2012年11月28日

バス待ちの人で駅が埋まる

 遅めの出勤だったので、9時半頃に、幕張本郷駅に行きました。構内に入ろうとしたら、一面、人で埋まっていました。この人ごみを見ただけで、京葉線が止まった、という事は分かります。
 京葉線が止まった場合、海浜幕張で働く人のほとんどは、振替輸送で幕張本郷まで行き、そこからバスで新都心に行くよりなくなります。
 そのため、駅前広場にあるバス停に並ぶ行列が、階段さらには駅の切符売り場などまで伸びてしまったわけです。
 列がどのように構成されているか分かりません。そのくらい、構内は人で埋まっていました。最後尾はJRの改札口まで達しており、電車に乗るために行列を渡る必要が生じたほどでした。
 駅に入ったら、上りエスカレーターは人が多すぎて運行中止との案内がありました。
 これまでも似たような状態は何度か見ましたが、ここまで人であふれていたのは初めてでした。ちょうど、代替経路で幕張本郷にたどりつくピーク時間に遭遇したせいでしょうか。
 改めて、通勤時間帯に京葉線が止まった時の被害がいかに大きいかを体感しました。再発しないよう、JRには車輌検査の回数および内容を改善してもらいたいものです。

2012年11月26日

鉄道雑誌で無線LAN解説

 本屋に行き、「鉄道ジャーナル」を立ち読みしました。鉄道趣味を半引退してかなり経ちますが、本屋で鉄道雑誌を見かけたら目を通すようにしています。
 というわけで、パラパラめくったところ、なぜかいきなり「無線LAN講座」が3ページほど掲載されていました。
 最初は、「最近は、公衆無線LANサービスを搭載した鉄道車両が増えているから、それの使い方でも書いているのだろうか」などと思って読んでみました。
 しかし、そのようなことはなく、ただひたすら、無線LANについての解説が続いているだけです。ざっと目を通しただけですあ、文中に鉄道がどうこう、という記載はありませんでした。
 仮に無線LANの導入を考えたり、導入したもののうまくいかず悩んでいる鉄道ファンがいたとしても、この数ページで問題が解決できるとは思えません。必要ならば、コンピュータ雑誌などを買うでしょう。
 鉄道雑誌でここまで鉄道・交通と縁のない記事を読んだのは初めてでした。普通に考えればタイアップの記事広告なのでしょうが、それにしても唐突すぎます。
 というわけで、狐につままれたような気分で読み終えました。自分的には、別の意味で忘れられない「鉄道記事」となりました。

2012年11月17日

車内放送に救われる

 遅い時間に、京成本線成田方面から千葉線への乗り換えを京成津田沼駅で行いました。
 何度か書いていますが、京成線のダイヤにおいて、この二線の乗り換えは非常に不便に設定されています。成田方面からの電車が到着すると同時に、千葉線の電車が発車し、乗り換え客は15分くらい待たされる、というのがザラにあります。とくに本数の減る夜は、その傾向が顕著です。
 また、階段やエスカレーター近くのドアで降りて急いで移動すれば乗り換え可能だが、それ以外だと間に合わず10分以上待たされる、というのは日中も含めて普通にあります。
 普段、車内の案内放送では、そのようなギリギリの乗り換え電車は案内しません。駆け込み乗車防止のためなのでしょう。
 しかし、その車輌での車掌さんは、「乗り換えにあまり時間がありません」と放送しました。京成がメインの利用鉄道になってから半年ほど経ちますが、このような放送は初めて聞きました。
 その放送に従い、急いで乗り換えを行なって千葉線に乗ると、10数秒後にドアが締まりました。その外には、階段を降りてきて、目の前で扉が閉まったのを見て、残念そうな表情をしている人が何人もいました。
 京成車内の規定がどうなっているのか分かりません。ただ、他の人がそう放送しない所をみると、この車掌さんはちょっと変わった人なのかもしれません。
 いずれにせよ、その放送のおかげでこちらは、寒い秋空の下、15分もホームで待たされる事が回避できたわけです。というわけで、顔もわからない車掌さんに、千葉線の車内で感謝しました。
 同時に、このような事で一喜一憂する事がなくなるよう、京成が適正なダイヤに変えてくれる日が来ることも願いました。

2012年10月22日

電車の窓に関する時代の変化

 朝、京成に乗っていました。通学時間帯に4両編成の電車だったので、車内はかなり混んでいました。一駅しか乗らないのですが、ちょっと暑いな、と思いました。その直後、10月後半だというのに、冷房が動き出しました。
 全ての電車の窓が開かない、この区間のJR総武線でしたら、よくある話です。しかしながら、この京成の車輌は古く、見た限りでは可動式の窓でした。
 かつてならば、いくら冷房車とはいえ、普通に窓を開ているところです。しかしながら、車内が暑くなっても、誰一人窓を開けようとする人はいませんでした。そして、当然のように冷房が流れたわけです。
 どうやら、首都圏の少なからぬ地域において、「電車の窓を開ける」という行為は、過去のものになってしまったようです。
 時代の流れを感じました。同時に、まだこの風習が定着していないどこかのローカル線に乗って、窓を前回にして外から入ってくる風を堪能する、という事を無性にやりたくなった、朝のひとときでした。

2012年10月19日

六段平積みの京成時刻表

 八千代台駅に直結している、ときわ書房という本屋さんに行きました。漫画と来週のダイヤ改正に合わせて発売された京成時刻表を買おうとしたのですが、漫画はあったものの、鉄道書のコーナーに行っても京成時刻表はありません。
 ちなみに、最初に行ったのは駅構内にあるコンビニでしたが、そこにも置いてありませんでした。そこで「やはり、そんなマニアックな本など、普通の所にはないのだな」などと諦めかけました。
 ところが、よく見たところ、なんと思いもよらぬ所に、それは売られていました。駅から入ってすぐ、という「ベストセラー置き場」とも言うべき平積み用の棚があるのですが、そこを占拠して、六段くらい並んで積んであったのです。
 時刻表を買い始めて30年以上経ちますが、このような形で時刻表が売られているのを見たのは初めてでした。それだけ、この店では京成時刻表の需要があるという事なのでしょうか。
 今日、八千代台に行ったのはいくつかの偶然が重なっての事でしたが、まさかこのような経験ができるとは夢にも思いませんでした。世の中にはまだまだ自分の想像を絶することがあるものだと驚きました。

