2014年12月29日

サバ読み?

 コミケの東京交通局ブースで、「都電荒川線40周年うまい棒」なるものを配っていました。
 確かに、「都電荒川線」という名前の、早稲田と三ノ輪橋を結ぶ路線が運行されたのは1974年です。
 しかしながら、それより前から、早稲田ー王子ー荒川車庫並びに、赤羽ー王子ー三ノ輪橋という都電の路線は存在していました。
 さらに言えば、現在の荒川線に相当する区間が最初に運行開始したのは、今から103年前の1911年です。
 つまり、実際には100年以上の歴史がある路線を「40周年」と宣伝し、タイアップしたお菓子まで出しているわけです。
 まあ、コミケが来年で40周年なので、それにあわせた、というのもあるのかもしれません。
 いずれにせよ、人間が年齢を「サバ読み」する事例はよく見ますが、交通機関が開業周年を「サバ読み」するというのは初めて見ました。
 ちなみに、3年前には都営交通100周年記念・都電荒川線の花電車の運行なるものをやっていました。
 したがって、その背景は十分理解した上で別途「40周年」もやっているという事なのでしょうが…。

2014年12月24日

メトロWi-Fiが終了

 昨日の事ですが、久々に都内に出ました。
 基本的に、東京西部に行くときは、西船橋から東西線に乗り換えます。地下鉄を使う最大の理由は、所要時間はさほど変わらないのに、運賃が100円以上安くなる、という所にあります。
 それに加え、東京メトロが提供する無料の無線LANが使える、というのがありました。
 これを使うと、スマホの電池を節約できるのです。
 ところが昨日は、地下区間に入っても、メトロの無線LANの電波を捕まえられませんでした。不思議に思ってスマホで検索したところ、約1ヶ月前にサービスを終了していた、と書かれていました。

 まあ、確かに、東京メトロが無料で無線LANを提供しているから、JRでなくこちらに乗る、などという自分のような利用者は極めて少数派でしょう。
 あと、この類の企業が提供する無料Wi-Fiは、ブラウザを開くと、その企業が作っているサイトが開く、という宣伝効果があります。
 しかしながら、電車の中でスマホやタブレットでネット接続している人の多くは、ブラウザを使わずに、ツイッターなどのSNSを使っています。
 それらの現状を考えると、確かに高い費用を払って無線LANを提供する費用対効果はない、と考え、廃止をするのは的確な判断だと言えます。
 そういう意味では納得はできました。とはいえ、やはり、都内に出るときの「楽しみ」の一つがなくなってしまった事は、少なからぬ喪失感がありました。

 

2014年12月19日

千葉四天王

 ツイッターを見ていたら、東海地方に住む人が、「日本で一番高いと言われる豊橋鉄道」と書いていました。
 千葉県民として、「そんなわけないだろう」と思って調べてみたところ、18キロで520円、という料金設定になっていました。
 確かに高いですが、我が千葉県の誇る北総鉄道と東葉高速鉄道なら、同じ距離ならもう100円くらい高くなります。
 ついでに言うと、10キロ乗ると340円ですが、これも、千葉のモノレールや京成千原線より数十円安い設定でした。
 改めて、20世紀末に作られた千葉の私鉄の高さは圧倒的だ、と思いました。

 もっとも、確かに「千葉四天王」にはかないませんが、豊橋鉄道の高さもかなりのものである事は確かです。
 50年以上の歴史を持つ私鉄としては、かなりのものではないでしょうか。なぜそんな値段になったのか、気になりました。
 あと、この情報を調べる際に、豊橋鉄道のサイトを見たのですが、その特異なデザインとユーザビリティにはちょっと驚きました。
 20数年前に路面電車に乗って以来ご無沙汰の鉄道でした。それが、このようななかなか特異な存在であるとは思いませんでした。
 落ち着いたら、一度ゆっくり乗りに行きたいものだ、などと思いました。

2014年12月05日

北斗星をはじめ、夜行客車特急が廃止に

 上野と札幌を結ぶ夜行客車特急「北斗星」の廃止が発表されました。北海道新幹線に関する仕様変更や、車両の老朽化が理由とのことです。
 自分が初めて乗った夜行特急は北斗星でした。それまで、夜行急行や各駅には何度も乗ってはいましたが、特急は初めてでした。(当時は今と違い、急行が全国各地で走っていました)
 そこでの、「食堂車でフランス料理を食べながら、雪の夜の東北本線を北上し、その後は個室寝台で青函トンネルを通る」というのは、これまでにない経験でした。同じ所を走っているのに、これまでとは全然印象が違いました。
 そういう事もあり、それから23年経った今も強く印象に残っています。
 その後、トワイライトエクスプレスと北斗星に一回づつ、合計3回乗ったのが、自分の数少ない夜行客車特急経験です。

 かつては、日本全国に夜行列車が走っていました。しかし、だんだんと廃止され、ついに北斗星までが、という感じです。
 残る定期夜行列車は、東京と高松・出雲を結ぶ電車特急だけ  まあ、時代の流れというのもあるのでしょう。しかし一方では、夜行高速バスが相変わらず走り続けているわけです。
 安全の事などを考えたら、バスより鉄道のほうがいいと思うのですが…。まあ、27年前に国鉄を解体して以来、この方向性で進み続けていたのだから、仕方ないのですが…。
 発表前から分かっていた事ではありました。しかしながら、当時を思い出し、少なからぬ寂しさを感じた廃止発表でした。

2014年11月24日

年に1回の限定バス路線

 久々にイオン城(我が家ではイオンモール幕張新都心をこう呼んでいます)に行くことにしました。
 昼過ぎに出かけました。幕張本郷駅の電光掲示板にはバスの発車時刻を電光掲示板で表示しているのですが、そこには、海浜幕張駅経由幕張メッセ中央行きは13時54分、コロンブスシティ経由イオン城行きは14時ちょうど、と書かれていました。
 一見、6分くらい待ってもイオン城行きに乗ったほうがよさそうに見えます。しかしながら、我々は幕張メッセ中央行きのバス停に行きました。
 この時間のイオン城行きは、コロンブスシティ経由なので大回りになるのです。それよりは、海浜幕張駅経由幕張メッセ中央行きに乗って免許センターで降りて歩いたほうが早く着くと思ったのです。

