2014年10月31日

幸せを呼ぶ赤い西武電車?

 半年ほど前に紹介した、幸せを呼ぶと銘打った黄色い京急電車ですが、見た人から「西武の電車に似ている」という感想があったそうです。
 すると、それに西武がコラボし、幸運の赤い電車と言って、京急のコーポレートカラーである赤く塗った電車を走らせる事になりました。
 このニュースを見た時はちょっと驚きました。自分は、西武新宿線沿線の野方という町で生まれ、8歳の頃まで住んでいました。
 当時、西武新宿線の車両は、赤とクリームをベースにした塗色でした(参考資料)。

 その赤い電車は非冷房でしたが、新車として、黄色い冷房車が投入されました。
 ある年の夏休みに、近所の人たちと秩父のほうに団体で行きました。その時、野方駅に入って来たのがその黄色い冷房車で、周りの皆が大喜びしていたのは、今でも覚えています。
 そして、段々と黄色い電車に入れ替わり、赤い電車はローカル線でしか見られなくなりました。さらに、ローカル線でも世代交代が進み、ついに「赤い西武電車」は消滅しました。
 その後、黄色は残りつつも、白や青などの新車が投入され、現在に至っています。
 それだけに、西武が「出会えたお客様に幸運が届けられれば」などと言って、「赤い西武電車」を走らせた事には、かなりの違和感がありました。

 もっとも、西武に赤い電車が普通に走っていた頃と今の日本を比べれば、ほとんどの人にとって「幸せ」は大幅に減退しています。
 実質賃金も正規雇用も年金も社会サービスも減り続け、税金だの保険料だの支払うものばかり増え続けています。
 そう考えると、「当時は当たり前だった事が今では『幸運』になってしまう」という、西武のこの企画は、時代の変化を反映しているのかも、などと思ったりしました。

2014年10月30日

日米で「29年ぶり」ならず

 大リーグのワールドシリーズと、日本シリーズが同じ日に終わりました。
 敗れたカンザスシティ・ロイヤルズと阪神タイガースは、ともに1985年にシリーズを制覇し、それ以降、一度も制覇していません。
 つまり、今年のシリーズは、ともに「1985年以来、29年ぶりの制覇」を目指したものの、夢がかなわなかったわけです。
 ちなみにその29年前、自分は日本シリーズのTVを見ながらメガホン振って応援していた熱烈なタイガースファンでした。
 しかし、色々あって、野球自体に興味がなくなりました。当時と今で変わっていないのは、某金権球団に対する嫌悪感くらいしかありません。
 というわけで、タイガースが負けた瞬間を見ても、特に感慨みたいなものはありませんでした。
 ただ、「同じ日に日米双方で、『29年ぶりの制覇』を目指した球団がともに敗れるなんてもしかしたら史上初かもしれないな」とは思いました。
 あと、ホークスは通算6度目の日本一となりましたが、南海・ダイエー・ソフトバンクでそれぞれ2回ずつ日本一になっています。
 そのうち、南海・ダイエー・ソフトバンクのいずれにも負けたのはタイガースだけで、これも珍しい記録だよな、などとも思ったりしました。

2014年10月29日

猿騒動決着

 先日書いた、千葉県の北端から野生の猿が入県して南下中の件ですが、習志野市のツイッターから続報が出ていました。
 船橋市からついに習志野市に入り、その後、八千代市→千葉市花見川区→稲毛区→中央区と、ついに県の中心部まで到達したのですが、そこで交通事故に遭ってしまった、とのことでした。
 ツイッターで情報を見ていた時は、「万が一、家や職場の近くに現れて、襲撃されたらどうしようか」などと心配していました。
 しかし、このような結末を見ると、「何かの都合で故郷を追われ、見知らぬ千葉県を転々、最後は保護される事なく事故に遭ってしまったんだな」という、いたたまれない気持ちになってしまいました。
 人のみならず、猿にとっても住みづらい世の中になっているという事でしょうか。
 ちなみに、猿の経路ですが、ツイッター情報からまとめると、野田からほぼ一直線で県都を目指していた事が分かります。偶然なのでしょうが、ちょっと不思議に思いました。(※画像をクリックすると、同じ画面でちょっと大きな写真が開きます。)
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2014年10月28日

間違い

 間違いのない人間はいません。ましてや自分は長年生きているうえ、色々と上手くいっていない事があります。
 そう考えれば、自分がかなり沢山の間違いをしているのは確かです。
 もっとも、「財布を落とした」などというような明白なものを別とすれば、やっていた時は、それが間違いだった、などという事はなかなか分かりません。
 やりはじめた時は、「これは非常にいい事だ」と思っていたのが、実はとんでもない間違いだった、という事がよくあります。
 さらに、もっと大局的な視点で見ると、「あの時は正しかったはずで、しかもそのおかげで当時はいい結果を得ることができた。しかし、今振り返ると、あれは間違いだったのでは?」と思わざるをえない事も少なからずあります。
 もちろん、そんな事を延々と考えても意味がありません。明らかに間違いという結果が出たものだけを反省し、それを繰り返さないようにする事しか、自分にはできません。
 その積み重ねで、何とか「正解」にたどりつかねば、ともがきながら進んでいます。なかなか大変ですが、いつかそこにたどりつきたいものです。

