2019年05月20日

GAFAとBATH

 読んでいる雑誌が、多国籍企業特集を組んでいました。
 こういうご時世だなだけあって、ネットの基礎部分で巨大な力を持つ、「プラットフォーマー」と呼ばれる企業に関する記事が多々ありました。
 アメリカ発であるGAFA(グーグル・アマゾン・フェイスブック・アップル)については、以前からよく知っていました。しかしながら、それと対抗して成長してきた、中国のプラットフォーマーであるBATH(バイドゥ・アリババ・テンセント・ファーウェイ)が、ここまで大きくなっていたとは知らず、驚きました。
 特に、テンセントというゲーム会社については、世界でもトップクラスの資産を持っているとのことです。
 ゲームとはすっかり縁遠くなっていたので、すっかり疎くなっていました。それだけに余計驚きました。
 やはり、経済に関する知識も定期的にアップデートしないと取り残されるな、と思いました。同時に、これだけの超巨大企業が育つ中で、アメリカでも中国でも貧困問題が深刻である、という現実にも考えさせられました。

2019年05月19日

自分の立ち位置をごまかす姑息な手段

 ネットで、よく「自分は中立だが…」などと前置きして、自らの主張を語る人が多々います。
 その主張をした時点で中立などというのが大嘘で、その人が特定の立ち位置のもとに語っている事は明白です。
 もし本当に「中立」ならば、その問題について、主張をすることはないからです。
 つまるところ、自分の主張の説得力を増すために、「中立」を偽るという姑息な手段を弄しているわけです。もちろん、そのような人の主張は、読む価値すらありません。
 こういうのは、ネットの常套手段だと思っていたのですが、今日、ある新聞社のサイトで、それの二番煎じとしか言いようがない記事を見ました。
 その記事の主題はヘイトスピーチ(差別扇動発言)でした。冒頭に、ヘイトスピーチをする人間に話しかけられた記者が、そのヘイターに同意しない、という記載をすることにより、自分はヘイトスピーチをする側の人間でない、という「ポジション設定」をします。
 しかしそこからは、客観性を装いつつ、ヘイトをする側の問題点をほとんど書かず、ヘイトされる側が悪いであるかのような「記事」が流れていました。
 読み終われば、この記事の目的がヘイトスピーチ擁護であることは明白です。それを隠すために、冒頭で反ヘイトであるかのように偽る導入文を書いていたわけです。
 その姑息さに心底呆れました。そして、そのような小細工を行いつつ、ヘイト記事を垂れ流すという腐敗した新聞社のことを、心の底から軽蔑しました。

2019年05月16日

八正道

 仏教徒ではありませんが、たまに仏典を読むことがあります。
 その中で、一番興味を持っているのは「八正道」というものです。
 正しく見て、正しく考えて、正しく語って…などと、一見すると「何を当たり前のことを…」みたいな事が述べられています。
 しかしながら、長年、社会で働いていると、これは確かに実践するのは難しいことだ、というのが分かります。
 一番最初の「正しく見る」ですが、自分的には「都合の悪いことも含め、現実を直視する」というふうに勝手に解釈しています。
 色々なしがらみがあると、明らかな現実でも、歪んで解釈して、自分に都合のよい結論を出そうとしてしまいます。
 これだと当然ながら、正しく思うことも、正しく語ることもできません。
 そういう意味でも、この「八正道」の冒頭が「正しく見る」なのだろうな、と素人判断しています。
 他にやることが多くてなかなかそこまで手が回りませんが、いつかこういう仏典も本格的に研究したいものだと思っています。

2019年05月15日

考える力を上げるために必要なこと

 考える力を上げるために必要な事は?と尋ねられたら、即座に「休むこと」と答えます。
 もちろん、大前提としては、知識・情報を得ること、そして考え方を学ぶことです。
 しかし、仮に休むことなしに、本を読んだりネットを見たりし続けて、それらを得たり学んだりしても、それだけでは考える力は上がりません。むしろ入手した情報に翻弄されるだけで終わってしまいます。
 入手した情報を元に、思考を行うには、絶対に休むことが必要です。それをしなければ、考えがまとまるわけありません。
 日本の企業が社員に長時間労働を強い続け、その一方で、日本のイノベーションが下がっているという現実があります。それも、この「休まなければ考えられない」という事を理解していないからだと思っています。

2019年05月14日

寒暖の差

 昼はかなり暑くなりました。長袖のワイシャツを着て歩いていると、袖をまくりたくなります。
 一方で、日が暮れると急に気温が下がります。そうなると、カーディガンを羽織らないと寒さを感じてしまいます。
 一日でこれだけ寒暖の差を感じるのは、これまであまりありませんでした。
 やはり、日本の気候は温帯から乾燥帯に移りつつあるのだろうか、と思えてきます。だんだんと過ごしにくくなっていますね。

2019年05月13日

時給1300円がニュースになる時代

 近所にある洋服通販会社の社長さんが、時給1300円のアルバイトを大量雇用する、と大大的に宣言して話題になっていました。
 社長さんは月に行くと宣言したり、野球場のネーミングライツを買ったり、100万円を配ったりと色々と目立っている人です。
 しかしながら、筆者は1991年に時給1200円で都内ホテルの鍋洗いをバイトをしていました。ちなみに契約していた会社はマンションの一室が事務所という零細企業でした。
 当時の東京の最低賃金は575円でした。そして今の千葉は最低賃金が895円です。それを考えれば、この「時給1300円」は、社長が自慢するようなものでないことは分かるのではないでしょうか。
 だいたい、月に行ったり100万円を配るくらいの利益があるならば、「月給40万円で社員を大量に雇う」と宣言することくらいできるはずです。
 それだけに、改めて、今の大金持ちがいかに低賃金不安定雇用で人を使い倒して儲けている、という事が浮き彫りになっただけの話題作りだったな、と思いました。

2019年05月12日

間違いを認める力

 世の中には自分の間違いを絶対に認めない人や組織があります。
 よく「謝ったら死んじゃう病」などと揶揄されますが、とにかく誤りを認められません。
 まあ、典型的なのは今の首相と内閣なのですが…
 本当に正しさに自信があれば、誤りを認めることは簡単な事です。なぜならば、誤りを認めないと、自分の中で「正しさ」の整合性が取れなくなるからです。
 言い換えれば、誤りが認められない、というのはそれだけ自分の正しさに自信がないから、と言えます。
 自分は、数年前にとんでもない誤りをおかしたことがありました。それゆえ、逆に自分が間違えをおかしたときは、それを冷静に評価することができるようになりました。
 それだけに、自らの誤りを認められない人や組織を見ると、滑稽に思えてきます。
 もっとも、その境地を得るために支払った代償はあまりにも大きいものでした。それだけに、今の自分の到達を喜ぶような気は毛頭ありません。