 そのような判断で幕張メッセ中央行きに乗ろうとしたら、京成バスの人が「現在、マラソンによる交通規制のため、免許センター止まりとなります」と言っていました。
 もともと免許センターで降りるつもりだったので別にかまわないと思って乗りました。
 ところが、席に座ったところ、向かいのバス停にあるイオン城行きが、定刻の14時になっていないのに発車してしまいました。しかも、経由地表示を見ると、「イオン城に直通」となっています。本来ならば、直通バスは朝10時までしか走らないはずです。
 それを見て初めて、コロンブスシティ経由の道も交通規制があるのだから、イオン城行きもそこをショートカットする、という事に気づきました。
 海浜幕張で交通規制が行われるのは、年に数日しかありません。そういう意味では、貴重な「日中に走るイオン城直行バス」に乗りそこねたわけです。
 その点では失敗感がありました。とはいえ、「免許センター止まり」も同様に年に数日しかありません。そちらに乗れたのでチャラ、と思うことにしました。

2014年11月15日

景観がだいなし

 夕方、東西線に乗りました。
 途中、荒川の河口近くを渡りました。非常に川幅が広くなっており、夕日が沈む時期のここの風景は昔から大好きでした。
 しかし、いざそれを見ようとしたら、鉄橋の脇に何やら建造物ができていました。そういえ何年か前、明るい時間に荒川を渡った時、なにやら工事をしていたな、とい思い出しました。
 しかし、通常東西線で荒川を渡るのは夜だけだったので、それ以降、全然気づいていませんでした。
 たかだか1分少々のことでしたが、期待が大きかっただけに、少なからぬ失望感がありました。
 まあ、下流を走っている京葉線の鉄橋にはそのような障害物は特に無いはずなので、そちらを愉しめばいいか、と気を取り直しました。

2014年10月31日

幸せを呼ぶ赤い西武電車?

 半年ほど前に紹介した、幸せを呼ぶと銘打った黄色い京急電車ですが、見た人から「西武の電車に似ている」という感想があったそうです。
 すると、それに西武がコラボし、幸運の赤い電車と言って、京急のコーポレートカラーである赤く塗った電車を走らせる事になりました。
 このニュースを見た時はちょっと驚きました。自分は、西武新宿線沿線の野方という町で生まれ、8歳の頃まで住んでいました。
 当時、西武新宿線の車両は、赤とクリームをベースにした塗色でした(参考資料)。

 その赤い電車は非冷房でしたが、新車として、黄色い冷房車が投入されました。
 ある年の夏休みに、近所の人たちと秩父のほうに団体で行きました。その時、野方駅に入って来たのがその黄色い冷房車で、周りの皆が大喜びしていたのは、今でも覚えています。
 そして、段々と黄色い電車に入れ替わり、赤い電車はローカル線でしか見られなくなりました。さらに、ローカル線でも世代交代が進み、ついに「赤い西武電車」は消滅しました。
 その後、黄色は残りつつも、白や青などの新車が投入され、現在に至っています。
 それだけに、西武が「出会えたお客様に幸運が届けられれば」などと言って、「赤い西武電車」を走らせた事には、かなりの違和感がありました。

 もっとも、西武に赤い電車が普通に走っていた頃と今の日本を比べれば、ほとんどの人にとって「幸せ」は大幅に減退しています。
 実質賃金も正規雇用も年金も社会サービスも減り続け、税金だの保険料だの支払うものばかり増え続けています。
 そう考えると、「当時は当たり前だった事が今では『幸運』になってしまう」という、西武のこの企画は、時代の変化を反映しているのかも、などと思ったりしました。

2014年10月26日

直通運転の弊害

 3日連続で金曜のスカイツリーの話を書きます。
 出かける準備をしたのは、11時ちょっと前でした。
 検索サイトで調べてみたところ、11時5分に幕張本郷を出る京成に乗ると、京成津田沼で5分待で特急に乗り換えられ、効率よく最寄り駅である押上に行けることが分かりました。
 しかし、時間的に今から家を出てこの電車に乗るのは義母の足を考えると難しそうです。
 そこで、一本遅らせる事にしました。日中の京成千葉線は10分に1本のペースで走っています。ならば10分後の電車に乗ればいい、と思っていました。
 しかし、「一本後」で出てくる検索結果は、全て総武線で錦糸町に出るものばかりです。京成線経由は、20分後の11時25分発の電車しか記載されていません。

 そんなわけないだろう、と思って時刻表を調べました。
 すると、11時15分の千葉線で行くと、京成津田沼で2分後の京成本線快速に乗り換えて押上に行ける事がわかりました。
 朝晩なら、千葉線の電車と京成本線は同じホームに発着します。したがって、この乗換は容易にできます。
 しかし、2006年から実施された新京成電鉄との相互直通運転により、日中の千葉線は、京成本線と違うホームに発着するようになってしまいました。
 自分ひとりなら、ちょっと急げば2分あれば乗り換え出来そうです。しかしながら、義母はもちろん相方でも、それは相当至難の業です。
 というわけでこの経路は諦めました。といってもあと20分待つのも時間の無駄です。仕方ないので、総武線で錦糸町に出て、そこからバスで行く事にしました。
 京成としては、2006年以前からずっと、「京成津田沼で2分あれば、千葉線と京成本線は乗り換え可能」という考えでダイヤを組んでいるのでしょう。
 しかしながら、実際には乗り換えは困難で、その結果、京成千葉線からスカイツリーに行くのは「20分に1本ペース」になってしまっているわけです。
 京成千葉線と新京成電鉄の直通運転でどれだけ便利度が増したかはよく分かりません。しかしながら、その一方でこのような弊害が発生しているわけです。
 京成の中に、この事に気づいている人はどれだけいるのだろうか、と思わされた、この「直通運転の弊害ダイヤ」でした。

2014年10月25日

30数年ぶりに都内交通の教示を受ける

 昨日の日記で書いた「スカイツリーの麓」をFBに転載しました。
 すると、「友達」の一人が「大野さん、浅草近いから行くと良いよ。」というコメントを寄せました。
 所属している団体のつきあいで「友達」になった人です。プライベートでの付き合いは一切ありません。
 ちなみに、団体の所属歴はこの「友達」のほうが長いので、一応彼のほうが「先輩」ではあります。しかしながら、団体での役職も年齢も自分のほうが上です。そのような相手に対し、タメ口でコメントを寄越す、という神経は自分にとって新鮮でした。

