2009年01月13日

過激派が取り持つ縁

 経理に頼まれて袋詰めの仕事を手伝っていました。単純作業なので、あまり頭を使う必要がない事もあり、経理の人同士で、軽い雑談が始まりました。内容は、他愛のないもので、近所の大学に過激派が闖入して、それ以来、しばらくの間、警備が厳しくなった、というものでした。
 単純作業の最中なので、その程度の話でも盛り上がります。経理の二人は10歳以上離れているのですが、出身大学は同じなようで、在学中に体験した話で盛り上がっていました。とはいえ、世代の違いがあり、60近い人は、学園紛争のあおりで、一年間授業がなかった、とか言っていました。
 私の大学時代も、過激派が幅をきかせていたので、ついつい話に乗って盛り上がりました。最初は、二人の大学がどこだか分からず、「当時は、どこの大学も過激派が幅をきかせて、うちの大学みたいだったんだな」などと思っていました。

 そんなこんなで思い出話をしているうちに、そのうちの一人が、聞き慣れた校舎名を言い出しました。その時はじめて、この二人が自分の大学の先輩であることに気付きました。なるほど、それならば時代を超えて似たような過激派がいたのも道理です。
 大学時代の過激派の思い出といえば二つほどありました。一つはたまたま学食の前で彼らの壁新聞を「見物」していたら、共鳴者と思われて執拗に勧誘され、それがクラスに知れ渡り、「過激派疑惑」をかけられた、というものです。
 もう一つはサークルの部室がないので、学生会館の空き室を取ろうとしたら、「部屋使用権と引き替えに、年に数回、ヘルメットとマスク姿で成田に人身御供を出さねばならない」と聞いてあきらめた、というものでした。いずれにせよ、いい思い出はありませんでした。
 しかしながら、それらの「過激派活動」がなければ、おそらく、この二人が大学の先輩である事を知る機会は永遠になかったかもしれません。そう考えると、この「出会い」は、彼らのおかげと言えるかもしれません。
 入学以来四年間、一度もいい思いをした事はありませんでした。それがまさか、卒業して17年後に彼らに感謝(?)する事になるとは思いませんでした。人生とは分からないものです。

2009年01月13日 23:57