2015年12月31日

2015年を振り返って

 この2015年という年は、これまで46年生きていた中で、最も悲しく、寂しい年になりました。
 10月に弟と永遠の別れをした事は、この先、何年、何十年生きても忘れる事はないでしょう。
 物心がついた時から当たり前だった事が、当たり前でなくなった年になってしまいました。

 さて昨日は、相方と二人で居酒屋にて忘年会を行いました。
 この店は、料理が美味しく、ボトルを入れるほどよく利用しています。
 昨年も、ここで相方と弟と三人で忘年会をやり、「終わりよければ全て良し」と思ったほど楽しい時間を過ごしました。
 しかし、同じ店での忘年会ですが、昨年と違い、弟はいません。その事をしみじみと感じながら、もう、昨年のような忘年会は二度とできないのだな、と改めて思いました。
 ちなみに、その店に前回行ったのは、10月1日でした。昨日飲んだボトルは、その時に弟が入れたものでした。そんな事も思い出しました。

 三日前にも書きましたが、弟の逝去は、自分のこれからの人生に大きな影響を与えました。今月をもって3年半続けていた仕事を辞め、来年からは新たな道を歩むことになりました。
 予想外の事になりましたが、この新たな仕事において、自分がこれまで積んできた経験の全てを活かし、お世話になる方々の役に立てるよう、頑張っていきたいと思っています。
 そうやってこの一年(その殆どは弟の事でしたが…)を振り返りつつ、来年からの事を決意した大晦日になりました。

2015年12月29日

年末の始まり

 昨日で終えた仕事の事や、新たな仕事の準備でバタバタしており、気づいたら今年も残り三日になっていました。
 これまで色々な形で年越しをしてきましたが、今年ほど。「え、もう年末なの?」と驚いた年はそうはないと思います。
 というわけで、年末らしい事は何一つやっていません。明日は一日バタバタする予定ですので、このまま一気に年を越すことになるのでしょう。
 まあ、今年に関しては、この年越しでいいよな、と思っています。

2015年12月28日

夢の終わり

 記憶は定かで無いのですが、十年くらい前になるのでしょうか。
 その頃、年齢などの理由で、子どもを持つ事を諦めました。それと同時に自分は、相方と弟と三人で、末永くのんびり楽しく人生を過ごす、という「将来の夢」を自然と持つようになりました。
 それもあって、三年半前から今の仕事を始めました。自分と弟の経験・能力を活かし、「将来の夢」である、「三人でのんびり楽しく暮らす」を実現できると思ったからです。
 実際、弟は他の仕事と掛け持ちながら、こちらの仕事のために、本当に頑張ってくれました。
 大変な事が色々ありました。その疲れは、仕事が終わった後、弟と二人で飲んだ酒で吹き飛ばしていました。

 昨年秋からは、その「夢」に向けて、いくつかいい事もありました。そして、この秋からは、新たな計画を立て、より一層頑張ろうと思っていました。
 しかし、その計画を実行に移す前に、弟はこの世を去りました。
 その結果、色々な点において、今の仕事を続けるのは不可能だと判断しました。
 そういうこともあり、本日付で、今の仕事を終えることにしました。

 最後の業務が終わった後は、かつて弟と二人でよく飲みに行っていた店に行きました。「かつて」と言っても、ほんの数カ月前なのですが…。
 この店で頼むものは、常に決まっていました。
 当然、今日も同じものを頼んだのですが、飲んでも食べても、これまでと全く違う味がしました。
 改めて、美味しいのは「この店の酒や料理」でなく、「弟と一緒に飲み食いする酒や料理」だったのだな、と思いました。
 そんな事を思ったり、この店で弟と飲んだ時の事を思い出しながら、寂しい酒を飲みました。

 かつて持った、「相方と弟と三人で末永く楽しく暮らす」という「夢」は、もう絶対に叶うことはありません。
 というわけで、今日をもって、「自分の持っていた夢」に完全に幕を下ろしたのだな、と思いました。
 もちろん、これで自分が持っていた人生の目的が終わったわけではありません。
 年明けからは、新たな目標に向かって、フル回転するつもりでいます。
 それに向けて頑張る事により。弟も喜んでくれるのでは、と思っています。

2015年12月26日

サンタと親

 我が家には子供がいないので、他人事ではあるのですが、前々から非常に不思議に思っている習慣があります。
 それは、クリスマスに親が子供が寝ている間にプレゼントを与え、それを「サンタクロースがくれた」と「説明」する、というものです。
 その親が、子供に一生涯「クリスマスプレゼントはサンタが渡す」と信じこませたい、などという確固たる信念があるわけではないようです。
 ある程度成長すれば、子供が真相を理解すると分かっているわけです。にも関わらず、あえて事実と異なる説明をしているわけです、言い換えれば、子供に嘘をついて騙しているわけです。

 これが、子供の成長にとって、何か有益な点があるとは、到底思えません。
 それどころか、真相に気づくのが早い子どもと遅い子どもの間で、喧嘩が発生するなどといいったデメリットは多々存在しているわけです。
 強いて言えば、「親でも子どもにこんな嘘をつく事がある。だから、安易に他人の非現実的な話を信用するな」という教訓を与える、という事くらいしか思いつきません。
 それですら、もっと適切な方法で、非現実的な話を真に受けさせないための教育方法はありそうです。
 というわけで、改めて不可解な風習の存在を再認識させられた、「クリスマス明け」になりました。

2015年12月24日

プレゼント

 色々あって、ここ一週間ほど、プレゼントを貰う機会が増えています。
 今日は、仕事でお世話になっている方から、自分あてに、「サンタクロースの折り紙」をもらいました。
 シンプルな作りの中に、サンタクロースらしさがよく出ていました。下さった方の素朴で優しい人柄が伝わってくるようで、嬉しく思いました。
 また、同じく仕事でお世話になっている別の方からは、昨日が弟の二ヶ月目の月命日ということで、お花をいただきました。
 そこまで覚えていただいていること、それだけ弟の事を考えていてくれたことに、心より感謝しました。
 同時に、世を去ったあとも、クリスマスプレゼントを貰えるなんて幸せものだよな、と弟に話しかけたりもしました。
 いずれも、忘れられないプレゼントになりました。

2015年12月19日

「当初見込み」の無責任さ

 2020年に開催される予定の東京五輪が、当初見込みの3013億円から約6倍の1兆8千億円に増大するというニュースを見ました。
 この五輪計画、当初はさんざんコンパクトで低価格という宣伝がされていました。しかしながら、この現状を見る限り、当初の「見積金額」の算定が滅茶苦茶だったと言わざるをえないでしょう。

 しかしながら、この「当初の発表より約1兆5千億円増えた」というとんでもない不祥事に対し、誰一人責任を取ることはないでしょう。
 なにしろ、これまで、同じように「現実と大幅に乖離した見込み数字」を元に、地方空港だの新幹線だのが造られました。ついでに言えば、これから建設するとなっているリニア新幹線も、かなり非現実的な需要予測がなされています。
 もちろん、その「現実離れをした見込み数字」を出した人が責任を取った、などという話も聞いたことはありません。それを考えれば、この五輪についても同様の結果になると考えるのが自然でしょう。
 この無責任な仕組みにより、ごく一部の人が大儲けするわけです。一方で、「財源不足による社会保障費削減」などと口実で、生活がより一層苦しくなる人が大量に増えるわけです。
 このような異常な事態がまかり通る世界で我々は生活しているわけです。そして、それが黙認されてしまったため、異常事態が拡大していっています。
 そろそろ何とかしないと、より異常な事がまかり通る時代になってしまうのでは、と強く思いました。

2015年12月17日

選択式夫婦別姓

 最高裁判決により、選択式夫婦別姓が話題になっています。
 これが「夫婦同姓をやめて全員強制的に夫婦別姓」なら反対する人の気持も一応理解はできます。
 しかしながら、「選択式」です。つまり「夫婦別姓にしたい人のご希望をかなえます。一方で、同姓にしたい人はいままで通りで問題ないですよ」という話です。つまり「夫婦同姓の権利」は保証されているわけです。にも関わらず、なぜ反対するのでしょうか。
 ちなみに、ここは、「大野隆と翔みなら夫妻が運営するサイト」です。一応、戸籍上は、相方に自分の苗字を名乗ってもらっていますが、サイト上では夫婦別姓です。
 それで何ら困った事はありません。もちろん、それにより「夫婦の絆うんぬん」などという事が生じた事は一切ありません。
 そうやって考えた結果、この「選択式夫婦別姓」が適用されない、という事は極めて不自然な事だよな、と改めて思いました。

2015年12月16日

健康診断

 年に一度の健康診断を受けました。
 昨年と同じ病院で受けたのですが、今年は採血の担当看護師さんが関西弁の人になっていました。
 針をさすときに「チクッと刺しますよ」と言いました。これは、多くの看護師さんが言うと思います。
 ところが、その看護師さんは針をさす瞬間に、自らも口頭で「チクッ」と言いました。長年、いろいろなところで採血されていましたが、これははじめての事でした。
 関西ではそのような「採血方法」が一般的なのでしょうか。
 それとも、この看護師さんが独特のセンスの持ち主で、かつたまたま関西人だった、というだけなのでしょうか。非常に気になりました。

 他に、胃のレントゲンも撮りました。同然ながら、バリウムを飲みます。
 飲みながら、ふと、自分がバリウムの存在を知った時の事を思い出しました。
 それは自分が幼稚園の時でした、親が、「ひとまねこざるびょういんへいく(人まね小猿、病院へ行く)」という絵本を買ってくれました。「おさるのジョージ」という題名でTVにもなっているロングセラーです。
 主人公の小猿「ジョージ」がジグソーパズルの1ピースをお菓子と間違えて飲み込んで体調を崩します。そして、病院に行ってバリウムを飲み、レントゲンでその原因がわかる、という筋立てでした。
 この作品で印象に残っているのは、ジグソーパズルの和訳です。ひらがなで「はめえ」とされており、当初なんの事だかわからず、「パズルのこと」と聞いて納得したものでした。
 何度もバリウムを飲んでいるのに、今回になってこれを思い出したのは、この「はめえ」という謎の和訳にあります。
 弟の家族内でのニックネームがこの言葉と類似しており、当時読んだ時は、「弟みたいだ」と喜んだものでした。
 彼が世を去ってから、弟との過去を思い出す機会が増えました。そのため、そのような記憶まで蘇ったのだろうな、と思いました。

2015年12月15日

忘年会割引と割増?

 「ぐるなび」で忘年会の予約をしました。年に一回の恒例作業です。
 昨年の事を鮮明に覚えているわけではないのですが、どうも、今年は料金が分かりにくいな、とやっていて思いました。
 面倒なのでコースで料金を確認するのですが、多くの店が「定価4,500円のところ3,000円」みたいな感じで「割引」しているのです。
 一年で一番のかきいれどきである忘年会シーズンに三割以上も引くわけです。鉄道や飛行機がかきいれどきの年末年始やGWに三割引するような違和感がありました。
 一方、メニュー紹介の下には「忘年会シーズンにつきお一人さま500円の追加料金をいただきます」と書いてありました。

 これでは割引きなのか割増なのか分かりません。なぜ、普通に「定価4,500円のところ3,500円」と書かないのでしょうか。
 だいたい、忘年会シーズンですら3,500円で出しているのです、いったい、どの時期にその「定価4,500円」でそのコースを出しているのだろうか、と思いました。
 率直に言って、定価(もしくは忘年会割増価格)が3,500円としか思えませんでした。
 昨年までもぐるなびを使っていましたが、こんなわかりにくく、かつ「偽りのお得感」を錯覚させるような表記は存在しませんでした。
 「こちらのほうがお客を惹きつける」みたいなアドバイスでもあったのでしょうか。
 一昨年にプロ野球球団の日本一にかこつけて、楽天が「存在しない定価」を表示して「77%割引」などとやった事を思い出したりもしました。
 今年は、日程・場所などでかなり成約があり、これ以上探す事もできません。また、3,500円でも予算の範囲内なので、そのまま予約しました。
 ただ、来年も幹事をやるなら、もう少し早めに動いて、このような「わかりにくい表記」をする店は絶対に選ぶまい、と強く思いました。

2015年12月14日

制服サギ?

 仕事をしていたら、いきなり作業着姿の初老男性が入ってきました。
 制服の胸には「USEN」と刺繍されています。
 それを見せながら、「USENの者です。このたびの電力自由化に伴い、東電とUSENで業務提携が締結されました。」と言ってチラシを見せました。そこには、その言葉と同じ内容の見出しと、何かの書類の写真が記載されていました。
 そして、「つきましては、東電からあなたに来る請求書に記載されている契約者番号を教えて下さい」と言ってきました。

 とりあえず、いきなり訪ねてきた会社・人でも、最初は話を額面通り聞くことにしています。
 とはいえ、1分弱聞いていただけでも、この話の無茶苦茶さには呆れるよりありませんでした。
 仮に、東電とUSENが提携した、というのが事実だとしても、なぜ東電と契約している自分が、この人に、自分の契約者番号を教えなければならないのでしょうか。
 ちなみに、契約者番号・住所・氏名が分かっていれば、東電との契約を解除することも可能です。そんなリスクのある契約者番号など、見ず知らずの人間に教えていいわけがありません。
 ついでに言うと、この人、名刺の一枚も渡していません。「USENの人」である証拠(?)は、作業着の胸にある刺繍だけなのです。
 こんなもの、ちょっと刺繍する、もしくは下請けの作業会社が横流しすれば、簡単に手に入ります。それを考えれば、制服の胸の刺繍など、なんら「身分証明」にはなりません。
 というわけで、これ以上相手するだけでも時間の無駄だと判断し、お引き取り願いました。

 そういえば、数カ月前にも、東電との提携を騙った電話がかかってきた事もありました。その時は、胡散臭さを指摘したら、すぐに向こうから電話を切ったものでした。
 それを思い出し、もしかしたら、東電はサギの材料にされやすいのだろうか、と思いました。
 確かに、福島第一原発事故で見せた様々な傍若無人さ・厚顔無恥さは、そこいらの詐欺師を上回る悪質ぶりでした。
 その印象があるから、詐欺師との「相性」がいいのかも、などとも思いました。

2015年12月11日

12月で気温20度

 今日は、えらく温かい日でした。
 前日の天気予報を見ていたのである程度想像はしていたのですが、その予測を上回る暖かさでした。
 家の中は寒いままだったので、コートと手袋を身につけて外出しようとしていたのですが、一歩外に出た瞬間、これが「今日のこれは過剰装備」だと気付き、慌てて部屋に戻って「軽装」に変えたほどでした。
 そのまま、12月とは思えないような気温の中で一日を過ごしました。
 朝、昼、晩と、それぞれ「イベント」があり、嬉しかったり、寂しかったり、鬱陶しかったり、といった感情を時間帯ごとに持った一日でした。
 いずれにせよ、この不思議な暖かさと風の強さには驚かされた一日となりました。

2015年12月09日

再利用?

 スーパーに行ったら、子供向けのキャラクター食品が売られていました。
 その中に、昨年あたりから大人気になり、今でも根強い人気を持つ「妖怪ウォッチ」の「ジバニャン」の顔が描かれた蒲鉾がありました。
20151209_122021.jpg
 この商品、上に印刷されている「ジバニャン」のイラストと、蒲鉾に印刷されているイラストでは輪郭も表情もかなり違います。
 さらに言えば、蒲鉾に描かれている絵を黄色く塗ると、かつて子供に大人気だったキャラみたいになります。そんな事を相方と話しました。
 工場の機械を無駄にしないために流用したのだろうか、などと思いながら、この「電気ネズミみたいなジバニャン」を見ていました。

2015年12月07日

保育士問題

 保育士が不足しているという問題を解決するために、厚労省が「資格のない人でも保育士として働ける」という制度を提案したそうです。
 さほどこの業界に詳しい訳ではありませんが、保育士が重労働かつ低賃金で、そのために定着率が低く、希望者が減っている、という事くらいは知っています。
 それを考えれば、この厚労省案が極めて見当違いである、という事くらいはちょっと考えれば分かります。
 もっとも、保育士に限らず、他の職業においても、この「低賃金問題」は様々なところで発生しています。
 しかし、政府・財界・マスコミが「賃金を大幅に上げてこの人手不足問題を解決しよう」と主張するのは見たことがありません。
 その低賃金(および消費税をはじめとする高負担)のせいで消費が減り、経済が悪化しているという現実などには目もくれません。
 なんか、この人達は「収入の低い職業の賃金を上げるように主張すると死んでしまう病気」にでもかかっているのだろうか、とまで思えてきてしまいます。
 いずれにせよ、このような「解決案」しか出ない間は、この問題が解消される日は絶対にこないよな、と思いました。

2015年12月05日

冬の大三角形

 昨晩、予定が長引いて帰宅が遅れ、遅い時間に外を歩いていたら、空気が澄んでいたためか、非常によく星が見えました。
 星座の形などオリオン座以外は何も知らない自分ですが、そのオリオン座のベテルギウスを含む、ひときわ明るい星が三つあることを認識できました。
 これが噂に聞く「冬の大三角形」なのだろうな、と思い、その場でスマホを出して調べました。
 すると、推察通り、ベテルギウスを右頂点にした逆三角形が「冬の大三角形」である事がわかりました。
 ちなみに、リンク先の図にあるように、下にはおおいぬ座のシリウスが、左頂点にはこいぬ座のプロキオンが輝いていました。
 実際に「冬の大三角形」を見たのは始めてでした。その三つの星が目立って輝くさまは、なかなか見応えがありました。
 予定が長引いて少々疲れていたのですが、冬の大三角形を見れた事で、かなり疲れが和らぎました。「きれいに輝く星を見る」事にこんな効果があるのだな、という事を始めて知りました。

2015年12月03日

避難訓練に遭遇

 朝の早い時間に24時間営業の大型スーパーに行きました。
 トイレに入っていたのですが、そのとき、「訓練放送」と前置きして、惣菜売り場で火事が発生した旨の店内放送が流れました。
 最初は、社員向けの隠語で「赤発生」と放送し、その後、客向けに「惣菜売り場で火災が発生しました」と放送する、という流れになっていました。
 もちろん、客に避難を求める事はありません。しかしながら、17年ほど前に、当時の職場で放火事件があり、119番通報した経験を持つ身としては、他人事とは思えませんでした。
 幸い、もう買い物する用事もなかったので、自主的に(?)批判訓練につきあい、走らない程度の速度で出口に向かい、「避難」しました。
 かつてのの「放火経験」がなければ、このようなつきあう事はなかったでしょう。改めて、17年前の苦い経験がいまでも自分に焼き付いているのだな、と思いました。
 偶発的出来事とはいえ、貴重かつ懐かしい経験をすることができました。

2015年12月02日

流行語大賞

 今年の流行語大賞は「爆買い」と「トリプルスリー」だったそうです。
 爆買い、というのは中国の富裕層が日本に観光旅行をした際に、大量に買い物をする行為のことです。
 実際、自分も京成電鉄の成田空港行き特急に乗った際に、中国から来られたと思われる方が炊飯ジャーの箱を持っているのを見たことがありました。あのときは、「なるほど、これが噂に聞いた」と思ったものでした。
 先日、国が運用する年金資金が投資の失敗で8兆円ほど目減りしたというニュースを見ました。それも、中国経済の減速の影響と報道されていました。
 そのような日本経済の現実を知らしめるためにも、この言葉が選ばれたのだろうか、などと思いました。

 一方、「トリプルスリー」のほうはまったくもって訳が分かりません。
 これは、野球で打率三割・本塁打30本・30盗塁の三つを達成した選手に対する称号で、長打力と走力の双方にバランスが取れている事を讃えたものです。
 今年は、福岡の柳田選手と東京の山田選手が達成し、65年ぶりの「セ・パで同じ年にトリプルスリー達成」となったそうです。
 もちろん素晴らしい記録ですし、10年前に比べると野球の情報量が100分の1以下になった自分ですら、その事を知っているほど報道はされました。
 とはいえ、これは「流行語」と言えるのでしょうか。たとえば、これがきっかけで「トリプルスリー」が野球以外のところでも使われるようになった、とでも言うなら「流行語」と言えるかもしれません。
 しかしながら、そのようは話を聞いたことはありません。
 単に野球関連で何度報道されようと、それは「流行語」とは違うのでは、と思いました。
 まあ、今回の選定にあたっては、いろいろな「圧力」があったと、発表の際に審査員が発言していました。それを加味したうえでの、この「大賞」なのだろうか、などとも思いました。

2015年12月01日

月が代わると…

 毎月、月初にネットでニュースを見ていると、「しまった」と思うことがあります。
 現在、大手新聞社は、会員制度を設けています。記事のさわりは誰でも見れますが、詳細情報は会員登録していないと読めない、という仕組みです。
 さらに、会員には無料会員と有料会員があります。
 有料会員はその名の通り、新聞社にお金を払っている人で、詳細情報を好きなだけ読めます。
 一方、無料会員は、ただメールアドレスを登録しているだけです。詳細情報を読むことはできますが、その記事数は、月間10本に限られています。

 自分もいくつかの新聞社で無料会員をしており、上限を気にしながら詳細記事へのリンクをクリックしていました。
 ところが、最近は、詳細記事をクリックする機会が減りました。
 記事の質が落ちている関係で、冒頭部分を読んだだけで「情報」としての用が足りてしまうのです。実際、詳細記事へのリンクをクリックしたところで、蛇足的な事や、自己弁護みたいな事しか書かれていないケースがほとんどなのです。
 そういう事もあり、先月も、詳細記事をほとんど見ることがありませんでした。
 しかしながら、月初になってネットで新聞記事を読み、「詳細記事へのリンク」を見ると、「しまった、月が変わっていた。先月の分がかなり余っていたのに…」と思ってしまうのです。
 まあ、一種の貧乏性なのでしょう。
 そんな事を考えつつ、どうせまた、来月の頭には同じような事を心のなかでつぶやくのだろうな、などと思いました。

2015年11月30日

11月が終わる

 今日で11月が終わります。先月に続き、色々な事があった一ヶ月でした。
 色々な点において、一ヶ月半前の時点で、このような事になるとは夢にも思っていませんでした。
 物心がついてからずっと当たり前だった事が、当たり前でなくなってしまった月でした。
 また、「楽しい」とか「嬉しい」という感情を持つことのなかった月でもありました。
 一人で職場にいたり、道を歩いていたりすると、ついつい今は亡き弟の名を呼んだ月でもありました。
 きちんと数えていたわけではないですが、少なくとも、六百回くらいは呼んだような気がします。
 もちろん、このような感情・状態を続けるわけにはいきません。
 実際、すでにこの「弟のいない人生」を歩みだしているわけですし、さらにその先を見据えて色々とやっています。
 とりとめのない文章になってしまいましたが、そんな感じで2015年の11月を過ごしました。

2015年11月29日

すみ分け

 仕事の関係で、大手通信会社四社に、それぞれ商品を送ることになりました。
 いずれも、指定の運送業者が箱を持ってきて、梱包してもらう、という話になりました。
 それぞれ、大手運送業者が来たのですが、それぞれ、違う会社のドライバーが来ました。
 ちなみに、資金豊富な印象が強い二社は、ヤマト運輸と日通のドライバーさんが、梱包まで行う手配をしていました。
 一方、「安かろう悪かろう」のサービスで有名な一社の依頼を受けたのは佐川急便でした。ドライバーさんへの伝達のはっきりしておらず、梱包もこちら任せでした。
 細かい所でも「会社イメージ」の通りなのだな、と思いました。
 ちなみに、この日は、残る一社は来ませんでした。おそらくは、消去法からして日本郵政が来るのでは、と予想しているのですが、果たしてどうなるのでしょうか。

2015年11月26日

見える世界が変わる

 最近、いろいろあって交通ルールを体系的に学んでいます。
 それを頭に入れて道を歩いたり自転車に乗ったりすると、これまでと大きな違いを感じます。
 今まで、なんとなく、「こういうものだな」と認識していたものが、「そうか、この行動は、あの交通ルールに従った結果なのだな」と認識するようになるのです。
 別に、これまでその交通ルールを知らなかったからといって、特段困った事はありませんでした。
 とはいえ、やはり理解し、それがどのように適用されているかを意識しながら見ると、視界が開けたような気分になります。
 何歳になっても、「新たに学んで知識をえる」というのは楽しいものだな、と思いました。
 これからも、このような経験が何度もできるよう、いろいろ学んでいきたいものです。

2015年11月22日

幼稚園児の甥と勝負

 実家で食事会がありました。
 着いたら、幼稚園児の甥に、チェスを挑まれました。地元のチェスサークルに行くなど、かなり熱心に取り組んでいるようです。
 チェスを人間相手に指すのは約20年ぶりでした。その時は、仕事か何かで、チェスの盤駒を自宅に持ち帰ったところ、当時、二人で暮らしていた弟に、「じゃあ指そうよ」という感じでの対局になったものでした。
 そんな事を思い出しながら、対局を始めました。なんと、甥は幼稚園児であるにも関わらず、キャスリングまで習得していました。ちなみに、自分が初めてチェスを指したのは約40年前ですが、いまだに、キャスリングのやりかたを知りません。

