2009年01月31日

見当外れの「対策」

 日本人の関取が、大麻使用の現行犯で逮捕された、という事件がありました。昨年、ロシア人力士三人が大麻使用疑惑で解雇されたとき、マスコミは、あたかも「外国人力士」である事が原因であるかのような記事を書いていました。。
 さらに、相撲協会が作った「再発防止委員会」なる集団も、この事件の「対策」として、「外国人だけ、研修期間を伸ばす」などと見当外れの「提言」をしていました。
 それらの記事をどう読んでも「外国人だから大麻」という事を論理的に書かれてはいませんでした。そして、今回の件で改めてその記事や「委員会の提言」が稚拙かつ感情的だった事が実証された形になったわけです。

 悪名高い横綱審議委員会もそうですが、なんでこう相撲界の周辺にいる連中は、見当違いな事ばかり書いたり言うのだろうか、と不思議に思います。そのうえ、言ったり書いたりしたことが誤りだと明確になっても、何ら態度を改めないのですから、呆れるよりありません。
 子供の頃は相撲は大好きでしたし、今でも嫌いではありません。しかし、これらの低俗な雑音を見聞きするたびに、相撲について考える事自体が嫌になります。
 今場所こそは「朝青龍ブーム」に沸いたわけですが、相撲界は長期低落傾向にあります。もちろん、リンチ殺人や大麻吸引など、最大の原因は相撲界そのものにあります。とはいえ、これら周囲の「雑音」も相撲に対して悪影響を及ぼしているのでは、と思わざるをえません。
 協会自体はもちろんですが、これらの周囲についても、早く「膿」を出して欲しいものだと思いました。

2009年01月30日

普通のヲタと変なヲタ

[ 漫画 ]

 今の職場は、新年に各事業所が目標を立て、それを社内報で発表する、という慣習があります。その「目標」の中に「瞬間 心 重ねて」というのがありました。
 ちょっとアニメもしくはパチスロに詳しい人ならすぐ分かると思いますが、「エヴァンゲリオン」の題名の一つです。どうやら、そこの事業所責任者はかなり気合いの入った「エヴァ」ヲタクのようです。
 凄い責任者がいるもんだな、と思ったのですが、それと同時に頭に浮かんだのは、10年ほど前に安永航一郎さんが連載していた「超感覚ANALマン」という作品にあった、この題名のパロディでした。「瞬間」の「瞬」を一文字変えただけで、えらくお下劣な言葉になる、という作者の独特の感覚がにじみ出たものです
 そんな事を思っているうちに、ふと、この奇妙な標語を作った責任者より、自分のほうが相当変なヲタクである、という事に気づき、我ながら呆れてしまいました。
 まあ、ここの所、かなり仕事が忙しく、勤務時間以外にもつい仕事の事を考えてしまうほどです。そんな中、このような事を勤務中に考えることによって、自分の中で「ワークアンドライフバランス」を保っているのだ、と思うことにしました。

2009年01月29日

マネー川柳

 とある企業が主催している「マネー川柳」なる企画の宣伝を見ました。お金にまつわる川柳を募集しているのですが、そこに出てくる「イメージキャラ」は頭巾を被って杖を持った旅装風の男とその弟子風の男です。
 もちろん、具体名は書いてありませんが、どう見ても、松尾芭蕉と河合曾良を意識しているとしか思えません。
 確かに、同じ「五七五」とはいえ、俳句と川柳はそれぞれの歴史と伝統があります。それを混同するかのようなこの「イメージキャラ」は、双方に対して失礼なのでは、と思いました。

 もっとも、この主催している会社は、伝統を蔑視する事で有名だから、「失礼」などとはみじんにも思っていないでしょう。
 何しろ、20年ほど前にプロ野球球団を買収したときは、伝統ある球団名を二年で捨て、代わりに子会社の名前を球団名にしていました。そして、サイトの「球団史」にも買収前の歴史は一切載せていないほどです。
 そういう感覚だからこそ、川柳募集の企画に芭蕉・曾良風のキャラを平気で出せるのだろう、とも思いました。

2009年01月27日

2009/1/27の更新

 つれづれの乗換案内を更新しました。

「おごそかさ」の欠片もない発言

 恒例行事みたいなものですが、横綱審議委員会が、日曜に朝青龍関が見せたガッツポーズに「品格がない」などと難癖をつけたそうです。
 その横綱審議委員の一人が、場所前に朝青龍関の稽古を見て寂しかった。体に精気が感じられないし、太りすぎ。休場ならば、場所後の横審で引退勧告もありうると言っていたそうです。

 しかしながら、結果は復活優勝でした。すると、前述の委員氏は、今度はガッツポーズをやり玉に挙げ長く相撲を拝見しているが、こんな横綱はいなかったなどと「指摘」したそうです。
 長く相撲を見ているのが自慢のようですが、半月後に優勝する横綱に対して「精気が感じられないし太りすぎ」などと言うようでは、その相撲鑑賞眼は節穴と言わざるを得ません。その無能ぶりに比べれば、ガッツポーズなどどうでもいい事です。
 ちなみに、品格という言葉の意味は「その物から感じられるおごそかさ。品位。」だそうです。なかなか難しい言葉ですが、一連の発言を見る限り、この審議委員氏には備わっていないものだ、という事だけはよく分かります。
 朝青龍関の一挙一動に「品格がない」などと難癖をつける暇があるなら、自分たちの発言が「品格」に値する物かどうかを今一度見つめ直してもらいたいものだ、と毎度の事ながら強く思いました。