2012年10月15日

「伏」スタンプラリーと馬加(まくわり)

 しばらく前から、京成の駅に、映画「伏」のスタンプラリー宣伝ポスター(PDFによる案内ページ)が掲示されていました。知らない作品なので特に興味もなかったのですが、先日CATVを見ていたら、偶然、宣伝番組が流れたので見てみました。
 それによると、里見八犬伝をベースに、吸血鬼ハンター的な風味の作品とのことでした。舞台が江戸で、ベースの八犬伝が房総半島から始まっている、という事もあり、東京と千葉を結ぶ京成がタイアップをしてスタンプラリーをやっている、という事なのでしょう。
 作品自体にはさほど興味は持てませんでしたが、その中に出てきた悪役顔の「馬加(まくわり)」というキャラには興味が持てました。この「馬加」というのは室町時代に、現在の幕張を本拠にしていた豪族の姓です。それが変化して、現在の「幕張」という地名を生んだわけです。
 それほどの「ご当地キャラ」なのだから、当然彼のスタンプは幕張駅か幕張本郷駅にあるに違いない、と思い、今朝は普段見過ごしていたポスターをじっくり見ました。
 ところが、彼のスタンプが設置されているのは八幡駅でした。これは、東京出身とはいえ、15年ほど幕張に住んでいる身としては、認めがたいものでした。
 スタンプラリーに参加する気も映画を見る気もありませんが、今後、この「伏」という作品を見るたびに、この「馬加のスタンプを幕張に設置しなかった」という事を思い出すのだろうな、と思いました。

2012年10月03日

京成ダイヤ改正・後編

 昨日の続きです。ダイヤ改正概要のPDFデータの殆どは、スカイライナーおよびアクセス特急で占められていました。そんななか、京成本線関連の情報がひとつだけありました。それは、「シティライナーの運転時刻を【別紙】のように変更します」というものでした。
 その【別紙】を見たところ、半分以上が白紙でした。それもそのはず、これまで建前上7往復あった「シティライナー」はわずか1往復になっていたからです。

 この「シティライナー」とは、2010年7月に成田スカイアクセスが開業した時に誕生した特急でした。それまで京成本線を走っていたスカイライナーが新線経由に変わった穴埋めに、本線の有料特急として設定されました。
 しかし、スカイライナーと所要時間に30分も差があるため、上野や日暮里から空港に行く人は誰も使いません。
 途中、青砥・船橋・成田に止まりますが、それらの駅に有料特急で行こうと思う人の数などたかがしてています。そういうわけで、かなり低い乗車率でした。
 そのため、誕生から約半年後に発生した大地震の際に、全て運休となりました。その後、計画停電などがなくなっても、7往復中5往復は「震災に伴う節電」という口実で、いまだに運休中です。
 実際、ある日の船橋駅で、シティライナーを見かけたのですが、ガラガラでした。せっかくなので数えてみたところ、8両編成にあわせて20人しか乗っていませんでした。この乗車人数でしたら、幕張本郷と海浜幕張を結ぶ連接バスでも余裕で運べてしまいます。
 これでは「運休」並びに、1往復へのさらなる減便も当然でしょう。むしろ、よく廃止にならなかったものです。何か地元の市との兼ね合いでもあるのでしょうか。
 成田スカイアクセスの華やかなテコ入れの一方で、ついでのように発表された事もあり、より印象に残ったこの「シティライナー1往復化」でした。

2012年10月02日

京成ダイヤ改正・前編

 京成のサイトを見たら、ダイヤ改正の案内が出ていました。毎日のように乗っていますが、駅でも車内でもダイヤ改正の案内をみた事がありません。なぜサイトだけなのだろうか、と不思議に思いました。
 それはともかく、改正の目玉は、スカイライナーの増発と、アクセス特急の速度向上でした。後者については、押上-成田空港間が9分も速くなるとのことです。
 普通なら、車輌・停車駅・経路のいずれも変えずに9分も時間を短縮することは不可能です。しかしながら、アクセス特急に乗った際に、そのダイヤのおかしさを痛感した経験があるので、この発表には驚きませんでした。

 自分が乗ったのは空港第2ビルからだったのですが、しばらく走ると、いきなりなにもない所で停車しました。その区間は、京成とJRが並走しており、ともに単線となっています。
 その止まった場所だけ信号所ということで複線となっており、そこで対向列車を待っていたのです。
 数分後にすれちがい、次の成田湯川駅に着いたら、またアクセス特急は止まりました。今度は、スカイライナーの追い抜き待ちとの事でした。
 せっかく、北総線内では120キロ出しても、これでは意味がありません。実際、既存の京成本線経由である快速特急と、所要時間は10分も違いませんでした。
 その無意味な待避をやめれば、確かに9分くらい短縮できるでしょう。今更という気もありますが、まあ、改善することはいい事だと思いました。
 その改善ができるのならば、ぜひとも京成津田沼における成田方面と千葉線の接続改善も行なってほしいものです。ここでは、片方の電車が到着するのと同時に、もう片方の電車が出発する、という利用者に喧嘩を売っているとしか思えないダイヤが普通に組まれています。
 サイトの改正概要にはそれについて何も書かれていませんでしたが、ぜひともアクセス特急同様、「ちょっと利用者の立場で考えればすぐに直せる改正」をしていてほしいものだ、と思いました。

