ムルギー

 渋谷の道玄坂の途中に「百軒店(ひゃっけんだな)」という横丁がある。おそらくは昔は何かの店が百軒あったのだろう。入ってすぐの所にはカラオケ屋や弁当屋からあやしげ店まで雑多な店がある。
 その百軒店に入ってちょっと曲がると、古びたレンガ造りの店がある。ショーケースにはカレーのほかにもガドガドサラダやタンドリーチキンなどもあり、どうやらインド料理店のようだ。
 入ってみると、中も同じように古びている。しかし、さほど薄汚れた感じはしない。といってもこざっぱりしているわけでもない。
 一応、メニューもあり、そこには表のケースと同じものが書いてある。しかし、まわりを見回しても、ガドガドサラダやタンドリーチキンを食べている人はいない。みんなカレーを食べている。実質的にはここの店のメニューは「玉子入りムルギー(カレー)」しかないのだ。
 筆者はこの店の存在は大槻ケンジさんの随筆で知った。それによると、「老人がカメのような速度で歩いてきて『ムルギー、玉子入りです』と言った」と書かれている。
 筆者が来たときはおばさんしかいなかったが、やはり皆「玉子入りムルギー」を食べていた。一度筆者は大盛を頼もうとしたら「300円増しですがよろしいですか?」と異端者への糾弾のように言われ、結局普通の「玉子入りムルギー」にせざるをえなかった。
 味のほうは、さすがにそれ一筋の事があり、独特のおいしさがある。普通のカレーと比べると、モッチリした感じの味である。それとゆで卵の輪切りがうまくあうのだ。なぜか忘れられない味わいがあり、値段は高いのに、道玄坂周辺に行くとつい入ってしまう。
 この店ならびに元になった大槻さんの随筆はいずれも弟の紹介だったのだが、二人で店に行ってしばらくしたら、その弟に30年くらい前の池波正太郎氏の随筆を見せられた。なんとそこでも池波氏が「ムルギー」を紹介していたのだった。おそらくは、当時からずっと「玉子入りムルギー」一筋なのだろう。
 なお、かつては夜も営業していたが、現在は11時半から15時までのみの営業となっている。ちなみに金曜日は定休日となっている。