2008年12月31日

2008年を振り返って

 2008年も今日で終わりです。今年は、自分にとって、二つの貴重な「再会」ができた一年でした。
 一つめは、転職先での、学生時代にアルバイトしていた時の上司や一緒に働いていた人との再会でした。16~18年ぶりに会ったにも関わらず、嬉しそうに声をかけてくれた人もいました。
 その後も、色々と世話になっており、何とか今後の仕事で恩を返したいものだと思っています。
 もう一つは、中学時代の恩師・友人との、18~23年ぶりとなる再会でした。これは、mixiがきっかけとなって行なわれた同期会での事でした。意外に変わっていない事に驚いたり、今になって初めて知った貴重な話を聞くことができたりしました。

 この二つの出来事により、久しぶりに過去についてじっくり振り返る機会を得ることができました。当然の事ですが、現在の自分があるのは、過去の積み重ねによるものです。その事を再認識するとともに、自分が日々消化している「現在」が、未来の自分にとって役立つ「過去」にすることができるよう、意味を持って生きていかねば、と強く思いました。
 社会的な事はもちろん、自分の周囲でも色々な事があり、来年がどんな年になるか、そしてどんな形で来年の大晦日を迎えることができるか、見えてこない部分があります。
 分からないものは仕方ないので、とにかく、未来の自分が振り返った時に、意義のある過去であった、と自負できる年にできるよう、まずは目の前のことを出来る限り頑張っていきたいものだと思っています。

2008年12月29日

一応仕事納め

 今日で今年の仕事は終わりでした。といっても、会社自体はサービス業のため、年末年始休暇があるわけではありません。元々は自分も31日まで出勤の予定だったのですが、休むつもりだった日に出勤した代休が溜まるような感じで、結果的に30・31日が休みになった、という感じです。そして、新年は2日からの出勤となります。
 というわけで、世間一般に比べれば三分の一となる三連休となりました。昨年までは、一応三が日は休みだったので、本来ならかなり短いと考えるべきでしょう。しかしながら、この会社に入ってから初の三連休のため、なんかえらく長い休みのように感じます。慣れというのは不思議なものです。

 とりあえず、今年は二度目の転職に始まって、仕事においていろいろと貴重な経験ができた一年でした。自分としてはまだまだ満足できる仕事内容ではありませんですが、まあ、それは来年の課題にしようと思っています。
 短い年末年始休みですが、とりあえず休めるだけ休んで、心身とも一時休止状態とし、年明けの「再起動」がうまくできれば、と思っています。

2008年12月25日

クリスマスイブに二人で・・・

 相方の告知にもあるように、日曜日にまた野球見物本を出します。これまでは毎回、製本は販売の前日に行なっていました。しかし今年は前日搬入するうえ、その前の日である26日には忘年会があります。
 原稿ができたのが23日なので、その間の二日しか作業日がありません。仕事の予定では、24日のほうが終わりの時間が確実に読めるので、そちらを作業日にしました。
 というわけで、昨晩は二人で紙を折ったり綴じたりしていました。クリスマスイブの過ごし方としては少々変わっていますが、まあ、結婚して10年も経てばこんなものでしょう。

 ちなみに今回はこれで作業完了ではなく、来場者専用特設携帯ページ作成作業が残っています。これは前回掲示した、千葉の選手ポスターのパロディでQRコードをつけたところ、本当に撮影してくれた方がいらしたので、調子に乗って企画したものです。
 推定閲覧者は自分を入れても五人以内ですが、なぜか、そういうどマイナーなものを作るのが昔から好きなので、楽しく作業しています。なんとか、当日までには満足できるものを仕上げれれば、と思っています。

2008年12月24日

クリスマス電飾

 近所に二軒ほど、派手なクリスマス電飾をやる家があります。一軒は子供のためなのか、「ピカチュウサンタ」の絵などがかざってあります。もう一軒は一昨年にも書きましたが、縄ばしごを登る電飾サンタ人形などというものまであります。
 いずれも、大量の電飾を施しており、遠くから見ると、パチンコ屋でも開業したのか、と勘違いしてしまいそうな派手さを誇っています。

 そのうちの一軒に、今年になって新キャラが登場しました(昨年まで気付かなかっただけかもしれませんが・・・)。庭に五体ほどの人形が突き刺さっているのです。近づいて見ると、顔みたいなものが描いてあり、熊の雪だるまのようにも見えます。
 しかし、遠くから見ると、これまた発光している白い本体ばかり目立ちます。その形は、漫画「D.Gray-Man」に出てきた「咎落ち」や、「帰ってきたウルトラマン」に出てきた光怪獣プリズ魔を連想するような形状なのです。
 そのような不思議な物体が、五体並んで植わって(?)おり、しかもその上には派手な電飾が点滅しているのです。家から歩いてすぐの所に異世界が出現したような感じで、不思議な気分になりました。
 来年もぜひ、さらなる新キャラを投入して、より不思議な世界を醸し出してほしいものだ、と思いました。

優先順位

 社会で使える英語力を身につけて欲しい、などという理由で、文部科学省が英語の授業を英語で行なうという学習指導要領案を発表したそうです。
 高校時代、英語の授業の半分も分からなかった身としては、そんな事されたら、ますます授業についていけなくなる人が増えるだろうな、とまず最初に思いました。
 それだけ、「ついていけない生徒」を出してまで、一部の生徒の英語力を高めたいのでしょうか。いくら政治・経済・軍事において「アメリカの属国」とバカにされているからといって、そこまで国策で「属国化」を推進したいのでしょうか。

 だいたい、優先度から言えば、英語より日本語のほうがずっと上のはずです。別に社会に出た時点で英語が使えなくても、そこから覚えればいいわけです。仕事において必要があれば、人はそれを習得しようとするものです。
 実際、高校の授業についていけなかった私も、受験という必要に迫られて猛勉強した結果、高校三年の冬には、教科書に出る英文は、日本語訳しないでも理解できる程度にはなりました。もちろん、必要がなくなった後はあっという間に元に戻りましたが、必要がないため、何ら不便は感じていません。
 だいたい、「日本語をきちんと勉強しないと大変な事になる」という事は、首相の「日本語力」を見れば分かるとしたものです。そのような現状も無視して、教師にも生徒にも負担となり、しかも「属国心の高揚」以外には役に立たない事をなぜするのか、理解に苦しみます。
 まあ、ある意味、文部科学省らしい、と言えなくはないのですが・・・。

2008年12月22日

寒暖の激しい日

 朝起きて新聞の天気予報を見たところ、今日はかなり気温が高いとのことでした。そこで、一瞬上着はいらないかと思ったのですが、念のため着ていくことにしました。
 それで電車に乗ったのですが、混んでいくにつれ、車内の気温は上がっていきます。最初は寝ていたのですが、あまりの蒸し暑さに目が覚めてしまいました。少なからず汗をかいています。混んでいるため、上着を脱ぐために体を動かす余裕もありません。
 今使っている電車は、原則として窓が開かず、代わりに車内温度が一定以上になると、春先だろうと晩秋だろうと冷房が入ります。したがって、これまで寒いことはあっても暑いことはありませんでした。しかし、さすがに12月に冷房を入れるようには設定されていなかったようです。おかげで、今の車両になって初めて、車内で汗をかきました。

 この時点では、上着を着ていった事を、少なからず後悔していました。実際に駅には着ていない人も少なからずおり、彼らの判断をうらやんだりしました。
 ところが、昼過ぎから気温は下がり始め、夕方、帰ることには雨になっていました。傘を用意していなかったので、そのまま走ったのですが、向かい風という事もあり、冷たい雨が容赦なく正面から体に当たります。
 こうなると有難いのが上着の存在です。駅からアパートまでの5分ほどですが、防寒さらには防水に重要な働きをしてくれました。
 朝の時点ではこのような帰宅になることは予想していませんでした。とはいえ、結果的に上着を選んだのは正解だったわけで、得したような気分になりました。
 なお、今日の気温を後で見たら、朝の時点では20度で夜は5度とのこと。やけに寒暖の差が激しい一日でした。

2008年12月20日

見習いたい往生

 今週は、週三で忘年会でした。うち二つは辞めた職場関係のもので、ある意味、過去を振り返った週でありました。
 昨日は前の前の職場での忘年会だったのですが、その席で、当時世話になっていた方が、今年の年明け早々に亡くなった事を知りました。なんでも正月の行事を楽しんで、酒をしこたまのみ、帰宅後の入浴中に心臓発作で急死だったそうです。

 辞めるときに挨拶したとき、残念がってくれて、「この職場はあなたで持っているようなものなのに」とまで言ってくれました。もちろん、最後のはなむけ、というわけで、額面通り受け取るほどうぬぼれてはいません。とはいえ、やはりそう言って貰えたのは嬉しいことでした。結果的に、それがその人との最後の会話になったわけです。
 当時の仕事で私は色々文章を書く機会があったのですが、その人の文章論を常に意識して書いていました。本人にも言っていなかったのですが、私の仕事は、その人で持っていたようなものだったわけです。また、今でもここなどで文章を書いているとき、少なからずその人の影響を受けていると感じることはあります。
 寂しいことではありますが、かなりの高齢でしたし、十分に人生を楽しまれたのだろうと思います。結果的に最後になった日も、昼に行事を楽しんだ上に好きな酒を飲めたわけです。したがって、最後まで満足した日を過ごせた大往生だったのではないでしょうか。文章同様、自分も見習いたいな、などと思ったほどでした。
 最後に言って貰った事は、ずっと忘れることはないでしょう。亡くなってからかなり日がたってしまいましたが、改めてお礼を言わせてもらいました。

2008年12月18日

ハロワ

 職場で社会保険を担当している人が「ハロワに行ってくる」と言っているのを聞きました。一瞬、どこに行くんだ?と不思議に思ったのですが、会話を続けて聞いていたところ、「ハローワークに行く」の略称である事が理解できました。
 かつては、この機関はは、「公共職業安定所」で略して「職安」と呼ばれていました。言葉を何回か聞けば、子供でも何のために存在するものなのかすぐに理解できるという、分かりやすい名称・略称でした。それがいつの間にか、和製英語である「ハローワーク」となり、意味不明の略称までついてしまったわけです。

 もう、改称(?)されて10年以上たっているようですが、それによる利点があったとはいまだに思えません。どう見ても、略称も含めて分かりやすかった日本語の名称を、分かりにくい上に、略すると暗号になる和製英語に置換えただけとしか思えません。
 この類の「日本語破壊」は至る所で見ることができます。しかしながら、その略称を聞いたときは、改めて、ひどい「改称」をしたものだと思いました。
 まあ、10年ほど前といえば、政財界が「平凡に生活していればとりあえずは幸せに生きていける」という社会体制を破壊した時期でもあります。その象徴の一つに、昨今の「派遣切り」に象徴される、「職業の不安定化」があるわけです。
 そう考えれば、「多くの人が安定した職業を得られない時代」にふさわしい「改称」と言えるかもしれません。だからといって、その改称がろくでもない、という事には変りはありませんが・・・。

2008年12月17日

足寒腹熱

 昨日の朝、通勤時に座った席はロングシートのど真ん中でした。不運な事に、両隣の人は体格が立派な上に、この寒さのために着込んでいます。そのため、後から間の席に座った私としては、ロクに背筋を伸ばせないほどの窮屈さでした。
 出勤時の電車ではとにかく寝ることにしている身としては、かなり厳しいものがあります。中途半端に前屈みの体制では寝ることはできません。そこで、仕方なく前屈するような体制で眠りを何とか確保しながら、配席の不運を嘆いていました。

 その翌日である今朝、乗った次の駅で、目の前でかつ一番端の席に座っていた人が席を立ちました。ここなら、仮に隣にどんな人がいても、もう片方にある壁に寄りかかればいいわけです。というわけで、今朝はゆっくり寝れるな、と喜んで座りました。
 ところが、予想していない事が発生しました。今朝はかなり冷え込んでおり、駅に着いて扉が開くたびにその寒風が足元に吹き込むのです。
 椅子自体は暖房が効いているのですから体全体が冷えるような事はないのですが、「足寒腹熱」という状態はかなり寝心地が悪いものでした。下車後はもちろん、職場に着いた後も、しばらくは足の寒さが抜けないほどでした。
 いくつかの不運が重なったとはいえ、二日連続で寝心地の悪い出勤をすると、少なからずこたえます。明日こそは、なんとか快適な通勤をしたいものですが、果たしてどうなることでしょうか。

2008年12月16日

寒空の下で大行列

 午前中に数寄屋橋のあたりに行ったら、かなり長い行列ができていました。なんだと思って見たところ、年末ジャンボ宝くじを求める人たちでした。見ている間にも行列は伸び続け、昼飯時でないにも関わらず、スーツ姿の人も交じっていました。
 その時は「今日は発売開始なのだろうか。それにしても凄い列だ」と思っていました。しかしながら、調べたところ、発売日はかなり前でした。

 ネットによると、そこは、「日本一年末ジャンボの一等が出る売場」との事でした。確かに、あれだけ行列ができる、という事は当然ながら販売本数も日本でトップクラスに違いありません。ならば、確かに一等が出る本数も多いのでしょう。
 ただし、言うまでもないことですが、「一等の出る本数が多い」と「一等が当たる確率が高い」というのは、関連性がありません。したがって、いくら行列で待った所で、よその売場で買うのと比べて、当選する可能性が上がるわけではありません。
 ただでさえ、行列に並ぶのが苦手で、その上、宝くじにも興味がない身としては、そうやって考えれば考えるほど、冬の空の下、数寄屋橋に並ぶ人たちが不思議に思えてきました。まあ、これは価値観の相違なだけなので、別にその人たちを否定するわけではありませんが・・・。

2008年12月14日

宣伝と味の乖離

 マクドナルドが大々的に宣伝している「クウォーターパウンダー」を食べてみました。
 この商品、繁華街の二店舗の名前を変えて「専門店舗」として先行発売したのをはじめ、「ハンバーガーをナメている全ての人たちへ」みたいな目立つ言葉を使ったものを電車などで大規模に出すなど、かなりの宣伝費を使っています。
 そして、店に行ったところ、店員さんのユニフォームも、「クウォーター」の宣伝バージョンに変更され、背中には広告と同じ文字が印刷されていました。

 これだけ凄い宣伝をしており、値段も従来のチーズバーガーの三倍です。さぞかし想像を絶する味がするのだろう、と期待して食べてみました。
 しかし、確かに商品名でもある「クォーターパウンド」の肉の質感はあり、食感も従来のマクドナルドハンバーガーに較べればどっしりしています。しかし、あれだけの宣伝文句や「宣伝用に専門店舗を使った」という情報によって過大な期待を持ったため、「なんだ。この程度なのか?」という、肩すかしを食らったような気分になりました。このあたり、昨年登場した、ロッテリアの「絶品チーズバーガー」を食べたときの感想と似ています。
 とりあえず、次にマクドナルドで食事をするときは、同じチーズバーガーでも、120円のやつに戻そうと思いました。

2008年12月12日

間違いだらけの受領メール

 仕事で、フレッツADSLをサイトで申し込みました。必要事項を記入したところ、自動返信メールで「特に問題がなければ希望日に工事します」といった内容の受け付け確認が届きました。その後も、特に連絡がないので、問題なく受理されたと思っていました。
 ところが、それから何日たっても、追加の連絡が来ません。さすがに変に思って、メールに記載されている番号に電話を入れました。
 まず申し込んだ事業所の住所を言ったところ、○○県ですか?ここは××県担当の番号なんですけれど、といきなり怪訝そうな口調で言われました。文句は私でなく、メールにその番号を記載した担当者に言ってもらいたいものだと思いました。

 そしてさんざん待たされた挙げ句、申込時にエラー扱いとなっていた事が判明しました。毎度の事ですが、この会社、保留音状態で相手をどれだけ待たせてもかまわないと思っている節があります。
 エラー扱いになっているにも関わらず、その通知が届かず、代りに正常処理時と同じ受付確認が届くとは、なかなか凄いシステムです。しかも、書いてある電話番号に問い合わせたら「何間違えているんだ?」みたいな応対をされるのですから、たまったものではありません。
 こんな体制およびシステムを持つ所が、日本を代表する通信会社で大丈夫なのだろうか、と不安になりました。ADSL開通まで今後どのような紆余曲折があるのか、不安半分興味半分、といった心境になっています。

2008年12月10日

黄昏の職場

 二ヶ月半後の終了が決まっている事業所に行きました。そこには何とも言えない物寂しい雰囲気が漂っていました。聞こえてくる会話の内容は、どこで忘年会をやって何を食べるか、という話題が八割くらいを占めていました。しかも、その店というのが、典型的な「安かろう悪かろう」の店なので、より物寂しさが増幅します。
 その中に、たまに仕事の話も入るのですが、当然とはいえ、前向きな話は出てきません。まあ、これも仕方ないところでしょう。
 自分も、かつて二度ほど、部署の終了という経験をしたことがあります。二度目の時は、それにあわせて退職したので、終了自体は許し難い事でしたが、ある程度は割り切る事ができました。

 しかし、一度目の時は、初めての経験だったうえに、部署廃止後の扱いがあからさまに左遷だった事などもあり、かなり暗い気分になっていました。もう12年前の事でしたが、当時の事は鮮明に覚えています。そのため、今日の仕事では、その事を思い出しました。そして、「当時の自分をはたから見れば、彼らのようだったのだろうか」などとも思いました。
 ただ、その12年前の自分については、その後、いろいろな事がありました。結果的にそれがきっかけとなり、個人的には自分にとって最も大切と言っていい出会いがありました。また、仕事においても、その左遷時期に学んだ事が、その後の大きな糧になっています。
 というわけで、今日出会ったその事業所の人たちについても、ぜひとも今回の件がいい転機になってほしいものだ、と強く思いました。
 もっとも、このような経済情勢ですから、他人事と傍観してばかりはいられません。「三度目の経験」をしないように、自分も頑張らねば、と改めて思いました。

2008年12月07日

煙草ネタ二件

 昼に津田沼パルコの韓国料理屋に行きました。入ると、店員さんに、「喫煙席しか空いていませんが」と言われたので、一瞬どうしようかと思いましたが、禁煙席と隣接した席が空いていたので、そこに座ることにしました。
 その時点で、喫煙席は六席中、我々を含め、二席しか座っていませんでした。一方、禁煙席は満員のままです。
 入口の近くだったので、入店者と店員さんの会話が聞こえてきたのですが、その後に来た客も、みな禁煙席希望でしたが、席がないため、仕方なく喫煙席に行く、という感じでした。
 そういう状態が続くうちに、喫煙席も満席になりました。しかしながら、先述した通りで、誰も煙草は吸いません。そのため、結果的に「全席禁煙」となりました。
 この調子なら、この店の昼食が全面禁煙になるのも時間の問題でしょう。そしてそれが実現すれば、さらに通う頻度が増えるだろうな、などと思いました。

 話は変わりますが、電車の中では、JTが相変らず「マナー広告」を出しています。かつては、喫煙マナーの向上を訴えていましたが、いつの間にか喫煙と一般的なマナーを並べるという形態になり、あたかも「喫煙しようとしまいと、マナー違反は存在する」と宣伝しているような感じになりました。
 特に、今回見かけたのはさらにひどくなっており、「一般マナー」では「ヘッドホン騒音」明確に批判しているのに対し、「煙草マナー」では、「喫煙者の近くで息を止めている人がいる」みたいな分かりにくいものになっています。
 普通に、「貴方の出した煙を吸うと周りの非喫煙者は気分が悪くなる」と書けばいいだけの話だと思うのですが・・・。
 このような流れを見ていると、数年前に「喫煙マナーだけ広告」を出したときから仕組まれていたのでは、と思えてきます。つまり、一見、喫煙マナーの向上を訴えるふりをして、最終的には「喫煙より良くないマナー違反がある」という事を宣伝の主体にしようと企んでいたのでは、という疑問です。
 いずれにせよ、このような広告をいくら載せても、少なくとも喫煙マナーの向上には寄与しない事だけは確かでしょう。

2008年12月03日

白い樹と青空

 四谷駅近くを歩いていたら、街路樹の一つに、白い樹がありました。山の中に行けば白樺がよく生えていますが、都内で白い樹はあまり見ません。しかも、ちょうど空は雲一つない快晴でしたので、対比が目立ちます。そこで、写真を撮ってみました。
 後で撮ったのを見たら、上のほうは白い皮がはげており、あまり「白と青」という感じにはなりませんでした。とはいえ、なかなか見ない白い樹に青空、そして後ろの葉が黄色くなっている樹、という色の取り合わせは映えると思いました。これで、左上の樹が紅葉だったらより良かったのに、などとも思いました。
※クリックすると同じ窓で大きい画像が開きます。
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2008年12月02日

蔦の紅葉

 相方と雑談していて、童謡「真っ赤な秋」が話題になりました。歌詞の中に「蔦の葉っぱも真っ赤だな」とあるのですが、果たして蔦は紅葉するのか?という疑問が生じたのです。言われてみれば、二人とも、「赤い蔦の葉」など見たことはありません。そのため、「あれは『沈む夕陽に照らされて』にかかっている」という冗談が出たほどでした。
 ところが今日、仕事中の移動で外を歩いていたら、紅葉している蔦が張り付いている壁がありました。なかなか見事な紅葉ぶりです。ちなみにその道は、先週も歩いています。しかし、その時は、「真っ赤な蔦の葉」を意識することなどありませんでした。
 おそらく、それまでは「蔦の紅葉」などまったく興味がなかったため、目に入っても意識に残らなかったのでしょう。人間の認識・記憶の関係の不思議さを感じさせられた、紅い蔦の葉でした。

2008年11月29日

渓流とダム

 昨日の話の続きですが、最初に向かったのは高山でした。行きは西の窓側、帰りは東の窓側が取れたため、双方の車窓風景を見ることができました。
 高山本線と言えば、川に沿って走る路線として知られています。高山の手前までは、木曽川の支流である飛騨川に沿っており、途中には「飛水峡」などといった名所も車窓から見ることができます。
 ただ、これらの景勝地の大半は、線路の東側にあります。したがって、行きの前半は、ほとんど見ることができませんでした。

 ある程度山の中に入ると、線路が川を渡るため、こちら側の車窓に川が見えます。ところが、そこから見える風景の半分くらいはダムでした。大小合わせると、五つくらいあったでしょうか。
 仰々しい水門と、その後に続く人造湖は、見ていると興ざめします。しばらくすると、流れが戻り、中には巨岩が転がっていたりする所もあるのですが、至る所に人工物が見えて興ざめします。またそのうち、ダムが現れてしまいます。
 分水嶺を抜けて高山市に入ると、こちらは、護岸工事などがなく、かなり自然に近い形でした。
 帰りは東側だったので、今度は飛水峡を初めとする天然の渓谷を見ることができました。しかしながら、見ていても、ついつい行きに見たダムを思いだしてしまい、「川全体で見ると、自然の景観ではない」と認識してしまいます。そこで、巨岩の間の激流を見ても、今ひとつさめた感じになってしまいました。
 これが行きと帰りが逆だったら、全然違う印象を持った事でしょう。というわけで、もし、岐阜から高山本線に乗る人がいたら、東側(進行方向右側)の窓際に座ることを強く勧めることにしよう、と思いました。

2008年11月28日

一瞬の逡巡が最後まで響く

 今日は高山に行って、静岡に寄って帰るという日帰り出張の予定でした。高山での仕事が予定より早く終わり、「これは早く帰れるぞ」と思いながら、名古屋まで戻りました。ところが、その時に電話が入り、神戸で現地にいかねば解決できないトラブルが発生した、との連絡がありました。
 10分ほど迷いましたが、「どっちにしろ行かねばならないのなら、1時間で行ける今行くべき」と思い、神戸に向かいました。順調に作業ができれば、19時25分の新幹線に乗れれば、静岡で1時間ほど作業した後に帰宅できます。
 作業はギリギリの時間に終わりました。そこからタクシーを飛ばしたのですが、新神戸駅に着いたのは19時27分でした。駅が見えた時、タクシーからホームを見たら、ちょうど乗りたかった新幹線が出て行くところでした。
 結果的には、名古屋での逡巡が全てでした。あそこで瞬時に判断を下して、神戸に行くのぞみに乗っていたら帰宅できたわけです。約半年後に「不惑」となる予定なのですが、まだまだその域に達するのは難しいものだと痛感させられました。
 一方で、自分のたどった経路を振り返り、子供の時にやった「特急旅行ゲーム」をリアルでやったみたいだな、などと思ったりもしました。

2008年11月24日

冬の訪れを感じた朝

 朝、着替えようと布団を出たら、寒さで震えがきました。そこで、少々時間に余裕があった事もあり、布団に潜りなおし、その中で着替えを敢行しました。
 当然、布団の中なので睡魔に襲われます。そんなこんなで、シャツ一枚着るのに5分かかりました。
 自分にとってこれは、冬の朝の「定番行事」です。したがって、自分的には今朝から冬になった、と言えます。
 季節の移り変わりを感じると同時に、「こんなもんで季節を感じるとは・・・」と自分に突っ込みたくなりました。

2008年11月23日

一見すごそうだが、極めて当然の研究結果

 将棋のプロが詰将棋を解いている時に、脳のどの部分が活発化しているか、という研究の発表が行なわれたそうです。
 大脳生理学に関する知識は全くありません。しかしながら、そこで出た結論が(プロが詰将棋を解くときに活発化される)部分は、自宅から駅まで道順を意識せずに歩くとき、曲がる角を判断するような場合に活発になる領域。棋士は、詰将棋の判断が日常のレベルになっているようだ。だったのにはなんだかな、と思ってしまいました。
 そりゃ日頃から将棋をやっているのですから、将棋に関する判断が、日常のレベルになっているのは当然と言えるでしょう。複雑な実験の結果、至極当然の結論が導かれた、という感じです。

 もっとも、だからと言って、この研究の意義を否定するというわけではありません。最近は、あらゆる分野において、「ゲーム脳理論」などの胡散臭い「疑似科学」が氾濫し、報道を通じて増幅されています。そういう事を考えると、「当然と思われる事を証明する」という事の意義はあります。
 とはいえ、どうせ調べるなら、より意義のある事を調べてほしいものだ、とは思います。たとえば、同じプロ棋士の脳を調べるのなら、「園遊会で珍発言をする元名人」などといった、奇妙な思考の原因を解明のほうが面白そうです。
 首相を筆頭に、とんでもない発言が横行する昨今ですから、こちらを解明すれば、より価値の高い研究になるのでは、などと思ってしまいました。

2008年11月21日

流通大手二社共通企画?

