2020年11月20日
34年前の「美味しんぼ」
Line漫画で、毎晩、「美味しんぼ」を読んでいます。今から34年前の1986年にブームが起こり、自分も単行本を買っていました。
当時、高校の部活の合宿に行った時に、刺し身が出たら、皆、「美味しんぼ」推奨の食べ方をしていた、というくらいのブームでした。
ただ、34年経った2020年に読むと、その人権感覚や職業倫理の古さにはクラクラきました。
まあ、男女関係などについては、高校生だった当時から強い違和感を覚えたこともあり、掲載誌に投書して採用された事もありました。
しかしながら、その当時の自分ですら、他の前時代的な人権描写については、当たり前のように読んでいた、という事に我ながら驚きました。
もちろん、今のまともな漫画で、当時のような表現はありえないでしょう。それだけ、日本の人権感覚も進歩したわけです。
一方で、日本のジェンダーギャップ指数が下がり続けているという明白なデータもあります。
言い換えれば、他国は、日本よりずっと上の速度で、このような問題を解消している、というわけです。
その現実を改めて思い知り、道の険しさを感じたりもした、34年ぶりの「美味しんぼ」でした。
2020年11月04日
同郷の有名人?
昨年あたりから大ブームをおこしている「鬼滅の刃」に出てくる「富岡義勇」というキャラの出身が、今の東京都中野区野方であると知りました。
自分もこの野方で生まれてから小学2年の夏まで過ごしました。
したがって、このキャラとは「同郷」という事になります。
なぜ作者が野方出身にしたのか、とちょっと気になりました。
もっとも、この「鬼滅の刃」は、単行本を6巻まで買いましたが、自分や相方の好みではないと判断し、そこで読むのを辞めました。
調べてみたら、この富岡というキャラも序盤から出ていたようですが、あまりよく覚えていません。
いずれにせよ、故郷の名前を見ることができたのは嬉しいことでした。
2020年09月30日
「出会い」の変化
久しぶりに、かなりハマれる漫画に出会いました。毎日、全話読み返しては癒やされています。
この漫画との出会いは、ネット経由でした。最近はすっかり、漫画との出会いもネットがメインになっています。「本屋で見かけて面白うそうだと思った」という昔ながらの出会いは、3年以上ありません。
自分の生活パターンの変化もあるのでしょうが、やはり時代の変化なのだろうな、と思っています。
あと、年をとったせいかもしれませんが、昔に比べて、作品の「旬」が短くなっているように思っています。
今回出会った漫画も末永く楽しみたいのですが、同時に「いつまで楽しめるのだろう」と思ってしまう自分もいます。
2020年05月19日
作者の性別
今週終了した人気漫画「鬼滅の刃」の作者が女性だった、という事が話題になっています。
率直に言って、なぜそんな事が話題になるのか、と強い違和感があります。
漫画を描くのに性別は関係ありません。実際、この「鬼滅の刃」と同じ少年漫画という分野を見ても、女性の作家が歴史に残る大ヒット作品を描いた、という事例は筆者が10代の頃からいくらでもあります。
にも関わらず、なぜ作者の性別が話題になるのでしょうか。
ちなみに、最近の少年漫画界は全然わかりませんが、筆者が10代の頃、男性名義で人気スポーツ漫画を描いている方がいました。
その方が、一定以上ヒット作を出した時点で、本名にペンネームを変えました。
筆者は、作者の性別によって漫画の評価が変わる、という事は一切ありませんでしたが、この時は、「女性の漫画家はそのような『対応策』をとっているのか…」と驚いたものでした。
当時に比べれば、漫画やアニメにおけるジェンダー表現はある程度改善されてきたとは思っています。
この流れがもう少し進めば、このような無意味な「ニュース」もなくなっていくのでは、と思ったりしました。
2020年04月27日
共通の思い出
相方とある漫画の話で盛り上がりました。
ともに高校時代に連載されていたもので、もちろん、当時、お互いの存在は知りませんでした。
しかし、その漫画、さらにはそこから派生したパロディの話で盛り上がりました。
そのパロディも、二人して読んでおり、その記憶が30年以上残っていたわけです。
その漫画やパロディを読んだ時は、まさか50歳になったときに、配偶者と二人で盛り上がる事になるとは、当然ながら夢にも思っていませんでした。もちろん、相方も同様でしょう。
出会ったあとも色々なものを共有していますが、出会う前にも共有しているものが色々あるわけです。
そういう意味でも、いい相方に巡り会えてよかった、と改めて思いました。
2020年01月23日
30年以上前の普遍的な表現と今
1980年代から漫画を読み続けています。
様々な分野の作品を読みましたが、かつて普通に読んでいた描写の中には、現在の社会通念ではありえないものが色々とあります。
自分的な「三大表現」は、「女性の尻を触る」「気に入らない女性にビンタをする」「ハゲた壮年男性をからかう」です。
80年代から90年代にかけ、これらのネタは合わせれば百回以上も読んだ気がします。
ただ、当時も率直に言って面白いとか共感することはありませんでした。もちろん、真似することもありませんでした。
ついでに言うと、これらの表現が使えないからといって、漫画の表現範囲が狭まる、という事もまったくもってありません。
そして、今、上記3つを含めた人権侵害的な描写のない漫画を楽しく読んでいます。
人権感覚も、漫画の表現技術も、ともに進歩しているわけです。
これからも、ともに進歩し、より漫画を楽しみたいものだと思っています。
2019年12月29日
コミケのない年末
トップページ上に書いてあるように、冬コミは落選しました。
もっとも、申し込んだ直後に相方の病気が判明し、しかも手術までかなり時間がかかったので、仮に当選しても参加は無理でした。
そういう意味では、「運良く落選した」とも言えるでしょう。
一時期、相方がプロの漫画家さんと合体サークルで出ていた事もあり、ここしばらく、当選し続けていました。記憶が定かではありませんが、もしかしたら今世紀に入って初めての落選かもしれません。
相方の事も含め、色々と忙しく、一般参加もできません。
というわけで、かなり久しぶりにコミケに行かない年末を過ごしています。
暮れのコミケに一日も行かなかったというのは、大学受験の時以来と思われます。
それだけにちょっと普段と違う、年末の雰囲気を感じています。
ぜひとも、来年の今頃は、元気になった相方と一緒に、コミケに行きたいと思っています。
2019年11月24日
うどん野郎
いま、我が家では「うどん野郎」がブームです。
相方を見舞いに行ったとき、必ず、この「うどん野郎」が話題になります。
その「うどん野郎」というのは、「あしたのジョー」で描かれた一場面を意味します。
ボクサーたちは減量のために厳しい食事制限を行っているのですが、ジョーの友人であり、同じジムに所属している、西は、食欲に負けて、こっそり夜泣きうどんを食べ、それをジョーに見つかります。
続いて、ジョーは、「このうどん野郎~!」と言って、西をぶん殴るのです。
この逸話は、色々と面白く、それをネタに二人して盛り上がっています。あまり笑うと、相方の手術の傷に響くので、話を加減せざるを得なくなるのは残念なところです。
そして、「うどん野郎」で盛り上がっているうちに、「あしたのジョー」における幸福論を考えるようになりました。
いつか、それについて書いてみたいと思っています。
2019年03月15日
「漫画の神」と人権
30年ほど前に逝去した手塚治虫さんは、現役時代も今も「漫画の神」と呼ばれています。
自分も、子供の頃から色々な作品を愛読していましたし、確かに素晴らしい作品を描いた人だと思います。
ただ、だからと言って、手塚さんが描いたものが絶対的に正しい、という事はないと思っています。
特に、差別問題で言えば、決して「進歩的」と言える人ではありませんでした。
「鉄腕アトム」などで「ロボットの人権」的なものを描いた一方で、アフリカ系の人に対しては、露骨な差別表現をしていました。
もちろん、当時の風潮が今よりさらにずっと、差別を容認するものだった、という事はあります。
しかし、当時はすでにアメリカでは公民権運動が行われていました。それを注視し、きちんと調べれば、自分の表現が差別である事を理解できたはずです。
そのような、今では許されない差別表現をした、というのは歴然たる事実です。
いくら名作を描いたからといって、その差別が正当化される事は絶対にありません。
にも関わらず、最近、その「手塚さんの作品だから…」という論法で差別表現を容認するような言説を見たので、非常に気になっています。
2018年11月07日
作品の寿命
漫画というのは、安定した人気と、作者の意思があれば、半永久的に続ける事は可能です。
自分が読んでいた頃はの少年ジャンプは、「黄金パターン」みたいなものが確立されており、人気のある限り、同工異曲のシリーズを繰り返して連載を続ける事が可能なシステムになっていました(今もそうかもしれませんが…)。
ただ、やはりそのような形で長く続けると、その時は大きな利益を生むのでしょうが、後から「作品」として振り返ると、間延びした印象しか持てません。
やはり、作品には一定の寿命があり、それが過ぎたのに無理やり「延命措置」をすると面白かった最初の頃まで色あせてしまいます。
ここ数日、以前面白かいと思った作品が、人気がでて長期連載になったため質が落ちた事例を続けて見てしまったため、特に強くそう思いました。
2018年09月05日
時とともに変わった評価
20代の頃に愛読していた漫画を久々に読みました。
実在とされる武術の達人の漫画で、若い頃から高齢になるまで、無類の強さを発揮しますが、最後は恨みを持った人に毒殺されます。
20代の頃は、その絶対的な強さの描写に感心しながら読んでいました。
しかし、久々に読んだら、この主人公の「強さ」に虚しさのようなものを感じてしまいました。
この主人公は手加減を一切せず、対戦した相手の命を奪います。しかも、高齢になってからもその習性は治りません。その結果、毒殺されてしまったわけです。
持って得た才能に努力を積み重ね、武術の達人になったわけですが、それを殺人にしか使わなかったわけです。技術は凄いのでしょうが、やっている事は、大量テロ犯と変わりありません。
というわけで、かつてと180度違う読後感がありました。
まあ、この20年数年間、いろいろなところで、命とか「強さ」について考える機会を得たゆえの感じ方の変化なのだろうな、などと思いました。
2018年08月09日
33年目の夏コミ
明日の夏コミに参加します。ヤー59b「jakushou.com」です。出品については、相方の告知をご参照願います。ちなみに自分には何がなんだか全然わかりません。
初めてコミケに行ったのは1985年の夏でしたので、33年めになります。今の職場で一緒に組み、色々助けられている人が1986年生まれです。その人が生まれる前からコミケに行っていたわけですから、我ながら驚きます。
33年間、色々な事がありました。一緒に組んで同人誌を出す相手も、弟から相方に変わりました。
その中で、一番忘れられないのは、22年前、満を持して弟と作った本が全然売れず、失意のもと、弟と友人と三人で帰宅し、しかもその途中で悲惨な目にあって追い打ちをかけられた事でした。
弟と一緒に行くことはもうできませんが、その友人とは明日も会う予定です。
色々な思い出がありました。今はどちらかと言うと、相方の荷物持ちという立ち位置で参加していますが、相変わらずそれなりに楽しんでいます。
というわけで、明日にそなえてそろそろ寝ます。多くの方に来ていただける事を願っています。
2018年05月13日
漫画の好影響と悪影響
漫画の影響を受けて趣味のみならず、仕事を決める人はたくさんいます。
「キャプテン翼」を読んでサッカー選手を目指した人は海外にもいると聞きます。また、「ヒカルの碁」がきっかけで囲碁のプロになった人もいたはずです。
つまり、漫画でいい影響を受けた人はいる、というのは誰もが同意できる事実なわけです。
では、逆の場合はどうでしょうか。これに関しては漫画が好きな人からよく「悪影響はない」という言説が出されます。
先日も、「ワンピース」を見て海賊になった人はいない。だから悪影響はないんだ、みたいな話をしている人がいました。しかし、これには疑問があります。
日本で生きていて海賊になる事など、ほぼ100%不可能です。だから、「ワンピース」を読んでいようと読んでいなくても、海賊になる人はいません。つまり、この言説には全くもって意味がないのです。
「ワンピース」はちょっと読んだだけでよく知りません。しかしながら、同じ少年ジャンプで大人気だった「北斗の拳」や「ドラゴンボール」などを読んでいて気になった事がありました。
主人公やその仲間が強敵と対決し、勝利を重ねていきます。話が進むにつれ、敵も強くなりますが、主人公は一時的に敗れる事はあっても、最後は、友情と努力の成果で勝利を得ます。
その際、道理を説いて強敵を倒すことはありません。常に、主人公たちの力によって、敵を倒していったわけです。
もちろん、「北斗の拳」を読んで北斗神拳を習得した人も、「ドラゴンボール」を読んでスーパーサイヤ人になった人もいません。
しかし、この「道理があろうとなかろうと関係ない。強い力を持つものが正義だ」というこれら一連の作品の考え方に影響を受けた人はかなり沢山いると思います。
それを考えれば、「あの漫画の主人公と同じ事はできないから、その漫画に悪影響を受けた人はいない」という論法には無理があると思っています。
漫画だろうと、小説だろうと、好影響も悪影響も人に与えるものです。それはやはりきちんと認識する必要があると思っています。
2017年07月14日
少年漫画での蔑視表現
先日の少年ジャンプに、女性蔑視的な絵が掲載され、大きく話題になりました。
その批判に対し、一部の漫画好きな人が怒っていました。
しかし、長年漫画を読んでいた身として言わせてもらえば、問題になった描写は、女性蔑視のみならず、漫画そのものとしても残念なレベルのものでした。批判されて当然と言わざるをえません。
にも関わらず、感情的になって、その描写を擁護するのみならず、かつ批判者に対して事実と異なることまで使って口汚い言葉で罵る発言がネットに多発した事は、非情に残念に思いました。
他の表現のみならず、漫画においても失敗することはあります。それはそれで認めたほうが、趣味の漫画を楽しむために必要なのでは、と強く思いました。
2015年10月27日
英才教育?
昨日、親族で集まり、幕張本郷で食事をしました。
すると、下の妹から、先日書いたがっこうぐらしを、妹の家でもアニメや漫画を見ている、という話が出ました。
中学生の甥が単行本を揃え、幼稚園児の甥も見ており、「ゾンビが出てきてシャベルでやっつけるやつでしょ」などと言っていました。
あのようなマニアックな作品をこの年で見ているという事に驚きました。また、中学生の甥のタブレット待受の話などでも盛り上がりました。
兄弟でヲタ話するというのがいかに楽しいかは、長年の経験で十分知っています。この甥兄弟にもその楽しさを知ってほしいと思いました。もちろん、だからと言って、無理やりヲタになる必要がないのは言うまでもない事ですが…。
2015年09月01日
書泉ブックマート閉店
駿河台下交差点にある、書泉ブックマートが閉店になる、というニュースを見ました。
ここ10年近くご無沙汰していますが、かつては、かなりの頻度で通っていた書店でした。
中学校の時に、この書店および、同じ並びにある三省堂本店・書泉グランデ・高岡書店といった、質量とも豊富な書店街の存在を知りました。
当時の自分にとっては、それこそユートピアみたいな場所の一つでした。特に、書泉ブックマートの三階は想い出深い場所です。
高校に入ってからも、学校帰りによくこの地帯に寄っていました。そうやってこの地域に想い入れを持った結果、一番行きたい大学は、この地域と隣接している大学となりました。
その結果、大学3・4年の時は、授業の合間や学校帰りにこの地域に寄れる、という極めて幸せな「学生生活」をすることができました。
社会人になってから、引っ越したこともあり、この地域に行く機会は少しずつ減っていきました。
夜遅くなって本屋が閉まっている時間になったときでも、竹橋の出先から帰る際に、東西線を使わず、わざわざ書泉ブックマート脇を歩いて駅まで歩く経路を選んだりした事もありました。
それだけに、閉店の情報を聞いた時は、10年近く行っていないにも関わらず、少なからぬ喪失感がありました。
次に、あのあたりに行くのがいつになるか分かりません。ただ、跡地が何になろうと、そこに書泉ブックマートがない、という事実を目の当たりにした時は、かなりの衝撃があるだろうな、と思いました。
2015年08月14日
30年目のコミケ
相方の手伝いをしに、コミケに行ってきました。
コミケに初めて行ったのは高校に入った1985年の夏でした。というわけで、今日は自分にとって「三十周年」になります。
当時の会場は晴海で、開催日は一日で、パンフレットは同人誌とさほどかわらない厚さの中綴じでした。
それが、今では三日開催となりました。パンフレットはタウンページ並になっています。
また、会場もその間、5回も移転しています。
自分の関わり方も変わりました。30年前は、同人誌を数冊買っただけでした。
しかし、その後、自分で本を作って売るようになった時期も長くありました。買う方でも、一番ハマっていた20代半ばには、1日2万円がコミケの基本予算になっていました。
しかし、結婚してからは購入冊数はだんだんと減っていきました。また、7年前から本作りは「休養中」です。その結果、相方の手伝いがコミケに行く目的の99%を占めるようになっています。
ちなみに、今日買った本は一冊でした。しかも本の内容は「債権回収会社の業務説明」です。
なお、この本を買った最大の理由は、お世話になっている大学の先輩が発行されたからです。別に債権回収に困っているわけではありません。念のため。
ここ数年、かつてと比べると、体力の低下を感じることが増えています。それを考えれば、今後も、コミケとの付き合い方はさらに変わっていくことでしょう。
そんな事を思ったりした、30年めのコミケでした。
2015年07月17日
作品の解釈
一年ほど前、相方が「がっこうぐらし」という漫画を買ってきました。
ホラーなのですが、読み始めた時は、それと気づきにくい描写がされており、第1話から驚かされるような、凝った構成になっています。
今月からTVアニメになったので、相方と一緒に見ているのですが、そこで意外な事を指摘されました。
そこで、漫画を読み返してみたら、確かに指摘の通りでした。
もともと相方が買ってきたのですから、向こうのほうが読み込んでいるのは当然です。
とはいえ、自分も何度か読んではいました。にも関わらず気付かなかったわけです。
自分が考えていたより、さらに凝った作りだったようです。
相方との出会いのきっかけの一つは漫画でした。そして結婚して17年めの今年もこのような会話ができ、おかげで発見ができたわけです。
そのことを非常に嬉しく思いました。
2015年02月15日
31年の時を越えてよみがえる記憶
サイトをご覧になった方から、感想のメールをいただきました。
その方が読まれたのは、1984年2月発売の雑誌に掲載された漫画の感想でした。
題材とした漫画の内容は「ムーミン」のパロディです。感想を送られた方は、今度上映される「ムーミン」の映画の情報をご覧になって、この作品を思い出した、との事でした。
発表されてから31年経っても、そのような時に真っ先に頭に浮かぶわけです。いかに心に強く残る作品だったかよくわかります。
もちろん、自分も「ムーミン」の映画の情報を見た時に真っ先に思い出したのはその漫画でした。
31年前の漫画で、見ず知らずの人と思いを共有できたわけです。サイトをやっていて本当に良かった、とつくづく思いました。
2015年01月04日
CMに使うキャラクター
栄養ドリンク・リゲインの広告を見ていたら、「うる星やつら」のヒロインの実写キャラクターが出ていました。
彼女が疲れているサラリーマンに電撃を食らわすと、彼らは元気になって(?)働き始める、という筋立てでした。
漫画では、この「電撃」は、主人公がバカな事をした際の「制裁」としてヒロインが行うものです。それを食らった主人公は感電してしばらく動けなくなる、というのがお決まりの展開でした。。
にも関わらず、その「本来の用法」と正反対の「効果」を描くというのには、少なからぬ違和感がありました。
もっとも、今の「ブラック企業」は、社員に苛烈な罰則や制裁で脅して無理やり働かせ、利益を得ています。
それを考えれば、「疲れた社員に電気ショックを与えて働かせる」と解釈できるこの広告は、現状を適切に把握しているとも言えるのかもしれませんが…。
まあ、いずれにせよ、こんな質の低い広告に、「うる星やつら」を使ってほしくなかった、というのが偽らざる本音です。
2014年12月09日
事実は漫画より奇なり?