 その程度のチェス棋力しかないこともあって、「手加減」ができません。というわけで、40歳年下の甥に対し、勝ってしまいました。
 まあ、もし甥がこれからも本格的にチェスをやれば、もう二度と自分が勝てることはないでしょう。そういうわけで、この「手加減無し」は勘弁してもらおう、と思いました。

 ちなみに、8年前には、この甥の兄にあたるもう一人の甥と、坊主めくりをしたものでした。
 もちろん、坊主めくりですから、「手加減」のしようがありません。結果は覚えていませんが、そんな「熱戦」をした事を思い出したりしました。

 さらに言うと、15年ほど前、当時小学生だった姪と「ぷよぷよ」で対戦した事がありました。
 ここでも、自分は、脊髄反射的に、大連鎖を組んでしまいました。
 何年経っても、姪や甥に対して、手加減してゲームを楽しむ、という事ができないわけです。我ながら、情けない伯父(叔父)だと思いました。

 ちなみに、今日みなが集まったのは、その姪の結婚パーティーでした。改めて、時の流れというものを感じました。
 姪が幸せな結婚生活を送れることを願っています。

2015年11月21日

テロと空襲

 ちょっと古いニュースですが、パリの大規模テロの「報復」として、フランスは以前から行っていた、ISに対する空襲をより増やしたそうです。
 報道を見ていると、なんか、テロは残虐行為で、空爆は「テロに屈しない」正当な対抗措置みたいな構図が少なからず見受けられます。
 もちろん、実態はどちらも「残虐な無差別殺人行為」でしかありません。
 このことは、1995年3月の地下鉄サリン事件と、1945年3月の東京大空襲を比較すれば、すぐに分かります。
 にも関わらず、少なからぬ報道機関は、この二つを「テロは悪で、空襲は正当防衛的な報復」という印象を持ってしまうような伝え方をしています。
 なぜ、そのような報道をするのか、そして、読者や視聴者にどのような認識を持たせたがっているのか、色々と考える所があるな、と思いました。

2015年11月19日

46の手習い

 来年に向け、新たに習得すべき事が生じました。
 そこで、「46の手習い」とばかりに、「学校」に通い始めました。
 「生徒」になるのは、今の仕事を始めるにあたり、3年半前に一週間ほど研修を受けたとき以来です。
 その時、一緒に学んだのは、50代後半の人でした。
 しかし、今回は雰囲気が大きく異なります。
 自分以外の生徒は、みな、10代から20代といった感じでした。中には、学校帰りに来た高校生までいました。ということは、自分たちが結婚した後に生まれた世代です。
 そのような環境で学ぶ、などという経験ができた事に驚きました。
 色々と不安はありますが、「意気込みだけは高校生と同じ」という気概(?)で頑張っていきたいものです。

 

2015年11月15日

未来につながる反省

 以前から、よく「あの時ああしていれば良かった」という思いが頭を駆け巡ることがよくありました。
 ひどいときは、すでに辞めた会社における給与交渉や、職場での人間関係などにまで、「あの時…」と思考がめぐってしまう事すらありました。
 しかし、最近になってやっと「そんな事をやっても過去は変わらない。時間のムダでしかない」という事を強く自覚できるようになりました。
 もっとも、「ああすれば良かった」は無意味ですが、「あの時やったのは失敗だったから、次にこのような機会があれば同じてつは踏まない」というのは十二分に考える価値があります。
 したがって、「あの時…」という思考に陥りそうになったら、未来に結びつかない場合はすぐに考えをやめ、未来に結びつくならばそちらに切り替えればいいわけです。
 口で言うほどたやすくはありませんが、そのような思考パターンを身につけねば、と強く思いました。

2015年11月13日

ラーメンと腹持ち

 相方と昼にラーメンを食べました。しばらく前に地元に新規開店した店です。
 リンガーハットで長崎ちゃんぽんを食べるのは、2ヶ月の一度くらいの割合でやっているのですが、ラーメン屋に行ったのはかなり久しぶりです。
 へたすると、五年前くらいかもしれません。
 ラーメン自体は自分たち好みのあっさりとした味で、ともに美味しくいただけました。
 ちなみに、二人でラーメン屋に入ったのは四年半ぶりでした。ちなみにその時も、当時、地元に新規開店した店でした。

 別に嫌いでないのに、なんで二人で行くのはこんなに久しぶりなのだろうか、と思ったのですが、数時間後に理由が分かりました。
 まだ、夕食までかなり間があるのですが、お互いにえらく腹が減ってきたのです。
 ともに、ラーメンを食べた時点で、スープを飲むこともあり、すぐに満腹感をおぼえます。そのため、食べ過ぎません。ところが、短時間で満腹感が消えてしまうのです。二人して、そういう体質なのでしょう。
 おそらく、それがこの四年半、二人でラーメン屋に行かなかった理由だったのでしょう。ともに、すっかり忘れていました。
 そして、おそらくはまた四年半くらいたって、地元にラーメン屋ができたら、当時の事を忘れて昼をラーメンにし、夕方に腹が減って困るのだろうな、などと思いました。

2015年11月11日

マイナンバー

 話題の「マイナンバー」が我が家に簡易書留で届きました。
 この制度、調べれば調べるほど、我々にとっては何らメリットはなく、手間と漏洩リスクばかり押し付けられるものだ、ということがよくわかります。
 特に大変なのは、給与や社会保険の担当、ならびにそのバックグラウンドのシステムを担当している会社員たちでしょう。
 自分も4年ほど、そのような仕事をしていた事もあり、他人事とは思えません。
 この世紀の愚策を運用させずに終わらせるためには、皆でマイナンバーを使わない、というのが最善だと思っています。
 それを実践しつつ、一日も早くこの制度を廃止に追い込めれば、と思っています。

2015年11月07日

かつての我が家

 1993年から1997年にかけ、中野区上高田に、弟と二人で住んでいました。
 今の所に引っ越してからは、10数年前に一度だけ行ったような記憶があります。
 それ以来の来訪となりました。
 最寄り駅は中央線の東中野と東西線の落合です。
 東中野駅で降りたのですが、その駅前の大変貌ぶりにまず驚きました。駅前広場が整備され、バスターミナルができていました。改札の出口も変わっていました。

 そこから、狭い商店街を抜けて、かつての我が家に向かいます。
 商店街の中にある店は、半分くらいが入れ替わっていました。ただ、当時買い物をした店も残っていました。
 商店街を抜け、早稲田通りを渡ると住宅街になります。しばらく行くと、信号があり、そこには何軒か店がありました。
 自分たちは一度も行かなかった寿司屋は健在でしたが、何度か利用した地中海料理屋および、頻繁に利用したコンビニはいずれもなくなっていました。
 そして、懐かしのアパートに着きました。こちらは、当時とほとんど変わっておらず、18年前に戻ってきたかのような気分になりました。

 帰りは、落合に出て、東西線に乗りました。その道すがら、店の入れ替わりがありました。よく利用したスーパーは、ドラッグストアになっていました。
 変わらないアパートや、変わった店などを見ながら、当時の事を思い出しました。本当は、その変化について、一緒に暮らしていた弟に語りたかったのですが…。
 それができない事を残念に思いつつ、もうこの場所に来ることはないだろうな、と思って東西線に乗りました。

2015年11月06日

現実離れしたドラマ

 所用で、公的機関の待合室に行きました。
 すると、NHKがついており、新たに始まるドラマの宣伝を流していました。
 まず、画面いっぱいに文字で「結婚する人が減った」とか「20代から30代で恋人のいない人の割合が増えている」みたいな文字が出てきました。
 どうやら、若者が恋愛・結婚ができない、という社会情勢を題材にしたドラマのようです。
 結婚はもちろん、恋愛する人も減っている理由など明白です。労働環境の悪化により、非正規の人が増えました。正社員も実質賃金が下がっている上に、労働条件は悪化し、多くの人が長時間労働を強いられています。

 そのあたりに切り込んだドラマでもやるのだろうか、と思いました。
 ところが、続いて紹介された舞台設定を見てのけぞりました。主人公は大手ネット通販企業の正社員、という設定です。
 そして、同じく「婚活」をしているらしい女性キャラは「年収が一千万円なければ」などと言っていました。
 四半世紀前のバブル期を舞台にしたのか、などと思ってしまいました。こんな設定でどんなドラマを作っても、最初に出てきた「結婚や恋人を持つ人が減った」という現象に切り込めるわけがありません。
 こんなドラマに何の価値があるのでしょうか。まあ、最近のNHKは、会話をうまく切り取って、現実と正反対の印象を持たせるような「報道」を得意としています。
 それと同じ手法で、「若者が恋愛や結婚しないのは、低賃金・長時間労働・不安定な雇用ではない」と視聴者に刷り込むために作ったドラマなのかも、などと思いました。

2015年11月05日

医は算術

 自分は、春と秋になると、手の皮がむける、という体質があります。
 毎年のことなので、これまではずっと放置して、自然治癒を待っていました。
 今年の秋は、先月末辺りから、この「恒例行事」が始まりました。
 しかしながら、現在は精神的に、例年に比べるとかなり厳しいものがあります。
 そこで、病院に行き、薬の力に頼ることにしました。

 医者には、そのような事情を話して診察を受けました。
 しかしながら、「念のため」などと言われ、むけた皮膚の一部を「細菌検査」されました。当然ながら異常なしです。
 そしてあっさり「診察」が終わり、待合室に行きました。
 すると、子どもをおぶった母親が受付にいました。
 以前から通っているのですが、月初にかかわらず保険証を忘れたとのことでした。
 すると、受付の人は、今から帰宅して保険証を持ってこなければ、今日は全額負担になります。後日保険証を持参すれば差額は払い戻します、と説明していました。
 どこに住んでいるのかわかりませんが、子どもをおぶった人にとっては帰宅して保険証を取りに行くのは至難でしょう。
 幸い、持ち合わせがあったようで、その「一時的に全額負担」に同意していました。

 自分にやった少しでも診療点数を増やして利益を増やすのも、万が一の取りっぱぐれを防ぐために保険証を忘れた人から全額預かるのも何ら間違ってはいないでしょう。
 とはいえ、これはいわゆる「『医は仁術』でなく『医は算術』」だな、と思いました。
 しかしながら、この病院を批判する気は毛頭ありません。今の世の中、このような形で少しでも収入を増やし、リスクを管理しないと、経営がもたないからです。
 そのようにせざるを得ない世の中のほうに問題があるよな、と思いました。
 とはいえ、見ていて気分が良くなかった、というのもまた事実です。そこで、せめてもの意趣返しにと思い、処方された薬は、その病院に併設してある薬局で買いませんでした。

2015年11月02日

忘れ物

 仕事をしていたら、相方からメールが入りました。土曜日に利用した銀行から電話が入っているとのことでした。
 そこで折り返し電話をしたら、キャッシュカードを忘れていた、とのことでした。
 キャッシュカードを作って、はや30年経ちますが、このような経験は初めてです。
 他にも数日前、仕事を終えて家に帰ろうとしたら、職場の鍵を閉め忘れているのに気付いた、というのもありました。
 ここまで集中力が切れている原因は自分でもよく分かっています。
 仕方ないことではありますが、もうそろそろ、自分を取り戻さねば、と思いました。

2015年10月31日

月末

 10月が終わります。
 この2015年10月という月は、これまで46年半近く生きていて、最も衝撃的かつ悲しい事があった月でした。
 生きていると、信じられない事が起きるのだな、と改めて思いました。
 逆に言えば、生きているからこそ、このような経験をし、かつ、それによって自分をより良く成長させる事ができるわけです。
 というわけで、これからも健康に気をつけ、全力で生きていこうと強く誓った、2016年10月末日となりました。

2015年10月30日

思い込みの怖さ

 月に1回行く場所に、「はさみや」という店がありました。店にはハサミの図案が書かれています。
 店があるのは、町の中心部からちょっと離れた住宅街です。
 名前と図案から、自分は「ハサミを販売する店」だと思い込んでいました。そして、こんな町外れに開業するなんて、よほど質が高く、ハサミを使う専門家が愛用している店なのだろうな、などと考えていました。
 ところが先日、知人から、「この店は美容院だ」という情報を得ました。
 確かに、ハサミを使っている店なわけです。また、美容院というならば、このような場所で店を開くのもなんら不自然ではありません。
 言われてみれば当たりまえの事です。しかしながら、屋号やマークから、勝手にこちらは「ハサミの専門店」と思い込んでいたわけです。
 「思い込み」というものの怖さを十分認識しました。
 特に重要な事については、「思い込み」による思考は避け、柔軟かつ常識的に判断せねば、と強く心に誓いました。

2015年10月23日

変わらずに続ける

 先週の事ですが、高校時代に通っていた塾の近くへ久々に行きました。
 そこで、まだあるのかだろうか、とネットで調べてみました。
 すると、自分が通っていた29年前と全く同じ場所・体制で運営されている事が分かりました。
 拡大はしていませんが、縮小もしていないわけです。
 また、基本理念や授業内容・方針も当時とほとんど同じでした。
 受験産業もいろいろ大変だと聞きますが、ぜひとも、今後も続いてほしいものだ、と久々に「母校」の事を懐かしみました。

2015年10月22日

指を怪我

 朝、職場に着いたら、指の痛みを感じました。小さい傷ができ、血が出ています。
 特になにかにぶつけたりひっかけたりした覚えはないのだが…、と不思議におもいつつも、絆創膏をまきました。
 さらに、掃除をして、綴じた書類を持った時、ステープラーに別の指をひっかけ、またもや出血してしまいました。
 よくよく両手の指を見たら、他の指も荒れていました。秋が深くなって空気が乾燥しだした影響もあるのだろうか、と思いました。
 こちらも痛むうえに血も出ているので、もう一度絆創膏を巻く羽目になりました。
 気候の変化と注意力散漫が重なったゆえの出来事だったのかも、などと思いました。
 同時に、そろそろ手袋が必要な季節が到来しているのだな、とも思いました。

2015年10月21日

記事の品質

 朝日新聞が、シャワーヘッド「水通せば殺菌」 福岡のメーカー開発という記事を発表し、各所から厳しいツッコミを受けています。
 「シャワーヘッドにトルマリンという石が入っており、「通った水が電気分解される。ヘッド内では気泡や衝撃波も発生し、こうした原理を応用することで、細菌を破壊するとしている」と、メーカーの発表をそのまま掲載して「記事」にしていました。

 とりあえず、中学校で実験したように、水が電気分解されたら、水素と酸素になるはずです。ならば、シャワーヘッドから水は出てこないのでは、というのが自分が最初に思ったツッコミでした。
 他の部分も、文系の自分ですら呆れるくらい、突っ込みどころ満載です。よくこんなものを「記事」として新聞やサイトに掲載し、しかもこれだけ批判されているのに、いまだにサイトに置き続ける、という事に驚きました

 もっとも、社会科学系では、このような「非科学的な記事」が朝日のみならず、各社で大量に発表されています。
 最近では、あれだけ多くの憲法学者が違憲と言っているにも関わらず、安保法制(=戦争法案)が国会で「採決」された事を、客観的事実であるかのように「報道」していました。
 これなど、小学生の社会科レベルで、民主政治のルール違反である事がわかるわけです。にも関わらず、あたかも合法的なことであるかのように、「報道」されているわけです。
 それを考えれば、「シャワーヘッドに入っている石が水を電気分解して殺菌」などという戯言が「報道」されるのも当然なのかもしれません。
 商業マスコミの劣化もここまできたのだな、と思いました。そして、今のままではより一層の劣化が進むだろうな、とも思いました。

2015年10月20日

年に一度の恒例

 地元に、年に一度だけ行く居酒屋があります。
 魚を主とした居酒屋で、最初に注文を取りに来るときに、ザルに魚を乗せて見せる、というのが特徴です。
 10年以上、「年に一回ここに来る」をやっているのですが、今日は、その「ザルを持ってくる」までの時間がかなり長く感じました。
 また、客の入り具合も、かなり寂しい物がありました。
 酒も料理も相変わらず美味しかったので、店が劣化したわけではありません。
 しかしながら、店員を減らさざるをえないほど、売上が厳しい、という事なのでしょう。
 年に一度だけ行く店、という事もあり、より一層、不況の進行並び深刻化を感じさせられました。

2015年10月19日

秋祭り

 これまた昨日のことですが、近所の小学校で開催されたお祭りに、お世話になっている団体が出店したので、手伝いに行きました。
 主催団体は、と秋にこのようなお祭りをやっています。
 しかしながら、昨年秋と今年の夏はいずれも開催できず、1年3ヶ月ぶりの開催となりました。
 揚げ物の模擬店を手伝いました。自分の仕事は、フライヤーにあがった食べ物を盛りつけ、お客さんに売る、というものです。
 普段と全然違う「仕事」になったわけですが、なかなか楽しめました。
 また、売上も予想以上にあり、「こういう形で儲けることもできるのだな」と改めて思いました。
 気分転換のみならず、仕事にも役立てると思った、普段と違った「仕事」でした。

2015年10月18日

三日分に感じた一日

 昨日は午前中に仕事をしたあと、十年以上お世話になっている方が久々に上京されたので、ご挨拶がてら食事をしました。
 水道橋で食事をし、そのまま徒歩で神田明神経由で秋葉原に移動しました。そこで、その方を囲んで、同じく十年以上お世話になっている人たちと楽しい時間を過ごしました。
 そのあと、再び仕事に戻りました。

 京成で帰ったのですが、京成津田沼に着いたら、人身事故で一時運転見合わせとのこと。
 次の仕事まで余裕はあったのですが、万が一の事を考え、バスに乗り換えて職場に戻りました。
 職場の最寄りである大久保駅南口バス停に着いたら、電車が運航再開していました。結果的にはバスに乗る必要はなかったのですが、あくまでも結果論です。この判断は適切だったと思いました。

 そして、夜の仕事が終わって帰宅しました。出勤した時間も帰宅した時間もいつもどおりでしたが、いろいろあったため、普段の三日分くらい過ごして帰ってきたような気分になりました。
 その疲れが出たのか、食事が終わったら急に眠気が出て、そのまま睡眠し、気がついたら日曜の朝になっていました。
 かなり体力を使ったわけでしたが、それだけ充実した一日を送れた、という事でもあるのでしょう。
 毎日これでは体が持ちませんが、たまにはこのような密度の濃い一日を過ごすのもいいものだ、と思いました。

2015年10月15日

携帯充電器

 今の携帯を買ってから1年半近くなり、段々と電池の持ちが悪くなってきました。
 さらに、出かけた際に携帯を使う時間が増えました。打ち合わせの時に、携帯のエバーノートにメモするようになったからです。
 これをやると、どんなメモも、パソコンと共有できる上に、いつでも検索できます。この便利さは手放せません。ただ、いかんせん、そんな事をすれば、よりいっそう、電池の減りは早くなります。
 そこで、ついに持ち運び可能の携帯充電器を買いました。これがあれば、どこでも充電することが可能です。
 今日は、その初使用日でした。出先の用事が終わって電車に乗ったら、残量が15%となり、「充電してください」表示が出ました。そこで車内で充電を行いました。
 これまで、同様の「充電してください」という表示が出た時は、かなりの焦燥感がありました。それだけに、この「どこでも充電できる」という事がいかにありがたいことかを身をもって感じました。
 同時に、改めて携帯の「依存度」が上がってきているな、とも思いました。

2015年10月14日

発送ミスと言い訳

 一週間前に頼んだ商品が届いていませんでした。一方で、請求書と宣伝サンプルは届いています。
 不思議に思って購入元に電話すると、「請求書・サンプルと別便で送ったはずだ」と回答されました。
 送ったはずも何も届いていないのです。しかも、同時に送った片方はちゃんと届いているのですから、発送側に何かのミスが発生したと考えるのが普通でしょう。
 しかし、向こう側は「宅配業者のトレースサイトでもちゃんと投函済みとなっている。番号を教えるからそちらで確認しろ」と言ってきました。
 何でこちらがそんな事まで、と思いつつ、トレースサイトに言われた番号を入力しました。すると、確かに投函済みとなっていました。ただし、投函した場所は、我が職場から400kmほど離れたところでした。
 要は、向こうが送付先を間違えたわけです。
 トレースサイトをちょっと注意して見れば、すぐに間違いに気付いたはずです。
 それを、「自分たちは間違っていない。向こうの勘違いだ」と思い込んだ結果、このような互いに徒労と不快感を覚える結果になってしまったわけです。
 ミスがあった事自体より、その対応のほうに、強い疑問が残りました。
 同時に、ここから商品を買い続けるかどうか、再検討する必要があるかも、と思うようになりました。

2015年10月13日

夢が伝えるもの

 たまに、昔の事を夢で見ます。
 学生だったり、以前いた職場に勤めていたりするのですが、いずれにおいても、面倒なトラブルに巻き込まれたり、不快な目にあうなど、ろくな事がありません。
 昔の事を見た夢で、目がさめてから「いい夢だった」と思ったのは、7年半ほど前に一度あっただけです。
 その唯一の例外を除けば、そのような夢を見るのは、仕事などに疲れた時です。
 そんな時に、過去を懐かしむ気持ちと、「いやいや、そんな良かったものではなかったぞ」という気持ちが合わさって、そのような夢を見るのかも、などと思っています。
 もう何年もしたら、今現在やっている仕事なども夢に出てきたりするのでしょうか。その時、自分がどのような事を思うのだろうか、などと思っています。

2015年10月12日

属性変更の必要性

 一年ちょっと前に知り合って、ちょくちょくお世話になっている人と飲む機会がありました。
 仕事の話になりました。ちなみに、その人は、似たような分野の仕事をしている大先輩です。
 その人に、「君は真面目すぎるのでは?」と言われました。
 他人に「真面目」と言われたことは、数えきれないほどあります。
 自分的には、褒め言葉五割、皮肉五割みたいな感じで聞いていました。
 ただ、このように「真面目だけだと仕事がうまくいかない」という意味合いで言われたのは初めての事でした。

 もちろん、「真面目なのが一番正しい」と思っていたわけではありません。真面目な人のほうが、仕事が原因で心を病む可能性が高い、という話も知っていました。
 とはいえ、これは自分の持って生まれた性分だし、それで損する事はないのだから、このままやっていよう、とずっと思っていました。
 それだけに、今回のアドバイスは、これまでになかった驚きがありました。
 今更ですが、この意味を深く考え、「真面目さ」を調整せねば、と強く思いました。

2015年10月09日

合理的な(?)剪定

 近所に、裏庭が草ぼうぼうになっているマンションがありました。
 一応、滑り台と砂場があるのですが、そこに子供が近づくのは相当難しいくらい、草ぼうぼうになっていました。
 また、道路に面した柵のところは並木になっているのですが、これも枝が伸び放題で、道路まで張り出していました。
 そこに先日、やっと手入れが始まりました。
 少しはサッパリするかと思っていたのですが、そのバッサリぶりは想像を絶していました。
 草を刈ったのはいいのですが、並木もほとんど根こそぎ抜いてしまったのです。
 10本ほどあった樹のうち、残ったのは4本ほどでした。さらに、庭の中にあった樹は全て、枝がなくなり、幹だけとなっていたのです。

 実は、一年ほど前に似たような経験をしたことがありました。
 職場の庭にある植栽を三本選定してもらったら、一本は根こそぎ抜かれ、一本は葉を全て切られ、一本は枝を半分くらいにされました。
 したがって、別に、近所のマンションの剪定が特に異常なわけではないようです。
 確かに、こちらのほうが、次回の剪定まで時間が空き、経済的です。
 さらに、美観を考えて、不要な枝だけ斬って、「これじゃまだ長い、やり直し」とクレームが入ることもないので、余計な出費も防げます。
 その結果、失われるものも大きいわけですが、それに対する施工者の経済的リスクは存在しません。何しろ、「鬱陶しいから剪定してくれ」という要望には何一つ違反していないからです。
 その三点から見れば、極めて「合理的」と言えるでしょう。しかしながら、その庭を見る限り、何かが根本的におかしい、と思わざるをえませんでした。

2015年10月06日

居酒屋で水を頼む

 居酒屋経営者のブログで、飲み物に無料の「水」を頼まれて困っている、というのがありました。
 昔だったら考えられない話でした。自分も5年くらい前、飲みに行った時に若い人が「お冷や」と注文したのを初めて見た時は驚いたものでした。
 いずれにせよ、このような現象が発生した理由は明らかです。それはもちろん「収入の低下」です。
 実際、自分も居酒屋に行く回数は激減しました。「立ち飲み屋」に始まり、「奥を立ち飲みスペースにしている酒屋飲み」さらには「ファミレス飲み」など、少しでもコストパフォーマンスを下げるようになっていきました。
 自分は経験していないのですが、「吉野家飲み」などというのもあるそうです。

 ブログを書いた人や、読んだ人のコメントを見ると、「水を頼むことの是非」とか「ならば水を有料化すれば」などと書いてありました。
 目先の事を考えれば、確かにそれも重要でしょう。しかし、それよりも、「客の収入を増やす」という事を考えない事には、根本的な解決にならないのでは、と思いました。
 もちろん、これは一軒の居酒屋だけで解決できる問題ではないのですが…。

 