2012年09月30日

台風直撃と情報伝達の変遷

 朝から昼過ぎにかけてはいい天気でしたが、予報通り、夕方になると台風が直撃しました。その影響で、津田沼駅のエキナカ店は、16時には店じまいしていました。
 千葉には竜巻注意報まで出ていました。そのため、これまでの台風でも使ったことのない雨戸を閉めました。自分でも前回いつ閉めたか覚えていないほど久しぶりです。相方は、「雨戸動くの?」とまで言っていました。

 家にいるわけですが、ついつい気になってYahoo!の路線情報や各鉄道会社のサイトを見ていたのですが、以前ほど、熱心に運行情報を書かなくなったように思いました。確かに、サイト更新担当者が運行管理部門からの情報を得て掲載、という作業をしている間に、ツイッターではとっくにその情報を何人の人が書き込むわけです。それを考えると、わざわざ苦労して更新しても、という事になるのでしょうか。
 特に、Yahoo!などは、ツイッターの中から該当線名の入った情報を抽出して掲載していました、完全にそちらをメインにしている感じです。
 かつては、Yahoo!のようなポータルサイトが、最新情報の提供の最前線を担っていたわけです。もちろん、取材したのは自社でなく、他メディアの情報を紹介していたわけです。とはいえ、その情報の取捨選択はYahoo!がやっていました。
 それが今では、ツイッターへの投稿を、機械的に掲載しているわけです。そのため、見当違いの情報も少なからず入っていました。
 「速報」の主役が交代したということを改めて感じさせられました。

2012年09月22日

誰がためのエレベーター設置

 人形町のとある所に行く用事がありました。地図で調べた所、A6出口が一番便利とあったので、そこから出ることにしました。
 駅の表示を見ると、A6「エレベーター」と書いてあります。そして、都営線の駅構内を沿う狭い専用通路を案内に従って通ると、エレベーターの入口がありました。
 どうやら、バリアフリー対策として、新たに設けられた専用エレベーターのようです。
 それ自体はいい事だと思うのですが、非常に気になることがありました。
 人形町駅は東京メトロ日比谷線と都営浅草線が入っており、両線の改札が向かい合っています。A6出口に行くには、その改札を出て、前述したように都営線の駅構内を沿うような形で歩きます。駅だから当然ですが、その通路と都営線の駅構内の間には仕切りが設けられています。
 つまり、都営線からこのエレベーターを利用する人は、わざわざ改札まで行き、そこを一旦出た後、今通った道を戻るような形で、狭い通路を歩くわけです。
 ならば、その仕切りの所に改札口を作れば、歩く距離はかなり軽減されます。エレベーターを使う必要がある人にとっては、1mでも移動距離が短くなれば、そこの生じる労力は大幅に楽になるわけです。
 しかしながら、自動改札をひとつ増やす手間を省くため、わざわざ専用の仕切りまで作って、エレベーター利用者を大回りさせているわけです。
 今の東京都は、「沖縄県の島購入」だの「オリンピック誘致」をはじめ、無駄なことばかりに税金を使っています。その一方で、自動改札機一台を節約するために、エレベーターが必要な人に無駄な苦労をかけているわけです。
 あらためて、税金の使い方のおかしさと、弱者に対する冷淡さを感じさせられました。

2012年09月10日

千葉に神奈川中央バス

 職場の近くのバス通りを歩いていました。すると、交差点の向こうにこの付近では見慣れない色のバスが止まっていました。
 その塗色はどう見ても、小田急沿線や横浜で運行している神奈川中央交通のバスです。一瞬、それを模したラッピングバスなのかとも思いましたが、特に企業名や写真などは印刷されていませんでした。
 気になったので信号が変わってバスがこちらに向かうまで待っていました。見たところ、中は普通の乗合バスですが、行き先表示などはありません。運転しているのは私服の若い人です。そして、ナンバーは緑でなくて白でした。
 そして、後部には「KANACH」という文字を消したあとがありました。
 その通りの向こうには大学があります。調べた所、そこには自動車部がありました。もしかしたら、神奈川中央バスで不要になった車輌がそこに払い下げられ、そこに運搬する最中なのだろうか、などと思いました。
 それにしても、千葉の真ん中で神奈川中央バスが走る、というのは極めて不思議な光景でした。あと、神奈川中央バスに乗ったことなど10回もないのに、遠くで見ただけで塗色と社名が一致した、自分の記憶力には、我ながら奇妙に感じました。

2012年09月02日

表示削除・その2

 東西線に乗って都内に行こうとしました。西船橋駅で乗り換えようとしたのですが、駅の案内表示では先発が各駅停車で、次発がその7分後に出る快速、となっています。
 経験則からすれば、この快速が途中で各駅を抜くはずです。とはいえ、まだまだ発車まで時間もあることですし、確認しようと思って電光掲示板を見ました。
 以前は、各駅停車の場合、「この電車は葛西(もしくは妙典)駅で、快速に抜かれます」もしくは「快速電車の通過待ちはありません」という表示がされていたと記憶しています。
 ところが、1分ほど見ていましたが、その類いの表示がいっさいされませんでした。仕方ないので、検索サイトで、快速が先着することを確認しました。
 どうやら、「どちらが先に着くか」という表示をするのをやめたようです。不思議に思いつつも、理由を想像してみました。
 一つ思ったのが、混雑時の乗客分散でした。朝の通勤時、東西線の混雑度はかなりのものになります。統計を取ったところ、快速のほうが各駅より乗車率が高い事が分かり、乗車率を均質化するために、快速への乗車を促すような表示はやめよう、と考えたのかも、などと思いました。
 まあ、今日自分がやったように、携帯などで検索すれば、どちらが先着するかは分かります。したがって、特に自分にとって実害はありません。
 とはいえ、先日書いた、「標準所要時間の表示を消す」のと同様に、乗客に公開する情報を減らす、という方向性には少なからぬ疑問を感じました。