 近所のセブンイレブンに行ったら、レジのところに「毎週金曜日はフライデーで揚げ物割引」と書いてありました。「fry」と「Friday」をひっかけたものと思われます。
 見たときは、店長さんが考えたギャグなのかもしれないが、安直だよな、と思いました。ところが、数日後、津田沼のジャスコに行ったら、カレンダーが貼っており、こちらも金曜日の所に「フライデー・揚げ物割引」と書いてありました。
 現在の日本流通大手二グループがともに、同じ言語感覚でセールをやっているわけです。ちなみに、調べたところ、ジャスコは店舗ローカルのようですが、セブンイレブンは全店共通企画でした。
 流通業界の粋を集めて(?)考えた企画が、両グループでかぶり、しかも、それが初歩的なダジャレに落ち着いた、というのは興味深いものがありました。
 あと、それぞれの「フライデー」担当者が、相手グループでも全く同じ事をやっていると知った時にどう思ったのか、というのも非常に気になりました。

2008年11月20日

提示を求める意味のない証明書

 通勤電車で、向かいに座っている人の新聞が目に入りました。なんか、新聞の訪問販売員には資格証みたいなものがあるとのことで、勧誘がきたら、その証明書の確認をするように、と書いてありました。
 どうやら、勧誘員には公認とモグリがいるようです。確かに、証明書を見れば、その区別はつくでしょう。
 ただ、これを実行するのに、一つ重大な問題があります。それは、「証明書を確認するには、扉を開けなければならない」という事です。

 新聞勧誘で被害を受けないための最大の防御策は、「扉を開けない」事です。これがいかに重要かは、勧誘員が、宅配便や古紙回収など、正体を偽って扉を開けさせようとすることからも分かります。
 したがって、証明書を確認するために扉を開ける、という事は、それだけで相手の思うつぼに陥るわけです。言うまでもなく、証明書がない事を指摘したところで、「すみません。帰ります」などと引き下がる勧誘員はいないでしょう。
 つまり、証明書を確認する、というのは極めてリスクが高い行為なのです。そのため、私にはその広告は、「新聞の売上げを増やすために、勧誘団と共謀した、扉を開けさせるための宣伝」だとしか思えませんでした。

2008年11月19日

寒桜と副流煙

 職場近くの公園に久々に行きました。何気なく風景を見ていたところ、奥に生えている樹に花がついていまいした。この時期に花、というのだけでも珍しいのですが、よく見たところ、それは桜の花なのです。
 一緒にいた人に尋ねたところ、「寒桜というらしいですよ」との事でした。そして、幹のあたりに説明が書いてある事を教えてくれました。言われてみれば、なにか札がかかっています。
 ただ、近づいて珍しい秋の桜および、説明の札をじっくり読む気分にはなりませんでした。なぜならば、その寒桜の生えているあたりは、喫煙所になっていたからです。
 いくら珍しい秋の桜とはいえ、煙草の副流煙を吸いながら鑑賞する気は起きません。というわけで、遠くから眺めるだけにとどめました。
 このような公共の場所での喫煙スペースが密閉式になるのが標準になる日が来てほしいと改めて思いました。それが実現したときは、ここの公園で寒桜をゆっくり鑑賞したいものです。

2008年11月18日

出迎え

 15年前に実家でミニチュアシュナウザーを飼い始めました。ほぼ入れ違いに私はアパート暮らしを始めたので、一緒に暮らしたのは一ヶ月弱でした。
 しかしながら、たまに実家に顔を出すと、彼女は私の事を熱烈歓迎してくれました。姿をみるやいなや、走ってやってきて、後ろ足で立って前足で私を掴もうとするのです。月に一度会うか会わないか、という関係であるにもかかわらず、来る度に走り寄ってくれました。
 小さい体でしたが、あふれるような元気さがあり、散歩に連れて行くと、三倍くらい大きな犬相手にも吠えかけたりしていました。空き巣が窓ガラスを切って侵入しようとしたところ、吠えて撃退した事もありました。

 ただ、ここ数年は、めっきりと元気がなくなりました。ミニチュアシュナウザーの平均寿命は12~14歳だそうなので、老化によるものだったのでしょう。だんだんと動きが少なくなり、家に来ても寝ている事が多くなりました。
 たまたま先週末に近くに来たついでに実家に顔を出したのですが、最初は、寝床をのぞいても、布団にくるまったまま動かず、一瞬、いないのかと思ったほどでした。抱いてみたのですが、すっかり軽くなっていたのに驚きました。目も鼻もきかないとの事で、私が誰だかも分からないようでした。
 そして、昨晩、息を引き取ったという連絡がありました。家族の話によると、その夜には小さいながらも鳴き声が聞こえたとの事でした。特に病気などで苦しんでいたわけではないとの事なので、それは、皆への挨拶だったのかもしれないな、とも思いました。長いようで短かった15年間でしたが、私および家族と付き合ってくれた事を、心より感謝しています。
 もう実家に行っても出迎えてもらえる事は二度とありません。そう思うと、改めて寂しさを感じました。

2008年11月16日

見出しと句読点

 ネットでスポーツニュースの見出し一覧を見ていたら、「大ミスで失点」という文字が目に入りました。「大」がつくとは、「ルール勘違い」とか「間違えてボールをスタンドに投げ入れた」とかいう類なのかと期待(?)して記事を開きました。しかし、そこに書かれていたのは「内野手の連続失策」という、「普通のミス」でした。
 不思議に思って見出しを見直したら、実は「佛教大ミスで失点」という大学野球の記事でした。
 左の二文字を確認せずに記事を開いた私が間抜けなわけです。とはいえ、この見出しも問題があるとは思います。誤読を招かぬよう、「佛教大、ミスで失点」とすべきなのでは、と思いました。
 あと、続く文字が「ミス」でなく、「麻」だったら、さらに大規模な誤解を生む見出しになっていただろう、などとも思いました。

2008年11月11日

跡地

 久々に千葉中心部を歩きました。ヨドバシの上に行ったら、三省堂が家具屋の跡地に移転していました。以前は、壁の色が薄暗いうえに、置いてある本もマニアックなものが多く、大ブランドである「三省堂」らしからぬ雰囲気を醸し出していました。
 しかし、同じ建物でも移転先は開放的な上に白い壁で、同じ漫画中心の品揃えでもかなり異なる空間になっていました。
 さらに、パルコのほうまで歩いたのですが、そこでも微妙な変化が発生していました。かつては小さい携帯ショップが二つほどありました。準最新機種あたりを300円で売っていたので、自分も相方も利用したことがありました。
 しかしながら、しばらく前のルール変更の影響をモロに受けたようで、二店ほど潰れて、全く違う店になっていました。
 うち一つは、あやしげな画廊になっており、懐かしさ半分でのぞいたところ、店頭の勧誘員にしつこく迫られたりしてしまいました。
 久々といっても半年程度しか経っていません。しかしながら、細かいながらもその変化ぶりに驚かされました。

2008年11月10日

蜘蛛の巣がかかる看板

 昨日の話ですが、マリンスタジアムに行った際に、隣接しているアパホテルに行きました。そこは、海浜幕張方面に正面玄関があるのですが、球場側にも狭い通路があり、裏口みたいになっています。
 そこから入ったら、小さいホテルの看板がありました。それはいいのですが、そこには大きな蜘蛛の巣がはっていました。中央部にはこれまた大きな「主」が鎮座しています。久しぶりに見る、立派な蜘蛛の巣でした。
 仕事柄、いろいろなホテルに行く機会があります。どちらかと言うと、裏のほうにもよくまわりますが、もちろん、蜘蛛の巣など見たことはありません。
 まあ、考えてみれば昨年は耐震偽造で問題を起こし、さらに発覚後も悪質な態度を取っていました。その一方で、大金を使って「田母神事件」の元凶となるような「活動」に精を出しているわけです。
 そのような感覚で経営しているのですから、細かい部分の清掃に手を抜くのも当然と言えるかもしれません。
 今はあくまでも、裏口の小さい看板だけの話です。しかし、この調子なら、グループそのものの看板に蜘蛛の巣が張るのも、そう遠い先の話ではないのでは、などと思いました。

2008年11月07日

特殊なキャラを産む県?

 基本的にサッカーには関心がないのですが、先日の全日本選手権で、愛媛FCが昨年に続いての連勝はならなかったものの、浦和レッズに惜敗した、という記事を見ました。
 相方の故郷のチームという事で興味を持ち、愛媛FCをネットで検索したところ、奇妙なマスコットの画像が目に入りました。
 主役マスコットと思われるキャラ「オ~レくん」は目がつり上がって、口は耳まで裂け、歯をむき出しています。さらに、ゴールキーパーである「伊予柑太」に至っては、三白眼で睨み付けるような雰囲気です。
 野球ですと、「ブラックホッシー」や「カラスコ」といったあたりが、「悪役マスコット」と呼ばれて異彩を放っています。しかしながらここでは、主役の「オ~レくん」ですら、「悪役」の要因を十二分に満たした外見の持ち主です。そして、その上(?)を行く悪役の伊予柑太がいるわけです。
 しかも、二人とも口の端にはオレンジ色の「よだれ」がくっついています。ちなみに、三白眼の「伊予柑太」あたりが、オレンジ色のよだれをたらしている様は、ほとんど狂犬病といった感じでした。

 その「悪役」「極悪役」と並び、唯一可愛らしい造形の「たま媛(ひめ)ちゃん」という女性キャラもいます。なんでも、ウィキペディアによると「抱き枕化が希望されるほど」の人気だそうです。
 確かに、他の二人(?)と比べれば、圧倒的に好感を持てる造形をしています。ただ、このキャラも、口の端に、オレンジ色の「よだれ」がついているのです。
 愛媛の象徴的商品の一つである「ポンジュース」を意識しているものと思われます。とはいえ、「悪役」はともかく、「美少女」によだれ、というのは凄いと思いました。
 今年はドラゴンズの「ドアラ」が「キモかわいい」という事で大人気になりました。しかし、造形的な衝撃では、この三人組のほうが上だと思いました。ただ、ドアラのような人気が出るかは別問題ですが・・・。
 ちなみに、彼らの同郷には「タルト」というキャラクターがいます。これは、松山特産である、カステラとあんこを組み合わせた菓子をキャラクター化したものです。これまた異様なキャラで、崖から飛び降りる仲間を「行ってこうわい」などと言いながら見送ったりしています仲間に、「行ってこうわい」と言いながら崖から飛び降りたりします。
 これまた、「可愛らしさ」と対極に存在するキャラクターです。しかしながら、そこから受ける強い印象は、愛媛FCの三人(?)に近いものがあります。
 折角、同郷なのですし、ぜひとも彼ら(?)の共演を見てみたいものだと思ったりしました。

2008年11月06日

たばこ増税

 最近、スポーツ新聞系のサイトを開くと、「たばこ増税反対の署名にご協力を」というかなり目立つバナーが目に入ります。
 あれだけのバナーを出すのですから、さぞかし広告費を使っているのでしょう。そんな金があるなら、そんな事よりもまず、「歩き煙草をしない」とか「禁煙の場所で煙草は吸わない」といった「最低限の常識」の啓発広告をまず出すべきでだろうと、理不尽な煙草のおかげで百度ならず不快な目に遭っている身として、強く思いました。

 というわけで、その広告を見て不快になり、ついでに「逆の広告」がないかと思って検索してみました。すると、日本医師会が「増税賛成署名サイト」をやっていました。
 昔から「医師会」についてはあまりいい印象はないですし、「増税」という言葉も好きではありません。しかしながら、今回は「増税反対広告バナー」に対する不快感もあって、早速署名をしてきました。
 資金力から言えば、こちらのほうが圧倒的に不利だとは思います。しかしながら、なんとか「逆転」する方法はないものだろうか、などと署名をした後もいろいろと考えてしまいました。

2008年11月02日

ピンポンスタンド

 夕方、チャイムが鳴りました。扉の所に行って「どなたですか」と言ったところ、返答がありません。ドアスコープで見たところ、スーツ姿の男が立っています。
 とりあえず、知人でも新聞の集金でも宅配便でもないことだけは確かです。念のため、もう一度、声をかけてみたのですが、返答がありません。
 子供の悪戯で、他人の家のチャイムを鳴らして逃げ去っていく「ピンポンダッシュ」というのがありますが、これはさしずめ、「ピンポンスタンド」とでもなるのでしょうか。

 無言を貫いて、何かと思った住人が扉を開けたところで、マンションだかインチキ商品だかを売りつけようという魂胆なのでしょう。もちろん、そんなのにつきあってやる気はなかったので、そのまま放置しておきました。
 とにかく、今の世の中、見知らぬ人間相手に扉を開ける事がいかに危険か、という事を改めて認識しました。
 あと、実害はなかったとはいえ、家の前に見知らぬ人間が無言で立ち続けている、というのは不気味なものです。どこの会社だか知らないが、一日でも早く潰れてほしいものだ、と強く思いました。

23年前に縁があった月

 先日出た週刊少年サンデーの五十周年企画に安永航一郎先生が登場し、県立地球防衛軍のキャラが主役の漫画を描いていました。サンデー増刊に1985年でに連載されていた作品で、中学時代に一番好きだった漫画のキャラを久々に見れるのは嬉しく、最近は立ち読みすらしていないサンデーを10年ぶりくらいに購入しました。
 短編ながら、「県立地球防衛軍」を中心に、サンデーに連載していた漫画のキャラがほぼ総出演しており、懐かしさを感じました。
 10月は半ばに同窓会があった事もあり、先月は「中学時代の思い出に再会した月」になりました。
 その同窓会ですが、まだ二週間前の事なのに、えらく昔にあったように感じます。やはり、出会った人全てが、中学時代の記憶に存在する人だからなのでしょうか。そのため、二週間前の記憶と23年前の記憶が混ざってしまい、同窓会そのものが、かなり昔に行なわれたように錯覚してしまうのかもしれません。
 記憶というものの不思議さに驚きつつ、改めて懐かしさに浸ったりしました。

2008年10月30日

広島を通り過ぎる

 出張で広島に行きました。といっても、空港からバスで新幹線口に直行し、バス停から歩いて数分の所で仕事をし、駅構内でお好み焼きを食べた後に新幹線で福岡へ移動した、という行程ですから、広島の空の下を歩いたのは10分程度でした。
 観光ではなく、仕事で行っているわけだから仕方がありません。とはいえ、ここまで「地元らしさ」を感じる事のない出張も珍しいと思いました。唯一、「広島ならでは」と感じたのは、お好み焼きを食べた時に食卓にあったのが「カープソース」だった事だけでした。
 せめて、目的地が駅の反対側だったら、駅前にある広島電鉄の路面電車を見ることにより、「広島らしさ」を感じることができたのでしょうが・・・。
 出張と観光は別、と割り切ってはいます。とはいえ、さすがにこれだけ「らしさ」がないと空しいものがあります。「そのうち、機会を作って旅行で広島に行きたい」と思ってしまったほどでした。

2008年10月27日

成田山に行く

 休みを利用して成田山に行きました。
 当日思い立ち、市の観光サイトをちょっと見ただけと、下調べはほとんどしませんでした。その報い(?)が着いてさっそく現れました。京成成田駅で降りたのですが、成田山を示す看板が見あたらず、どうやって行けばいいのか分からなくなったのです。
 結論だけ言うと、「駅を出てすぐ右折し、餃子の王将の所を左に進み、赤い橋を渡ってしばらくすると参道に合流」が最短経路でした。しかし、後で確認しても、そのような案内表示は一切ありませんでした。駅前の地図を頼りに歩き始めたのですが、一瞬、正反対の方向に進みかけたほどでした。結局、最短経路を使うのと比べ、10分くらい余計にかかりました。

 さて、寺に至るまでの参道では、鰻・川魚を扱う店が目立ちました。成田で鰻を穫ったり養殖しているなどと聞いたことはないですし、有名な川もありません。不思議に思って帰宅後に調べたところ、かつては、印旛沼で鰻などが獲れたから、との事でした。
 他にも、煎餅や漬け物などの店が並び、また、古い建物も多く、なかなか興味深い道でした。
 成田山では、「菊花大会」が行なわれており、色々と珍しい菊を見ることができました。ちょうど会期の半ばだったのですが、一部にはまだ蕾のものもありました。このあたりは、会期末くらいが見どころなのでしょうか。
 当日、急に思いついて行くことにしたのですが、なかなか楽しめました。考えてみれば、千葉に住んで10年以上たちますが、これまで千葉の名所と言える所に行ったのは、仕事で行った鴨川シーワールドだけでした。これを機に、もう少し県内の観光もしてみようか、などとも思いました。

2008年10月26日

点滅がうながすもの

 横断歩道で信号待ちしている時、ふと目の前にある歩行者用信号機について気になりました。この機械、10数年ほど前、一部に「待ち時間表示機能」がついたり、数年前にそれまでの緑地・赤地から、黒地で歩行者の画像のみに色が付くという変更はされていますが、基本的な機能は何も変わっていません。
 特に気になるのは、普通の信号で「黄色」の役割をしている「点滅」についてです。本来は、「そろそろ赤になるから注意せよ」を意味しているはずです。しかし、私を含め、少なからぬ人は、あれを見ると本能的に走り出してしまいます。したがって、「注意」の役割を果たしていません。

 その理由の一つに、「点滅」という表示方法があるのでは、とふと思ったのです。
 同じ「注意」を命じていても、「黄色になる」と「青が点滅する」では意味合いが違うように思えます。前者は「青でなくなる」であるのに対し、後者は「青が目立って表示される」になります。それゆえ、その点滅を見ると走り出す人が多いのでは、と思ったのでした。
 考えてみれば、「電子的に画像を表示する」という技術は、毎年のように進歩しています。にも関わらず、歩行者用信号が、抜本的には変わっていない、というのは変な話です。
 たとえば、点滅させるのをやめ、代りに「青」の部分を黄色くし、画像も「歩くのをやめる歩行者」にできないものでしょうか。そうすれば、点滅を見た途端に走り出す人も少しは減るのでは、などと待ち時間の間に色々考えてしまいました。

2008年10月25日

年に一人死者が出る部活

 一昨日、私の出身大学で死亡事故が発生したそうです。亡くなった学生さんは応援団吹奏楽部に所属しており、平日の昼間から相撲部と一緒に酒を飲み、開始後30分程度で飲み過ぎて倒れ、そのまま22時まで放置されたとのことです。その時点で異常に気付いた人がいたものの、既に時遅く、20歳でこの世を去ったとの事でした。
 対して、大学の広報課は、やけに迅速に一気飲みなどの強要はなかったという発表をしています。
 一年前、同じ応援団のリーダー部(現在は解散)で、いじめ自殺事件が発生した時、ここの広報課は、当初、ロクに調べもせずにいじめはなかったという談話を発表しました。そして、後で、陰湿ないじめの証拠ビデオの存在が発覚し、大恥をかいたわけです。普通なら、一年前にそのような失態があった以上、「原因は調査中」とでも発表するべきでしょう。また「新証拠」がバレたら、どうするつもりなのか、興味深いところです。

 あと、別に強要はなく、勝手に致死量を飲んだ、という事になっていますが、これについても疑問が残ります。私自身、学生時代から今に至るまで、1~2年に一度の割合で無茶飲みして、ぶっ倒れた経験を持ち続けています。しかしながら、自分の意思で飲んで、30分程度で死に至る程の量を飲むとは考えにくいものがあります。仮に最初の乾杯からいきなりそんな量を飲んだとしたら、あまりの異常さに周囲の誰かが止めるでしょう。
 ついでに言うと、本来は授業が行なわれている平日の昼間に、大学から予算が出ている団体が飲み会を開催する事自体、本来は非常識だと思うのですが、広報課はそれについてはどのような見解なのでしょうか。
 以前にも書きましたが、この吹奏楽部とは、在学中、同じ場所で活動をしていました。毎回、その異常なまでに形式張った「出席取り」に呆れつつ、周囲の人の事を何も考えない大音量に閉口させられたものでした。そして、それだけ音で迷惑をかけているにも関わらず、その事を自覚していない神経には、心底呆れたものでした。
 もちろん、それは17年ほど前の話なので、その後、この団体がどのような形で続いていたのかは分かりません。ただ、その記憶や、昨年発生した同じ応援団での「いじめ自殺事件」などから考えると、やはりこの集団には根本的な所で、異常な「伝統」が継承されていたのでは、と思ってしまいます。
 もちろん、原因が究明されるまではかなりの時間と労力がかかります。ただ、いくらなんでも二年連続で一つの団体から死者が出る、というのは異常すぎます。
 歪んだ「伝統」を徹底的に改めるためにも、これを機に応援団解散は当然として、相撲部を初めとする体育会のあり方も含めて抜本的に見直してほしいものだ、と一卒業生として切に思いました。

2008年10月23日

大掃除

 我が家では、世間より1ヶ月半ほど前倒しで、今の時期に大掃除をやります。単に定例行事との兼ね合いであり、深い意味はありません。おかげでこの時期の休日も1~2日潰れます。ただ、年末よりも暖かいだけあって、雑巾を絞っても手がかじかんだりしません。そして何より、「これで年末に大掃除をしなくていいんだ」と思うと、何とか乗り切れます(とか言いつつ、作業の9割以上は相方がやっているのですが・・・)。
 いずれにせよ、家がきれいになるのはいいことです。その様子を見ると、「一年中、これだけ片付いていればいいよな」と毎年思います。しかし、結局、そこから大規模な掃除をすることがなく、次の10月を迎えてしまいます。
 気の持ち方をかえたほうがいい、と思う反面、「でも掃除で休日をつぶすのは、年に数日だけで十分」とも思ってしまいます。前者のほうが理想的なのは分かっていますが、なかなかそのような気分にはなれません。難しいものです。

2008年10月19日

同期会

 中学時代の同期会がありました。私は、大学時代のサークルを除くと、学生時代の人とのつきあいはほとんどありません。当然、中学時代の友人とも縁はなく、年賀状交換をしていた一人を除けば、成人式を最後に会ったことも連絡を取ったこともありませんでした。
 そんな自分が同期会に出れたのは、ネットのおかげでした。一年半ほど前に、mixiの中学コミュニティに同期の一人がトピックを立ち上げたのがきっかけでした。
 とりとめのない思い出話が掲載され続けているうちに、参加者が増え、いろいろなきっかけが重なって、同期会の話が出た、という感じでした。

 そして、1ヶ月くらいの準備期間を経て、昨日開催されました。半年前、大学時代以来10数年ぶりに再会した人がいましたが、お互い、顔を見てもすぐには分からない、という経験がありました。それだけに、20年近く会っていない人なら、余計分からないだろう、と思っていました。
 ところが、何人かは、会った瞬間に誰だか分かりました。一方、私が誰だかすぐ分かった人も何人かいました。人間の変化について、いろいろ考えさせられました。
 その後も、色々と昔話や今の話に盛り上がりました。私のいた中学は、いわゆる荒れた学校でした。それについての先生方の苦労談も聞くことができました。当時は本当に大変だったと思いますが、今となってはいい想い出になっているようでした。それにしても、20数年前の事を、昨日の事のように話す先生方には感心させられました。
 自分にとっても、中学時代は楽しかった事ばかりではありませんでした。ただ、皆と会ったり話したりして、今となっては、全てがいい思い出になっている、という事に気付きました。

 ところで、私はちょっと体を動かすと、すぐにワイシャツがズボンから出る、というクセ(?)があります。昨日も仕事帰りだったので、ワイシャツを着ていたのですが、やはり動いているうちに、ズボンから出ていました。
 すると、それを見た友人に「中学時代と変わらない」と笑われました。自分では忘れていたのですが、どうやら、これはその頃からの「クセ」だったようです。そして、そんな事を覚えていた友人の記憶力にも感心させられました。
 というわけで、短い人で16年ぶり、長い人で23年ぶりとなる再会は、非常に楽しいものでした。またぜひやりたいものだ、と思いました。

2008年10月15日

喫茶店の椅子

 最近、昼休みを200円台のコーヒーが飲める喫茶店で過ごす事が増えました。そこで気になったのが、「座席の格差」です。壁際などには座り心地のいいソファ風の席が「最上席」で、他にクッションがあるもの、堅いもの、背もたれすらないもの、など様々な座り心地の席があります。
 ある店などは、数少ない「最上席」は常に満席で、そこにいた人が席をたつと、すぐ近くの「並席」に座っている人が移動してくる、などといったほどです。
 このような状況を見ると、座席ごとに値段を設定してもいいのでは、とも思えます。特に、他に空席がないために背もたれもな椅子に座ってコーヒーを飲みながら、「上席」でくつろいでいる人を見ると、その思いは強くなります。
 というわけで、最近は、空席状況だけが昼を過ごす喫茶店の選択基準となっています。

2008年10月14日

髪型と記憶

 テレビを見ていたら、頭が薄くなったため、バッサリとスキンヘッドにした人が出ていました。それをきっかけに髪型の話をしているうちに、私の髪型の話になりました。
 私はかつては普通の長さにしていました。しかし、クセが強く、寝起きにはよく頭が爆発して、整えるのに苦労していました。
 そんな中、自分の記憶では相方の助言がきっかけで、短髪にしたと認識していました。ところが、相方は、結婚する前から短髪だった、と言うのです。
 不思議に思いましたが、考えてみればもう10年前の話です。記憶が定かでなくなるのも仕方がないでしょう。
 ただ、自分では相方のおかげで髪型を整える苦労がなくなった、と感謝していました。それだけに、もし向こうの言うとおりだったら、本当に感謝すべき人にずっと不義理をしていたのだろうか、と少々複雑な気分になりました。

2008年10月12日

ロス疑惑

 三浦和義さんが、ロサンゼルスの市警本部内にある留置所で亡くなった、というニュースを見ました。当局の発表によると、「Tシャツで首つり自殺をした」との事です。
 直前まで報じられた談話を見ていると、闘う気満々という感じで、かなりの不自然さをおぼえました。ましてや、ロサンゼルス市警といえば、かつて何人もの警官が無抵抗の市民に集団暴行を加えたという国際的に有名な事件を起こしたにも関わらず、それに関する裁判で都合良く編集したビデオを「証拠」とし、無罪を主張したという「前科」があります。

 にも関わらず、この事件に関する報道は、何も疑いなく「自殺」としています。そればかりか、サイパンから移送されている時に三浦さんが被っていた帽子を取り上げ、それが「軽い別れの挨拶を意味する言葉」であることから「自殺をほのめかしていた」などという記事を書いている始末です。
 論理性のかけらもないトンデモ記事としか言いようがありません。そんなものが自殺の証拠(?)なら、他人に「じゃあね」と言って別れた後に死体で発見された人は、全て自殺という事になってしまいます。
 既に日本の最高裁で三浦さんの無罪が確定している「元夫人殺人事件」などより、今回の「自殺」のほうがよほど疑わしい「ロス疑惑」だと思いました。
 なお、今回の「自殺」に際して、「ロス疑惑」の経緯を年表風にした記事がいくつか見受けられました。しかしながら、その中で、「一連の報道に対し、三浦さんが数百件の訴訟を起こし、八割方勝訴した」などという事は、一言も書かれていません。
 それを伏せる一方で、当時の憶測報道と同レベルの記事を相変らず垂れ流すところに、商業マスコミの無反省ぶりと進歩のなさを改めて感じさせられました。

2008年10月10日

裸の放送局

 NHKの視聴者コールセンターで、しばらく前にNHKが長時間流し続けた自民党のPR番組についての「抗議電話」に対し、正直に回答した責任者が処分されてしまったという事件がありました。
 このニュースを読んで思いだしたのは、童話「裸の王様」のオチでした。あの話では、王様が裸だ、と言った少年のその後については何も書かれていません。しかしながら、あの少年を放置する、という事は国家の威信に泥を塗った存在を放置するようなものです。放送局のコールセンター責任者などとは桁違いの「処分」を受けたと考えるのが普通でしょう。
 NHKはこの回答について、「不適切な発言」としています。しかしながら、私としては、「裸の王様」とセットにして後世に語り継ぎたいと思ったほどの「適切な発言」でした。

2008年10月08日

「らしさ」を感じた時

 高松に日帰り出張に行きました。普段とほぼ同じ時刻に家を出て、現地で四時間ほど仕事をし、帰宅したのは、残業した昨日よりちょっと早い時刻でした。
 移動も、空港から交通機関を乗り継いで仕事場に行き、帰りもその逆で、昼食に出た時も含め、高松市内をあるいた距離は50メートルあるかどうか、という感じでした。
 そんな中、昼食は讃岐うどんを食べに行きました。しかしながら、味・店の雰囲気をはじめ、いろいろな点で私の好みはありませんでした。帰りに空港で購入し、家で相方にゆでてもらったうどんのほうが美味しいと思ったほどでした。

 そのような状況の中、一番感じた「高松らしさ」は現場で働いている地元の人との会話でした。「~けん」など、相方の里帰りにつきあって松山に行っている時によく聞く言葉を聞いた時は、当然とはいえ、「ここは愛媛と陸続きなんだな」と思いました。
 あと、帰りに空港行きバスへの乗継ぎ待ちをしていたところ、これまた松山に行くとよく見る、松山へ行く伊予鉄の高速バスがやってきました。それを見たときは、懐かしさみたいなものを感じました。
 というわけで、高松に行ったというよりは、松山の隣接県に行った、という印象のほうが強かった日帰り出張でした。

2008年10月07日

椅子購入の主題歌

 先日買いに行った椅子が無事届きました。色がこれまでと違うこともあって、部屋の雰囲気が少々変わったように感じました。
 それはともかく、新しい椅子を見たとき、B'zの「いつかのメリークリスマス」が自然と脳裏に流れてきました。別に今に始まったことではなく、椅子を買いにIKEAに行ったときも、同様の現象は起きていました。

 この曲は、クリスマスソングの中でもかなりの人気を誇ると聞いています。しかしながら、初めて聴いたとき、私の頭によぎったのは、「椅子を抱えて電車に乗るなんて、大変そうだな」という感想でした。幸せだった頃の「クリスマスプレゼントを渡した時の幸福感」を振り返る形の描写の良さで名曲となったのだと思いますが、自分としては、その「椅子を抱えて」部分ばかりが強く頭に残っています。そのため、椅子を買うと条件反射的に頭の中を流れるのでしょう。
 今回の椅子は丈夫さを主眼に購入したので、次に買うのはかなり先の事になると思いますし、そうでないと困ります。ただ、その時もやはり、頭の中にはこの曲が流れるだろうな、などと思いました。

2008年10月06日

宣伝垂れ幕

 電車に乗って外を見ていたら、大手歯磨き関連製品メーカーの本社ビルが目に入りました。壁面には数十メートルもある、大きな垂れ幕がかかっており、新商品を宣伝していました。
 それを見ているうちに、垂れ幕の裏が気になりました。ビルの端にかかっているので、各フロアの一番端の窓は、垂れ幕に塞がれてしまいます。そうなると、その窓の近くにいる人は、視界を塞がれてしまうわけです。
 私も仕事中、気分転換に外を見る事はよくやります。それを考えると、そのビルの端で仕事をしている人は、精神的に辛かろう、などと思ってしまいました。そんな事を考えていた事もあり、垂れ幕に何が書いてあったかは、すっかり忘れてしまいました。

2008年10月04日

裁判効果

 夕方に、サイトのアクセス数を見ると、既に昨日一日分を越えていました。別に何か派手なことを書いたわけでもないのに、と不思議に思っていたのですが、ふと「昼にあった、大相撲八百長報道裁判で、板井圭介氏が証言した」というニュースの事を思い出しました。
 当時の板井関は中学時代に大ファンでした。そのため、その頃の思い出などを、心に残る力士・板井圭介として書いた事がありました。

 これに対して、どこかのブログで参考記事として紹介されたり、ウィキペディアで板井氏を取り上げたページに記載した逸話が転載されたりするなど、それなりにアクセス数があります。
 で、ページ毎のアクセス数を調べたところ、板井氏のページに、その時点から夜までだけで、、150を越えるアクセスがあった事が分かりました。報道がネットに出たのは昼でしたから、それも含めれば、200は確実に越えているでしょう。それだけの、今回の板井氏の証言に興味を持って検索した人に、紹介文を読んでもらえたのは、現役時代のファンとしては嬉しいことでした。

2008年10月02日

湯葉そば

 仕事で鬼怒川のほうに行きました。電車からバスに乗換える際に時間があったので、駅前の蕎麦屋で昼食を取ることにしました。
 メニューを見ると、「湯葉そば」というのがありました。自分で夕食を作るときに、うどんに豆腐を入れるくらい、「大豆製品+麺類」の組み合わせが好きな身としては、食べないわけにはいかぬと思い、値段も確認せずに注文しました。
 ところが、出てきた瞬間に、期待を裏切られました。とにかく、つゆが濃いのです。なんか、つけつゆをそのまま熱したのでは、と思えるほどの濃さでした。

 しかも、手打ちと銘打っているそばは、えらく細かく切れており、コシもへったくれもありません。そばをすすらずに、箸で破片をつまんで食べているような感じでした。
 肝心の湯葉も、その濃すぎるつゆの味がしみすぎています。何しろ、層になっている湯葉をかむと、中にしみたつゆが大量に出てくる感じなのです。結局、湯葉そのものの味がよくわかりませんでした。
 結局、1,050円だったのですが、率直に言って、これなら、コンビニでおにぎりでも買って食べたほうが、と思ったほどでした。
 もともと、濃いかけつゆは苦手で、関東でそば屋に行ったときは、もりやざるばかり頼んでいました。それが、ついつい「湯葉」の言葉にひかれて注文してしまったのが失敗でした。あくまでも、湯葉は具であり、主体は「関東風かけつゆのそば」であることを意識していれば、このような結果にはならなかったでしょう。
 そういう教訓を得た点では、1,050円無駄にした価値もあったか、と思えました。

2008年10月01日

IKEA船橋と無料送迎バス

 休みを利用して、IKEAに椅子を買いに行きました。前回、閉店セールの割引品を買ったら10ヶ月もたずに壊れたので、今度は品質重視を主眼にしました。
 椅子売場に行ったら、椅子のみならず、品質テストのデモまでやっていました。何でも、「ほとんどの商品は、5年分座り続けるのと同じだけの重量を加え、それで品質が変わらなかったもののみ販売する」みたいな事が書いてありました。
 このような展示・説明は、今回の目的と合致するため、安心することができました。その一方で「ほとんどの商品」とあるということは、テストの対象外もあるわけだ。対象外の商品にはその旨を明記して欲しい、とも思いました。

