2009年12月31日

2009年を振り返って

 というわけで、2009年もあと僅かになりました。今年はついに40の大台に到達しました。しかしながら、「不惑」などといった域には到底達せず、相変らずいろいろ試行錯誤しながら、という一年でした。
 そんななか、生活では6時台起きを初めました。これは、仕事を効率的に済ますためには、早い時刻に出るのがいい、という考えから出てきたものです。まあ、これまでより40分ほど早起きするようになっただけですが、何とか一年間続けることができました。
 これからも、時間を効率的に使う方法と手段については、追及を続けたいものです。

 サイトのほうは相変らず長文の更新が滞りました。そんな中、夏頃に、Yahoo!のトップから2クリックで当サイトのあるページに飛べる、という椿事が発生しました。その日のページ別アクセスランキングが万単位で増えていく様は、なんかの冗談のようでした。
 それによって具体的に得した事と言えば、それを見たアメリカ在住の妹からメールを貰ったくらいです。とはいえ、やはりこれは貴重かつ楽しい経験でした。
 一方、趣味のほうでは大変残念な事がありました。ここ数年応援していた千葉ロッテマリーンズは、異常な経営陣のせいで、チーム成績のみならず、ファンサービスにおいても最悪の状態になりました。
 さらに、球団社長が「千葉のくだらないファン」などと言った事が判明したにも関わらず、リーグや機構はそれを問題としませんでした。そのような対応も一因となり、球団単体のみならず、プロ野球というもの自体への愛着と関心も大幅に下がりました。
 というわけで、昔からの趣味であるスポーツ観戦において、大きな転機となった年でもありました。
 まあ、いろいろありましたが、何とか一年を終えることができました。お世話になった皆様には改めて感謝したいと思っています。

何とか年賀状を出す

 年賀状の宛名を打とうとしたら、PCが起動しなくなりました。Officeのバージョンの関係で、住所録を打ち出すのは、一代前のマシンを使っています。そのPCがおかしくなったのです。
 数日前に年賀状の枚数を確認した時は動いていたのに・・・このままでは・・・と思いながらエラーメッセージを見たら、OSの入っているHDDを認識できない、と出ていました。何度電源を入れ直しても、同じ表示が出ます。

 そこで気になって中を開けてみたら、HDDのケーブルが抜けていました。おそらくは、ギリギリでつながっており、今回起動するにあたってちょっと動かした際に外れたのでしょう。
 というわけで、ケーブルをさしなおしたところ起動し、なんとか年賀状を出すことができました。
 こういう事件が発生すると、「万が一のためにデータをコピーしておいたほうが・・・」と思います。しかし、のど元過ぎると何とやらで、いざ復旧すると、その意欲が失せます。
 とはいえ、慌てふためいたのは事実ですので、何とか1月中には対策を取らねば、と思っています。

2009年12月30日

実感のない年末

 今年の年末年始は普通に仕事です。しかも、普段より体力を使う勤務になります。まあ、自らそれを望んだので、別に困るわけではありません。いずれにせよ、15年ぶりに、「働きづめの暮れ正月」となります。
 というわけで、年越しらしい事も特にしていません。なんとか、明日中に年賀状を刷れそうな体制を整えている、といった感じです。
 そんな感じで、一年の終わりを迎えようとしています。果たして、明日はどれだけ「年越し」の実感を持てるだろうか、と他人事みたいに思っています。

2009年12月29日

2009/12/29の更新

 トップ絵を更新しました。  翔みならブログめもちょうを更新しました。
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ぶっ倒れたりコミケ行ったり忘年会行ったり

 昨日の朝、突然体調がおかしくなりました。何とか仕事をしてきたのですが、食事が喉を通らない状態に。夜になってやっとお粥と、昼食だったはずの弁当を食べることができた、という状態でした。
 しかし、夜に医者に行ったのと、その晩になにもせずに10時間ほど寝たのが大きく、何とかコミケに行くことができました。もっとも、サークルチェックの打ち出しも出来ず、お世話になっている方への挨拶にすらいけない有様でした。結局、朝に行列整理をした以外は、ほとんど動かず、半分寝ていました。

 しかし、そんな中、私を訪ねて来てくださった方もいらっしゃいました。中には、近所に住んでいて当サイトを見ている、という理由でわざわざいらして下さった方も。
 今まで発行していた本は今回が最終号で、同人誌もこれを最後にしようかと思っていたのですが、こういう事があると、また何か作りたくなります。
 かなり無理したのですが、これだけでも行った甲斐があったというものでした。
 その後は、会社の忘年会に参加しました。体調が戻っておらず、ギリギリまで欠席しようかと思っていたのですが、気合いで参加してきました。
 我ながら無茶していると思ったのですが、行きがけの電車で考え事をしているうちに、昨日からのストレスから解放される、という「効果」がまずありました。
 さらに、会のほうもいろいろ楽しく、これまた行った甲斐がありました。
 年も年ですし、無理ばっかりしてはいけない、という事は重々承知しています。とはいえ、やはり少し頑張ればできそう、という事については、頑張れるだけ頑張ろうと思った二日間でした。