2009年01月26日

失われた一日

 日曜の朝、目覚めると、喉に強烈な痛みが走りました。前日から一部味覚がおかしいなど兆候があったのですが、どうやら本格的に風邪をひいたようです。テレビなどを見ていたのですが、結局また寝てしまいました。
 その後、目が覚めて食事食べて風邪薬飲んだらまた眠くなり、目が覚めたらもう夕方でした。そこで、とりあえず相撲を見たのですが、見終わったら眠くなり、後は昼と同じく、目が覚めて何か食べて薬飲んで寝る、の繰り返し。というわけで、気付いたら月曜の朝になっていました。さすがに、それだけ寝た事はあり、喉の痛みはひいていました。
 ほとんど何もできなかった一日でしたが、まあ、年に一度は風邪をひくのは恒例です。それを引きずらず、寝るだけで八割方回復したわけですから、良しとすべきなのかとも思いました。
 まあ、本当は風邪をひかないのが一番いいのは確かなのですが・・・。

2009年01月24日

インチキ業者の相乗効果

 職場の非公開番号に間違い電話がかかってきました。ところが、相手は間違い電話だと言っても、何故かしつこく食い下がり、こちらの名前を聞き出そうとしています。どうやら、名簿屋から得た情報を元にした勧誘電話のようで、その会社でないのか、としつこく尋ねてくるのです。
 つまるところ、名簿屋が誤記をし、それを信じた電話勧誘員が、こちらが嘘を答えていると思いこんで、食い下がっている、という構造のようでした。

 間違った情報を記載した名簿屋も名簿屋だし、それを真に受けて食い下がる勧誘員も勧誘員です。どちらもロクなものでないのは確かなのですが、それらのおかげで、何ら罪のないこちらが、迷惑電話の被害を受けているわけです。
 一方、名簿屋も勧誘員もこのような迷惑行為を行ないながら、よほどの事がないと罰せられる事もなく、迷惑電話とインチキ商法を続けているわけです。毎度の事ですが、理不尽さを感じました。
 ちなみに、家のほうでは、相方が、「Bフレッツを使っている」と何度言っても食い下がってくる、インチキ回線業者の襲撃があったとの事でした。今日のような気候には、インチキ業者の異常さを増幅させる要素でもあるのでしょうか。いずれにせよ、迷惑極まりないことです。

2009年01月23日

商店街

 仕事で、東急多摩川線のとある駅に行きました。「23区のローカル私鉄」という雰囲気が漂う駅を降りて、踏切を渡ると、そこには商店街がありました。
 マクドナルドやセブンイレブンといったチェーン店もありますが、ほとんどは個人商店でした。八百屋や魚屋などはなかったものの、それらを除けば「商店街」の典型的な風景でした。
 普段歩くのが、幕張本郷という極めて人工的な町で、商店街などはありません。さらに、よく買い物に行く、隣町の津田沼も、規模が大きすぎて、これまた商店街はありません。
 そういうわけで、普段、縁遠い生活をしているだけに、久々に歩いた商店街は、かなり懐かしい物がありました。もっとも、この駅前の人たちにとっては、昔から変わらない当然の風景なのでしょうが。
 いずれにせよ、この商店街が、今後も「当然の風景」として存在し続けてほしいものだ、と思いながら、短い商店街を通り抜けました。

2009年01月22日

泥酔者専用出口

 残業で終電近い電車で帰りました。津田沼止まりに乗ってしまったので、ホームのベンチで座って待っていたら、千葉から来た津田沼行きが向かいのホームに入っていきました。
 扉が開いて、しばらくすると、駅員さんの大声が聞こえました。見てみたら、酔いつぶれた人を興しているようです。
 ところが、しばらく声をかけても反応がないと見ると、駅員さんは放置して去っていきました。そして、しばらくすると、扉が閉まりました。

 まさか、このまま車庫に行くのか?と一瞬驚きながら、その酔っぱらい氏を見ていました。しかし、電車は動かず、しばらくすると、車内を巡回していた人が、その肩に担いで運んでいきました。
 ついつい目で追ったところ、駅事務室の前の車両だけ扉が開いていました。どうやら、声をかけても起きない酔っぱらいは、車内で運んで、そこでまとめて追い出す仕組みになっているようです。
 普通に扉から出しても、ホームで寝てしまうためなのでしょうか。それとも、泥酔者が風邪をひかないために、少しでも室温を上げるための配慮なのでしょうか。
 今ひとつ理由は分かりませんでしたら、長年の経験に基づいた酔っぱらい対策なのだろうな、と妙に感心してしまいました。

2009年01月20日

2009/1/20の更新

 翔みならブログめもちょうを更新しました。

羽幌とオホーツク

 とある駅前を歩いていたら、「羽幌ラーメン」という看板を見ました。「札幌」なら普通ですが、羽幌とは珍しいものです。あまり聞き慣れない地名ですが、留萌と稚内の間にある元炭坑の町です。
 私がこの町を知っているのは、かつて走っていた国鉄羽幌線がきっかけでした。中学の頃、時刻表を見ながら乗ってみたいと思っていたのですが、1987年3月に廃止されました。初めて北海道に行った1989年前の冬に、起点だった留萌駅に行って、雪に埋もれた、かつての羽幌線ホームを見たときの寂しさは、今でも覚えています。

