29日も含めると、月水金が三日で火木土は昨日だけでした。我が家のある場所は月水金の回収なので、「一回くらい我慢しろ、こっちは三回も飛んだんだぞ」と余計に不快に思いました。
 ゴミの不法投棄は、捨てた輩は「後は野となれ・・・」で、関係ない人が不快な思いをします。なんとか不法投棄した人間がそれに見合った目に遭うような仕組みができないものか、と毎度の事ながら強く思いました。

2009年05月05日

地元密着度

 仕事の帰りに、中央・総武線各駅停車に乗りました。世間では連休だというのに、なぜかラッシュ時並に混んでいます。不思議に思いながらも、扉の近くに立っていました。
 そして、秋葉原に着くと、多くのお客さんが降りました。これ自体は別に曜日・時間帯を問わずいつでもあることです。そして、そのお客さんに押される形で一度ホームに出てしまいました。
 千葉方面に帰る場合、秋葉原から座るには、椅子の前に立っていないとまず無理です。そこで、ホームに押し出された時点で、「今日は当分座れないな」と諦めていました。

 ところが、再び入った車内は予想外に空いていました。そして、空席も少なからずあり、余裕で座れました。よほどの閑散時間帯を除けば、こんな事は初めてです。ましてや、秋葉原に着くまでは、車内はすし詰め状態でした。
 不思議に思いながらふと、今さっき電車から押し出された時、降りる人の何人かが「REDS」と書かれた帽子を被っていた事に気づきました。
 そういえば、今日はJリーグの開催日でした。調べたところ、やはりちょっと前まで国立競技場で浦和対柏が行なわれていました。
 行き先が浦和でも柏でも、乗換駅は秋葉原になります。それだけにドッと降りたのでしょう。なお、残った千葉行きの車内には、サッカーを感じさせる物は残っていませんでした。
 これが野球でしたら、たとえば水道橋で試合があった場合でも、ここまで降りることはありません。都内はもちろん、千葉県に入っても、タイガースや読売のメガホンを持った人を車内で見ることができます。
 話には聞いてはいましたが、改めてサッカーにおける地元密着度の高さに驚かされました。

2009年05月04日

11周年

 今日でサイト開設11周年となりました。仮にその頃に子供が生まれていたら、今頃、中学進学がどうこう、などという年になっていたわけです。そう考えると、長くやっているものだなと思います。
 先日書いたように、最近は、様々な事について、情報を入力する時間が減っており、必然的に、「出力」できる記事の量も限られてきています。ただ、その多忙さも一段落しつつあるので、来年の12周年までには、日記関係以外の記事も、もう少し充実させることができればと考えております。
 というわけで、今後もこんな調子でやっていきますが、良ければまた読んでいただければ幸いです。

2009年05月03日

連休開始?

 今日明日と休みなので、自分的としては「連休開始」となりました。世間に比べればかなり厳しいですが、昨年はこの期間は一日しか休めませんでした。また、それまでの前職・前々職でも何だかんだでこの期間の祝日のうち二日以上は出勤でした。そう考えれば、この時期に二日続けて休めればまあ十分か、といった感じです。
 その連休初日(?)となった今日ですが、折角の連休だからというわけでもないですが、久しぶりにちょっと離れた所にある古本屋兼レンタルビデオ屋まで散歩しました。

 そこで何作か立ち読みしたのですが、ついつい以前読んだことがある本ばかり手にとってしまいます。最近、「新しい情報を仕入れる」という事がついついおっくうになっており、それが如実に表れた感じになりました。
 これは漫画に限った事ではなく、数年前まで常に最新情報を得ていたPC関係も最近ではすっかりご無沙汰です。昨日、久々に秋葉原でパーツを売っている店に行ったのですが、レジ上に書かれているCPUの価格表の意味がほとんど分かりませんでした。
 まあ、ここしばらくは、その「本屋で立ち読み」や「パーツ屋に行く」すら出来なかったわけで、それに比べれば少しはマシになったとも言えます。とりあえず、この時期に二連休できる程度とはいえ、仕事時間も減少傾向にあります。もう少し落ち着いたら、また色々と新しいことをやってみたいものだと思いました。

2009年04月30日

偶然が重なる

 仕事が比較的早く終わったので、久々に秋葉原に寄ることにしました。そして中央通りを歩いていたら、どこかで見たような人とすれ違いました。振り返ってみたら、職場の人でした。向こうは今日は休みで、秋葉原巡りに繰りだしていたようです。
 普段からヲタ的な話をする人なので、別に秋葉原に繰り出していること自体は驚きませんでした。とはいえ、あれだけ人がいるなか、すれ違うというのはなかなか珍しい事なので、それには驚きました。

 その後、帰りの電車に乗りました。ちょっと離れた所の席が空いたので座ったのですが、すると二つ隣の席に座っていた人に挨拶されました。不思議に思って見てみたら、働いている場所が違いますが、同じ会社の人でした。なんでも、二つ隣の駅に住んでいるとの事でした。
 まあ、仕事の終わる時間が重なること自体は珍しくありませし、方向が同じですから、同じ車両のすぐそこに乗り合わせることもあるでしょう。
 とはいえ、数十分前に「別の出会い」があっただけに不思議に思いました。
 本来の目的である秋葉原巡りでは、特に収穫がありませんでしたが、面白い経験ができたのでよしとすることにしました。

2009年04月29日

酔えない

 今日は飲み会でした。ここ2週間で5回ですから、そこそこの頻度です。内訳は仕事関係が4回で、仕事でないのが1回でした。
 この2週間を振り返ると、今日を含め、一度も酔う事がありませんでした。別に体調を崩して酒を控えていたわけではなく、いつも通り、普通に飲んでいました。
 また、これが全部職場の飲み会なら、仕事で緊張しているもしくは疲れているなどの理由でしょうが、仕事でない会でも同じような感じです。普段は、飲むと会話が増えるほうなのですが、今日も含め、何となく話に入っていけず、ほとんど黙っていました。

 公私ともども考え事が多いためなのか、日頃の飲み過ぎがたたって、酔い達するために必要なアルコール量が増えたためなのかは分かりません。
 もちろん、二日酔いなど、酒で失敗するよりはいいのでしょうが、折角の飲み会で素面のままで間をもてあます、というのも楽しいことではありません。
 何が原因か分かりませんが、早く元に戻したいものです。もっとも、冷静に考えれば、どうせ飲んでも酔えないなら、そんな事で悩まずに、これを機に禁酒を検討したほうが、心身共にいいのでしょうが・・・。

2009年04月28日

弁当箱を持ちながら

 結婚して以来、昼は基本的に相方の作った弁当を食べ、それを洗っています。仕事は二回ほど変わりましたが、この習慣はずっと続いています。
 さて、今の職場ですが、下の階の休憩室で弁当を食べると、その弁当箱を持って受付の前を通り、上の階にある受付近くにある給湯室で洗う、という形になります。
 そんな中、弁当箱を持っていて歩いたら、下の階の受付に就職面接に来た学生さんと思しき人がいました。受付の内線電話のボタンを押そうかどうか迷っている感じです。

 自分も一年ちょっと前に面接を受けた身です。ましてや学生時代の就職活動で知らない会社に行くときの緊張感は、17年近く経った今でも覚えています。そこで「面接の方ですか」と声をかけました。
 さらに、面接の受付は上の階なので、そこまで案内することにしました。連れだって階段を上り、担当社員に取り次ぎ、学生さんの姿が見えなくなった後、給湯室で弁当箱を洗いました。
 その時ふと、自分が弁当箱を持ちながら案内していた事に気づきました。まあ、袋に入っているので、パッと見では弁当箱には見えないから、相手も変には思わなかったはずです。それに、就職面接に言って弁当箱を持った社員に案内されるなどというのはなかなかできる事でないわけです。気づきはしないとはいえ、その青年にとっても貴重な経験になっただろう、と思うことにしました。

2009年04月24日

土地勘喪失

 渋谷で仕事がありました。不足品があったので、東急ハンズに買いに行くことになったのですが、いざ行こうとして困りました。どこにあるのかが見当つかないのです。
 ここ何年か、渋谷に行くことはあったのですが、行き先は南口の246号沿いと、東口にあるビックカメラだけでした。したがって、センター街など、そこ以外の場所には全然行っていませんでした。
 そういう事もあり、まず東急ハンズが山手線の内側か外側かも、一瞬分からなくなっていたのです。そこからはじまり、何度か選択肢に迷いました。運良く、二番目くらいの正しい道でたどりつくことができました。そして、建物を見た瞬間に、「井の頭通りをまっすぐ行くのが一番早い」という事を思い出しました。

 20代の頃までは、会社帰りに寄ったりするなど、平均して週二日くらい行っていました。その時に事を考えると、「東急ハンズが山手線のどちら側にあるかが分からなくなる」ような日が来るとは、我ながら想像つきませんでした。
 その一方で、結果的には地図すら見ずに、二番目の方法でたどりつけたという事には、「本能」みたいなものを感じました。
 そして、せめてこの「本能」は失わないように、年に何回かは用がなくても渋谷に遊びに行き、ムルギーカレーくらい食べねば、などと思いました。

全裸事件

 有名芸能人が深夜の公園で全裸になり、公然わいせつ罪で逮捕、という事件がありました。一般人だったらベタ記事にもならない話ですが、あまりにも有名なために大騒動に。出演予定の映画配給会社の株価にまで影響を及ぼしているとのことです。
 酒の勢いとはいえ、そこまでの奇行に至ったのですから、精神的に相当疲れていたのかと思います。有名人は有名人でまた辛いんだな、と別にファンでもないに関わらず、同情心みたいなものを感じました。
 その一方で、この人がかつて「ミュージカル版・聖闘士星矢」で演じていた紫龍は、自ら聖衣を脱ぎ捨てるのが好きだったな、その影響が18年後になって出たのだろうか、などと、しょうもない事を考えたりもしました。