   

2014年10月27日

パワーポイントでリングパフォーマンス

 スカパーが無料キャンペーンをやっていたので、普段見れない格闘技専門チャンネルを視聴しました。
 1990年台半ばは大のプロレスファンで、専門誌を複数購読していたほどでした。しかしながら、最近はすっかりご無沙汰しています。
 それはともかく、見ていると、テーマに乗って覆面レスラーが入場してきました。ここまでは昔も今も変わりません。
 ここで続いて、相手レスラーが入場するのが普通です。しかしながら、そのような気配はありません。代わりに、覆面レスラーが本部席にあるノートパソコンに近づいてきました。
 そして、パソコンを操作し始めました。会場のメインスクリーンとつながっており、そこに画面が映ります。そこにはパワーポイントの画面がありました。

 アナウンサーは「得意のパワーポイントだ。しかしJPEGという説もあるぞ」などと言っています。
 しかしながら、画面はちゃんとパワーポイントで作られており、アニメーション効果なども設定されていました。
 その画面を動かしながら、覆面レスラーは、これから闘う相手の「弱点分析」を延々と披露し、その対策の練習風景まで画面に映し出していました。
 そして、熱演が終わり、やっと相手レスラーが入場し、試合になりました。
 試合のほうは、ある意味お約束、という感じで、そのパワーポイントで披露した「弱点を分析して考えだした作戦」を相手レスラーがあっさり破って勝利、となりました。
 このあたりは、20年前のお笑い系プロレスと何ら変わっていません。
 とはいえ、この「パワーポイントを使ったリング(?)パフォーマンス」の面白さには、率直に感心させれました。
 いろいろあって「プロレス観戦」という趣味は引退していましたが、プロレスは相変わらず独特の進化を続けているのだな、と嬉しさを感じた久々のプロレスTV観戦でした。

2014年10月26日

直通運転の弊害

 3日連続で金曜のスカイツリーの話を書きます。
 出かける準備をしたのは、11時ちょっと前でした。
 検索サイトで調べてみたところ、11時5分に幕張本郷を出る京成に乗ると、京成津田沼で5分待で特急に乗り換えられ、効率よく最寄り駅である押上に行けることが分かりました。
 しかし、時間的に今から家を出てこの電車に乗るのは義母の足を考えると難しそうです。
 そこで、一本遅らせる事にしました。日中の京成千葉線は10分に1本のペースで走っています。ならば10分後の電車に乗ればいい、と思っていました。
 しかし、「一本後」で出てくる検索結果は、全て総武線で錦糸町に出るものばかりです。京成線経由は、20分後の11時25分発の電車しか記載されていません。

 そんなわけないだろう、と思って時刻表を調べました。
 すると、11時15分の千葉線で行くと、京成津田沼で2分後の京成本線快速に乗り換えて押上に行ける事がわかりました。
 朝晩なら、千葉線の電車と京成本線は同じホームに発着します。したがって、この乗換は容易にできます。
 しかし、2006年から実施された新京成電鉄との相互直通運転により、日中の千葉線は、京成本線と違うホームに発着するようになってしまいました。
 自分ひとりなら、ちょっと急げば2分あれば乗り換え出来そうです。しかしながら、義母はもちろん相方でも、それは相当至難の業です。
 というわけでこの経路は諦めました。といってもあと20分待つのも時間の無駄です。仕方ないので、総武線で錦糸町に出て、そこからバスで行く事にしました。
 京成としては、2006年以前からずっと、「京成津田沼で2分あれば、千葉線と京成本線は乗り換え可能」という考えでダイヤを組んでいるのでしょう。
 しかしながら、実際には乗り換えは困難で、その結果、京成千葉線からスカイツリーに行くのは「20分に1本ペース」になってしまっているわけです。
 京成千葉線と新京成電鉄の直通運転でどれだけ便利度が増したかはよく分かりません。しかしながら、その一方でこのような弊害が発生しているわけです。
 京成の中に、この事に気づいている人はどれだけいるのだろうか、と思わされた、この「直通運転の弊害ダイヤ」でした。

2014年10月25日

30数年ぶりに都内交通の教示を受ける

 昨日の日記で書いた「スカイツリーの麓」をFBに転載しました。
 すると、「友達」の一人が「大野さん、浅草近いから行くと良いよ。」というコメントを寄せました。
 所属している団体のつきあいで「友達」になった人です。プライベートでの付き合いは一切ありません。
 ちなみに、団体の所属歴はこの「友達」のほうが長いので、一応彼のほうが「先輩」ではあります。しかしながら、団体での役職も年齢も自分のほうが上です。そのような相手に対し、タメ口でコメントを寄越す、という神経は自分にとって新鮮でした。