2019年05月11日

体育と簿記の「授業」を受ける

 昼に、整形外科に行きました。
 4月末に首から肩にかけて激痛が走った時に行った病院です。そこで、リハビリをすることになりました。
 生まれて初めての「リハビリ体験」です。
 トレーナーの方の指示にしたがい、体のさまざまな筋肉を伸ばしました。改めて、自分の体が固くなっていたのだな、と認識させられました。
 それが、2週間前の激痛になったようなので、再発防止かつ、今後の健康維持のためにも、このストレッチを習得しようと頑張りました。

 そして、夜は長年世話になっている団体が行っている簿記講座に行きました。
 今の仕事をしている限り、簿記の資格は必要ありません。
 ただ、決算書などの財務諸表が読めるようになれば、色々と利点があります。
 というわけで、簿記3級試験を受ける可能性は低そうですが、参加しました。
 以前、自営業だったときに、ネット講座で簿記の勉強をしたことがありました。そこで理解できないことが色々とあったのですが、やはりプロに教わると、勘所がつかめます。
 というわけで、有意義な時間を過ごせました。

 というわけで、当分の間、「体を柔らかくすること」「簿記の基本を身につけること」を目標に、「50の手習い」(50歳の誕生日まであと11日ありますが…)で二課目の「授業」を頑張ろうと思っています。

2019年05月10日

信頼と変貌

 自分は、他人の評価を簡単に変えるタイプです。
 かつて親友だと思っていた人に、極めて無礼な事をされ、口もきかなくなった、などという事も一度ならずあります。
 そんななか、一年以上、不審に思いつつも、それ以前の言動から、「この人は悪い人でないはずだ」と判断していた人がいました。
 しかし、現実が明らかになったとき、正しかったのは「不審に思っていた気持ち」のほうでした。
 改めて、昔の言動などは、現在自分が判断した事の参考にはならない、と痛切に実感させられました。
 この判断を一年前にできていれば…と後悔しつつも、現状の認識をもとに、被害を最小限に食い止めるために頑張らねば、と思っています。

2019年05月08日

不気味な集中報道

 保育園で園外散歩していた、お子さんたちと保育士さんたちが交通事故に巻き込まれ、幼い命が失われる、という事件がありました。
 すると、商業マスコミは、保育園の関係者に執拗な取材を行いました。目的が「こんなリスクのある場所に散歩をさせた保育園が悪い」という言葉を引き出そうとしているのが露骨に分かるくらい酷い取材をやっています。
 事故そのものは、交差点で右折車と直進車がぶつかるという、どこでも起きうる事故です。その危険性を前提に、その交差点を散歩ルートから外すなどありえない事です。
 にも関わらず、事故が起きた直後から、そのような保育園に責任を押し付けるような取材が行われた、というのは本当に気味が悪いと思いました。
 自分が子供の頃は、保育園が独自の園庭を持つ、というのが当たり前でした。
 それが、政府主導の「規制緩和」によって、園庭のない保育園が許可されるようになり、このような「園児を連れて公園に遊びに行かせる」という形態が日常化したわけです。
 つまり、そんな「規制緩和」が行われなければ、このような痛ましい事故は起き得なかったわけです。
 そのような事情には一切ふれずに、商業マスコミが保育園に責任を押し付けようとする「報道」を即座に始めたわけです。
 最初から、このような事故が起きた時は、そのように「報道」するように、とどこからか指示でもあったのだろうか、と思うほどの整然とした報道でした。
 改めて、今の報道の劣化を感じさせられて、暗澹たる気分になりました。

2019年05月07日

正義の暴走?

 最近、ネットで「正義の暴走」という言葉をよく見ます。
 正しい事をやっているつもりが、「暴走」して悪事になってしまった、という意味合いで使われているようです。
 しかし、この言葉はかなり非論理的です。
 正義というのは当然ながら「正しい事」です。一方、暴走というのは「間違った事」です。つまり、「正しいけれど間違った事をした」と言っているわけで、これは明らかな矛盾です。
 実際に「正義の暴走」などと評される事例を見ていると、そのどこにも「正義」など存在していません。
 よく使われる事例としては、悪いことをした人の個人情報をネットに出すなど過剰に攻撃するなどがあるようです。しかしながら、「相手が悪人なら何をしてもいい」という出発点がそもそも「正義」ではありません。
 悪いことをした人を裁くのはすべて法にのっとって行うのが「正義」です。それ以外の方法で、権限のない人間が「悪人」に制裁を加えようとした時点で、それは「正義」ではありません。ただの「悪」です。
 つまり、そもそもが「正義」ではないのですから、「正義の暴走」など存在しないのです。
 そういうわけで、「正義の暴走」などと論じている人を見たら、「この人は『正義』の事を知らないのか、知っていて人を騙そうとしているのだな」と理解し、その言説は相手にしないのが得策だと思っています。

 

2019年05月06日

期間限定で前職に?

 この三日間、前職だったパソコン教室の元お客さんに頼まれて、短期集中講座を行っていました。
 そのお客さんの家は、前職の教室だったところから歩いて3分くらいのところにあります。
 そのため、かつての「通勤ルート」とほぼ同じ道を自転車で通うことになりました。
 そして、久々に、複数の人にそれぞれパソコンを説明する、という「仕事」をしました。
 今の職場でもパソコンを教えたりトラブル対応するのはしょっちゅうありますが、このような形式でやるのは、3年半ぶりのことでした。それもあって、色々と前職の事を思い出したりもしました。
 なかなか充実した時間を過ごせました。
 もちろん、今の仕事は充実しています。
 しかしながら、やはりこうやって、一緒に前の仕事を続けることができたらな…、と寂しく思いながら、今は亡き弟と一緒に働いた時間を懐かしみました。

2019年05月03日

逆方向の渋滞

 早朝に稲毛区で用事を済ませ、京葉道路で帰宅しました。
 平日だと、京葉道路の東京方面は6時前から渋滞が始まります。
 しかし、GWという事もあり、東京方面はガラガラで、東関道や館山道方面は6時台というのに渋滞になっていました。平日と正反対の状況だったわけです。
 そのガラガラの道を、快適な運転で帰宅しました。
 多くの人がGW渋滞で大変な目にあっているなか、「逆GW渋滞」で快走できたので、ちょっと得をした気分になりました。

2019年05月02日

疲れとルーティンワーク

 いくら疲れているときでも、定期的に行っているルーティンワークをこなす事は十分に可能です。
 言い換えれば、ルーティンワークもこなせなくなったら、その疲れのレベルは既に「過労死一歩手前」と言えると思います。
 いずれにせよ、ルーティンワークをこなせていると、問題なく仕事ができているように見えてしまいます。それだけに、自分も他人も、過労であると認識できません。
 しかし、それ以外の仕事は全然できなくなってしまいます。やる時間があっても、気力がわかないのです。
 こういう状態のときは、いくら普通に仕事ができているように見えても、即刻休養する必要があります。
 この認識が広まれば、過労による健康被害も減るのでは、と思っています。
 もちろんそれ以前の問題として、「過労死しても会社が儲かればいいや」という考え方で経営している「ブラック企業」を根絶する必要があるのですが…。