2009年04月21日

同音「異義」語

 送別会の告知をメールしたら、「意義無し」という返事が返ってきた、という笑い話を聞きました。もちろん、「異議無し」の誤変換であることは百人が見れば百人が分かります。したがって、軽い笑い話ですみました。しかしながら、字面だけを見れば「○○さんなどに送別会を開いてやる意義などない」という「暴言」をメールしてしまったことになります。
 もちろん、これは他人事ではありません。昼も夜もキーボードに向かっている私などは、一日で何百回もカナ漢字変換をやっています。しかし、それだけ慣れていながら、誤変換は後を絶ちません。たまに、このサイトで書いた自分の記事を見直して、あまりにもひどい誤変換を発見して、我ながら呆れることも少なくありません。
 いくら経験を積んでも治らないわけですから、ある程度の発生は覚悟するべきでしょう。ただ、そんななか、このような、間違いが発生すると意味が百八十度代わるような同音「異義」語を変換する際は、より一層注意を払おうと強く思わされた「笑い話」でした。

2009年04月20日

新・一番搾り

 先月から、キリンの一番搾りが原材料の見直しを行ない、原材料が麦芽とホップだけになりました。喉が渇いている時の一杯目なら、別に原材料が何だろうと、体感的な違いはそれほどありません。しかし、何杯も飲んでいても、「麦100%」の旨さは変りがあまりありませんが、混ざり物があると、飲めば飲むほどまずくなるように感じます。
 という事もあり、「麦100%」への思い入れは強いので、このたび、一番搾りが「100%陣営」に来てくれた事は非常に嬉しく思っています。同じ価格帯であるプレミアムでないモルツが最近減っているので、その代わりという意味でも、お世話になる機会が増えそうです。
 ただ、健康の事を考えれば、むしろ逆とも言えます。いくら飲んでも飽きない事は、「飲み過ぎ」を誘発するからです。
 というわけで、難しいところではありますが、とりあえずは目先の美味を優先して、「新・一番搾り」を飲む量を増やそうと思っています。

2009年04月18日

空間を撮り続ける

 数日前に、会社の近くでクレーン車が横転する、という事故がありました。当日は、パトカーのサイレンが鳴り響き、交通規制が行なわれるなどしていましたが、一日たったら落ち着いていました。
 さらにその翌日に現場の前を通りました。当然ながら工事は中断されています。しかし、その前に、テレビ屋の車が止まっており、囲いの隙間に向けて、TVカメラを回している人がいました。
 「今週の主なニュース」みたいな番組で、「事故数日後の現場映像」として使うのでしょうか。そのへんの目的はよくわかりません。しかしながら、何も行なわれていない「二日前の事故現場」で、空間に向けてカメラを回す姿は端から見るとかなり奇妙でした。同時に、「こんなもの撮るよりも、本当はもっと報じねばならないものがあるのでは?」と強く思いました。

2009年04月16日

ハイリスクで儲からない副業

 昨日あたりから、ポータル系サイトを見ると「ノーリスクで儲かる副業あります」という文字がやけに目に付くようになりました。もちろん、そんなものが存在しない事くらい知っていますが、あまりにも目立つので、何の商売かと思って、クリックしてみました。
 すると、リンク先には「ローリスク」という言葉が二箇所ほど載っているサイトがありました。いきなり、「ポータルサイトに載せている広告は嘘だ」と言っているようなものです。

 ネタのついでに読んでみたところ、どうやら、ドロップシッピングの亜流みたいなもののようです。といっても、何を売るかすらよくわかりません。売りの「ノーローリスク」である、出店費用についても、具体的な記載はありません。
 つまるところ、「初期費用・月額費用がいくらかかるか分からないまま、何を売るかも分からない店に出資しろ」と言っているわけです。
 ちょっとでも商売の知識がある人間ならば、こんなもんで損することはあっても儲かることはない、という事はすぐに分かるでしょう。もちろん、「ノーリスクで儲かる」などという文字を見た時から見当はついていましたが、その「あからさまに怪しい」ぶりには別の意味で感心させられました。
 そして、毎度の事ながら、金さえ払えば、こんな所の広告でも平気で載せるという、大手サイトのモラルの低さにも呆れてしまいました。

2009年04月12日

珍事

 先週の話ですが、将棋の名人戦をやっている際に、老観戦記者が対局者にサインをねだり、それがテレビ中継で流れた、というニュースがありました。将棋のみならず、他のプロ競技でも「取材者がテレビカメラが動いている前で、試合を行なっている最中の選手にサインを求める」などという前例はないでしょう。まさしく前代未聞と言えます。
 今はプロ将棋にほとんど興味がなく、このニュースを見て「そうか、名人戦始まってたんだ」などと思ったくらいの私ですが、子供の頃から30代半ばまでは、プロ将棋が好きで、様々な情報をチェックしていました。
 したがって、今回の「事件」を起こした記者氏の文章を読んだことはあります。ただ、率直に言って感心した事はありません。それどころか、長年の経験を積んだとは思えない品のない文章に呆れた事もありました。

 特に記憶に残っているのは、16年ほど前に、ある重要対局でちょっとした特例措置が行なわれた時に、その措置を批判した時に使った「ビニ本」という言葉でした。前後の文章とあわせ、「これがベテラン有名記者の書くことか」と呆れたものでした。
 したがって、今回の件についても、その非常識ぶりには驚きましたが、どちらかと言えば「彼ならやりかねない」といった感想を持ちました。
 その動機は分かりませんが、少なくともこれで、後世における彼の評価が「名人戦の最中に対局者にサインを求めた奇行>それまで書いてきた観戦記・将棋などの活動」となってしまったのは確かでしょう。もっとも、それが本望でこの奇行に及んだ可能性も否定できませんが・・・。
 とりあえず、このように老いたくないな、と強く思わされた事件でした。

2009年04月10日

一日の辛さと引き替えに

 昨日の続きですが、阪神電車に乗って香櫨園で降り、そのまま夙川を花見しながら歩き、苦楽園口まで行きました。今年は花見をしない予定だったのですが、関西に向かう新幹線の窓から桜を見たとき、ふと「仕事が早く終われば、19年ぶりに夙川の桜を見れる」と思いつき、半ば衝動的に実行してしまいました。
 ただでさえ、今月まだ一日しか休めていないうえに、花粉症でマスクをした状態で1.5キロ近く舗装が不安定な道をあるいてしまいました。おかげで今日はバテバテで、帰りの新幹線では、座って数分で意識を失ってしまいました。
 客観的に見ればバカな真似をしたものですが、夙川の桜を次にいつ見れるかは分かりません。ヘタすれば一生見れない可能性すらあります。それを考えれば、今日一日の辛さを引き替えにしてもやりがいがあった「花見」だったと思っています。
 なお、この花見の詳細は、後日別に書きます。

2009年04月08日

子供に夢?

 2016年五輪の誘致広告がさらに増えた感があります。最近では、電車の中吊り二枚を使って、長い文章が書かれているものが目に付きます。特に読む気もおきなかったのですが、パッと見たら、「子供に夢を」という言葉が目に入りました。
 この言葉、昔から色々な所で見かけます。具体的に立証する必要もないうえに、正面切って反論されにくいから、使い勝手がいいのでしょう。
 逆に言えば、このような言葉を持ち出さなくてはならないほど、誘致の必然性を語れるきちんとした言葉がない、という事でもあります。
 さらに言えば、格差が進んだ上の大不況で、学校に通えない子供が出ているなかで、「オリンピックで子供に夢を」もないものです。そんな宣伝をするのに使う莫大な金があるならば、実際に困っている子供達のために使うべきでは、と強く思いました。
 こんな空虚な言葉を使うなら、まだ本音である「五輪で利権を」とでも書いた方が、少しは説得力が出るのでは、などと思った宣伝広告でした。

2009年04月06日

花見せず

 昨年の今頃は、毎日の昼休みのみならず、朝の出勤時間も使って、四ッ谷の土手にある桜並木の下を歩いて、花見をしていました。
 しかし今年は、一度だけ土手の向こうにある場所に要があって通った時を除けば、一度も桜を見に行っていません。今日の昼休みも食べた後は寝ていました。休みだった昨日も、近所の公園にすら行っていません。
 疲れに加えて、花粉症のせいで外出がおっくうになったせいかと思われます。自分でも勿体ないと思いますが、見に行こうという意欲がわかないのですから仕方ありません。
 幸い、早めの投薬のおかげで花粉症はほとんど出なくなっています。何とか完治させて、来年はまた四ッ谷の桜を楽しめれば、などと思いつつ、花見をしている人や、写真を撮っている人をうらやましく見ている今日この頃です。

2009年04月02日

初めて存在価値を認める

経団連が資産運用に失敗して20億円損したというニュースがありました。
 投資に関する知識のない私は、何がどう失敗したために損失をしたかは分かりません。しかし、「日本財界の総本山」である団体が、投資に失敗して大損する、という事だけはよく分かりました。
 これまで、経団連およびその幹部の行なう「日本への提言」に共感することは一度もありませんでした。なにしろ、彼らの影響力が強い中で進められた日本の経済政策の結果とは、ろくなものではありません。僅かな成功者を生み出すために、その何千倍もの人々が不幸になる、という現状があるだけです。

 しかしながら、今回の件については、大いに経団連を評価しました。なにしろ、「総本山」が身をもって、「投資の怖さ」を示してくれたのです。
 前世紀末あたりから、財界の意向をくみ、国策として「貯蓄から投資へ」なる宣伝が行なわれました。郵便局での投信販売などが有名ですが、要は「株式市場がどんなものかよく分からない人にも株を買わせる」という事です。
 当然ながら、あのような激しい世界に「素人」が参入したら普通は負けます。特に、昨年の大不況のおかげで大きな損失を被った一般人は少なくないでしょう。
 これまで、そのような「被害者」が大きく扱われる事はありませんでした。しかし、「経済の総本山」が同じ目にあったというなら、状況も少しは変わるでしょう。 これで、無謀な投資で貴重な財産を失う人も減るかもしれません。
 そう考えると、世にも珍しい「経団連の社会貢献」と言えるかもしれません。私も、初めて、この団体の存在価値を評価しました。今後も同様の事を繰り返し、一般庶民の財産が無駄に失われないようにしてほしいものです。
 あわせて、普段から経団連のお偉いさんの言動を天の声であるかのように報じる商業マスコミは、今回の件を大々的に報じて、「経団連の存在意義」を示してほしいものだと強く思いました。

2009年03月28日

県知事選挙運動ネタその2

 先週の話ですが、幕張ベイタウンで行なわれたバレンタイン監督の出陣式に、ベイタウン在住の県知事候補参加しようとしたそうです。その時のいでたちは、千葉のユニフォームを着て、その上に自分の名前が書かれた、たすきをかける、というものでした。しかしながら、「選挙に利用するな」と主催者に追い出されたとのことでした。
 なんとか、たすきを外してバレンタイン監督に握手をしてもらえ、その写真がスポーツ新聞などに載っていましたが、これでは恥をかきにきたようなものです。