 しかも、コメントの内容は、東京に27年住みかつ20年間働いていた身としては、「何そんな当たり前の事言ってるんだ」というレベルの話です。ちなみに、この「友達」には、初対面の時、「これまで都内で働いていた」と自己紹介したはずなのですが…。
 ちなみに、自分は子どもの頃から、交通については少々詳しいほうです。他人に交通について尋ねられる事はあっても、その逆は10歳過ぎてからは経験していません。
 というわけで、コメントを見た時は、「都内交通のアドバイス」を受けたのは、35年ぶりくらいだろうか、などと不思議な懐かしさを感じてしまいました。
 当然ながら「交通案内」としては何の参考にもなりませんでした。その口調も含め、読んだときはあまり愉快な気分にはなれませんでした。
 まあ「何の根拠も実力もないくせに、他人を見下して偉そうな事を書くと、とんだ恥さらしなる」という面白い事例を見れた、という経験ができたので、このコメントにも欠片ほどは価値があったかも、と思うことにはしました。

2014年10月24日

スカイツリーの麓に行く

 松山に住む義母が遊びに来てくれました。そこで、相方と三人でスカイツリーに行くことにしました。
 錦糸町からバスで押上に行き、真下からスカイツリーの写真を撮ったりしながら中に入りました。
(※クリックすると、同じ窓で大きな画像が開きます)
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 天気もいいし、見晴らしを楽しめると期待していたのですが、切符売り場に行くと平日の昼間だというのに、長大な行列ができていました。
 そして「当日券購入までの待ち時間・最長60分」と掲示されています。これを見た瞬間、三人とも、展望台に行く意欲が消え去りました。

 そこで代わりに、隣接する水族館でクラゲ・ペンギン・オットセイなどをみたあと、「東京ソラマチ」の31階にあるレストラン街に行きました。
 標高と値段は比例するようで、どの店もランチとは思えない価格のメニューばかり出していました。
 そんな中、比較的安いメニューの店があったので、そこに入りました。
 窓際の席で、東京ゲートブリッジまで一望できます。南東のほうには、葛西の観覧車なども見えました。
 隣にスカイツリーが建っている事もあり、31階と聞いてもあまり高度を感じませんでしたが、これを見る限り、十二分に高い所に来ているのだな、と気づきました。
 食事も美味しく、眺望ともども、貴重な時間を過ごすことができました。
 それにしても、開業から二年半経って、まだあんなに行列ができるとは思ってもいませんでした。この調子だと、自分たちがあの塔に登るのは、5年後くらいになりそうです。

2014年10月23日

猿が南下中

 ツイッターの習志野市・危機管理情報アカウントが、船橋市習志野台で野生の猿の目撃情報があった、という情報を発信していました。
 なんでも、10月6日に県の北端にある野田市(チーバくんの鼻先にあたる場所)で発見され、以降、流山→柏→鎌ヶ谷→船橋とだんだんと南下してる、とのことでした。
 いったい、なぜその猿が千葉県に進入し、しかも南下しているのか、極めて不思議です。千葉の中心部に、神が猿達に与えたもうた約束の地でもあるのだろうか、などと思いました。
 冗談はともかく、猿にも色々な事情があるのでしょう。もし捕まっても殺したりはせず、丁重に扱ってほしいものだ、などと思いました。

2014年10月22日

技術料

 しばらく前、ツイッターで、「知り合いの会社がシステムのトラブルで困っており、社長から『10万払うから直してくれ』と言われたので、現地に行ったところ、即座に原因がわかって直した。すると、『こんな短時間で直るものに金を払えない』と態度を一変された」という話を見ました。
 ただ、これは別に特別な話ではありません。なぜか知らないのですが、「オレはコンピュータの事はわからない。だけど、この程度のシステム導入作業にこれだけ対価がいるなんて高すぎないか?」と堂々と話す人は多々います。
 自分がやれば一生かかってもできないわけです。そして、その作業の標準価格を調べた事がないわけです。にも関わらず、そんな事を堂々と言うのですから、呆れるよりありません。
 確かに、多くの人には「コンピューターに詳しく、無償で助けてくれる友人」が一人か二人はいます。ついついそれが基準になってしまうのでしょう。
 しかしながら、その人がタダでやってくれるのだから、この事もタダでやってもらって当然だ、と友人でも何でもない人に期待するのは、ちょっとおかしいのではないでしょうか。
 これだけ情報システムが進歩・普及しているのに、このような考え方を持つ人は全然減りません。
 いつになったら、このような考えが誤りだという風潮ができるのでしょうか。ここのところ立て続けに、それに関して不快な思いをしただけに、余計それを強く思いました。

2014年10月21日

無料ブログの宿命

 昨日、人種差別団体のトップと極右政治業者との「論争」が行われました。
 内容的には何ら価値のないものでしたが、これをTV各局が放映し、互いの宣伝に大いに役立ったようです。
 特にひどいのは、人種差別団体のトップが、その著書をカメラに向けて置いていたら、NHKなどがそれを無修正で放映した、という事でした(モザイクをかけた局もあったそうです)。
 つまり、人種差別主義者の本の宣伝に協力したわけです。「経済効果」という観点で見れば、数百万円の宣伝効果があったと言えるでしょう。
 この情報は、とある人が書いている「はてなブログ」で読みました。双方に対し、批判的な視点で記事を書いています。ところが、驚いたことに、そのブログの一番下には、その人種差別主義者の著書の広告が載っていました。クリックすれば購入ページに遷移するようになっています。
 「はてな」がブログの中の言葉を検知して、それにあった広告を自動的に掲載する、という仕様になっているからでしょう。いずれにせよ、結果的にその著者は、自分のブログに、人種差別主義者の著書の広告リンクを貼ってしまう、という結果になってしまいました。
 そのような本への広告を生成する「はてな」にも問題はあると思います。しかしながら、そのサービスを使う方も使う方、と言わざるをえないでしょう。
 月に100円払えば、広告のないブログなど簡単につくれます。にも関わらず、それをケチった結果、このようなオチになってしまったわけです。
 この人に限らず、無料ブログサービスを利用する人はもう少し「自分の記事に、自分の意に反して広告が掲載される」という事をもう少し意識すべきなのでは、と改めて思った一件でした。