 というわけで、行ったことはないのですが、「羽幌」という文字を見たときは、懐かしさみたいなものを感じました。ところが、その下に書かれていた文字には違和感がありました。そこには「オホーツク」とあったのです。
 羽幌は確かに、海に面した町ですが、そこにあるのは日本海です。確かに、「北海道のあまり聞かれない海沿いの町」につける言葉なら、「オホーツク」のほうが「らしい」でしょう。とはいえ、実際に面していない海の名前で宣伝するのはどうかと思いました。
 というわけで、「羽幌」に対して勝手に懐かしさを感じただけに、その「宣伝文句」を見たときは、残念な気持ちになりました。そして、この店がどのような言葉でラーメンを宣伝しているのか知らないが、どんな言葉でも信用はできないな、とも思いました。
(追記・実際に行った方の話によると、この看板は、ラーメン屋と「オホーツク海の味羽幌」という居酒屋の共有物であり、「羽幌ラーメン」を売っているわけではないとの事でした。というわけで詐称しているのはラーメン屋でなく、居酒屋ということになります)。

「バックアップ選手」発表

 WBCの一次選抜メンバーが全チームで発表されました。そして、日本では、前回発表された選手たちに加え「バックアップ選手」として、千葉の西岡選手や、前千葉で昨年からインディアンスに移籍した小林雅英投手・レッドソックスで2007年のWシリーズ制覇にも貢献した岡島選手などが選ばれました。
 もちろん、三年前にはそんな選手はいませんでした。それどころか、昨年を含めた五輪でも、そんな定義の選手は存在しません。
 野球用語で「バックアップ」と言えば、打球や送球を処理しようとする選手の後ろにまわって、失策時の被害を最小限に抑える行為を意味します。彼らに求められるのも、当初の代表候補選定に「失策」が判明した際の被害を最小限に抑えることなのでしょうか。

 とりあえず、現時点で分かっている「違い」は、「バックアップ選手」は2月から行なわれる代表合宿に招集されていない、という事のようです。しかし、実際問題として、彼らが代表合宿に参加しない、というのも変な話です。
 というわけで、結局のところ、「追加招集」のようなものなのでしょう。いずれにせよ、当初の人選が最適とは思えませんので、誤りを正すことはよろしいかと思います。
 あと、「バックアップ選手」を選ぶなら、ついでに「バックアップ監督」や「バックアップコーチ」を選んだ方がいいのでは、とも思いました。
 ついでに、「WBC代表漏れ」ということで「返上」となった西岡選手の年俸一千万円分の扱いも気になるところです。
 なお、各国の選手を見ると、前千葉のズレータ選手や、元千葉のパスクチ選手の名前もありました。当初の「渡辺俊介投手一人」に比べると、千葉関係者がかなり増えており、嬉しい限りです。特に、パスクチ選手は、久々にプレーしている姿を見たいので、是非とも代表に残ってほしいものです。

 あと、以前から報道されていた井口選手の千葉入団も決まりました。ここ数年、大リーグでレギュラーを獲得できていない選手に1億8千万で3年契約、というのは、あれだけ赤字だ赤字だと言っている球団にしてはどうなのか、という気もします。また、以前書いたように、「監督手形」などという噂も心配です。
 とはいえ、日本での実績もあるわけですし、外国人枠も関係ないのですから、大リーグで同程度の成績を挙げている外国人選手よりは期待できるでしょう。
 いずれにせよ、これで野手の補強は一段落かと思われます。というわけで、後は、外国人投手と育成枠から誰が上がるかが興味の焦点になってきそうです。

2009年01月18日

七隈線

[ 交通 ]

 昨日の福岡滞在話の続きです。念願の水炊きを食べた後、飛行機の時間まで小一時間の余裕が生じました。調べてみたら、ちょっと歩いて福岡市営地下鉄・七隈線の天神南駅まで行き、そこから終点まで往復するだけの余裕がありました。
 いわゆる「乗りつぶし」は中学の時に夢見た物の、大学時代に諦めました。とはいえ、やはり目の前に未乗路線があり、ちょうど往復するだけの時間がある、となるとついつい乗りたくなります。

 まあ、地下鉄だから外は見れないが、終点について、ちょっと駅の周りを見るくらいできればいいか、と思っていました。
 ところが、先頭車両に乗ったときは驚きました。普通、地下鉄の運転席というのは、反射で外が見えなくなるのを防ぐため、運転室と客室の間の窓は、遮断幕が下りています。
 ところが、この七隈線は、幕どころか、運転室と客室を仕切る壁すらないのです。バーがあって、「運転室への進入はご遠慮下さい」と書かれています。しかし、空間的にはほとんど仕切りがありません。何か、レールバスに乗ったような感じでした。
 そして、席から前方を見ると、ちゃんとトンネルの様子が見えます。何らかの技術で、反射を防いでいるのでしょうか。
 長年、鉄道に乗っていましたが、地下鉄の前面展望を見たのは初めてでした。そして、そのトンネルの形状にも、複線分のトンネルがあったり、単線トンネルが並んでいたりと、様々な「表情」があることを知りました。これらの体験をしただけでも、乗って得したと思えました。
 一方、運転台上にはモニタがあり、ニュースや広告などを流しています。その中には丁度、前日に発表された、「七隈線延伸計画」についての記事もありました。
 現在の七隈線の起点である「天神南」駅は、従来からの地下鉄「天神」駅とは、かなり離れています。実際に歩いたところ、早歩きしたにも関わらず、ホームからホームまで10分弱かかりました。
 それだけ乗換えが不便な事もあり、乗客数も伸びないとのことで、その対処も含め、複数の延伸案が検討されている、との事でした。
 車内で、その路線に関するニュースを見る、というのはなかなか珍しい事かと思いました。
 一往復しただけとはいえ、やはり乗った路線というのは、親しみみたいなものが生じます。ぜひとも延伸計画が成功し、賑わって欲しいものだ、などと思いました。