2009年12月27日

2009/12/27の更新

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白菜の紐

 散歩をしていたら、収穫直前の白菜が生えている畑がありました。何となく見ていたら、頭の部分にピンク色のものがあるのに気付きました。
 何かと思ってよく見たところ、店に並んでいるときに、頭の部分を縛っているビニール紐と同じ物でした。
 おそらく、畑に生えている間に葉の先端が開くのを防ぐためにつけたのでしょう。これまで、あれは収穫してから梱包みたいな意味でつけるものだと思いこんでいただけに驚きました。
 子供の頃から今に至るまで、白菜は大好物です。鍋物・煮物・浅漬け・キムチ漬けといったどの食べ方も気に入っています。
 それだけ好きであるにも関わらず、そのような事すら知らなかったわけです。世の中には分かっていそうで分かっていないことがあるんだな、と改めて思いました。

2009年12月26日

忘年会週間終了

 先週の土曜から昨日にかけ、飲み会などが集中しました。この七日間で家で夕食を食べたのは二日だけ、というペースでした。
 さすがに、これだけ続くと、アルコールが飽和(?)するようで、自宅で夕食を食べた日は、晩酌をやろうとする気にならなくなるほどでした。
 最終日(?)となった昨日は、大学の近い代の先輩・同期との会でした。在学中から開催されており、既に20年近い歴史があります。発起人は、あと30年は続けたいと言っていました。ぜひともそうなってほしいものです。

 その後も会は盛り上がり、学生時代にカラオケでよく唄った曲を20年ぶりに歌ったりして、楽しいひとときを過ごしました。
 そしていい気分で帰りの電車に乗っていたのですが、乗った直後、言い争う声が聞こえ出しました。50代くらいの男性二人が、60代くらいの男性の胸ぐらを掴んで、何やら怒鳴り合っています。
 別に暴力団風というわけでもなく、外見だけ見れば、普通の会社員です。そのような人々が、周りの迷惑も顧みず、車内で大声を挙げているわけです。
 そのうち、二人組が他の乗客に追い出されるような感じで降車し、争いは終了しました。
 酒の勢いがあったとはいえ、いくら何でも大人としての分別がなさ過ぎます。このようなご時世で精神がささくれだち、自制心が劣化しているのでしょうか。
 楽しかった飲み会とのギャップが強く、それゆえに色々と考えさせられた一件でした。

2009年12月24日

2009/12/24の更新

 トップ絵をクリスマス限定仕様にしました。
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2009年12月22日

15年ぶり

 大学時代にバイトでやっていた仕事を久々にやりました。卒業後も数年ほど正月休みなどにやっていたので、15年ぶりにやった事になりました。
 もっとも、仕事に使う機器や設備は15年前とほとんど変わっていませんでした。作業自体は比較的単純なので、その時点でほぼ完成していた、という事なのだろうか、と思いました。

 ただ、物は同じでも、やっている自分は当然ながら変わっていました。一つは肉体的なものです。学生時代はは連日12時間働く、などというのを普通にやっていました。ところが、4時間ほどやっただけで、膝が痛くなりました。年齢による衰えに加え、かつてできた効率的な体の動かし方を忘れた、というのがあるのでしょう。
 また、15年やっていないだけに、頭のほうもいろいろ忘れていました。目の前の仕事を見ながら、「あの頃は、こんなの簡単にこなしてはずだ」とは思うのですが、実際に何をやればいいのかが思い出せません。
 なんか、「アルジャーノンに花束を」の主人公が、脳の衰えを感じ始めた頃みたいな気分になりました。
 まあ、衰えを嘆いてばかりもいられません。この冬、あと何回かやる予定があるので、何とか戻せるところまで戻したいものだ、と思っています。

2009年12月20日

風邪気味とつきあう

 昨日、寒空の下に少なからぬ時間いました。それだけ冷やしたので、あらかじめ用心はしていたのですが、夕方くらいに少々風邪みたいな症状がでました。
 そこで、その後に出た飲み会では、温かいものばかり注文するなど、可能な限り体を冷やさない事に注力しました。
 その甲斐あって、今朝になっても、体調は悪化していませんでした。とはいえ、今日も寒いので無理はできません。さらに明日からは怒濤の忘年会週間となっており、一度体調を崩すと、戻すのに苦労しそうです。
 そこで、なるべく安静に過ごし、ちょっとでも体調に違和感が生じたら、即座に布団に潜る、という一日を過ごしました。
 おかげで、何とか体調を維持して一日過ごせました。このまま、風邪をひかずにすめば、かなりの達成感が得られるので、ぜひともこのまま行きたいものです。

