2012年04月07日
コナン列車とミステリー
鳥取県の山陰線に、作者が地元出身である「名探偵コナン」を描いた列車が登場、というニュースを見ました。
「名探偵コナン」と言えば、毎回のように関わった人が死ぬことで有名です。そんな事もあり、その列車でトラベルミステリーが発生する事を想像してしまいました。
トラベルミステリーといえば、西村京太郎さんが有名です。今年で81歳になるそうですが、相変わらず新作を執筆しており、駅の売店などでも新刊をよく見かけます。
というわけで、ぜひ西村さんの次の題材にはこの、ある意味もっとも事件発生が似合う列車である、この「コナン列車」を選んで欲しいものだ、などと思いました。
2012年03月31日
幕張本郷が「注目」に
昨日からかなりの強風でした。日中、都内に出かける用があったので家を出たのですが、駐輪場や道端に止めてあった自転車は軒並み倒れていました。
そして幕張本郷駅に着いたら、改札周辺にかなりの人がいました。強風で京葉線が止まり、振替輸送で幕張本郷に来た人たちでした。
電車に乗ったあと、今日と明日にメッセで大規模なイベントがあることに気づきました。そして、ツイッターを見たところ、よく呟かれる言葉を集めた「注目」という項目に幕張本郷が出ていました。京葉線で行こうとした人が代替経路で幕張本郷に向かったためなのでしょう。
そして、幕張本郷のバスターミナルはバス待ちの大行列ができていました。もっとも、このバス停において、大行列は毎朝通勤時における日常茶飯事です。そのため、現地で撮られた写真を見てもさほど驚きはしませんでした。
とはいえ、普段は大行列ができる事を前提に、専用の「改札口」や10人くらいの乗客整理員が配備され、さらにバスは1分に1本ペースで発車します。
そのシステムが動いていれば、この行列も普段通りさばけたでしょう。しかしながら、突発的な事なので、それはかなわず、皆、かなりのバス待ちをする破目になったようです。
大変な目にあって会場までたどり着いた人には申し訳ない話ではありますが、地元の地名がツイッターの「注目」に取り上げられたのは嬉しいことでした。
そのように、他人事として総武線の中でツイッターを見ていたのですが、江戸川を渡るあたりから、段々と速度が遅くなってきました。強風の影響が総武線にも及んできたわけです。
そして、錦糸町でついに運転見合わせとなりました。今日は、都内の数カ所に用事があったため、都区内フリーきっぷを買っていました。そのため、すぐに振替乗車票をもらって地下鉄で目的地に向かう事ができました。その一方、改札窓口の所では、振替の対象とならない、Suicaなどで乗車した人たちによる長蛇の列ができていました。
この問題はメッセに行く人にも当てはまります。海浜幕張までの切符を持っていれば、幕張本郷から出るバスにも振替乗車という事になり、無料で乗れます。しかし、Suicaなどで入場すると、バス代を支払う必要が生じます。
帰りに幕張本郷駅に行ったら、その事で、駅員さんに怒鳴りつけている人がいました。
以前にも書きましたが、このルールには問題があると思います。実際問題として、鉄道会社は切符が使える自動改札を減らすなど、ICカードへの移行を促しています。ならば、同じ目的地に向かっているにも関わらず、切符を買った人とICカードで入った人で支払額が異なる、というのは適切だとは思えません。
せめて、「今日は京葉線は止まっていますので、京葉線の駅に向かう人は切符を買って振替輸送を利用して下さい」とアナウンスや掲示をすべきでしょう。しかし、そんな事は今日利用した都内のどの駅でもやっていませんでした。
それどころか、幕張本郷駅でも、そのような放送も電光掲示もなく、京葉線が止まっている事は、ツイッターで確認したほどでした。
というわけで、久々に、交通の事を色々と考えた一日となりました。
2011年12月22日
冬至に冷房
22時半ころに秋葉原から千葉行の総武線各駅停車に乗りました。車内は朝のラッシュ時並の混雑で、「積み残し」が発生しそうになるほどです。
ちなみに昨日は23時半過ぎに御茶ノ水から各停に乗ったのですが、やはり同様の込み具合でした。
錦糸町を過ぎても、乗客はなかなか減りません。そのうちに、車内の冷房が作動しはじめました。おそらくは、車内の温度が一定以上になると自動的につく仕組みなのでしょう。
いずれにせよ、冬至だというのに冷房が入るわけです。あらためて異常な混雑ぶりである事を実感しました。そして幕張本郷に着く頃にも、乗車率は180%くらいありました。
もちろん、忘年会シーズンという事もあるのでしょう。しかしながら、この時期は毎年これだけ混雑しているわけです。年末深夜特別ダイヤみたいなものを設定し、本数を増やすべきなのでは、と強く思わされた、「冬至の冷房列車」でした。
2011年11月29日
複々線で鈍行が並走
昼どき「に、田園調布から東横線の各駅停車に乗って日吉に行きました。発車する直前に、目黒線の各駅停車が向かいのホームに入って来ました。そこから日吉までの5駅の間、この「東横線鈍行が出た直後に、目黒線鈍行がホームに入る」が繰り返されました。
昼時なので、着席率は5割あるかないかです。おそらく、目黒線の客を全部乗せても立ち客はでないでしょう。そう考えると、この並走は意味がありません。一応、東横線に発車ぎりぎりで乗り遅れた人が少し得するくらいです。
こういう場合は、日中の山手線と京浜東北線みたいに、片方を「区間急行」にして主要駅のみに停車させる、みたいな事をやれば、複々線の利便性が活かせるのではないでしょうか。そんな事を思いながら、東横線と目黒線の「並走」を見ていました。
2011年11月15日
遅延と接近表示システム
今朝の総武線各駅停車は、中央線快速での事故の影響で、20分ほど遅れており、車内は混んでいました。そのため、乗った電車は西船橋で、折り返し電車の発車を待ってからの出発となりました。
そして、折り返し電車が出てから3分後に発車したのですが、普段に比べ、車内が混みません。遅れが発生すれば、普段より列車の本数は減ります。したがって、混雑率は上がるはずです。
一瞬、不思議に思いました。しかし、考えてみれば3分前に同じ行き先の電車が走っているわけです。皆、そちらに乗れば、普段より間隔が短い、3分後に来る電車の客が減るのは当然の事だと気づきました。
逆に言えば、一本前の電車はかなりの混雑だったかと思われます。3分待てば空いた電車に乗れるのに・・・と思った時、奇妙な事に気づきました。
地下鉄をはじめ、いくつかの私鉄には、かなり昔から「接近表示案内」というサービスがあります。これは、次に来る電車がいまどのへんを走っているかを示す、というものです。
ところが、首都圏のJRにはこのサービスがありません。この機能があれば、遅延時に次に来る電車との振り分けが行われ、混雑が平均化します。そうすれば今日のような事もなくなるわけです。
20年以上前から見かけているシステムなので、技術的に難しい事はないはずです。長年の伝統(?)との兼ね合いなどがあるのでしょうか。
せめて運行障害が発生した時でも、接近表示システムを使うべきなのでは、などと思いました。
2011年11月12日
秋の車窓
池袋から丸ノ内線に乗りました。茗荷谷駅を過ぎると、「地下鉄」であるにも関わらず、地上を走り出します。
住宅街ですが、自然もそこそこ残っており、車窓からは紅葉した樹々が見えました。秋晴れの青い空と色づいた樹々取り合わせは、印象に残る風景でした。
その後、いったん地下に戻りますが、しばらくすると再び地上に顔を出し、高架の後楽園駅に到着します。
そして、東京ドームや後楽園遊園地、さらには講道館などが車窓に見え、白山通りを高架で渡った後、再び地下に戻ります。
それからしばらく地下を走るのですが、御茶ノ水駅を出ると一瞬地上に出ます。そして、川面スレスレの橋で神田川を渡りました。これだけ本数のある路線で、ここまで水面に近い鉄道橋を使ってるのはかなり珍しいのでは、などと思いました。
ほんの十分弱の「準地上区間」ですが、天気と紅葉の事もあり、かなり見応えのあった車窓風景でした。地下区間と地上区間が交互にあるのも、地上区間での車窓風景の印象を強める効果があるのかもしれません。
秋晴れの日に行う「都心の鉄道ミニ旅行」としてお勧めできる区間だ、と思いました。
2011年11月09日
帰宅中の電話
会社から帰るちょっと前に電話がかかってきました。一度の電話では済まない用事だったので、何度かやりとりが発生しました。
とりあえず、10分後に折り返しが入る事になりました。もちろん、だからと言って、10分間電車に乗るのを待つのも時間の無駄です。
そこで、とりあえず御茶ノ水まで中央線快速で行き、ホームで総武線の各駅停車待ちをしながら電話をすることにしました。
さらに20分後くらいに電話がかかってきました。乗っていた電車は、ちょうど市川に着くところでした。
そこで一旦下車して電話を折り返し、快速ホームに移りました。ちょうど話が終わった時に電車が発車し、先程まで乗っていた各駅停車を追い抜きました。
というわけで結局、電話をしつつ、予定通りの電車で帰ることができました。我ながら、上手いタイミングで乗り継ぎと電話ができたものだと感心しました。
しかしながら、電車の中で普通に通話できれば、こんな手間をかける必要などはありません。そのこともあり、「弱冷房車」や「女性専用車両」みたいな感じで、「携帯通話OK車両」を設定して欲しいものだ、と改めて思いました。
2011年11月06日
謎の発車案内板
久々に東京駅での京葉線乗り換えを行いました。京葉線乗り換え地下道に行くと、発車案内板がありました。そこには、「12:05 武蔵野快速 府中本町」と書いてありました。そして、その脇にある時計を見たところ、針は12時4分を指していました。
この地点から京葉線ホームに到達するまでには、動く歩道を三回乗り降りしたあと、エスカレーターで地下ホームに降りる必要があります。
したがって、この時間にこの地点で12時5分の府中本町行きに乗るのは、世界最速のウサイン=ボルト選手をもってしても不可能でしょう。
最近では、駆け込み乗車を防止するために、普通の駅でも発車一分前になると、発車案内板の表示を次の電車に切り替えるようになっています。
にも関わらず、なぜこの案内板が、絶対に乗れるわけのない電車を表示したのか、と不思議に思いました。まさか、「駆け込み乗車、やれるものならやってみろ」と乗客を挑発する意図でもあったのだろうか、とまで思った、「乗れるわけない電車の発車案内」でした。
2011年10月30日
WEBバーゲン
今日から、スカイマークの成田と新千歳および旭川を結ぶ路線が就航したそうです。その中で、一番安いのは「WEBバーゲン」というネット予約限定の席で、980円とのことでした。
数量限定で、発売初日に数分で売り切れるとのことです。そのため、わざわざWEBバーゲン予約プログラム」を開発して取得代行を行う業者までいるそうです。まあ、仮に手数料が1,000円かかったとしても、十二分に割安ですから、そのような商売も成立するのでしょう。
というわけで、現実的には980円で飛行機に乗るのは難しそうです。しかしながら、次に安い運賃として3,800円というのがあります。これを使っても、空港までの電車代を含めても、1万2千円くらいで北海道を往復できます。
スカイマークは一度、予約した便が当日になって機体不調のため運休になった事があります。そのようなサービスレベルゆえの「激安」なわけです。
そう考えると手放しで喜ばしいと言うわけにはいきません。しかしながら、やはり1万ちょっとで札幌もしくは旭川往復、というのは心惹かれるものがありました。
2011年10月28日
メッセ発津田沼行き臨時バス
幕張メッセに行きました。当然、帰りは幕張本郷行きバスに乗るのが唯一にして最善の経路です。ところが、会場での交通案内を見たところ、「津田沼行き臨時バス」の案内が出ていました。
特別なイベントが行われる時には、津田沼と海浜地区を結ぶ臨時バスがある、という話は聞いた事があります。しかし、実際に存在を確認したのは初めてでした。
ちょっとした用事が津田沼にあった事もあり、大幅な回り道になりますが、乗ることにしました。
案内図に時刻表があり、そこには、15時から17時半までの毎時0分と30分となっていました。そこで、その時間にあわせて会場を後にし、幕張メッセ中央バス停に行きました。
バスは、イベント帰りの人を4人ほど乗せて発車しました。バス停を出ると、海浜幕張と反対方向に向かい、右折して免許センターの前に出て、幕張本郷行きの路線と合流しました。
そのまま湾岸道路を渡り、川の手前で左折し、今度は幕張本郷発新習志野行きの路線と合流しました。
そのまま、新習志野に向かう道を左折しました。津田沼とは正反対の方向に曲がったわけです。そして、新習志野駅の近くで右折し、羽田空港から津田沼に行く路線と合流しました。
鷺沼温泉のところで千葉街道を渡ります。距離的には川の所で曲がらずに、直接千葉街道を通ったほうがかなり近いです。その経路を取らなかったのは、千葉街道が狭いためか、京成バスがその区間の免許を持っていないかのいずれかでしょう。
そして、習志野市役所前を通り、京成津田沼、さらには総武線津田沼駅に到着しました。
運行本数の少なさに加え、やや遠回りする経路ですから、アクセス路線として向いているとは思えません。それは、乗客が4人しかいなかった事が如実に物語っています。
ただ、その多様な経路は、バス好きとしてはかなり楽しめました。もっとも、津田沼に引越しでもしない限り、この路線に乗るのは、今回が最初で最後でしょうが・・・。
2011年10月08日
総武快速の「通過区間」
新横浜に直行する仕事があったので、総武快速に乗りました。停車駅案内を聞いていたら、車掌さんが、「・・・新小岩・錦糸町・馬喰町・新日本橋、東京からは各駅に停車します」と案内していました。
確かに、列車の名称は「総武快速線」「横須賀線」で、その境目は東京です。そう考えれば、「東京から各駅停車」は間違いではありません。
しかしながら、錦糸町と東京の間は総武快速専用の区間であり、途中に通過する駅はありません。また、東京と品川の間も専用線なので「通過」する駅は確かにありません。しかしながら、地上を並走する京浜東北・山手線の有楽町・浜松町・田町は「通過」しています。
そういう実情を鑑みると、この案内はどう解釈しても正確性に欠けるのでは、と思いました。「各駅に停車」を実際に電車がホームを通りすぎないと定義するのでしたら「錦糸町から各駅に停車します」とすべきです。また、路線図上、通り過ぎる駅がない事と定義するのでしたら、「品川から各駅に停車します」とすべきだと思いました。
2011年10月05日
えらく税金を使うマニュフェスト
大阪市長に立候補する人が「マニュフェスト」を発表したそうです。私は大阪市に住んだ事はないので、そこに書かれている政策の実現性について、詳細はよくわかりません。しかしながら、市営地下鉄に関する部分は、元鉄道ファンのはしくれとして、衝撃的なものでした。
「公約」は二つあります。一つは「他鉄道との乗り入れを増やす」で、もう一つは「民営化」でした。
確かに、都営と東京メトロをあわせると12路線中9路線が直通運転をしている東京に対し、大阪市営地下鉄は8路線中3路線しか行なっていません。しかしながら、これは政治がどうこう、という話ではありません。単に、大阪市営地下鉄は、阪急との直通を前提に建設された堺筋線を除けば、周囲の私鉄・JRと全く違う規格で造られているから、というだけの話です。
ちなみに、他に直通運転をしている御堂筋線と中央線は、乗り入れ先の鉄道が、大阪市営地下鉄の規格にあわせて建設されているので、直通運転が可能となっています。
したがって、「マニュフェスト」にある直通運転の拡大を実現するには、市営地下鉄か、乗り入れ先の鉄道のどちらかの規格を変えるよりありません。いくら「マニュフェスト」にあったからと言って、自費で規格を変える鉄道会社はないでしょう。したがって、実現させるには、巨額の税金を使って、市営地下鉄の規格を変えるよりありません。その変更内容は、全架線のつけかえと、全車両の改造になります。
しかしながら、もう一つの「マニュフェスト」により、市営地下鉄は「民営化」されるため、その税金による投資が市民に還元される事はありません。なお、「民営化により運賃値下げ」などとうたっていますが、少なくとも鉄道において、そのような事例はありません。1980年代に国鉄がJRに売却されても値下げなどありませんでした。さらに、同時期に国鉄から第三セクターに売却された場合は、いずれも値上げになっています。
関西に一年ちょっとしか住んだ事がない元鉄道ファンですら簡単にわかる「できもしない事」が、「マニュフェスト」に堂々と載っているわけです。最初から騙す気満々である事は明らかです。
しかしながら、この候補者およびその人が率いる地域政党は高支持率だそうです。このような現状を見ていると、「振り込め詐欺」が話題になりだした頃によく言われた「大阪では振り込め詐欺にひっかかる人は少ない」というのは現実からかけ離れた都市伝説の類だったのでは、とまで思えてきてしまいました。
2011年09月24日
113系引退列車
先月末に、113系が関東地区での運行を終えました。それを記念した「お別れ列車」が昨日・本日と二日にわたって運転されました。
ちょうど、都内から千葉に戻る時に、その運転時間が重なりました。そのため、各ホームは「撮り鉄」の人で賑わっていました。
特に、運転終了後に両国から回送された113系が津田沼駅についた時は、ホームのみならず、近くの歩道橋までカメラを持った人であふれていました。
鉄道に興味がない人と同行していたのですが、さすがにこの盛況ぶりは目に入り、何事かと驚いていました。
そのうちの一人は房総半島出身でした。そのため、理由を話したところ、子供の頃から慣れ親しんでいた電車がなくなる事に驚いていました。
自分にとっても113系は、子供の頃、伊豆などに旅行へ行く時のみ乗ることができる「特別な電車」でした。それが関東での運行を終えるというのには、一つの時代の終わりを感じました。
もっとも、先月末に定期運行を終えた後も、幕張電車区には一編成が留置されています。したがって、毎朝、幕張本郷駅のホームから113系の姿を見ています。そのため、「お別れ列車」を見た後でも、まだ「113系がなくなった」という実感はあまりないのですが・・・。
2011年09月18日
スターウォーズ電車
総武線に乗って千葉に行きました。車内に入ったところ、椅子などについている握り棒に色が付いているのに気づきました。
そこで、車内を見回すと、広告が全て先日発売されたスターウォーズのブルーレイになっていました。その一環として、握り棒を「ライトセーバー化」したようです。
確かに、ほとんどスターウォーズを見たことない私ですら、ライトセーバーの存在くらいは知っています。したがって、見た人の印象はかなり強くなるわけです。
広告を作る人が持つ発想の斬新さに驚かされました。
一方、その電車の外装には一切広告がありませんでした。これまで、車内の広告全てを特定の商材にした場合、外装も「ラッピング電車」にするのが普通でした。
もしかしたら、これは「ラッピング電車」にする事による広告の費用対効果を分析した結果なのでしょうか。これには、広告を作る人のシビアさを感じさせられました。
2011年09月06日
鉄橋流失
先日の台風による豪雨で、紀勢本線の鉄橋が二箇所で流出した、というニュースを見ました。また、一ヶ月ほど前に起きた福島山間部での豪雨では、只見線の鉄橋が流失し、未だに復旧見込みも立っていません。
気象の変動により、集中豪雨の勢いが、従来以上に増した、というのも原因なのでしょう。ただ、それとは別に、豪雨時に川が激流になりやすくなった事や、鉄橋の老朽化もあるのでは、というのも原因なのでは、と思っています。
事故発生直後以外は、あまりニュースになりませんが、交通寸断による被害は長くなればなるほど深刻になると思いました。
確かに過去にないほどの豪雨だったのかもしれません。ただ、現実にこのような事が何度も起きているわけです。これからは、「今回くらいの豪雨・水害」が発生することを前提に、それでも交通が寸断されない鉄道インフラを構築してほしいものだ、と思いました。
2011年08月29日
方向幕
都バスに乗るために錦糸町で降りました。ターミナルに止まっているバスの一台を見た時、不思議な懐かしさを感じました。
といっても、別にレトロなデザインを施されたわけではありません。普通の塗色で、これまで何千回も見た事のある車体です。
そのため、自分でもなぜそんな気分になったのか、一瞬不思議に思いました。
しかし、数秒後に、その理由が「方向幕」にある事が分かりました。
バスの行先表示の電子化は飛躍的に進んでいます。特に、地元のあたりでは、ほぼ100%に達しており、アナログの方向幕を見る機会はまずありません。
そのため、久々に見た方向幕に懐かしさを感じたわけです。
見慣れていたものが、気がついたら「懐かしいもの」になっていた、というのは、不思議な気分でした。もう何年かしたら、この「方向幕」には希少価値が出てくるのだろうな、などとも思いました。
2011年08月24日
強冷房車
夏に入る頃、総武線の「節電対策」として、「全ての車両の冷房温度を弱冷房車の基準にあわせる」というのがありました。毎年、弱冷房車を愛用している身としては、節電は色々と面倒だが、これは大歓迎、と喜んだものでした。
ところが、しばらく前から、「弱冷房車」の表示がない車両がやけに寒くなりました。「冷房温度を戻す」という告知を見た記憶はありません。もしかして、自分の冷房への耐性がさらに弱くなったのだろうか、などと思っていました。
ところが、今日の帰りに改札を出たら、「節電ダイヤ終了のお知らせ」という案内が出ていました。電車の間引きを辞めたのなら、冷房の抑制も辞めたと判断するのが妥当でしょう。
というわけで、いつの間にか「全車両弱冷房」という、自分にとって理想的な企画は終わってしまっていたようです。
不要な節電はすべきではないと思いますが、この「節電」だけは未来永劫続いてほしかっただけに、残念でなりませんでした。
2011年07月31日
11分停車
都内から帰ろうとしたら、幕張本郷駅で人身事故があり、総武線の各駅停車が運転見合わせと出ていました。そこで、快速に乗って船橋に行き、そこから振替輸送で京成を使うことにしました。
京成の船橋駅に着くと、数分後に京成千葉線直通の各駅停車が来る、という表示がありました。これならば、10分ちょっとで幕張本郷に着きます。
我ながら、最善のプランで事故の影響を最小限に回避した、と悦に入りながら、ちはら台行きに乗りました。
ところが、京成津田沼に着くと、「発車は35分になります」というアナウンスが流れました。時計を見ると、まだ24分です。つまり、この電車は京成津田沼に11分も停車するわけです。
地方のローカル線ではよくある話ですが、まさか首都圏である津田沼で、このような停車時間が設定されているとは夢にも思いませんでした。まあ、京成としては、単に24分着の京成津田沼行き各駅と、35分発の千葉線各駅を同じ車両を使って運転している、という感覚なのでしょう。実際、他に乗っている人も慣れているのか、特に驚いてはいない感じでした。
京成船橋駅でのタイミングの良さに喜んでいただけに、11分停車を知った時の落胆ぶりはかなりのものがありました。さらに、11分待って京成津田沼駅を出ると、「JR総武線各駅停車は、先ほど、津田沼-千葉間の運転を再会したとの情報が入りました」というアナウンスが流れました。
まあ、総武線の復旧を待っても着いた時間はさほど変わらなかったでしょう。とはいえ、様々な意味で強いインパクトを与えられた「11分停車」でした。
2011年07月30日
中国鉄道事故報道の不可解さ
中国の鉄道事故を連日マスコミが取り上げています。事故を起こしたのは「中国版新幹線」ではないのですが、ちょうど「中国版新幹線」が開業した直後という事もあり、「中国の新幹線は・・・」というこじつけまで見られます。
そして、何度か見かけた言葉に「日本では考えられない」というものがありました。
しかしながら、日本ではわずか6年前に福知山線で100人以上の死者を出した鉄道事故が起きています。さらに、幸運にも誰も死ななかったものの、ほんの数カ月前に走行中の特急列車が火事になった、という事件が発生したばかりです。
今日見た週刊誌の広告では「中国の新幹線に乗る蛮勇の人」などという見出しがありました。もちろん、この週刊誌が福知山線事故の後に「JR西日本の通勤電車に乗る蛮勇の人」などという記事は書いていません。
そういう事もあり、一連の「中国鉄道事故批判記事」を見るたびに、日本の鉄道の安全度およびマスコミのレベルが中国とたいして変わらない、という事を痛感してしまい、別な意味で憂鬱な気分になってしまいます。
2011年07月27日
「車両点検」リアル体験
通勤電車に乗り、市ヶ谷に着きました。ところが、なかなか扉が閉まりません。不思議に想っていたら、「異常を知らせるランプが点灯したため、現在、点検を行っております」という車内放送が流れました。
これは日本語としておかしすぎます。点検というのは異常の有無を調べるために車庫などで行う作業です。異常を知らせるランプがついたという事は「故障」ですし、それを復旧させる作業は「修理」です。
これまで、「車両点検のために遅延」という表示を見るたびに不信感を覚えていました。そして、実際に経験して、改めて「故障」を「点検」ごまかしている、という事が明白になりました。
その後、しばらくして扉が閉まり、動き出しました。しかし、すぐに停車し、「再度、異常を知らせるランプがつきましたので、点検します」などという車内放送が流れました。
今日は出勤してすぐに会議があるため、落ち着きません。しかも、車内では「一度点検が終了したのですが、また異常を知らせるランプがつきました」などと、「点検」のいい加減さを明らかにするような放送が流れています。
結局、10分くらいの遅れで動き出しました。しかしながら、その10分はかなり長く感じさせれました。
そして改めて、「点検による遅延」という言葉の白々しさに呆れさせられました。どうしても「点検」という言葉を使いたいなら、「日頃の点検不足によって発生した車両故障を修理したために遅延」とすべきだろう、と強く思いました。
2011年07月09日
相鉄線完乗
仕事の関係で東戸塚に行くことになりました。現地での用事は20分くらいで終わります。ただそれだけのために東戸塚まで往復するの空しいので、少々早めに出て、横浜から相鉄線に乗って湘南台に出て、そこから地下鉄に乗り換えて戸塚に出てから東戸塚に行く、という経路を取りました。
相鉄線に乗るのは、大学時代に本線の横浜-海老名間を乗って以来ですからほぼ20年ぶりになります。
横浜から二俣川までは海老名行きの急行に乗りました。乗車率は高く、ずっと立っていたのであまり沿線風景は見れませんでした。
しかし、二俣川で乗り換えた湘南台行き各駅停車はガラガラでした。そして、クロスシートに乗って「進行方向窓側に座ってワンボックス独占」というローカル線の旅みたいな感じになりました。
その、いずみ野線の沿線風景は、新興住宅街あり、農地有り、という感じで多様になっており、かなり楽しめました。そして終点の湘南台駅に着いて「相鉄線完乗」となりました。
そして、横浜市営地下鉄に乗り換えて戸塚に出ました。湘南台駅を出てしばらくしたらトンネルから出ます。その風景に既視感があると思ったら、隣にさっきまで乗っていた相鉄の線路が見えました。ほぼひと駅分並走しており、帰ってから調べたところ、相鉄線の「ゆめが丘」駅と、地下鉄の下飯田駅は歩いて数分の所にありました。
その後も何度か地上に出るのですが、そこで見る風景のほとんどが林でした。市営地下鉄の車窓で林を見る、というのはあまりない事で、これまた貴重な経験になりました。
久々の鉄道乗り歩きとなりましたが、かなり楽しめました。また何かの機会にやろうと強く思いました。
2011年07月04日
分かりにくすぎる駅名たち
仕事でちょくちょく舞浜のモノレールに乗ります。今日も利用したのですが、路線図を見ていて、今更ながらその駅名の奇妙さに気づきました。
全部で四駅なのですが、舞浜との乗換駅は「リゾートゲートウェイ・ステーション」で、ホテル地区にある駅は「ベイサイド・ステーション」です。そして、両遊園地の最寄り駅はそれぞれ「東京ディズニーランド・ステーション」と「東京ディズニーシー・ステーション」です。
こうやって並べると、改めて長すぎるうえに「リゾートゲートウェイ」と「ベイサイド」は分かりにくいと思いました。確かに、「ベイサイド」のほうが東京湾には近いですが、別に海岸にあるわけではありません。よそから来た人にとっては、舞浜駅だって十分に「ベイサイド」です。
さらに言うと、日本を走っているモノレールなのに、日本語は一つしか使われていません。そして、その貴重な日本語は「東京」です。もちろん、固有名詞なのだから仕方ないとも言えますが、駅のある場所はれっきとした千葉県です。
紛らわしいうえに、英語ばかり使い、唯一の日本語は、千葉にあるのに「東京」なわけです。「夢の国」を演出する一環という意識なのでしょう。とはいえ、ここまで現実離れしまくるのは乗る側にとってどうなのでしょうか。。
普通に「舞浜・ディズニーランド・オフィシャルホテル前・ディズニーシー」のほうが言いやすいし分かりやすいのでは、と改めて思いました。
2011年07月03日
中途半端な路線追加
Yahoo!の提供する携帯版駅すぱあとが一部バス路線に対応し始めました。ただ、会社単位のようで、同じ地域でも対応したりしていなかったりしています。
ちなみに、幕張近辺では、千葉シーサイドバスには対応していますが、京成バスには対応していません。そのため、幕張本郷から海浜幕張を検索すると、総武線もしくは京成で幕張に出て、そこから千葉シーサイドバスで海浜に行く、という経路が表示されたりします。
こんな経路を使ったら、海浜幕張行きの京成バスの3倍くらいの時間がかかりそうです。
まあ、地元に住んでいれば、間違える事はないでしょう。しかし、この結果を見て勘違いし、無駄に大回りする人も出てしまいそうです。
ただでさえ、総武線から海浜方面に行く時に降りるのが幕張本郷駅でなく、幕張駅だと勘違いする人は少なくありません。ちなみに、昨年の国体で遠方の人がメッセ方面に行くのに間違えて幕張駅で降りてしまい、メッセ方面に行くバスが1時間に1本しかない事をバス停で知り、仕方なくタクシーを使った、という話がありました。
この中途半端な「携帯駅すぱあと」がそのような誤解を広めてしまうのでは、と余計な心配をしてしまいました。
やはり、バス路線を載せるなら、会社単位でなく、地域単位にすべきなのでは、と思った次第です。
2011年06月18日
習志野行き
久々に連節バスの海浜幕張行きに乗りました。このバスは、車内ディスプレイに、海浜幕張駅の電車乗り換え情報が表示されます。その中に、行先欄に「習志野」と書かれたものがありました。
京葉線で「習志野」がつくのは、一つ隣の新習志野駅しかありません。したがって、意味は分かりますが、なぜ「新」の一文字省略したのでしょうか。もちろん、欄には余裕があり、四文字の行き先も表示されていました。
ちなみに、「習志野」駅は新京成線に存在します。したがって将来、新八柱に渡り線が設置され、フリーゲージトレインが京葉線-武蔵野線-新京成という直通運転を行う可能性もゼロではありません。
そんな日が来るまで、バスでの表示は「習志野」のままなのだろうか、などとアホな事を考えながら、モニターを見ていました。
2011年06月12日
京成千葉線の「節電」二題
久々に京成千葉線に乗りました。電車が来るまでしばらく時間があったので時刻表を見たところ、「節電ダイヤ」になっていました。
元々のダイヤだと、日中は平日・土日とも10分間隔の1時間6本でした。それを、1時間4本にしていました。ただ、10分間隔を15分間隔にしたわけではありません。通常ダイヤから2本間引いて、一部を20分間隔にしていました。
そして、新京成電鉄との直通運転がなくなっていました。これは4年半ほど前に鳴り物入りで導入された制度でした。しかしながら、千葉線⇔新京成という需要が少ないのに加え、千葉線沿線から新京成の新津田沼駅に行くのは、総武線を使うより時間がかかる上に高い、という事があり、あまり利用者はいなかったようです。
実際、何度か直通列車に乗ったことはありましたが、乗客の大半は京成津田沼で降りて、京成本線に乗り換えていました。
この直通運転をやめる事により、電力を節減できるとは思えません。つまり、失敗が明らかになってにも関わらず撤退しにくかった企画を、節電を口実に厄介払いした、という事なのでしょう。
そんな事を考えながら電車に乗ったところ、天井で扇風機が回っていました。かつては普通に見れた光景ですが、今世紀に入ってからの冷房化の進展により、すっかり過去の物となった風景です。
運転台にあった製造プレートを見たところ、1974年製造で1999年更新、となっていました。おそらくは、1999年に冷房装置をつけ、扇風機を外したのでしょう。そして、取り付け口を撤去するのは費用がかかるので、埋めておいたのだと思われます。
まさか、その取付口が、このような理由で再利用される日が来るとは、京成の人も思っていなかったでしょう。
ただでさえ、一昔前に戻ったような気分になる京成千葉線です。それが、扇風機のおかげで、ふた昔前に戻ったような気分になることができました。
2011年05月18日
荷物路面電車
京都を走る京福電鉄がヤマト運輸と提携した、というニュースを見ました。
渋滞を回避および二酸化炭素排出削減のために、市中心部で荷物を京福電車に積み、嵐山駅などで降ろして配送する、という仕組みとのことです。
この京福電鉄は路面電車タイプの車両を使っており、一部に併用軌道もあります。したがってその部分では、道路の上を荷物を積んだ電車がトラックの代わりに走る、という事になります。
かつては、国鉄の各線に荷物車が走っていました。通常の旅客列車に併結されたものもあれば、荷物専用として編成されていたものありました。一方、各都市には路面電車が走っていました。
しかしいずれも、モータリゼーションの打撃を受け、荷物車はなくなり、路面電車も大半が廃止されました。
そのモータリゼーションの結果、自動車が増えて渋滞を起こし、二酸化炭素の排出量が増えたわけです。
その「対策」として、ささやかながら、路面も走る電車に荷物を運ばせる、という企画が生まれた、というのは興味深い事だと思いました。
ぜひとも成功して、他の地区にも「路面荷物電車」が広がったら、などと思いました。
2011年05月03日
「急行05」バス
有明のビッグサイトに行きました。帰りはバスで錦糸町に出ることにし、土日祝のみ運転の「急行05」という系統番号の都バスに乗りました。
急行と名乗るだけあり、ビッグサイトを出ると、しばらく停車しません。途中、りんかい線の東雲駅前を通りましたが、それも無視し、一気に新木場駅まで到着しました。
しかし、新木場を出ると、「ここから錦糸町駅まで全ての停留所に止まります」という車内放送が流れました。その後も、主要停留所に着くたびに「全ての停留所に止まります」と「鈍行宣言」をし続けていました。
路線図を見たところ、起点の「日本未来科学館」を出てからビッグサイトに着くまでの、台場・有明地区も各駅に止まっていました。つまり、「急行」なのはビッグサイトと新木場の間だけなのです。その間に通過する停留所は2つだけです。そして新木場から18の停留所を各駅に止まるのです。
確かに、ビッグサイトと新木場の間の走りは「急行」の名にふさわしいとは思います。しかしながら、それ以外の部分を「急行」の看板をつけて走るのはあまりにも奇妙です。
乗客に変に誤解させないためにも、新木場を出たら正面の表示を「急行05 錦糸町駅前」から「鈍行05 錦糸町駅前」に変更するべきでは、などと思いました。
2011年04月22日
撤退宣言
約一年ぶりに平日に休みを取り、イトーヨーカドーへ買い物に行きました。そして、2006年に開業したバス路線で帰りました。
バス停で時刻表を見たところ、5月1日から千葉シーサイドバスはダイヤ改正を行う、となっていました。そこで、幕張本郷行きはどうなるのかと思い、新時刻表を探したのですが、何と平日朝の一本のみとなっていました。
現在に比べると、15分の1減となります。元の本数が少ないとはいえ、ここまで減るのは、相当ないのでは、と思いました。
ちなみに、幕張本郷発のほうは、そのバスが車庫に戻るための幕張駅行き一本のみとなっていました。実質的に撤退と言えるでしょう。
開業時は、わざわざこの路線用の新車を購入していました。また、平和交通との実質的な共同運行であるにも関わらず、わざわざ独自のバス停ポールを立てるなど、かなり力を入れていました。しかし、今になってはいずれも、無駄な投資に終わってしまった感じでした。
ちなみに、今日は初めて、平和交通が運行するバスに乗りました。こちらは来月以降も開設時と同じ「平日1日10往復」を維持するようです。使用しているのは、千葉シーサイドバスの半分くらいの小型バスでした。
結果的に、身の丈にあった運行をした平和交通が生き残った、という事なのでしょう。こちらは、ぜひとも末永く続いてほしいものだ、と思いました。
2011年04月05日
折り返し
本屋で「阪急電車」という本が平積みになっていました。映画化される、みたいなポップもついており、かなり話題の本のようです。
子供の頃、一年程ですが阪急沿線に住んだ事がありました。それもあって手にして目次を見たところ、当時自分が住んでいた所から数キロ離れた所にある「今津線」を舞台にした話であることが分かりました。
そして、各話の題名も全て今津線の駅名となっています。そして、起点の宝塚駅から始まり、途中の西宮北口駅まで着くと、今度は折り返しで同じ駅を逆にたどって宝塚に戻る、という構成になっていました。そして、線名の由来である今津駅は出てきません。
本では折り返し点になっている西宮北口駅の先には、阪神国道駅があり、その次が終点の今津駅となっています。しかしながら、その二駅は無視されているのです。それは、27年前に、それまでつながっていた今津線が西宮北口で分断されたためです。
作者がどのように阪急電車と接していたのかは分かりません。ただ、27年もその状態が続けば、そのように書くのは当然でしょう。地元の人も違和感がなく読めると思います。
ただ、私が住んでいたのは、その「分断」が行われる三年前でした。当時は、西宮北口駅構内で、今津線と神戸線の線路が直角に交わっていました。その交点を通るときに、パンタグラフが光っていた事などは、今でもよく覚えています。
そして、分断前に引っ越した事もあり、自分的にはいまだに今津線がつながっている印象が強くあります。
そういう事もあり、目次を見たときは、少々違和感がありました。そして同時に、そんな事を感じるのは、自分のように、分断前に住んでいた人たちだけだろうな、などとも思いました。
2011年03月08日
方向がズレ過ぎている「対策」
JR東日本が足を投げ出すなど迷惑な座り方はできませんを「売り文句」にしたロングシートを開発し、山手線に投入するとのことです。
何でも、乗客の苦情にあったから、人間工学の学者と協力してそのような椅子を開発したそうです。それを読んだ時、少々不思議に思いました。
私は、山手線と同じ型の車両が走っている中央・総武各駅停車にほぼ毎日乗っています。ほとんどが朝夕の通勤時間ですが、休みの日など、空いている時にも乗ります。しかしながら、いずれも「足を投げ出している人」など見たことはありません。
確かに、古い型のロングシートは、どこにでも座れました。そのため、七人がけを六人で座り、余裕があるため、足を投げ出した人もいたように記憶しています。
しかし、現在の山手線や中央・総武線各駅停車で使われているロングシートは、現時点でも、定位置として定められた場所以外には座りづらくなっています。仮に空いていて、七人がけに六人しか座っていなくても、足を投げ出して座るのはかなり難しいです。
もちろん、そのような環境でも足を投げ出して座る「勇者」もいるとは思います。しかしながら、対策をとるほどの事かと思うと疑問です。
そんな事に予算を取って対策をPRする暇があるならば、先日発生した「故障した踏切を放置し、社員による誘導で対処していたら、ダイヤ遅れを検知できず、列車が接近しているのに車を通して運転手を殺した」などという事故の再発防止に予算を取るべきではないでしょうか。
これなら、定期点検の回数を増やしたり、故障発生時の復旧要員を確保するなど、昔やっていた方式に戻すだけで可能です。
あらゆる意味で、JR東日本の感覚のズレを感じさせられた記事でした。
2011年02月25日
相手が見えなければ何書いてもいい?