2019年04月29日

落ちない桜

 ソメイヨシノのシーズンもすっかり終わり、緑の葉が生い茂っています。
 そんななか、職場の裏に生えているソメイヨシノの樹を見たら、一輪だけ花が残っていました。
 なぜ、この花だけ散らないのだろうか、と不思議に思いました。
 「周りが散ったからといって、自分も一緒に散る筋合いはない」みたいな反骨精神の持ち主なのでしょうか。まあ、花に意思があるわけないのでしょうが…。
 せっかくなので、いつまで咲き続けるのか、見てみようと思いました。
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2019年04月28日

肩痛その後

 一昨日発生した肩から首にかけての激痛ですが、病院で処方された痛み止めの湿布&飲み薬で何とかおさまっています。
 これまで、病院で痛み止めを処方された時は薬を買わず、多少の傷みに耐えて過ごしていたのですが、今回の痛みは格が違いました。それゆえに、ポリシーを曲げて(?)痛み止めに頼っています。
 とはいえ、もちろんこれはあくまでも一時しのぎです。肩痛を根本から治すために、生活習慣をはじめ、いろいろと改めなければ、と思っています。

2019年04月27日

冬に戻った日

 えらく寒い一日でした。そのため、久々にコートを着て外出しました。
 もう4月も終わりだというのに、何でここまで、と驚きました。
 ちなみに、低音と言えば、アメリカで冷害が発生するたびに、地球温暖化否定論者であるトランプ大統領は「温暖化はどこに行ったんだ?」などと揶揄するツイートをするそうです。
 しかしながら、局地的に異常な寒さというのも、温暖化の副作用によるものが多く、そのような批判(?)は的外れだそうです。
 それはともかく、久々に冬気分で過ごした一日となりました。

2019年04月26日

突然の肩痛

 出勤してしばらくしたら、いきなり首から肩にかけて激痛が走りました。
 病院に行ったのですが、最初の内科病院では原因がわからず、近所の整形外科を紹介されました。一日で二つの病院に行ったのは生まれて初めてです。
 レントゲンを撮ったりしたのですが、根本的な原因はわかりませんでした。
 とりあえず、激痛は引いたのですが、相変わらず、痛みと違和感が残っています。
 40代の残り1ヶ月を切ったのですが、そのギリギリに来た四十肩なのでしょうか。それとも五十肩の先取りなのでしょうか。
 いずれにせよ、早く治して、この痛みから開放されたいものです。

2019年04月23日

10連休が迫る

 来週から10連休が始まります。もっとも、自分の場合は、例年どおり、三連休が一回あるだけ、というので、自分のこととしての実感は全くもってありません。
 しかし、仕事においては、この連休で多大な迷惑を被ります。
 特に困るのは、銀行の窓口が4月27日から5月6日まで閉まることです。
 仕事柄、月末に入金が多く、この時期は、毎日のように銀行の窓口を利用します。それが使えなくなるわけですから、その間の現金管理に神経を使うことになります。
 他にも本来平日のはずの日が祝日になるため、いろいろと面倒な事が生じます。

 働いている人に長期の休みをとってもらいたければ、ヨーロッパのように、有給休暇制度並びに、それを長期間使える習慣を作ればいいだけの話です。
 そうでなく、このような「強制的長期連休」を作られても、ありがた迷惑としか言いようがないよな、と思っています。

2019年04月22日

一時的な失敗と根源的な間違い

 人間、絶対に失敗します。いくら経験を重ねても同様です。当然ながら、加齢によって失敗は増えます。
 したがって、失敗することそのものは過度に意識する必要はありません。同様に、他人のちょっとした失敗を過度に問題視するのもおかしな話です。
 ただ、同じ失敗を何度も繰り返す、となると、話は別です。
 一つ失敗をすれば、同じ失敗は繰り返すまいと反省し、何らかの対処を取るのが普通です。
 ところが、世の中には、失敗してもそれを反省せず、同じ失敗を繰り返す人が少なからず存在します。
 そして、自己弁護をしているうちに失敗したことがあたかも正しかった事のようになってしまいます。
 こうなると、単なる失敗でなく、根源的な間違いとなってしまいます。
 身近な例ですと、戦前の暗黒時代に軍事国家として膨張していた大日本帝国などはこの典型例と言えそうです。
 いずれにせよ、小さな失敗に対しては、成功の素くらいに考えるべきでしょう。一方で、失敗を繰り返して正当化しようとする姿勢には厳しく批判すべきだと思っています。

2019年04月20日

夢見と体調

 疲れていて、少しでも睡眠をとっておきたい、という状況で仮眠すると、たいてい、悪夢を見ます。
 一方、翌朝は休みで好きなだけ寝られる、という時は、いい夢を見ることが多々あります。
 夢のメカニズムはよく知りませんが、まあ、自分の脳がやっている事ですから、こうなるのも普通だよな、などと思いました。
 生活リズムの調整は相変わらず難しいものがあります。とはいえ、せっかくですから、もっといい夢が見れるようにしたいものだな、などと思っています。

2019年04月19日

積み重ねの価値

 よく、「学校で勉強した事が何の役に立つのか」という言説が流されます。
 それを読んで思うのは、自分が過去にやっていた仕事の事です。
 新卒で入って14年ほどいた職場では、8年目くらいから、この職場に関する歴史などで、難しい問い合わせがあったら自分に電話がまわってくる、という風習になっていました。
 それらの知識や経験は、転職後の仕事においては全く無価値になりました。しかし、その職場でも、半年くらいしたら、メイン商品の操作方法で難しい問い合わせがあったら自分に電話がまわってくる、という風習が確立されました。

 次の転職先は、前の会社の知識を買われてのものだったのでしたので、前職の積み重ねが無になる事はありませんでした。
 とはいえ、そこを退職して、ちょっと方向性の違う分野で独立したので、2つ目および3つ目の会社で持っていた知識の大半は役に立たなくなりました。

 そして、今の職場でも、それらの知識が役立つ事はありません。
 とはいえ、今の自分と直接関係ないとは言え、、それまでの職場で積み重ねた知識や経験は大いに役立っていると思っています。
 学校の勉強も同様だと思います。直接役に立つことはないかもしれませんが、そこで得た経験や考え方は、形を変えて仕事や生活に役立つこと、間違いありません。
 それも含め、過去に頑張って習得したものは、全て今の自分に役立っていると思っています。

2019年04月18日

「時代」という概念

 なんでも、今月末で「平成時代」なるものが終わりを告げるそうです。
 その一つ前は「昭和時代」というのがあったそうです。
 しかしながら、「昭和時代」なるものの最初の20年間は専制的で他国を侵略し、その結果、多くの人々が殺し殺されたという日本史上最悪の暗黒時代でした。
 その後、戦争に破れ、問題は多々あったものの平和国家としての地位を確立したのがその後の44年間だったわけです。
 この二つを「昭和時代」として一括りにするのは、どう考えても無理があります。
 同様に、「天皇が代わった」という理由だけで、1989年1月7日からを「別の時代」と設定するのも無理がありすぎます。
 一人の人間が死んだり引退したりすることによって「時代」が変わる、などという事は歴史的にありえない話なのです。
 にも関わらず、今、マスコミでは「時代の終わり・始まり」なる「報道」が氾濫しています。
 歴史感覚はもちろん、国民主権という事も理解できていない、と言わざるを得ないと思っています。