新宿駅東口にて

 新宿で飲み会がありました。集合場所は東口の駅前広場でした。少々早く来たので、まだ誰もいません。そこで待とうと思ったのですが、折からの寒さに加え、異様なまでに煙いのに閉口しました。
 広場の一角に喫煙スペースがあるのですが、どう見てもそのスペース外と思われるところでも、皆、平然と煙草を吸っています。というわけで、至る所から煙が出ているのです。
 こんな事なら、「分煙」しないほうがまだ煙害が少ないのでは、と思いました。

 一方、別の一角からは歌声が聞こえます。こんな混んでいるところでストリートミュージシャンか、と思って見たら、迷彩服着ている青年が、楽器も持たずに歌っていました。
 曲目は全て安全地帯で、しかもかなりマイナーな曲まで含まれています。なかなか巧いのですが、やはりその姿は異様でした。電波をバックバンドに唄っていたのでしょうか。
 せっかくだから聞いてみようかとも思ったのですが、いかんせ寒さと煙さが厳しすぎます。店の場所は知っていたので、集合時間前でしたが、店に向かいました。

2009年12月19日

マリンスタジアムの人工芝

 千葉マリンスタジアムの人工芝が老朽化し、選手の苦情を受けてロッテ球団が市に張り替えを要求した、という記事がありました。
 確かに昨年、ファン感謝デーでグランドに入ったとき、人工芝の欠片が靴について驚いた、という事がありました。
 その時は、「まあ、オフに張り替えるのだろう」などと思っていたのですが、どうやら、予定は全くないようです。

 これに関しては非常に不可解なものがあります。選手から苦情がくるほど人工芝がボロボロなのに、なぜ昨年、10億円もかけてリボンビジョンなんぞを造ったのでしょうか。はっきり言って、あんなビジョンがなくて困るとは思えません。しかも、人工芝とでは優先度が違いすぎます。
 昨年一年で急に劣化したわけでもないでしょうし、平均的な張り替え周期くらいはデータとしてあるでしょう。
 なぜ、リボンビジョンを造る話が出た時に、「それよりまず人工芝」とならなかったのか、不思議でなりません。
 先月行った、バレンタイン前監督のトークショーで「ずっとトイレの改修を要望していたけれど無視された」という話がありましたが、それに通じる物があるのでしょう。
 というわけで、「アジア最大」のリボンビジョンを見ながら、劣悪な人工芝でプレーをする選手達には同情を禁じえません。そう考えると、今オフに移籍できた選手達は幸運だったと言えるな、とも思いました。

2009年12月17日

昨日に続いて、WindowsXP不便小ネタ

 仕事中、zipファイルを解凍したが開けない、という問い合せがありました。自分のPCにはラプラスを入れており、普通に開けるのですが、確かに、解凍ソフトの入っていないPCで試したところ、開きません。
 そこで、調べたところ、圧縮ファイルを普通にダブルクリックしてWindows標準の解凍機能で開いたのは、本当に解凍したのではなく、プレビューファイルだという事が分かりました。
 通常のファイルだと開けるのですが、一定以上大きいサイズだと、プレビュー機能がおっつかないのか、開かないとのことでした。

 確かに、解凍したように見えるウインドウをよく見ると、「本当の解凍」を行なうためのメニューが小さく書かれていました。そして、そこから解凍すれば、開くことができました。
 なぜそんな仕組みにしたか分かりませんが、普通の人なら、とりあえずフォルダみたいな形をしているものをダブルクリックしてファイルが展開されれば、それが普通に使えるファイルだと思うでしょう。
 にも関わらず、それをダブルクリックして開かねば、何かトラブルでも発生したのだろうか、と思ってしまうのが普通です。
 せめて、ダブルクリック時に、何らかの「ファイルサイズが大きくてプレビューできません。解凍しますか?」みたいなダイアログが出てくれれば、なんとかなるでしょう。しかし、そのような表示は一切なく、エラー音が出るだけです。
 何のためにこんな機能にしたか、理解できません。Windwos標準アプリというのは、本当に不思議だと二日続けて思う羽目になりました。「7」などの後継OSでは改善されているのでしょうか。