 しかも、選挙事務所の談話では、「いちファンとして行こうとしただけであり、選挙運動ではない」などと「悪あがき」をしています。ならばこの人は、選挙の有無に関わらず、野球の応援をするときは、自分の名前を書いたたすきを身につけるのでしょうか。
 確かに、マリーンズには独特の応援風習が多々あります。しかしながら、そのような「応援ファッション」は当然ながら存在しません。これぞ語るに落ちる、というやつで、恥の上塗りを絵に描いたような言動と言えるでしょう。
 まあ、最有力と言われている、元自民党国会議員が、相変らず自民党から大量の選挙資金を受け取っていながら、「無党派」などと宣伝している有様を見て、どんな嘘を言ってもいい、と思ってしまったのかもしれません。
 この候補の事はそれまで何も知らなかったのですが、今回の件を聞いて、知事候補以前の問題として、一社会人として極めて見苦しい言動だと呆れてしまいました。

2009年03月27日

自覚できない症状

 昨日の仕事中、ちょっと暗いところで作業していたら、顔を近づけているにも関わらず、機械に印刷されている小さい字が読めませんでした。
 その時は、「ここまで字が見えないとは、自分が意識している以上に、この場所は暗いんだな」としか思っていませんでした。
 ところが、その日の夜、今度は完全に明るいところで、小さい字を読もうとしたら、やはりぼやけて見えます。まさか、と思って、少し離したところ、今度はくっきりと読めました。20年来のド近眼なので、今更、普通の遠視になるわけはありません。そのため、遅ればせながら、老眼が発症した、という事を理解できました。

 ちなみに、その仕事の中には倉庫整理がありました。パソコンやプリンタの入った箱を何度も抱えたのですが、その時点では何とも思いませんでした。
 ところが帰宅して食事したら、猛烈な眠気に襲われ、普段より全然早い時刻に寝てしまいました。しかも、一晩明けたら体の節々が痛みます。どうやら、自覚していたのより何倍も、疲れていたようです。
 目の事にしろ、疲れにしろ、現実と自覚がかなり異なっていたわけです。年をとっているのだから、体が衰えるのは仕方ないでしょう。しかしながら、それに気づけない事には少々危機感を覚えました。
 体の衰えと意識を一致させるのはなかなか難しいですが、必要以上に老け込まず、かつ若いと思いこんで無理せぬよう、現状を正確に自覚せねば、と強く思いました。

2009年03月24日

真相報道

 「バンキシャ」という番組が極めて杜撰な取材を元に虚偽報道をした事が話題になっています。その結果、テレビ会社の社長が辞任したそうですが、番組は継続するとのことでした。
 それに関するニュースを見ているうちに、この番組の正式名称が「真相報道バンキシャ!」であることを知りました。なかなか面白いギャグですが、番組が続くということは、この題名も変わらないのでしょう。
 まあ、昔から、「これが真実だ」などという強く言われる主張には胡散臭いものが多いとしたものです。そういう意味では、この番組が「真相」という看板を挙げ続ける、というのはある意味適切なのかもしれません。
 今後、仮にどんな虚偽報道をやらかしてもも、この「真相報道」をいう文字を外さずに、放映を続けてほしいものだ、と別の観点から「応援」したくなりました。

2009年03月22日

十数年ぶりのライブ

 職場の人と、筋肉少女帯のライブに行きました。20代の頃は何度か行っていましたが、その後、バンド解散や自分の結婚などもあり、とんとご無沙汰していました。記憶は定かでありませんが、おそらくは、前回行ってから確実に12年は経っています。
 その間も、大槻ケンヂさんの随筆は買い続けていましたし、再結成後はDVDやCDも買っています。というわけで、十数年ぶりといっても、基本的に違和感はありませんでした。

 そんななか、最後に演奏されたのは「サンフランシスコ」という曲でした。十数年前に行った時も、定番だった曲でした。しかし、当時は、作曲者であり、ピアノを演奏していた三柴江戸蔵さんが脱退していたため、CDで聞いた時に強く印象に残っていたピアノの部分が聞けず、仕方ないとは分かってても、物足りなさを感じたものでした。
 しかし、再結成後には三柴さんもサポートメンバーとして参加し、ライブにも出演していました。
 それだけに、「サンフランシスコ」が始まった時は、その演奏を生で聴けると思い、それだけでまず嬉しくなりました。そして、ピアノソロの部分となりました。幸い、自分のいた場所はちょうど三柴さんの前だったので、音のみならず、演奏している姿までじっくり見ることができました。
 もちろん、音は期待通りのもので、あまりの良さに「キーボードでなく、本当のピアノで聞ければ・・」などと、より贅沢な事を思ったほどでした。
 初めてCDで聞いてから20年以上たっての、「初生演奏」でした。それを聞けた嬉しさを感じたと同時に、声をかけてくれた職場の人には、改めて感謝したくなりました。

2009年03月21日

ガラス張りの選挙カー

 駅前で、県知事候補の演説会をやっていました。候補の脇に選挙カーが止まっており、そこから、「我々は、ガラス張りの車に乗ってやって参りました」などと言っています。見てみたら、確かに脇がガラス張りになっている車の中に、政党幹部と思しき人がいました。
 言うまでもなく、「ガラス張りの政治」にひっかけたのでしょう。それだけでもセンスがないと思いましたが、それ以上に気になったのは、この車を改造する費用はどこから捻出したか、という事でした。
 ちょうど、この党は西松建設の献金問題で大騒ぎになっています。この改造費用も、そのような企業献金である確率が高そうです。次に確率が高いのは、原資が税金である政党助成金でしょう。

 「ガラス張り」を主張したいなら、まずは、そのあたりから「ガラス張り」にすべきなのでは、と思いました。簡単な事で、車の目立つところに総工費と、その原資となった資金および、提供元(企業名とか税金)とかを記載すればいいだけの話です。
 いくら「ガラス張り」の車を走らせても、一番肝心な資金源が「闇の中」では、むしろ逆宣伝なのでは、と思いました。
 もっとも、党のほうで「このような車を走らせれば、党のイメージが『ガラス張り』になり、好感度が上がるに違いない」などと思って予算をつけたわけです。そう考えてみると、有権者も舐められたものだと思いました。
 最初からその候補に投票する気はありませんでした。とはいえ、ますますその党に対する不快感が増した、「ガラス張りの選挙カー」でした。

2009年03月18日

モダン焼き

 職場の人たちとお好み焼き屋にいきました。お好み焼きのみならず、肉や魚などを、客が鉄板で焼く形式の店です。
 というわけで、お好み焼き・もんじゃ焼きを始め、色々なものを皆で焼いていました。ところが、出席者の一人がモダン焼きを頼むと、店主さんの雰囲気が変わりました。
 それまでは、頼まれた物を持ってきて、机に置いてすぐに去っていきました。ところが、今回は、お盆の上に、お好み焼きのタネ・豚肉・中華そば・卵を置いてやってきて、こちらに、「焼き方はご存じですか?」と尋ねるのです。

 「モダン焼き」は、通常の関西風お好み焼きに、中華そばを混ぜ込んだものだろう、と思っていただけに、この店主さんの発言には驚きました。
 しかし、そこまで言うのなら、と思い、「よく分からないのでお願いできますか?」と答えると、途端に店主さんから発せられる「気」が変わりました。
 そして、まずそれまで使っていたヘラについた焼きカスを丹念に落とすと、まず、豚肉だけを焼きます。そして、焼き上がった豚肉をタネと混ぜ、合わせた後、二つに分けて焼き始めました。
 その後、そばを焼いた後、二つの生地で挟み、最後に卵を焼いて生地の上に乗せ、完成と相成りました。
 生地の丸さと言い、具の均質さといい、手際と言い、見ている皆を感心させるもので、完成時には、「おお」という声が上がったほどでした。
 メニューを見ても、モダン焼きに特別の注記があるわけではありません。しかしながら、注文を受けてから完成させるまでの、店主さんの一連の行動には、「モダン焼きに対する自負」というものを強く感じました。手際や味同様、その店主さんの心意気に感心させられたとも言えます。
 思いつきで入った店ですが、貴重な経験をすることができました。

2009年03月17日

距離

 先週、妹夫婦がサンフランシスコに転勤しました。赴任期間は三年とのことで、その間、海外旅行に行く余裕を持てそうにないので、当分会うことはできず、寂しい限りです。
 ところが、向こうに着いた直後から、妹がブログを始めてくれました。おかげで、異国の色々な情景を楽しむことができています。しかも、兄妹という事もあり、自分と似たような視点で書かれた部分があるため、自分的には、かなり臨場感のある読み物になっています。

 これまで、同じ関東に住みながらも、1~2ヶ月に一度会うくらいでした。したがって、詳しい近況を知る機会はあまりありませんでした。
 それが、八千キロ以上離れたサンフランシスコに行ったら、むしろ日常の事を詳しく知ることができるようになったわけです。
 毎度ながら、「ネットの力」の凄さを感じさせられました。
 早く向こうの生活に慣れ、より一層面白い記事を書いてくれることを、太平洋の向こうから願っている次第です。

売る姿勢

 そこそこ名が知れているシステム会社の人が営業に来ました。とりあえず、会社案内と顔つなぎという感じで、特に何を売りたい、というわけではないようです。
 ゆっくり話につきあう暇はないので、適当に応答してお引き取り願おうとしたら、時間稼ぎなのか、「当社ではパソコンの廉価販売もやっている」と言って、チラシを渡されました。

 確かに安いのですが、逆にどんな状態で出荷されるのか気になります。そこで、確認したところ、ウイルス対策ソフトすら入っていないとの事でした。
 もちろん、パソコン本体のチラシですから、何もプリインストールされていなくても問題はありません。しかしながら、その状態で買っても、業務には使えません。
 まあ、PCでしたら、仮にこの状態で買ってしまったとしても、後から気付いてウイルス対策ソフトをインストールすれば済む話です。しかし、これをこの会社の「本業」である、業務用アプリに置換えて考えると怖いことになります。最初の見積もりが安いからと購入してみたら、後から「この機能を別途購入しないと、まともには動きません」となるのと同じなわけだからです。
 当初は、名前も知っている会社ですし、何かの時に仕事を頼むこともあるかも、などと思っていました。しかしながら、このチラシを見て説明を受けた後は、「今後、何の需要が生じても、ここだけは呼ぶまい」という風に考えが変わりました。