 しかも、コメントの内容は、東京に27年住みかつ20年間働いていた身としては、「何そんな当たり前の事言ってるんだ」というレベルの話です。ちなみに、この「友達」には、初対面の時、「これまで都内で働いていた」と自己紹介したはずなのですが…。
 ちなみに、自分は子どもの頃から、交通については少々詳しいほうです。他人に交通について尋ねられる事はあっても、その逆は10歳過ぎてからは経験していません。
 というわけで、コメントを見た時は、「都内交通のアドバイス」を受けたのは、35年ぶりくらいだろうか、などと不思議な懐かしさを感じてしまいました。
 当然ながら「交通案内」としては何の参考にもなりませんでした。その口調も含め、読んだときはあまり愉快な気分にはなれませんでした。
 まあ「何の根拠も実力もないくせに、他人を見下して偉そうな事を書くと、とんだ恥さらしなる」という面白い事例を見れた、という経験ができたので、このコメントにも欠片ほどは価値があったかも、と思うことにはしました。

2014年10月11日

「つるぎ」復活

 来春開業の北陸新幹線の情報を見ました。東京直通の列車の他に、金沢ー富山間を往復する列車が設定され「つるぎ」と名付けられる、と書かれていました。
 この「つるぎ」という名前には、ちょっとした思い入れがあります。
 自分が時刻表を読みだしたのは、小学三年の時でした。
 当時、近所に北陸出身の鉄道好きの友人がおり、彼の影響で時刻表を読み始めました。そのため、北陸本線については、よく彼の解説を聞いたものでした。
 そんな中、特に印象に残ったのが、大阪と新潟を結ぶ寝台特急の「つるぎ」でした。
 大阪を深夜に出発し、新大阪と京都に止まると、そこから福井・金沢・富山といった県庁所在地を含めた駅を全て通過し、新潟県の糸魚川まで停車しません。そこからは、主要駅に止まって新潟に到着します。
 つまり、近畿圏と新潟県にしか止まらないわけです。他の列車は寝台特急も含め、全て、福井・金沢・富山に止まっていた事もあり、この「北陸三県全て通過」というのは際立っていました。
 その後、夜行列車衰退のあおりを受けて1996年に廃止されました。それが、約20年ぶりに復活するわけです。
 しかも、20年前は通過していた金沢と富山の間を往復する「ローカル新幹線」となるわけです。
 復活かつ出世なわけですが、ちょっと微妙な蘇り方だな、などと記事を読みながら思いました。

2014年10月09日

京成がダイヤ改正

 来月の京成線のダイヤ改正が発表されました。(公式発表(PDF))
 毎度のパターンですが、改正のたびに、成田空港へのアクセス改善並びに、早朝・深夜の増発が行われています。
 成田を早朝に出る格安航空会社の便が増えている影響とのことです。この調子でダイヤ改正が進めば、成田空港行きが24時間営業になる日も遠くないかも、と思いました。
 あと、成田スカイアクセス開業にあわせて、日中の京成本線を走るようになった有料特急「シティライナー」が平日運行をやめる、との発表もありました。
 何度か見かけた事がありますが、六両編成なのに、乗客の数はいつ見ても、全部で10数人でした。
 それを見れば、この措置は必然と言えるでしょう。とりあえず、土日は残るとの事ですが、こちらも大差ないのではないでしょうか。
 次の改正で廃止が決まったら、その時は記念に乗っておこうか、などと思いました。

2014年09月30日

六本木終夜バス廃止

 猪瀬前都知事肝いりの「六本木と渋谷を金曜の深夜から翌朝にかけて走る都バス」の廃止があっさり決まりました。
 理由は、利用者が採算ラインを大幅に割り込んだから、とのことです。
 この結果は、まあ順当といったところでしょう。
 深夜まで六本木で飲んだりしている人を対象にした路線かと思われます。しかしながら、そのバスで渋谷に行っても、そこから乗り換える鉄道が動いていなければ、なんの意味もありません。
 結局、渋谷でどこかの店に入るなど、時間つぶしをせざるを得ないわけです。
 ならば、わざわざ渋谷に移動するより、六本木で飲んでいたほうが効率もいいですし、帰りも楽でしょう。

 猪瀬前知事の交通政策と言えば、他に12億円かけて、乗り換え需要の少ない九段下駅4番線と5番線の間の壁を壊したというのもありました。
 あるよりはない方が便利なのは確かです。とはいえ、12億円かけてまでやるべきこととは到底思えませんでした。
 あの裏金事件がなければまだ都知事をやっており、その思いつきで、さらなる愚策を沢山やっていたのでしょう。
 現都知事を支持する気は毛頭ありませんし、先々代の都知事に至っては、前都知事より何百倍も東京に被害を与えたと思っています。
 とはいえ、このような結果を見ると、とりあえず前都知事が早々に退陣した事は、東京の交通にとっては幸せな事だったと言えるな、と思わざるを得ませんでした。

2014年09月22日

自転車専用レーン?

 ネットでちょくちょく、世田谷区にある狭すぎる自転車レーンが話題になっています。
 もちろん、ここまで、「走れるわけない自転車レーン」を明示している例は珍しいでしょう。しかし、極めて狭いとはいえ、自転車が走れる場所が存在してはいます。
 一方、実際に自転車で街中を走っていると、「いったい、自転車はどこを走ればいいんだ」と思える道は多々あるのです。
 たとえば、筆者の自宅のすぐ近くにある道でも、歩道は人がやっと一人通れる程度で、しかも電柱が立っており、車道はトラック一台分の片側一車線、などという所があります。
 こんな場所では、それこそ、上記リンクにあるような、「自転車のタイヤの幅しかない自転車レーン」すら設定できそうにありません。
 他にも、車道は片側一車線で大型トラックが頻繁に走っており、歩道は舗装状態が悪くデコボコ、しかも半分は側溝を塞いだ蓋、などという所も近所にあります。
 ここを走るときは、適宜後ろを確認しながら、車が来なければ車道を、車が見えたらボコボコの歩道を走る、という事になります。
 それだけに、タイヤ一本分とはいえ、自転車が走る場所が保証(?)されている分、このレーンはまだマシかも、などと皮肉的な気分で思ったりしました。