2015年10月04日

ツタヤ図書館

 海老名にできた「ツタヤ図書館」が色々と話題になっています。
 本の分類が滅茶苦茶で、小説の「金閣寺」や「八甲田山」が旅行記の棚に置かれているとか、ツタヤの売れ残りを入れた結果、極めて品のない本まで置かれているとか、呆れるよりない話ばかりです。
 一方、「初代」である武雄市の「ツタヤ図書館」も最近になって、色々と似たような問題点が報じられるようになりました。
 こちらも、海老名に劣るとも勝らないひどさのようです。極めつけは、この図書館を導入した当時の市長が、現在、ツタヤの系列会社の社長に「天下り」した、という事でしょう。
 しかし、このような現状が伝わるようになったのはごく最近の事です。
 確かに、ネットでは武雄の図書館が出来た時から、批判的な声は流れていました。

 とはいえ、マスコミはこの「武雄ツタヤ図書館」を絶賛していました。
 その「賛辞」は、見た目が綺麗だの、コーヒーを飲みながら読書できるだの、リニューアルして喫茶店をくっつけたのだから当然だろう、というようなものばかりでした。
 当然ながら、図書館そのものとしての品質について論じたものはありませんでした。
 問題になっている、「15年前に発行されたパソコン入門書」だの「何百キロも離れた所のローカルグルメ本」など、見もしなかったのでしょう。
そして、もちろん、そのような「提灯記事」を書いた事を反省など一切しません。

 様々な点において、社会の質が劣化しており、しかも商業マスコミはそれをチェックするどころか、迎合している、という事を改めて実感させられた一件でした。

2015年10月03日

腹の探り合い

 若い頃から、あまり「腹の探り合い」をした経験がありません。
 今振り返れば、仕事では、もう少し、腹を探りあったうえで、自分が得する方向に持っていく術を身に着けていれば、色々と違ったのかも、と思う機会もあります。まあ、過ぎた事ですから仕方ありません。
 そのツケなのか、ここ一年ちょっと、腹の探り合いをし、相手にカマをかけたり、話に乗ったフリして肝心の事は話さない、などという機会がえらく増えました。
 基本的に経験値が低い分野なので、かなり疲れはするのですが、これから生き続けるうえで、避けて通れない事です。
 遅ればせながらではありますが、トレーニングを積んで、この「腹の探り合い力」を向上させねば、と思いました。

2015年10月02日

二日酔い

 昨晩、飲み会があったのですが、ついつい飲み過ぎて、二日酔いになってしまいました。
 焼酎のボトルを入れている店なのですが、水割りを頼んだら、ジョッキがでてきました。
 必然的に、同じ量のビールやサワーよりアルコール度数が倍以上になるわけですが、それを意識せずに飲んでしまったのが良くなかったようです。
 幸い、今日は仕事が休みだったので、特に被害はなかったのですあ、休日を半分以上潰してしまう羽目になってしまいました。
 昔に比べれば、二日酔いになる回数は大幅に減っています。とはいえ、こればかりはゼロにしないと、いろいろと大損してしまいます。
 今回を、「人生最後の二日酔い」にしなければ、と強く心に誓いました。

2015年09月30日

いつも見ているのに普段と違う風景

 風呂掃除をしました。
 毎日のように風呂に入っているわけですが、その時は、眼鏡を外しています。
 したがって、風呂場の汚れなど、ほとんど目に入りません。
 しかしながら、眼鏡をかけて掃除しに風呂場に入ると、そこには、普段と全く異なる風景が見えました。
 床や壁のみならず、普段使っている椅子や桶もかなり汚れていました。その汚れを落としながら、「そういえば、これ買ってから、約18年経つんだな…」などと思ったりもしました。
 それにしても、入浴のために風呂場に入るのと、掃除のために風呂場に入るのとでは、ものの見え方が全然違うことに驚きました。
 あと、しつこい汚れを落としながら、もう少し、風呂掃除の頻度を増やさねば…とも思いました。もっとも、これは掃除する度に思いつつ、一度も実現できていないのですが…。

2015年09月28日

スーパームーンの押し付け

 ツイッターに、「スーパームーン」の写真を載せる人が昨日から今日にかけ、たくさんいました。
 確かに、あれだけ「スーパームーン」と盛り上がっている上に、実際に空を見れば、満月が出ているので、ついつい撮りたくなるのでしょう。
 苦労して撮ったとは思うのですが、ツイッターの小さい画面で見る分には、ただの小さい携帯写真です。こちらとしては、トリミングもされていない夜景の中に、小さい点のように映っている月を見せられただけでした。
 別に月を楽しみたければ、画面を見ずとも、ちょっと外を見ればいいだけです。にも関わらず、携帯で撮った「スーパームーン」写真をフォロワーに見せる事に何の意味があるのでしょうか。
 写真が撮れて嬉しいのは分かります。ただ、ネットに公開する前に、人に見せるだけの品質があるのか、かつ同じものを他の人もアップしていないかどうかをもう少し検討してほしいのだ、と思いました。

2015年09月24日

ボンカレーの「常識」

 かなり久しぶりにボンカレーを買いました。
 レトルトカレー自体は、たまに買うのですが、深い理由はなく、ボンカレー以外を買っていました。ところが、なぜか今回は、ボンカレーを買いたくなったのです。
 帰宅して早速、鍋でお湯を沸かしました。そして、沸騰してボンカレーの箱を開けようとして、箱の裏を見ました。
 すると、そこには、「電子レンジでの調理がお勧め」と書かれていました。しかも、ご丁寧に、電子レンジ調理のメリットまで箇条書きで書かれていたのです。
 子供の頃、「ボンカレー=お湯であたためるもの」というのは常識でした。それだけに、調理法など確認せず、お湯をわかしたわけです。しかしながら、その「常識」は既に過去のものになっていたわけです。
 このように、これまで常識と思っていた事が、実は今では違っていた、という事、他にもいろいろとありそうだな、と久々のボンカレーを食べながら思いました。

2015年09月22日

微妙な連休

 連休も残るところあと一日となりました。
 もっとも、自分の職場は、この祝日は全部仕事です。ただ、フルタイムではないので、なんか半分休んで半分仕事、という状況が続いています。
 当初の予定では、この連休を利用して、いろいろと溜まっていた事をやるつもりでした。
 しかしながら、なかなかそのまとまった時間を取ることができませんので、一気に終わらせる、というわけにはいっていません。
 まあ、少しずつ進捗はしています。明日こそは、余裕の時間を活用して一気に懸案を片付け、いい形で連休を終わらせよう、と思いました。

2015年09月21日

義理のきょうだい

 土曜日に、相方が津田沼の西友で買い物をしていました。
 とりあえず、すいたレジを探して並んだのですが、一つ前に見覚えのある後ろ姿の人が立っていました。
 よくよく見たら、その人は自分の弟(相方にとっては義理の弟)でした。
 近くに住んでいるので、生活範囲はほぼ同じです。そのため、道でばったり会うことは今までもあったのですが、このような形で会うとはお互い思いもよらず、ともにかなり驚いたそうです。

 その翌日となる日曜日、今度は自分が将棋大会に行きました。この大会は、大学将棋部のOBや会社の将棋部などが、七人でチームを組んで、リーグ戦を行うというものです。
 自分も母校のOBチームの応援&雑用要員として参加しています。その中の一試合で、妹の配偶者が所属しているの大学OBチームと対戦しました。
 すると、その中の一局が、本部裁定が必要な結果となってしまいました。その裁定によって、引き分けになるか、再試合になるかが決まります。
 そこで、自分が本部まで行って、裁定を頼みました。その結果、引き分けだという回答を得ました。
 そこで、対局場に戻り、その結果を対局者ならびに自分のチームに告げました。
 そして顔を挙げると、妹の配偶者(自分にとっては義理の弟)が指を三角の形にしてこちらに確認を促していました。
 要は「引き分けですね」という確認です。それに対し、うなずくことで回答しました。
 妹夫婦とは同じ関東でも家が少々離れている事もあり、あまり会うことはありません。したがいまして、久々の「会話」となったわけですが、それがゼスチャーによる「引き分けですね」「はい」だったわけです。
 自分の家は兄弟姉妹が多く、色々な組み合わせの「義理のきょうだい」関係があります。
 それだけに、いろいろな「出会い」や「会話」が発生するわけです、二日続いて面白い事が起きたものだな、と思いました。

2015年09月19日

失敗の再現

 子供の頃、歴史を学んだ時、不思議に思った事がありました。
 第一次世界大戦で敗れたドイツは、ワイマール共和国という先進的な政治体制を作ったものの、すぐに最悪の政権であるナチスが誕生しました。
 そして、第二次世界大戦をはじめて、前回以上の大敗北と歴史的な汚名を残しました。
 一方、自分が生まれ育った日本は、第一次世界大戦では戦勝国側についたものの、第二次世界大戦ではそのナチス・ドイツと組み、核兵器を落とされるなどと大負けしました。
 そして、学校でも本でも、「日本は平和国家になった」と教わりました。
 そのとき、何でドイツは二度目の失敗でやっと懲りたのに、日本は一度だけの失敗で懲りたのだろうか、と不思議に思ったものでした。

 しかしながら今、かつての戦争で日本の行為が誤りだったと絶対に認めようとしない首相のもとで、戦争法案が採決されようとしています。
 振り返ってみれば、敗戦後にインフレで苦しんだドイツと対照的に、アメリカの政策もあって日本は高度経済成長をしました。
 そのような「幸せな」状況でしたら、確かにナチスのような勢力が台頭する必要はありません。
 しかしながら、1990年台以降、日本の経済は落ち込む一方です。他国が曲がりなりにも成長している中、日本は「先進国」でも珍しい、働く人の収入が減り続ける国に鳴りました。
 その結果、ドイツが第一次世界大戦敗戦直後にむかえた経済苦境が今になって日本に訪れているわけです。
 その時期に、こうやって戦争法案が作られました。そして、副首相の地位にいる人は、しばらく前に「ナチスを見習って」と公言しています。
 それも含め、今の日本は、二度目の過ちをおかした当時のドイツに近づいているように思えます。
 もちろん、自分としては、それを指をくわえて傍観する気は毛頭ありませんが。

つぶやき一つで買うのをやめる

 ちょっと興味を引くような本が出版される、という情報を得ました。
 ただ、絶対買いたい、というほどではありません。買うか買わないか迷う、という感じです。
 そこで、作者のツイッターを読んでみました。すると、千葉市民である自分にとって、極めて不愉快な内容のリツイートをしていました。
 もちろん、それを見た瞬間、即座に購入する事をやめました。

 ちょっと考えれば、こんなリツイートをすれば、少なからぬ千葉市民は不快感をおぼえる、という事が分かるのに、なぜこんな事をするのだろうか、と思いました。
 まあ、ある程度実績のある人なので、この結果、少々読者が減ってもどうでもいい、と思っているのかもしれません。
 自分は仕事柄、そのようなリスクを生じさせないために、業務用のツイッターアカウントでは、そのようなリスクのある事をつぶやいたりリツイートすることはしないようにしています。
 逆に言えば、余裕がないわけです。
 いつか、この作家のように、少々売上げが減ってもかまわない、というスタンスでツイッターができるくらいになりたいものだ、などと思ったりもしました。

2015年09月17日

民主政治と多数決

 一応、大学の政治学科を卒業した身として、非常に不思議なことがあります。
 それは、少なからぬ人が「民主主義=多数決」などという不可解な説を披露している事です。
 民主政治(大学時代の教授に民主「主義」という言葉は適切でないと繰り返し言われたので、この言葉を使います)が多数決だったら、政治は非常に簡潔化できます。
 議会で一議席でも多数派を握った勢力が、なんでも多数決で決めればいいわけです。それこそ、「議会制度を廃止し、自分は永久に独裁権力者になれる」「反対する勢力は公民権を剥奪する」でも決められてしまいます。

 もちろん、それが民主政治ではない事くらい、ちょっと考えれば分かります。
 大前提である憲法は守らねばなりませんし、論議した結果、おかしければ、多数派の提案でも実現されません。だからこそ、「多数派独裁」は実現しないわけです。
 ところが、今の政治業者やマスコミを見ていると、本気で「民主主義=多数決」と思い込んでいる人が多いのでは、と思えてしまいます。
 それが、今日のような「採決にもなっていない強行採決」などを引き起こすのではないでしょうか。
 どこでどう間違えたか分かりませんが、そんな勘違いをしたまま、議員や報道者になられてはたまったものでありません。
 日本が民主国家であり続けるためにも、実は「民主主義≠多数決」である、という常識をもっと強く広める必要があるのでは、と思いました。

2015年09月16日

リアルタイム

 ツイッターやフェイスブックを見ていると、現在の国会で起きている事がリアルタイムで分かります。
 以前だったら、テレビが切り取った断片的な情報を見て、さらに翌朝、新聞が編集したこれまた断片的な情報を見て分かったつもりになるよりありませんでした。
 しかしながら、今は、それらを介さずとも、情報がリアルタイムで入ってきます。
 しかも、国会の中にいる議員たちが、「外からデモの声が聞こえてきます」と、発信しているのです。
 以前から、政治には関心を持っていたつもりでした。しかしながら、このような形で動いているという事は、ごく最近まで知ることがありませんでした。
 おかげで、政治に対する認識が大幅に進歩しました。このようなネットの効果もあるのだな、と感心させられている毎日です。

2015年09月15日

メトロWi-Fiが劣化して復活

 久々に東京メトロに乗りました。
 スマホを使っていたのですが、急に画面が重くなりました。
 不思議に思って接続情報を確認したら、Wi-Fiが有効になっていました。接続先を見てみたら、メトロWi-Fiとなっています。
 昨年まで、この無料Wi-Fiサービスは、重宝していました。そのため、廃止を知った時は、少なからぬ残念感がありました。
 調べてみたら、外国人観光客向けサービスとして、復活していたようです。
 ただ、品質は、一年前に比べると、大幅に劣化していました。
 なにしろ、繋がらないのです。仕方ないので、Wi-Fiを切って、LTEに切り替えました。
 おかげで繋がったのですが、そのあと、Wi-Fiに戻すのを忘れ、そのまま一日弱を過ごしてしまったため、携帯会社から人生始めてとなる「データ通信量過多」の警告が届いてしまいました。
 一年前の便利さからかけ離れてしまった劣化に、かつての愛用者として、寂しく思いました。
 今後は、地下鉄に乗る時と降りた時に、細心の注意を払わねば、と思いました。

2015年09月14日

夜の国会前

 8月30日に続いて戦争法案反対のデモに行きました。
 霞ヶ関駅で降りて、国会に向かったのですが、行くまでに色々と紆余曲折がありました。
 まあ、事前に情報を仕入れていたので、特に失敗することはありませんでした。
 とりあえず、「交番で道を尋ねた際は、警察官の言うとおりに進むのが正解で、デモに行く時に道を指示された時は、警察官の言う正反対に進むのが正解」という事を、身を持って経験することができました。
 そして、紆余曲折の末、国会真正面の道路に立つことができました。ちなみに、六本木通りの「国会前」交差点の横断歩道を渡るのに、20分くらいかかりました。
 横断歩道を渡るのに、これだけ時間がかかったのは初めてのことでした。
 そのまま、人生初の「人混みのため、一歩歩くのに苦労する車道」という経験をすることもできました。
 自分を含め、これだけ多くの人が月曜の夜に集まったわけです。その想いが届くことを、強く願いました。

2015年09月12日

チャーリー号をバージョンアップ

 愛車のチャーリー号で夕暮れの街なかを走っていたら、「電気がついていない」とすれ違った人に言われました。
 ランプのスイッチを確認したら、ちゃんと点灯設定になっています。しかしながら、確かにランプを見たら、電気が消えていました。
 そこで、自転車屋さんに持ち込んだのですが、「直すだけなら500円、付け替えるなら1,800円、LEDにするなら2,400円(いずれも税別)」と言われました。
 迷ったのですが、これまで、無灯火の自転車とすれ違って、怖い思いをした事が多々ありました。
 その時の恐怖をすれ違った相手に与えるリスクを加味した結果、奮発してLED電球にすることとしました。
 早速、新たな電灯で帰ったのですが、道路にも、ライトの明かりがくっきり見えます。
 事故に遭うリスク、巻き込むリスクを考えれば、ここで約2,000円をケチらなかったのは正解だったな、と思いました。

2015年09月09日

注意報から警報に

 出勤する時、天気予報を見たら、一日中雨との事なので、自転車はやめて歩くことにしました。
 家を出た時点では雨は降っていなかったのですが、数分後に降り始め、5分も歩いたら、豪雨になってしまいました。
 仕方ないので、予定を変更して、バスに乗って出勤しました。
 職場に着いて気象情報を見たら、千葉市も習志野市も「大雨洪水注意報」が出ていました。そして、数時間後にLineに「千葉市に大雨洪水注意報」という情報が入ってきました。サイトで確認してみたら、習志野市にも出ていました。
 こりゃ帰りもバスかな、と想っていたのですが、夜に職場を出たら、警報は解除されないにも関わらず、雨は小降りになっていました。
 そのまま、雨の被害を受けずに帰れました。結果的には、警報を無視したのが正解だったわけです。
 警報を出すシステムには、専門家が積み重ねて造ったシステムがあり、それに基づいている、という事は理解しています。
 とはいえ、もう少しこまめに警報の確認や検証をしてもいいのでは、と思わざるを得ませんでした。

2015年09月07日

昼寝で悪夢

 自分の生活パターンの一つに、「昼休みに昼寝をする」というのがあります。
 大学を出てから今の仕事をするまで、三回ほど職を変えました。そのなかで、新しい仕事を始めた時に必ずやったのが『昼寝をする場所を確保する」でした。
 というわけで、今日も昼休みに一寝入りしたのですが、短い間に、悪夢を三つくらい見ました。
 しかもそれはいずれも「仕事をしていてひどい目にあう」という内容でした。おかげで、昼休みが終わったあと、逆に疲れてしまいました。
 ただ、午後の仕事では、新規開拓など、いい事がいくつかありました。
 という事で、あれは「逆夢」だったと思うことにしました。
 とはいえ、明日の昼寝では、もう少しいい夢を見たいものだとは思いました。

2015年09月05日

4年ぶりの関西

仕事関係の用事で関西に一泊で来ています。
前、関西に来たのは、ちょうど4年前の9月でした。
4年前との最大の違いは、私鉄や地下鉄がSuicaで乗れるようになっていた事でした。
ちhなみに、4年前は、現金を持っていくのを忘れてしまい、当k時はSuicaがJRしか使えず、えらく難儀しhたものでした。
それもあって、この変化はかなり印象に残りました。

仕事は昼からだったのですが、せっかくなので、五時起きして早めにつき、久しぶりに六甲山に登りました。
久々に山の上から見る市街地と大阪湾と埋立地は、ここでしか見れない素晴らしい風景でした。
出先でのアップは少々手間なので、帰宅したら明日撮る予定の写真と一緒に掲載しようと思っています。

2015年09月04日

当たり前だった風景

 ネットに、都内最後!?スターハウスが募集開始!という記事を見ました。
 かつて公団住宅と呼ばれ、現在は「UR」という名を持つ集合住宅があります。
 その中で、1950年代のみに造られた、特殊なものに「スターハウス」と呼ばれるものがあります。説明は省略しますが、「団地マニア」の間では、希少物件としてよくブログに掲載されています。
 自分は「団地マニア」ではないのですが、このサイトに掲載された「スターハウス」並びに、このサイトに写っていた窓から外に見える風景を見た時は、深い感慨をおぼえました。

 なぜならば、このサイトに表示されている「外の風景」は、物心つく前からずっと見ていたものだったからです。
 この今回募集している「スターハウス」の一室は、自分は生まれてから8年ほど住んでいた部屋でした。
 写真を見た時、これは、401号室から写したのだな、とすぐに分かりました。ちなみに、自分が住んでいたのは一つ下の301号室でした。
 ちなみに、リンク先の4枚めの写真は、生まれてからずっと見続けていた、隣接する製薬会社社長の屋敷でした。

 実は自分は食べ物の好き嫌いがかなりあります。幼いころは特にたくさんありました。その中の一つがグリーンピースがありました。
 それゆえに、「グリーンピースごはん」が食卓に出た時は、親に隠れて、グリーンピースを、この隣の邸宅めがけて投げ捨てたものでした。もちろん、それは幼児の浅知恵で、親には完全にバレていたのですが…。

 この「お隣」の風景を見た時は、そのような事も思い出しました。
 団地にどんな人が応募し、住むのか分かりません。ただ、その中で301号室に住む人は、自分が生まれてからずっと見ていた風景を共有するわけです。
 そういう事もあり、その一生会うはずのない誰かに対し、不思議な共感をおぼえました。

2015年09月02日

感情移入?

 朝、出勤したら、部屋の片隅に害虫がいました。
 職場の中で調理することはありません。したがって、害虫の餌になるようなものはありません。
 にも関わらず、年に一回くらい、迷い込んでくるのがいます。こちらも客商売ですので、排除せざるを得ません。これが、動きの鈍い動物だったら外に出すのですが、そういうわけにもいきません。したがって、潰す以外にないわけです。

 というわけで、スリッパで叩きました。すると、物陰に逃げました。しかしながら、そこから出てくる気配はありません。
 もしかして、先ほどの一撃で終了したのか、と思いました。しかし、物をどけてみると、その影におり、僅かに動いていました。しかしながら、先ほどの打撃は思い切り効いていました。
 しかしながら、達成感はありませんでした。むしろ、残る生命力を振り絞って動こうとしている姿に同情すら覚えました。自分が「加害者」なのですから勝手な話ではあります。しかしながら、そう思ったのは事実です。
 そこで、早く楽にしようと思って「追撃」しました。しかしながら、まだ足がわずかに動いています。それを見た時、本当に申し訳ない気持ちになりました。そして、「本当にごめん」といいながら、止めをさしました。
 子供の頃から、数えきれないほど害虫を叩き潰していました。しかしながら、このような気分になったのは初めてでした。
 年をとったせいなのでしょういか。それとも、自分も含む普通に働いている人を叩き潰すような事が現在の政治で行われているため、叩き潰された害虫に自分を重ねてしまったのでしょうか。
 いずれにせよ、こういう思いはもうしたくないので、職場も自宅も、害虫予防をより徹底せねば、と強く思いました。

2015年08月30日

12万分の1

 戦争法案に反対する集会に行きました。
 「メイン会場」は国会前ですが、出発した時点で、そこは人で満杯という情報を得たため、第二会場的存在である、日比谷公園に行きました。
 公園は人でいっぱいでした。なんとか、場所を確保はできましたが、そこでは、演説している人の顔はもちろん、姿を見ることすら出来ない場所でした。
 もちろん、ここに自分がいてもいなくても、大局的に見れば何ら違いはありません。
 とはいえ、そのような一人ひとりの個人が集まった事により、このような国会周辺が人で埋め尽くされている状況ができたわけです。

 昔から、「自分の存在意義」というのは、常に頭の中にありました。
 もちろん、いまだに明快な答えは出ていません。
 とはいえ、今日、「この国会と日比谷を埋め尽くした行動を構成した一人」になれた事は、自分の存在意義というものを、ある程度ではありますが、感じることができました。

2015年08月26日

心の闇

 ツイッターで、「子どもに対しては『わざわざ子どもに道を尋ねる奴は犯罪者と思え』と教えていいと思う。いつもいっているが本気で道を知りたい奴は子どもに尋ねたりしない。」という発言を見ました。
 まったくもってその通りだと思うと同時に、「コロンブスの卵」の話を聞いたような気分になりました。
 ところが、この発言に対する「反論」を寄せてきた人が少なからずいました。いろいろ言っているのですが、まとめると、「カーナビやスマホの地図サイトを見ても分からず、さらに詳細な住宅地図を見ても分からない時もある。そのような時、周囲に子どもしかいなければ、子どもに尋ねるよりないが、それもいけないのか?」というものでした。
 あたかも、自分の経験を語っているような感じでしたが、そのような事が、現実的にありえるのでしょうか。

 まあ、一番最初の突っ込みどころは「まわりに子どもしかいない」という状況がありえるか、という事です。
 人口の少ない地域なら、確かに街なかに人がおらず、子供だけ、という確率がゼロでないかもしれません。しかしながら、そのような時は、道にいる子どもでなく、どこかの家に入って尋ねればいいだけの話です。
 さらに言えば、子どもに道を尋ねて、目的地につける可能性があるか、というのもあります。
 自分たちが子供の頃を思い出せばすぐに解りますが、家の近くの地理の把握は「自宅・学校・公園などのよく行く場所・友達の家」という感じです。スマホやナビを使っても分からないような難解な場所を案内することなどできるわけありません。
 そのような子どもに道を尋ねても、正解を得られる可能性は極めて低いでしょう。一方で、間違った場所に案内されるというリスクは極めて高いわけです。
 つまり、現実的に考えれば、この世の中で、「子どもに道を尋ねなければ目的地に着くことができない」などという事は、100%ありえないのです。

 にも関わらず、懸命に「子どもに道を尋ねる事に妥当性がある」と主張している人がいるにに驚きました。
 しかもこれは、ツイッターでのやりとりです。仮にそれで「論破」できたとしても、「子どもに道を尋ねる」という事にお墨付きをもらえるわけではありません。
 にも関わらず、必死になって詭弁を弄している人が何人もいるわけです。そこまでして、「子どもに道を尋ねる」という行為を否定されたくないわけです。
 その「熱意」には「心の闇」を感じざるを得ませんでした。
 同時に改めて、「子どもに対しては『わざわざ子どもに道を尋ねる奴は犯罪者と思え』と教えていいと思う。いつもいっているが本気で道を知りたい奴は子どもに尋ねたりしない。」という主張が非常に正しく、全ての子ども及びその親に知ってほしい情報である、という事を痛感させられました。