2012年08月31日

表示削除

 久々に総武線に乗りました。ちょっと待ち時間があったので、ホームに掲示されている時刻表を見ました。すると、奇妙な事に気づきました。
 時刻表の下には、路線図があり、各駅までの所要時間が書かれていました。しかし、その時間が全て消去されていたのです。
 確かに、所要時間は通勤時間帯とその他の時間帯ではかなり違います。総武線ですと、都心部に出る場合同じ駅でも、通勤時間帯だと5分多くかかるよう、ダイヤが設定されています。
 しかしながら、そんな事は今に始まった事ではありません。この表示が設置された時点でも同様だったでしょう。
 にも関わらず、わざわざ手間をかけて消去した、というのですから、何らかの理由があったのでしょう。一番最初に思いついたのは、「駅の表示時間と実際の所要時間が異なった」というクレームがあったのでは、という事でした。
 あくまでも想像ですが、もしそのようなクレームで所要時間が消去されたとしたら、かなり残念な事だと思いました。
 もちろん真相は分かりません。しかしながら、このような形で乗客サービスが低下する、というのは、乗る方にとっても走らせる方にとっても不幸なことだと思いました。

2012年08月18日

西武鉄道100周年記念ユニフォーム

 ニュースを見ていたら、西武ライオンズの試合が流れました。選手たちは、白・青・緑の三色で構成されたユニフォームを着ていました。説明によると、西武鉄道の開業100周年を記念しての企画とのことでした。
 なんでも、現在の看板電車のデザインを元に作成したとのことでした。まあ、自然な発想だとは思います。ただ、それでは「100周年」とはちょっと違うのでは、とも思いました。
 子供の頃、西武沿線に住んでいましたが、当時の電車は赤とクリームの二色と、黄色の二種類がありました。それらの電車も100年の歴史の中で重要な働きをしていたわけです。それらの車輌の顔を立ててもいいのでは、と思いました。
 もっとも、それらも全部混ぜ、さらに現在の特急車両の色も入れてしまうと、「白・青・緑・赤・クリーム・黄色・灰色」という「七色のユニフォーム」となり、西武ライオンズというよりは日拓ホームフライヤーズになってしまいます。
 そう考えれば、このデザインは仕方がないのだろうな、などと一人で勝手に納得してしまいました。

2012年08月01日

選択肢にないものが正解

 稲毛海岸に行く用事がありました。総武線で稲毛駅に出てそこからバスで行くのが、時間・値段ともども最善のようなので、その経路を調べました。
 ところが、稲毛駅発稲毛海岸駅行き、というバス路線は4つくらいありました。しかも、それを複数のバス会社が運営しています。
 それぞれの会社のサイトを見ましたが、いずれも、かなり大回りして稲毛海岸駅に向かうようでした。そこで、路線図を見たところ、「稲毛海岸駅行き」ではなく「海浜公園入口」行き路線が唯一、最短経路を通る、という事が分かりました。
 そこで、稲毛駅で降りたのですが、その最短路線は、バスターミナルの一番はずれにありました。確かにそこには「稲毛海岸駅最短経路」と書いてはあります。とはいえ、それを知らない人は、そのバス路線の存在に気づかず、大回りする「稲毛海岸行き」に乗ってしまう事は間違いないでしょう。
 つまり、稲毛駅においては、「ここに、金の稲毛海岸駅行きと、銀の稲毛海岸駅行きと、銅の稲毛海岸駅行きがあります。あなたが乗るべき路線はどれでしょうか。」という選択肢をつきつけられたようなものなわけです。
 そして、正解は「どの稲毛海岸駅行きでもなく、『海浜公園入口行き』」なわけです。妙に奥深い路線設定だな、と思うと同時に、行先表示にだまされて、倍以上の時間をかけて稲毛海岸駅に行ってしまった人はどれだけいるのだろうか、などとも思いました。

2012年07月28日

直通運転切り替え

 東横線と副都心線の直通運転が来年3月から行われる、という発表がありました。そして、それと同時に、日比谷線は東横線への乗り入れを廃止するそうです。
 これにはちょっと驚きました。
 最初に東横線と副都心線の相互乗り入れの情報を知った時、「これで田園調布と日吉の間では、1番線に日比谷線車輌、2番線に南北線車輌、3番線に三田線車輌、4番線に副都心線車輌という「地下鉄そろい踏み」を見れるものだと期待していました。
 それが実現しないのは極めて残念な事です。
 あと、地下鉄と郊外私鉄の間での直通運転が廃止された例、というのはこれが初めてなのでは、などといろいろ考えがめぐりました。
 そういう事もあり、自分的には「副都心線直通運転開始」よりも印象に残った「日比谷線直通運転終了」でした。

2012年06月21日

嵩高荷物専用車両

 今月に入ってから京成で通勤しています。わずか二駅ですが、乗換駅である京成津田沼におけるホーム混雑は身の危険を感じるほど、凄いものがあります。その対策として、先日より乗る車輌を先頭車両から催行日車輌に変えてみました。
 そして、千葉線で京成津田沼に着いたところ、隣のホームに本線からの上野行きが入って来ました。もちろん、その接続については、以前と変わりません。
 ところが、目の前に止まったその上野行きの最後尾を見た時はかなり驚きました。
 そこには「嵩高荷物専用車両」という札がついています。そして、他の車輌は通勤客で立ち客もいるに関わらず、その車輌だけはあまり人が乗っていませんでした。しかしながら、その人たちは、いずれも50代を過ぎた女性ばかりでした。そしれ全員、かなり大きな荷物を小脇に置いています。同じ列車にも関わらず、他の車輌とは完全に別の空間となっていました。
 ネットなどの情報で、京成には行商専用車両があるとは聞いていました。しかし、それを実際に目にする機会があるとは思いませんでした。ちなみに、この「嵩高荷物専用車両」が運行されるのは、一日一本・この上野行きのみです。そして、関東でこのような行商の人のために特別に配慮された列車は、現在はこれ以外にありません。
 これまで毎日見てきた上野行きですが、乗る車輌を替えただけで印象がこれまでと百八十度変わってしまいました。仮に、混雑対策を行わず、いつもの車輌に乗り続けていたら、一生、このことに気づかなかったでしょう。
 ちょっと視点を変えるだけで、ものの見方が大きく変わることはよくあります。その象徴とも言えた、この「嵩高荷物専用車両」でした。