 とりあえず、当初の目的を果たし、ついでに近隣にある、ららぽーとに行きました。10年くらい前に一度行った事がありましたが、その時は、そごうとダイエーという、当時の凋落企業の象徴二つが基幹店舗という事もあり、あまりいい印象は持てませんでした。そのため、もう一度行く気にもなりませんでした。
 しかし、当然ながら、その二企業は撤退しており、その時とは雰囲気がかなり変わっていました。
 そして、端から端まで歩いて、京成の船橋競馬場駅行きの無料バスに乗りました。発車を待っていると、IKEAの大きな袋だけを持った二人連れが乗ってきました。
 大きな袋を持ったまま、ららぽーとを縦断し、なおかつ何も買わないとは、変わっているな、と最初は思いました。しかし、しばらくして、このバス停には、南船橋駅からの無料バスも発着している事に気づきました。
 IKEAで買い物した人が、南船橋駅まで歩いて、無料バスを乗り継いで京成で帰るという事でしたら、この荷物の持ち方も納得できます。確かに、京成沿線の人がIKEAを使うにはこの経路を使うのが、安くて早いです。
 ららぽーとへの送迎のために無料バスを出している事を考えれば、不適切な利用法かもしれません。とはいえ、自分も思いつかなかっただけに、この「無料バス乗継ぎ」の発想には感心させられました。

2008年09月30日

暴言の目的

 国交相に就任してから暴言を連発した大臣が、就任五日で辞任しました。問題となった暴言は、街宣車から流れる放送や、かつて電柱に貼ってあった愛国党のビラと同じもので、特に新鮮味はありません。
 最後の数日間は、壊れたテープレコーダーのように「日教組」を連呼していたので、それに関する報道が多いようです。ただ、私が一番気になったのは、「単一民族」発言でした。
 何十年も生きていてアイヌ民族の存在を知らない無知ぶりは救いようがありません。しかし、それ以前にの問題として、この発言をすればかならず大顰蹙を買うのは自民党史が証明しています。いくら自民党に頭の弱い人が多いとはいえ、「これを公的な場で言うとまずい」くらいの教育はなされているでしょう。

 にも関わらず、このような発言をしたわけです。しかもこの人、別にこれが初の閣僚というわけではありません。過去の文科相は任期を全うしているわけです。
 そのように考えると、なんか、一連の暴言は、国交相を辞めるためにわざと言ったのでは、とまで思えてきます。そう考えると、「単一民族」などは、少しでも確実に辞任できるために言ったのかもしれません。それなら一応、理解はできます。
 あと、本命の「反日教組」ですが、どうせ最後まで言い続けるなら、「私がこんな醜態をさらしたのも、子供の頃に戦後教育を受けたせいだ」くらいの事を言えば、もう少し説得力のある「日教組批判」になったのでは、と思いました。
 というわけで、言っている内容には価値はありませんでしたが、突っ込みどころとしては中々嗤えた、一連の暴言でした。

2008年09月28日

嫌がらせみたいな指名手配

 地下鉄の駅に、殺人事件で逮捕状が出ている人の指名手配が掲示されていました。普段の写真が大きく載っているのですが、その左下に「サングラスをかけて変装した時」が、そして何と右下には「女装した時」が載っていました。
 といっても、もちろん、実際に女装していた時の写真を撮ったわけではありません。元の写真に長髪のかつらをつけて加工しただけです。そのため、ものすごい不気味な「女装写真」になっていました。

 さらに、よくよく手配文を見ると、身長180cmと書いてあります。その立派な体躯で、手配写真にあるような女装をして歩いていたら、あやしさ大爆発でしょう。さながら、北斗の拳に出てきた、老婆に変装した悪人みたいな雰囲気ではないか、と思いました。
 実際にこの手配されている人が女装したかどうかは分かりません。いずれにせよ、こんな「想像図」を都内各地に貼られる、というのは、ほとんど嫌がらせのようなものだと思った次第です。

2008年09月27日

数千年前の大発明

 職場の有志と、キャンプ場でバーベキューをやりました。かなり思いつきで決めた企画で、いざキャンプ場に行って、炭などは購入したものの、火のおこし方が誰もわからない、という惨状でした。
 幸い、途中から来た参加者の一人がキャンプ経験者で、巧みに火をおこしてくれたからなんとかなりました。もしその人がいなければ、生肉と生野菜を目の前に、空しく立ちつくす「バーベキュー」になっていたことでしょう。
 あらためて、経験者の存在および、事前計画の重要性を認識させられました。そして、それにあわせて、「火をおこす」という事を発明した数千年前に存在した先祖の偉大さを思い知りました。
 もちろん、場の雰囲気や、苦労して焼いた肉や野菜の美味しさも十二分に楽しめました。しかしながら、それ以上に、「火をおこして燃やし続ける」という事の重要さを痛感した一日でした。

2008年09月25日

新技法に驚く

 今世紀に入ってからずっと、髪型は「スポーツ刈りにならない程度の短髪」にしています。したがって、床屋に行くたびに、そうお願いします。すると必ず「バリカン使っていいですか?」「ええ、それで」というやりとりが入り、そこから散髪が始まります。いくつかの床屋を使っていますが、このやりとりはどこでも同じです。
 今日もそのやりとりから始まったのですが、今日初めて当たった若い理容師さんは「バリカンをかけた所が青くなるくらいにしますか?」と尋ねてきました。こんな質問は初めてです。

 もしかして、それが最近の流行かとも思いましたが、変な仕上がりになるのも嫌なので、断りました。
 その後も、この理容師さんは、いろいろと独特な技を駆使してきます。顔を剃る際も、「眉毛の下はどうしますか?」などと、これまた生まれて初めてとなる質問をされました。
 そして、極めつけは、バリカンの使い方です。ただバリカンを当てるのでなく、櫛で髪を選別(?)してからバリカンを当てるのです。散髪後の頭を見ても、普通に当てるのとどう違うのかは分かりませんでした。しかしながら、その新技法には驚かされました。,br />  独自に編み出した技なのか、最近広まっている手法なのかわかりません。いずれにせよ、髪型に無頓着な私が、床屋の技術に驚かされた、という事自体が貴重な経験でした。当分は、この床屋を行きつけにし、また、新技法を堪能したいものだ、と思ったほどでした。

2008年09月24日

空気を読む?

 今の職場は年中無休ですので、休日も交代で出勤となります。というわけで、10人くらいが出勤していました。
 「暑さ寒さも彼岸まで」とはいいますが、日中はある程度暑かったため、冷房がついていました。しかし、夕方になってかなり涼しくなり、冷房がついていると肌寒くなるほどです。しかしながら、冷房はついたままです。
 もしかして、寒く感じているのは私だけなのだろうか、と一人で我慢していました。しかし、さすがに限界を感じました。上着も持ってきているのですが、それを着るのも何か変です。

 そこで、冷房を消したいと言ったところ、誰一人反対者は出ませんでした。それどころか、パートで働いている人に「ずっと寒かった」と喜ばれたほどでした。
 どうやら、他の人も「寒いと思っているのは自分だけ」と場の空気を読んで、冷房を止めようと言い出せなかったようです。そう考えると、私の行動は、しばらく前の流行語でいうところの「KY」だったようですが、まあ、誰もそれで困らなかったからいいのでしょう。
 場の空気と、空気の温度と、どちらを優先して「読む」べきか、などと考えてしまった一件でした。

2008年09月21日

立ち読みで失敗

 昨年まで千葉の二軍監督を務め、今年から二軍ヘッドコーチとなった古賀英彦さんを題材とした「二軍監督」という本が発売されました。興味があったので冒頭部分を立ち読みしたところ、想像以上に波瀾万丈の半生だったようで、せっかくだからと購入しました。
 九州の名門高校での活躍に始まり、六大学入りに失敗すると、都内で数日間ホームレス生活した後にキャバレーに勤めた、というところから驚かされます。その後、別の大学に入って活躍してプロ入りしたものの、芽が出ずに解雇され、アメリカに渡ります。さらにそこで野球をやった後は事業に手を出し、博打で失敗して、酒の密輸で食いつなぐなど、テレビや写真で見る、好々爺的な外見からは想像できない生活には驚かされました。

 そこまではいいのですが、肝心の「二軍監督」という部分についての記述には失望させられました。帯に、二軍監督として育てた選手として、今江選手や西岡選手の名前があるのですが、彼らについての逸話は何らありません。
 その前にやっていた福岡での二軍監督についても、城島選手や川崎選手の逸話が少々出てくる程度で、一番長く記述されていたのは、「王監督との喧嘩」でした。
 というわけで、「日米を股にかけた波瀾万丈の人生」としては面白かったのですが、「二軍監督」の本としては、完全に期待はずれでした。
 原因の一つとして、著者があまり野球に明るくない、という事もあるのでしょう。たとえば、早川選手の活躍についても、古賀氏の功績であるかのように書いていますが、彼が、千葉に来てから一軍を外れたのは、怪我をしていた一週間程度です。にも関わらず、そのような表現をすると、まるで、古賀氏がどこぞの「ワシが育てた」氏みたいになってしまい、むしろ印象が悪くなってしまうのでは、とまで思ってしまいました。
 結果論ですが、冒頭部分でなく、後ろのほうに書かれた、「二軍監督時代」の記述から立ち読みするべきでした。
 なかなか時間が取れない現状において、有意義な読書を行なうためには「立ち読みの技術」も向上させねば、と思った次第でした。

2008年09月20日

必要最小限の設備投資

 先日、大阪で泊まったホテルは、いわゆる「安ホテル」でした。部屋の木製調度品はかなりはげており、ビジネスホテルによくある「ベッドと一体化した目覚まし・電気スイッチ」も目覚まし部分が故障しており、代わりに目覚まし時計が置かれていました。修理費よりもこちらのほうが安上がり、という発想なのでしょう。
 さらに特筆すべきは、部屋の扉がオートロックでないことでした。これまで色々な宿泊施設に泊まりましたが、カプセルホテル以外の「ホテル」でオートロックでなかったのは初めてでした。

 というわけで、施設そのものには、かなり金をかけていませんでした。しかしながら、テレビやトイレなどは新しく、集客に必要と認識している部分に設備投資を集中しているような感じでした。
 私にとってホテルとは、ネットやって風呂入って酒飲んで寝れればよく、それ以外の部分はあまりこだわりません。そういう意味では、自分向きかと思いました。
 しかしながら、唯一にして重大な欠点がありました。それは無線LANの速度が異常に遅く、ちょくちょく切断されるのです。ちなみに、最高速度は11Mbpsですから、一時代前の規格です。
 他の部分が、新しい部分も古い部分も含めて自分向けだっただけに、この無線LANだけは残念でした。ぜひともこの部分を改善し、「オートロックはないが、ネット環境は最新」みたいなホテルになってほしいものだと思いました。

2008年09月15日

名刺のマナー

 電車の扉の上にあるテレビで、任天堂がビジネスマナー講座を流していました。主題は、名刺のやりとりで、「渡そうとして、自分の名刺が落ちたらどうなるのか」とか「相手の名前が読めなかった場合の対処法」などが説明されていました。
 何でも、落とした名刺は拾わずに、新しい名刺を渡すべきだそうです。また、相手の名前が読めなかった時は、言葉で聞いてもいいけれど、それを名刺に記入するのは「マナー違反」だそうです。

 16年半ほど社会人をやり、昨年後半は営業みたいな事もちょっとやりましたが、そんな掟があるとは知りませんでした。おそらくは、「名刺=その人そのもの」的な考え方によるものなのでしょう。
 しかしながら、この掟は、いずれも時代にあっていないと思いました。落とした名刺を渡せないという事は、その名刺は使えなくなるわけで、わずかとはいえ、森林資源を無駄にすることになります。
 さらに、「読み方」に至っては、大半の名刺に本人の苗字をローマ字にしたメールアドレスが記載されている今となっては、問題になる事すらないでしょう。さらに言えば、たまに変わった苗字の人と名刺交換しますが、ほとんどが読み仮名つきです。
 ある時期まで「名刺=その人そのもの」的な考えがあったのは確かでしょう。ただ、40近い私ですら、そのような感覚はありません。別に落とした名刺を渡されようと、自分の名刺に目の前で書き込みされようと、何とも思わないでしょう。
 本来、その人の名前・身分・連絡先を確認・整理する道具だった名刺が、そのように「神聖化」されたのには色々な経緯があるのでしょう。とはいえ、21世紀にもなった今となっては、時代に即さない「マナー」なのでは、と思いました。

2008年09月14日

アホ毛虫

 買い物から帰って、アパートの敷地に入ったら、蛾の幼虫がいました。黒地に緑色の縞模様という、毒々しい外見です。その外見が気になって見ていたのですが、進んで行くほうには小さい頭があります。一方、尻尾にあたる部分が大きくなっており、しかも、一本の毛が生えています。
 その毛の生え方は、「萌えキャラ」によくある、「アホ毛」を彷彿させられました。それにしても、そのアホ毛といい、普通にみれば、尻尾に当たる部分が頭に見えます。おそらくは、敵に頭と尻尾を誤認させ、少しでも生き残る可能性を高めるための工夫なのでしょう。

 一緒にいた相方ともども、この「アホ毛」を持つ幼虫は非常に印象に残りました。一般的に、蛾の幼虫で毛むくじゃらのものを「毛虫」と言うわけですが、この幼虫はさしずめ「アホ毛虫」になるのだろうか、などと思いました。
 ちなみに、数メートル先には、同じ「アホ毛」が一本生えた幼虫がいました。おそらくは、先ほどのと兄弟なのでしょう。
 すぐそこに蟻の巣があるなど、厳しい環境ですが、この「アホ毛兄弟」には無事に育ってほしいものだと思いました。もっとも、立派な蛾に成長して家の中に入られたら、それはそれで困る事ではあるのですが・・・

2008年09月12日

沖縄そばと、ゆいれーる

 というわけで、昨日は空港で散々な目に遭い、それが最大の「沖縄の想い出」になってしまいました。しかしながら、余った時間で楽しめた事もあったので、その話を。
 まず、昨日の昼ですが、仕事先の社員食堂を利用しました。実は、私は社員食堂ヲタク(?)なので、社食での食事を誘われると、それだけで「今回の出張はツイていた」と思うほどです。
 どこでもそうですが、メニューは、定食・カレー・麺類の選択になります。その「麺類」は地元ならではの沖縄そばでした。沖縄料理にはこれまであまりいい思い出はないのですが、せっかくなので注文しました。

 何度か、沖縄そばを食べた事はありましたが、麺の上にのっている油っこい料理が苦手で、美味しいと感じた事がありませんでした。しかし、この社員食堂では、上は普通の肉野菜炒めで、油分も少なく、あっさりしています。しかも、麺も外見は洗練されていないながらも、素朴な良さがあり、初めて沖縄そばを美味しいと思いました。
 いわゆる「普段食べる人向けの味」で、もしかしたら、店のものよりも、こちらのほうが「本当の沖縄そば」なのかも、などと思いました。

 さて、仕事のほうは、予定より少々早く終わり、数十分ほど時間が空きました。そこで、空港と市街を結ぶモノレール「ゆいれーる」に乗ってみました。
 中心部を除き、沿線に高い建物がないので、一番高い場所にあるモノレールの見晴らしはかなりのものです。そういうわけで、沖縄ならではの車窓風景を存分に楽しむことができました。
 特に印象に残ったのは住居の屋根でした。沿線のほとんどの建物に屋上があります。中には植木が生い茂って、ちょっとした密林になっているところもありました。その屋上の多くには「塀」があるのです。これは、他の地域では見たことがありませんでした。
 どこかで、沖縄の屋根は台風対策のために独特の形になっている、というのを読んだことがありましたが、これの事なのでしょうか。このように、屋根の様子が見えるのも、高いところを走るモノレールならではです。それも含め、かなり印象に残った「ゆいれーる」でした。
※写真をクリックすると、同じ窓で大きい画像が開きます。
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2008年09月11日

那覇空港遅延

 出張が終わり、東京へ帰るために那覇空港へ行きました。今朝、台風がそれた事は確認したので、あとは帰るだけ、と思っていました。ところが、空港はやけに混雑しています。
 当初、理由がはっきり分からなかったのですが、掲示物をみたところ、那覇空港で自衛隊機がパンクして、一時期空港閉鎖になったためと、という事が分かりました。
 どんな事故だったかと思い、ネットで検索したところ、ベタ記事のような感じでいくつか出ていました。いずれもパンクが発生し、13時50分まで空港が閉鎖され、那覇行きの旅客機が何台か、鹿児島や嘉手納基地に着陸した、といったものです。
※告知の写真・クリックすると同じ窓で大きいサイズのものが開きます。
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 こちらは、現時点で空港に二時間近く足止めをくらい、いまだに出発見込みすらたっていません。にも関わらず、もう完結した事件であるかのような記事を読んだときはかなりの違和感がありました。
 加えて言うと、小さい掲示はあったものの、空港内で原因についてのアナウンスがない、という事もかなり気になりました。やはり、軍の不祥事というのは、なるべく目立たなくかつ小さく見せる必要がある、という事なのでしょうか。
 直接被害にあっただけに、余計に自衛隊の存在意義ならびにそれに関する報道について、改めて強い疑問を持ちました。

2008年09月10日

沖縄出張

 今日から一泊で沖縄出張です。10年ほど前に行ったときは11月だったので、関東との気温差に驚いたものでした。しかしながら、今回は関東もまだ夏なので、空港に降り立ったときはあまり違いは感じませんでした。
 しかしながら、気温はともかく、日差しのつよさはかなり違いました。冷房のきいた自動車に乗って移動している間も、足に日があたると、痛みを感じるくらいの熱さがありました。
 さらに、夕方からは台風接近とのことで、強い雨になりました。「強い日差し」「台風」と一日で、沖縄の特徴である気象を体験できたのですから、そういう意味では得したと言えるかもしれません。
 もっとも、今日はそれですみましたが、明日はそうはいきません。台風が接近して帰りの飛行機が飛ばない可能性もあります。まあ、天気予報を見たら、台風はそれそうなので、何とかなると思いたいのですが・・・。いずれにせよ、明日は無事帰宅したいものです。

2008年09月08日

二週間ぶりにだらけた生活

 先週、先々週と土曜出勤で、しかも間にあった貴重な日曜日は、趣味の将棋大会に早起きして参加し、昼は将棋、夜は飲みでした。というわけで、今日は二週間ぶりの「オフ」でした。
 特に先週は連日の22時帰宅という事もあり、疲れはかなりのもの。一応、八時半に起きはしたものの、1時間も経たずに寝直しました。その後も、食事するかテレビを見るか寝るか、という感じの一日を過ごしてしまいました。
 ものの本によると、疲れているからといって、このような過ごし方をするのは良くないそうで、軽い運動くらいはしたほうがいいとの事です。しかしながら、体を動かす力がないのですから、仕方ありません。やっと動かせるようになったのは夜だったので、一応、腹筋運動だけはしました。
 ただ、面白い物で、何とか回復すると、無性に運動がしたくなります。今月後半はそこそこ休めそうなので、その時は何かスポーツをしたいものです。もっとも、いざ休日になると、今日のようにだらけてしまいそうです。そこで、あらかじめ、自分を律する策を講じておかねば、などと思ったりしました。

2008年09月06日

破滅の音

 昨年秋、とある家具屋の閉店セールで、相方がパソコン操作する時に使う椅子を買いました。
 一応、定価の六割引ということなのですが、その「定価」は本当か、という作りで、二ヶ月に一回くらいの比率でネジが外れ、そのたびに締め直していました。そして今日、相方が普通に作業していたら、いきなり、「バキッ」という音がしました。見たところ、五本ある足の一本が、完全に折れています。これはもう、直しようがありません。結局、買って一年持ちませんでした。
 今まで、色々と物が壊れる所を見ていましたが、ここまで分かりやすく「寿命が来た」瞬間は初めて見ました。そういう意味では貴重な経験と言えるかもしれません。
 とはいえ、やはり日常使う家具がこんなあっさりと壊れるのは困ったものです。今度買うときは、少々値が張っても、壊れにくい物にしようと思いました。もちろん、閉店セールは絶対使わないと強く心に誓いました。

2008年09月05日

教育を見直すべき連中

 大麻所持疑惑でロシア人力士が逮捕・解雇されたのを受け、力士を抜き打ち検査したところ、ロシア人である露鵬関と白露山関二人に「陽性反応」が出た、といってさらなるニュースになっています。ただ、現時点ではあくまでも「疑惑」でしかありません。ありていに言えば、松本サリン事件の河野氏と同じ位置づけです。
 ところが、まだそれだけの状況でしかないのに、一部に「だから外国人力士はダメだ」という論調が出ています。河北新報は、本人たちは大麻とのかかわりを強く否定している。詳しい検査結果が出れば、その言い分があるいは証明されるかもしれない。しかしそれでも、一件落着とはいかないのではないか。などという、「容疑者=犯人」みたいな論調から始まっています。
 そして「禁止されている自動車の運転」などといった事まで取り上げて、「だから外国人力士は・・・」などと書いています。一方で、「新弟子リンチ殺事件」については一言も触れていません。

 これだけでもかなり呆れましたが、下には下がいるものです。産経新聞は「角界は鎖国すべきだ」という匿名の「角界に詳しい関係者」の談話を載せた後、続いて暴力団と癒着して辞職勧告決議案を受けたものの居直った議員の談話を載せています。
 無責任な匿名者と、議員失格としか言いようがない輩の談話を使って、両横綱を初めとする、実際に角界に貢献してきた外国人力士達の存在を否定するような言葉を載せているのです。
 さらに、続いてデーモン小暮氏の精密検査の結果がシロでも、ファンへの裏切り行為などという「談話」を乗せています。しかしながら、氏はブログにおいて批判はしていますが、「疑惑が事実だったら」と断り書きを入れ、それを前提に書いています。もちろん、「シロでも裏切り」などとは一言も書いていません。
 普通、新聞に言ったことと正反対の事を自分のブログに書く人はいないでしょう。つまり、明らかに言っていない事を書いているのです。
 こうやって考えて見ると、あらためて一部商業マスコミの低俗ぶりに驚かされます。たかだか疑惑の段階で、重要な事実を無視したり、暴力団と癒着した人間の談話を使ったり、談話をねつ造したりしているのです。
 二つの記事とも、「外国人力士の教育方法がダメだった」みたいな事を書いています。しかしながら、教育方法がダメだったのは、このような「報道者」として最低限の事すらできないこの記事を書いた連中だと、強く思いました。

2008年09月04日

固まった納豆のタレ

 昔から、納豆と言えば、小袋に洋辛子が入っています。さらに、ある時期から、同じ形で「納豆のタレ」が加わり、二つの小袋が入るのが定番となりました。
 私は辛子はつけないものの、たれは使います。そのため、袋を開けるのですが、なかにはビニールが切れにくく、悪戦苦闘をすることもありました。
 そんな中、先日食べた新製品は画期的でした。何と、辛子は入れず、タレもゼラチンのようなもので固めた上で、パックの隅に置いています。したがって、小袋は一切同封されていません。そして、当然ながら、小袋を切る手間も存在しません。

 というわけで、画期的な商品ではあります。ただ、その固まったタレを見ると、ついこぼれてしまわないかと気になり、すぐに混ぜ込んでしまいます。
 一般的に、納豆を美味しく食べるコツとして、まず何も入れずに何十回かかきまぜ、その上で醤油やタレを入れてサイドかきまぜる、という方法が推奨されています。しかしながら、この商品の場合、ついついタレを入れてしまい、その基本を怠ってしまいます。
 「タレを固めて袋を開ける手間をなくす」というのは極めて画期的な発想だし評価もできます。ただ、本能的な事もあり、ついつい「本格的な混ぜ方」が出来なくなってしまうのは残念です。
 世の中、なかなかうまくいかないものだ、などと大仰に考えてしまいました。まあ、慣れが解決してくれるとは思いますが・・・。

2008年09月02日

バージョンダウン

 将棋や囲碁には「持ち時間」という考える時間を制限するルールがあります。それを管理するための機械として、二つの時計をくっつけたような「対局時計」というものがあります。
 1980年代半ばまでは、本当にただ「二つの時計をくっつけただけ」程度のものしかありませんでした。ところが、私が大学に入った頃に「ザ・名人戦」という、センスまるなしの名前ながら、極めて使い勝手のいい商品が登場しました。
 この商品は、従来機種が持っていなかった、最も需要のある機能を搭載していたうえに使い勝手もよく、あっというまに定番商品となりました。人気漫画「ヒカルの碁」でも、この対局時計はプロ試験編などによく出てきました。

 さて、その登場から15年ほど経って、「第2弾」が製作されました。ところが、これは完全な「バージョンダウン」でした。設定が複雑になった上に、実際にこの時計の利用者が絶対に用いないようなルールが多種多様に設定できるようになっており、その結果、一番普通に使われるルールの設定がやりにくくなっているのです。
 というわけで、かなり不評だったのか、今度は5年も経たずして、新バージョンが出ました。ところが、それを触ってみて衝撃を受けました。何と、これまでの不便だった点をさらに「強化」し、より一層使いにくくなっているのです。
 「初代」は、数回触れば、誰でも設定ができるほどの使い勝手の良さでした。ところが、この「最新版」は同封のマニュアルを熟読しても、正しい使い方が分からない、というほどの難解さなのです。しかも、初期不良が多いというおまけまでついています。
 一般的に、人にしろ物にしろ、時間に応じて進歩するはずです。それに対し、この時計は完全にその反対方向を行っています。
 なぜ、そのような自然の摂理(?)に反するのかと、逆に興味を持ってしまったほどすごい「代を追うごとのバージョンダウン」でした。

2008年08月31日

「プレミアム」に含まれた意味

 以前から、コンビニで150円弱で売られている、プラスチックのカップに入った「ノンシュガーカフェラテ」を愛飲していました。ところがある日、それを買いに行ったところ、隣の棚に同じメーカーから「プレミアムノンシュガーカフェラテ」が30円ほど高い値段で売られていました。
 その時は、「コンビニのコーヒーにも高級志向か」程度に思い、買ってみました。しかしながら、従来版との違いはわかりませんでした。そこで、「どこがプレミアムか分からないな。まあ、自分は前からのを飲み続けるからいいや」とその時は呑気に考えていました。
 しかしながら、しばらくしてその売場に行ったところ、「プレミアム」はありましたが、従来の商品はなくなっていました。売り切れではなく、かつての置き場には、別のコーヒーが並んでいました。
 その時はじめて、「プレミアム」というのは名前と包装をちょっと変えた値上げ版である、という事に気づきました。色々な所で諸物価が上がっている事は実感していましたが、まさか、このような「値上げ」が存在するとは思いませんでした。
 世の流れで仕方ないとはいえ、少々悔しいので、味の違いがない「プレミアム」を飲むのはやめ、別の愛飲コーヒーを模索しています。

2008年08月27日

夕涼み

 今日は京都に出張しました。日中は暑くて汗だくになりましたが、夜はそこそこ気温が下がりました。そんななか、宿に戻る途中、三条大橋を渡りました。折角なので、川辺に降りて夕涼みをしました。暗くて川面はほとんど分からず、流れの音も聞こえませんでしたが、そこそこ楽しめました。
 一応、写真も撮っておいたので載せておきます。
(クリックすると同じ窓で大きい画像が開きます)
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2008年08月26日

降ったりやんだり

 今日は雨が降ったりやんだり、という天気でした。そして、運が悪いことに、傘は持参して折らず、外出が二件ほどありました。
 行き先はいずれも、駅からさほど離れていないところです。そこで、駅を出た時点でさほど降りが強くなければ、ついつい「強行突破」したくなってしまいます。ところが、それを二回やったところ、歩いているうちに降りが強くなりました。
 そこで懲りて、ビニール傘を買ったのですが、それからついに一度も雨が降ることはありませんでした。ある意味、ベタなオチとも言えるかもしれません。
 というわけで、日中は雨に濡れ、夜は買った傘を一度もささずに持って帰る、という極めて間抜けな一日を過ごしてしまいました。

2008年08月25日

近所づきあい

 野球観戦を終えて帰宅したら、家の前で、隣家の家族とすれ違いました。野球帽などを被っているところを見ると、同じ所から帰ってきたようです。とりあえず、勝って良かった、というような事を言いながら挨拶して、お互い家に入りました。
 考えてみれば、11年近く前にここに着て以来、ずっと「お隣さん」になっています。しかしながら、最初に菓子折を持ってきて以来、会話するのは、見かけた時の挨拶だけです。そう考えると、ほんの一言とはいえ、今回、初めて、互いの為人(?)を伝えあったと言えるかも知れません。
 11年近く、このような「近所づきあい」が続いている中、今更、関係を構築するのも変な話ではあります。とはいえ、折角の偶然ですし、何か活かせないものか、などと思いました。

2008年08月23日

フットレスト

 久々に新宿からホームライナーに乗りました。新宿からの場合、グリーン車に座ることができます。入ったらとりあえず前から二列目が空席だったので、即座にそこにしたのですが、座った後、妙な事に気づきました。
 グリーン車の座席は二席並びなのですが、一列目だけは一席しかありません。一方、グリーン車にはフットレストが前の席についています。したがって、二列目の場合、椅子は二つあるのですが、フットレストは一つしか使えないのです。

 隣に誰も来なければいいのですが、さすがにそのような事はありませんでした。一応、自分が先に座っていただけに優先権はあるとは思いますが、何となく気まずく、フットレストを使うのを控えました。
 私の場合は五百円払って40分ほど乗るだけだからいいですが、本来の特急料金とグリーン料金を払い、長時間乗った場合はかなりきまずいのでは、と思いました。
 もちろん、フットレストの有無に関わらず、安価で特急グリーン車に乗れるので得はしています。とはいえ、妙に損失感をおぼえた「二人で一つのフットレスト」でした。

2008年08月22日

酒の勢いで・・・

 痴漢などの犯罪で捕まった人がよく、「酒の勢いで魔が差した」みたいな事を言います。
 私も、たまに酒の勢いに乗ることはあります。しかしながら、その「勢い」で痴漢行為を働いた事はもちろん、やろうと思ったこともありません。ちなみに、先日あった飲み会では、職場の人と筋肉少女帯の話で盛り上がり、酒の勢いで、「マタンゴ」を赤ペラで熱唱しました。
 もちろん、普段から顕在的に「人前で『マタンゴ』を歌いたい」と思っていたわけではありません。ただ、最近ではほとんどファン活動をしていないとはいえ、かつてはライブにも行っていたほど愛聴していました。ファン同士でカラオケに行って、大盛り上がりした事もあります。そういうわけで、久々に筋肉少女帯の話ができた事に、酒の勢いが加わって、そのような行動に及んだのでしょう。

 他にも、これまで「酒の勢い」でやった事を振り返っても、普段や過去の自分の蓄積に基づいた行動ばかりです。つまるところ、「酒の勢い」は、本来の自分がやらない事をさせるわけでなく、自分の中で普段は目立たないものを顕在化させたわけです。
 これを一般化すると、酒の勢いで痴漢をする人も、顕在化されない部分で「痴漢行為をしたい」という願望を、普段から持っているゆえに実行してしまった、と考えられます。
 したがって、そのような願望を少しでも持っている人は、普段から「酒を飲んでも絶対に痴漢行為の衝動だけは抑える」と自己暗示をかけておけば、犯罪者にならずにすむのでは、などと、自分の「酒の勢い」を振り返りながら思ったりしました。

2008年08月20日

行動から見る信頼性

 朝、仕事をしていたら、いきなり社長が来て、システムの売り込みが来たから、応対してくれ、と言われました。社長直々の話なので、何か取引のある会社なのかと思って確認したところ、全くの飛び込みだ、との事でした。
 応接に行ってみたら、既にノートパソコンを取り出すなど、やる気満々です。しかも、名刺交換したところ、うち一人は代表取締役社長でした。
 朝っぱらから面倒な事になりそうだと思ったのですが、こちらの社長がそのまま退席したところ、向こうは急にノートを片付け、資料だけ渡してあっさり帰ってしまいました。

 貰った資料を元に社名を検索したところ、大手メディアにも扱われ、有名企業とも取引があるようです。それはいいのですが、ならばなぜ、そのような会社が、朝っぱらから社長自ら飛び込み営業をするのか、と非常に不思議に思いました。
 また、最初に社長が応対したときは、プレゼンする気が満々だったのが、現場レベルの担当者に交代した瞬間に、撤収を始めた、というのも奇妙な話です。その行動を見る限り、技術的な理解が浅いと思われる役員を丸め込もうとしているとしか考えられません。
 もちろん、営業の手法にもいろいろあるとは思います。しかしながら、いろいろな意味で腑に落ちない話でした。
 ネットで調べた限りでは悪い情報はありませんでした。しかしながあ、仮に技術力が本当にあったとしても、このような営業をする会社とはつきあいたくないものだと、つくづく思いました。

2008年08月18日

変わらない風景とよみがえる記憶

 ちょくちょく書いているように、今の仕事は、学生時代のバイトと密接に関係しています。そんな中、今日はついに、念願であるかつてのバイト先に行くことができました。訪れるのは14年半ぶりくらいでしたが、当時と入口も事務所も同じ場所にあり、特に頭を使うことなく、たどりつくことができました。体のほうが、道を覚えていたようです。
 そして、施設のほうも、やや古びてはいたものの、ほとんど変わりませんでした。さらに、当時よく働いた場所にも寄ってみたのですが、そこも棚の位置も含め、ほぼ当時のままでした。
 そんな中、棚に一枚の名札が張られていました。それは、私がバイトしていた時にその場所の責任者だった人で、私がいた間に退職した人でした。
 実は、今日まで、その人の事は記憶に残っていませんでした。しかしながら、その名札を見た瞬間に、その人の風貌などを思い出しました。
 毎度の事ながら、記憶というものの不思議さを感じました。同時に、なぜその20年近く前にやめた人の名札がその棚に貼られているのかと、非常に不思議に思いました。

小秋日和?

