2020年12月14日

気に入っていた写真

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 フェイスブックを見ていたら「知り合いかも」という文字とともに、今はなき弟のアカウントが表示されていました。
 かつて話したとき弟は、仕事であるウェブデザインのために開設した、と語っていました。そのため、友達も投稿もゼロでした。
 ただ、プロフィール画像は設定されていました。
 その写真は、世を去る1~2年前に、居酒屋でデートしていた時のものでした。嬉しそうな表情でビールを飲んでいました。
 逝去後に見たアルバムのなかでも印象に残っていたものでした。
 弟も気に入っていた事を5年経ってはじめて知ることができました。
 SNSの閲覧履歴を分析した「おすすめ機能」は、日頃からうっとうしく思っていました。
 しかしながら、今日に限っては、その写真を見れたことを感謝しました。
 見たあと、返事があるわけがないことは分かっているにも関わらず、「友達リクエスト」を送りました。

2020年10月31日

10月最後の晴天

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 今日は雲ひとつない晴天でした。
 「抜けるような青空」という感じです。
 きれいな空なのですが、見るたびに、5年前、弟が世を去ったあとのことを思い出します。
 あの時は、何度も空を見上げたものでした。
 自分は唯物論者なので、死者が空にのぼる、などと思うことはありません。
 にも関わらず、なぜか気がつくと空を見ていたものでした。
 そして、その澄んだ空を見ては悲しみを感じたものでした。
 その記憶は、五年経った今でも鮮明に覚えています。
 そのため、今日も、この青空を見て美しさに感心するとともに寂しさを感じました。
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2020年10月23日

五年目の命日

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 今日は弟が世を去ってから五年目の日でした。
 先日も書きましたが、今月の曜日は五年前と同じです。
 それだけに、より、この「10月23日(金曜日)」というのは自分にとって重いものがありました。
 最後に会った時の事を思い出したり、生前に話していたことを懐かしんだりしながら一日を過ごしました。
 今でも一番一緒に過ごした時間が長く、会話した回数が一番多いのも弟です。そして、趣味をはじめ、さまざまな事において、自分は弟と関わりながら今を生きています。
 それだけに、もう五年も経った、という事にはかなり違和感がありました。
 これは何年経っても変わらないのだろうな、と思っています。

2020年10月01日

同じ曜日

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 うるう年の関係で、3月からの曜日は、5年前と同じになっています。
 5年前の10月1日木曜日の事は、今でもはっきり覚えています。
 この日の晩は、相方と弟と三人で飲みに行きました。これまで何度もやっており、これからも何度も行われるはずの飲み会でした。
 かなりしこたま飲んだところで、弟がボトルを入れ、「さすがに今日は一杯だけだな。このボトルを空けるのは、次かその次か…」などと思ったものでした。
 しかし、それから22日後に弟が世を去ったため、この飲み会は、結果的に弟と飲んだ最後の日となりました。
 あれからもう5年も経つのだな、と改めて思いました。
 毎年、10月は弟の事を特に考えるのですが、今年は曜日が同じだけに、特に「五年前の今日は…」という事を思い出す事が増えそうです。

2020年06月07日

ヒゲよさらば

 先月、自転車で転んで顎をすりむいて以来、あご髭を伸ばしていました。
 時節柄、家の外では常にマスクをしていたので、この髭を見たのは相方しかいませんでしたが…。
 そして今日、床屋に行き、1ヶ月弱つきあった、あご髭とお別れしました。
 剃る前と現在を見比べてみると、やはり自分に髭は似合わないな、と思いました。
 ただ、晩年になってあご髭を伸ばしていた、今はなき弟と、この髭づらでツーショットを撮ってみたかったな、とは思いました。

2019年10月23日

四度目の命日

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 今日で弟が世を去ってから四年目になりました。
 帰宅する際に、弟が最後に住んでいたアパートに寄ってきました。弟と最後に会ったのはこのアパートでした。
 その最後にあった時のことや、このアパートに遊びに行き、弟にご飯をふるまってもらった時の事を思い出しました。
 弟の部屋の玄関に行くと、中から美味しそうな料理の匂いが流れてきて、それだけで嬉しい気分になった事を思い出したりもしました。
 4年も経ちましたが、弟と過ごした日々の事を思い出すと、つい先日の事のように思えてきます。
 それだけ、長い時間を一緒に過ごした、大切な存在でした。
 この四年間、弟の事を思い出さなかった日はありません。とはいえ、やはり命日という事があり、特別の感慨と、深い寂しさ・悲しさを感じた日となりました。

2019年10月02日

最後の飲み会

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 4年前の10月1日に、相方と弟と三人で飲みました。
 その頃の自分は、色々と行き詰まっており、かなり無茶飲みしてしまいました。
 そろそろお開き、というときに、弟がボトルを追加しました。
 かなり酩酊していたのですが、「なんで、これだけ飲んでいるのに、ボトルを追加するのだろうか」とちょっと不思議に思ったものでした。
 とはいえ、このボトルを、次の飲み会で弟と開けようとは思いました。
 しかしながら、結果的に、この飲み会は、弟との最後の飲みになりました。
 その時点では、まさかこれが最後だとは自分は夢にも思っていませんでした。
 4年経ちましたが、そのとき、弟がボトルを追加したことは、なぜか今でも鮮明に覚えています・

2019年07月31日

いつになっても貴重な相談相手

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 仕事中、一気に2つも困った案件にでくわしました。
 いずれもかなり面倒な案件です。
 困ったときに愚痴ったり相談するのは昔も今も弟です。
 何度か書いているように、弟は4年近く前に世を去りました、でも、相談に乗ってくれます。
 とはいえ、イタコに依頼して、弟を降霊してもらう、などというわけではありません。

 自分も弟も、霊魂も死後の世界も一切信じていません。
 4年ほど前に彼が世を去った時点で、弟の時間は永遠に止まっています。当然ながら、弟はもう、考えることも話すこともありません。
 それでも、弟の遺影を見ながら、愚痴や悩みを思い浮かべます。すると、生前、弟と一杯やりながら色々と相談に乗ってもらった事を思い出すのです。
 その自分に蓄積されている、かつて弟が助言してくれた事を、今の悩みに当てはめると、おそらく、弟が言ったであろう言葉が頭に浮かびます。
 今日の懸案事項に対しても、「兄ちゃん、気持ちはわかるけど、それで怒っちゃだめだよ」と言うだろうな、などと記憶を頼りに弟の助言を想像しました。
 それで冷静さを取り戻し、なんとか対応することができました。
 改めて、弟に感謝しました。これからもずっと、色々と相談し続ける事でしょう。
 同時に、今でも非常に助かってはいるものの、やはり、実際に生きている弟と話したいものだな、と寂しさを感じました。

2018年10月23日

三度目の命日

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 今日は弟の三度目の命日です。
 そのため、色々と三年前の事を思い出しました。
 最後に飲みに行ったときの事、最後に話したときの事、そして最後に顔を見た時の事などです。
 久しぶりに住んでいたアパートにも行きました。弟の家に遊びに行った時は、いつも料理でもてなしてもらいました。玄関の前に立って呼び鈴を押す時、部屋の中から、美味しそうな香りが流れてきたものでした。その事も思い出したりしました。
 三年経ちますが、弟との思い出についてっは、本当に最近の事のように感じます。
 そして、今でもよく、弟に教わった知識を活かして暮らしています。
 今後も、このような感じで身近に弟を感じながら生きていくのでしょう。そういう意味では、自分の中に生きているわけです。とはいえ、やはり、会って話すことができない、という現実には辛さと寂しさを感じます。
 そんな事を思いながら、弟の遺品のパソコンで今日もブログを書きました。

2018年08月09日

33年目の夏コミ

[ , 漫画 ]

 明日の夏コミに参加します。ヤー59b「jakushou.com」です。出品については、相方の告知をご参照願います。ちなみに自分には何がなんだか全然わかりません。
 初めてコミケに行ったのは1985年の夏でしたので、33年めになります。今の職場で一緒に組み、色々助けられている人が1986年生まれです。その人が生まれる前からコミケに行っていたわけですから、我ながら驚きます。
 33年間、色々な事がありました。一緒に組んで同人誌を出す相手も、弟から相方に変わりました。
 その中で、一番忘れられないのは、22年前、満を持して弟と作った本が全然売れず、失意のもと、弟と友人と三人で帰宅し、しかもその途中で悲惨な目にあって追い打ちをかけられた事でした。
 弟と一緒に行くことはもうできませんが、その友人とは明日も会う予定です。
 色々な思い出がありました。今はどちらかと言うと、相方の荷物持ちという立ち位置で参加していますが、相変わらずそれなりに楽しんでいます。
 というわけで、明日にそなえてそろそろ寝ます。多くの方に来ていただける事を願っています。

2018年07月15日

いろいろ用をこなした「休日」

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 今日は一応、休日という設定でした。
 しかしながら、早起きしてまずひと仕事することになりました。
 その後、しばらくご無沙汰した場所に行き、続いて20数年前に中野区上高田に住んでいた頃、当時同居していた弟と二人で行きつけだった店で、ホットドッグを食べたりしました。
 さらに移動して、長年お世話になっている方の頼まれごとに対処したあと、数時間ほど会議に出て、さらに職場に顔を出してちょっと仕事をしました。
 休みだかなんだかわからないような過ごし方をしましたが、そこそこリフレッシュできました。
 また、色々な懸案を片付けることができたので、満足感もありました。
 一方で、本当に何一つ「やるべきこと」をせずに、「したいこと」だけをできる休みも作らねば、と思ったりもした一日でした。

2018年06月13日

6年前のこと

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 カレンダーを見ていて、「今日は6月13日か、なんか特別な日だったような…」という思いが頭をよぎりました。そして、しばし考えたあと、6年前に、新たな仕事を始めた日だった、という事を思い出しました。
 当時は、それを一生の仕事にする予定でした。しかし、始めてから3年数ヶ月経った時に、一緒にやっていた弟が世を去り、その結果、辞めざるをえなくなりました。
 もうあれから6年経ったんだな、と改めて思いました。
 当然ながら、その6年前の事、さらには、それを始めるにあたり、弟と二人で懸命に準備した事は、今でも鮮明に覚えています。
 それを懐かしみつつ、もう二度と弟と一緒に仕事をしたり飲みに行けない寂しさを、改めて思った「記念日」になりました。

2018年04月22日

姪孫に会いに行く

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 姉の家にいる、姪孫に会いにいきました。
 生後12日の姪孫は、当然とは言え、とてつもない可愛さがありました。
 泣くこともなく、ずっと寝ていたのですが、その間、手足を動かしたり、表情が変わるなど、さまざまな動きを見せます。その一挙一動が本当にかわいく、幸せな時間を過ごすことができました。

 その後、ちょっと目をそらすと、光回線の端末終端装置がありました。
 前回、姉の家に行ったのは、2年8ヶ月前です。
 そのときは、パソコンの設定をしたのですが、インターネットがつながらず、えらい苦労したものでした。
 結果は、業者による回線終端装置の設定ミスだったのですが、そこに至るまで、一緒にいた弟とああでもない、こうでもない、と論じあったものでした。
 その事を思い出しながら、この姪孫の可愛さも、弟と一緒に見たかったな、と思ったりしました。

 

2018年02月22日

変わってないように見えて…

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 前職でお世話になった人から、パソコンの様子を見てほしいとの電話がありました。
 そこで、ご自宅に伺って対応しました。その家に行くのは約2年ぶりです。
 依頼された方は、かなりの高齢ですが、相変わらずお元気でした。家の中も変わっていないな、と思っていたのですが、ただ一つだけ違う事がありました。
 前回も含め、これまで伺ったときはいずれも、居間に配偶者が座っていました。しかし、今回はその姿が見えず、代わりに居間には仏壇がありました。
 同時に、この家に最初の出張を頼まれたときは、スケジュールの関係で弟に行ってもらった事も思い出しました。その時の弟との会話は今でもよく覚えています。
 作業が終わり、コーヒーを淹れてもらいました。これも毎度の事です。初めて来た時と何も変わっていないようでしたが、その間に、お互い、大切な存在を失ってしまい、その思い出とともに生きているのだな、などと思ったりしました。