2012年06月15日

話題のずらし方

 4月末に、格安ツアーバスが交通事故を起こし、7人の方が犠牲になったのはまだ記憶に新しいところです。
 その後しばらくは、この事件に関するニュースはかなり多く報じられていました。ところが、ある時期から、話がずれてきました。
 まず、事故を起こした運転手が、運行を担当した会社の名義を利用して、違法な営業を行なっていた、という事が話題になりだしました。さらに、その会社も、その「犯罪」に関わっていた、という事で、その会社の社長も逮捕されました。それ以来、この事件の関連報道は見なくなりました。
 確かに、運転手が違法営業をし、契約していた会社がそれに噛んでいた事は良くない事です。しかしながら、それと、7人が亡くなった事故には何ら関係がありません。そしてこの大事故が発生した事に比べれば、まったくもってどうでもいい事です。
 それによって、そのような問題のある会社が長距離バス運行に参入できる、という制度の本質的な問題点はそのままとなってしまいました。
 7年前にJR西日本が福知山線で大事故を起こした時もそうでした。なぜかいつの間にか「100人以上の死者を出した人事管理および施設管理」よりも「その日の晩にJR西日本の一部社員が飲み会を行った事」のほうが大問題であるかのように、報道がずれていきました。
 そして結局、事故の根源的な問題は、遺族による裁判の時くらいしか取り上げられる事はなくなりました。
 その理由は、報道を行なっている会社が、事故の本質的な原因である「バスの規制緩和」「JRの『民営化』と同時に確立した安全軽視体制」を持ち上げていたからです。したがって、その事故の本質がどこにあるかが明らかになると、マスコミの報道がいかにおかしかったかも同時に明らかになってしまうわけです。
 それを防ぐために、このような「枝葉末節な事ばかり取り上げて、本質を隠す」という報道が行われるわけです。
 毎度の事ですが、その姑息さと無責任さには呆れてしまいました。

2012年06月09日

驚異的な接続

 現在の仕事場は京成大久保にあります。経路的には大回りなのですが、本数が多くて安い、という事もあり、京成電車で通っています。
 駅数は二駅ですから、電車に乗っている時間は6分ほどですみます。ところが、電車を待つ時間が異常に長い事が多々あるのです。
 今日などは、京成大久保で待った挙句、やっと来た電車が京成津田沼駅のホームに入ろうとした時に、向かい側から千葉線の電車がホームを出ました。
 そして、次の幕張本郷方面行きまで16分も待つ破目になりました。
 この千葉線は全線複線で普通電車しか走っていません。また、京成津田沼以外の駅で、他の路線と接続を取る事もありません。
 したがって、京成津田沼駅での接続だけを考えてダイヤを組めばいいはずです。
 ところが、このような「本線の電車が入るのと同時に千葉線が発車」というのは、既に何度も食らっています。また、幕張本郷から行く時にも、同じような経験を一度ならずしています。
 もしや、会社の都合で京成千葉線の乗客を減らす方針があり、そのために乗り継ぎが不便なダイヤを作っているのだろうか、とまで思ってしまいました。
 定期を買ったので、当面はこの経路を使うつもりですが、この調子でストレスが溜まるようでは、次からは別の交通機関も検討すべきかも、などと思っています。

2012年05月15日

走る漫画喫茶?

 ツイッターを見ていたら、大阪から名古屋まで6時間弱かけていく夜行高速バスという話題がありました。
 この区間、東海道線の快速電車でも3時間ちょっとで到達できます。にも関わらず、大阪駅の次の停車が名古屋駅、というバスが、それより2時間以上かけて進むわけです。
 これでは、「夜行低速バス」と言わざるをえないでしょう。
 とはいえ、この運行形態自体は、面白いと思いました。従来、公共交通機関を用いて朝イチで名古屋に行きたい大阪の人は、前日の夜に行って現地に泊まるくらいしか方法はありませんでした。
 しかしながら、この「夜行低速バス」を使えば、その名古屋での滞在費が節約できるわけです。
 また、運転的にもこれは安心できます。時間調整をするためには、どこかのサービスエリアだか道の駅だかで長時間休憩をするのでしょう。これならば、先月末に発生したような、規制緩和によって生じた運転手酷使による大惨事も発生しません。
 数十年前、当時としては豪華な食堂車つき寝台列車「あさかぜ」が東京と下関の間で運行された時、世間は「走るホテル」と褒め称えたものでした。
 それに対し、この「滞在費を浮かすために、狭い椅子に座ってゆっくり進みながら一晩明かす」という、この新機軸バスは、さしずめ「走る漫画喫茶」と言うべき存在なのではなかろうか、などと思いました。

2012年04月14日

新東名高速道路

 新東名高速道路が本日部分開通しました。今回は静岡県内のみですが、将来的には神奈川県から愛知県まで結ぶとのことです。
 既に東名高速道路があり、さらに東京と名古屋を結ぶ、という意味では、中央高速道路もあります。そう考えると、そんなに何本も作る必要があるのだろうか、とも思えます。
 さらに、関東と東海そして大阪を結ぶ路線として、リニア新幹線が構想されています。既存の新幹線もあるわけですから、東京と東海を結ぶ路線だけで新幹線2本、高速道路3本になるわけです。