学生時代に読んだ山科けいすけさんの漫画で、今でもよく覚えている作品があります。
選挙に立候補した人が、「プロの選挙参謀」にプロデュースを頼みのですが、その「選挙のプロ」は、「有権者など、政策は聞いていない。候補者の名前をいかに連呼するかが当選のコツだ」とアドバイスします。
当然、選挙カーもポスターも名前だけ、となります。
さらに、トドメ(?)として、その候補に覆面をかぶらせ、そこに候補者の名前を書き始めた、というオチでした。
なかなか皮肉の効いたギャグなのですが、なんと現在行われている総選挙の関西地区において、それに類する事が行われている、という画像を見ました。
公設掲示板に維新の党から出馬した候補者のポスターが貼られているのですが、その顔の部分に「橋下共同代表の演説会の案内」というチラシが貼られているのです。
その結果、候補者の顔は隠されてしまっています。
確かに、候補者よりも共同代表氏のほうが訴求力はあるでしょう。比例区での得票を考えると、ある意味、筋の通った策と言えなくもありません。
とはいえ、いくらなんでも…。と思うと同時に、その「自分の名前が書かれた覆面をして選挙運動をする候補者」という、20数年前に読んだ漫画を思い出してしまいました。
当時は、現実にはありえないけれど面白い皮肉だと思っていました。それだけに、その斜め上をいくような事が実現した、と知った時は、少なからぬ衝撃を受けました。
2014年09月27日
腹巻き
「妖怪ウォッチ」という作品が子どもたちの間で大人気です。
主人公(?)の「ジバニャン」はスーパーから歯医者まで、ありとあらゆる所で見かけます。
その「ジバニャン」ですが、赤い猫が腹巻きをしている、という、いでたちです。
自分が子どもの頃、「腹巻き」と言えば「バカボンのパパ」でした。いまでも、腹巻きを見ると、条件反射的に彼の姿が頭に浮かびます。
同様に、今の子どもが大人になって腹巻きを見れば、「ジバニャン」を思い出すのだろうな、などと、至る所で目に入る、彼の腹巻きを見ながら思いました。
2014年09月10日
先見の明
ここ数日話題のテニスの世界選手権の件で、興味深い論考を見ました。
要は、日本のテニス界の育成環境はよくなくて、今回の選手のように世界トップになるならば、若いころから海外に行くよりない、という内容です。
この記事を読んで思い出したのは、30年ほど前に塀内夏子さんが描いた「フィフティーン・ラブ」というテニス漫画でした。
出だしは普通の学園テニス部漫画でした。ところが、主人公が外国のテニススクールのコーチにスカウトされ、いきなり海外編になったのです。
そして最後は主人公がウィンブルドンで優勝する、ところで終わっていまいした。
読みながら、なんでいきなり主人公以外のメインキャラ総入れ替えで海外に?と不思議に思っていました。
しかし、冒頭の記事を見る限り、「日本人がウインブルドンで優勝する」という展開にするには、この設定は必然、という事だったようです。
それだけ、この作者はテニス界を綿密に取材し、かつ先見の明があったのだな、と改めて感心させられました。
2014年05月01日
「美味しんぼ」騒動
長寿漫画「美味しんぼ」がネットで大騒ぎになっています。
なんでも、福島で鼻血が出た人がいた、みたいな描写をしたら、それが「問題のある表現」だと、一部の人達が騒ぎだしたようです。
そのため、掲載誌のサイトのトップに、それに関する編集部の見解が掲載されていました。
ネットで、それに対する反応を色々見ました。
福島出身や在住の人でも「これはひどい漫画だ」と怒る人も、「実際に自分の身内も鼻血が出た。何で叩くんだ」と言う人もいました。
当たり前ですが、原発事故とその影響については、何が正しいのだか分かりません。結論が出ていないのだから当たり前です。
ただ、三年経った今でも、事故を起こした原発は汚染水を流し続け、それを解決する手段はありません。
さらに、原発周辺に普通の人は立ち入ることが出来ないわけです。
このような状況であるにも関わらず、「事実と異なる」と決めつけて叩く人は、どこまで「事実」を把握しているのだろうか、と思いました。
こんな事を書いていますが、実は自分も「美味しんぼ」を「叩いた」事があります。
今から30年近く前の高校生の時、「めぞん一刻」目当てでスピリッツを買っていました。
当然、「美味しんぼ」も読んでいたのですが、どうしても納得のできない筋立ての話がありました。
そこで怒りにかまけて(?)読者投稿欄に投書しました。
すると、それが掲載されました。もっとも、文章の半分くらいが修正され、批判のきつさは大幅に緩和されていましたが…。その後、そこそこ豪華な掲載記念品を貰った事も覚えています。
そんな事を思い出しつつ、いろいろな意味で、当時に比べて物騒な世の中になったな、と思いました。
2014年03月29日
ツイートされるセンス
ツイッターで寝込んでいる奥さんに向かって「あ、俺の飯は気にしなくていいよ、外で食べて来るから」と言った旦那さんの"気遣い"を「王様の優しさ」と言った人がいたなあ…言い得て妙だと思ったよ。
という呟きが、1万以上リツイートされていました。書かれたのは1年近く前なのですが、誰か有名な人がいたのか、ここ数日だけでも千回以上リツイートされています。
この「言った人」とは、漫画「OL進化論」に出てきた主婦です。したがいまして、この文言を考えたのは、著者の秋月りすさんなわけです。
また、しばらく前に、「今晩の夕食が叙々苑だから、という理由で、彼氏とのデートを断った女性」というのも、ツイッターで大量リツイートされていました。
これと同じネタも、「OL進化論」に「デートに誘われた女の子が家に電話しておかずを確認し、その後、彼氏に断りを入れる」という同じ内容の四コマがありました。
いずれも、10年以上前に描かれたネタだと記憶しています。それが、この現在にツイッターに投稿されると、それだけ多くのリツイートを得るわけです。
改めて、作者のセンスの鋭さおよび、どの時代にも通じる普遍性に感心させられました。
同時に、ツイッターで大量RTをして欲しければ、秋月さんの漫画から印象に残る言葉や場面を紹介するというのが手っ取り早い方法だな、などと思ったりもしました。
2014年02月17日
過激なムーミン
Twitterを見ていたら、【漫画】ムーミン 放火犯人はだれだ?なる、朝日ソノラマのソノシートに掲載された漫画が流れてきました。
1970年台に放映された、初代「ムーミン」の派生商品のようで、表紙には「原作・トーベ=ヤンソン」と書いてあります。
しかしながら、リンク先を見ていただければ分かるように、内容は「ほのぼの」という印象を持つ「ムーミン」とは似ても似つかない内容のものでした。
「よそ者」であるスナフキンを、以前からの住人が心のなかで嫌っており、それが謎の失火事件によって顕在化した、という話です。
スニフを筆頭とする「スナフキン追放派」の台詞はなかなか過激で、自分が子どもの頃に見ていた「ムーミン」のキャラと同じとは思えません。
まあ、仕事を頼まれた漫画家(?)が、虫の居所が悪かったのか、「ムーミン」が嫌いだったかで、このような柄の悪い作品を描いたのだろうか、と思いました。
ただ、今からちょうど1984年2月に、ムウミン谷の攻防というパロディ漫画を読み、その時の衝撃が30年経った今でも頭にこびりついている身としては、「まあ、こんなパロディ(?)もあるんだな」程度の感想しかありませんでした。
そのため、サイトやTwitterで「これは凄い」と言っている人の感覚には同調できませんでした。
2014年02月05日
15年前のタペストリー
千葉のパルコに本屋があります。
パルコというと、お洒落な印象が強くあります。実際、津田沼パルコ内にある本屋は、他の店と変わらない雰囲気の内装となっています。
ところが、この千葉のパルコに入っている本屋は、お洒落とは縁遠い内装になっています。
全体的に薄暗く、床もかなり古びたPタイルです。本の積み方なども、現代風ではありません。自分が子どもの頃によく行っていた、商店街の小さい本屋さんに通じる、古さがあります。
普段はあまり行かないのですが、今日は久々に入りました。そして、奥のほうまでいろいろ見ていたら、漫画の宣伝タペストリーを見つけました。
小学館の販促品のようで、ひとつは「名探偵コナン」でした。これはまあ普通です。しかし、もうひとつは、あだち充著の「H2」という漫画でした。
自分が少年サンデーを読んでいたのは20世紀まででした。その時、この漫画が連載されていた記憶があります。
気になって調べてみたところ、1999年終了と書いてありました。
普通、このような宣伝物は、連載中に作成されます。したがって、このタペストリーは、15年以上、この店に飾られているわけです。
ということは、隣の「名探偵コナン」も、同じ頃から飾られていたと考えるのが普通でしょう。幸い、こちらは20年経っても続いている大人気作品なので、現在でも違和感はないわけですが…。
ちなみに、今日の店頭では、「YAWARA!」の復刻版の1~4巻が平積みになっていました。それを見た時、確か、前に行った時は「ああ、女神さま!」の復刻版が同じように積まれていたな、と思いました。このあたりも、20世紀テイストがよく出ています。
あらためて、この店の「レトロぶり」に驚かされました。この調子で、何十年経っても、この雰囲気を守り続けてほしいものだ、と思いました。
2013年12月20日
かつての愛読作品が復刻
10代半ばの頃に大好きだった県立地球防衛軍という漫画の単行本が復刻されました。
当時買った単行本はいまでも大切に保管してありますが、描きおろしの新作が掲載される、という事なので、買って読みました。
ある時期を境に、作者から往年の上手さやセンスを感じる事はなくなりました。そのため、ここ数年の新作は読んでいません。
しかしながら、あの作品のキャラたちなのだから、また面白い話になるのだろう、と期待していました。
しかしながら、読みだしてしばらくして「何だこれは?」という気分になり、読み終わった後は、強い寂しさを感じました。
当時のキャラのうち、そこそこ出番があったのは一人だけで、しかも、当時のような面白みはありません。うち二人のメインキャラには台詞すらなく、モブキャラ扱いでした。
もちろん、当時を彷彿するようなギャグもなく、特に印象に残る場面もなく、あっという間に読み終えてしまいました。
かつての実力がもはやないという事は、あらかじめ分かってはいました。とはいえ、ここまで変わり果てるとは、と驚きました。
あの頃好きだった作品はいろいろありました。しかしながら、もし今後、それらの作品で「○十年ぶりに新作描きおろし」というのがあっても絶対に読むまい、とまで思いました。
2013年11月29日
児童向け作品のアダ名
児童向け作品の多くには、「ガキ大将」キャラがいます。そして、彼らにはたいてい、あだ名がついています。一番有名なのは、「ドラえもん」に出てくる、剛田武こと「ジャイアン」です。
このジャイアンは、まだ普通のアダ名と言えるでしょう。しかしながら、この類の「ガキ大将」には、かなりとんでもないアダ名がつけられています。
たとえば、同じ藤子不二雄作品の「キテレツ大百科」には「ブタゴリラ」というアダ名のガキ大将がいました。また、「ど根性ガエル」に出てくるのは「ゴリライモ」です。
さらに忘れられないのは、ある児童書に出てきた「ゴキゲン」というガキ大将でした。
わざわざ、そのアダ名の由来に解説があり、「いつも『ゴキゲン』だからというのが表向きの理由だが、本当は『ゴキブリと人間の間に生まれた』というくらい忌み嫌われているからだ」などと書かれていました。
まあ、児童向けの漫画家や小説家になる人なら、子供時代はガキ大将にいじめられていた経験がある可能性が高そうです。そのため、当時の恨みを、自分が作った「ガキ大将キャラ」のアダ名にぶつけているのだろうか、と思っています。
とはいえ、改めてこのような「ガキ大将キャラアダ名リスト」を見ると、もう少し、「ガキ大将」の人権を尊重したアダ名にしてもバチは当たらないのでは、とも思えてきました。
2013年11月09日
「人は潜在能力の2割しか使っていない」の意味
よく、人間は自分の持つ能力の2割しか使っていない、という言説を聞きます。
30年ほど前に流行った漫画では、その設定を活用するヒーローが少なからずいました。「北斗の拳」のケンシロウは、「俺は100%使うことができる」と豪語し、「キン肉マン」は、「火事場のクソ力~!」と叫ぶことにより、残りの8割の力を出して勝利していました。
子供の頃は、それを見て、「人間の潜在能力ってすごいんだな。また、人気漫画家は、その設定をうまく使うものだ」などと感心していました。
しかしながら、しばらくすると、「普段は2割しか使わない」の意味がわかってきました。
たとえば、普段は歩いて10分かかるところでも、非常に急いでいる時なら、全力疾走して半分以下の時間で着くことが可能です。要は、普段は持てる力の2割しか使っていないわけです。
しかしながら、ケンシロウのように、普段から100%使ってしまっては大変な事になります。普段から歩くかわりに全力疾走していれば、あっという間にバテてしまいますし、足も痛めてしまいます。
「火事場のクソ力」の同様で、確かに、いざとなると、普通に考えればありえない重さの物を持つことはできます。しかしながら、それを毎日のように持ち運んだら、やはり体を痛めてしまいます。
そのあたりに気づくようになってからは、「普段は2割しか使っていないから、残りの8割も使えば凄いことができる」という言説がいかに胡散臭いかが分かるようになりました。
そういう事もあり、啓発系の話で、「貴方の潜在能力を活かす」だの「貴方の潜在意識を開放すれば」などという言葉を見ただけで、とりあえず「眉唾もの」と判定するようにしています。
2013年09月26日
神様のベレー帽
一昨日、「神様のベレー帽」という題名のTVドラマが放映されました。漫画に詳しい人なら、題名を見ればわかると思いますが、故・手塚治虫さんを題材とした作品です。「ブラック・ジャック」を連載していた頃の逸話を題材としていました。
先日も書きましたが、実写のフィクションを30分以上見ると飽きてしまう体質です。したがって、途中からとはいえ、TVドラマを1時間近く観るなど、かなり久しぶりです。ひょっとしたら今世紀に入って初かも知れません。
しかしながら、別にドラマが優れていたわけではありません。
もともと、このドラマの存在を知ったのはツイッターでした。「ブラック・ジャック」掲載時に、同じ雑誌で連載していた、吾妻ひでおさんのツイートが面白く、「元ネタ」として見たくなったのです。
吾妻さんのツイートは絶妙で、ドラマで「手塚先生は原稿を落とさなかった」などという描写があると、即座に「嘘です。私、代原(※本来の連載作家が原稿を落としたため、穴埋めとして掲載される読み切り漫画)描かされました。」というツッコミを入れる、と言った具合です。
他にも、色々な漫画家さんのツッコミを見ました。中には、中学時代大好きだったものの、その後、縁遠くなった漫画家さんのツイートなどもあり、「そうか、まだお元気でやっているのだな」などと再会(?)を懐かしんだりもしました。
ところで、この作品の終盤で、草なぎ剛さん扮する手塚治虫さんが、アニメーションのスタッフに「私ができるのだから、貴方にもできますよ」という場面がありました。
これは、このドラマの「決め台詞」らしく、何度か繰り返して流されました。
しかし、見ている方としては、「そんなわけあるかい!」としか言いようのない、典型的なツッコミどころとしか思えませんでした。
もちろん、当時すでに手塚さんは、「漫画の神」の異名を持つ、日本を代表する漫画家だったわけです。本人にとっては、それでいいのかもしれませんが、言われたほうにとってはたまったものではないでしょう。
このドラマを作った人が何をもって、この台詞を使ったのかわかりません。とはいえ、こんな無茶かつ、他人に無理を強いる台詞はないのでは、と思いました。
まあ、元々ツッコミを観るためにつけたドラマでした。その目的は十二分に達せられたと言えるでしょう。そういう意味では、「見る価値のあった作品」でした。
2013年08月11日
明日は夏コミ
明日月曜日は夏コミです。東A54b「jakushou.com」にて、翔みならの新刊(400円)と既刊(300円)を用意してお待ちしております。
お近くをお通りの際は、ぜひともお立ち寄りください。愛媛FC非公認マスコット一平くんが目印です。
なお、自分的には、今回の夏コミは、一般参加28周年、サークル参加(=同人誌制作・販売)25週年となります。今回は自分のほうは何もできませんでしたが、冬にはぜひとも、原点に帰って、25週年記念本を出したいものだ、などと思っています。
2013年01月17日
「怒れば正義」世代?
半年ほど前、自分が10代の頃大人気だった少年ジャンプの基本概念について書きました。それは、主人公は怒りによって最強の力に目覚め、難敵を倒すというものでした。
つまり、「怒る」という事が多くの主人公に共通する「究極奥義」だったわけです。
そのような漫画が大人気だった我々世代には、そのような考えに影響された人も少なからずいたかもしれません。
特に、最近、連日のように「怒って」、意味不明の「制裁措置」を発表している大阪の市長さんを見ていると、その思いが強くなります。
彼は日頃から「体罰」を容認する発言をしまくっていました。そのお膝元の市立高校で「体罰」が原因で自殺者が出たわけです。
おとなしくしていれば、日頃の「体罰」容認発言が批判を浴びるのは自明です。そこで、彼の行った「対策」は、怒りまくって学校を糾弾し、自分のこれまでの発言を誤魔化す事だったわけです。
実際問題として、「怒り」で「正しい事」が成し遂げられる、などという事はありません。
先述したジャンプのヒーロー達も、「怒り」の力で誰かを救う、などという事はありませんでした。ただ、その力で、敵を惨殺しただけです。
そのような「怒りによって『正義』を実現させるヒーロー」が栄えていた時代に育った人が、それを極めて醜悪な形で具現化した「ヒーロー」になってしまったわけです。何とも皮肉な話だな、と思いました。
2012年12月30日
2012年冬コミ
今日は冬コミに参加しました。
相方が世話になっている大手サークルさんが一年ぶりに参加されたため、こちらも一年ぶりの行列整理となりました。
今日はコミケにしては珍しく雨でした。行列は建物の外に伸びたため、その中に並んでもらう形になりました。
もちろん、ほとんどの人は雨具を用意していたのですが、一割くらいの方は、雨を遮るものが何もないなか、少なからぬ時間、外に並んでいました。
コミケの熱気で、雨の冷たさも吹き飛ばす、という気構えなのでしょうか。
今の自分には絶対まねできません。しかし、若い頃は自分も似たような無茶をよくやっていました。その頃を思い出し、懐かしさを覚え、同時に自分も年をくったな、と思いました。
なお、肝心の相方のほうですが、既刊が完売し、新刊も売れ行き好調でした。
そちらについては、相方のブログにお礼があります。合わせてお読みいただければ幸いです。
2012年12月17日
分かりやすいリスク表示?