2018年01月23日

47回目の誕生日

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 今日は弟の47回目の誕生日でした。もっとも、2年数ヶ月前に世を去っているので、弟の年齢は44歳のままなのですが…。
 その誕生日祝いという事で、弟の友人と飲みに行きました。没後にネットで知り合った方です。このような形で知り合えた方は何人かいます。
 初対面で、とりあえずどこに行くか、という話になりました。自分は酒はそこそこ呑むと言ったら、「あの人もよく呑みましたね」と言っていました。
 そして、色々と弟の話をしました。改めて、色々な人に好かれていたのだな、と思いました。
 帰宅したら、弟が世話になった方からハガキが届いていました。その方は、弟の誕生日はご存じなかったと思います。偶然とは言え、いい誕生日祝いになったものだ、と思いました。
 嬉しく思うと同時に、もう弟と誕生日祝いができない、という事実を再認識し、寂しくなりました。

2017年12月08日

椅子の帰還

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 職場で使っている椅子が新しくなりました。といっても、初めて見る椅子ではありません。
 二年前にパソコン教室を閉じた時、そこで使っていた机と椅子を、今の職場に引き取ってもらいました。
 ただ、引取先は自分の勤務先ではなく、別の拠点でした。
 しかしながら、その拠点では、自分が譲った全ての椅子を使う必要はなく、二脚ほど余っていました。
 それを、自分の勤務先の椅子故障に伴い、引き取ったわけです。
 というわけで、約二年ぶりに、かつて自分が購入し、営業に使用した椅子に座りました。
 座ると色々な事を思い出します。この椅子に座ってパソコンを勉強したお客さんの顔などを思い出しました。そしてやはり、一番忘れられないのは、この椅子に座って自分が担当する生徒さんを教えたり、営業終了後などにPCで作業をした弟の事でした。
 椅子は二年前と全く変わっていないのに、そこに座っていた弟はもういない事を実感し、改めて寂しさを感じました。

2017年12月07日

インスタ映えする空

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 今年の流行語大賞に「インスタ映え」が選ばれました。
 実は自分も2年半くらい前からインスタグラムをやっています。ただ、こちらは、風景写真専門にしています。
 仕事のことならツイッター・ブログ・FBページに写真を載せていますし、ニャン孫の事は、ここに載せているので、それらをまた載せても…と思ったのが原因です。
 たまに、夜景や水面なども載せますが、投稿のほとんどは、青空が入っています。
 別に、昔から青空に興味があったわけではありません。しかし、2年1か月ほど前に弟が世を去った時から、よく空を見るようになりました。
 逝去から数日は、いずれも快晴で、見上げた空は真っ青でした。
 以前にも書きましたが、弟が天にいるなどとは思っていません。とはいえ、青空に対して、これまで全く無かった想いが生まれたのは事実です。
 そういうわけで、これからも青空の写真を載せ続けようと思っています。

2017年11月05日

青空と思い出

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 ここ数日、非常にいい天気の日が続いています。
 空を見上げれば、抜けるような青空です。
 ただ、二年前より、青空を見ても、爽快感ではなく、寂しさを感じるようになりました。
 弟が世を去った日や葬儀を行った日が同じように快晴でした。そして、あの時、何かあるたびに空を見上げていました。
 その記憶が強く、青空を見ると、弟との楽しかった事を思い出し、同時にそれが過去のものになってしまった事を寂しく思うようになったのです。
 というわけで、今日も、このような青空を見ながら、弟の事を色々と思い出しました。
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2017年10月23日

二度目の命日

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 今日は弟の二度目の命日です。
 想像していなかった別れに対する驚き・悲しみは二年経った今でも強く残っています。
 同時に、色々な所で、弟に「貰った」ものがあった事に気づき、改めて感謝する事が多々あります。
 先日も、弟のおかげで最善の対応を取ることができた案件がありました。本当に感謝です。
 ただ、二年前までは、そのような時に、直接会ってお礼することができました。それがもう二度とできない事が残念でなりません。

2017年07月15日

館山に行く

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 所用で館山に行きました。
 三年前、弟と飲んだ時、「12月に友達と館山に観劇に行く」と楽しそうに言った事がありました。
 しかし、一緒に行く予定だった友人が当日ドタキャンし、結局、一人で館山に行く羽目になった、とあとで聞きました。
 そんな事を思い出しながら、目的地の建物に行ったら、非常に広い舞台がありました。館山にこんな舞台のある建物はそうはないだろうな、と思って調べたら、やはり一昨年、弟が観劇したのと同じところでした。
 弟の趣味に観劇はなく、その友達につきあってわざわざ館山まで行ったわけです。そんな話をした事を思い出しながら、三年前、弟はどんな思いで、このホールにいたのだろうか、などと思ってしまいました。

 

2017年06月30日

ねぎま

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 焼き鳥屋に行ったら、「ねぎま」が出てきました。
 自分は、このメニューの存在はずっと不思議でした。鳥なら鳥を食べればいいし、ネギならネギを食べればいい、と思っていたからです。
 そして、自分の人生で最も多く焼き鳥を食べに行った相手である弟は、この、ねぎまが大好きでした。
 というわけで、串盛りなどで、ねぎまが出てきたら、弟に任せており、あまり食べる機会はありませんでした。
 しかし、もう弟はいません。そこで、ねぎまを食べました。
 行った店は、ウェルダン派の焼き鳥屋で、ミディアムやミディアム・レアの焼き鳥を好む自分にとっては、ちょっと好みにあいませんでした。
 ところが、この、ネギに挟まれた鶏肉だけは、ちょうどいい焼き具合でした。
 これが、ネギに挟まれた効果なのでしょうか。
 それも含めて、弟は、ねぎまが好きだったのだろうか、などと思いながら、彼と食べた焼鳥の事を思い出しました。

2017年05月22日

誕生日

 前回書いたように、千葉市長選挙に全力投球しています。そのため、ここの更新はかなり久しぶりになりました。
 18日ぶりの更新など、「つれづれの館」の19年間の歴史で初めてかもしれません。

 さて、表題にあるように、今日は自分の誕生日でした。あまり誕生日を宣伝するのは好きではありません。
 というわけで、祝ってくれたのは、家族と長年お世話になっている友人だけでした。
 まあ、自分らしいと思いました。同時に、また、今は亡き弟との年齢差が開いてしまったのだな、と思いつつ、6年前に弟にサプライズでおごってもらった誕生日祝の事を思い出したりしました。

2017年04月26日

久々の八千代台

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 所用で八千代台駅で降りました。
 この駅は、かつて弟が通勤で使用していました。同じ頃、自分は二駅隣りの京成大久保で働いていました。
 たまに、朝、電車で一緒になったりした事もありました。
 そんな事を思い出しながら、幕張本郷→京成津田沼→八千代台、という、かつての弟の通勤経路をたどりました。
 ちなみに、八千代台で降りたのはこれが三回目です。一度は用事でここから出るバスに乗った時でした。あとの二回は弟との飲み会でした。
 その頃の飲み会は、基本的に自分の職場のある大久保か、地元の幕張本郷でした。しかし、二回だけ、弟に八千代台で飲もう、と言われた事がありました。
 行った店はいずれも、駅ビルの最上階にある焼肉屋でした。よほど気に入っていたのでしょう。そこで、ビール片手に夜景を見ながら色々な肉を焼いたことは、今でもよく覚えています。
 そんな事を懐かしんだり、弟の職場に向かう階段を使いながら、「ここをかつて弟が毎日使っていたんだな…」などと思ったりしました。
 帰りがけに、懐かしの焼肉屋はどうなったかと見てみたら、閉店していました。
 ちなみに、大久保で弟と一番よく行った店も既に閉店しています。「また、思い出の場所が一つなくなったか…」と二重の意味で寂しさを感じました。

2017年04月16日

サイト作成中

 人生初のサイト作成は、20年前のGWに弟と作った、当サイトの前身となるサイトでした。
 それから、20年、仕事に、趣味に沢山のサイトを構築・運営してきました。
 毎日万単位のアクセスのあり、そこそこ社会的に知られる団体の公式サイトから、五人しか見る人がいないサイトまで、いろいろと、作成・運営していました。
 その色々やってきたサイトを大きく分けると二つになります。
 一つは、見栄えに自信のあるサイト、もう一つは見栄えに自信が持てないサイトです。
 その基準は簡単で、弟と一緒に作ったサイトは見栄えに自信があり、それ以外は…となります。

 先述した、万単位のアクセスのある公式サイトは、一応、制作業者に費用を払ってデザインしてもらいました。
 しかし、色々と問題があり、結局、かなり改変して運用せざるをえませんでした。そのため、内容はともかく、見栄え的には自信のないサイトに分類せざるを得ません。
 ちなみに、四年前、ほぼ自分ひとりで、あるサイトを作っていました。ただ、どうしてもデザイン的にうまくいかない所があり、そこだけは弟に手伝ってもらいました。
 その結果、見栄えは見違えるほどよくなりました。
 今作っているサイトは、その後継にあたります。見栄え的に色々問題がありますが、もちろん、もはや弟に手伝ってもらうことはできません。
 残念なところですが、自分の持てる力かつ、かつて弟に教わった事を全て活かして、何とか役立つサイトにしようと頑張っています。

2017年04月14日

初めての美容院で初めての白髪染め

 自分は、20代の頃から、かなりの白髪が出ていました。しかしながら、それをぼかしたり染めたりしようと思ったことはこれまで一度もありませんでした。
 その理由の一つに、年齢よりかなり若く見られる、という顔立ちにありました。
 「ゴマシオ頭」であるにも関わらず、先日も、最近知り合った人から「35歳くらいだよね」と一回り以上若く言われたものでした。
 ということもあり、白髪を温存していたのですが、仕事の関係で、染めなくてはならなくなりました。
 そこで、美容院に行きました。これまでずっと床屋を利用していた事もあり、美容院に行くことも人生始めてです。
 前職で、今は亡き弟とサイト作成をやっていた時に、依頼を受けて作成した美容院がありました。必然的に、そこに行きました。
 初めての美容院で一番驚いたのは、前掛けに「袖」があった事ですが、ここに手を通せば、白髪染めの薬をむらす時間などに読書ができるわけです。近眼の自分としては、眼鏡なしで読むのは大変ですが、せっかくのサービスなので、顔に近づけて持参の新聞を読みました。
 というわけで、初めての白髪染めが無事完了しました。しかしながら、その後、用事を済ませて出勤した所、気づいてくれたのは一人だけでした。
 さらに言うと、帰宅しても相方は未だに気づいてくれません。まあ、こちらも、相方が美容院に行った事を気づかない事が一度ならずもあるので、お互い様ではあるのですが…。
 というわけで、色々と貴重な経験をしました。それにしても、三年前、弟とこの美容院のサイトを作っていた時は、まさか、自分がここに客として来て白髪染めをする、などという事は夢にも思っていませんでした。
 サイト作成時の事を思い出しながら、そんな経験をした事、またそれにまつわる思い出などを、弟に話しかけました。