2009年12月16日

画面節約方法

 職場のPCが不調になったので入替えました。新しいPCでIEを開いたところ、Googleツールバーもあらかじめ入っていたため、メニューが四段になっており、えらく鬱陶しく感じました。
 考えてみれば、仕事で使うIEのメニューなぞ、限られています。そこで、使わないアイコンを全部削除し、アドレスバーやGoogleツールバーなでも表示面積を縮小し、何とか全部合わせて二段になりました。
 一日ほど使ってみましたが、それで何ら不便は感じません。そう考えると、いかに無駄なメニューや表示が初期設定されているのか、と思いました。

 後、職場のルールでメーラーはOEなのですが、アドレス帳を移行したところ、フォルダ構造がなくなってしまいました。無料のように見えますが、実質的にはあの高価なWindowsの一部なわけで、それ相応の値段のアプリです。
 それが、その程度の機能すら持っていないという事に、改めて驚きました。メールデータの移行についても、Becky!に比べれば大幅に非効率です。
 仕事でずっと使っているので普段は感じませんでしたが、改めて使い勝手の悪いアプリだと再認識しました。

2009年12月15日

2009/12/15の更新

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忘年会シーズンらしからぬ

 仕事関係で飲み会に行きました。ところが、行った居酒屋は駅から歩いて2分くらいの好立地なのですが、閑散としています。始まったのが18時半とちょっと早めだったからかと思っていたのですが、19時を過ぎても20時を過ぎても状況は変わりません。
 そして、料理が出てきたのですが、これが美味しさの欠片もないものばかりでしたす。その上、段取りが悪くて飲み会も盛り上がりません。店内同様、かなり寒い時間となってしまいました。
 それにしても、この忘年会シーズンど真ん中というのに、この空きっぷりは異常だと思いました。おそらくは、不況と味の悪さの「相乗効果」なのでしょう。
 「忘年会シーズンはどんな居酒屋でも超多忙」という時代は過去のものになったのだな、と思いました。その情報を得ることができたのはある意味貴重かと思いました。もっとも、不味い料理とつまらない会に対して支払った金の事を考えると、どう考えても収支は大赤字になってしまいましたが・・・。

実績と人格の関連性

 成功者の伝記などを読むと、たいてい、主役は人間的に優れている、というキャラ設定になっています。したがって、そういうのを読んでいると、いつの間にか、「人間的に優れているから成功したんだ」という考え方を持ってしまいがちです。
 しかしながら、実際はそうではありません。最近の総理大臣は、所属政党に関係なく、ろくでもない事ばかり明らかになっています。また、歴史的に見ても、多くの「英雄」の実績は結局のところ、「自らが権力を得るために、大量の人を殺した」でしかありません。
 もちろん、成功者で人格が優れている人もいるでしょう。しかし、逆の人も無数にいるわけです。結局のところ、実績と人格には関連性はありません。
 にも関わらず、世間一般では、実績を残した人は優れた人格である、という事が大前提みたいにとらえられている事が多々あります。その「大前提」を見直せば、少なからぬ誤りが正されるのでは、とよく思います。

2009年12月13日

振替乗車の小技

[ 交通 ]

 津田沼で夕食を食べました。駅に着いたら、ちょうど二分後に電車がでるとのこと。これは待たずにすむと思い、気分良くホームに行きました。
 ところが、放送や表示では、「幕張駅で人身事故が発生し、運転見合わせ」と出てきます。電車のほうは時刻表通り二分後に来たのですが、「ここでしばらく運転を取りやめます」というアナウンスがありました。
 そこで、振替輸送を使うことにしました。私は定期ですから問題ないのですが、問題は相方です。一度suicaで改札を通っており、このままですと、振替の対象になりません。

 そこで、一旦、suicaを入場取り消ししてもらい、幕張本郷までの切符を購入して振替え乗車券と取り替えました。
 この方法は、駅員さんは教えてくれないから要注意です。実際、自分たちの目の前にいた青年は「止まっているんですか」「ええ」「どうすればいいんですか?」「新津田沼から新京成が出ていますから・・・」「これで入ったんですけど(suicaを見せる)」「これでは振替票は出せませんね」「そうですか」という会話をし、そのまま新津田沼に向かっていました。
 仮にこの人が幕張本郷に行くとしたら、京成と新京成の合算で250円、一方、相方は130円で行けたわけです。
 というわけで、新津田沼まで歩いて行ったのですが、着いたらちょうど前の電車が行ったばかりで10分くらい待たされ、さらに京成津田沼で10分くらい待たされました。
 日中は直通運転をしているにも関わらず、この接続の悪さには驚かされました。
 そして幕張本郷に着いたら、JRホームの幕張方面には待っている人がいませんでした。改札に行ったら運転再開とのことで、おそらく、出て行ったばかりだったのでしょう。結果的には振替を使わない方が早く帰れたわけです。
 まあ、自分は基本的に振替乗車が好きですし、相方も普段と違う経路を楽しんでいたようなので、よしとしようと思いました。
 ただ、目の前の青年以外にもいたと思われる、駅員の言うなりに定価でこの経路を使った人にとってはシャレにならない話だろうな、とも思いました。