駅に、ホームから線路への転落に関するポスターが貼られていました。そこには、ホームから線路へ転落する原因として、酔っぱらいやホームを歩きながの携帯操作を挙げていました。さらに、万が一転落を発見した場合は非常ボタンを押してくれ、などと書いてありました。
確かに、そのような転落事故もあるでしょう。しかしながら、転落事故において最も問題になっており、かつ深刻なのは、視覚などに障害のある人の転落です。
そして、それが多発するようになったのは、JRの「ホームの駅員を減らして人件費を浮かせる」という経営方針に起因しています。事故で何人か死んで賠償金を払おうと、削減できた人件費が多ければ、差し引き黒字だ、とでも考えているのでしょう。
つまり、このポスターは、会社が儲けるために転落事故が増えたのを、乗客の不注意が主要因であるかのように宣伝し、しかも何かあったら自分たちで助け合え」と言っているわけです。
実際に転落のリスクが高い視覚障害者の方が知ったら怒ると思いますが「彼らはどうせポスターを見れないから何書いてもいいだろう」とでも思っているのでしょうか。
毎度の事ながら呆れさせられた、JRの「安全感覚」でした。
2011年02月23日
中央線の由来
昼休みに、二十代前半の女子社員と、長野県塩尻市で予定されている仕事に関する話をしました。現地まで行く方法が話題になったので、鉄道での最善経路は中央線で特急あずさを利用する方法だと説明しました。
すると、二人とも、「中央線が長野県まで通っている」という事に驚いていました。そして、口をそろえて、「中央線って山手線の真ん中を通っているから、その名前になったと思っていた」と言いました。
自分的には相当驚きました。しかし、冷静に考えてみれば、普通の人で中央線が東京から山梨県・長野県などを通って名古屋まで行く、という事を知っている人はほとんどいないでしょう。
そう考えると、首都圏に住む何千万もの人のうち、「山手線の真ん中を通るから中央線」と思っている人のほうが、「本州の中央部を通っているから中央線」と思っている人より多いのかもしれない、などとも思いました。
2011年02月20日
通常ならざる揺れ
千葉にでかけました。帰りに発車間際の電車に乗ったため、降りる際に最適な車両まで、車内を歩いて移動しました。
西千葉に着くまでずっと歩いていたのですが、その際の揺れはかなりのものでした。ポイント通過などで一時的に揺れるのなら分かりますが、一駅間ずっと揺れ続け、というのは普通とは思えません。
西千葉停車時に目的の車両に着席したのですが、発車してしばらくの間もかなりの揺れを感じました。
この区間は1年半ほど前に、線路陥没による運休が発生した事があります。その後、一回くらい、工事のために計画的な運休をしたような記憶もありますが、この状況を見る限り、正常とは言えないでしょう。
ここ数年、JRでは車両故障などの事故が起きると、「車両点検」などと意味不明な言い換えを行って、「故障」の存在を隠そうとしています。その調子で、仮に路盤が崩壊して電車が倒れても「路盤点検」とでも言ってごまかすのだろうか、などと思いました。
いずれにせよ、過去の事例や今日の揺れを見る限り、一度、長時間の運休をしてでも、徹底的に調査・復旧をするべきでしょう。
2011年02月03日
東京の地下鉄、統合見送りに
しばらく前からニュースになっていた、東京メトロと都営地下鉄の統合が「結論見送り」となったそうです。
色々な事情があると思いますが、個人的には、今回の統合で「目玉」とされた、「九段下の半蔵門線と新宿線は同じホームなのに壁で隔てられている。統合すればこれを取り払うことができる」という論法に、「既に白金高輪駅では東京メトロと都営地下鉄がホームを共用している」という巨大な突っ込みどころがあったためなのでは、と思っています。
実際、統合は見送られましたが、九段下駅の壁は撤去が決まったとのことでした。
他にも、秋葉原駅と岩本町駅での乗り換えに割引を適用するなどの、「一部統合」は行われれるとのことです。
今の生活では、東京メトロと都営の乗り継ぎで困ることはないので、自分にとっては、あまり利害はありません。
とはいえ、乗り換え好きとしては、改善が加えられる事はいいと思っています。特に、メトロ-都営-メトロの乗り継ぎをした場合に、それぞれ料金がかかる、というのは早く何とかしてもらいたいものです。
たとえば、現在、豊洲-月島-門前仲町-木場と乗り継ぐと4駅で420円かかります。経営統合すれば160円になりますが、それが無理でもせめて、メトロの料金は合算して260円になるくらいの事はしてもらいたいものだ、と思いました。
2011年01月18日
新幹線のダイヤ乱れと告知
昨日、システム障害でJR東日本が運営する全ての新幹線が1時間以上の間止まったというニュースを見ました。何でも、2年前にも同じトラブルを起こしていたとのことです。
ところが、それだけ重大だったにも関わらず、通勤中にこの障害情報に関する情報を、駅や電車内で見ることは昨日も今日もありませんでした。
別に、普段から障害に関する情報を掲示しないのなら、まあ分かります。しかし、台風などで大幅にダイヤが乱れた時などは、翌日に駅に「お詫び」の看板を出す上に、車内放送でもしつこく「お詫び」をします。
ちなみに、千葉の労組はたまに県内のローカル線でストをやります。その時は、同じ千葉県とはいえ、数時間かかる場所での運休にも関わらず、「お詫び」の掲示を幕張本郷駅にまで掲示します。
ならば、昨日のような時は、大々的に掲示や放送をして「お詫び」をするのが普通なのではないでしょうか。にも関わらず、車内や駅構内を歩く限り、止まった事すら分からないようになっていました。
自分の責任でない遅れや運休は派手に詫びるのに、今回のような100%自社の責任である事故についてはごまかそうとするわけです。毎度ながら、この会社の体質を痛感させられた一件でした。
2011年01月16日
接続の悪さを究めたダイヤ
相方が京成で日暮里に行く事になったので、時刻表で出発時刻を調べました。幕張本郷から京成千葉線で京成津田沼に行き、そこから本線に乗り換える経路です。
その時刻を調べたところ、衝撃に近いものを感じました。京成千葉線・本線の優等列車とも、10分ヘッドのダイヤを組んでいます。そして、日中の京成千葉線が京成津田沼に着くのが、「毎時2分、12分、22分・・・」で、上野方面の優等列車が発車するのが、「毎時1分、11分、21分・・・」なのです。
つまり、京成千葉線が本線に乗り換えて都内に出るには、津田沼で9分待つのが必須、というダイヤを組んでいるわけです。
確かに、距離や値段の関係で、京成千葉線沿線から都内に出る人のほとんどは、総武線を使います。とはいえ、ここまで都内に行きにくいダイヤを作る、というのは凄いと思いました。
数年前から、京成千葉線は新京成との直通運転を日中に行っています。それを徹底すべく、「京成千葉線利用者が乗り継ぐのは新京成であり、京成本線ではない」と明示するためのダイヤなのだろうか、と思ったほどの「接続の悪さを究めたダイヤ」でした。
2011年01月13日
渋谷区新宿三丁目?
昨日の話の続きですが、久々に新宿を歩きました。東急ハンズで買い物をして、高島屋の玄関から明治通りに出たのですが、目の前に副都心線の新宿三丁目駅入り口があったのには驚きました。
何しろ、高島屋などが入っている建物自体は、新宿駅と直結してはいますが、住所は渋谷区千駄ヶ谷になります。つまり、この「新宿三丁目」の入り口は渋谷区にあるわけです。
もちろん、昔からよく話の種になっているように、「港区にある品川駅」だの「品川区にある目黒駅」など、区名と駅名が一致していない駅は多々有ります。とはいえ、「丁目」がつくような地域性の強い駅名なだけに、新鮮な驚きがありました。
ちなみに、この出口は「E8」なのですが、同じ副都心線新宿三丁目駅の「E1」出口は花園神社のあたりにあり、700mくらい離れています。丸ノ内線の新宿三丁目から新宿の間が300mな事なわけですから、駅の端から端まで歩くのと半分以下の距離で隣の駅に行けてしまうわけです。
しばらく見ない間に、かなり奇妙な駅になったものだ、と感慨みたいなものをおぼえてしまいました。
2010年12月27日
業平橋駅改名
東京スカイツリーの開業にあわせ、東武鉄道が最寄りである業平橋駅を「とうきょうスカイツリー」駅に改名する、と発表しました。
東京タワーの最寄り駅名が「御成門」であっても何ら困らないのですから、スカイツリーの最寄り駅が「業平橋」であっても何ら困らないとは思うのですが・・・。まあ、東武鉄道にも色々事情があるのでしょう。
それはともかく、このニュースを見てまず一番最初に気になったのが、都バス「業10系統」の行くすえでした。このバスは、新橋と業平橋駅を結んでいるため、系統番号がに「業」がついています。
当然ながら、業平橋駅が「とうきょうスカイツリー駅」になれば、この系統番号も改名を余儀なくされます。頭文字を取れば「と10」となりますが、これだと都市新バスの「都○○」と紛らわしくなります。
となると、「スカ10」とでもなるのでしょうが、何か外れクジみたいな感じです。まあ、使い続けていれば慣れるのでしょうが・・・。
というわけで、元都バス愛好家としては、別の点で非常に心配になった、業平橋駅改名ニュースでした。
2010年12月19日
終電前のラッシュ
昨日、仕事で重度のトラブルが発生し、会社を出たときは23時半を過ぎていました。当然、中央線から総武線の直通も終わっており、御茶ノ水乗り換えになりました。
ダイヤを見たところ、御茶ノ水に着く2分前に千葉行が出ており、次の千葉行まで20分近く待たされます。
なんでこんな幕張本郷以遠に帰る人間を困らせるようなダイヤを作るのだろう、と思いました。そのまま20分間寒空の下で待つのも嫌なので、10分後の津田沼行きに乗り、待ち時間を分散させる事にしました。
忘年会シーズンという事もあり、津田沼に近づいてもかなりの乗車率です。そして、津田沼で降りたら、同じ事を考えていた人が多かったのか、かなりの人がホームやコンコースで次の千葉行きを待っていました。
ところが、しばらくすると、「接続している中央線が遅れましたので、次の千葉行きは6分遅れになります」というアナウンスが流れました。
その影響もあってか、終電の一本前であるにも関わらず、千葉行はかなりの混雑率でした。座席はもちろん、つり革もほとんど塞がった感じです。
JRは事故が発生すると、よく運転を打ち切ったり運休したりします。ならば、このようなトラブルが発生したら、逆に津田沼止まりの電車を千葉まで延長運転するくらいの柔軟性があってもいいのでは、と思いました。
せめて、津田沼どまりの電車が車高に入る時間を遅らせ、その間、中で待ってもらうくらいの配慮があってもいいのではないでしょうか。
毎度のことですが、次の千葉行きが遅れるアナウンスでは何度も「お急ぎのところ申し訳有りませんでした」と言っていましたが、寒空のなかで聞く「お詫び」には「とりあえず言っておけばいいや」という本音しか伝わってきませんでした。
2010年11月16日
快速(?)急行
海老名に行きました。帰りに時刻表を見たところ、一本待つと快速急行に乗れることが分かりました。6年前に登場して以来、気になっていたのですが、小田急に乗る機会自体がほとんどない事もあり乗れずじまいでした。
空席がなかった事もあり、運転席の後ろに立っての乗車となりました。新百合ヶ丘までは既存の急行と同じですが、そこから下北沢まで無停車になります。
複々線区間もあることだし、高速で先行列車を追い抜きまくるのだろうと楽しみにしていました。
ところが、最初はまあまあ高速で走っていたものの、向ヶ丘遊園駅を通過するあたりから、急に速度が落ちました。ちょっと前に各駅停車が走っており、それに合わせている感じです。
その列車は登戸駅で抜き、複々線区間に入ったのですが、その後も「快速急行」という雰囲気にはなりません。なぜか徐行を繰り返します。当初は、事故でもあってダイヤが乱れたのかと思ったのですが、「駅から時刻表」と付けあわせたところ、ダイヤ通りでした。
別に特別料金を払っているわけではありません。したがって、徐行を繰り返す「快速急行」でも何ら損はしません。とはいえ、せっかく一本待って乗ったにも関わらず、この走りっぷりは・・・と落胆みたいな気分になってしまいました。
まあ、複々線化は完了しておらず、世田谷代田から東北沢までは工事中でした。2013年間生徒のことですが、その暁には、ぜひとも徐行のない、真の「快速」急行を走らせてもらいたいものだ、と思いました。
2010年10月31日
循環夜行急行アルペン
図書館に行ったら、時刻表のバックナンバーが置いてありました。しかも、さまざまな年代のものがあります。最近の図書館はこんなサービスまでしてくれるのか、と驚きつつ、1972年の時刻表を借りました。
自分は物心がついたころから乗り物が好きだったのですが、その物心がついたのは、ちょうどその頃でした。そういう意味では、「乗り物好きになった時の時刻表」とも言えます。
その号は、新幹線岡山延伸記念号でした。まだまだ鉄路は伸びている時代です。そして、かなりのローカル線も含め、全国の隅々まで急行が走っていました。
それらのダイヤを追っているうちに、臨時急行「アルペン」という不思議な列車を見かけました。10時半頃に大阪を出て北陸線に入り、直江津で曲がって長野に向かいます。そして長野からは夜行列車となって、中央線経由で名古屋に出て、東海道線を経由して早朝6時前に大阪に戻るのです。
ちなみに、自分が時刻表を読み出した頃にも、この臨時急行「アルペン」は存在しましたが、その時は、平凡な北陸線の夜行急行となっていました。
それにしても、なぜこのような列車を設定したのか分かりません。循環する路線というのは、経由する大半の駅で乗り降りする需要があるために設定されます。山手線のように、目白で乗って鶯谷で下りる人もいれば、日暮里で乗って大崎で下りる人もいれば、浜松町で乗って原宿で降りる人もいるから、循環路線が成立しているわけです。
しかしながら、この「アルペン」が循環路線である意味がありません。当時は、17時30分頃に直江津を出て、深夜2時半に名古屋で降りる人、などという需要があったとでもいうのでしょうか。
もしかしたら、当時ダイヤを作っていた人が趣味で設定した列車なのだろうか、と思いました。そして、今なら、この列車に大阪から大阪まで乗って、その模様をネットなどに書く人が多々いただろうな、などと思いました。
こんな列車があったりするので、何の役にも立たないにも関わらず、ついつい38年前の時刻表を読みふけってしまいます。
2010年10月29日
アクセス特急初乗り
仕事で千葉ニュータウン中央に行きました。現地で落ち合う事になっていた人には、北総鉄道の普通列車に乗るスケジュールを提示されたのですが、せっかくなので、成田空港行きの「アクセス特急」に乗ろうと思いました。
もちろん、それを理由にするわけにはいかないので、同行者には「その時間だと間に合わないので、次の特急にしてくれ」と言いましたが・・・。
乗ったのは京急の車両で、運転台の後ろがクロスシートになっている車両でした。ちょうど、「スカイアクセス」に入る京成高砂駅でそこが空いたので、そこに移りました。
ところが、いざ高速運転が始まると、急激な眠気に襲われました。14時過ぎという時間帯に、クロスシート・高速運転という組み合わせは、確かに寝ろと言っているようなものです。というわけで、折角の「特等席」であるにも関わらず、新鎌ヶ谷までずっと寝ていました。
そこでやっと目が覚め、あとは関東私鉄としてはなかなかない速度を楽しみました。速度計は最速で120km/hまで行っていました。しばらくして、スカイライナーとすれ違いました。八両編成なのですが、ともに高速だったため、えらく短い編成のように思えました。あと、すれちがいざまに見た顔ですが、前照灯が細長く、げっ歯類の歯のように見えました。
この区間は北総線で最初に開通した区間で、当時は新京成線のローカル支線みたいな位置づけでした。そこに120kmの特急、さらにはスカイライナーまで走るとは、当時は想像もできませんでした。
というわけで、わずかな時間ですが、「スカイアクセス」の一端を楽しむことができました。今度は全区間乗り通したいものです。
2010年10月19日
千代田線の駅番号
千代田線に乗りました。なんの気なしに番線案内を見たら、「4 大手町・西日暮里・北千住・綾瀬方面」と書かれた、番線・行先案内の看板に「C8~C20」と書いてありました。
地下鉄の駅には「C10」という感じで名付けられた出口が少なからぬ駅にあります。そのため、最初は「行き先案内と出口案内を並べて記載するとは画期的だな」などと思いました。
しかしながら、暫くして、この「C**」が、数年前から使われだした「路線名の頭文字であるローマ字と、起点駅からの駅数による数字を用いた『駅名表記』である事に気づきました。
千代田線の頭文字は「C」のため、駅名表記も「C」で始まります。そのため、「C08~C20」などという、行先案内とも出口案内ともとれる表記がなされたわけです。
はっきり言って、この表記、紛らわしいだけで、なんの利点もありません。たとえば、千代田線の大手町駅は「C11」となりますが、この「案内」を見て、「大手町に行こうと思っていたら、『C08~C20』という表記を見た。このおかげで、このホームに来る電車に乗れば『C11』こと大手町に行ける、という事が分かった」などと思う人は一人もいないでしょう。
逆に、これを見たため、「C11出口」の場所を間違えてしまった、という人ならいたかもしれません。
初登場時から常々思っていた事ですが、この「駅名を路線の頭文字と起点駅からの数で表記する」というものは、広まれば広まるほど利用者の利便性を下げるのでは、と改めて確信しました。
2010年10月02日
「駅直結」いろいろ
日比谷から竹橋にある施設に行く用事ができました。この施設の案内によると、竹橋駅直結となっており、実際、駅から地上に出たところに、施設の玄関があります。
しかしながら、この「直結」には注意が必要です。その最寄の出口に行くまで、改札を出てからかなり長い通路を通る必要があるのです。さらに、竹橋駅の構造はかなり特殊で、ホームから改札に行くまでもかなり長い通路を歩く必要があるのです。
というわけで、「駅直結」という言葉に惹かれて、日比谷から大手町に出て、そこから東西線に乗ると、大変な事になります。竹橋駅下車後は先述の通りですし、大手町で千代田線から東西線に乗り換えるにもかなりの距離を歩くからです。
というわけで、地図を見て検討したところ、大手町からその施設までたいして距離がない、という事が分かります。そこで実際に歩いたのですが、竹橋の「駅構内」を歩くのと、さほど同じくらいの時間で目的の施設につきました。
当然ながら、逆のパターンもあります。この施設から数分歩いたところには、「大手町駅直結」となっているビルがあります。しかし、そこから東西線九段下方面をを利用する場合は、延々と大手町構内を歩くより、竹橋駅の長い通路を歩いたほうが、早く目的地に着けそうです。
普通、「駅直結」とあれば、その駅を使うのが普通です。しかしながら、それは都心の地下鉄駅にはあてはまらないものなのだな、とつくづく思いました。
2010年09月30日
ICカード専用改札増設
職場の最寄り駅に、ICカード専用改札を増やす、という案内が出ていました。もちろん、改札の数を増やすわけではありません。
しかも、既存の「ICカード専用でない改札」は切符・磁気定期券のみならず、ICカードも使えます。つまるところ、ICカードを使っていない人の利便性を下げているだけです。
ちなみに、改札での人の流れを見ると、併用の改札機のほうが、ICカード専用改札機より人が流れているように思えます。おそらくは、仮に前の人が切符や磁気定期券を使っていてICカード専用改札を避けると、その後ろを歩く人は、自分がICカードを使っていても、つられてそちらの改札に行くためなのでは、と思っています。
というわけで、磁気定期券使用者としては、この「増設」がきっかけで、ますます併用改札機が使いづらくなるのでは、と危惧しています。
もちろん、JRは営利企業ですから、改札機を更新する際に、導入費用・運用費用とも安価なICカード専用機を導入したくなるでしょう。とはいえ、ICカードを使わない利用者だって金を払っている客なのですから、もう少しそちら側への配慮もしてほしいものだ、と思います。駅での案内においても「ICカードを利用しない方にはご不便をおかけしますが」の一言くらいあってもいいのではないでしょうか。
あと、それだけ「ICカード優遇」をするのなら、西では実現している「一枚のICカード定期券に、二枚分の分割定期を登録できる」という機能を早く導入すべきなのでは、と毎度のことながら強く思いました。
2010年09月18日
久々の湘南電車
昨日の続きですが、大島の帰りは、船で熱海まで出て、そこから在来線で東京に戻りました。
この、東海道線の神奈川県から静岡県の入り口にあたる部分は、古くから「湘南電車」と呼ばれています。東京から小田原までは通勤路線ですが、小田原を過ぎると相模湾が車窓に広がり、一転して風光明媚になります。
子供の頃は、毎年のように、この路線に乗って、家族旅行をしていました。その後も、青春18切符を使って関西方面に旅行する時に使うなど、10代の頃は、年に一回以上の割合で乗っていました。
しかしながら、就職してからは、乗る機会が激減しました。というわけで、前回いつ乗ったかを思い出せないくらい、久々の乗車となりました。
その湘南電車ですが、天気が良かったこともあり、車窓に広がる相模湾は、相変わらず雄大でした。海が見えたとき、近くに座っていた子どもが、思わず声を挙げたほどでした。
その後、だんだんと都会になっていく車窓をぼんやり見ていたのですが、そうしているうちに、色々な疲れが少し取れたような気分になりました。
というわけで、かなり有意義だった、久々の湘南電車でした。昨年も、疲れが溜まっていた時に、2時間ほど電車にぼんやりと乗って楽になったことがありました。やはり、自分にとっては、短時間でもいいので、定期的にのんびりと鉄道に乗る時間を作る必要がある、という事を痛感させられました。
2010年09月12日
価値がない上に、事実でもない案内
昨日のことですが、津田沼に行こうとして駅に行ったら、「飯田橋駅でお客さんが転落し、遅延が発生しています」とアナウンスがありました。
遅延と言っても5分程度ですのでそのまま待ち、電車に乗りました。
すると、車内の電光掲示板に「【遅延】中央・総武線各駅停車。飯田橋駅で乗客の治療を行ったため」という表示が流れました。
実際に乗っているのですから、客はみな、遅れている事くらいわかっています。したがって遅延情報を流すこと自体、意味がありません。
しかも、その原因が変わっています。確かに、転落して怪我をしたのですから、治療はしたでしょう。とはいえ、「治療のため遅延」は事実と異なります。
情報として価値がない上に、虚偽の「原因」を伝えたわけです。見ている利用者にとっては、百害あって一利なしの典型例みたいなものです。
事故の発生した飯田橋駅は曲線上にあり、電車とホームの間にかなりの隙間が生じます。したがって、ホームの抜本改良でも行わない限り、今回のような事故が再発する可能性は高いでしょう。
それを防ぐためにも、事実を正確に伝えるのが、鉄道会社として義務だ思います。しかしながら、毎度の事ですが「見栄>>安全」という企業姿勢がこのような「虚偽表示」をさせているのでしょう。
こんな事を続けているうちに、より大きい事故が発生するのでは、と毎度ながら思いました。
2010年08月25日
女性専用車両の狭間
総武線が車両故障(駅での放送は例によって「車両点検」でしたが)で遅れたので、振替乗車券を使って、京成→都営新宿線の代替経路を使って出勤しました。この経路は、京成八幡から都営本八幡の乗り換えで少々歩くものの、それ以外は乗り換え時間は短くてすみます。しかも、本八幡でほぼ確実に座れるので、かなり優秀な代替経路だと思っています。
そして、市ヶ谷での乗り換え口がホームの新宿寄りにあるため、一番新宿寄りの車両に乗りました。そして、座った途端、窓に貼ってある「女性専用車両」の表示が目に入りました。
一瞬、しまった、と思って席を立ちかけましたが、よく
見たら、確かに女性比率が高いものの、男性もそこそこいます。中には、都営地下鉄の制服を来ている人までいました。
そこで表示をもう一度読み直したところ、「本八幡発朝9時までは女性専用」と書かれていました。時計を見たら9時2分です。それを確認し、座りなおしました。
ところで、本八幡は始発なので、この電車が入線したのは9時前です。もちろん、何時に入線しようと9時以降に発車する以上、この車両は女性専用ではありません。とはいえ、9時よりの時点では、男性がこの車両に入るのには勇気がいるでしょう。この車両の女性比率が高いのも、それが原因なのだろうな、と思いました。
というわけで、ある意味貴重な「女性専用車両の狭間」を経験できました。とはいえ、こんな経験は一度すれば十分です。
というわけで、JRにおいては、電車が車庫にいる間に「車両点検」を完璧に済ませて欲しいものだ、と毎度ながら強く思いました。
2010年08月09日
リニアの始発が品川に
2027年に東京-名古屋間が開業予定となっているリニアの始発駅が品川駅の地下になることが決まったそうです。理由として、羽田空港との利便性に加え、既存の東海道新幹線との乗り換えがしやすい事が挙がっているそうです。
新幹線と、品川と羽田を結ぶ京浜急行は駅の両端にあり、歩いて移動するとかなりの時間がかかります。という事は、リニアのホームは、既存の品川駅を横断するような形で設置されるのでしょうか。
あと、東海道新幹線との接続は便利ですが、東北新幹線などとの接続はどうなるのだろうか、と気になりました。東海道の路線に直通して「新函館発品川行き」などができるのでしょうか。
いずれにせよ、順調に完成しても開通時に58歳になっている身としては、年寄りでも乗り換えに苦労しない地下駅になることを願っています。
2010年06月22日
ささやかな夢がかなう
10代の頃、阪急電車をはじめとする関西の私鉄が大好きでした。夏至の日などは関西に行って、一日中それらの路線に乗ってみたいものだ、などと夢想していました。
そして今日、夕方仕事が終わり、阪急電車で移動しました。天気が良かった事もあり、18時半頃に乗ったのですが、降りるまで、外はずっと明るいままでした。また、阪急は電車の寿命が長いうえに、塗色も基本的に変わらないので、当時好きだった車両をそのまま見ることができました。
20分弱の事ですが、一応、夢がかなった事になりました。昨日来の疲れが抜けず、仕事がきつかったうえに、時間の関係で、うどんを食べることもできないなど、いろいろ大変な一日でしたが、この「夢がかなった20分」があったから、今日はいい日だった、と思うことができました。
2010年06月08日
東急目黒線急行と武蔵小杉乗り換え
仕事で、武蔵中原に行くことになりました。南北線経由で東急目黒線の急行に乗り継ぎました。目黒線の急行に全区間乗るのは初めてです。
目黒を過ぎると高速運転が始まります。目黒線はかつての目蒲線と同じ所を走っていますが、名称変更後に路線のほとんどをつけかえました。したがって、高速で走っても、ほとんど揺れはありません。
しかし、大岡山を過ぎて奥沢駅を通過するあたりは、かなり揺れました。このあたりだけは、他の区間と違って、地下でも高架でもありません。おそらくは、目蒲線時代の線路をほぼそのまま使っているのでしょう。
揺れるのですから、乗り心地としてはよろしくないわけです。しかしながら、この部分だけ「目蒲線」が残っている、と思うと、むしろ感慨深いものがありました。
帰りは、武蔵小杉で横須賀線に乗換えました。3月に開業してから、初めての利用になります。
開業時から、ここでの南武線-横須賀線の乗り換えには時間がかかる、という情報は得ていました。また、南武線ホームの表示にも、「横須賀線まで8分ほどかかります」と書かれていたので、事前に覚悟はできていました。
しかし、それでもなお、この乗り換え通路の長さには驚かされました。また、狭い部分もあるためか、「交通整理員」が配置されていたのにも驚きました。
そして、そろそろ到着か、と思ったところで、上り階段があった、というのも「ゴール前のトラップ」みたいで、より距離感を感じさせる演出(?)だと思いました。
ただ、現在行なわれている工事が完了すれば、乗り換え通路は短縮されるとのこと。そういう意味では、この通路は「一年間限定」なわけで、使えた事を貴重と思うべきでしょう。
年内にもう一度ほど、武蔵小杉で乗り換えをする予定があります。その時は、これまた来年までの暫定措置である「改札外乗り換え」をやってみよう、などと思いました。
2010年06月07日
連結二題
蘇我に行くために千葉で乗換えました。ホームにはすでに4両編成の209系が止まっていたのですが、そこに別途、千葉行きの209系4両編成が入ってきました。そして、乗客を降ろし終わると、連結作業が始まりました。
連結を見ること自体は珍しくありません。しかし、ついしばらく前まで、10両編成固定で京浜東北線などで使われていた209系の連結作業が行なわれる、というのは、ちょっと不思議な感じでした。
さらに蘇我に着いたら、ホームに113系の横須賀色と湘南色が連結された車両が止まっていました。
長年、この色に塗られた113系は見ていましたが、その両色が連結されたのを見るのは、今日が初めてでした。(写真をクリックすると、同じ画面で大きな画像が開きます)
おかげで、色々と奇妙な連結を見ることができた、面白い日になりました。
2010年05月17日
新宿さざなみ
昨日のことですが、夕方に新宿へ出る用事がありました。駅すぱあとで検索したところ、内房線から総武線と中央線を経由して新宿に出る、「新宿さざなみ」で行くのが一番早いとの事でしたので、500円を奮発して乗ることにしました。
この列車には5年前に一度乗った事がありました。ところが、ちょうどその日にダイヤの乱れがあり、行き先が急遽東京に変更され、新宿に行かない『新宿さざなみ』になってしまいました。
というわけで、二度目にして初となる、「新宿行き『新宿さざなみ』に乗ることができました。
内房線はアクアラインの影響で客が減っていると聞いていたのですが、意外にも自由席は混んでおり、私の乗った車両は満席になっていました。アクアライン値下げが渋滞を呼び、鉄道に流れた人が出たのでしょうか。
それはともかく、車窓風景はそれこそ何百回も見ています。しかしながら、リクライニングされた特急列車に座って見ると、なぜか普段と違う印象を持つことができました。ちょっとだけ視点が違うだけなのに、不思議な者です。もちろん、「特急に乗っているから」という気分による影響もあるのでしょうが・・・。
というわけで、40分ほどながら、いろいろ気付いたり楽しんだり出来ました。500円を奮発した甲斐があったと思いました。
2010年05月15日
通過反対集会
明日から、京急蒲田駅周辺の上り線が高架となり、それに伴ってダイヤ改正が行なわれます。
その特徴の一つに「品川から羽田までノンストップの『エアポート快特』があるのですが、それにより、通過駅になるという事で、蒲田の人達が反対集会を行なった、というニュースを見ました。
従来通り、蒲田停車の快特も残ります。また、蒲田から空港に行く列車が激減する、などという事もありません。したがって、さほど蒲田の人が不便になるとは思えません。だいたい、品川方面発と横浜方面発の双方に乗れるのですから、沿線の他駅に比べれば、引き続き圧倒的に便利なわけです。
という事は、実害よりも、一度「全列車停車駅(※ウイング号を除く)」になったのに、再び通過する列車が出来てしまった、という事にプライドが傷つけられた事が大きいのでしょうか。
いずれにせよ、快速すら止まらないうえに、大半の列車が一つ手前で折り返してしまう、という駅の近くに住んでいる身としては、かなり理解に苦しんだ「反対集会」でした。
2010年05月12日
キセルとプライド
ここのところ、鉄道会社に勤める人が、その職権を利用して行った不正乗車に関する報道をよく見ます。
手法はいろいろありますが、その中に、「磁気定期券に設定されている、入場記録がないと出場できない」という設定を解除して、キセルを行う、というのがありました。
実は、この「設定解除」は鉄道会社に勤めていなくても行えます。分割定期券を買えば、こちらから頼まなくても、駅員さんが「処理しますね」と言ってくれるのです。
したがって、分割定期券を使えば、実は不正乗車し放題なのです。実際、この話は広く知られており、会社の飲み会で、遠距離通勤している人に分割定期券の話をしたら、「キセルがし放題になるんですよね。でもSuica使えないのが面倒なので、やってないんですよ」と即座に返された事がありました。
ならば自分が不正乗車をやっているかと言うと、そんな事はありません。たとえば、御徒町から乗るときも、別に普通に130円切符を買っても、一応不正でないのですが、わざわざ磁気定期券を券売機に入れて買っています。
それにこだわる理由の一つとして、子供の頃、不正乗車をやって親に迷惑をかけた、という事があります。そしてもう一つ、世間に広く分割定期券を伝えている身として、その制度を悪用するのはいかがなものか、というプライドのようなものがあります。
不正乗車を行った駅員さんにも、鉄道員としてのプライドがあれば、思いとどまることができたのでは、などと思いました。
2010年05月11日
違和感のありすぎる名称決定
今年青森まで開業する、東北新幹線で走る最速列車の愛称が「はやぶさ」になったそうです。投票では7位ながら、「スピード感があり、親しみもある」という理由で決まったとのことです。
これほど、あらゆる点で違和感がある決め方もそうはないでしょう。投票を行い、そこで一位を取ったのは、かつて上野と青森を結んでいた特急である「はつかり」でした。投票結果を尊重する意味でも、歴史的な観点からも、この名前にするのが普通でしょう。
しかも、代わりに選ばれた「はやぶさ」は、長年、東京と九州を結んでいた夜行寝台列車の名称です。それを、180度異なる方向に走る新幹線の名称に転用する、というのはかなり変です。
さらに言うと、この「はやぶさ」は、新幹線の三倍くらいの時間をかけて九州まで走っていました。そして、新幹線はもちろん、在来線の特急にも追い抜かれていました。したがって、発表した社長氏の「スピード感があり」というのはかなり違うと言わざるをえません。
列車の愛称名のつけ方を間違えた見本、とまで思ってしまいました。今からでも遅くないから、見直しを行うべきではないでしょうか。
2010年05月01日
橋の上での揺れ
珍しく、空いた電車で帰りました。すると、江戸川を渡るとき、車体がかなり揺れました。
しかし、幕張本郷で降りた時は、さほど強い風は吹いていませんでした。少々距離が離れてはいますが、普通、江戸川で強い風が吹いていれば、ここでもかなり風が強いはずです。
この現象の理由は二つ考えられます。一つは、単に江戸川で局地的な強風が吹いていただけ、というものです。
これなら別に問題がないのですが、もうひとつの原因を想像すると、少々怖くなりました。それは、たいして強い風ではなくても、JRの車両はかなり揺れる、という可能性です。
ある時期から、JRは風での運休がかなり増えました。京葉線などはしょっちゅうですし、総武線も運休はほとんどないものの、徐行でかなり遅れが出ます。特に、橋の上では時速10キロを切るような速度になります。その一方で、並行している京成電鉄は、普通に運転しています。
特に今回は、空いていたために、客という「重し」がなくなって、さらに揺れたのでは、と思いました。
まあ、科学的根拠も何もありません。とはいえ、JRおよび総武線に対しての不安は増加してしまいました。もっとも、他の経路が不便すぎるので、結局は総武線での通勤を続けるのですが・・・。
2010年04月29日
二日続けて臨海地区へ
昨日は台場、今日は有明と、二日続けて臨海地区に行きました。いずれも、用を済ませた後に幕張本郷の自宅に直接帰ったのですが、経路は全然異なりました。
昨日の台場は、ゆりかもめで新橋に戻り、総武快速で津田沼に出る、という経路でした。地図上はかなりの大回りなのですが、鉄道では最短となる新木場経由の場合、ゆりかもめからりんかい線に乗換えなければならないのと、新木場からの武蔵野線の本数が少ないため、よほど接続が良くないと、かえって時間がかかるのです。
そして今日は有明だったので、りんかい線で新木場から武蔵野線直通という経路でした。武蔵野線は30分に1本しかないのですが、幸い、10分待ちで乗ることができました。今日は接続が良かったのですが、運が悪いと、一度京葉線で南船橋まで出て、そこから武蔵野線に乗換えたほうが早い、という事になってしまいます。
行ったところ同士は1.5km程度しか離れていません。なのに、全く違う経路になったわけです。しかもいずれも1時間以上かかりました。
ちなみに、羽田空港からバスで帰るときもこの地区を経由するのですが、道が空いている時は、臨海地区から海浜幕張まで20分程度です。いかに、臨海地区から千葉方面への鉄道の設定が悪いかがわかるとしたものです。