 ここ数週間の猛暑が嘘のように朝から涼しい一日でした。昼に出かけたところ、その風の涼しさに、長袖が必要かと思ったほどでした。一晩越しただけで、ここまで気温が変るのですから、気候というのは不思議なものです。
 暑い盛りにこのような日というのは、何度か経験しています。特に忘れられないのは17年前の8月1日で、涼しい上に、厚い黒雲が立ちこめていて、16時くらいには暗くなり、雷雨になりました。その時も、前日との気温差に驚いた記憶があります。
 先月札幌に行ったとき以来となる「天然の涼しさ」を堪能しながら、このような気候の事は何と言うのだろうか、などと考えました。冬の入口で前日よりも暖かい日については、「小春日和」という言葉が昔からあります。
 しかしながら、ちょっとネットで調べた限りでは、それに該当する言葉は見つかりませんでした。その時は、数年に一度の事とはいえ、このような日についても何か定義する言葉があれば便利なのでは、などと思いました。

2008年08月16日

ワードアート

 あるところでWordで作られたポスターを見ました。危険防止の類で、写真をふんだんに使っており、「何をせねばならないか」がよく分かる作りになっています。
 ところが、一番上の見出しの左に関われている文字だけが読めません。横書きなので、当然ながらそこに一番重要な「何の危険を防止すべきかの」「何」について書かれているわけです。
 なぜ、そこだけが読めないかというと、「ワードアート」という、見出し文字を変形させるWordの機能を使っていたためです。その文字の歪みのため、肝心の「何が書いてあるか」が分からなくなってしまっています。

 街中の看板や、商業印刷物の見出しなどで、「ワードアート」的に文字を変形させた文字はありません。つまり、少なくとも日本語においては、あのような文字装飾は見出しとして効果がないわけです。
 にもかかわらず、Wordの標準機能として簡単に使えるためか、色々なところで見かけます。ある意味、「確かにすごいが何の役にも立っていない、普通にやれ」の典型例と言えるかも知れません。
 というわけで、かなりポスターに目を近づけ、数秒間「解読作業」を行なうまで、そこの「主題」に何が書かれているかが分かりませんでした。

2008年08月15日

青虫

 昼休みから戻ろうと道を歩いていたら、ふと緑色の物体が目に入りました。よく見てみると、そこそこ大きい青虫でした。
 なぜ炎天下の歩道の真ん中に青虫が現れたかは分かりません。しかしながら、このまま放置しておけば、人に踏まれるか、熱波で干からびるかの二択になることは間違いありません。
 そこで、落ちていた葉っぱに乗せて、道ばたの植え込みに強制避難(?)させました。そこまではいいのですが、途中、会社の人に遭遇してしまいました。
 冷静に考えれば、道のど真ん中で会社員がしゃがみこんで、何かしている、というのは非常に奇妙な風景です。その人も、最初は何者かと思ったと言っていました。
 とりあえず、今後は会社の近くの道ばたで何かをするときは、周囲に気をつけようと心に決めました。

2008年08月11日

金髪の案山子

 出張の関係で、浜松-豊橋間を在来線で移動しました。沿線には田んぼがあり、案山子が何本も立っていました。
 案山子というと、頭に笠をかぶっているか、もしくは手ぬぐいを巻いている、というのが、小さい頃から持っている「標準髪型」です。しかし、今日見た案山子は、いずれも違う頭の型をしていました。
 だいたいの案山子は金髪で、たまに茶髪も混ざっています。不思議に思ってよく見たところ、顔はいずれもマネキン人形のものでした。そのお古(?)を案山子として再利用しているのです。
 かなり多くの人が髪を染めるようになった結果、笠や手ぬぐいをかぶった頭よりも、金髪や茶髪のほうが、鳥が人間と誤認してくれるようになった、という事なのでしょうか。
 案山子というと、歌にもあるように、「じっと、存在し続ける存在」な訳です。にもかかわらず、時代の流れに影響される、という事に面白さを感じました。

2008年08月10日

業務の根幹を見失った広告

 TVを見たら、ヤマト運輸が奇妙な広告を出していました。黒猫の尻尾がついた、小型の運搬用自動車が、街中で犬に追われます。どうやら、猫が犬に追われる姿を現しているようです。
 そして、最後には、犬の攻撃をかいくぐった「クロネコ車」が、川を飛んで渡り、足を四本出して護岸にへばりついて、何とか逃げ切る、という映像で終わっていました。
 この映像を見たとき、真っ先に思ったのは、「車が縦になった時、中の荷物はどうなったのだろうか」という事でした。90度傾けば、少なからぬ荷物に衝撃が加わるでしょう。場合によっては、中身に被害が出るかも知れません。
 何を意図してこのような広告を作ったのかは分かりません。しかしながら、その広告を作った際に、「荷物を安全確実に運ぶ」という本来の業務の根幹が欠落していたのでは、とかなり気になりました。

体操団体

 五輪中継を見ていたら、男子体操団体という種目が始まりました。国ごとに複数の体操選手がそれぞれ演技をし、その総合点で成績が決まる、というものです。
 しかしながら、その「体操団体」という言葉をみたとき、頭に浮かんだのは、六人くらいの男が、揃ってラジオ体操をしている、という映像でした。これは、学生時代から続けている趣味の関係があり、「団体戦」というと、七人もしくは五人が同時に競技を行なう、というのが頭に焼き付いているためかと思われます。
 とはいえ、それがなぜラジオ体操なのかは自分でも良くわかりません。また、相方にその話をしたら呆れられました。
 いずれにせよ、今後の自分において、「体操団体」という言葉を見るたびに、「集団でのラジオ体操」が頭に浮かぶようになることだけは間違いありません。

2008年08月09日

熱膨張

 晩酌をしようと焼酎のペットボトルの蓋を開けたら、中から空気が勢いよく出てきました。常に、台所の下にある調味料入れに置いているのですが、しばらく前から、室温で置いておいてもペットボトルの内側に水滴がついており、かなり温度が高いとは思っていました。しかしながら、中の空気が膨脹したのは初めてでした。
 それだけ温度が上がっているという事でしょう。飲みながら、この「天然再蒸留」によって焼酎の質は変っているのだろうか、などと思いました。それにしても、置いておくだけでこれですから、今年の夏も従来に増して暑いということがよく分かりました。

2008年08月07日

越乃寒梅

 先々週に続いて新潟へ日帰り出張しました。帰りに、駅前で30分ほど時間があまったので、駅前にある飲み屋に入りました。メニューを見たところ、越乃寒梅が「並の地酒の一つ」という値段・位置づけ売られていました。
 越乃寒梅といえば、日本酒はほとんど飲まない私でも名前を聞いたことがあるほどの「銘酒」です。それが、平凡な酒という位置づけで売られていることはにはかなりの違和感がありました。

 とういうわけで、結局は回避して、越乃寒梅よりは値が張る、別の地酒を頼みました。そこそこの美味さはあったものの、「新潟に来たかいがあった」というほどではありません。やはり、「越乃寒梅」にすべきだったか、とも思いましたが、その時には予約していた新幹線の時刻が迫っており、飲み比べる時間はありませんでした。
 次に新潟に行くことがあれば、ぜひとも越乃寒梅と他の酒を飲み比べたいものだ、と思いつつ、時間に追われたため、新幹線で足早に新潟を後にしました。

2008年08月05日

加える権利のない「罰」

 ニュースを見たら、小学校の教師が、女児に暴力を加えた挙げ句、1時間以上も罵倒した、という事件がありました。被害を受けた女児は、心身に変調をきたし、最終的に転校したとのことです。
 いい年こいた大人が、10歳前後の子供に暴力をふるうだけでも十分異常です。さらに「言葉の暴力」を延々と加えたわけです。はっきり言って、変質者としか言いようがありません。
 ところが、このような行為に対する報道では、常に「体罰」という言葉が使われます。しかし、これに「罰」という言葉を用いる事は適切なのでしょうか。

 「罰」という言葉は、「正しい」とされる立場にいる者が、悪事を行なった者に加える行為です。しかしながら、この「体罰」というのは教育基本法でも禁止されている「違法行為」です。
 したがって、行なった時点で違法になるわけです。そのような行為を「罰」と定義するのは不適切です。
 以前にも書きましたが、暴力をふるう連中は、自分たちが違法行為でなく、「教育」をしていると勘違いしています。その要因として、この「体罰」という言葉もあるのでは、と思えています。
 そのような誤解を招かないためにも、「体罰」などという言葉を使うのをやめて、普通に「児童に暴力をふるった」という表現にしたほうがいいのでは、と思いました。

2008年08月03日

謎の「特製」アイスコーヒー

 あるファミレスでドリンクバーを注文しました。ドリンクバーに行くと、まずチェーン店名を冠した「特製アイスコーヒー」が同じく「特製アイスティー」と並んで置いてあるのが目に入りました。
 そこで、とりあえず飲みましたが、作り置きなので、当然とはいえ、缶コーヒーに毛が生えたような味でした。
 まあ、ファミレスのドリンクバーだしこんなもんだろう、と思いつつ、二杯目を物色しようとして歩いていると、奥の方にコーヒーマシンがありました。ボタンを押すと豆をひくもので、アイスコーヒーのボタンもありました。

 飲んでみると、一応、豆からひいている事だけはあり、紙コップ入り120円コーヒー並みの味がしました。
 そうすると、最初に飲んだ「特製アイスコーヒー」はどのへんが「特製」なのだろうか、と気になってきます。それ以前の問題で、なぜ置かれているのすら分かりません。
 いずれにせよ、何も考えずに「特製アイスコーヒー」を飲んだことはかなり後悔しました。ドリンクバーでここまで損失感をおぼえたのは初めてでした。

2008年08月01日

意外な休憩場所

 昼休みの休憩場所が相変らず定まりません。いくつか喫茶店があるのですが、いずれも混雑や空調や煙草の関係で、落ち着ける店がありません。
 そうやって悩んでいるうちに、ふと「電車の中」という選択肢が頭に浮かびました。昼時ですから空いているので必ず座れるうえに、椅子の柔らかさもそこそこあります。空調もまあ適温、そして完全禁煙です。
 唯一の欠点としては、間違って寝てしまうと大変な事になるくらいですが、まあ、これも目をつぶらなければすみます。
 さっそく試したのですが、途中駅で折り返すために歩く手間はあるものの、期待どおり、そこそこ快適でした。
 まだまだ他の過ごし方も模索はしますが、とりあえず、一つの有力な過ごし方にはなりそうだと思いました。

2008年07月31日

究極の「うろ覚え」

 最近、ネットでよく「うる覚え」という表現を見ます。前後関係から見ると、いわゆる「うろ覚え」の誤用のようです。もともと、「うろ覚え」という言葉は「きちんと覚えておらずに間違って使ってしまう」という意味です。そう考えると、この「うろ覚え」をうろ覚えして「うる覚え」とする、というのはある意味、「うろ覚え」道を極めた用法と言えるかもしれません。
 もっとも、言葉というのは常に移り変わるもので、当初は誤用だったのが、本来の用法より主流になる、という事は歴史上よくあります。もう何十年かすると、「うる覚え」のほうが一般的になっているかもしれません。
 さらに、そんな時代になったら、今度は「うる覚え」をうろ覚えして「うろ覚え」と誤用(?)する人が現れるのだろうか、などとしょうもない事を考えてしまいます。

2008年07月30日

信濃川

 昨日は新潟に日帰り出張でした。仕事が終わった後、近くにある展望台に案内してもらいました。31階なのですが、入場無料という太っ腹な施設でした。登ってみると、日本海と越後平野が一望できます。弥彦山以外はほぼ平らで、越後平野の予想以上の広さには少々驚きました。
 そして、眼下はちょうど信濃川の河口だったのですが、川幅があまり広くないうえに、水も茶色で、日本を代表する大河の河口という感じではありませんでした。まあ、そのあたりは埋め立て地であり、本来の河口でないから仕方ないのでしょうが・・・。
 半年ほど前に新潟から長野を旅行した時も、信濃川-千曲川に沿う路線に乗りました。しかし、その沿線部分も、いくつもの発電所に水を取られている区間のため、これまた大河らしさを感じる事ができませんでした。
 一年に二度も信濃川を見ながら、いずれも、らしさを感じられなかったのは残念でした。まあ、半年前はともかく、今回は仕事なので、そのような贅沢を言うのも筋違いなのですが・・・。

2008年07月29日

雑用のし甲斐

 昨日の事ですが、毎年恒例の将棋大会に参加しました。現在、年に6~7回将棋大会に参加していますが、いずれも私は机と椅子の設置・片付けを担当しています。特に、今日から始まる大会は、千人弱の参加者が集まるので、扱う机・椅子の数もかなりのものとなります。そのため、出番があれば将棋は指すものの、「机と椅子を扱いに行くついでに将棋も指す」という感じになっています。
 それを10年近く続けているため、この会場での大会は年に5回しかないにも関わらず、管理担当者とは自然と顔なじみとなります。そして、この日も、片付けの際にトラブルが発生したものの、協力して何とか解決しました。
 そして、帰り道を歩いていると、いきなり後ろから肩を叩かれました。振り向いてみると、先ほどの管理担当者さんで、「あれだけ汗かいたんだから、早くシャツ替えないと風邪ひくぞ」と言われました。

 これまで、片付けの際に色々とトラブルがありました。しかしながら、このように声をかけて貰えるところを見ると、先方には「ちゃんとした利用者」と認めてもらえたようです。
 この類の雑用は、体力はもちろん、頭や喉もかなり消費します。そのため、かなり疲れるのですが、こうやって声をかけて貰えると、その疲れもかなり飛びます。雑用をやった甲斐があるというものです。
 今後も、せっかくできたこの関係を崩さぬようにやっていければ、と思いました。なお、先方に心配されたシャツですが、こうなる事は予想どおりなので、ちゃんと替えは持参しております。したがって、風邪をひくことはありませんでした。

2008年07月26日

今更ながら「メガ」を食べる

 今朝は健康診断でしたので、朝食抜きでした。終了後、空腹感を覚えながら、バスで駅まで出ると、バス停の目の前にマクドナルドがありました。大学時代から20年近く、「朝マックはソーセージマフィンのセット」と決めています。今日もそうするつもりでした。
 ところが、店に入ったらちょうど10時半で、店員さんが店内の看板を朝マックから通常メニューに替えているところでした。そして、ちょうど、「メガマフィン」の看板を外していたのですが、それを見ていたら、半ば衝動的にそれが食べたくなり、注文しました。ここ一年ちょっとの間に、いろいろな「メガ」が出ていましたが、食べるのは初めてです。

 食べてみたところ、二枚のマフィンの間に肉が二枚と卵・ベーコンが挟まっていました。したがって、「メガ」というよりは、「ダブルソーセージエッグマフィン」という感じでした。
 味的には特に印象に残る物はありませんでした。ただ、流行からかなり遅れましたが、「メガ」を食べたこと自体はいい経験だと思いました。
 また、ここのところ夏バテ気味でした。しかしながら、「メガ」が食べたくなるくらいだから、さほど重い夏バテではないと、自分を元気づける効果もありました。

眠気に悩まされる

 夜が暑いせいか、ここ数日、寝付きが悪くなっています。それだけでもよろしくないのですが、困ったのは、日中も眠気の調整が出来ないことです。今日などは、打ち合わせをしている時に、突如眠気が襲来。立ちくらみみたいな状態になりながら、必死に意識を保っていました。
 ならば早く寝ればいいだろうと思われるところですが、いざとなると全然眠れません。少しでも睡眠時間を稼ごうと思い、帰りの電車で寝ようとしても、一駅くらいで目が覚める始末。数時間前までの睡魔はどこにいったのか、という感じです。
 夕食後もちょっと眠れたと思ったらすぐ目が覚める、という感じで妙にすっきりしない夜を過ごしています。

2008年07月22日

妄想がソースの記事とそれを信じる人

 サンケイスポーツに、昨日の甲子園で、不倫報道をされた読売の選手が打席に立ったとき、相手のタイガースファンも「歓声と拍手で迎えてくれた」という記事が載っていました。
 昨日、この試合の中継で、その場面は見ていました。しかしながら、記事に書いてあるような状況は見ることも聞くこともできませんでした。読売テレビのアナウンサー氏は新聞記事と同じような事を言っていましたが、画面には、そのようなタイガースファンは一瞬たりとも出てきませんでした。
 念のため、ネットで、当日甲子園にいた人の感想や写真を見たりもしました。しかしながら、嘲笑こそあれ、タイガースファンからの歓声や拍手などがあった、という話はどこにもありませんでした。

 つまり、どこにも記事に書かれたような事象は存在しないのです。先週、このスポーツ紙は、この不倫報道について、「フジテレビ局内にあった落書き」などを論拠として、女性アナウンサーを悪者扱いする記事を書いていました。
 その時もかなり呆れたものでしたが、今度は、その落書き程度の「事実」すらないわけです。つまり妄想だか幻聴だかを元に記事を作っているわけです。通常、そのような記事は「ねつ造」と呼ばれます。
 ここまでだったらまだ嗤い話ですみます。しかしながら、mixiでこの記事を元に書かれた日記を見たら、「阪神ファンも変った」などと、記事を事実だと信じている人が多数いたのです。
 ちょっと頭を使えば分かることですが、タイガースファンが、不倫したこの選手の復帰に好意寄せる理由などどこにも存在し得ません。にも関わらず、「新聞に書かれている」というだけで、この記事を信じてしまった人が少なからずいるわけです。
 今回のニュースははっきり言って、どうでもいいような事です。したがって、ねつ造記事が出ようと、それを信じてしまう人がいようとさほど実害はありません。
 しかし、もっと世間にとって重要な事で、同様の記事が流れたらどうなるのだろうか、と思うと嗤ってばかりもいられませんでした。その気になれば、商業マスコミは、「憲法」や「戦争」などで、同様の記事をさらに大量に流すことが可能なわけです。実際、70年前にはそのような事が行なわれました。
 当初は、自分にとって全くもってどうでもいい「不倫報道」でした。しかし、この二つの記事とその反響を見た時は、かなりそら恐ろしい物を感じました。

キムチバーとチヂミバー

 昼を食べようと、津田沼パルコの6階に行きました。洋食を食べるつもりだったのですが、韓国料理店の脇を通りかかったとき、何気なく中を見たところ、興味深い物がありました。大きなプレートに、キムチ・チヂミ・ナムルが山盛りになっているのです。
 気になって、入口を見たところ、ランチにはキムチバーとサラダバーがつきます、と書かれていました。どうやら、チヂミも含めて食べ放題のようです。
 この店は、開店直後に行った時に、店内で流れていた映画の宣伝がちょっとしたトラウマになっており、その後、足が遠のいていました。しかしながら、珍しい「バー」が気になった上に、今日は映画も流れていないようなので、入ることにしました。

 食べてみたところ、「バー」として提供されていた三品目はもちろん、主菜で頼んだ冷麺、さらには水代わりのコーン茶も美味しく、大変満足できました。
 キムチバーというのは初めて見ましたが、韓国では普通にあるのでしょうか。ちなみに、普通、「バー」のように食べ放題になっているものは、好きなだけ食べるのですが、キムチの場合は、食べ過ぎると翌日が怖いので、調整しながら食べました。
 というわけで、色々な意味で満足できた、韓国料理ランチでした。これも、食べる予定が全然なかった店を何の気なしにのぞいたがためです。世の中、どこにきっかけがあるか分からないものだ、などと思った昼のひとときでした。

2008年07月20日

モニタ交換と神

 10年くらい前に買った、17インチのCRTモニタが半分壊れてしまい、だましだまし使っていたのですが、ついに買い換えを決意しました。
 そして昨日、新たに買ったのは、3万円ほどの20インチワイド液晶モニタでした。我が家の液晶画面といえば、これまでノートPCと、相方が懸賞で当てたiMACだけでした。したがって、自分で液晶モニタを買うのは初めてです。
 ちなみに、10年くらい前、液晶モニタが出始めた頃、知り合いのPC購入を手伝ったのですが、その時は15インチのものが15万しました。その1.5倍のものが5分の1で買えるのですから、隔世の感があります。

 帰り道、相方に不要になったモニタの処分方法について尋ねられました。少々、酒が入っていた事もあり、「連休中に、家電製品の回収業者が来ることを神に祈るよりないな」と答えたところ、「無神論者のくせに」と呆れられました。
 そして今朝、モニタをつけかえてしばらくすると、外から、回収業者の宣伝が流れました。まさしく作ったようなタイミングです。こうして、今朝までついていた旧モニタは、外して1時間ほどで我が家を去っていきました。
 この現象について、「これぞまさしく神のおかげ」と言う人もいるのだろうな、などと思いながら、新モニタを活用してこの文章を書いています。

2008年07月18日

高級ホテルらしからぬサービス

 昨晩は、普段より高価なシティホテルに泊まりました。出張中、ホテルに入ってまずする事は、ネット接続です。昨日も、早速ノートパソコンにLAN線をつなぎ、ブラウザを立ち上げました。ところが、様子が変です。
 ホテルのネット接続サービスの中には、LAN線を挿しただけでは、すぐにネットに繋がらない場合があります。ブラウザを立ち上げると、何だかよく分からない認証画面が出て、そこでOKボタンを押すと、ホテルの公式サイトが表示され、その後は普通にネットに繋がる、という設定になっている場合があるのです。

 このホテルはどうやらそのパターンのようで、ブラウザに二つのタブが勝手に立ち上がっていました。しかし、すでに複数タブが開いている状態のブラウザへの対応に不具合があるのか、認証画面とおぼしきページは空欄で、隣のタブではホテルの公式サイトが表示されています。
 それだけならいいのですが、認証がおかしかったのと関係しているのか、回線が遅いうえに、接続が不安定なのです。
 結局、ブログの管理ページも開かず、昨日の雑記は携帯からの投稿にせざるを得ませんでした。
 一応、高価なシティホテルであっただけに、チェックイン後に荷物を運んでくれるなど、普段のビジネスホテルとは異なるサービスがありました。
 しかし、こんなネット環境では「高級感」など感じようがありません。もちろん、ちゃんと繋がらないのは論外ですが、かりに繋がったとしても、無意味な認証や自サイトの強制表示などといった無駄な事をさせずに、普通にネットに繋げる環境を提供する事こそが、「よりグレードの高いホテル」らしいサービスなのでは?と強く思いました。

涼風

 朝、外に出ると、涼しい風が吹いていました。言うまでもないことですが、7月の関東でそのような風を感じた事はありません。
 その風の涼しさは、春先に感じるものとも、秋口に感じるものとも違っていました。おそらくは、「夏の札幌の風」なのでしょう。
 タクシーの運転手さんも、「今日は普段より涼しい」と言っていたので、偶然的な要素もあったのかもしれません。とにかく、おそらくはあと2ヶ月半は感じる事のできない、「自然による涼しい風」を感じることができたのは、今回の出張で最大の「役得」でした。

2008年07月17日

再訪続きの出張

 今日から札幌出張です。昨年の夏と秋に、前の会社で二度行っていますので、この一年間で三回行った事になります。
 面白いことに、前回とは全く違う所属・身分であるにも関わらず、行き先は過去二回と同じ所でした。そのうえ、仕事の半分くらいは、前回・前々回と同じような内容でした。
 まあ、これについては、事前に分かっていたので、さほど驚きはしませんでした。
 ところが、仕事が終わって、同行者が予約した泊まる場所を聞いたときには、本気で驚きました。そこは、前々職を辞めようと決めたときに、「退職前旅行」で札幌に行った時に泊まった所だったのです。
 まさか、昼も夜も、今の職につくまえに行ったところで過ごすとはさすがに思っていませんでした。
 いずれの場所にも「縁」があると言えるのかもしれません。ただ、仕事とはいえ、数少ない機会ですから、あまり同じ所に行くのも・・・と思いました。

2008年07月15日

十代の頃に熱中した本の記憶

 明日から札幌出張なのですが、今回は、行く前からかなり苦労しました。宿を取ろうとしたのですが、ヤフーで見ても楽天で見ても、どこも満室なのです。残っているのは、会社から認められている経費の倍以上かかる高級ホテルと、カプセルホテルしかありませんでした。サミットは終わっているはずですが、何かあったのでしょうか。
 個人的な旅行で行くなら、別にカプセルホテルでもかまいませんが、出張でそれでは疲れが倍増しそうです。とはいえ、自腹で高級ホテルに泊まる気もおきません。

 そんな時、ふと思いだしたのは、十代の頃、何度も読み返した、故・宮脇俊三氏の「時刻表二万キロ」でした。その中に、札幌に行った際にどの宿も満室、という事態に遭遇した話がありました。
 そこでのオチは、「タクシーの運転手さんの案内で、いわゆる『来やがれスケベ共』に一人で泊まった」というものでした。
 なぜ、そのような鉄道と全く関係のない逸話を覚えていたのか分かりません。しかしながら、「現在にも通じる貴重な情報だ。最悪はそれもあるか」などと思ったりもしました。
 なお、結果的には、ビジネスホテルが取れました。そのため、そのような「一人でそのテのホテル街をさまよう」という羽目に陥らずに済みそうです。

2008年07月13日

落書きをソースにした記事の質

 読売球団の選手と女性アナウンサーの不倫が報道されています。ネットで見ただけですが、やけに女性アナウンサーが叩かれているように見受けられました。
 その中で、特に印象に残ったのがサンスポの記事でした。「フジテレビのサイトに、女性アナウンサーを批判するメールが大量に来た」というのを見出しにし、さらには、「フジテレビ局内で、彼女の出ている番組のポスターに落書きがされている」などといった事まで記事にしています。

 「批判のメール(もしくは電話)が来た」というのは、マスコミの作った煽り記事を盛り上げたいときの定番です。メールや電話をする人は、何ら自分で事実を知るわけでもなく、記事に煽られて行動を起こしているだけです。そのような意見をいくら記事にした所で、自己満足でしかありません。
 それだけでも十分質が低いわけですが、さらに「フジテレビ局内の落書き」まで記事にしてしまっているのです。そのような落書きがいくらあったところで、女性アナウンサーの批判にはなりません。単にフジテレビで働いている人間もしくは、出入りしている人間に社会常識が欠落しているだけの話です。
 そんなもんまでを「ニュースソース」にしているわけです。何らかの理由があり、その女性アナウンサーを、どうしても貶めなければならない方針でもあるのだろうか、と思いました。
 それにしても、落書きを元に記事を作った、というのは凄いことだと思いました。これほど「落書きレベル」という称号がふさわしい記事もないでしょう。

2008年07月10日

四条違い

 今日から一泊の関西出張。日中に大阪で仕事をした後、翌日の仕事がある京都に入る、という日程でした。
 今回は、地元の人に四条のホテルを取ってもらいました。そして、ホテルが地下鉄の四条駅近くにあるにも関わらず、京阪の四条駅に行ってしまい、改札を出て周辺案内図を見て、目指すホテルがどこにもない事に気づく、というベタなボケをかましてしまいました。
 10代の頃、関西私鉄ファンを称していた身としてはありえない失敗で、「衰え」を痛感させられました。
 まあ、そのおかげで、夕暮れの複々線を疾走する京阪特急に乗れたり、夜の賀茂川や、祇園まつりを見るために、道ばたに並んだ人たちを見ることができたりしました。
 そこで、間違えたおかげでそれらを見れたわけだと自分を納得させました。そして、ホテル近くの洋食屋で「京都ポーク100%のハンバーグ」という京都らしいのからしくないのか良く分からない食事をしたりしながら、京都の夜を過ごしています。

2008年07月09日

サミット警備の恩恵?