2015年08月24日

株価暴落

 株価が暴落したそうです。
 自分は生まれてから一度も株を買った事もありませんし、今後も買う予定はありません。
 しかしながら、家族には株を持っている人もいます。また、株価が下がって、今の「安倍不況」がさらに悪化すれば、自分の仕事にも悪影響を及ぼします。
 というわけで、心配しています。

 当然ながら、今回の暴落で大損する人はたくさん出てくるでしょう。
 しかしながら、一部の補填を受けられる特権階級を除けば、その損失は全て「自己責任」です。
 経済新聞などは、十年以上前から、株式投資を促す「記事」を発表し続けています。
 その「記事」には儲かった時のメリットは山ほど書かれていますが、「株価下落による」リスクは、ほとんど書かれていません。
 もちろん、株で大損した人がたくさん出ても、お詫びの一つも書きません。
 そのいい加減さ、無責任さを見ていると、詐欺の一歩手前、と思わざるを得ません。
 毎度の事ながら、そのことを痛感した、今回の株価暴落でした。

2015年08月23日

他人の不幸を「商材」としか見れない人々

 大阪での殺人事件が、連日、大々的に報じられています。
 毎度の事ですが、被害者やその家族のプライバシーを侵害し、一方で容疑を否認しているにも関わらず、逮捕された人の事をあれこれ書き連ねています。
 こんな「報道」をいくらしたところで、被害者が戻ってくることはありません。また、同じような犯罪の抑止にもなりえません。
 それをこんなに執拗に「報道」するのは、単に「視聴率が取れるから」「読者が喜びそうだから」でしかありません。
 そんな事のために、殺人被害者並びにその遺族を傷つけ、「推定無罪」という基本原則を無視しているわけです。
 これまで何度も同じことをして、多数の人々に迷惑をかけたわけですが、そんな事おかまいなしです。
 このような、「報道」が百年以上続き、改まる気配もありません。何とかならないものか、と改めて思った次第です。

2015年08月19日

疲れと解消法

 先週末、四日間休んだのですが、相も変わらず疲れが抜けません。
 これは、自分に限ったことでないようです。昨日会った人も、同じことを言っていました。
 やはり、この猛暑のせいで、普通に生活するだけで体力の消耗が激しい、という事なのでしょうか。
 仕事をしていれば、その時はアドレナリンがでるためか、疲れを忘れます。
 とはいえ、もちろん、朝から晩まで仕事ばかりしていれば、体に悪影響を及ぼすに決まっています。
 そのへんのバランス調整が非常に難しいと思っています。
 色々やりたいことはあるのですが、疲れていては、何もできません。
 というわけで、目的を達するためにも、この披露解消方法をはやく習得せねば、と思っています。

2015年08月16日

夏休み終了

 今日で四日間の夏休みが終わりました。
 相方の同人誌販売を手伝った金曜日を除けば、日中はほとんど「ひきこもり」みたいな生活をしていました。
 木曜と土曜はいずれも都内に出かけたのですが、家を出たのはいずれも16時過ぎで、それまでは外出らしい外出をしませんでした。
 今日に至っては、18時頃にコンビニに行った以外は、ずっと家の中に篭っていました。
 しかも、朝8時半に起きはしたのですが、午前中と昼過ぎと夕方にうたた寝をする、という有り様でした。
 自分でも思っていた以上に、ここ数ヶ月で体力を消耗していたようです。
 そういう意味では、この夏休み、回復に専念したのは正解だったと言えそうです。
 次のまとまった休みは年末年始までありません。ただ、その間に、効率的に、小さい休みを入れてリフレッシュしたほうがいいのかも、とも思いました。

2015年08月15日

「マグロの主」と、久々の店と、新鮮な反応

 夕方、相方が待望していた、葛西水族園の夜間開催に行きました。
 相方は年間パスポートを購入してちょくちょく行っているのですが、自分が行くのは約一年一ヶ月ぶりです。
 前回行った時は、名物のマグロ水槽に大量のマグロがいたのですが、ニュースにもなった「謎の大量死」により、一時期は一匹までに減っていました。しかしその後、新たなマグロを入れたため、現在は「マグロの集団」が復活しています。
 その中で、一匹だけ、体の大きさも、面構えも違うマグロがいました。係員さんに尋ねたところ、やはりそれが、大量死の際に唯一生き残ったマグロだとのことでした。
 その生命力を感じる表情を見ただけでも、水族園に来て良かった、と思いました。

 その後は、京葉線で海浜幕張まで戻って、イタリアンレストランのチェーンであるカプリチョーザで食事をしました。
 このカプリチョーザは、かつては津田沼パルコにも店があり、その頃は、津田沼で外食する時の定番でした。
 その撤退以来、かなりご無沙汰していました。詳しくは覚えていませんが、へたすれば、10年近く行っていません。
 そこで久しぶりに食べたのですが、相方の好物であるライスコロッケも、自分が大好きだったトマトとニンニクのスパゲティも、相変わらず美味しく、楽しい時間を過ごすことができました。

 そして、幕張本郷行きのバスに乗りました。今日は野球場とメッセでサマソニという大規模なコンサートが行われていました。連節バスに乗ったのですが、その帰宅客であっという間に、立ち客もびっしり、という状態になりました。
 連節バスが走っているのは日本でも数カ所しかありません。そのため、サマソニ帰りの人たちは、口々に「こんな凄いバスがあったんだ」と驚いていました。
 長年連節バスに親しんでいる地元民としては、それを聞いた時は、ちょっと誇らしい気分になりました。

2015年08月13日

物心ついた時から一緒にいた二人

 姉の家で、一つ下の弟、姉の長女(自分にとっては姪)の四人で食事をしました。
 我が家は六人兄弟姉妹で、自分と姉と一つ下の弟は年子三人です。
 そのため、物心ついた時から、すでに姉とその弟は自分と一緒にいました。つまり、ともに一緒にいて当たり前、という存在だったわけです、
 その後、妹が生まれた事もあり、この三人だけで一緒に何かをする、という機会はなくなりました。
 今回は、姉の長女である姪も一緒にいましたが、申し訳ないのですが、三人にしか分からない昔話を色々と話して盛り上がりました。
 あらためて、自分の「原点」を再認識できた、楽しい食事会になりました。

2015年08月12日

疲れのピーク

 今の仕事になってから、連休を取れるのは年に三回になっています。具体的に言うと、正月休み・GW・盆休みとなります。
 今年の夏は、明日から四日間が盆休みです。逆に言えば、今日は、年に三回の一番「連休」から遠ざかっていた日だったわけです。
 そのせいか、仕事の終わり際はえらく疲れました。休みに備えてやるべきことがいろいろあるのですが、それを行うため、通常の仕事が終了後、かなりの休憩を取らねば体が動かないほどでした。
 もう少し、仕事と休みの比率を変えねばならない、という事なのだろうか、と思いました。
 まあ、そのあたりの事も含め、明日からの連休で色々と考えたいと思っています。

2015年08月07日

切符で電車に乗り、駅の公衆電話で「かえるコール」

 仕事は休みだったのですが、午前と午後にあわせて三件、外出する用事がありました。
 前の晩、携帯を充電するのを忘れてしまったため、最初の用事に出かける時点で、残量が60%でした。そのため、午前中の用事を終わらせた時点では、電池の残量がほぼなくなっていました。
 午後に帰宅して充電したのですが、夕方の用事に出かける時点で、残量はまた60%しかありません。
 用事は千葉駅近くであったのですが、終わった時には電源が切れていました。
 以前の携帯は、電源が切れてもモバイルSuicaとして使えたのですが、今のスマホは、改札に反応しません。そこで、仕方なく切符を買いました。
 3年半前まで、磁気式の分割定期券を使って都内に通勤していた時は、区間外乗車の際に切符を買っていました。それ以来の切符購入となりました。
 そして、幕張本郷に着いて、駅の公衆電話で「かえるコール」をしました。公衆電話を使うのも、かなり久しぶりです。
 ついでに言うと、本当は千葉駅で電話したかったのですが、公衆電話がどこにもなく、仕方なく、幕張本郷で電話する事になりました。
 かつては当たり前だった「切符を買って電車に乗って、公衆電話から自宅に電話する」という事が、すっかり「珍しいこと」になってしまったわけです。
 不便さと時代の流れを感じさせられた、久々の「携帯電池切れ」でした。

 

2015年08月06日

70年目の8月6日

 今日は、人類史上初めて核兵器が人間を惨殺してから70年目の日でした。
 それについていろいろ書きたかったのですが、仕事で色々とバタバタして、夜、仕事が終わった時に、「しまった、まだ弁当を食べてなかった」と気づく始末でした。
 というわけで、原爆に関しては、12年ほどに書いた文章のリンクを代わりに載せておきます。
 敗戦記念日までにはなにかきちんとした事を書きたいものですが…。
 心に残る名作漫画・はだしのゲン

2015年08月05日

嘘がいくらでも作れる世界

 昨日書いた、根岸線の架線切断事故ですが、ツイッターで、奇妙な事が起きていた事を知りました。
 「あれは自分の友達が線路に向かって物を投げたからだ」などと書いたツイートが現れ、それを多くの人が「犯人」と真に受けました。
 一度でも事故が起きた区間を通った人ならわかりますが、横浜ー桜木町間は高架になっており、周囲は道路です。
 したがって、五輪の砲丸投げで金メダルを取るような投擲力がなければ、このような事はできるわけがありません。
 ちょっと調べれば分かることですが、多数の人が真に受けたわけです。

 相も変わらず「振り込めサギ」や「嘘をついて票を得る政治業者」が幅をきかせています。
 それだけ騙されやすい人が多い世の中になっているのだな、と改めて思わされた、この「架線切断ニセ犯人事件」でした。

2015年08月03日

トイレの落書きが大ニュースに

 昼休みにヤフーを見たら、トップに「御徒町駅のトイレに首相批判の落書き」という「記事」が出ていました。
 なんでも、TVでも放映されたそうです。
 確かに、トイレに落書きするのは犯罪です。トイレを管理している会社・団体は、それを消すために費用をかけねばなりません。
 別に「駅のトイレに落書き」が今に始まった事ではありません。自分が初めて駅のトイレを利用していた頃から存在していました。
 しかしながら、それが「犯罪」としてニュースになった事などありませんでした。

 加えていえば、最近の駅のトイレでは「喫煙」という問題が発生しています。
 駅構内全面禁煙化により、トイレの個室で喫煙する人があとを絶ちません。
 そして、トイレの壁などに焼け焦げをつけたりしています。
 これなど、一歩間違えれば火災につながる大問題行動です。
 しかしながら、それが報道された、などという話は聞いたことがありません。

 同じ「トイレでの問題行動」でも、「首相批判の落書き」は大きなニュースとなり、他の落書きや不法喫煙はニュースにならないわけです。
 色々な点において、警察や報道がおかしくなっているな、と改めて痛感した一件でした。

2015年07月27日

朝から猛暑

 朝7時頃に、ちょっと駅に行く用事がありました。日陰に20分ほどいるだけで用は済んだので帰ったのですが、帰宅したら、相方が驚くくらい、汗だくになっていました。ちなみに、運動などは一切していません。
 改めて、今年もまたとんでもない猛暑なのだな、と痛感させられました。
 日中は、クーラーのきいた職場で過ごしていたのですが、それでもかなり消耗しました。
 今年は、昨年よりちょっと「定期的に外で運動する必要性」が増えています。そのうえ、年齢はひとつ上がっているわけです。
 それだけに、より一層の注意が必要だな、と思いました。

2015年07月25日

熱帯夜

 朝5時前に目が覚めました。理由はあまりの暑さです。
 汗だくになっており、慌てて窓をあけるのと同時に、相方の作業用扇風機を探し、自分に向け、スイッチを入れました。
 夜の気温が25度を超えるという「熱帯夜」です、このような状況になるのも仕方ないでしょう。
 その影響もあったのか、今日は一日中だるく、頭も働きませんでした。
 日本の「亜熱帯化」の進行と、加齢による「暑さの耐久度の低下」が同時進行しているためなのだろうな、と思いました。
 電気代を気にする必要はありますが、それと折り合いをつけつつ、健康に過ごせるための空調を工夫せねば、と強く思った一日となりました。

 

2015年07月22日

一気飲み死亡で裁判

 ニュースで、大学生(当時)がサークルの飲み会で一気飲みして急性アルコール中毒で死亡し、遺族が提訴した、というのを見ました。
 このような話は毎年聞きます。しかしながら、何ら改まることはありません。
 職場のすぐ近くに居酒屋があるのですが、今年の春も、「新歓コンパ」の時期には、「一気飲みをうながす掛け声」が聞こえてきました。外まで聞こえるほど大声でやっているわけですが、居酒屋の店員さが止める気配はありませんでした。
 自分も酒好きで、飲み会での楽しい思い出は色々あります。また、人からも色々な話を聞きます。
 しかしながら、「一気飲みが楽しかった」という話は聞いたことがありません。また、自分も若気の至りで飲み過ぎて、急性アルコール中毒の数歩手前までいった経験はありますが、不快な記憶はあっても、楽しい思い出などにはなりませんでした。
 ついでに言うと、大学の祝賀会で後輩が急性アルコール中毒になり、救急車に同乗した経験がありますが、その心配やなんやらで、祝賀会の嬉しさなど、一瞬で吹っ飛んだものでした。
 そのくらい、「一気飲み」は、百害あって一利のないものです。これを書くのが何度目か分かりませんが、大学などはもう少し、「一気飲み」がいかに危険度が高く、かつ楽しくもなんともないものか、という事を、裁定でも今の十倍くらいは周知させる必要があるのでは、と思いました。

2015年07月21日

飛び込み授業

 小学校に入った時、水泳が好きでした。親に頼んで、スイミングスクールに通わせてもらったほどでした。
 しかしながら、だんだんと学校の水泳授業が苦手になってきました。泳ぐこと自体は問題ないのですが、「飛び込み」が嫌だったからです。
 経験した人も多いと思いますが、水と体が平行な状態で飛び込めば、腹を打ってえらく痛い思いをします。しかも、鼻から水が入って苦しい思いをします。
 とはいえ、腹を打たない角度で飛び込むと、プールの底に激突しそうな怖さがあります。
 というわけで、水中からのスタートとなる背泳ぎを除く泳ぎが、だんだんと嫌いになっていきました。ある時期からは、適当な理由を見つけては「見学」する回数が増えました。

 しかしながら、先日見た資料によると、自分はまだいいほうだった、という事がわかりました。
 なんと、この31年間で水泳授業の飛び込みによる怪我が169件発生し、うち151件が頭や首の怪我だったとのことでした。中には、首の骨を折って、死亡したり首から下が麻痺したりした被害者もいたとのことです。
 要は、年に5人近くが、とんでもない被害にあっているわけです。

 競泳選手にでもならない限り、飛び込みを修得する必要などありません。
 もちろん、リスクがなければ飛び込みをやらせるのもありかもしれません。しかし、上記のデータを見れば分かるように、むしろとんでもないリスクがあるわけです。
 もちろん、飛び込みをやめて水中スタートにすれば、授業の効率は少々下がります。とはいえ、命を失ったり、半身不随になる危険性とバーターになるとは到底思えません。
 そうやって考えれば、「飛び込み」を続ける必要などどこにもないと思うのですが…。
 一日も早く、この「因習」を終わらせてほしいものだ、と思っています。

2015年07月18日

反対はいけない?

 FBで「自分は戦争にも原発にも反対しない」いう題名のブログが回ってきました。
 内容は、「反対は負の感情だからよくない。よりいいもの(原発反対でなくクリーンエネルギーの利用)を提案すべきだ」みたいなものでした。
 一見もっともらしい事が書いてあるので、真に受ける人も多そうです。
 しかしながら、「原発に反対すること」と「クリーンエネルギーの普及」は、共通点はありますが、同じではありません。
 後者だと、「クリーンエネルギーの普及を推進すれば、原発を増設したり再稼働してもかまわない」となってしまいます。
 つまり、まず最初に「反対はいけない」という前提を無理やり提示し、続いて「原発に反対すること=クリーンエネルギーの普及」ではないにも関わらず、あたかもそうであるように思わせて、「原発に反対するのはよくない事だ」と思わせよう、と誘導しているわけです。

 そのブログをよく読むと、唐突に「このことは量子力学で証明されています」などと書いてあるくせに、何がどう証明されたかの注釈など一切ない事など、「だましのテクニック」が混ぜられている事が分かります。
 しかし、それらに気づかないと、ころりと騙されて、原発が嫌いであるにも関わらず、「原発反対を主張するのは良くない」と思ってしまう人もいるのだろうな、と思いました。

 このような「反対はダメ」という主張する論調の一つに「対案を出すべき」というのがあります。
 自分の記憶では、20年くらい前の新聞社説でよく見かけました。現在でも、何かあるごとに「対案」と言っている政治業者やその応援団をよく見ます。
 それらを真に受けて、やはり「ただ反対するだけでなく対案を出すべきだ」と思ってしまう人が少なからずいます。
 たとえば、先日強行採決された「戦争法案」ですが、これに対案などいりません。なぜなら、日本の一般市民にとってはこんな法案は完全に不要な上に憲法違反だからです。したがって、対案などださず「反対」でいいのです。
 もちろん、これは政治や原発に限った事ではありません。
 たとえば、人の家の前にゴミを不法投棄した人を見つけたとします。その人に対し、被害を受けた家の人が「代わりにここに捨ててくれ」などと「対案」を出す必要はありませんし、「否定的な言葉」を避けて「適切なゴミを捨てる場所を考えましょう」などと言う必要もありません。ただ「ここにゴミを捨てるな」だけでいいに決まっています。
 電車内で痴漢にあった場合も同様です。その痴漢の欲求を満たす「対案」を考える必要も、「お互いが快適に電車に乗る方法」を提案する必要もありません。「やめてください」と言って駅員に突き出せばいいだけの話です。

 いずれにせよ、他人が何か良くない事をするときは、率直に「反対」と言えばいいのです。にも関わらず、「ポジティブな提案」や「対案」が必要だと主張する人は、普通に「反対」されると損するという立場にあるだけでしかありません。
 そのように自然に考えれば、変な詭弁に騙される事もなくなるのでは、と思いました。

2015年07月15日

前提となる決まり

 二人以上の人間が何らかの利害関係を生じさせながら一緒にやっていく場合、前提となる決まりを設定しなければ、かならず深刻な問題が発生します。
 家族という最少の単位でも必要です。そして、企業、社会など、構成員が増えれば増えるほど、この前提となる決まりごとはきっちり決めねばなりません。そして、それを破ると集団を維持するのに大変な問題が生じます。
 日本という国を動かすにおいて、その前提となる決まりとなるのは憲法です。たまに勘違いしている人がいますが、憲法というのは他の法律と根本的に違います。
 他の法律は国家が国民に守らせるものですが、憲法は逆に、国民が国家に守らせるものです。具体的に言えば、守る義務があるのは、政治家・議員をはじめとする公務員です。そのことは、憲法99条に明記されています。
 しかしながら、今日の強行採決をはじめ、今の政府はこの憲法という「前提となる決まり」を守る気が毛頭ありません。
 これは、道路交通法を守らずに自動車を運転するのと同じ話です。
 既に、そのような人々の政治によって、経済の悪化などの深刻な影響が出ています。これが続けば、さらなる悪化が発生するでしょう。
 それを防ぐために自分ができることはなにか、という事をかなり真剣に考えています。

2015年07月14日

「怒りがおさまるまで待つ」の誤解

 クレーム対応のマニュアルなどを読むと、いくら怒っていても、それを持続できる時間は限られている。したがって、こちらに非があって怒られた場合でも、誠意をもって謝れば、そのうち相手の怒りは収まる、などという事が書いてあります。
 実際、その通りで、目の前で謝り続けている相手に、何時間も怒り続ける人というのはあまりいないでしょう。
 ところが、これを勘違いして、「相手を怒らせても、逃げていればいつかは収まる」と思い、それを実践している人がたまにいます。
 確かに、逃げられた人も、当初の怒りの感情は時間とともに薄れます。
 しかしながら、怒りの感情が薄れるのと同時に、その逃げた人に対する軽蔑や不信感はむしろ強まります。
 その結果、一時的な怒りから逃れた代償として、「ずるい人」「信用出来ない人」という評価を一生されてしまうのです。
 それを考えれば、この「自分に非があるにも関わらず、逃げることによって相手の怒りをかわそうとする」という行為の代償が大きいことは明白です。
 そういう事もあり、いくらその場で辛い思いをすることがあっても、自分に非がある場合は、怒っている相手に対し、きちんと謝ることにしています。

2015年07月12日

警告と別れのタイミング

 長年のつきあいがある人がいました。
 出会った頃は、立派な人だと思っていたのですが、関わっているうちに、少しずつ印象が下がっていきました。
 特に閉口したのは、唐突に「自分の昔の武勇伝」を話し始めることでした。しかも、その武勇伝の割には、日頃の言動が「小さい」のです。
 そうこうしているうちに、段々と本質が見えてきて、結局、縁が切れる事になりました。
 その直後、ネットで大きく拡散されている「父親から娘へのメッセージ」を見ました。
 そこで一番最初に出てきたのは、「自分をことさら大きく見せようとする人を信用するな」でした。
 なるほどな、と思うと同時に、もっと早くこれを読んでいたら、その「武勇伝好き」の人ともっと早く縁が切れていたかもな、などと思いました。

2015年07月10日

高圧洗浄

 アパートの管理会社による高圧洗浄がありました。
 台所・風呂・トイレなどの排水口に高圧の水を流して、管にこびりついた汚れを落とす、というものです。
 ちょうどこのアパートに住み始めた時、仕事で突如、自社ビル管理の担当者になりました。そして、ビル管理を委託している業者から、「そろそろ高圧洗浄をする必要がある」と言われ、見積書を出された事がありました。
 当時の自分にはビル管理に関する知識など何もなく、それがいったい何なのか、今すべきなのか、値段が妥当なのかのいずれも分かりませんでした。
 しかも、それを上司である役員に説明・報告しなければならないのです。
 えらく苦労した事は、17年経った今でもよく覚えています。

 それだけに、高圧洗浄があると聞いた時は、懐かしさを覚えました。
 同時に、このアパートに来て今年で18年目だけれど、これをやるのは始めただな、と思いました。
 このアパートは築26年なのですが、このくらいの住宅なら、四半世紀に一回やればOKというものなのでしょうか。それとも、住民から排水の流れが悪いというクレームがあって、それに対処する形で行われたのでしょうか。
 そんな事を思ったりしました。とりあえず、高圧洗浄後は、風呂の水を落とす事が非常にスムーズになり、助かっています。

2015年07月07日

誰もが失敗すると分かっていても推進されるもの

 五輪にあわせて国立競技場が改築されます。その工費が2520億円になる、という発表がありました。
 もちろん、これは現時点の金額です。この類の「建築費」は作業が始まったあと、予算以上に膨らむのは定番です。それに加え、今後の維持・改築のために1000億円かかる事も確定しているそうです。
 それだけの大金が投じられるわけですが、それが国民生活に役立つ可能性はゼロと断言できます。
 「経済効果」は受注したゼネコンの内部留保と、それによって株価が上がる事によって得した投資家(含・外国人投資家)にしか及びません。
 一方、建築費用の増加が税金で賄われ、その分を福祉削減で賄おう、という動きが出てくるのも火を見るよりも明らかです。

 10年前に五輪を開催し、過剰な投資で競技場を作ったギリシアが、そのツケで現在どうなっているかを見れば、よくわかるでしょう。
 にも関わらず、このような無謀な計画を進めるのですから、呆れるよりありません。
 もちろん、これを通すことにより、担当者はいい思いができるのでしょう。そのツケを多くの国民が支払わされるわけです。
 80年前の戦争をはじめ、これまで、色々な形で「失敗するのが明らかであるにも関わらず実行して予想通り失敗した」という事例がありました。そのなかでも、この「新国立劇場」は桁違いの失敗例になりそうです。
 それが目の前で進む事に、忸怩たる思いがあります。無力な一個人ではありますが、何とかできないものだろうか、と思ったり考えたりしています。

2015年07月04日

ベタなボケ

 仕事が終わって帰宅する際には、相方の携帯に電話を入れるのが我が家の習慣です。
 今日もかけたのですが、向こうも仕事中という事もあり、しばらく呼び出し音が鳴りっぱなしでした。
 ならば、待っている間に、忘れ物チェックでもしようかと思いました。
 自分が職場に忘れやすいものとして、腕時計と携帯があります。
 そこでまず、左腕をさわって、腕時計をしている事を確認しました。
 続いて携帯です。こちらは胸ポケットに入れているのですが、そこは空っぽでした。
 おかしい、どこに携帯を忘れたのだろうか、先ほど充電していたのを外してポケットにしまったはずなのに…とうろたえました。
 しかし数瞬後、今、自分が何を使って相方に電話していたかに気づきました。
 世の中には「メガネメガネ…」をはじめ、いろいろなボケがあります。それを自ら実践した、という事に、我ながら呆れました。