仮にりんかい線を新木場から乗り入れて西船橋まで15分ヘッドで走らせれば、全然変わってくるとは思うのですが・・・。まあ、需要が少ないので仕方ないのでしょう。
2010年04月21日
目前で行われた「車両点検」
帰りの電車に乗っていました。西船橋に着いたのですが、なかなか発車しません。そして、車内の雰囲気が奇妙な事になっています。ざわつく方向を見てみると、駅員さんばかりか、「POLICE」と背中に印刷された服を着ている人まで車内に入ってきました。なにやら問題が発生したようです。
そして、一人の男性が車外に出されたのですが、ちょっと酔っているようにも見えますが、別に叫んだり暴れたりしているわけではありません。
西船橋に着くまで、ずっと雑誌を読んでいました。したがって周囲で何が起きていたかは分かりません。とはいえ、警官が介入するようなトラブルであれば、同じ車両ですから、何か大声が出るなど、自然に気づくはずです。そう考えると、何が起きたのか、余計不思議に思いました。
いずれにせよ、列車は止まっています。したがって、車内放送が流れるのですが、最初は「車内トラブルが発生したため」だったのに、いつの間にか「車内点検を行っております」になりました。その後も、「トラブル」になったり「点検」になったりを繰り返していました。
以前から、「車内点検のため」という言葉を安易に使っているな、とは思っていました。しかしながら、目の前で警官二人が立ち回りをしているのを「車内点検」と報じるのは、「虚偽車内放送」になるのでは、と思いました。
いろいろ取り繕いたい気持ちは分からなくもありません。とはいえ、あまりにも事実を歪めすぎるのは、社会常識レベルでどうなのか、と強く思いました。
2010年04月02日
60度傾いて通勤
朝からの強風で、千葉-東京間のJRは大変な状態になっていました。京葉線は既に運休で、幕張本郷駅に着いたら、バスを利用した振替輸送で海浜幕張に行く人の行列が、駅構内まで伸びていました。
その京葉線利用者を振り替えていた総武線のほうも、かなりの遅れになっていました。しかも、東西線直通電車や、一部の折り返し電車を運休したため、車内の混雑率はとんでもない事になっていました。
千葉県を走っていた間は一応、真っ直ぐ立っていました。しかし、駅ごとに乗り込んでくる人たちの圧力で、だんだんと姿勢を維持するのが困難になってきました。
そして、最後には、座席の前に立っている棒で何とか倒れるのをこらえつつ、体が60度傾いたような形になってしまいました。
しかも、混む上に、橋を渡る時は徐行になるのですからたまったものではありません。ノロノロ走りながら水面を見ていると、この時間が永遠に続きそうな錯覚までおぼえ、かなりげんなりしました。
なお、後で調べたところ、総武線は最大50分の遅れだったのに対し、ほぼ並行している京成線は最大15分の遅れだったとのことです。
強風時の運行判断基準が両社では違うのでしょうか。ここ数年、今日くらいの強風はいくらでも発生します。そろそろ、強風が発生した時にいかに運行を維持するかについて、本腰を入れるべきではないでしょうか。
特に、すぐに風で止まる上に、振替輸送の手段もほとんどない京葉線については、抜本的な対策が必要でしょう。長期的な計画を立てて、防風シールドの設定などを行うべきなのでは、と強く思いました。
2010年03月15日
ICカード相互乗り入れ
先週末から、東日本のsuicaと、福岡で三つの鉄道事業社がそれぞれ発行している「ニモカ」「スゴカ」「はやかけん」すべて相互利用できるようになった、というニュースを見ました。
これで、出張で福岡に行く時は電車もバスも携帯で乗れるわけです。福岡空港から地下鉄に乗る時など、大きな荷物を引きずりながら財布を出して切符を買うのはかなりの手間だったので、この「相互乗り入れ」はかなりありがたい事です。
他にも、これまでは鉄道の乗車だけだった、東日本・東海・西日本のカードが、電子マネーとしても相互乗り入れできるようにもなったそうです。
ここまで乗り入れが進むと、ならばどれもこれも全部相互利用できれば、と思うのですが、なかなか上手くはいっていません。
たとえば、首都圏ではsuicaとPASMOはどこでも同じように使えます。したがって、「suicaが使える」と「PASMOが使える」は同義語です。しかし、地方でsuicaが使える鉄道でもPASMOは使えません。したがって、関東の感覚に慣れたPASUMOユーザーが、地方では乗れると思ってPASUMOをかざしてはねられる、という事が発生しそうです。
技術的には可能なわけですから、全てのICカード乗車券が相互乗り入れできるようにすればいいのに、とも思うのですが、色々な事情があって難しいのでしょう。とりあえず、大阪出張の時も楽したいので、5年前に発表されたもののそこで止まっている、suicaとPiTaPa(関西私鉄用のICカード乗車券)の乗り入れは早く実現してほしいものです。
ちなみに、福岡に住んでいて、よく出張で札幌に行く人の場合、ICカードは福岡のでも札幌のでもなく、suicaを持っているとどちらでも使えて便利です。これなんかも、複雑な相互乗り入れ体制ゆえの現象と言えそうです。
2010年03月12日
シーガル幕張初乗車
先月デビューした、連接バスの新車「シーガル幕張」に海浜幕張から本郷まで初乗車しました。
この新車における最大の特徴は、幕張本郷行きの際に「二列乗車」が行えることになった、というものです。
従来から、この路線の幕張本郷行きは、乗車時に下車するバス停を申告し、そこまでの運賃を支払う仕組みになっています。八割方は幕張本郷に行く人なのですが、一部慣れない人や両替する人のため、乗車行列に「渋滞」が発生していました。
その解決策として、乗車口を広くしてもう片方に「ICカード専用乗車装置」を取り付けました。カードを持っていて幕張本郷まで行く人は、ここにカードをかざせば「渋滞」の脇を通って「改札」が完了するわけです。
かなり画期的な仕組みですが、「シーガル幕張」に限られることもあり、まだこの新乗車方式は浸透していないようでした。そのため、相変わらず、乗車口のところには、一列の行列ができていました。
そこで確認のうえ、列の脇を通り、新改札を使用しました。その脇では、運転手さんに両替について尋ねている人がいました。従来方式だったら、自分もその人が終わるまで乗車を待つ必要があったわけです。
というわけで、新方式の成果を思い切り享受した形になりました。
ただ、この方式はまだまだ知られていないようでした。私の場合も、偶然に新車導入直後に乗った相方がもらったチラシを見なければ、気づくことがなく並んでいたでしょう。
せっかくの仕組みだからもっとバス停に分かりやすい告知を掲示すればいいのに、とも思いました。
2010年03月06日
美味い鶏と、まずい遅れ
今日は田町で家族と食事でした。宮崎の鶏を出す店で、メニューを見ると水炊きがありました。大好物なので、早速注文したところ、出てきた鍋には白いゼリー状のものが入っていました。店員さんによると、鶏のコラーゲンとのこと。火をつけると、それが溶けてスープになりました。
元が元だけに味は濃厚でした。鶏肉はもちろんですが、その汁の味が染みたキャベツも絶品でした。あまりの美味しさに、わざわざキャベツだけおかわりして、残ったコラーゲンスープに入れて食べたほどでした。
他にも焼いた鶏・唐揚げも美味しく、鶏肉好きである自分としては大満足となる店でした。また、機会があったら行きたいものです。
というわけで、いい気分になって田町駅に行きました。ヤフーの路線情報で検索したところ、品川まで出て総武快速に乗るのが最速とのこと。この経路ですと駅で歩く距離も短い上に確実に座れる事もあり、それを使うことにしました。
ところが、品川で乗り換え用とすると、遅れ40分で総武快速との直通も中止とのこと。しかしながら、駅員さんに尋ねると、もう次の列車は隣の駅を出ているとのことでした。
ならば東京地下駅で乗り換えても、これが一番早いだろうと思って乗ったのですが、これが大失敗。新橋駅の手前で急に「前の列車が詰まっているので、しばらく停車します」と放送があり、動かなくなってしまいました。
せめて駅で止まってくれたら他の経路を選べるのですが、これではどうしようもありません。結局、東京駅で総武快速に乗った時は、田町駅に入ってから1時間近く経っていました。
駅員さんにおいては、隣の駅を出たことを教えてくれるより、品川-東京間で電車が詰まっている事を教えてほしかったものだ、と強く思いました。
あと、ヤフーですが、路線を登録しておくと、その路線に遅延が発生するとメールが届くサービスがあります。ならば、それを路線情報検索にも反映させてほしいものだ、と思いました。まあ、異なるシステムで動いていると思われるので、難しいとは思いますが・・・。
結論とすれば、「大幅な遅れが発生した場合、異なる路線を使う」という基本通りに動くべきだったわけです。駅員の話や、ネットの情報よりも、そちらを優先すべきだったと痛感させられました。
2010年02月28日
乗務員に暴行で電車遅延
今日は仕事でした。幕張本郷で総武線に乗ったのですが、次の津田沼で「後続列車が、乗客が乗務員に暴行を働いたため遅れています。そのため、当列車は時間調整のため、少々遅れます」というアナウンスがありました。
ニュースではたまに見ますが、実際に自分がそれに影響を受けたのは初めてでした。そして、日曜の朝から、乗務員に暴力をふるう、とはどのような心理状態から生じるのだろう、と思いました。
世相が世相なだけに、より一層、荒んだ人が増えているのでしょうか。電車が遅れた事よりも、そちらのほうがより気になった、朝の一こまでした。
2010年02月06日
「とりあえず」の時点で決まっていた失敗
仕事で、大手町駅の北端で改札に直結しているビルから江戸川橋に移動する用事がありました。当初の予定では、一旦、大手町の中心部にあるビルを経由してから移動するはずでした。しかし、その用事はなくなり、ちょっとした予定変更となりました。
もともと、大手町から有楽町線というのは、どうやっても乗り換えが不便です。唯一楽なのは都営三田線で日比谷に出る方法ですが、これだと120円余計にかかります。
したがって東京メトロに乗るわけですが、千代田線で日比谷、丸ノ内線で赤坂見附、半蔵門線で永田町のいずれも、乗り換えに時間がかかる上にかなりの大回りになります。
というわけで、距離的には一番短い、東西線経由にすることにしました。ところが、同じ大手町でも北端から東西線のホームへたどり着くには一苦労です。しかも、飯田橋でも延々と歩くはめになります。
しかし、他の選択肢よりはマシなので、それ以外に方法はありません。仕方なく歩き出したのですが、途中で駅の周辺地図が目に入りました。それを見たら唖然となりました。そこには、
先程までいたビルが書かれていました。それによると、東西線に乗るには、一駅となりの竹橋まで歩いた方が近いのです。
予定が変わったとき、「まあ、とりあえず直結しているのだから、大手町に行きながら考えよう」と思いました。しかし、実はその「とりあえず」と判断した時点ですでに間違いをおかしていたわけです。
地下鉄の乗換案内ブログを書いている身として、この失敗はかなりこたえました。それが尾を引き、その後も失敗を連発し、かなり無駄な午後を過ごしてしまいました。
乗換案内ブログでの究極の目標は大手町の乗り換えを完全解析することに置いてます。しかしながら、今回の失敗を見る限り、目標の達成はまだまだ遠い、と痛感しました。
2010年01月20日
気温と遅延
ここしばらく冷え込んでいたのが、今日になって急に暖かくなりました。今朝の通勤電車は、その影響を即座に受けていました。
現在、私が使っている時間帯はラッシュ時の頭くらいで、込みはするものの、秋まではほぼ時刻表通りに走っていました。
それが、冬になるにつれ遅れるようになり、特にこの一週間は数分の遅れが標準で、トラブルもないのに10分遅れた日すらありました。
それが今日になって、急に定時運行に戻ったのです。
寒さが電車の機械に影響を及ぼし、速度を抑えざるを得なくなるのでしょうか。それとも、寒いと乗客の動きが鈍り、それだけ乗降に時間がかかるからでしょうか。
もともと10分くらい遅れても間に合うような時間に出ているので、軽微な遅れなら別に困りもしません。というわけで、当事者ながら他人事のように、「寒さと遅れの関係」に思いを馳せながらの通勤となりました。
2009年12月13日
振替乗車の小技
津田沼で夕食を食べました。駅に着いたら、ちょうど二分後に電車がでるとのこと。これは待たずにすむと思い、気分良くホームに行きました。
ところが、放送や表示では、「幕張駅で人身事故が発生し、運転見合わせ」と出てきます。電車のほうは時刻表通り二分後に来たのですが、「ここでしばらく運転を取りやめます」というアナウンスがありました。
そこで、振替輸送を使うことにしました。私は定期ですから問題ないのですが、問題は相方です。一度suicaで改札を通っており、このままですと、振替の対象になりません。
そこで、一旦、suicaを入場取り消ししてもらい、幕張本郷までの切符を購入して振替え乗車券と取り替えました。
この方法は、駅員さんは教えてくれないから要注意です。実際、自分たちの目の前にいた青年は「止まっているんですか」「ええ」「どうすればいいんですか?」「新津田沼から新京成が出ていますから・・・」「これで入ったんですけど(suicaを見せる)」「これでは振替票は出せませんね」「そうですか」という会話をし、そのまま新津田沼に向かっていました。
仮にこの人が幕張本郷に行くとしたら、京成と新京成の合算で250円、一方、相方は130円で行けたわけです。
というわけで、新津田沼まで歩いて行ったのですが、着いたらちょうど前の電車が行ったばかりで10分くらい待たされ、さらに京成津田沼で10分くらい待たされました。
日中は直通運転をしているにも関わらず、この接続の悪さには驚かされました。
そして幕張本郷に着いたら、JRホームの幕張方面には待っている人がいませんでした。改札に行ったら運転再開とのことで、おそらく、出て行ったばかりだったのでしょう。結果的には振替を使わない方が早く帰れたわけです。
まあ、自分は基本的に振替乗車が好きですし、相方も普段と違う経路を楽しんでいたようなので、よしとしようと思いました。
ただ、目の前の青年以外にもいたと思われる、駅員の言うなりに定価でこの経路を使った人にとってはシャレにならない話だろうな、とも思いました。
2009年12月09日
振替の振替
帰宅しようと四谷駅に行ったら、人身事故の影響でかなり遅れている、というアナウンスがありました。窓口で尋ねたら、振替乗車票を発行してくれるとのことなので、利用することにしました。
一番手堅いのは、南北線で市ヶ谷に出て、そこから都営新宿線で本八幡に行き、総武線が復旧していたらそちらに、まだ乱れていたら京成に、という経路です。しかし、この経路は市ヶ谷および本八幡での乗換えにかなり時間がかかります。
そこで、地下鉄を乗り継いで京成上野に出て京成で帰る、という経路にしました。南北線→大江戸線→銀座線という、振替乗車票を持っている時にしか使えない、割高な経路で京成上野に着きました。
そして改札に行ったのですが、そこには「人身事故が発生して、電車が遅れています」という表示があり、振替乗車の案内までしてありました。
さすがにJRの振替乗車票を提示して京成の振替乗車票を取得するわけにはいきません。これなら普通に新宿線を使っていれば、と後悔しましたが、今更どうしようもありません。各駅停車にに乗ったのですが、先頭から前の列車のテールランプが見えるほど詰まっています。当然ながら、ノロノロ運転でした。
そして、ついに特急待避駅である千住大橋で、前を走っている各駅停車に追いついてしまいました。そこで、乗り継いだのですが、こちらもまたノロノロ運転です。しかし、京成高砂で臨時仕立ての快速特急に接続し、後はほぼ順調に帰宅できました。
えらい時間を無駄にしましたが、おかげで、「各停が前を走っている各停に追いつき、そちらに乗り継ぐ」というなかなか出来ない経験ができました。それができたので、京成上野まで出た甲斐があった、と思うことにしました。
2009年12月06日
路面電車でWiMAX
移動しながら高速で無線インターネットが使えるというWiMAXの試験運用を伊予鉄道の路面電車で行なう、という記事がありました。
車内のモニタで動画を流すわけですが、ネットでリアルに通信しているため、好きなときに動画を切り替えたりすることもできます。そのあたりが、山手線などで流している動画との違いのようです。
ただ、この路線は相方の里帰りのたびに乗るのですが、そこで見る限り、一人当たりの乗車時間はあまり長くありません。したがって、よほど「放映時間」をうまく設定しない限り、折角の動画でも、ほとんどの人が途中で見始めて放映中に降りる、という事になりかねません。
という不安もありますが、このような新しい試みを始めるのは応援したいです。さすがは、JRにさきがけて、携帯で電車に乗れるシステムを導入した会社なだけの事はあります。
ちなみに、この路線を走る車両の大半は、1950年代から60年代に造られています。一部は今世紀に入って造られたのもありますが、まだまだ少数派です。
どうせ取り付けるなら、ぜひともその「建造50年」の車両につけ、歴史と最新技術をとりあわせた車内を演出してほしいものだ、とも思っています。
2009年11月26日
駅からすぐだけれど駅から10分
職場の雑談で、二人の人が、東京駅八重洲口にある施設について話していました。聞いていると、今ひとつ話が噛み合いません。片方が、この前初めて見たけれど、「八重洲」とつくだけあって、八重洲口を出てすぐの所にあった、言います。すると、もう片方は「八重洲口から10分くらい歩いた」と言いました。
結局、初めて見た人が、別の施設と間違えたのだろう、という結論になっていました。
不思議に思いながらその話を聞いてから数日後、有楽町駅前で用事をこなした後、から京葉線に乗る事になりました。
もちろん、有楽町から山手線で東京乗換えなどという「大回り」はせず、直接京葉線の東京駅まで歩きました。そして、入口につくと、その目の前に、先日話題になった施設がありました。
これを見たとき、先日聞いた話がなぜ食い違ったかが分かりました。表示を見ると、確かに、この入口も「東京駅八重洲口」です。そして、目の前に施設はあります。しかし、昔からの「八重洲口」である、大丸のあたりから歩けば、10分くらいかかってもおかしくありません。
つまり、「東京駅八重洲口」の範囲が広すぎたために発生した食い違いだったわけです。
確かに、いずれの出口も「中央区八重洲」にあります。だからと言って、京葉線の出口も「八重洲口」にするのは少々無理があると思いました。
そのあたりは釈然としませんでしたが、とりあえず自分の心の片隅に引っかかっていた事が解決したのは有難いことでした。
2009年10月16日
ちぃばす巨大化
かつて廃止された都バス路線に沿う形で、港区が運営しているちぃばすという路線があります。
たまに見かけると、そこそこの混雑率だったので好調なのかと思っていました。そして、今日久しぶりにみたところ、昨年までの小型バスから中型バスにグレードアップしていました。それだけ、乗客がいるということなのでしょう。
かつて廃止された路線からの改善点といえば、値段が半額の100円というのと、停留所の数が増えた、ということがあります。一方で、かつては六本木からさらに青山一丁目・信濃町を経由で新宿まで行っていたのが、現在は六本木止まり、というマイナス点も存在します。
にも関わらず、かつてと同じ中型バスで運行できるようになったわけです。それだけを考えれば、最初から既存路線を廃止しなくてもよかったのでは、とも思えてきます。
港区には他にもかつて愛用していたバス路線が廃止になっています。この「小さくなくなったちぃばす」を見たときは、それらの路線も復活させられないものかと思いました。
2009年10月12日
ハブ空港
国交相が、羽田空港をハブ空港にする、と発言したそうです。この言葉、15年くらい前に関空が出来た時に初めて聞き、中部国際空港が出来た時もよく聞いた言葉です。しかしながら、その後、両空港とも「ハブ空港」と呼ばれていないので、目指したはいいものの、実際にはなれなかったようです。
一方で、2001年に開港した、韓国の仁川空港は、韓国のみならず東アジアのハブ空港として活躍しているそうです。ならば、そこから飛行機で2時間くらいで行ける羽田が、新たにハブ空港になる必要はなさそうです。
ハブ空港の私の認識は、「国際線相互を含む、複数の航空路線の乗換えが行なわれる空港」と認識しています。もしそうならば、別に日本になくてはならない物とも思えません。
まあ、空港新設だの拡張だのの時によく名前が出るところを見ると、この肩書きをつければ、さほど必要性のない空港工事でも大義名分がたつ、というものなのだろうか、と思っています。
2009年10月08日
運休地点に幸運を感じる
出勤中、本八幡駅に着いたら、「強風のため、本列車は当駅で運転を打ち切りますす。都営線・京成線の振替輸送をご利用下さい」というアナウンスが流れました。「遅れます」とか「運転を見合わせま」なら何度かありましたが、「運転を打ち切ります」というのは車両故障を除けば初めてです。
振替輸送が発生した場合、運転再開の可能性も考える必要があるのですが、折からの台風の事もあり、今日はほぼ即決。都営新宿線に乗換えました。幸い、座ることができたため、所要時間は45分ほど余計にかかったものの、ラッシュに押しつぶされることもなく通勤することができました。
市ヶ谷駅に着いたところ、相変らず中央・総武各駅停車は止まっていました。というより、首都圏のJRが全て止まっている、とアナウンスされていました。
その状況を知り、本八幡に着いたときに止まった、というのは非常に幸運だった、ということに気付きました。隣接する市川や下総中山で止まった場合、京成線に振替えるしかありませんが、いずれも各駅しか止まりません。
さらに都内に入り、小岩から平井の間で止まったら、その京成線すら利用は困難です
45分遅れでしかもほぼ全区間座る、などはありえなかったでしょう。
実際、平井駅を利用している人は、渋滞のバスに揺られて東大島に出て都営新宿線と言っていました。また、中央線を利用している人は西荻窪で止まってしまい、これまたバスで荻窪に出て、そこから丸ノ内線を使ったそうです。普段なら9時に着くところが11時過ぎになった、という人もいました。
自分の幸運を喜ぶと同時に、いくら過去10年最大級の台風が来たとはいえ、首都圏全線運休というのはいかがなものか、と思いました。実際、都営新宿線や京成線は動いているわけです。
確かに、事故を発生させないのには運転しないのが一番の「安全対策」です。とはいえ、もう少し線路の保守に予算をまわせば、他鉄道が運転しているのにJRだけは運休、という事態は防げるのでは、と思いました。
2009年09月09日
通勤二次災害
朝、津田沼で始発に乗換えようとホームで待っていたら、「東西線で事故があり、直通運転を中止しています」というアナウンスがありました。さらに、西船橋駅に着く前には、「東西線は九段下-葛西間が運休し、その影響でホームは大変な混雑になっています」との車内放送がありました。
私が乗った電車は5分程度の遅れですみましたが、その後、東西線の振替で乗った人により、総武線もかなりの遅れが生じてしまったと、被害に遭った人が言っていました。
ただでさえ、東京都-千葉県間における朝の通勤輸送は限界ギリギリです。したがって、一つが止まって、もう一つにその客が押し寄せれば、「二次災害」が発生するのも当然です。
その原因として、代わりに他鉄道へ乗るための「振替乗車票」を、事故が発生した路線の駅でしか発行しない、というのがあるためだと思っています。
たとえば、今日のように東西線が止まった場合、西船橋まで行かないと振替票を入手できません。したがって、かなりの客が総武線に集中するわけです。
たとえばこれを幕張本郷でも配布しすれば、その分が京成線、さらにはバスを介して京葉線に振り替える事も可能となります。そうすれば、総武線の「二次災害」も軽減されるわけです。
手続き上はいろいろ面倒なのでしょうが、普段から金払っている客をすし詰めの電車に押し込んでいるわけです。事故が起きた時くらい、少々手間や金をかけても、乗客が少しでも楽できるような方策を実施してほしいものだ、と改めて思いました。
2009年09月07日
ヤフー&プレジデント効果第2弾
トップページのアクセス数を見たら、前日が二十いくつだったのに対し、二百を超えていました。またヤフーに紹介でもされたのか、と思って見たところ、「経済トピックス」に通勤代安くなる? 二区間定期という見出しがありました。
前回と違い、ヤフーから直接リンクが貼られたわけではありません。しかしながら、その「二区間定期」という言葉で別途検索をかけた人が、当サイトで書いた記事にたどりつき、ついでにトップにも寄ってくれたようです。
当サイトで書いているのは「分割定期券」ですが、基本的な発想は同じ物です。そのため、私は使った事はないのですが、余談として「二区間」についても書いていました。それでもこれだけ人が来るのですから、いかに「定期券を安く買う」という記事が多くの人を惹き付けるか分かります。
というわけで、当サイトのアクセス数向上の事を考えれば、大変有難い記事です。ただ、前回もそうでしたが、この雑誌に載る記事は、ネットでの情報を拾い集めたような雰囲気があり、きちんと作った感じはありませんでした。
特に今回の記事には(通常の分割)定期で出場しようとすると、ゲートは開かない。毎回駅員のいる改札で手続きをすることになり、現実的に活用するのはほぼ不可能である。などという、とんでもない事実誤認が記載されていました。
そういうこともあり、プレジデントの原稿料は、この記事のネタ元であり、実際に記事を見て「分割」「二区間」に興味を持った人が必ず使う乗車券分割プログラムを運営している方に支払われるべきなのでは、と思いました。どう考えても、あの記事を書いた記者氏よりもその人のほうが、読者の役に立っています。
2009年08月11日
東北新幹線で屋久島に
イギリスのテレビ局が製作した日本紹介番組を見ていました。冒頭、出演者が新幹線に乗ります。車体は東北新幹線で、出演者も「ウツノミヤ」とか言っています。
ところが、列車が動き出すと風景が一変。東海道新幹線の500系が富士山を背景に橋を渡っていました。
そして、出演者は、駅弁を使って日本地図を描いて(?)います。そして、魚の切り身を本州に見立てて置き、その左下に蓮根の天ぷらを置いて「この謎の揚げ物が九州です。細長い日本では、新幹線が最も有効な交通手段です。そして、私の目的地は、さらにこの南にあります」などと言っていました。
そして、次に画面に出てきたのは屋久島でした。確かに、地図の説明とはあっています。しかし、言うまでもないことですが、東京から新幹線を乗り継いで屋久島に行く人など0.1%もいないでしょう。実際、この取材者だって、飛行機で行ったに決まっています。
日本の自然を紹介してくれるのは有難いですが、なぜ、このようなしょうもない嘘を描くのだろうか、と思いました。国の面積はたいして変わらないのですから、日本に国内線がないとと思っているイギリス人がいるとも思えません。
おかげで、せっかくの屋久島の風景も、なんか「やらせ」が入っているのでは、などと思ってしまいました。
あと、こんなとんでもない「新幹線」を、何の注釈もつけずにそのまま流した日本の放送局も凄いと思いました。
2009年08月07日
「こだま」からの視点
静岡と大阪を経由して最後は神戸で仕事、という出張をしました。
時間の関係で、東京ー静岡と静岡ー名古屋は、こだま号になりました。
これまで、東京ー新富士とか、米原ー名古屋などの短い距離で使った事はありましたが、このように合わせて3時間も乗るのは初めてです。
それだけの時間乗って、改めて、駅での通過待ちの多さに驚きました。
通過待ちがなかったのは一駅くらいで、まとめて 二本の「のぞみ」に抜かれたのも二回くらいありました。
普通列車を含めても、トップクラスの平均停車時間なのでは、と思ったほどでした。
名古屋からは「のぞみ」に乗り換えたのですが、つい先程までの事があり、これまで気にもとめなかった、「抜かれるこだま」の事が気になりました。
そこで、通過する二駅では、窓からその様子に注目しようと思いました。
しかし、時速約300キロで走る「のぞみ」にとって、それは一瞬の事でしかありません。
結局、二駅とも、車内の電光表示で初めて駅の通過に気付いた、という有り様でした。当然、「こだま」に気付く事などありませんでした。
立場が変われば視点も変わる、という事を改めて実感させられた、東海道新幹線での3時間半でした。
2009年08月02日
利用者の事を考えない案内
マリンスタジアムに行くため、幕張本郷駅からバスに乗ろうとしました。ちょうど直行の臨時バスが行った後で、その後に来た球場行きの一般バスが止まり、座席は塞がっていました。
以前書いたように、一般バスで座れない場合は、次に来る直行バスを待つのが最善になります。ところが、球場警備会社から派遣しているスタッフは、拡声器で「次のマリンスタジアム行きは12分後です」と繰り返していました。
これまで、案内スタッフが、次のバスの時刻を言うことはありませんでした。最初これを聞いた時は、ついに直行バスの時刻まで案内するようになったのか、と思いました。
そして、直行バスが来るまで12分待つなら、一般バスのほうが先に着く。ならばこれに乗るか、と思いました。ところが、乗ろうとした瞬間、後ろのバスの行き先表示欄が「直行・マリンスタジアム」になったのです。
つまり、案内スタッフは、一般バスの時刻表だけ見て、「次のマリンスタジアム行きは12分後」と言っていたわけです。それを真に受けて一般バスに乗っていれば、混雑にまきこまれた上に、直行バスより遅く着いていました。
これでは、案内スタッフが黙っていたほうがまだマシでしょう。ただ単に、臨時直行バスの時間も入った時刻表を掲示しておけばすむのに、何故わざわざ人を雇って乗り間違いを促そうとするのだろうか、と不思議に思いました。
2009年07月31日
2年10ヶ月前から進歩なし
会社帰りに駅まで行ったら、京葉線が止まっている、という情報が流れていました。まあ、立地条件の関係で強風などがあれば止まる路線です。それに、自分の帰宅には関係ないが、沿線に住む同僚は災難だな、などと最初は軽く思っていました。
ところが、詳しい情報が入った時は、唖然としました。14時ちょっと前からずっと止まっており、復旧の見込みは立っていない、との事です。ならば余程の突発的な事故なのだろうか、と思ったら、原因は「変電所でのトラブル」との事でした。
帰宅した時点で見た報道は、変電所で火災発生の警報が鳴ったものの、煙や火は確認されず、まだはっきりとはわかっていない。ただ、「煙が出ていた」との目撃情報もあるというというものでした。その後しばらくして、実際に変電所の機器が焼けこげていた事が発表されました。
実は、2年10ヶ月前に、発生した変電所こそ違えど、ほとんど同じ事故が発生し、その時も長時間不通になりました。発生当初に「変電所の火事」という事実を正確に発表しなかった所まで、ほとんど同じです。
つまり、2年10ヶ月前に発生した事故の教訓が全く生かされていなかったわけです。長時間運休はもちろんですが、火災に関する予防策並びに事後対応に一切の進歩がない、というのは大問題でしょう。
JR東日本のトップページを見ると、未だに3年半前に発生した死傷事故のお詫びが一番上に書かれています。
しかし、この現状を見ると、あれは誠意によるものではないことがよく分かります。「反省」「安全重視」を出すことが企業イメージ向上に結びつくから、という計算ゆえの事なのでしょう。
このことは、ちょうど昨日に発表された社長インタビューを読めばよく分かります。一応、経営の最優先課題である「安全」を求めるひたむきさなどとは言っていましたが、「安全」という言葉が出てきたのはその一箇所だけ。あとはひたすら金儲けの事ばかり言っていました。その翌日に、このような事が発生したのです。
グループ全体で何度事故を起こして乗客に迷惑をかけても、全然学ぶことなく利益ばかり追求するという、JRらしさを改めて感じさせられました。
2009年07月07日
バスくん?
隣の席の人たちが、沖縄の事業所で働いている人のバス定期代を調べていました。バス会社名「沖縄バス」だと分かったので、ヤフーで「沖縄バス 運賃」で検索たのですが、出てきたページが分かりにくく、困っているようでした。
のぞいてみたら、やけに詳しい運賃表が表示されています。見てすぐ、バスファンの方が作った個人サイトである事が分かりました。そこで、「これは個人サイトだから、単に『沖縄バス』で検索したほうがいいですよ」と説明しました。予想通り、そうしたら公式サイトが開きました。
そのあと、隣の人たちは、「こんなマニアックなバスサイトをつくるなんて、凄いと言うより怖い」と言い、その場で「バスくん」なる造語を作成し、「『鉄ちゃん』はまだいいけど、『バスくん』はやだね」などと言っていました。
高校時代に都バス完乗を目指して95%くらいの路線に乗り、今でも近所を中心にバス路線に乗ってはその感想をサイトに乗せている身としては、隣で「バスくん」を気味悪がる会話が繰り広げられるのは、奇妙なものでした。
もっとも、長年隠れヲタクみたいな事をやっていれば、こんな会話を聞く事はいくらでもあります。特に不快になることもなく、「バスくん」という造語は面白いなとか、あれだけ報道された効果か、「鉄ちゃん」は気持ち悪がられなくなったんだな、などと思いながらその会話を聞いていました。
2009年06月20日
リニアの経路
2025年の開業を予定しているリニア新幹線の経路候補が発表されました。赤石山脈を突っ切る「南アルプスルート」が最短で、それだと品川-名古屋が40分になるそうです。
我が家から品川まで1時間弱かかりますから、開業の暁には、名古屋に行く際、リニア新幹線に乗ってからより、乗る前までのほうが時間がかかる事になります。そう考えると、改めてその速度に驚かされます。
鉄道好きの端くれとして、時速500kmで走る列車から車窓を眺めてみたいとは思うので、16年後の事とはいえ、開業に関する情報を見ると期待感を覚えます。
ただその一方で、赤石山脈を縦貫するようなトンネルを掘って環境に悪影響は与えないのか、という不安感もぬぐえません。
そのような、半ば矛盾した心境で、この「南アルプスルートが有力」という記事を読みました。
2009年06月12日
身近だが縁のない存在
成田エクスプレスの新型車両が完成し、試運転が行なわれています。それが普段は我が家のすぐ近くにある車庫に留置されています。
というわけで、朝晩その新車を見ており、私にとって、一番身近な鉄道車両と言えます。
しかし、今の場所に住む限り、将来この車両に私が乗る可能性はゼロです。使う可能性があるとしたら、都内で仕事をした後、午後に成田で仕事もしくは空港に用事、というくらいです。しかし、仮にそんな事があっても、近日開業予定の京成新線を使うでしょう。
その、乗る予定のない車両を朝晩見ていますが、そして見る度に「先頭部は異なるけれど、横から見ると従来のとほとんど同じだな。さほどいい形・色合いでもないのだから変えれば良かったのに」と思っています。
2009年06月08日
千葉モノレール
千葉駅モノレールの終点まで乗ってきました。千葉に越してきてから、いつかは乗ろうと思い、先送りし続けて11年半にしてやっと乗った事になります。
主に道路の上の高い所を走るだけに、眺望はなかなかのものでした。また、市街を走っていたと思ったら、一瞬で森の上に景色が変わる、などというのも楽しめました。
なぜか分かりませんが、同じ道路の上を走っていたも、高度が変わります。高さが変わる度に、周囲の風景に対する視点が変わり、それも印象に残りました。
車体はやや閉鎖的な作りで、折角の高い所からの車窓なのに、前面展望が良くなく勿体ない、などと思いました。しかし帰宅後に調べたところ、今年から展望の良い新車を導入し、随時置換えるとのこと。その新車が出来たら、またじっくり乗ろうかと思いました。
ところで、乗る前は、これで残る千葉の未乗鉄道は、北総鉄道の千葉ニュータウン-印旛日本医大前と銚子電鉄の犬吠-外川間だけになったと思っていました。
ところが、いざ千葉の鉄道路線図を見てみると、木更津から出ている久留里線に乗った記憶がないことに気付きました。房総半島には中学の夏休みに青春18きっぷを使って「乗りうぶし」をしてはいます。25年前の事とはいえ、乗った各線については記憶があります。ところが、久留里線についてはまったくもって欠落しています。
当時の目的を考えると、乗っていないわけはないはずです。とはいえ、記憶が何一つない、という事は乗っていないのと同じです。
別に県内の鉄道を完乗しようとしまいと、何ら損得があるわけではありません。しかしながら、考え出したら非常に気になり出しました。そういうわけで、懸案を達成したと思ったら、新たに久留里線に乗る、という目標が新たに出来てしまいました。
2009年05月14日
毎朝準備中?