 もちろん、盆暮れや黄金週間など、混む時はあるわけです。しかしながら、それが年がら年中発生するわけではありません。
 一方で、かつての大動脈だった鉄道の東海道本線などは、夜行列車も一本だけになるなど、線路が空いてしまっているわけです。
 確かにある時期まで、日本経済は右肩上がりが続きました。それによって、人や物の輸送も、より一層の大量化・高速化が必要とされていたわけです。
 しかし、そのような時代はかなり前に終わっています。にも関わらず、建設計画のほうは、相変わらずその時代の構想を継承しているように思えます。
 そのような事を考えてしまった、新東名高速道路開通ニュースでした。

2012年04月13日

導線

 切符で津田沼駅の改札を出ようとしました。他駅同様、津田沼駅も切符・磁気定期券が使える改札はかなり減らされています。そこで、北側に2つ並んでいる切符使用可能改札機に行きました。ところが、そこだけやけに人が集まってきています。
 一瞬、やはりまだまだ切符や磁気定期券を使っている人が多いのだな、JRの改札変更は時期尚早だったのでは、と思いました。
 ところが、後ろで待ちながら見ていると、半分以上の人はICカードや携帯を読み取り機にかざしています。すぐ隣には、誰も使っていないICカード専用改札機が三つほど並んでいます。にも関わらず、そちらを使わず、列を作って切符併用の改札機を使っているわけです。

 不思議に思ってあたりを見ているうちに、あることに気づきました。
 ICカード専用改札機を増やした際に、津田沼駅では、切符が使える改札機を示すために、床にその旨を示す矢印を描きました。一部のホームから上がってきた人には、その矢印が階段を登っている時から目に入ります。
 どうやら、その矢印に誘導されて、ICカード乗車券を使用している人も、その改札に集まってしまっているようでした。
 さらに、そこだけ人が集まっているのを見て、「通れる改札はここだけなのだろう」と思ってしまう、というのもあるのでしょう。
 他の駅でも、同じような感じで「切符使用可能の改札機」を目立たせています。しかしながら、この状況を見る限り、それをやるなら、それらの改札機はICカード読み取り機能を殺して、「切符専用改札機」とし、切符・磁気定期券使用者とICカード使用者を完全に分離してもいいのでは、とも思いまいた。

2012年03月15日

スカイツリーラインと業平橋駅

 北千住から浅草に行く用事があり、東武線に乗りました。北千住駅でホーム案内板を見たところ、「東武スカイツリーライン」なる表示がありました。案内掲示を見たところ、3月17日から、伊勢崎線の浅草・押上から東武動物公園の間に、その愛称をつける、とのことでした。
 確かに、伊勢崎線のその区間を通る列車の大半は、日光・鬼怒川方面に行きます。そのため、「伊勢崎線」という名称と実態があっていない、という問題はありました。
 そういうわけで愛称をつける事自体はいいと思うのですが、その名前はどうなのかと思いました。

 なお、あわせて3月17日から、業平橋駅が「とうきょうスカイツリー」に改称されるとの事でした。改称自体は知っていましたが、てっきり5月の開業日からだと思っていたので、少々驚きました。
 そして通り過ぎた業平橋駅ですが、駅名改称にあわせた工事が進行中でした。1~2回しか乗り降りしたことのない駅でした。しかしながら、やはり駅名票をを見たときは、「今日が見納めか」と思い、物寂しさを感じました。

2012年02月18日

バスターミナル跡地

 夕方、仕事で晴海埠頭行きのバスに乗りました。普段は、職場の近くにある「麹町五丁目」というバス停から乗るのですが、あらかじめ調べた所、次の発車まで少々時間があります。まあ、この時間帯は一時間に一本しかないから仕方ありません。
 寒い中バス停で待つのも嫌なので、ちょっと歩いて始発の四ツ谷駅前から乗ることにしました。これなら、バスの中で発車を待つことができます。
 そこでバス停に行きました。ここからは、かつて赤坂見附・虎の門を経由して品川に行くバス、信濃町・青山を経由して品川に行くバス、そして赤坂アークヒルズに行くバスのターミナルでした。
 最盛期はそれぞれ10分~15分間隔で走っていました。したがって、ターミナルもかなりバスで賑わっていました。自分も、当時品川行きの沿線に住んでいた事もあり、よく利用していたものでした。

 しかし、2000年にそれらの路線沿線に地下鉄が開通したため、赤坂アークヒルズ行きと品川行きの片方は廃止、残る品川行きも新宿発に経路変更され、いずれも四ツ谷から消えました。
 同時に、新宿から四ツ谷を経由して晴海埠頭に行っていたバスの新宿-四ツ谷間が廃止となり、ここを使うようになりました。
 しかしながら、その本数は多くて1時間に2本で、たいていは1時間に1本です。したがって、かつての「バスターミナル」とは全く異なる寂れっぷりになっていました。
 今日、発車待ちの間、バスから外を見ていて、その変わりっぷりを痛感させられました。
 実際、2000年の地下鉄開通のおかげで、沿線の交通は非常に便利になりました。かつて住んでいた実家に行くのも、それまでと比べ、飛躍的に楽になっています。
 その恩恵には十分あずかっているわけです。とはいえ、やはりかつて愛用し、賑わっていたバスターミナルが、1時間に1~2本のバスの起点となっている、というのをまざまざと見る、というのはかなりの寂しさを感じさせられました。