2014年09月21日

日暮里の混雑

 昼時に、日暮里で山手線から京成線に乗り換えました。
 山手線を降りた時、ホームはかなり人で埋まっていました。そして、行列になって、山手線に乗り込んでいました。
 長年、山手線を利用していますが、ホームがこれだけ混むのは、通勤ラッシュ時と、金曜深夜などの飲み会帰りラッシュ時と、ダイヤ乱れが発生した時くらいしか記憶にありません。
 もちろん今日は、ダイヤの乱れはありませんでした。
 一瞬、不思議に思ったのですが、ちょっと考えたら理由の見当がつきました。
 もともと、日暮里駅は、常磐線と京成線の乗換駅でした。にも関わらず、京浜東北線が快速運転を始めた際に、通過駅となってしまいました。
 その後、京成が新線を開通させ、成田空港までの時間は大幅に短縮され、日暮里駅も大幅に改良工事が行われました。おかげで、成田の玄関口としての重要度は大幅に上がりました。
 実際、今日も京成の日暮里駅では、外国人も含む、大きな荷物を引っ張っていた人を沢山見ました。
 しかしながら、相変わらず京浜東北線快速は日暮里を通過し続けています。
 ちなみに、もう一つの「空港の玄関口」である浜松町駅も、以前は京浜東北線快速は通過していました。しかし、東京モノレールが系列会社になったのを機に、停車するようになっています。
 一方、成田空港においては、JRも京成と対抗し、空港直通特急を走らせています。
 穿った見方かもしれませんが、なんか、日暮里通過になんらかの意図があるのでは、と思わざるを得ませんでした。
 会社としての面子などもあるのでしょうが、できることなら、ホームの混雑解消をもう少し重視してほしいものだと思った、「激込の日暮里駅ホーム」でした。

2014年09月19日

値下げで集客増

 昨日、ヤフーのトップに宮崎の低迷高速バス、運賃半額で利用7倍というニュースが出てきました。
 宮崎から延岡まで、高速道路開通に合わせて高速バスを2,000円で運行したところガラガラだったのが、1,000円に値下げしたら利用者が920人から6,408人と、7倍に増えた、というものでした。
 要は、約5,500人もの人が、別の手段から高速バスに移動したわけです。いったい、その人達は、これまでどんな交通手段を使っていたのだろうか、と気になりました。

 そこでヤフーの路線検索で調べたのですが、それを見た時はちょっと驚きました。
 鉄道で行くと、各駅停車で1時間半かかり、1,640円です。特急を使えば、1時間で着きますが、運賃は2,580円です。
 それに対し、高速バスは1時間51分で、なんと鈍行列車より遅かったのです。そのうえ、運賃がそれより高い2,000円だったわけです。確かに、これなら客がつくわけがありません。
 一気に1,000円まで下げる、というのはかなりの覚悟だったと思います。そして結果的には成功したわけです。
 とはいえ、このデータを見る限り、どう考えても、初期の料金設定がおかしすぎた、としか言いようがありません。
 ヤフーのトップに載ったという事は、かなり多くの人がこの記事を見たことでしょう。
 その人達が、この「もともとの料金設定がおかしすぎた」という事に気づかず、「やはり値段を下げれば客が増え、結果的に利益も上がる」と誤解してしまうのでは、と思いました。
 そして、そのような「もっと値下げすべきだ」という風潮ができてしまうと、現在の「アベノ不況」は、より一層深刻になるのでは、と不安になりました。

2014年09月13日

27年前にタイムスリップ?

 千葉に行く用事がありました。
 幕張本郷駅に着いたら、ちょうど総武線の千葉行きが出た直後だったので、京成で行くことにしました。
 せっかく京成で行くならば、千葉中央まで出て、そこからパルコを通って千葉駅方面に行くことにしました。
 そんな事を思っているうちに電車が駅に付きました。そこで降りて改札に行ったのですが、そこで唖然としました。
 自分は千葉中央駅で降りたつもりだったのですが、改札口の風景は京成千葉駅だったのです。とんでもない錯覚をしていました。
 我ながら、なぜこんな勘違いをしたのかわかりません。もちろん、もともと総武線で行くつもりだったくらいなので、京成千葉で降りても何ら困ることはありません。とはいえ、我が事ながら呆れました。
 一応言い訳するならば、27年前は、現在の千葉中央駅が京成千葉駅でした。ちなみに、現在の京成千葉駅は、「国鉄千葉駅前」というバス停みたいな名前の駅でした。
 というわけで、ついつい27年前の感覚に戻ってしまい、かつての「京成千葉」で降りるつもりが、今の「京成千葉」で降りてしまったのだ、と自分を納得させる事にしました。

2014年09月05日

川原湯温泉駅

 大学の将棋研究会の後輩が、FBで川原湯温泉駅に行った、という写真を載せていました。
 八ッ場ダム建設により、今月末で移転が決まっており、駅には閉鎖の案内が出ており、温泉街もほとんど廃墟みたいになっていたそうです。
 この温泉には、結婚した1998年の秋に行った事がありました
 群馬町(現高崎市)に住んでいた当時の友人の家にパソコンを設定しに行く話があり、せっかく遠出するのだから、と相方を連れて川原湯温泉まで足を伸ばしたのです。
 その時に泊まった「やまきぼし旅館」は温泉も旅館も絶品でした。
 特に感心したのは、露天風呂から見える吾妻渓谷の紅葉でした。その美しさは、いまでもよく覚えています。
 学生時代から旅行で全国のいろいろなところに行っていました。しかしながら、学校の休みの関係もあり、秋に旅行した事はありませんでした。
 それだけに、この風呂に入りながら見た秋の吾妻渓谷は、自分にとって、秋の絶景としていまでもよく覚えています。
 それだけに、滅びつつある川原湯温泉の風景を見た時は、かなりの物寂しさがありました。
 いろいろなところから、この八ッ場ダムを建設する必要性は全くない、という話を聞いています。
 それだけに、後輩の撮った写真を見ながら、今からでも遅くないから、ダム建設を中止して、あの吾妻の渓谷美を守り、川原湯温泉も元に戻してほしいものだ、と強く思いました。

2014年08月27日

ガラガラのバスターミナル

 千葉駅から稲毛区の長沼に仕事で行く事になりました。
 普段は幕張本郷から行くので、稲毛駅でバスに乗り換えます。
 それに対し、千葉からだとモノレールで稲毛と長沼の中間地点にあるスポーツセンター駅まで行くことができます。そこで、モノレールを使い、そこからバスに乗り換える事にしました。
 スポーツセンター駅を降りると、ホームの真下に「バスターミナル」がありました。駅からの出入口から歩いてすぐの場所にあり、乗り換えは非常に便利です。
 しかしながら、そのバスターミナルは、ほぼ廃墟、といった感じでした。

 