昨年あたりから、JR東日本のサイトに遅延証明書ダウンロードページができました。朝に電車遅延が発生した時、このページを使えば、改札前に並んで遅延証明書を受け取る必要がなくなるわけです。
ある朝、出勤したら、いくつかの路線で遅延が発生したようで、事務所の人が少なめでした。そこで、どこが遅れたかと思って上記のページを見たところ、遅延が確定している路線には遅延時間が、そうでない路線には「掲載準備中」と書いてありました。
確かに、「正常通り運行」と書いておいて、その後に遅延が発生したら、目も当てられません。そういう意味では、リスクを避けた記載とは言えます。
とはいえ、これでは毎朝遅れる予定がある、と宣言しているようなものです。確かに、私が利用している中央・総武線各駅停車も、平日の朝にダイヤ通りに走ることなどなく、遅れが5分以内なら「今日は早いほうだ」と思えるほどです。
そういう事もあっての「毎朝掲載準備中」なのでしょうが、さすがに後ろ向きすぎると思いました。ダイヤはもちろんですが、人員配置に始まり、車両・信号機などの保守体制や、駅の安全対策など、定時運行のために見直せる所はいくらでもあると思います。そのあたりを改善し、遅延情報サイトに堂々と「今朝も遅れはありません」と書かれる日が来ることを願っています。
2009年05月11日
習志野市コミュニティバス
今世紀になってから、各地において、自治体主導による、小型バスを用いたバス路線の新設が相次いでいます。隣接する習志野市や、実家近くでも開設され、たまに走っている姿やバス停などは見かけましたが、乗る機会はありませんでした。
ところが、今日、津田沼まで散歩中に、普段歩いている道を通ると、バス停が新設されていました。案内を見ると、今月かから習志野市コミュニティバスの新路線が通ったとの事でした。時刻表を見たところ、数分後に来るとのことなので、乗ってみました。
来たのは、マイクロバスをさらに小さくしたほどの大きさで、客席定員は10人くらい。我々が座った時点で満席で、立客もいました。通常の大型バスでしたらガラガラと言ってもいいほどの乗車人数ですが、この大きさだと「混んでいる」という部類になるわけです。しかしながら、ICカードで乗車できるなど、最新設備も備えています。
そして、小型の特性を活かし、二車線の小さな通りを快適な速度で進み、時刻通りに目的地に着きました。
いろいろと情報は得ていましたが、実際に乗ってみて、その便利さに感心しました。ぜひとも成功し、習志野市内外を問わずに発展してほしいものだと強く思いました。
2009年05月01日
誤表示とピンぼけ表示
有楽町線の新木場行きに乗って、麹町で降りました。ホームが見えたので扉の前に立ったのですが、何気なく上にある液晶モニタを見たら、「向こう側の扉が開きます」と表示されています。
目の前にホームがあるのに変だな、と思って見ていたのですが、さらに、前から二両目に乗っているにも関わらず、液晶モニタには「後ろから二両目」と表示されています。いずれも、これは逆方向の池袋方面行きの時のものです。
一瞬、操作ミスで上りと下りを間違えたのか、と思ったのですが、号車案内の上には「新木場行き」と書かれていました。
どうやら、プログラムミスか何かで、池袋方面用の表示を、新木場行きで流してしまったようです。もっとも、その誤表示に関わらず、車内で驚いたりした人はいませんでした。どうやら、あの表示はほとんどの人が読んでいないようです。
もしかして、突発的に発生したのでなく、ずっと間違いが続いているものの、誰も気付かないために直らないのか、などとも思いました。
降車後に駅構内にて、東京メトロ名物(?)の月替わり車内マナー啓発ポスターの5月版が目に入りました。今月は、車内で携帯で話しながら仕事をしている人を使っての「社内でやろう」でした。
しかしながら、東京メトロのトンネル内では携帯は通じません。したがって、実際にこのような「マナー違反」が出来るのは、東西線の南砂町から西船橋の間くらいです。まあ、直通運転先の事も意識しているのかもしれませんが、先ほどの誤表示を見た直後ということもあり、何かピントがボケてるな、と思ってしまいました。
2009年04月16日
情報の流し方と選択
何年か前から、JRの駅改札付近に電光掲示板が設置されるようになりました。一画面に表示できる文字は10文字程度の大きさですので、掲示される情報は文字を流す形で表示されます。
したがって、パッと見ただけだと、何の情報を流しているのか分かりません。運が悪いと、「・・線は○○駅で乗客が線路に立ち入ったため、運転を見合わせております」という感じで、一番重要な「どの線が」が分からないまま、文字が延々と流れるのを見せられる羽目になります。
そんなもん、ちょっと待てばいいだろう、と思うかもしれません。しかし、朝、駅につき、何やら尋常でない人の動きを見た際には、この文字が流れる時間はえらく長く感じられます。しかも、そこに表示される情報を元に、短時間で予定通り乗るか、他路線の振替にするかを判断する必要が生じるわけです。
それに、「理由」など必要がありません。別にそれにより、復旧見込み時刻が分かるなら価値はありますが、そのような事はありません。それ以前の問題として、何度か書いたように、JRの発表する「理由」は平気で虚偽が含まれます。同じ事故なのに、車内では「転落」「故障」と言うのに、ホームでは「立ち入り」「点検」などと言っているのは日常茶飯事です。
限られた面積なのですから、そんな信憑性のない事など省略し、単純に「××線○○駅-△△駅間が運休」と必要な分だけ表示し続ければいいわけです。その分かりづらい表示を見ていると、「毎日のように事故や問題が発生している事を知られたくないために、わざと一目で分からないようにしているのでは、と勘ぐりたくなります。
特に今朝は、二日連続で電車が15分遅れた後だったため、より強く思いました。
2009年04月09日
阪神なんば線と両側ホーム
一泊の出張で大阪に行っています。行き先が難波だったので、先月開通した阪神なんば線に乗ってみました。
近鉄難波改め大阪難波駅に行き、阪神線ホームに行くと、近鉄車両による尼崎行きがやってきました。分かってはいましたが、不思議な感じがしました。
夕方のラッシュ時に加え、甲子園でプロ野球があることもあり、かなりの混雑でした。難波から阪神線なのですが、次の桜川で乗務員が交代しました。戸籍上の境界と、運転上の境界が異なるのでしょうか。
そのまま電車は地下を進み、九条駅から地上に出ました。ただ、騒音防止のためか、両側は覆われていたため、外が見えたのは川を渡った時だけでした。
そして、以前から開業していた西九条駅に着きました。20年ほど前に行った事はあり、その時は、駅の終端が切り立った崖みたいだったと記憶しています。その時から難波へ伸ばす構想はあったのですが、当時はまさか実現するとは思っていませんでした。それだけに、改めて「長年の構想が実現した」という事を感じました。
そして、西大阪線を通って、終点の尼崎へ。しばらくすると、直通特急の姫路行きがやっていきました。その列車が入った線路は、左右にホームがあります。乗換えには便利ですが、こちら側は先述したようにほぼ満員で、向側のホームも行列ができています。そして、梅田から乗っていた客もいるのですから、車内は大変な混雑になりました。
通常は、閉じているほうの扉が、終端装置みたいな働きをするのですが、この場合は、両方から人が入ってくるわけです。便利な構造だとは思いますが、中間にいる人は大変だと思いました。
そして特急が次に止まったのは甲子園でした。着くと、隣のホームに回送列車が扉を開けたまま止まっています。こちらの線路も両側にホームがありました。
そして、野球観戦の人などが大量に降りるのですが、みな、回送列車の中を通って、向こうのホームに行きました。甲子園駅の構造は忘れたのですが、おそらくは、向こうのホームから降りたほうが便利なのでしょう。
尼崎駅といい、甲子園駅といい、良くも悪くも「両側ホーム」の構造を最大限に活用しているな、と感心させられました。
2009年04月05日
四代目(?)ホリデー快速千葉行き
四年ほど前まで、土曜日のほとんどが出勤でした。その頃、秋になると、夕方に中央線方面から総武快速に乗り入れる臨時の「ホリデー快速」がありました。別に帰宅に要する時間が飛躍的に短縮するわけではありません。また、この経路を走る定期列車として「あずさ」一往復とホームライナーがあるので、珍しいわけでもありません。
しかし、季節・曜日が限定されている事もあり、自分にとっては「秋の楽しみ」となっていました。わざわざ、この列車に乗るために、新宿で時間つぶしをした事すらありました。
この列車の面白いところは、年によって使われる車両が変わることです。初めて乗った時は、通常の中央線快速と同じでした。それが、急行型を経て、最後は特急型にまで「昇格」していました。
しかし、ある秋の時刻表を見たら、千葉行きはなくなっていました。さらに、私のほうも職場が変わって土曜に仕事が入らなくなったため、すっかりこの「土曜の千葉行きホリデー快速」は過去のものになっていました。
ところが先日、ダイヤ改正にあわせて時刻表を買ったところ、春の臨時列車として載っていました。ちょうど運転日には仕事があるので、乗ることに決めました。
今度の車両は、東海道線のホームライナーに使われている、全車両二階建ての215系でした。自分的には「四代目の車両」といった感じです。
乗り心地は大してよくありませんでしたが、津田沼まで、久々の「千葉行きホリデー快速」を堪能できました。ぜひとも今後も継続し、かつさらにバラエティにとんだ車両で走って貰いたいものだと思いました。
2009年02月28日
TXから流鉄に乗換え
今更ながら、つくばエクスプレスに初乗りしました。南千住を出たところから地上に出て、常磐線と日比谷線に挟まれる形で隅田川と荒川を渡ったら、また地下に潜りました。したがって、どのへんを走っていたか分からないのですが、後で調べたら、千代田線の北綾瀬支線と並行して足立区を北上していたようです。
六町という駅を出ると地上に出て、八潮駅に着きました。つくばエクスプレスの車内放送では、「駅番号」を常につけるのですが、「六町」が「No.7」で「八潮」が「No.8」というのは妙に紛らわしい、などと思いました。
さらに、「中央」という割りには閑散としている「三郷中央」を過ぎると、線路は再び地下に潜り、南流山駅に着きました。
当初はここで武蔵野線に乗換えるか、二つ先の「流山おおたかの森」で東武野田線に乗換える予定でした。結局、南流山で降りたのですが、その際にふと、「この近くに流鉄の駅がある、と思いだして、そこに行くことにしました。
駅前の小さい繁華街を抜けると住宅街になります。そのまま、しばらく歩いていると、踏切が見え、その脇に目指す鰭ヶ崎駅がありました。こちらは、全然駅前らしさはありません。所要時間は10分ちょっとでした。
そして、片面一線の駅には、無人の改札口と、自動券売機、そして「出札口」がありました。その出札口をのぞいたところ、何と硬券の販売装置がありました。最近の鉄道事情は分かりませんが、かなり珍しいのではないでしょうか。
思わず、二十数年前の中学生時代にやっていた「硬券入場券収集」という趣味を思いだし、衝動買いしたくなりました。しかしながら、保管する場所もないし、作業中の駅員さんの邪魔をするのも悪いと思い、やめました。
それにしても、移動中の車内で無線LANができる鉄道の駅を降りて10分歩くと、硬券を販売する駅がある、というのはかなり凄いことだな、と思いました。
2009年02月24日
羽田から、ららぽーとへ
なんかここ数日、昨日あった事ばかり書いています。まあ、今日はここに書きたいような事はなかったので、明日から元に戻ると思いますが・・・。
さて、その昨日ですが、早朝に松山を出て羽田に着き、そこから船橋のららぽーとに仕事で行きました。事前に行き方を調べたのですが、エアポケットのように、行きにくいところであることが分かりました。
最寄り駅の船橋競馬場までは、羽田空港から線路一本でつながっています。しかし、途中、かなりの大回りがあるため、これだと相当時間がかかります。品川で総武快速に乗換えて船橋で京成に乗換えたほうが早いのですが、それでも予定した時間に間に合いません。
となると、鉄道ではなく、空港バスを使うことになるのですが、これまたいい停留所がありません。新浦安行きから京葉線に乗換えるのが早そうですが、朝は本数が少なく、乗った飛行機が着陸する直前に発車し、次は二時間後となっていました。
というわけで、さまざまな経路を検討した結果、最善は、「海浜幕張までバスで行って、そこから京葉線で戻る」であることが判明しました。一見、かなりありえない経路ですが、朝時間帯の運行本数および、海浜幕張駅につくすぐ手前まで高速を走っているために到達時間が短い、という二つの条件が原因のようです。
途中、渋滞が数分あったものの、乗って30分くらいすると、ららぽーとが見えてきました。「ここで降りれたら、予定より30分早く着くのに・・・」と不可能な事を願いつつ、そこから海浜幕張まで往復し、予定通り着きました。
最初は海浜幕張経由など想像すらしていなかったのですが、結果的にはやはり最善だったようです。交通経路の多彩さと、正解を発見することの難しさをあらためて思った朝でした。
2009年01月18日
七隈線
昨日の福岡滞在話の続きです。念願の水炊きを食べた後、飛行機の時間まで小一時間の余裕が生じました。調べてみたら、ちょっと歩いて福岡市営地下鉄・七隈線の天神南駅まで行き、そこから終点まで往復するだけの余裕がありました。
いわゆる「乗りつぶし」は中学の時に夢見た物の、大学時代に諦めました。とはいえ、やはり目の前に未乗路線があり、ちょうど往復するだけの時間がある、となるとついつい乗りたくなります。
まあ、地下鉄だから外は見れないが、終点について、ちょっと駅の周りを見るくらいできればいいか、と思っていました。
ところが、先頭車両に乗ったときは驚きました。普通、地下鉄の運転席というのは、反射で外が見えなくなるのを防ぐため、運転室と客室の間の窓は、遮断幕が下りています。
ところが、この七隈線は、幕どころか、運転室と客室を仕切る壁すらないのです。バーがあって、「運転室への進入はご遠慮下さい」と書かれています。しかし、空間的にはほとんど仕切りがありません。何か、レールバスに乗ったような感じでした。
そして、席から前方を見ると、ちゃんとトンネルの様子が見えます。何らかの技術で、反射を防いでいるのでしょうか。
長年、鉄道に乗っていましたが、地下鉄の前面展望を見たのは初めてでした。そして、そのトンネルの形状にも、複線分のトンネルがあったり、単線トンネルが並んでいたりと、様々な「表情」があることを知りました。これらの体験をしただけでも、乗って得したと思えました。
一方、運転台上にはモニタがあり、ニュースや広告などを流しています。その中には丁度、前日に発表された、「七隈線延伸計画」についての記事もありました。
現在の七隈線の起点である「天神南」駅は、従来からの地下鉄「天神」駅とは、かなり離れています。実際に歩いたところ、早歩きしたにも関わらず、ホームからホームまで10分弱かかりました。
それだけ乗換えが不便な事もあり、乗客数も伸びないとのことで、その対処も含め、複数の延伸案が検討されている、との事でした。
車内で、その路線に関するニュースを見る、というのはなかなか珍しい事かと思いました。
一往復しただけとはいえ、やはり乗った路線というのは、親しみみたいなものが生じます。ぜひとも延伸計画が成功し、賑わって欲しいものだ、などと思いました。
2009年01月11日
遅れと回復
幕張のイトーヨーカドーに散歩がてら買い物に行きました。帰り日も暮れて寒いこともあり、バスで帰ることにしました。ところが、バス停に行ってみると、ポールに「1/9から1/11まで、メッセでイベントがあるので、道路が渋滞し、遅延が発生しますので、ご注意願います」と書いてありました。
一瞬、不安になりましたが、バス停に着く直前にJR幕張行きが発車しており、時刻表と照合すると、ほぼ定刻でした。
幕張本郷駅行きの時刻表を見ると、5分後となっています。渋滞も終わったようだし、待たずに乗そうで良かった、などと思いながら待つことにしました。
ところが、予定時刻になってもバスは来ません。さらにしばらく待っていたら、やっと海浜幕張方面から、バスが見えました。
「まあ、普段から海浜-カルフール間は渋滞するし、5分くらいの遅れなら仕方ないな」などと思ったのですが、近づいてきたバスの行き先は、京成幕張行きとなっています。
とうぜん、やり過ごしたのですが、気になって京成幕張行きの時刻表をみたところ、定刻より15分以上遅れています。まさかと思い、JR幕張行きの時刻表を見たところ、だいたい20分間隔での運行となっています。このとき初めて、最初に見たJR幕張行きは定刻でなく、大幅に遅れた一本前のものだったという事に気づきました。
最初から気付いていたら、先ほどの京成幕張行きに乗っていたのですが、もう手遅れです。仕方ないので、寒風吹きすさぶ中、20分くらい待ちました。おかげで、バスの行き先が「幕張本郷駅」である事を確認できた時はかなり嬉しいものがありました。
で、乗れたまでは良かったのですが、運転手さんは大幅な遅れを取り戻そうと、かなり急いでいます。椅子に座った瞬間に急速発信し、一歩間違えたら転ぶところでした。
そして、幕張四丁目までの大通りはもちろん、そこから両側二車線の旧国道に入っても、速度を落としません。普段は、裏通りを、のんびり走る、という感じなのですが、今日は完全に違っており、かなり刺激的な乗り心地になっていました。
渋滞で遅れるのは別にバス会社のせいでないので仕方ないとは思います。ただ、あまりに熱心に遅れを回復させようとするのは、少々危ないのではないか、と思いました。
2008年12月27日
遅れを見越した乗換え計画
高田馬場で忘年会がありました。23時半過ぎに終わって地下鉄のホームに着くと、ちょうど最終の快速が来ていました。
これは運がいいと思ったのですが、「駅すぱあと」で見てみると、この快速で西船橋まで行っても、飯田橋で中央線に、さらには御茶ノ水で総武線、と乗換えても、着く時刻は同じ、と表示されていました。
そんなバカな、と思って「えきから時刻表」で詳細を見たところ、なんと快速が西船橋に着く1分前に千葉行きが発車し、次の千葉行きは16分後、というダイヤになっていました。
ここまで東西線から津田沼以東に帰ろうとする人に不便なダイヤをよくぞ組めたものだ、と半ば呆れたのですが、しばらくして重要な事を思い出しました。
0時をまわった総武線各駅停車はいつもかなり混みます。ましてや、今日は今年最後の金曜日です。飲み会帰りの人で普段以上に混むに違いありません。
予想されているはずの朝の混雑ですら遅れる総武線が、このような普段以上の混雑で遅れないわけがありません。ならば、西船橋まで行けば、1分前に発車予定だった千葉行きに乗れる可能性は高い、という事に気づきました。
そして西船橋に着きました。予想通り、総武線千葉方面ホームは、1分前に電車が出たとは思えない混雑ぶりです。
結局、千葉行は10分遅れで来ました。事故などは一切なく、車掌さんも「混雑で遅れました」と繰り返しています。いずれにせよ、10分遅れの電車に乗ったにも関わらず、「駅すぱあと」が弾きだしたのより10分早く幕張本郷に着きました。
毎週・毎年の事であるにも関わらず増発しないJRの姿勢には改めて疑問を感じました。車内では車掌さんが「車内混雑のため遅れました。申し訳ありません」と何度も言っていました。聞きながら、改善する気がない謝罪の言葉というものの無意味さを痛感させられました。まあ、予想が当たった事自体は嬉しくはあったのですが・・・。
2008年11月29日
渓流とダム
昨日の話の続きですが、最初に向かったのは高山でした。行きは西の窓側、帰りは東の窓側が取れたため、双方の車窓風景を見ることができました。
高山本線と言えば、川に沿って走る路線として知られています。高山の手前までは、木曽川の支流である飛騨川に沿っており、途中には「飛水峡」などといった名所も車窓から見ることができます。
ただ、これらの景勝地の大半は、線路の東側にあります。したがって、行きの前半は、ほとんど見ることができませんでした。
ある程度山の中に入ると、線路が川を渡るため、こちら側の車窓に川が見えます。ところが、そこから見える風景の半分くらいはダムでした。大小合わせると、五つくらいあったでしょうか。
仰々しい水門と、その後に続く人造湖は、見ていると興ざめします。しばらくすると、流れが戻り、中には巨岩が転がっていたりする所もあるのですが、至る所に人工物が見えて興ざめします。またそのうち、ダムが現れてしまいます。
分水嶺を抜けて高山市に入ると、こちらは、護岸工事などがなく、かなり自然に近い形でした。
帰りは東側だったので、今度は飛水峡を初めとする天然の渓谷を見ることができました。しかしながら、見ていても、ついつい行きに見たダムを思いだしてしまい、「川全体で見ると、自然の景観ではない」と認識してしまいます。そこで、巨岩の間の激流を見ても、今ひとつさめた感じになってしまいました。
これが行きと帰りが逆だったら、全然違う印象を持った事でしょう。というわけで、もし、岐阜から高山本線に乗る人がいたら、東側(進行方向右側)の窓際に座ることを強く勧めることにしよう、と思いました。
2008年11月26日
時間調整に感じた時代の変遷
夕方、四谷から晴海埠頭に行くバスに乗りました。いつもの事ですが、この時間帯の新宿通りはさほど込みません。したがって、スイスイと行くと思いきや、バス停ごとに、時間調整で止まっていました。
20年ほど前、暗くなるまで都バスに乗りまくっていた時期がありましたが、そのような記憶はありませんでした。そういう意味で最初は不思議でしたが、そのうち、理由が思い浮かびました。
まず、バス時刻表がどこでも見れるようになった、という事です。かつてはバス停以外で見ることはできませんでした。しかし、今の都バスはPCさらには携帯で、バス停ごとの時刻表や接近情報まで分かります。実際、私もあらかじめ時刻を確認していました。
そうすると、遅延が生じるとクレームも大きくなる可能性があります。そのため、ほとんどの日は道が空いているところでも、余裕を持ったダイヤを組む必要が生じるのでしょう。そのため、道が空いていたら、停留所単位で細かく調整するわけです。
あと、これはこの路線に限った話ですが、かつてはここは新宿から都内を横断して銀座を経て晴海に抜ける大幹線でした。1980年代後半に、都バスが主要路線のテコ入れとして行なった「都市新バス」にも、三番目に選ばれたほどでした。その頃は、10分も待たずにバスに乗れたと記憶しています。
しかし、地下鉄の開通などで、状況は変わりました。名前こそまだ「都市新バス」ですが、新宿-四谷間が廃止された上に、四谷から銀座の間も大幅に減便されてしまい、30分に1本程度のローカル線になってしまいました。
それゆえ、万が一にも早発などできないわけで、時刻表どおりの運行がより求められるのでしょう。
都バス全体のものと、この路線独特のものとという、二つの事情を思ったりしました。そんな中、バスは皇居の堀端、銀座の繁華街、勝どき橋から見える川沿いの新興ビル群と、短い時間で様々な車窓風景を見せながら、最後は私一人を乗せて、ひと気のない晴海の埋め立て地を走っていました。
2008年11月15日
四駅40分
朝、海浜幕張で仕事してから会社に行きました。最初、西船橋に出ようとして切符を買って入場しました。数分後に電車が来るので、とりあえず、携帯駅すぱあとで調べたところ、西船橋着は40分後という結果が出ました。
確かに、この時間帯の武蔵野線は南船橋止まりで、海浜幕張には行きません。しかしながら、乗換えがあるとはいえ、四駅しか離れていないのに40分、というのには驚きました。しかも、そこで表示された経路は、南船橋でなく、市川塩浜乗換えなのです。
さすがにそんなにのんびりもできないので、交通費が余分にかかりますが、新木場に出て有楽町線に乗換えることにしました。そして、市川塩浜に入る直前に武蔵野線とすれ違いました。このことからも、接続についてなんら考慮せずにダイヤを組んでいることがわかります。
それにしても、四駅で40分とはかかりすぎです。ちなみに、幕張本郷までバスで出て総武線に乗換える経路で試算したら、20分弱で着くことが分かりました。
以前、都内から海浜幕張に行くのに、幕張本郷からバスを使ったほうが数分早い、という経験をしたことはありました。しかしながら、その時は、西船橋での接続が悪かったのが原因でした。そのため、西船橋に行くだけでもバスで幕張本郷に出たほうが早いというのはかなり驚きました。
繰り返しになりますが、京葉線は海浜幕張から西船橋まで四駅であるのに対し、幕張本郷経由は、バス停七つと総武線五駅です。
駅すぱあとでは、駅から駅に行く際に、一般乗り合いバスを利用する経路は表示されません。しかしながら、海浜幕張がらみの場合は、その経路も加えてほしいものだと思いました。
2008年10月31日
手書きの航空券
福岡からの帰りにスカイマークに乗りました。ここは、とにかく経費削減主義の会社で、飛行中の飲物サービスがありません。しかし、飛行中に寝ていてもあれがくると目が覚めてしまう体質(?)の身としては、それがないため、到着まで熟睡できるここは自分向きだと思っており、乗れるときはここを選ぶようにしています。
大手二社はICカードが進んでおり、ネットでチケットを取れば、手荷物預け場に行ってICカードをかざせば搭乗手続きは完了します。しかし、ここは経費節減主義のためか、昔ながらで一度紙の券を発行してもらう必要があります。
したがって、カウンターに行ったところ、いきなり「システム調整のため、手書きの券になります」と言われました。どうやら発券システムが落っこちたようです。そして、係員さんは、不測の事態の割りには手慣れた動作で、私のクレジットカードと一覧表を照合し、手書きの航空券を発行してくれました。私が飛行機に乗り始めた頃は、既にコンピュータ発券が普通でしたので、生まれて初めてとなる手書きの航空券となりました。
一応、コンピュータシステムに関わる仕事をしている身としては、もう少しシステムに対する予算を増やして、落ちにくくしてほしいものだ、とは思いました。とはいえ、このように高度にシステム化された時代に、手書きの券で飛行機に乗る、というのは貴重な体験だとも思いました。
スカイマークの本年度決算は、障害による欠航多発と、燃料費高騰により赤字だとの事です。色々と大変だとは思いますが、当面は手書きの航空券で我慢するので、いつか成功し、大手二社を上回るシステムを構築して欲しいものです。
なお、羽田で手荷物を受け取るとき、大手二社がセルフサービスにしている「荷物番号の照合」をスカイマークは係員がやっていました。可能性が低いとはいえ、リスクが高い荷物照合にはきちんと人手を割くという姿勢には好感を持てました。これについては、システム化が進歩しても、継続してほしいものだと思いました。
2008年10月27日
成田山に行く
休みを利用して成田山に行きました。
当日思い立ち、市の観光サイトをちょっと見ただけと、下調べはほとんどしませんでした。その報い(?)が着いてさっそく現れました。京成成田駅で降りたのですが、成田山を示す看板が見あたらず、どうやって行けばいいのか分からなくなったのです。
結論だけ言うと、「駅を出てすぐ右折し、餃子の王将の所を左に進み、赤い橋を渡ってしばらくすると参道に合流」が最短経路でした。しかし、後で確認しても、そのような案内表示は一切ありませんでした。駅前の地図を頼りに歩き始めたのですが、一瞬、正反対の方向に進みかけたほどでした。結局、最短経路を使うのと比べ、10分くらい余計にかかりました。
さて、寺に至るまでの参道では、鰻・川魚を扱う店が目立ちました。成田で鰻を穫ったり養殖しているなどと聞いたことはないですし、有名な川もありません。不思議に思って帰宅後に調べたところ、かつては、印旛沼で鰻などが獲れたから、との事でした。
他にも、煎餅や漬け物などの店が並び、また、古い建物も多く、なかなか興味深い道でした。
成田山では、「菊花大会」が行なわれており、色々と珍しい菊を見ることができました。ちょうど会期の半ばだったのですが、一部にはまだ蕾のものもありました。このあたりは、会期末くらいが見どころなのでしょうか。
当日、急に思いついて行くことにしたのですが、なかなか楽しめました。考えてみれば、千葉に住んで10年以上たちますが、これまで千葉の名所と言える所に行ったのは、仕事で行った鴨川シーワールドだけでした。これを機に、もう少し県内の観光もしてみようか、などとも思いました。
2008年10月21日
エクスプレス予約
出張で豊橋に行きました。豊橋から東京へ行く新幹線は、2時間に一本だけ新横浜まで止まらない「ひかり」があり、後は「こだま」です。「ひかり」なら1時間27分で東京まで着きますが、「こだま」だと2時間10分かかります。
何とかギリギリで「ひかり」に間に合う時間に駅に着き、改札を通りました。すると、隣の改札で、エラー音が聞こえました。IC読み取り機に財布を当てた人が、「しまった、予約し忘れていたか」などと言ってます。
駅員さんは「6分前までなら」などとマニュアルトークをしていますが、すでにホームからは「黄色い線の内側に・・・」などという放送が流れています。
自分がホームに行くのが最優先なので、顛末までは見れませんでした。ただ、物理的に考えて、その人は乗れなかったと思われます。次の「こだま」の待ち時間も含めると、その人の東京到着は1時間遅くなってしまいました。
これが名古屋や新大阪で「のぞみ」に乗るというなら、別に一本くらい逃しても、10分程度の無駄にしかなりません。
そう考えると、この人の「悲劇」はある意味、エクスプレス予約と豊橋の組み合わせゆえ発生した、と言えるかも、などと思いました。
もっとも、これは他人事ではありません。エクスプレス予約は手続きが面倒そうなので使いませんが、私も飛行機は完全にチケットレスで乗っています。同様の悲劇に自分が遭わないために、何らかの確認手段を自分の中で仕組み化せねば、と思った次第でした。
2008年10月18日
鼠バス
浦安市舞浜へ仕事に行きました。巨大遊園地と豪華ホテルだけが建ち並ぶ埋め立て地、というのは、巨大遊園地の意図しているのとは異なる意味で「別の世界」にいるような感じがしました。
そして、走っているバスも、この地域のみでしか見れない形状をしています。正面から見れば普通なのですが、後ろから見ると、この地域を象徴する鼠の形をした窓があります。窓の下にあるランプまで、鼠の形状に配置しています。車体の下半分が銀の入った鼠色なのも、それと関連しているのでしょうか。
ところでこのバス、側面も含めて、窓は全て外から中が見えぬように色が入っています。そのうえ、写真のような背面形状なので、失礼ながら護送車を連想してしまいます。まあ、これは私が昔から、あのキャラクター会社が嫌いなためなのでしょうが・・・。
このバスが何台も域内を走り回る風景を見ていると、より一層「別の世界」感が強くなります。そういう事もあり、従業員送迎用として走っている普通のバスを見たときは、それだけで普通の世界に戻ったような安心感をおぼえました。
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2008年10月01日
IKEA船橋と無料送迎バス
休みを利用して、IKEAに椅子を買いに行きました。前回、閉店セールの割引品を買ったら10ヶ月もたずに壊れたので、今度は品質重視を主眼にしました。
椅子売場に行ったら、椅子のみならず、品質テストのデモまでやっていました。何でも、「ほとんどの商品は、5年分座り続けるのと同じだけの重量を加え、それで品質が変わらなかったもののみ販売する」みたいな事が書いてありました。
このような展示・説明は、今回の目的と合致するため、安心することができました。その一方で「ほとんどの商品」とあるということは、テストの対象外もあるわけだ。対象外の商品にはその旨を明記して欲しい、とも思いました。
とりあえず、当初の目的を果たし、ついでに近隣にある、ららぽーとに行きました。10年くらい前に一度行った事がありましたが、その時は、そごうとダイエーという、当時の凋落企業の象徴二つが基幹店舗という事もあり、あまりいい印象は持てませんでした。そのため、もう一度行く気にもなりませんでした。
しかし、当然ながら、その二企業は撤退しており、その時とは雰囲気がかなり変わっていました。
そして、端から端まで歩いて、京成の船橋競馬場駅行きの無料バスに乗りました。発車を待っていると、IKEAの大きな袋だけを持った二人連れが乗ってきました。
大きな袋を持ったまま、ららぽーとを縦断し、なおかつ何も買わないとは、変わっているな、と最初は思いました。しかし、しばらくして、このバス停には、南船橋駅からの無料バスも発着している事に気づきました。
IKEAで買い物した人が、南船橋駅まで歩いて、無料バスを乗り継いで京成で帰るという事でしたら、この荷物の持ち方も納得できます。確かに、京成沿線の人がIKEAを使うにはこの経路を使うのが、安くて早いです。
ららぽーとへの送迎のために無料バスを出している事を考えれば、不適切な利用法かもしれません。とはいえ、自分も思いつかなかっただけに、この「無料バス乗継ぎ」の発想には感心させられました。
2008年09月19日
500系新幹線と「日本海」
今日から一泊で大阪へ出張です。前日の晩に時刻表を見たところ、ちょっと早起きすれば、500系新幹線に乗れる事が分かり、それを予約しました。この車両は極めて低い車高と、独特の前面形状が、他の新幹線とは一線を画しています。一度は乗ってみたい車両でしたので、数十分の睡眠時間と引き替えに予約しました。
駅で見たとき、明らかに他の新幹線と違う形状に感銘を受けました。乗った後はずっと寝ていましたが、降りたときは、出発まで見送り、その独特の形状を堪能しました。
そして新大阪からは各停に乗ったのですが、ちょうど向いに、青森からやってきた、寝台特急「日本海」が入ってきました。この列車は、私が最初に時刻表を読み出した30年前から、名前・運行経路・使用する機関車および客車が変わっていないという、鉄道界のシーラカンスみたいな列車です。
そして、複々線のため、私の乗った各停と併走しました。さすがに、30年前そのままの客車列車より、比較的新しいこちらの電車のほうが性能的にはずっと上です。そのため、各停が特急を追い抜きながら淀川を渡る、という形になりました。
そこで、追い抜きながら「日本海」の全車両を見ることができました。意外に乗車率は良く、7割くらいの寝台が、人がいるもしくは、人がいた形跡がある、という感じでした。
その終着直前の寝台車の様子は多種多様でした。それを追い抜きながら見ることができた事、およびその乗車率からこの列車の存続は安泰だという事を確認できたのは、かなりの幸運でした。
2008年09月17日
凝った造りだけれど・・・
仕事で、みなとみらい駅に行きました。この駅は周囲の建物と一体化しており、地下駅ながら、巨大な吹き抜けになっています。
そして、帰りに地上からの長いエスカレーターに乗っていた時に下を見たところ、そこからホームが見ることができました。
かなり珍しい風景ですが、利用者としてはどうかという気もしました。たとえば、特急に乗ろうとしている人が、エスカレーターから特急が入線していく様子を見えたら、かなり損したように見えます。
もちろん、これは地上駅でも同じです。しかし、エスカレーターで降りていく間にお目当ての列車が、という構図は、より一層損失感がありそうだと思いました。
なお、みなとみらい駅並びに横浜駅には、横浜から一旦みなとみらい駅に行って、そこから渋谷駅方面に行く「折り返し乗車」の防止ポスターが貼ってありました。おそらくは、東横線が桜木町まで行っていた頃からの名残なのでしょうが、横浜から先が別会社になった現在、より問題となっているのでしょう。
もしこれが予期できたなら、上りと下りでホームを別々にして、さらにホームへ降りる階段の真上に改札を設ける、などの対策がとれた事でしょう。結果論ですが、設計の際に、吹き抜けなどの外見より、そちらを重視しておくべきだったと言わざるをえないな、と思いました。
2008年09月12日
沖縄そばと、ゆいれーる
というわけで、昨日は空港で散々な目に遭い、それが最大の「沖縄の想い出」になってしまいました。しかしながら、余った時間で楽しめた事もあったので、その話を。
まず、昨日の昼ですが、仕事先の社員食堂を利用しました。実は、私は社員食堂ヲタク(?)なので、社食での食事を誘われると、それだけで「今回の出張はツイていた」と思うほどです。
どこでもそうですが、メニューは、定食・カレー・麺類の選択になります。その「麺類」は地元ならではの沖縄そばでした。沖縄料理にはこれまであまりいい思い出はないのですが、せっかくなので注文しました。
何度か、沖縄そばを食べた事はありましたが、麺の上にのっている油っこい料理が苦手で、美味しいと感じた事がありませんでした。しかし、この社員食堂では、上は普通の肉野菜炒めで、油分も少なく、あっさりしています。しかも、麺も外見は洗練されていないながらも、素朴な良さがあり、初めて沖縄そばを美味しいと思いました。
いわゆる「普段食べる人向けの味」で、もしかしたら、店のものよりも、こちらのほうが「本当の沖縄そば」なのかも、などと思いました。
さて、仕事のほうは、予定より少々早く終わり、数十分ほど時間が空きました。そこで、空港と市街を結ぶモノレール「ゆいれーる」に乗ってみました。
中心部を除き、沿線に高い建物がないので、一番高い場所にあるモノレールの見晴らしはかなりのものです。そういうわけで、沖縄ならではの車窓風景を存分に楽しむことができました。
特に印象に残ったのは住居の屋根でした。沿線のほとんどの建物に屋上があります。中には植木が生い茂って、ちょっとした密林になっているところもありました。その屋上の多くには「塀」があるのです。これは、他の地域では見たことがありませんでした。
どこかで、沖縄の屋根は台風対策のために独特の形になっている、というのを読んだことがありましたが、これの事なのでしょうか。このように、屋根の様子が見えるのも、高いところを走るモノレールならではです。それも含め、かなり印象に残った「ゆいれーる」でした。
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2008年09月08日
餃子ドッグとスペーシアきぬがわ
日帰りの仕事で川治温泉に行きました。行きは車となり、途中、大谷パーキングエリアで昼食となりました。
売店を見ると、餃子の町・宇都宮らしく、「餃子ドッグ」「餃子入りおにぎり」「餃子スープ」などというメニューが書かれていました。不思議なことに、普通の焼餃子や蒸餃子などはありません。
どれも奇妙でしたが、一番目立っていた「餃子ドッグ」を頼むことにしました。作りは極めて簡単で、ホットドッグ用のパンにレタスと餃子をはさんで、トースターで焼いたものです。本来、「ドッグ」とはソーセージの意味らしいので、どこが「ドッグ」なのかよく分かりません。
見本ではマヨネーズが全面にかかっていたのですが、嫌いなので抜いてもらいました。トースターから出たのを渡された際に、「お好みで醤油とラー油をかけてください」と言われました。
醤油だけかけて食べたのですが、特に美味くもまずくもありませんでした。ただ、やはり、パンと餃子はあわない、というのが率直な感想でした。
帰りは鉄道でした。14時25分頃に出たのですが、調べたところ、歩いて20分のところにある川治湯元駅に出て各停に乗るか、仕事先の前にある停留所を15時10分に出るバスに乗れば、東武特急に乗り継いで18時には会社に戻れます。
一方、歩いて30分の所にある川治温泉駅を14時46分に乗る快速に乗れば、JR東北線に乗り入れる特急に乗り継いで、17時半には会社に戻れます。
冷静に考えれば、18時に着くように動くところです。しかしながら、まだこの東武-JRの直通特急に乗った事はありません。そこで、1.5倍の速さで歩けば大丈夫、と思って、川治温泉駅に出ることにしました。
山の中なので、東京ほどではありませんが、そこそこ暑さが残ります。その中を、早歩きで進むのは少々大変です。さらに、この道を歩くのは初めてですから、一歩間違えれば迷う可能性すらあります。しかし、「直通特急」の魅力がリスクを上回りました。
そして、何とか3分くらい前に川治温泉駅に到着し、無事、直通特急「スペーシアきぬがわ」に乗れました。とはいえ、東武の区間も、JRの区間も何度か乗っており、初乗りになるのは、両線をまたぐ、栗橋駅構内だけです。