 千キロ向こうの洞爺湖畔で行なわれているサミットのため、都内ではえらい厳重な警備が実施されています。特に凄いのは地下鉄で、ゴミ箱のみならず、自販機まで使用不能になっていました。この暑い中、やっとホームにたどりついて、何か一杯飲みたい、という人にとってはかなり酷な措置と言えるでしょう。次のサミットの時は、新たに何が「使用禁止」になるか楽しみ(?)です。
 そんな中、外を歩いていたら、目標の地点が分からなくなりました。見渡せば至る所に警官がいるのですが、さすがに道は尋ねられないと思い、近くにあった警察に入って尋ねました。
 すると、向かいの通りを指さして、「あの警官がいる所を曲がって」と説明されました。確かに、道案内の時に一番困るのは、「あそこで曲がって」の「あそこ」がどこだか分からない事です。その点、この案内ならば「曲がるところ」を間違える事はありません。
 というわけで、初めてサミット過剰警備の恩恵(?)に預かることができました。世の中、何が幸いするか分かりません。とはいえ、やはりあの警備は大袈裟かつ無駄が多いのでは、という認識に変わりはありませんでした。

2008年07月08日

10数年の変化

 先日のことですが、仕事のため、朝イチで晴海に行きました。晴海に行くのは1996年の春以来です。大江戸線の勝どき駅から行ったのですが、外を出てすぐに目に入った、晴海トリトンスクエアのビル群に圧倒されました。
 そして、10分くらい歩いて、かつての見本市会場のちょっと手前にある目的地に着いたのですが、全身汗だくになってしまいました。
 14年前までは、8月半ばの朝に、勝どきよりさらに離れた東銀座駅から、荷物を持って見本市会場に行ったものでした。もちろん暑くはありましたが、ここまで汗だくになった事はありませんでした。
 おそらくは、体力の低下と気温の上昇の相乗効果(?)なのでしょう。意外な形で、10数年の変化を感じることができました。なお、晴海の街並み自体は、トリトンスクエアを除けば、あまり変化を感じませんでした。

2008年07月06日

押し付け合い?

 暑い昼下がりに地下鉄に乗りました。すると、目の前に、スパイダーマンの絵が描かれている鞄を持った、アメリカ人と思われる親子がいました。
 外が暑かったせいか、乗ってしばらくすると、父親がペットボトルを取り出して飲み始めました。ところが、それほど喉が渇いているにも関わらず、数秒すると、飲むのをやめてペットボトルを息子に渡しました。
 よく見ると、ペットボトルの中身は緑茶でした。普通にアメリカで暮らしていればまず飲まないものですし、似たような味の清涼飲料も存在しないでしょう。その、予想外の味に驚いてしまったように見受けられました。
 そして、息子も数秒飲んで親に返し、さらに同じやりとりがもう一度繰り返された後、父親は飲みかけのペットボトルを片付けました。彼らにとっては、喉の渇きを越えた驚きの味だったかもしれません。
 その短いやりとりを見て、もし海外に行く機会があって喉が渇いても、中身の分からないものは絶対に買うまいとつくづく思いました。

2008年07月05日

異常な○十代?

 電車で週刊誌の中吊り広告を見ていたら、少年による凶悪犯罪をネタに、「恐るべき十代」などという見出しがありました。
 確かに、凶悪犯罪は問題です。しかしながら、データだけを見れば、十代の少年による凶悪犯罪などは、定期的に発生しています。そして、この類の週刊誌はいつも、それを大袈裟に取り上げます。もちろん、これらの週刊誌がいくら記事にしても、十代による凶悪犯罪が減ることはありません。

 いずれにせよ、いくら大袈裟に書いても、所詮は「どの時代にでもある事」でしかないわけです。ついでに言うと、これは「無差別殺人事件」にも言えることなのですが・・・。
 それよりむしろ気になるのは、「介護に疲れた老人が、長年連れ添った配偶者を殺害する」という事件です。このような事が発生しだしたのは比較的最近です。しかも、衝動的なわけでもなく、悩んだ末に起きた悲劇です。
 しかしながら、これらの事件を調べて「異常な七・八十代」などと取り上げた週刊誌は見た記憶がありません。
 なぜ、そのような取捨選択が行なわれるのかのほうが、「十代の凶悪犯罪」などよりもずっと興味があります。

2008年07月04日

本店?

 昼休みにちょっと散歩していたらセブンイレブンがありました。ビルの1階に入っている、というよくあるパターンなのですが、なぜかこの店は2階まで吹き抜けみたいになっていて、天井がやけに高いのです。空間が広いのはいい事でしょうが、その分、家賃が上がるわけで経営者はよくこんな所でやるな、などと思いました。
 ところが、何度目かに行った時、意外な事に気づきました。そのセブンイレブンが入っているビルの奥のほうに、「セブンアンドワイ」の大きな看板が出ていたのです。もしやと思って調べてみたら、ここがグループの本社でした。
 つまり、この店は本社ビルで営業しているわけです。したがいまして、個人経営のセブンイレブンとは訳が違います。空間がふんだんに使えるのも当然なわけです。おそらくは、レジにいる人も全員幹部候補の社員なのでしょう。
 ちなみに、店の扉には「千代田区二番町店」と書いてありました。それを見たときは、どうせ本社の中にあるのだから、「セブンイレブン本店」とでも名乗ればいいのに、などと余計な事を思ってしまいました。

2008年07月03日

測量

 テレビを見ていたら、コロンブスの時代に外国人が作った日本地図が出てきました。かなり歪んではいましたが、九州・四国などの位置関係はきちんとしています。当時、外国人がどのくらい日本に来ていたかは知りませんが、そうそう隅から隅まで測量できたとは思えません。
 にも関わらず、それだけの地図が作れるわけです。測量についての知識などありませんが、その時代の測量技術の凄さに驚かされました。
 自分も土地勘は悪い方ではないつもりです。しかしながら、いつまでたっても職場の最寄り駅である四谷駅で、列車の方向が分からなくなったりします。それだけに余計、飛行機もない時代にあれだけの地図を作った、という事に感心させられます。

2008年06月25日

四ヶ月で三度目の宮崎・鹿児島

 5時半に起きて飛行機で宮崎入りして仕事をし、さらに夕方に移動して鹿児島で少々仕事しました。3月に今の会社に入って以来、三度目の宮崎・鹿児島です。
 さすがに四ヶ月で三度も行くと、なんか事務所で仕事しているのとそんなに変らない感じです。そんな事もあり、「宮崎らしさ」を感じたのは、移動中の道路で中央分離帯に南国植物が植わっていたくらいで、「鹿児島らしさ」を感じたのは、宿泊地の近くのコンビニで「飲み切り用鹿児島芋焼酎」を買った時くらいでした。もちろん、いずれも今年に入って三度目に見たり買ったりしたものなので、新鮮さはありません。
 しかしながら、「日の長さ」については、新鮮な驚きがありました。関東とは東経が9度違います(ちなみに、経度が15度ずれると時差1時間)。そのうえ、夏至直後なので、いつまでたっても空が暗くなりません。結局、「暗くなった」と認識できたのは、19時50分頃でした。もちろん、このような経験をしたのは産まれて初めてです。
 他が変わりばえしなかっただけに、より一層印象に残った「遅い日の入り」でした。

2008年06月23日

所変われど・・・

 今日は部署の飲み会がありました。いわゆる「会社の金で親睦会」というやつです。
 今の職場は私にとって三番目になります。それぞれ、規模も社風も全然違います。ところが、この「会社の金で親睦会」をやると、不思議と雰囲気が同じになります。妙にタダ酒を喜ぶ一部の人々と義務的に参加している人々の温度差や、いろいろな意味で疲れる含みのある会話など、どの職場でも同じ空気になるのです。
 最初の職場にいた時は、これは当時の職場ならではの事なのか、と思っていました。しかし、今となっては、これが「会社の金での親睦会」の定番なのだろう、と思うようになっています。
 今日は、開始前からその雰囲気を感じ取り、なるべく無難な人と無難な会話をすることにより、「被害」を最小限に食い止めました。しかしそれでも、気のあった人との飲み会はもちろん、家での晩酌と比べても、あきらかに不味い酒になってしまいました。
 分かっていた事ではありますが、義務で飲む酒と楽しみで飲む酒は、味が全然違うものだと改めて思いました。

2008年06月22日

生家

 書店の廃墟写真集コーナーに行ったら驚きました。「団地写真集」という本の表紙に、私が生まれ育った団地の建物と、うり二つの棟が載っていたのです。違いといえば、四階建てと五階建ての差くらいです。建物のみならず、その前にある通路や芝生の構成までそっくりでした。
 興味を持って読んでみたところ、この建物は、かつての住宅公団が1960年代前半までに、全国の団地に造っていたスターハウスという形式のもの、との事でした。団地マニア(?)の間では、かなり貴重なもので、そのため、表紙を飾ったようです。

 自分にとって、この「スターハウス」は産まれてから8年くらい住んでいた建物です。つまり、自分にとって「家」という最初の概念は、この建物でした。
 それが実は、40数年前を最後に造られなくなった形式であり、もはや、「廃墟」に分類されつつある、というのは少なからぬ驚きがありました。
 ちなみに、二年前に都市機構が発信した情報を見たところ、上のリンク先にも載っている我が生家は、「建替事業計画に伴い、入居者の募集を停止しているところですが、このたび、建替え着手までの間、定期建物賃貸借契約(定期借家契約)により募集を再開」という位置づけで、2010年までの期間限定で募集をした、とのことでした。
 すでに「廃墟」に近い存在なうえに、二年後の取り壊しまで決まっているわけです。それが世の常とはいえ、やはり寂しさを感じました。

2008年06月18日

車内での携帯通話

 帰りの電車に乗っていたら、目の前に立っていた人が携帯で会話を始めました。その後、隣に座ったのですが、間断なく通話をし、「今、○○駅に着いた」などと言っています。
 私は別に目の前だろうと隣だろうと、携帯での会話は気になりません。特に今日はそれまで隣に座っていたのが、活発に会話する学生さんだったので、より気になりませんでした。
 とはいえ、世間一般ではこれは「マナー違反」となります。気の短い人がいたら、この人を怒鳴りつけていたかもしれません。
 こういうのを見ると、以前にも書きましたが、携帯通話を自由にできる車両を作り、気兼ねなく会話できる環境も提供しては、と思います。ついでに、着信音も可にすれば、なかなか面白い車内風景になると思うのですが・・・。
 優先席のない六扉車あたりで実験的に行なってみたらどうか、などと、隣の人による間断ない通話を聞きながら思った、帰宅時のひとときでした。

2008年06月16日

筋肉痛とラジオ体操

 昨日は散歩したりと体を動かしていたのですが、今日になって先週の長期出張での疲れが筋肉に来て、体を動かすのがきつくなりました。筋肉痛は、年と共に日を置いてやってくる、というのは知っていましたが、実際に経験すると、改めて自分が年を食ったことを実感させられます。
 というわけで、当初は夕方に二軍のナイターを観に行くつもりだったのですが、体が動かず断念。結局、床屋と買い物に行った以外は、ずっと家にいました。
 あまりの筋肉痛ぶりに、相方には「普段からラジオ体操でもやって体をほぐしたらなどと言われ、動画サイトのラジオ体操を紹介されたりしました。確かにそのくらいしないと、今後、より一層体がなまってしまうかもしれない、などと思いつつ、筋肉痛に悩まされながら一日を過ごしました。

2008年06月14日

防火ポスターと、のぞみ通過駅

 東海地域出張時に印象に残った話を二件ほど。
 一つは、名古屋の街中で見かけた、ドラゴンズの岩瀬投手と山井投手を起用した、警察による「犯罪・交通事故シャットアウト!」というポスターでした。言うまでもなく、昨年日本シリーズ最終戦の「完全継投」を意識して作ったものと思われます。
 興味深いのは二人の位置関係で、岩瀬投手が前面に出て、山井投手は背景みたいになっています。8回まで無走者に抑え、試合翌日の報道でも「主役」になったのは山井投手だったわけですが、やはり、普段の活躍度からすると、岩瀬投手が「主役」になるのが名古屋的には自然なのだろうか、などと思いました。

 さて、最後の仕事は静岡で、そこから新幹線で帰りました。駅の時刻表を見たところ、日中は一時間につき、ひかり一本に、こだま二本というダイヤでした。ここの所、出張で何度か新幹線を使っていましたが、のぞみ停車駅ばかり使っていました。そこでは、それこそ10分で3本くらいの割合で発車したりしていました。
 静岡も県庁所在地なわけですが、それでもこの本数なわけで、のぞみ停車駅とそうでない駅のギャップに驚かされました。
 さらにこれが掛川とか新富士とかいった、ひかり通過駅だと、一時間に二本とさらに減るわけです。
 もちろんそれでも、新幹線の駅がない所に比べれば格段に便利なわけです。とはいえ、同じ東海道新幹線でも、駅によってこれだけ差がある、というのには少々驚きました。

2008年06月13日

12勤1休(?)

 今月は今日まで休みが一日で、しかもその貴重な休みの日にかなり体力を使う用事を入れて、一日中外出していました。しかも、今週は4泊5日の出張という強行日程。休みの日の用事は自分の意思で入れたのですから、自業自得に近いものがありますが、さすがに疲れました。
 まあ、終わってみれば、これもいい経験になったと思っています。
 ちなみに、一年半ほど前、二日間の激しい肉体労働を含む11日連続勤務した時は、翌週に帯状疱疹でぶっ倒れました。今回は、同様の事がなきよう、明日と明後日は休養し、体調を整えようと思っています。

2008年06月10日

名物を食べまくり

 昨日、「名古屋名物を食べれない」などと書いたのですが、その後、0時過ぎに再度街に出たところ、名古屋コーチンの手羽先を出す店に遭遇、早速、名物を楽しみました。味もそうですが、手羽先と一緒に、手ふきが二枚出てきたのが印象に残りました。
 そして、昼は会社の人に味噌カツ丼の店に連れて行ってもらいました。その店の昼のメニューは味噌カツ丼だけ、といった徹底した所で、有名人の写真なども飾ってありました。一方で、店員は味噌汁セットを頼んだにも関わらず持ってこない、などと言ったサービスぶり。さらに、店内の至る所に「写真撮影禁止」と書かれていたのも、何だかな、と思いました。
 まあ、味としては味噌カツを堪能できたので十分満足できました。

 夜は21時帰着だったので、さすがに店を探す気にはならず、コンビニですまそうと思いました。すると、麺類のところに、ざるきしめんが売っていました。関東のコンビニで、きしめんを売っているのを見たことはありません。そう考えると、これまた立派な名古屋名物と言えるでしょう。
 というわけで、一転して、名物を堪能できた一日となりました。残るは味噌煮込みうどんと、大須観音周辺見物ですが、何とか仕事を上手く片付けて、その二つも堪能したいものです。

2008年06月09日

究極のセルフサービス?

 昨日の事ですが、朝から用事ででかけていました。そして、小腹がすいたので、出先の近くにある立ち食いそば屋に入りました。食券を買おうとすると、「当店はそばのみの提供となります」とのこと。それを見たときは、「もしかして、立ち食いながら、本格的なそば屋なのだろうか、などと期待もしました。
 ところが、実際に店に入ったら驚きました。何と机の上には三人分の器が、そのまま置かれているのです。別に忙しくて片付ける間もない、というわけではありません。店員氏は、カウンターの中で、何やら仕込みをしています。

 このまま、器に囲まれたまま食べるのは嫌なので、机の上にある器を、全て台の上に出しました。今まで、いろいろなセルフサービス店舗を利用しましたが、他人の器を下げたのは初めてでした。
 さすがに、そんな店で食べても美味く感じる事などできることなく、270円の盛りそばながら、やけに高く感じました。
 それにしても、飲食店で働いていて、机の上に器が残っているにも関わらず、仕込みをするという、店員氏の常軌を逸した神経には、別の意味で感動させられました。世の中には凄い人がいるものです。
 ちなみに、場所は都営三田線春日駅すぐそばで、文京区民センターの隣です。もし見かけても入らないことを強くお勧めします。もっとも、金を払って他人が使った器を下げる、という経験をぜひしたい、というの人にとっては「お勧めの店」になりますが・・・。

2008年06月07日

カラーコピーが進化した象徴?

 電車に乗っていたら、ヤングジャンプの中吊り広告が目に付きました。その中に、原寸大バスト!!ぷるるん袋とじ。カラーコピーして封入という文字がありました。
 使われている語句自体、なんだかな、という感じですが、それよりも、その「特別付録」そのものに驚きました。別に、女性タレントの胸部を強調したければ、接写写真をグラビアに載せればいいだけと思うのですが、それをわざわざコピー機を使って複写(?)する事に何の意味があるのか、不思議でなりません。
 まあ、そのような事をするくらいですから、カラーコピーの技術が進化し、より精緻に複写できるようになった、という事なのでしょう。それが分かった、という点では、貴重な情報源となった広告でした。
 それにしても、そのような「コピー」が売りになるとは驚きです。改めて、自分が一般的な漫画雑誌を読む層から離れてしまっている事を自覚させられました。

2008年06月06日

年不相応

 昼休みに弁当箱を洗っていたら、通りかかった同じ部署の先輩女性に「偉いわね」と言われました。これ自体は、どこでもある会話で、前の職場でも、その前の職場でも経験しています。
 というわけで、そこまでは別に慣れた会話でした。しかしながら、その先輩は、続いて「お弁当、○○さんが作ったの?」と尋ねてきました。
 ○○の部分がよく聞こえなかったのですが、とりあえず、「ええ、家内が」と答えました。すると、その先輩は驚いたような顔をしていました。その反応から見るに、先ほどの質問は「お母さんが作ったの?」だったようです。

 遺伝子の関係なのか、我が家の人間は年より若く見られます。したがって、初対面の相手に年齢を言った時に相手が驚くのも慣れてはいます。そのうえ、今の会社では入社3ヶ月の「新人」です。
 とはいえ、半年前に結婚10周年をむかえ、来年は「不惑」という年であるにも関わらず、「就職したてで、親に弁当を作ってもらっている青年」であるかのように思われたのには驚きました。一般的に若く見られるのは嬉しいことではあります。しかし、そこまで勘違いされると、さすがに複雑なものがあります。
 年相応に見られるべく、なにか外見を工夫すべきだろうか、とまで思ったほどでした。やはり人間、年齢相応に見られるのが無難です。

2008年06月05日

規則正しい(?)生活

 昨日と一昨日は、仕事の忙しさがほぼ同じでした。そういう事もあり、同じ時刻に退勤し、秋葉原からホームライナーに乗って、缶入りアルコール飲料を飲みながら帰り、帰宅後は風呂に入った後、また缶アルコール飲料を飲みながら夕食と、二日続けて判で押したような生活をしていました。
 この生活パターンと、心身の疲れの度合いがあうのか、二日とも、自分的にはかなり早い時刻に眠気が襲ってきました。というわけで、昨日などは、ここの更新も行えずに眠りにつきました。

 で、今日は少々仕事に余裕があり、1時間ほど早く帰宅しました。そして、アルコール片手に食事しながらナイターを見ていました。1時間早く帰るのですから、その分早く寝れると思われるのですが、そのような事はありません。というわけで、昨日だったら眠くてたまらなかった時刻に、このようにサイト更新をしているわけです。
 このあたりの兼ね合いは不思議で、40年近く生きているにも関わらず、いまだに自分の体がよく分かりません。これを自由に調整できれば、より生活が楽になると思われます。しかしながら、それを会得するのはそう簡単にはいかなさそうです。
 とりあえず、21時まで働いてホームライナーの中で酒を飲んで・・・とやると0時くらいに眠くなる事は確かなようです。しかしながら、さすがにそれを毎日やる気は起きません。もっと早く帰宅して、自分の都合のいい時刻に寝れるような生活術を身につけたいものです。

2008年06月02日

ドコモダケの老夫婦

 電車の中で、すっかりお馴染みとなっている「ドコモダケ」が出ている広告を見ました。相変らず、茸の一家が三世代でほのぼのと(?)暮らしています。
 しかしながら、よく見ていると、気になる事が生じました。「ドコモダケ」の祖父母は、紫色のかさに斑点が入っている、という意匠です。一般常識から考えると、そのような派手な色合いの茸は、毒キノコというのが相場です。
 一度そうやって見ると、茶色系の親子のほうも、その赤みを帯びた色と、祖父母ゆずりの(?)斑点から、毒キノコのように見えてきました。
 まあ、これには自分が筋金入りのキノコ嫌いだから、というのが原因で、ついそのように見てしまう、というのもあるのでしょう。
 とはいえ、一般的に「毒キノコ」と言われている色合いで「擬人化キノコ」を描く、というのはやはり変なのでは、と思った次第でした。

2008年05月31日

ミックスナッツ

 ビールのつまみにミックスナッツを食べ、何気なく袋の裏面を見ました。すると、そこには構成物とともに、原産国が書いてありました。なんでも、ピーナッツは中国、クルミとアーモンドはアメリカ、カシューナッツはインドとの事でした。また、調味料も細かく別れており、食塩はアメリカ産の岩塩と国産の塩を混ぜているとのこと。さらに国産のアーモンドオイルも使われている、という事でした。
 200円もしないミックスナッツですが、なかなかスケールの大きい作り方をしているものだ、と驚きました。あと、しょうもない事ですが、他の材料・調味料に全て原産国が書かれている中、唯一国名のなかった調味料「植物油」がどこで作られたのか、少々気になりました。

駅から5分の長屋

 昨日の事ですが、京都駅から歩いて3分くらいの所で仕事をしていました。途中、荷物を送るためにコンビニに行ったので、案内してもらいました。その帰り、「近道しよう」と言うやいなや、その人は、幅が1メートルもないような道に入っていきました。
 その道は、半分舗装されているような感じです。そして、左側は塀で、右側は平屋ですが、扉にはそれぞれ表札のようなものがついていました。いわゆる「長屋」という感じです。数十年前の風物詩で描かれたも
 そこを通り抜けたら、先ほどの、駅から3分の仕事場に戻りました。つまり、この長屋は、新幹線の全列車が止まる京都駅まで歩いて5分くらいの所にあるわけです。
 長大な京都駅ビルから出てちょっと歩くと長屋がある、という対照は、なかなか興味深いものがありました。

2008年05月30日

面倒な会員カード

 今日泊っているホテルに受付した時、「無料ですので、会員カードを作りませんか」と言われました。私は基本的に、自分の意思で継続的に行こうと思った所以外は、その類の勧めは断ることにしています。しかし、同行者が「はい」と言ってしまったために、なし崩しで作る羽目になってしまいました。
 まあ、家に帰ったら捨てればいいや、と思ったのですが、ここのカードは単なるポイントカードではありませんでした。何とこのカードはルームキーも兼ねており、チェーン店どこでも使える、との事でした。
 一見便利そうに聞こえます。しかしながら、もし同じ系列のホテルに泊った時、このカードを持っていないと、「会員ですが、カードを忘れました」と気まずい思いをしなくてはいけなくなってしまうわけです。

 ホテルとしては、顧客囲い込みができる上に、ルームキーの節約もできるわけで、非常に便利な制度と言えるでしょう。しかしながら、こちらとしては、仮にあと数回泊ったとしても、得られるポイントなどたかが知れているわけで、「カードを持たねばならない」という不便さみたいなものしかないわけです。
 受付時にそのような目にあった事もあり、特に不備などがあったわけでもないのですが、ホテルに対してあまりいい印象は持てませんでした。

2008年05月29日

老人とバイキング

 朝、ホテル一階で朝食を取ろうとすると、エレベーター前で四人の老人と一緒になりました。いずれも、杖をついていて、雰囲気からすると平均年齢80歳以上、という感じでした。しかし、元気は良く、楽しそうに会話していました。
 そしてバイキング形式の朝食会場で食べ物を取っていると、しばらくしてその四人が会場に来ました。最初、店の人は「大変すみませんが、ここではご自身で料理を取っていただく方式になっております」と言っていました。
 しかしながら、杖をついて、腰も曲がっている人たちにそのような事ができるわけがありません。結局、店の人が注文を聞きながら皿に取っていました。本来の業務でないにも関わらず、料理を選ぶときの店員さんの話し方は非常に感じがよく、聞いている自分も気分がよくなったほどでした。

 杖をついた老人だから、店のルールと違っていても、食べ物を店員が取る、というのは当然の事です。それの当然の事を嬉しく思えたのは、もちろん、店員さんの対応が良かったからというのが一番です。
 ただ、それとは別に、その「当然の事」が当然でなくなりつつある風潮があり、それと違った風景を見たから喜べたのかな、とも思いました。なにしろ、国家が率先して老人が暮らしにくい世の中を作ろうとしているわけですから・・・。
 そうやって考えると喜んでばかりもいられないわけですが、とりあえず朝からいい光景を見れたのはいい事でした。

京都の標語

 今日は京都で仕事でした。昨日は、大阪で見た奇妙な看板を紹介しましたが、京都にも趣のあるものがありました。
 それは、「登下校、スピード出し過ぎ、危険球」というものでした。最後の一文字を除けば、まあ、普通の「子供が登下校する時間帯の運転は特に注意するように」という標語になります。しかしながら、最後の一言が謎すぎます。なぜ速度を遵守しないと、野球の頭部死球になるのでしょうか。
 十七文字で作ろうとしたものの、最後の一言でどうしてもいい言葉が浮かばずに、苦し紛れで入れたのでしょうか、それとも、熱烈な野球ファンの人が、「交通事故と危険球には類似点が多い」と思って作ったのでしょうか。
 いずれにせよ、前日の大阪とはまた別の不思議さを感じた標語でした。

2008年05月28日

ひったくり警告用ダジャレ

 大阪市内の道ばたで、防犯の立て看板を見かけました。そこには、「ひったくりに注意。あなたのバッグを、後ろ(バック)から狙っている」という文言が書かれていました。
 最初、この看板を見て、「よし、バックからの引ったくりに備えて、バッグには注意しよう」などと思う人がいるのだろうか、とも思いました。
 もっとも、これは「大阪では普通」なのかもしれません。ならば、見ている人は、普通の看板と同じように認識し、「ダジャレ」の特殊性など気にしないのかも、とも思いました。
 いずれにせよ、慣れない出張者に取っては、極めて印象に残る、二行の警告文でした。

2008年05月27日

ズボンが連続して死亡

 先月の出張で作業している時に、ズボンの尻が破れる、という事故がありました。そして、月曜に降ろしたスーツを着て、都内の事業所で仕事をしていたら、しゃがんだ瞬間に、またもズボンが裂けました。
 いずれも古いもので、既に痛んでいたので仕方ない部分はあります。とはいえ、月曜の件は、それまで普通に事務仕事をしていて、しゃがんだ瞬間に発生したので、かなり驚きました。
 ちなみに、本日から出張でした。もし、月曜日に裂けなくても、火曜以降に作業をした際に同様の事故が起こっていた可能性は高かったでしょう。そう考えれば、月曜に寿命が尽きたのは、むしろ、幸運だったと言えるかもしれません。
 もっとも、月曜の数時間、太ももの部分が20cmくらい裂けたズボンをはきながら仕事をするのは、かなり厳しいものがありました。まあ、普通、男の内股に注目する人はいないだろうから、気付かれる事はないとは思っており、実際、その通りではあったので、実害は特にはなかったのですが・・・。

2008年05月23日

雑談二件

 農薬を飲んで自殺した人の吐瀉物から有毒ガスが発生し、近くにいた人たちが被害を受けた、というニュースがありました。これについて、病院の治療体制に視点を当てたニュースが多々ありましたが、さほど前例がないのに、それについての対策を取る、というのは素人目に見ても不可能だと思います。病院にとっては災難としか言いようがないでしょう。
 そんな事より、問題なのは、「飲めば死ぬばかりか、吐いたものから毒ガスが出るような物騒な薬品を、食物であるところの農産物に恒常的にかけている、という事だと思うのですが・・・。

 メールを見ていたら、ANAから誕生日祝いメールが来ていました。言うまでもない事ですが、データベースを元に、テンプレートの文章に名前を入れて、機械的に作成されたメールです。その文面の中に「お誕生日という特別な今日、素敵な一日をお過ごしください。この一年が幸福と希望に満ちた日々でありますように・・・。」そんな想いを込めてなどと書いてありました。
 いったい、誰の「想い」が込もっているのだろうか、などと読んでいて思いました。特に、親や妹から誕生日メールを貰って嬉しかっただけに、その白々しい文章が一層、鼻につきました。
 この企画を立てた人は、「もし自分がこのような自動生成メールをもらったらどう思うか」という事を考えたのでしょうか。興味深いところです。

仏典

 昨晩、疲れすぎたせいか、なかなか眠れませんでした。こういう時は睡眠導入剤代わりに本を読むとしたものですが、今回、持ってきた本は、将棋の戦法書のみ。そんなの読んでいたら寝れるものも寝れなくなってしまいます。
 どうしようかと思って何の気なしにホテルの引き出しを開けたら、聖書と仏典が出てきました。聖書は子供の頃に親の影響である程度読んでいたので、仏典を読むことにしました。冒頭に書かれた仏陀の生涯を読みながら、手塚治虫氏の「ブッダ」と比べると・・・などとやっているうちに、自然と眠気が誘発されました。

 聖典を読んで10分程度で目的が達せられたわけです。かなりの御利益と言えるでしょう。
 ちなみに、産まれてすぐに「天上天下唯我独尊」などと言った、などという逸話は、その仏典には書かれていませんでした。やはり、ああいうのは、教祖を過度に持ち上げようとする後世の信者が勝手に作ったのだろうか、などと思いました。
 また、これは仏典にあった記載なのですが、出家直後に悪魔の誘惑があった、というくだりが、キリストのそれと酷似していたのも印象に残りました。偶然、東西の教祖の逸話が重なったのでしょうか。それとも、同じ元ネタから派生したのでしょうか。そんな事も含め、興味深く読めました。
 もちろん、これを機に、仏道に帰依する気になった、などという事はありませんでした。とはいえ、これも何かの縁なので、今後、泊ったホテルに仏典があったら読み続けてみようと思ったりもしました。