  ターミナル自体は、10系統くらいのバスが発着できるほどの広さがあります。
 しかしながら、そこで発着するバス路線は1本しかありませんでした。しかも、本数は平均して1時間に1本程度、という閑散路線です。
 バス発着のポールはもう一本ありました。しかし、そこには、昨年の5月1日付けで「こちらのバスは、運行を休止しました。再開は未定です」と書かれていました。
 そのまま一年以上経ったわけですから、実質的には廃止されたのも同様でしょう。
 構造的には、非常に便利な「バスターミナル」です。しかしながら、このように、半ば廃墟と化しているわけです。
 理由はいろいろ考えられます。とりあえず、千葉から行く際に、モノレールを使うより、総武線で稲毛に出てバスに乗り換える方が安い、というのがあると思いました。
 移動距離は、モノレール利用のほうが短いのです。しかしながら、モノレールが高い上に、乗り継ぎ割引もなく、高価になっています。
 それもあって。千葉方面からこちらに行く人がモノレールを使わず、その結果、この「バスターミナル」もガラガラになってしまったのでしょうか…。
 そんな事を思いながら、20分ほど待って、そのバスターミナルから目的地に向かうバスに乗りました。その間、ターミナルに訪れる客は一人もいませんでした。
 そして、長沼での仕事が終わり、再び千葉駅に戻りました。もちろん自分も、他の人たち同様、スポーツセンター駅は素通りして、稲毛から総武線に乗り換えて千葉に出ました。

2014年08月19日

羽田空港新線

 JR東日本が、羽田空港アクセスの新線を作ると発表しました。
 なんでも、国内線ターミナルの地下に新駅を建設し、そこから6キロほど新線を作って既存の貨物線につなげ、そこから東京・新宿・新木場に直通する電車を走らせるとのことです。将来的には、さらにそこから国際線ターミナルの地下にも延伸する予定があるとのことです。
 そんな大きな工事をするなら、系列会社である東京モノレールを、浜松町から東京まで延伸したほうが安く上がるのでは、などと思いました。
 それはともかく、そこまで大金かけて羽田に路線を作るのですから、よほど羽田の需要が増えると見込んでいるわけです。
 傍から見ると、そのような見込みがあるとは考えづらいのですが…。しかも一方で、東北新幹線を北海道に延伸させ、羽田-函館便の客を奪おうとしているわけです。
 あれば確かに便利なのでしょうが、本当に必要なのだろうかと思いました。
 ついでに言うなら、そんな所に使う金があるならば、気仙沼線・大船渡線・山田線などの復旧を優先すべきなのでは、とも思いました。

2014年07月26日

成田エクスプレスが富士急に

 今日から成田エクスプレスが富士急に乗り入れを開始した、というニュースを見ました。
 外国人観光客を乗り換えなしで富士山の麓まで運ぶのを目的としているようです。
 自分は海外旅行は2回しか行った事がなく、しかもいずれも団体旅行です。だから今ひとつ海外旅行の流儀というものはわかりません。
 ただ、空港からいきなり東京を通りすぎて観光地へ行くというのはちょっと落ち着かないのでは、と思いました。自分だったら、まずどこかの宿で一服して、それから改めて観光に出かけるでしょう。
 あと、せっかくそんな長距離を走らせるにも関わらず、都心の経路は相変わらず、東京地下駅から山手線を半周して新宿に出て、そこから中央線に入る、というものでした。
 どうせなら、錦糸町から秋葉原・御茶ノ水を通るという最短経路を走らせればいいのに、などとも思いました。
 ちなみに自分は、成田エクスプレスはほぼ毎日見ています。しかしながら、成田エクスプレスが停車しているのを最後に見てからもう5年は経っています。
 つまり、自分にとって成田エクスプレスは、見るだけの存在であり、乗るものではありません。したがって、乗り入れようと大回りしようと、他人ごとでしかないのですが…。

2014年07月17日

阪急電車が阪神の線路を走る

 関西ローカルのニュースで、阪急電車が阪神の線路を走った、というのが話題になっています。
 かつて、この両者は大阪と神戸を結ぶ「宿命のライバル」でした。1930年代、両社がプロ野球チームを持った際に、非公式戦で阪神が阪急に負けると、経営陣から責任論が出て、監督が解任された、などという逸話もあったそうです。
 しかしながら、何年か前の「村上ファンド事件」を契機に、両社は共通の持株会社を設立し、「グループ会社」となりました。それゆえに、実現した「乗り入れ」と言えるでしょう。

 もっとも、阪急と阪神の車両が並ぶこと自体は珍しくも何ともありません。45年ほど前に、神戸高速鉄道が開通し、神戸以西では阪急と阪神の車両が並ぶのは、何ら珍しくもない風景になっていました。
 実際、自分が関西に住んでいた1979年から1980年の間にも、両社の電車が並んだ風景は何度も見ています。
 というわけで、参照サイトのような写真を見ても、別に新鮮さは感じませんでした。
 あと、参照サイトにも書かれているように、かつては、今津駅で阪急と阪神の線路はつながっていました。
 関西在住時にそれを見た記憶があったため、「どうせ直通運転するなら、ここでやってほしかったものだ」などとも思いました。

2014年07月15日

新京成が塗色統一

 新京成電鉄が先月から、会社のマークと色を変えました。会社の色はピンクとのことです。
 ちなみに、マークは新京成の路線図をモデルにしたもので、グネグネと曲がっています。サイトのファビコンもその新マークを使っているのですが、色が赤いこともあり、何かYahoo!のファビコンみたいでした。
 そして、今後4年かけて、全ての電車の塗色を、会社の色にあわせてピンクに塗り替えるとも発表されました。

 現在、新京成には4種類の車両が在籍して、それぞれ異なる塗色になっています。
 それぞれ、独特の味があるのに、なぜそれを統一してしまうのだろうか、と思いました。
 阪急のように、何十年にもわたって、全ての車両を同じ色で統一、ともなれば、立派な伝統ですし、それを維持すべきだと思います。
 しかし、これまで多様な色の電車を走らせていたのに、いきなり、塗色を統一する、というのは何か勿体無いと思いました。
 電車の色が統一されていない事によって誤乗が生じる、などという問題が起きているわけでもありません。
 そんな塗替えに使う金があるなら、最近進めている、ローカル駅の夜間無人化を改善すべきなのでは、と強く思いました。

2014年07月06日

雲泥の差

 東京モノレールが浜松町駅で大規模な改修工事を行いました。そのため、今日の午前中は、浜松町-昭和島間は運休で、その間は代行バスを走らせていました。
 ちょうど今朝は、浜松町に用事があり、その代行バスの様子を見ることができました。
 最初に走っていたのは、京急の乗合バスでした。普通に街なかを走っているものです。それが満員状態で走っている様子を見た時は、その後の移動時間もあって、これはお客さん、えらい目にあったと思っているだろうな、と思いました。
 その後、次の代行バスを見かけました。今度は、高速バスの車両を使っており、椅子もリクライニングします。さっきのバスとは雲泥の差があります。
 これに座れたお客さんは、むしろ得したと感じるのでは、と思ったほどでした。
 まあ、いずれにせよ自分にとっては他人事です。何十年に一度あるかないかの東京モノレールの工事代行バスを、しかも2パターンを見れた事に、大いに得した気分になりました。