2015年07月01日

区切り

 月が変わり、2015年も後半に入りました。
 ほんの少し前に正月を迎えたと思っていたのですが、月日が経つのは早いものです。
 この半年間も、色々な事がありました。相も変わらず面倒な事が多々ありました。その中で、長年の付き合いに対する別れを決意する一方で、進むべき方向がかなり明確になったりもしました。
 その結果、このサイトの運営方針も少なからず変わると思われます。
 それによってこれまで読み続けてくださった方がどう思うか、という不安はあります。
 とはいえ、17年前に開設してからの基本的概念である「書きたいときに書きたいことを書きたいように書く」は変えたくありません。
 というわけで、少々毛色が変わるかもしれませんが、これからもよろしくお願いします。

2015年06月22日

久々の横浜

 一昨日の話の続きで、土曜に横浜に行った話を。
 横浜の目的地は桜木町駅から歩いて行くところでした。そこで、横須賀線で横浜に行ったあと、根岸線に乗り換えました。
 右手には、2004年に「みなとみらい線」開業との兼ね合いで廃止になった東横線の横浜ー先蔵木町間の線路跡がありました。
 廃止されて11年経ちますが、高架はそのまま残っています。そして、高島町駅の跡はホームも残っており、雑草が生い茂っていました。
 日本で二番目に大きい都市の中心部近くに、このような「廃墟」が残っている事に驚きました。
 根岸線の高架脇で、下は道路です。「再開発」の需要はなさそうです。耐震基準などで強制的に撤去されるまで、この「廃墟」は残るのだろうか、などと思いました。

 予定が終わったあとは、みなとみらい線の馬車道駅近くで食事をしました。店に向かっていると、111年前に銀行として建てられて、現在は博物館になっている建物がありました。
 そのような文化財が、街なかに普通に建っている、というのにちょっと驚かされました。
 かつて横浜は自分の本籍地でもあり、子どもの頃から何度も行っていました。
 その横浜の、色々な「意外な一面」を見ることができた一日となりました。

2015年06月16日

カップ焼きそばから憲法まで

 異物混入で販売自粛していたペヤングのカップ焼きそばの販売が再開されました。
 カップ焼きそばの元祖的存在であり、自分も何度も食べたことがあります。
 それだけの人気商品なだけに、販売再開はニュースとなり、大いに話題となりました。
 そして、それを報じた読売新聞の記事が「衝撃的」でそれがまた話題になっています。

 再開されたカップ焼きそばを食べる模様を「取材」しているのですが、その文面は四角い容器に熱湯を注ぐと、店内に食欲をそそるソースのにおいが立ちこめるとなっていたのです。
 言うまでもない事ですが、カップ焼きそばはカップラーメンと違い、お湯を入れて3分経ってから一度湯を捨て、その後にソースなどを入れます。したがって、記事のような現象は発生しえません。
 記者がろくに取材せず、「カップめんの焼きそばなんだから、お湯を入れればソースの香りが立ち込めるだろう」と勝手に思い込んで記事を書いてしまったのでしょう。
 現場に行けなかったとしても、どこかでカップ焼きそばを購入し、3分かけて自分で作ればこんな間違いはするわけがありません。それを惜しんだため、大恥を書いたわけです。
 ちなみに問題となった記事のタイトルは「3分待てない!-不安の声も」でした。結果的に記者の取材状況を如実に表してしまったわけです。かなりの皮肉になってしまった思いました。

 まあ、読売新聞と言えば、自称医者がふれまわった「IPS細胞を使った手術」を裏を取らずに一面トップにした、という「実績」があります。
 さらに先日の社説では、九割以上の憲法学者が違憲だと断じた法案を「そんな事論じるまでもなく合憲だ」という趣旨のことを書いていました。
 憲法からカップ焼きそばまで、ここまで事実と乖離した事を堂々と書けるわけです。そう考えれば、「社としての整合性」だけはとれているよな、と思ってしまいました。

2015年06月13日

記念日と区切りの日

 今日は今の仕事を始めた三周年記念日でした。
 記念日といっても、さほどめでたいわけではありません。なにしろ、人様に胸を張って誇れるような結果は出せていないのです。
 とはいえ、三周年を迎えることができたのは嬉しい事でした。というわけで、開業前からずっとお世話になりっぱなしの弟に声をかけて、ささやかな祝杯をあげました。
 来年の四周年記念日は、もう少し豪華な祝杯があげられるようにしたいものだ、と思いました。

 その一方で、今日は前の職場での想い出の品を捨てました。
 それは、前の職場に入った年に倉庫整理をし、そこで発掘(?)されたついでに貰ったバスタオルでした。
 自分がその職場に入社する前、何かの記念で社名ロゴ入りのバスタオルを作ったものの余ってしまい、倉庫で眠っていたと聞きました。
 それを7年ほど使い続けてきたのですが、だんだんと傷んいきました。何とか我慢して使い続けたのですが、ついにバスタオルとしての機能を果たせなくなってしまい、廃棄せざるをえなくなりました。
 その職場にいたのは4年弱でしたが、いろいろといい思い出もありました。それだけに、辞めてからもバスタオルも大切に使っていたのですが、ついに諦めました。
 そういう点においても、「区切りの日」になったと思った三周年記念日でした。

2015年06月11日

「音楽を聞きながら自転車運転」の対価

 稲毛区で、ヘッドホンで音楽を聞きながら自転車を運転していた人が、人をはね、被害者が亡くなってしまった、というニュースを見ました。
 稲毛区は自分の住む花見川区の隣で、何度か自転車で行ったこともあります。それだけに他人事とは思えませんでした。
 それにしても不思議なのは、なぜそこまでして「自転車運転中に音楽を聞かねばならないか」という事です。
 今回は聞いていた人が加害者になったわけです。しかしながら、聴覚が遮られていては、逆に自分が被害者になる可能性だって十二分にありえます。

 別に自分も音楽を聞くのが嫌いなわけではありません。
 かつて電車通勤をしていた時は、携帯プレイヤーとイヤホンで音楽を聞きながら電車移動していました。しかしながら、駅を降りて移動するときは、聞くのをやめていました。それくらい、音が聞こえない中、公衆の中を移動するのは怖かったのです。
 そういう事もあり、自転車運転中にイヤホンで音楽を聞くなど、正直信じられません。
 6月からの道交法改正の際に、「自治体によって『片耳イヤホン』が摘発の対象になったりならなかったりする」などというニュースを見ました。
 しかしながら、今回の事もあり、「そんな摘発云々より、自分の安全を守るために、『聞きながら運転』はやめるべきだよな」と改めて強く思いました。

2015年06月09日

不審電話

 職場で昼食をとっていると、非通知の電話がかかってきました。
 出てみたら「東電の代理店でメーター検査をしている業者です。お伺いして点検をしたいのですが」と言ってきました。
 たまたま先月、東電が電気メーターを交換したばかりです。その直後の点検など普通ありえません。さらに言えば、そんな業者が非通知でかけてくるのも非常識です。
 そこで、「ならばいらっしゃる時に東電の書類を持参してください」と言いました。すると、口ごもりだし「書類は用意していないんです」と言ってきました。
 そこで、「書類なしの点検なんてありえないでしょう」と言ったところ、ガチャ切りされました。
 かなり怪しすぎる電話ですが、「東電の代理店」と名乗れば、ダマされる人もいるでしょう。それを狙った詐欺なのだろうか、と思いました。

 もっとも、このような身分詐称の犯罪は珍しいですが、「詐欺まがい」ならこの何十倍もかかってきます。
 特に、「NTTの代理店」および「相続税対策」と名乗る電話、また、「もしもし」とだけ言うと、こちらの名前を執拗に聞いてくる電話は、100%詐欺まがいです。
 これだけ色々な詐称・詐欺まがい電話がまかり通っている現在、「知らない人からの電話は全て疑うべき」と判断せざるをえないよな、と思いました。

2015年06月08日

分散ラジオ体操

 朝早く、近所の公園の前を通ったら、ラジオ体操の音楽が流れていました。
 そこで、公園を見たら、二十人くらいの人が集まって、ラジオ体操をしていました。
 小学校の時、夏休みに早朝ラジオ体操に出た時がありました。「朝に集まってラジオ体操をする人たち」を見るのは、それ以来、約35年ぶりくらいかもしれません。
 懐かしさをおぼえつつ見ていたのですが、ちょっと不思議な事がありました。
 ラジオ体操している人たちが、えらく距離をとっているのです。
 もちろん、あまり近づいていては、手がぶつかってしまいます。しかしながら、体操している人たちは、それとは桁違いの「体操間距離」を取っているのです。
 それぞれ、自分のテリトリーを持ち、そこを干渉しない、というルールが暗黙のうちにできているのでしょうか。
 ちなみに、体操している人は、いずれも自分より年上の人でした。
 自分の子供の頃は、もっとみんな、必要最小限の距離だけあけて体操していたはずですが…。
 35年見ない間に、「ラジオ体操文化」もかなり変わったものだな、と思いました。

2015年06月07日

ゲンの悪いマシン?

 先月、相方がPCを買い替えました。ところが、これがトラブル続きです。
 まず、箱から開けて起動したら、いきなりハードディスクから異音が発しました。
 プライベートと仕事をあわせると、パソコンの新規購入をしたのは100台を越えますが、こんな初期不良は初めての事です。
 そして交換してちゃんとした新品が来たのですが、ここでは我が家のミスもあって、データ移行でえらく手間取り、合間に一度、初期化をするような事もありました。
 その後も色々とトラブルが発生し、今日も、朝6時半に起きてトラブル対処をする羽目になりました。
 なかなか安定してくれず困ったものです。
 まあ、「出来の悪い子どもほど可愛い」ではないですが、トラブル対応が多いと、それだけ思い入れも出てきます。
 落ち着くまで当分掛かりそうですが、なんとか面倒をみていきたいものだと思っています。

2015年06月03日

メール離れ?

 大学のOB会の連絡で、10年以上メールを使っています。
 ところが、最近、とみにレスポンスが悪くなりました。
 なんか、トラブルでもあってメールが不着になったのか、と心配したほどでした。
 特に重要な人には、電話を入れたのですが、いずれも「読んだけど返すの忘れてた」という反応でした。
 もっとも、これは他人ごとではありません。
 自分も、最近になって、メールが来ても題名だけ見て読まなかったり、読んでも返信をしない、という事が増えています。

 その原因のひとつは、「メールが多く来すぎる」というのがあるのでは、と思います。
 たとえば、仕事関係で、公的機関も含め、いくつかのサイトに登録しているのですが、そこから、毎日メールマガジンが届きます。
 書いてある内容はかわりばえのしないもので、配信頻度を週一に減らしても、何ら困ることはありません。
 そんなのばかりが毎日来ると、だんだんと読まなくなります。
 このような傾向は、自分や大学の先輩・後輩に限ったことではないのでは、と思います。
 メールという便利な連絡手段を皆が有効に使い続けるためにも、メルマガを始めとした「無駄なメール」を減らす時期が来ているのでは、と思っています。

2015年06月02日

超高層ビルとエレベーターと地震

 今更ですが、土曜日の地震には驚きました。
 NHKでサッカー中継を見ていたのですが、ちょうどPKになり、これから蹴る、というところで地震となりました。その結果、NHKはサッカー中継を中断して、地震情報を流し始めました。
 数分で地震の被害は特にないことが分かった事もあり、「NHKの建物内で撮った地震画像なんかどうでもいいから、PKの結末を流してほしい」とずっと思っていたのですが、画面がサッカーに戻ることはありませんでした。

 それはともかく、後日、この地震で高層ビルのエレベーターが止まって高い所にいた人が降りるのに苦労した、というニュースを見ました。
 それは災難だったと思いますが、地震があってもエレベーターを動かしたら、どんな二次災害があるか分かりません。したがって、エレベーターが止まる事自体は当然です。
 また、それに関して、非常階段の入口が施錠されていた、という話も聞きました。
 どう考えても消防法違反なのですが、ビルとしては防犯上、施錠せざるをえない、という考えのようです。
 色々な点において、世の中の歪みゆえに、現状とかつて当然だったルールが乖離していると思いました。
 いずれにせよ、とりあえず、万が一の地震に備え、超高層ビルのてっぺんなどには出入りしないのが無難だな、とは思いました。

2015年05月30日

ヨタ話の寄せ集めが「新聞記事」に

 Googleニュースを見ていたら、「国際」のトップ「W杯日本開催に?」でネット興奮、などという見出しが踊っていました。発信元は徳島新聞になっています。
 知っての通り、日本では2002年にW杯が行われています。さらに、7年後の2022年まで、すでに開催地は決まっています。
 にも関わらず、何を根拠に、徳島新聞は「W杯日本開催」などという発信をしたのだろうか、と不思議に思い、リンクをクリックしてみました。

 するとそこには、驚くべきに「記事」が載っていました。
 ここ数日話題となっているW杯の贈収賄事件が発覚したため、開催地が変更になるとツイッターに書いている人がおり、その中に、開催地が日本に変更になるとつぶやいた人もいる、というだけだったのです。
 もちろん、それに関して何か取材したわけでも、専門的知識のある人から談話を取ったわけでもありません。
 ただ、ツイッターに投稿された発信元も定かでない「つぶやき」をかき集めただけです。

 さらによく見たら、URLは徳島新聞ですが、記事の上に「R25」というロゴがついていました。一時期話題になった、リクルートの無償配布情報誌です。
 どうやら、徳島新聞とリクルートが契約し、R25の記事の一部を転載しているようです。
 何のためにそんな事をするのかわかりません。まあ、そうすると徳島新聞に何らかの利益が生じるのでしょう。
 とはいえ、いくらなんでも記事の質が低すぎます。こんな「誰が書いたかも分からないネットの匿名つぶやきの寄せ集め」を「徳島新聞」の名で発信するのはいかがなものでしょうか。
 改めて「マスコミの劣化ぶり」を感じさせらました。
 あと、「R25」の名前を見たのも久々でした。一時期、よく話題になっていたものの、最近はとんと見かけなくなりました。まあ、こんな「記事」を発信しているようでは、話題にされなくなったのも同然だな、と納得させられました。

2015年05月29日

守られない「決まり」

 最近、ニュースやネットで新宿の悪質飲食店の話をよく見ます。
 それを見て、5月の連休に久々に新宿に飲みに行った時の事を思い出しました。
 区のほうで「客引き禁止」の条例ができたそうで、街なかではそれを繰り返しアナウンスしていました。
 ところが、路上にはその音が流れる中、大量の客引きがいました。
 しかも、あらかじめ行くつもりだった店に入ろうとしたら「あ、うちに来てくれるのですね。今席を確認します」と言ってどこかに電話し、十数秒後に「すみません。今、満席でした。でも、系列店の○○なら空いていますよ」などと言ってくるような詐欺まがいの客引きすらいました。
 しかしながら、それを「条例違反」として告発する事はできません。

 つまり、条例をつくり、スピーカーで宣伝はしていますが、実態は「ザル条例」なわけです。
 まあ、これは新宿区に限った事ではありません。我が千葉市にも「路上喫煙・ポイ捨て防止条例」があるのですが、道行く人は平然とたばこを吸いながら歩いています。
 中には、「ポイ捨て禁止」という市の案内板の前に、平然と吸い殻を捨てる輩すらいます。
 もちろん、街中に「ポイ捨て監視員」が歩きまわり、違反者は即拘束、というのは現実的には難しいですし、そんな街なか風景はちょっと怖いものがあります。
 とはいえ、もう少し、条例の実効性を担保する手段があってもいいのでは、とは思いました。

2015年05月27日

20年前の別れ

 ツイッターで、猫との別れを語っている方がいました。
 これまで、猫と過ごした幸せな時間、そして、それを共有させてくれた猫に、心からの感謝を書いていました。
 その愛情の深さに、自分と猫との別れの事を思い出しました。
 同時に、最初に猫と別れて、今年で20年になる事に気づきました。
 それだけ昔の話ですが、当時の実家の軒先で、二匹の猫と遊んだ事は、今でも鮮明に覚えています。
 それほどまでに、彼女たちは、自分の中で生き続けているのだな、と思いました。
 そして、久しぶりに、箪笥の上に飾っている、彼女たちの写真を見ました。
 同時に、それを思い出すきっかけを作った方に感謝し、かつ会ったこともないその方の猫の事を思い、寂しい気持ちにもなりました。

2015年05月24日

思うことと口にすることと文字にすること

 ネットには匿名で好きなことが言える場所が色々とあります。ストレスが溜まった時に匿名でネットに書けば、発散になるのかもしれません。
 ただ自分は、それはやらないようにしています。
 生きていれば、身近な人に対するマイナスの感情は必ず発生します。しかし、思っただけならば、そこで「一時的な感情」として終わる可能性も高いと思います。

 しかしながら、それをネットで文字にし、さらにそれに賛同されたりすると、話は変わってきます。
 賛同され、しかもそれがネット上とはいえ、形に残ってしまった以上、それは、「具体的な事実」となってしまい、「一時的な感情」ではなくなってしまいます。
 そうなると、ストレスを感じた相手に対する気持ちも変わってしまうのではないでしょうか。
 その結果、すぐに消えるような一時的な感情ですんだはずのものが、確固とした事実として残ってしまい、相手に対する考え方まで変わってしまう、という事もおきそうです。
 それによって失うものは、一時的にネットで賛同された快さを大きく上回るのではないか、と思っています。
 という事もあり、自分は、身のまわりの人に対する一時的な感情は、このブログを含め、絶対に書かないようにしています。

 もっとも、これはあくまでも、一時的な感情かつ身近な話だけです。
 世の中で起きている、不条理やおかしいことなどは、論理的にまとめる事ができたら、どんどんそのおかしさを発信すべきだと思っています。
 もっとも、そちらのほうの発信は、とくにここ数年、うまくいっていません。そちらのほうは、むしろ積極的に発信せねば、と思っています。

2015年05月22日

誕生祝い新システム

 実家で誕生祝いをしてもらいました。
 子どもの時は、ケーキにロウソクを年齢の数だけ立てて、吹き消したりしたものでした。
 いつまでやっていたか覚えてはいませんが、多分、30年くらいはご無沙汰していると思います。
 ところが、今回は、お茶を飲む段になって、面白い物が出てきました。
 紙に誕生パーティーのイラストが書いてあり、電飾が光っています。そして、ボタンを押したら、誕生祝いの曲が流れました。そして、電飾に向かった息を吹きかけると、ロウソクの炎のように消えるのです。
 というわけで、約30年ぶりくらいに「誕生日に息で吹き消す」をやりました。
 少々照れくさいものもありましたが、やってみると楽しさがありました。
 それも含め、楽しい誕生祝いをしてもらいました。主催してくれた両親並びに、参加してくれ、かつ自分が犬の面倒をみている間、美味しい餃子を作ってくれた、相方・姉・弟に心より感謝しています。

2015年05月21日

「応援」いろいろ

 内閣官房がツイッターで【女性応援ブログ】朝起きるのが辛い日も作るのが億劫な日もある。それでもmomoさんが毎日早起きをしてキャラ弁を作れる理由とは?という言葉で、「キャラ弁研究家」の女性を紹介して、大不評を買いました。
 当然の話で、こんなのを真に受けられ、「貴女も、このmomoさんのように、朝起きるのが辛い日でも、作るのが億劫な日でも、ちゃんと弁当を作って」などと家族に言われたら、奥さんとしてはたまったものではないでしょう。
 いったい、これのどこが【女性応援】なのだ?と思いました。しかしながら、しばらくして、「応援」にも二種類の手法があるという事を思い出しました。

 スポーツを応援する人は、当然ながらチームが勝利すれば喜びます。そういう意味では、皆同じと言えます。しかしながら、その過程において、大きく分けて、二種類のパターンがあります。
 一つのパターンは、選手が成功すれば喜び、失敗すれば励ます、というタイプです。最近は、こちらのほうが主流になっているような気もします。
 もう一つのパターンは、失敗すると、選手や監督などを罵倒し、ひどいときには物を投げつける、というタイプです。
 かつてはこちらのほうが、多かったようで、昔の野球選手の伝記などを見ると、いろいろなひどい話が書かれています。
 それを思い出し、この「内閣官房」の応援は後者の意味なのだな、と理解しました。確かに、「期待」はしています。しかしながら、そこで求めるのは「朝起きるのが辛い日も作るのが億劫な日も弁当を作る」なわけです。
 もちろん、それができない人については言及していません。とはいえ、【女性応援ブログ】と称して、このような「見本」を出すと言うことは推して知るべしでしょう。
 最近ではかなり少数派になったように見える「罵倒型『応援』」が、今でも国家の中枢に厳然と存在していた、という事を知り、ちょっと驚きました。

2015年05月19日

役立たない標語

 習志野市のツイッターを見ていたら、「イカのお寿司」なる言葉が流れてきました。
 なんでも、子供が変質者に出会った時に心得ておくものとのことでした。
 その中身は『○ついてイカない○誘い(車)にノらない○オおごえでさけぶ○スぐ逃げる○シらせる』だそうです。
 こんなの、大人の自分でも覚えるのが大変です。ましてや、子供、しかも、変質者を見てパニック状態になっている子供が「こういう時は、『イカのお寿司』だ!よし、ついていかず、車には乗らず、大声で叫び、すぐ逃げて、知らせよう」などと判断し、そのように行動するとでも思っているのでしょうか。
 それこそ、「イカのお寿司」ってなんだったっけ、と思い浮かべて突っ立っているいるだけでも、相当危険です。
 「変質者に声をかけられたら、すぐに逃げる。追いかけられたら大声をあげる」と普通に教えて何か不都合でもあるのでしょうか。
 なんで、こんな意味不明かつ役に立たない語呂合わせを使うのか、全くもって理解不能でした。「もしや、標語作成を担当している職員が実は変質者で、目的を達成しやすくするために作ったのでは」とまで思ってしまいました。

2015年05月14日

休むこと

 三年前の今頃、自分の人生始まって以来初ともいえるほどの「長い休み」を取りました。
 もちろん、その間ずっと遊び呆けていたわけではありません。とはいえ、それまでに比べれば、ずっと休めた時期でした。
 という事もあり、その休みが明けてからの三年間は、その「貯金」を生かして、かなり休みを削って頑張ってきました。
 その結果得たものも多いのですが、最近になって少なからぬ疲れを感じるようになりました。
 なにしろ、先週の連休でそこそこ休んだというのに、まだ疲れを感じるという有り様です。
 まだまだ、公私とも、やりたいこと、やらねばならない事は山ほどあります。
 しかしながら、疲れによってそれができないのでは本末転倒です。
 というわけで、三年前の「貯金」も使い果たしたと認識し、今後は、「休み」というものをもっと重視し、かつ効率的に取得せねば、と強く思っています。

2015年05月12日

定義と実態

 夜、職場から帰宅する前に、台風情報を確認したら「温帯低気圧に変わった」と書いてありました。
 台風情報といえば、昔から、「台風が発生⇨進路予想図⇨上陸して被害発生⇨熱帯低気圧もしくは温帯適圧に変わって終息」というのが定番です。
 そのため、最初は、「じゃあ台風はなくなったのか、これで安心して帰れる」と思いました。
 今日は、台風を予測して、自転車は使わず、徒歩出勤でした。そして、温帯低気圧になったのだから、歩いて帰れるな、と思いました。
 しかしながら、ちょっと疲労感がありました。そこで、「温帯低気圧になったとはいえ、雨は降りそうだから、バスで帰ることにしよう、と考えを変えました。
 そして、バスに乗ってしばらくすると、外は豪雨になりました。車内からも激しい雨音が聞こえ、道を歩く人の傘は風で変形しています。
 もし疲労感がなく、歩いて帰っていたら、ずぶぬれになっていただろうな、と思いました。
 名前が「台風」だろうと「温帯低気圧」だろうと、そんなものは人間が決めた定義であり、暴風雨が生じる、という点においては何ら変わりがないわけです。
 今までの台風情報で見ていた「低気圧に変わった」の実態がよく理解できた一日となりました。

2015年05月11日

誰が見ても分かるデマを拡散する人々

 FBを見ていたら、所属しているグループの人が、リンクをシェアしていました。
 そのシェアされているブログは、所属しているグループの主題と何ら関係がありません。
 それだけでもシェアした人の神経を疑いましたが、そのブログを見たら、さらに驚きました。
 ブログの題名は「タブロイド紙が、自分が日頃から追求している疑惑を報道した」となっています。要は、自分の主張がマスコミのお墨付きになった、と言っているわけです。
 しかしながら、ブログの中に、そのタブロイド紙の該当記事へのリンクも、その記事の画像も一切載っていません。つまり、タブロイド紙がその疑惑を報道したという証拠はどこにもないのです。

 今の世の中、実際に新聞が報じたら、それを立証してブログに掲載するのは、非常に容易にできます。
 それができないという事は、「タブロイド紙が報じた」というのが事実でない、という事を明確に物語っています。
 そんなデマを流す人や、それをFBで拡散する人は、それで騙せると思っているのでしょうか。
 ここ何年か、色々な人達が「嘘も百回言えば真実になる」という80年前のドイツを真似して、このような「デマ拡散」をやっています。
 毎度の事ではありますが、このような「拡散」を平然と行える人がいることに、驚き呆れました。