新外国人と退団外国人

 千葉の新外国人が発表されました。いずれも、昨年の秋季キャンプに参加していた、ゲイリー=バーナム=ジュニア選手と、チェイス=ランビン選手です。実績がないだけに年俸も低く、そのあたり、「球団の赤字」を象徴した人選とも言えます。とはいえ、逆に言えば伸びしろもあり、日本野球へ適応する可能性も高いわけです。
 どのような位置づけの起用になるか分かりませんが、頑張って貰いたいものです。
 あと、ランビン選手が昨年所属していた、3Aのアルバカーキというチームは、広島のシーボル選手と、東北のグウィン投手(退団)が来日前に所属していました。何か、日本へのパイプでもあるのだろうか、と気になります。いずれにせよ、元チームメイトが他球団とはいえ、日本にいる、というのも心強いことでしょう。

 一方、同時に、オーティズ選手・アブレイユ投手・呉投手の退団が発表されました。アブレイユ投手は、怪我でシーズン後半を棒に振ったものの、フェニックスリーグに参加する形で、来季へのテストを行なっていました。それが、この時期に解雇ということは、代わりとなる外国人投手の目処が付いた、という事でしょうか。
 呉投手に関しては、昨年は二度一軍での先発がありました。うち、5月の合併球団戦では好投したものの、継投陣が打たれて逆転負けし、来日初勝利を逃しました。あれを勝っていれば、結果は違ったかも、とも思いました。また、二度目の先発の試合は観戦していました。ただ、序盤から制球が定まらず、自滅という形で2回途中で降板となりました。結果的に、これが一軍最後の試合となったわけです。
 千葉入団直前に出場したアジアシリーズでの好投も観戦していただけに、期待していました。それだけに、結果を残せずに退団したのは残念です。まあ、日本の環境があわなかったという部分もあるのかもしれません。来年は、LA NEWベアーズに復帰するのかどうか分かりませんが、頑張って欲しいものです。できれば、またアジアシリーズで見たいものです。
 また、オーティズ選手は、かつて神戸にいた時に比べると一発は減りましたし、「グラブ投げ」という珍プレーをやったりしました。しかしながら、安定した実績を残していただけに、退団はやや意外でした。やはりこれも、球団の財政状態と関係があるのでしょうか。
 いずれにせよ、これで、交渉中の井口選手と、取る可能性がありそうな外国人投手枠一つを除いて、支配下枠が確定しました。その二選手分を差し引いても、支配下枠に余裕があるため、その分は育成選手が昇格するかと思われます。それが誰になるかも、興味深いところです。

 話は変わりますが、今日、散歩していたら、公園で親子が野球をしていました。子供は、両打ちを目指しているのか、一打席ごとに左右を変えて打席に立っています。
  そして、左打ちの時に限って、構える前に、左手にバットを持って、前方に突き出します。つまり、イチロー選手の真似をしているわけです。
 改めて、イチロー選手の影響力を感じさせた、散歩中の一こまでした。

2009年01月17日

20年ぶりの念願かなう

 子供の頃から水炊きが大好物でした。そのため、水炊きの本場が福岡だと知った時は、いつか、本場で水炊きを堪能したいものだ、と思っていました。
 そして初めて福岡に行ったのは今から約20年前となる、大学二年の夏休みでした。博多駅で降りた後、水炊きを出す店を探し、その中の一箇所に入りました。しかし、残念ながら、一人前で満足できる水炊きはありませんでした。

 それから、いろいろあって、昨年から仕事で福岡に行く機会が激増しました。したがって、当時の思い残しであった「一人で水炊きを堪能する」という念願がかなうかと思いました。
 しかしながら、ある晩に行った店は、水炊きを売りにしながらも、不要な創意工夫(?)がされていました。そのため、「水炊き」とは異なる味の「鳥鍋」を高い値段で食べる羽目になったりしました。
 そんな中、ネットで一店ほど、自分の要望を満たせてくれそうな店を発見しました。そこである時に行ってみたのですが、不運な事に、その日は丁度、不定休の休みでした。
 その店に、今日行ってみました。幸い、店も開いており、目的としていた「一人前の水炊き」もありました。
 それを食べたのですが、鍋に鳥しかなく、私の水炊きを愛する理由の一つである「鳥の味が染みた白菜」を食べることができないとか、タレの味付けで薬味がききすぎ、などの不満はありました。
 しかしながら、鳥の味はまさに「水炊き」というもので、それについては、大変満足できました。
 最初に食べようと博多をうろついたのが1989年の夏ですから、ちょうど20年後に念願がかなった形となりました。それだけ待った事もあり、100%満足とは言えなかったものの、かなりの達成感がありました。

2009年01月16日

忘れまくりの一日

 今日は福岡市内を移動しながらの仕事でした。結果はおおむね順調にいったのですが、昨日の深酒がたたったのか、少なからぬ忘れ物をしてしまいました。
 まず、ある所でメモを忘れました。そこでのみ使う物なので実害はなかったのですが、次に行ったところに連絡が入り、笑われてしまいました。
 そしてそこでは、朝から雨が降っていたために買った傘を、晴れた事もあり、忘れてしまいました。