2012年02月11日

降車ホーム導線の商用利用

 浦安市のモノレールに、「リゾート・ゲートウェイ・ステーション」という駅があります。日本の駅だというのに、なぜか長ったらしい英語の駅になっており、直訳すると「行楽地の入口駅」となります。ちなみに、意訳すると「舞浜駅」になります。
 それはともかく、この駅の出口の構造はちょっと変わっています。ホームから階段を降りると、舞浜駅の表記があり、その案内にしたがって改札を出ると、なぜか駅ビルであるイクスピアリの中に出ます。
 そこから、舞浜駅に行くには、その建物の中を歩く必要があります。駅まで時間がかかるうえに、ちょっと間違えると、建物の中を迷ってしまいます。
 ところが、その「舞浜駅」の案内を無視して背を向け、逆方向に歩いて階段を降りると、もう一つの改札が現れます。そこを出れば、目の前に舞浜駅があります。
 ちなみに、この「近道」は日中は閉鎖されており、モノレールから降車する人は強制的に大回りをさせられます。

 日中に近道をしたい場合、方法は二つしかありません。一つは、エレベーターを使って二階まで降りる経路で、もう一つは乗車ホームから降りる経路です。
 前者は、エレベータを使う必要がある人に迷惑をかけかねませんし、後者はあからさまなマナー違反です。しかしながら、遠回りを防ぐにはそれよりありません。
 ウィキペディアを見たところ、日中にそのような出場制限をかける理由として、日中は入場者が多いため、そちらの出場者が多いと、改札が混雑するため、と書かれていました。
 しかし、土日祝日を含め、何度か日中にこのモノレールに乗りましたが、そこまで入場改札が混雑しているのを見たことがありません。
 それらの事を考えると、モノレールの降車客をイクスピアリに誘導し、売上に貢献させる、という意図があると考えるのが妥当でしょう。よくディズニーランドを皮肉る言葉として「夢と魔法の国→カネと著作権の現実」という言葉があります。夢と魔法の国から帰る人に「金の現実」を見せつけているわけですから、その理念(?)を凝縮した導線と言えるのかもしれません。

 なお、この知識は、「リゾート・ゲートウェイ・ステーション」駅を十数回利用した経験から得たものです。しかしながら、その間、一度もディズニーランドにもディズニーシーにも行っていません。モノレールにに乗ったのは全て仕事です。
 ただ、その仕事も今回で終わりになりました。おそらく、二度とこのモノレールに乗ることもないでしょう。折角得た知識が無駄になってしまったわけですが、それも含め、ここ数年間の「仕事での舞浜通い」はいい思い出になりました。

2012年02月03日

発車メロディ後の放送

 御茶ノ水駅で、駅構内放送を聞いていました。ちょうど、快速と各停がほぼ同時に発車するダイヤになっていましたのですが、それぞれの発車メロディが鳴った後、駅員さんが「中央線快速、高尾行きが発車します」「各駅停車、三鷹行きが発車します」と言っていました。
 階段を降りてホームに向かい人が、これを聞いたらどう思うでしょうか。少なからぬ人が、「発車メロディが鳴ってはいるが、まだ駅員の案内は続いている。ならば急いで乗れば間に合うだろう」と考え、階段を駆け下りるでしょう。
 駆け込み乗車が発生するたびに、車掌さんは「思わぬ怪我をする可能性もあるし、遅延の原因にもなりますから、駆け込み乗車はおやめ下さい」と怒った口調で車内放送します。
 その一方で、駅の構内では、「今発車メロディが鳴っている電車は○○行きです」と、その方向に行きたい人に、駆け込み乗車を煽っているわけです。
 もちろん、駅員さんだって駆け込み乗車を歓迎しているわけではないでしょう。そう考えれば、発車メロディが鳴った時点で、「三鷹行き、発車します」などと言わず、「2番線の電車にはもう乗れません。不運だったと諦めて、いさぎよく次の電車を待ちましょう」と放送したほうがいいのでは、と思いました。

2012年02月01日

あるバス停の移転

 仕事で晴海埠頭の入口にある建物にバスで行きました。ここに行くのは3年ぶりくらいです。以前来たときは、最寄りのバス停は、「ほっとプラザ晴海前」というバス停でした。
 そこで、今回もそこで降りたのですが、バス停の場所が大幅に変わっていました。結果的には、一つ手前のバス停で降りたほうが、早く目的地につけたほどの移動ぶりでした。
 かつて、この「ほっとプラザ晴海前」というバス停は、「晴海見本市会場前」という名前でした。その名前の通り、バス停の向こうには、何棟もの見本市会場が建っていました。
 ここで大規模イベントが開催された日は、この「晴海見本市会場」バス停は一日に万単位の人が乗降していました。私も、人を満載したバスに乗って、この停留所で乗降したものでした。
 しかし、1996年に海の向こう側に東京ビッグサイトが開館したのにあわせ、晴海の見本市会場は閉鎖され、半分は更地に、残り半分は中央区の清掃工場およびその付随施設である「ほっとプラザ晴海」になりました。
 そのため、バス停の名前もそれに合わせて改称されました。しかしながら、設置場所は当時と同じで、そこで乗り降りするたびに、当時の事を思い出したものでした。
 しかし、二年前にかつての見本市会場だった場所を縦貫する道が開通し、バス停が移転されていたようです。新たなバス停は、かつての見本市会場の中心地にできていました。
 移転に驚きながら新バス停で降り、かつて会場の中央通りだった道を歩きました。往時をしのばせるものは何一つありませんでした。それだけに、より寂しさを感じました。
 かつてのバス停跡地の前を通ると、そこには2年前に掲示された移転の案内がまだ残っていました。その看板および、かつて多くの人が乗降していたバス停の跡地を見たときは、一つの時代を作った「晴海見本市会場」の歴史が、完全に終わったのだな、などと思いました。

2012年01月27日

増設?