2014年10月19日

秋桜

 普段通勤で使っている道端に秋桜が咲いているのに気づきました。
 日頃は朝に急いで通りすぎるので気づかなかったのですが、今日は昼前で余裕のある移動だったため、目に入ったようです。
 その咲きっぷりを見ると、「秋の桜」という文字を当てた人は非常にいい語感を持っていたのだな、と改めて感心しました。
 仕事の合間に、秋晴れとそれに映える秋桜を楽しめ、いい気分転換になりました。
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道頓堀騒動

 ツイッターを見ていたら、道頓堀がどうこう、というつぶやきが多々ありました。
 道頓堀といえば、先日、堺屋太一氏がぶちあげた「道頓堀プール」が当初の2kmから80mに縮小されたというニュースで名を馳せました。
 今度は、80mが80cmにでも縮小されたのだろうか、などと思って辿って行ったら、道頓堀に何人もの人が飛び込んだ、という日経新聞のアカウントが投稿した写真がありました。
 今日、タイガースがCSを勝ち抜いて日本シリーズに出場した事は知っていました。しかしながら、野球への感心が10年前と比べると100分の1くらいに減少している事もあり、最初のつぶやきを見た時は、「道頓堀」と「タイガース」が全くもって結びつきませんでした。
 相も変わらず、マスコミはそれを煽る報道をしていました。
 そして、11年前に、同じことをして命を落とした人がいたなどという事は、一切報じていませんでした。
 あれから11年経ちましたが、マスコミもそれに煽られる人も全く進歩していないのだな、と思いました。
 もっとも、マスコミについては、進歩していないどころか、70年前に先祖返りしてしまった、という感じになりつつあるのですが…。

2014年10月17日

久々に見る昼下がりの都心

 神田淡路町で昼下がりに食事をしました。
 店は通りに面する一階で、かなり大きいガラス窓があって外がよく見える、というかなり珍しい構造でした。
 そういう事もあり、ついつい外を通る人達が目に入りました。
 一番印象に残ったのは、自転車に乗っている人が増えたことでした。
 2年半前まで四谷に勤めていた時も、朝に駅を降りると、自転車通勤の人を交差点で見ました
 しかし、こんな都心に、これだけ自転車に乗っている人がいただろうか、と思いました。
 もっとも、これは、自分が一年ちょっと前から自転車に乗り出して、「自転車乗りの視点」になったからかも、などとも思いました。

 他にも、大人から子どもまで、色々な人が行き交っていました。
 中には「くたびれたサラリーマン」を地で行くような服装の人もいました。
 他にも、佐川の服を来て手押し車を使っている女性や、子供用携帯をランドセルにぶらさげて歩く小学生などもいました。
 見ていて、世の中、変わらない事もあれば、変わることもあるのだな、などと思いました。まあ、当たり前の事なのですが…。
 いずれにせよ、このような「人間観察」をする機会など、そうはありません。
 そういうわけで、かなり貴重な経験をする事ができた日となりました。

2014年10月16日

交通事故一歩手前

 夜、自転車で家に帰ろうとしていました。
 途中、二車線の通りがあります。普通に自動車がフルスピードで走るような整備された道です。
 ただ、夜なので、自動車の気配はありません。そのせいか、道の真中を中学生くらいのグループがボールを持ってしゃべりながら横断していました。
 いくら何でも車道だし、自転車の気配くらいは感じるだろう、と思い、ベルを鳴らさずに通ろうとしました。しかし、うち一人は完全にこちらに気づかず、あやうくぶつかりそうになりました。
 たいして速度を出していなかったので、急ブレーキをかけるほどでもありませんでした。しかしながら、ちょっと驚きました。そして、思わず、「危なかった」と声が出ました。
 漫画などで、あやうく交通事故が起きそうになった時、運転手が歩行者に叫ぶ、という場面がよくあります。
 今までずっと、何で声を出すのか不思議だったのですが、体験してみて初めてその気持ちが分かりました。
 幸い、事故にはなりませんでしたが、危ない所でした。
 これまで、あまり音を出すのもなんだかな、と思って、ベルを鳴らすことは控えていたのですが、今後は、ちょっとでも危なくなる可能性があるときは、積極的に鳴らそうと強く思いました。