2008年05月22日

車の中で誕生日をむかえる

 相変らず出張中です。いろいろあって、宿に着いたときは日付が変っていました。今日は誕生日なのですが、おかげで、39歳になった瞬間を車の助手席で迎える羽目になりました。
 家の外で誕生日、という事自体も初めてなのですが、まあこれは仕事だから仕方ありません。とはいえ、せめて誕生日になる瞬間くらいは、もう少しのんびりした状況で迎えたかったものだ、と思いました。
 いずれにせよ、これで30代はあと1年です。来年迎える「不惑」はどのような形で迎えるのか、我が事ながら興味深いです。

2008年05月20日

21年ぶりの京都泊は・・・

 今日から金曜まで関西に出張。来週も同じ出張が一セット控えています。まあ、先月が月曜-金曜の二セットに対し、今月は火曜-金曜なので、少し楽ではあるのですが・・・。
 さて、今日の宿泊先は京都でした。ここ20年ほど、関西には仕事も含めると、二年に一度以上の割合で行っていました。しかしながら、止まったのは常に大阪か神戸でしたので、京都に止まったのは高校二年の時に修学旅行で行って以来、21年ぶりです。

 で、21年ぶりとなる京都の夜をどう過ごしたかですが、夕食食べて部屋に入り、ずっとパソコンの動画中継で野球を見ていました。しかしながら、その内容・結果は自分にとっての野球観戦において、最も愉快でない形に終わりました。
 というわけで、いい思い出がなにもない、21年ぶりの京都となってしまいました。まあ、来週も京都に泊るのけれど、その時は今日ほどひどい夜にはならないからいいか、と思うことにしました。
 せめて少しでも京都泊気分を楽しむためにも、明日は早起きして賀茂川べりでも散歩しようかと思っています。

2008年05月19日

ポストの集配時間

 郵便物を出しに、最寄りのポストまで行きました。別に急ぎのものではないのですが、何気なく「集配時刻」欄を見ました。すると、曜日に関わらず、一日二回の集配となっていました。
 以前は、平日なら最低4回は集配があったように記憶しています。実際、そのポストの集配時刻欄にも消した跡がありました。電子メール普及のせいなのか、「民営化」の余波なのかは知りませんが、いつの間にかそういった時代になっていたようです。
 何年か前に、「コンビニで郵便物を集配、ただし一日に一回だけ」というニュースを見た時は、「そんなの、何の意味があるんだ?」などと思ったものでしたが、今にして思えば、時代を先取りしていたのかもしれません。
 自分自身、郵便とはほとんど縁のない生活を送っているので、それで何か困ることもありません。とはいえ、その「平日でも一日二回」の表示を見たときは、物寂しさを感じました。

2008年05月17日

漫画を持ちながら仕事

 今日は久々に津田沼で買い物。来週からの出張で使うカート型かばんから漫画雑誌まで、いろいろと買い込みました。
 買い物が終わって駅に入ると、次の電車まで少々時間がありました。そこでベンチに座って、先ほど買った漫画雑誌を読んでいると、携帯が鳴りました。着信音を振り分けているため、即座に仕事関係の電話だと分かりました。
 休みの日に携帯にかかるのにも慣れているので、特に不快な感情を表に出さず応対しました。内容についても、わざわざ休みにかける程のものではありませんでしたが、頭の中に入っている情報を元に、適切な回答をする事ができました。

 そのうち、電車が来たので切ったのですが、その時、自分が漫画雑誌を持ちながら仕事の話をしていた事に気づきました。
 もちろん、現在は社会人を対象とした漫画が多数発表されるような時代です。漫画を小脇に携帯で仕事の話をしている人、というのも珍しいものではありません。
 とはいえ、私がその時に読んでいた漫画雑誌は、普通の30代後半男性会社員はまず読まないものでした。それを膝に起きながら、仕事についてどうこう言ったり考えたりしていた訳です。その姿を振り返ると、我が事ながら笑えました。

冷静に考えると変な言葉

 子供の頃から食パンが好きで、当たり前のように買ったり食べていました。ところが今日、スーパーのパン売場で食パンを見ていたら、奇妙な事に気づきました。
 「食」という接頭語がついているわけですが、他に売られているパンとて、当然ながら食用です。これが菊やカエルなら、食べることが珍しいわけですから「食(用)」とついてもおかしいとは思いません。しかしながら、パンというのは普通、食べるものです。
 一応、「菓子パン」との区別という解釈もできます。しかしながらそれだと、バターロールなども「食パン」になってしまいます。
 40年近く、普通に使っていた単語でした。しかしながら、考えてみると、かなり奇妙だな、という事に気づいてしまいました。

2008年05月14日

「基幹メディア」を作る人と売る人

 日本新聞協会が行ったアンケートによると、新聞:「読んでいる」92.3%…基幹メディア改めて確認という結果が出たそうです。
 このアンケート、いつどこで誰がやったのか、非常に興味があります。たとえば、休日の昼下がりに「戸別訪問」してアンケートを行ったらどのような結果が出たでしょうか。
 ちなみに、この前の日曜の昼、そのような状況で「近所の読売新聞の者ですが・・・」と言う来客が我が家にありました。当然ながら、こちらは即座に「うちは新聞取らないことにしているんです」と「回答」しました。

 ちなみに、その、自らを「基幹メディア」と褒め称える記事は、新聞への評価は▽社会に対する影響力がある60.7%▽情報源として欠かせない53.8%▽知的である50.6%などなどと自画自賛の嵐です。
 これについても、同様に「休日の昼、家に新聞を売り込みに来る人」の評価もアンケートを取って、その結果を公表してほしいものだと思いました。
 新聞社はいろいろな意味で、もう少し「売っている人」に脚光を当てて欲しいものだ、とより一層思った、「基幹メディア」の記事でした。

2008年05月12日

塾開設ブーム?

 最近になって、家の周りに塾が目立って増えました。閉店したミニストップの跡地が塾になったと思えば、すぐ近くにあった音響機器会社の事務所も、いつの間にやら塾になっていました。
 何らかのデータに基づいて開業を決めているとは思います。とはいえ、少子化が言われている時代に、そんな塾を作って儲かるのかなと、他人事ながら気になります。これについては、何年かたって、それらの塾がどうなっているかを見れば、自ずと分かるわけですが・・・。
 あと、家のすぐ近くにできた塾ですが、玄関の外に生徒がたむろっており、なかには、我がアパートの敷地にまで進出している子供もいました。フランチャイズ制の塾だから、教え方はマニュアル化しているのでしょうが、生徒指導はマニュアル化されていないのだろうか、と思いました。何らかの問題にならないだろうか、とこちらは他人事でなく心配しています。

2008年05月10日

担任教師

 小学校の時は転校が多く、あわせて八人の担任につきました。また、中学では毎年担任が替わりました。一方、高校では1年から2年の時にクラス替えがあったものの、2年から3年の間にはありませんでした。そのため、2年の時の担任が3年の時も引き続き、私にとって最長かつ唯一の「二年続けて担任教師」となりました。
 しかしながら、その担任教師に対するいい思い出は全くありません。ただでさえ文系志望でさほど数学に興味がなかったのに加え、その教師の授業は分かりにくく、最初の数ヶ月で聞く気がなくなりました。したがって、どんな授業をしていたかの記憶もありません。

 ところが、大学受験の目前、その教師は、ホームルームで今でも忘れ得ぬ、すごい発言をしました。確か、大学への出願書類か何かの話をしていたのですが、彼は「君たちが、大学受験に失敗しようと、私は痛くもかゆくもない」と全員に向けて言い放ったのです。
 確かに、私のような、授業も聞かないような生徒の合否などは「痛くもかゆくもない」のは当然かもしれません。しかしながら、他には真面目に彼の授業を真剣に聞いていた人もいたはずです。にも関わらず、この発言は何なのか、と思いました。
 そういう事もあり、多くの生徒は担任を慕っていませんでした。卒業式の日、教室で卒業証書を担任から渡されたのですが、その時、担任に向けて「アイスクリームパンチ」を飛ばした人がいました。普段は真面目な人だっただけに、よほどその教師が嫌いだったのでしょう。また、それに対して、彼の行動をとがめる人はいませんでした。
 さて、先日、毎年一回発行される、高校の同窓会誌が送られてきました。そこに、人物往来欄があったのですが、そこにその教師の訃報が掲載されていました。さすがに、20年もたった今は、かつての「暴言」に対する怒りの感情などは消えています。とはいえ、大変失礼かつ残念な事ですが、その訃報に対して、感慨のようなものを持つことはできませんでした。

見ず知らずの「隣人」の不幸を喜びたくなるとき

 以前にも書きましたが、会社の近くに公園があり、昼休みに行ったりします。公園と言っても、平日の昼ですから、いるのは私も含めて、大人ばかりです。
 そういうわけで、この公園には、奥の方に「喫煙所」が設けられています。公園に入れば、ベンチが空いているにも関わらず、その一角で何人もの人が立って喫煙しているわけですから、煙草を吸わない私でも、一目で「あそこが喫煙所なんだな」と分かります。
 そういうわけで、喫煙所から離れたベンチに座っていたのですが、なぜか煙草のにおいがしてきました。その方向を見たら、すぐそばのベンチに座っている人が煙草を吸っていました。

 非常識な人だと思いつつ、その人を見ていたら、スーツの背中に何かついているのが見えました。よく見ると、鳥の糞でした。
 もちろん、禁煙スペースで煙草を吸っているのを見た神が鳥に命じて、彼のスーツを汚させた、などとは思いません。とはいえ、それを見たときは、見ず知らずの人であるにも関わらず、「そんな非常識な事をしているから、そういう目にあうんだ」とその「不幸」を喜んでしまいました。
 ちなみに、この公園には「喫煙は灰皿のある場所で」という立て札もあります。にも関わらず。他にもベンチで煙草を吸っている人が少なからずいました。なんで、ちょっと見まわせば「ここは禁煙」と分かるのに、そのような事をするのでしょうか。理解に苦しみます。

2008年05月09日

中国の右翼?

 連休終盤あたりから、四谷駅付近にやけに警官が集まるようになりました。特に、ニューオータニへ通じる道は、柵まで設置されています。その時点では、「何だかよく分からないが、ここでの信号待ちがなくなって良かった」などと喜んでいました。
 しかし、昨日になって様相は一変しました。いきなり、大音量で中国語と思しき言葉を流す街宣車(?)が出現したのです。その時初めて、訪日中の中国の胡主席がこのあたりで会談ならびに宿泊をしている、という事に気づきました。

 それにしても、その街宣車の意図はどこにあるのでしょうか。まあ、胡主席を歓迎しているようには思えませんでしたので、「反体制活動」なのでしょう。しかしながら、中国の人が偶然通りかかりでもしない限り、大音量で流していることは理解されないでしょう。
 もしかしたら、日本で同様の事をしている団体のように、言っている内容そのものよりも、その「街宣活動」が中国で認識される事が目的なのだろうか、と思いました。それで何らかの存在感を認められ、それを元に収益活動を行おう、という考えなわけです。
 ついでに、「中国は一応、『左翼国家』だから、それに反する彼らは、『街宣右翼』になるのだろうか?」などとしょうもない事を考えてしまいました。
 あと、日本語だろうと中国語だろうと、復古主義だろうと反体制(?)だろうと、大音量を用いて街中でその主張を流すのは、騒音以外の何者でもない、という事を、改めて認識させられました。

2008年05月08日

外国を模したテーマパーク

 名古屋にあった「イタリア村」なるテーマパークが潰れた、というニュースを見ました。今回のニュースを見るまで、そのような施設がある事すら知らなかった身で言うのもなんですが、「なにゆえ、名古屋でイタリア?」と思いました。
 先月、仕事でハウステンボスに行きましたが、こちらも平日という事を加味しても、かなりの閑散ぶりで、「さすがは経営破綻しただけの事はあるな」と思ったものでした。これだって、わざわざ長崎の奥まで行って、オランダ気分を味わった上に金を落とす余裕のある人なら、最初からオランダに行くのでは、と思います。

 もちろん、そういう観光需要が全くないとは思いません。しかしながら、これらの施設の現状を見る限り、それで商売を成り立たせるのはかなり難しいのでは、と思います。
 どうせやるなら、むしろ「大阪村」とか「名古屋村」とかを作って、現実を誇張したベタベタな「地域体験」を提供したほうが、まだ儲かるのでは、などと素人考えながら思いました。
 余談ですが、我が千葉県には「東京ドイツ村」なる施設があるそうです。我が家から行くには、ひたすら東京と反対方向に進む必要があります。なぜ「東京」がつくのかも含め、興味のある施設ではあります。もし、かなりの暇および、交通費と入場料が全てタダ、みたいなクーポン券でもあれば、一度は行ってみたいと思っています。

2008年05月07日

脳力ストレッチ

 携帯にプリインストールされているiアプリ「脳力ストレッチング」にハマっています。世間の流行から数年遅れて、自分の中にも「脳トレブーム」が来たといったところでしょうか。
 このゲームは、「毎日トレーニング」と「選んでトレーニング」というのがあります。「毎日・・・」のほうは、簡単な計算問題などを毎日任意に選んで出題し、それを元に「脳年齢」を測定する、という基本的なものです。
 一方、「選んで・・・」のほうですが、中には「どこが脳トレなんだ」と思うものが混ざっています。たとえば、早押し射的ゲームみたいなものが「判断力トレーニング」に含まれていたりするのです。

 そのような違和感を覚えながらも、ゲームにはハマっています。今日も帰りの電車の中で、30分以上、完全クリアを目指し、射的ゲームをやっていました。
 そして、一段落したときにふと、「この射的をやることが、頭のどこに好影響を及ぼすのだろうか」と思えてきました。どう考えても、それだけの時間を射的ゲームに費やすくらいなら、本でも読んでいたほうが、よほど頭には有益です。
 頭の片隅ではそう思いながらも、ハマった以上、やり続けてしまうわけです。面白いのは面白いのですが、「脳のトレーニング」という観点からすると、これはいかがなものか、と思いました。

2008年05月05日

連休明けまでに・・・

 世間は黄金週間ですが、今の仕事はとにかく月初は多忙です。そのため、5月3日から7日連続出勤という、世間とは正反対の状態で生活しています。
 しかしながら、仕事しているとはいえ、世間は連休なので、いろいろと影響は受けます。そのため、ついつい「この仕事は、連休が終わるまでに片付けておけばいいか」などと考えてしまいます。そうこうしているうちに、連休も残り一日に。振り返ると、明日中に終わらせねばならない仕事が、いくつも残ってしまいました。
 結局、休もうが仕事しようが、「連休最後の日」にはやり残しがたまる、という事だけはよく分かりました。来年の黄金週間は、こんな事なきよう、連休終了前日までに溜めた仕事を片付けておきたいものです。

2008年05月02日

硫化水素ブーム?

 何だか知りませんが、「自室などで硫化水素を化学的に発生させ、それを吸って自殺する」というのが流行しているようです。
 そしてそれに対し、世の中ではいろいろな「対策」が練られているようです。何でも、教科書における「硫化水素を発生させる」実験の記述を見直そうという動きがあるそうです。また、今日、電車の中で見た週刊誌の中吊り広告には、「硫化水素自殺は、言われているほどいいものではない。苦しむ上に死体には斑点ができる」などという、「自殺防止キャンペーン記事(?)」が掲載されていました。

 彼らは、いろいろな方法で「硫化水素自殺」を阻止する方法を考えているようです。それは結構なのですが、何か根本的に間違っています。なにしろ、これらの記事を見ると、防ぐべき事は「硫化水素を使うこと」なのか「自殺すること」のどちらなのか分かりません。
 いくら「硫化水素を使わせない事」を考え、広報しても何の意味もないでしょう。仮にそれらの活字によって硫化水素を使うことを断念する人がいたとしても何ら意味はありません。その人は、異なる自殺の方法を探すだけです。
 ここまで書けば分かるように、本来必要なのは「硫化水素を使わせない」事ではなく、「自殺をさせない」事であるのは明白です。そう考えると、一連の「教科書記載見直し」の動きや、「硫化水素で自殺すると・・・」などという記事は、明らかに本質からずれ過ぎている事がよく分かります。
 もっとも、「75過ぎたら無駄に医療費など使わず、早く死ね」と言っているとしか思えないような政治がまかり通っている国なわけです。そう考えると、「自殺を思いとどまれば、いい事がある」などと胸を張って主張できないのも仕方ない、と言わざるを得ません。
 そのように考えていくと、最近の「反・硫化水素キャンペーン(?)」は、あえて「年々増えている自殺数」という現実から視点をずらすために、わざとやっているのでは、などとまで思えてくるようになってしまいました。

2008年05月01日

慣れる過程

 今の職場に来て丸二ヶ月が経ちました。といってもちょくちょく書いているように、4割方は出張しているので、本社には30日くらいしか行っていません。おかげで、フロアなのに、いまだに名前と顔が一致ない人がいる一方で、関西や九州にある程度気軽な会話ができる人ができた、といった奇妙な状況になっています。
 というわけで、まだ、本社に自分の居場所ができた、と言える状況ではありません。とはいえ、少しずつ周りの人と話す時の雰囲気が変った、と思うときがあります。そういう特は「少し馴染んだかな」などと思います。

 前の転職の時は、同期入社の人達とはすぐに親しくなりました。しかしながら、入社して数ヶ月は、同期だけでの「自主研修」みたいな形になっており、先輩社員とはなかなか会話をする機会が作れませんでした。
 そのため、周りにはすぐ馴染んだ物の、会社全体とはなかなか馴染めない、という状態が少なからず続きました。
 今回は逆に、いまだに親しいと言える人はいません。そういう点では気まずいものもありますが、少しずつ居場所を作っている、という感じです。
 どちらがいい形なのかは分かりません。今後、どのような過程を経て馴染んでいくのか、我が事ながら、興味深く観察しようと思っています。

2008年04月29日

疲れと悪夢

 先週・先々週と二週連続でフル出張し、しかも遅くまで働いた疲れがなかなか抜けません。日曜日はほとんど寝て過ごしました。今日も同じように過ごそうかと思いましたが、あまり寝てばかりいるのもかえって良くないかと思って野球観戦に行きました。結果はともかく、いい気分転換になり、頑張って正解だったと思いました。
 それはともかく、肉体のみならず、精神的な疲労も少なからぬ蓄積されているようです。そのため、ここの所、変な夢ばかり見ます。夢の中で出張の続きをしている、というのが一番よくありますが、昨晩見たのは「新パターン」でした。

 その悪夢の中で愛読している漫画の単行本を読んでいました。しかし、読んでいるいるうちに何か異常な展開になってしまい、変だと思ってよく見たら、読んでいたのはその漫画のエロ同人誌だった、というオチでした。
 こうやって書くとギャグみたいですが、まだ日が出ていないのにも関わらず、飛び起きてしまうほど、自分にとっては悪夢でした。
 やはり、精神的な疲れがなかなか抜けない、という事でしょうか。まあ、とにかく仕事に慣れる事と、仕事上の障害を除去するより対策はありません。悪夢ばかり見るのもいやなので、何とかこの二つの課題を早く達成しようと思っています。

2008年04月25日

神戸港と「ぼっかけうどん」

 昨日から神戸ハーバーランドにあるホテルに泊っています。窓の外には神戸港が広がる、というなかなかの立地です。せっかくなので、写真を撮ってみました。
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※写真をクリックすると、同じ窓で大きな画像が開きます。

 そして、昼は宿泊地の近くにあるホテルで「ぼっかけうどん」を食べました。初めて聞く名前でしたが、上に肉と糸こんにゃくを甘辛く煮たものがのっているうどんでした。
 とりあえず、今回の出張で「目標」としていた「関西でうどんを食べる」を達成できたので、一安心できました。

2008年04月23日

時代の東西差

 大阪の事務所の近くに、日本冶金工業の「さあ、ステンレスの時代だ」と書かれた大きな看板がありました。かつては東京の社屋にもこれほどまで大きくはないものの、同じ文字の看板がありました。。しかし、数年前に平凡なものに変ってしまいました。何度か見たのですが、平凡すぎて、いまだに何と書かれているのか覚えられません。(追記・この前見たところ、「ステンレスと高性能金属 It's Yakin」という平凡なものでした)
 しかし、大阪では相変らず「ステンレスの時代」が続いていたようです。しかも、東京のものよりもずっと大きい看板でそれを謳っているわけです。東京の看板から「ステンレスの時代だ」が消えたときに寂しい思いをしただけに、大阪で堂々たる看板を見れたのは嬉しいことでした。
 出来ることなら、こちらでは永遠に「ステンレスの時代」が続いてほしいものだ、と思いました。

2008年04月21日

大阪出張

 先週は一週間九州ですが、今週は一週間大阪です。いろいろな事情があるようで、このような厳しい日程を強いられているわけですが、まあ、これも貴重な経験だと思うことにしています。
 もっとも、先週と同じく、仕事していたら夜遅くなる、といった感じでした。仕事が厳しいのは想定内だったため、普段は車窓を見る東海道新幹線の中でもずっと寝ていました。おかげで本当に、仕事だけの一日、という感じ。「大阪」を感じたのは、市営地下鉄に乗ったときくらいでした。食事も昼はカレーで夜はコンビニです。
 仕事で行っているのですから、「名物」を味わえないのは当然の事です、とはいえ、せめてどこかで、うどんくらいは食べたいものです。その時間を作るべく、効率的に仕事を片付けるのが、今週の目標、といったところでしょうか。

2008年04月18日

二日で600キロ移動する

佐世保から門司港まで行って、そこから博多まで戻りました。宿に着いた時は日付が変わっていました。
これでせめて移動が鉄道ならいいのですが、全行程がレンタカーでした。運転者に気遣うため、移動中の居眠りもままならないので、疲れが倍増しました。
ちなみに、夜は、刻々と点差が開いていった千葉の負け試合を「速報メール観戦」しながらの移動でした。せめてこれが勝ち試合でしたら、疲れも減ったかもしれない、などと思いました。
さらにとどめ(?)で、上司が手配した宿は、インターネットが使えませんでした。机の上にLANの代わり(?)にあった、モジュラージャックの穴を見た時は、最後の最後まで疲れる一日だったと、他人事みたいに笑いたくなってしまいました。

2008年04月17日

海藻サラダと軍港

 昨晩は鹿児島に泊り、夕方まで仕事をして佐世保へ移動しました。同じ九州とはいえ、両市は300キロ以上離れているから東京から名古屋へ行くようなもの。そして鹿児島の一部を除けば在来線ですから、所要時間は東京-岡山並みの3時間半でした。
 そんな中、なんとか佐世保へ到着。上司のおごりで郷土料理やに繰り出しました。とりあえず、港町なので魚が売りの店に行きました。魚をいろいろと注文した後、野菜もと思い、海藻サラダを頼みました。関東の感覚で、「レタスなどを主としたサラダに海藻が乗っているサラダ」を想像していました。ところが、実際に出てきたのは、色とりどりの海藻の盛り合わせでした。端的に言うと、「刺身のツマだけが出てきた」となります。
 少々驚きましたが、これが「地域性」というものだと納得し、専用のタレにつけて「刺身のツマ」を堪能しました。
 ちなみに、軍港らしく、街中には米兵の姿を何度か見ました。さらに、一部の店には「歓迎、海上自衛隊」などというポスターが貼ってありました。さらに、タクシーの運転手さんと話したところ、普通にドル紙幣で運賃が払われるとの事。これまた、「普段とは違う世界だ」と思わされた風景および逸話でした。

2008年04月15日

蝉と桜

 今日は宮崎で仕事でした。さすがは南国なだけに暖かく、日中に町中を歩いているスーツの人は、みな上着を脱いでいるほどでした。一昨日、千葉マリンスタジアムにて冬の服装で野球観戦をしていただけに、余計、気候の差を感じました。
 そんな中、ちょっと自然が豊かな所に行きました。すると、蝉の鳴き声が聞こえてきました。一瞬、聞き間違いかとも思い、同行した人に「今、蝉の鳴き声が聞こえませんでしたか?」と尋ねたところ、なに当たり前の事聞いているんだ、という感じで「ええ、蝉ですね」と返されました。
 なんでも、宮崎では四月から蝉が鳴くのは極めて普通との事でした。一方、桜については関東より開花が遅く、少々散ってはいたものの、満開に近い感じでした。なんでもこれは、地熱の温度差によるものだそうです。
 という事は、宮崎では蝉の鳴き声を聞きながら花見、というのも可能なわけです。今度は観光でこの季節の宮崎に行き、「蝉の声を聞きながら桜を見る」というのをやってみたいものだ、と思いました。

2008年04月14日

もりもり白菜

 セブンイレブンの惣菜に「もりもり白菜・にんにく風味」というものがあります。名前の通り、白菜の浅漬けをにんにくで味付けしたものです。
 白菜の浅漬けとにんにくが大好物な私にとっては、ある意味、理想的な食品と言えます。というわけで、夜のつまみを買いに行ったときなどで見かけたら、必ず買うことにしています。とはいえ、同じ味覚の人が多いためか、地元のセブンイレブンで見かける事はほとんどありません。

 ところが今日、これまで一度しか行ったことがないセブンイレブンに行ったら、なんと在庫がありました。というわけで、今年初めて「もりもり白菜」を楽しむことができました。
 その店はどこかと言うと、出張先の宮崎でした。今日は朝から晩までトラブル続きですっかりバテてしまい、どこかに繰り出す気力すら起きませんでした。そこで仕方なく、セブンイレブンで夕食と晩酌を購入したわけです。その方針を決めた時は、「何が悲しくて宮崎まで行ってコンビニ夕食を・・・」と思っていました。
 しかしながら、その「幻の逸品」を食べることができたため、その悔しさ(?)は少なからず解消されました。我ながら安っぽいと思います。とはいえ、まあ、何もないよりは十二分にマシとは言えるでしょう。

2008年04月13日

10円を巡る勧誘

 電球などを買いに、津田沼のラオックスに行きました。ついでに、使用済みのプリンタ用インクカートリッジを片付けようと思い、持っていきました。そして、回収箱に入れたところ、店員さんから声がかかりました。
 なんでも、ラオックスのカードに加入すれば、インクカートリッジを一個回収する際に10ポイントがつくとのことです。だから入会しないか、と勧誘を受けました。
 費用は一切無料とのことです。しかしながら、一駅となりであるにも関わらず、このラオックスに行くことはまずありません。したがって、入手しても使いようのない10円分のポイントを得るために、入会手続きをするのは時間の無駄でしかありません。

 とはいえ、店員さんの熱心な姿を見ていると、断りづらいものがあります。その時、以前、相方が今はなき秋葉原ラオックスコンピュータ館で買い物をした際に、カードを作った事を思い出しました。
 幸い、相方の財布の中には、そのカードがありました。そこで、それに10円分のポイントをつけ、問題(?)は解決しました。
 店員さんとしては、会員獲得のノルマみたいなものもあるので、普通に仕事として行っていたわけです。とはいえ、10円相当分のポイントを題材に熱心に行われる勧誘している姿には、何とも言えない不思議な雰囲気を感じてしまいました。

2008年04月12日

昼寝場所

 少々疲れている時は、昼食後に一眠りすると、非常に楽になります。そのため、昼寝ができる場所を取ることは重要になってきます。しかしながら、入社して一ヶ月少々の身だと、なかなかどこで昼寝ができるかが分かりません。
 そこで、今日は天気がいいこともあり、近くの公園で昼寝をしました。意外に日差しがきつく、少々首筋が痛くなったりもしました。しかも座っていたわけですから、熟睡にはほど遠いものでした。とはいえ、春の太陽の下で、夢見心地に過ごす一時、というのもなかなか楽しいものでした。
 ただ、ここを「昼寝場所」にできる期間はかなり限定されます。早く社内に「昼寝場所」を見つけねば、とも思いました。

2008年04月11日

九割以上同じだが・・・

 先日、修理に出した携帯が戻ってきました。修理に出した時点で言われていたので、半ば覚悟はしていましたが、基盤ごと交換となりました。つまり、見た目は同じですが、中身は新品と同じになってしまったわけです。
 とはいえ、アドレス帳やお気に入りは修理中に借りていた代替機に写していました。、そこから戻す事により、以前と同じように使えます。
 しかしながら、待ち受けや着メロに使っていたデータの一部は、有料サイトにあったものでした。したがって、バックアップはできませんでした。しかも、そのサイトは現在は閉鎖されています。そのため、それらの画像・音楽は元に戻すことができませんでした。

 それぞれ、かなり思い入れのあったものなので、大変残念でした。そしてそのため、番号やアドレスはもちろん、外見も中に入っているデータも九割以上が同じであるにも関わらず、自分にとっては全然違うもののように見えてしまいました。
 まあ、失ったものをいつまで惜しんでも仕方ありません。これを機に、さらに効率のいい使い方・設定を探求しようと思い、空いた時間を使って再設定を行っています。

2008年04月09日

目から上

 学生時代のバイトで世話になっていた人に16年ぶりに会いました。すると、顔が変って全然分からなかった、と言われました。
 白髪は少々増えましたが、そんなに老け込んでいるわけではありませんし、体型もさほど変っていません。しかしながら、当時かけていた眼鏡は黒縁で、普通の長さの髪が天然パーマでモジャモジャでした。一方、今は銀縁眼鏡で、髪型は短髪です。つまり、目から上は全然違っているわけです。言われてみれば、分かるわけありません。

 実際、実家で学生時代の自分の写真を見ましたが、確かに別人みたいでした。
 ちなみに、私はmixiには自筆の絵を載せています。線で胴体と手足を描き、その上に「○」を描いて細い眼鏡をかけさせ、頭に短い毛を四本、というラクガキですが、それを見た相方の友達に「よく似ている」と言われたそうです。
 以上の経験から、自分を判別する際には、目から上に全てがかかっている、という事がよくわかりました。