魔法少女まどか☆マギカ MasterCard UPtyという広告が載っていました。宣伝バナーでは、キュウべえが「僕と契約してカード会員になってよ」と言っています。
作品を知らない人のために説明しますと、このセリフは、宇宙から来た謎の生物「キュウべえ」の「僕と契約して魔法少女になってよ」が元になっています。
彼の勧誘に乗って契約すると、どんな願いでも一つだけかないます。しかし、その代償として闘いを強要され、最後には魂が燃え尽きます。その際に発する膨大なエネルギーをキュウべえが母星に送る、というシステムになっています。
つまり、作品において、「無垢な少女を騙して契約を要求する」という台詞を、そのままカード契約勧誘の宣伝文句に使っているわけです。
そして、バナーをクリックしてカードの宣伝ページを見ました。すると、フィギュアが当たるとか、オリジナルプレミアムカードが当たる、といった「特典を約束して取り入ろうとする」宣伝が並んでいました。
それらの特典の下に、小さめな字で「このカードは『リボ払いタイプ』のカードで、自分にあわせたお支払い金額を設定することができるため、翌月一回払いと同じような使い方をすることもできます」などと書かれていました。
リボルビング払いというのは、分割払いで一回あたりの支払いは減るものの、利息がつく、という制度です。細かい規定はよく分かりませんが、普通に考えれば、このカードで買い物すれば、必ず利息を取られるわけです。
一見すると、無利息である翌月一回払いもできるみたいですが、よく見ると「同じような」と書かれています。
しかも、リボ払いだと、一回あたりの支払額が少ないため、「浪費してしまった」という意識が持ちにくくなります。その安心感(?)と引換に、利息を払わされるわけです。
ちなみに、JCBには支払額を試算するサイトがあります。そこで計算した所、毎月1万円支払う契約の人が12万円の商品を買うと、1年で9千円以上の利息を払わされるい、との事でした。
そう考えると、作品における「契約」と、この「カード契約」はかなり共通点が多いと言えるでしょう。
仮にこれに契約した挙句、カード破産をした人が出たら、「この国では、リボ払いで無茶な買い物をして破滅した人を『カード破産者』と呼ぶんだろ、だったら、やがてカード破産者になる君たちのことは『カード会員』と呼ぶべきだよね」という、キュウべえのイラスト入りメッセージでも会社のほうから送ってくるのだろうか、などと思いました。
まあ、キュウべえが「僕と契約して○○になってよ」と言う時点で、一時の喜びと代償にとんでもないリスクを背負う契約である事くらい、「魔法少女まどか☆マギカ」を見た人なら分かるはずです。
にも関わらず、こんな広告を出しているわけで、ちょっと驚かされました。まあ、好意的に解釈すれば、「リスクを正直に提示している良心的な広告」とも言えるのですが・・・。
2012年12月09日
脅迫で、「黒子のバスケ」関連作品の頒布が不可能に
夏ごろから、漫画「黒子のバスケ」の作者並びに、関連イベント・同人誌に関する脅迫が相次いでいます。
その結果、年末に行われる冬コミでも、警察並びにビッグサイトの「これまでにない強い要請」により、「黒子のバスケ」の同人誌等を販売する事が禁止となりました。
20年ほど前、幕張メッセでコミケが行われていた際、一部の同人誌が県条例に違反する恐れがある、との事で、急遽開催自体が中止となった、という事がありました。それ以来の大事件と言えるかもしれません。
今回、「黒子のバスケ」サークルは900ほどあったとの事です。それらの人が、年末に向けて頑張った事が、すべて水泡に帰してしまったわけです。
自分は「黒子のバスケ」は原作もアニメも同人誌も読んだことがありません。キャラの一人の苗字を知っている程度の知識しかありません。
しかしながら、自分は毎日、冬コミに向けて原稿を頑張っている相方を見ていました。仮に今回の脅迫の対象が、相方のジャンルであるTRPGだったら、その努力が全部無に帰していたわけです。
それだけに、「黒子のバスケ」で同人誌を作っている方々の悔しさ・悲しさ・辛さが想像できます。
今回の事件で最大の問題は、「不当な脅迫に断固対処するよりも、脅迫者の要求をのんで、『黒子のバスケ』同人誌愛好者を辛い目にあわせたほうが無難だ」という判断をした、警察並びにビッグサイトの考え方にあると思います。
まあ、彼らにとっては、その900以上のサークル並びに、その何十・何百倍もいる読者のことなど、頭の片隅にもないのでしょう。
それによって被害を受ける人の事を考えれば、警察のリソースを大幅に割いてでも、解決すべき問題だと思うのですが・・・。
今回の事はもう決まったことなので仕方ありません。ただ、遅くとも夏コミでは、このような事が継続されないことを強く願っています。
2012年08月10日
懐かしの経路
ビッグサイトで行われているコミックマーケットに行きました。これまでは、バスで海浜幕張に出て京葉線で新木場に行き、りんかい線に乗り換えるという経路を使っていました。
しかし今回は、稲毛海岸方面から、コロンブスシティを通り、東京駅を経由して国際展示場駅前に行く、高速バスを使ってみました。
箱崎町で高速を降りたバスは、永代通りを通って八重洲口に着きました。そこから、新大橋通りを経て、築地から晴海通りに入ります。
このバスに乗って晴海通りを進み、勝鬨橋を渡りました。
この、バスで勝鬨橋を渡ってコミケ会場に行く、というのは約19年ぶりのことでした。
その頃は、都営浅草線の沿線に住んでおり、当時晴海にあったコミケ会場に行くには、東銀座からバス、というのが定番でした。27年前、初めて行った時から、晴海で開催された時はずっと使い続けていた経路でした。
しかし、1993年に転居してからは、有楽町線の豊洲からから晴海に行くようになりました。そして1995年の晴海閉館により、この「勝鬨橋を渡ってコミケに行く」というのは、「昔の思い出」となったわけです。
それがまさか、このような形で、再び実現するとは思ってもおらず、驚きと懐かしさを強く感じました。
そしてバスは、かつてのバスが右折していた晴海三丁目の交差点を直進して、かつての経路と別れました。
短い時間でしたが、以外な形で、「バスで晴海通り・勝鬨橋を通ってコミケに行く」という事を19年ぶりにできたのは嬉しいことでした。
なお、この初めて使った高速バスですが、「重いカートを引きながらの階段の登り降り」という面倒な作業が、これまでの7回から2回に減ったのは極めて大きい利点でした。
一方で、渋滞に引っかかり、大幅に遅れた、とう問題がありました。もう20分ほど遅れたら制限時間に間に合わない所でした。さらに、もし満席だったら乗れない、というリスクもあります。
それらを考えると、今後使い続けるかは要検討、という感じです。
2012年08月06日
「怒り」の効能
10代から20代の頃、週刊少年ジャンプに掲載されたバトル漫画が大ヒットしていました。それらの人気作品に共通した盛り上げ方がありました。それは、「主人公が怒ると、これまで以上の力を出し、難敵に勝利する」というものです。
「北斗の拳」のケンシロウは怒りが頂点に達すると筋肉が膨張し、着ていた服を破り、驚異的な力を見せました。「ドラゴンボール」の孫悟空も、怒りが頂点に達した時にスーパーサイヤ人になり、フリーザを倒したものでした。
しかしながら、人は怒りの感情に表を出せば、最善の力を出せるのでしょうか。
実際問題、ケンシロウも孫悟空も、そして他の20世紀ジャンプ漫画の主人公たちも、怒りによって自分のタガを外したわけです。このタガとは、つきつめてみると、「相手を必要以上に傷つけてはいけない」などといった「理性」なのではないでしょうか。それを捨て去る事により、力を増し、その結果、「敵を殺す」という目的を達成したわけです。
そのように考えていくと、この「怒りにより最大の力を引き出す」というものは、一概に「いいもの」とは言えないのでは、と思わざるをえません。
なぜこんな事を書いたかと言うと、先日、久しぶりに「怒り」という感情をあらわにしたからです。相手のあまりにも非礼な態度に、ついつい怒ってしまいました。
しかしながら、その後に自分に残った感情は、20世紀ジャンプ漫画のヒーローが勝った時のような達成感ではありませんでした。むしろ、「なぜ怒ってしまったのだろうか・・・」という後悔のほうが強くありました。
そんな事を考えているうちに、「ジャンプ漫画のヒーローがなぜ怒ると強くなるのか」という疑問だったわけです。
いずれにせよ、感情はきちんと制御できなければなりません。自分の未熟さを痛感させられた、苦い思い出になりました。
2012年07月04日
Go To 小沢一郎氏?
小沢一郎さんが自身四つ目となる新党を立ち上げるようです。ぜひともこの勢いで新党を作り続け、いつかは「世界で最も多くの新党を立ち上げた人」としてギネスブックにでも載ってほしいものです。これについては、大いに期待しています。
ただ、それ以外の事については、この新党には何一つ期待していません。それは、これまで小沢氏がどのような「政治」を行なってきたかを見ているからです。
その自分のような人間がいる一方、この小沢氏を強く信じている人がいます。その信仰心は極めて強く、消費税を初めとする現在発生している政治的な問題の殆どたいていは、小沢氏が全て解決してくれる、というような事を言う人すらいます。
それだけの信仰心があるため、「信仰の敵」に対しては容赦がありません。以前、ある大学の先生が、氏の政治資金に関する疑惑を告発した所、その人のブログには信者が押し寄せ、罵詈雑言を書き込んでいました。
その信者の方々が、いま一番怒っているのは「世論調査で新党の支持率が低く発表されている」という事です。
自分もマスコミの「世論調査」にはかなりの疑問を持っています。しかしながら、信者の方々は、その怒りをマスコミだけには向けません。今朝流れてきたRTでは、信者の一人が、増税反対なのに小沢氏を支持しない人々に対しじゃあ、誰だと期待できるのかい?答えてみろよ。などと、「天から目線」で怒りを爆発させていました。その批判対象に属する身としては、朝っぱらから恫喝されたような気分になると同時に、その信心の深さに驚き呆れました。
信者の方々のそれらの発言を見ているうちに、漫画「デトロイト・メタル・シティ」に出てくる「DMC信者」を思い出しました。この人達は、主人公が属するバンド「DMC」並びに、主人公が扮する「クラウザーさん」に対し、絶対的な忠誠心を持っています。そのため、敵視する人はもちろん、ちょっとでも軽んじる発言を聞くと、それだけで怒り心頭になります。
同時に、「クラウザーさん」に対する信心は驚異的なものがあります。しまいには、「この世界も全てクラウザーさんが作ったんだ」などと言っていました。
その信仰心の深さと、忠誠の対象に対する絶対的な畏敬は非常に似通っていると思いました。そのため、そのうち「小沢信者」も、「今の日本は全て小沢さんが作ったんだ」などと言い出すのではないだろうか、と思ってしまったほどでした。
2012年04月27日
間違ったキャラの使用法
キリンビバレッジが「トクホのコーラ」を販売しました。要は「黒烏龍茶」のコーラ版です。
それはいいのですが、電車の中でその広告を見た時は唖然としました。CMキャラクターに「あしたのジョー」を使っているのですが、そこでは、矢吹丈がピザやポテトチップスなどを食べまくっているのです。そして、それを見た白木葉子が「トクホのコーラだから」などとその行為を容認しているのです。
サイトを見たら、動画版が掲載されており、そちらでは、同じく高カロリー食品を食べまくる矢吹丈が、驚き呆れる丹下段平の叱責を、「トクホのコーラ」を飲みながら受け流す、というものでした。
作る側としては、「太らない飲料→減量苦→あしたのジョー」という安直な連想で選んだのでしょうか。しかしながら、このキャラ選択ははっきり言って間違いすぎていると思いました。
「あしたのジョー」の減量といえば力石徹が有名ですが、ジョー自身も過酷な減量をしています。
成長期のため、体自体が大きくなっているので、普通ならば、上の階級に変更するところです。しかしながら、かつて自分と闘うために命がけでバンタム級に減量した力石の事もあり、ジョーは無茶な減量をしてバンタム級にとどまろうとします。
その時、ジョーの前に立ちはだかったのは、幼少時に朝鮮戦争を体験し、飢餓の極限により実の父親を殺したという過去を持つ、東洋チャンピオン・金竜飛でした。
その壮絶な過去を聞き、ジョーは「勝てない」と思ってしまいます。しかしながら、かつて力石が、同様の極限を自ら課していたという事を思い出し、精神的に立ち直り、逆転勝利をする、という展開でした。
この時のジョーの心の描き方は強く心に残っています。それだけに、その矢吹丈が「痩せる飲み物があるから」などという理由で、ボクシングにいいと思えない食品を飽食するなどというのはありえないことだと思いました。
それこそ、ウルトラセブンが異星人退治の請求書を地球防衛軍に送りつけ、払わねば地球を破壊すると脅迫した、というくらいの「キャラ改変」だと思いました。
人気キャラクターを宣伝に使う人も、それを許諾する著作権者も、もう少しキャラに敬意を払うべきなのでは、と強く思いました。同時に、この「キリンビバレッジのトクホコーラ」だけは、何があっても絶対に飲むまい、と心に誓いました。
2012年04月07日
コナン列車とミステリー
鳥取県の山陰線に、作者が地元出身である「名探偵コナン」を描いた列車が登場、というニュースを見ました。
「名探偵コナン」と言えば、毎回のように関わった人が死ぬことで有名です。そんな事もあり、その列車でトラベルミステリーが発生する事を想像してしまいました。
トラベルミステリーといえば、西村京太郎さんが有名です。今年で81歳になるそうですが、相変わらず新作を執筆しており、駅の売店などでも新刊をよく見かけます。
というわけで、ぜひ西村さんの次の題材にはこの、ある意味もっとも事件発生が似合う列車である、この「コナン列車」を選んで欲しいものだ、などと思いました。
2012年03月22日
瀋陽と奉天
となり町で、漫画展 中国からの引き揚げ ~少年達の記憶という企画をやっているので、見に行きました(※リンク先は来週福岡で開催される同じイベントのページです)
ちばてつや氏・古谷三敏氏・故赤塚不二夫氏などの有名漫画家さんが、自分たちが「満洲国」で過ごした事および、敗戦に伴い、命からがら帰国した経験を描いています。
自分の親が「引揚者」だった事もあり、他人事とは思えず、それぞれの逸話を読みました。いろいろと印象深い話が多く、「あのような作品を描いた人が、戦中戦後にこのような経験をしていたのか」と驚かされました。
ところで、さきほど挙げた、ちば・古谷・赤塚の各氏は、いずれも奉天に住んでいた、と書いてありました。この街は、「満洲国」崩壊後に瀋陽という名前になり、現在は中国東北部を代表する大都市となっています。
その瀋陽出身の女性との結婚生活を描いた井上純一さんの「中国嫁日記」が昨年以来ヒットを続けています。
日本を代表する漫画家たちが育った街で、それから40年後に生まれた人を描いた漫画が日本で大ヒットする、という事は、興味深いことだと思いました。
同時に、かつてのように、争いによって両国の人が不幸になった時代が二度と来る事なく、いつまでも「中国嫁日記」のような関係が続いてほしいものだ、と思いました。
話は変わりますが、その井上純一さんの漫画も載っているアリアンロッド・サガ・コミックアンソロジーが発売中です。我が相方も漫画を二本ほど描いておりますので、「アリアンロッド・サガ」がお好きな方は、お読みいただければ幸いです。
2012年03月07日
ブラック・ジャック創作秘話
昨年の「このマンガがすごい!」で一位になった「ブラック・ジャック創作秘話」を今更ですが読みました。
題名に反して、「ブラックジャック」という作品がどのようにして作られたか、についてはほとんど描かれていませんでした。
作品の大半は「締め切りギリギリになり、原稿を落としかけた手塚氏が、いかに超人的な努力と熱意で原稿を仕上げたか」という描写で締められていました。
それは確かに凄いとは思います。ただ、ならばもっと余裕をもってスケジュールを組めなかったのかとか、毎回こんな事になるなら、仕事量を減らすべきだったのでは、という思いのほうが、強く残りました。
実際、この作品では述べられていませんでしたが、手塚氏の作品には、ネタに詰まって重要な部分を端折ったものが少なからずあります。物凄いものになると、とんでもない設定を作り、それを作中のキャラが堂々と「普通は無理だがこれはマンガだからできるのだ」などと言った、などという話すら存在していました。
そういう事もあり、一連の逸話は、誇れることではないのでは、と思いました。
もっとも、手塚氏はその人生にほぼ満足していたでしょうし、当時も今も、その評価は「漫画の神様」なわけです。それを考えれば、他人がどうこう言う問題ではないのかも、とも思いました。
2011年12月30日
冬コミ2011
昨日、コミックマーケットに行ってきました。一説によると、現在の世界で二番目に人が集まるイベントとのことです。ちなみに、一番目はイスラム教のメッカ巡礼との事でした。
それだけの事はあり、一番人が来ないと言われる初日でも、至る所で、大量の行列を見ました。特に、西館屋上を埋めていた「企業ブース行列」には圧倒されました。何でも、3時間並んでやっと買える、などという事もあるそうです。
初めて参加した時も、その人の多さには驚いたものでした。しかし、その企業ブース行列を見た時は、その頃とは次元の違う「人の集まりぶり」を感じさせられました。
また、年を追って、外人さんの比率も増えています。初めて見たときは珍しさに驚きましたが、最近は、普通に歩いている、という感じです。ある所では、外人さん同士が筆談を交えて話しているのも見ました。異なる国・言語の人々が交流する「場」にもなっている、という事なのでしょうか。
なお、肝心の相方が作った本ですが、前回同様、多くの方々に買っていただくことができました。どうもありがとうございました。なお、相方からのお礼も明日あたり掲載される予定です。
2011年12月14日
自動車会社のドラえもんCM
TVをつけていたら、「ドラえもん」キャラが30歳になったという設定の自動車会社による広告が流れていました。内容は、スネオと静香がドライブをしており、それを見て悔しがる、のび太と言う展開です。そこに現れたドラえもんに「車を出してほしい」と頼むも、「免許がないからダメ」と断られます。その後、背景に「免許を取ろう」という文字が出てくる、という締めでした。
もう一つ、別設定の話もありましたが、やはり締めは「免許を取ろう」でした。
おそらくは、最近よく言われる「若者のクルマ離れ」を意識して作られたものなのでしょう。
ただ、これを見て、「そうか、のび太みたいにならないよう、俺も免許を取ろう」と思う人が出るのだろうか、と思いました。
なにしろ、「若者のクルマ離れ」の理由として最初に挙がるのは「経済的事情」です。金に余裕がなければ、自動車は買えず、必然的に免許も取る必要がなくなります。
実際、この広告にでも、金持ちのスネオがいい車に乗って、裕福でない、のび太が免許を持っていないと、その現状が反映された設定になっています。
こんな広告にかける金があるのなら、それで自分のところの若い社員の賃上げや、非正規・派遣の正規雇用化などを行なって、若い人に金が回るようにしたほうが、よほど「クルマ離れ」対策になるのでは、と思いました。
あと、自分はさほど好きでないからいいのですが、あれを見た「ドラえもん」のファンは、あのキャラ作りに不快感をおぼえたのでは、とも思いました。
2011年04月25日
キャラで町おこし
大分県で、“萌えキャラ”による地域活性化を目的としたおおいた萌えおこしプロジェクトなる企画が始まったそうです。
この類の「萌えキャラ」もしくは「ゆるキャラ」による地域振興というのは、すっかり定番化しており、あまり新鮮味がありません。
しかも、大分といえば、地元色あふれる漫画が一度ならず発表された県です。なぜ、そのような「地元特産品」を使わなかったのだろうか、と思いました。
なにしろ「大分県漫画」である、県立地球防衛軍およびデトロイト・メタル・シティは、いずれも、「萌え」や「ゆる」よりも印象度が高い「異様キャラ」がたくさんででてきます。
どうせなら、それらの作者に頼んで、「各市町村を異様キャラ化する」という企画をやったほうが、桁違いに印象度が上がったのでは、などと思いました。
2011年04月16日
転売の進化
ややマニアックな不用品を売りに秋葉原の古本・古グッズ屋に行きました。査定町の間、店内にいたのですが、明日の「サンシャインクリエイション」という同人イベントについての案内放送および掲示がありました。
それによると、この店は、そこに企業ブースとして出展しているとの事でした。そして同時に、明日限定で、そこで発行された新刊の買取の際につけるポイントを5倍にするキャンペーンを行う、との事でした。
要はイベント会場で新刊を買い、その足で持ち込んで転売してほしい、という事なわけです。実際、コミケ当日の秋葉原で、新刊を転売しにきた人をたくさん見た事はありました。
また、数年前から壁際サークルの行列整理をやるようになり、それっぽい買い方をしている人もよく見ました。
したがって、「転売するために同人誌を買う」というのは知っていましたが、ここまでシステム化されているとは思いませんでした。
買うほうがそうなっているという事は、売る方も同様なのでしょうか。そのうち、同人誌転売を生業とする会社なども誕生するのでは、などとも思いました。
2011年02月19日
怪しすぎる収監者
ゴルゴ13の81巻を読みました。前半はソ連崩壊ネタで、後半は南アフリカの監獄島ネタです。
前半部分は全く読んだ記憶がありませんでした。しかし、後半の話は記憶にあり、「おかしい。前半部分の記憶が抜け落ちたのか?」と思いました。
その後半部分は、当時アパルトヘイトが実施されていた南アフリカで、政治犯を収監していたロベン島の刑務所に、ゴルゴが犯罪者を装って収監され、監獄内で暗殺を行う、というものです。
ただ、読み進めていくうちに、基本設定は同じだが、内容は異なる、という事に気づきました。どうやら、かつての話の「再利用」だったようです。やはり、81巻は未読だった事が確認でき、一安心しました。
それはいいのですが、ゴルゴが最初にその島へ行った時は、所長を殺して逃げています。黒人の収容を目的とした刑務所で、アジア人が要人殺害と脱獄を行ったわけです。いくら担当者が変わっても、「監獄島最大の屈辱」という事で、上層部の間では引継ぎくらいされているでしょう。
にも関わらず、再び同じパターンで入ってきたわけです。いくら使っている偽名などが違っても、もう少し怪しむべきなのでは、と強く思いました。
2011年02月10日
八百長語源雑感
商業マスコミの八百長報道にはもはや食傷感しかありません。しかしながら、あれだけ「八百長」という言葉を見すぎたせいか、ついついその語源の事を再考してしまいました。
有名な説として、「19世紀末の相撲界で権力を持っていた当時の伊勢ノ海親方が囲碁好きで、それに取り入ろうと、八百屋の長兵衛さんが、わざと負けて機嫌を取っていた。ところが、ある所で囲碁のトッププロである本因坊に二子もしくは三子の置碁で好勝負を演じたことを見られ、わざと囲碁で負けていた事がバレた」というのがあります。
ちなみに、ウィキペディアでは、これを八百屋の長兵衛さんが、「本因坊秀元と互角の勝負をした」などと、もの凄いことが書いてあります。
普通、本因坊と互角ならプロになると思うのですが・・・。それとも、当時の「相撲協会に出入りしている八百屋」の収入は囲碁のトッププロを上回っていたのでしょうか。
それはともかく、その長兵衛さんの「八百長ぶり」の事を思い出しているうちに、「ヒカルの碁」9巻の事を思い出しました。主人公のライバルである天才棋士・塔矢アキラが、四面打ち(アマチュア四人相手に同時に打つ)で実力の異なる相手を全て持碁(引き分け)にする、というものです。
さらに、巻末には実在するプロ棋士の「五面打ちまでは何とかなる」という談話が紹介されていました。
その事を思い出し、実は、その長兵衛さんと本因坊の対局も、本因坊がわざと好勝負に見せるという、広い意味での「八百長」だったのでは、と思いました。
単なる侮辱言葉として使われる「八百長」ですが、こうやって考えると、意外に奥が深いものです。草葉の陰にいる八百屋の長兵衛さんがこの騒動を見たらどう思うのだろうか、などとも思いました。
2011年01月25日
性描写規制に反発してボイコット?