2009年03月13日

楽天タワー前

 久々に、りんかい線の天王洲アイル-大崎間を乗りました。天王洲アイルを出ると、車内放送で車掌さんが、「次は、品川シーサイド、楽天タワー前」と放送しました。そして、駅に着くと、駅名票の脇に「楽天タワー前」と書かれ、さらに会社のロゴマークまで書かれていました。
 数年前に品川シーサイドでビルを借り切って「楽天タワー」と名付けた事は、何かのニュースで聞いていました。しかし、その最寄り駅にこのような広告費をかけているとは思いませんでした。

 ちなみに私は、ちょうど十年前の秋口に、楽天市場への出店に関わった事がありました。その時に本社へ行ったのですが、当時は東横線の急行通過駅から徒歩10分くらいの所にある4階建てのビルでした。それを考えると、23階建ての「楽天タワー」は隔世の感があります。まさしく「十年一昔」と言えるでしょう。
 それだけ驚かされた「楽天タワー前」ですが、その急成長ぶりにほんの僅かとはいえ関わっていただけに、この駅の装飾には物足りなさも感じました。
 どうせ「楽天色」に染めるなら、たとえばホームの壁に巨大なディスプレイを埋め込んで、楽天のトップページを表示する、くらいな事はしてほしいなどと思ったわけです。
 ただ、十年前に本社に行ったときにこの「楽天タワー前」など、想像できませんでした。それを考えると、十年後の楽天は、今回私が思ったことより、さらに桁違いの事をやっているのかも、などと思いました。

2009年03月12日

合体ショップ

 日帰り出張で福岡に行きました。空いた時間を利用して街を歩いたら、大規模な携帯ショップがありました。ちょっと中心地から離れて土地があるのか、かなりの店舗面積です。具体的に言えば、ドコモショップの津田沼店と幕張本郷店を合わせたほどの広さがありました。
 ただ、その中の全てが携帯ショップになっているわけではありません。看板にあるように、店舗の三割くらいは、福岡ソフトバンクホークスのグッズショップになっていました。
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(※クリックすると、同じ窓で大きな画像が開きます)

 確かに、経営の大元は同じソフトバンクです。また、我が地元でも、海浜幕張のロッテリアが「ベースボールカフェ」と称して、千葉の選手写真を掲示したりおり、すぐ隣にマリーンズのグッズショップがあります。
 したがって、さほど驚くことではないのでしょう。とはいえ、本拠地の近くでもない普通に郊外にある携帯ショップの看板が野球とくっついていて、中に入ったら一つのフロアで携帯電話と野球グッズを売っている、というのは中々驚きました。
 もっとも、他のソフトバンクショップを見たら、ホークスグッズこそなかったものの、普通に旗が飾ってありました。おそらく、福岡においてはこれが普通で、驚く自分のほうがおかしいのでしょう。
 いずれにせよ、なかなか印象に残る、携帯電話兼野球ショップでした。

2009年03月11日

母の力

 仕事で、一つ隣の駅近くにある事業所まで、A4インクジェットプリンタを運ぶことになりました。ホームに着いたところ、次の電車まで少々時間があったので、プリンタを置いて一息つきながら、「我ながらハードな事しているな」などと思っていました。
 すると、目の前に赤ちゃんを抱っこした母親が歩いてきました。極めて普通の風景なので、普段なら何とも思わないところです。しかし、今日は自分も重い物を抱えていただけに、普段と異なる印象を持ちました。

 その赤ちゃんとプリンタのどちらが重いかは分かりません。しかしながら、赤ちゃんはプリンタと違い、電車待ちの間に床に置いておくわけにはいきません。しかも、ホームでちょっとでも手を滑らせたら、大変な事になるため、気も抜けません。
 いまだに子供がいないので、これまであまり感じることはなかったのですが、改めて「母の力」の偉大さみたいなものを感じました。
 そして思いだしたのは、先日、身内が日記に書いていた、30年ほど前に行なった引っ越しでした。当時生後3ヶ月だった妹をはじめ、五人兄弟で東京から関西に移ったのです。一番年上の姉でも小学五年でした。しかも、父親は先に関西に赴任していたため、実質的な準備は母親だけでやっていたわけです。
 当時は、子供である上に、遠いところに行ける楽しさばかり考えており、母親の苦労など考えてもいませんでした。しかし、今振り返ると、その大変さは想像に難くありません。
 ひょんな事から、改めて親の力に驚くと同時に感謝させられました。

2009年03月07日

信用

 三年近く、親しくしている人がいました。最初の頃は、月に数回ほど、ここしばらくは少々縁遠くなったものの、月一くらいで飲みに行く仲でした。
 先日も飲みに行き、いろいろ話したのですが、翌日に届いたメールを見て一瞬固まりました。そこには、「昨日の話、○○さんに電話で伝えといたよ」とあったのです。
 その相手は、共通の知人なのですが、私にとっては親しいどころか、むしろその逆です。しかも、そのような人間関係である事は、何度も話していたのです。
 その飲み会では、別に悪口を言っていたわけでもないですし、伝えられて困るような事も話してはいません。したがって、何か実害があったわけではありません。とはいえ、仮に言いたくなったとしても、普通は、電話する前に事前に確認くらいするとしたものでしょう。

 しかも、抗議のメールをしたところ、しばらくしたら、本人でなく、「○○さん」から連絡が入りました。どうやら、フォローの電話を向こうに入れたようです。気を遣ったつもりなのでしょうが、こちらにとっては、より一層困ります。
 悪意がないことは分かっています。しかし、これでは、もはやこの人を信用することはできません。今の仕事に就くことも含め、三年間、かなり世話になった人ではあります。しかし、その恩と信用は別問題です。表面上の付き合いはできても、腹を割った話は二度とできないでしょう。
 それにしても、電話一本で、三年近い人間関係が、一瞬で終わってしまうわけです。我が事ながら、「信用を失う」という事は怖いものだと思いました。
 同時に、たとえ、少々他の所で損をしても、信用してくれて大切な話をしてくれる人を裏切るような真似だけはすまい、と強く思いました。

2009年03月05日

嘘つきとの会話

 これまで関わった中で、最もひどい嘘つきだった輩と、久々に話す機会がありました。予想通りですが、案の定、口から出任せをベラベラといいまくります。同席者はその嘘つきぶりを知らないので、言いくるめられかけていましたが、その素性を知っている私には戯言以外の何物でもありません。
 当然、先方は相手をだますつもりで論理(?)を組み立てます。確かに、「それが事実かもしれない」と相手が思っていれば、それで騙すことができるのでしょう。しかしながら、それが最初から嘘だと分かっていると、その論理(?)が矛盾だらけである事が分かってしまいます。そのあたりを突っ込んだら、だんだんと舌の回転が悪くなっていきました。
 まあ、珍獣を観察する的な意味合いでは楽しむことができました。ただ、問題は、その嘘つきが、自分の今の生活に多大な迷惑をもたらしている、という事です。そう考えていると、楽しんでばかりはいられません。
 何とか、早く縁を切って、悩みを解消すると同時に、その嘘つきとの関係を過去の物にしたいものだ、と強く思った「嘘発表会」でした。

2009年03月04日

言い争いを聞きながら昼食

 昼食を船橋のバーガーキングで食べました。注文した際に一度、奥からハンバーガーが出てきたのですが、何か抜けがあったため、一度引っ込むなどという事があったため、少々待たされました。
 その後、レジの近くで食べていたのですが、カウンターの奥で何やら言い争いが始まりました。文句を言われたほうも、逆ギレみたいな形で応戦しています。
 いろいろな事情があるのでしょうが、客の聞こえる所で口論するのはいかがなものかと思いました。もちろん、主たる目的はハンバーガーを食べることのわけですが、それと同時に、昼食のひとときを楽しもうとしているわけです。にも関わらず、いま食べている物を作った人たちが言い争いをしていては、折角のハンバーガーも台無しです。
 かつてバーガーキングは日本で展開しており、自分的には一番好きなハンバーガー屋でした。しかしながら、2001年に撤退してしまい、その時はかなり残念に思った物でした。それゆえ、一昨年、再度「上陸」をした時は嬉しく思ったものでした。しかしながら、このような状況を見ていると、再撤退もあるのでは、と心配になってきます。
 ぜひとも「サービス業の基本」くらいは習得し、なんとか生き残ってほしいものだ、と強く思いました。

2009年03月03日

AB型

 血液型占いなぞ、全く信じていませんが、その中でも特に信じていないのが、「AB型は二重人格だ」というやつです。
 もちろん、そのような統計データはないようです。結局、「AとBだから」という安直な理由なのでしょう。しかしながら、たとえばA型だって、大雑把に分けても、「AA」と「AO」に分かれます。この場合、「AO」の人は何重人格になるのでしょうか。あと、三つ以上の人格を持つ人の血液型がどうなるかも気になるところです。
 などと言うことを、電車のモニタに出ていた「今日の血液型占い」を見ながら突っ込んでいました。ちなみに、そこに書かれていた自分の血液型であるO型は、現在の自分と全く異なる「現状分析」が書かれていました。

2009年02月23日

オランダ焼き

 昨日、相方と松山市内を散歩しました。最初に、ショッピングセンターで生活必需品を買い、その後、別の階にあるフードコートに行きました。
 昼食をどこで食べようという話になったのですが、相方はお好み焼きを強く主張しました。普段、千葉や東京で外食した時、お好み焼き屋に行った事はありません。少々不思議に思いましたが、その店で食べることにしました。
 そこは、どのフードコートによくある、お好み焼き屋なのですが、一つだけ大きな違いがありました。そこの主力商品は「オランダ焼き」という名前なのです。といっても、別にオランダ名物のチーズが入っていたりするわけではなく、基本的には大阪風お好み焼きと何ら変わりはありません。

 ちなみに、焼きそば入りのお好み焼きも売られているのですが、それは「ベルギー焼き」でも「フランス焼き」でもなく、普通に「広島風お好み焼き」と名乗っていました。
 それがなぜ、「オランダ」の名を冠しているか不明ですが、相方は嬉しそうに食べていました。そのこだわりが不思議なので尋ねたところ、子供の頃、外食というとこの「オランダ焼き」だったそうで、非常に深い思い入れがあるとのことでした。
 自分にとっても、そのような「子供の頃から好きだった外食」はありました。ただ、その店は、4年ほど前に閉店となり、最早二度と行くことはできません。その事を思うと、一見、どこにでもある関西風お好み焼きを嬉しそうに食べる相方の気持ちが分かると同時に、うらやましさみたいなものを感じました。
 いずれにせよ、懐かしい食べ物を嬉しく食べる姿を見ていると、それだけで嬉しくなります。来年以降もまた、この「オランダ焼き」を食べに行きたいものだと思いました。

2009年02月22日

「坊ちゃん」変遷史?