 さらに極めつけは、その次に行ったところでした。携帯の電池残量が危なかったので、そこで作業中に充電をしていました。ところが、作業が終わると、その事をものの見事に忘れてしまいました。
 そして帰りのバスに乗った直後、胸ポケットに違和感を覚えて初めて気付き、次のバス停から歩いて引き返す羽目になりました。
 さすがにそれ以降は極めて慎重になり、特に問題なく残りは終えることができました。
 というわけで、出張および一週間の仕事が終了しました。折角なので、昨年五回福岡へ行ったにも関わらず、一度も食べていなかった屋台のラーメンを食べることにしました。
 そして、屋台街を歩いていたのですが、そこで「長浜ラーメン」という看板が見えました。立ち止まったところ、「席空いているよ」と店員に声をかけられ、何となく入ってしまいました。
 ところが、そこは「ラーメン」のメニューをかかげながら、ラーメンは普通・大盛・チャーシューの三品だけで、串とおでんがメニューの中心でした。いつも普通のラーメンしか食べないので、ラーメンのメニューが何品でもいいといえばいいのですが、やはりこれだと「本格的なラーメン」は期待できません。
 実際、出てきたものも、かなり空腹だったにも関わらず美味しさを感じることができない、という品質のものでした。
 店選びの基本である「呼び込みは相手にするな」を忘れていた報いを受けた形になってしまいました。というわけで、仕事中も終わってからも「忘れ物」で失敗しまくった一日になってしまいました。

2009年01月15日

青い小鳥

 週末は二泊の出張で、今日は京都に泊まりました。仕事は珍しく順調に進み、予定時刻に完了しました。そこで、夕食前に相方に電話をしたところ、せっかく時間があるなら、京都らしく豆腐料理を食べれば、と勧められました。
 もともと、豆腐は大好きですし、言われてみれば確かに「京都らしさ」を感じることができる料理と言えます。
 駅のそばに宿を取ったので、駅周辺の豆腐料理屋をパソコンで検索したのですが、引っかかったのはいずれも駅の反対側にある店でした。

 まず二つあるうちの一つである、京都駅ホームが尽きたあたりにある店に行きました。そのため、日本一長いホームを持つ京都駅をほとんど端から端まで歩いた上に、線路をくぐったのですが、そこは前に泊まったことのあるホテルのテナントで、その時食べた豆腐が冴えなかった店でした。
 したがってそこでの食事はは諦めて、もう一つの店を目指しました。そこは京都タワーの裏手にある店でしたので、結果的に長大な京都駅をほぼ半往復したような形になりました。
 ところが、目的地のあたりに行ってもそれらしい店は見あたりません。そこで携帯で検索をかけたところ、何とその二番目に行こうとしていた店は支店で、本店は泊まっているホテルの近くにある、とのことでした。
 ならばと思い、本店に行くことにしました。その結果、京都駅をほぼ一周して元の所に戻った形になってしまいました。
 なんか、童話にある、「延々と探し求めていたものが、実は身近に存在した」を彷彿させられるような話でした。そう考えると空しい物がありますが、それとは別に駅周辺だけとはいえ、「京都ならでは」というものをいくつか見ることができました。
 それゆえに、今回の京都での夜は、苦労してたどりついた店の豆腐が美味かったこともあいまり、かなりいい結果になりました。

2009年01月14日

2009/1/14の更新

 翔みならブログめもちょうを更新しました。

2009年01月13日

過激派が取り持つ縁

 経理に頼まれて袋詰めの仕事を手伝っていました。単純作業なので、あまり頭を使う必要がない事もあり、経理の人同士で、軽い雑談が始まりました。内容は、他愛のないもので、近所の大学に過激派が闖入して、それ以来、しばらくの間、警備が厳しくなった、というものでした。
 単純作業の最中なので、その程度の話でも盛り上がります。経理の二人は10歳以上離れているのですが、出身大学は同じなようで、在学中に体験した話で盛り上がっていました。とはいえ、世代の違いがあり、60近い人は、学園紛争のあおりで、一年間授業がなかった、とか言っていました。
 私の大学時代も、過激派が幅をきかせていたので、ついつい話に乗って盛り上がりました。最初は、二人の大学がどこだか分からず、「当時は、どこの大学も過激派が幅をきかせて、うちの大学みたいだったんだな」などと思っていました。

 そんなこんなで思い出話をしているうちに、そのうちの一人が、聞き慣れた校舎名を言い出しました。その時はじめて、この二人が自分の大学の先輩であることに気付きました。なるほど、それならば時代を超えて似たような過激派がいたのも道理です。
 大学時代の過激派の思い出といえば二つほどありました。一つはたまたま学食の前で彼らの壁新聞を「見物」していたら、共鳴者と思われて執拗に勧誘され、それがクラスに知れ渡り、「過激派疑惑」をかけられた、というものです。
 もう一つはサークルの部室がないので、学生会館の空き室を取ろうとしたら、「部屋使用権と引き替えに、年に数回、ヘルメットとマスク姿で成田に人身御供を出さねばならない」と聞いてあきらめた、というものでした。いずれにせよ、いい思い出はありませんでした。
 しかしながら、それらの「過激派活動」がなければ、おそらく、この二人が大学の先輩である事を知る機会は永遠になかったかもしれません。そう考えると、この「出会い」は、彼らのおかげと言えるかもしれません。
 入学以来四年間、一度もいい思いをした事はありませんでした。それがまさか、卒業して17年後に彼らに感謝(?)する事になるとは思いませんでした。人生とは分からないものです。