東京国際アニメフェアから大手出版社が次々と撤退した件について、大手出版社などが、幼児らの露骨な性行為を描写したアニメや漫画の販売などを規制する都条例改正に反発し、出展や協力を拒否。などと書かれた企業運営のサイトがありました。
この文章に書いてある事が正しいとしたら、「大手出版社など」は、児童ポルノを売ろうとし、それを規制された腹いせにボイコットした、という事になってしまいます。
もちろん、ちょっとでもこの件について知っている人なら分かるように、そのような事はありません。大手出版社などがこの条例に反発しているのは、「漫画やアニメを東京都が主観的な判断で線引きし、規制することができるから」なわけです。
まともな人間なら、このような情報を発信するなら、最低でも東京都の主張と大手出版社の主張を併記するでしょう。この書き方には、読んだ人に事実を誤認させる意図があるとしか思えません。
あまりの異常さに呆れて、発表した企業をネット検索で調べたところ、「廃品回収」「古紙回収」などと嘘をついて扉を開けさて、自社の商品を売りつける、という悪質な訪問販売をやっている会社である事が分かりました。
悪質な訪問販売で売りつけるものにロクなものはない、というのは極めて普遍的な常識ですが、この会社はその典型例だな、と強く思いました。
2010年12月14日
是の打ちどころのない条例
話題の都条例ですが、その内容や審議経過などの情報が入れば入るほど、その異常さに呆れてしまいます。
冗談抜きで、「いい点」と言える部分が何一つありません。完璧なもののことを「非の打ち所のない」と言いますが、これはその反対で、是の打ちどころがないとしか言いようのない、マイナスの意味で完璧だと言えるでしょう。
まず、「漫画の性描写が青少年に影響を及ぼす」というこの条例の根本が、妄想を前提としているとしか思えません。
ヲタ系の人が性犯罪などで逮捕され、その容疑者の家からエロゲーなどが発見すると、マスコミは大々的にそのことを報じます。しかしながら、取り調べの警察発表などで「18禁漫画を読んで、実際にやりたくなった」などと言った供述が報道された、などという事は聞いたことがありません。
だいたい、漫画は影響力があって、実写や小説、さらに言うなら報道には影響力がない、という考えが意味不明です。性表現とはずれますが、「納豆ダイエット」で分かるように、多くの人に誤った知識を広める点においては、漫画よりTVのほうがずっと大きいでしょう。
さらに言うと、この条例を作る勢力の実績がまた異常すぎます。マイノリティ差別発言をする都知事は論外ですが、それにくっついている与党の都議連中もろくなのがいません。
審議を傍聴した人がその状況をネットに書いていましたが、予想通りとはいえ、その人間としての質の低さと、論理性のなさには呆れるよりありませんでした。
ちなみに、この都知事およびその意を受けた議員が、10数年ほど前に、その必要性も理解せずに、養護学校の性教育を弾圧する、という事件がありました。その結果、被害者に訴えられて処分取消の判決を受けています。
もちろん、彼らはそれを反省する事などなく、何も学習せずに同じような事をやっているわけです。
そして、経済的にも、現在の日本で数少ない「成長産業」である漫画・アニメの作り手をバカ呼ばわりして抑圧する、というのですから凄すぎます。今回の件における、「逆経済効果」を試算したらいくらになるのだろうか、などと思いました。
2010年11月27日
記憶のずれ
ネットで「キャプテン翼」を検索したら、立花兄弟の技を防ぐため、あらかじめゴールポストに登って防御する井沢と滝という画像がありました。
大笑いしながら、「キャプテン翼に出てくる非常識な技をうまくネタにした素晴らしいコラだ」と感心しました。
その話をしたところ、「何言っているんだ。それって原作の一場面だよ」と呆れらました。
一応、全巻揃えていた時期もあるのですが、言われてみても、全く記憶にありませんでした。
まあ、漫画を読んでいた当時は、サッカー自体にはさほど興味がありませんでした。したがって、件の場面を見ても「キャプテン翼において、よくある場面の一つ」としか認識していなかったのかもしれません。
それが、昨年あたりからサッカーを見始めたため、わずかとはいえ「サッカーの常識」が身につき、この常軌を逸した場面に驚き、かつ「まさか『代表的なサッカー漫画』でこんな描写をするわけない」と思い込んでしまったようです。
毎度の事ですが、記憶や意識というものの不確実さを実感させられました。
2010年09月22日
人気作品の影響力
夏から今の季節にかけて出勤すると、職場の隣にある大学の前に何台もの観光バスが止まっている事があります。フロントガラスのところを見ると、「○○大学××ゼミ」とか「▲▲部」などという札が出ています。
そんな中、今朝は「○○大学軽音楽部様」という札をつけたバスが三台並んでいました。バスが並ぶこと自体は別に珍しくありません。しかしながら、例の人気作品の影響で、「軽音楽部といえば、女の子が数人でバンドやったり茶菓子を食べたりする」という印象が強く刷り込まれていたため、かなりの違和感がありました。
勝手に合宿風景を想像してみたのですが、やはり三台のバスで乗り付けた大学生たちが、数人ずつのグループに分かれて演奏したり、茶菓子を食べたりする、という印象しか持てませんでした。
別にその作品にはまっているわけではありません。単行本は一応買ったものの、貸し出したままですし、アニメも一回か二回見ただけです。
にも関わらずそれだけの「先入観」を持たされたわけです。あらためて、ヒット作品の影響力、というものに驚かされました。
2010年09月04日
浜田川
「桜蘭高校ホスト部」17巻を読みました。終わりのほうで、メインキャラが新木場にある東京ヘリポートから成田空港へ20数分で行く、という展開になりました。
いくつかの案出た結果、採用されたのは、クルーザーで東京湾から浜田川に入り、そこから車で東関道に入って成田に行く、というものでした。
もちろん、現実的にはそれでは間に合いません。しかしながら、この作品のメインキャラは、大金持ち・権力者の子供なので、その威を使って交通規制をかける、という強引な展開にして間に合わせていました。
交通規制がかけられるなら、新木場から車で行けばいいような気がします。また、この方法を使うなら、隣を流れる花見川をさかのぼって湾岸千葉インターのすぐそこまで行ったほうが、新都心の細かい一般道を通るより早いのでは、とも思いました。
しかしながら、なぜか作者は、浜田川に異様なこだわりを見せます。表現としては「船で近くの川をさかのぼって幕張から高速に入る」ですむわけです。
にも関わらず、キャラに一度ならず「浜田川」の名前を出させた上に、巻末のおまけ漫画でも「グーグルアースで、浜田川にクルーザーが入れることを確認して喜ぶスタッフ」や、「両親に車を出してもらって、浜田川から成田までの経路を確認した」などという逸話を紹介していました。
こんな、地元の人しか知らないような川に、なぜここまで執着するのか、極めて不思議でした。ウィキペディアによると、作者は埼玉出身だそうですが、その後、このあたりに移り住んだのでしょうか。
川の近くで生活し、サイトでネタにした事もある身としては、不思議に思う気分もありましたが、嬉しくも思いました。
いずれにせよ、ここまで浜田川を大きく取り上げた漫画は史上初でしょう。もともと愛読していましたが、別の意味でも心に残る作品となってしまいました。
2010年08月15日
25年目の夏コミ
金曜・日曜とビッグサイトに行ってきました。初めて行ったのが1985年ですから、もう四半世紀の間、行き続けている事になります。自分にとっては、初詣などと同じような習慣となっている感じです。
金曜日は相方の手伝いなどで、ほぼ一日中いましたが、さほど歩かなかった事もあり、さほど疲れを感じませんでした。ところが、今日は1時間ちょっと歩いただけなのですが、かなり体力を消耗しました。特に、西館から東館へ行く際にボトルネックになるような渡り廊下があるのですが、そこでちょっとした渋滞が発生しており、そこでかなり体力を削られました。
年齢に加え、参加者の増加、さらに夏の場合は温暖化の影響もあり、年々、現地にいられる時間が減っています。しかしながら、あの空気の中にいる事自体で楽しめるので、この時間は大切にしたいと思っています。
特に今回は、久々に「大当たり」とも言える本を手に入れる事ができ、その点でも大いに満足することができました。
今後も、この「習慣的趣味」を大切にしていきたいと思っています。
2010年08月01日
二つの変化
久々に神保町に行きました。集英社の企画で「神保町ワンピースカーニバル」という企画が行われており、通りには子供がたくさんいました。
ほとんどの書店がイベントに参加しており、私の目的地である高岡書店という漫画専門店もそれに加わっていました。そして、入り口では「ワンピース」の単行本が並んでおり、店員さんが親子連れ相手をしていました。
この店は、いわゆるマニア向けです。高校の頃、友達と二人で神保町を歩き、「買い物していくから」と言って入ったら、「お前、そういう奴だったんだ」と呆れるような表情で言われた事もありました。
したがって、初めて行ってから25年ほど経ちますが、店の前に親子連れがいた、などと言うのを見たのは初めてです。
というわけで、店の中はいつもと変わりませんでしたが、ちょっとした「時代の流れ」を感じさせられました。
あと、案内図を見たら、三省堂の隣にあるロッテリアのところに「7月25日で閉店」と書かれていました。この店は、昼休みに本屋巡りをするついでに食事をするのに大変便利だったこともあり、大学時代にはかなり愛用していました。
最近ではすっかりご無沙汰していましたが、なくなると聞くとやはり寂しいものがあります。
というわけで、二つの「時代の流れ」を感じた一日となりました。
2010年06月05日
飽きる速度
最近、漫画に飽きるのが早くなったように思います。面白いと思って、単行本を数巻一気買いした作品でも、ちょっとパターンが見えてくると、あっさり興味を失います。
この前も、半年くらい前にハマッた作品の最新刊を相方が買ってきたのですが、読み始めたのはいいものの、途中で夕食になったら、そのままにしてしまい、数日後、「そう言えばまだ全部読んでいなかったっけ」と気付いた、などという事がありました。
もちろん、何巻続いても面白さを維持している作品もあります。したがって、「最近の漫画はつまらなくなった」などと言う気は毛頭ありません。単に自分の執着心が薄くなっただけなのでしょう。
とはいえ、しばらくすると飽きる可能性があるのが分かっていながら単行本を買うのは、経済的にも書棚のスペース的にもよろしくありません。
漫画喫茶などの有効活用により、今の自分にあった漫画の楽しみ方を開拓せねば、などと思った次第です。
2010年05月03日
どの時代にも通じる定理
「ナニワ金融道」の中にあった台詞で「自分が間違っていると知っているヤツのほうがようゴネるもんなんやで」というものがあります。
なんとなく経験則で納得していましたが、今日、思い切りその典型例を振り回す人間と会話させられました。前提とする知識もろくに持たずに、破綻している論理(?)を振り回すため、こちらは言う端から潰していきます。
すると、別の所からこちらの粗を探してくるのですが、とにかく前提とする知識がありません。そのため、なぜかイチャモンをつけられているこちらが、「なぜそうなのか」まで説明してやる羽目にまでなるのです。
すると、また別の所から粗を探そうとし、こちらがそれを説明してやる、の繰り返しをさせられました。
かなりの時間を無駄にさせられ、不快な思いもしました。ただ、おかげで「ナニワ金融道」のあの一言がいかに正しかったか、というのを理解できました。
この話が初めてモーニングに掲載されたのは18年前です。そう考えると、時代をこえた定理と言えるでしょう。
さすがは、没後も著書の新装版が出続けたり、監修した作品やその派生作品がヒットし続ける事はあります。その凄さを再認識出来た、という一点に限って言えば、意味のある時間でした。
2010年04月18日
「キン肉マン」対吉野家?