2019年04月16日

赤の他人からの「アドバイス」

 SNSをやって悩み事などを書くと、見ず知らずの人から「アドバイス」が送られてくる、という事がよくあります。
 会ったこともない人の、しかも状況の一部分だけを書いた文章を見ただけで、解決法が提示することなど100%不可能です。
 もちろん、それを実行して失敗しても、その「アドバイス」をした人は何一つ責任を取りません。
 つまり、そのような「アドバイス」は百害あって一利なしなのです。
 もし、そんなもんを送りつける輩がいたら、即座にSNSのブロック機能などを使うべきでしょう。
 もちろん。SNSで繋がっている人が困っているときに、自分なりの案を伝えたくなる時はあります。
 その時は、「アドバイス」ではなく、参考になればいい程度に、自分の考えを伝えるようにしています。

2019年04月15日

二択の罠

 他人を従わせるテクニックとして、「どちらを回答しても自分にとって都合がいい二択の問題を出して回答を迫る」というのがあります。
 「◯◯してくれ」と言っても、まず断られる、という状況があるとします。その際に質問を「◯◯か☓☓のどちらかを選んでくれ」というと、その☓☓が、◯◯と同様のメリットがないものでも、ついついどちらかを選んでしまう、というものです。
 選択肢を与えられると、かならずどちらかを選んでしまう、という心理状態を利用したものなのでしょうね。
 そういうものに引っかからないためにも、常に「選択肢を出されても、その中の一つを選ぶ必要があるとは限らない」という事を認識している必要があります。
 ちなみにある時、全然仲良くない昔の知り合いから、飲みに誘われた事がありました。
 最初に「三連休の初日は空いてる?」と尋ねられたので断ったら、「なら二日目と三日目だったらどちらが都合がいい?」と尋ねてきたのです。
 もちろん、このパターンは承知していたので、何の予定も入っていなかったのですが、即座に「どちらも都合が悪い」と答えたものでした。

 

2019年04月13日

桜が散り始める

 開花のあとに冬に戻ったような気温になったため、今年の桜はかなり長持ちしました。これだけ花見シーズンが長かったのも久々ではないでしょうか。
 もっとも、自分はいろいろあってなかなか桜を楽しむ精神的余裕はできなかったのですが…。
 とりあえず、来年は桜をのんびり楽しみたいものだ、などと思いつつ。青空に映えた桜を撮ったりしました。
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2019年04月12日

アイデンティティ

 今に始まった事ではありませんが、自分は「腰が低く他人を立てる人」と「理不尽を許さず、そのためには既存の悪弊をぶっ壊してもかまわない人」という二つの側面を持っています。
 基本的には、前者がメインですが、状況によっては後者を前面に出します。
 あまり後者ばかりを目立たせすぎるとバーサーカーみたいになってしまいます。
 一方で、前者ばかり出しすぎると、勘違いした人から、無礼千万な態度を取られてしまいます。
 二つの側面は別に相矛盾しているわけではありません。どちらも「素の自分」です。とはいえ、その比率の出し方には悩まされます。
 まあ、この調整は死ぬまで苦労し続けるのでしょうね。

2019年04月10日

「考え」と「休み」

 将棋の格言(?)に「下手の考え休むに似たり」というのがあります。「弱い人がいくら考えてもいい手は浮かばないから休んでいるのも同じだ」という意味です。
 ある意味間違ってはいません。弱いうちは、延々と考えることなく、思いついた手を指したほうが、上達しやすいと自分も思っています。
 その一方で、一定の実力のある人が、弱い人が懸命に考える姿を見て、このように揶揄する、というのは、上位者にふさわしくないとも思っています。

 前置きが長くなりましたが、ここから本題です。
 この「下手の考え休むに似たり」を逆(?)にしたらどうなるでしょうか。
 今日はここ一ヶ月の疲れを癒やすため、昼まで布団で横になっていました。
 眠ったり起きたりしていたのですが、目が醒めていると、色々な考えが浮かびます。
 やはり、休まないといい考えは浮かばないものだな、と思ったりしました。
 「下手の考え休むに似たり」は事実なのでしょうが、「下手でも休むといい考えが浮かぶ」というのもまた事実なのかもしれませんね。

2019年04月09日

因果関係の誤解

 「○○した結果☓☓になった」という因果関係の考察は、毎日のようになされています。
 しかし、この因果関係は、仮説レベルで提唱された時点で、たいして検証されずに認められてしまうケースが少なくありません。
 その結果、「○○」と「☓☓」に実は因果関係がなかったにも関わらず、「前回、○○したおかげで☓☓といういい結果を得ることができた。だから、今回も○○は行うべきだ」という主張がまかり通ってしまい、実際には意味のない○○を無駄に行ってしまって失敗してしまう、という事が多々発生してしまいます。
 「○○した」結果が「☓☓になった」からとはいえ、「☓☓になったのは○○したからだ」が成り立たないのは中学の数学で習うレベルの話なのですが…。
 安易な考察でこのような失敗をしないよう、もっと因果関係について深く考える習慣を強めるようにせねば、と日々思っています。

2019年04月08日

禍福は糾える縄の如し

 昨日の選挙で、自分が特に力を入れて応援していた人が落選してしまいました。
 あまりにも悔しく、昨晩は3時半まで寝付けませんでした。
 応援において、やろうとしていた事が、他の業務との兼ね合いでやりきれませんでした。それだけに、悔いが残ります。
 4年前の選挙では、その人が当選し、大変喜んだものでした。当時のFBには「これだけ自分や家族以外の事で喜んだのは15年ぶり」と書いています。
 ところがそれから半年後、弟が世を去り、一転してこの2015年は自分の人生にとって最も悲しい年になってしまいました。

 そんな事を思い出しながら、「4年前そうだったのだから、今年もその逆があるかもしれない」などと自分に言い聞かせています。
 いずれにせよ、今後は、できることをやりきって、このような悔しさを味合わなくてすむようにせねば、と思っています。

2019年04月05日

時間と結果は比例しない

 時間をかければかけるほど、いい結果がでるかのような風潮があります。
 一例を挙げると、徹夜して頑張ると、それだけで褒められます。
 しかし、それは本当なのでしょうか。
 普通の人なら、徹夜して仕事をすれば、だんだんと思考力が落ちてきます。
 その状態で行うわけですから、質が落ちるのは当然です。
 そんな事をするくらいなら、仕事の取捨選択をしたり、人を増やすなりして、その「徹夜してやり遂げた仕事」を日中で片付け、8時間働いた時点で帰れるようにしたほうが、仕事の質も、働くひとの健康もずっと良くなります。
 その逆を続けた結果、日本は長時間労働ばかりが目立つ一方で、かつての技術立国が廃れてしまったのではないか、と思っています。
 発想を変えて、「残業せずに短時間で終わらせる事が最優先」というのが前提になれば、もっと仕事の質も上がるのでは、と思っています。