駅に近づくと、「JRに入る際に、一旦停車します。また、電気や冷房が止まる事があります」というアナウンスがありました。同じ直流で電圧も同じはずですが、デッドセクション区間が設けられているようです。このあたりの理由は、最近の鉄道技術は全然分からないので、想像できませんでした。
そして実際、数秒ですがほとんどの電気が消えました。そして、ちょうど東武とJRの線路に挟まれた場所で停車しました。鉄道会社が変わるので、乗務員も交代するための停車です。わざわざ、専用の「乗務員交代用の台」が設置されており、そこに東武の人が降りて、代わりにJRの人が乗ってきました。
そして、動き出してしばらくすると、JRの線路に合流。しばらくすると、先ほどまで走っていた東武の線路がオーバークロスして、左側に去っていきました。そのまま、普通に電車はJRの路線を進んでいきました。
デッドセクションに専用の乗務員交代台など、短いながらも面白いものを見れました。ほんの数分の事でしたが、頑張って川治の山道を歩いた甲斐がありました。
2008年08月28日
新幹線新大阪駅の落とし穴
夕方まで大阪で仕事をし、地下鉄で新大阪駅に出て、そこから新幹線に乗換えました。指定券の都合で、待ち時間が30分ちかくあったので、とりあえず改札に入り、今回食べていなかった、うどんを食べようと思いました。
ところが、広い新幹線構内には色々な店があるのですが、コンコースにもホームにも、うどん屋がありません。
最近、大阪出張の際は早朝の新幹線に乗って、新大阪駅の在来線構内にある、うどん屋で朝食を取る、というのを習慣にしていました。当然、新幹線の構内にもあると思っていたのですが、「驛麺通り」などという様々なご当地物を出すラーメン屋はあっても、うどん屋はないのです。
大阪なんだから、うどん屋があるだろう、という発想が甘かったようです。とりあえず、次から夜に大阪から帰るときは、新幹線の改札に入る前に、うどんを食べておこう、と強く心に誓いました。
2008年08月14日
盆の逆ラッシュ
二日間の出張を終え、今週初の普通出勤となりました。で、朝電車に乗ったところ、かなりの空席があり、余裕で座ることができました。その時、そういえば「お盆シーズン」だった、という事に気づきました。
さらに、帰りが遅くなり、ホームライナーに乗ったところ、これまたかなりの空き具合でした。そのため、3月に土日休のホームライナーが廃止になってからできなかった、「前の椅子を回転させて、ワンボックス独占」を久々にやることができました。
これらの経験は毎年の事で、今に始まったわけではありません。そこで例年なら、「お盆休みがないゆえの現象」となるところで、たいして嬉しくもありません。
しかしながら、今年は転職に伴う有給消化があったため、長い休みを先行して取っています。そのため、素直にこの「お盆の逆ラッシュ」を楽しむ事ができました。
2008年08月12日
取り残された看板とコンテナ
仕事で、名古屋港近くにある施設に行きました。案内してくれた社員について歩いていくと、正面入口の前を通り過ぎ、敷地脇にある駐車場に入りました。
舗装された広い敷地に車が止まっています。しかし、その入口の所には、「JR貨物・名古屋港駅」という看板が出ていました。とはいえ、貨物列車はもちろん、線路すら見あたりません。ただ、駐車場があるだけです。
その「貨物駅」を通って施設の通用口に行きました。その周辺には、JR貨物のコンテナが5つほど置かれていました。それが唯一、「JR貨物・名古屋港駅」の看板に見合った施設でした。
調べてみたところ、かつてはこの部分一帯が貨物駅でしたが、規模縮小にともない、数キロ手前までは現存するものの、そこから南側は廃止になり、線路も取り外されたとの事でした。そして、様々な施設に転用されているのですが、なぜか、看板とコンテナだけが残存しているのです。
施設の増築工事なども行なわれており、今後、この一帯はさらに、貨物駅とかけ離れた場所に変貌していくと思われます。
そんな中、かつてここが貨物駅であった事の証である看板とコンテナは今後もここに残り続けるのでしょうか、それとも撤去されるのでしょうか。機会があったら5年後くらいにそれを確認するために再訪したいものだ、などと思いました。
2008年08月05日
「私鉄の車両」
津田沼の丸善に行ったら、「私鉄の車両・京成電鉄」という本が平積みになっていました。このシリーズは私が高校時代、一番熱心に鉄道にハマっていた頃に出版されたシリーズでした。
本当は全冊揃えたかったのですが、一冊千円をこえているため当時の小遣いでは無理でした。そこで、いろいろ考えて、数冊を絞り込んで購入。特に当時一番好きだった「阪急電鉄」を買った日は、かなり嬉しかったものでした。
それだけ思い入れのあったシリーズなので、20数年ぶりに見た時は、懐かしさと嬉しさを感じました。そこで早速立ち読みしたのですが、掲載されている車両は当時のままでした。つまり、復刻版だったわけです。
しかも、帰宅後に調べたところ、復刻版が出たのも2002年ですから、もう6年前の話です。
掲載されている写真は、沿線の風景の中を走る電車ですが、記載されている内容はほとんど、「この車両は界磁チョッパを取り入れ、ボルスタレス台車を使用している」などといったもので、文字通り「20年前の技術」です。そのような本が復刻され、さらに平積みにまでなっているわけです。
最近の鉄道ファン界の事は全然分からないのですが、もしかして1980年代ブームみたいなものがあるのだろうか、などと思いました。
いずれにせよ、かつて強い思い入れを持ったものに「再会」できたのは嬉しいことでした。
2008年06月28日
ディズニー渋滞
朝一番の飛行機で福岡から戻りました。そしていつものように高速バスに乗ったのですが、発車直後に運転手さんから「高速道路が渋滞しているので、迂回ルートを通ります」という放送がありました。
土曜の朝になんで渋滞?などと不思議に思うなか、バスは東京湾トンネルを抜けると、一般道に降りました。高速道路と併走しているのですが、確かにかなりの渋滞で、ほとんど車が動きません。それを、一般道を走るバスが追い抜く(?)というのは面白い光景でした。
そしてバスは新木場で再び高速に。なぜここで?とも思ったのですが、確かに最初ちょっと引っかかったものの、後はこれまでの渋滞がうそのように快調に進みます。一方、葛西さらには浦安の出口は、いずれもすごい渋滞になっていました。
それを見た時、そう言えば、羽田空港で、「東京ディズニーランド行きは60分待ち」という表示があった事と、ディズニーランド行きバス停で、「補助席も含めて満席」という案内が流れていた事を思い出しました。
一方、千葉方面行きのバスは、快調に飛ばして海浜幕張に着きました。つまるところ、渋滞の原因は全て、羽田空港や横浜方面から東京ディズニーリゾートに行く自動車だったわけです。
改めて、あの人気に驚かされました。ついでに、それだけ需要があるのなら、りんかい線と京葉線の線路がつながっているのを生かして、埼京線から舞浜に直通する電車を設定できないのか、などとも思いました。
2008年06月27日
位置関係
今日は、福岡の人と車で移動しました。その間、仕事のみならず色々な話をしました。その中で、九州新幹線の話から他県への交通の話になりました。なんでも、福岡の人にとって宮崎に行く時は、鹿児島経由の人も多数派だとか。以前、宮崎で似たような話を聞きましたが、やはり子供の頃から持っている、福岡から宮崎なら大分まわりで日豊本線、という時刻表によって得た固定観念があるので、驚きました。
さらに、JRの宣伝を見ていて驚きました。九州新幹線の宣伝をしているのですが、「大分から」という文言があったのです。「何で大分から鹿児島に行くのに九州新幹線?」と一瞬誤記かとすら思いました。
しかし、よく見たら豊肥本線で熊本に出て、リレーつばめ・つばめの経路が示されていました。かつて豊肥本線にディーゼル急行が二往復しかなかった時代からは想像すらできないような経路です。
高速道路と新幹線により、九州の交通が、自分の認識していたものと大きく変った事を改めて実感させられました。九州新幹線全通後はまたさらに変るのでしょう。
リレーつばめ
昨日は鹿児島から博多へ移動でした。前回の出張時も鹿児島から九州新幹線を使いましたが、その時は暗くなってからの乗車だったので、実質的に今回が初乗りです。
ほとんどトンネルでしたが、その合間からたまに見える有明海はなかなかのものでした。
あと、始発と終着でそれぞれ車内清掃が入っていました。片道50分という事を考えると、ここは日本一清掃頻度が高い列車では、などと思いました。
そして新八代からは「リレーつばめ」に。この列車に乗るのは今回が最後だと思ったので、料金自腹でグリーン車に乗りました。乗ると、飲物サービスの案内があったので、「かぼすジュース」を頼みました。他にもひざかけや新聞・雑誌の貸出もありました。
数年前に東北新幹線のグリーン車に乗ったことがありましたが、その時はそのようなサービスはありませんでした。それで追加料金1300円ですからかなりのお得感がありました。
沿線ではちょうど田植え中の田んぼを見るなど、この季節らしさを楽しむことができました。一方で、九州新幹線もかなりのピッチで建設されていました。完成の暁にはこの「リレーつばめ」もなくなり、鹿児島本線もローカル線になるわけです。それを考えると、少々複雑なものがありました。
着いた後もまた仕事だったのですが、その合間で息抜きをすることができた鉄道移動でした。
2008年06月13日
名城線とミューチケット
昨日は取引先の人と飲みに行って楽しく杯を重ねました。そして、ホテルに着いて家に電話したら眠気が襲ってきて、そのまま寝てしまいました。
ちなみに割り勘だったのですが、同じ仕事関係の飲食でも、「経費」で飲むときより、「自腹」で飲むときのほうが話も楽しいし、酒も食べ物も美味いと感じるのは私だけでしょうか。
それはさておき、今日のネタは鉄道関係の話です。今回、移動で名古屋市営地下鉄名城線を使いました。数年前に両端がつながり、環状線になった路線です。
今回、環状線になってから初めて乗ったのですが、列車種別が「右回り」「左回り」となっていました。また、英語表記では「時計回り・反時計回り」となっていました。
既存の環状鉄道である山手線・大阪環状線では「内回り」「外回り」です。他の環状運転をする電車・バスなどは、たいてい、先に通る経由地を記載する事によって区別しています。したがって「右回り」「左回り」という表記は新鮮でした。
あと、所要時間が記載されている路線図に、全駅分の時間が記載されており、右回り用ホームの場合、普通に乗れば3分で着く一つ左の駅のところに「47分」とわざわざ右回りした時の所要時分を記載していた事も印象に残りました。
また、今日は名古屋から一度岐阜に行って仕事をし、さらにそこから豊橋で仕事、さらにはそこから静岡に行く、という行程でした。地理感覚のない人はとんでもない計画を立てるものだ、と半ば呆れましたが、おかげで、名鉄特急を端から端まで乗り通すことができました。
せっかくだからと自腹で展望車の券を買ったところ、購入者第一号だったためか、1号車1列A番のという「首席」を取ることができました。その番号を見たときは、「そういえば、行きの新幹線では4号車4列C席」という「忌み言葉ゾロ目」だったな、今回はゾロ目に縁があるのだろうか、などと思いました。
さて、名古屋までは貸し切り状態だったのですが、名古屋からはほぼ満席になりました。ここの有料特急券は「ミューチケット」と言います。途中で、車掌さんが検札に来たのはまあ当然ですが、その後、終点の手前では回収に来たのは、これまで経験がなかっただけに驚きました。
あと、同じ展望車の最前列に乗っていた人たちは、いずれも席につくとすぐ、ミューチケットをテーブルの上に出していました。これまた、他の指定席で見た事はなく、名鉄ならではの風習なのだろうか、などと思いました。
9時半出勤でホテルに着いたのが0時半という強行軍でしたが、とりあえず、その名鉄特急で過ごした1時間数十分は楽しめたので、よしとすることにしました。
2008年06月01日
途中乗車
相変らず出張していた時のネタを引っ張っています。今回、大阪から電車に乗った後、京都駅に寄って一仕事してから新幹線で帰る、という行程でした。
そこで、大阪から都内までの切符を買い、京都で途中下車する事にしました。降りるときは、歩いていたら有人改札があったので、普通にそこから下車し、駅員さんに途中下車印を押してもらいました。
その途中下車印を見たときは、「学生時代、青春18切符に押してもらうのを楽しみにしていたっけ。押して貰うのはそれ以来かな」などと思ったりしました。
そのまま、駅前、さらには地下鉄で中心部に行って仕事をし、地下鉄で京都駅に戻りました。
そこから道なりに歩いていたら、「地下中央口」なるところにたどり着きました。そこには、自動改札機があり、脇に駅員詰所はあったものの、無人で明かりも消えていました。
そこで、自動改札機に切符を入れたところ、「途中乗車・駅員のいる改札口におまわり下さい」と表示され、弾かれました。不正防止のため、「自動改札による乗車記録がなければ、自動改札を通れない」という設定がされているわけですが、途中下車にもそれが適用されていたようです。
しかたないので、階段を上がり、有人改札を探して、なんとか「途中乗車」する事ができました。
「途中下車」という言葉は昔から何度も見たり使ったりしていました。しかしながら、「途中乗車」という表示を見るのは初めての事でした。
制度としては以前からあったわけでしょう。それが、自動改札の普及とともに初めて客の目に触れるようになった言葉なのかも、などと思いました。
2008年05月20日
「点検」が行われた電車に乗る
朝、陸橋からホームを見ると、やけに人が多く、しかも何か放送が聞こえてきました。どうやら総武線で異常が発生したようです。駅改札前には二つの電光掲示板があります。そのうち一つはやけに遅い動きで「中央・総武各駅停車に・・・」と表示しており、もう一つは「ひったくりにご注意下さい」という文字が流れていました。毎度の事ながら、利用者に正しい情報を教えまいと努力しているとしか思えません。
駅員の話を聞いたところ、遅れているだけで振替輸送はない、との事なので、そのまま改札に入りました。
しばらくすると、普段の1.2倍ほどの混雑率となった電車がやってきました。車内放送によると、「この電車は、千葉駅でドア点検を行ったため、10分ほどの遅れをもって運転しています。なお、2号車三扉目は開きません。他の扉をご利用下さい」との事でした。
言うまでもない事ですが、それは「点検」でなくて「故障」です。世間一般では「点検」という言葉は、「通常の状態で、異常が発生していないかを調べる」という意味だと思うのですが、JRでは違うようです。
もちろん、以前から「信号機点検のため遅れています」だの「○○駅での車両点検のために運休」とか聞く度に、「何が点検だ、故障だろうに」とは思っていました。
しかしながら、実際に「点検」が行われた列車に乗り、しかも「ドアの点検で遅れました。なお、開かない扉があります」という内容の放送を聞いたときは、改めてその異常さを痛感させられました。
大事故があるごとに、JRは「安全重視」という宣伝をしています。しかしながら、「故障修理」と「点検」の区別もつかないような会社が、まともに安全について考えることなどできるのでしょうか。そのあたりを改めて認識させられた朝の一時でした。
2008年05月16日
歩いているうちに
神谷町の近くで仕事がありました。終わったら虎ノ門に行き、さらには霞ヶ関に行くという行程です。少々離れてはいますが、地下鉄を乗り継ぐよりは早いので、全て歩いて行きました。
予定どおり仕事を終えた後、同行した人と、打ち合わせのために喫茶店に行こうと思いました。しかし、霞ヶ関なだけあって、どちらを見ても高層ビルの官庁ばかりでした。そこで、そのまま日比谷公園を抜けたのですが、なかなかいい店がなく、結局、手頃な喫茶店が見つかったのは、数寄屋橋のあたりでした。
そのまま直帰したのですが、総武線に乗りたい私と、京成沿線に住む同行者の都合を考えた結果、もう少し歩いて、東銀座から都営浅草線に乗ることにしました。打ち合わせるべき内容が多々あるので、話しているうちにいつの間にか駅には着き、浅草線で帰りました。
そして帰宅して、今日の仕事を振り返ってはじめて、日比谷線沿いに駅四つ分を歩いた事に気づきました。いろいろな都合が重なってこのような結果となったわけですが、我が事ながら驚いてしまいました。
2008年04月27日
改札を出るだけで節約
今更ながら、出張中の金曜日にあった話を一つ。
大阪環状線の桜ノ宮駅近くで仕事を終え、次の目的地である京都に電車で行くことになったので、Suicaで入場しました。
別行動を取っていた同行者と大阪で待ち合わせをしたところ、向こうの仕事が遅く、大阪駅で待つ羽目に。ちょうど昼時だったので、うどんでものんびり食べよう、と思いました。
しかし、ホーム上にも「駅ナカ」にも、うどん屋はありません。ならば改札を出て、うどん屋を探そうか、しかしそれだと運賃が・・・などと思ったときに、ふと半月ほど前に貰った、定期券分割購入の感想を思い出しました。それは、「大阪駅を越える場合、普通運賃でも大阪駅で分割すると、かえって安くなる」という内容でした。
調べてみたところ、改札を出て入り直すと、合わせて660円で済むのに、改札を出ないと780円かかりました。これは、私鉄との競合区間では対抗して特別割引するが、競合しない駅からだと通常運賃が設定されているためです。というわけで、昨日に続いて、うどんを食べることが出来た上に、運賃の節約もできました。
同様の運賃設定は関東にもあり、例えば、東京から八王子に行く場合、新宿で一度改札を出ると、130円安くなります。
情報としては知っていたものの、普通なら気付かずにそのまま乗っていたでしょう。それが、「うどん屋が駅構内にない」という事により、120円とはいえ、思わぬ「節約」ができました。
2008年04月06日
シャッフル
朝、出勤しようと駅のホームに降りると、信号機故障で大幅に遅れが出ているとの放送がありました。中央・総武各駅停車はかなり詰まっており、乗る予定だった列車、さらにはその次の列車まで運休となってしまいました。
とりあえず快速で錦糸町まで来たものの、そこから先に進める見込みはありません。そこで、構内放送にしたがって地下鉄の振替を利用することにしました。
そこで振替乗車票を受け取ろうとしましたが、有人改札の前には行列ができています。普通は、駅員が構内に出て振替票を配るものですが、そのような気配もありません。
そして、やっと窓口に着き、「すみません。振替乗車票をいただけませんか」と尋ねたところ、窓口の駅員は、手元にある振替乗車票を、わざわざトランプをシャッフルするような手つきで広げ、そこから一枚を私に渡しました。その間、一言もありませんでした。
自分の会社が保守を手抜いために信号機が壊れたわけです。そして、そのおかげでこちらに迷惑をかけているわけです。しかしながら、この駅員はもちろんですが、幕張本郷駅で乗った時の案内にも、それで客に迷惑をかけた、という認識は感じられませんでした。
こんな事ばかりやっているから、いつまで経っても「信号機故障」や「車両点検(※故障とは絶対に言わない)」による遅れを繰りすのでしょう。そして、駅員も「振替乗車票を発行してやっている」という態度で、迷惑をかけた利用者に接しているわけです。
今に始まった事ではありませんでが、またしても「JRらしさ」を痛感せられた、事故並びに事後処理でした。
2008年03月27日
突っ込みどころだけで構成された文章
数年ぶりに、日経BPのIT-PROメール購読を再開しました。読んでいるうちに、鉄道に関する題名の記事がありました。さっそくクリックしたところ、そこには信じられないような文章が載っていました。
まず凄いのは題名と本文の関連性です。未完の国鉄改革 Part2などとなっているのですが、最初に出てきた記事は、「東武鉄道の特急で喫煙席を予約しようとしたら、全席禁煙だと言われた」から始まるのです。どのへんが「国鉄改革」なのか、といきなり呆れました。
筆者はそこでの駅員の態度を批判しています。それはまあいいのですが、肝心の「どこがまずかったのか」も「正しくはどうすべきだったのか」も書いていません。そのため、単なる全車禁煙に腹を立てた喫煙者の愚痴、としか読みようがなくなっています。
二つめの、「三浦半島から成田空港に大きな荷物を抱えていくのが大変だ」という苦情についても、突っ込みどころ満載なのですが、とりあえず省略します。
そして究極は三つ目の「普通乗車券と定期券の違い」です。書いた人が怒っているのは、「定期券では区間内で途中下車が出来るが、普通乗車券ではできない」という事のようです。ところが、直後に「別に普通乗車券で途中下車可能にしろと言っているわけではない」と言っています。その後の論理構成もよくわからないのですが、結論だけ言うと、「定期券で途中下車のみならず、本来の通勤・通学以外の用途での利用ができないようにせよ」などと言い出しているのです。
そのために提案した手段がこれまた想像を絶します。
例えば,平均的な就業形態が週5日勤務ということであれば,通勤定期は月曜日から金曜日だけ有効ということも考えられる。勤務形態がそれぞれの企業ごと,職場ごとに違うということなら,企業別・職場別に定期券用データを作成すればいい。そこで,Suicaの出番だ。自動改札のSuicaによって,定期券と定期券運賃はその内容を変更できる。私はこういう企業向けサービスの充実で,運賃収入が増えるのではないかと推察している。
要は、定期で途中下車したり、会社が休みの日に使ったら割増運賃を取って儲けろ、と言いたいようです。途中下車に関しては、利用者からの苦情を別にすれば、さほど手間をかけずに出来ると思います。また、「平日のみ有効」で割安の定期券を作る、というのも比較的簡単にできるでしょう。ただし、土日利用に課金する増収よりも、割引による減収のほうが上回るよう可能性が高いでしょうが。
ところが、その後の、「職場別に定期券用データを作成」をやるのに、どれだけの手間がかかると思っているのでしょうか。交代制の会社などだったら、シフト表を鉄道会社に提出して、それと連動させろとでも言うのでしょうか。さらに、休日出勤が生じた場合は、鉄道会社にも届けを出せとでもいいたいのでしょうか。
そして、利用者にそれだけの迷惑をかけて、一人一人の勤務形態に対応した「日別定期券料金追徴システム」を作った場合、それによる増収分でシステム構築・保守費用が回収し、なおかつ利益も出ると、正気で考えているのでしょうか。
他の部分も文章・論理・システム・交通のいずれの観点から見ても目茶苦茶です。はっきり言って、一行残らず全てが突っ込みどころだらけ、という文章でした。
仮にも「IT-PRO」を標榜するサイトなわけです。そこが、こんな天才を紙一重突破してしまったような愚痴と妄想を、よくもまあ載せたものだ、と呆れました。ちなみに、この記事が最初に載った時点では、初歩的な単語・固有名詞の間違いがあり、読者の指摘を受けて直った、という形跡がありました。どうやら、推敲・校正は一切行われていなかったようです。
酒を飲み過ぎた筆者が、勢いで書き殴った文章を送ってしまい、それがそのまま載ってしまったに違いない、と冗談抜きで思いました。あまりの凄さに、別の意味で感動してしまった文章でした。
2008年03月05日
積み増し
午前中、時間に余裕ができたので、鹿児島市電に乗りました。前方の運賃箱の所を見たら、「積み増しの方法」なる案内表示がありました。一瞬「積み増しって何だ?」と思っいましたが、案内を読んですぐに「ICカードへのチャージ」の事だと分かりました。
言われてみれば、なかなか言い得て妙です。少なくとも、何も知らない人に案内する場合、「チャージする場合は」より「積み増しする場合は」と説明したほうが早く理解してもらえるでしょう。
見たときは鹿児島弁の一種なのかと思ったのですが、ネットで調べたところ、長崎・名古屋鉄道・山梨・静岡・北海道の北見などでも「積み増し」という表現を使っていました。
同じ意味の言葉があるなら、外来語より日本語を使うべきだと常日頃思っています。したがって、新規にICカードを導入する場合はもちろん、既存のICカードを使っている地区・企業も、ぜひとも「積み増し」と言い換えてほしいものだと思いました。
あと、その「積み増し」をするカードですが、正式には「RapiCa(ラピカ)」と言うそうです。ところが、車内表示にはその言葉はなく、「ICカード」と書かれていました。確かにこちらのほうが分かりやすいでしょう。
「積み増し」もそうですが、なるべく分かりやすい言葉を使う、という考え方があるのでしょうか。他にも、一部の軌道を芝生かして都市部温暖化対策を行うなど、少なからぬ点で鹿児島市交通局に好感が持てました。
午後の宮崎はほとんど仕事でした。ただ、その合間を縫って、念願の(?)タスポつき自販機を発見する事ができました。明日は朝から夜まで仕事なので、どうやら「宮崎」らしさを感じれるのは、移動の際に見た風景と、この「タスポつき自販機」だけになりそうです。
2008年02月23日
終わりよければ・・・
今日は山の上にある牧場行きました。昨日までは晴天で、今朝も朝食後に旅館周辺を散歩した時までは好天でした。ところが、上に登るバスに乗ったあたりから、雪がちらつきはじめ、目的地に着いた時は、風上を向くことができないほどの強い雪になっていました。
本当は牧場周辺を散策した後、日帰り入浴して昼食を取る予定でした。しかし、こんな雪では散策どころでなく、日帰り入浴の看板を出している旅館に行ったところ、「雪で屋根が壊れて風呂が使えない」とのことでした。
これは長居はできないと、昼食だけ取って、予定を変更して一本早いバスに乗り、途中にある温泉に日帰り入浴しました。
結果的にはこの判断が大成功。今回の旅で最後に入った温泉にふさわしい、最高の入り心地でした。
雪のほうは相変わらずで、この時点では「さすがは山の天気は・・・」などと思っていました。ところが、ふもとに降りても、相変らず雪が降っています。さらにそこから最後の目的地に行き、駅を出たら、雪が真横に降っていました。
こりゃいくらなんでも凄いな、などと思って長野に戻り、新幹線に乗ろうとしたところ、東日本全体で大雪と強風のため、東北・上越新幹線が大幅に遅延とのこと。その影響を受けて、長野新幹線も運休などが発生している、との事でした。
ところが、結果だけ言うと、私の乗った新幹線は、当初の予定時刻に発車し、しかも指定を取っていないにも関わらず、始発から座ることができました。
この三日間、予期せぬ事続きでしたが、最後はいい温泉にも入れ、ダイヤの乱れにも困ることがなかったわけです。というわけで、典型的な「終わりよければ全てよし」という形で、旅を終えることができました。
2008年02月22日
予期せぬ事態発生でまたもや
今朝は、予定どおりの列車に乗り、二日目の旅が始まりました。冬の只見線を堪能した後、小出から上越線で越後川口に行きました。そこで昼食を食べた後、もう一つの目的である飯山線に乗るつもりでしたが、改札口を出たとき、思いも寄らぬ事態が発生していた事を知りました。
何と、乗る予定だった列車が、除雪作業のために本日に限り途中から運休、と書いてあったのです。冗談のようなまでの不運です。代替えルートなども考えましたが、結局「飯山線に乗るのが目的の一つなのに、他の路線に乗るのでは本末転倒だと思い直し、2時間半後に出る次の列車を使って長野まで行きました。
当然ながら宿に着いたのも予定より2時間半遅れです。というわけで、二日続いて、予定が大幅に狂う結果となりました。
昨日は自業自得ですからまだあきらめがつきます。しかし今日の場合は一種の天災ですから、どうしようもありません。
もっとも、逆に考えれば、二日続けて数時間単位の遅れがありながら、とりあえず重大な問題はなかったわけです。今後、当分の間は、そのような時間に余裕を持てる機会は、まずないでしょう。
そう考えると、別な形ではありますが、目的の一つである「時間の流れと離れた所で過ごす」を達成できた、と言えなくもありません。もともと、楽しむために来たわけだから、という事もあり、プラス思考でそう考える事にしました。
2008年02月21日
1時間の遅れが3時間半に
昨日書きましたが、雪の中を旅しています。今泊っている所は、会津若松から只見線で2時間山の中に入り、そこから車で20分くらいの所でしたが、宿に行ったら携帯が通じるどころか、アンテナが三本立っていました。インフラの整備は予想以上に進んでいるものだと驚きました。この調子で10年もしたら、普通にフレッツスポットが使えているようになっているかも、などとも思いました。
昨日書いたように、旅行の目的の一つに「時間と離れた所で過ごす」というのがありました。ところが、行く前から「時間と離れすぎ」てしまい、とんでもない失敗をしてしまいました。
只見線の時間から逆算し、浅草発8時10分の東武鉄道快速に乗ると、うまく接続することが分かりました。したがって、それで計画を立てていました。ところが、いつの間にか、自分の頭の中で「浅草発9時10分に乗れば・・・」と脳内誤変換されていました。
普通なら、1時間出るのが遅れれば、着くのが1時間遅れるだけです。ところが、只見線は、1日7本(場所によっては1日3本の区間もあり)しかないローカル線です。
その結果、目的地の駅に到着したのは、当初の予定から3時間半も後でした。おかげで、肝心の只見線車窓はほとんどが闇の中でしたし、楽しみにしていた温泉地周辺の散策もできませんでした。
初めて時刻表を見て旅の計画を立てたのは中学の時でしたが、もちろん、こんな失敗をしたのは初めてです。こんな事は、一度でも時刻表上で計画を見直せば簡単に防げます。我ながら、気が緩みすぎているとしか言いようがありません。
とりあえず、「これが仕事に関することでなくて良かった」と思うことにしました。いきなり、とんでもない幕開けを迎えた旅行ですが、残る二日は何とか成功させたいものです。
2008年02月19日
夜行バスに11時間
諸事情により、今回の松山からの戻りは夜行高速バスとなりました。夜行バスに乗ったのはこれが四度目です。しかし一回目は約20年前に乗った東京-大阪なので、さすがに体力的な前提が違います。残る三回は四日市-東京、東京-仙台という、いずれも所要時間が6時間前後の短いものでした。
それに対し、今回は道後温泉発19時40分で新宿着が7時20分というもの。実際には少々発車が遅れた上に、30分以上早く着きましたが、それでも11時間載り続け、というバスでは自己新記録となる移動でした。
乗っていて困ったのは、フットレストなどは完備しているのですが、全体的に椅子の作りが小さく、やや窮屈だ、という事でした。乗ったとき、パッと見ですが、女性比率が高いと思いました。今にして思えば、一定以上の身長がある男性が敬遠するので、必然的にこうなるのかも、とも思いました。
また、「22時消灯」というのも日付が変わるまで起きるのが普通、という生活をしている身としては困りました。しかも、カーテンを閉めるという指示まであるので、外を見ることすらできません。おかげで、初の淡路島上陸(?)となったのですが、それを目で確認することは何一つできませんでした。
何とか寝付いた朝5時過ぎに、SAに停車ということで電気がつきました。私はその時、即座に目が覚めました。しかしながら、車内の半数くらいは、そのまま寝ていました。夜行バス慣れしている人なのでしょうか。
かなり貴重な経験でした。そして、やはり自分としては、夜行で長距離移動するなら鉄道だ、と改めて認識させられた旅ともなりました。
2008年02月07日
謎の注釈
久々に全国版時刻表を買いました。「新幹線との乗り換えに必要な標準時分」欄を見ていたら、新大阪駅の所に「新幹線相互・・・5分(下車した同じホームでの乗り換えの場合を除く)」という記載がありました。この、カッコ内の部分が妙に気になります。そんな事は当たり前ですし、逆ならともかく、「5分と記載していても1分で乗換えることができた」となっても、誰も困ることはないはずです。
にも関わらず、このような表記があるのでしょうか。まさか、「5分かかると書いてあったから、それを元に乗り換え列車の指定を取った。ところが、新大阪駅についたら、目の前に一本早い列車に止まっていた。時刻表の記述を信じたがために、乗れるはずの列車の指定を取れなかった」などとクレームをつけた人でもいたのでしょうか。
とりあえず、「なるほど、違うホームなら5分だが、同一ホームならもっと短いのか」などと、この文章によって得た情報を役立てた人はいないだろうな、とは思いました。
2008年01月22日
振替乗車券発行資格チェック
朝、電車に乗ったら、「車両故障のため、先の駅で電車が詰まっています。発車は未定です」という車内放送がありました。そこで、改札まで戻って、復旧見込みを確認のうえ、振替乗車票の発行を依頼しまいた。
すると、駅員氏は「定期か切符をお持ちですか?」と質問してきました。そこで、モバイルSuica定期である旨を告げると、わざわざ機械にかけて確認し、その後に振替乗車票をやっと発行しました。
急いで隣接する京成のホームに行ったのですが、着くと同時に扉が閉まり、列車は去っていきました。あの「検査」がなければ余裕で乗れたのに、思いつつ、次の列車まで7分ほど待ちました。
JRの車両故障で振替輸送が行われるわけです。にも関わらず、なぜこちらが余計な検査をされなければならないのでしょうか。普通、こんな時間にスーツ・ネクタイの人間がいれば、普通は定期を持っているとしたものです。にもかかわらず、あたかも「不正に振替票を取得しようとしている人」であるかのように扱われたわけで、かなり失礼な話です。
だいたい、これが振替票を欲しがる人で一杯になっても同じ検査をやるのでしょうか。そう考えると、必然性もないわけです。
結局、自分のところの手落ちで客に迷惑をかけている、という認識はないのだな、と改めて認識させられた「振替票チェック」でした。
2008年01月11日
魔が差す
大宮に出かけました。夜に帰宅する事になり、駅に入りました。案内を見ると、次に来る電車は湘南新宿ラインとのこと。とりあえずそれに乗って赤羽で京浜東北線に乗換えようかと思いながらホームまで降りた後、念のため携帯版「駅すぱあと」で経路検索をしました。
すると、秋葉原に出て総武線に乗っても、南浦和から武蔵野線に乗っても着く時間は同じ、という結果が出ました。ならば、帰宅ラッシュにひっかからない武蔵野線経由のほうが、どう考えても楽に帰れます。そこで、一度京浜東北線に乗換えようとしたのですが、目の前に湘南新宿ラインが来たら、なぜかフラフラと乗ってしまいました。
次は赤羽ですから、最早やりなおしはききません。結局、秋葉原で乗り換え、ラッシュに押されながら立っていました。ようやく、席が空いたのは、皮肉にも武蔵野線との接続駅である西船橋に着いた時でした。
いまだに、我ながらあそこでなぜ湘南新宿ラインに乗ってしまったか理解できません。「魔が差す」という事は本当にあるのだな、と思った次第です。
2007年12月08日
意外なところで応用できた趣味
中学時代、国鉄の車両を覚えるのに燃えていた時期がありました。その中で、記憶に残っているものの一つに「113系と115系の区別」というものがありました。基本的には同じ車両なのですが、115系は寒冷地・勾配対策がされています。そのため、東京では、東海道線・横須賀線・総武線は113系で、東北線・高崎線・中央線は115系、というふうに分かれていました。
この二種類を外見で区別する方法がありました。それは、「正面下部の塗装がV型かU型か」ということです。まったくもって意味のない知識でしたが、これを知った時はかなり嬉しく、中距離列車に乗る度に、正面の塗装を確認したものでした。
それから25年ほどたった今、総武線各駅で通勤しています。一見、この路線は一つの車種しか走っていないように見えます。しかし、実はE231系と209系の二種類があります。この二つの車種は、外見も車内もほとんど変わりませんが、運用において大きな違いがあります。それは、209系の5号車は他の車両と同じですが、E231系の5号車は座席収納式の六扉車である、という事です。
したがって、5号車に乗る人はあまり座る気のない人なわけです。そのため、209系が来ると、5号車は非常に座れる可能性が高くなるわけです。
その両者を正面で区別する方法は二つあります。一つは左帯に張られている「6door」というシールで、もう一つは運転台周辺の塗装の色で、209系が白であるのに対し、E231系は銀色です。前者は分かりやすいのですが、接近するまでは判別できません。一方、後者はかなり遠くから判別できます。
したがって、接近する列車を見て、白ければ5号車の乗車位置に行き、銀色だったら別の号車の乗車位置に行く、というようにするわけです。これを知ってから座れる確率はかなり向上しました。
この区別は、実際に見ていて気付いたものでした。色彩とかデザインとかに疎い自分が、それに気付いたのも、中学時代に113系と115系の区別をつけて喜んでいた経験が生きたためかと思っています。
当時は自分でも「面白いけれど、何の役に役に立たない知識だな」と思っていましたが、まさかこんな形で応用できるとは思いませんでした。趣味が実生活に役立つというのは、いくつになっても嬉しいものです。
2007年12月05日
地下3階ホームの客が地上にあふれる
朝出勤したら、渋谷経由で通勤してくる人から「地下駅が1階まで人であふれている」とのメールが入ました。何事かと思って列車情報を調べたところ、人身事故で田園都市線が大幅に遅れているとの事。そのため、ホームに人があふれて改札が閉鎖に、そして入りきれない人が外まであふれた、との事でした。
渋谷の田園都市線ホームは地下3階で、改札は地下2階です。その客が地下1階を過ぎて地上まであふれていたのですから、相当の混雑だったようです。
偶然ですが、昨日は朝に田園都市線を使って客先に行きました。その時、駅の掲示で輸送力増強について色々書かれていたので、かなり混雑が凄いのだろうとは思っていました。しかしながら、このような形でその混雑の凄さを知るとは思いませんでした。
田園都市線は、もともと不動産開発とセットで延伸された路線として有名です。その方策は成功したわけですが、どうやら成功しすぎてしまったようです。沿線に住んでいるわけではありませんが、ポスターに書いてあった輸送力増強が早く実現して欲しいものだ、と思った次第です。
2007年11月10日
乗車駅証明書発行機
仕事の関係で、高崎駅の隣にある「高崎問屋町駅」から電車に乗る事になりました。改札に着いたところ、次の電車は1分後とのこと。それを逃すと、20分近く待つことになります。これが一人だったら別に何という事はないのですが、四人で行動していました。
改札周辺を見ていると、入場方法は三種類あることが分かりました。一つは普通に切符を買って入る方法です。ただ、自販機は二つしかありません。四人がそれぞれ目的地を確認しながら切符を買うと、乗り遅れる危険性があります。
そこで、全員がSuicaもしくはパスモを持っていた事もあり、それで入場しました。そして、ホームに着いた直後に電車が到着し、事なきをえました。
しかし、高崎駅で新幹線に乗換える時に問題が発生しました。新幹線にSuicaで乗るには、色々な制限があり、結論だけ言うと、我々は誰もそのままSuicaを使えません。結局、有人改札口で乗車記録を確認した上で切符と特急券を購入し、さらに乗車証明書みたいなのをもらいました。これで、下車駅の有人改札で、再度Suicaの処理をしてもらう、という作業になったわけです。
幸い、次の新幹線までは時間の余裕がある上に、東京行きは10分間に3本も来る、という余裕がありました。従って、面倒でしたが、特に焦る事なく、手続きは終わりました。
手続きの間、ふと、高崎問屋町駅の改札の事が思い出されました。有人改札の通路の近くには、早朝・深夜に駅員が居なくなるためか、無人駅にある「乗車駅証明書発行機」がありました。
これを使えば、高崎駅で、いちいちSuicaをチェックされる、などという事なく、簡単に乗車券が買えていた可能性が高そうです。
結果的に、最新技術であるSuicaや、多機能の券売機よりも、無人駅で使われる簡素なシステムが一番便利だった、というオチになりました。自分の体験ながら、何とも言えない趣を感じました。
2007年11月06日
女性専用車に紛れ込む?