「キン肉マン」の作者が、ツイッターで吉野家を批判した、というニュースが話題になっています。自分の作品で吉野家を取り上げ、そのおかげで経営危機を脱したにも関わらず、昨年だか一昨年だかに行なった「キン肉マン29周年企画」に協力しなかった、などと批判したそうです。
さらにそこに、現在「キン肉マン」とタイアップしている、「すき屋」を経営している会社の広報まで「参戦」して、それがまたニュースとなりました。
この騒動、極めて根本的な疑問があります。それは、「キン肉マン」のおかげで経営破綻した吉野家が再建できた、という作者氏の主張です。
確かに、「キン肉マン」は1980年代に大ブームとなり、漫画のみならず、「キン消し」を初めとする関連商品も大いに売れました。
しかしながら、この作品が吉野家をネタにしたのは、連載初期の一年弱くらいです。その頃は、キン肉マンが変な怪獣を光線で倒す、というギャグ漫画でした。
ただ、そのギャグ漫画がブームを呼んだわけではありません。その後、ある程度のギャグは残しながらも、キン肉マンとその仲間たちがリングで闘う格闘漫画となり、それからブームになったわけです。
私はアニメはほとんど見ていませんが、少なくとも漫画では、本格的に格闘技漫画になってからは「牛丼ネタ」はでなくなったと記憶しています。したがって、作者が主張する「キン肉マンを読んだ少年達のおかげで吉野家の売上げが伸びた」などというのは信じがたいものがあります。少なくとも、私の身の回りにそんな少年はいませんでした。
だいたい、冒頭期の「牛丼ネタ」からして、「世間で知られている吉野家のCMソングをギャグに使った」わけです。したがって、むしろ漫画が吉野家に世話になった、とも言えます。
まあ、「キン肉マン」の大きな特徴の一つとして、「作者の記憶力のなさ」がありました。ついしばらく前に描かれた設定と完全に矛盾する話がある、などは日常茶飯事です。久しぶりに登場したキャラの性格が以前と全く違っていた、などという事もしょっちゅうでした。
まあ、その「悪い癖」が久しぶりに出てしまった、という事なのでしょうか。そのあたりの事実関係が判明したあと、どういう展開になるか、少々楽しみにしています。
2010年02月24日
床屋の待ち時間で「北斗の拳」再読
会社帰りに床屋へ行きました。普段週末に行っている時は、客も多いが理容師さんも多いので、すぐに順番が来ます。ところが、平日ということもあり、この日は理容師さんは三人しかいませでした。一方、待っている人だけで四人もいます。
そこで、暇つぶしになる本を書棚で探しました。その結果、「北斗の拳」の「修羅の国編」を読むことにしました。
かつては、毎週ジャンプを買って読んでいた上に、単行本もかなり後ろのほうまで買っていたはずです。しかしながら、設定など、覚えている所もあったものの、かなりの部分を忘れていました。
というわけで、ある意味新鮮な気分で読めました。そうやって読んだ感想としては、「達人同士」の闘いがえらくつまらない、というものでした。
特に、三ボスの一人「羅将ハン」とケンシロウの闘いなど、単調な殴り合い・蹴り合いが続き、たまに「闘気で物が動く」事によって迫力づけしているだけ、という感じでした。
当時は、慣習のような感じで毎週読み、単行本も買っていました。しかしながら、もし最初にこのあたりの話から見たら、単行本はもちろんのこと、ジャンプでも飛ばして読んでいたでしょう。
まあ、このあたりは、もはや作者にとっても描きたいものは最早なく、人気があるゆえに惰性的に続けさせられていた、という感じだったのでしょう。
あらためて、惰性というものの怖さを認識しました。また、作品の品質のためには、終わるべきところできちんと終わらせなければならないのだな、と思いました。
2010年02月23日
某宗教系政治団体ネタ二題
道を歩いていたら、異様なアパートを見かけました。別に、建物自体は、何の変哲もありません。ただ、その外壁には、前回の衆院選で「デビュー」を果たした、某宗教系政治団体のポスターがベタベタ貼ってあったのです。
その貼り方の徹底ぶりはすごく、元々壁にあった「入居者募集!」と書かれた看板を覆うように貼られていました。アパートというものは、部屋に入居してもらって収益を得るわけですが、もはやこのオーナー氏にとっては、そんな事よりも、この宗教系政治団体の布教を行う方が重要なのでしょう。
まあ、ここまで徹底していれば、そこの信者以外の一般人がこのアパートに入居することはないでしょう。何も知らずに入居し、大家さんに毎晩勧誘されてはたまったものではありません。
そう考えると、この「宗教系政治団体ポスター>>>入居者募集」という外壁のデザイン(?)は、入居を検討する人にとっても有意義なのか、などとも思いました。
ところで、今日のアクセス解析を見ていたら、2月14日から続いていた、謎のアクセス増の理由がやっと分かりました。
とある有名テキスト系サイトさんが、先述した宗教団体の信者漫画家である菊池としをさんを特集しています。その一環として、7年ほど前、当サイトに載せた、作品感想にリンクをしてくれていました。
そのページに来た人が、ついでにトップページに寄ってくれたおかげで、アクセス数が増えた、というのが理由でした。
ちなみに、そのサイトには、当時私が衝撃を受けた、「死んだはずの菊池としを」というあおりが書かれた少年マガジンの画像が掲載されていました。わざわざ国会図書館あたりから探してきたのでしょうか。その熱意には驚きました。
同時に、21年ぶりにそのあおりを見たときは、またもや爆笑してしまいました。まさしく、「心に残る変なアオリ」だと改めて思った次第です。
直接的にはそのテキスト系サイトさんのおかげなわけですが、元をたどれば、その宗教団体の「ご利益」とも言えます。
というわけで、この宗教団体には、アパートのネタを与えて(?)くれたうえに、アクセス数まで増やしてもらった、とも言えます。もちろん、だからと言って、その団体に感謝をする気は毛頭起きませんでしたが・・・。
2010年01月31日
百姓貴族
丸善津田沼店に行ったら、荒川弘さんの「百姓貴族」が、専用のカゴをつけての四列平積みになっていました。後ろには作中の見開き2ページのコピーまで飾られています。
同じ作者の「鋼の錬金術師」を愛読していたこともあり、この作品は本屋で見かけたとき、即座に買いました。その見立てに間違いはなく、期待以上に面白い作品でした。
実録物としての情報価値もありながら、作者の実力がいかんなく発揮されている漫画表現だけでも十分読み応えがあります。
そのように気に入った作品を、本屋さんが大々的に宣伝してくれる、というのはなかなか嬉しいことでした。
それだけ感性があうならば、次回、ここで大宣伝された漫画はとりあえず読んでみようか、と思ったほどでした。
あと余談ですが、ここに限らず、書店の漫画コーナーでは、同じ作者で発売も近かったにも関わらず、「鋼の錬金術師」最新刊と並べて販売しているのを見ません。一見すると作風がかなり違うので、相乗効果はないと思われているのでしょうか。
自分的には「鋼の錬金術師」のベースになっている部分もあると思っているので、ぜひともそちらのファンにも読んでもらいたいと思っているので、ちょっと違和感があります。まあ、本の専門家が分析した結果だと思うので、素人が口を出すことではないのでしょうが・・・。
2010年01月16日
久しぶりと時の流れ
昨日のことですが、仕事で神保町に行きました。ちょうど、秋月りすさんの新単行本「おうちがいちばん」の最新刊の発売日だったので、地下鉄駅すぐ近くにある高岡書店で購入しました。
最近は神保町が生活圏から外れているのでご無沙汰していますが、この本屋とのつきあいは古く、初めて行ったのは26年くらい前でした。
それだけ経っていますが、当時も今も漫画専門書店で、店内のレイアウトもほとんど変わっていません。ついでに言うと、店に入ったときに鼻に入る、独特の臭いも変わっていません。そういう事もあり、中に入った時は、当時に戻ったような気分になりました。
そして、約20年前に秋月りすさんの単行本を初めて買ったのもこの書店でした。それまでも読んでいましたが、特別に好きな漫画家、というわけではありませんでした。ところが、ここで「OL進化論」の第1巻を見て、衝動買いしました。
軽い気持ちで買ったのですが、読んでみると、その巧さに驚かされました。それがきっかけとなり、今回で通算49冊目の購入となっています。
ただ、ここ最近は、どうも調子が良くないようです。この「おうちがいちばん」も雑誌連載で規定のページ数を描ける事がかなり減っており、後半部分はたいていは再録です。
その執筆ペースは内容にも影響しています。もちろん、基本的な実力が高いので、そこそこ楽しく読めました。しかしながら、かつての鋭い感覚や、絶妙のギャグを知っているだけに、一抹の寂しさを感じてしまいました。
同じ店で同じ作者の本を買ったわけですが、約20年の歳月で、これだけ違う感想を持ったわけです。買った店の雰囲気は変わっていないだけに、より一層奇妙な気分になりました。
とりあえず、秋月さんには、また執筆量・内容とも本来の調子に戻していただきたいものです。そして、次にこの店で単行本を買う際は、また違う感想を持てたら、と思いました。
2010年01月09日
掘り出しものと記憶
最近はやりの作品を買おうと、古本屋の四コマコーナーを探していました。すると、いきなり荒川道場と書かれた背表紙が目に入りました。
かつて愛読した「心に残る名作」の一つですが、まさかこんな所で再会できるとは思えませんでした。迷わず購入し、帰宅後、当初の目的だった本より先に読みました。
覚えていた話から、読んで存在を思いだした話、こんなのあったっけ、という話までいろいろありました。そして、4年前に感想を書いた逸話二つについては、詳細は違っていたものの、ほとんどが記憶を頼りに書いた内容と同じでした。
掲載誌は買ったはずですが、もう20年近く前の話です。それをここまで覚えていたのですから、よほど強く記憶に残っていたのでしょう。
そのような作品に、全然違う目的で立ち寄った古本屋で再会できたわけです。たいした事ではないとはいえ、かなりの幸運を感じました。
2009年11月28日
発想が持つ無限の可能性
本屋に行きました。漫画売場を歩いていたら、古代ギリシア彫刻みたいな男が、全裸でタオルと湯桶を持っている、という表紙の「テルマエ・ロマエ」という漫画がありました。帯には「古代ローマの男、現代日本の風呂へタイムスリップ!!」などと書かれています。
作品はもちろん、作者も全く知らない人です。しかし、そのとき相方が丁度、ローマのコロッセオ風の建物を描く必要がありました。それとこの奇妙な表紙・帯に惹かれた相方は購入を決めました。
主人公の男は、風呂専門の建築家です。そして、仕事に悩んだある日、風呂に入っていると、現代日本の銭湯に突如ワープします。そして、そこで見た「富士山の絵」「フルーツ牛乳」を取り入れた公衆浴場を造り、成功を収める、というのが第一話の内容でした。
その後も、難しい仕事に悩む度に、現代日本の様々な風呂にワープし、そこでの知識を活かして成功する、という話ばかりが合わせて5話掲載されていました。最後の話では、彼の設計した風呂のおかげで、ローマ軍が劣勢を跳ね返して逆転勝利をしていました。
絵はさほど上手いとは思いませんでしたが、とにかく発想が斬新すぎます。また、筋立てやキャラもしっかり描かれていて、かなり楽しめました。まさしく掘り出し物と言えるでしょう。相方がコロッセオ風の建物を描く仕事をしていた事がこのような「幸運」を呼び込むとは思いませんでした。
それにしても、「古代ローマと現代日本を『風呂』をテーマにつなげる」などという発想には本当に感心させられます。「発想」というものが持つ無限の可能性というものに感心させられました。
2009年11月09日
よりぬきドラえもん
本屋に行くと、たまに「ドラえもん」で同じ主題の作品をよりぬいた本を見かけます。自分の知る限りは「泣ける話」とか「心温まる話」みたいなものがあるようです。
まあ、売上げを考えると、そのような主題で集めるほうがいいのでしょう。
ただ、子供の頃、一通りの話を読んでいた身としては違和感があります。映画版などにも言えるのですが、その類の「心温まる話」は、主役の、のび太を始め、メインキャラの何人かは普段とは少なからず人格が違います。まあ、「知られざる一面」と言えなくもないのですが、そのような例外的話を集めて一冊の本にするというのは、作品全体から考えると違和感があります。
どうせ出すなら、もっと頻繁に描かれた主題を集めた本を作ったほうが自然なのでは、と思います。たとえば、CMで使ったカラオケメーカーとタイアップしてジャイアンのリサイタル話を集めた一冊などがあれば、などと思ったりもします。
あと、自分的にドラえもんでもっとも心に残っているのは、「家の鼠を地球破壊爆弾で退治しようとしたドラえもん」でした。あれを筆頭に、「アブないドラえもん」などを「より抜き」化する企画はないのでしょうか。もしそんなのを見たら、衝動買いするかも知れません。
2009年10月28日
つはものどもが夢の跡
仕事で晴海に行きました。ちょっと時間が余ったので、かつての見本市会場跡を見たのですが、そこにはかつてと変わり果てた姿がありました。
A館や新館があったあたりは、清掃工場並びにその廃熱を利用した温浴施設などがある「ほっとプラザはるみ」という施設になっていました。中身は違えど、清掃工場の煙突を除けば、まあ似たような建ち並びです。
しかし、反対側の東館(通称・ガメラ館)やC館があった部分は、完全な更地になっており、かつての面影は全くありませんでした。
かつては盆暮れに10万もの人々が集っていた場所が、もはや何もない空間になってしまったわけです。周囲の道などが変わっていないだけに、余計にその変りぶりを実感しました。
一方、海の向こうを見れば、その後を継いだビッグサイトが見えました。かつて晴海がに大人数が集まっていた頃、逆にこちらは埋め立てただけの更地だったわけです。
それを思うと、より一層、時代の移り変わりを感じさせられました。

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2009年10月13日
犬宰相
書店の漫画コーナーを見ていたら、写実画風の老人ばかりが表紙になっている漫画文庫が平積みされていました。
それぞれに歴代総理の名前が書かれており、作者はさいとうたかを氏となっていました。戦後政治史を首相を単位に描いた作品のようです。
題名を見てみたところ、「歴史劇画 大宰相」とありました。その名付け方自体は普通なのですが、文字の配置がかなり奇妙なのです。「歴史劇画」のフォントサイズは「大宰相」の10分の1くらいで、しかも「大」の右上にあるのです。
したがって、あたかも、「歴史劇画」が「大」に付随する点のように見えてしまいます。そのため、遠目には「犬宰相」と読めてしまいます。(参考画像)
他にも配置の仕方はいろいろあります。したがって、何か意図しているとしか思えません。そういえば、氏の代表作である「ゴルゴ13」では、何巻かに一話の割合で、戦後の日本経済はアメリカにいいように支配されている、という告発みたいな話が定期的に描かれています。
そのような「属国」を築いていった戦後の歴代首相に対する作者の認識からこのレイアウトが決まったのだろうか、などと思いました。
2009年08月14日
コミケ今昔
昨日、仕事帰りにキンコーズで「マリン見物記」の新刊を印刷して家で製本し、前日搬入する相方に託しました。
その後、発売日に買ったまま開封していなかったカタログCD-ROMをやっとインストールし、サークルチェックを行ないました。目当てのサークルをいくつか検索し、後はジャンル検索です。興味のある分野のサークルを一つチェックして保存し、地図を印刷して、「サークルチェック完了」となりました。
20代の頃は、新刊を出すときは、前日夜遅くに印刷し、当日の朝に会場でホチキス止めをしていたものでした。それに比べると、かなり余裕をもった工程です。まあ、このあたりは、社会人として成長したためと言えるかもしれません。
一方、サークルチェックのほうも、かつてと比べて大幅に変わっています。かつては、カタログの冊子が出ると、それを出勤時に鞄へ入れ、二日くらい行き帰りの電車でずっと読んでいました。それが今ではインストール時間も含めて30分弱で「チェック完了」です。もちろん、電子化の効果、というのも大いにあるのでしょう。それ以上に、本を買う意欲の低下が原因とも言えます。
我ながら、ヲタクとしてどんどん枯れているな、と思います。もっとも、二十代の頃やっていたように、数時間しか寝ないでサークル参加し、一般参加の日も、入場行列にこそ並ばないが、入った後は数時間歩き通す、などというのを今やったら、体が持ちません。
そう考えると、体が精神を抑制し、無理させないようにしているのかも、などとも思いました。
ただ本日は、10年来のファンである漫画家さんが、現在、自分が一番好きな作品で本を出す、という事なので、大いに期待していました。しかし、昼過ぎまで仕事をしてから会社を出て、14時半過ぎに行ったところすでに撤収済みでした。
これにはさすがに悔しくなり、次回はもっと早く行かねば、と強く思いました。そのような自分を振り返り、かなり枯れてこそいるが、まだまだ現役ではあるな、などと思いました。
2009年08月09日
事件の余波
先週後半あたりから、アクセス数が増えていました。特に思い当たる事もないので、不思議に思って解析を見ていたら、8年ほど前に書いたのりピーちゃんという漫画評に大量アクセスがある事が分かりました。
理由はもちろん、この作品の作者が覚醒剤取締法違反で逮捕された事でしょう。とはいえ、作者の芸能界での名前ではなく、漫画の題名で検索した人がこれだけ多い事には驚きました。もっとも、漫画に興味を持ったわけでなく、逮捕された人のニックネームとして検索しただけなのかもしれませんが・・・。
芸能界での活動はほとんど興味がありませんが、その漫画の良さにはかなり感心させられたものでした。それだけに、今回の件は寂しいものがありました。もちろん、だからと言って、作品に対する評価は変わりませんが・・・。
ニュースなどの影響で、特定のページのアクセス数が急増する、というのは何度かありました。どんな事であれ、自分の書いた文章が多くの人に読まれるというのは嬉しいことでした。
しかしながら、今回は、かつて愛読していた漫画を描いた人にとっての不幸な話、というだけにあまり喜ぶことはできませんでした。
2009年07月25日
人気作品を買うはずが・・・
年に数回くらい、その時流行の漫画を買いたくなります。作品に興味があるというより、流行調査みたいな感じです。というわけで、今日、本屋に行きました。当初あたりをつけていたのは、「けいおん」が本命で、他の候補は「咲」「ちはやふる」といったところです。
しかし、いずれも表紙などを見た結果、購入する意欲がわきません。そこで、他に何かないかと思い、漫画コーナーを歩いていました。
すると、その中に一つ印象に残る表紙がありました。女性二人が殺気だった顔で向かい合っている絵の上に「嫁姑の拳」と書いてあります。一部立ち読み出来たので見てみたのでしたが、かなり斬新な内容でした。
「嫁姑ネタ」も「格闘アクション」も昔からある定番の題材ですが、それを組み合わせる、というのはなかなか思いつけない発想です。それに感心した事もあり、買うことにしました。
「けいおん」を買う予定だったのに「嫁姑の拳」を買ってしまう、というのは我ながら奇妙だと思いました。まあ、そういうのを含めて漫画好きで良かった、とも思いました。
2009年07月15日
十六分の一に圧縮された漫画
少年サンデー1983という雑誌が発売されました。題名の通り、1983年の週刊少年サンデーに連載されていた漫画を再録しています。それに加え、作者のインタビューや対談も掲載されています。
載っているのは少年漫画ですが、対象は当然ながら30台後半から40台なわけです。そういう富裕層(?)相手なのか、ほとんど再録で236頁にも関わらず、630円という値段設定でした。
最初宣伝を見たときは、「ちょうど自分が初めてサンデーを買ったのは1983年だったな。だからと言って買う気は起きないな」と思っていました。しかし、よく見ると当時の人気漫画とともに、安永航一郎先生のうで立て一代男が再録される、と書かれていました。
この作品はその初めて読んだサンデーで、最も印象に残った漫画でした。というわけで、この作品だけのために630円を払い、購入しました。
ところが、その扱いを見たときは、驚き呆れました。前後編あわせて36頁なのですが、前編扉だけは原寸で、2頁目から33頁までは16分の1に縮小され、元々32頁だったものを2頁に押し込めているのです。
当然ながら、目をこらしてやっと台詞が読める、というほどの小ささです。安永先生の特徴の一つに独特の描き文字や、コマのスミに書かれた「キャラへの突っ込み」みたいなギャグがあるのですが、もちろん判読することは不可能です。
最終ページでは、残りの3頁を縮小率4分の1で載せていました。当然、1頁余るのですが、そこには作者による「(前略)、今回は、エコ企画で36ページを4ページに圧縮してお送りします。だからまあ、えー、読むのが面倒な人は飛ばしてもいい。」という笑えない自虐ギャグか書かれていました。そして、残りのスペースには穴埋めで「完」という文字がありました。この文字だけで、前の頁に載った漫画2頁くらいの大きさがあります。
確かに原寸で36頁載せるのは他の作品との釣り合いもあって難しいかもしれません。しかし、あと6頁使って、全てを4分の1で載せることくらいはできるでしょう。
作り手の作者およびファンに対する悪質な嫌がらせとしか思えませんでした。さすがは、原稿を乱雑に扱って、作者から裁判をおこされた前歴のある会社なだけの事はあります。改めて、この会社が漫画家や作品をどのように認識しているが分かりました。
その上、かつての編集者たちが、「漫画への思い入れ」みたいな談話を書くのですから、余計に不快感が増します。冗談抜きで、こんな会社は潰れたほうがいい、とまで思いました。
ただ、載った漫画そのものには何ら罪はありません。目をこらしながら何とか読んだ内容は、26年前と同様、楽しむことができました。そして、当時の台詞をほぼ正確に自分が覚えていた事も確認でき、改めてその言い回しがいかに当時の自分の心に焼き付いていたかを再認識できたのも嬉しいことではありました。
そしてあらためて、こんな非常識な大きさでなければ、より一層楽しめたのに、と悲しく思いました。
2009年05月24日
さりげない表現
「OL進化論」の29巻を買いました。カバーの作者挨拶を読んだら、長年飼っていた猫の「みりん」と「ちび」を見送った、と書いてありました。この二匹については、作者は何度か漫画にしており、1990年代初頭に出た単行本「ミドリさん」の巻末などに掲載されています。他にも様々な所で描いており、読者としても少なからぬ親近感がある猫でした。
ところが、作者挨拶では、その二匹の描写は「見送った」で終わり、後は代わりに飼った猫についてのみ書いてあります。一瞬、「長い付き合いの割りにはあっさりしているな」と思いました。
そして、最後も「変わっていくこと、それを受け入れること、猫師匠に教わることは多いです」で結んでありました。一見すると、これについても、新しい猫について書いたようにも思えます。
しかし、再度読んでみて、これは去っていった二匹についての感謝の一言なのでは、と思いました。
「ミドリさん」の巻末漫画でも、猫たちに教わった事について描いていました。そして別れた時も教わったと言っているわけです。
あえて新しい猫を主題にすることにより、文章を湿っぽくせず、それでいて別れた二匹に最大限の感謝を述べたのでしょう。
前々から漫画のみならず文章も好きでしたが、改めてその旨さに感心するとともに、猫への深い愛に感心させられた短文でした。
2009年04月24日
全裸事件
有名芸能人が深夜の公園で全裸になり、公然わいせつ罪で逮捕、という事件がありました。一般人だったらベタ記事にもならない話ですが、あまりにも有名なために大騒動に。出演予定の映画配給会社の株価にまで影響を及ぼしているとのことです。
酒の勢いとはいえ、そこまでの奇行に至ったのですから、精神的に相当疲れていたのかと思います。有名人は有名人でまた辛いんだな、と別にファンでもないに関わらず、同情心みたいなものを感じました。
その一方で、この人がかつて「ミュージカル版・聖闘士星矢」で演じていた紫龍は、自ら聖衣を脱ぎ捨てるのが好きだったな、その影響が18年後になって出たのだろうか、などと、しょうもない事を考えたりもしました。
2009年04月06日
縦書き文化
電車の中に、水泳選手を使ったアクエリアスの広告がありました。アメコミ風になっており、疲れてヘドロ怪獣ザザーンのような姿になった会社員が、水泳選手に貰ったアクエリアスを飲んで、元気な姿を取り戻す、というものです。これが、アメコミ風のため、左から右への横書きで書かれています。
しかし、日本漫画を読み慣れた身としては、ついつい右上から左下に読んでしまいます。そのため、「使用前」と「使用後」が逆になってしまいます。結果、最初に見たときの印象は、「元気そうな会社員が、水泳選手に謎の飲料を飲まされ、ヘドロ怪獣になってしまった」というものでした。
よく見れば分かることではありますが、やはり第一印象は重要です。やはり日本で広告をするならば、縦書き文化を尊重した広告を作るべきなのでは、と思いました。
2009年04月01日
偉いさんに説教?