 ある駅で、「Suica専用自動改札機増設のお知らせ」という案内を見ました。「増設」というと、通路を拡張して改札機を増やすかのように見えます。しかし、よく見たところ、既存の改札機を専用機に置き換えて、切符および磁気式定期券を使えなくなるようするだけでした。
 別に、既存の改札機でもSuicaは使えます。したがって、利用者にとっては何一つ便利にはなりません。そのような事実を隠すために、あえて「増設」などという言葉を使ったのだろうな、と思いました。
 確かに、鉄道会社にとっては、この「増設」は利点ばかりです。
 まず、切符などを通す必要がなくなるため、「紙詰まり」がなくなり、故障のリスクおよび復旧のための手間が減ります。
 さらに、切符が減れば紙代も節約できます。そのうえ、切符で乗った場合は不通になると振替輸送をする義務が生じますが、Suicaやpasmoで乗った客に対しては、その義務がないため、事故発生時の費用も削減できます。
 そういう事もあり、「増設」などと盛り上がりたいのでしょう。しかし、どう表現しても事実は「切符・磁気式定期券が使える改札機の減少」でしかないのです。
 何度か書きましたが、JRをはじめとする鉄道会社は「故障」→「点検」とか、「線路に転落」→「線路に人立ち入り」などと姑息な言い換えをよくやります。これもその一環なのでしょうが、あまりやりすぎると、そのうち会社への信用が失われてしまうのでは、とも思いました。

2012年01月25日

積み残し

 総武快速の君津行きで帰りました。船橋でかなり下車する人がいたので、流れにあわせて自分もホームに降りました。
 一方で、乗車待ちのほうもかなりの行列になっていました。このま最初に乗ると、次の津田沼で降りる際に、人をかきわけなくてはなりません。そこで、列の最後尾について一番最後に乗ろうとしました。
 ところが、自分の前の人が乗るあたりで、扉が閉まり始めました。とはいえ、明らかに行列は残っています。だからまさか、自分が乗るまで閉まることはないだろう、と思っていて電車に入ろうとした瞬間、目の前で扉が閉まってしまいました。
 隣に並んでいた女性も一緒に積み残され、「えっ?こんなのってないでしょ」と怒っていました。
 その後すぐに津田沼行きが来て、それが各駅停車とギリギリで接続してくれました。したがって、自分は特に被害はありませんでした。
 しかし、千葉より先に行こうとしていた人の場合は、かなりの時間のロスになります。調べてみたところ、内房線沿線の人なら15分ほど、蘇我から外房線に乗り換える人なら20分ほど、このような積み残しを食らうと、帰宅時刻が遅れてしまうことがわかりました。
 これまで、ラッシュ時の電車で多くの人が降りるにも関わらず、人の流れに抗って頑張っている人を見るたびに、「何を意地はって周囲に迷惑をかけているのだろうか?」と思っていました。しかし、今回の経験で、そのような人の気持ちが少し理解できました。
 もちろん、乗ろうとする人を際限なく待っていたら、ダイヤが乱れてしまう、という運行側の事情も分かります。
 結論としては、現在の総武快速の通勤輸送がほぼ限界である、という事なのでしょう。そのことを再認識させられました。

2012年01月13日

25年で変わった「常識」

 先日、2005年に発生したJR西日本福知山線事故で、当時の社長だった人の刑事裁判が行われ、無罪になった、というニュースがありました。それに関してツイッターで何人かの人が「JR西日本の事故は許されるものではない。今後も再発防止に全力を尽くして欲しい。一方で、利用者は過度な定時性を求めすぎている感もある。」みたいな投稿をしていた人が何人かいました。
 つまり、あの事故の原因を、「利用者が遅れると怒る→会社が遅延が生じないように命じる→運転手が遅れを取り戻そうと無理をして事故になった」という認識なのでしょう。
 書いている人に悪意はないのでしょうが、見当違いにもほどがあると思いました。だいたい、「安全」と「定時運行」を「二択」というのがありえない話です。
 公共交通機関は安全かつ正確な運行をするのが使命です。それには、安全と定時制の双方を維持できるダイヤとシステムを組めばいいだけの話です。JR西日本はそれができなかったから、あのような大惨事をもたらしたわけです。
 もしかすると、そのような投稿をした人は、かつての安全かつ時計並の正確さを誇っていた国鉄時代の事を知らないのだろうか、とも思いました。それならば、安全かつ正確な鉄道などありえない、と思い込んでいるのも理解できます。
 まあ、国鉄が解体されて今年で25年目です。四半世紀も経てば、「常識」が変わるのも無理はないでしょう。
 そんな自分も、今朝の出勤時、「事故で3分遅延」というアナウンスを聞いて、「そうか。ならば下車時に鳴らす寝過ごし防止の携帯目覚ましを3分遅らせなければな」と、日常茶飯事のように対応してしまいました。
 要はJRの遅れに慣らされてしまったわけです。改めて、この25年間の時の流れおよび変化というものを感じさせられました。

2012年01月07日

新駅

 田町と品川の間に、新駅ができる、というニュースが数日前に流れました。予定地は地下鉄の泉岳寺駅近辺のようです。
 この地点への新駅建設説は昔から何度か聞いていました。ただ、鉄道会社が正式に発表したのは初めてかと思われます。やっと具体化した、といったところでしょうか。なんでも、この地区にある車庫を縮小して再開発するのにあわせて駅を作るとのことです。
 実家からさほど離れていない場所という事もあり、やはり色々と気になります。たとえば、ニュースでは「山手線の新駅」と書かれているのですが、この地点では、京浜東北線は高架になって山手線をまたいでいます。
 それらの状況から、「まさか、京浜東北線のホームは作られないのか?」などと一瞬、思ってしまいました。冷静に考えれば、そんな事はありえないのですが・・・。
 あとやはり、どんな駅名になるか気になります。10年前にできた白金高輪駅の印象が強いので、同じ感覚で「港南高輪」をまず想像してしまいました。
 他にも色々と候補は考えられます。いずれにせよ、古い町に出来る駅なので、昔から受け継がれている名前を活かした名前にしてほしいものだ、と思いました。

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