2017年03月03日

遺したもの

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 前の仕事で色々お世話になった会社から、サイトに画像をアップできなくなった、というSOSが来ました。
 この会社のサイトは、自分が会社との折衝及びサーバー設定をし、弟がワードプレスで構築したものでした。
 というわけで、中身については弟任せだったわけです。とはいえ、ワードプレスの基本的な知識はあるので、原因はすぐにわかりました。
 ワードプレスはシステム本体もプラグインも随時更新されます。それを常に最新にしていないと、たまにこの現象が発生するのです。
 というわけで、プラグイン画面を見ました。その中には、自分が普段見たことがないプラグインが多々ありました。
 それを見ながら、「そうか、これを弟は設定したのだな」と思いながら、一つ一つを更新していきました。
 なんか、弟の遺品を新たに発見したようでした。

 弟が世を去ったあと、遺品の自作パソコンとグラスを引き取りました。
 それを使って毎日このブログを書き、グラスで晩酌しています。
 というわけで、弟の遺品を毎日使っているわけです。とはいえ、新たな「遺品」を意外な所で見た時は改めて、サイトを作っていた時の事を思い出しました。
 そして、あのように弟と一緒に仕事をする事は二度とない、という事を再認識し、改めて寂しさを感じました。

2017年01月23日

誕生祝いと結婚祝い

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 今日は、弟の誕生日でした。
 20代なかばの頃に弟と二人暮らしをしていました。その頃は、よく新宿に遊びに行ったのですが、二人して気に入った店がありました。
 自分が結婚して、別々に暮らすようになったあとも、それぞれ、お気に入りの店として愛用していました。
 今日は休みが取れたので、昼過ぎにそこに行き、ビールと名物のホットドッグを楽しみました。
 自分は昼にはアルコールを摂取しない主義なのですが、今日は、誕生日という事があり、昼飲みが大好きだった弟にあわせました。

 そして、夜は銀座に移動して、数日前倒ししての結婚記念日祝いをやりました。
 昨年春に結婚式を挙げた姪の引き出物がカタログで、その中に、銀座の高級寿司屋でのペア食事、というのがありましたので、それを選んだわけです。
 いつもどおり、趣味の話で盛り上がりましたが、記念日らしく、お互いの両親の金婚式や、6年後に迫った、我々の銀婚式の話などもしました。
 こうやって、いつまでも色々と記念日を祝い続けたいものだと思いながら、楽しい時間を過ごしました。

2017年01月14日

家族で祝う

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 祝い事がありました。
 今年は、ちょっと離れた所に住む姉が、わざわざ幕張本郷まで来てくれて、相方と自分にお祝いの品をたくさんのくれました。本当に感謝です。
 祝宴を開いたのは、かつて弟と相方と三人でよく行った店でした。
 リニューアルでメニューはかつてと大幅に変わっていましたが、店の内装は以前と同じでした。
 それだけに、弟と飲んでいた時の事を思い出しながらの飲みとなりました。
 姉と弟と自分は年子三人で、物心つくまえから、常に一緒に子供時代を過ごしていました。
 それだけに、弟と一緒に何度も行った店で、姉と飲んでいるのに、弟がいない、という事に違和感と寂しさを感じることもありました。
 それはともかく、大変楽しい時間を過ごすことができました。本当に感謝です。

2016年12月31日

2016年を振り返って

 本日で、2016年も終わります。
 昨年は、自分にとって人生で最も悲しい年になりました。
 その弟の友人に会ったり、ネットを通じてやりとりをするなど、いくつかの交流がありました。それを通じて、弟がいかに友人を大切にし、大切に思われていたかを知ることができた年にもなりました。

 一方、自分にとっては、今年は、1月から新しい仕事を始める、という年でした。
 前の仕事をやっていた時から縁のあった所だったので、比較的早く、環境に慣れることができました。
 もちろん、まだまだ習得しなければならないこと、やらねばならない事はたくさんあります。また、最近になって、大きな任務も入ってきました。それを成功させるために、より一層の修練や学習が必要となっています。
 いずれにせよ、仕事において、充実した一年を過ごすことができたのでは、と思っています。
 ただ、やはり弟と話せない事、飲みに行けない事の寂しさは、いつも心のどこかにあった一年でした。まあ、これは、今後、何年たっても残るのでしょうね。

  

2016年11月17日

前の仕事を懐かしむ

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 前の仕事でお世話になっていた人に、その仕事に関連する依頼を受けました。
 新しい仕事を始めてから、何度かこのような機会はありました。しかし、いずれもマンツーマンでの対応でした。
 それに対し、今回の依頼は、複数の人に同時に説明する、という、前の仕事で最も多かった「教室方式」でした。また、会場も前の職場から歩いて2分という至近距離でした。
 それだけに、約1年ぶりに前の職場と非常に似た環境での仕事になりました。
 複数の人に説明する場合、それぞれの按分が重要になってきます。約一年ぶりでしたが、そのあたりも、説明の話し方も、問題なくできました。
 もちろん、自分にとって一番重要なのは今の仕事です。しかしながら、近くの場所で、同じような事をすると、やはり、前の仕事を懐かしんでしまいます。
 そして必然的に、前の仕事を一緒にやってくれた弟の事を思い出しました。そして、あの頃の楽しかった時間を繰り返すことはもう二度とできない事を再認識し、寂しい気分になりました。

2016年11月09日

受け継がれる名前

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 弟が20代から30代にかけ、非常に仲良くしていた友人がいました。
 自分も弟と二人暮らししていた頃は、よくその人からの電話を取り次いだものでした。
 一度、弟につきあって、ご自宅に伺った事もあります。
 昨年、弟の逝去を伝えたとき、その人は、自分は何度か転居しているが、その全ての家に来たのは弟だけだった、と伝えてくれました。
 その方の職業は、アニメ関係のライターで、脚本や小説を書いています。
 その最新作に、赤ちゃんが産まれる描写があり、そこで、弟の名前を使わせてもらった、という連絡をいただきました。
 読んでみたところ、赤ちゃんに弟と同じ名前がつけられていました。弟の名前の漢字は、人名で使えば読み方は一つしかありません。にも関わらず、わざわざふりがなまでつけて、弟と同じ名前である事を表現していました。
 改めて、弟は色々な人にとって大切な存在だったのだな、と思いました。
 架空の世界ではありますが、弟の名を受け継いだそのキャラクターが、今後どのように活躍するか、注目して読み続けたいと思っています。

2016年10月24日

青空

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 今日の空の色は、昨年の10月24日と同じ、青空でした。
 前日に逝去していた弟の死亡が確認されたのが、翌24日でした。そういう事もあり、朝から夕方まで、色々動いた一日となりました。
 昨年の10月24日は、何度も空を見上げたものでした。非常にいい天気で、空は雲ひとつものない青色でした。
 自分は死後の世界の存在を信じていません。弟もそうだったと思います。
 したがって、世を去った弟が空にのぼった、などとは全く思っていません。しかしながら、何度も空を見上げたものでした。
 今日の空も、似たような青空で、それを見ては、一年前の事を思い出しました。
 もしかして、人は大切な存在を失うと空を見たくなり、それが転じて、「死者は天にのぼる」という言い伝えができたのかも、などと他人事のように思ったりもしました。

2016年10月23日

一年前と同じ空

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 今日の午前中は、昨年の今日と同じ、晴れ渡った空でした。
 あの日は、この日が、自分にとって人生で最も辛く悲しい日になるとは夢にも思わず、普通に暮らしていました。今後の事も、色々と考えていました。当然ながら、その予想していた未来には、当然ながら弟がいたわけですが…。
 この一年間、節目ごとに、「一年前の今日は弟と最後に◯◯した日だったな」と思ったものでした。
 それを続け、ついに今日、「一年前に弟と別れた日」を迎えたわけです。
 現実は十分理解しています。しかしながら、未だに何か別の世界の事では、と思ったりもします。今日も、昨年や一昨年に、弟と飲んだり話したり一緒に仕事をしたりした事を、昨日の事のように思い出したりしていました。
 そのような事を考えて過ごした、弟の一周忌になりました。

2016年09月29日

「プロ」の帰還

 二年くらい前まで、近所のセブンイレブンに、印象深い店員さんがいました。
 レジ打ちが早いだけでなく、客の要望をよく理解しているのです。そのため、非常に気持ちよく買い物をすることができました。
 一時期は、自分のような明らかに20歳を越えている人間がアルコール飲料を買う場合、儀式的に客に押させる「年齢確認ボタン」を自ら押していました。
 さすがにこれは、クレームが入ったのか、長続きしませんでした。
 一度、弟と二人で行き、その人のレジで買い物をしたあと、「あの人、プロだよね」と言ったら、「そうだね」と即座に同意してくれたものでした。
 しかし、いつの間にか、辞めたのか、異動したのか、いなくなってしまいました。
 ところが、今日買い物に行ったら、久々にその懐かしい姿がレジに立っていました。当然、そこで買い物をしたのですが、相変わらず、手早く効率的で、客の要望に応えたレジさばきでした。
 思わず、「幕張本郷に復帰されたのですか?」と尋ねたら、「いや、ヘルプです」と笑って答えていました。
 今ひとつ理由は分かりませんでしたが、とりあえず懐かしい顔とレジさばきを見ることができたので、嬉しく思いました。
 同時に、もう一年ほど早く復帰してくれれば、弟と「あの『プロ』の人が戻ってきたね」などと話すことができたのに…とも思ったりしました。

2016年09月20日

出会いと夢での再会

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 相方が、弟の夢を見たと言いました。
 夢の中でとりとめのない会話をしたとのことでした。
 ちょうど一年前、相方と弟は、一駅となりである津田沼のスーパーで偶然会いました。
 地元の幕張本郷ならともかく、電車で一駅離れた町のスーパーで会うというのは、かなり確率の低いことです。
 相方と弟には共通の趣味があり、飲み会や電車で移動するときは、自分をほったからかしにして、二人で延々話していたものでした。
 昨年、スーパーであったときも、一緒に電車に乗り、自宅まで延々と会話をしたと言っていました。
 もうそれから一年経ったんだな、と時間の経過を感じた、相方と弟の「再会」話でした。

 

2016年09月01日

ブログ形式にして12年

 このサイトの日記に当たる部分(要は、いま読んでいただいている所です)にブログのエンジンを入れてから今日でちょうど12年になりました。
 その4年前から、サイト上に「日記」を公開していました。当時からすでに、「日記公開ツール」みたいなものはありました。しかしながら、それは使わず、HTMLを書いていました。
 しかしその後、、Movable Typeというブログの仕組みが無料で公開され、しかも自分のサイトに組み込むことができるようになりました。それを機に導入する事にしました。それに合わせてトップページも大改装しました。
 それから、もう干支が一周りしたものです。長いようで短いようにも感じます。楽しいこと、驚いたこと、そしてとても悲しい事があった12年でした。
 その12年間、サイトのトップは一切改装していません。トップ絵は定期的に変えていますが、あとはそのままです。要は「12年前からデザイン的には進歩していないサイト」なわけです。
 実は、昨年の秋までは、プロのウェブデザイナーである弟に費用を払ってサイトのデザインを新しくする事をかなり具体的に考えていました。しかし、それは本人に話す前に永遠に不可能となってしまいました。
 それ以来、開き直って、一生このデザインを通していこうか、などと思っています。
 あと、12年後となる2028年の9月1日に、自分は何を書いているのだろうか、などと思ったりもしました。

2016年08月29日

地元のパソコンサポートいろいろ

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 先日書いた、PCデポの悪質なサポートサービスですが、先日見たヤフーニュースによると、発端は自分の地元である幕張インター店を利用した人のクレームだったそうです。
 チェーン店ですから、どこの店でも同じことはやっていたとは思います。
 とはいえ、発端だと知ると、不快な事とはいえ、「地元感」みたいなものを感じました。
 こうなっては閉店は確定でしょうから、その前に一度見物に行かねば、と思ったりしました。