2009年12月12日

2009/12/12の更新

 体育館2009年のスポーツ紙報道で気になった事を掲載しました。

夕暮れと富士山と方言

 久しぶりに鷺沼温泉に行きました。途中、畑の中で夕暮れの空を見ていたら、雲に霞んで富士山が見えました。
 ここから富士山を見るのは数ヶ月ぶりです。折角なので写真を撮ってみました。よく見ると、写真右下に富士山が写っています(クリックすると、同じ窓で大きめの画像が開きます)。
20091212.jpg

 その後、しばらく歩いていたら、農作業中の老婦人が立ち話をしていました。通りがかりに聞いたのですが、独特のなまりがありました。おそらくは、この地域で古くから使われていた方言なのでしょう。
 この地域に来て12年目で初めて聞いた、「本来の言葉」でした。この人達にとっては、普通の言葉ですが、ここ数十年で、多くの「千葉都民」が移住してきたため、今では珍しい言葉になったわけです。
 今更ながら、かつてはここが純然たる農村だった事を感じさせられた会話でした。

深夜の街

 深夜1時過ぎに、夜食を買いに、コンビニに行きました。途中、ダンススクールの前を通ったら、なぜか電気がついていました。
 終了後も一晩ライトアップするようになったのか、と思って見たところ、そこで一人練習をしている人がいました。近々、大会でもあるのでしょうか。それにしても、こんな時間にまで練習とは驚きました。

 また、家のほうに向かって歩いていたら、目の前を何か小動物が走っていました。見慣れない動きなので何かと思ったのですが、体型と尻尾を見たところ、鼠のようでした。
 前住んでいたアパートに鼠が住み着き、いろいろ悪さをされ、精神的にかなり参った経験があります。まあ、深夜に外を走っているのですから、家に住む鼠ではないのかもしれません。
 いずれにせよ、万が一でも我が家に来ないよう、対策を取らねば、と10数年前の悪夢を思い出しながら強く決意しました。

2009年12月11日

木登りの達人

 徒然草に、木登りの達人が、弟子の技を見ていて、地面に降りる直前になって初めて「気を付けて降りるように」と注意した、という話があります。
 子供の頃、これを読んだときは、「確かに、ここまで行けば後は簡単だ、という時に気が緩むことはある。とはいえ、木登りで地面に降りる直前でわざわざ注意するとは、大袈裟だ」と思っていました。

 しかし、「木登りでいうところの、地面に降りる寸前」にあたるような簡単なところで、とんでもない失敗をし、それまでの苦労が水の泡、という事は実際にある、という事は、今になれば分かります。
 というわけでこの年になって、「簡単に思える所でこそ注意するべき」という話で、あえて木登りの達人の逸話を使ったのは、適切だったのだな、という事が理解できました。
 同じ話でも、その時の自分によって感想が大きく変わる、という典型みたいな話だと思いました。

2009年12月09日

振替の振替

[ 交通 ]

 帰宅しようと四谷駅に行ったら、人身事故の影響でかなり遅れている、というアナウンスがありました。窓口で尋ねたら、振替乗車票を発行してくれるとのことなので、利用することにしました。
 一番手堅いのは、南北線で市ヶ谷に出て、そこから都営新宿線で本八幡に行き、総武線が復旧していたらそちらに、まだ乱れていたら京成に、という経路です。しかし、この経路は市ヶ谷および本八幡での乗換えにかなり時間がかかります。

 そこで、地下鉄を乗り継いで京成上野に出て京成で帰る、という経路にしました。南北線→大江戸線→銀座線という、振替乗車票を持っている時にしか使えない、割高な経路で京成上野に着きました。
 そして改札に行ったのですが、そこには「人身事故が発生して、電車が遅れています」という表示があり、振替乗車の案内までしてありました。
 さすがにJRの振替乗車票を提示して京成の振替乗車票を取得するわけにはいきません。これなら普通に新宿線を使っていれば、と後悔しましたが、今更どうしようもありません。各駅停車にに乗ったのですが、先頭から前の列車のテールランプが見えるほど詰まっています。当然ながら、ノロノロ運転でした。
 そして、ついに特急待避駅である千住大橋で、前を走っている各駅停車に追いついてしまいました。そこで、乗り継いだのですが、こちらもまたノロノロ運転です。しかし、京成高砂で臨時仕立ての快速特急に接続し、後はほぼ順調に帰宅できました。
 えらい時間を無駄にしましたが、おかげで、「各停が前を走っている各停に追いつき、そちらに乗り継ぐ」というなかなか出来ない経験ができました。それができたので、京成上野まで出た甲斐があった、と思うことにしました。