 昨日から松山に滞在しています。行くたびに道後温泉に行っているのですが、例年はどちらかと言うと地元向けの「椿の湯」という共同浴場に行っていました。しかし、今年は諸事情により、道後温泉の象徴である「本館」に行くことになりました。
 風呂から上がって時間があったので廊下を見ていたら、「過去の『坊ちゃん』映像化一覧」が貼られていました。1950年代から70年代にかけて、6回くらい映像化されていたとの事でした。ちなみに最後の映像化は1977年で、その時の主演は中村雅俊さんだそうです。
 歴代の配役表を見ていて、面白い事に気づきました。当然ながら、一番最初に出てくるのは「坊ちゃん」役の俳優です。問題は、二番目に出てくる「副主役」ですが、当初は、「山嵐」だったり「清」だったりしました。まあ、いずれも小説通りです。

 しかし、ある時期から二番目の座は「マドンナ」が占めるようになりました。小説では「うらなり」の婚約者ながら、「赤シャツ」の権力と財力に目が眩んで乗換える、という「悪女」的な存在なわけです。
 しかしながら、作中で唯一の若い女性であるゆえに、副主役に「抜擢」されたのかと思われます。映像は見たことがありませんが、おそらく、キャラの位置づけも相当変わったのでしょう。
 以前から、松山に行くたびに、至る所で見られるこの「坊ちゃんとマドンナのカップリング」に強い違和感をおぼえていました。小説だけ見ていたら、かなりありえない組み合わせで、さしずめ、「めぞん一刻」で五代さんと明日菜さんのツーショットを看板絵にするようなものだと思っていました。
 その謎が、この「歴代映像キャスティング」を見ることにより、解決できました。さすがは日本を代表する温泉建造物なだけのことはある、などと妙な視点で感心してしまいました。

2009年02月21日

終電ラッシュと残業時間

 今月二度目の終電帰りとなりました。週末ということもあり、最終の千葉行きは凄い混雑で、秋葉原駅では、ラッシュ時特有の、扉の上に手をかけて何とか体を押し込む人がいたほどでした。
 酒を飲んだりしてこの「終電ラッシュ」を経験したときは、「これだけ客がいるなら、もっと遅くまで運行しろよ」と思っていました。しかし、終電ギリギリまで仕事をして帰ると、同じラッシュで体を押されても「これ以上終電を遅くすれば、自分のような『終電帰り』の人の労働時間がより一層伸びるから、このままのほうがいいのか、などと思うようになります。
 ちなみに、これだけ働いても、今月の残業時間は現時点で45時間程度です。それでも、疲れはかなりのもので、先週の土日などは、ほとんど休んでばかりでした。
 そのような体験からすると、労働法改正案の「残業が月60時間を越えたら残業代五割。ただし、その分の有給休暇を与えれば二割五分でいい」というのは、今よりはマシになるとはいえ、かなり浮世離れしていると思えてきます。
 この類の法案を審議する場合、まず担当者全員を、中小企業の工場などで月80時間くらいの残業となる労働を数ヶ月間やらせ、その後で「残業代割増の基準」だの「有給休暇での代用」だのを論じさせた方がいいのでは、と改めて思いました。

2009年02月19日

宮崎とキャンプ

 鹿児島で仕事をしていたら、急に宮崎でトラブルがあり、いく事になりました。トラブルが起きる事自体はよろしくない事ですが、おかげで、日豊本線二時間の旅(?)をすることができました。
 やはり、車窓を見ていると、それだけで精神的に楽になります。鉄道が好きで良かったと、改めて思いました。
 さて、問題のほうは無事解決し、帰るために宮崎空港へ行きました。すると、広場で、宮崎でキャンプを行なっている球団および日本代表のユニフォーム展示とグッズ販売が行なわれていました。
 これだけの数が揃うと、なかなか壮観です。ちなみに、埼玉の新ユニフォームを初めて見ることができました。
 おかげで帰宅は深夜になってしまいましたが、鉄道ファン的にも野球ファン的にも得ができたので良かったと思うことにしました。

2009年02月18日

疲れを取ってくれる一言・一行為

 今月は、はっきり無理なミッションを強引に進める羽目になり、心身ともかなり疲れる事が多々あります。
 そんな中、出張先の一箇所で、ほんの些細なギャグを言ったら、現場の人が何故か大受けしてくれました。本当に面白かったのか、センスのなさを哀れんで笑ってくれたのかは分かりません。いずれにせよ、それのおかげでかなり疲れが軽減されました。
 さらにその後、別な所にいったら、日頃世話になっている人が、部下に「どこかからペットボトルを探してこい」と言っていました。
 その時点では、何の事かわからなかったのですが、しばらくして、何かで貰ったポン酢を、そのペットボトルに入れて分けてくれました。
 向こうとしては気まぐれみたいなものかもしれませんが、おかげでまた疲れが軽減されました。
 今更ながら、自分が色々な人に助けられている事を再認識しました。そして、自分も些細な事でいいから、誰かの疲れを取れるような人でありたい、と改めて思いました。

2009年02月16日

7時間ほど名古屋に滞在

 今日から三泊四日で出張です。経路は名古屋→大阪→京都→大阪→鹿児島、というなかなかの強行軍です。そんな中、今日は名古屋で日中仕事をし、それから大阪に行って泊まる、という形になりました。
 というわけで名古屋の滞在時間は7時間ほどで、ほとんど仕事をしていました。
 このまま素通りするのも、と思い、何かこれまでなかった名古屋らしさを味わおうと思って新幹線のホームに行ったら、立ち食いのきしめん屋にある「名古屋コーチンきしめん」が目に入りました。

 名古屋名物を二つくっつけたわけです。これまで名古屋にいったとき、それぞれを食べた事はありましたが、同時に食べた事はありません。そこで、立ち食いにしては異例の一杯840円という値段ながら、食べてみました。
 しかしながら、その結果は、ただの薄い鶏肉が四切れ入った、きしめんでした。名古屋コーチンの特徴などは分かりません。したがって、もしかしたらこの四切れに名古屋コーチンの神髄が含まれているのかもしれません。とはいえ、自分にとっては、ちょっと濃い味付けの鶏肉でしかありませんでした。
 まあ、何でもくっつければいいというものではない、という事なのでしょう。次からは滞在時間が数時間だろうと、欲張らずに普通の味噌カツかきしめんを食べようと心に誓いました。

2009年02月15日

吸い殻を排水溝に捨てなければいい?

 一見、喫煙と車内マナー向上の啓発に見せかけて、実は迷惑喫煙を擁護する事を目的としているJTの車内広告(過去例1過去例2)の最新版を見ました。
 見る度に程度が低くなっているのですが、今回も、期待通り(?)でした。
 今回も「喫煙マナー」と「車内マナー」を並べています。そして、喫煙マナーは「排水溝に吸い殻を捨ててはいけない」で、車内マナーは「優先席で目の前に困った人がいるのに、座り続けている人」でした。

 確かに、そのような形で優先席に座っている人はいます。しかしながら、その一方で、一般席に座りながらも、老人や足の不自由な人を見ると、少々離れていても席を譲る若い人もいくらでもいます。
 一方、「吸い殻を排水溝」は抜本的に違います。仮に、吸い殻を排水溝に捨てず、携帯用灰皿を用いればいい、というわけではありません。吸い殻をどう扱おうと、路上で喫煙をすること自体が迷惑です。副流煙はもちろん、火傷の危険をあります。私自身、昔、すれ違った人間のくわえ煙草が手の甲に当たって火傷したことがあります。
 つまり、吸い殻を排水溝に捨てるかどうかは問題でありません。道路などの公共の場で吸い殻を持って立っている事自体が迷惑なのです。
 まあ、ここまで来ると、逆に分かりやすくていいです。これからもこの路線を突っ走り、反面教師的に「非喫煙者の前で喫煙するのは、電車内で発生する一部の心ない人によるマナー違反などとは比べものにならない、迷惑極まりない行為である」という事を、より多くの人が理解するようになってほしいものです。

2009年02月14日

体感気候

 朝、出かけたら、驚くような暖かさでした。数分歩いたら、上着を着ていられないほどでした。昨日夕方までは、普通の二月の気候でした。したがって、一晩過ぎたら季節が変わっていた、という感じでした。
 相方との会話も、この異常なまでの暖かさに終始していました。その中で、思いつきで「なんか、五月中旬並の気候」と報じられているのでは、と言いました。
 帰宅してネットを見たら、本当に「五月中旬並み」と書かれていました。思いつきとはいえ、的中するのは嬉しいことです。やはり、40年近く生きていると、肌の感じで「これがいつ頃か」が分かるようになるのでしょうか。
 今日はここの所の激務の疲れもあり、せっかくの陽気ながら、帰宅後はほとんど寝て過ごしていました。もう一日、この気温は続くそうなので、明日はもう少し長い時間外出し、時季外れの「五月半ば」を満喫したいと思っています。

2009年02月12日

忘れ物

 午前と午後に来客がありました。午前の予定がえらくながびき、終わった時は、午後の客がもう来ていました。そちらはまあ順当に終わりましたが、席に戻った時は日が傾いていました。
 頭も疲れたし、ちょっと甘い物でも、とコンビニに行って、菓子を買い、それを食べながら仕事をしていました。そして数分後、「そう言えば、昼食は・・・」と気付きました。
 というわけで、夕暮れを見ながら、相方の作ってくれた弁当を食べる羽目になりました。どうやら、忙しさで頭のみならず、胃の感覚までおかしくなってしまったようです。
 まあ、あと半月乗り切れば何とか峠は越せそうです。何とか片付けて無事月を越し、早くまともに昼休みが取れる生活に戻りたいものです。

2009年02月10日

千葉ニュータウン中央

 仕事で、千葉ニュータウン中央駅に行きました。20台の頃、電車に乗るために行った事がありました。
 その時は、千葉ニュータウン中央駅で降りてちょっと歩いただけでした。したがってそんなに長くいたわけではないのですが、駅前がだだっ広い空き地になって、遠くの方に団地があった、という記憶がありました。
 そして十数年ぶりに再訪した千葉ニュータウンは、大規模商業施設などができていたものの、やはり、だだっ広い空き地が主体で、その向こうに団地がありました。
 今日の目的地は大きな建物で、駅からちょっと歩くとすぐ見えました。そこで「なんだ、歩いてすぐか」と思ったのですが、建物は見えるものの、中々近づけません。要は間に物がないからすぐ見えただけ、というわけでした。歩きながら、不思議な感覚に襲われました。
 次にいつ行くかわかりませんですが、その時も、相変らず空き地の向こうに団地がある街、のままなのだろうか、などと思いました。

2009年02月08日

ワーカーズハイ?