2014年07月04日

構内踏切

 京成の検見川駅を利用しました。この駅は、大都市圏では珍しい「構内踏切」を未だに運用しています。
 生まれ育った町にあった駅にも、当時は「構内踏切」があった事もあり、見る度に懐かしさを感じます。
 今日もそれを渡ろうとしました。その時、柱に何か貼られているものに気づきました。そこには、「構内踏切の遮断機が降りたら渡らないで下さい。特に通過列車にはご注意下さい」と書かれていました。

 検見川駅を通る京成千葉線は全て各駅停車です。にも関わらず、なぜこんな注意書きをしているのだろうか、と不思議に思いました。
 そこで、調べてみたところ、40年前まで、千葉線にも快速が走っていた事が分かりました。ちなみに、停車駅は、京成津田沼・京成幕張・京成稲毛・黒砂(現:みどり台)・国鉄千葉駅前(現:京成千葉)・京成千葉(現:千葉中央)とのことでした。
 その時の表示が、いまだに残っているという事なのでしょうか。
 なかなか年季の入った表示だと思いました。あわせて、これが再び役に立つよう、京成千葉線の優等列車を復活させて欲しいものだ、とも思いました。

2014年06月18日

「夢」の賞味期限

 東京と名古屋を結ぶリニア新幹線で、色々な問題が出ています。財源的な事はもちろん、騒音や自然破壊など環境的なでも、色々指摘されています。
 確かに到達時間は早くなります。しかし、その代償として、ここまでリスクを抱える必要があるとは思えません。
 既に、のぞみに乗れば、東京から名古屋まで1時間40分、新大阪まで2時間半ちょっとです。これだけ早ければもう十分だと思います。
 確かに、40年くらい前に、「リニア構想」が出来た時は、「夢の超特急」でした。実際、自分も子供の頃からそう思っていました。
 そういう意味で、5年前にこのリニア構想が発表された時は、少なからぬ期待感も感じました。
 しかしながら、その後に出てきた話をいろいろ知った結果、「夢」は完全に霧散してしまいました。
 確かに、40年前は「夢」だったわけです。しかし、もはやその賞味期限は尽きてしまったのでは、と思わざるをえません。
 夢から醒めて現実を見るべきなのでは、と思っています。

2014年06月04日

地下鉄のスマホ率

 久々に、通勤時間帯の地下鉄の中で立ち続ける、という経験をしました。
 ついつい周りを見てしまうのですが、目に入る人のほとんどが、スマホを操作しています。そうでない人は、横長のゲーム機を操作している、という感じです。
 ちょうど真正面にいる人の画面が目に入ったのですが、熱心にスロットの目押しをしていました。これを見た時は、先日見た「日本人男性の9.6%はギャンブル依存症」というデータを思い出し、ちょっと怖くなくなりました。
 自分が地下鉄通勤していた頃は、トンネル内では携帯が使えませんでした。そのため、電子機器を見ている人の比率はさほど多くありませんでした。それだけに隔世の感がありました。
 もっとも、そんな事言っている自分も、ひと通り周囲を見た後は、スマホを取り出しました。そして、「以前は駅に着いた時しかデータが読み込めなかったのに、今ではいつでも更新出来て便利んだな」などと思いながら、ネットをずっと見ていました。
 したがって、他人をどうこう言える立場ではないのですが…。

2014年05月28日

黄昏急行

 大阪と札幌を日本海沿岸を走って結ぶ寝台特急「トワイライトエクスプレス」が廃止される、というニュースを見ました。車両の老朽化が原因とのことです。
 また、ネットで鉄道業界の方がそれに関してつぶやいていたのを見ました。
 その人によると、現在、少なからぬJR旅客会社において、この「トワイライトエクスプレス」を運行するだけのために、電気機関車の運転技術を持つ社員を抱えているのも原因の一つでは、とのことでした。
 この列車には、22年前に一度だけ乗りました。
 大学の卒業旅行で、東京から北斗星に乗って北海道に行き、2週間くらいかけて北海道を旅行、さらにそこからトワイライトエクスプレスで福井に行ったあと、関西を回る、という「豪華旅行」をしたのです。
 この旅費を稼ぐため、1月から2月にかけて、アルバイトをやりまくり、中には「18時間勤務」などをやったりしたものでした。今なら絶対出来ませんが、当時はそれくらいの若さがあったわけです。
 トワイライトエクスプレスの最上室はA寝台のツインです。それはさすがに取れませんでしたが、二番目の部屋であるA寝台のシングルを取りました。その、ツインユースが可能なほどの広さがあるシングルを、一人で使ったものでした。
 部屋に入ってしばらくすると、いきなりノックされ、ウェルカムドリンクは何にすしますか、と尋ねられた時は驚きました。
 その時に赤ワインのハーフボトルを頼んだことも含め、その時の事は今でもよく覚えています。
 当時に比べると、鉄道の旅に対するこだわりは大幅に減っています。さらに、二年ほど前から走り始め、今後、関西にも導入される「富裕層限定の超豪華列車」には乗る金もありませんし、仮に今後金持ちになれても乗る気は起きそうにありません。
 というわけで、この22年前のトワイライトエクスプレスは、自分にとって最初で最後の豪華旅行となっています。
 そのような懐かしい記憶を思い起こされた、廃止ニュースでした。

2014年05月11日

黄色い京急

 久々に京浜急行に乗りました。
 品川駅に2分ほど停車していたのですが、座っていた子どもたちが立ち上がって、窓の外を見始めました。
 同行している親が理由を尋ねると、「黄色い電車がいる」と言っていました。
 そういえば、数日前のネットで、京急が黄色い塗装の電車を走らせた、という情報を見たな、と思い出しました。

 京浜急行は、長らくの間、電車の色は赤だけでした。ところが、10年ほど前に、青い塗色の電車を走らせるようになりました。
 そして、今月から、「3つ目の色」が誕生させました。会社のサイトを見たら「幸せを呼ぶ車両」みたいな事が書いてありました。
 子どもたちは、珍しさに喜んでいましたが、自分的には見る気は起きませんでした。
 黄色い電車に子供が喜ぶのは、別にその色が鮮やかだったり美しかったわけではありません。単に、「ほとんど赤で、ちょっとだけ青が混ざっている京急に黄色い車両が出来た」と珍しがっているだけです。
 ある意味、長年培ってきた「京急の伝統」を切り売りしているようにも見えます。
 赤い塗色のままで、子供が振り向くような斬新な意匠の車両を作って欲しかった、などと思いました。