2009年12月08日

読んでくれる人

 こことは別に、大学時代に所属したサークルのOB会サイトを運営しています。開設したのは11年前で、各OBの紹介ページなどを作りました。その頃はまだ、卒業してから6年という事もあり、年に何回も現役の飲み会や大会にも顔を出していました。したがって、皆と面識があり、いくらでも紹介文を書くことができました。
 しかし、時が経つにつれ、OB会の活動の参加は続いているものの、現役とのつきあいはだんだんと減っていきました。卒業時の追いコンに顔を出しても、その卒業する人の顔と名前が一致しない、ということも普通になってきました。

 となると困るのがOB紹介ページです。あまり話したことがない人の紹介を書くときなどは、現役生が発行した会報を読みながら、そこの紹介文を編集するよりありません。しかし、これをやるには、かなりの気力が必要です。
 というわけで、卒業式から半年以上経過した先月末にやっと、今年卒業した人の紹介文を書き上げました。
 ところが、それを書きあげた数日後、その新卒の一人が急逝してしまいました。つい半月ほど前も、近い世代のOBたちと飲みに行っていたそうで、あまりの突然な事に皆、驚いていました。
 お通夜に行き、他の後輩達と一緒に、ご両親と話す時間がありました。そのうちの一人が自己紹介をすると、親御さんは、「ああ、○○さんね」と彼のあだ名をいいました。
 皆が驚くと、「実はOB会サイトを見ていました。先日やっと息子の名前が載ったと喜んでいたのですが・・・」と言われました。
 まさか、そのような読者がいるとは思わず、驚くと同時に、自らの遅筆を悔いました。ただ、結果的にですが、生前に掲載できたのはせめて良かったと思いました。今となっては確認する術はありませんが、本人も目を通してくれていれば・・・と思っています。

2009年12月06日

路面電車でWiMAX

[ 交通 ]

 移動しながら高速で無線インターネットが使えるというWiMAXの試験運用を伊予鉄道の路面電車で行なう、という記事がありました。
 車内のモニタで動画を流すわけですが、ネットでリアルに通信しているため、好きなときに動画を切り替えたりすることもできます。そのあたりが、山手線などで流している動画との違いのようです。
 ただ、この路線は相方の里帰りのたびに乗るのですが、そこで見る限り、一人当たりの乗車時間はあまり長くありません。したがって、よほど「放映時間」をうまく設定しない限り、折角の動画でも、ほとんどの人が途中で見始めて放映中に降りる、という事になりかねません。

 という不安もありますが、このような新しい試みを始めるのは応援したいです。さすがは、JRにさきがけて、携帯で電車に乗れるシステムを導入した会社なだけの事はあります。
 ちなみに、この路線を走る車両の大半は、1950年代から60年代に造られています。一部は今世紀に入って造られたのもありますが、まだまだ少数派です。
 どうせ取り付けるなら、ぜひともその「建造50年」の車両につけ、歴史と最新技術をとりあわせた車内を演出してほしいものだ、とも思っています。

2009年12月05日

Jリーグ最終戦

 今日はJリーグの最終戦でした。今年から、相方の地元チームで、マスコットキャラが極めてユニークである愛媛FCを応援していました。といっても、メールマガジンに登録して速報メールを読み、Yahoo!で順位をチェックするくらいですが・・・。
 その愛媛FCですが、開幕からいきなり三連勝したものの、あとは失速、途中で監督が更迭されるほどで、何とか最下位にはならずにすむものの、下位に定着、という状況でした。

 そして最終戦では、優勝がかかっている仙台と対戦。首位と15位の対戦ではありますが、今季の対戦成績は1勝1敗です。そしてこの試合も、後半で先制されるも、終了間際にジョジマール選手が同点ゴールを挙げ、そのまま引分けになりました。
 これで2位のセレッソ大阪が勝つと、逆転優勝になるところでしたが、鳥栖に敗れて仙台が優勝となりました。
 とりあえず、優勝チームと1勝1敗1分と互角に闘った、というのは立派だと思います。もっとも愛媛は、最下位の岡山とも1勝1敗1分ですが・・・。
 ほぼ結果チェックだけでしたが、なかなか楽しめたシーズンでした。来季は千葉でも試合があるので、生観戦もできれば、と思っています。