 今週は、ただでさえ忙しかった上に、予定外の仕事まで入って大変な事に。木曜に至っては終電帰宅でした。
 その臨時の仕事をこなしつつ、数ヶ月来の懸案事項を片付けねばならず、いろいろと悩んでいました。そんな中、ふと解決策が思い浮かんだのです。
 それがあまりにも明快で、なぜいままで気付かなかったのだろうか、と思えてきたほどでした。そして、仕事に追われている中で、ふとそのような発想が浮かんだ事に驚きました。
 その一方で、長距離走を走っていると、苦痛を和らげる物質が分泌する「ランナーズハイ」に近い現象なのだろうか、とも思いました。つまり、仕事のストレスを緩和するために、懸案が解決したかのように思いこんでしまっているかもしれない、という考えです。
 まあ、その検証は来週に置いておいて、とりあえず悩みが解決した事を喜びながら、久々の休みを迎えようと思っています。

2009年02月03日

研ぎ器テレビ通販での「特典」

 深夜にテレビをつけっぱなしにしていたら、通販広告が始まりました。ただでさえ、胡散臭いものが多いテレビ通販ですが、深夜になると、特に怪しさが増加します。
 そんな中、始まったのが、アメリカ産の研ぎ器の通販広告でした。何でも、これを使えば、どんな刃物でも、新品のように切れるようになるという優れものだそうです。
 そして、一通り宣伝が済むと、購入案内が始まりました。この案内において、胡散臭い通販の定番は二つあります。一つは、最初に実在しない「定価」を提示したあとに「千円引き、いやさらに二千円引き」などと称して本当の定価を表示する手法です。もう一つは、「定価」を表示した後、「今ならこれに」と「お得な特典」をつけるものです。
 この研ぎ器は後者の手法でしたが、その「特典」を見たときは驚きました。何と、その「万能研ぎ器」がもう一個ついてくる、との事なのです。

 家庭で研ぎ器を二つ同時に使う、という事は考えられません。ということは、この研ぎ器、短時間で使えなくなって、すぐに二つめが必要になるほどの耐久性なのでしょうか。いずれにせよ、これでは「特典」とは言えません。まあ、当初提示の価格が、本当の定価の倍であることは分かりますが・・・。
 さらに続いて、深夜帯ならではの、「この広告放映から30分以内に購入した方限定」などと言ってました。しかし、いくら思考力の鈍る深夜とはいえ、「30分以内に買えば研ぎ器が二つついてくる」と思って、慌てて電話する人などいるのだろうか、と少々不思議に思いました。

2009年02月02日

反応の変化から伝わる現実

 頬がややこけた顔のためか、昔から、他人には実際よりやせて見られます。そのため、いつも体重を言うと驚かれていました。
 ただ、しばらく前までは、「ガリガリに見えるけど実はそうでない」という感じの驚きだったのが、最近、「意外に太っているんだ」という反応に変わりつつあります。
 それもまあ当然で、実際、最近の腹の脂肪のつき具合には、自分自身、従来にないものを感じます。他人の反応が変わるのも当然でしょう。
 ならばこれを機に節制もしくは運動、といきたいところですが、なかなかそこまでする気力が沸きません。自他共に問題があるとは分かっているのですが・・・。困ったものです。

2009年01月31日

見当外れの「対策」

 日本人の関取が、大麻使用の現行犯で逮捕された、という事件がありました。昨年、ロシア人力士三人が大麻使用疑惑で解雇されたとき、マスコミは、あたかも「外国人力士」である事が原因であるかのような記事を書いていました。。
 さらに、相撲協会が作った「再発防止委員会」なる集団も、この事件の「対策」として、「外国人だけ、研修期間を伸ばす」などと見当外れの「提言」をしていました。
 それらの記事をどう読んでも「外国人だから大麻」という事を論理的に書かれてはいませんでした。そして、今回の件で改めてその記事や「委員会の提言」が稚拙かつ感情的だった事が実証された形になったわけです。

 悪名高い横綱審議委員会もそうですが、なんでこう相撲界の周辺にいる連中は、見当違いな事ばかり書いたり言うのだろうか、と不思議に思います。そのうえ、言ったり書いたりしたことが誤りだと明確になっても、何ら態度を改めないのですから、呆れるよりありません。
 子供の頃は相撲は大好きでしたし、今でも嫌いではありません。しかし、これらの低俗な雑音を見聞きするたびに、相撲について考える事自体が嫌になります。
 今場所こそは「朝青龍ブーム」に沸いたわけですが、相撲界は長期低落傾向にあります。もちろん、リンチ殺人や大麻吸引など、最大の原因は相撲界そのものにあります。とはいえ、これら周囲の「雑音」も相撲に対して悪影響を及ぼしているのでは、と思わざるをえません。
 協会自体はもちろんですが、これらの周囲についても、早く「膿」を出して欲しいものだと思いました。

2009年01月29日

マネー川柳

 とある企業が主催している「マネー川柳」なる企画の宣伝を見ました。お金にまつわる川柳を募集しているのですが、そこに出てくる「イメージキャラ」は頭巾を被って杖を持った旅装風の男とその弟子風の男です。
 もちろん、具体名は書いてありませんが、どう見ても、松尾芭蕉と河合曾良を意識しているとしか思えません。
 確かに、同じ「五七五」とはいえ、俳句と川柳はそれぞれの歴史と伝統があります。それを混同するかのようなこの「イメージキャラ」は、双方に対して失礼なのでは、と思いました。

 もっとも、この主催している会社は、伝統を蔑視する事で有名だから、「失礼」などとはみじんにも思っていないでしょう。
 何しろ、20年ほど前にプロ野球球団を買収したときは、伝統ある球団名を二年で捨て、代わりに子会社の名前を球団名にしていました。そして、サイトの「球団史」にも買収前の歴史は一切載せていないほどです。
 そういう感覚だからこそ、川柳募集の企画に芭蕉・曾良風のキャラを平気で出せるのだろう、とも思いました。

2009年01月27日

「おごそかさ」の欠片もない発言

 恒例行事みたいなものですが、横綱審議委員会が、日曜に朝青龍関が見せたガッツポーズに「品格がない」などと難癖をつけたそうです。
 その横綱審議委員の一人が、場所前に朝青龍関の稽古を見て寂しかった。体に精気が感じられないし、太りすぎ。休場ならば、場所後の横審で引退勧告もありうると言っていたそうです。

 しかしながら、結果は復活優勝でした。すると、前述の委員氏は、今度はガッツポーズをやり玉に挙げ長く相撲を拝見しているが、こんな横綱はいなかったなどと「指摘」したそうです。
 長く相撲を見ているのが自慢のようですが、半月後に優勝する横綱に対して「精気が感じられないし太りすぎ」などと言うようでは、その相撲鑑賞眼は節穴と言わざるを得ません。その無能ぶりに比べれば、ガッツポーズなどどうでもいい事です。
 ちなみに、品格という言葉の意味は「その物から感じられるおごそかさ。品位。」だそうです。なかなか難しい言葉ですが、一連の発言を見る限り、この審議委員氏には備わっていないものだ、という事だけはよく分かります。
 朝青龍関の一挙一動に「品格がない」などと難癖をつける暇があるなら、自分たちの発言が「品格」に値する物かどうかを今一度見つめ直してもらいたいものだ、と毎度の事ながら強く思いました。

2009年01月26日

失われた一日

 日曜の朝、目覚めると、喉に強烈な痛みが走りました。前日から一部味覚がおかしいなど兆候があったのですが、どうやら本格的に風邪をひいたようです。テレビなどを見ていたのですが、結局また寝てしまいました。
 その後、目が覚めて食事食べて風邪薬飲んだらまた眠くなり、目が覚めたらもう夕方でした。そこで、とりあえず相撲を見たのですが、見終わったら眠くなり、後は昼と同じく、目が覚めて何か食べて薬飲んで寝る、の繰り返し。というわけで、気付いたら月曜の朝になっていました。さすがに、それだけ寝た事はあり、喉の痛みはひいていました。
 ほとんど何もできなかった一日でしたが、まあ、年に一度は風邪をひくのは恒例です。それを引きずらず、寝るだけで八割方回復したわけですから、良しとすべきなのかとも思いました。
 まあ、本当は風邪をひかないのが一番いいのは確かなのですが・・・。

2009年01月24日

インチキ業者の相乗効果

 職場の非公開番号に間違い電話がかかってきました。ところが、相手は間違い電話だと言っても、何故かしつこく食い下がり、こちらの名前を聞き出そうとしています。どうやら、名簿屋から得た情報を元にした勧誘電話のようで、その会社でないのか、としつこく尋ねてくるのです。
 つまるところ、名簿屋が誤記をし、それを信じた電話勧誘員が、こちらが嘘を答えていると思いこんで、食い下がっている、という構造のようでした。

 間違った情報を記載した名簿屋も名簿屋だし、それを真に受けて食い下がる勧誘員も勧誘員です。どちらもロクなものでないのは確かなのですが、それらのおかげで、何ら罪のないこちらが、迷惑電話の被害を受けているわけです。
 一方、名簿屋も勧誘員もこのような迷惑行為を行ないながら、よほどの事がないと罰せられる事もなく、迷惑電話とインチキ商法を続けているわけです。毎度の事ですが、理不尽さを感じました。
 ちなみに、家のほうでは、相方が、「Bフレッツを使っている」と何度言っても食い下がってくる、インチキ回線業者の襲撃があったとの事でした。今日のような気候には、インチキ業者の異常さを増幅させる要素でもあるのでしょうか。いずれにせよ、迷惑極まりないことです。