2014年04月17日

市の西端から東端を見る

 自分は16年半来の千葉市民です。しかしながら、住んでいるのは、西端にある幕張本郷です。家からちょっと歩けばすぐ習志野市に入るほどの西端です。
 どのくらい外れかと言うと、所属している花見川区役所に行く半分以下の所要時間で、習志野市役所に行ける、といったほどです。もちろん、千葉市役所はさらにその向こうにあります。
 したがって、歩いて10分くらいで行ける美浜区と、千葉駅のある中央区以外は、ほとんどいった事がありませんでした。今の仕事をするようになってから、稲毛区に行く用事が増えたのですが、月1回同じ所に行くだけなので、いまだに稲毛区全体がどんな地域をカバーしているのか知らないほどです。
 ところで、今日、ある事がきっかけで、緑区に関心が生じました。この緑区は、千葉駅のある中央区よりさらに東にある、横長の区です。
 ちなみに、緑区の最東端(=千葉市最東端)にある外房線の土気という駅に幕張本郷から行くと45分くらいかかります。これは、幕張本郷から秋葉原に行くのとほとんど同じ時間です。
 ちなみに、自分が緑区に降り立ったことは、3回しかありません。最初は大学の時で、緑区内にあった大学の寮で合宿をした時でした。
 二度目は千葉急行電鉄(現京成千原線)の開業日に乗りに行った時で、終点のちはら台駅から、バスで緑区にある鎌取駅に出た時です。
 この2回はいずれも、都内に住んでいた時の事でした。
 そして、3度めは、中央区に住む大学の後輩の車で、おゆみ野前にあるレストランに行った時です。これが、千葉市民になってから緑区の地を踏んだ最初で最後の経験となっています。
 同じ千葉市内とはいえ、これだけ離れていれば、行く機会がないのも仕方ないとも言えるでしょう。
 とはいえ、せっかく縁あって千葉市民を16年半もやっているわけです。ここまで縁遠いのも勿体無いものです。
 今回の関心を持つようになった事柄をきっかけに、もっと緑区の事を知ったり行ったりしてみたいものだ、と思いました。

2014年04月01日

何を考えて作ったか理解不能な制度

 消費税の増税にあわせ、各交通機関が、ICカードと切符の二重運賃制度を始めました。
 同じ区間に乗っても、ICカードで支払えば1円刻みになり、切符を買ったり現金で払えば10円刻みになるというものです。
 当初、ICカードだと一律端数が安くなる制度だと思っていたのですが、今日、区間によってはICカードのほうが高くつく場合もある、という話を聞いて、驚きました。
 たとえば、JR東日本の場合、「電車特定区間」と呼ばれる大都市圏の場合、切符を買った場合、運賃の10円未満は切り上げとなります。したがって、この区間だと確実にICカードのほうが安くなります。
 ところが、それ以外の区間だと、10円未満は四捨五入するとのことです。したがって、たとえばこれまで140円だった区間は、ICカードだと143円ですが、切符だと1桁切り捨てで140円となり、ICカードのほうが高くなります。

 なお、一見すると、140円に8%かかるのだから税込み価格は151円では、と思ってしまいがちです。しかしながら、昨日までの140円は「本体価格」を1.05倍した運賃、という事になります。
 したがって、140円区間の「本体価格」は133円となり、上記の運賃となるわけです。
 この「電車特定区間」と「その他の区間」の境界の駅として、千葉駅があります。そのため、千葉駅から一つとなりの駅に行く際、「電車特定区間」である西千葉駅に行く場合はICカードのほうが安いが、「その他の区間」である東千葉駅や本千葉駅に行く場合は、切符のほうが安くなる、などという現象が発生するのです。
 ほかにも、JR東日本のサイトには「ともに『電車特定区間』である西千葉から海浜幕張に行く場合でもICカードのほうが高くなる」という事例が理由とともに掲載されていました。
 これを見たときは、よくもまあ、こんなレアケース調べ上げられたものだ、と別の意味で感心してしまいました。

 JRとしては、「電車特定区間の切符は切り上げ、その他の区間の切符は四捨五入したほうが利益が出る」などという制度を設ける何らかの理由があるのでしょう。
 しかしながら、外部の人間としては想像を絶する思考法としか言いようがありません。
 まあ、当分の間、「その他の区間」を利用するのは、サッカーや映画を見に、蘇我に行くときだけです。
 その際は、ICカードのほうが切符より3円安いという事だけは確認しました。
 したがって、自分にとってはこの「新システム」で特に困ることはありません。
 とはいえ、よくもまあこんな奇妙な「ルール」を作ったものだ、驚かされました。

 その努力にはとりあえず敬意を表しますが、それ以前の問題として、この消費税増税は、仕事の上でも生活の上でも大変な打撃になっています。
 苦労してこの制度を作り上げたJR東日本の人には悪いのですが、一日でも早く消費税率を元の5%に戻し、運賃体系も元に戻してほしいものだ、と強く思いました。

2014年03月30日

羽田の国際線がさらに拡張

 本日付で、羽田の国際ターミナルがさらに増便されたというニュースを見ました。便数は55便から77便に増え、ターミナルビルも大幅に増床したとのことです。
 8年ほど前、仕事で旧羽田国際ターミナルに行ったことがありました。その頃は、発着便は東アジア行きのみで、ターミナルビルも小ぢんまりしたものでした。
 そして一昨年、新国際ターミナルに行った際は、あまりの変貌ぶりに驚いたものでした。それが、さらに立派になったわけです。
 まだまだ、成田に比べれば大幅に少ないですが、これからもどんどん拡張される流れになっているのかと思われます。

 その派手な羽田の国際ターミナルのニュースを見た時は、先月行った成田空港の格安航空会社の極めて地味な待合室を思い出しました。
 そして、このまま羽田の国際化が勧めば進むほど、成田の「格安化」が進むのかも、などと一瞬思ったりしました。
 もっとも、向こう20年くらいは海外に行く予定はありません。したがって、別に両空港の住み分けがどのように変わろうと、自分にはあまり関係ない話なのではありますが…。

2014年03月07日

横浜の地下鉄に急行?