2015年05月08日

別の意味で分かりやすい広告

 ソフトバンクの広告を見ました。
 光回線に関するものなのですが、ソフトバンクの名を冠したラーメン屋に行くと、座るやいなや、ラーメンが出てくる、という展開になっています。
 さらに、水を頼むと一瞬で出てきて、続いて頼んでもいないおかずまで出てくる、というオチになっていました。
 「回線の速さ」を主張したいようですが、これってサービス業的にはどうなのでしょうか。要は、作りおきのラーメンを出しているわけです。
 少なくとも自分がこんな事をされたら、その店には二度と来ないでしょう。

 あと、頼んでもいないおかずが出てくる、というのも、別の意味で「ソフトバンクらしい」と思いました。
 先日、仕事関係で、Bフレッツ使ってソフトバンクをプロバイダに使っている人から相談を受けました。
 その請求書を見たら、絶対に使わないようなオプションサービスを大量に契約させられ、毎月、3,000円も、そのオプションに払わされていました。
 よくある「一時的に安くなるように見せかけて、不要なオプションを契約させられる」に引っかかったのでしょう。
 いずれにせよ、そのやり口と、「頼みもしないおかずを出す」が非常によく似ているので、笑えました。
 「作りおきのラーメンを出す」も含め、この会社の「顧客サービス」がよくわかる、秀逸な広告だと思いました。

 

2015年05月07日

疲れを取ったはずが

 この連休、3日は午後と夜に用事を入れたものの、4・5日はほぼ予定なしで家でのんびりしたり、出かけたりしました。
 昨日は午後から仕事でしたが、午前中はかなり遅くまで休んでいました。
 これだけ休んだのだから、かなりリフレッシュできた、と思っていたのですが、今日もえらい疲労感がありました。
 昼休みに、15分ほどうたた寝するつもりだったのですが、気付いたら昼休みが終わるまで熟睡していた、というほどでした。
 やはり、若い頃に比べると、疲れがとれにくいのでしょうか。繰り返しになりますが、適宜かつ効率的に休養を取らねば、と改めて思った連休明けとなりました。

2015年05月06日

連休終わる

 暦の上では、今日まで休みですが、午後は仕事でした。世間より半日早く連休を終えた形になります。
 というわけで、ちょっと短かったわけですが、3日半も連続して休んだわけです。これだけ続けて休んだのは正月以来です。
 特に、3月から4月にかけては忙しく、1ヶ月以上、一日完全に休めた日はありませんでした。
 それだけ休みがないと、思っている以上に心身とも疲れます。
 たとえば、どうしても作らなければいけない文章がいくつかあったのですが、連休前までは何を書くのか、頭に浮かびませんでした。
 しかし、今日それをやったら、スラスラと文章が出てきました。
 やはり、一定の休みは必要なんだな、と改めて思いました。この経験を活かしつつ、今後のスケジュールを練ろうと思っています。

2015年05月02日

ベストセラーその後

 しばらく前に、偏差値の低い女子高生が、優秀な塾講師の指導で成績を急上昇させ、有名大学に現役合格した、という本が話題になりました。
 ところが、記載内容からその女子高生の所属校を調べた結果、彼女は元から優秀な中高一貫校に通っており、その中で偏差値が低かっただけなのでは、と疑問を提示した人がいました。
 真偽の程はわかりませんが、元々いい学校にいれば、「学校での成績が悪い人が一気に成績を上げて有名大学に行く」は、珍事とは言えません。
 たとえば、灘高校や開成高校で成績下位の生徒が頑張って早稲田や慶応に入っても、驚く人はほとんどいないでしょう。

 別にこの本の真実がどうなのか、はさほど興味がありません。
 ただ、この類の「爆発的に売れた本」については、前から気になっている事がありました。
 たとえば、何年か前に爆発的ヒットをした本に「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」というのがありました。
 マスコミが大きく取り上げた事もあり、売れに売れたはずです。しかしながら、自分の知る限り、「この本を読んで経営に役立てた」とか「この本のおかげで所属している野球部が強くなった」という話は一回も聞いたことがありません。
 また、この本は表紙が「萌系の絵」というのが話題になりました。しかしながら、このキャラである「野球部マネージャー」の名前を知ることはついぞありませんでした。
 普通にヲタ趣味を持っていれば、話題になっているキャラクターの絵と名前は、作品を見なくても、自然と情報として入ってきます。しかし、このキャラに関しては、それは一切ありませんでした。
 この本は売れたのは確かですが、それを実践して役立てたり、そのキャラにハマった人はいなかったのでは、と思わざるをえません。

 こうやって考えてみると、メディアがもてはやす本が、本当に有用なのか、と思わざるを得ません。
 改めて、本を選ぶには、安易に流れている情報をあてにせず、自分でしっかり考えて選ぶ必要があると思いました。
 同時に、それが普通にできるためにも、町の本屋並びに図書館の充実は重要だな、とも思いました。

2015年04月29日

名前がコロコロ変わる日

 4月29日は「国民の祝日」です。しかしながら、その肩書は二度ほど変わっています。
 自分が10代の頃までは「天皇誕生日」でした。そして1989年から「みどりの日」に変わり、いつの間にやら「昭和の日」になっていました。ちなみに、「みどりの日」は5月4日に移転(?)しています。

 別にどんな名義でもかまわないと思うのですが、あんまりコロコロ変えると、逆に安直さを感じてしまいます。
 あと、かつての天皇誕生日を、その天皇の追号を使って祝日にしなければならないなら、「文化の日」は「明治の日」に改名すべきですし、8月31日も「大正の日」という祝日にしなければ、天皇の間に序列をつけている事になるのでは、と気になります。
 もっとも、自分的に、この4月29日が休みになった事はほとんどありません。今の仕事でも前の仕事でも、この日は業務が入っていました。
 というわけで、名義は気になったものの、今日も例年通り仕事をした、「祝日」となりました。

2015年04月28日

意外な所で間接的に事件に関わる

 先日発生し、それから連日報道され続けている刑事事件があります。
 千葉県で発生した事くらいは知っているのですが、刑事事件にはさほど関心がないのに加え、事件の内容を詳しく知ると精神衛生上よくなさそうなので、ニュースはスルーしていました。
 ところが、先日、仕事でお世話になっている人から、その話題を振られました。なんと、被害者の方は、その人が携わっている職場で働いた経験があったとのことでした。
 その結果、その人も、警察から被害者の方についてあれこれ尋ねられ、大変な目にあっているそうです。
 おかげで、一気にこの事件が他人ごとではなくなってしまいました。ついでに言うと、その人の話のおかげで、初めて被害者の方の名前を知ることになりました。
 いずにせよ、何一つ落ち度がないのに、警察に徴収されているその仕事でお世話になっている人には、心底同情しています。

2015年04月24日

マイナス効果しか産まない宣伝

 数カ月前から、フォロワーがツイッターで急に「レイバンのサングラス」を宣伝し始める、という現象が発生しました。
 その悪名の高い「レイバンスパム」がフェイスブックにも侵食してきたようです。
 従来のスパムは、興味を引きそうな情報を餌にして、「もっと見たければこのボタンを押せ」と表示され、それを押すと、乗っ取られてスパムをまき散らす、というものでした。
 それに対し、この「レイバンスパム」は、標的としたアカウントに、「総当り攻撃」をかけて乗っ取ると言われています。
 したがって、短く、類推しやすいパスワードを使っていると、何ら不適切な操作を行わなくても、「レイバンスパム」に乗っ取られる危険が生じます。
 そのため、簡単なパスワードを設定している人は、変更したほうがいいかと思います。
 それにしても、こんな事をして、商品の宣伝になるのでしょうか。
このスパムをきっかけに「レイバンのサングラスなど、絶対買わない」と思うようになったのは、自分だけではないと思うのですが…。

2015年04月23日

第一印象がどれくらいあてになるか

 20年ほど前、雑誌の編集者を数年間やっていました。
 色々と面白い経験ができましたが、その中で一番好きな仕事は「読者コーナー」でした。
 毎月23日発売だったのですが、その中で、一番忘れられない投稿を掲載したのは、今からちょうど20年前の4月23日に発売された号でした。

 その号で、初投稿してきた人がいたのですが、その葉書を一目見て、自分は「この人の投稿は今回が最初で最後になりそうだな」と思いました。
 詳しい理由は省略しますが、その投稿で扱った題材を見た時、そう直感したのです。
 しかしながら、その直感は完全に外れました。その人は、それからも投稿を続け、一年ちょっと後に雑誌がなくなるまでの間、ずっと載り続けました。
 その20年前の事もあり、自分は「第一印象だけで人やもの評価を決めつける」という事は絶対にしないようにしています。

 ちなみに、今日の夕食時に、その常連投稿者だった「翔みなら」である相方と、読者コーナーの思い出話をしました。
 懐かしいと思うと同時に、あれからもう20年も経ったのだな、という感慨をおぼえました。

2015年04月22日

他人ごととは思えない事故

 数日前、世田谷区の環七で、車を運転していた人が突如意識を失い、制御がきかなくなった車が歩道を走っていた自転車にぶつかり、乗っていた40代の男性が意識不明の重体になった、というニュースがありました。
 自分は毎日のように自転車に乗っている40代男性です。しかも、子どもの頃は、環七の沿線に住んでいました。それだけに、他人ごととは思えませんでした。
 それにしても、こればかりは、防ぎようがありません。どんなに安全に自転車を運転していても、そのような状況になった自動車を避けるのは不可能に近いでしょう。
 というわけで、「予防」のしようがない事は頭では分かっています。とはいえ、このニュースを見て以来、自転車の運転は今まで以上に慎重になりました。

2015年04月21日

成分表示

 通勤に使っている道の脇で家を建てていました。
 当然ながら、どの会社が建築しているか、などの表示が掲示されています。それはいいのですが、なぜかその隣に、「家の成分表」が掲示されているのです。
 そこには、柱は○○県産の杉で、壁はアメリカ産の松、などと書いてありました。
 他の建築中の家には同様のものはないですから、法律によって義務づけられた表示ではないようです。
 ということは、建築会社か施主の趣味かポリシーで掲示されているのでしょうか。
 いずれにせよ、毎日通る上に、その掲示が妙に異彩を放っていたので、その「成分」の一部が頭に入ってしまいました。
 もうじき、家は完成しそうですが、今後も、それが眼に入る度に、「あ、これはアメリカ産の松を壁に使っているところだ」と連想してしまうことでしょう。

2015年04月18日

最後の砦が…

 ヤフーで新京成に関する記事のリンクがありました。地元の路線という事もあり、クリックしたのですが、最初の一言を読んで、不可解な気分になりました。
 その記事は新京成電鉄(松戸-京成津田沼、26・5キロ)が21日、全線開通60周年を迎えた。という文言から始まっていました。
 しかしながら、今日は4月18日です。

 一瞬、「先月の記事だったのか」と思いました。しかしながら、画面の上には「産経新聞 4月18日(土)10時20分配信 」と書いてあります。
 念のため、新京成のサイトを確認しましたが、やはり開業記念日は4月21日でした。
 4月21日に載せる予定の記事を間違えて今日配信してしまったのでしょうか。それとも、書いた人が18日配信予定にも関わらず、過去形で書いてしまったのでしょうか。
 些細なミスではありますが、かなりありえない事です。新聞社の記事ですから、記者の他にチェックする人もいたはずです。そのどちらも、気付かなかったわけです。

 この記事を配信した産経新聞というのは、間違いのみならず、意図的な嘘を載せること、さらにはその誤りを正さない事で知られています。
 何年か前には、ある役所に対し、事実と180度違う事を書き、翌日にはその役所から抗議がきました。そして、記事が誤りである事も明らかになりました。
 にも関わらず、翌日のコラムで、その既に誤りが明らかになった記事を前提に、その役所を批判した、などという事すらありました。
 そのため、産経新聞に対して、「日付しか信用出来ない」という皮肉が寄せられます。
 ところが、この「記事」では、その日付すら信頼に値しなかったわけです。
 あまりの雑さに呆れました。しかし直後に、まあ、他の「記事」が信用出来ないのに、日付だけが信用できるわけもないか、と納得しました。

2015年04月17日

かなり久しぶりの眼医者

 昨日あたりから、右の目尻に違和感をおぼえるようになりました。
 相方に見せても、腫れていると言われました。
 そこで、眼医者に行くことにしました。
 前回、眼医者に行ったのは、二十代の頃に、眼科の処方箋を元にメガネを作った時以来でした。
 きちんと覚えていないのですが、多分、20年は間があいていたと思います。

 その久しぶりの眼医者ですが、来たらいきなり、眼圧と視力の検査をさせられました。さらに、検査も、お医者さんの触診などほとんどなく、検査機器を通して行われました。
 20年近くあいたのだから当然ですが、時代は変わったな、と思いました。
 その中で、ほんの少しだけ触診があったのですが、その時は、ちょっと身構えました。
 これは、その前回の眼科からさらに15年ほど前の小学生の時、眼科の治療で痛い目にあった事に起因しています。
 そのような記憶は、35年経っても、消えないものなのだな、と我ながら驚きました。
 ちなみに、痛みの原因は花粉症でした。今年は症状があまり出ないので、薬なしで乗り切ろうと思っていたのですが、やはり無理だったようです。
 というわけで、来年は、早めに病院で花粉症対策を行おう、と強く決意しました。

2015年04月16日

物騒な時代ゆえの変化

 先日、「入社式に親がついてくる」という記事の見出しが目に入りました。
 この類の「今の若者は甘やかされている」的な煽りは苦手なので、記事は読みませんでした。
 しかしながら、その見出しについて考えているうちに、ある事に気づきました。
 新卒社会人の年齢は22〜24歳です。その親となれば、自分と同じ世代です。当然ながら、その頃は、入社式に親がついてくることはありませんでした。
 つまり、今の「親世代」は、自分たちがされなかった事を、自分たちの子どもにしているわけです。

 よくよく考えれば、その理由は分かります。
 たとえば、我々が学生の頃は、アルバイトでのトラブルなどありませんでした。
 休みを利用し、気楽に働き、そこそこいい時給を貰ってそれを小遣いにして遊べたわけです。
 そんな感じだったので、バイトで困ることはありませんでした。当然、親にバイトの事で相談することもありませんでした。
 しかし、今では「ブラックバイト」などという言葉が一般化するほど、アルバイトの環境も悪化しています。最低賃金ギリギリの時給なのに、「バイトリーダー」などと責任は社員並みです。
 そして、売上が悪ければ、自腹で商品の買い取りをさせられるわけです。法律的には完全に違法ですが、普通の学生バイトにはわからないでしょう。
 そして、新入社員も、いきなりパワハラに見舞われます。マスコミも、この季節になると「トンデモ新入社員特集」などと称して、新人イジメを奨励するような特集を組むほどです。
 そう考えれば、親が心配するのも当然です。
 つまり、そこまで親が心配しなければならないほど、世の中が世知辛く、かつ物騒になってしまったわけです。
 それを考えれば、おかしくなったのは「親」でなく「社会」なんだよな、と思ったりしました。

2015年04月13日

15年ぶりの喜び

 一年半ほど応援していた人が、結果を出しました。
 昨晩のネットでそれを知り、喜んだのですが、気がついていたらかなりの汗をかいていました。我ながら、相当心配していたのだな、と驚きました。
 今朝、お会いする機会があったので、お祝いを言ったのですが、一瞬、涙ぐみそうになりました。
 自分や家族以外の事で、これだけ喜んだのは15年前に大学の将棋研究会で後輩たちが日本一になった時以来かも、などと思ったりしました。
 もっとも、今回の成果はあくまでも出発点です。より素晴らしい結果を出していただけるよう、自分も微力ながら応援できれば、と思いました。

2015年04月12日

ハメ技台

 昨日行われた将棋のコンピュータソフトとプロ棋士の対戦で、プロ棋士が、コンピュータのプログラムミスを衝く手を指し、それを見た開発者が、即座に負けを認める、という事が起きました。
 この対戦は、事前に対局するプロ棋士がソフトを借りて研究できます。一方、対局相手に貸し出した後は、ソフトの改良はしてはいけない、という決まりだそうです。
 したがって、期間中にプロがこのようなプログラムミスを発見すれば勝つわけです。

 実際、今回プロ棋士が衝いたプログラムミスは、1ヶ月くらい前にアマチュアの人がそれを衝いて勝利していました。したがって、改良が許されない以上、同じ事をプロがやればコンピュータソフトが負けるのは当然と言えるでしょう。開発者が投了するのも無理はありません。
 結果的に、正面からぶつかりあっての力勝負にはなりませんでした。そのため、それを衝いたプロ、および衝かれたら即座に負けを認めた開発者の双方にも批判的な意見があるようです。
 しかしながら、今回のルール設定でやれば、プログラムミスを発見したプロがそれを衝くのは当然の事です。逆に言えば、それによる勝利を認めていたからこそ「ミスが発見されても改良は認めない」というルールにしていたわけです。

 この話を見て思ったのは、20代のころ、自分がハマっていた、対戦格闘ゲームでした。
 これにも、プログラムミスを衝いた「ハメ技」というのが存在し、それを使えば最後、勝敗が決まってしまう、という現象が生じました。
 そのため、当時の大型ゲームセンターには「ハメ禁止台」と「なんでもあり台」が存在しました。そのような「ハメ技」が嫌な人は、「禁止台」で対戦格闘を楽しんだわけです。
 そんな事を思い出しながら、今回の対戦は「なんでもあり台」で行われていた格ゲーに似ているな、と思いました。
 そういう事もあり、「ハメ禁止ルール」でやっていたら、どのような結果になっていたのだろうか、とも思いました。

2015年04月10日

ひさびさの完全休養日

 ここのところ、色々と立てこんでおり、休みの日も、なんらかの業務的な用事を入れざるを得ませんでした。
 もちろん、それで一日中潰れる、というわけではありません。とはいえ、少しでも業務に費やすと、やはり休めた気分にはなりません。
 幸い、今日は、何一つ予定が入りませんでした。
 そこで、相方の買い物につきあったのと、30分ほど散歩をした以外は、家から出ませんでした。ついでに、幕張本郷の町域からも一歩も出ませんでした。これは正月休み以来かもしれません。
 おかげで、そこそこリフレッシュできました。やはり、たまには休まないといけませんね。明日からまた頑張ります。

2015年04月09日

玉子無料デー?

 朝、小腹が空いたので、マクドナルドに寄ってソーセージマフィンを買いました。
 職場で包みを開いて食べようとしたのですが、いつもと質感が違います。よく見たら、卵が入っており、「ソーセージエッグマフィン」となっていました。
 立ち食いそばですとよく、「本日、玉子無料デー」という宣伝を見かけます。マクドナルドでも同様のキャンペーンを始めたのだろうか、などと一瞬思いました。
 しかし、店でそんな掲示を見た記憶はありません。したがって、これはオーダーミスだったんだな、と納得しました。
 しかしながら、その時、店は空いており、先客が一人いただけでした。そのような余裕のある状況でこんな間違いが起きたわけです。
 こちらとしては、卵一個分得したわけですから、もちろん不満はありません。とはいえ、 最近の報道もあり、「マクドナルド、大丈夫だろうか」と思ってしまいました。

2015年04月08日

4月の雪

 朝、外を見たら雪が降っていました。
 あとでニュースを見たら、関東で4月に雪が降るのは2010年以来5年ぶり、と出ていました。
 しかしながら、その5年前の雪の記憶は何一つありません。このブログの2010年4月も読み返してみたのですが、雪に関する記載は何一つありませんでした。
 その一方で、27年前の「4月の雪」は、今でもよく覚えています。
 ちょうどその日は大学の入学式の翌日でした。いわゆる「新歓」が学校で行われていたのですが、そこで怪しい宗教サークルの勧誘を受けたのでした。
 そのおかげで、今でも、「大学の入学式翌日に雪が降った」という事は鮮明に覚えています。
 奇しくも、その日も4月8日でした。それを思い起こし、次の「雪が降る4月8日」はいつになり、そのとき、自分は何をやっているのだろうか、などと思ったりしました。

2015年04月06日

同音異字の迷惑な人

 千葉市の隣にある市原市で選挙に出馬している、竹内直子なる候補が、大顰蹙を買っています。
 一応、民主党で出ているのですが、自分の宣伝チラシに、安倍首相とのツーショット写真を掲載したのです。

 一見、「なんで敵対する政党と?」と驚く人も多いかと思います。しかしながら、少なくとも千葉の県議会や市議会では、民主党と自民党は「オール与党」を結成しており、違いなどほとんどありません。そのため、本人も、特に問題となるとは思わず、その写真を使ったのでしょう。
 ところが、それがネットに出回って顰蹙を買うとパニクってしまい、「そのようなパンフレットを作った記憶はない」などと言い出したのです。
 80年ほど前のドイツで使われた「嘘も百回言えば本当になる」をやろうとしたのでしょうか。しかしながら、そんな嘘はすぐにバレてしまい、謝罪に追い込まれました。

 なかなか嗤える事件だったので、ツイッターでこの竹内直子候補の事を検索してみました。すると、上のほうは今回の件ばかりだったのですが、途中からセーラームーンの絵が並ぶようになりました。
 セーラームーンの作者は「武内直子」さんです。しかしながら、「武」を「竹」と間違えて覚えている人が多く、この「ツーショット候補」の名前を間違えてツイートしていた人が多々いたのです。
 まあ、「たけ」で始まる苗字を持つ人の宿命と言えるかもしれません。
 この、ツーショット写真とセーラームーンが混在するツイッター画面を見た時は、「たけうちなおこ」繋がりを利用して、記者会見などで「月にかわってお仕置きされました。水でもかぶって反省します」とでも言えば、少しは顰蹙を薄められたかも、などと思いました。

2015年04月02日

シュミレーション

 とある株式会社と打ち合わせがあり、応接間に通されました。
 待っている間に壁を見たら、10箇条からなる社訓と思しきものが掲示されていました。
 えらく面倒な事を社員に求める内容となっており、そこで働いている人に同情したくなったほどでした。
 その中の一つに「シュミレーションを繰り返せ」などというものがありました。
 元の言葉は「Simulation」ですから、カタカナで書けば正しくは「シュミレーション」ではなく、「シミュレーション」のはずです。

 確かに、この書き間違いはよく見かけます。しかしながら、外部の客が見るところに堂々と掲げているのは初めて見ました。。
 普通の組織なら、トップが「シュミレーション」という原稿を書いても、誰かが「正しくは、シミュレーションです」と指摘し、修正されるでしょう。
 それがないという事は、他の全社員も「シュミレーション」だと信じているか、社長の誤記を指摘できない環境なのかのいずれかでしょう。
 前者は相当ありえないので、後者と考えるのが自然です。
 自分も、以前いた零細企業で、社長がとんでもない無意味な命令を出した際に「それって意味が無いですよ」と言ったら、即座に「俺の言うことが聞けないなら、いつでも辞めてもいいよ」と言われた事がありました。
 もっとも、今の世の中を見ていると、こんな事よりもずっと大きな規模で「皆がトップの力に屈しているため、どう考えてもおかしい事がまかり通ってしまう」という現象が起きています。
 それを考えれば、この「『シュミレーション』と堂々と応接間に掲示する」は、時代の縮図みたいなものなのだろうな、などとも思いました。

2015年04月01日

まだ見ぬ新人に敵意を煽る記事

 今日は4月1日、各所で入社式が行われたと思われます。
 その新入社員に対し、日経と日刊ゲンダイが「対策記事」を書いていました。
 いずれも、過去の例を元に、「非常識な新入社員」を描き、その「非常識ぶり」をけなす内容になっていました。
 しかし、その中には、「なんでこれが悪いのだ?」と首を傾げざるを得ないものもありました。
 たとえば、入社早々「有給を完全消化する」と宣言をしたが、仕事でミスをする、という例を「トンデモ新入社員」として挙げていました。
 しかしながら、有給を完全消化するのは当然の権利です。それを主張する事のどこが「トンデモ」なのでしょうか。

 その社員にマイナスイメージをつけるために「仕事でミスをする」などと追記していました。しかしながら、新人なのですから、間違えるのは当たり前です。
 他にも、「漢字を間違えて書く」などというのも「トンデモ」扱いとなっていました。しかし、そんなの、別に新人に限らず、いくらでもいます。
 自分が新卒で入った勤務先には、「予備」を「余備」と信じ込んでいる次長や、「私財を投じて」を「資材を投じて」と書いた部長などがいたものでした。

 だいたい、そのような例を挙げて、まだ見ぬ新入社員への敵意を煽る、というのはどんな意図によるものでしょうか。
 自分には、そこであげつらった行動が「新人ゆえの未熟さ」でなく、「人間的な欠陥」であると思わせるためのものとしか思えませんでした。
 そのような低俗な記事を書くマスコミのほうが、新入社員よりもずっと「トンデモ」だ、と思わざるを得ませんでした。

2015年03月30日

若作り?