2009年01月12日

星とニュースの売買

 小倉氏とかいうテレビキャスターが、場所前に朝青龍関に対し、「星が買えればいい」みたいな発言しました。それに対して、相撲協会に取材拒否を臭わせるような「抗議」を受けて謝罪した、というニュースがありました。
 相撲協会の過剰反応には毎度の事ながら問題があると思います。とはいえ、キャスター氏を擁護する気にもなれません。なにしろ、昨年後半は怪我でほとんど土俵に上がれなかったものの、22回優勝した横綱に対し、要は「八百長しなければ勝てない」と言ったわけです。失礼と言わざるを得ないでしょう。

 ただ、そのキャスター氏の「実績」を聞いた事があるので、この安易な「八百長発言」をの記事を見ても、あまり違和感がありませんでした。
 その「実績」とは、ある零細企業の社長が、「知人の知人」の紹介でこのキャスター氏と一回食事をしたところ、数日後に流れたニュース番組の冒頭で、そのキャスター氏がその会社の宣伝をした、というものです。しかも、内容はロクに取材もしておらず、その会社のサイトにも書かれていないような架空の「実績」まで語っていました。
 もちろん、その会席の場にいたわけではないので、その場でどのような「取引」が行なわれたかは分かりません。とはいえ、一度食事しただけの人の会社を、ロクな取材もせずに、あることないことTV番組で宣伝する、という姿勢が報道者として不適切である事は間違いありません。それこそ「星の売り買い」に類する事がその場であった、と思われても仕方ないでしょう。
 それを知っていただけに、ニュースを見たときは、「つい、自分の『報道』と同じ姿勢で、相撲について語ったのだろうか」などと思ってしまいました。

2009年01月11日

遅れと回復

[ 交通 ]

 幕張のイトーヨーカドーに散歩がてら買い物に行きました。帰り日も暮れて寒いこともあり、バスで帰ることにしました。ところが、バス停に行ってみると、ポールに「1/9から1/11まで、メッセでイベントがあるので、道路が渋滞し、遅延が発生しますので、ご注意願います」と書いてありました。
 一瞬、不安になりましたが、バス停に着く直前にJR幕張行きが発車しており、時刻表と照合すると、ほぼ定刻でした。
 幕張本郷駅行きの時刻表を見ると、5分後となっています。渋滞も終わったようだし、待たずに乗そうで良かった、などと思いながら待つことにしました。

 ところが、予定時刻になってもバスは来ません。さらにしばらく待っていたら、やっと海浜幕張方面から、バスが見えました。
 「まあ、普段から海浜-カルフール間は渋滞するし、5分くらいの遅れなら仕方ないな」などと思ったのですが、近づいてきたバスの行き先は、京成幕張行きとなっています。
 とうぜん、やり過ごしたのですが、気になって京成幕張行きの時刻表をみたところ、定刻より15分以上遅れています。まさかと思い、JR幕張行きの時刻表を見たところ、だいたい20分間隔での運行となっています。このとき初めて、最初に見たJR幕張行きは定刻でなく、大幅に遅れた一本前のものだったという事に気づきました。
 最初から気付いていたら、先ほどの京成幕張行きに乗っていたのですが、もう手遅れです。仕方ないので、寒風吹きすさぶ中、20分くらい待ちました。おかげで、バスの行き先が「幕張本郷駅」である事を確認できた時はかなり嬉しいものがありました。
 で、乗れたまでは良かったのですが、運転手さんは大幅な遅れを取り戻そうと、かなり急いでいます。椅子に座った瞬間に急速発信し、一歩間違えたら転ぶところでした。
 そして、幕張四丁目までの大通りはもちろん、そこから両側二車線の旧国道に入っても、速度を落としません。普段は、裏通りを、のんびり走る、という感じなのですが、今日は完全に違っており、かなり刺激的な乗り心地になっていました。
 渋滞で遅れるのは別にバス会社のせいでないので仕方ないとは思います。ただ、あまりに熱心に遅れを回復させようとするのは、少々危ないのではないか、と思いました。

2009年01月10日

注文の多い料理店

 宮沢賢治の有名な小説である「注文の多い料理店」ですが、先日、この作品の事を考えて、話の落とし方の不可解さに気付きました。
 あの話は主人公が食べられそうになった時に、冒頭で泡を吹いて死んだはずの猟犬がなぜか生き返って化け猫と思われる「料理店主」を撃退します。それで主人公は助かるのですが、この猟犬の復活の意味が分かりません。
 これが、主人公達が犬を愛しており、それに報いるため、というのなら分からなくもありません。しかしながら、主人公達は犬のことを購入した代金でしか評価していません。
 そうやって考えると、この「犬が復活して主人公を助ける」に必然性がありません。これがまだ、「山の中ではぐれてしまった」くらいなら分かるのですが・・・。

 そうやって考えているうちに、一つの仮説が思い浮かびました。当初はこの話、間抜けな主人公達が自らを「調理」し、化け猫に食べられて終わり、という構想で作られていた、というものです。
 しかし、そのオチだとかなりグロくなるうえに、商業誌的にもよろしくないなどの理由で、書いているうちに方針が転換されたのでは、と思ったわけです。
 そこで、主人公達を助ける必要が生じ、その役として、冒頭に出てきてすぐに死んだ犬が抜擢(?)された、というわけです。
 これなら、あのような唐突すぎるオチになったのも説明がつくのでは、と思いました。もちろん、今となっては確かめる術は存在しないのですが・・・。