朝の9時過ぎに半蔵門線を使う機会がありました。降りる時の事を考えて一番前の車両に乗りました。いい席が空いていたので、ツイていると思いながら座りました。そして、ふと窓を見ると、「女性専用車」の記載がありました。乗車したときのホームには記載がないし、車内には男性が何人か普通に座っています。
変だとは思いましたが、とりあえず、窓の記載には「平日の9時半までは・・・」という文言があります。そこで、「ホームの記載を見落として女性専用車に紛れ込んでしまったか?」と思い、あわてて隣の車両に移動しました。
やや釈然としない気分でいたところ、9時半になりました。すると、車掌さんが「9時半になりましたので、最後尾の女性専用車両は、終了させていただきます」という放送が流れました。その時、「そう言えば、半蔵門線は、上下とも最後尾を女性専用車にしていたっけ」という事を思い出しました。つまり、私が見たのは、逆方向に走る時に使われる記載だったのです。
そんなもの、記載を落ち着いて読めば分かる、という話ではあります。しかしながら、「間違えて女性専用車に入ったかもしれない」という不安感から、とりあえず脱出することを優先したわけです。そそっかしいと言えばそそっかしいですが、無難な対応だったと自分では思っています。
こんな事が起きないよう、窓に貼ってある「女性専用車」の表示は、該当列車の該当時間のみ表示されるようにならないものか、などとも思いました。窓にLED表示をさせる、というような技術が開発されれば、可能なようにも思えます。数年後の科学技術に期待したいところです。
2007年10月13日
自動改札故障
朝、駅に行ったら、駅員さんたちが大声で、自動改札が故障しているというアナウンスをしていました。ちょうど昨日、自動改札をネタにした記事を書いていたため、異常を知ったときは、かなり奇妙な気分になりました。また、最初は、幕張本郷だけが故障したと思い、降りるときが面倒だな、などと思っていました。しかし、降りた駅も同様の状態になっており、その時はじめて首都圏全体に及んでいた大事故だったという事を知りました。
結果的には「無料サービスデー」みたいになったわけで、使う方としては何ら困りませんでした。そして、ニュースを見て、特定のメーカー製品の不具合と知りました。以前から、大量の定年退職者が出る今年の事を「2007年問題」などと報じる記事を見ましたが、この会社にとってはそれこそ「2007年10月12日問題」が存在していた、という事なのでしょう。
今年に入って、仕事柄似たような経験を何度かしています。それだけにまず、「これでこの会社の人は明日からの土日返上決定だよな」と、見ず知らずの会社の人達に心底同情してしまいました。
2007年10月11日
認識率と距離
自動改札のSuicaですが、つい最近まで、よく「置いたのに読んでくれない」という事がありました。何ら不正をしていないのにも関わらず、扉が閉まって読み取り部分が赤く点滅する、というのはかなり不愉快なものです。同じ経験をした人は多いようで、Suicaを読み取り機に叩きつけるようにして認識させている人も少なからず見ています。私の場合、携帯ですから、叩きつけるわけにはいきません。しかし、認識に失敗すると、つい、読み取り部分からほんのわずかだけ離れた携帯をグリグリと動かしたりしていました。
そんなある日、ニュースで「バスのPASMO読み取り機が、かなり離れているにも関わらず、Suicaなどのデータを間違って読んでしまう」という話を知りました。その時、「それだけ離れて読み取れるなら、Suicaも近づける必要はない」という事に気づきました。
そして駅の改札で実践したところ、不思議な事に、それ以来、読み取りエラーが発生率がゼロになりました。理屈は分かりませんが、もしかすると、一定以上離したほうが、認識率がよくなるのでしょうか。なんか、「北風と太陽」みたいな現象です。
いずれにせよ、それ以来、あの「ちゃんとかざしたのに改札が閉まる」という悲劇(?)から解放されました。もしこれを読んだ方で、認証ミスで不快な思いをした経験があるのなら、一度試してみる価値はあると思います。
2007年10月01日
アクアライン
朝は会社で、午後は房総半島で仕事、というスケジュールでした。そこでアクアラインを通るバスで移動しました。先週のスカイライナーに続いての「幕張本郷に住んでいれば普通は使うことのない交通機関の利用」です。
東京駅を出たバスは首都高速を走ります。羽田空港あたりまでは、普通の車窓風景でしたが、川崎からアクアラインへの分岐点を越すと、突如雰囲気が変わりました。
それまで、前にも横にも、何らかの車が走っていました。しかし、その他の車が急に見えなくなったのです。そしてそのままアクアラインのトンネルに入ったのですが、相変らず車の姿が見えません。
しばらくして、やっと一台の車が見えたときは、なんかホッとしました。
空いているおかげで、渋滞知らずで一気に東京湾を渡れました。それ自体はいいのですが、やはりこの車の少なさには驚かされました。一人で運転していたりすると、怖くなったりするのでは、などとまで思いました。
房総半島に渡った後の風景は、以前と変わらないものでした。かずさアークも相変らず、建築物は増えていませんでした。開通前に言われた「アクアラインによる房総半島の発展」は、相変らずなされていないようです。まあ、あの通行量を見れば、当然とは思えますが・・・。
貴重な経験はできましたが、改めて「こんなもん造る必要があったのだろうか」という思った、初のアクアラインでした。
2007年09月13日
25年ぶりの外房鈍行旅行(?)
所用で房総半島の端のほうまで行きました。行きは時間にあわせて特急に乗り、一寝入りしたら目的地の駅に着いていた、という感じでした。
しかし、帰りは大変でした。当初乗るつもりだった特急に乗ることができずに、各駅停車を1時間以上乗り継いでやっと快速に乗れる、という行程。せめて外でも見れればいいのですが、日も暮れており、ただ闇の中を電車が進むだけです。
結局、家に着いたのは、電車に乗ってから2時間以上経っていました。房総半島の広さと、交通の便の悪さを実感させられました。
ちなみに、「房総半島鈍行旅行」は、25年ほど前にも一度やったことがあります。その時の自分は中学生で、季節は夏の日中でした。その時は、内房線から外房線へ一周しました。乗っていた時間は今回の倍以上でしたが、好きこのんで行ったわけですし、外からは輝く海を見ることもでき、楽しい思い出しかありませんでした。
まさかその時は、25年後に、同じ経路をこのような気分で「鈍行旅行」する羽目になるとは、夢にも思いませんでした。人生、何があるか本当にわからないものです。
2007年09月08日
深夜に聞く空虚な謝罪
台風は去っていきましたが、総武線各駅停車は三鷹で事故があったとかの事で、えらく遅れていました。そしてホームで待っていたら津田沼行きが来たので、とりあえず乗りました。終点近くなると、車掌さんがやけに謝り始めました。事故の影響で、続く列車はかなり遅れるとの事です。何でも、津田沼到着後、その先に行くには、15分くらい待たねばならないとの事です。
というわけで車掌さんは丁重に謝っています。しかしながら、その電車に乗った我々は0時45分頃に津田沼駅のホームに降ろされました。
午前中の遅れは天災だから仕方ありません。しかし、この夜の遅れは、事故という鉄道会社の過失です。ならば、深夜の駅で15分待たせるような迷惑をかけずに、この電車を千葉行きに臨時延長すればいいでしょう。
しかし、ホームでも謝りの言葉は何度も聞きましたが、結局、電車はそのまま車庫への去っていきました。いつもながら、この鉄道会社の「謝罪の言葉」には何の中身もないよな、と思いながら、深夜の津田沼駅ホームで時間を過ごしました。
2007年07月27日
水没予定地であり続ける土地
スカパーをつけたら、「みんなの鉄道」で吾妻線を取り上げていました。9年ほど前に、この線に乗って、川原湯温泉に行った事がありました。その時は、この川原湯温泉一帯は、吾妻線の線路も含め、2006年には建設中のダムの底に沈む、という案内がありました。
今は2007年ですが、まだダムは出来ていません。というより、本格的な工事は始まっていないようです。国土交通省のサイトによると、本年度の事業内容は、水没予定地の代替地のに関するものが主で、ダムのほうは「本体工事の準備工として仮排水トンネルや工事用道路の着手を行います。」だそうです。
何でも、このダムが計画されたのは1950年代とのこと。その間、川原湯温泉をはじめとするこの周囲には、ずっと水没の話が出ていたのでしょうか。
それにしても、それだけ着工が遅れているわけです。一体、その遅れによる実害というのは何かあるのでしょうか。ダムの「目的」と言えば、治水・利水・発電などが考えられます。しかしながら、少なくとも私は、「群馬のあそこにダムがあれば、○○のような事態にならなかったのに・・・」などという話を聞いた事がありません。そのように考えていくと、この問題に関しては、9年前の温泉旅行以外に何ら知識のない筆者ですら、「そんなダム、造る必要があるのだろうか」と思います。
まあ、いつもの事ながら、そのダム建設によって儲ける人は存在します。その人々に力がある限り、この地区は「水没予定地」であり続けるのだろうな、などと思いました。
2007年06月23日
止まる場所を間違えると交通マヒ?
22日の朝、大宮近くの高崎線で架線切断が発生し、電車が止まりました。これだけで高崎線と湘南新宿ラインに影響が出るわけですが、さらに車両から出た人がいたりして、併走する京浜東北線まで止まってしまったとのことです。復旧したのは5時間後との事でした。
この原因としてJR東日本が発表した原因は赤信号が急に出て、運転士が止めた場所が悪く、それで架線が切れたとの事でした。基本的には「運転士のミス」という扱いです。
もしそれが日本の鉄道でも一つか二つしかない特別な場所だったらまあ仕方ないかもしれません。しかしその場所は首都圏では3~4キロごとにあるそうです。
電気工学の事はまったくもって分かりませんが、いくらなんでもそんな危険な箇所がそんなにある、というのはどうなのでしょうか。特に昨今では、事故のみならず、「危険信号を受信したため」などといってしょっちゅう、電車が駅間で急停止します。
その急停止に、ちょっと位置を間違えると、架線切断によって5時間止まる危険性がある、というのはいくら何でもありえない話です。
いくら「止まるのに不適切な場所」があっても、そこに止まるだけで架線が切断されないような対策は施すのが当然だと思うのですが・・・。
これは架線だけなのでしょうか。それとも他にも、「ちょっと止まる場所を間違えると大変な事になる」という類の危険が少なからず存在するのでしょうか。改めて、この鉄道会社グループの安全管理の杜撰さと、客に迷惑をかけた責任を社員に押しつける体質を再認識させられました。
2007年05月20日
存在しない「助ける人」
最近になって、電車の放送で、「車内で暴力行為などをしている人を見たら、お近くの駅社員・警備員などにお伝え下さい」みたいな事を言うようになりました。それはいいのですが、仮に本当に問題が発生した際に、本当にそれらの人はいるのでしょうか。
ホーム上の係員など、朝のラッシュ時を除けば、一人いるかいないか。ホーム上の事務所は、ほとんどが「ただいま不在です。改札までお越し下さい」の札があるくらいです。そして、その改札に行けば、ちょっとした乗り越しでも数分待たされる事がザラ、というくらいの人員配置です。ましてや、「お近くにいる警備員」など見たことがありません。
こうやって見ると、あの車内放送は、乗客の安全を守るため、というよりも、「自分たちは何もしていないわけではないのですよ」という免罪符なのでは、と思えます。
まあ、しょせんは、「金を失うのが嫌」なために、「東日本旅客『金矢』道」なる、日本語に存在しない字を使い続けている会社です。客の安全も、「金を失わない範囲内」という事なのでしょう。
2007年05月11日
自動改札設置による遅延
今日は朝から強風で、地下鉄東西線は一時期運休するほど。当然ながら総武線との乗り入れは中止でした。私が西船橋に着いたときは、すでに運転再開をしていたのですが、当然ながらホームはすごい混雑です。
もともと、直通運転中止時にはかなりの大混雑になっていたものの、3月に総武線と東西線の間に自動改札をつけたため、より混雑がひどくなることは予想されていました。
まあ、今の自分には関係ないと思って車内で待っていたのですが、なかなか電車が発車しません。総武線自体は通常運行のはずなのに、と不思議に思っていたところ、「現在、ホームが大混雑しており、このまま電車が動くと危ないので、しばらく発車を見合わせます」という車内放送が流れました。
その遅延を引き起こした混雑の直接的な原因は東西線の運休・遅延です。しかし、電車が発車できなくなるほどの混雑となったのは、これまで自由に歩けた所に自動改札を設けたためなのではないでしょうか。少なくとも、これまで9年以上総武線で通勤し、色々な遅延を経験していますが、そのような理由での遅延は聞いたことがありませんでした。
結局、最終的に私の乗った電車は15分遅れで、かなりの混雑でした。ならば、東西線利用者、とくに西船橋で乗換えた人は散々な目に遭った事でしょう。西船橋駅で発車を待ちながら、これを機に、せっかくつけた自動改札機ですが、撤去を検討してもいいのでは、などと思った朝のひとときでした。
2007年05月09日
拡大すればいいというものでも・・・
羽田空港に国際線を増便する拡大計画で盛り上がっている連中がいるそうです。このネタはちょくちょく出てきます。首都圏に二つも国際空港が存在する必要性がどこにあるかわかりません。何でも、アジアの他の国の国際空港と対抗する必要がある、みたいな事を言っているようですが、そんな事何の意味があるのでしょうか。まさか、関空と中部に続き、500km内に三つもの「アジアのハブを目指す空港(※目指しているだけ)」を設置する必要があるとでも言うのでしょうか。
だいたい、空港など大きければいいというものではありません。2月に羽田の第二ターミナル部分の拡張部分を初めて使いましたが、乗るときも降りるときも延々と歩かされました。体感的には、第一ターミナルから第二ターミナルまで地下道で歩いたのに匹敵したほどでした。率直に言って、これ以上大きくなられても困ります。
こんな計画を立てている連中は、羽田から飛行機に乗るといっても、専用機などを使うため、空港内をほとんど歩くこともないでしょう。だからこそ、そのような事を気楽に言えるのでしょう。いっそのこと政財界人の専用乗降場を第二ターミナルのはずれにでも作り、自らの足で、「これ以上羽田が大きくなったらどうなるか」を知ってもらうようにしたほうがいいのでは、などとも思いました。
2007年04月02日
荷物室
昼間に京浜急行の各駅に乗りました。下車駅の出口に改札に近い最後尾に乗ろうとしたところ、扉の所に線が張られ、「荷物室」という札が下がっていました。運転台に近い一角を仕切り、そこに使用済みの切符が袋詰めになって積まれています。
かつては、国鉄などに、荷物を運ぶ車両がありました。私が初めて時刻表を読んだ頃は、東海道線に一日4本くらいの「荷物列車」のダイヤが書かれていたものでした。
しかし、宅配便などに押され、専用の荷物列車は廃止。旅客列車に並結して走る荷物専用車もほとんどなくなりました。
そのような中、専用車両ではないとはいえ、いきなり「荷物輸送」を見る機会を得たのには驚かされました。あと、昔から何千枚も切符は使っていましたが、その切符の行く末を見たのは初めての事でした。
ほんの3分ほどですが、意外かつ貴重だった、「荷物室を見ながらの乗車」でした。
クリックすると、同じ窓で大きな画像が開きます。
2007年03月22日
混雑強化装置
PASMO使用開始に伴い、西船橋駅のJRと東京メトロ・東葉高速の連絡通路に自動改札がついたそうです。さらに、三つの連絡通路のうち、東京よりの通路は朝夕のみの使用となりました。
昨年、半年ほど、西船橋乗り換えで東西線を通勤に利用していました。朝は津田沼からの直通に乗っていたので問題はなかったのですが、帰りの西船橋乗り換えの際は、階段を上るところの「渋滞」に難儀していたものでした。また、朝に事故で直通運転が中止された場合の西船橋乗り換えは、「1メートル進むのに1分」などという事すらありました。
それほど混雑するのに、さらに改札を設けて混雑を助長するとは不思議な話です。すでに、利用者から苦情が出ている、という報道もありました。
いろいろ事情があるのでしょうが、「共通ICカード乗車券を導入したら、乗り換え改札を設置」というのも今ひとつよく分かりません。とりあえず、予期せぬ事態が発生した時くらいは、「本日は、事故のため、東西線の乗り入れは中止しております。あわせて、西船橋駅の連絡改札も使用を停止しております」とするくらいの融通はきかえてもらいたいものです。
2007年03月18日
本日よりPASMO使用開始
今日から、関東の私鉄およびバスで、ICカード乗車券「PASMO」が使用可能になりました。JRの「Suica」と共通化されており、どちらかを持っていれば、首都圏のほとんどの鉄道に乗ることができるようになりました。
なお、バスでも使える、という事ですが、使えるのは、全路線ではありません。たとえば、京成バスだと、都内の他は海浜幕張発着のもののみ。まあ、私の今の生活から考えれば、それだけで「バス完全対応」になったとは言えるのですが・・・。
既にモバイルSuicaを使っているので、購入する必要はないのですが、せっかく出た事だし、記念に一枚買ってみました。Suicaのようにイメージキャラのロボットが券面に印刷されるていると思いきや、それはありませんでした。また、Suicaの場合、JR・東京モノレール・りんかい線でそれぞれ専用の色を作っていましたが、とりあえずPASMOは全社共通のようです。
いずれにせよ、私の場合、これからは携帯一個で関東の私鉄・バス、さらに首都圏と大阪近郊のJR、さらには伊予鉄に乗れるようになりました。そのうち、全国の主要都市の鉄道が全て携帯で乗れるようになる日が遠からず来るのでしょう。
2007年02月27日
措置と雰囲気
しばらく前から、総武線にも女性専用車が導入されました。ただ、事故などで大幅な遅れが生じると、「本日は女性専用車は中止します」という案内が流れます。
ある日、その放送を聞いて、駅で電車を待っている男性の何人かが、女性専用車の乗り場のほうに歩いて行きました。しかし、当然ながら、そこに並んでいる人は他は全て女性です。どうするかと思ってちょっと興味を持って見ていたのですが、やはり、数十秒後にこちらのほうに戻ってきました。いくら案内があったとはいえ、あの環境に男性が混ざっていると、それだけで何かよからぬ事を考えているのでは、という空気になるのでしょう。まあ、JRの臨時措置よりも、場の雰囲気のほうが強かった、という事でしょうか。
ところで、遅延のたびに中止になる女性専用車ですが、「会社の不手際で遅延になったら、利用者の女性に不便を強いる」というのは筋として変なのでは、と思っています。
もちろん、男性の身としてはどちらがいいのかなどは分かりません。しかしながら、「本日は、遅延でより一層の混雑が予想されます。前方の車両に乗車されている女性の方は、なるべく一番前の女性専用車をご利用下さい」という案内にしてはだめなのだろうか、と電車が遅れる度に気にしています。
2007年02月26日
意地と妥協の結果
京成バスが今年から、海浜幕張駅から京成幕張駅行のバスを新設したので乗ってみました。乗る前に経路表を見たら、途中に「イトーヨーカドー」というバス停がありました。
以前書いたように、の千葉シーサイドバスと平和交通が「イトーヨーカドー」バス停は、京成バスの「幕張町4丁目」と全く同じところにあります。ならば、同じ京成なのだから、こちらも「幕張町4丁目」とするのが自然なように思われます。「京成も『同一箇所に二つのバス停名』は変だと思い、ついに新設を機に改名したのか」と思ってバスに乗りました。
そしてイトーヨーカドーバス停についたのですが、何と、同じ所に「幕張町4丁目」バス停もそのまま残っていました。つまり、同じ場所に同じバス会社が二つの名前のバス停を設置しているわけです。
元々は、ここには「幕張町4丁目」しかなかったから、「先達」としてバス停名を変えたくない、しかし、新設路線については、千葉シーサイドバスの路線とほぼ同じところにあるから、それにあわせた、といったところでしょうか。
ちなみに、二つのバスポールは並んで設置されていました。間隔は10数センチといったところでしょうか。そのうち、バスマニア向けクイズで、「京成バスの幕張町4丁目とイトーヨーカドーはどれだけ離れているでしょうか」などという問題が出たりするのだろうか、などと思いながら、その奇妙な二本のバスポールを見ました。
2007年02月18日
携帯で路面電車に
昨年、いろいろあって、二度に渡って番号変更を伴う携帯の買い換えをしましたが、会社はドコモにすると決めていました。その際、他社への乗り換えは一瞬たりとも考えませんでした。
そこまでドコモにこだわる理由は、ただ一つ、「伊予鉄道のモバイルいーカードがドコモにしか対応していない」ゆえでした。それほどまで「路面電車に携帯を使って乗る」というのは私にとって興味をひかれる事でした。
そして今日、念願かなって伊予鉄に乗りました。来た電車は床が木製という築40年は越えていそうな車両。その運賃を携帯で決済するというのは何とも言えない感慨がありました。それだけのためにドコモを選択した甲斐があったと思いました。
それにしても、一台の機械で総武線にも伊予鉄道にも乗れる日が来るとは数年前には想像すらしていませんでした。ついでに言うと、出先にいるため、この文を作成しているのも、伊予鉄乗車に使った携帯です。
文明の進歩というものには本当に驚かされます。
2007年02月05日
元・日本最長名の駅
電車の窓にATOKの広告が貼ってありました。そこには「津から西線9条旭山公園通まで」というような事が書いていました。「2007」になって新たに追加された「駅名変換機能」についての宣伝です。しかしながら、はっきり言って、一定年齢以上の鉄道ヲタ以外には何が何だかわからない文章です。
ちなみに、ここでの「津」は三重県にある「日本一短い名前の駅」を意味します。では、「西線9条旭山公園通」ですが、これは札幌市電の電停で、「1980年代まで、日本で一番長かった名前の駅」を意味します。その後、第三セクターや地方私鉄が、「最長駅名」という事で話題になることを目的とした新駅開業や駅名改称を行い、現在は第4位となっています。
とはいえ、「最長になるための駅名」には何ら興味が持てません。私にとっては、「日本一」でなくなってから17年たった今でも、より長い名前の3駅以上の価値を感じる駅です。
おそらくは、この広告を作った人も私と同じ思い入れを持つ人だったのでしょう。それゆえに、「最長駅名」としてその電停を選んだのだろう、と見ず知らずの広告担当者に仲間意識みたいなものを持ちました。
2007年01月24日
「準急復活」と「四門出遊駅」
東急田園都市線が朝の通勤時間帯の急行を、旧新玉川線区間は各駅停車にする「準急」にする、という混雑緩和策を発表しました。これは、旧新玉川線が開業した時に創設された「快速」とほぼ同じ停車駅です。
それだけでも懐かしさがありますが、さらにすごいのはその「準急」という名称です。ある時期から、鉄道の優等列車はだんだんと名前だけが立派になっていきました。旧国鉄からも「準急」が消え、「急行」も大幅に減少し、かつて「準急」として走っていた区間・停車駅に「特急」が走る有様です。
私鉄でも急行がなくなり、「特急」と「普通」しか走らないところもあります。中には、先日書いた京浜急行などは、日中の川崎以南は「普通」と「快速特急」しか走らない鉄道まであります。
そのような時代に、新たに「準急」を新設するというのには、かなり驚かされました。普通なら「通勤急行」とでもなるところでしょう。担当者の思い入れでもあるのだろうか、などとまで思いました。
話は変わりますが、このニュースを知ったのは、仕事で訪れた池尻大橋駅のポスターでした。この駅を使ったのは初めてですが、出口案内を見て驚きました。出口が四つあってそれぞれに「東口」「南口」「西口」「北口」と名前がついているのです。もちろん、これらの名前をつけた出口を持つ駅はいくらでもあります。しかしながら、きっちり四つの出口に四つの名前が割り振られている駅は知りません。例えば、新宿駅ですら「東西南」はそれぞれ二つずつありますが、「北口」はありません。
あまりの珍しさに一人心の中で「四門出遊ができる数少ない駅なのでは?」などと感心していました。もっとも、ただ単に四つの出口にそれぞれ方角名をつけただけで、きっちり東西南北に出口があるわけではないのですが・・・。
2007年01月14日
格下げされた区間
羽田空港線が延伸されるまでは、京急の急行は川崎まで行き、そこからまた急行に接続したりしていました。しかし、急行が全て羽田空港に行くと同時に、蒲田から先の急行は廃止。特急も減便され、日中などは普通と快速特急ばかりとなりました、主要駅同士および、近距離利用の人は便利だろうけれど、それ以外の人は大変だろうな、などと思っていました。
そして今日、神奈川新町から泉岳寺まで行く用事がありました。不運にも特急のない時間だったので、川崎まで各駅で行ったのですが、乗車した神奈川新町と京急鶴見で快速特急に抜かれました。そして、川崎に着いたら次の各駅停車が着いた後に快速特急が到着。つまるところ、各駅と快速特急の接続など考えていません。特急のない時間帯に神奈川新町あたりから品川に出るには、逆方向の横浜に出て快速特急に乗り換えることを前提としたダイヤになっているようです。結局、特急があれば20分で着くところに、50分くらいかけてたどり着きました。
まあ、これも「選択と集中」という経営判断の結果なのでしょう。ただ、選択から外れた対象者は大変だな、と思いました。特に、2面4線の京急鶴見駅で快速特急の通過待ちがあった時は、「急行があった頃はここに停車した急行と各駅が接続していたのだろうが、いまではただの通過待ち駅でしかなくなったんだな」などと往事をしのぶ気分になったりしました。
2006年10月21日
最悪の組み合わせ
車両の全面広告というのもすっかり一般化し、一部のバス事業者では、ほぼ100%が広告車、などという状況も発生しています。鉄道のほうでも、バスほど比率が高くはないものの、車体に広告が印刷されているのを見てもさほど驚くことはありません。
ただ、先日見かけた、千葉より奥を走る路線用車両の全面広告車両を見たときは、久しぶりに驚かされました。なんとその車両は、建造時の113系横須賀線・総武線向け塗色(俗に言う「スカ色)の上にそのまま広告塗装をしているのです。
それだけでも国鉄車両好きとしてはかなり不快なのですが、さらにひどいのはその塗色。元の色を一切生かさない、黄色だの旧常磐快速風の色などを塗りたくっているのです。どうせ塗りたくるなら、地から塗り直して、元の「スカ色」の痕跡を消し去ってくれればまだ我慢できるのですが・・・。できれば二度とみたくないものです。
2006年10月19日
宣伝に値しない乗り継ぎ
りんかい線が全通し、新宿・池袋・渋谷から直通電車が来るようになった頃、「天王洲アイルでりんかい線からモノレールに乗り換えて羽田空港へ」という共同広告を両社が打っていたことがありました。
とはいえ、自宅からならリムジンバスのほうが早くて楽だし、都内の職場から行くなら品川なり浜松町なりに普通に出るほうが便利なので、その経路を使うことはありませんでした。
ところが先日、京葉線沿線で駅前にリムジンバスの来ない新浦安駅から羽田空港に行く用事が生じました。そこで最短距離になる京葉線→りんかい線→モノレールの経路を使うことにしました。乗る前は「Suicaを使える三路線乗り継ぎだ」などと思っていました。ところが、りんか線とモノレールの乗り換え駅となる天王洲アイル駅を降りた時、そのような喜び(?)は霧散しました。
わかりにくい天王洲アイル駅のりんかい線の表示を見ながら、延々と歩いて地上に出たのですが、そこにはモノレールの駅はありません。しばらく周囲を見たら標識があってやっと方向が分かりました。そしてそこから、信号を渡り、やっとモノレールの駅につきます。同一名称の駅が離れているという事例は少なからずありますが、信号を渡る必要まであるのはそうはないでしょう。
そして「南口」から無事ホームにたどりついたので、一安心しました。ところがよく見ると、逆方向の羽田発のホームにはその「南口」に直接行ける階段はないようなのです。仮に羽田発に乗って、りんかい線に乗り換えようとするなら、一度ホームの跨線橋を渡り、羽田行ホームに降りた後に南口への階段を下りねばならないようなのです。
ここまで不便な「乗り換え駅」は、麻布十番駅での南北線との大江戸線以来でした。せめて、地下道の出口をモノレールに直結させるだけでも全然違うと思うのですが・・・。
いずれにせよ、かつてこの駅での乗り換えを宣伝した人は、実際に乗り換えを体験していないに違いない、と確信させられたほどの、不便な「乗り換え駅」でした。
2006年09月29日
まる1日半のダイヤ乱れ
昨日の朝、京葉線が東京駅構内の火事で止まりました。ちょうど総武線から東西線と、京葉線の「振替経路」で通勤しているので、朝の幕張本郷駅の有人改札に並ぶ振替輸送の客の列から、東西線車内で「この電車は、葛西で快速の通過待ちを行います。東陽町より先にお急ぎの方は浦安で後から来る快速にお乗り換えください」に呼応して、駅で「浦安駅で快速を待っても、混雑のため乗ることができない場合があります」という異例の放送など、その混乱ぶりを知ることができました。なお、この間放送された理由は「信号トラブル」というのみ。「火災」については一言の説明もありませんでした。
まあ、これだけならよくある(本当はよくあってはいけないのですが)電車不通でしたが、何とその影響は一日で解決せず、今朝になっても正常運行できない、というのには驚かされました。
この、「事故が起きやすく、起きた後に復旧まで要する時間も長い」というのは、既に何度も書いていますが、20年ほど前の国鉄解体以来、一貫して「安全管理部門の人減らしによる収益向上」路線を歩み続けてきた「JRらしさ」の象徴の一つです。
後、驚かされたのは「火災が確認されてから通報するまで1時間のタイムラグがあった」というもの。私も一度、非常に小規模ながら火事による119番通報をした事があります。その時の心境は「本当に火事だ。いかん、すぐに119番しなくては・・・」という心理状態。何とか通報できたのですが、その半パニックぶりは未だによく覚えています。
にも関わらず、その通報まで1時間という余裕(?)の対応。しかも、発生したのが地下なだけに、万が一の時はより大変な事になるはずです。JR地下駅の火事が日常茶飯事、という報道は見たことがないのですが、ひょっとすると彼らは既に「場慣れ」をしているのだろうか、とまで思いました。
昨年、重大な死亡事故が一度ならず起きたにも関わらず、JRの安全に対する姿勢は変わっていないようです。次はどこで何が起こるのか、毎日通勤でJRを使っている身としては、不安でなりません。
2006年09月24日
人生初の屈辱
朝から夕方まで、かなり体力を使う用事がありました。この年ですと、筋肉痛は翌日以降に出るとしたものですが、当日のうちに足腰が筋肉痛になるほどでした。
そのまま、帰宅の途につきあました。大門から都営地下鉄に乗って東西線に乗り換えて帰るのですが、そのためには浅草線経由と大江戸線経由があります。そこでわざわざ路線図を見て両経路の駅数を数え、大江戸線のほうが駅数が少ない事を確認し、その経路を使いました。
そして大江戸線に乗ったのですが、ハッと気づくと、乗換駅の門前仲町駅で電車が発車していました。別に寝ていたわけではありません。しかも、直前の月島駅に着いた時は、「次が門前仲町だから乗り換えだな」と考えていたのです。
これまで、車内で寝ることによって乗り過ごす事は少なからずありました。しかし、物心ついたときから、電車好きという事もあり、車内では常に路線図を見て乗り換えの確認をしていました。その自分が寝てもいないのに乗り換え駅を間違えたわけです。もちろん、生まれて初めての事でした。それによって無駄になった時間は20分ほどですが、その20分はかなり長く感じました。いくら疲れているとはいえ、少なくとも外にいる間は、最低限頭を働かせなければならない、という事を痛感させられました。
2006年09月19日
戸袋の進歩
電車の扉の近くに立っていました。窓ガラスに張られている広告を見たら、ふと奇妙な事に気づきました。かつては、電車の扉には「戸袋に指を引き込まれないよう気をつけてください」と言って、指に包帯を巻いた子供の泣き顔などが描かれたシールが貼られていたものでした。しかし、今ではそれらしき掲示がありません。
ちょっと気になったので、戸袋に触ってみました。すると、同じゴムでもかなり硬質なものになっていました。かつてはちょっと押せば指が入ったものですが、相当力を入れてもほとんど動きません。なるほど、これなら注意書きも必要ないと納得しました。おそらく、この「硬質ゴムを戸袋に使う」を実現させるまでには、少なからぬ試行錯誤があったのでしょう。目立たないところでの技術の進歩、というものを感じさせられました。
2006年09月08日
一瞬感じた恐怖
久しぶりに東急東横線に乗りました。何も考えずに発車直前に乗り、クロスシートの奥に座りました。すると乗ってしばらくすると、車掌さんが「この電車の中程、5号車は女性専用車両になっております。なお、体の不自由な男性の方もご利用になれます」と放送しました。
それを聞いてふと周囲をみまわすと、やけに周囲の女性の比率が高い事に気づきました。男性は老人が一人いるくらいです。念のため、号車番号を確認しようと思いましたが、混んでいるせいで見ることができません。
一瞬「まさか」とも思いましたが、よくよく考えれば同じ東急で普段乗っている田園都市線の女性専用車両には窓にかなり目立つ「女性専用車両」の掲示が貼ってあります。それを思い出し、窓を確認し、自分が「過ち」をおかしていない事に気づき、一安心しました。
とはいえ、そのわずかな一瞬は、かなり狼狽しました。普段使わない電車に乗るときは、乗る車両をきちんと確認せねば、と心より思いました。
2006年08月19日
結果を知れば、それ以外あり得ない話
総武線快速・横須賀線での通勤が続いています。帰りは本を読んでいるのですが、ある日何の気なしに、西大井駅から品川駅の間で外を見ていた時、奇妙な事に気づきました。西大井駅からは品川に行く横須賀線と、大崎に行く湘南新宿ラインに分岐します。ところが、大崎方面の車窓を見ていると、西大井駅を出てから湘南新宿ラインの線路が分岐せず、そのまま大崎駅が見えます。
最初は、駅を出てすぐ分岐するのを見落としたのだろう、と思っていました。しかし、その後何度見ても分岐線が見えません。一度気になると落ち着かないので、今日はついに運転台の後ろに立ってしまいました。
そして西大井駅を出てしばらくすると、左右の線路の分岐が見えました。「やはり分岐はあるよな、何で今まで見れなかったのだろう」と不思議に思っていると、何と電車は品川方面である右でなく、大崎方面の左へ曲がったのです。一瞬、まさかポイント故障で逆に行ったのか?などと思ったのですが、車窓風景はいつもと同じでした。
その時はじめて、「湘南新宿ラインは一度逆方向の右に分岐し、そこから左折して横須賀線の線路の下をくぐって大崎に行く」という事に気づきました。
別に、このような分岐はさほど珍しいわけではありません。我が家から一駅隣の京成津田沼でも、同じように左の成田方面に行く本線が一度右に分岐し、千葉線の下をくぐります。そういう身近な例があるにも関わらず、「左への分岐がなければ右に分岐する以外ない」という事に気づかなかったわけです。我ながら、頭の固さに呆れました。
2006年08月14日
花火により駅閉鎖
6月末に続き、ゆりかもめの新線区間に乗りました。有明テニスの森駅の脇は相変らず広大な空き地ですが、なぜか「2016年東京オリンピック選手村予定地」という看板は消えていました。買い手がついたのか、さすがにみっともないと関係者が気づいたか、興味深いところです。
そして続く「市場前」に。相変らず市場のみならず駅周辺には何もありません。そして今回はドアすら開きませんでした。「豪雪地帯のローカル線の駅だと、真冬に営業を休止するところがあるが、これはそのお盆版なのか?」と驚きました。さらに、続く新豊洲駅も、駅前にビルが1軒だけ建っているにも関わらず、やはり扉が開きません。
さすがに不思議に思って終点の豊洲駅で降りたところ、案内掲示がありました。それによると「本日の花火大会の準備などの関係で、13時から21時まで両駅は閉鎖」との事でした。
それにしても、二駅も閉鎖するというのに、振替輸送などは一切ないわけです。いかにこれらの駅が使われていないか、改めて理解しました。そして、いっその事、おそらくは一日の大半であろう利用者のない時間は恒常的に閉鎖すれば、少しは電気代の節約などになるのでは、などと余計な事まで考えました。
2006年07月31日
アクアライン対さざなみ
東京湾アクアラインを通る高速バスが人気で、そのあおりで、東京と内房を結ぶ特急「さざなみ」は減便を余儀なくされるほど乗客数が減った、という報道を見ました。その理由の一つに「アクアラインはその通行料の高さから一般車両が敬遠し、おかげで渋滞がないために定時運行が保てる」というのですから、皮肉な話です。
記事によると、所要時間は「さざなみ」のほうが若干早いが、運賃が倍近く違う、となっていました。確かにそれだけでも「さざなみ」は不利ですが、実はこの「所要時間」というのもくせ者です。同じ「木更津-東京駅」でも、バスが着くのは東京駅近くのバス停、それに対し「さざなみ」が着くのは、東京駅と有楽町駅の中間地点の地下深くにある「京葉線東京駅」です。
既に何度か書きましたが、この「東京駅」から山手線などの東京駅ホームに乗り換えるのに、延々15分くらい歩かされます。それを考えると、少々の「所要時間の差」など逆転してしまいます。都心への到達時刻で勝負をしたいのなら、いっその事、新木場から線路のつながっているりんかい線に乗り入れて新宿や池袋を目指したほうがまだ戦えるのではないのだろうか、とその記事を読んだときに思いました。
2006年07月18日
通過しない快速
横浜から新橋に行こうと、湘南電車のホームに行きました。ちょうど電車が入ってくるところだったのですが、表示や放送では「快速アクティー」と言っています。停車駅については分からなかったのですが、「まあ、品川には止まるだろうから、最悪そこで乗り換えればいいか」と思って乗りました。
ところがこの「快速」、かつての湘南電車の各停の半分が通過していた川崎に停車し、さらに「次は品川。以下、新橋、終点東京に停車します」という車内放送がありました。結果的には乗り換えせずに新橋に行けたから文句はありません。
とはいえ、これでは横浜から先は各駅停車と同じです。別に特別料金がかかるわけではないですし、専用車両を使っているわけでもありません。普段使っている人にならば、横浜以東の表示は、「普通・東京行き」に変えてもいいのでは、と思いました。ちなみに併走する京浜東北線の横浜方面行きの快速は、浜松町を過ぎて全駅停車になると、「快速」の表示を外しています。
もっとも、これなどはまだ4駅だけだからまともなほうです。たとえば東京メトロの東西線の上りなどは、東陽町まで快速運転をした後、終点の中野までの14駅を「快速」の表示をつけたまま各駅に止まります。他にも、京成津田沼で「下り快速・成田空港行き」に乗ると、一駅も通過せずに1時間走ったりします。
運転する方の都合もいろいろあるのでしょうが、乗る方とすれば、一駅も通過しない列車に「快速」と表示して走らせる事には、何の利点もありません。たいした手間でもないでしょうし、京浜東北線のように、通過区間が終わったら表示を改めるようにしたほうがいいのでは、と思いました。
2006年07月02日
完成された経路?