 同時に、地元の店がこんなひどい事をやっていたのを知り、4年ほど前の話を思い出しました。
 あるとき、パソコンで困っている人に頼まれて、近所に住む弟にその人の家に行って貰った事がありました。
 作業は順調に終わり、規定の料金が支払われました。パソコンの出張サポートとしては世間一般よりちょっと安い金額ですが、時給に換算すれば、そこそこの額です。
 戻ってくると、開口一番、「こんな簡単な事やって、これだけのお金を貰うなんて悪いよ。とりあえず、今回は言われた通り貰ったけど、次回この人のパソコンで何かあったら、その分、タダでやらないと割があわない」と言われたものでした。
 その時は「そうだったんだ。なら次回はそうするか」と返答しました。
 しかし、後から気づいたのですが、仮にその家の人が一週間ずっとパソコンと格闘しても、その問題は解決しないわけです。弟のスキルがあったからこそ、お金をもらうのが悪いと思ってしまうほど簡単に解決できたわけです。

 同じ「幕張本郷の人によるパソコンサポート」でも、色々あるものだと改めて思いました。
 同時に、そんなボッタクリをしている会社が東証一部上場だという事に、異常さを感じたりもしました。
 そんな事を思いつつ、弟と最後にサシ飲みしてからもう一年経ったのだな、と思い出したりもしました。

2016年08月14日

新盆と誕生プレゼント

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 今年のお盆は弟の新盆でした。
 仏教を信じているわけではないので、これまで、この「お盆」という風習はよく理解できないものでした。
 「死者の霊がこの時期だけ現世に戻ってくる」などという理由で、皆が一斉に里帰りし、大渋滞や混雑を引き起こす、という現象を、ずっと不思議に思っていました。
 もちろん、これは、弟を失って初めて迎えるお盆でも変わりはありません。
 霊魂の存在も信じていないので、弟がこの時期に戻ってくる事などありえません。これは、生前の弟も同じように考えていたと推測しています。

 しかしながら、今年になって初めて、「お盆の意義」をおぼろげながら理解することができました。
 年に一回、こうやって今は亡き人との想い出を偲ぶ時間を作るための風習なのだろうか、と思うようになりました。
 それを行っている時間は、確かに遺された人の中に、死者は「生きて」います。そういう意味での「霊魂が戻ってくる」なのだろうか、合点がいったのです。
 まあ、できれば、こんな形でそのような「理解」をしたくはなかったものですが…。
 そういう事もあり、毎日挨拶している弟の遺影に対し、今日は特別にお供え物をしました。

 ところで、今日、先月誕生日を迎えた甥に会いました。
 甥は高校受験生ですが、熱心な「ラブライバー」でもあります。
 そこで、甥の好きなキャラクターを相方に描いてもらって、先月、誕生日プレゼントとして送りました。
 甥は大変喜んでくれ、今日も相方に何度もお礼を言っていました。そして、相方が「次は、『ラブライブ!サンシャイン」の推しキャラを」と言ったら、大変嬉しそうな顔をしていました。
 小さい頃は、よく弟に連れられて特撮の映画を見に行っていたそうです。そこで受けた薫陶が現在に至っているのでしょうか。
 昨年まで、よく相方と弟と三人で飲みに行って、色々と趣味の話を楽しんだものでした。いつか、同じことを甥としたいものだ、などとその笑顔を見ながら思ったりしました。

2016年06月13日

記念日

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 四年前の6月13日に、前の仕事を始めました。
 その時点では、一生の仕事になる予定でした。
 弟と二人で立ち上げをやった事は、今でも昨日の事のように覚えています。
 その後も、弟に色々と世話になりながら、その仕事を頑張りました。
 昨年は、三周年という事で、弟にポスターを作ってもらったりしたものでした。
 そして、三周年記念の日の夜は、もちろん弟と飲みに行きました。
 その時は、来年の四周年記念日は、もう少し豪華な祝杯があげられるようにしたいものだと思ったものでした。
 まさか、その時は、その年の暮れに仕事を閉じ、四周年記念の日の朝に、弟の遺影に挨拶する事になるとは、夢にも思っていませんでした。
 そんな事を思いながら、スーパーで買ってきた安酒で、寂しく乾杯をした「四周年」となりました。

2016年05月22日

誕生日と年齢差

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 当然ではありますが、幼少時は誕生日は一年で一番うれしい日でした。
 一つの理由はもちろん、家族に祝ってもらって、切り分けたケーキを一番最初に選べる事でした。
 もうひとつの理由は、姉弟との年齢差でした。自分には1年1ヶ月年上の姉と、1年8ヶ月下の弟がいます。
 したがって、誕生日には、2歳差となっていた姉との年齢差が1歳になり、逆に1歳差だった弟との年齢差が2歳になるわけです。
 幼児の頃は、それによって、自分の姉弟内での格が上がるような気がして、喜んだものでした。

 もちろん、そのような無意味な感情は、小学校に上がった頃にはなくなりました。
 しかしながら、意識しようとしまいと、それ以降も誕生日を迎えると、姉との年齢差が1歳になり、弟との年齢差は2歳となりました。
 そうやって、一年前の今日も、姉や弟に自分の誕生日を祝ってもらったものでした。
 そして、今年の誕生日を迎えたわけです。しかしながら、これまでと大きく異なる事がありました。
 姉との年齢差はこれまで通り、1歳差に縮まりました。ところが、弟との年齢差は3歳に広がってしまったのです。
 これは、昨秋、弟が永遠に年を取らなくなったためです。
 その事を噛み締めつつ、幼児の頃、弟との年の差が広がった事を喜んだ自分の事を思い出しました。
 そして、2歳広がるのは嬉しいかったけれど、3歳広がるのがこんなに寂しいものなんだな、とつくづく思いました。

2016年05月04日

19年前のこと

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 本日を持ちまして、当「つれづれの館」は開設18年を迎えました。
 これもひとえに、読んでくださっている皆様のおかげです。ありがとうございます。
 しかしながら、今日の題名は「19年前のこと」としました。もちろん、打ち間違えたわけではありません。
 この「つれづれの館」開設の1年前にあたる1997年5月4日に、自分にとって初となるウェブサイトを公開しました。

 その時は、当時、二人暮らししていた弟とサイトを作りました。
 弟は自分よりパソコンが詳しく、彼がHTMLを覚え、それを自分が教わって一緒に作りました。
 ちなみに、初めてWindows搭載のパソコンを買ったのはこの年の2月でした。
 それまで、HTML作成はもちろん、インターネットすらほとんどやった事がなかった二人が、三ヵ月後にサイトを立ち上げたわけです。
 自分ひとりだけだったら、絶対にできなかったでしょう。

 作ったサイトは、当時二人してハマッていたゲームの感想や評論が中心でした。
 ただ、自分としては単にゲームの感想を読んで欲しいからという理由だけでサイトを開設したわけではありません。
 前の年に、当時勤めていた職場の部署が閉鎖されました。
 その後に異動を命じられた部署は、その社内で最悪の所でした。
 当時、その職場はDOS機からWindowsに切り替えを行なっていたのですが、自分の部署にはワープロ専用機しかなく、Windowsの導入計画すらない、という状態でした。
 仕事もほとんどなく、たまに来る仕事も創造性の欠片もないものでした。
 一ヵ月後にはもう辞めようか、と思ったほどでした。

 しかし、弟の説得もあって思い直し、Windowsの導入期なのだから、ワード・エクセル・インターネットに習熟すれば、まともな部署に移れるだろうと考え、それらの勉強を始めました。
 サイト開設もその一環だったわけです。
 計画は功を奏し、社内での評価・立場も上がり、「最低の部署」からも脱することができました。
 そういう意味では、この1997年の5月4日というのは、自分にとって初のサイト開設記念日であるのと同時に、苦境にあった自分がその状況を打開する道を造った最初の日だった、とも言えるかもしれません。
 そんな事を考えつつ、そのサイト開設に向けてHTMLを弟と二人で習得していた19年前の事を思い出したりもしました。
 そして改めて、その時世話になったお礼を、今はなき弟に言いました。

2016年03月31日

10年一昔

 今から10年前の3月31日に、生まれて始めての「退職・転職」をしました
 大学を出てから14年間、最初の職場にいました。2回ほど辞めようと思った事もありましたが、弟のアドバイスなどもあって踏みとどまりました。
 そして、そこそこ評価されるようになり、多分、自分はここに定年になるまでいるのだろうな、と思っていました。
 しかし、どうしても譲れない事が発生し、その職場を去りました。

 始めて経験した、「職場を去る寂しさ」並びに「職場からのストレスがなくなる爽快感」は、10年経った今でも、昨日のことのように覚えています。
 それから10年、色々な事がありました。4つの職場で働き、それぞれで、色々な人と一緒に仕事をしました。
 昨年末までやっていた仕事では、弟という、最高の仕事のパートナーを得ました。楽しく、特には言い争いもしながら働き、そして終わってからは美味しい酒を飲む、という楽しい働き方をすることもできました。
 ところが、昨年10月に、その弟と永遠の別れをしました。その結果、仕事自体も終わりました。
 しかし、その貴重な時間を過ごせただけでも、10年前に転職した事は間違いでなかったと思っています。

 そして。10年前には想像もつかなかったような仕事をするようになり、現在を迎えています。
 この仕事をまっとうすることが、自分のこれからの人生を過ごす価値だと思っているほど、思い入れを持っています。
 そんな事を思いつつ、10年後の自分は、何をやっているのだろうか、などと考えたりもした「記念日」でした。

2016年03月11日

5年前、一番心配した事

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 5年前の2011年3月11日も金曜日でした。
 当時は四谷にある会社で働いており、翌日からの土日の松山旅行を楽しみにしながら、取引先との打ち合わせを行っていました。
 そこで、あの地震が起きたわけです。
 これまで自分が体験した中で、最も強い地震に驚きました。そして、震源が東北沖だというニュースを見ながら、家族の事を考えました。
 相方は自分より一足先に松山に行っています。また、上の妹夫妻はアメリカに赴任していました。したがって、いずれも大丈夫でしょう。
 そして、両親をはじめとする他の家族は、当時の職場からそう離れていない所に住んでいます。ならば、家に多少の被害があったかもしれませんが、これまた無事でしょう。
 実際、電車が止まって千葉の家に帰れず、両親の住む家に泊まったのですが、ちょっと物が落ちたくらいで、室内は普通でした。
 そうなると、一番気になったのは、近所に住む弟でした。
 都内より震源に近い上に、我が家近辺は、以前より都内より震度の強い地震が頻発していました。
 そして、弟はワンルームの部屋で、壁には本棚がぎっちり、という環境で生活していました。
 しかも、当時は夜に仕事が入る事もあり、昼に部屋にいた可能性もあります。
 というわけで、メールを送ったのですが、返事はありませんでした。
 後に、メールの送受信量が多すぎて、遅滞が激しかった事がわかりました。しかしながら、当時はもちろん、そんな事、全然分かりません。
 そういう事もあり、かなり遅い時間に、弟の安全を確認できたときは、心底安堵したものでした。それまでの不安感並びに、確認できた時の安心感は、いまでも覚えています。
 今日帰宅してから、そのような想い出を、部屋に飾ってある弟の写真に話しかけました。

2016年02月21日

最後に来た日

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 弟の墓参りに行きました。
 家族とともに、墓前に手を合わせながら、昨年の2月21日の事を思い出しました。
 その日は、弟を家に呼んで、録画した番組を見ながら飲み会をしていました。
 これは、弟が近所に越してから5年間、毎年この時期に行う恒例行事でした。
 一緒に観た番組は、以前に弟が我が家に来た時に、これまでの放映を収録したDVDを持参するほど強く推されていたものでした。そのため、それを自分が録画しはじめた事を、弟はとても喜んでいました。
 その時も、色々と楽しい話で盛り上がり、遅い時間になって、弟は帰宅しました。
 飲み会を片付けてからネットを見たら、その日の話題をより楽しめる情報を見つけました。
 それを弟にメールをし、そのやりとりでまた盛り上がったりしたものでした。
 あの時は、また、次の年もこのような、楽しい飲み会ができると、当然の事のように思っていたのですが…。
 そんな事を思いつつ、一年前、弟が持ってきたDVDと、そこに弟の手で書かれた説明の付箋を見ました。
 そこに書かれている弟の字を見ながら、その時は、「毎年の恒例行事」と思っていた事が、実は「この世で最後の事」だった、という事を再認識し、寂しく思いました。