会社の飲み会がありました。隣とはす向かいに一回り以上年上の偉いさんが座ったので、話題に困りそうだと最初は思いました。ところが、話しているうちに、はす向かいの人がかなり濃い野球ファンであることが判明しました。その濃さは、30年以上前に甲子園で行なわれた、作新学院の江川投手の成績について熱く語るほどで、これまで持っていた印象と異なるその「熱さ」と「濃さ」に驚かされました。
さらに野球から「巨人の星」を経由して「あしたのジョー」の話に進展しました。これまたその人は熱く語るのですが、記憶にずれがあり、「中ボス」の金竜飛の逸話を、「ラスボス」のホセ=メンドーサの逸話と勘違いしていました。
そこで、酒の勢いもあり、金竜飛が朝鮮戦争で父親を・・・などと言う話を延々と初めてしまい、誤りを正しました。あまりの熱弁(?)に、お偉いさんも私の説が正しいことを認めてくれました。
どんな事でも、筋を通して正しさを認めてもらえるのは嬉しいことです。漫画ヲタクをやっている事が意外な所で役に立ったと言えるでしょう。
ぜひとも次は、漫画でなく、仕事について同じ成果を出したい物です。そこに至る道はなかなか険しそうですが・・・。
2009年02月27日
「新ナニワ金融道」がSPA!で連載開始
昨年開始されたものの、掲載誌が潰れたため携帯配信作品として連載されていた「新ナニワ金融道」がSPA!に連載されるとの事で、地下鉄で大々的に宣伝されていました。
中吊りに雑誌の広告があり、扉の片方に「新ナニワ金融道」が、もう片方に「4億円脱税主婦が教えるFX必勝のツボ」なる企画が、それぞれ一枚の広告として掲載されています。
最初に連載された時も、「絵柄を似せてキャラを流用したところで、作品の根底に流れるものは、作者にしか描けない」と思って、読む気は起きませんでした。
したがって、作品自体は知らないので、評価はできません。しかし、この扱いはひどいと思いました。
確かに、故・青木雄二氏は、漫画家を辞めた後は、「ゼニ」という言葉が題名につく本を、大量に出版していました。しかしながら、別にそれは「金儲けのノウハウ本」ではなく、「ゼニ」を元に資本主義の仕組みと問題点を考えてみるための本でした。そして、「ナニワ金融道」の根底にも同様の目的がある、という事を、青木氏は何度も書いていました。
そのような作品と同じ題名・キャラを使った漫画を、リスクの高い投資を煽る記事と並べて「今週号の二枚看板」にしたわけです。そのような宣伝をやる出版社も出版社ですし、そのような所で連載を始める作者も作者です。
まあ、遺族が納得してやっているのですから仕方ないのでしょう。とはいえ、この扱いは、本来の作品および作者に対する冒涜なのでは、とまで思えてきました。
2009年01月30日
普通のヲタと変なヲタ
今の職場は、新年に各事業所が目標を立て、それを社内報で発表する、という慣習があります。その「目標」の中に「瞬間 心 重ねて」というのがありました。
ちょっとアニメもしくはパチスロに詳しい人ならすぐ分かると思いますが、「エヴァンゲリオン」の題名の一つです。どうやら、そこの事業所責任者はかなり気合いの入った「エヴァ」ヲタクのようです。
凄い責任者がいるもんだな、と思ったのですが、それと同時に頭に浮かんだのは、10年ほど前に安永航一郎さんが連載していた「超感覚ANALマン」という作品にあった、この題名のパロディでした。「瞬間」の「瞬」を一文字変えただけで、えらくお下劣な言葉になる、という作者の独特の感覚がにじみ出たものです
そんな事を思っているうちに、ふと、この奇妙な標語を作った責任者より、自分のほうが相当変なヲタクである、という事に気づき、我ながら呆れてしまいました。
まあ、ここの所、かなり仕事が忙しく、勤務時間以外にもつい仕事の事を考えてしまうほどです。そんな中、このような事を勤務中に考えることによって、自分の中で「ワークアンドライフバランス」を保っているのだ、と思うことにしました。
2008年12月28日
行列など
昨日、マクドナルドが新商品・クウォーター・パウンダーの発売初日に、バイトを雇って「新商品を買うために長い行列ができる」というのを演出していた事が判明してニュースになりました。派遣会社のミスでバレたとのことです。
しかしながら、報道した新聞・テレビなどが、この「演出」を事前に知らなかったとは思えません。
また、来客1万5千人中、千人だけがバイトだった、という発表を各社がそのまま書いていますが、それもどうかと思います。一度「記録的大盛況」という「誤報」をしてしまった以上は、それがどこまで演出されたものだったかを、自らの手で検証して正しい情報を発表し直すのが「報道者」としての最低限の義務ではないかと思っています。もちろん、今の商業マスコミにそのような事を期待できない事は分かってはいますが・・・。
とまあ、やけに長い枕になりましたが、本日の主題はハンバーガー屋でなく、自分が整理した行列の話です。
ここ3回ほど、コミケでは、相方の付き合いで、「行列のできるサークル」さんと合体申込しています。その結果、今回はついにシャッター脇での参加となりました。
そのような配置になるくらいですから、お隣は開場時から行列ができます。始まる前はそれを見て、「自分のところも、時給千円でバイトを雇って行列を演出するか」などと冗談を言っていました。
しかし、実際に始まれば、その行列を整理する事になります。過去二回ともその行列整理を手伝っているのですが、普段自分はコミケはもちろん、日常生活でも行列に並ばないので、なかなか勘所がつかめません。そのため、並んでいる人に整理方法の助言をされてしまったほどでした。さすが相手は「行列の熟練者」なだけあります。その熟達ぶりを見たときも、ふと昨日聞いた「プロの行列者」たちの事を思い出したりしました。
それはともかく、とりあえず目の前の行列を捌いて一安心していたら、その間に別の所に長い列が発生していて驚いたりしました。なお、こちらがやるのはあくまでも年に2回なうえ、逆の立場で経験を積むこともないので、手慣れて捌くことが出来る日は永遠に来ないと思われます。
そして何とか行列がはけ、一息つけました。後は自分のところの本なのですが、今回は、相方のも自分のも、前回よりは好調でした。そして自分のは、部数を絞った事もあり、お隣が完売した約1時間後に完売しました。もっとも、搬入部数が二桁違うので、比べる意味は全くもってないのですが・・・。
いずれにせよ、完売は嬉しいことです。また、自分の本の題材である千葉ロッテマリーンズが現在直面している問題について、いろいろと話につきあって下さった方もいらっしゃいました。これまた嬉しいことでした。
あと、今回の結果、自分は「コミケでシャッター前に配置され、朝から行列を整理し、昼過ぎに新刊を完売させた」事になりました。冗談のネタとしてどこかえ使えないだろうか、などと思いました。
2008年12月24日
クリスマス電飾
近所に二軒ほど、派手なクリスマス電飾をやる家があります。一軒は子供のためなのか、「ピカチュウサンタ」の絵などがかざってあります。もう一軒は一昨年にも書きましたが、縄ばしごを登る電飾サンタ人形などというものまであります。
いずれも、大量の電飾を施しており、遠くから見ると、パチンコ屋でも開業したのか、と勘違いしてしまいそうな派手さを誇っています。
そのうちの一軒に、今年になって新キャラが登場しました(昨年まで気付かなかっただけかもしれませんが・・・)。庭に五体ほどの人形が突き刺さっているのです。近づいて見ると、顔みたいなものが描いてあり、熊の雪だるまのようにも見えます。
しかし、遠くから見ると、これまた発光している白い本体ばかり目立ちます。その形は、漫画「D.Gray-Man」に出てきた「咎落ち」や、「帰ってきたウルトラマン」に出てきた光怪獣プリズ魔を連想するような形状なのです。
そのような不思議な物体が、五体並んで植わって(?)おり、しかもその上には派手な電飾が点滅しているのです。家から歩いてすぐの所に異世界が出現したような感じで、不思議な気分になりました。
来年もぜひ、さらなる新キャラを投入して、より不思議な世界を醸し出してほしいものだ、と思いました。
2008年12月19日
漫画を体験できる菓子
セブンイレブンに行ったら、「うる星やつら」の絵が描かれた菓子が売られていました。この会社は「サンデー・マガジン創刊50周年」とタイアップしており、以前から両誌の作品を題材にした商品を販売しています。
最初に見たときは、「また適当な商品に絵だけつけて、中にカードを入れたタイアップ物だな」と思いました。しかし、何の気無しに見たところ、驚きました。
菓子は「激辛コーンスナック」で星の形をしています。これは、「うる星やつら」の作中で何度も出てきた、「ラム特製のお菓子」です。そして、あたるがそれを食べると、あまりの辛さに、口が腫れてしまいます。
確かに、一度ならず出てきたネタではあります。とはいえ、「うる星やつら」の中では、どちらかと言えば「知る人ぞ知る」みたいなネタです。にも関わらず、それを商品化するという発想には驚かされました。企画者はかなり濃いファンに違いありません。
というわけで、「激辛物」は苦手であるにも関わらず、購入してしまいました。実際に食べたところ、本当にただ「辛いだけ」でした。食べ終えてしばらくしましたが、いまだに舌のみならず、後頭部のしびれもおさまりません。
はっきり言って、食べ物としてはプラスの評価は全然できませんでした。しかし、「ラムの作った菓子を食べて、口を腫らせた、あたる」の気分を体感する、という点においては、最高の商品でした。コスプレとかには興味はないのですが、やる人が言う「キャラになりきる楽しさ」とはこのようなものだろうか、と思ったほどでした。
他人には絶対勧められない商品ですが、作り手のこだわりには心底感心させられました。次はぜひ、もう一つのサンデー史上に残る名作である「神聖モテモテ王国」のファン向けに「知る人ぞ知る商品」を作ってもらいたいものだと思いました。
2008年12月04日
世代と作品
交番の前を歩いていたら、「のらくろ」のポスターがありました。この作品は、中学時代の移動教室にあった図書室で読み込んだ記憶があります。
それはともかく、そのポスターは、最近増えているとされている、高齢者の運転などに起因する交通事故に対しての啓発を目的としたものでした。
おそらくは、「高齢者=かつての『のらくろ』愛読者」という発想なのでしょう。
この「対象年齢層の人がかつて読んだ漫画を用いる」という手法を見て、パチンコ業界を思い出しました。「北斗の拳」の大ヒットを始めとし、1980年代に大流行した人気漫画の多くがパチンコ・パチスロ化され、当時の愛読者世代(=私の属する世代)から人気を得ているわけです。発想の根源は、「のらくろ」ポスターと同じでしょう。
そう考えると、もしかしたら、数十年後には高齢者になった我々を対象にした「北斗の拳」が出てくるのだろうか、などと思ってしまいました。
そうなると、宣伝文句は「交通ルールを守らぬ高齢者よ、お前は既に死んでいる」とか「お前のような無茶な運転をするババァがいるか!」といったといったところでしょうか。ぜひとも長生きして、そのようなポスターが交番に貼られているものを見たいものだ、などと頭の中で妄想が飛躍してしまいました。
2008年11月02日
23年前に縁があった月
先日出た週刊少年サンデーの五十周年企画に安永航一郎先生が登場し、県立地球防衛軍のキャラが主役の漫画を描いていました。サンデー増刊に1985年でに連載されていた作品で、中学時代に一番好きだった漫画のキャラを久々に見れるのは嬉しく、最近は立ち読みすらしていないサンデーを10年ぶりくらいに購入しました。
短編ながら、「県立地球防衛軍」を中心に、サンデーに連載していた漫画のキャラがほぼ総出演しており、懐かしさを感じました。
10月は半ばに同窓会があった事もあり、先月は「中学時代の思い出に再会した月」になりました。
その同窓会ですが、まだ二週間前の事なのに、えらく昔にあったように感じます。やはり、出会った人全てが、中学時代の記憶に存在する人だからなのでしょうか。そのため、二週間前の記憶と23年前の記憶が混ざってしまい、同窓会そのものが、かなり昔に行なわれたように錯覚してしまうのかもしれません。
記憶というものの不思議さに驚きつつ、改めて懐かしさに浸ったりしました。
2008年08月16日
行列
今日はコミケに参加しました。開始して最初にやったのは、前回に続き、相方と合体で参加している漫画家さんがやっているサークルの行列整理でした。
前回は長さも時間も大した事はなかったのですが、この半年でさらに人気が出たこともあり、今回は、40人くらいの行列が1時間くらい続きました。
その最後尾で列整理をしていました。しかしながら、私自身は、23年ほどコミケに行っていますが、この「最後尾」の経験がありません。コミケに限らず、長時間行列に並ぶのは苦手なので、買おうと思っていた所でも、10人以上並んでいたら、その時点で買うのをやめます。かつて、一般参加しようと行ったところ、もの凄い入場行列になっていたので、一旦別の場所で時間つぶしをして、列がはける頃に戻った事すらありました。
したがって、この「最後尾」につく人たちの様子を見るのは、なかなか新鮮なものがありました。あまり経験のないと思われる人がいる一方で、手慣れた感じで最後尾の札を受け取る人もいます。さらに「手慣れすぎている人」がいて、彼らは、一回の販売で二部限定となっている新刊を二冊手に持って、再び最後尾に入っていました。
なんでも、冬に出した本は、定価二千円がヤフオクで一万八千円で売られていた事があったとか・・・。それを考えれば、20分くらい行列に並んでも、かなり割りのいい「転売事業」になるわけです。
そのような「転売人」がいる一方で、行列を見て、お目当ての新刊が買えるかを心配そうに尋ねてくる純粋なファンの人もいました。そういうのを見ていると、改めて「コミケに来る人は千差万別だな」などと思いました。
もっとも、私が関わった行列などは短いもので、ゴミを捨てようと外に出たところ、灼熱の日差しが降りそそぐ中、ほとんど動かない行列に並び続けている人々がいました。この人たちの中にも「転売人」から「純粋なファン」まで様々な人がいたのでしょうか。
いずれにせよ、行列が苦手な自分にとって、その灼熱の下で並ぶ人たちは、過酷な苦行を行なう修行者に近いものを感じました。
ちなみに、自分自身については、本が5冊ほど売れて、3冊ほど購入した、という程度でした。そういうわけで、本よりも行列のほうが印象に残った一日になりました。
2008年07月28日
本人は知らない物語
大リーグで310セーブを挙げ、福岡ダイエーホークスに在籍した事もある、ゴセージ元投手が、大リーグの殿堂入りを果たしました。その記者会見において、ゴセージ氏は私のキャリアは、一種の物語だったと話したそうです。
大リーグで300セーブを挙げたのですから、素晴らしい投手だったに違いありません。しかしながら、私にとって「ゴセージ投手の物語」というと、巨乳ハンター・左乳編・第8話に登場した、氏をネタにした「福岡平和台ポークス・オッセージ投手でしかありません。そして、その漫画の中での「活躍」ぶりは、実際に平和台球場などで見せたものと、さほど変わりはありませんでした。
その作中で、「オッセージ投手」が登板した時にファンが叫んだ「たわけー何でまたオッセージなんじゃー!!」「チブター、わりゃポークス潰す気か!?」は、読んで18年たった今でもよく覚えています。
というわけで、本人の「物語」という一言を読んだ時、即座にこの「物語」と野次を思いだしてしまいました。
2008年07月02日
あらゆる点でズレている
JTの缶コーヒーが週刊少年ジャンプ40周年とタイアップ企画を行なっています。そして、以前から使っている「主人公の青年タレントが、会社での理不尽な言動に怒る」を、往年のジャンプキャラにやらせる、というポスターを様々な所に貼っています。
ある意味、センスのないコラージュみたいなものです。その中で、一番印象に残ったのは、「キャプテン翼」のロベルト本郷が、「上司がCD-ROMをフロッピーと言った」と怒っているものでした。
昼間から路上でウイスキーを飲む男として登場した世界的サッカー選手かつ風来坊として翼を育てた、ロベルト本郷です。彼が、「サラリーマン的な会話」をするだけでも違和感があるのに、その台詞が「CD-ROMをフロッピー」などという、10年ほど時代がずれたものなのです。
はっきり言って、一つ残らず完璧にズレています。というわけで、別な意味で感動した、宣伝ポスターでした。
2008年06月24日
未読率
「OL進化論」の28巻を買いました。別の雑誌に載っていた作品の影響で、本屋で衝動買いみたいな感じで第1巻を買ってからもう17年になります。10年以上続く漫画を揃えた事は何度かありましたが、パターン化すると飽きてしまうため、他の作品は全て途中で買うのをやめていました。そのような中、これだけ買い続ける気が起きる、というだけで、驚異的な作品だと思っています。
それはともかく、今回読んで驚いたのは、掲載されている作品の八割近くが未読だった事でした。かつてモーニングを毎週買っていた時は当然ですが、その後、立ち読みに切り替えてからも、最初の頃は単行本を買った時も、ほとんどが既読でした。
それが、年を追うごとに未読率が増えているわけです。それだけ、コンビニなどでモーニングを立ち読みする余裕が減っているという事でしょう。
それだけ仕事に追われている、という現実を改めて実感しました。とはいえ、未読率が高い、単行本購入時に新鮮な楽しさを得ることができるわけです。そういう意味では、忙しくなった代償を得ているとも言える、などとも思いました。
2008年05月25日
テレビの影響力
電車で、求人情報誌が「三重視」という主題の広告を出していました。自社が重視する三つの点を、「三銃士」がそれぞれ宣伝する、という形を取っています。
その「三銃士」ですが、なぜかうち一人は女性です。それで思い出すのは、20年ほど前に放映されたNHK番組「アニメ三銃士」です。なぜか、アラミスが女性という設定になっていました。
もしかすると、広告を作った人が幼少時にこのアニメを見て育ち、「三銃士といえば、うち女性が一人」というのが固定観念になったのだろうか、と思いました。まあ、実際に自分も「アラミス」と言われてまず思い出すのは、アニメの影響で女性キャラのほうです。
意外なところで、昔見ていた番組を懐かしむ事ができたと同時に、この「誤解」はどのくらい広まっているのだろうか、と気にもなりました。
2008年01月01日
春から縁起が?