2009年01月23日

商店街

 仕事で、東急多摩川線のとある駅に行きました。「23区のローカル私鉄」という雰囲気が漂う駅を降りて、踏切を渡ると、そこには商店街がありました。
 マクドナルドやセブンイレブンといったチェーン店もありますが、ほとんどは個人商店でした。八百屋や魚屋などはなかったものの、それらを除けば「商店街」の典型的な風景でした。
 普段歩くのが、幕張本郷という極めて人工的な町で、商店街などはありません。さらに、よく買い物に行く、隣町の津田沼も、規模が大きすぎて、これまた商店街はありません。
 そういうわけで、普段、縁遠い生活をしているだけに、久々に歩いた商店街は、かなり懐かしい物がありました。もっとも、この駅前の人たちにとっては、昔から変わらない当然の風景なのでしょうが。
 いずれにせよ、この商店街が、今後も「当然の風景」として存在し続けてほしいものだ、と思いながら、短い商店街を通り抜けました。

2009年01月22日

泥酔者専用出口

 残業で終電近い電車で帰りました。津田沼止まりに乗ってしまったので、ホームのベンチで座って待っていたら、千葉から来た津田沼行きが向かいのホームに入っていきました。
 扉が開いて、しばらくすると、駅員さんの大声が聞こえました。見てみたら、酔いつぶれた人を興しているようです。
 ところが、しばらく声をかけても反応がないと見ると、駅員さんは放置して去っていきました。そして、しばらくすると、扉が閉まりました。

 まさか、このまま車庫に行くのか?と一瞬驚きながら、その酔っぱらい氏を見ていました。しかし、電車は動かず、しばらくすると、車内を巡回していた人が、その肩に担いで運んでいきました。
 ついつい目で追ったところ、駅事務室の前の車両だけ扉が開いていました。どうやら、声をかけても起きない酔っぱらいは、車内で運んで、そこでまとめて追い出す仕組みになっているようです。
 普通に扉から出しても、ホームで寝てしまうためなのでしょうか。それとも、泥酔者が風邪をひかないために、少しでも室温を上げるための配慮なのでしょうか。
 今ひとつ理由は分かりませんでしたら、長年の経験に基づいた酔っぱらい対策なのだろうな、と妙に感心してしまいました。

2009年01月20日

羽幌とオホーツク

 とある駅前を歩いていたら、「羽幌ラーメン」という看板を見ました。「札幌」なら普通ですが、羽幌とは珍しいものです。あまり聞き慣れない地名ですが、留萌と稚内の間にある元炭坑の町です。
 私がこの町を知っているのは、かつて走っていた国鉄羽幌線がきっかけでした。中学の頃、時刻表を見ながら乗ってみたいと思っていたのですが、1987年3月に廃止されました。初めて北海道に行った1989年前の冬に、起点だった留萌駅に行って、雪に埋もれた、かつての羽幌線ホームを見たときの寂しさは、今でも覚えています。

 というわけで、行ったことはないのですが、「羽幌」という文字を見たときは、懐かしさみたいなものを感じました。ところが、その下に書かれていた文字には違和感がありました。そこには「オホーツク」とあったのです。
 羽幌は確かに、海に面した町ですが、そこにあるのは日本海です。確かに、「北海道のあまり聞かれない海沿いの町」につける言葉なら、「オホーツク」のほうが「らしい」でしょう。とはいえ、実際に面していない海の名前で宣伝するのはどうかと思いました。
 というわけで、「羽幌」に対して勝手に懐かしさを感じただけに、その「宣伝文句」を見たときは、残念な気持ちになりました。そして、この店がどのような言葉でラーメンを宣伝しているのか知らないが、どんな言葉でも信用はできないな、とも思いました。
(追記・実際に行った方の話によると、この看板は、ラーメン屋と「オホーツク海の味羽幌」という居酒屋の共有物であり、「羽幌ラーメン」を売っているわけではないとの事でした。というわけで詐称しているのはラーメン屋でなく、居酒屋ということになります)。

2009年01月17日

20年ぶりの念願かなう

 子供の頃から水炊きが大好物でした。そのため、水炊きの本場が福岡だと知った時は、いつか、本場で水炊きを堪能したいものだ、と思っていました。
 そして初めて福岡に行ったのは今から約20年前となる、大学二年の夏休みでした。博多駅で降りた後、水炊きを出す店を探し、その中の一箇所に入りました。しかし、残念ながら、一人前で満足できる水炊きはありませんでした。

 それから、いろいろあって、昨年から仕事で福岡に行く機会が激増しました。したがって、当時の思い残しであった「一人で水炊きを堪能する」という念願がかなうかと思いました。
 しかしながら、ある晩に行った店は、水炊きを売りにしながらも、不要な創意工夫(?)がされていました。そのため、「水炊き」とは異なる味の「鳥鍋」を高い値段で食べる羽目になったりしました。
 そんな中、ネットで一店ほど、自分の要望を満たせてくれそうな店を発見しました。そこである時に行ってみたのですが、不運な事に、その日は丁度、不定休の休みでした。
 その店に、今日行ってみました。幸い、店も開いており、目的としていた「一人前の水炊き」もありました。
 それを食べたのですが、鍋に鳥しかなく、私の水炊きを愛する理由の一つである「鳥の味が染みた白菜」を食べることができないとか、タレの味付けで薬味がききすぎ、などの不満はありました。
 しかしながら、鳥の味はまさに「水炊き」というもので、それについては、大変満足できました。
 最初に食べようと博多をうろついたのが1989年の夏ですから、ちょうど20年後に念願がかなった形となりました。それだけ待った事もあり、100%満足とは言えなかったものの、かなりの達成感がありました。

2009年01月16日

忘れまくりの一日

 今日は福岡市内を移動しながらの仕事でした。結果はおおむね順調にいったのですが、昨日の深酒がたたったのか、少なからぬ忘れ物をしてしまいました。
 まず、ある所でメモを忘れました。そこでのみ使う物なので実害はなかったのですが、次に行ったところに連絡が入り、笑われてしまいました。
 そしてそこでは、朝から雨が降っていたために買った傘を、晴れた事もあり、忘れてしまいました。

 さらに極めつけは、その次に行ったところでした。携帯の電池残量が危なかったので、そこで作業中に充電をしていました。ところが、作業が終わると、その事をものの見事に忘れてしまいました。
 そして帰りのバスに乗った直後、胸ポケットに違和感を覚えて初めて気付き、次のバス停から歩いて引き返す羽目になりました。
 さすがにそれ以降は極めて慎重になり、特に問題なく残りは終えることができました。
 というわけで、出張および一週間の仕事が終了しました。折角なので、昨年五回福岡へ行ったにも関わらず、一度も食べていなかった屋台のラーメンを食べることにしました。
 そして、屋台街を歩いていたのですが、そこで「長浜ラーメン」という看板が見えました。立ち止まったところ、「席空いているよ」と店員に声をかけられ、何となく入ってしまいました。
 ところが、そこは「ラーメン」のメニューをかかげながら、ラーメンは普通・大盛・チャーシューの三品だけで、串とおでんがメニューの中心でした。いつも普通のラーメンしか食べないので、ラーメンのメニューが何品でもいいといえばいいのですが、やはりこれだと「本格的なラーメン」は期待できません。
 実際、出てきたものも、かなり空腹だったにも関わらず美味しさを感じることができない、という品質のものでした。
 店選びの基本である「呼び込みは相手にするな」を忘れていた報いを受けた形になってしまいました。というわけで、仕事中も終わってからも「忘れ物」で失敗しまくった一日になってしまいました。

2009年01月15日

青い小鳥

 週末は二泊の出張で、今日は京都に泊まりました。仕事は珍しく順調に進み、予定時刻に完了しました。そこで、夕食前に相方に電話をしたところ、せっかく時間があるなら、京都らしく豆腐料理を食べれば、と勧められました。
 もともと、豆腐は大好きですし、言われてみれば確かに「京都らしさ」を感じることができる料理と言えます。
 駅のそばに宿を取ったので、駅周辺の豆腐料理屋をパソコンで検索したのですが、引っかかったのはいずれも駅の反対側にある店でした。

 まず二つあるうちの一つである、京都駅ホームが尽きたあたりにある店に行きました。そのため、日本一長いホームを持つ京都駅をほとんど端から端まで歩いた上に、線路をくぐったのですが、そこは前に泊まったことのあるホテルのテナントで、その時食べた豆腐が冴えなかった店でした。
 したがってそこでの食事はは諦めて、もう一つの店を目指しました。そこは京都タワーの裏手にある店でしたので、結果的に長大な京都駅をほぼ半往復したような形になりました。
 ところが、目的地のあたりに行ってもそれらしい店は見あたりません。そこで携帯で検索をかけたところ、何とその二番目に行こうとしていた店は支店で、本店は泊まっているホテルの近くにある、とのことでした。
 ならばと思い、本店に行くことにしました。その結果、京都駅をほぼ一周して元の所に戻った形になってしまいました。
 なんか、童話にある、「延々と探し求めていたものが、実は身近に存在した」を彷彿させられるような話でした。そう考えると空しい物がありますが、それとは別に駅周辺だけとはいえ、「京都ならでは」というものをいくつか見ることができました。
 それゆえに、今回の京都での夜は、苦労してたどりついた店の豆腐が美味かったこともあいまり、かなりいい結果になりました。

2009年01月13日

過激派が取り持つ縁

 経理に頼まれて袋詰めの仕事を手伝っていました。単純作業なので、あまり頭を使う必要がない事もあり、経理の人同士で、軽い雑談が始まりました。内容は、他愛のないもので、近所の大学に過激派が闖入して、それ以来、しばらくの間、警備が厳しくなった、というものでした。
 単純作業の最中なので、その程度の話でも盛り上がります。経理の二人は10歳以上離れているのですが、出身大学は同じなようで、在学中に体験した話で盛り上がっていました。とはいえ、世代の違いがあり、60近い人は、学園紛争のあおりで、一年間授業がなかった、とか言っていました。
 私の大学時代も、過激派が幅をきかせていたので、ついつい話に乗って盛り上がりました。最初は、二人の大学がどこだか分からず、「当時は、どこの大学も過激派が幅をきかせて、うちの大学みたいだったんだな」などと思っていました。