2019年04月02日

本当の締切

 かつて、雑誌に寄稿する人がよく「本当の締切」という言葉を使う人がいました。
 これは、編集者から提示された締切日に原稿が上がらなくても、その数日後に設定された「本当の締切」に間に合えば原稿は掲載される、ということでした。
 自分も四半世紀前くらいにちょっと雑誌の編集をやった事がありました。
 確かに、その「本当の締切」というのは存在しました。ただし、ならば「本当の締切」までに原稿を上げればいい、というのは間違いなのです。

 本来の締切日までに原稿を上げれば、事実誤認や表記ミスなどのチェックもきちんと入ります。さらに、原稿の良さを可能な限り引き出すレイアウトを行い、写真や図表もそれにあったものを追加できます。
 しかし、「本当の締切」に入稿された原稿だと、そのような事をする時間がありません。
 その結果、ミスがそのまま掲載される危険性も高まり、レイアウトや写真・図表も雑になるわけです。結果的に記事の質が下がります。
 その結果、同じ原稿でも、本来の締切を守った記事より、質が落ちるわけです。
 約束を守らず、「本当の締切」に頼っていた人が、この「真実」を知ったらどう思うのだろうか、とよく考えたものでした。
 いずれにせよ、当時も今も変わらない結論は、「約束の時間以内にきちんと終わらせるのがいい仕事で、それを守らずにダラダラやるのは、いくら時間をかけてもだめな仕事」ということです。

 

2019年03月30日

間違いを認めない事による弊害

 自分の間違いを絶対に認めない人がいます。
 いくら事実をつきつけても、意味不明かつ論理的に破綻している「反論」で絶対に間違っていたと言いません。
 当然の事ですが、そうやって開き直れば、本人の中では本来間違っている事が、「正しい前提」になってしまいます。
 その結果、それ以降は、やることなすこと全て間違ってきてしまうわけです。
 当然、その結果生じた不具合も間違いとは認められないわけですから、「間違いスパイラル」に陥ってしまうわけです。
 最初に素直に間違いを認めていたら、こんな悲惨な事にはならないのですが…。
 そして、今の日本では、強い権力を持っている人間が、この「間違いスパイラル」に陥り、周囲の人間はおろか、官僚やマスコミまで一緒になって「間違いを絶対に認めない」をやっています。
 本当に困ったものです。もちろん、他人事にはなりえないので、何とかそれをやめさせねばなりません。

2019年03月27日

仮説と検討する時間

 自分は大学で社会科学を教わり、現在、それを実践する仕事をしています。
 そういうわけで、大学時代の学びを仕事で思い出す事は多々あります。
 その中で、強く覚えている事の一つに、「観察→仮説→検証→概念化」という組み立てがあります。
 社会で起きている事象を観察し、それが発生する因果関係の仮説を立て、それが成り立つか検証し、成り立つなら一つの概念として成立する」というものです。
 しかしながら、実際に仕事をしていると、「観察→仮説」まではできるのですが、それを検証して概念化する時間を持つことがなかなかできません。
 特に今は、月末・年度末・選挙本番、という3つの多忙が重なった、4年に一度の最も忙しい時なので、立てた仮説の検証をする時間がまったくもってありません。
 残念に思っているのですが、これだけは仕方ないでしょう。
 まあ、落ち着いたら久々にゆっくり休んで、この「観察→仮説→検証→概念化」の作業をじっくりしたいものだ、と思っています。

2019年03月26日

気遣いが損をする

 あと二ヶ月弱で半世紀生きた事になります。
 そのなかの3分の2くらいにあたる社会人生活では、かなり他人に気を遣って生きていたと思っています。
 そちらのほうが、軋轢が少なく、皆が楽しく過ごせると思っていたからです。
 ただ、そのなかで、少なからぬ人が、気遣えば気遣うほど、図に乗って無礼な事をする、という事例をさんざん体験してきました。
 信じられない事ですが、明らかに実績に大差がある自分に対し、その専門分野の技術がゼロな人が、上から目線で文句をつけてくるのです。
 何度か遠回しに批判をしてきましたが、残念ながら、遠回しな指摘では通用しない事が、やっと理解できました。
 余計なストレスを溜めないために、かつ素人考えで時間を無駄にしないためにも、遠回しに言わず、単刀直入に間違いを指摘せねば、と強く思うようになっています。

2019年03月22日

宣伝と教育

 隣町に中学校があります。
 数年前、その壁に、水泳で全国トップクラスの成績を残した生徒の名前を書いた看板が掲示されました。
 よくわかりませんが、おそらくは、将来の五輪出場も狙えるような生徒だったのでしょう。
 その能力はすごいと思いますが、こうやってわざわざ看板まで作って学校に掲示する、というのははっきり言って異常としか思えませんでした。
 もちろん、優勝したときに垂れ幕を出すくらいならわからなくもありません。
 しかしながら、壁にずっとその生徒の名前を掲示する必要があるとは到底思えません。
 久々に学校の前を通ったら、卒業したのか、看板は消えていました。
 やっと自然な学校風景に戻った事に安堵しつつ、改めて、あの看板は異常だったよな、と思いました。

2019年03月19日

謎の「ロックンローラー」

 ロックンロールで有名な人の訃報記事を見ました。
 かなり前から存在は知っていましたが、歌をきいたのは、選挙に出たときに政見放送で演奏したという一節だけです。どんな曲がヒットしたのかも全くもって知りません。
 知っているのは、決め台詞(?)と、配偶者が昨年亡くなったという事くらいです。
 最近の音楽はわかりませんが、80年台と00年前後はかなり熱心に歌番組を見ていました。にも関わらず、この人の曲は全くもって知らないわけです。
 なぜか音楽に関する情報だけ流れてこないまま訃報をむかえたわけです。ちょっと不思議な気分でした。

2019年03月16日

完全休養日

 疲れがピークに達していたので、今日は完全休養日にしました。
 外出したのは買い物と床屋だけで、あとはほとんどを布団の中で過ごしました。
 本当はいくつかやりたい事があったのですが、疲労回復を最優先にしました。
 休めば休むほど、疲労感が増してきます。
 これは、仕事しているときには気が張って疲労を感じないのに対し、休息に入ると、気が抜けてそれまで抑えていた疲労を感じるようになるからなのでしょう。
 ほとんど何もしない一日、というのは無駄のようにも思えます。しかしながら、これから特に忙しくなる事もあり、こうやって充電する日は必要です。
 そんな事を思いながら、布団で過ごした一日となりました。

2019年03月12日

卒業式の思い出

 卒業式シーズンです。自分も4回ほど、卒業式を経験しました。しかしながら、いい思い出など一つもありません。
 小中学校のときは、ひたすら「卒業式の練習」をさせられた事だけが記憶に残っています。
 費やした時間にせよ、教師の熱意にせよ、完全に「卒業式の練習>>>>>卒業式」でした。そういう事もあり、心の中では、「卒業式なんか出なくていいから、練習を免除してほしいものだ」と思っていました。