新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
年末に休日出勤だのビッグサイトだのでバタバタしていた事もあり、今日は寝正月でした。
夕方くらいにやっと目が覚め、このまま何もせずに元旦を終えるのも嫌だと思い、津田沼まで散歩に行きました。そして何軒か本屋に入りました。南口のほうで普段行っている丸善が閉まっていたので、接客にやや難があるため、普段はあまり行かない、くまざわ書店に久々に行きました。
すると、前々から本屋をまわるも、なかなか見つからず、アマゾンで頼もうかとまで思っていた、吉田秋生さんの「ラヴァーズ・キッス」という作品が置いてありました。この作品と同じ舞台設定で描かれた「海街diary」という作品が非常に面白く、そのため、こちらの作品も読もうと探していたのです。
正月早々、たいして期待もしていない店で、探していた本が入手できる、というのはかなりの幸運を感じました。できれば、一年を通じて、このような幸運を感じることができる年であってほしいものです。
2007年12月29日
ハレの日が・・・
今日のビッグサイトは、近隣に行列のできるサークルが複数あったため、貴重な経験を沢山しました。
特に、目の前にある長大な列と、聞かされていたそこの客単価で試算をした結果、そこの数時間での売り上げが自分の年収を上回る事がわかったときは、情報として知ってはいたにも関わらず、少なからぬ驚きがありました。
午後になり、おかげさまで相方と二人で作った新刊も完売し(ちなみにそちらの売り上げ合計は食事代程度です)、さてそろそろ他所の本でも見に行くか、と会場を歩き出しました。すると、携帯に仕事関係の電話が入りました。「これは休みの人間にわざわざかける内容ではないだろう」などと思いながら何とか片付けました。するとしばらくして、別な人から携帯に電話が入りました。こちらは、まあある意味仕方のない電話でした。そこで対処したのですが、我ながら「同人誌売ったり、コスプレした人が歩いているのを見ながら、顧客対応するというのは奇妙な風景だよな」などと思ったりもしました。(もっとも、世の中にはこの三日間がビジネス的に重要となる業種・業態もあるわけですが・・・)
主催者は、この盆暮れの三日間を「ハレの日」と言います。実際、自分としても、冒頭に書いたような「初めての経験」をするなど、過去にない「ハレの日」でした。それが電話二本であっというまに日常に戻されたわけです。
携帯というのはいろいろと便利で、なくてはならない物となっています。しかし、今日に限っては、その便利さがあだになった「ハレの日」でした。
2007年10月23日
死せるK原作者、生けるKトレーナーを走らす(?)
昨日見たTV番組の減量ネタに影響され、「あしたのジョー」を読み返しまていました。すると、後半部の矢吹丈の戦績を見ていて、意外な事に気づかされました。
「ラスボス」のホセ=メンドーサ」をはじめ、「ラス前」のハリマオ、「中ボス」のカーロス=リベラといった後半部のライバルは、いずれも矢吹丈との試合で反則行為を犯しています。唯一、後半の敵で反則をしなかった金竜飛も、自らのパンチで矢吹を出血させた瞬間に精神的発作を起こし、自滅しています。つまるところ、力石を最後に、矢吹と戦った名のあるキャラで、正当なボクシングができた敵は誰一人いません。
特に、紳士かつ完全無欠のチャンピオンという設定でだったメンドーサに至っては、矢吹丈を恐れたあげく、両腕で肘打ちしたあげく、矢吹を投げ飛ばし、減点1を食らいました。しかしながら、最後の得点では矢吹を上回り、白髪化するなどボロボロになりながらなぜか判定で勝利。対する矢吹は、描かれて30年以上たった今に於いても、漫画史を代表する名場面「真っ白な灰に燃え尽きたジョー」をになっているわけです。。
この一連の「反則オンパレード」を見て、今話題の「ボクシング三兄弟の父親」を思い出しました。その人は、「TVに子供宛の手紙」として報じられたものが、実は、「あしたのジョー」と同じ人が原作を書いた「侍ジャイアンツ」中の台詞を流用した、という実績の持ち主でもあります。
「子供に宛てる手紙」にその漫画の原作者である梶原氏の文章を流用したほどのファンなわけです。当然ながら「本業」であるボクシングにおいて、同じ原作者の作品である「あしたのジョー」の影響を多大に受けるのは、必然といってもいいでしょう。そうなれば、その作品の後半部分の定番に影響され、「世界タイトル戦で息子に反則を指示した」というのも、有る意味、必然とも言えます。なにせ、漫画の中では、肘打ちした上に投げ飛ばしても「減点1」ですんだわけですから・・・。
裏付けはありませんが、考えれば考えるほど、彼とあの漫画は重なります。さらに言えば、氏の十数年にわたる行動は、思い切り、これまた同じ原作者が生み出したキャラである「星一徹」と重なっています。
率直に言って、個人的には絶対にお近づきになりたくない人ではあります。また、先日も書きましたが、氏の「教育方針」には賛同できません。とはいえ、ここまで「梶原一輝氏のファン道」を歩んでいる姿には、同じ(?)漫画ヲタクの一人として、素直に感心させられました。
2007年09月06日
強風時限定で浮かぶ台詞
台風接近の中を帰宅しました。幕張本郷の駅を出ると、強風の日の「名物」とも言える、「風でバラバラになった傘の残骸」が落ちていました。
そこから、橋の上を渡りますが、正面から強風雨が吹き付けます。あっという間に傘の骨が歪みました。すると、頭の中に「か、傘も全く役に立たない・・・!」という言葉が浮かんできました。これは、二十数年前の漫画「聖闘士星矢」で、フェニックス一輝の初登場時にやっつけられた雑魚キャラの台詞「ク・・・聖衣も全く役に立たない」のパロディ(?)です。それがなぜか、このような強風でその橋の上に立つと必ず、頭に浮かんでくるのです。
結局、傘をさしていても、ただ風を受けるだけで「防水効果」はありません。そこで、暴雨雨の中、傘を閉じて走りました。おかげで、駅から徒歩五分にも関わらず、帰宅したらスーツはもちろんの事、下着まで雨が浸水していました。
それにしても、なぜ橋の上で強風にさらされる度に、この台詞が頭に浮かぶのか不思議です。
ちなみに、「名物」の傘の残骸は、橋を降りたところでもう一つあっただけ。この強風にしては、少ないほうでした。
2007年08月14日
分かっているほうがいいのか悪いのか
ヤングアニマルで羽海野チカさんが「三月のライオン」という将棋漫画を連載しています。今回の話では、「対局盤面」の掲載がありました。これまでも、将棋漫画に出てくる盤面は、実際のプロ将棋に出てきたものがよく使われてきました。とはいえ、プロ将棋を理解できるほどの棋力がない私には、出典もその価値も分からない局面ばかりでした。
しかし、今回の話の盤面は、見た瞬間にどのプロ将棋か分かりました。その対局は、プロの間でも極めて重要度の高いものでした。しかしながら、その時使われた戦法は、私が学生時代に愛用していたものですが、プロではほとんど使う人がいませんでした。ところが、それが重大な勝負で用いられたのです。それだけで驚いたのに、そのプロは私のような素人の想像を絶するようなその戦法の活用で勝ったのです。それに衝撃を受け、6年近く前に指された局面にも関わらず、その将棋は覚えていました。
ただ、その「元ネタ」が分かってればいいというものではありません。むしろ盤面や、その戦法が使われるまでの経緯を知っているだけに、逆に漫画の中での主人公とライバル(?)の描写には違和感みたいなのを感じてしまいました。もちろん、作者の描写力とは関係ありません。ただ、「元ネタ」が印象が強すぎただけの話です。
そのような事を考えているうちに、ヒカルの碁の事を思い出しました。あの作品には当然ながら、碁の盤面がよく出てきます。特に、藤原佐為が塔矢行洋に対し、「神の一手」を指した瞬間などは、盤面の意味が全く分からないのに、読んでいて衝撃が走るほどの描写でした。
とはいえ、おそらくその盤面も碁のプロ棋戦で出現したものなのでしょう。その意味が分かっている人にとって、逆にあの「神の一手」の盤面は、どのように見えたのだろう、などと思えてきたのです。今回の私同様、あの部分の描写がいくら迫力があっても、「元ネタ」の印象がそれを薄めてしまうのでは、などと思えてきました。
それゆえに、もし今後、「三月のライオン」が盛り上がり、極めて重要な展開において、このような「既知の盤面」が出てきた場合、自分は純粋に話を楽しめるのだろうか、などと、不安(?)に思えてきたりもしました。
まあもっとも、最初に書いたように、元々頭に入っているプロの盤面など数えるほどしかありません。さらにここ一年半ほどはプロ将棋そのものを全然見ていません。したがって、そんな心配は、杞憂でしかないのではありますが・・・。
2007年08月10日
作者名より印象に残る歯
ガテンの車内吊り広告がありました。近づいて見たら、連載されていると思われる漫画の一コマが載っていました。男が二人描かれているのですが、手前にいるほうは、どこにでもいそうなキャラでした。「なんだ。平凡な顔だな。まあ、このテの漫画だから、作者の個性などが出るわけもないか」などと思いながら、もう一人の脇役とおぼしき男の顔を見ました。
ガテンの漫画らしく、ヘルメットをかぶっているため、髪型はわかりません。しかし、その男の顔、正確に言えば口を見た瞬間、即座に先ほどの考えを撤回せざるをえなくなりました。その男の前歯はえらい出っ歯です。しかも、大きい歯が一本生えており、それが途中で分かれています。30年ほど前、この歯を持った少年が主役の「ゲームセンターあらし」という児童漫画がありました。最初はインベーダーゲームの腕自慢漫画でしたが、人気が出ると同時にだんだんスケールが大きくなり、「そのゲームの腕で世界を救う」みたいな話まで誕生していました。
ちなみに、その特徴である出っ歯はただの歯ではなく、ゲームを行うにおいて重要な意味を持つ、というような後付設定もあったかと記憶しています。
おそらくこの男の歯が普通だったら、他の顔の部分が同じでも、その作者のキャラだという事すら気づかなかったでしょう。それが、歯一枚を見ただけで、一瞬にして30年近見ていなかったキャラである事を思い出せたわけです。さほど好きな作品でもなかったのですが、自分でも知らない間に、その出っ歯が心に刻まれていたようです。
ちなみに歯を見た瞬間にキャラはわかりましたが、そこから作者名を思い出すまで5分ほどかかりました。
2007年07月23日
献血漫画
献血に行きました。混んでいたのでとりあえず何か漫画を読んで待つことにしました。書棚には色々あったのですが、その中に、ゴルゴ13で読んでいなかった34巻があったので、それを読むことにしました。
すると、二話目が何と、献血を主題にした話でした。発展途上国で身よりのない子供を攫って血を奪い、それで儲けていた製薬会社の差し金で献血運動をやっていた女性が殺され、ゴルゴがその復讐を依頼される、という内容です。
献血センターで偶然手にした一冊にそのような作品が収録されていた、というのには、何か得したような気分になりました。それと同時に、献血運動するのが命がけ、という時代もあったんだな、と、こざっぱりした献血センターの室内を見回しながら、奇妙な感慨をおぼえました。
2007年06月07日
「6月6日」のコックさん
「6月6日」を代表する歌(?)と言えば「かわいいコックさん」でしょう。落ち着いて考えてみれば、蛙が家鴨になり、さらにコックになるというのは奇妙な話ではあります。だいたい、彼(?)をコックさんたらしめている、フライパンとコック帽については、「絵描き歌」の歌詞には含まれていません。その部分は「あっという間に」で片付けられています。
子供の頃から何も考えずに歌っていましたが、考えてみれば、かなり奇妙な歌だなと思いました。
あと余談ですが、中学の時に読んだ「うる星やつら」で、高橋留美子先生がこの絵描き歌を実践していました。もちろん、超一流の漫画家が描いても、ほとんど変わらない「コックさん」ではあります。ただ、この絵描き歌にはオチ(?)があり、最後にこの「コックさん」が一礼します。この「礼をするコックさん」は読んでから24年近く経った今でも、非常によく覚えています。
2007年03月10日
時を感じさせない面白さ
「鉄子の旅」という漫画の最新刊を買いました。編集者つながりがあって、高橋留美子先生がゲスト寄稿しています。しかも、その内容は、主人公である「日本鉄道全駅下車達成」の記録を持つ横見浩彦氏が、「めぞん一刻」の響子さんとお茶を飲む、という、「ヲタの夢」を具現化したようなものでした。
しかも上手いのが、そこでの響子さんの話っぷりが、「めぞん一刻」の作中で描かれた「五代さんの妄想の中での響子さん」そのままなのです。ちょうど今月で終了後20年たったわけですが、キャラの絵のみならず、エプロンの模様から「妄想設定」に至るまでかつてのまま。今でも「めぞん一刻」は生き続けているものだな、と思い、嬉しくなりました。
それにしても、1頁とはいえ、そのような役回りができるわけです。「日本鉄道全駅下車達成」という行為の「価値」を別の視点から認識させられました。
2007年02月21日
会話に役立つ漫画
仕事をしていたら、近くの席のやや年配の人が、誰にともなく「今年って昭和何年だったっけ」と尋ねました。ちょうど数日前に読んだ「さよなら絶望先生」の最新刊に「昭和81年」という表記があり、それを西暦に換算すると2006年になることを確認したばかりだったので、「82年ですね」と即答。尋ねた人にも驚かれました。
それが何の役に立つわけでもないのですが、仕入れたばかりの雑学がすぐに役立つ、という事は妙な嬉しさがあります。それにしても、「絶望先生」で仕事中に驚かれるような日が来るとは思いませんでした。世の中面白いものです。
2007年02月08日
作ったようなタイミング
本日発売のモーニングに載った「OL進化論」で、「ちゃぶ台返し」がネタになっていました。あの星一徹が広めた(?)伝統の「激怒を示す表現」です。その「ちゃぶ台をひっくり返したいような怒り」を20~30代の女性がどのような事を言われた時に感じるか、というお題なのですが、その最初の「嫌な言葉」として挙げられていたのが、今話題の(?)「子供は二人」でした。
もちろん、描かれたのは例の発言がなされる前なわけです。政治業者がやらかした問題発言を風刺する漫画は昔からいくらでもありますが、発言に先立って描かれたというのは希有な例でしょう。しかも、それに対する「ちゃぶ台をひっくり返したくなるような怒り」という表現も絶妙です。
単なる偶然とはいえ、その四コマは、その閣僚のおかげでさらに輝きを増したわけです。そう考えるとあの輩にも少しは「功績」があったと言えるかもしれません。どんな救いようのない人間でも何かしら役に立つ(?)ことがあるものだな、などとも思いました。
2007年02月02日
携帯コミック
2月からパケホーダイにして携帯コミックサイトに会員登録をしました。別に何か携帯で読みたい漫画が出てきたわけではありません。最近流行しているという「携帯で漫画を読む」という行為そのものに興味を持ったのです。
というわけで、とりあえず加入したのはいいけれど、何を読もうかと迷ってしまいました。1話50円するわけですし、そうそう安易に「外れ」は選べません。結局、10年ほど前にアニメがヒットして話題になり、興味もあったものの読む機会を得られなかった漫画を購入しました。第1話だけ読んだのですが、とりあえず「主役キャラの紹介」というところで終わっていました。これだけで50円と考えると割高にも思えます。ただ、結論を出すには続きも読まないと何とも言えないのでしょうが・・・。
ちなみに、加入サイトですが、先週ネタにした「現在進行中のBL行為バナー」のところはさすがに敬遠しました。もっとも、いくつかのサイトを見比べたのですが、どこも「BL」はヒット商品という位置づけのようでした。それだけ携帯コミックを読む層に人気があるという事なのでしょう。
2007年01月31日
夢見の悪いサイト?