2016年01月26日

18年目の記念日と雑感

 今日は18年目の結婚記念日でした。というわけで、相方とささやかなお祝いをしました。
 帰宅して、去年を振り返りました。
 すると、結婚記念日の前日に相方がニャン孫を初めてなでたという記事が書かれていました。

 今では、相方も自分も、当然のこととして、ニャン孫をなでます。
 しかし、一年前のあの頃は、まだまだ小さかったニャン孫との距離のとり方については、非常に神経を使っていました。
 ニャン孫と二人して仲良くしている今を思うと、一年前の「初なで」が遠い昔の話のように感じました。

 また、食事をしながら、弟の話もしました。
 自分にとってはもちろんですが、相方にとっても、彼は大切な友人でした。
 また、自分が相方と付き合いだした頃、弟からは色々と助言をしてもらったものでした。
 そのおかげで、順調に結婚までいくことができ、このように記念日を迎えているわけです。
 そんな話をしたこともあり、これまでとはかなり趣が異なる結婚記念日となりました。

2016年01月23日

誕生祝い

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 今日は弟の誕生日でした。
 そこで、弟がいろいろ世話になっていた方と誕生日祝いをしました。
 まず、その方が行きつけの焼き鳥屋に行き、美味しい日本酒・焼酎・焼き鳥を楽しみました。
 弟も自分も焼き鳥が好きで、家の近くや職場近くの美味しい焼き鳥屋に何度も行ったものでした。
 弟と最後に行った飲み会も、焼き鳥屋だったな、などと思いだしたりしました。
 その方は、弟をこの店に連れて行きたかった、とおっしゃっていました。
 そうおっしゃる事があるだけの店で、本当に、弟とここで飲みたかったな、と思いました。

 二次会は、カラオケに行きました。
 自分はカラオケは得意でなく、しかも弟の友人の方は非常に歌がうまかったので、普通なら遠慮するところです。しかし今日は弟に聴かせるつもりで、彼がよく歌ったり、子どものころ彼に聞かされた歌を唄ったりしました。
 一通り唄った後、再度、思い出話をしました。その時、友人の方は、最後に飲んだ時、別れ際に弟に「得難い友人だ」と言って別れた、と話してくださいました。
 実は自分も、昨年の6月に弟と飲んだあと、「弟だからというわけでなく、一人の人間として敬意を持っている」と言った事がありました。
 その飲み会が、色々と弟に世話になった仕事の記念日、という事もあったのでしょう。しかしながら、弟にそのような事を言ったのは、この日が初めてでした。
 もしかしたら、自分もその方も、無意識のうちに、弟の「余命」を感じ、別れ際にどうしても伝えたかった事を言ったのかも、と思いました。
 そんな話をしながら、弟の想い出を懐かしがったり、寂しさを語り合ったりしました。
 もし、この場にいたら、弟は喜んでくれたでしょう。
 というわけで、いい誕生日祝いができたと思いました。

2016年01月13日

元職場の引き渡し

 今日は仕事を休み、前の職場の賃貸契約を解除する手続きをしに行きました。
 片付けは完了しており、中はガランとしていました。
 3年9ヶ月前に、ここを借りた時とほぼ同じ状態に戻った元職場を見ながら、色々と考えたり思い出したりしました。

 借りた時、最初に中を見せたのは、弟でした。
 昔から、視覚に訴えるものを作るセンスは、弟のほうが圧倒的に優れていました。
 そういう事もあり、彼に相談したり、一緒に店に行ったりしながら、何を置くかを決め、それを設置していきました。
 そうやって、職場を作っていった過程を思い出したりもしました。
 また、大家さんと不動産屋さんには、中が非常に綺麗であると感心されました。
 その理由の一つとして、中を土足禁止にした事もあったと思います。これも、弟のアイディアでした。自分の頭のなかにはその発想がまるでなく、指摘された時は「コロンブスの卵」的な感心をしたものでした。
 そんな事を思い出したりもしました。

 ちなみに、昨日も今日も、電話やメールで前の仕事の引き合いがあり、そのたびに「年末でやめた」と断りました。
 特に、昨日きた連絡は、以前なら弟が担当していた仕事でした。そのため、「これが3ヶ月前だったら、弟に連絡して即座に解決だったのにな…」などと思ったりもしました。
 そして、事務手続きのあと鍵を返却し、引き渡しが完了しました。
 自分はこれまで4回仕事を変えました。その中で、前の職場に行った事は一度しかありません。
 そんな事を思い出しながら、この場所に来るのもこれが最後かもしれないな、などと思いつつ、「元職場」を後にしました。

 

2016年01月04日

仕事始め

 今日から、新たな職場での仕事始めでした。
 色々あって、今度のデスクにはパソコンがありません。ここ16年ほど、「仕事場に行って仕事を始める=デスクにあるパソコンの電源を入れる」という生活をしていたので、かなり新鮮さがありました。
 もっとも、本を読んでの研修で一日のほとんどを過ごした中、依頼された数件の業務はいずれもパソコンまわりの仕事だったのですが…。
 ちなみに、これが通算で5回目の「初出勤」となります。我ながら、色々な仕事をやってきたものだ、と思いました。
 今回の仕事は、自分にとって一生ものとなるでしょう。その第一歩を踏み出した記念すべき日になりました。

 もっとも、まだ前の仕事の片付けが完了していません。退勤後は、そちらに「出勤」し、色々と片付けをしました。
 LANなどの配線を片付けていたのですが、3年半前、その配線をやってくれたのは弟でした。
 それを思い出しながら、「あの時は、この仕事を、弟と二人で一生やっていくつもりだったのにな…」などと寂しく思い出したりもしました。

2015年12月31日

2015年を振り返って

 この2015年という年は、これまで46年生きていた中で、最も悲しく、寂しい年になりました。
 10月に弟と永遠の別れをした事は、この先、何年、何十年生きても忘れる事はないでしょう。
 物心がついた時から当たり前だった事が、当たり前でなくなった年になってしまいました。

 さて昨日は、相方と二人で居酒屋にて忘年会を行いました。
 この店は、料理が美味しく、ボトルを入れるほどよく利用しています。
 昨年も、ここで相方と弟と三人で忘年会をやり、「終わりよければ全て良し」と思ったほど楽しい時間を過ごしました。
 しかし、同じ店での忘年会ですが、昨年と違い、弟はいません。その事をしみじみと感じながら、もう、昨年のような忘年会は二度とできないのだな、と改めて思いました。
 ちなみに、その店に前回行ったのは、10月1日でした。昨日飲んだボトルは、その時に弟が入れたものでした。そんな事も思い出しました。

 三日前にも書きましたが、弟の逝去は、自分のこれからの人生に大きな影響を与えました。今月をもって3年半続けていた仕事を辞め、来年からは新たな道を歩むことになりました。
 予想外の事になりましたが、この新たな仕事において、自分がこれまで積んできた経験の全てを活かし、お世話になる方々の役に立てるよう、頑張っていきたいと思っています。
 そうやってこの一年(その殆どは弟の事でしたが…)を振り返りつつ、来年からの事を決意した大晦日になりました。

2015年12月28日

夢の終わり

 記憶は定かで無いのですが、十年くらい前になるのでしょうか。
 その頃、年齢などの理由で、子どもを持つ事を諦めました。それと同時に自分は、相方と弟と三人で、末永くのんびり楽しく人生を過ごす、という「将来の夢」を自然と持つようになりました。
 それもあって、三年半前から今の仕事を始めました。自分と弟の経験・能力を活かし、「将来の夢」である、「三人でのんびり楽しく暮らす」を実現できると思ったからです。
 実際、弟は他の仕事と掛け持ちながら、こちらの仕事のために、本当に頑張ってくれました。
 大変な事が色々ありました。その疲れは、仕事が終わった後、弟と二人で飲んだ酒で吹き飛ばしていました。

 昨年秋からは、その「夢」に向けて、いくつかいい事もありました。そして、この秋からは、新たな計画を立て、より一層頑張ろうと思っていました。
 しかし、その計画を実行に移す前に、弟はこの世を去りました。
 その結果、色々な点において、今の仕事を続けるのは不可能だと判断しました。
 そういうこともあり、本日付で、今の仕事を終えることにしました。

 最後の業務が終わった後は、かつて弟と二人でよく飲みに行っていた店に行きました。「かつて」と言っても、ほんの数カ月前なのですが…。
 この店で頼むものは、常に決まっていました。
 当然、今日も同じものを頼んだのですが、飲んでも食べても、これまでと全く違う味がしました。
 改めて、美味しいのは「この店の酒や料理」でなく、「弟と一緒に飲み食いする酒や料理」だったのだな、と思いました。
 そんな事を思ったり、この店で弟と飲んだ時の事を思い出しながら、寂しい酒を飲みました。

 かつて持った、「相方と弟と三人で末永く楽しく暮らす」という「夢」は、もう絶対に叶うことはありません。
 というわけで、今日をもって、「自分の持っていた夢」に完全に幕を下ろしたのだな、と思いました。
 もちろん、これで自分が持っていた人生の目的が終わったわけではありません。
 年明けからは、新たな目標に向かって、フル回転するつもりでいます。
 それに向けて頑張る事により。弟も喜んでくれるのでは、と思っています。

2015年12月24日

プレゼント

 色々あって、ここ一週間ほど、プレゼントを貰う機会が増えています。
 今日は、仕事でお世話になっている方から、自分あてに、「サンタクロースの折り紙」をもらいました。
 シンプルな作りの中に、サンタクロースらしさがよく出ていました。下さった方の素朴で優しい人柄が伝わってくるようで、嬉しく思いました。
 また、同じく仕事でお世話になっている別の方からは、昨日が弟の二ヶ月目の月命日ということで、お花をいただきました。
 そこまで覚えていただいていること、それだけ弟の事を考えていてくれたことに、心より感謝しました。
 同時に、世を去ったあとも、クリスマスプレゼントを貰えるなんて幸せものだよな、と弟に話しかけたりもしました。
 いずれも、忘れられないプレゼントになりました。

2015年12月16日

健康診断

 年に一度の健康診断を受けました。
 昨年と同じ病院で受けたのですが、今年は採血の担当看護師さんが関西弁の人になっていました。
 針をさすときに「チクッと刺しますよ」と言いました。これは、多くの看護師さんが言うと思います。
 ところが、その看護師さんは針をさす瞬間に、自らも口頭で「チクッ」と言いました。長年、いろいろなところで採血されていましたが、これははじめての事でした。
 関西ではそのような「採血方法」が一般的なのでしょうか。
 それとも、この看護師さんが独特のセンスの持ち主で、かつたまたま関西人だった、というだけなのでしょうか。非常に気になりました。

 他に、胃のレントゲンも撮りました。同然ながら、バリウムを飲みます。
 飲みながら、ふと、自分がバリウムの存在を知った時の事を思い出しました。
 それは自分が幼稚園の時でした、親が、「ひとまねこざるびょういんへいく(人まね小猿、病院へ行く)」という絵本を買ってくれました。「おさるのジョージ」という題名でTVにもなっているロングセラーです。
 主人公の小猿「ジョージ」がジグソーパズルの1ピースをお菓子と間違えて飲み込んで体調を崩します。そして、病院に行ってバリウムを飲み、レントゲンでその原因がわかる、という筋立てでした。
 この作品で印象に残っているのは、ジグソーパズルの和訳です。ひらがなで「はめえ」とされており、当初なんの事だかわからず、「パズルのこと」と聞いて納得したものでした。
 何度もバリウムを飲んでいるのに、今回になってこれを思い出したのは、この「はめえ」という謎の和訳にあります。
 弟の家族内でのニックネームがこの言葉と類似しており、当時読んだ時は、「弟みたいだ」と喜んだものでした。
 彼が世を去ってから、弟との過去を思い出す機会が増えました。そのため、そのような記憶まで蘇ったのだろうな、と思いました。