夕方に恵比寿に行く用事がありました。経路としてJRだけでも三通り、私鉄・地下鉄も含めると、かなりの候補があります。そこで、ネットの駅すぱあとで調べたのですが、どの経路を使っても、予定時刻に着くために乗る電車は同じになります。一応、快速列車などの設定もあるのですが、どの経路でも、結局所用時間は変わりません。念のため、到着時刻をいくらか変えましたが、結果は同じでした。
どうやって行っても同じ時間、というのは、考えようによっては「完成された経路」と言えるかもしれません。何も考えずに乗り換えても、経路で失敗することはないわけです。そういう意味ではすごいのかもしれません。しかしながら、複数の経路がある時に、ネットと時刻表を駆使(?)して最善経路を探すのを趣味としている身としては、「最もつまらない経路」でしかありませんでした。
2006年06月29日
ゆりかもめ新線区間
最近開業した、ゆりかもめの有明‐豊洲間に乗りました。あの近辺がまだまだ未開発だということは知識としては知ってはいましたが、実際に乗ってみたら、その車窓風景は想像を絶するものでした。
有明テニスの森駅のすぐ脇には広大な空地が広がり、「2016年東京オリンピック選手村予定地」という看板が出ていました。国内の候補すら決まっていないのに、壮大すぎる話です。
さらにすごいのは次の市場前駅。何年後に市場が出来るのかわかりませんが、少なくとも現時点では周囲は一面の空き地。目に入る人影は工事関係者のみです。もちろん、ホームの上には人の気配は一切ありません。ちょうど対抗列車とすれちがったのですが、もちろんともに誰一人降りる人はいませんでした。あまりの何にもなさぶりに「市場がないのに『市場前』は変だし、いっそのこと『無人の荒野』とでも改名すれば観光客も来て収益につながるのでは」などと余計なことを考えてしまったほどでした。
ほんの8分ほどですが、久しぶりに「何もない車窓風景」を堪能することはできました。そういう意味では楽しい体験でしたが、東京都は大丈夫なのか?と心配になった8分間でもありました。
2006年06月28日
気になる人名・地名
とある漫画を読んでいたら、「藤岡」「倉賀野」「相賀」という苗字のキャラが3人並んでいる絵がありました。「藤岡」と「倉賀野」と言えば、八高線の高崎寄りの駅名(正確には群馬藤岡-北藤岡-倉賀野)です。こうなると、残る「相賀」が気になるところ。「八高線の駅名ではないが、そのあたりの地名なのだろうか?」と思い、検索してみましたが該当するものはありませんでした。何か地元の人にしか分からない符牒みたいなものがあるのだろうか、などとも考えました。客観的に見れば「藤岡」と「倉賀野」が並んだのが単なる偶然、と考えるのが普通なのでしょう。しかし、鉄道好きの性みたいなもので、つい「相賀」に秘められた謎(?)について延々と考えたり調べたりしてしまいました。
2006年06月06日
統合効果
村上ファンドの騒動もあり、意外にあっけなく、阪急による阪神の株式公開買い付け(TOB)の成立がほぼ確定。「阪急阪神グループ」が誕生する事がかなり確実になりました。
というわけで、同じく大阪と神戸を結んでいる二つの私鉄が一つのグループになるわけです。これについては、「統合する意味が分からない」みたいな報道が見られます。まあ、普通はそう考えるところでしょう。
しかし、私にはこの二つの私鉄の統合にはちょっとした感慨があります。それは、今から26年前の11歳の夏の事でした。私は当時、兵庫県西宮市の阪急沿線にある苦楽園口という所に住んでいました。夏と言えば、同じ西宮市内で甲子園高校野球全国大会があります。ある時、この高校野球の外野席は無料で観戦できる、という情報を得ました。「TVでもやっているあの高校野球がタダで!」と驚き喜び、その夏は甲子園に通い詰めました。
しかし、入場料はタダですが、交通費はそうはいきません。苦楽園口から甲子園まではわずか7駅・6.5kmなのですが、途中で阪急から阪神に乗り換えねばならないため、運賃が割高になるのです。現在の運賃ですと片道子供160円。阪急だけで同じ距離を載るなら90円ですから、ほぼ倍かかります。しかも毎日のように行くのですから、当時の小学生の小遣いでは、この差額はかなりの「大金」でした。そのため、境界の今津駅で切符を買い直すたびに「この二つの鉄道が同じだったら」と思ったものでした。
そのうち、節約のためわざわざ3kmくらい歩いて阪神の駅まで行ったり、ついには「甲子園まで歩く」という荒技まで敢行しました。我ながら、暑い夏の盛りによくやったものだと思います。私にとってそれほど大きい「阪急と阪神の違い」でした。
というわけで、私にとって、「阪急と阪神の統合効果」というのは個人的にはかなり大きいものがあります。もっとも、同じグループになっても名前は変わらないわけですから、この統合を機に苦楽園口から甲子園までの運賃が子供90円に値下げする可能性は低そうですが・・・。
2006年05月30日
蜘蛛の糸?
朝、駅に行ったら、いきなり飯田橋の人身事故で総武線が遅れて東西線との直通運転も休止というアナウンスが。昨日の行き帰りに続き、3回連続の事故遅延です。
ただ、幕張本郷駅で見た限りは混雑もたいした事がなく、総武線も普通に動いていました。それを見て「どうせ西船橋で乗り換える事だし、そのまま乗るか」と考えたのですが、これが大失敗。徐行運転でやっと西船橋に着いたのはいいのですが、乗り換えのための階段は、前方・後方とも大混雑。階段を上がろうとしている人たちの行列がピクリとも動きません。
そこで、すぐ近くにあったエレベーターを使うことにしました。こちらは階段と違って、人が動いているので、数回待てば必ず上に行けます。
というわけで、しばらく前方の様子を見ていました。皆、早く上に行こうとしているために、少しでも早く乗ろうとします。しかし、当然ながら積載量を越えるため、動きません。ところが、最後に乗った数人はすぐには降りないのです。言うまでもなく、その人が降りればエレベーターは動き、しばらくして戻ってきた時は、その人は確実に乗れます。したがって、早く降りればその分早く上がれますし、中で頑張れば頑張るほど上がれる時間は遅くなります。にも関わらず、満員ブザーが鳴っているにも関わらず、その数人はしばらく動きません。
数回待って、やっと中に入れた(というよりは後ろからの圧力で押し込まれた)のですが、やはり満員ブザーが。当然私はすぐ降りましたが、私より後から入った二人ほどはやはりなかなか降りません。1分くらい粘って(?)諦めて降りました。
さて、次は確実に乗れます。と言っても降りてくる人がいるので、まずその人たちの道を空けねばなりません。後ろからの圧力に耐えつつ、必死にその道を維持したのですが、最後のほうから降りて来た輩が、私の腕をつかんで「お前が早く行きすぎるから降りられないんだ」などというわけの分からないいいがかりをつけてきました。もちろん、こんな低能を相手にして、時間を無駄にするわけにもいかないし、だいたい、周囲の人に迷惑がかかります。そこで、「後ろから押されているだけです。だいたい、こんなところで迷惑でしょう」と落ち着いて返答したら、あっさり手を離しました。
そして何とか上がって乗り換えましたが、東西線も事故の影響が波及して徐行運転。普段なら乗ってから江戸川を渡るまで30分かからないのに、今日は倍の1時間かかりました。
西船橋駅で混雑にもまれながら、ふと思い出したのが芥川龍之介の「蜘蛛の糸」でした。満員ブザーが鳴っても降りない輩と混雑にキレた輩を二人合わせるとちょうど蜘蛛の糸に登っている「カンダタ」になる感じです。いずれもちょっと考えれば、自分がいかに無意味かつ愚かな事をやっているか、分かるとしたものです。それが、「未来永劫の地獄の苦しみが続く事に対する恐怖」ならともかく、「ホームで身動きが取れない」くらいの焦りと不快感で、簡単に異常化するわけです。これが電車遅延でなくて大災害だったらどうなってしまうのかと思い、非常に不安になりました。
2006年05月29日
行きも帰りも
出勤時、下車駅の一つ手前で急に半蔵門線の電車が止まりました。実は田園都市線で飛び込み自殺があったためなのですが、「人身事故で運転を見合わせています」と言うのみで、運転再開見込みなどは一切言いません。まあ、うかつに言うと、予定が変わった時に切れた客が何するか分からない、というのがあるのでしょうが・・・。
私は一駅なので出て歩いたのですが、車内にとどまった人は30分以上待たされたようです。こういう時に思うのですが、過去のデータをもとに「運転再開までの見込み時間」くらいは出せないのでしょうか。実は、こういう時に一番困るのは、「別の手段で行こうとして電車を降りた直後に電車が動き出す」という事です。もちろん、これを完全に防ぐのは無理ですが、せめて「過去の平均・最長・最短」を出せば、判断基準くらいにはなると思うのですが・・・。
あと、止まったにも関わらず、改札以外にはその告知はありませんでした。特に改札までの距離の長い入口にはなんらかの告知をしてもいいと思うのですが・・・。
さらに今日は、帰りも電車に乗る直前に東西線で車両故障が発生。私が乗る頃には運転再開をしていたのですが、かなりの徐行運転。終点の二つ手前の駅で3分止まり、さらに終点の駅に入りかけたところでホーム混雑防止のために2分ほど停車したほどでした。
別に大混雑の車両で立つような羽目にはなりませんでしたが、朝も夕も事故に直撃されると、普段より疲れます。
2006年05月11日
急がば廻れ
朝、東西線の中で寝ていたら急停車で目が覚めました。そして日本橋に着いたところで、「南砂町で人身事故があったので運転を見合わせます」との放送が。そこで仕方なく銀座線に、さらに溜池山王で南北線に乗り換えて永田町に着きました。
本来の経路である九段下での半蔵門線乗り換えに比べると、駅数が一つ多く、さらに乗り換えも一回多くなります。というわけで、かなり遅くなるかと思ったのですが、到着時刻はいつもと同じでした。
東西線の徐行と半蔵門線の遅れがほぼ毎日なのは知っていましたが、まさかここまで遅いとは思いませんでした。これだけ遅れが慢性化している両線ですが、特に沿線人口が増加中の東西線は完全に容量オーバーなのでしょう。何とかしてほしいものです。
2006年04月26日
26年来の悲願
地下鉄通勤を初めて1ヶ月弱。いい機会なので、小学生の時に習得しようとして断念していた「地下鉄路線図を見ないで書けるようになる」に再挑戦したくなりました。そこで自分の知識を再確認したところ、千代田区北部から台東区にかけての知識がかなりあやふやだという事が分かりました。まあ、昔からこの地区の地下鉄にあまり乗る機会がなかったのは確かなのですが。それにしても、日比谷線の八丁堀と茅場町が隣接しているのにこれまで気づかなかったのには、我ながら驚きました。逆に言えばこの地域を完璧にしておけば、全線習得できる日も近いわけです。
まったくもって何の役にも立たない知識ですし、他人にひけらかしてもむしろ呆れられるのがオチです。しかし、せっかく思い立ったのですから、何とかこの機会に、26年ほど前に立てた目標を成就したいものです。
2006年04月20日
設計は同じでも設定温度は大差
JRのE231系という車両は昔の言葉でいうところの湘南電車から国電さらには地下鉄乗り入れ車両まで、幅広く使われています。さらに、東急5000系・相模鉄道10000系・都営新宿線10-300形といった他の鉄道まで、同じ設計の車両を導入しています。
特に幕張本郷駅に発着する総武線各駅停車は100%この車型なので、乗る機会は非常に多いです。現在の通勤経路は総武線→東西線→半蔵門線なのですが、半蔵門線に東急が乗り入れている事もあり、三路線とも全て同じ設計の車両、ということも少なくありません。
昨日もそうだったのですが、その日に乗った東西線のE231系と半蔵門線の東急5000系は、車内の景観はほぼ同じであるのに、車内温度は全然違いました。ともに弱冷房車を選んで乗ったのですが、東西線のほうは「これが弱冷房なら他の車両は冷蔵庫か?」と思うほどにガンガンに冷風が出ていました。これが東京メトロの仕様なのかな、とも思いましたが、続いて乗った東急5000系の弱冷房車の温度は極めて普通。ということは、車両に設定されている「何度なら冷房をかける」の基準が違うのでしょうか。全く同じ車型でも総武線の車両はまだ少しはマシだったのですが・・・。
いずれにせよ、この寒風に50分近くさらされた効果(?)は絶大で、一発で風邪気味になってしまいました。 この調子だと、夏には東西線でE231系には乗らないような通勤計画を立てる必要が生じるかもしれません。
2006年04月10日
100%そちらの責任なのに
朝、駅に行ったら、改札の前に行列ができていました。放送を聞いてみたら自動改札機の故障との事。仕方がないので有人改札を通りました。
今日は出先で仕事のため、出る駅もJRだったのですが、自動改札を出ようとしたら「入場記録がないので通れません」との表示が。これまた仕方ないので有人改札に行こうとしたら、門が閉まっている上に、入場側も何人か並んでいます。中央線が遅れたために遅延証明書を求める人たちのようです。待っているときりがないですし、自分は時間に余裕があるために遅延証明はいらないので、待っている人の脇から定期を見せたら、やっと門を開けてくれ、出ることができました。
言うまでもなく、乗車においても降車においても、私は何ら問題を起こしていません。自動改札が壊れたのも、中央線が遅れたのも全て先方の責任です。にも関わらず、何でこちらが並ばされ、迂回させられ、門に遮られて待たされるのかと、非常に疑問が残りました。しかも、これは毎度の事で、全然変わっていません。
数年前から、この手の遅延があると、翌日に、車内放送で「昨日はすみませんでした」と車掌さんが言うようになっています。しかし、遅延などの原因は車掌さんの不手際ではありません。そんな当事者でない社員に謝らせるように命令する暇があるなら、もう少し自ら構築した仕組みや電車遅延が原因が発生した当日に、客がこうむる迷惑を最小限にする方法を考えてほしいものです。
2006年04月07日
女性専用車両
朝、半蔵門線に乗っていたら、駅間でいきなり停車しました。そして車掌氏が「この列車の一番後よりの車輌は渋谷まで女性専用車両です」といきなり放送しました。一瞬「まさか、女性専用車両に紛れ込んだ男を追い出すために臨時停車?」と思ったのですが、しばらくすると「折り返し電車を待つために停車します」との車内放送第2弾がありました。さすがに「女性専用」の維持管理のために臨時停車、という事ではなかったようです。
ちなみに、私の降りるその永田町駅では、出入り口が両端にあるため、発車間際に「女性専用車両」に何人かの男性が駆け込んでいました。これもまた、発車後に「警告放送」があったのでしょうか。それにしても、半蔵門線を使い出して4日目でしたが、そのような設定がある事は、本日初めて知りました。
私はやった事はありませんが、仮に気づかずに女性専用車両に乗ってしまい、放送で注意されるというのは、非常に気まずいものがあると思われます。そのような善意の男性を救うためにも、駅の放送や表示などで、女性専用車両の存在をより徹底して呼びかけてもらいたいものだと思いました。いっその事、窓にシールを貼るだけでなく、車体に大きく「この車両は朝9時半まで女性専用です」と書くとか、簡易ホームドアを作って表示をするくらいしたほうがいいのではないでしょうか。
2006年04月05日
プロキシーファイト
前の職場の定期が20日ほど余っていたので、払い戻そうとしました。会社帰りだと時節柄窓口が混むので、嫁さんに駅まで行ってもらいました。本人および代理人確認を求められるだろうと思い、二人の名前の入った公的機関の発行した書類に嫁さんの顔写真入りの公的証明書を持っていってもらいました。ところが、それでも不可で、私の委任状がいる、とのこと。年齢とカタカナの名前を登録しただけの定期の払い戻しに、なぜそんな大げさな書類がいるのか、非常に謎です。
委任状を作る事など生まれて初めて。仕方ないので、Googleで検索し、一番上に出てきたPDFファイルをコピーしてWordに貼り付け、文面をいじって作成。一応、署名捺印して嫁さんに渡しました。
そして再度行ってもらったところ、「その残り日数では払い戻しができない」との事。というわけで、人生で初めて作成した委任状は、全く持ってなんの意味もない紙の無駄になってしまいました。それにしても、委任状云々言う前に、有効期間を見て払い戻せるかどうかを最初に言ってほしいものです。二人してえらい無駄骨を折らされてしまいました。
2006年03月29日
難解すぎる地図
家の近くで、就職面接を受けるために地図を持っている人に道を尋ねられました。持っている地図を見たところ、どうやってもすぐそこなのですが、その場所がどこだか分かりません。まず、道の構造が異なっています。その地図には、「陸橋の階段を下りて左に進めばある」とあるのですが、その人はその通りに動いているにもかかわらず、そこには目的となる建物はありません。
不思議に思ってよく見たところ、どうやらこれは、家の近くにある電車区内の建物なのでは、という事に気づきました。確かに、そこに行くならば「陸橋の階段を下りて左」という表示は納得いきます。ただ、その階段の入口には電車区専用で、「関係者以外立ち入り禁止」と書いてあります。初めて来た人がそれを見て、そこを使わずに10数メートル向こうにある公道の階段を使うのも無理はありません。なぜ、地図に「陸橋の途中にある関係者専用立て札のある階段を下りる」と書いていないのか理解に苦しみます。
ちなみに、この地図、わかりにくい上に、非常に古く、「1994年」などと書いてあります。そのため、今は違う名前になっている店が書かれていたりもします。それを何度もコピーしたため、文字などはほとんど見えなくなっています。いくら何でも、10年に1度くらいは地図を書き直してもバチは当たらないでしょう。
これが自分の生活と全然関係ない会社なら、別にどうこう言う気はありません。しかし、電車区内にある事から分かるように、電車の整備と関係している会社なのです。ただでさえ、先日、このあたりの総武線の線路の傷みが激しいなどという報道がありました。それに加え、こんな管理感覚の会社が電車を整備していて大丈夫なのか、と不安にまでなりました。
2006年03月20日
不便にするだけの工事
しばらく前ですが、幕張本郷駅で「みどりの窓口」を移設する、という工事が行われました。これまでは、改札があって、その隣の壁に時刻表が貼ってあり、その隣に自動券売機が、そしてその隣に窓口がありました。
それを、時刻表の貼ってある場所と窓口を入れ替えたのです。その結果、改札の所の駅員詰所と窓口が一体化しました。
しかし、この工事は利用者にとっては単なる改悪です。日中は10分に1本程度の本数になる幕張本郷駅では、この改札脇の時刻表は重要でした。客はそれと時計を見比べて、すぐに改札を通るか、構内のコンビニなどに寄るかを決めていました。ところが、時刻表の場所が改札からかなり離れたため、この照合が非常にやりにくくなったのです。客からの抗議があったのか、工事の後1ヶ月ほどで、改札脇に紙に印刷した時刻表が貼られていました。
一方、改札と窓口を一体化した件ですが、これも、利用者にはなんら役に立っていません。先日、使い終えたSUICAを清算しようと窓口にいったら接客中でした。そこですぐ脇の改札で時刻表を読んでいた駅員氏にお願いしたところ、「窓口に行ってくれ」とのこと。別につながったのは内部だけの話で、客相手には以前と変わらずに厳然と分離されているようです。
JR的には、何らかの経費削減効果があるのかもしれません。しかし、客にとって「時刻表が見づらくなった」以外には何の意味もない工事でした。
2006年02月26日
飛行機の厄日?
札幌から全日空で戻りました。帰りの千歳初羽田行きは、日曜の夜ということもあり、どの便も全て満席で、臨時便が出るほどでした。
私は離陸したらすぐに寝たのですが、目覚めて時計を見たら、到着予定時刻を過ぎているのにまだ飛んでいます。どうやらかなり遅れている模様。羽田で松山から戻る嫁さんと合流する予定なので、ちょっとまずいか、などと思いました。ところが、いざ到着すると、全国各地からの便がまんべんなく遅れており、松山発の便も大幅に遅れていました。
特に凄いのは、福岡発で18時到着予定の便で、機体整備中とかで、到着予定時刻が22時20分と表示されていました。「こりゃ大変だな」と思っていたら、今度は放送が流れ、「札幌発の臨時便は機体の都合で運休」とのこと。先述したように、他の便は全て満員です。乗る予定だった人たちはどうするのでしょうか。一歩間違えたら自分が被害にあっていた可能性もあったわけで、ちょっとゾッとしました。
さらに、ネットでニュースを見たら、名古屋から松山に行く便が、機体に問題があって途中で引き返したとか。気象の問題もあるのでしょうが、こうも各地で機体に問題があるとは、ちょっと異常です。
ここのところ、日航で問題が頻発していて、対照的に全日空は安全と言われていました。そのため、両社の損益にも差が出ているわけですが、今日の情報を見ると、大丈夫なのかな、と不安になってきます。
2006年01月17日
新ホームライナー
12月のダイヤ改正で新型車になったホームライナーに初めて乗りました。長年、「ホームライナー=183系」という事もあり、最初、ホームに新型車が来た時は、知っていたにも関わらず、かなりの違和感がありました。
ホームライナーは入口を制限するために、かなりの行列ができます。そこで、車体を見て待っていたのですが、車体に緑色の印がついているのに気づきました。かつて千葉方面のホームライナーの一部にはグリーン車が連結されていたのですが、ある時期を境に全廃されました。それが、新車導入の際に復活していたようです。
千葉方面のホームライナーはグリーン車も普通車も同じ料金です。比較的早めに並んでいたので、無事座る事ができました。そして、予想外の豪華な座席で帰路につくことができました。もっとも、座り心地が良すぎたのか、ほとんど寝ているうちに津田沼に着いてしまったのですが・・・。
183系がなくなる時は、かなりの寂しさを感じたものですが、いざ新車のグリーン車に乗れると大喜びするのだから、我ながら現金なものです。
2006年01月08日
携帯用バス時刻表
幕張のイトーヨーカドーまで散歩に行きました。帰りは店の向かいから出ている幕張本郷発着の循環バスで帰る事にしました。しかしながら、そのバスは本数が少なく、1時間に2本程度しかありません。寒空の下で待つのは嫌ですので、時刻表を携帯で調べようと思いました。
このバス路線を運営している京成バスは、2年ちょっと前に京成電鉄から分社化されました。その際に、当然ながらサイトを刷新したのですが、旧京成電鉄バス部門から時刻表データなどを引き継ぎませんでした。そのため、かつてほぼ全路線にあった「始発駅からの時刻表」は一旦消滅しました。ただ、我が家の周辺を担当している船橋営業所は利用者数が多い事もあり、昨年あたりに他より早く時刻表が復活していました。しかし、時刻が分かるのは、その船橋を含めた三営業所のみです。
そのような状況なので、「携帯での公式はできていないだろうし、あってもしょぼいものだろう。ただ、運がよければ個人作成の時刻表サイトでも引っかかるかもしれない」と思い、公式サイトにはあまり期待せずに、携帯Googleで検索をかけました。ところが、この予想はいい方向で裏目に出ました。一番目に京成バスの携帯サイトが引っかかり、しかも、幕張本郷駅からの時刻表も載っているのです。
幕張本郷駅からヨーカドー最寄の「幕張町四丁目」までの所要時間はだいたいわかっているので、そのデータを元に発車時刻を予測し、それにあわせて店を出ました。読みは的中し、バス停について数分後にはバスが姿を見せました。時刻表好きな人にしかわからないと思いますが、このような成功をおさめた瞬間は、本当に嬉しいものです。
分社化でサイトが変わった時は、「何でこんなに使えなくなって・・・」などと思ったのですが、着実にサイトは便利になっていたようです。この調子で何年後かには、全路線の発着時刻がPCと携帯で見ることができるようになるのでしょう。
最初は派手に作ったのはいいが、そこから更新が滞り、跡地みたいになっているサイトは多々あります。その一方、このように、目立たないながらも着実に進歩しているサイトには好感が持てます。忙しい中、コツコツと時刻表情報を入力していた担当者には頭が下がります。とはいえ、出来る事なら、一気に予算並びに人材を投入して、全路線の時刻表を短期間で掲載してほしいものです。まあ、それが簡単でない事は、自分の業務体験からもよく分かってはいるのですが・・・。
2005年12月09日
183系
国鉄の183系という特急車両は、もともと、東京と千葉県を結ぶ急行を特急に「値上げ」するために導入された車両でした。一時期は、かなりの区間で走っていましたが、老朽化もあって、段々と新型車両に置き換えられていきました。また、数少ない「生き残り」も車体改造などとともに、色が塗り替えられ、登場した当時の「国鉄特急色」で走りつづけるのはかなり稀になっていました。その中で、「生誕の地」である、千葉県を走るものについては、その登場時と同じ塗色で走っていました。
千葉に住むようになってからは、帰宅が遅くなった時の「ホームライナー」としてこの183系を愛用するようになりました。全国的には珍しくなった「旧国鉄特急色」ですが、ここに住んでいる限りは、「一番見慣れた特急電車」でした。
しかし、寄る年波には勝てず、ついにこの12月9日を最後に新型車両に置き換えられる事になりました。その定期列車としての運用が最後になる本日、仕事が遅くなった事もあり、「ホームライナー」に乗りました。普段は、座席が改造された車両を選ぶのですが、今日は、登場時の座席がそのまま使われている車両をあえて選びました。
もちろん、車内にいる通勤客にとって、「これが最後の183系」などという認識はなく、普段と何ら変わりがありません。そして、21時8分に新宿駅を発車した183系は、これまた普段と何ら変わりなく千葉を目指して走り出しました。
発車してから約40分後、津田沼駅で下車しました。記念に列車の腹にある型番を携帯で撮ろうとしたところ、その型番の部分はガタガタになっていました。それを見た時、この車両が30年以上活躍していた事を、改めて認識しました。
そして、乗り換えのために各駅停車のホームへ移動しました。そちらのホームに着いたら、ちょうど183系が発車しようとするところでした。これまで何度も見た風景です。しかしながら、明日からはもう二度と見ることができない風景です。そう思うと、なんか不思議な気分でした。
2005年11月28日
乗り越し
酔っ払って電車に乗りました。行き先は最寄駅の一歩手前止まりです。普段なら、一本待つところです、酒の勢い(?)でその電車に乗りました。
乗っているうちに酔いつぶれてそのまま終点に。乗務員さんに起こされました。その時、「これがもし直通だったら、最寄駅を乗り越して、10数分離れた終点まで乗り越して、起こされただろうな」という事でした。そう考えると、目的地まで行かない電車に乗ったがために、乗り過ごしをせずにすんだわけです。
普段、目的地の一歩手前止まりの電車を見るたびに、「あと一駅先に行ってくれれば・・・」と恨みがましく思ったものでした。それがまさか、こういう形で役に立つとは思いませんでした。もちろん、だからと言って、今の不便なダイヤを容認する気が生じたわけではありませんが・・・。
2005年11月23日
関西旅行中
昨年に続き、11月下旬の休日を利用して関西に一泊旅行をしている最中です。
今日はほとんど自分だけの時間は取れませんでしたが、ほんのちょっとの空き時間を利用して近鉄の上本町駅に行ってきました。JRを除けば日本最大の私鉄のターミナル駅であり、グループのホテル・百貨店も隣接した複合ビルとなっている施設です。しかし、昨年6月から行った企業イメージを地に落とすような行為の連発のせいもあり、全体的に非常にくたびれて見えました。
ちょっと目に付かないところの管理の粗雑さなどがいくつかあったのですが、一番驚いたのはそのターミナル駅から空港までのリムジンバスのダイヤを調べた時でした。
関空行きは直営バス会社と空港バス会社の共通運用のため、案内も丁寧です。しかし、伊丹行きは空港バス会社の単独運行のためなのか、非常に粗雑な案内でした。「伊丹行きは乗り場も発券もこちら」というぞんざいな案内が至るところにあり、しかもそれがいかにも「自分の会社は関係ないんだよ」という雰囲気が漂っているのです。
その表示のひとつに、階段の脇にあって「切符売り場は→」というのがありました。それを見ててっきり、この上にあると思って階段を上ってみたら、そこには不要になった事務机が置いてあり、その向こうにある扉をそれが塞いでいました。それを見たときは、「誤解を招くような表示をするな」といよりも、「そんな会社の状況を具体的に現すようなものは、階段の登り口から隠しておけよ」という憐憫みたいな感情が浮かんでしまいました。
例の球団廃棄問題による先入観を割り引いても、あまりにも物悲しい「玄関となる複合ターミナルの凋落ぶり」でした。
2005年11月22日
絶妙のダイヤ?
つきあいで遅くなり、23時過ぎに帰途につきました。私の使う中央・総武線各駅停車は、日中は直通運転をしますが、深夜になると、中央線は東京行きとなり、御茶ノ水で乗り換える事になります。御茶ノ水駅では、大半が総武線に乗り換え、東京行きはかなり空いており、総武線は発車時点では満員に近くなります。にも関わらず、このダイヤ構成は何十年も変わっていません。
しかも今日は特に運が悪く、千駄ケ谷駅で5分以上待ち、しかも御茶ノ水駅で待っていたのは我が家には行かない津田沼行き。これがしばらく待った後発車し、快速乗り換え駅の錦糸町では、私の乗った電車が到着した直後に快速が発車していきました。この快速に乗れば、もう一本前の千葉行きに津田沼で乗り換えられます。それが、ホーム構造の悪さと接続を全然考えないダイヤのおかげで、千駄ケ谷23時10分発に乗っても、24分発に乗っても、到着時刻は同じになってしまいます。
特に、錦糸町駅の絶妙の(?)発車タイミングを見た時は、「幕張本郷以遠に行く客に最大の不便さを感じさせるように工夫してダイヤを作っているのだろうか?」とまで思ってしまいました。
競合路線が実質的にないに等しいためにこんな利便性と縁遠いダイヤを組んでいるのでしょうか。まあ、競合路線を意識しすぎて過密ダイヤを組み、大量の死者が出るような事故を起こされるよりはこちらのほうがずっといいのは確かですが・・・。
2005年11月07日
中枢中の中枢で
日本を代表する通勤路線である山手線が、これまた日本を代表する駅である東京駅近辺で、「架線を張るための重りをつり下げる鉄製の棒の切断」のために、5時間ほど運転を見合わせました。しかも、発見したのは業務による点検でなく、通勤していた関係者がたまたま気づいたとのこと。ちなみに、この点検は年に1回で前回は今年の1月以来、チェックはなかった、との事です。
私は鉄道工学の知識はないので、このような不具合がどのくらいの確率で起き得るとか、どのくらいの頻度で定期点検をすべきか、などという事は分かりません。しかしながら、突発的な事故でもないのに、山手線が5時間も止まったわけです。保守点検に不備があったと言わざるをえないでしょう。
半年ほど前に、大阪のほうで大惨事が起きました。しかし、その際、最大の問題点として報じられたのは、死亡した運転士のミスの頻度と、その日にJR社員が行った宴会でした。そして、同様の事件は国鉄時代には起きなかったにも関わらず、「民営化によって生じたJRの安全軽視の体質」にはほとんど触れられなかったのです。20年前ならばこのような事故が頻発すれば「国鉄の親方日の丸によるたるみ体質によるものだ」とマスコミに袋叩きにされていたでしょう。
報道する企業にも「会社」としての事情があるゆえの事なのでしょう。そしてそれによってJRも大して意識せずに相変わらず保守点検における「経費削減」を続けるのでしょう。こう考えると、首都圏のJRでも、半年前の大阪みたいな惨事が起きてもおかしくないのでは、と思えてきます。
2005年10月23日
無意識の警告?
定期券が昨日で切れました。自動改札機を通す時にも「有効期限表示」が出るので、前から気づいてはいました。普段ですと、一週間くらい前に継続手続きをします。ところが、今回に限り、なぜか先送りにし、気がついたら有効期限である昨日を過ぎていました。
今日の午後、それを急に思い出し、慌てて駅に行きました。そこで前の定期券を見ながら、経路と使用開始日を申込書に書こうとしました。その時、急に、「開始日を今日にする事はない」という事に気づきました。冷静に考えれば、当然すぎる事です。ところが、なぜか表層意識では、申込書に記入するまで気づかなかったのです。私の定期の1日あたりの値段は467円ですので、わずかですが、節約となりました。
一応、YAHOO!で「通勤定期券」で検索すると三番目に表示されるページを作った身としては、数百円とはいえ、定期券で損するのは情けない話です。そういう事もあり、もしかしたら、「土曜に切れる定期を継続で買うのは損だぞ」と深層意識が警告を発してくれたのかも、などとも思いました。
2005年10月08日
統制が取れている?
マリンスタジアムからバスで帰りました。発車直後、運転手氏が「揺れますので、お立ちの方は、つり革か手すりにおつかまり下さい」とアナウンスしました。すると、立っている人たちが一斉に「はい」と返事をしました。試合中に声をあわせて応援した余韻が残っていたのでしょうか。統制の取れた(?)返答でした。
それにしても、この「お立ちの方は・・・」のアナウンスは何千回と聞きましたが、それに返事があったのは初めてのことでした。
2005年09月26日
バスの定期
京成バスの車内に貼られている広告に「あなたのお持ちの定期券は切れていませんか?」というのがあります。「熊ったな、ボクの定期、切れている」などという標語の下に、「熊 太郎」なる白い腹掛けをしたクマが期限が切れている定期を見て呆然としている、というなかなか記憶に残る広告です。ちなみに、現住所に越してきた7年前から貼られつづけており、定期の券面だけ、たまに貼り替えられています。しかし、それでも券面にある有効期間には「13-1-1」などと書かれており、このクマは、4年以上、無賃乗車を続けてきた計算になります。これだと、極めて悪質な不正乗車犯か、よほど頭のネジが緩いのかのいずれかだと思うのですが・・・。
ところで、私はバスの定期はここ15年ほど使っていないのですが、あれって今でも紙製なのでしょうか。「バス共通カード」の読み取り機が使える路線の場合、鉄道同様に磁気式の定期にすれば、上記のような問題は発生しないと思うのですが・・・。
まあ、2006年からは、「SUICA」と「パスネット」と「バス共通カード」の統合が行われるそうなので、その時にあわせて定期券も近代化するのかもしれませんが。
2005年08月28日
意外な最寄駅
田町から京葉線に乗り換える必要が生じました。第一感はJRで東京駅まで出て、延々と歩いて京葉線ホームに乗り換える経路です。実際、「駅すぱあと」などで検索してもそれが最短と出ます。しかし、以前「三田線の日比谷駅と京葉線の東京駅は意外に近い」という話を聞いた事があったので、その経路を使う事にしました。
そして三田線の一番前の車両に乗って日比谷駅で降り、改札を出ると「374m」という表示が。案内看板の通りに歩き、一旦地上に出てしばらく歩くと、ビルに小さく「京葉線東京駅」の表示が。そして階段を下りるとすぐに改札がありました。三田線のホームに着いた時に時計を見ていたのですが、ホームからホームまでの所要時間は6分でした。
JR東京駅の他のホームから京葉線のホームまでの所要時間を計った事はありませんが、少なくとも5分以内に着くとは思えません。そう考えると、JR京葉線東京駅にとっての「最寄駅」は他の東京駅よりも三田線日比谷駅なのでは、と思えてきました。
しかしながら、三田線日比谷駅には京葉線東京駅の案内が書いてあるものの、京葉線東京駅には逆の案内はありませんでした。ちょっと不親切なように思えました。
なお、千代田線二重橋前駅からも、ほぼ同じくらいの距離で京葉線東京駅に行けそうな感じです。京葉線から千代田線に乗り換える機会はまずないのですが、できれば一度試してみたいものです。
2005年08月08日
意外な交通の難所
西船橋で京葉線に乗り換える用事がありました。駅が近づいて席を立とうとすると、ドアの前で初老の男性が小学生くらいの女の子数人に案内をしています。しかし、「南行徳はこの地図の・・・あれ、これには東西線は載っていないのか」という感じで、かなり頼りなさげです。
降りた後、乗り換え通路に行ったのですが、案の定、先ほどの女の子たちが何がなんだか分からず、立ちすくんでいました。見ず知らずの女の子にいきなり声をかける、というのは変質者みたいで嫌だったのですが、放っておくわけにもいきませんし、自分の乗り換えにはまだ時間があったので、東西線の各駅停車が来るホームまで、直接連れて行きました。
案内し終わってから、7方向に路線が延びていて、しかも鉄道会社が3つあるにもかかわらず、改札は一つだけ、という西船橋駅の構造はかなり珍しいのでは、と気づきました。
そのような駅で、土地感のない子供に口頭で南行徳への行き方を教えるのはかなり大変です。おそらくは「中野行きか三鷹行きに乗って」などと言ったのでしょうが、西船橋駅発の「中野行きか三鷹行き」は、総武線・東西線各駅・東西線快速の3種類があり、うち南行徳に行くのは東西線各駅のみです。
したがって、よほど詳しく案内しなければ、迷うのも当然でしょう。慣れている身としては普通に使っていた駅が、実は「交通の難所」である、という事を今更ながら知りました。
2005年08月06日
「魂」の表現の難しさ
TVを適当につけていたら、旅行番組の再放送が始まりました。若い女性アイドルが旅をする、という設定で、さいしょは「スーパーあずさ」に乗って安曇野のほうに行きます。その辺りでは、「この後、こじゃれたペンションにでも行くのかな」などと思っていたのですが、そのアイドルは終点からローカル線の気動車に乗り換えました。さらにそこから只見線を経由して東北に抜け、南部縦貫鉄道の廃線跡を尋ねるという、常人なら想像すらしないようなマニアックな経路で北日本を縦断し、最後は仙台からわざわざ常磐線で東京に戻っていました。
その間、路線に対する紹介を彼女のモノローグという感じで語られるのですが、その内容が鉄道ファン的すぎて、彼女の表情が合っていません。しゃべり方自体は下手ではないのですが、自分の言っている内容を理解できていない事がわかってしまいます。脚本を書いた鉄道ファンの人の魂を彼女が語りきれない、といったところでしょうか。
もっとも、逆に言葉の端々から鉄道ファン魂が伝わってくる女性アイドル、というのもそれはそれでちょっと怖いものがありますが・・・。
2005年08月03日
地下の迷宮
都営地下鉄の春日駅の近くに用事がありました。行きは普通に水道橋から三田線を使ったのですが、帰りは予定外に時間が空いた事もあり、都営大江戸線を使って飯田橋に出てJRに乗り換える事にしました。
大江戸線の駅を出ると、やけに立派な装飾をなされていた地下道がありました。それをしばらく時間をかけて抜け、さらにエスカレーターに乗ったりしてかなり歩き、たどりついたのは、有楽町線・南北線の改札でした。この改札はかつて東西線沿線に住んでいた時に、よく使っていました。そして、ここから東西線ならびにその近くにあるJRの東口改札まで行くのにえらく歩く、という事はいまでもよく覚えています。(※JRから有楽町線に乗り換えるだけでしたら、JRの西口改札から出れば、有楽町線のもう一つの改札を使って比較的簡単に乗り換える事ができます)。
その時、ふと、「飯田橋行きのバスはJRの駅前に折り返し設備がないので、数百メートル離れた『飯田橋終点』というバス停で折り返していた。そこまで乗った時、飯田橋駅からかなり離れていた。そしてそのバス停は大江戸線開通時に『都営飯田橋駅前』と改称された」という事を思い出しました。
記憶にあるのなら、春日駅で思い出せばよかったのですが、後のまつりです。そこからさらに延々と歩いてJRの改札についた時は、冷房のきいている地下道を歩いたはずなのに、かなりの汗をかいていました。
不幸中の幸いは、時間に余裕があった事です。これが急いでいる時だったら、心身ともにかなりの打撃を受けていたでしょう。いい教訓を得る事ができました。ちなみに大江戸線で乗り換えて教訓を得たのは、麻布十番で南北線に乗り換えた時に続いて二度目です。この路線、次はどのような教訓をもたらしてくれるのでしょうか。楽しみ(?)です。
2005年07月23日
地震の影響で交通マヒ
16時半ころに震度5の地震がありました。職場にいたのですが、かなりの揺れ。エレベーターが止まるほどでした。
とはいえ、特に具体的な被害もなく、震源により近い自宅に電話しても被害はない、とのこと。ネットで見たら電車がほとんど全部止まっていましたが、まあ、JRはともかく、京成はすぐ動くから大丈夫だろう、とタカをくくっていました。
そして19時ちょっと前に仕事を終え、千駄ケ谷駅に。JRはまだ止まっていましたが、これは「想定内」。振替乗車票を貰って大江戸線に乗りました。そして大門駅で降りて浅草線に。この時はまだ気楽なもので、「特急が来て座れれば楽に帰れるな」などと思っていました。ところが、ホームに行くと、ギュウギュウ詰めの電車が止まっており、動き出す気配がありません。駅員さんに尋ねたらじき発車するし、京成線も動いているとは言っていますが、これではかなりの遅れとギュウギュウ詰めは必至。このあたりで、ようやく事の重大さに気づきました。
動きそうにない浅草線はあきらめ、再度大江戸線に。運行基準の違いなのか、東京メトロは全部止まっているのに、都営線だけは遅れてはいるものの、ほぼ全線動いています。そこで森下で都営新宿線に乗り換えました。大江戸線は空いていましたが、こちらはかなりの混雑。まあ、千葉方面に行くには、これと浅草線→京成線しか動いていないのですから、仕方ないでしょう。
そして本八幡から京成八幡に。地下鉄の改札を出たところに「JR総武線は不通。京成線も東中山まで」と書かれていたので、一瞬心配しましたが、遅れてはいたものの、京成線は全線動いていました。しかし、改札へ行く階段のところに行列が出来ていたので、「ホームに入りきれないのか?」と一瞬思いました。しかし、これは切符や振替乗車票を求める列で、すでに振替乗車票を持っていたた私は簡単に入れました。ただ、ホームは満員に近く、しばらくしてやって来た電車もギュウギュウでした。
近くに女子高生のグループが座っていて、向かいにオジサンのグループがいます。アカの他人同士のようですが、「これからオーストラリアにホームステイに行くんです」「ふーん、ならばカンガルーの肉を食べれるね」「え、そんなのあるんですか?」などと会話をしています。このような事は地震がなければ存在しなかったでしょう。オジサンたちには幸運と言えるかもしれません。
そうこうしているうちに京成津田沼に到着。ここから京成千葉線に乗り換えれば一駅です。ここまで、比較的順調に行く事ができたので、「あと一歩」と思っていました。しかし、ここからが大変。構内の放送で「千葉方面の列車は来ます」とは言ってはいますが、具体的な到着予定時刻の案内はありません。ホームは人であふれかけ、待っている子供が泣き出す始末。結局、30分近く待たされました。「あと一駅」と、一度気が緩んだ事もあり、非常に長く感じられた待ち時間でした。
結局、所要時間は2時間半ほど。普段なら1時間弱ですから、1.5倍ほどかかった計算になります。ちなみに、京成幕張本郷駅に着いた後、隣接するJR総武線の幕張本郷駅をのぞいたのですが、まだ電車は止まっているとの事。改札前には座り込む人はもちろん、寝っころがって待っている人までいました。
これまで、JRだけが止まった事は何度もありました。しかし、京成を使う事により、たいした実害は蒙りませんでした。ところが、京成のダイヤが乱れると、やはり影響は甚大でした。「あと一駅」となって待たされた京成津田沼の混雑振りは、当分忘れられそうにありません。
2005年07月08日
信号機故障が日常化
JR東日本が遅れるのは日常茶飯事ですが、最近、その理由に「信号機故障」が目立っています。数日前は朝の中央線がかなり長い時間止まり、翌日出勤の際に、車掌さんが3回くらい「深くお詫びします」と車内放送していました。
もちろん、どんな設備でも故障しないのが最善ですが、信号機は特に深刻です。一歩間違えたら追突などがおきかねません。それが週に何度も発生しているわけです。
ならば即座に巨額の予算を投じて全信号機の点検なり改修なりを行うべきだと思うのですが。しかし、車内放送でも駅の掲示でも「お詫び」はありますが、そこから先については何もありません。
4月の西日本の大惨事から分かるように、このグループの安全軽視の体質は1987年以来一貫しており、今に始まった事ではありません。とはいえ、やはりこのような状況を見ると「函館や北陸に新幹線作る暇があるのなら、信号機をなんとかしてくれ」と切に思います。
2005年06月30日
買うのが珍しい商品
駅のコンビニで東京時刻表を飲物と一緒にレジに出しました。すると、店員の女性は「これもお客様のですか?」と尋ね、肯定したら「本当に時刻表も買うのですね」と念を押されました。そこまで買う人が少ない商品なのでしょうか。この店で東京時刻表を買う事はなんどかありましたが、このような反応をされるのは初めてでした。
携帯のダイヤ情報の普及などにより、このテの都市型時刻表の需要が下がっているのでしょうか。もしそうだとしたら、大変残念です。以前にも書きましたが、私も携帯のダイヤ案内も愛用していますが、やはり細かい所ではこの東京時刻表にはお世話になります。特に、都心のように、複数の最寄駅がある地点に複数の経路で行ける時などは、その便利さを痛感させられます。なんとか利用者を増やし、「買う事が珍しい商品」から脱却してほしいものですが・・・。
2005年06月20日
不適切な車内放送?