2014年10月15日

システム化されすぎた回転寿司

 「はま寿司」という回転寿司屋さんで昼食を取りました。
 入ると目の前に液晶タッチパネルがあり、そこで何人で来て、カウンターとテーブルのどちらかに座りたいかを登録する、という仕組みになっています。
 そこでプリントアウトされた受付票を見て、待合席に座ります。目の前には大型液晶モニタがあり、そこで自分の待ち状況がわかる、という仕組みになっています。
 しばらくすると、自分の番号が呼ばれ、指定の番号のカウンターに行くよう、指示されました。
 カウンターには一つ一つ番号が降られており、さらにタッチパネルの注文装置があります。

 ただ、それぞれの寿司に値段は書いてありません。
 面倒なので、皿の色で値段を確認しながら、流れてくる寿司を取ろうとしました。
 しかしながら、流れてくるのはデザートと、「注文品」という台座に乗っている寿司だけです。他の誰かが注文したものを取るわけにはいかないので、流れるのを見るよりありません。
 また、普通の回転寿司屋とちがい、壁の向こうで寿司が生産されているので、今、何を握っているかを確認することもできません。
 仕方ないので、値段を考えず、食べたいものをタッチパネルで頼みました。
 すると直後に、注文したのと同じネタが「注文品」の台座なしに流れてきました。しかし、これを取ると、後に自分用の「注文品」が無駄になってしまう、と思って我慢しました。
 しばらく待ったあと、液晶パネルが「注文品がもう少しで来ます。お取りください」と発声しました。それにしたがい、寿司を取ったのですが、一つは時間がかかるのか、まだ来ません。
 仕方ないので、数少ない「注文品」の台座に乗っていない寿司で腹を満たし、最後の一皿はキャンセルしよう、と思って会計ボタンを押しました。
 すると、直後にまた液晶画面が「注文品が…」と指示してきました。仕方ないのでそれを食べて、席まで来た店員さんに勘定してもらいました。
 食べている間は、なんか液晶画面に命令されているような感じでした。そちらのほうばかり気になり、寿司の味など、ほとんど気になりませんでした。
 まあ、給餌装置に管理されている家畜の気分を味わうには、最適なシステムかもしれないな、などと思い、店を後にしました。

2014年10月14日

愛用の店が次々閉店

 最近は趣向の変化などもあってすっかりご無沙汰していますが、以前は年に数回、宅配ピザを利用していました。
 その中で、一番利用したのは、唯一幕張本郷に店があった「ピザ・カリフォルニア」でした。
 一応、全国に展開してはいますが、店舗数は少なく、自分も、この地にくるまで、そんなチェーンがある事は知りませんでした。
 初めて注文した時、ちょっと遅れたのですが、その時、店長さんと思しき人が自ら届けに来て、「遅れてすみません」と言って、缶入りの烏龍茶をおまけしてくれたのが印象に残っています。

 その後も、色々とトラブル(事例1事例2)もありました。
 たまに隣町にある全国チェーンのピザ屋に「浮気」した事もありました。しかしながら、馴染みの安心感もあり、ほとんどはここで頼んでいました。
 冒頭に書いたように、ここ数年、すっかり宅配ピザにはご無沙汰していました。そういう事もあり、ピザ屋のチラシも意識することなく捨てるようになっていました。
 そんななか、先日、久々に「ピザ・カリフォルニア」の店舗がある所を歩きました。すると、そこはガランとしており、「テナント募集」の張り紙がありました。
 ご無沙汰していたとはいえ、愛用していた店がなくなる、というのは寂しい物でした。

 さらに、ここ数年、腰痛に悩まされていた時にお世話になっていた地元の整体院が閉店しました。
 ここ一年ほどは、腰の調子もよく、ご無沙汰していました。ただ、Twitterやブログでの情報発信はチェックしていました。
 そして、一ヶ月くらい前に、「10月に閉店する」との告知がありました。
 それ以降も、情報発信は続いていたのですが、しかし、今日、ブログを見ようとしたら、削除されていました。
 Twitterを見ると、昨日に「明日の予定」というブログを更新した、と書かれていました。おそらく、それが閉店の挨拶で、昨日が最後の営業だったのでしょう。
 どうせなら、もう一週間ぐらい、ブログは残していてもいいのでは、とも思いました。
 もっとも、店主さんにとっては、すでに終わった事でしかありません。過ぎた事にはこだわらず、あっさり消そう、という考えだったのでしょう。
 いずれもご無沙汰していたとはいえ、馴染みの店がなくなる、という事を知ると、喪失感があります。
 いずれにせよ、二つのお店には、これまでお世話になった事を、この場を借りてお礼申し上げます。

 

2014年10月13日

「見出し」の劣化

 半月ほど前、若者がビールを飲むと脳の機能が高まることが判明!しかし…という見出しのネット記事を見ました。
 この見出しを見る限り、「若い人間がビールを飲むと脳の機能が高まる」という事実が何らかの形で判明したと普通の人は解釈するでしょう。
 しかしながら、記事本文を見ると、「若いマウスにビールのホップに含まれる一成分を服用させて迷路を走らせると、服用していないマウスより早かった。老齢のマウスではそのような結果にならなかった」という事しか書いてありませんでした。
 要は人間の話でもなければ、ビールの話でもないわけです。