 高校の卒業式は、別の意味で心に残りました。
 祝辞を言うはずの校長が、いきなり生徒が誰一人も知らない歌を唄いだしたからです。もちろん、参加者全員ドン引きでした。
 数日後、この校長が勤務中に飲酒している、という事を告発した文書が回ってきたものでした。
 世の中、ろくでもない大人もいる、という事を18歳の我々に対し、身をもって教えて(?)くれたわけです。もちろん、この校長に対し、一片の敬意も持てなかった事は言うまでもありません。
 大学の卒業式は、過去に何度か書きましたが、講演をする有名人が遅刻してきた事が最も印象に残っています。社会に出る人々を前に、堂々と遅刻をする、というのもなかなかの反面教師だな、と思い、面倒だから講演は聞かずに退場したものでした。

 高校と大学の件は偶然ですが、小中学校での思い出は多くの人も持っていると思います。
 とにもかくにも、形式張った「式」ならびに、その予行演習に莫大な無駄な時間をかけるのが心底嫌いなわけです。
 おそらく、この考え方は、死ぬまで変わらないだろうな、と思っています。

2019年03月11日

8年目

 早いもので、あの地震から8年が経ちました。
 当時は都内で働いていました。会議中に地震が起き、20時くらいまで会社で待ち、千葉に帰るのが無理な事が明白だったので、1時間ほど歩いて都内の実家で泊まったものでした。
 途中、六本木から麻布十番のあたりには沿道に飲み屋があったのですが、どこも満員でした。帰宅できないと開き直った人たちだったのでしょう。
 その時点で、多くの街が津波で流され、福島では原発が爆発し、放射能が撒き散らされていたわけです。
 もちろん、その時点では自分もそんな事になっているとは夢にも思っていませんでした。
 あのとき、宴会をしていた人も、酔いがさめてニュースを見たとき、心底驚いたのだろうな、などと、思ったりしました。
 8年経ちますが、故郷に戻れない人、公的援助が不足しているために苦しみながら生活している人はいまでもたくさんいます。また、福島第一原発の中がどうなっているのかは、いまでもわかっていません。
 8年という時の経過の早さに驚くとともに、震災も原発事故も継続中だという現実を改めて認識させられた一日となりました。

2019年03月10日

眼鏡が壊れる

 朝、出かけようとしたら、眼鏡のつるがポッキリ折れました。
 この眼鏡は、8年ほど前、まだ会社づとめしていた頃に買いました。
 その後、自営業時代を経て、今の仕事でも使っていたわけです。
 これまでも色々な眼鏡をかけていましたが、この眼鏡は、一番色々なものを見たと思います。
 特に、この眼鏡を通して、最後に弟の顔を見た時のことは、一生忘れる事はないでしょう。
 他にも、車の上から、自分を応援しに集まった方々を見る、という貴重な経験をしたのもこの眼鏡でした。
 愛着がありましたが、壊れてしまってはどうしようもありません。新しいのに買い替えますが、これからも捨てずに部屋に置いておこうと思っています。

2019年03月08日

懐かしの店がなくなる

 かつての職場の近くにあり、仕事が終わったあとに何度も飲みに行っていた店が今月末で閉店する、というニュースを見ました。
 そば系の居酒屋で、もりそば・こんにゃくの味噌田楽・そば焼酎の蕎麦湯割りなどのメニューは、最後に行ってから15年近く経った今でもよく覚えています。
 昨年、ひょんな事からマスコミにも取り上げられており、商売繁盛なのだなと密かに喜んでいたのですが…。
 小さい個人経営の店はどんな業種・地域でも経営が大変です。少々マスコミに取り上げられたくらいでは、焼け石に水、というのが現状なのでしょう。
 寂しく思うと同時に、久々に、そば焼酎の蕎麦湯割りを飲みたくなり、近所の店をネットで探したりしました。

2019年03月07日

エコノミックアニマル

 今となっては死語となった言葉の一つに「エコノミックアニマル」という英語があります。
 20世紀の間、驚異的な経済成長を遂げた日本ですが、同時に、金儲けのためになりふり構わない、というやりかたがアメリカを始めとする諸国から批判されていました。その金儲け最優先を揶揄してつけられた言葉です。
 しかしながら、日本の経済成長が終わり、それどころか、慢性的に経済が後退するようになりました。
 その結果、もはや諸外国にとって「エコノミック」でくなってしまった日本は、「エコノミックアニマル」ではなくなってしまったわけです。
 しかしながら、相変わらず、多くの会社は、金儲けのためになりふり構わない姿勢を強めています。
 しかも、大手携帯会社が高齢者を騙して儲けたり、大手電機メーカーが陰湿なリストラをやって利益を挙げたりしているわけです。
 他国は驚異と思っていないから「エコノミックアニマル」とは呼びません。しかしながら、経済が後退するのと比例して、その「エコノミックアニマル」ぶりはより酷くなっているよな、と常日頃思っています。

2019年03月05日

謎の食パン屋

 色々なところで、「食パン専門店」を見かけます。
 地元に開業したとき、連日行列ができており、その人気に驚いたものでした。
 しかし、一ヶ月もしたら、行列はなくなりました。
 そして最近、職場の近くにチェーン店が開業したのですが、そこも、開業当初は行列ができていました。
 開業してすぐ行列ができる、というのは凄いと思いますが、率直に言って、割高の食パンを食べるのに行列をつくる、というのもちょっと奇妙です。
 しかも、その行列がなくなった頃、数キロ離れたところに別の店ができるとまた行列ができる、というのもなんか不思議です。
 そこの食パンには興味はないのですが、この開業直後に必ず行列ができる、という仕組みの謎については、少なからぬ興味を持っています。

2019年03月03日

「桃太郎」での分担見直し

 幕張本郷のモスバーガーで食事をしていました。隣の席には幼稚園くらいの子どもさんと両親がいました。
 子どもさんが「お父さん、お話して」とせがむと、桃太郎の話が始まりました。
 ただ、「原作」と違い、おじいさんは川に洗濯に行き、おばあさんは、たきぎを拾いにいきます。
 子どもさんは「お話とちがうよ」とツッコミを入れたのですが、お父さんは「たまには、おじいさんが洗濯をする事があってもいいじゃないか」などと答えていました。
 封建時代に作られた話なので当然ではありますが、多くの昔話は「男は外仕事、女は家事」という「ジェンダーロール」が前提となっています。
 このお父さんは、それを子どもさんに植え付けないように、このように改変したのかも、と思いました。
 真意はわかりませんが、隣で聞いていて、ちょっと幸せな気分になることができました。

2019年02月28日

ディープ・パープルで子守唄

 道を歩いていたら、後ろから鼻歌が聞こえてきました。
 振り返ってみたら、幼児を抱っこしたお父さんと思しき人がいました。
 歌で子どもをあやしているのでしょう。
 それ自体は珍しくもなんともないのですが、あやしている曲に驚かされました。
 それは、ディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」という曲でした。
 分野で言えば「ハードロック」となる曲です。
 それで、子どもをあやす、という発想には驚かされました。
 同時に、どんな曲でも、愛情をこめて子どもに歌うと、子守唄になるのだな、という事にも気付かされました。