2015年12月12日

指折り数える

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 職場に家族と相方を招待しました。
 案内したあと、職場近くの面白いメニューを出す店で一献、というスケジュールでした。
 したがって、店には事前に予約を入れました。
 予約を入れる際に、参加者を指を折って数えました。当然ながら、「父、母、姉、自分、弟、妹、妹そして相方」と数えました。これまで、自分を含めた家族で食事をするときは、常にこうやって数えていました。
 しかし、その直後に、もう弟は参加者として数える事はできない、という事に気づきました。

 しかしながら、次に人数調整を確認して店に最終的な参加者を伝える時も、やはり同じ数え方をしていました。
 なにしろ、「父、母、姉、自分、弟…」というふうに家族を数えるのは、物心がついてからずっとやっていた事です。
 というわけで、指を折る方法を変えるのは無理だ、と思いました。とはいえ、人数を不正確に伝えることもできません。
 そこで、「父、母、姉、自分、弟、妹・・・・」と数え、最後に、1を引くことにしました。傍から見れば無駄があるように見えますが、自分にとっては、こちらのほうが自然なのです。

 そうやって設定をした食事会並びに職場案内は、大変充実したものとなりました。店の食事も、皆に好評いただき、嬉しく思いました。
 これからも、家族でこうやって食事をする機会を増やさねば、と痛感しました。同時に、そのたびに、参加者を数えるときは、この「最後に1を引く」を続けるのだろうな、と思いました。
 ちなみに、その店に初めて行ったのは今年の4月でした。その時は、相方と弟と三人で行き、楽しい時間を過ごしたものでした。しかしながら、もうそれは二度とできないのだな、と改めて認識し、寂しさを感じました。

2015年11月30日

11月が終わる

 今日で11月が終わります。先月に続き、色々な事があった一ヶ月でした。
 色々な点において、一ヶ月半前の時点で、このような事になるとは夢にも思っていませんでした。
 物心がついてからずっと当たり前だった事が、当たり前でなくなってしまった月でした。
 また、「楽しい」とか「嬉しい」という感情を持つことのなかった月でもありました。
 一人で職場にいたり、道を歩いていたりすると、ついつい今は亡き弟の名を呼んだ月でもありました。
 きちんと数えていたわけではないですが、少なくとも、六百回くらいは呼んだような気がします。
 もちろん、このような感情・状態を続けるわけにはいきません。
 実際、すでにこの「弟のいない人生」を歩みだしているわけですし、さらにその先を見据えて色々とやっています。
 とりとめのない文章になってしまいましたが、そんな感じで2015年の11月を過ごしました。

2015年11月16日

青空

 今朝の空は、少しは雲があったものの、抜けるような青空でした。
 そこで、出勤して、職場の看板と青空を撮ってみました。
 あわせて、その看板をデザインしてくれた、今は亡き弟が数年前に撮っていた、昼の月や雲の写真も載せてみました。
 看板ができたのも、彼がこの写真を撮ったのもほんの数年前ですが、なんか遠い昔のように感じがし、寂寥感をおぼえました。
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2015年11月07日

かつての我が家

 1993年から1997年にかけ、中野区上高田に、弟と二人で住んでいました。
 今の所に引っ越してからは、10数年前に一度だけ行ったような記憶があります。
 それ以来の来訪となりました。
 最寄り駅は中央線の東中野と東西線の落合です。
 東中野駅で降りたのですが、その駅前の大変貌ぶりにまず驚きました。駅前広場が整備され、バスターミナルができていました。改札の出口も変わっていました。

 そこから、狭い商店街を抜けて、かつての我が家に向かいます。
 商店街の中にある店は、半分くらいが入れ替わっていました。ただ、当時買い物をした店も残っていました。
 商店街を抜け、早稲田通りを渡ると住宅街になります。しばらく行くと、信号があり、そこには何軒か店がありました。
 自分たちは一度も行かなかった寿司屋は健在でしたが、何度か利用した地中海料理屋および、頻繁に利用したコンビニはいずれもなくなっていました。
 そして、懐かしのアパートに着きました。こちらは、当時とほとんど変わっておらず、18年前に戻ってきたかのような気分になりました。

 帰りは、落合に出て、東西線に乗りました。その道すがら、店の入れ替わりがありました。よく利用したスーパーは、ドラッグストアになっていました。
 変わらないアパートや、変わった店などを見ながら、当時の事を思い出しました。本当は、その変化について、一緒に暮らしていた弟に語りたかったのですが…。
 それができない事を残念に思いつつ、もうこの場所に来ることはないだろうな、と思って東西線に乗りました。

2015年11月03日

菩提寺

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 我が大野家の先祖代々の墓は、八王子にあります。
 当然ながら、物心ついた時から、このお寺には行っていました。
 八王子の他の所は全く分かりませんが、駅とこのお寺の間だけは、頭のなかに地図が入っています。
 最近はあまり墓参りにも行っておらず、調べてみたら5年ぶりでした。
 しかしながら、寺までの道は頭の中に入っており、最短経路で行くことができました。

 今日の目的は、先日、急逝した弟の納骨でした。
 弟は無宗教で、両親はクリスチャンなのですが、先祖代々の墓に入るということで、仏教式の供養を行い、また戒名をつけ、位牌も購入しました。
 弟も、まさか自分に戒名がつくなどとは、夢にも思っていなかっただろうな、などと思いました。

 これまで、何十回も墓参りのためにこのお寺に行っていました。
 子供の頃は、ちょっとした家族での遠出でした。大人になり、兄弟姉妹がだんだんと親元を離れたあとは、たまに家族で会って食事をする、という感じになっていました。
 というわけで、どちらかというと「楽しい行事」だったのですが、今日は違いました。
 お寺の建物や境内の風景は、自分が初めて来た四十数年前とほとんど変わりません。上を見れば、きれいな青空でした。
 しかし、今日の風景は、これまでの墓参りの時に見た風景と全く違うものであるかのように見えました。
 同じ風景でも、楽しい時と悲しい時では、見えかたが違うのだな、と思いました。
 ただ、弟は最後まで幸せな人生を過ごしていたと、自分は確信しています。
 大切な存在を失った辛さを消すのは困難ですが、彼に余計な心配をさせぬよう、頑張って行かねば、と強く思いました。

2015年10月26日

2015/10/26の更新

 談話室納豆ご飯を巡る争いを再掲載しました。

 この談話室には、この話の他に二つほど、筆者の友人・知人を題材にした文章を載せていました。
 ところが、2011年から2012年にかけ、その友人・知人が相次いで急死してしまいました。
 迷信を信じない自分ですが、「これでは、来年この『納豆ご飯』で題材にした弟が急死することになってしまう」と思い、このページを2012年にサイトから削除しました。
 大変残念な事ですが、今ではそのような心配をする必要はなくなってしまいました。そこで、再掲載することにしました。

2015年10月24日

弟との別れ

[ ]

 一学年下の弟が逝去しました。
 生まれた時から26年間のうち、25年間を同じ家・同じ部屋で過ごしました。
 また、5年ほど前からは、彼が幕張本郷に越してきて、「ご近所」になっていました。
 自分にとっては一番一緒にいた期間が長い人になります。
 また、飲み仲間であり、ヲタ話仲間であり、ビジネスパートナーでもありました。さらに、相方にとってのいい友だちでもありました。
 自分の趣味・嗜好のうちの多くは、彼の影響を受けています。
 10代から20代にかけては、二人で同人誌を作ってコミケで売ったりもしていました。また、1997年から1998年にかけては、このサイトの前身となるサイトを二人で運営していた事もありました。
 まだ44という若さでしたが、彼なりに天寿を全うしたと思っています。
 幸せな人生だったと思っていますし、これからもずっと幸せだと思っています。
 自分の弟として生まれてきてくれたこと、および自分に色々とつきあってくれたこと、心より感謝しています。
 お疲れ様でした。そして本当に有難う。ゆっくり休んでください。

2015年09月21日

義理のきょうだい

 土曜日に、相方が津田沼の西友で買い物をしていました。
 とりあえず、すいたレジを探して並んだのですが、一つ前に見覚えのある後ろ姿の人が立っていました。
 よくよく見たら、その人は自分の弟(相方にとっては義理の弟)でした。
 近くに住んでいるので、生活範囲はほぼ同じです。そのため、道でばったり会うことは今までもあったのですが、このような形で会うとはお互い思いもよらず、ともにかなり驚いたそうです。

 その翌日となる日曜日、今度は自分が将棋大会に行きました。この大会は、大学将棋部のOBや会社の将棋部などが、七人でチームを組んで、リーグ戦を行うというものです。
 自分も母校のOBチームの応援&雑用要員として参加しています。その中の一試合で、妹の配偶者が所属しているの大学OBチームと対戦しました。
 すると、その中の一局が、本部裁定が必要な結果となってしまいました。その裁定によって、引き分けになるか、再試合になるかが決まります。
 そこで、自分が本部まで行って、裁定を頼みました。その結果、引き分けだという回答を得ました。
 そこで、対局場に戻り、その結果を対局者ならびに自分のチームに告げました。
 そして顔を挙げると、妹の配偶者(自分にとっては義理の弟)が指を三角の形にしてこちらに確認を促していました。
 要は「引き分けですね」という確認です。それに対し、うなずくことで回答しました。
 妹夫婦とは同じ関東でも家が少々離れている事もあり、あまり会うことはありません。したがいまして、久々の「会話」となったわけですが、それがゼスチャーによる「引き分けですね」「はい」だったわけです。
 自分の家は兄弟姉妹が多く、色々な組み合わせの「義理のきょうだい」関係があります。
 それだけに、いろいろな「出会い」や「会話」が発生するわけです、二日続いて面白い事が起きたものだな、と思いました。

2015年08月13日

物心ついた時から一緒にいた二人

 姉の家で、一つ下の弟、姉の長女(自分にとっては姪)の四人で食事をしました。
 我が家は六人兄弟姉妹で、自分と姉と一つ下の弟は年子三人です。
 そのため、物心ついた時から、すでに姉とその弟は自分と一緒にいました。つまり、ともに一緒にいて当たり前、という存在だったわけです、
 その後、妹が生まれた事もあり、この三人だけで一緒に何かをする、という機会はなくなりました。
 今回は、姉の長女である姪も一緒にいましたが、申し訳ないのですが、三人にしか分からない昔話を色々と話して盛り上がりました。
 あらためて、自分の「原点」を再認識できた、楽しい食事会になりました。

2015年06月13日

記念日と区切りの日

 今日は今の仕事を始めた三周年記念日でした。
 記念日といっても、さほどめでたいわけではありません。なにしろ、人様に胸を張って誇れるような結果は出せていないのです。
 とはいえ、三周年を迎えることができたのは嬉しい事でした。というわけで、開業前からずっとお世話になりっぱなしの弟に声をかけて、ささやかな祝杯をあげました。
 来年の四周年記念日は、もう少し豪華な祝杯があげられるようにしたいものだ、と思いました。

