2009年09月24日

「閉」ボタン

 エレベーターに乗ったら、後から白人男性が乗ってきました。それを見たとき、13年前にオーストラリアに行った時の事が思い出しました。
 泊まったホテルをはじめ、どのエレベーターにも「閉」ボタンはありませんでした。そして、「閉」ボタンだと思って「開」ボタンの脇にある非常ボタンを押してしまったん日本人観光客を見もしました。
 そのため、あれは日本独特のものなのだろう、と思っていました。
 したがって、白人男性がどうするか気になったのですが、乗った直後に「閉」ボタンを押していました。

 最初は驚きましたが、考えてみれば、ベースになるのは単に13年前のオーストラリアの一都市だけでの体験なわけです。欧米の白人には当てはまる訳はありません。それどころか、オーストラリアでも別の州なら「閉」ボタンがある可能性も十分にあります。
 それだけの一般性があるかどうかが分からない経験を元に、「白人が『閉』ボタンを押すのは意外だ」と思いこんでいたわけです。
 この「一つの事例で得たケースを、他の事例と比較検証もせずに一般的な事であるとしてしまう」というのは、詭弁でよく使われる方法です。それは分かっていたのはずなのですが、何故か自分もそのような考え方に囚われていました。
 別にそれで何か損をしたわけではありませんが、改めて、「思いこみ」と「思考が硬直することの怖さ」というものを痛感させられた一件でした。

2009年09月24日 22:42