2019年02月27日

早朝に懐かしい場所に

 仕事柄、早朝に出かけることが少なからずあります。
 今日も突発的なトラブルで、早朝に、はじめての場所に行きました。
 目的地の近くまで来たら、一年半に仕事で行ったところに着きました。
 そこではちょっとした思い出があり、その事を思い出したりしました。
 早朝の緊急出動は色々大変ですが、このように、懐かしの場所に行ける、という特典(?)もあります。
 朝から大変でしたが、おかげで、ちょっと気分が和みました。

2019年02月22日

値引きの代償

 自営業をやっていたとき、たまに値引き交渉をしてくる人がいました。
 店によっては、意図的に本来の定価より高い売値を表示し、客が「まけてくれ」と言うと、「勉強しまっせ」などと「交渉」に応じて、本来の定価まで「値引き」して販売する、という手法をとっているところもあります。
 しかし、そのような例外を除けば、適切な価格を提示し、また実際にその価格で商品やサービスを提供しているわけです。もちろん、自分もそうでした。
 したがって、「この値段に下げてくれないと仕事を頼まない」などと交渉されると非常に困るわけです。
 何しろ、値引きをした金額で、定価に相当する仕事をしたら、利益は出ません。さらに、同じ商品やサービスを定価で購入してくれた人に対して失礼です。
 その結果、値引きした分、質を下げざるを得なくなります。
 たとえば、パソコンの初期設定を依頼された場合、希望する人には、起動時のパスワード入力を省略するサービスをしていました。しかし、値引きした相手には、その設定は行わない、といった具合です。
 不思議な事に、値引きをした側の人のほとんどは、「値引き後のサービスも、定価のサービスと同じ内容だ」と勝手に思い込んでいるようです。
 その結果、値引き交渉を続け、質の落ちた商品やサービスを買い続けるという、「安物買いの銭失い」状態に陥っている事に気づかないわけです。
 電車の運賃で、1,000円かかるところ、「値引きしてよ」などと言って500円しか払わなかったら、500円分の区間しか乗れません。他の商取引においても、基本的には同じなことが、なぜ分からないのか不思議です。

2019年02月21日

ストレス発散と押し付け 続き

 昨日書いた事について、ちょっと不十分な点があったと思いましたので、追記します。
 自分のストレスを他人に話すことが、即座に「ストレス押し付け」になるわけではありません。
 たとえば、自分にストレスを与えている人間(仮にその人をAとします)が、ストレス発散の話をする相手(仮にその人をBとします)にとっても嫌な人間だった場合は、Aに対する愚痴を言う事は、Bさんにとってストレスになりません。そのため、ストレス押し付けとはならず、「ストレス発散」となります。

 しかしながら、Bさんにとって、Aが大切な人の場合、Aに与えられたストレスを語ることは、Bさんにとってストレスになり、「ストレス押し付け」になるわけです。
 つまり、話し相手がどう感じるかが「ストレス発散」と「ストレス押し付け」の境界線になるわけです。
 それを意識しながら、相手にストレスを押し付けないように「ストレス発散」すべきだな、と思っています。

2019年02月20日

ストレス発散と押しつけ

 ストレスを感じた時に、その状況を他人に話して発散させる事は、ストレス解消に役立ちます。
 ただ、このストレス解消法には重大な問題点があります。それは、話を聞いた人にとって、それが重大なストレスになる、という事です。
 もっとも、ストレスを発散している人にとっては、それが目的というのもあるのでしょう。話を聞いた人がストレスを感じることにより、自分のストレスが軽減されるという認識があるように思われます。
 とはいえ、やはりこれはストレス「発散」ではなく「他人へのストレス押し付け」ではないか、と思えてきます。
 ストレスをなくすのは大切な事ですが、やはり他人を苦しめない方法で解決すべきだな、と改めて思いました。

2019年02月18日

ネットのデマが新聞社の公式サイトにそのまま掲載

 デマを流すことで悪名高いタレントが、またツイッターで事実と180度異なるデマを流しました。
 すると、それを検証もせずに、日刊スポーツと報知が記事にして公式サイトに掲載しました。さらに、日刊スポーツのサイトに掲載された記事は自動的に朝日新聞のサイトにも転載される仕組みになっていたらしく、そちらにも載ってしまいました。
 ネットでは直後からデマの指摘があり、それを受けて、各新聞社も記事を削除したり訂正しました。
 元となったデマツイートの内容は、ある個人や団体の名誉を不当に毀損するものです。にも関わらず、新聞社が検証もせずに公式サイトに載せたわけです。
 かつて、ネットに大きなデマが流れると、朝日も含めた新聞社は「ネットには無検証のデマが流れる。チェック体制のある新聞とはそこが違う」みたいな記事を出していました。
 しかしながら、今回の件で、そのような主張に何ら根拠がない事が明らかになってしまいました。何しろ、ネットのデマを検証するどころか、デマ増幅装置として新聞社が機能してしまったわけです。
 まあ、昔から、冤罪事件においては、警察発表を無検証に流して、無実の人を極悪人として「報道」していました。今回の件と根は一緒と言えるでしょう。
 ネットの時代になり、そのような本質がよりわかりやすく可視化されたのが今回の事件だと思っています。

2019年02月14日

社員寮の跡地

 通勤経路の道端に、人の住んでいない集合住宅があります。
 見た目は小洒落たマンションで、手入れもされているのですが、入り口はしまっており、人の気配もありません。
 近所の人に教わったのですが、そこは、海浜幕張にあるホテルの社員寮だったそうです。そのホテル自体は今でも普通に営業しています。
 よく、訪日客が増え、ホテルの稼働率は極めて高い、というニュースを見ます。
 ならば、このような外観もよく、かつ通勤に便利な寮は、有効活用すべきだろうと部外者としては思うのですが、経営的にはそうではないのでしょうか。
 詳しい理由は分かりませんが、やはり、非正規の割合が増えている事と関係があるのだろうか、などと思いながら、今日も真っ暗な「社員寮跡地」の前を通り過ぎました。

2019年02月12日

値段が不明な「お得」

 携帯キャリアの会社から、「お得に機種変更できる」というダイレクトメールが送られてきました。
 手紙で送ってきたにも関わらず、申込書は入っておらず、電話をかけて申し込んでほしい、と書かれていました。
 しかも、「お得」と書いてあるにも関わらず、購入を勧めている携帯電話の値段が書かれていませんでした。
 携帯キャリアの名前が書いてなければ、インチキ会社による詐欺商法だと断言できてしまうレベルです。