 朝から、携帯でLINEの着信が何度も鳴りました。
 何事かと思って見てみたら、仕事関係のつきあいで入っているグループからの着信でした。
 きっかけは、メンバーの一人がスマホをなくし、代替品を購入してアカウントも変更したので入り直した、というだけの連絡でした。
 ところが、その業務連絡に対し、二人のメンバーが、「了解」の返事、さらには何枚ものスタンプを送りまくりました。その結果、着信が鳴り続いたのです。
 そのスタンプを送りまくった二人は、40歳と50歳の人でした。
 その年にもなって、スタンプを送りまくるのですから、よほど気が若いのでしょう。
 しかし、そのグループは、仕事関係のものです。そこに、必要性のない画像がダラダラと表示されたわけです。
 趣味でやっているグループで、メンバーが了承しているのならそれもありでしょう。しかしながら、これは業務でやっているものです。
 40や50になって若い気分になる事自体はいいとは思います。しかし、他の人間も関わる業務なのですから、もう少し、歳相応の分別をもってほしいものだと思いました。

2015年03月28日

多分価値はあると思うが、一文の得にもならない能力

 子どもの頃にちょっと住んでいた事のある県の薬屋さんのサイトを見ていました。
 どんな展開をしているのか興味を持ち、店舗一覧を見ていました。
 すると、そこの「加西北条店」の地図が、どう考えても、違う場所だということに気づきました。そこで、問い合わせフォームからその旨を連絡しておきました。
 一応、住んでいたとはいえ、その店に行ったことはありません。にも関わらず、即座に地図の間違いに気づいたわけです。我ながら、なかなかの能力だと思いました。
 もっとも、だからといって、こんな「能力」で収益を得ることはできません。我ながら、「客観的に見てもなかなかのものだが、一文の得にもならない能力だよな」と思いました。
 まあ、とりあえず、その薬屋さんの役には立てたわけです。少々虚しさもありましたが、とりあえず「役に立てた」という事に満足することにしました。

2015年03月23日

彼岸過ぎの冷え込み

 朝起きたら、暖かかったので、上着なしで出かけようとしました。
 すると、相方から、暖かいと思って薄着して風邪をひく人が増えているから、という忠告があり、上着を着ることにしました。
 しかしながら、まあ、これだけ暖かいから手袋はいいだろうと、素手で出かけました。
 ところが、夕方のにわか雨の後、急に冷え込み、職場を出たら、真冬並みの寒さでした。その結果、相方の忠告に感謝しつつ、手袋をしなかった事を後悔しながら帰宅する羽目になりました。
 お彼岸は過ぎましたが、寒さはぶりかえしたわけです。毎度の事ながら、「暑さ寒さも彼岸まで」は信用してはならないな、と思いました。

2015年03月22日

全国対応の証明(?)

 とある作業を必要になり、ネットで業者を探しました。
 当然ながら、千葉県で作業ができる業者に限りますので、検索語句に「千葉」と入れました。
 色々な業者が出てきましたが、サイトをいくら見ても、千葉に拠点があるかどうか、よくわからない、というところが少なからずありました。
 その中で、サイト内に「千葉県」というリンクをつけている業者がありました。
 千葉の拠点一覧を書いているのか、思ってクリックしたのですが、何とそこに書かれていたのは、Wikipediaから丸写しした、「千葉県の概要」でした。
 おそらくは、47都道府県それぞれのバージョンがあり、いずれも、同じようにWikipediaをコピペしているのでしょう。
 今ひとつ何をしたいのか、よくわかりませんでした。そして当然ながら、その業者は候補から即座に外しました。

2015年03月21日

グルジア⇨ジョージア

 黒海沿岸にある「グルジア」が、諸外国に自国の表記を「ジョージア」に変える、という運動を行っています。
 「グルジア」はロシア語読みなのですが、現在、ロシアとの対立が激しく、自国の名前をロシア語読みで表記されたくない、という意思表示だそうです。
 ネットで検索したところ、日本も昨年秋にその要望をのんだ、と書いてありました。
 ところが、スポーツ中継などを見ると、相変わらず「グルジア」と呼ばれています。
 まあ、色々な手続きがあるので、昨年秋に同意したら、半年後に表記変更、というわけにはいかないのでしょう。
 とはいえ、「確か変更を決めたのに、なんで未だに『グルジア』と呼んでいるのだろうか」と不思議に思えてきます。
 もちろん、自分にとってはどちらの呼び方でも何ら困ることはありません。しかしながら、変えるなら、そろそろ期日を示してほしいものだな、と思いました。

2015年03月18日

ネットワーク障害と後遺症

昨日、自宅でインターネットが繋がらなくなりました。
ネットワーク機器を再起動したら復旧し、相方のパソコンや無線でつないでいるモバイル機器は元に戻りました。
ところが、自分がメインで使っているマックだけは復旧しません。
ネットワーク設定画面を見たところ、windowsの常識ではあり得ない状態になっていました。
買って半年近くたち、かなり使いなれたつもりでいたのですが、こういう事態になると、「使い慣れていないOS」であることを痛感させられます。
まあ、同時にどんな仕組みなのかを解明するという楽しみもあるのですが...。
というわけで、今日はスマホでの更新となりました。
明日にはなんとか、マックで更新したいものですが...。

2015年03月14日

浮世絵で日本再成長?

 ちょっとしたつきあいで、ニュース番組などでコメンテーターをやっている人の講演を聞く機会がありました。
 演題は「総選挙後の政治・経済・アジア ~日本は再成長できる~」となっていました。
 ところが、冒頭から、日本の人口はどんどん減っていくとか、もう十何年かするとGDPが中国の半分になる、などと「日本の再成長」と正反対の話が続きました。

 特に、1990年の世界の企業の時価総額ランキングは、日本の銀行が独占していたのに、いまやその中には潰れたものもあり、残った銀行も皆合併し、当時の名前が残っている所はない、と聞いた時は、改めて時の流れと、それに伴う凋落を感じさせられました。
 いったい、どうやって表題との整合性を取るのだろうか、と思いながら聞いていました。
 すると、あるところから、「日本には独自の高い技術がある」と言い始めました。色々なところで、さんざん読み飽きた「技術大国論」です。
 その中で、特に熱弁していたのが、「北斎や歌麿の浮世絵」でした。
 なんでも、あの浮世絵の色は、日本でしか出せなかったそうです。そして、当時の西洋の画家も、浮世絵の影響を受けていた、との事でした。
 それは確かに素晴らしいと思います。
 しかしながら、そんな数百年前の文化を熱弁されても、それで「日本は再成長できる」と思う人はいるのだろうか、と思いました。
 ちなみに、この講演会の主な聴衆は、近所の中小業者です。いくら「日本が優れている」と言われて自信を持ったとしても、いきなり外国相手に「日本人の優れた点」を活かした新事業を起こせる人は、極めて限られています。
 というわけで、かなりのピンぼけ感があった講演会でした。

 自分的には、日本が成長するかどうかよりも、現状の日本において、どうやって効率よく分配するか、を求めるべきでは、と思っています。
 贅沢は無理でも、皆がほどほど余暇を楽しみながら普通に暮らせる、という事ができれば、ゼロ成長でもマイナス成長でも、世の中は幸せに回るのではないでしょうか。

2015年03月11日

現在進行中の災害の報じ方

 床屋に行ったら、ラジオで4年前の震災の事を報じていました。
 といっても、別にあれから四年経っても、いまだに仮設住宅で暮らしている人を取材した、とかいうわけではありません。
 一応、仮設暮らしを続けている人数や、親を失って故郷を離れて暮らしている子どもの数などは出していました。しかしながら、いずれも単なる「数値データ」でしかありませんでした。
 一方、アナウンサーが東北に行って「あの日も今日のような雪が降っていました」などという、感傷的な事は、長々と話していました。

 さらに、ある新聞社のサイトを見たら、震災で妻と次男を失った人の記事が載っていました。
 その人の次男は「引きこもり」で、震災の時も、避難せずに亡くなったとの事でした。それについて、記者が「引きこもりでなければ助かったかもしれない」などと書いていました。
 取材の対象となった人が、次男の死後、引きこもり対策の活動をしており、それと関連付ける記事を作りたかったようです。
 しかしながら、引きこもりでない奥さんもなくなっているわけです。それだけで、この「引きこもりでなければ助かったかもしれない」は突っ込みどころ満載である事がわかります。
 これも、先ほどのラジオ同様、「過去におきた大災害を感傷的に伝える」だけの記事でした。
 ほかにも、この類の記事はいくつか見ました。
 福島第一原発周辺に住んでいた人をはじめ、この災害はまだ「現在進行中」です。
 にも関わらず、そのような現実はほとんど書かず、「昔の話」であるかのように流す事には、かなり強い違和感がありました。

2015年03月09日

歪んだ「正義」の心を利用したスパム

 ツイッターでよく、自分が意図しないのに、下品な画像をリツイートしてしまう、という現象が発生します。
 手順としては、「興味を引きそうな情報に『詳しくはこちら』というリンク先をつけて流す」⇨「リンク先をクリックすると『連携アプリを承認』というボタンが表示される」⇨「そのボタンを押すとアカウントを見知らぬ人が自在に操れるようになり、下品な画像をリツイートするようになる」となります。
 本日、この現象をまた確認しました。そこで、「餌」である、「興味を引きそうな情報」は何だったのだろうか、と調べてみました。
 すると、それは、「先日発生した殺人事件における容疑者の両親・兄弟の顔写真を見たい人はこちらをクリック」というものでした。
 この事件は、手口がちょっと猟奇的で、容疑者が未成年だった、という事で、マスコミが大げさに報道しています。少年法の改悪を目論んでいるのか、容疑者への憎悪をたきつけている報道も目立っています。それに煽られる人が多いと思ってこのような罠を作ったのでしょう。
 言うまでもなく、いくら殺人事件の容疑者とはいえ、その家族の顔をネットに流すのは重大な人権侵害です。そんな事、ちょっと常識があれば分かることです。
 にも関わらず、その顔を見ようとしたわけです。本人の表層意識としては、「加害者という『悪』に対する正義の怒り」なのでしょう。しかしながら、実態は、単なる覗き見趣味でしかありません。
 その「正義の怒り」でリンクをクリックした結果、ツイッターのアカウントが「下品画像リツイートロボット」になってしまったわけです。
 もちろん、一番悪いのは、そのような罠を作った人です。とはいえ、これに関しては、罠にハマった人についても、歪んだ「正義」の心を利用された自業自得、と思わざるを得ませんでした。

2015年03月06日

自室(?)のニャン孫

 ニャン孫の親を始めて見たのは、三年前のGWでした。
 そのとき、当時赤ちゃん猫だったニャン孫の親は、アロエの植え込みの中にいました。
 猫達がお世話になっているビルの一部なのですが、そこに布などを敷いて、猫の居場所にしているようでした。
 今日は、そこにニャン孫がいました。さしずめ、「自室でくつろぐ」といったところでしょうか。
 その様子を見た時は、同じ場所で、親が赤ちゃんだった事を思い出し、時の流れを感じました。
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2015年03月05日

予想時間

 大容量データのダウンロードなど、パソコンで時間のかかる作業をやると、「予想完了時間」が表示されます。
 しかしながら、これは本当にあてになりません。
 WindowsXPの時代によくこれを見る機会があったのですが、先程まで60分という予想が出ていたのに、数秒後に一気に132分に倍増する、などという事がよくありました。
 今日も仕事でそのような「あてにならない残り時間」を延々と見るはめになりました。
 なまじ「残り22分」などという表示が出ると、「あと22分で終わるのか、よかった」と思うのですが、そこから「残り21分」になるまで10分近くかかるのです。
 そのようなものを見ると、逆にイライラが倍増します。
 どうせ正しい時間が出せないなら、「残り○分」などと知ったかぶりせず、「残り時間については、本機の能力ではわかりかねます。延々とお待ちください」とでも書いてくれたほうがまだマシかも、などと思いました。

2015年03月04日

誘導された「正義の怒り」

 連日、マスコミが川崎の殺人事件を報道していました。
 そして、マスコミの煽りを受けて、加害者とされる人に対し、異常なまでの敵意を燃やす人をネットで何人か見ました。
 もちろん、一ヶ月もすれば、その人の「敵意」はきれいさっぱり消えるでしょう。本人は被害者が可哀想ゆえの怒りだとでも思っているのですが、その被害者に対する同情も含め、それは報道によって誘導されたものでしかないからです。
 したがって、報道されなくなれば、それらの感情は、雲散霧消してしまいます。
 自分的にはこの「誘導によって見ず知らずの容疑者に異様なまでの敵意を発する人達」の存在は、殺人事件そのものと同じくらい、怖いものだと感じています。

2015年03月03日

備忘録

 このサイトを始めてもう少しで17年になります。
 そして、ここ15年ほどの間は、ほぼ毎日、何か書いています。基本的に、書かないのは週1回程度です。
 したがって、このサイト・ブログを読み返せば、その15年間で自分にどんな事があり、どんなふうに思っていたかがある程度は分かります。
 もっとも、不特定多数に公開しているので、具体的な記述は避け、遠回しで書くことがほとんどです。そのため、後から読むと、自分自身の事なのに、「これって何の事を書いていたんだっけ」と思う事も多いのですが…。
 実は今現在も、色々と重要な選択と判断が必要な時期となっています。自分一人で解決できる事ではなく、外的要因によってもどうなるか、結果は変わってきます。
 自分の年齢を考えれば、今回の結果で、今後の人生がどうなるか、最後のほうまで道が決まる可能性が高そうです。
 色々と考えているのですが、同時に、数年後の自分が、この頃の事を読み返した時に、どのように感じるのだろうか、と他人ごとのように思っていたりもしています。

2015年02月23日

進化しないほうがいい「テクニック」

 乳飲料メーカーの宅配営業がきました。
 ヨーグルトの試供品を置いていったのですが、その中で、ある商品について「インフルエンザ予防に効くと他の購入者から好評をいただいている」という紹介をしていました。
 その商品、ある時期、テレビがいい加減な「研究結果」を元に「インフルエンザ予防に効く」と宣伝し、大売れした事があったそうです。
 もちろん、一個100円のヨーグルトでインフルエンザを予防できるわけがありません。
 最初にテレビで「研究発表」したお医者さんも、「たかがヨーグルトでインフルエンザを予できるわけがない」と後に「訂正」をしたそうです。
 いずれにせよ、科学的根拠がない以上、営業マンが「インフルエンザ予防に効く」とは言えません。しかしながら、「その情報を信じている購入者がいる」と言えば、嘘にはならないわけです。
 巧妙なテクニックであるとは思いましたが、同時に、詐欺の一歩手前みたいなものでは、とも思いました。
 昔から、色々な飛び込み営業・電話営業の対処をしていますが、最近になって、とみにこのような「テクニック」が向上してきたように思えます。
 まあ、これは営業マンに限らず、政治家やマスコミにも当てはまる事なのですが…。

2015年02月22日

ある意味究極のセキュリティ対策

 昨日、セキュリティソフト・ノートンのアップデートを適用すると、ブラウザのインターネットエクスプローラー(IE)が起動しなくなる、という障害が発生しました。
 たまたま、そのとき、仕事でノートン入りのパソコンでIEをを使っており、その障害が直撃しました。
 もちろん、その時点では原因は分かりません。そのパソコンにはIE以外のブラウザは入っていなかったので、別のPCを使ってFirefoxをダウンロードし、USBメモリ経由でインストールをする、という応急処置をしました。
 ノートンは、昨年暮れにも「アップデートするとOutlookでメールが使えなくなる」という障害を発生しています。だんだん、「常習犯」になりつつあるようです。

 もっとも、IEには色々な欠陥があります。
 昨年4月に話題になったようなセキュリティホールはある意味恒例行事と化しています。
 それだけに、かなり以前から「IEを使わない事が最大のセキュリティ対策」という皮肉は言われていました。
 したがって、この「IEを起動できなくする」という今回のノートンのアップデートは、考えようによっては、「究極のセキュリティ対策」と言えるかもしれないな、などと思ってしまいました。

2015年02月18日

「ブラック」ぶりを宣伝?

 仕事を終えて帰ろうとしたら、冷たい雨の中、傘をさしてチラシ配りをしている人がいました。
 受け取って見てみたところ、先日、近所に開業した居酒屋のチラシでした。
 ただ、その店だけでなく、その居酒屋グループ全体の店が掲載されているチラシでした。おかげで、そのチェーンが東京多摩地区で起業・発展し、ジャスダックに上場している企業である事が分かりました。
 さらに、そのチラシには、人材募集欄もありました。そこには二人の人事担当者の名前と、携帯番号が書かれていました。
 しかも、その二人の携帯番号に共通点はありません。という事は、会社支給の携帯ではないと考えるのが自然です。さすがに電話代くらいは会社が払っているのでしょうが…。
 ということは、この二人の人事担当者は、起きている間はずっと応募の電話に待機していなければならないのでしょうか。
 寒い中チラシを配らせている事とあわせて考えれば、この居酒屋を経営している会社が「ブラック企業」である事は容易に想像できます。
 開業時は一度くらいはのぞいて見ようかと思ったのですが、このチラシ配り並びにそこに書かれている事を見て、完全に行く気が消え去りました。

2015年02月17日

一瞬の初雪

 朝、道を歩いていた時、妙に小雨がコートにまとわりつくな、と思いました。
 そして、出勤後、ちょっと外に出たら、牡丹雪の典型、という感じの大粒の雪が降りだしていました。
 その時点では、かなりの降りで、「積もったらどうしよう」と思うほどでした。
 しかしながら、しばらくして外をみたら、あっさりやんでいました。
 そうなると、今度は「なんだ、せっかくの雪なのにすぐやんでしまったのか」と思ってしまいました。
 ほんのちょっと前に思った事と180度違うわけですが、雪の日は常にこの「積もったら困る」と「年に数回しかない事だから、いっぱい降ってほしい」という矛盾した二つの感情が生じます。
 いずれにせよ、今冬の我が地区での「初雪」は一時間足らずで終わりました。果たして二度目の雪はあるのでしょうか。

2015年02月16日

愛社精神(?)

 種類大手四社の売上でサントリーが1位になった、というニュースを見ました。
 これを見た時は、ちょっとした嬉しさがこみ上げてきました。
 自分にとって、人生で初めて労働したのは、30年前の高校一年の時でした。
 後楽園球場(?)当時で、サントリーのビールを売るアルバイトをしたのです。
 今ではすっかりプレミアムモルツが定番化したものの、当時のサントリーには普通のモルツもありませんでした。
 缶にペンギンのイラストが描かれているビールを売っていたのですが、よく野球観戦のお客さんに「何だ、サントリーか、じゃあいいや」と言われたものでした。
 それくらい、当時のサントリービールの評価は低いものでした。
 その一夏だけのバイトを終えて30年間、サントリーとは何ら関わりがありません。にも関わらず、このニュースを見た時は嬉しいものでした。
 もし当時、プレミアムモルツが存在して、普通にサントリーの名を冠したビールが売れていたら、このような思いはしなかったかもしれないな、などとも思いました。
 いずれにせよ、自分の中にあった意外な「愛社精神」に驚かされました。
 などといいつつ、現在酒を買うときに、サントリーを優先するような事は一切していません。これもまた、我ながら面白いと思いました。

2015年02月13日

期間限定「独身」期間到来

 というわけで、松山から帰ってきました。
 相方は、あと10日ほど向こうに残って親孝行するため、その間は、「独身」という事になります。
 まあ、結婚して17年間、毎年の恒例行事なので、年に一度の事とはいえ、すっかり慣れてしまいました。
 この時期を利用して、家事にいそしんでいれば、17年×10日の修行により、かなり上達していたのでは、とわれながら思います。
 しかしながら、その間、一応自炊はするものの、作る料理のレパートリーは17年前から全く変わっていません。今年も同様です。
 そのため、料理を含めた家事の腕は一切進歩していません。
 我ながら勿体ない気もしますが、そうやって変わらず「独身期間」を過ごすのも、それはそれで、味があるのでは、などと思っています。

2015年02月11日

三年ぶりに外泊

 松山にある相方の実家に来ています。
 以前は、毎年来ていたのですが、一昨年は仕事が忙しく、昨年は予約していた格安航空が雪のために飛びませんでした。
 そのため、三年ぶりになりました。
 ちなみに、その三年間、常に夜は自宅で寝ていました。したがって、外泊そのものも三年ぶりになります。
 ついでに言うと、スマートフォンを購入したのは、三年前に松山に行った直後でした。
 そのため、今日はスマホでの更新デビューにもなりました。
 なかなか余裕ができず、こんな生活になっています。
 早く、毎年ゆっくり松山に行き、さらにそれとは別に泊まりがけで旅行に行けるような生活に戻したいものです。
 それはともかく、三年ぶりに入った道後温泉は、相変わらずいい湯でした。のんびり温まる事ができ、いいリフレッシュになりました。

2015年02月09日

反転色

 肝臓の負担軽減と節約のため、最近は、晩酌に甲類焼酎の200ccペットボトルを愛飲しています。
 このシリーズ、各社が出しているのですが、興味深い事があります。
 焼酎のアルコール度数には20度と25度があります。各社とも、その二種類を販売しているのですが、その違いをラベルの色で区別できるようにしています。
 そして、どの会社の製品も、赤と青で色分けしています。
 甲類焼酎の元祖的存在で最大手でもある宝焼酎は、20度を青、25度を赤としています。
 ところが、近所のコンビニやスーパーのプライベートブランドは全て、逆に20度を赤、25度を青にしているのです。
 宝焼酎の製品はどの店にもあります。したがって、それとプライベートブランド製品が混在して置いてあると、紛らわしいことこの上ありません。
 コンビニやスーパーの各社が団結して宝焼酎に対抗しているのでしょうか。それとも、宝焼酎が「度数が強い方を赤」にする事の実用新案か何かを取得し、他社は真似できず、このような結果になっているのでしょうか。

 こんな事を焼酎を買う度に思っていたのですが、今日はじめていった、船橋市のスーパーでは、宝焼酎と同じ色分けのプライベートブランド品を売っていました。
 おかげで、ますます頭がこんがらがりました。まあ、単に各社が思いつきで決めているだけ、というオチなのかもしれませんが…。

2015年02月08日

確率

 一昨日受けた、胃腸の内視鏡の話の余談です。
 受診前に承諾書を書くのですが、その際に「12万人に一人の確率で、この検査の副作用で命を落とす人がいますが、よろしいですか」みたいな文言がありました。
 万が一、医療事故が発生した時に備えての事なのでしょう。
 それは分かるのですが、我が身の事だと考えると、やはり気になります。とはいえ、12万分の1にあたってしまうのなら、それは寿命だったのだろう、と思って、「承諾する」に○をつけました。
 まあ、たいていの人は自分のようにするだろうな、と思いつつ、「12万分の1」という確率が発生するのって、他にどんなものがあるのだろうか、と気になりました。
 すると、乗っていた飛行機が落ちる確率は20万分の1で、年末宝くじの1等が当たる確率は1000万分の1との事でした。
 ちょうど今週は飛行機にのります。ということは、先週は12万分の1、今週は20万分の1の「死のリスク」がある事をするのだな、と思いました。
 同時に、宝くじの当選確率の低さに改めて驚きました。まあ、買ったことはないので、別にどうでもいいのですが…。

2015年02月07日

水面下の争い

 関わっている団体の総会がありました。
 例年は、総会前に全ての事が決まっており、儀式的なイベントとなっていました。
 しかし、今年はいろいろあって、何が起きるか分からない、という状態での開催になりました。
 そのため、直前まで様々な駆け引きが行われました。
 結果的には、その駆け引きが功を奏したのか、何も起きませんでした。傍から見れば、例年とほとんど変わらない総会、という感じでした。
 なんか、水面下で激しく足を動かしながら、水上ではのんびりしている水鳥を彷彿させられました。
 これまで、色々な団体で働いたり関わったりしていました。何度か、このような会議の場に出る機会はあったのですが、いずれも事前に話がついていた、「シャンシャン」なものばかりでした。
 それだけに、なかなか貴重な経験ができました。とはいえ、事前の動きも含め、少なからず疲れました。というわけで、次回までに問題が解決し、また「シャンシャン」に戻ってほしいものだ、とつくづく思いました。

2015年02月06日

消化器をほぼ全部検査

 暮れに受けた健康診断で、胃と大腸に再検査が出ました。
 それを受けて、今日は胃カメラと大腸の内視鏡の検査をまとめて受けました。
 胃カメラは鼻から、大腸内視鏡は下から体に入れます。その二つのカメラを使って、小腸を除く全消化器を検査されたわけです。
 正式な結果は二週間後に伝えられますが、とりあえず、今日見た限りでは、大腸に小さいポリーブがあったのと、胃が荒れている以外は、異常はない、という事でした。
 麻酔がきちんときいていた事もあり、痛みや苦しみなどはありませんでした。とはいえ、体の中に管を入れられ、さらにはそれが内蔵中を動きまくる、というのはやはりきついものでした。
 おかげで、検査が終わってから数時間、ほとんど寝て過ごしました。
 ほぼ一日がつぶれたうえに、身体的にも費用的にも厳しい話でした。とはいえ、安全を確認できたと考えれば、安いものだと思いました。
 特に、先日、16歳も年下の後輩が、ガンで他界し、葬儀に行ったばかりです。その衝撃と悲しみがあったため、かなり不安に思っていました。それが解消されたのは有難いことでした。
 とりあえず、後顧の憂いが片付いたので、また明日から、バリバリと頑張ります。

 