 当然、記事を書いた人もその事は分かっています。それゆえ、見出しの最後に「しかし…」をつけたのでしょう。
 確かに、「若いマウスにホップの一成分を投与したら迷路脱出が早くなった」という見出しより、「若者がビールを飲むと脳の機能が高まる事が判明!」のほうが、見る人に対する訴求力は高いでしょう。
 とはいえ、ここまで「飛躍」すれば、もはや見出しとして正常とは思えません。実際、この見出しだけ見て、誤解をする人もいた事でしょう。
 もっとも、これは特異な例というわけではありません。このような、「目標を達成するためなら、誤解を招くことや、事実でないことを吹聴しても構わない」という傾向は、特にここ数年顕著になっています。
 何しろ、経済・歴史・原発などにおいては、政治家が率先して同様の事を行い、それを大新聞やテレビが拡散させているのが現状です。
 そのような世情を象徴するような、この「若者がビール…」見出しだと思いました。

2014年10月12日

フィリピン海

 FBで、「実は伊豆半島・伊豆諸島以西の海は太平洋ではなく、フィリピン海だった」という情報を見ました。
 こんな事書くと何かトンデモ情報みたいな印象を持たれます。しかし、調べてみたところ、実はそれは、極めて正しい情報だ、という事が分かりました。
 15年戦争が終わってから7年経った1952年に、国際水路機関が、それまで太平洋だった伊豆半島・伊豆諸島以西の、日本列島・台湾・フィリピン諸島などに囲まれた部分を「フィリピン海」と定義した、とのことでした。
 戦争の最中に、アメリカ軍が戦略的にその部分を「フィリピン海」と定義していたのがきっかけ、とのことでした。その意向が、戦後に影響したのでしょう。

 いずれにせよ、国際的にその部分が60年以上「フィリピン海」と呼ばれ続けているは明白のようです。
 しかしながら、日本政府は、その事実を認めながらも、地図などでは「太平洋」と記載し、国民にもそのように教育していたわけです。
 自分自身、つい先日まで、「フィリピン海」なる定義をつゆ知らず、その部分は「太平洋」だと思い込んでいました。今回、FBで旧友が発信した記事を見なければ、死ぬまで「太平洋」だと思い込んでいた可能性は高いでしょう。
 別にあの海が太平洋だろうとフィリピン海だろうと、どうでもいいことではあります。
 とはいえ、かつて訪れた紀伊半島南端にある潮岬から見た海が「太平洋」でなく「フィリピン海」だった、と言われれば、印象はかなり変わります。
 同様に、高知の桂浜で竜魔像を見た人が、自分がその銅像と一緒に見ていたのが「太平洋」でなく「フィリピン海」だった、と訂正されれば、これまた印象は大きく変わるでしょう。

 我々が日本海と呼んでいる海域を、「東海」と呼んでいる国もあります。それをグーグルマップが「両論併記」した際には、一部の日本の権力者や、それに意見を同調する人がかなり反発していましった。
 そのときは、「別に向こうがそう呼びたいならそれでいいし、グーグルマップに併記されても別にいいじゃないか。我々にとってそれが『日本海』である事にはなんら変わりないわけだし…」とちょっと呆れたものでした。
 同様に、国際的な定義が「フィリピン海」だった事を知った時は確かに驚きましたが、これまで太平洋と認識していた所を、自分の中で呼び名を変える必要はないよな、と思っています。

2014年10月11日

「つるぎ」復活

 来春開業の北陸新幹線の情報を見ました。東京直通の列車の他に、金沢ー富山間を往復する列車が設定され「つるぎ」と名付けられる、と書かれていました。
 この「つるぎ」という名前には、ちょっとした思い入れがあります。
 自分が時刻表を読みだしたのは、小学三年の時でした。
 当時、近所に北陸出身の鉄道好きの友人がおり、彼の影響で時刻表を読み始めました。そのため、北陸本線については、よく彼の解説を聞いたものでした。
 そんな中、特に印象に残ったのが、大阪と新潟を結ぶ寝台特急の「つるぎ」でした。
 大阪を深夜に出発し、新大阪と京都に止まると、そこから福井・金沢・富山といった県庁所在地を含めた駅を全て通過し、新潟県の糸魚川まで停車しません。そこからは、主要駅に止まって新潟に到着します。
 つまり、近畿圏と新潟県にしか止まらないわけです。他の列車は寝台特急も含め、全て、福井・金沢・富山に止まっていた事もあり、この「北陸三県全て通過」というのは際立っていました。
 その後、夜行列車衰退のあおりを受けて1996年に廃止されました。それが、約20年ぶりに復活するわけです。
 しかも、20年前は通過していた金沢と富山の間を往復する「ローカル新幹線」となるわけです。
 復活かつ出世なわけですが、ちょっと微妙な蘇り方だな、などと記事を読みながら思いました。