 さて、一斉に12時半開始だったJ2が終わると、今度はJ1が15時半から一斉に開始されました。
 首位の鹿島が浦和に勝てば優勝ですが、引分けか負けて2位の川崎が勝つと、逆転優勝となります。川崎の相手は陥落が決まっている柏なので、鹿島としては「勝てば優勝、それ以外なら2位」という感じでした。
 別にどちらを応援しているわけではないのですが、鹿島がJ1二連覇中であるのに対し、川崎は直前のカップ戦を含め、何度も準優勝はするもののタイトルは取れていない、と聞いていたので、何となく川崎に優勝してほしいと思っていました。
 中継があったので埼玉で行なわれた浦和-鹿島を見ていました。川崎は予想通り序盤で3対0とし、勝利がほぼ確実に。一方、埼玉のほうは、0対0の展開が続きます。
 前半は浦和の攻撃のほうが多い感じでしたが、後半に入って興梠選手がシュートを決め、ついに鹿島が先制します。
 そして終了間際、浦和が猛攻を見せます。残り時間も少ないので、1点が入れば、鹿島の優勝はなくなります。しかし、鹿島は見事に凌ぎきり、1対0で優勝。Jリーグ史上初の三連覇を達成しました。
 選手の名前も、サッカーの戦術も分かりませんが、見ているとなかなか面白いものです。来年はJ1の中継も少し見てみようか、と思いました。

2009年12月04日

寝ても覚めても眠い

 昨晩、あまり眠れませんでした。したがいまして、朝起きても眠気が残ったまま。電車で座った直後に寝てしまい、次に気付いた時は下りる駅でした。したがって、体感通勤時間はかなり短くなりました。
 そのまま眠気と闘いつつ会社につきましたが、やはり眠気が飛びません。幸い、始業時刻まで少々余裕があったので、5分ほど寝ることにしました。
 目を閉じてすぐに眠ったのですが、今度は夢を見ました。そこでの自分は仕事をしていました。さらに、その夢の中でも眠くてたまらず、何とか眠気に耐えようと悪戦苦闘していました。
 精神的には全然寝た気がしませんでした。しかしながら、肉体的にはこの「短時間睡眠」がきいたようで、仕事が始まってしばらくしたら、眠気が飛びました。
 面白い夢を見れたのは貴重な経験でした。しかしながら、やはり生活のリズムはきちんとせねば、と痛感させられました。というわけで今日は早寝します。

2009年12月03日

ヒット商品番付

 数日前に「ヒット商品番付」が発表されました。新聞社とシンクタンクがそれぞれ作っているのですが、「東の横綱」だけは、「エコカー」「ハイブリッドカー」と、ある程度似た概念のものになっています。
 しかしながら、あとはかなり違う内容になっています。片方の「西の横綱」である「激安ジーンズ」は、もう片方では平幕にも入っていません。
 まあ、あれだけ多数の商品・サービスがあるのですから、調査する会社によって異なるのも仕方ないとは思います。とはいえ、せっかくほぼ同時期に発表するのですから、お互いですりあわせたほうが、より権威のあるものになるのでは、と思いました。

 ちなみに、毎年の事ですが、その「番付」に載っている商品の半分以上が、このニュースを見るまで存在を知らないものでした。ついでに言うと、両者共通の「東横綱」である、「エコカー」と「ハイブリッドカー」の概念および相違点も正確に理解はしていません。まあ、車に乗らないため、興味の持ちようもないのですが・・・
 なお、自分の中における今年最大の「ヒット商品」は「4リットル1670円の25度甲類焼酎」でした。これはこれで、ある意味世相を反映しているのでは、と思っています。

2009年12月02日

毎度の事ながら

 大阪の個室ビデオ店で火事が発生し、16人が死亡したという事件で、「自殺しようとして放火した」という事で逮捕・起訴された被告に死刑判決が下りました。被告の人は、取り調べでは自供したものの、公判では一転して全面否認しています。
 にも関わらず、裁判所は「取調べは適正に行なわれた」とし、当初の自供をもとに判決を下しました。そしてマスコミは被告の態度を批判し、被告が犯人であることと決めつけた上で、遺族の「怒りの声」を載せています。
 一方、弁護人側は会見で「認定するにあたり、弁護人側の疑問には全然答えていない」と言ったとされています。しかし、具体的にどのような疑問が提示されたかは記事になっていません。

 死のうとして放火し、さらにそれを取調べの時点では素直に認めた人が、いざ裁判が始まると、一転して無罪を主張する、というのは、あまりにも言動に整合性がありません。
 過去、似たような事は何度もありました。その度に問題になったのは、「取調べの内容」でした。今回の判決では「威圧的な取り調べはなく」となっているそうですが、その模様を最初から最後まで記録した映像でも入手できたのでしょうか。
 これまでこの事件については、ほとんど何も知りませんでした。そんな私が、「被告が犯人」という前提の新聞記事を読んだだけで、これだけの疑問が出てくるわけです。実際に弁護側の主張を見れば、さらなる疑問が出てくるのでは、と思います。
 人の命がかかっているのですから、控訴審ではより精密な審理が行なわれることを願っています。あと、「威圧的な取調べはなかった」というのなら、それを明らかにするためにも、「取り調べの完全録画と必要に応じての開示」を早急に実現する必要があると強く思いました。