 その一方で、今日は前の職場での想い出の品を捨てました。
 それは、前の職場に入った年に倉庫整理をし、そこで発掘(?)されたついでに貰ったバスタオルでした。
 自分がその職場に入社する前、何かの記念で社名ロゴ入りのバスタオルを作ったものの余ってしまい、倉庫で眠っていたと聞きました。
 それを7年ほど使い続けてきたのですが、だんだんと傷んいきました。何とか我慢して使い続けたのですが、ついにバスタオルとしての機能を果たせなくなってしまい、廃棄せざるをえなくなりました。
 その職場にいたのは4年弱でしたが、いろいろといい思い出もありました。それだけに、辞めてからもバスタオルも大切に使っていたのですが、ついに諦めました。
 そういう点においても、「区切りの日」になったと思った三周年記念日でした。

2015年05月22日

誕生祝い新システム

 実家で誕生祝いをしてもらいました。
 子どもの時は、ケーキにロウソクを年齢の数だけ立てて、吹き消したりしたものでした。
 いつまでやっていたか覚えてはいませんが、多分、30年くらいはご無沙汰していると思います。
 ところが、今回は、お茶を飲む段になって、面白い物が出てきました。
 紙に誕生パーティーのイラストが書いてあり、電飾が光っています。そして、ボタンを押したら、誕生祝いの曲が流れました。そして、電飾に向かった息を吹きかけると、ロウソクの炎のように消えるのです。
 というわけで、約30年ぶりくらいに「誕生日に息で吹き消す」をやりました。
 少々照れくさいものもありましたが、やってみると楽しさがありました。
 それも含め、楽しい誕生祝いをしてもらいました。主催してくれた両親並びに、参加してくれ、かつ自分が犬の面倒をみている間、美味しい餃子を作ってくれた、相方・姉・弟に心より感謝しています。

2014年12月26日

義姉弟の会話を楽しむ

 近所に住む弟と相方と計三人で近所の居酒屋で忘年会をしました。
 相方と弟には今年になってハマった共通の趣味があります。そのため、二人でその話題で盛り上がっていました。
 しかしながら、自分はその趣味には興味がありません。そのため、もっぱら話を聞くだけの忘年会になりました。
 とはいえ、別に疎外感などがあったわけではありません。共通の身内が、同じ話題で盛り上がる、というのは嬉しい事です。また、その共通の趣味は自分的には難易度が高く、一緒にやる事は不可能です。したがって、こうなる事は事前の予想通りでした。
 また、出てきた酒と料理にも満足出来ました。
 というわけで、聞き役に徹しながら満足できた忘年会となりました。
 今年の忘年会には、いろいろ不完全燃焼なところもありました。しかし、最後になった今日の会は、非常に満足できるものでした。
 そういう事もあり、「終わりよければ全て良し」だと思いました。

2014年08月14日

あおぎ係兼犬の番

 実家に行きました。集まったのは両親と一つ上の姉、一つ下の弟、そして自分の相方でした。
 今回の料理は餃子でした。それを皆で作ることになりました。姉はもちろん、弟も料理は得意です。一方、自分は苦手中の苦手です。
 そこで、自分が担当したのは、餃子の前に茹で上がった枝豆を団扇であおいで冷ますことと、実家で飼っている犬が料理の邪魔をしないよう、父と二人で見張っている事でした。
 その間、母・姉・弟及び相方は、せっせと餃子を作っていたわけです。
 労働量のバランスから考えると、極めて不公平です。しかしながら、これで円満に進みました。まあ、仮に自分が餃子作りに「協力」したら味が落ちることは全員の共通認識だから、というのもあるのでしょうが…。
 これも、お互い45年近い付き合いだからこそなせるものなのだろうな、などと思いながら、餃子を美味しくいただきました。

2014年05月09日

はしご酒?

 仕事帰りに飲みに行きました。
 つきあってもらった弟が餃子を食べたいと言った事もあり、一次会は「大阪王将」のカウンターになりました。
 キャペーンで餃子は一皿190円と安かったのですが、飲み物がやけに高く、飲み物2杯+つまみ、にしては割高感を感じた会計になりました。
 続いて「二次会」として、「サイゼリア」に行きました。こちらでもそこそこ食べたり飲んだりしたのですが、会計は「一次会」の半額くらいでおさまりました。
 食べ物の単価はさほど変わらなかったのですが、それだけ飲み物に差があった、という事なのでしょう。
 ちょっとした料金設定が大きく影響する、という事に驚かされました。
 同時に、そのような細かい料金差にこだわらざるをえない自分の経済状況を省み、改めて経済状況の悪化ぶりを再認識させられました。

2013年05月22日

44回目の誕生日

 今日は誕生日でした。朝から両親にお祝いの電話やメールを貰ったり、夜は弟にごちそうしてもらったりしてもらいました。何歳になっても、家族というのは有難いものだと思いました。
 昨年一年間は、人生の中で一番、相方をはじめ家族に不安や心配をかけ、助けてもらった年でした。そういうわけで、祝ってもらって嬉しかった反面、申し訳ない気持ちも少なからずありました。  来年の誕生日には、このような気持ちにならないで済むよう、この一年間頑張らねば、と強く思った一日となりました。

2011年04月10日

花見川で花見

 千葉市花見川区に住んで13年半になります。しかしながら、町内で桜の花を見ることがあっても、「花見」をすることはありませんでした。
 ところが、今日は、近所に住む弟と選挙に行った後に花見をする事になりました(※相方は地震の事もあり、松山に長期滞在中のため不在)。投票所は幕張駅方面にあります。そこで、最初はそのまま幕張駅に出て、そこから千葉公園にでも行こうか、と思っていました。

 ところが、歩いているうちに、幕張駅の向こうを流れる花見川の存在を思い出しました。詳しい情報は知りませんが、花見川と名のるのですから、花見はできるはず、と安直に考え、そこまで足を伸ばす事にしました。
 しかし、確かにソメイヨシノや山桜が何本か咲いてはいるものの、花見ができるレベルではありません。一瞬、失敗したかと思いましたが、上流のほうを見ると、桜が咲いているようにも見えます。そこで、そちらに向かって歩きました。
 そして、三年ほど前に開通した「みずほ橋」を過ぎると、桜並木と花見をしている人たちが見えました。何本かは樹齢の長そうな樹もありましたが、多くは添え木がしてあり、最近になって植えた感じです。また、地面にも草が生えており、座りやすくなっていました。
 普段は昼酒は飲まない自分ですが、今日は昼酒好きの弟につきあい、シルクエビスを買いました。そして、自分としてはかなり珍しい「ビール片手の花見」となりました。
 画像をクリックすると同じ窓で大きな画像が開きます。
20110410-1.jpg
 その裏手は区役所になっています。帰って地図を見たところ、「花見川千本桜緑地」となっていました。花見川区役所の近くに花見の名所を作ろう、という発想なのでしょう。
 家族連れが多く、騒ぐ人もおらず、かなり雰囲気のいい花見風景でした。犬を散歩させている子どもや、バレーボールを始める学生さんなど、老若男女で楽しんでいる、という感じでした。
 というわけで、桜のみならず、それを見人を含め、楽しい時間を過ごすことができました。また、折角、「花見」がつく区に住んでいるのですから、来年以降も「区内での花見」を続けていこう、と思いました。

2010年06月13日

町内を歩き回る

 近所に越してきた弟の町案内・買い物手伝い、さらには昨日昇天したPCの回収などで、町内を歩き回りました。それに伴い、幕張西の交差点まで都合三往復し、さらに逆方向にあるパサール幕張にも久々に行きました。
 我が家の生活だけですと、行動パターンは限定されます。たとえば、ある時期から家電は千葉のヨドバシで買うようになっていました。そのため、幕張西にあるコジマとは縁遠くなっていたのですが、そこにも久々に行きました。また、その近くにあるゲオが古本の取り扱いを終了した事も初めて知りました。
 というわけで、案内をしながら、自分自身も町内の再発見をしたような感じになりました。

 あと、久々に行ったパサール幕張は、町内からの入口を20時以降は閉鎖する、という掲示が出ていました。なんでも、深夜にパサール幕張が、柄の良くない人達のたまり場になり、その「見物客」が町内からの入口を経由して押し寄せるための対処とのことです。
 夜に行くことはないので関係のない話ではありますが、折角のユニークな「車に乗らずにパーキングエリアで食事できる」という仕組みに制限がかかる、というのは残念な事だと思いました。
 そのような迷惑行為は根本から取り締まって貰い、また、元の雰囲気を取り戻してもらいたいものだ、と強く思った次第です。

2009年10月31日

ツイッターの速報性を痛感

 仕事で無線LANルータが必要となりました。帰りがけに錦糸町に用があったため、降りたついでにヨドバシえ購入しました。
 そして帰宅し、パソコンを立ち上げてツイッターを見ました。すると、有楽町に行った弟が、ビックカメラで無線LANルータの安売りをやっていた、と書いていました。ちょうど、私が買ったのと同じメーカーの物が、私の買値の半額以下で売られているとの事でした。

 もちろん、会社の備品ですから、別に自分が損したわけではありません。とはいえ、やはり「ならば有楽町に寄れば・・・」と激しく後悔しました。ちなみに、自分で無線LANルータを買うのは今日が初めてです。また、弟はよくツイッターに買い物の話を書きますが、無線LANルータの事を書くのは多分初めてです。
 仮に携帯でツイッターを見ていたら、偶然に偶然が重なって得な買い物ができたわけです。それだけに、余計損失感を感じました。これまで、ツイッターはPCオンリーでしたが、これを機に携帯でも見れるようにしました。

2009年08月16日

年に2回の行列整理

 コミケにサークル参加しました。前回同様、午前中は行列整理が仕事になります。
 何度やっても慣れないうえに、お隣のサークルのお客さんは増える一方なので今日も大変か、と思っていました。しかし、今回は、館外に行列を伸ばす事になり、しかも並ぶ場所は日影になっていたため、非常に楽でした。
 一応、最後尾についてはいましたが、ほとんどやることはなく、もっぱら、行列に並ぶ人を観察し、「行列に並ぶ人にもいろいろなタイプがいるものだな」などと思ったりしました。

 私が外でそんな事をしている間に、中のほうでは大変な事に。東館に大量の人が押し寄せたため、西館から東館へ移動するのに最長1時間かかるほどの混み具合になっていた、との事でした。
 その大量動員の原因となったのは、「東方Project」というゲームだそうで、1.5ホールがそのサークルで占められていました。一応、名前だけは聞いたことがありましたが、そこまで驚異的な人気を持っているとは知りませんでした。
 自分の「アンテナ」の衰えぶりを改めて認識させられました。
 というわけで、今日は東館には行かず、コスプレ広場を散歩した以外は、スペースの中でのんびりしていました。コスプレ広場では、灼熱の駐車場でコスプレする人、その写真を撮る人の体力と精神力の強さが最も印象に残りました。
 なお、肝心の自分が作った本ですが、おかげさまで本日も14時頃に完売。「壁サークルで即日完売」を2回連続で続けることができました。まあ、10部も刷ってはいなのですが・・・。いずれにせよ、買ってくださった方、有り難うございました。

 帰りは、弟に勧められて、「台場ガンダム」の見学へ。ガンダムそのものよりも、それを見たり写真に撮ったりする人の多さのほうにむしろ驚かされました。まあ、今日はコミケ帰りの人が大量に押し寄せたためなので、何度も行っている弟も驚くほどの多さだったようです。

2007年05月04日

九周年

 当「つれづれの館」は、1998年5月4日開設ですので、今日が創設九周年となります。また、その前の丸一年間、弟と別のサイトをやっていたので、個人としては、今日が初めて自分の書いたものをWEBに載せてから十周年となりました。
 その間、「バーチャファイター攻略」に始まって、政治問題から近所のベランダに干されていたイカについてまで、いろいろとキーボードの向くままに書いたものでした。そして、それによって得たものもいろいろありました。
 今後も、自分が楽しめること、そしてできれば読んだ方にとって何かの役にたつ物を書いていければ、と思ってます。