2008年04月08日

事実と番組

 養豚業をやっている大学の後輩が、テレビの取材を受けました。10分番組なのですが、かなり中身が濃く、見ている途中に、「10分番組だと聞いていたけれど、本当は30分番組だったのか?」と本気で思ったほどでした。
 それだけいい番組だったのですが、見ていて一つ違和感がありました。その後輩は、学生時代から養豚業をやると宣言しており、卒業直後に就職した時も、「家業を継ぐ事を前提」と言っていました。ところが、TVでは「継ぐなんて考えていなかった」というナレーションが入っていたのです。

 記憶違いかと思って本人のブログを見ても、やはり当時言っていた事がそのまま書かれていました。
 確かに、番組としては、「最初はやる気がなかった」というほうが筋立てとしては面白いでしょう。また、日本農業の振興を考えても、そちらのほうがいいのかもしれません。しかし、事実は事実なわけです。ならばやはりそのまま書くべきだったのではないのでしょうか。
 全体的に優れた番組だっただけに、より残念に思った「作り」でした。

2008年04月07日

麹町さくら祭りと甘酒

 今日は日曜出勤でした。昼休みに散歩がてら駅前に行ったところ、「麹町さくら祭り」なる行事が行われていました。といっても神輿などが出るわけではありません。駅前にあるちょっとした広場にテントが6つくらい立って、そこで甘酒の無料配布と、焼きそばやパンなどの販売が行われる、という小さな「祭り」でした。
 せっかくだから甘酒を貰ったのですが、配っている人は「米と米麹を用いた本格的な作り方なのでアルコールは入っていません」と言っています。38年生きていましたが、「本格的な甘酒」がノンアルコール飲料だとは知りませんでした。

 帰宅して調べたところ、この甘酒は、薄い粥に麹をいれて発酵させたものとの事でした。一方、アルコールが含まれているものは、酒粕を用いて作るのだそうです。
 本来はアルコールが含まれておらず、酒の味がするわけでもないのに「甘酒」とは不思議なものだと思いました。後発となった「酒粕で作ったもの」のほうがメジャー化したために「酒」になったのでしょうか。
 ついでに、これは「麹町さくら祭り」だから、麹を使った甘酒をふるまっているのだろうか、などとしょうもない事を考えたりもしました。
 なお、先日から書いていたように、近辺の桜は既に盛りを過ぎています。温暖化の影響なのか、ここ数年、桜の季節が早くなっています。「さくら祭り」の開催日も見直す時期に来ているのではなかろうかなどと、散りゆく桜を見ながら思ったりもしました。

2008年04月05日

夜桜

 帰りがけに、四谷駅近くで咲いていた桜を撮りました。何度か書きましたが、新職場の近くは桜が多く、この季節をいろいろと楽しむことができました。今年の桜もそろそろ終わりのようですが、来年もまた新たに花見ができるところを発見したいものです。
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2008年04月01日

自分を歪める嘘

 ピザを頼みました。受付時に聞いた所要時間を過ぎた頃、配達担当者から電話がかかってきました。内容は、「近くの床屋まで来たが、地図が古いために場所が分からないので教えてほしい」というものでした。
 築19年のアパートが載っていない地図なんてあるのか?と思いましたが、そんな事を突っ込んでも意味がないので、丁寧に説明しました。先方は了解しましたが、待てど暮らせど来ません。

 すると、電話がまたかかってきました。また道に迷ったのかと思ったのですが、かけてきたのは先ほどと違う人でした。どうやら、店長さんらしいのですが、配達員が、「呼び鈴を押したが誰も出なかった」と言って戻ってきた、と言うのです。
 念のため、呼び鈴を押してみましたが、もちろん故障していませんでした。そして、その店長さんらしき人が電話から10分後くらいに届けにきました。もちろん、呼び鈴は問題なく鳴りました。
 この配達員は、短い間に二回嘘をついたわけです。しかも、いずれもすぐばれる上に、最初のは店に対し、二つめのは客に対し、非常に失礼な嘘です。
 何か困るとすぐに嘘をつくのがくせになっているのでしょう。しかし、こんな事を続ければ続けるほど、本人にとってよくない事は明白です。
 そうやって嘘をつき続けていたために、50や60過ぎてもミエミエの嘘をついて周りに軽蔑されている人たちを知っています。それだけに余計、その配達員の将来が心配になりました。

2008年03月30日

ドコモショップ休業と混雑

 携帯が壊れました。そこで、駅前のドコモショップで修理をしようと考えました。行く前に念のために営業しているかどうかを確認しようとしました。すると、なぜか公式サイトにある「ドコモショップ一覧」に、幕張本郷店がありませんでした。
 確か、「マイショップ登録」をしていたはずで、「メッセージR」も届く設定になっていました、しかしながら、何ら情報は配信されていませんでした。
 そこで、店舗まで行ったところ、「4月半ばに隣のビルに移転するため、一時休業」という張り紙が出ていました。

 よりによって自分の携帯が故障した時に・・・と思いましたが、仕方ありません。幸い、一駅隣の津田沼にもドコモショップがあるので、そこに行くことにしました。受付の所に、それぞれの待ち時間が書いてあるのですが、故障受付の所は60分となっていました。他の受付には80分などというものもありました。
 店内は人でいっぱいで、座るところもほとんどありません。店員さんによると、番号が呼ばれた時にいなくても、キャンセルにはならない、との事でしたので、隣の丸善で時間をつぶしました。
 50分後くらいに戻り、しばらくしてやっと受け付けてもらった結果、預けての修理となりました。そのための代替機の貸出や、データおよび電子マネーの移行手続きなどが完了して、店を出たときは、最初に受け付けてから2時間が経過していました。
 まあ、年度末のうえ、幕張本郷店が休業しては仕方ないと言えるでしょう。とはいえ、、休む間もなく、しかも、カウンターが満席のため、待合い席に座っている客相手に、膝を床について接客していた店員さんの苦労には同情したくなりました。
 その一方、幕張本郷店の休業通知の配信もせず、かつ公式サイトに「休業中」と表示する代わりに幕張本郷店を跡形なく削除してしまったという本社の運営方法には、大いに疑問を持たされました。

2008年03月29日

昼の花見・夕方の花見

 昨日の昼休み、上智大学沿いの土手で、「花見弁当」を楽しみました。変った壁の大学施設を背景に撮った桜は、樹についているにも関わらず、桜吹雪みたいにも見えました。
 その後、夕方に出かける機会がありました。そこで、丸ノ内線と、点灯直後の東京タワーを桜と組み合わせて撮ってみました。丸ノ内線の地上区間は、ここと後楽園・茗荷谷しかないので、桜を背景に走る丸ノ内線、というのはかなり珍しいのでは、などと思いながら撮りました。
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2008年03月27日

朝の花見

 桜が七分咲きくらいになりました。そこで、一駅前の市ヶ谷で降りて、線路沿いの土手みたいになっている桜並木の中を歩きました。
 この道は、中学の時、市ヶ谷にある塾に通っていた時に、四谷駅でバスを降りて毎週歩いていました。その時に見た桜がいまだに心に残っています。そのため、私にとってここは「一度は花見に再訪したいところ」でした。
 なかなか機会が作れなかったのですが、四ッ谷勤務となったため、24年ぶりにその機会を得ることができたわけです。
 空を覆うように咲く桜は、その頃と変わらぬ美しさでした。
※写真をクリックすると同じ窓で大きい写真が開きます。
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2008年03月25日

平日午前の後楽園

 急な仕事で、朝から後楽園に行きました。高校時代のアルバイトを初め、夜と休日だけなら何十回も行っている所です。しかしながら、平日の明るい時間に行くのは初めてでした。
 別に平日でも休日でも昼間の風景は変わらないはずです。ところが、場外馬券売場を見たときは、かなり驚きました。
 別に今日、競馬が開催されているわけではないようです。それどころか、帰宅後に調べたところ、今日は月に数回の「平日払戻休務日」とのこと。したがって、ウインズに行く必要など何もないのではと、素人には思えます。

 ところが、そこには少なからぬ年配の人がいて、新聞を見ながら何やら研究をしていました。その表情は真剣そのものです。その場所からは、勝負師の迫力みたいなものと、物寂しさが混ざったような不思議な空気が流れてくるように感じました。
 その空気のおかげで、あれだけ行き慣れていたにも関わらず、なんか異空間に紛れ込んだような気分になりました。
 通り過ぎたのはほんの短い間でした。しかしながら、かなり不思議な経験ができた一瞬でした。

2008年03月22日

発症

 なんかここ数日、くしゃみが出たり、目の周りがかゆかったりと、これまでにない状態が続いていました。最初は、仕事の環境が変わったので、体が順応していないのか、などと思っていました。そんな中、発生している症状をいろいろ思いだしているうちに、「これって典型的な花粉症だ」という事に気づきました。
 実は父や姉が前から花粉症でした。そのため、自分もいつかなるとは覚悟はしていました。しかしながら、改めて発症したと思うと、やはり嬉しくないものがあります。
 とりあえず、症状が軽いうちに気付いたのが不幸中の幸いと思うことにしました。というわけで、とりあえず「敵」を知るために、現在、花粉症対策に関する情報を収集しまくっています。

地図上でものを考える?

 数日前のニュースで、高校生と大学生を対象に、県や国の位置を地図上で示す試験をしたところ、宮崎県の位置を知っていた高校生が五割以下だった、という記事がありました。さらにその結果を受けて、「国際化が進む中、地図上で物を考えることができる若者が少ないのは問題」と分析。した大学教授の談話も載っていました。
 それはまあ、知らないよりは知っていた方がいいとは思います。とはいえ、これは「地図上で物を考える」という事なのでしょうか。この試験を見る限り、どう考えても「暗記しているかどうか」であり、「考える」とは違うと思うのですが・・・。

 ちなみに、世界地理に関する試験では、イラクの正答率が低かったそうです。これなどはより分かりやすい例と言えるでしょう。
 この試験の正答率を上げたければ、生徒や学生に世界地図を見せて「ペルシャ湾の最奥部で、アラビア半島付け根の北東」などと覚えさせればいいわけです。しかし、それに何の意味があるのでしょうか。
 そんな事を暗記していても、この地で5年前より戦争が行われており、今でも多くの国民が苦しめられている。そんな中で、元凶となった国家元首は、先日もこの戦争を自画自賛した」という事実を知らなければ、何も「地図上で物を考える」事にはなりません。
 台形の面積の時も書きましたが、なんでこのような、「生活にも思考力の育成にも役に立たないような学習項目」についてたびたび取り上げられるのでしょうか。不思議かつ不可解です。

2008年03月20日

肩書き

 衛星放送で相撲を見ていたら、引き続き、囲碁の棋聖戦が始まりました。囲碁の棋力は自称29級という程度なので、盤面を見たり解説を聞いても何がどうなっているのかは分かりませんが、そのまま見ていました。
 そして、解説者の「山下棋聖が有利だが、七番勝負最終局で過去7勝2敗の趙NHK杯にもまだ逆転の可能性がある」などという話を聞いているうちに、「どちらが勝つのだろうか」などと、結末が急に気になりました。
 そこで、中継終了後にちょくちょくニュースサイトなどを確認し、「山下棋聖防衛」という結果を知りました。

 ところで、そこに載っていた各新聞にある挑戦者の名前は二種類ありました。普通は「趙十段」なのですが、毎日新聞だけは「二十五世本因坊治勲」でした。自社で本因坊戦を主催しているためなのでしょう。NHKでの中継も同様の理由で「趙NHK杯」だったわけです。
 それぞれ、高い金額を払っているわけですから、自社運営の棋戦を優先する「社内ルール」を設定するのは分かります。とはいえ、これだと分からない人が「一体、挑戦者は誰なんだ?」と思ったりしないのか、と気になりました。
 特に、毎日新聞の場合ですが、二十五世本因坊の9期ぶりの棋聖返り咲きはならなかった。という書き方をしていました。と言うことは、もし趙十段が勝っていたら、「二十五世本因坊、棋聖返り咲き」などという、誰がどのタイトルを獲得したか分からないような記事になっていたのだろうか、などと思ってしまいました。

2008年03月17日

×印のついた下請け

 道路工事現場を通りかかったら、奇妙なものがありました。建築現場に立っている業者名などを書いた白い看板を大量に印刷した「看板の看板」が立っていたのです。
 印刷されている看板は、それぞれ、業者名が異なっています。どうやら、元請け業者が、どの業者に下請けさせているのかを公開するために表示しているようです。
 それはいいのですが、うち二つの「小看板」には×印がつけられていました。それについて、「大看板」のどこにも注釈は記載されていません。

 おそらくは、「この下請けの作業は完了した」という意味の×印なのでしょう。しかし、「この業者は下請け失格」という解釈も普通にできてしまいます。
 まあ、このような「下請けリスト」の意味が分かるのは同業者だけだから、一般人がどう誤解しようと問題ないのかもしれません。とはいえ、×印をつけられた業者はどう思うのだろうか、とかなり気になった「×印つき看板」でした。

2008年03月15日

道が川に

 昨日、東京タワーの近くで仕事がありました。夕方、仕事が終わったら雨が強くなっていました。とはいえ、道に水しぶきができるほどの豪雨ではありません。
 ところが、東京タワーのふもとの道をいていたら、不意に深い水たまりに足を突っ込みました。よく見たら、横断歩道一帯が川のようになっています。
 そんな豪雨でもないのに・・・と不思議に思いつつ「川」を避けて歩きましたが、流れは次の横断歩道あたりまで続いていました。
 下水道の調子が悪かったのか、丘のふもとという地形のせいなのかは分かりません。しかし、このくらいの雨でこうなるなら、集中豪雨でも来たらどうなるのだろうか、と普段歩くことがない道ながら、心配になりました。

2008年03月12日

18年ぶりの会話

 3月から勤めている会社は、学生時代にアルバイトしていたのと同じ業種です。そのため、当時のバイト先にいた人が在籍しているかと思ってはいました。そして、聞き覚えのある苗字の人がいたので、その話をしたところ、やはり当時の上司であったことが判明しました。さらに、その時、私によく仕事を教えてくれた人にわざわざその事を伝えてくれました。
 すると、何とその人が私の事を覚えていてくれて、わざわざ電話までしてくれました。向こうにとっては数多いバイトの一人で、しかも18年間何の接触もありませんでした。にも関わらず、覚えてもらったいたというのはかなり嬉しいことでした。

 ただ、もちろん嬉しいだけの話ではありません。覚えてもらっていた、という事は、18年前のバイト時代にある程度の評価をしていただていた、という事なのでしょう。逆に言えば、これからの仕事でだらしない事をすれば、「あいつは20歳の時よりも、使えなくなっている」と、より厳しい評価を受けるわけです。
 その間の18年間でどのくらい成長できたか自分でもよくわかりません。いずれにせよ、覚えて貰った事に恥じぬよう頑張らねば、といい意味での緊張感を得ることができました。

2008年03月11日

慌てる出張者は・・・

 昨晩は、先週食べ損ねた博多ラーメンを、有名な長浜地区まで行って食べてきました。ところで、博多名物で、もう一つ好きなものに「水炊き」があります。ならば今日はそちらを・・・と思い、「一人前で水炊きを食べれる店」を調べました。すると、ホテルから歩いて行けるところに一軒ありました。
 楽しみにしながら行ったのですが、店の前の表示を見たところ火曜定休となっていました。結果的には、昨日を水炊きにして、今日をラーメンにすれば良かったわけです。しかし、昨日は「先日だめだったラーメンを・・・」という事しか頭になく、このような結果になってしまいました。
 まあ、最低でもあと一回は福岡に行かねばならないので、その時、水炊きは食べればいいのですが・・・。その際は、他にも食べたいものはなかったか、などともう少し落ち着いて計画を立てようと、つくづく思いました。

2008年03月10日

同行して四時間後に挨拶

 入社十日目で早くも二度目の九州出張となりました。別に九州担当というわけではないのですが、東京で働いた日数より九州で働いた日数のほうが多い、という奇妙な事になっています。
 今日は、同じく関東から来た別会社で、今日が初対面となる人と行動をともにする事になり、福岡の事務所で待ち合わせをしました。そこで雑談しているうちに、今朝起きた時間の話になりました。すると、ほぼ同じくらいだったので、「羽田から同じくらい離れているのかな」と思い、在住地を尋ねたら、何と私と同じ幕張本郷でした。

 したがって、ここまでの経路もほぼ同じでした。確認したら、朝6時10分に空港行きバスが京成津田沼を発車した時から、同じバス・飛行機・地下鉄で事務所に着いた事が分かりました。あまりの偶然に、思わず互いに笑ってしまいました。
 そのまま一日中一緒に仕事し、宿の話になったのですが、これまた同じ所でした。偶然とは恐ろしいものです。さすがに夜は別行動となりましたが、これから出張業務が終わる予定の明後日の昼過ぎまで、今朝から通算すると約55時間ほどの間、その人とほぼ同じ空間で過ごす事になることになりました。
 ちなみに、私は総武線の津田沼駅からバスに乗り、京成津田沼に着いたとき、これから乗る人たちの行列を見ていました。結果的にその中に、その同行者がいたわけでしたが、もちろん、その時点では気付くわけがありませんでした。後からその時の事を振り返ると、不思議な気分になりました。

2008年03月09日

振り込め詐欺と「虎の巻」

 夕方、固定電話が鳴りました。取ってみたら、聞き慣れない声の男が、いきなり私の名前を名乗ってきました。「こんなあからさまに怪しい電話は、38年間生きていて初めてだ」といった感じです。
 死期が近づくと見えるというドッペルケンガーが、出現する代わりに電話ですませようとした、というわけではなさそうです。となると、「振り込め詐欺」に違いありません。そこで、とりあえず、「どちらさまですか?」と返したところ、すぐに電話を切られました。
 我が家にかかってきたのは、一年半ほど前に相方が受けて以来です。私が取るのは初めてでした。

 最近の傾向だと、「還付金詐欺」だの「貸します詐欺」などの発展形のほうが話題になっていますが、私の所に来たのは、「元祖」とも言える形態かと思われます。
 せっかくの機会なので、ネットで「振り込め詐欺」を調べました。警視庁のサイトなどを見たのですが、妙な事に気づきました。
 そこには、「大阪の主婦のようにツッコミを入れる」などといった「振り込み詐欺撃退虎の巻」が書かれていました。しかし、相手はそれで莫大な金を得ている「プロ」です。そんな付け焼き刃な対策くらいはお見通しですから、逆に丸め込まれる危険性すらあるのでは、と思いました。
 個人的にも、明らかなインチキ投資話の電話に対し、「自分でやってみたらどうですか」などとベタな応答をし、それにつけ込まれて結局契約してしまった輩を知っていす。それだけに、この「虎の巻」は気になりました。
 結局、「電話がかかってきても、こちらからは名乗らず、何か言ってきたら『どちらさまですか?』と返す」「あまりしつこく来るようだったら、固定電話の番号を変える」などと言った、単純な対策のほうが有効なのではないのでは、と改めて思いました。

2008年03月08日

誰のために作った地図?

 あるホテルの場所を調べることになりました。場所は福岡にある海の中道の突端です。そこで、公式サイトから地図を見たのですが、これが感動的と言えるほど見づらいものでした。
 最大の欠点として、海と陸を同じ色で書いている事が挙げられます。場所柄、市内から行くには、陸上・海にかけた橋・博多湾を渡る船と、陸路・海路がそれぞれあります。にも関わらず、普通に見ると海と陸の区別がつかないわけです。

 それだけでも不便極まりないのですが、さらに追い打ちというわけか、この地図の表記は英語並びにローマ字が使われています。そのため、ただでさえ分かりにくいのが、さらに難解になっています。
 しかも、そこのサイトには英語版があります。ならば、日本語版ページには普通に日本語を使った地図を載せればいいはずです。それをなぜこんな事にしたのか、理解不能です。
 仮に旅行で宿泊先を探していたら、この地図を見た瞬間にこのホテルは候補から外すだろうな、と思えたほどの凄い地図でした。

2008年03月06日

福岡にて

 これまでの三日間は何だかんだで、行った先での特徴を味わう事ができました。しかし、昨晩到着した福岡は、昨晩空港に着いてから、今日羽田に戻るまで、ぎっちりした行程でした。21時過ぎに到着し、食後に投宿しただけでした。そして翌日は食事したら現地の事務所で資料をまとめた後、昨日と同じく新卒イベントへ。終了後は即座に空港へ直行、というものでした。

 福岡は今回が四回目でした。過去は旅行二回に仕事一回でしたが、いずれも博多ラーメンを食べる機会を持てました。ラーメン通でも何でもない私ですが、今回もラーメンは楽しみにしていました。
 ところが、この日程なので、そのような時間はどこにもありませんでした。それに加え、会場内の施設で食べた「パスタ」がシャレにならないくらい不味さでした。おなじ「福岡の麺類」でもここまで違う、という事で、別の意味で感動しました。
 まあ、仕事しに来ているわけであって、ラーメンを食べに来ているわけではありません。これが普通と思うべきなのでしょう。
 ただ、福岡出張は近々に再度あります。その時は、可能ならば少しくらい時間を作って、今回の雪辱を晴らしたいものだと思いました。

イベントとか学食とか知事とか

 とある大学の体育館をつかって、就職活動中の学生に声をかけてブースに来てもらう、という仕事をやりました。入って五日目にも関わらず、学生さんに「ウチの会社のすごい所は・・・」などと言うわけで、心の中で苦笑していました。
 まさかこんな事になるとは、先週の土曜にに入社した時は、思いも寄りませんでした。人生、何があるか分かりません。まあ、自分的には面白かったので、問題はないのですが・・・。

 なお、採用イベントなどで企業側の席に立つのは初めての経験でした。しかしながら、会場に机と椅子を並べて、歩いてくる不特定多数の人にブースに来て貰う、という事は断続的ながら20年近く手伝っています。
 朝、両隣に挨拶するところや、推奨される机の飾り付けが同じなど、意外に共通点が多いことに驚かされました。
 もし、また関わる機会があったら、机の上に棚を載せて、配布物を置く面積を増やす、などの提言をしてみようか、などとも思いました。
 さて、昼時となり、食事に行こうとイベント主催社の人に尋ねると、「学食ですませてくれ」とのこと。そのため、16年ぶりに学食に入りました。そして、うどんに小鉢二つで三百円を切る、という非常に経済的な食事をすることができました。
 これが学食のサービスがいいためなのか、物価が安いのかはわかりません。おそらくは双方によるものなのでしょうが・・・。

 ところで、会場に行く際にタクシーに乗ったのですが、運転手さんは尋ねもしないのに、「知事就任効果」の話を始めました。なんでも、30年くらい前に宮崎が新婚旅行の定番だった時なみに、観光客が来ているとのことです。そして、県庁には観光客の行列ができるそうです。
 また、移動のために空港に行ったところ、入口には「知事像」がありました。そして、土産物屋にも知事の絵を描いたものが多数ありました。ちなみに、絵柄は三種類ありました。
 どうやら、現時点において、この県における最大の観光資源は高千穂でも青島でもなく、「知事」のようだ、と思いました。それがいいのか悪いのかは何とも言えませんが・・・。

2008年03月04日

降られる街

 出張で鹿児島に滞在しています。もちろん、仕事なので、街の様子を見る時間はありませんでした。とはいえ、食事では薩摩揚げをはじめ、鹿児島ならではのものをいろいろと食べることができ、それなりに堪能しました。
 なお、昨日書いた「タスポ」ですが、煙草の自販機を見る機会がありませんでした。唯一、意識できたのは、空港から市内に行くバスの車窓で見たスピード写真撮影機にあった「タスポ対応」という表示だけでした。これについては、明日の宮崎に期待、といったところでしょうか。
 ちなみに、鹿児島には18年前の夏に一度来た事があります。その時は、桜島に行った後市内を観光するつもりだったのですが、桜島を見たときに大量の降灰にあい、そのあまりの厳しさに予定を変更し、市内に戻ってすぐ博多行きの列車に乗ったものでした。ある意味、「逃げ帰った」ようなものですが、このような経験は現時点では最初で最後です。
 ただ、灰が市内に降るのは夏だけとのことで、今日は降灰はありませんでした。ただ、朝は全国的な黄砂で自動車は砂だらけになったとの事でした。また、ちょうど空港から市内に着いた時は、雨に降られました。
 18年の時を隔てての再訪でしたが、相変らず自分にとっては「降る」のと縁がある街だったようだな、と思いました。

2008年03月02日

タスポ

 昨日から、鹿児島と宮崎で、煙草購入カード「タスポ」の運用が、全国にさきがけて開始された、という新聞のベタ記事を見ました。今まで煙草は一本も吸ったことがないですし、これからも永久に吸う予定はありません。したがって、私にとっては全くもって関係のないカードです。
 ところが、全くの偶然なのですが、明日から出張で鹿児島さらには宮崎に行きます。当然ですが、だからと言って、記念にタスポを使って煙草を買いはしません。しかしながら、関東の人間としてはいち早く、「タスポ」を使う場面を見れるわけです。出先で空いた時間がもし出来れば、必要以上に煙草の自動販売機を注目する予定です。
 おそらく、自分が煙草の自販機にここまで感心を持つのは、明日からの数日が最初で最後だろうな、などと思いました。

2008年03月01日

初出勤

 今日から新たな勤め先での勤務です。ただ、前職との関係が転職した事もあり、二年前に最初の転職をした時に比べると、あまり「新鮮味」みたいなものはありませんでした。
 とりあえず導入研修を行った後、早速仕事に。いきなり打ち合わせがあり、しかも相手は昨日まで在籍していた会社の人でした。分かっている事とはいえ、逆の立場で昨日まで一緒にやっていた人と打ち合わせをする、というのは不思議な気分でした。
 そのような感じで、とりあえず一日目は無事に終わりました。来週からもう出張が入るなど、入って早々、あまり会社に行く機会がありません。というわけで、とりあえずの目標は、「新環境に慣れる」になりそうです。まあ、何とか頑張っていきたいものです。

2008年02月26日

「三人乗り」規制について、真面目な話と不真面目な話

 母親が、二人の子供を自転車の前後に乗せる「三人乗り」について、警察庁が禁止を明文化するという記事を見ました。
 我が家には子供がいないので、直接的には影響がないのですが、これについては、賛成とも反対とも言えません。

 実際、自分も幼稚園の時、送迎バスの乗り場までは常に母親のこぐ自転車でした。年子でしたが、「前方補助椅子」を使うのはもう無理だったので、一人は後部座席でもう一人は走る、という感じだったと記憶しています。
 その頃、母は専業主婦でしたらから、幼稚園だけですみました。しかし、これがもし共働きで、もっと年齢が低い頃から保育園に行く、という場合だったら、「三人乗り」でないとやっていけなかったでしょう。
 とはいえ、一方で、実際に街中で「三人乗り」を見ていると、「もし何かあったら前後の子供が大けがするのでは・・・」と他人事ながら不安になってしまいます。
 というわけで、最初にも書いたように、この件については賛成とも反対とも言えません。ただ、どこの母親でも常に歩いて子供を連れて行けれるくらいに保育施設を充実させるのが、抜本的な解決策なのでは、と思っています。

 などと真面目な話をした後で恐縮ですが、同時にかなり不真面目な事も考えてしまいました。
 実際にこれを周知徹底させるためには、ポスターなどで宣伝をする必要があるでしょう。その際は、ぜひとも現在リメイクされているアニメ「ヤッターマン」の悪役を使うべきだと思いました。
 なにしろ、「敗戦→三人乗り自転車で逃亡→ドクロベエのお仕置き」が定番となっているのですから。ポスターに記載される文字は「三人乗りしたらお仕置きだべぇ」で決まりでしょう。
 というわけで、自分的にはいろいろな事が頭に浮かんだ「三人乗り規制」でした。

27年ぶりの「ロス疑惑」

 先週、「ロス疑惑」で三浦和義さんがアメリカの警察に逮捕されました。なんで27年前でかつ、日本の裁判で無罪が確定している事件で、と驚いています。
 一部報道によると、ロス市警が新たな証拠を入手した可能性がある、との事です。なんでも、ロス市警には「未解決殺人事件捜査班」なるものがあり、そこが捜査を継続していたそうです。27年もの間、担当者がついていたと考えると、驚かされます。

 ただ、そんな事を捜査し続けている予算があるなら、16年前に発生したロス暴動の原因の一つともなった「白人警官による黒人惨殺事件」みたいな事が起きぬよう、警官への教育を充実させる分に経費を割くべきなのでは、と思いました。
 ついでに言うと、それに類する「白人が有色人種を殺したと思われる事件」についても、やはり「未解決殺人事件捜査班」なるものが捜査し続けているのだろうか、という疑問も浮かびました。
 いずれにせよ、色々な意味で不思議さを感じた「逮捕劇」でした。今後の展開が気になるところです。

2008年02月20日

時間に追われたり離れたり

 3月からの職場に行き、面接の後、入社に関して必要な書類をもらいました。面接というよりは挨拶みたいなものでしたが、やはり、きちんと決まるまでは不安なものです。そのため、書類を貰った時は一安心しました。まあ、問題は入った後に実績を残せるかなので、これからが勝負なのですが・・・。
 今日の用事はそれだけだったので、あとはのんびり過ごせるかと思っていました。ところが、提出する書類に関して必要な事を確認し、さらに洗濯とか明日から出かける小旅行の準備などをしていたら、あっという間に一日が終わってしまいました。

 つい気が抜けて、時間に対する感覚が緩んでいるのでしょうか。それとも、自分が思っていた以上に、するべき事が多かったのでしょうか。
 いずれにせよ、予定したより余計に時間がかかってしまうと、なんか損をしたような気がします。休みだからこそむしろ、時間は効率的に使いたいものだと思いました。
 などと言いながら、明日から二泊三日で雪の中を旅行します。特に、明日行くところは、携帯の電波が入るかどうかも分からないような所です。基本的な目的はローカル線と温泉です。ただ、それに付随して、「時間の流れから離れた所で過ごす」というのがあります。
 最初に書いたことと矛盾しているようですが、たまには予定とか効率とかと縁のない時間を過ごすことも、何かの役に立つのでは、と思っています。

2008年02月19日

不幸中の幸い

 三日ぶりに帰宅し、冷蔵庫を開けたら、普段と違うにおいがしました。ただ、室温も低いので、手をかざしただけではどこがおかしいのかは分かりません。しかしながら、引き続き冷凍庫を開けたところ、中のものが全て解凍していました。どうやら、出かけている間に冷蔵庫が故障したようです。
 まあ、買ったのが十年前だから寿命なのかもしれません。ただ、ネットで調べたところ、数日止めて再起動したら復活した、という話もあるそうなので、それを試そうかと思っています。

 故障は痛手ですが、真冬でしかも、相方が来週まで帰省中というのは不幸中の幸いでした。ただでさえ寒い上に、冷蔵庫にもあまり物が入っていないからです。これが8月の真っ盛りだったら、などと考えると、想像するだけでゾッとしました。
 それにしても、今に始まった事ではないのですが、冷蔵庫というのはある日突然壊れます。そのたびに少なからぬ間、家庭生活に支障がきたされます。どうせいつかは寿命がつきるわけですが、その「寿命が近い」というのを教えてくれるメーターとか表示みたいなものは作れないのでしょうか。
 まあ、そんなものがあると、ギリギリまで買い換えが行われないため、メーカーの利益にはならないわけなので、率先して作る会社がないのも仕方ないとは思いますが・・・。

2008年02月18日

ピカチュウバス

 以前、幼稚園を経営している寺があり、そこの門前にピカチュウの石像が鎮座しているという話を書きました。
 今日、その幼稚園の送迎バスとすれ違いました。すると、黄色い車体で、正面にはピカチュウの顔が描かれており、屋根には耳まで付いてます。そして、背面には尻尾が描かれていました。「痛車」として盆暮れの有明に飾れそうなほどの凝り具合です。
 いくら集客効果があるとはいえ、ここまでやるのとは・・・と驚かされました。そのうち、寺の本堂もピカチュウ仕様に改築するのでは、などと思ってしまいました。

出先から更新の移り変わり

 毎年一回の恒例行事として、昨日から相方の実家に泊っています。これで10回目ですが、最初の頃は、里帰り中はサイトの更新は一切出来ませんでした。
 それがやがて漫画喫茶での更新が可能となり、続いて携帯からの更新ができるようになりました。そして今年になって相方の実家がブロードバンド化し、こちらもノートPCにしたため、日記のみならず、他のページも家にいるのと同じように更新することができるようになりました。
 毎度の事ですが、時とともに便利になっている事を実感させられます。

 なお、今日は散歩がてら、道後温泉まで行ってきました。行く途中で、浦安の遊園地にばれたら、即座に撤去命令が来ること間違いなし、という大胆な看板をみかけたので、掲載しておきます。(画像をクリックすると、同じ窓で大きい写真が開きます)
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2008年02月15日

鉄拳流送別会(?)