 そんなこんなで思い出話をしているうちに、そのうちの一人が、聞き慣れた校舎名を言い出しました。その時はじめて、この二人が自分の大学の先輩であることに気付きました。なるほど、それならば時代を超えて似たような過激派がいたのも道理です。
 大学時代の過激派の思い出といえば二つほどありました。一つはたまたま学食の前で彼らの壁新聞を「見物」していたら、共鳴者と思われて執拗に勧誘され、それがクラスに知れ渡り、「過激派疑惑」をかけられた、というものです。
 もう一つはサークルの部室がないので、学生会館の空き室を取ろうとしたら、「部屋使用権と引き替えに、年に数回、ヘルメットとマスク姿で成田に人身御供を出さねばならない」と聞いてあきらめた、というものでした。いずれにせよ、いい思い出はありませんでした。
 しかしながら、それらの「過激派活動」がなければ、おそらく、この二人が大学の先輩である事を知る機会は永遠になかったかもしれません。そう考えると、この「出会い」は、彼らのおかげと言えるかもしれません。
 入学以来四年間、一度もいい思いをした事はありませんでした。それがまさか、卒業して17年後に彼らに感謝(?)する事になるとは思いませんでした。人生とは分からないものです。

2009年01月12日

星とニュースの売買

 小倉氏とかいうテレビキャスターが、場所前に朝青龍関に対し、「星が買えればいい」みたいな発言しました。それに対して、相撲協会に取材拒否を臭わせるような「抗議」を受けて謝罪した、というニュースがありました。
 相撲協会の過剰反応には毎度の事ながら問題があると思います。とはいえ、キャスター氏を擁護する気にもなれません。なにしろ、昨年後半は怪我でほとんど土俵に上がれなかったものの、22回優勝した横綱に対し、要は「八百長しなければ勝てない」と言ったわけです。失礼と言わざるを得ないでしょう。

 ただ、そのキャスター氏の「実績」を聞いた事があるので、この安易な「八百長発言」をの記事を見ても、あまり違和感がありませんでした。
 その「実績」とは、ある零細企業の社長が、「知人の知人」の紹介でこのキャスター氏と一回食事をしたところ、数日後に流れたニュース番組の冒頭で、そのキャスター氏がその会社の宣伝をした、というものです。しかも、内容はロクに取材もしておらず、その会社のサイトにも書かれていないような架空の「実績」まで語っていました。
 もちろん、その会席の場にいたわけではないので、その場でどのような「取引」が行なわれたかは分かりません。とはいえ、一度食事しただけの人の会社を、ロクな取材もせずに、あることないことTV番組で宣伝する、という姿勢が報道者として不適切である事は間違いありません。それこそ「星の売り買い」に類する事がその場であった、と思われても仕方ないでしょう。
 それを知っていただけに、ニュースを見たときは、「つい、自分の『報道』と同じ姿勢で、相撲について語ったのだろうか」などと思ってしまいました。

2009年01月10日

注文の多い料理店

 宮沢賢治の有名な小説である「注文の多い料理店」ですが、先日、この作品の事を考えて、話の落とし方の不可解さに気付きました。
 あの話は主人公が食べられそうになった時に、冒頭で泡を吹いて死んだはずの猟犬がなぜか生き返って化け猫と思われる「料理店主」を撃退します。それで主人公は助かるのですが、この猟犬の復活の意味が分かりません。
 これが、主人公達が犬を愛しており、それに報いるため、というのなら分からなくもありません。しかしながら、主人公達は犬のことを購入した代金でしか評価していません。
 そうやって考えると、この「犬が復活して主人公を助ける」に必然性がありません。これがまだ、「山の中ではぐれてしまった」くらいなら分かるのですが・・・。

 そうやって考えているうちに、一つの仮説が思い浮かびました。当初はこの話、間抜けな主人公達が自らを「調理」し、化け猫に食べられて終わり、という構想で作られていた、というものです。
 しかし、そのオチだとかなりグロくなるうえに、商業誌的にもよろしくないなどの理由で、書いているうちに方針が転換されたのでは、と思ったわけです。
 そこで、主人公達を助ける必要が生じ、その役として、冒頭に出てきてすぐに死んだ犬が抜擢(?)された、というわけです。
 これなら、あのような唐突すぎるオチになったのも説明がつくのでは、と思いました。もちろん、今となっては確かめる術は存在しないのですが・・・。

2009年01月08日

7年半ぶり二度目のブーム

 携帯サイトの広告を見たら「ぷよぷよ」がありました。懐かしさもあってクリックしたところ、月315円でiアプリで遊べるとのことで、ついつい衝動買いしてしまいました。
 以降、帰りの電車は、ずっと「ぷよぷよ」ばかりやっています。このゲームに最初にハマッたのは、1993年から1994年にかけてでした。続いて、2000年にPC版がをDL購入してちょっとハマッて以来ですので、7年半ぶりにハマった事があります。
 やっている事は基本的に変わらないのですが、なぜ7年前後の周期で「ブーム」が来るのか、我ながら不思議です。とりあえず、帰宅の体感時間が非常に短くなったのは、嬉しいことだと思っています。

2009年01月07日

派遣切りと自己矛盾

 金融不況の影響ということで、自動車製造業を始め、派遣社員の解雇が広がり、社会問題になっています。寮を追い出された人の仮の宿である「派遣村」という言葉も大いに話題になりました。
 その一方で、坂本総務政務官のように、あたかも、自業自得であるような発言をする輩もいます。ネットなどを見ても、「派遣社員は切られて当たり前」みたいな、同様の意見を主張する人間が見られます。それらを見たり聞いたりすると、この寒空の中、寝る場所がないような人を中傷するなんて、どのような神経の持ち主なのだ、と呆れかつ寂しい気分になります。

 ところが、そんな事を家で思っている自分が会社に行くと、立場が一変(?)します。私の仕事は月初が多忙で、10人くらいの派遣の人に来てもらって凌いでいました。そして、それを終了させるためのシステム導入および、それに伴う派遣社員の経費節減を進めるのが、自分の仕事だったりします。
 私が関わっている人たちは、「この仕事がなくなったら、住むところもなくなる」という状況ではありません。また、削減はかなり前からの予定であり、今回の金融不況とも何ら関係はありません。とはいえ、段々と仕事が減っていく中、帰りがけに「ここに来るのも今日が最後かも・・・」などと言われると、胸に来るものがあります。
 いずれにせよ、自分が広い意味での「派遣切り」をやっている事に変わりはありません。にも関わらず、一方で派遣切りを肯定する人たちを批判的に思っているわけです。端から見ると、矛盾しているとも言えるでしょう。実際、自分でもそうやって考えていくと、頭が痛くなります。
 そう考えれば、坂本政務官や、ネット上で切られた人々を叩いているような人は、気が楽なんだろうな、などと思ったりもします。もちろん、だからと言って、彼らに同調しようとする気は、毛ほども生じませんが・・・。

2009年01月06日

後ろ向き思考

 打ち合わせをしていて、新しい事をやる話が出ました。それを聞いたとき、最初に思い浮かんだのは「また新しいことを覚えるのか、面倒な・・・」でした。
 これまで、色々な仕事をしてきましたが、やる前から無意味な事が分かっている場合を除いては、新しいことを始める際にそのような感情を持ったことはありませんでした。
 正月二日からの八連勤はまだ前半終了したばかり、という状態で疲れていた、というのはあるでしょう。とはいえ、そのような後ろ向きの発想をした自分に愕然としました。
 考えてみれば、趣味においても、最近あまり新しいことをしていません。それどころか、既にやっている事すらおろそかになっています。
 疲れと加齢が合わさったために発生した心理状態なのでしょうか。いずれにせよ、心身とも後ろ向きになるにはまだ早すぎます。何とかしたいものだと思いました。

2009年01月04日

東京湾越しに見る富士山

 仕事で、浦安の観光ホテルに行きました。舞浜で、俗に言う「ネズレール」に乗換えて目的地に向かいました。周りの皆が行楽のなか、一人仕事というのもなんだかな、と思いつつも、運転席のない先頭車両に座り、前面の窓からの展望を楽しんでいました。
 そして、しばらく進むと目の前に東京湾が見えました。ここまでは過去に乗ったときにも見ましたが、今日は正月なので空気の純度が違います。東京湾の向こうにある都心のビル街の向こうにそびえる富士山が見えたのです。
 モノレールの先頭車両から海越しに見る富士山、というのはなかなか趣があると思いました。しかしながら、乗っていた何組かの親子連れは、それに気付く気配もありませんでした。数分後に降り立つ、ディズニーランドだかディズニーシーだかで頭がいっぱいだったのでしょう。
 気持ちは分かるのですが、なんだか勿体ないように思えました。まあ、もしかしたら、この親子連れは実は静岡か山梨から来ており、「富士山が見える」などという事が珍しくも何ともないのかもしれませんが・・・。
 まあ、周辺の人の反応はともかく、年明けならではの「東京湾越しの富士山」を見れたのは嬉しいことでした。

2009年01月01日

正月の視点変化

 新年あけましておめでとうございます。昨年は当「つれづれの館」にいらしていただき、有り難うございました。本年も頑張って参りますので、宜しくお願いいたします。
 さて、今日は元旦だったわけですが、我が家は昼過ぎに津田沼まで散歩に行きました。そして、食事をしたり買い物をしたりしました。このあたり、普段の休日とさほど変わりません。違いと言えば、朝に雑煮とお節料理を食べた事くらいです。
 そして夕方になり、帰宅すべく津田沼駅に行きました。すると、改札から出てくるネクタイ姿の人が目につきました。

 これまでも、毎年正月は近所まで外出していました。しかし、ネクタイ姿の人が気になった事はありませんでした。
 昨年までと今年の違いと言えば、私が明日から出勤する、という事です。それを意識しているから、これまで見ても記憶に残らなかった「正月早々会社に行った人」を意識するのだろうか、などと思いました。
 というわけで、今日で早くも「正月休暇」は終わりです。明日からは気持ちを切り替えて仕事もそれ以外も頑張っていきたいと思っています。

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