2009/1/9の更新

 トップ絵を更新しました。
 翔みなら絵ブログらくがきちょうを更新しました。

2009年01月08日

2009/1/8の更新

 翔みならブログめもちょうを更新しました。

7年半ぶり二度目のブーム

 携帯サイトの広告を見たら「ぷよぷよ」がありました。懐かしさもあってクリックしたところ、月315円でiアプリで遊べるとのことで、ついつい衝動買いしてしまいました。
 以降、帰りの電車は、ずっと「ぷよぷよ」ばかりやっています。このゲームに最初にハマッたのは、1993年から1994年にかけてでした。続いて、2000年にPC版がをDL購入してちょっとハマッて以来ですので、7年半ぶりにハマった事があります。
 やっている事は基本的に変わらないのですが、なぜ7年前後の周期で「ブーム」が来るのか、我ながら不思議です。とりあえず、帰宅の体感時間が非常に短くなったのは、嬉しいことだと思っています。

2009年01月07日

派遣切りと自己矛盾

 金融不況の影響ということで、自動車製造業を始め、派遣社員の解雇が広がり、社会問題になっています。寮を追い出された人の仮の宿である「派遣村」という言葉も大いに話題になりました。
 その一方で、坂本総務政務官のように、あたかも、自業自得であるような発言をする輩もいます。ネットなどを見ても、「派遣社員は切られて当たり前」みたいな、同様の意見を主張する人間が見られます。それらを見たり聞いたりすると、この寒空の中、寝る場所がないような人を中傷するなんて、どのような神経の持ち主なのだ、と呆れかつ寂しい気分になります。

 ところが、そんな事を家で思っている自分が会社に行くと、立場が一変(?)します。私の仕事は月初が多忙で、10人くらいの派遣の人に来てもらって凌いでいました。そして、それを終了させるためのシステム導入および、それに伴う派遣社員の経費節減を進めるのが、自分の仕事だったりします。
 私が関わっている人たちは、「この仕事がなくなったら、住むところもなくなる」という状況ではありません。また、削減はかなり前からの予定であり、今回の金融不況とも何ら関係はありません。とはいえ、段々と仕事が減っていく中、帰りがけに「ここに来るのも今日が最後かも・・・」などと言われると、胸に来るものがあります。
 いずれにせよ、自分が広い意味での「派遣切り」をやっている事に変わりはありません。にも関わらず、一方で派遣切りを肯定する人たちを批判的に思っているわけです。端から見ると、矛盾しているとも言えるでしょう。実際、自分でもそうやって考えていくと、頭が痛くなります。
 そう考えれば、坂本政務官や、ネット上で切られた人々を叩いているような人は、気が楽なんだろうな、などと思ったりもします。もちろん、だからと言って、彼らに同調しようとする気は、毛ほども生じませんが・・・。

2009年01月06日

後ろ向き思考

 打ち合わせをしていて、新しい事をやる話が出ました。それを聞いたとき、最初に思い浮かんだのは「また新しいことを覚えるのか、面倒な・・・」でした。
 これまで、色々な仕事をしてきましたが、やる前から無意味な事が分かっている場合を除いては、新しいことを始める際にそのような感情を持ったことはありませんでした。
 正月二日からの八連勤はまだ前半終了したばかり、という状態で疲れていた、というのはあるでしょう。とはいえ、そのような後ろ向きの発想をした自分に愕然としました。
 考えてみれば、趣味においても、最近あまり新しいことをしていません。それどころか、既にやっている事すらおろそかになっています。
 疲れと加齢が合わさったために発生した心理状態なのでしょうか。いずれにせよ、心身とも後ろ向きになるにはまだ早すぎます。何とかしたいものだと思いました。

2009年01月04日

東京湾越しに見る富士山

 仕事で、浦安の観光ホテルに行きました。舞浜で、俗に言う「ネズレール」に乗換えて目的地に向かいました。周りの皆が行楽のなか、一人仕事というのもなんだかな、と思いつつも、運転席のない先頭車両に座り、前面の窓からの展望を楽しんでいました。
 そして、しばらく進むと目の前に東京湾が見えました。ここまでは過去に乗ったときにも見ましたが、今日は正月なので空気の純度が違います。東京湾の向こうにある都心のビル街の向こうにそびえる富士山が見えたのです。
 モノレールの先頭車両から海越しに見る富士山、というのはなかなか趣があると思いました。しかしながら、乗っていた何組かの親子連れは、それに気付く気配もありませんでした。数分後に降り立つ、ディズニーランドだかディズニーシーだかで頭がいっぱいだったのでしょう。
 気持ちは分かるのですが、なんだか勿体ないように思えました。まあ、もしかしたら、この親子連れは実は静岡か山梨から来ており、「富士山が見える」などという事が珍しくも何ともないのかもしれませんが・・・。
 まあ、周辺の人の反応はともかく、年明けならではの「東京湾越しの富士山」を見れたのは嬉しいことでした。

2009年01月03日

2009/1/3の更新

 つれづれの乗換案内を更新しました。

手形乱発

 前フィリーズの井口選手を千葉が獲得に動いているそうです。率直に言って高い年俸を払って30台半ばの日本人内野手を獲得するのが、今の千葉に必要とは思えません。とはいえ、大リーグで定位置を獲得する実力はもうないとはいえ、日本での実績を考えれば、一定水準の数字を残せる可能性は高いと思います。
 というわけで、獲得自体は別に賛成はしかねますが反対もしません。ただ、その報道にあった将来的に引退後はコーチなど指導者として球団に残る道を用意するというなる一文は非常に気になりました。