2015年02月05日

道路工事の必要性

 自分が若いころ、マスコミが「年度末になると道路工事が増える。これは、予算を消化しきるのが目的の不要不急のものだ」と批判するのが、2月から3月にかけての風物詩となっていました。
 当時は、「へー、そうなんだ、お役所仕事は嫌だねえ」と、その記事を真に受けていました。
 しかし、ここ一年半ほど、道路を自転車で走る生活をしていて、その認識はかなり変わりました。
 とにかく、少なからぬ道路はボコボコです。毎日通る道のなかには、完全に穴ぼこができている箇所すらあります。
 さらに言えば、道路の周囲の樹が伸び放題で、歩道に枝が出ている事すらあります。

 今は2月ですが、これらの道が全て、あと2ヶ月で直るとは思えません。
 そう考えると、「予算を消化するために不要な工事をしている」どころか「予算がないので、必要な工事ができていない」というのが現実であることが分かります。
 あのような報道がされた頃は、まだまだ道路保守の予算が潤沢だったのでしょうか。いずれにせよ、現在はそうでないことだけは確かです。
 ならば、「昔と違い、今は年度末になってもボコボコな道路が数多く残っている」という事も報道してもらいたいものですが、残念ながら、そういうのは見たことがありません。

2015年02月03日

近くのポストがなくなる

 職場の向かいにある建物が取り壊される事になりました。
 それに伴い、その建物の前にあった郵便ポストも撤去されました。
 別に、年がら年中、仕事で郵便を出しているわけではありません。
 また、帰り道で2分ほど寄り道すれば、別のポストの前を通り、そこで投函する事は可能です。
 したがって、実害はさほどないはずなのですが、えらく損した気分になりました。
 近くのポストを探すために、検索をかけたり、iPodTouchに「ポスト検索アプリ」をインストールしてしまったほどでした。
 なくなってはじめて、「すぐ目の前にあるポスト」の有難味に気づかされました。

2015年02月01日

すぐに分かるデマが大拡散

 昼ごろ、ツイッターで、「今月のように四週間ぴったりカレンダーに収まる月は823年ぶりだ」などという話が流れてきました。
 発信されてから2時間も経っていませんが、1万人近くの人がリツイートしていました。
 これがデマである事を確認するのに、さほど知識はいりません。
 うるう年を除けば、2月は4週間です。したがって、今月のように、1日が日曜だったら、必ずこのようなカレンダーになります。
 そして、毎月の1日は年によって変わります。それを考えれば、どう長くても、10年に1回は、そのようなカレンダーになる事くらい、すぐに分かります。
 にも関わらず、それだけ多くの人がリツイートしたわけです。つまり、出所不明のデマ情報にあっさりと騙された上に、それを他人にまで広めたわけです。
 今回の件は、特にそれで被害が生じるデマではありませんでした。しかしながら、これが、関東大震災の時のように、虐殺に通じるようなデマだったら、どんな事になるのでしょうか。
 それを想像すると、背筋が寒くなりました。

   

2015年01月31日

若い後輩との別れ

 16歳年下の大学の将棋研究会の後輩の葬儀に行ってきました。
 昨夏に将棋大会で会った時、暑い盛りだというのに毛糸の帽子をかぶっていました。その時は、変わったファッションを始めたな、くらいにしか思っていませんでした。しかし、実は、放射線治療の影響を隠すためだった、と今にして知りました。
 その日も、強敵相手に勝ったりしていたのですが、結果的に、それが彼に会った最後になってしまいました。

 なんでも、2年半くらい前にガンを発症し、何とか抑えながら闘病生活を続けていたそうです。そんななか、暑い盛りに、一日かけて、将棋大会に出てくれたわけです。
 自分だって、朝から晩まで将棋大会に出続けるというのはかなりの重労働です。それを、放射線治療を受けている状態で、やったのですから、よほどの精神力だったと言えるでしょう。
 年が離れていたので、一緒に遊びに行ったりするような機会はありませんでした。とはいえ、大会の打ち上げなどで席が近い時は、色々と話したものでした。
 自分は、将棋研究会のOB会の運営をやっているのですが、そろそろいい年なので、だんだんと後輩に譲ろうと考えています。それを担ってくれる候補の一人だと思っていたのですが、まさかこんな形で別れてしまう事になるとは、夢にも思いませんでした。
 このような別れは、常に哀しいものですが、若い人とだと、より一層、それが強くなります。
 非常に辛い状況であるにも関わらず、笑顔で我々に挨拶をしてくれた、ご両親を見ていると、その心中が伝わってくるようで、何ともいえない気分になりました。

 

2015年01月30日

配慮したふりを見せた無配慮

 先日、ある猟奇的な事件が発生し、連日報道されています。
 そのなかで、容疑者とされる人がツイッターに書いた言葉が報じられていました。
 一応、「配慮」され、容疑者のツイッターアカウントはモザイクをかけられて報道されていました。
 しかしながら、そのツイッターに投稿した言葉は極めて特異です。
 したがって、その言葉で検索すれば、一発でそのアカウント並びに、過去のツイートも閲覧することができます。
 技術的にもそんな難しくなく、インターネットを初めて一ヶ月の小学生でも、そのくらいの検索はできるでしょう。
 つまり、モザイクをかけた意味など、ないに等しいのです。

  そして、そのツイートにはマスコミが紹介した事以外にも、色々と不適切な事が書かれていました。その中には、他人の人権を侵害するようなものもありました。
 別に、新聞社がその容疑者のツイートを公開しなくても、世の中で困る人など一人もいません。ただ、猟奇的な事件だから「晒した」だけの話です。
 アカウント名にモザイクをかける必要がある、と判断した時点で、そのツイートそのものの公開をすべきかどうか、もう一度じっくり考える必要があったのでは、と思いました。

2015年01月29日

21世紀の焼き芋

 差し入れで焼き芋をもらいました。
 焼き芋は嫌いではないのですが、金払って積極的に買おうという気にはなりません。
 そのため、今世紀に入ってからは、焼き芋焼酎を飲んだことはあっても、焼き芋を食べたことがありませんでした。
 というわけで、20年ぶりくらいに焼き芋を食べました。
 皮ごとひとくち食べたのですが、ちょっと驚きました。
 食感が、過去に自分が記憶していた「焼き芋」と大幅に違うのです。
 見てみたところ、芋の部分がかなりペースト状になっており、甘みが増していました。
 スイートポテトのなりかけ、という感じです。
 品種改良によるものなのでしょうか、それとも焼き方の改良があったのでしょうか。
 軽トラで売っている様子を見た時は「昔から変わっていないな」と思っていました。しかし、その「中身」は大きく変わっていたんだな、と感心させられました。

2015年01月27日

美談?

 定期的に、SNSに「美談」が流れてきます。
 その中で見る一つのパターンに「電車内で不適切な発言をした若い人に、同行者が厳しい態度を取る」というのがあります。
 今日見たのは、「電車の中でダウン症の人をバカにする発言をした彼女を、彼氏がその場で振って去っていった」という筋書きでした。
 これまで見たのも、男と女の役割が逆だったりなど、細部に違いはありますが、基本的に同じ構造です。
 一件、喝采を上げたくなるような逸話です。しかし、読んでいて非常にひっかかりました。
 今回挙げた「美談」だと、なぜ、彼氏は、その女性の発言の何が誤っているかをたしなめず、いきなり振るのだろうか、と思いました。
 世の中には色々な差別があります。そして、それがいけない事だと知らないまま大人になってしまった人も山ほどいます。
 差別がいけないのがわかっているなら、そのような世の中の実情も分かっているはずです。にも関わらず、いきなりそのような態度を取る、というのは強い違和感がありました。
 もしかして、彼女と別れたくてその口実をずっと考えており、その差別発言を口実に、これ幸いと別れたのでは、なとどまで思いました。
 多くの人にリツイートやシェアされるためには、「たしなめて彼女が謝る」より「いきなり振る」のほうが筋書きのほうが受けるのでしょう。そのような意図がかなり透けていると思った「美談」でした。

2015年01月26日

17年目

 今日は17回めの結婚記念日でした。
 17という数字を認識した時は、自分が17歳の頃の事を思い出しました。
 当時は高校二年生でした。その頃の自分は、大学受験を意識しつつ、図書館で本を借りて読みまくったり、都営バス全路線完乗を目指したり、漫画や同人誌を読みまくったり、「国鉄分割・民営化」によって生じる不具合を調べまくったり、と色々な事にはまっていました。
 生まれてからそのようになる期間と同じだけの時間を、相方と過ごしてきたわけです。
 そう考えると、改めて、長い時間を一緒に暮らしてきているのだな、と思いました。
 こうやって、結婚してからの年数を振り返りつつ、自分の年齢を振り返るのが毎年の恒例になるのでしょうか。
 これから迎える、20周年や30周年の時、どのような感慨を迎えるのだろうか、などと先の事を思い浮かべながら、記念に頼んだウイスキー「山崎17年」を二人で飲みました。

2015年01月23日

破綻しているマニュアルトーク

 営業の電話がきました。冒頭で、社名を早口で言ったあと、「NTT東日本の代理店」と名乗りました。
 電話の中身を判断する際、この言葉は便利です。なぜならば、この言葉を聞いた瞬間、この電話の話に乗ることは、百害あって一利なし、だという事が決まるからです。
 というわけで、すぐに切っても良かったのですが、ちょっと時間が余っていたので、何を言うのか聞いてみる事にしました。
 すると、「今お使いのBフレッツが今度値下げすることになったのをご存知ですか?」と言ってきました。
 これは、「NTTの代理店」からかかってくる電話の決まり文句みたいなものです。
 そこで、「うちはBフレッツ使ってないんですけど」と答えました。
 「値下げ」の話が本当なら、この時点で先方は「間違いでした」と切るのが普通の反応です。なにしろ、「お使いのBフレッツが値下げになります」とBフレッツを使っていない家に電話してきたのです。
 ところが、先方はさぞ当然のように「という事はJCNですか?」と話を続けてきました。
 ケーブルテレビを使っている家ならこう続けるように、とマニュアル化されているのでしょう。
 それが聞けただけで、こちらとしては十分「満足」しました。そこで、「なんでそんな事に答える必要があるのですか?意味がわかりません」と言って切りました。

 タネが分かっていれば破綻した戯言なのでしょう。しかし、いきなり「NTT」の名前を出されて、流れるような口調で言われると、信じる人も多いのでしょう。それゆえ、この「NTTの代理店ビジネス」が長年続いている理由なのでしょうが…。
 ちょうど、昼間に「パソコンもないのにBフレッツを引いてしまい、無駄に回線料を払っていた」という話を聞いたばかりでした。
 それゆえに、より一層、「代理店」並びに、それを使って儲けているNTTに対する不快感を強く感じた電話となりました。

2015年01月21日

風呂吹き大根

 今日はえらく冷える日でした。
 そして、寒い中、自転車で帰宅したら、夕食のおかずは風呂吹き大根でした。
 風呂吹き大根といえば、幼いころに読んだ童話が強く記憶に残っています。
 寒がりで、動物を狩ってはその皮製品を身にまとう殿様に対し、貧しい農民である主人公が、風呂吹き大根で体を温める、という事を教え、乱獲をやめさせた、という筋立てでした。
 何故かこの話が非常に印象に残り、読んだあと、親に「風呂吹き大根を作ってくれ」とねだり、出てきた大根をワクワクして食べた事は、40年近く経った今でも、よく覚えています。
 そんな事を思い出しながら、風呂吹き大根を食べました。
 そして、今回の風呂吹き大根も、童話のように、寒さを和らげてくれるものでした。
 そういう事もあり、懐かしさと温かさを感じた夕食となりました。

2015年01月20日

自転車講習

 悪質な自転車運転者に対し、安全講習を義務化する、という政策が発表されました。
 基本的には賛成なのですが、どうせやるなら、一つ追加してもらいたい事があります。
 自分は、1年半ほど前から、自転車通勤を始めました。しかしながら、今ひとつ、自転車の交通ルールが分かっていません。
 なにせ、自動車の運転免許を持っていないので、交通ルールを本格的に学ぶ機会がなかったのです。
 そこで、自転車通勤をはじめるにあたり、公的機関による交通ルール講習会をやっていないものか、とネットで検索したのですが、それらしいものはありませんでした。
 という事もあいr,この安全講習は、希望者は誰でも無料で受けられるようにしてもらえないものだろうか、と思います。
 要は、「義務化」だけでなく、「権利化」もしてほしい、というわけです。
 そうすれば、悪質運転を減らす効果もあるのではないでしょうか。ぜひ検討してもらいたいものです。

2015年01月18日

あれから20年

 昨日は、阪神・淡路大震災が発生して20年目でした。
 あの日は、当時月に一度だけあった仕事が非常に暇な日でした。
 そこで、のんびりしていたら、関西で地震があった事を知ったものものでした。
 様々な被害の中で、一番衝撃を受けたのは、阪急の西宮北口と夙川の間の高架が落ちた事と、夙川の駅ビルが倒壊した事でした。
 子供の頃、一年ほどこのあたりに住んでいた事がありました。西宮北口と夙川の間の高架は、電車で何度も通ったものでした。
 また、倒壊した駅ビルは、自分がそこに住んでいた時に建ったものでした。その時の記念式典を見た記憶があります。
 それだけにかなり驚いたものでした。そして、数年後、夙川駅を再訪したら、その駅ビルだけは跡形もなく消えていて、他は以前と変わらない形で「復興」していたのにもまた驚きました。
 それからもう20年も経ったんだな、と思いました。
 ただ、あまり報道はされないようですが、まだまだ「復興」していない所はたくさんあるそうです。当時の借金をまだ背負っている人もいる、という情報も見ました。
 「復興」が完了するのはいつの事になるのでしょうか。そのような現状も、20年前の事と同様に、忘れてはならないな、と思いました。

2015年01月15日

早朝トレーニング

 早朝に自転車に乗っていたら、知り合いがやっている美容院に電気がついていました。
 不思議に思って見てみたら、中では、美容師さんたちが、練習をしていました。
 確かに、最新の髪型の研究など、美容師さんも日々の研鑽は必要です。
 しかし、外から丸見えの環境ですから、営業時間外や休日も含め、人目につく時間帯にやるのは難しいのでしょう。
 それゆえ、こうやって人目が存在しない早朝にトレーニングをしているのだろうな、と思いました。
 優雅に水上を浮かんでいるように見えるものの、実は水中で懸命に水をかいている水鳥のようなものなのでしょうか。
 皆、色々と、人知れぬところで努力をしているのだな、と驚くと同時に、自分ももっと努力をせねば、と思いました。

2015年01月13日

「準備中」という存在感

 ここ数日、道を歩いていると、梅の樹が非常によく目につきます。
 もちろん、まだ花は咲いていません。
 まだ、つぼみが枝についているだけです。
 しかしながら、先週までは全然目にも止まらなかった梅の木が、非常に気になるのです。
 見た目は同じ「枝だけ」です。にも関わらず、これまでと違う、「もう少ししたら花が咲く」という潜在能力(?)みたいなものが伝わってくるのでしょうか。
 これまで、こんな事を感じた経験はありませんでした。1年4ヶ月間も自転車通勤を続けた効果で、自然の移り変わりに敏感になっているのでしょうか。
 なんか、梅の「やる気」を感じたようで、面白く思いました。

 

2015年01月12日

四半世紀前成人式

 中学時代の友人二人と飲みました。
 品川で待ち合わせたのですが、ちょうど、成人式帰りでこれから飲みに行く、という雰囲気の青年たちが集合していました。
 それを見ていて、25年前にあった自分の成人式の事を思い出しました。
 その時は、中学時代の仲が良かったメンバーと一緒にベイブリッジまでドライブし、その後一杯やりました。
 それから25年後の成人の日にも、同じメンバーと飲んでいる、というのは興味深いものがありました。
 ちなみに、25年前のかすかな記憶の一つに、田中芳樹さんの小説の話をした記憶があります。そして今日もまた、田中芳樹さんの話がちょっと出ました。面白い偶然もあるものだ、と思いました。
 あと、写真の話になった時、友人の一人に、「お前がスマホで撮っている猫の写真」と話を振られました。
 このサイトおよび、ニャン孫写真を読んでくれているわけです。さりげない一言でそれを伝えてくれた事を嬉しく思いました。
 次の四半世紀後の成人の日も、このメンバーで飲みたいものだ、などと思いました。

2015年01月11日

カメムシ入りサラダ

 最近、「飲食店が提供した食事に異物が混入」という記事が連日のようにニュースになっています。
 読んでいて、一年ほど前の「○○ホテルで食材を偽装していた」が連日ニュースになっていた事を思い出しました。
 その時と同様に、「他にもっと報じるべきことがあるのではないだろうか」と強く思います。

 それはともかく、自分も「レストランで虫入りの料理」というのを20年近く前に経験したことがあります。
 自分は、今も昔もファッションセンスがありません。すると、当時独身だった自分を心配してくれた二人の妹が、新宿の高島屋で自分のために、服を選んでくれました。
 上の妹が大学生、下の妹が高校生だった頃だったと記憶しています。
 そして、服を選んでもらったお礼に、近くのレストランで食事をおごりました。
 その時出てきたサラダに、カメムシが入っていたのです。
 若い女の子ですから、怖がったり起こったりするかと一瞬思ったのですが、そのような事は一切ありませんでした。
 店員さんを呼んで指摘はしたのですが、その際に、妹は笑顔で「安全な野菜を使っているから、虫もいたのですね」と店員さんに言っていました。
 服を選んでもらったうえに、このような対応を見せてくれた妹たちを見て、「このような妹たちを持てて本当に良かった」と思ったのは、20年近く経った今でも鮮明に覚えています。
 ちなみに、その時に選んでもらった服は、今の相方に初めて会った時に着ていました。
 さすがにくたびれて一張羅ではなくなりましたが、今でも着ています。

 というわけで、一連のニュースのおかげで、その懐かしく、嬉しかった事を思い出しました。
 同時に、ある程度は仕方ないことなのだから、店員さんを責めないでほしいものだ、とも思いました。
 もちろん、だからと言って、異物混入を容認しているわけではありません。
 このような事が多発する原因は、利益を上げるための人員削減・労働強化により、働く人の注意力が追いつかなくなったためだからです。
 経営者においては、利益を減らしてでも、そのあたりを改善し、「食の事故」を減らすべく、全力を尽くすべきなのでは、と思いました。

2015年01月10日

交通系ICカードにシール

 ネットで、「交通系ICカードに貼るシール」の話、並びに「そのシールを貼るのは契約違反」という情報を見ました。
 別に、改札を通るときや買い物をするときなら、シールが貼ってあろうとなかろうとかまいません。
 しかし、チャージする時には機械に入れるわけで、その時に、トラブルが発生する可能性があります。それを考えれば、シールを貼るのが契約違反だという事は比較的たやすく理解できるのではないでしょうか。
 この話を見た時、思い出したのが、約9年前に転職して入った会社でした。
 ICカードで打刻する勤怠管理システムを売っている会社なのですが、入社早々、社長が「新商品」として、「ICカードを使った店舗ポイントシステム」を開発した、と言ったのです。
 その際に言ったのが、「利用者のICカードに店のシールを貼って、ポイントカードとして目視できるようにする」というものでした。
 その話を聞いた時に、真っ先に気になったのが、先述した「機械に入れてチャージした際に問題にならないのか」という事でした。
 そんな、9年前の事を思い出した、「交通系ICカード用シール」の話題でした。
 もっとも、その「店舗ポイントシステム」は一件も売れませんでした。したがって、この「ICカードにシールを貼っていのか」という問題が表面化することはなかったのですが…。

2015年01月09日

LEDデビュー

 洗面所の電球が切れました。そこで、代わりの電球を買いにいったのですが、当てはまる型のものがLEDしかありません。そこで、必然的に「LEDデビュー」となりました。
 使ってみて、その明るさに驚きました。なんか、洗面所の雰囲気が違って見えたほどでした。
 あまりの違いに、相方が「今ある電球も買い換えよう」と言ったほどでした。
 以前から興味はあったのですが、まさかこれほどまで違うとは思いませんでした。これで、消費電力も安くなるわけです。
 久々に、「文明の進歩」に感心させられました。

2015年01月08日

連動広告

 体重計が壊れたので、代替品をヨドバシのネット通販で買いました。
 すると、その直後からスポーツ新聞などのサイトを見ると、上に体重計がたくさん並んだヨドバシのバナーが表示されるようになってしまいました。
 体重計などというものは、一度買ったら、次の購入は少なくとも十年以上は後の事になります。
 つまり、現在の我が家は、一番体重計を買う可能性が低い世帯なわけです。
 にも関わらず、購入履歴だけを見て、大量の体重計を表示しているわけです。
 最新の技術を駆使している割には、えらく効率の悪いことをやっているな、と思いました。
 まあ、いずれにせよ、このような現象を見ると、監視されているようであまり気持ちがいいものではありません。
 先日、身内が引っ越して、その住所をWEBメールで送ってもらったら、ニュースサイトなどに、その身内が住むマンションの広告が表示されるようになりました。
 たしかに、新居の名前を覚えるのには便利とは言えます。とはいえ、やはりこれもあまり気持ちのいいものではないですね。

2015年01月07日

土下座力?

 相方と柔軟体操の話になりました。
 自分は、膝を伸ばした状態だと、手がつま先につきません。
 しかし、正座した状態なら、額も後頭部も畳につけることができます。
 これまで、後頭部はともかく、正座しながら額をつけるのは、誰でもできると思っていました。
 なぜなら、様々な作品で見る土下座の場面で、みな、普通にそうしていたからです。
 しかし、それを見せたら驚かれました。なぜならば、相方にとってそれは至難の業だったからでした。
 「ならどうやって土下座するの?」と尋ねたら、当然のごとく、腰を浮かしてその仕草を見せてくれました。
 やられてみれば、目からうろこでした。世の中、「これが当然」と思い込んではいけないのだな、と改めて思いました。
 同時に、この、二人して土下座しあう、というこの状況は、傍から見ればかなり変な風景だよな、などとも思いました。

2015年01月06日

早期治療

 昨日、仕事を始めたら、軽い頭痛と喉の痛みを感じました。
 年末年始の間、相方が喉の風邪で寝込んでいました。それが伝染りかけたかと思いました。
 まだ「軽い風邪気味」程度でしたが、このまま悪化しては仕事に差し支えます。
 そこで夜に入っていた予定をキャンセルし、病院に行って薬を飲み、ここの更新も休んで早寝しました。
 すると、翌朝にはほぼ完治していました。
 診療費と薬代をあわせて1,800円ほどかかりました。ケロッと治った朝にふりかえると、なんかかなり出費したようにも感じます。
 しかしながら、同じ症状で病院に行かなかった相方が3日ほどダウンしていた事を考えれば、それ相応の費用対効果があったようだ、とも思いました。
 せっかく健康を維持できたので、それ相応に仕事を頑張っていかねば、と思いました。

2015年01月03日

2015年初ニャン孫

 1日、2日と見かけなかったニャン孫が、今日は母親と日向ぼっこをしていました。
 そこで、年始の挨拶をしたあと、撮影させてもらいました。
 「おすまし」という感じの表情と、母親に頬ずりして甘えている様子が撮れました。
今年も、健やかに成長してもらいたいものです。
(画像をクリックすると、同じ窓で大きな画像が開きます)
nyanmago20150103-1.jpg nyanmago20150103-2.jpg

2015年01月02日

初夢

 以前から、「多くの人が12月31日から1月1日になる時点で起きているのに、なぜ初夢は1月1日から2日にかけて見る夢なのだろうか」と不思議に思っていました。
 ところが、昨日、「日本ではかつて、一日の始まりは日の出が基準だったから」という話を見ました。
 確かに、この説なら、「初夢」は1月1日から2日にかけて見る夢以外の何物でもなくなります。
 長年の疑問が解け、すっきりした気分で、元旦の夜をむかえる事ができました。
 さて、そのように納得した気分で見た初夢ですが、普通に仕事をする、という特に変哲もない内容でした。
 面白みがない「初夢」とも言えます。まあ、「一年間、普通に過ごせる」という事を暗示しているのだ、と勝手に「夢占い」することにしました。

2015年01月01日

寝正月のあと色々動く

 元旦は、昼間まで寝ていました。それから、おせち料理を食べたのですが、日本酒を飲んだら、また眠くなりました。
 自分は、酒飲みですが、昼から飲むのは元旦のみ、という自己規定があります。
 というわけで、一年ぶりの「昼から酒」となったのですが、これが思ったより回ったようで、また眠くなってしまいました。
 その眠気に勝てず、もう一寝入りするという、典型的な寝正月となりました。
 ただ、その後は、正月早々職場に行って、いくつかの雑事をこなすなど、新年早々仕事をしました。
 そのあと、相方と職場近くの神社に初詣に行ったり、津田沼に出て買い物や食事をするなど、のんびり過ごしました。
 寒かったため、近所の猫は、屋内にこもっていたようです。そのため、「新年のニャン孫を撮影する」という元旦の目標を達成できないのは残念でした。
 もちろん、「一年の計」も立てました。まあ、昨年からずっと考えていた事をまとめただけ、という感じですが…。
 いずれにせよ、本日立てた計画の実現に向け、全力で頑張っていく所存です。

 
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