2014年10月10日

てるてる坊主

 アパートを出たら、芝生にてるてる坊主が落ちていました。
 子どもの頃、何かで作った記憶がおぼろげにあります。実際に見たのはそれ以来、30数年ぶりの事でした。
 珍しいので写真を撮ってから敷地外に出たら、ちょうど二つ隣の部屋に住む人とすれ違いました。
 そして、てるてる坊主を見ると、サッと拾って持ち帰りました。おそらく、その家のお子さんが作ったものなのでしょう。
 明日からの連休の間に、何か楽しみにしている行事でもあるのでしょう。
 超大型台風接近の可能性があるそうですが、その子のためにも、なんとかそれてもらいたいものだ、などと思いました。
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2014年10月09日

京成がダイヤ改正

 来月の京成線のダイヤ改正が発表されました。(公式発表(PDF))
 毎度のパターンですが、改正のたびに、成田空港へのアクセス改善並びに、早朝・深夜の増発が行われています。
 成田を早朝に出る格安航空会社の便が増えている影響とのことです。この調子でダイヤ改正が進めば、成田空港行きが24時間営業になる日も遠くないかも、と思いました。
 あと、成田スカイアクセス開業にあわせて、日中の京成本線を走るようになった有料特急「シティライナー」が平日運行をやめる、との発表もありました。
 何度か見かけた事がありますが、六両編成なのに、乗客の数はいつ見ても、全部で10数人でした。
 それを見れば、この措置は必然と言えるでしょう。とりあえず、土日は残るとの事ですが、こちらも大差ないのではないでしょうか。
 次の改正で廃止が決まったら、その時は記念に乗っておこうか、などと思いました。

2014年10月08日

クロマティ

 相方がテレビでアメフトを見ていました。
 画面は見ていなかったのですが、音は聞こえてきました。その中で、アナウンサー氏は何度も「クロマティ」という言葉を連呼していました。どうやら、どちらかのチームの主力選手に、そういう名前の人がいるようです。
 自分の世代だと、この名前を聞くと、反射的に、1980年代の日本プロ野球で活躍していたクロマティ選手を思い出してしまいます。
 ちなみに自分が高校一年の時、後楽園球場(当時)でビール売りのアルバイトをした事がありました。そのとき、レフトスタンドで歌われていた、氏の応援歌の替え歌は、今でも鮮明に覚えています。
 あまりにも懐かしくて、氏の現役時代の履歴のみならず、氏の名前をネタにしたギャグ漫画「魁!クロマティ高校」のサイト、さらにはその「校歌」を流す動画サイトまで色々と見てしまいました。
 野球を引退して20年以上経つわけです、にも関わらず、そのような行動を取ってしまうほど、この人には存在感があった、という事なのでしょう。
 あと、アメフトのクロマティ選手においては、まさか自分の名前を聞くだけでそのような事を考える日本人がいるなど、夢にも思っていないだろうな、などと申し訳ない気分になったりもしました。

2014年10月07日

デング熱その後

 兵庫県西宮市でデング熱感染者が出た、というニュースを見ました。
 この秋、この類のニュースをよく見ます。
 おかげで、「デング熱」はかなり知名度の高い病気になったと思います。
 それはいいのですが、「○○という場所で感染した人が出た」というニュースはよく見ますが、「感染した人がどうなったか」というニュースは見たことがありません。
 感染を防ぐ方法は「蚊に刺されない」しかないようですが、現実的にそれを実践するのは不可能です。それを考えればむしろ、「どこでデング熱に感染したか」より、「もしデング熱に感染したらどうすべきか、またどのくらいで治るのか」のほうをニュースにすべきなのでは、と思いました。

 あと、記事にあった当初、10~16日に渡航したマレーシアで感染した疑いがもたれたが、国立感染症研究所でウイルスの遺伝子を解析した結果、塩基配列が代々木公園で感染した人たちのものと一致した。
 女子学生は帰国後に東京周辺に行っておらず、22日に自宅で蚊に刺されたという。厚労省は、代々木公園周辺で感染した人が西宮を訪れて蚊にさされ、ウイルスを持ったその蚊に女子学生が刺されて感染した可能性が高いとみている。

 を読んだときは、えらく強引な仮説だと思いました。
 なんか、「代々木公園が原因だと特定して封鎖した」という事を正当化するためにこじつけた理屈、という印象が強く残りました。

2014年10月06日

台風直撃

 台風が直撃するなか、仕事に行きました。
 さすがに自転車には乗れず、久々に電車を使いました。
 幕張本郷駅に行こうとしたら、駅前の陸橋は渋滞で、橋の両端まで自動車が連なっていました。
 さらに駅に入ると、バス待ちの行列が、総武線の改札から並んでおり、京成の改札に行くために横切るのにちょっと苦労しました。まあ、これは風雨の強い日の定番です。後で確認したら、京葉線は減便したものの止まってはいなかったようで、その健闘ぶりには驚かされました。
 一方、京成の上野方面行きの電車はガラガラでした。同様に、乗り換えた成田方面行きの電車も大学が休講になったため、普段の満員とは似ても似つかないガラガラぶりでした。
 そうこうして何とか職場にたどりつき、仕事をしました。
 11時過ぎまではかなりの暴風雨でしたが、正午近くなると、あっという間にやみ、すっかり晴れてしまいました。
 その好天ぶりを見ると、先程までの暴風雨は幻だったのか、と思えてきたほどでした。
 そして、午前中とうってかわった、うららかな午後を過ごしました。しかしながら、帰りがけに公園を通ったら、植木が何本か倒れており、やはり午前中の台風は非常に強かったんだな、と再認識させられました。
 一難去ったと思っていたら、次の台風もまた来週辺りに上陸する可能性があるとか…。今度の連休はちょっと重要な用事があるので、なんとかそれて欲しいものだと思っています。