 横浜市営地下鉄の「ブルーライン」に急行が走る、といニュースを見ました。
 実現すれば、起点の、あざみ野駅から、終点の湘南台駅まではこれまでの1時間6分から10分短縮されるとのことです。
 「元鉄道ファン」ではありますが、列車種別が増える、という情報を見ると、昔の血が騒いで(?)興味を引かれます。
 ましてや、この路線は、沿線にかつて祖父が住んでいた事もあり、一番最初に伊勢佐木長者町から上大岡まで開業した時から利用していました。
 そういう意味では喜ばしい事のはずですが、少なからず引っかかる事がありました。

 記事では、あざみ野から湘南台まで1時間6分かかる、という事が強調されていました。
 しかしながら、この「ブルーライン」は両駅の間を結ぶために作られた路線ではありません。もともとは、横浜市の中心部と、あざみ野方面、湘南台方面を結ぶ別々の路線として計画されていました。それが予定変更で一本の路線になった、という経緯があります。
 そういう事もあり、横浜市中心部を軸に「逆L字型」の路線となっています。つまり、あざみ野と湘南台の間が現在どれだけかかり、急行運転でどれだけ短縮される、という事自体にあまり意味がないのです。
 たとえるなら、「つ」の字型の路線である東京メトロ丸ノ内線に対し、「池袋と荻窪の間が50分もかかる。急行運転で短縮させるべきだ、と言っているようなものです。
 ちなみに、この両駅の間を鉄道で移動するだけなら、半分以下で済みます。
 あざみ野から田園都市線で中央林間に出て、そこから小田急に乗り換えれば30分ちょっとで行けるからです。

 それらの要因もあるので、この記事を読んだときは、かなり引っかかりました。
 なお、よく似た路線構成となっている神戸市営地下鉄も、一時期快速運転が行われていました。しかしながら、震災を理由に中止され、以降19年間そのままです。
 そのこともあわせ、非常に気になったニュースでした。

2014年02月22日

机上の空論を堂々と論じれる人

 大阪のほうで、何かあるごとに「泉北高速鉄道と市営地下鉄御堂筋線を直通運転させる」という主張をする人達がいます。
 この二つの鉄道、中百舌鳥という駅で乗り換えが可能で、どちらも電車が走っています。しかしながら、その造りは根本的に違います。
 泉北高速鉄道は、一言で言えば、JRの在来線と全く同じです。線路の幅はほぼ1mで、天井にあるパンタグラフから電気を得ます。
 一方、御堂筋線の線路の幅は約1.4mです。そして、線路脇に設置されている電気供給用のレールから電気を得ます。

 つまり、この二つの路線を直通させるには、線路の幅および集電装置をどちらかに統一する大工事をする必要があります。もしくは、双方の規格に対応する特別な電車を建造せねばなりません。
 さらに、現在地上にある泉北高速鉄道の中百舌鳥駅と、地下にある御堂筋線の中百舌鳥駅をつなげる工事もしなくてはなりません。
 それだけ莫大な費用をかけ、両線を直通運転させて、ではどのくらい便利になるのでしょうか。
 実はなんと、泉北高速鉄道沿線から難波に行く時間はむしろ遅くなってしまうのです。
 既に、泉北高速鉄道は南海電鉄と直通運転をしています。直通電車は南海線内では区間急行や準急になり、中百舌鳥と難波の間を18分で結んでいます。
 一方、御堂筋線は普通電車しかないため、同じ区間を23分で結んでいます。南海並みの速度にするため、前の電車を追い抜ける準急や急行を走らせるには、これまた大改造して通過駅を作らねばなりません。
 このように、関東在住の元鉄道ファンである自分ですら、ちょっと調べればこのように「泉北高速鉄道と御堂筋線の直通運転などありえない」などという事はすぐに分かるわけです。
 ところが、そのような戯言としか言いようのない主張を、なんと現職の大阪府知事が人前で語っているわけです。
 そのような無知もしくは虚言症を持つ人間が知事であること、そして、彼およびその「上司」である大阪市長が何度このような戯言を言っても、このような問題点を指摘しないマスコミの双方の異常さには、毎度の事ながら心底呆れました。

2014年02月19日

地下鉄を使う理由

 最近、都内へ行くときは、基本的に西船橋から東西線に乗り換えています。
 理由の一つに、目黒や新宿など、山手線西部に行くと、片道で200円くらい運賃が異なる、というのがあります。
 一方、新橋など、山手線東部に行く分には、さほど運賃は違いません。乗り換えの手間を考えると、総武線を使ったほうが便利です。
 しかしながら、最近はもうひとつの理由ができたので、その場合も地下鉄を使うようになりました。
 それは、東京メトロがやっている無料無線LANのサービスです。
 出先でネットを繋ぐときは基本的に、スマートフォンのテザリングを利用してタブレットやiPod touchでネットを見ています。
 しかしながら、これはかなりの電気を食います。そのため、出先で電源が切れてしまう、という事も多々ありました。
 それが、このサービスを利用すると、スマートフォンへの負担がなくなります。この、出先で携帯の電池を意識せずにインターネットができる、というのは非常に大きいです。
 というわけで、最近は総武線の西船橋以西の区間は、かなりご無沙汰となっています。
 こんな事例が増えれば、対抗してJRも無料無線LANを車内で使えるようにするかも、などと思っています。果たしてどうなる事でしょうか。

2014年02月11日

二度あることは三度ある

 今日は、成田空港から松山に行く予定でした。
 これまでずっと全日空を使っていたのですが、今回は、LCCのジェットスターを使うことにしました。
 雪がちらついてはいましたが、この前の土曜日に比べれば大したことはありません。
 しかしながら、最初は「遅れる」とのアナウンスがあり、予定時刻を15分くらい過ぎた時に「欠航」というアナウンスがありました。
 代替手段を探す方法もあったのですが、絶対に行かねばならない、というほどの重要性はなかったので、旅行自体を辞めることにしました。

 成田空港を利用したのは、18年ぶり三度目でした。
 最初に使ったのは1993年で、当時の職場の慰安旅行で香港に行きました。ところが、帰る日に、向こうの空港でトラブルが発生し、現地に足止めを喰らいました。
 二度目は1996年でこれまた慰安旅行でオーストラリアに行きました。その時は、予定通り帰りの飛行機が飛んだのですが、そこで出た機内食にサルモネラ菌が入っており、集団食中毒が発生しました。
 幸い、自分は発症しなかったものの、えらい「想い出」になってしまいました。
 それ以来の成田だったわけですが、今回は飛行機自体がとばず、旅行にすらなりませんでした。
 まさに、「二度あることは三度ある」です。
 というわけで、今後はもう、飛行機は全て羽田から乗る、と心に誓いました。

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