 なお、この九周年を機に、三年前にこの「つれづれの館」の一コーナーだった「毒舌の間」を元に立ち上げたブログ「これでいいのか?」を完全に別サイトとします。今後は、こちらでは更新情報は書きませんので、お読みの方は、直接「これでいいのか?」のRSSを登録するなどなさっていただければ幸いです。
 また、新たに交通に関する記事として、つれづれの乗換案内というブログを設置しました。都内を中心とした乗換情報なので、対象となる方は絞られますが、何らかの役立つ情報を提供できれば、と思っています。
 これからも、二人していろいろと書きたいものを書いていきますので、よろしければ引き続きのご愛読をよろしくお願いいたします。

2005年06月29日

「天王山」で連敗

[ , 野球 ]

 昨日に続く、マリンスタジアムは「全席1,500円(FC会員は1,000円)均一自由席」でした。というわけで、2ヶ月ぶりの連続観戦に行きました。今日はバックネット裏3列目。マリーンズ側のウェイティングサークルの前で、また、ホークスファンの弟にとってはベンチが良く見える「王さんシート」という位置でした。
 先発は小野投手と斉藤投手でした。初回、小野投手は2死を簡単に取りますが、前日の勢いが持続しているバティスタ選手に先制ソロを打たれます。しかしその裏、先頭の西岡選手が安打で出塁して盗塁。さらに2死3塁となってベニー選手は三塁ゴロに打ち取られますが、先ほど本塁打のバティスタ選手が失策し、同点となります。さらに2回には、橋本選手に犠飛が出て、このカード初の勝ち越しに成功します。
 小野投手は全体的には良さそうに見えたのですが、4回、3・4番を打ちとった後、城島選手を2-3から歩かせ、続くズレータ選手に初球をバックスクリーン左に特大の逆転2ランを喫します。しかしその裏、今江選手に今季第3号が出て、即座に追いつきました。さらに2死から連打と守備の乱れで2・3塁とし、続く福浦選手は敬遠気味の四球で満塁とします。しかし、ここでベニー選手は三振。この、「追いついた後2死2・3塁から福浦選手が歩いてベニー選手が倒れる」というのは昨日の3回と全く同じパターンです。

 そしてその直後の5回表、先頭の本間選手が右翼席に勝ち越しのソロ。本間選手はこれが今季第1号でした。今日の小野投手は一瞬の隙を衝かれて痛い本塁打を喫する、という感じでした。さらに6回、連打で無死2・3塁というところで小野投手は降板。二番手の山崎投手はズレータ選手を三振に、続くカブレラ選手も内野ゴロに打ち取りますが、その間に1点が入ります。しかし、続く鳥越選手の長打性の当たりをサブロー選手が超美技で捕り、その1点に抑えました。
 その後も、薮田投手がホークスの強力打線を抑え、追加点は許しません。しかし、ホークスの継投陣も7回無死1塁から登板したフェリシアーノ選手が福浦選手を抑え、続く吉武投手も連夜の好投で反撃の糸口をつかめません。そして9回は馬原投手に1番からの三人を抑えられ、5対3で試合終了となりました。外国人三人が無安打に封じられ、打線が最後までつながりませんでした。
 これで「首位攻防戦」を連敗し、ホークスとのゲーム差は2に開きました。一方、ホークスは10連勝です。同点になった直後に下位の本間選手が勝ち越しソロを打つあたりが、今のホークスの勢いを象徴していると言えるのかと思いました。まあ、まだまだ先は長いですが・・・。観客数は2万3千8百人ほどでした。

 札幌ドームのファイターズ対ライオンズはトーマス投手と河原投手が先発。2回に四球二つに失策で、1安打でファイターズが2点を先制。一方、トーマス投手は四球連発で早々と降板しますが、継投陣がよく抑えて完封リレー。4対0でファイターズが勝ちました。それにしても、怪我でもないのに完封リレーで先発に勝星がつかない、というのはかなり珍しいのではないでしょうか。ライオンズは6連敗となっています。観客数は1万3千人ほどでした。
 大阪ドームの合併球団対イーグルスは川越投手と金田投手が先発。序盤で合併球団が4点リードしますが、5回にイーグルスが逆転して2点リード。8回の無死満塁のピンチも1点で凌ぎ、6対5で逃げ切りました。これで対合併球団の連敗を7で止めています。観客数は1万3千2百人ほどでした。

 米子のカープ対タイガースは福原投手とデイビー投手が先発。7回にシーツ選手の3ランで逆転したタイガースが、藤川投手・ウイリアムス投手・久保田投手という「毎度のリレー」で逃げ切り、9回には金本選手の3ランでダメを押しました。ちなみにこの試合で本塁打を放ったのは「前田選手・緒方選手・シーツ選手・金本選手」。3年前だったらカープの圧勝試合だったわけです。なお、新井選手の7試合連続本塁打は出ませんでした。観客数は1万3千1百人ほどでした。
 富山のドラゴンズ対ベイスターズは川上投手と門倉投手が先発。ベイスターズ1点リードでむかえた8回にウッズ選手に逆転2ランが出るという、米子と同じ「昨年までいた選手が逆転本塁打」となりました。最後は岩瀬投手が抑え、5対4でドラゴンズが勝ちました。観客数は1万4百人でした。
 東京ドームの読売対スワローズは工藤投手と藤井投手の先発でしたが、スワローズ打線が21安打で11対1で圧勝。観客数は3万8千2百人ほどでした。

2005年06月28日

エース対決に敗れて首位陥落

[ , 野球 ]

 今日明日のマリンスタジアムは「全席1,500円(FC会員は1,000円)均一自由席」という企画を行っています。これは、もともとこの二連戦を韓国で行う予定がシーズン直前に流れ、急遽マリンスタジアム開催となったたために生じた企画です。というわけで、ホークスファンの弟に声をかけ、バックネット裏の通常は5,200円の席に、1,000円で座って「呉越同舟」状態で観戦しました。
 さらにこの日はビールも半額の300円。缶ビールなみの価格です。ただし、売り子さんに聞いたところ、値下げした分、1本あたりの歩合は減らされたそうです。
 さて、試合のほうは清水直行投手と杉内投手のエース対決。杉内投手のマリーンズ戦は、昨年4月末以来です。清水直投手は初回は0点に抑え、2回もまず城島選手を打ち取りますが、続くズレータ選手にバックスクリーンに打ち込まれ、先制されます。
 ここまで10勝で防御率1位の杉内投手ですが、今日はあまり出来がよくなさそうに見えました。3回1死から堀選手が歩き、今江選手が安打で繋いで1・2塁に。小坂選手は倒れましたが、西岡選手の右中間への適時二塁打が出て追いつきます。しかし、さらに2死満塁としましたが、ベニー選手が打ち取られ、勝ち越しは出来ませんでした。

 直後の4回表、1死から今度は城島選手が左翼席直撃のソロを打たれて勝ち越されます。その裏、フランコ選手の左飛が「お見合い」で二塁打になります。この頃から雨がポツポツ降り出していたのですが、いきなり豪雨に。試合は中断となりました。雨宿りしたのですが、ちょうどそこは「キッズスペース」という観戦者のお子さんを遊ばせる場所の前でした。普段は子供のいるところは見れず、「ただ遊具を置いて遊ばせるところなのだろう」と思っていたのですが、そこではマスコットやチアガールの「Mスプラッシュ」などが子供あいてにアトラクションをやっていました。意外なところでファンサービスの一環を見ることができました。
 豪雨は通り雨だったようで、20分弱で上がって試合は再開されました。直後に里崎選手の安打が出て1・3塁に。1死後、堀選手に犠飛が出て、再度同点に追いつきます。しかしここも同点どまり。どうも今日は好機でたたみかける事ができません。
 そして6回、川崎選手とバティスタ選手の連続二塁打で3度目の勝ち越しを許します。そこから松中選手・城島選手は抑えたのですが、ズレータ選手の当たりが右翼前に落ちてこの回2点目、さらにカブレラ選手にも適時打が出て一気に3点勝ち越されます。
 その裏、マリーンズもまたまた無死1・3塁の好機を作りますが、里崎選手・李選手が連続三振。続いて今日調子のいい堀選手が出ると、ホークスは吉武投手に継投。これが当たり、この回は結局1点も取れませんでした。
 そのまま試合は9回に。3点負けている局面ですが、調整も兼ねて中10日の小林雅英投手が登板します。しかし、2死からこのバティスタ選手が本塁打。この日4安打目でした。ヒーローインタビューではバティスタ選手は「神のおかげで打てた」と言っていました。
 その裏、2死から今江選手が内野安打で出塁するも、反撃はそこまで、馬原投手に抑えられ、6対2で敗れました。これでホークスは9連勝。マリーンズは4月24日以来守っていた首位から陥落しました。観客数は2万5千人ほどでした。
 試合が終わり、球場から出ようとしたら声をかけられました。誰かと思ったら職場のホークスファンの人。実は先週会ったとき、「今日のマリンは1,500円均一ですよ」と声をかけていた経緯がありました。それがきっかけになったかどうかは定かでありませんが、家族4人で来ていたとの事でした。それにしても弟といい、この人といい、声をかけたホークスファンには大いに満足してもらえたと思われます。「首位奪回」を見てもらえ、声をかけた私も嬉しい限り・・・とは言い切れませんね、やはり。

 札幌のファイターズ対ライオンズは金村投手と帆足投手が先発。ライオンズが先制しましたが、3回に一挙5点を取って逆転したファイターズが以下毎回得点で15対5と圧勝しました。カブレラ選手はまた、札幌ドームの天井にぶつけたようです。観客数は1万2千8百人ほどでした。
 大阪ドームの合併球団対イーグルスは光原投手と朝井投手が先発。初回に光原投手が乱れ、無死満塁から押し出しでイーグルスが先制しますが、この好機は1点止まり。直後に合併球団が逆転し、一度は追いつくものの、直後にスクイズで再度合併球団が勝ち越します。イーグルスも9回に大久保投手を攻め、1死満塁から沖原選手が二塁手の頭を抜くような当たりを打ちましたが、これを平野選手が超美技で併殺にし、試合終了となりました。観客数は1万2千5百人ほどでした。

 米子のカープ対タイガースは黒田投手と井川投手というエース対決。5回まで1対1でしたが、黒田投手が打球を手にあてた影響で降板してからは流れが変わり、6回にタイガースが4点取って勝ち越し、終盤にも大量点を挙げ、終わってみれば14対4でした。井川投手は6回途中を9安打2四球3失点という内容でしたが、何とか勝ち投手になっています。金本選手の「32球場目本塁打」や新井選手の「6試合連続本塁打」などの記録も出ています。観客数は1万4千4百人ほどでした。
 東京ドームの読売対スワローズは内海投手とガトームソン投手の先発で読売が勝ったようです。観客数は3万7千6百人ほどでした。
 金沢のドラゴンズ対ベイスターズは雨で中止でした。

2005年03月11日

負の天才?

 職場に因島出身の人がいます。この人が先日、同郷の大棋士・本因坊秀策に影響されたのか、突如囲碁を始めました。始めたのはいいのですが、問題はその実力。最初に囲碁の事を何も知らない後輩に囲碁を覚えさせて相手をさせたのですが、一度も勝てません。そこで今度は、囲碁の技はもちろん、ルールもきちんと知らない人をつかまえて打つのですが、それでも勝てません。
 私も、幼少時に囲碁を覚えた時、弟にルールから教えたところ、1ヶ月で全然勝てなくなってしまった、という過去があるのであまり他人の事は言えません。とはいえ、やはりルールを知らない人にも負ける、というのはすごいものがあります。
 それこそ、同郷の本因坊秀策と正反対の「囲碁の才能」と言えるのかもしれません。その素晴らしい才能に感動したせいか、最近は私もかなり囲碁にハマってしまい、暇を見つけてはパソコンソフト相手に対局する日々を過ごしています。

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