2014年10月05日

7回目の同期会

 毎年恒例の中学の同期会がありました。
 自分は遅れて来たのですが、会場に着くなり、皆に「背が伸びた?」と言われました。
 もちろん、この年で背が伸びる事などありません。昨年よりスリムになったため、そのように見えた、という事なのでしょう。
 日頃会っている人には、変化など分かりません。しかし、一年ぶりに会った人なら気づくわけです。
 というわけで、思わぬ所で、ここ一年の自転車通勤の効果を知ることができました。
 この回は今年で7年目です。最初にやった時は、ほとんどの人と20数年ぶりの再会でした。にも関わらず、「全然変わっていない」と言われました
 にも関わらず、今度は一年ぶりの再会で「変わった」と言われたわけです。
 記憶の仕組みから考えれば当然の事ではあるのですが、ちょっと不思議な気分になりました。
 で、肝心の同期会ですが、毎年やっているにも関わらず、話題がつきません。
 ふと気づいたら、23時半を過ぎており、終電の一本前の電車での帰宅となりました。
 来年もまた、同じように思い出話に花を咲かせたいものだ、と思いました。

2014年10月03日

潮時

 先週の土曜日、突如、喉に痛みを覚えました。
 自分は、ちょっと喉が弱く、よく喉の痛みから風邪をひきます。
 そういう事もあり、日曜の予定をキャンセルして静養を取り、みかんジュースを飲みました。
 結局、風邪を引くことなく、早めの対策が功を奏したと思いました。しかしながら、喉の痛みは何故か引きません。
 あまりにもおかしいので、痛みを感じてから一週間経った今日、耳鼻咽喉科に行きました。最初は普通に口を開けて調べたのですが、原因が特定できません。
 そこで、鼻から管を通し、それで喉を見ました。内視鏡みたいなものなのでしょうか。鼻に管を入れられるのは初めての経験ですが、かなり辛いものがありました。
 その結果、食道の入口辺りに傷があると言われました。かなり珍しいらしく、お医者さんに「喉に手を突っ込んだりしたのですか?」と驚いたように尋ねられました。
 そのような記憶はないので自分も不思議に思ったのですが、帰宅して相方にその話をしたら、「魚の骨じゃないの?」と言われました。
 自分は子供の頃から焼き魚を骨まで食べる習性がありました。そして言われてみれば先週は舌平目を食べ、その硬い骨を苦労して食べた記憶がありました。
 それが本当に原因か分かりません。とはいえ、可能性はあります。
 自分ももう若くはありません。そろそろ、そのような事ができない年代になった、という事なのでしょう。
 というわけで、本日をもって、長年続けてきた「魚を骨ごと食べる」はやめることにしました。

花壇がなくなる

 久々に幕張弁天町線を歩きました。
 以前は、京葉道路を越えると、近所の人が管理している花壇がありました。かなり丁寧に作られており、散歩の楽しみになっていました。
 ところが、かつての花壇は全てなくなり、代わりに雑草が生えていました。
 以前の花壇が記憶に強く残っているだけに、その変貌ぶりには驚かされました。
 他にも、かつて有志が花を植えていた所が、雑草ぼうぼうになってしまった、という場所もあります。
 最近の殺伐とした世相と関係があるのだろうか、などとも思った、寂しい風景でした。

2014年10月01日

稲毛区を自転車で半縦断

 今日は外仕事でした。自転車で新検見川周辺にある三箇所の事務所をまわったあと、一転して稲毛区の北部にある最終目的地に行きました。
 新検見川の事務所は普段は電車で新検見川に行き、そこから徒歩で移動します。
 そのため、自転車で行くと、拠点間の移動が非常に楽に感じました。特に、下り坂を走るときは、これまでかなり距離感を感じていた移動が、ほぼ一瞬でできたような気分になり、かなりの爽快感がありました。
 しかし、そこから一転、稲毛区に行く道は上り坂が続きました。まあ、ずっと下り坂ばかり走り続ける事はできないのですから、当然ではありますが…。
 かなり上りが続く区間があり、ギアを一番軽くしても登れず、自転車を引かざるをえないほどでした。
 しかも、その区間は今回はじめて訪れるところで、その時は、ちゃんと目的地に着くのだろうか、と不安がよぎったほどでした。
 それだけに、坂が終わり、平地を快適に飛ばして、見慣れた場所に戻った時は、かなりの安堵感がありました。
 今月で、千葉市民になって17年目になります。しかしながら、うち15年ほどは典型的な「千葉都民」で、市内で訪れた場所は全面積の1%に満たないほどでした。
 それだけに、このように市内で新発見をすると、少々疲れても、終わった後はかなりの達成感があります。
 今後、仕事や付き合いをさらに増やし、市内をくまなく探訪できるくらいになりたいものだ、などと思いました。