 確かに井口選手には十年以上積み重ねた選手としての実績はあります。しかし、指導者の能力と選手の能力は異なります。にも関わらず、まだ入団してもいない選手のために、数年後のコーチの椅子を一つ確定させる、というのは「新たな10年を見据えたチーム作り」としていかがなものなのでしょうか。
 また、チームで実績を残している選手達にとっても、かなり失礼な話です。
 この「幹部手形」という発言が流れたのは、今オフで二度目です。秋口にはドラフト2位で指名した社会人の選手に対しても、入団の条件として「将来の幹部手形を用意」などと報じられました。
 こちらに至っては、プロで1試合も出ていない選手に対してです。なんでそんな気軽に、「手形」を乱発できるのか分かりません。
 もちろん、匿名の「球団幹部」の発言という形の記事なので、どこまで本当かわかりません。とはいえ、読んだ後は不快感をおぼえると同時に、瀬戸山体制への不信感がさらに増しました。

2009年01月02日

マスターズリーグで今年初の野球観戦

 東京ドームで行なわれた、マスターズリーグの東京ドリームス対福岡ドンタクズの観戦に行きました。正月にマスターズリーグに行くのはこれで三年連続で、完全に「今年初の野球観戦」として我が家では定着しています。
 今日は、無料開放されていた外野席に行きました。ただ、その外野席よりも、有料だった内野自由席のほうが人は多く入っていました。

 試合のほうは、江夏投手と池永投手という両監督の先発でした。ただ、ともに顔見せみたいな感じで、特に江夏投手はほどんど始球式みたいな「先発」だったそうです。夕方まで仕事だったので、少々遅れたのですが、球場に入った時は、既に両監督とも降板していました。
 そういう事もあり、初回に福岡が2点、東京が4点と序盤から打撃戦となります。そして、2回に福岡が1点差として迎えた3回、東京は71歳の若生投手を起用します。12月の千葉マリンでは先発して初回を抑えた若生投手でしたが、今日は打ち込まれ、1死も取れずに降板し、同点に追いつかれます。
 しかしその裏、東京はこの回先頭で登場した元タイガースの中野選手が安打するとすかさず盗塁を決め、さらに内野ゴロで三塁に進みます。そして2死後に元埼玉の伊東選手に適時打が出てすかさず勝ち越しに成功。さらに5回にも2点を追加し、3点差とします。
 直後の6回表に村田兆治投手が登板しますが、今日は球速・制球とも絶不調。直球は130キロ台半ばしか出ず、投げてはいい当たりの安打を打たれた上に、自らの二暴投もあり、2点を返されてしまいました。
 そして続く7回に福岡が追いつき、試合は8対8の同点となります。
 そして迎えた8回、東京は2死1・3塁と好機を作り、続く中野選手の当たりが右中間を襲います。しかしこれを中堅に入っていた、元千葉の市場選手が好捕し、勝ち越せません。
 さらに9回も2死1・2塁のサヨナラ機を作りますが、30台選手である鈴木健選手が打ち取られ、試合は延長に入ります。
 そして迎えた10回表、東京は前の試合でサヨナラ負けを喫した阿波野投手が登板。先頭打者の三塁線の当たりを初芝選手が捕りきれず二塁打となり、それを足がかりに勝ち越しを許します。
 その裏、福岡は永易投手を起用します。現役時代は左キラーとして有名だった投手ですが、対する東京打線は右打者が並んでいます。
 そして、先頭の垣内選手を遊ゴロに打ち取ったものの、悪送球で2塁まで進まれ、さらに続く元横浜の村岡選手の犠打が内野安打となり、無死1・3塁となります。ここで打席に入った元読売の佐藤洋選手が右翼手の頭を越す長打を放ち、三塁走者はもちろん、一塁走者も一気に生還し、東京が9対8で逆転サヨナラ打を決めています。
 「野球は8対7が一番面白い」という人がいますが、それとほぼ同じスコアの上に、延長戦での逆転サヨナラなわけですから、点数的には「一番面白い試合」でした。そう考えると、新春早々縁起が良かったと言えるかもしれません。
 観客の入りですが、1階のみの開放で、内野自由席はほぼ満席で、バックネット裏と外野席も六割以上入っていましたから、2万人くらい入っていたのかもしれません。

2009年01月01日

2009/1/1の更新-その2

 体育館千葉ロッテマリーンズ監督解任問題についてを掲載しました。

正月の視点変化

 新年あけましておめでとうございます。昨年は当「つれづれの館」にいらしていただき、有り難うございました。本年も頑張って参りますので、宜しくお願いいたします。
 さて、今日は元旦だったわけですが、我が家は昼過ぎに津田沼まで散歩に行きました。そして、食事をしたり買い物をしたりしました。このあたり、普段の休日とさほど変わりません。違いと言えば、朝に雑煮とお節料理を食べた事くらいです。
 そして夕方になり、帰宅すべく津田沼駅に行きました。すると、改札から出てくるネクタイ姿の人が目につきました。

 これまでも、毎年正月は近所まで外出していました。しかし、ネクタイ姿の人が気になった事はありませんでした。
 昨年までと今年の違いと言えば、私が明日から出勤する、という事です。それを意識しているから、これまで見ても記憶に残らなかった「正月早々会社に行った人」を意識するのだろうか、などと思いました。
 というわけで、今日で早くも「正月休暇」は終わりです。明日からは気持ちを切り替えて仕事もそれ以外も頑張っていきたいと思っています。

2009/1/1の更新-その1

 トップ絵を更新しました。
 翔みなら絵ブログらくがきちょうを更新しました。