 いろいろあって今の会社を辞めることとなりました。前回の退職時と違い、今回は余った有給を消化するつもりなので、今月後半は休養を楽しむつもりです。ちなみに、順調にいけば3月からの勤務先となる所の担当者からは、「土曜から来てくれ」みたいな事を言われているので、冗談抜きで「つかの間の休養」になりそうな感じです。
 そういうわけで、一応、送別会が開催されました。ところが、「発起人」ははっきり言って、全然親しくもなんともない人でした。
 何でこの人が?と不可解に思っていたのですが、結論だけ言えば、ただ単に私とも業務上のつきあいがあった、取引先の異性社員との酒席を設定したかっただけでした。そのために「私の退職」をダシに使ったわけです。

 というわけで、肝心の「送別」のほうは、ありえないほどのぞんざいさでした。あまりの目茶苦茶さに、一時期流行した、鉄拳さんのギャグを思いだしてしまいました。なにしろ、この「送別会」の状況を箇条書きするだけで、「こんな送別会はいやだ!」というネタが一本作れてしまうからです。さしずめ、氏のギャグ風に言うとこんな感じになります。

  • 当日夕方になっても、会場も開始時間も知らされていない。
  • ギリギリになって伝えられた会場は、「安かろう悪かろう」で有名な居酒屋チェーン。
  • ほとんど告知がなされておらず、呼ばれた社員は数人程度。
  • やや遅れて会場に入ったところ、「幹事」は本当の目的である取引先社員へのアタックに夢中で、ほぼ無視される。
  • 向かいに座っていた、仕事以外で口をきくことはほとんどないほど「親しい」輩から、自分がいかに貧乏かの自慢(?)をダラダラと聞かされる。
  • 安物ばかり頼んだので、勘定を参加人数で割ると一人二千円。こんなのでおごられるのも嫌なので、払おうとしたら、無駄に固辞される。
といったところです。
 ある意味、「このような飲み会を開催してはいけない」という見本みたいでした。あまりのひどさに、適当な理由をつけて1時間も経たずに退散。声をかけられていた数少ない仲間と即座に飲み直しをしたほどでした。その場で、「幹事を変えて非公式の送別会をやり直す」という話が出たのは言うまでもありません。
 まあ、会社には色々と致命的な問題があり、それゆえに辞めたわけです。そう考えると、最後の送別会まで「らしい」会社だった、とも言えるのだろうな、などと思いました。

2008年02月14日

スン豆腐

 職場の人たちと昼食に韓国料理店に行きました。同行した人は何度か言っているとの事ですが、私には初めて入る店です。
 普段は、韓国料理店に行けば焼肉ランチか冷麺を頼むことにしています。ところがこの店は焼肉関係のメニューはありませんでした。冷麺はあったのですが、今日の異様な冷え込みは50m歩いただけで震えるほどです。さすがに食べる気分にはなりませんでした。
 そこでメニューを見たら、ビビンパ・韓国うどんおよび「スン豆腐」なるものがありました。ビビンパはあまり好みでないし、韓国うどんはメニューの写真に苦手なエノキダケが乗っているので、注文する気になりません。そこで、消去法に近い形で「スン豆腐」を注文しました。

 私は基本的に知らないものは食べない主義です。ただ、他のメニューのかねあいで、半ば仕方なく、知らないものを頼む結果となりました。普段、注文でこのような「勝負」をすると失敗することがほとんどです。
 ところが、この「スン豆腐」は私にとっては珍しい成功例となりました。単純に言うと、唐辛子味の湯豆腐みたいなものなのですが、豆腐も、他に入っている物もなかなか美味いうえに、辛さも耐久範囲内でした。
 見ず知らずのものを注文して成功し、新たな美味しい物を知ることができる、という自分的にはかなり珍しくかつ貴重な体験でした。

2008年02月12日

心に残る一小節

 しばらく前に、同じ靴を二足新調しました。試し履きした時はかなり余裕があったように思えたのですが、実際に履いてみると、どうも足にあっていないようで、靴擦れになってしまいました。しかも、なぜか被害が生じたのが「右足親指の付け根」という奇妙な状態になっており、他は無事なのに、そこだけ傷跡になっています。
 まあ、靴擦れしやすいのは幼少時からの体質なので仕方ありません。そして、この症状で足が痛くなるたびに、20年ほど前に流行した、南野陽子さんが唄った「楽園のドア」という歌を思い出します。

 この歌、サビの部分に「新しい靴は少しぎこちなくて、かすかな痛みともなうけど、一歩ずつ履きならしていく」という一節があります。当時の事は良く覚えていませんが、おそらくはこの曲を聴いた時も、靴擦れで悩んでいたのかもしれません。
 そして、今のように靴擦れが痛いときは、「一歩ずつ履きならせばやがて」と思うようにしています。そう考えると、私はこの曲に20年以上も元気づけられている事になります。ただ、この一節以外の歌詞はその直前の「楽園のドアあけるの」とおいう所を除くと、何一つ覚えていません。したがって、私にとっては「心に残る曲」でなく「心に残る一小節」という存在に止まっています。
 とはいえ、20年以上も心に焼き付いているのですから、大したものです。今後も、靴擦れの時は「応援一小節」として活用させていただこうと思っています。まあ、本来ならそれ以前の問題として、もっと正しい靴の選び方を身につけるべきなのでしょうが・・・。

2008年02月06日

異形のキャラクターグッズ

 電車に乗っていたら、母親と幼い兄弟が乗ってきました。兄弟はお揃いの帽子をかぶっており、そこには「おばけ」の絵がついていました。せなけいこさんの絵本に出てくるやつです。
 このおばけ、白いひとだまに目と口と手がついたという、単純な意匠です。ところが、その見かけによらず、とんでもない性格と能力を持っています。ちょっと「悪いこと」をしている子供や犬猫を、超能力で「おばけ」にして連れ去ってしまうのです。

 特に、物心がついたばかりの頃に読んだ「きれいなはこ」というのは凄い話でした。
 子犬と子猫が「きれいなはこ」奪い合って喧嘩し、互いに、噛みついたり引っ掻いたりします。するとその時、箱が空いて「おばけ」が登場。いきなり、「友達に噛みつく口は、大きくなあれ、友達を引っ掻く(以下略)」と呪いをかけ、二人を異形のものにしていしまいます。二人が「これでは、友達と遊べない」と言うと、「ならば、おばけにしてあげよう」と言います。そして、最後の頁には、おばけにされた犬猫が、空を飛んでいる、という絵で終わります。あまりにも救われないオチです。
 幼児心に、「なんで他愛もない喧嘩で、人生(?)が終わらなければならないのだ」と、恐怖心をおぼえました。もしかしたら、生まれて初めてのトラウマだったかもしれません。
 確かに、見た目だけなら可愛い「おばけ」なのかもしれません。しかし、あの残虐な性格と能力を考えると、あんなのが描かれている帽子を子供にかぶせる、というのは、個人的には理解しがたい事でした。

2008年02月04日

二年前の記憶

 雑誌を読んでいたら、「二年前に13日間意識不明となり、その間のみならず、数ヶ月分の記憶が消えてしまった」という、自分と同年齢の人による投書が載っていました。
 それは大変だな、と思いつつ、そういえば、同じ年齢である自分の二年前の記憶はどんなものだろうか、と振り返ってみました。とりあえず、月末に北海道へ旅行したことは覚えていました。あと、毎年二月の恒例行事であるので、相方の里帰りにつきあって松山に行ったのも覚えています。とはいえ、松山でどこに行ったかはすぐには思い出せませんでした。

 この時期は、前の職場を辞めるかどうか、かなり悩んでいました。しかしながら、それについても、当時の上司と東京駅近くの中華料理店で食事をしながら相談した、というくらいしか覚えていません。
 いろいろな意味で、かなり動きのあった月であるにも関わらず、ほとんど記憶がないわけです。人間の記憶容量に限界があるから仕方ないとはいえ、ちょっと空しさみたいなものを感じました。
 ただ、自分の場合、このサイトにそれらの事を日記や旅行記の形で記載しています。したがって、それを読めば、当時の自分の事を知ることはできます。そう考えると、このサイトは自分の外部記憶装置的な役割もしている、という事に気づきました。そういう意味では収穫のあった、「二年前の記憶探索」でした。

2008年02月03日

積雪と凍結

 今日は朝から雪でした。寒さのほうもかなりのもので、膝にサポーターを巻いていたにも関わらず、5分ほど歩いただけで、寒さのあまり、膝に痛みが走ったほどでした。
 そして、駅までの道は、あまり除雪がされていませんでした。特に、駅の手前にある陸橋は、人が一人通れる幅以外は、雪が積もっていました。今日は雪が降っているのでまだいいのですが、問題は明日です。ただでさえ、この陸橋は、晴れた朝、車道が凍結し、そこで滑った車が下に転落した、という事故が発生したほど凍りやすい所です。当然ながら、明日の朝はとんでもない凍結ぶりになっているでしょう。その歩道を歩くことのみならず、車道の車にまで気をつけねばならないわけです。
 というわけで、まだ日曜だというのに、翌朝の通勤を気にして気が滅入った、雪の昼下がりでした。

報道効果?

 ちょっとした用事が生じたので、実家に行きました。夕食は餃子との事で、皆で包みました。親と話したところ、なんでも、朝の時点で、急に餃子を作りたくなったとの事でした。やはり、あれだけ報道で餃子餃子と言っているから、ついついそういう気分になるのでしょうか。
 ちなみに、作っている最中に皮が足りなくなったので、近所のスーパーに買いに行ったところ、まだ19時前であるにも関わらず、餃子の皮はほとんど残っておらず、私が買ったのも「最後の一袋」でした。
 普段、餃子の皮を買う機会などないので、土曜のこの時間に餃子の皮が品薄になっているのが、普通の事なのか、特別な事かは分かりません。しかし、我が家から考えると、他の家でも、急に餃子を作りたくなった人が頻出したのだろうか、などとも思いました。

2008年01月31日

有毒物質

 中国産冷凍餃子の残留農薬量に問題があり、食べた人が体調を崩しているそうです。ちなみに、被害が発生した食品は、JTの系列会社が扱っていたとのことでした。
 餃子と言えば、中国発祥の料理です。その餃子を「本場」の中国が、日本で発達した「農薬」を大量にぶち込んで「より日本風」にして輸出したわけです。しかも、扱っているのが、肺ガンを誘発する嗜好品販売を「本業」にしている会社なわけです。
 ある意味、「JTが扱う日本向け食品」として最適化(?)されて輸出されたと言えるでしょう。そう考えると、「食の現状」を象徴した事件と言えるかもしれません。
 いずれにせよ、中国で餃子を発明した数千年前の人も、このような形で「中国産餃子」が取り上げられるとは夢にも思っていなかった事でしょう。とにかく、「それを口にしたらどうなるか」という事を一番に考えて、作ったり売ったりしてほしいものだ、とあらためて痛感させられた一件でした。

2008年01月30日

体操

 昨日、狭いフロアに全員が入るくらいの小さい会社へ行きました。午後からの仕事だったのですが、15時になったら、全社員が立ち上がりました。仕事で話していた人に尋ねると、体操が始まるとのこと。貴重な機会ですし、他の全員が体操している中で一人だけ座っているわけにも行かないので、参加しました。
 運動量・質とも、ラジオ体操の半分くらいでした。しかしながら、足以外の筋肉はまず使っていない生活が続いている身には、そこそこハードでした。分かってはいたとはいえ、ここまで運動不足だとは思いました。
 なかなかいい気分転換になったこともあり、折角だから、自分も仕事中に一息を兼ねて体操でもするか、とその時は思いました。しかし、すぐに忘れ、結局今日も、極めて運動不足な一日を過ごしていました。
 若い頃は、「皆で体操する職場」などと聞いて、「なんだそりゃ」みたいに思っていました。しかし、経験してみると、なるほど、こうやって習慣にでもしないと、体を動かす機会なんて作れないよな、と妙に納得できてしまいました。

修飾語の効果

 なんとなく、雪山にある温泉に行きたくなりました。そこで、ネットで色々調べていたのですが、余計な修飾語がついている温泉名が目立ちました。ちょっと興味を持っても、名前が「ふれあい温泉」や「ゆめ温泉」だったら、それだけで行く気がなくなります。
 普通に「地名+温泉」が一番いいと思うのですが、わざわざそのように名前をつけるのですから、そちらのほうが集客効果がある、というデータでもあるのでしょう。
 とはいえ、「○○ふれあい温泉」に行って、どのような旅情を感じることができるのか、自分的には見当すらつきません。

2008年01月29日

失敗した時間が長いほど

 約3ヶ月間、失敗し続けていた事がありました。ずっと失敗した理由すら分からなかったのですが、ある日、ついに原因と思われるものに到達しました。そして、それへの対策を行ったところ、ついに成功しました。
 結果が出てみれば、なんでこんな初歩的な、という失敗が原因でした。とはいえ、成功したときの嬉しさは格別でした。漫画版「デビルマン」の不動明が、「俺は、悪魔の体を手に入れたぞ」と合体成功を確信したときの気持ちはこんなだったのだろうな、と思ったほどでした。
 おそらくは、何十回にも及んだ失敗とその悔しさの蓄積が、これほどの喜びを生み出したのでしょう。凡ミスで失敗し続けた事は不本意な事でした。しかしながら、おかげで、このような成功感が味わえたと思うと、その失敗にも感謝したいような気分になりました。

2008年01月26日

十周年に貰った物と渡した物

 昨晩、夢を見ていたら、大変お世話になった方に会いました。「あれ、一昨年秋に亡くなったと思っていたけど、とんでもない勘違いだったようだ。とりあえず、お元気で何より」などと思いながら、以前のように話をしたり、説教をされたりしているうちに、目が覚めました。そして、改めて、その方に会えるのは、今となっては夢の中だけだ、という事を再認識し、寂しさを感じました。
 長年にわたってお世話になったのですが、特に面倒を見てもらったのは、今から十年前後でした。ちょうどその頃、自分は結婚に向けて苦労したり、悩み事をかかえたりしていました。そのいずれも、その方にいろいろと助けてもらい、うまくいくことができました。
 その十年前に、結婚の記念品にいただいた時計は、当時も今も、毎朝家を出るときに見ています。
 神仏も霊魂も一切信じていないので、超自然的な力によってこのような夢を見れたとは思っていません。とはいえ、貴重な結婚十周年である今朝の夢で、その方に会えたのは嬉しいことでした。この十年をとりあえずは円満に過ごせた褒美みたいなものだと思うことにしました。

 さて、その十周年記念日ですが、なんでも「スイートテンダイヤモンド」とか言って、相手に金剛石を贈る慣習があるとか。そんな事はまったく知らなかった事もあり、宝石の代わり(?)にノートをプレゼント。今日はその付属品を買うついでに夕食、という形で二人して秋葉原に繰り出しました。
 そして、クレバリー2号店でキーボードを買い、さらにヨドバシで各種付属品を買いまくりました。
 「記念日」というのとは、少々ずれがあるようにも思えます。ただ、自分たちらしい十周年だよな、と思いながら、駅前ビルの居酒屋で記念ディナーを食べて帰宅しました。

誇りと歴史と文化

 読売新聞の「調査結果」として「「日本国民に誇り」93%で過去最高」なる記事が載っていました。なにをもって誇り、何をもって恥とするのか、また、それは他国のなにと比べてか、などと考えると、答えるのが極めて難しい質問のように思えます。
 たとえば、私なんかは、「不戦の憲法九条を持っている」事は誇れると思いますが、「アメリカの言いなりになって大量殺戮の片棒をかついでいる政府」は誇れません。また「世界大会で優勝するほどの実力を持つ野球選手達」は誇れますが、「自分達の利益だけを考えて、毎年のようにルールをいじくる球団が『盟主』としてのさばっている現状」は誇れません。

 このように多種多様な人々・団体・自然・人工物があるのに、一概に「誇れる/誇れない」と割り切ることができるのか、極めて不可解です。
 ちなみに、「誇れるものの具体的内容」の第一位は「歴史・伝統・文化」だそうです。このくくりもかなり漠然としすぎています。たとえば、私のように「70年前の侵略・虐殺の歴史」を日本の恥と思い、「高度に発展した漫画文化」を誇りに思う人間は、「歴史・伝統・文化」を誇っているのでしょうか、誇っていないのでしょうか。
 他にも、「国民の一人として、ぜひとも国の役に立ちたい」との考え方についてという、分かりにくい質問もありました。これについても、「70年前において、軍隊に志願して中国で人を殺すのと、反戦運動をして警察につかまるのと、どちらが『国の役に立った』のか」などを例示してくれないと、正確な回答はできないと思うのですが・・・。
 よくもまあ、こんな、答えようのない質問や選択肢ばかり作ったものだと、驚かされました、まあ、この「調査」の目的は「多くの国民が日本に誇りを持っている」という「結果」を宣伝するためのものです、そのため、最初から質問の内容など深く考えていないわけですから、当然と言えば当然なのかもしれませんが・・・。

2008年01月24日

淘汰

 病院に行って処方箋をもらいました。これまでは、家から歩いて2分のところにある薬屋を利用していたのですが、そこは昨年秋に閉店しています。そこで、今日は病院推奨の所を使おうと思っていたのですが、病院の人に聞いたら、そこも閉店したとのことでした。
 仕方なく、近隣で唯一のなった処方箋を受け付ける薬局に行きました。入ってみたところ、かなり混雑していました。まあ、近隣に病院は何軒もあるのに、薬局がここだけなのですから仕方ありません。結局、これまでの3倍くらい待って薬を買うことなりました。
 帰りがけに、かつてのいきつけの薬局をのぞいたら、店内はほぼ更地になっていました。ガラス張りの「調剤室」という表示が、唯一かつてここが薬局であった事を示していました。
 競争社会だから仕方ないとはいえ、使い勝手のいい店がこうやってなくなり、利用者が不便を強いられる、というのは何かおかしいよな、と思いながら、その「薬局跡」の前を通り過ぎました。

病院に行く行かないの見極め

 相変らず風邪が抜けません。悪化はしていないのですが、良くなる気配もありません。あと、仕事をしていて一番困るのが、記憶力と判断力が減退することです。これでは、会社にいる意味がありません。
 そこで、一日休んで病院に行くことにしました。こうなる事が分かっていれば、発症した日曜にすぐ病院に行っていたのでしょうが・・・まあ、結果論ですので仕方ありません。
 この「病院に行くべきかどうか」の見極めは何歳になっても分かりません。ただ、今後年を重ねるにつれ、だんだんと「我慢せず、早めに病院に行く」事が長生きのためには必要だろうな、とは思っています。
 そう考えると、改めてかつて老人医療を無料化した人は偉いと思いました。そして、それについて「病院が老人の集会所になっている」などと言って批判し、老人福祉を後退させた連中(含むマスコミ)はろくでもないな、と改めて思いました。

2008年01月21日

「残虐」の基準

 スカパーのアニマルプラネットは、常に動物に関する番組を流しています。基本的には動物の生態を紹介するもので、愛らしい動物を見ることができます。そういう事もあり、他に特にみたい番組がない場合、BGM代わりにここをつけっぱなしにしたりします。
 しかしながら、たまに「動物虐待モノ」という番組が流れます。人間によるペットの虐待や密猟を取り締まる立場の視点で描いたものです。もちろん、趣旨は分かるのですが、どうしても、視覚的に見るのが辛く、流れるとチャンネルを変えてしまいます。
 そんなある日、BGM代わりにつけていたアニマルプラネットに目を向けたところ、外国の女性が出てきて、「遺伝性の病気でないことがわかって嬉しい」などと言っていました。一体どこが動物番組なんだ?と思って見ていたら、続いて実験室にいるマウスが出てきました。そのマウスにさまざまな実験を施して、遺伝子の研究をする、というのが番組の主題のようです。

 ところが、そこでまず出てきたマウスは、緑色に光っていました。なんでも、「クラゲの遺伝子を混入させた」との事です。さらに、続いてより人間が持つ器官の遺伝子を混ぜられた結果、異様な姿になったマウスが出てきました。さすがにそれを見たときは気分が悪くなり、即座にチャンネルを変えました。
 私だって、かつて住んでいた家でネズミ取りの罠を仕掛け、捕まえたネズミを圧殺した事はあります。だから、「ネズミの命も尊重せよ」などと言う気はありません。しかしながら、その「遺伝子合成マウス」は、かなり異様なものでした。犬猫虐待の悪を批判するのはいいのですが、
 あと、私は医学の事など全然分かりません。しかしながら、同じ人間でも効く薬と効かない薬があるわけです。にもかかわらず、「人間が持つ器官の遺伝子を埋め込まれたマウス」に効く薬が、「その遺伝子の元となった人間の器官」に効果があると言えるのだろうか、と素人ながら強い疑問を持ちました。

2008年01月19日

すりきれた「閉」ボタン

 成長中の企業が何社か入っているビルに行く用事がありました。エレベーターに乗ったところ、「閉」ボタンに印刷されている模様がすり切れていました。ちなみに、「開」ボタンの印刷は普通に表示されています。
 確かに、少々扉が閉まるまで時間がかかるようにも思えます。しかしながら、すり切れるほど「閉」ボタンを押すほどでは、と驚きました。
 やはり、成長中の企業が入っているだけあって、社員もみな、一分一秒を惜しんで仕事をしているのでしょうか。
 凄いと思った反面、そこまでせっかちにエレベーターに乗ることもないのでは、とも思いました。
 ついでに、十年ほど前に豪州に行ったとき、向こうのエレベーターには「閉」ボタンがなかったこと。さらに、同乗していた日本人観光客が、「閉」と勘違いして非常ボタンを押したことを思い出したりもしました。

当初の目的が・・・

 ある時期から、駅の手洗い所に「きれいに使っていただき、有り難うございました」という張り紙が出るようになりました。なかなか面白い「マナー向上張り紙」だと感心していたのですが、この訴求力に目をつけたのか、一部の駅では「きれいに・・・」に広告をつけるようになりました。ところが、こうなると、肝心のメッセージの影が薄くなってしまいます。そして、そのような「広告付きメッセージ」のある手洗い所は、今ひとつ清潔感に欠けます。
 典型的な、「凝りすぎて本来の存在価値が薄れてしまった例」と言えるでしょう。加えて、個人的には、「用を足しながら広告を見て、その商品に興味を持つ人」って本当にいるのだろうか、とも思っています。

2008年01月18日

貴重な朝食

 昨日、家に帰れなくなり、大宮でカプセルホテルに泊りました。これまで、カプセルに泊った経験は少なからずありましたが、ここは、その中でも「究極」とも言える環境でした。
 ロッカーは古く、その外観はどう見ても、企業が使う社員用ロッカーのアウトレット品、という作りでした。そして、歩いていると、床が沈んでいる所がありました。
 そして翌朝、300円という値段に引かれ、ホテル内の食堂で朝食を取りました。向かいのテーブルに座っている人が目に入っているのですが、その人は、食事セットの脇にサワーのグラスがあります。驚いて、視線をずらしたら、瓶ビールを飲んでいる人がいました。しかも、おかわりまでしています。
 世の中には色々な朝食スタイル(?)があるものだ、と朝から感心させられた、貴重な一日でした。

2008年01月17日

初雪

群馬まで日帰り出張のはずが、長引いてしまい、家に帰れない時間になってしまいました。
仕方ないのでせめて翌日早起きせずにすまそうと、車で戻れる所まで送ってもらいました。
日付が変わる頃、遅すぎる夕食をとるためにSAに立ち寄ったところ、空から冷たいものが。自分にとって今冬初となる雪でした。
まさかこんなところで初雪を見るとは、数時間前までは夢にも思いませんでした。なかなかもの哀しいものがありましたが、まあこんな経験も二度とないから、そういう点では貴重とも言えるな、強引にいい方向に考えることにしました。

2008年01月16日

 電車に乗っていたら、後ろから二十台前半とおぼしき二人の青年による会話が聞こえてきました。片方が「嘘なんて、最後まで突き通せばいいんだよ。そうすれば絶対にばれることがないから」と言い、もう片方も同意していました。
 嘘でその場はごまかせても、後から出てくる矛盾した事実があれば、そのような事は通じない、という事をまだ経験していないのでしょう。さらに、そのような「嘘を自分の中での真実」にする行為が、自分を騙してしまう結果になる、という事も当然ながら知らないのでしょう。

 もっとも、別にこれは「若さゆえ」という事ではありません。人によっては、どんなに年を重ねても、見え見えの嘘を堂々とつく人がいます。先日も、ある老人が、嘘をついて10万程度の金を詐取しようとし、結果的に嘘がばれて金が取れなかったばかりか、他人の信頼も全て失った、という話を聞きました。また、老人という年ではないものの、嘘ばかりついているうちに、肝心の自分が嘘と現実の区別がつかなって判断を誤り、大失敗した人も知っています。
 彼らも若い頃に嘘をつき通してごまかせてしまい、その結果何歳になっても嘘をつく習性が抜けなくなったのかもしれません。その結果、嘘によって得た少々の益と引きかえに、重要なものを失ってしまったわけです。
 後ろで会話していた彼らが、その「嘘人生観」が虚構である事に気付くのはいつのことなのだろうか、などと思いました。願わくば、一日でも早く気付いてほしいものだ、とつい見ず知らずの人たちの将来を案じてしまいました。

2008年01月08日

「大使」の認定基準

 駅構内を歩いていたら、「讃岐うどん大使」と書かれた堂々たる看板を見かけました。かかっているのはJRがやっている讃岐うどん屋です。何でも、原料供給で本場の業者と提携しているとの事でした。別の駅の店舗でも看板を見ましたから、チェーン全体が「大使」の認定を受けているようです。
 しかしながら、少なくとも私が食べた限りでは、普通の「安価な讃岐うどん」でしかありませんでした。ちなみに、私が入った店はフードコートの一角にあるのですが、店内ではフードコート共通でバイト募集をしていました。いくら本場の材料を使っているとはいえ、隣接する異なる業態の飲食店とかけもちみたいな感じで、「大使クラス」のうどんを作れるのだろうか、とも思いました。
 その後、街中で同じ看板を掲げている別の店を見かけました。しかし、おかげで、その看板と店に権威を感じることはできませんでした。

2008年01月07日

仕事始め

 4日が休みになったので、今日が仕事始めでした。七連休などを取ったのは数年ぶりでしたが、土日あたりから、リハビリ(?)をかねて、ちょこちょこ仕事をしていたせいか、特に休みボケみたいな事はありませんでした。
 職場の状況も相変らずなうえに、数少ない「新年行事」である、偉い人による訓辞の時にちょうど自分宛に電話がかかってきたため、幸か不幸か訓辞の内容は何一つ聞こえませんでした。というわけで、新年らしさといえば、年賀状と年賀メールがちょっと来た事だけ、という感じでした。
 まあ、仕事に新年らしさを求めてもあまり意味はありません。そう考えると、このくらい自然な方が、「いい仕事始め」と言えるのかもしれませんが・・・。
 というわけで、七日ぶりに会社にきたとは思えないほど、平凡な「今年最初の出勤」でした。

2008年01月04日

紅白離れ?

 31日に放映された紅白歌合戦の視聴率が低かった、というニュースがありました。正月の定番ニュースですが、その視聴率低迷が、何か問題であるかのような記事には、毎年の事ながら、強い違和感をおぼえます。
 確かに、十何年か前までは、「大晦日の21時になったら、家族で紅白歌合戦を見る」というのが、年越しの定番でした。しかし、紅白どころか、「皆でTVを見るという風習」自体が、既に過去の物のように思えます。

 ちなみに、我が家の場合、「ゆく年くる年」だけは「年明け時報」代わりにつけます。そして、年を越した事を確認すると、BGM代わりにつけているスカパーに戻す、というのがここ数年の「年越し時のTV状況」です。ここ数年、歌番組自体に興味がないので、当然ながら紅白も見ません。
 記事には「紅白離れ対策」などという文言が出てきますが、我が家のような層の場合、歌番組をやる以上、その時間にNHKをつける事は絶対にないわけです。
 そのような中で、「紅白の視聴率」だけ語っても意味がないのではないでしょうか。どうせ論じるなら、そのような狭い範囲でなく、「年越しの方法の変化」という事を主にしないと、記事としての価値が生じないのでは、と毎年の事ながら気になっています。