2009年12月01日

高木投手、引退

 千葉を戦力外になり、トライアウトで現役続行を目指していた高木晃次投手が引退を発表しました。
 1986年に阪急ブレーブスにドラフト1位で入団し、2年ほど一軍定着したものの、トレードで福岡ダイエーホークスに移籍します。しかし、そこでは全く活躍できずに29歳で戦力外通告を受けました。
 しかし、ヤクルトスワローズに入団すると、2年目に先発に定着し、13年目にして初の規定投球回数に達し、9勝を挙げるなど活躍しました。
 ところが、翌年以降は再び調子を崩し、2001年に33歳で二度目の戦力が通告を受けます。

 そして2002年に千葉に入団。最初の3年間は谷間に先発しつつ、リリーフもこなす、といった起用でした。なぜか近鉄バファローズに強く、二年連続で完封勝利を挙げています。特に2003年は10試合の登板で1勝に終わりましたが、その1勝が完封勝利という珍しい結果になっています。
 2004年にバレンタイン監督が就任した後、当初は昨年までと同様、先発とリリーフの併用みたいな形でしたが、途中からリリーフ専任となります。そして、この年の7月に黒星がついて以来、知る人ぞ知る「不敗神話」が始まります。
 2005年からはリリーフ専任となります。当時の千葉には藤田投手という、絶対的な左の中継ぎエースがいました。したがって、目立つ場面での登板は少なかったのですが、先発が早く降板した試合や、負け試合などの登板でチームに貢献します。
 この年の試合で忘れられないのは、唯一の勝利投手となった、8月5日の対合併球団戦です。先発の小野投手が危険球退場した後を受けての緊急登板で、登板直後に失点したものの、そこから好投し、打線の援護もあって白星を挙げました。
 あの試合で、降板した時の「高木コール」は今でもよく覚えています。また、自分にとってこの試合は2005年に行なわれた中で、リーグ優勝を決めた対福岡PO最終戦の次に心に残った試合でした。
 2006年以降も同様のポジションで登板を重ねますが、とにかく黒星がつきません。そして2007年には21年目にして自己最多となる43試合登板を果たします。そして、クライマックスシリーズ第2戦では、足を痛めた小林宏之投手の後を受けて緊急登板し、白星を挙げました。
 個人的な事ですが、この日は日曜で、翌朝から大阪で仕事があったため、前日入りし、大阪見物をする予定でした。しかし、高木投手の緊急登板を見てTVに見入ってしまい、見物を取りやめました。結果的にこれが一軍最後の白星だったわけで、それを思うと、ここでTVを見ていたのは正解だったと思いました。
 そして翌2008年の開幕戦では、3点リードの9回裏から登板したシコースキー投手が1死1・2塁としたところで登板し、併殺で抑えて18年ぶりのセーブを挙げました。
 この年も43試合登板し、また、不敗記録も続けました。しかし2009年になってからは調子が上がらず、8月下旬に二軍落ちしたのを最後に、一軍に上がることはありませんでした。
 そして、秋口に自身三度目の戦力外通告を受けます。20代・30代・40代でそれぞれ戦力外通告を受けた選手というのもかなり珍しいと思います。結果的にここで引退宣言をしていれば、セレモニーや、札幌最終戦における、中嶋選手との「最後の阪急対決」が実現していたのかもしれません。
 そう思うと残念ですが、結果的には失敗したとはいえ、あそこで現役続行の意思表示をしたのは、高木投手らしく、それはそれで良かったと思います。
 結局、連続無敗記録は「168」まで伸ばしました。2位が「114」であることを考えると、二度と破られない記録なのでは、と思えます。他にも、10年目で初の規定投球回数到達とか、20代で最初の戦力外通告を受けながら41歳まで現役、20年目にして初のFA権取得なども、かなりの記録でしょう。
 いずれの記録も、派手な活躍がなかった故のものであります。とはいえ、着実な努力の継続があってこその記録なわけです。そういう事も含め、自分にとっては、最も心に残る野球選手の一人でした。ぜひとも第二の人生も頑張ってほしいものです。
 そして同時に、阪急ブレーブス経験者で唯一の現役となった北海道の中嶋選手には、一年でも長く現役を続けてもらいたいと思いました。