数日前のニュースですが、中央線で駆け込み乗車をした人に対して、車掌が「そのような乗り方でけがをした時は、お客さまの責任です」と車内放送で注意し、それを聞いた別の乗客が会社に苦情を言ったという話がありました。対して会社は、「車掌の言葉遣いは不適切だったが駆け込み乗車は危険。ダイヤの乱れにもつながる」との見解を出したそうです。
個人的には、この車内放送のどこが不適切なのか分かりません。実際に締まりかかっている扉に無理やり割り込んで怪我をしたら痛いのは当事者なわけです。駆け込み乗車をする側の心理としては、自分が怪我するわけがないと思ってやっているのですから、それをうながすのが別に悪いとは思えません。
あと、自分も電車に乗っていて駆け込み乗車に遭遇します。場合によっては、それによって締まりかけた扉が開いて発車が遅れたりします。当然ながら他の乗客はみなその被害を受けます。そういう時に車掌が駆け込み乗車を注意する車内放送をしたとき、私は「その通りだ」としか思いません。苦情を言った「別の乗客」は電車を遅らせた「加害者」の心情をおもんばかって、わざわざ電話番号まで調べてまで会社に連絡したのでしょうか。個人的には理解に苦しみます。
ついでに理解に苦しむのは、なぜ会社があたかも「車掌の不手際」みたいにこの件を発表したか、という事です。一応、記事には「駆け込み乗車はよくない」みたいな事も添えられてはいますが、これだと駆け込み乗車をする人の逆ギレを助長しているようにしか見えないのですが。その放送した車掌氏に対し、会社が何か恨みでもあるのでは、とすら思えてきました。
2005年06月08日
進化と無変化と退化
山手線の車両が全部新車である「E231系」に置き換わったそうです。私の物心ついた時は「103系」で、20年くらい前から「205系」に置き換わっていますから、最近30年くらいで2回入れ替わっているわけです。同じ大幹線でも、中央線快速は25年ほど前に「201系」になってから、ずっと入れ替わりがないだけに、不思議な感じがします。
もっとも、京葉線に比べれば中央線快速もまだマシ。15年ほど前に全通した頃は、「205系」が基本だったのですが、その後、「201系」が入ってきて、その後さらに「103系」と、だんだんと古い型の車両が入っています。要は山手線で二世代前に消えた車両が新たに投入されているわけです。しかも気のせいか、最近になって「103系」の比率が増えたような・・・。
競争相手となる私鉄路線がないためなのでしょうか。それとも沿線開発が思ったほど進まず、乗客が期待通り伸びないために予算が削減されているのでしょうか。いずれにせよ、何とかしてほしいものです。まあ、「103系」もたまに乗る分には懐かしさもあって嫌ではないのですが・・・。
2005年05月16日
東京さざなみ
昨日の夕方、渋谷に出かけようとしたら、幕張本郷駅で電車が止まっていました。1時間ほど前の落雷の影響で、幕張-西船橋間の各駅停車が止まっているとのこと。幸い、快速は動いているとの事だったので、京成で船橋に出て乗り換える事にしました。
船橋の快速ホームに行くと、次の列車は特急・新宿さざなみ号との事。特急料金は500円ほどかかるものの、これなら早く目的地に行けると思い、乗りました。すると、「この新宿さざなみ号は、総武線各駅停車の遅れのため、今日は東京行きとなります」とのこと。確かに、あれだけダイヤが乱れている路線に乗り入れるのは無理でしょう。
というわけで、内房・外房特急が京葉線経由になって以来かもしれない、「さざなみ」の総武・横須賀線東京地下駅乗り入れを体験する事ができました。東京駅では、私のほかにもこの「珍事」を携帯カメラで撮っている人が何人かいました。
2005年05月08日
境界線
木更津に出かける用事がありました。帰りに駅で、切符自販機の上の運賃案内図を何気なく見ていました。すると、鶴見線のあたりの表記が気になりました。自販機で売れるのは1,620円までなので、それを越える駅は案内図に表記されません。その「境界線」の都合で、「新芝浦」駅の表示はあるのですが、そこから800m離れた隣の「海芝浦」駅は表示されていないのです。
まあ、この「海芝浦」は、世にも珍しい「唯一の出口が会社の入口に直結しており、そこを通るには社員証の提示が必要」という駅です。したがって、東京湾を隔てた木更津から、この駅までの切符を買おうとする人など、よほどの切符マニアでもなければまずいません。
というわけで、実用上は何ら問題がないのですが、微妙に途切れている鶴見線の「路線図」がやけに気になりました。半引退状態になってかなりたちますが、こういう時に「鉄道ファン」的な視点がつい出てきてしまうのは、我ながら面白いと思っています。
2005年05月04日
4台抜き
下に書いたように、野球観戦に行きました。マリンスタジアムの試合終了は17時頃でしたが、今季最大の観客数という事もあり、直通バスの列は非常に長い上に、バスが来る気配もありません。そこで歩いて海浜幕張駅にむかいました。
この3連休は幕張メッセでも珍しくほぼ全館でイベントが開催されていました。そして試合終了とちょうどメッセのイベント終了と重なった事もあり、「帰宅ラッシュ」に。道路は大渋滞で、先にマリンスタジアムやメッセから出たバスが渋滞にひっかっかっています。さほど早歩きしたわけでもないのに、駅に着くまでの10分ほどで、バスを4台ほど抜いてしまいました。
昔、銀座の中央通りでバスに乗って渋滞にひっかった時、途中のバス停で降りて歩くと、一つ前のバスに乗れる、という事がありました。それを彷彿させるような渋滞ぶりでした。
もしこのメッセ周辺の渋滞が銀座の中央通りなみに常態化すれば、マリンスタジアムの交通にとって大きな障害になりそうです。まあ、メッセの予定表を見る限りは、そのような心配は杞憂でしかないのですが。
2005年05月02日
本当にそんな「国民性」があるのか?
脱線事故の「検証報道」を見てちょっと気になった事があります。それは、日本人は他の国より電車の遅れに対して厳しく、たとえば英米人は5分で「遅れ」と認識するのに、日本人は1分で「遅れ」と意識する、などという感じの記述です。確かに、物心ついた時から「定時運行」に慣れているので、そのぶん、「遅れ」に対しては敏感かもしれません。しかしながら、外国ほどではないかもしれませんが、私の利用している総武線の朝の通勤時は、何かと遅れます。こちらもそれは折込済みで、ある程度遅れても間に合うように、出勤時刻を設定しています。
で、実際に遅れた時ですが、意外にみんなのんびりしたものです。携帯で勤務先に連絡はしますが、半数以上はそのまま乗っています。私も、よほどひどい状況でない限り、そのままです。中には、寝たまま気づかず、目が覚めてはじめて「今日は遅れでもあったのか?」などと気づいた日もありました。
もちろん、遅れるよりは遅れないほうがいいですが、そんなの、どこの国の利用者だって同じでしょう。いずれにせよ、どのように調べたかわからない「国民性」を流布するのはいかがなものか、と思う次第です。
2005年04月26日
安全軽視の行き着いた先
前回、トレンドマイクロ事件について、「安全」を販売する会社が最も肝心なところを省略してしまった。しかしこれは一社だけの問題ではないなどと書きました。もちろんその中には、「民営化」後、安全より収益を優先し続けたJRも意識はしていました。とはいえまさかここまで悲惨な事が起きるとは夢にも思いませんでした。
この事件に関して書きたい事はそのうち別ブログに書くつもりです(4月29日追記・これでいいのか?・マスコミの提言通りにやった結果に書きました)。したがってここではあまり多くを語りません。しかし、自らの安全対策の不備で視覚に障碍のある方が線路に転落するのを「お客様が線路に立ち入ったため遅れました」などと被害者を加害者であるかのように言い換える感覚をJRが持ちつづける限り、このような事故は今後も起き続けるだろう、とだけは取り急ぎ書いておきます。
2005年04月23日
なぜか地図だけ残る
職場で「駅すぱあとの様子がおかしい」と言われました。見に行ったら、「この駅からの運賃を調べたいのだが、結果が表示されない。先月やった時は上手く行ったのだが・・・」との事でした。「そんな故障があるのか?」と思って画面の地図を見た所、その駅とは、3月末で廃止された「のと鉄道」の穴水-蛸島間の駅。確かにこれなら、先月はできた運賃計算ができなくなったのも頷けます。
それにしても、私が半引退とはいえ鉄道ファンの端くれで、何となく廃線情報を知っていたから解決(?)したものの、そうでなければサポートにでも電話しなければこの謎は解けなかったかもしれません。まあ、一国の首相が「国鉄が民営化されて、線路がなくなりましたか?」などと事実に反する発言を公の場で何度も続けるほど、「線路がなくなる」という感覚のない国(?)なのだから、仕方ないのかもしれませんが。
それにしても、「駅すぱあと」も、廃線後の日付だと運賃・時刻を検索できなくするのなら、ついでに画面で地図を表記しないようにしてほしいものです。
ところで、昨日の記事で、初歩的な計算間違いをしてしまいました。お恥ずかしい限りです。
2005年04月17日
ヘッドマーク
我が家は幕張電車区に隣接しています。今朝、ふとベランダから電車区を見たら、線路の脇に「ホームライナー」のヘッドマークがありました。かつては特急電車の正面に掲げられていたのでしょうが、表示が電光掲示に改造されたため、不要になったと思われます。それにしてもなぜこれだけ電車区の片隅に、しかも外に向けて置いてあるのでしょうか。なかなか奇妙な風景でした。
2005年03月23日
誰に向けての宣伝?
津田沼駅に、湘南新宿ラインの宣伝ポスターが二枚並んで貼られていました。「新宿と横浜が最短28分」みたいな宣伝文が書かれ、その利便性を強調しています。
確かに便利だとは思います。しかし、津田沼駅の利用者にとっては、まったくもって関係がありません。横浜方面・新宿方面・大宮方面のいずれに行く場合も湘南新宿ラインを使う事はまずありません。にもかかわらず、わざわざ広告二つ分の場所を使って宣伝しているのだから、奇妙なものです。
ちなみに、新宿-横浜は32.6kmで湘南新宿ラインの特別快速で28分、対して新宿-津田沼は33.9kmで最速でも42分と、大きな差があります。ちなみにこの「最速」のためには2回の乗り換えが必要。よほど接続がよくなければ42分では行けません。加えて言うと、1日1回走る、500円の直通列車「ホームライナー」を使っても、新宿-津田沼は40分かかります。
そのような事実を踏まえて考えると、「横浜からも埼玉からも新宿に行くのは便利で早くなった。それに対し、お前らの所は20年以上同じ運転形態で、新宿までかっかる時間も昔と変わらない」と宣伝(?)したくてあのポスターを貼っているのでは、とまで思えてきます。
いずれにせよ、ここまで「見ても誰も利用する人はいない広告」はかなり珍しいでしょう。
2005年03月18日
外套が必要な場所
だんだんと暖かくなり、春めいてきました。しかしながら、通勤時に上に着る外套はまだまだ手放せそうにありません。別に、朝夕に外をぶんには外套なしでも大丈夫かとも思います。ではなぜ外套が必要かというと、それは通勤時の「冷房対策」のためです。
総武線の電車は混雑などで車内温度が上がると、自動的に冷房が入るようです。その温度に達したのか昨日から冷房が入るようになりました。、しかも、一度入ると、客のほとんどが降りて、空席があるような状態になっても、冷房が入ったままです。そのため、外套を着ていても寒さを感じるほどです。
というわけで、外気より、電車の中の温度のほうが「衣替え」を決める重要な要因になっています。はたして、いつになったら外套がなくても冷房に耐えられるほどの気温になるのでしょうか。
2005年03月15日
快走電車
朝、駅に行ったら、「車両故障があったために遅れが生じております」との放送がありました。「またか・・・」と思いながらホームで待っていたら、意外にもすぐに到着警告音が鳴り、向こうから電車がやってきました。
「なんだ、たいした遅れではないんだ」と喜んで乗ろうとしたのですが、駅員さんの放送は無常にも、「これから来るのは車両故障をおこした回送電車です。次の三鷹行きはあと8分ほどお待ちください」というものでした。
回送ですから当然ですが、その電車は速度を落とさずに通過していきました。総武緩行線は、御茶ノ水-錦糸町間を除いては通常は通過電車はありません。しかも、通り過ぎたのは、普段は必ず停車する「いつもの電車」です。それが快走する様は見ていてかなり爽快で、「遅れて待たされている」という不快感を一瞬忘れるほどでした。
貴重なものは見れました。とはいえやはり、車両検査は「合理化」などはせずに、ちゃんとやってほしいものです。
2005年03月13日
意識ゆえの不自然さ
私が現役の鉄道ファンだった十代の頃、日本で最も長い名前の駅名は、札幌市の路面電車の「西線9条旭山公園通り」であると、そのテの本に書いてありました。カナにすると20字になります。19歳の時に札幌に行った時、この電停で降りて「日本一長い駅に降りた」などと心の中で一人喜んだものでした。しかし、その駅名票は「日本一」などというものはどこにも感じられない、「普通に地名をつけただけの、生活に溶け込んだ電停」で、極めて自然でした。
その後、鉄道ファンから半引退状態になったのですが、どこからか、「一部の地方私鉄や第三セクターが『最長駅名』を争っている」という話を知りました。調べてみると、数年ごとに「日本一」が変わっているとの事でした。
集客に苦労している中、「最長駅名」というものを「観光資源」にしようとする経営努力は素晴らしい事で、私にどうこう言う権利はありません。しかしながら、やはり「最長駅名一位になるために駅名をつける」というのは違和感があります。現在の「一位」は「外国人のフルネームを冠した施設の最寄駅」という事で文字の半分はその外国人の名前です。また、それまで「一位」だった駅は、「水の生まれる里」などと、述語のある「文」を含んでいました。はっきり言って、手段が目的になっています。
仮に自分の鉄道趣味が復活して、現在の「日本一」や「二番目」の駅に行っても、かつて札幌の電停で味わったような「自然な達成感」は味わえないだろうな、などと思いました。
2005年02月28日
新空港ビルとモノレール快速
松山から戻りました。12月開業の羽田空港第2ビルを初めて利用。行きにも使ったのですが、その時はただ京急から乗り継いで飛行機に乗っただけでしたので、今日が実質的な初利用でした。最初に驚いたのは、降りてすぐのところの手洗の狭さでした。こんな所で行列を作る事になるとは、思いませんでした。さらに、降車ゲートまでの距離の長さにも驚かされました。第一ビルは何度も使いましたが、ここまで遠距離感があったことはなかったのですが・・・。たまたま、出口に一番遠い所に飛行機が着いたのでしょうか・・・。
あと、一通りぶらついたりもしましたが、今に始まった事ではないとはいえ、飲食店の高さには驚かされます。比較的軽食風のレストランのメニューで「ハンバーガー1,300円」というのを見た時は、ちょっとした衝撃でした。やはり、なるべく空港に行く前に食事は済ませておいたほうがいいようです。
あと、帰りはモノレールの快速を始めて使いました。運転席後ろに座ったのですが、あのレールで、駅を減速せずに通過するのは、ちょっとしたジェットコースターみたいで中々爽快感があるものですね。
2005年02月20日
一車両独占
仕事が遅くなった時や、土日に都内に出た時、帰りに「ホームライナー津田沼」をよく使います。500円で特急車両に乗れて、停車駅は新宿・秋葉原・津田沼のみですから、直通に近い形で帰れます。特に土日ですと、空いているので、前の席を回転させて「ワンボックス独占+リクライニング」という極めて快適な環境で帰宅できます。
今日、半年ぶりくらいに秋葉原から乗りました。これまでなら、土日でも秋葉原駅で10人くらいの行列ができていました。しかし、今日はたった3人しかいませんでした。もしかしたら、昨年10月に実施された土日の総武快速のグリーン料金大幅値下げのため、そちらに流れたのかもしれません。
いずれにせよ、おかげさまで私の乗った車両は他の乗客はいませんでした。そのため、ワンボックスどころか「一車両独占状態」に。別に体感的にはワンボックスだろうと一車両だろうと何ら変わりません。とはいえ、やはり「この一両を自分が独占している」と思うと、なぜか気分がいいものでした。
2005年02月13日
役立つ見込みの低い掲示
幕張本郷駅の「拾得定期券一覧」の掲示に、「銀座一丁目-大泉学園」という、かなり離れた範囲の定期がありました。仮に、その人が「幕張本郷で定期を落としたに違いない」と思っていれば、既に問い合わせがあって無事戻っているわけです。それがない以上、本人は定期が幕張本郷駅で保管されているなど、露ほどに思っていないでしょう。ならば、定期に記載されている両端の駅のいずれかにでも送ってそこに掲示したほうが、戻る可能性はかなり高いと思うのですが、何らかの規定によりできないのでしょうか。
いずれにせよ、生活圏外で定期を落とすと、より一層大変な事になる、という事をつくづく感じた掲示でした。
2005年01月31日
本能?
久々に鉄道での長距離移動を計画する機会を得ました。そこで時刻表を購入し、帰宅後早速読みました。すると嫁さんが「時刻表って、嬉しそうに鼻歌歌いながら読むものなの?」と不思議そうに尋ねてきました。
特に意識していたわけではありません。ただ、「新しい時刻表が読める」という喜びから、自然に鼻歌が出ただけです。しかし、かつて苦労しながら時刻表を見て時刻や運賃を計算していた嫁さんにとっては、かなり不可解な光景だったようです。
ちなみにこの癖(?)は今に始まった事ではなく、中学時代も、休み時間に時刻表を読みながら無意識に鼻歌を歌い、見ていた人に不思議がられた事がありました。当時と違い、「鉄道ファン」は引退状態になった今ですが、時刻表を見た時のワクワク感(?)は20数年前と変わっていないのだな、と我ながら驚きました。
2005年01月24日
4分差?
小田原在住の上司が、大阪出張の経路に悩んでいました。10時半に新大阪に着けばいいのですが、どうやっても接続が悪いのです。普通なら、「こだま」に乗って名古屋より手前に止まる「ひかり」に乗り換えるところです。しかし、静岡停車のも、豊橋停車のも、停車駅の直前で「こだま」を追い抜くため接続できません。
何かいい経路はないかと、ネットの路線情報案内で調べてみたのですが、結果は変わりません。ちなみに、新大阪10時30分の到着時刻指定で最も遅い出発時刻を調べたところ、小田原発の場合が7時10分なのに対し、幕張本郷発の場合は7時6分。4分しか違いがありませんでした。
このような結果が出たのは、「10時半以前」という設定のなせるもので、実際に両駅から新大阪までの所要時間が4分しか違わない事はありません。とはいえ、新幹線の止まる駅と、新幹線が通ってすらしていない県の快速通過駅で「新大阪に10時半以前につくために、駅を出る時刻」の差がこれしかなかったのもまた事実です。
そのよう事を知った上でJR東海のダイヤ改正の宣伝文を見ると、東京-大阪以遠の利便性の向上は自慢しますが、こだま停車駅については何も語っていない事に気づきます。ある利便性を追及する事により、別の利便性が減少する、という好例と言えるのかもしれません。
なお、料金の事を考えないならば、最速経路は「小田原→新横浜→(小田原通過)→新大阪」になるようです。
2004年12月22日
ブルートレイン
本日の更新・別ブログこれでいいのか?
来年春のダイヤ改正で、東京発長崎行きの「さくら」と下関行きの「あさかぜ」が廃止になるそうです。これで、東京発大阪方面の夜行列車は「はやぶさ」「富士」「出雲」「サンライズ出雲」「サンライズ瀬戸」「銀河」のみになります。そのうち、「はやぶさ」「富士」がは併結運転で、「サンライズ」は電車ですから、かつて「ブルートレイン」と呼ばれて人気を博した、東京発の「夜行客車列車」は1日3本になります。
私が時刻表に興味を持った時は、ちょうど「ブルートレインブーム」でした。今にして思えば、ヘッドマークが違うだけで、同じような機関車が同じような客車を惹いて走るだけなのですが、なぜかこれが大人気でしたし、私もあこがれたものでした。
ちなみにその頃は東京発の「ブルートレイン」は10本ありました。したがって、電車化された「サンライズ」を含めても、来春からは当時の半分以下になるわけです。
などと惜しむ私ですが、実は東京発の「ブルートレイン」に乗ったのは、25年ほど前に関西に引っ越した時に乗った「銀河」が最初で最後。その後、北海道方面の「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」には乗りましたが、東京発のものには乗る機会はついぞありません。
この調子でいくと、そう遠くないうちに全廃の可能性もあるので、もう一度くらいは乗っておきたいものですが・・・。
2004年12月16日
演説好き?
通勤電車に乗っていると、たまにやけにしゃべり好きな車掌にあたる事があります。はっきり言って朝っぱらから鬱陶しいのですが、今朝の車掌氏はきわめつけでした。
まず、始発駅の次でいきなり「この電車は西船橋始発です」などという、全くもって意味のない「案内」をしました。その後も、「この電車は、今後混雑が予想されますので、きちんと詰めて座ってください」など、乗客の99.9%以上が分かっている事を「説明」します。ちなみに総武線では、座席の構造上、7人席での6人掛けなどは、よほど工夫しない限りはできません。
乗り換え駅では、「現在、○○方面行きは3分間隔で運行しています」など、これまた乗り換える人なら誰でも知っており、かつ役に立たない情報を披露していました。
通勤電車を観光列車かなにかと勘違いしているような「説明」ぶりでした。とりあえず、客の事を考えて、もう少し車内では静かにしていただきたいものだと切に願った次第です。
2004年11月24日
市街地から十数分で
昨日は三宮に泊まりました。朝起きて、新開地から神戸電鉄に乗りました。十数分ほど乗ると六甲山地越えになります。山の中に入るにつれて家が減り、そのうち人工物がほとんど見れなくなりました。神戸の繁華街から十数分でこれですからすごいものです。特に、今年度末での廃止が決まった菊水山駅などは、駅だというのに、周囲に見える建造物は1つしかありませんでした。
山を越えて再び市街地に戻って鈴蘭台駅に到着。そこから先でも、沿線に萱葺き屋根の家などが見えました。そして谷上駅で下車しました。ここは新神戸に直結する北神急行電鉄の乗り換え駅です。山あいの町、という雰囲気ですが、ここから三宮まで、北神急行を使えば10分で行けます。
しかし今回は有馬温泉から谷上を通って三宮に行くバスで戻る事にしました。平日の日中なので空いているかと思いきや、有馬温泉帰りと思われる人で満員でした。しばらく山あいの道を走ったあと、新神戸トンネルに入って、一気に六甲山地を抜けます。トンネルを出たところが、新幹線の新神戸駅のすぐ脇だったのには驚きました。
三宮のバス停でも、折り返しの有馬温泉行きに乗る人の行列ができていました。本数は1時間に1本程度ですが、かなり人気のある路線のようです。
その後、昼食に明石焼きを食べてから阪急に乗りました。苦楽園口で下車して、以前住んでいた家などを見てから伊丹駅へ。そこからバスで空港に行き、全日空で帰郷しました。とにもかくにも、神戸電鉄での六甲の山越えが印象に残った一日でした。
2004年11月23日
意外な「東西の差」
昨日書いたように、今日から明日にかけて関西に行っています。もっとも、今日はほとんど一日、職場関係の用事ですごしたので、観光(?)といえば、難波に夕食を食べに行って、架け替え中の戎橋を見たくらいでしたが。
というわけで、ほとんど地元にいるのと同じような生活でした。そのなかで非常に気になったのは「電車の駅のトイレ」でした。関東の駅のトイレはホームにあるものも、改札付近にあるものも、ほとんどが入口に段差があります。そのため、中には立派な車椅子利用者用の手すりがついていても、そこまで車椅子でたどりつけない、という宝の持ち腐れ状態になっています。
それに対し、今日乗った阪急と大阪市営地下鉄の駅は、ともにホームから段差なしでトイレに入れました。まあ、これも一長一短ではあり、用を足している際に電車が入ってくるのが良く見えるので、せっかちな私などは、乗れるかどうかを考えてしまい、落ち着きません。とはいえ、少なくとも車椅子利用者にとっては、こちらのほうがいいのは確かでしょうね。
設置時の設計の差なのでしょうが、意外なところで「東西の差」を感じた次第です。
話は全く変わりますが、久々に阪急宝塚線に乗りました。そして路線図を見たら、列車種別がかつて私が阪急沿線に住んでいた時の倍以上になっていました。種別の定義がやけに細かく、一つの駅に停まるかどうかで「通勤急行」と「急行」と別の名前になっていたりします。
まあ、私の住んでいた頃は非電化だったライバルのJR福知山線が、電化した上に都心に直通する新線までできたわけですから、対抗する上で必要な措置なのでしょう。そのへんはわかりますが、やはり種別が倍増したのには驚きました。
2004年11月14日
あと3年の路線?
本日の更新・別ブログこれでいいのか?
池袋から明治通りを通って渋谷にいく都バスに久しぶりに乗りました。この路線は昔から乗客数が多い幹線バスなのですが、走っている明治通りがほとんど2車線という事もあり、常に渋滞に悩まされる路線でもあります。
今日は昼下がりに乗ったのですが、発車後、しばらくして逆方向のバスが3台ほど連なってすれ違いました。この事からも、途中にかなりの渋滞があった事がわかります。私の乗ったバスも渋滞に何度かはまりました。しかし、乗車率はかなり高く、始発の池袋駅前ではかなり長い行列ができていたほど。その後もお客さんは常に入れ替わり、空席はなかなかできませんでした。そのお客さんのうち、老人の方はかなりいました。
現在、明治通りでは2007年度開業予定の地下鉄の工事が行われています。この地下鉄はバス路線と完全に同じ経路を通ります。過去、そういう例があった時、既存のバス路線の多くは廃止されました。しかし、地下鉄がバスの客の需要を完全に満たすのは不可能です。駅まで行く手間も、駅から目的地までの時間も全然変わってしまいます。特に老人には厳しいでしょう。そのためか、地下鉄開業にあわせてバス路線が廃止された数年後にバス路線が再開業した、という例がしばらく前にありました。
東京都交通局が地下鉄開業後をどう考えているのかわかりません。できることならば、ここ数年の例をかんがみて、老人が不便にならない形での交通網の再整備を目指してほしいものです。
2004年10月24日
導き方
海浜幕張に行きました。今日は幕張メッセで宗教団体の行事があるらしく、幕張本郷の駅構内やバス停に、案内板を持った人が立っていました。ところがその案内板ですが、「○○の集会には『幕張メッセ』行きのバスにお乗りください」と書いてありました。一方、チラシも配っていて、それによると「マリンスタジアム行きに乗って『タウンセンター』で降りてください」と書いてあります。
幕張メッセにバスで行く際の最善の方法を説明するのは意外に面倒です。看板を持っている人も「幕張メッセ行き」なるバスが1時間に2本しかない、などという事は知らないでしょう。ちなみに、私が乗ったのは11時30分初のマリンスタジアム行きでした。6分後には、貴重な「幕張メッセ中央行き」が来るのですが、そんな事わかるわけもなく、信者の方々はマリン行きに乗っていました。
ちなみに、この宗教は山手線の有名な駅のすぐそばに豪華な神殿を持つほどの財力を誇ります。にもかかわらず、バスを借り上げて直行便を出さず、信者に乗合バスを使わせるわけです。そのような細かい「努力」があのような神殿を造るための財産形成に役立っているのか、などとも思いました。
2004年10月13日
傘で急停車
朝、電車の中で寝ていたら、急制動で目が覚めました。立っていた人があやうく転ぶのをこらえたほどの急停止でした。ちょうど水道橋駅を出発しようとした直後で、外からはなにやらブザー音みたいなものが鳴り響いています。
発車直後という事もあり、「飛び込み→そのまま停車→缶詰め」という最悪の状態を一瞬想像しました。しかし、1分後くらいに流れた車内放送によると、「扉に傘が挟まった状態で動き出したために、ホームの非常停止ボタンが押された」とのこと。幸いにもすぐに発車しました。
普通に電車に乗っていて傘が扉に挟まる事はありませんから、乗降の際に無茶な行動があったのでしょう。実際、雨の日などに扉の近くにいると、閉まりかけた扉に傘を挟んで駆け込み乗車をしようとする人をたまに見ます。
「駆け込み乗車はやめましょう」みたいな標語はしょっちゅう見ます。しかし、それに添えられているのがネコが尻尾を挟まれた絵だったりと、今ひとつ具体性を感じません。他の乗客にも迷惑な上に、本人にとってもも危険な行為なわけですから、「されると困ること」にせよ、「したらどんな迷惑が生じるか」にせよ、もっと具体的に表示したほうがいいのではないでしょうか。具体的な被害にあっただけに、より強く思いました。
2004年09月30日
先祖帰り?
今日の更新・翔みならブログめもちょう
駅の掲示で、10月16日のダイヤ改正の宣伝がありました。その中の一つに房総各方面への特急列車の愛称名を運転線区や車両ごとに統一し、わかりやすくします。いままで定期列車で14種類の愛称名がありましたが6種類に集約しますとありました。確かに、特急の「行先」となっている路線が5つしかないのに、14種類もの名前があるのはかなり変です。
今度の改正で、基本的に「同じ方向の特急は同じ名前」になりました。ただ、まとめすぎて、成田行きの特急が、潮来や佐原に由来する名前である「あやめ」になる、という奇妙な事もおきているようです。
JRになってから、同じ方向の特急に色々な名前をつける、などという事を行われました。それが少なくとも房総地区では不評だったから、この改正につながったのでしょう。つまり、この「愛称名統合」は「改正」というよりはむしろ「復旧」です。
ならばいっその事、さらに昔に戻してみてもいいかもしれません。房総方面に行く優等列車が急行だった頃は、「内房」「外房」「犬吠」(成東経由銚子行き)「水郷」(成田経由銚子行き)「鹿島」と、単純に行先を名前にしていました。こちらのほうが、「さざなみ」だの「しおさい」、ましてや成田行きの「あやめ」よりはずっとわかりやすいように思えます。
2004年09月27日
路線復活?
今日の更新・別ブログ・これでいいのか?
港区の支所に行ったら、港区コミュニティバス(愛称・ちいばす)を10月から運行する、という案内を見ました。六本木ヒルズ-田町駅東口、六本木ヒルズ-青山-赤坂の2路線で、最近よくある「100円バス」として走り、既存の路線より多くバス停も設けています。
最初、「六本木ヒルズを基軸にする」という所から、「新路線」だと思っていました。しかし、よく見たら、4年ほど前に廃止された田70系統の路線をほぼ踏襲している事に気づきました。この路線は、ほぼ同区間を都営地下鉄大江戸線が走る事を理由に廃止されました。しかし、この地域の大江戸線の駅の大半は非常に深い所にあります。これはお年寄りなどには大変だろうと思っていました。「復活」の要因には、そういった地元の交通弱者の要望もあったのでは、と思いました。
この「ちいばす」という名前は、千葉市であっさり廃止された「100円バス」と同じなので、個人的にはちょっと不安なところもあります。とはいえ、ぜひとも成功して、「地下鉄が併走する区間にもバスの利便性は成立する」ということを見せてほしいと思っています。
2004年09月15日
ロングシートの6人掛け
普段利用している総武線は新型車輌に統一されており、ロングシートも手摺りで仕切られています。そのため、寝っころがりでもしない限り、1列に7人が座れます。
今日、普段使わない路線を使いました。車両がやや古く、シートの仕切りもなく、自分の座ったところは、7人掛けのところを6人で座っていました。背もたれには「ここに座れ」という表示があるわけです。べつに1/7分の席を占拠したところで、たいして楽になるわけでもないのですから、ちょっと詰めればいいと思うのですが…。
日頃「7人掛け」に慣れていることもあり、降りるまでずっと隙間が気になりつづけ、落ち着かない数十分間を過ごしました。
2004年09月07日
どこに行くのも不便
※本日の更新・別ブログこれでいいのか?。イラク情勢に関する報道ネタです。
津田沼駅の総武快速の下りホームの階段に、京成線の乗換え案内が貼られていました。「青砥・押上方面へは船橋乗り換え」「大久保・勝田台方面へは新津田沼乗り換え」「千葉中央・ちはら台方面へは幕張本郷乗換え」とそれぞれ表示されています。
津田沼で下車してしまい、改札を出てみるとどこにも京成の駅がない事に愕然とした乗り換え客への対処なのでしょうか。筆者も初めて津田沼に降り立った約20年前、「国鉄(当時)の津田沼駅に接続するのは、京成津田沼駅でなく、そこから一駅離れた新京成の新津田沼駅だと知って、驚いた記憶があります。
ところで、この表示ですが、確かに「船橋乗り換え」と「新津田沼乗換え」は正しいと思うのですが、「千葉中央・ちはら台方面は幕張本郷乗換え」というのはいかがなものかと思いました。確かに、総武線と京成千葉線で一番乗り換えが簡単にできるのは幕張本郷です。しかし、津田沼-千葉間の各駅は本数が減り、さらに幕張本郷でより本数の少ない京成千葉線に乗り換えると、運が悪いと、2駅でかなりの待ち時間を取られます。それなら、ちょっと乗り換えに要する時間が長くても、快速で千葉に行って乗り換えたほうが到達時間は早そうです。
まあ、京成線に乗り換えようとして津田沼で降りる事自体がすでに「失敗」で、この表示は「被害を最小限に食い止める方法」なわけですから、あんまり細かいツッコミを入れても仕方ないのかもしれませんが。