サイトを巡っていたら、「キン肉マンの矛盾ツッコミサイト」にたどり着きました。このテのツッコミは、中学・高校時代にジャンプを読んでいる友人とよくやっていました。懐かしさもあって、一通り閲覧。改めてあの漫画の行き当たりばったりぶりに感心させられました。
そこまでは良かったのですが、その日の夜、夢にその「キン肉マン」の悪魔超人・ステカセキングが出てきました。「悪魔」などというとすごそうですが、要はウォークマンに手足と顔がついただけの「超人」です。そして、そいつに押さえつけられながら、目の前に時限爆弾を置かれる、という悪夢が展開されました。
「時限爆弾」というのは、ある意味、悪夢の定番です。しかし、それをキン肉マンのやられキャラに押さえつけられる、というのはかなり情けないものがありました。そして、全力を振り絞ってステカセキングを払いのけた、と思ったら、布団を払いのけて起き上がっていました。
とりあえず、寝る前に見るサイトには気をつけようと、つくづく思いました。
2007年01月27日
経路探索向けバナー広告
現在、携帯の経路探索ではYahoo!を使っています。有料サイトに比べれば機能は少ないのでしょうが、「どこに行くのに何時の電車に乗ればいいか」以外に調べることはないので、それで間に合っています。
ただ、無料サイトですので、必然的に広告がついてきます。それが最近になって携帯コミックサイトのものになりました。そして、バナーには「BL・TL満載」と書かれています。それが目玉なだけあって、使われている絵は、美少年が「BL行為」の真っ最中の表情をしているものなのです。
そのテの絵はこれまで、紙の上では数え切れないほど見ていました(一例)。とはいえ、電車の経路検索したときに出てくると、さすがにちょっと驚かされます。まあ、おかげで利用しないのに「携帯コミック」の売れ筋が分かる、という利点もあるのですが・・・。
2006年09月12日
事実は漫画より奇なり
ヤングジャンプで将棋漫画が始まったようです。電車の広告を見ると、「真剣師」という文字を背負った主人公らしき男が、メイド服を着た巨乳女性と将棋を指しています。
メイド服を着て将棋を指す女性キャラ、というのはかなり珍しいでしょう。とはいえ、その絵を見てもあまり驚くことはありませんでした。なぜなら、行きつけの将棋大会の参加者に、メイド服よりもっとヲタの入った服装で来ている女性を毎回見かけるからです。しかも、その方の実力は半端でなく、かつては男性をなぎたおして県大会で優勝した実績があるほどです。そういうわけで、その「メイド服を着て将棋」を見ても、「漫画が現実に追いついたか」程度の感想しかありませんでした。
あと、将棋漫画といえば、1/2以上の確率で「真剣師」が出てきますが、ちょっと安直すぎるのではないでしょうか。ベタ度から言えば、「初心者もしくは不良ばかりの野球部に、天才少年の主人公が入って甲子園を目指す」のと同程度なのでは、と思っています。
2006年07月01日
20年ぶりに分かった気持ち
地下鉄で一番端の席に座っていました。すると、隣でこちらに尻を向けて立っていたオッサンから、携帯が振動するような音が聞こえてきました。「走っている地下鉄の中で携帯が鳴るとは変な事もあるな」などと思った次の瞬間、そのオッサンの方角から、とんでもない臭いのする風が吹いてきました。さすがにもう「地下鉄の車内でいきなり風が吹くとは・・・」などと勘違いする余裕(?)はなく、事情を理解しました。
それにしても、いくら「出物腫れ物所嫌わず」とはいえ、よりによって、他人の顔の前に尻を向けて、というのはかなり非常識かと思います。普段、ぶつかられようと足を踏まれようと気にもならない私も、かなりムッときました。
そして思い出したのが、20年ほど前に読んだ「魁!男塾」の「虎丸対月光」でした。虎丸が「猛虎流大放屁」なる技を放つと、月光が「おのれ、男子の面体に屁を」と突如怒り狂います。読んでいた時は、「マヌケな技を食らった事に対して怒っているのかな」などと思っていました。しかし実際に経験すると、その気持ちが非常によく理解できました。できれば一生理解したくありませんでしたが・・・。
2006年06月28日
気になる人名・地名
とある漫画を読んでいたら、「藤岡」「倉賀野」「相賀」という苗字のキャラが3人並んでいる絵がありました。「藤岡」と「倉賀野」と言えば、八高線の高崎寄りの駅名(正確には群馬藤岡-北藤岡-倉賀野)です。こうなると、残る「相賀」が気になるところ。「八高線の駅名ではないが、そのあたりの地名なのだろうか?」と思い、検索してみましたが該当するものはありませんでした。何か地元の人にしか分からない符牒みたいなものがあるのだろうか、などとも考えました。客観的に見れば「藤岡」と「倉賀野」が並んだのが単なる偶然、と考えるのが普通なのでしょう。しかし、鉄道好きの性みたいなもので、つい「相賀」に秘められた謎(?)について延々と考えたり調べたりしてしまいました。
2006年06月11日
どうせそのキャラを使うのなら
電車のサラ金広告に、ブログで話題の中川翔子さんが出ていました。私が見たものは「旅館での靴の正しい脱ぎ方」を講義するというようなもの。中川さんをどうこうと言う気はありませんが、サラ金会社については、そんな事を他人に説く暇があったら、利息制限法第1条を読み返して遵法しろ、と言いたくなります。
それにしても、せっかく中川さんを使って、そのような平凡な役割では面白くなさ過ぎます。中川さんは熱烈な楳図かずおさんのファンで、その模写もサイトに発表しています。ならば、その技量を活用して、「取り立てになるといきなり表情が変わる社員と、それを見て『ひいいい』とおののく客」を楳図調で描いてもらう、くらいの「らしさ」を出してほしかったものだ、と切に思いました。
2006年06月08日
シリコンバレーの「パソコン」
シリコンバレーのある会社が、恐竜型愛玩ロボットを開発した、という記事を見ました。このロボットの特徴は、内蔵の基本ソフトを後からバージョンアップしたり、別のソフトをインストールすることができる事だそうです。そして、その基本概念は「持ち主との間に精神的な結びつきをが生まれるようにしたい」とのこと、すなわち、感情移入されるロボットを目指しているそうです。
このパソコンのような機能といい、感情移入を目指すことといい、数年前に大ヒットしたCLAMPさんの漫画「ちょびっツ」の「パソコン」に非常に似通っています。CLAMPさんの発想がシリコンバレーの最先端のさらに先を行っていたのでしょうか、それともこのロボットの開発者が「ちょびっツ」を読んでいたのでしょうか。いずれにせよ、アメリカを代表する技術と、日本を代表する文化が交わった、という事に面白さを感じました。
2006年06月03日
永遠の人気作品
新聞に、ラベルに「めぞん一刻」の絵が入った日本酒という記事が出ていました。連載が終わって18年ほどたっての「新商品化」です。といっても、「なぜ今更」とは思いません。私自身は日本酒は純米酒以外だと悪酔いする事が多いのでこの商品の購入は考えませんでした。しかし、逆に言えばその問題さえなければ、買っていた可能性はあります。
先日も、ある雑誌の漫画に1頁だけ高橋留美子先生描きおろしの響子さんが載っているのを見たら、その漫画の単行本を買っているにも関わらず、550円出してその雑誌を買おうか、と一瞬思ってしまったほどでした。
私自身、そのくらい思い入れが強いですし、未だに商品化されるという事は、そういう思いを持ち続けている人が少なくない、という事なのでしょう。あの作品および作者の凄さは十二分に分かっているつもりではありますが、このような商品情報を見ると、あらためてその人気の深さ・根強さを実感させられます。
2006年04月29日
袋とじ効果
週刊少年チャンピオンで「聖闘士星矢」が復活しました。なんと「袋とじ」です。確かにあれだけの人気作品が他誌で復活するというのは衝撃的ではあります。とはいえ、「袋とじ」にする価値があるかどうかは疑問です。「星矢」だけのために雑誌を買う人は袋とじであろうとなかろうと買うでしょう。またちょっと興味がある、という程度の人は「へー、チャンピオンで始まったのか。ではちょっと見てみるか。え?袋とじ?じゃあいいや」となってしまうのがオチだと思います。ちなみにこれは私が袋とじだと知った時の反応なのですが。
ちなみに、「リングにかけろ」の続編はスーパージャンプで好評連載中。この調子で「風魔の小次郎」がサンデーで復活したり、「男坂」がマガジンで「完結」したら面白いのですが・・・。
あと、手にとったついでにちょっとチャンピオンを開いたら「ドカベン」をやっていました。明訓高校を主とした新チームで、土佐丸高校を主とした新チームと対戦していました。このライバルチーム、かつての地元ライバルである不知火が在籍しているものの、打者のほとんどは雑魚キャラ。名前は四国の地名を適当につけただけでした。かつての土佐丸高校は、他の選手の名前が全て「犬」で始まるという安直なネーミングでしたが、このあたりもかつてと全然変わっていないと感心(?)させられました。
それにしても「ドカベン」と「星矢」が21世紀になって同じ雑誌に載っているなど、「星矢」の全盛時代には想像すらできませんでした。世の中、何が起きるか分かりません。
2006年03月05日
伝言板
携帯の普及とのかねあいか、最近、駅で伝言板を見る機会が
減りました。しかし、今日行った白金高輪駅には久々に見る伝
言板が。やはり地下だと電波が通らないところがあるからだろ
うか、などと思いました。ただし、そこの伝言板には何も書か
れていませんでした。
その帰り、東京メトロ南北線に乗って四ッ谷駅で降りたら、
ここにも伝言板がありました。こちらは、白金高輪と違って、
一件だけ伝言がありました。ただ、そこには日付・時間の記載
はなく、ただ「XYZ」とのみ記されていました。
80年代から90年代にかけて流行した漫画「シティハンター」
で主人公を呼ぶための約束事で「新宿駅の伝言板に『XYZ』と
書く」というのがありました。かつてのファンがつい伝言板を
見て、そのパロディをやりたくなったのでしょうか。
そういえば、この「シティハンター」の平行世界話みたいな
続編が現在も連載されており、人気を博しているそうです。私
は読んでいないのですが、これだけ伝言板が減っている今、主
人公に連絡を取るのも大変になっているのでは、などと余計な
心配をしてしまいました。
2005年12月24日
クリスマスディナーを彩る本
パルコの書店で本を買い込んだ後、上のレストランで夕食にしました。時節柄、「クリスマスメニュー」があったので、二人してそれを注文しました。ワインとスープはすぐに出てきましたが、そこで店員さんが「次の料理までしばらくお待ちください」と言いました。
そのあいた時間を活用すべく、嫁さんが取り出したのは、先ほど購入した「さよなら絶望先生」2巻でした。そこでネタにされた人物や事象に、「相変わらず濃いネタが多い」などと二人して笑っていました。我ながら「クリスマス」に「絶望」とはすごい取り合わせです。まあ、そういうのも我が家らしくていいものか、と思いました。
2005年12月23日
地域性
秋葉原駅で降りたら、献血センターができていました。入って本棚を見たら、以前から興味があった安野モヨコさんの「監督不行届」が置いてあったので、献血室にまで持ち込んで、最後まで読みました。
読みながら、秋葉原で実録ヲタク漫画を読むとは、地の利をえた選択だな、と自画自賛していました。そのうちにふと「献血センターも地域密着をしてもいいのでは」などという妙な考えが浮かびました。たとえば、海浜幕張のセンターなら、「マリーンズ献血センター」とかいって、マリーンズ関係の本が置いてあったり、選手の写真が張ってあったりするのです。最近、輸血用血液不足が深刻らしいので、献血者を増やすためにこういう「営業努力」があってもいいのでは、などと勝手な事を考えた次第です。
話はまったく変わりますが、「監督不行届」の人物紹介を見た所、「主役」である庵野監督は私と誕生日が同じでした。なんか、同じ誕生日の有名人の存在を知ると、自分が偉くなったような錯覚をするので不思議です。
2005年11月28日
20年ぶり
モーニングで塀内夏子さんの登山漫画が始まりました。塀内さんの作品には10代末頃にはまっていて、一時期は全単行本を買い揃えていました。ただ、いつの間にか関心がなくなり、現在、我が家に残っているのは比較的初期の頃の短期連載「俺たちの頂」と「涙のバレーボール」の5冊だけです。作者への関心は失っても、この2作品はどうしても手放せませんでした。
そのうちの「俺たちの頂」は登山もので、短いながら非常に面白い作品でした。今回の作品も、「俺たちの頂」に通じる設定があり、当時の事を思い出し、嬉しくなりました。とりあえず第1話を読んだ限りでは、今後に期待ができそうな感じです。
余談ですが、もし掲載誌が「モーニング」でなくて「イブニング」や「スーパージャンプ」だったら、同じ内容でも主役は「俺たちの頂」の主人公の息子になっていたのだろうな、などとも思いました。
2005年11月16日
間違いではない解釈
ヤフーのニュースの「コンピュータ」の一覧を見ていたら、コナミは、11月中旬にβ2テスト開始予定であるMMO型コミュニティゲーム「ときめきメモリアルONLINE」の公式Webサイトを・・・という記事がありました。
この言葉を聞いた時、私の脳裏に浮かんだのは、漫画「神聖モテモテ王国」に出てきた、「MNO(もてない男)とMO(もてる男)を戦わせる」というネタでした。この語法でいけば、「MMO型コミュニティーゲーム」とは、「もてもて男型コミュニティゲーム」となるわけです。なんでも、この「MMO型コミュニティ・ゲーム」の正しい意味は、「多数の人々とコミュニケーションを取りながら仮想世界で生活を体験するゲーム」との事です。しかしながら、このような難しい意味より、「もてもて男型」のほうが、「ときメモ」らしくて分かりやすいのではないか、などと思った次第です。
ところで、今日から土曜まで、山奥と思しきところに出張に行きます。出先で携帯がつながれば更新するかも知れませんが、その可能性も低そうです。したがって、次回の更新は19日の土曜になる予定です。
2005年09月09日
片言英語の和訳を勉強?
ある四コマ雑誌の増刊に、「以前に連載されていた漫画の日英対訳」が載っていました。「主人公一家がハワイに行く」というシリーズから何本か抜き出して対訳しているのですが、そのうちの一本は「四コマのうちの二コマは、招待してくれたハワイ在住の人が、冗談で『外国人風日本語』をしゃべる」というもの。したがって、原作の「マッテマシター」だの「ハワイヨイトコ」などという言葉をそのままローマ字に「対訳」しています。
これでは翻訳者の「楽をしたい」という意図を露骨に感じてしまいます。私自身、高校時代、対訳で英文読解の勉強をしたものでした。そういう事もあり、こういう手抜きは非常に気になってしまいました。作り手にも色々な事情があるのでしょうが、読者および元の漫画を描いた人に失礼のない仕事をしてもらいたいものです。
2005年09月02日
25年目の真実
ある事情により、「一寸は何cmか」を調べる必要が生じました。すると、同じ「一寸」でも建築用の「曲尺」だと3.03cmで、和裁用の「鯨尺」では3.78cmだという事を知りました。同じ単位名で実際に長さが違うとかなり不便だと思うのですが、当時の人にはそれが自然だったのでしょうか。
そんな事を考えているうちに、子供の頃になぜか1冊だけ家にあった「サザエさん」4巻を思い出しました。時代は敗戦後間もない頃で、サザエさんはモンペをはき、隣の人が「奥さん、配給」と言いながらやってくるような生活です。ある日、サザエさんが縫い物の内職をしようとするのですが、そこでその「くじら」という言葉が出てきます。最後にサザエさんが「1米(メートル)は○尺よね」と言い、それが見当外れな数字だったらしく、お客さんが逃げていく、というオチでした。この意味がよくわからず、「くじら」とはメートル法の事か?などと想像していました。
今日、「鯨尺」という言葉を見た時、その事を思い出し、そして初めてその4コマの意味が分かりました。意外なきっかけで思わぬ謎が解けるものだと我ながら感心してしまいました。
2005年07月02日
予想外のヒットゆえの悲劇
少年マガジンのギャグ漫画「魁!クロマティ高校」を映画化したところ、興行前に題名のネタとなった、元読売球団のクロマティ氏から上映中止を求める仮処分を申請したとの事です。作者の野中英次氏は、それまでどちらかと言うとマイナーな人でした。そういう事もあり、気軽に氏の名前を使ったのでは、と思われます。まさがそれが映画化されるほどの大ヒットとなり、海の向こうのクロマティ氏に文句をつけられるとは、連載開始時には夢にも思わなかったでしょう。クロマティ氏としてもいろいろ思うところがあるのでしょうが、このようなマイナーネタが好きな者としてはちょっと寂しいものがあります。
かつて、筋肉少女帯がインディーズ時代に「高木ブー伝説」という曲を出し、それがヘタに有名になったため、似たような騒ぎになった事がありました。その時は、結局高木ブーさんが「若い人が頑張っているんだし、まあ、いいじゃないか」と言って解決。さらにわざわざライブに来て、曲が始まる時に挨拶をしてくれたそうです。
今回の件も、そのような形での円満解決がなされればいいと思うのですが・・・。
ちなみに、半月ほど前、日テレ系のCSの「G+」を見ていたら、読売球団の名場面集(?)をやっていました。その中に、20年ほど前の熊本で、クロマティ選手(当時)が相手投手を殴打する場面をやっていました。今回の提訴の理由にはクロマティ氏が「地域活動も含めて青少年の健全な育成に尽力しているのに、不良学校の名前に使われた」という怒りもあるそうです。ならば、こちらの映像についても何らかの措置を取ったほうがいいのでは、などとも思いました。
2005年05月23日
追い抜く
「OL進化論」の最新刊を買いました。その中の人気シリーズ「35歳で独身で」の題名を見た時、「この人たちは年下なんだ」という事に気づき、ちょっと衝撃を受けました。特に、このシリーズの「主役」であり、かつ連載初期から出ていた「田中さん」を追い越したという事には驚きました。
初めて「OL進化論」を買った時は大学生でした。その時から、「田中さん」は「人のいい独身中年キャラ」として活躍していました。もちろん、かなりの年上という印象があったのですが、このような日が来るとは・・・・。漫画のキャラの年を抜いた事がここまで気になったのは、10歳の頃に「サザエさん」のカツオを抜いた時以来かもしれません。
次に驚くのは、「OL進化論」の課長を抜いた時でしょうか、それとも「サザエさん」の波平を抜いた時でしょうか。いずれにせよ、実世界では年齢というものは着実に増えていく、という当たり前の事を、しみじみと実感させられました。
2005年05月21日
名勝負の舞台
海浜から本郷にむかうバスに乗っていたら、沿道の建物の取り壊しをやっていました。なんか見覚えのある建物だと思ってよく見たら、日本棋院の研修センターでした。この建物では囲碁のプロを決めるリーグ戦が行われているとのことで、ヒカルの碁のプロ棋士試験編の舞台となり、数々の熱戦が描かれました。
もちろん、その戦いは漫画の中であり、実際に取り壊し(改築?)中の建物とは関係はありません。しかし、作業を見ていると、「あの名勝負が行われた場所が・・・」という寂寥感をおぼえました。そして同時に、あの作品での勝負の描写がいかに秀逸だったかを再認識させられました。
2005年04月14日
最近の嗜好
本屋で「鉄子の旅」という鉄道ヲタク漫画を見かけました。ちょっと読んでみたのですが、「主役」の「トラベルライター」氏の凄まじさとそれに共鳴する担当氏の生き様に感心し、即座に第1巻を買ってしまいました。じっくり読んでもやはり面白く、近日中に残る2冊も買う予定です。
自分としてはもう「鉄道に乗るための旅行」をやる予定は当分ありません。その分、この作品で忘れかけた趣味を仮想体験させてもらっています。
また、こちらは単行本は買っていませんが、「げんしけん」もかなり興味深く読んでいます。他に「NHKへようこそ」も衝動買いしてしまいました。どうも最近、「ヲタクもの好き」になっているような感じです。自分で直接「ヲタク活動」ができなくなりつつある代償行為みたいなものなのでしょうか。