 もっとも、別に驚くことはありませんでした。
 これまで、携帯キャリア会社が、機種変更などをしにきた客に対し、詐欺まがいの売り込みで、不要なサービスを契約させた例は山程知っているからです。
 もはやすっかり、「客を騙す」というのがビジネスの基本となってしまっているのでしょう。
 日本経済は相変わらず落ち込む一方で、消費は減り続けています。そんななか、有名企業が、インチキ会社のレベルに堕ちる事例は他にも色々と聞いています。
 改めて、今の企業や経済の異常さを認識させられたダイレクトメールでした。

2019年02月11日

中一日でまた雪に

 一昨日に続いて雪になりました。
 一昨日は、雪を警戒して、自動車や自転車で移動する予定だったのを、全て電車移動に変えました。
 一方、今日は、前回電車移動に変えた意味があまりなかったのと、予報では午後にはやむと出ていた事もあり、自転車で移動しました。
 向かい風だったので、雪が顔に当たってくるのはかなり大変でした。そして、当然ですが、眼鏡の曇りも普段以上です。一度、ガードしたで自転車を止め、眼鏡を拭いたほどでした。
 とりあえず、問題なく移動できて一安心でした。とはいえ、やはり雪の日の移動方法は慎重に考えねば、と反省もさせられました。

2019年02月09日

雪が積もる

 雪が降りました。
 朝起きたら、そこそこの降りだったので、色々と心配したのでしたが、結果的に積もることはありませんでした。
 雪対策として、色々と予定変更をしたのですが、結果的には、変更しなくても何の問題もありませんでした。
 ちょっと拍子抜けしました。しかし、これは結果論であり、雪が積もった可能性もあったわけです。それを考えれば、この予定変更は正解だったと思っています。
 月曜の朝も雪が降るそうです。仕事柄、雪が積もると色々と困るので、こちらも、軽い雪で終わってくれるよう、今から願っています。

2019年02月06日

加害者と同レベルのクレーマー

 小学生の方が虐待で殺された事件がマスコミを賑わしています。
 それに煽られた人々が、その地域の児童相談所に「抗議の電話」を大量にしているそうです。
 言うまでもないことですが、そんな電話を何千本かけても、事件の再発防止につながりません。むしろ、その電話によって児童相談所で働くひとが疲弊し、むしろ虐待被害が増えるリスクが生じるだけです。
 もちろん、電話をかけている人々にとって、そんな事は全く関心などないのでしょう。
 彼らの表層意識は、自分は正義感でやっているとなっているのでしょう。しかし、その本質は、「弱い者いじめ」でしかありません。相手は絶対に反論も抵抗もしないとわかっているからこそ、電話で罵倒して、いい気分になっているだけなのです。
 言うまでもなく、この事件で一番悪いのは、実際に子どもを殺したその父親です。彼は罵声を放つなどして、関係者を脅していました。これについては、嫌がらせ電話をしている人々とやっている事は同じではないでしょうか。
 毎度のことですが、このような「いやがらせ電話」をする連中が「いじめ」をやっているだけでしかない事が、社会常識として共有される世の中になってほしいものだと強く思いました。

2019年02月02日

低価格朝食

 牛丼チェーン各社が、300円を切る朝食セットを相次いではじめました。
 松屋では、以前から360円で提供していた朝食セットがありました。
 その構成は、ご飯・味噌汁・卵・小鉢(ミニ牛皿など)・海苔・漬物小皿でした。
 そこから、海苔と漬物小皿を抜いたものを290円で提供していました。
 それだけの違いなのですが、なんかえらく簡素な雰囲気が漂っていました。
 このメニューを各社が出したのも、長引く不況で人々の財布の紐が固くなったからです。
 そんな事を思いながら、簡素な朝食をすませました。

2019年01月31日

初雪

 外で初雪が舞っています。
 今の仕事は、道路状態が悪いと色々と面倒な事が起きます。それもあり、とにかく積もってほしくない、という思いしかありません。
 今の所、アスファルトの上は積もっていないようです。予報では日付が変わると上がるそうなので、ぜひとも予報どおりに積もらないでほしいと願っています。
 ちなみに明日は早朝から自転車で走り回る用事があります。万が一積もった時の事を考え、慎重に動こうと今から自分に言い聞かせています。

2019年01月27日

旅行椅子

 昨日は21回めの結婚記念日でした。
 一夜明け、今日は内房線に乗る用事がありました。
 千葉で乗り換えたら、クロスシートの車両でした。
 それを見た時、「お、久々の旅行椅子」と思いました。
 「旅行椅子」というのは、相方が名付けたクロスシートの「和訳」です。旅行に行くような列車だけについている設備なので、そう命名したのでしょう。
 自分は、中学のときから、「クロスシート」という正式名称を使っていました。最初に相方が「旅行椅子」と言ったときは、「変わった言い方をするものだな」と思ったものでした。
 それが、21年経ったら、パッと見た時に「旅行椅子」という言葉が頭に浮かぶようになったわけです。
 これも、21年の結婚生活が為せる技だな、などと思いました。

2019年01月26日

久々の東南アジア料理

 とある新年会で、タイ・ベトナム料理を出す居酒屋に行きました。
 自分は東南アジア料理はあまり得意でなく、ちょっと不安だったのですが、あまりクセが強くなく、普通に楽しめました。
 苦手意識を払拭できたかも、などと思いました。
 今回はコースだったので、自ら注文することはなかったのですが、次はアラカルトにして、色々たのんでみたいものだと思いました。

2019年01月23日

多様な嘘

 総理大臣を筆頭に、社会的地位のある人が嘘をつくのが当たり前の世の中になってしまいました。
 しかも、その総理大臣と大手マスコミ幹部が定期的に酒食をともにし、そこで仕込まれたミエミエの嘘が、当たり前のように「報道」されます。
 そして、トップの影響を受けて、その下にいる人々も平然と嘘をつき、バレたら新たな嘘をついて平然とする、というのがもはや日常茶飯事になってしまいました。
 おかげさまで、嘘を見抜く能力は格段と上がりました。事例が多いので、それをパターン化することができ、分析も簡単に行えるからです。
 そういう意味では「経験値」が上がりました。もっとも、その理由が、嘘にまみれた今の世の中であることを考えれば、何ら嬉しくは思いませんが…。

2019年01月21日

「猫車」を習得(?)

 職場で、大量の紙類を運搬する必要が生じました。
 未舗装の箇所で運ぶ際には「猫車」と呼ばれる一輪車を使います。今の職場に来て、最初にこれを使ったときは失敗しまくり、、「なんでこんな構造の車で、転がさずに重いものを運べるのだろうか」と思ったものでした。
 しかし、何度かやってコツを掴んだ結果、スイスイと運べるようになりました。
 もともと不器用な事もあり、我ながら、よくここまで上達できたな、と驚いています。
 同時に、自分が初めて就職した時の事を思い出し、まさか社会人になって、こんな「技能」を習得する事になるとは、当時は夢にも思わなかったよな、とこれまでの仕事の変遷に感慨を覚えたりもしました。

2019年01月20日

食べる量

 週に1回、仕事の関係で自分で食事を作っています。
 基本的に、いつも同じ量を食べるのですが、今日は昼にいつもと違うものを食べました。
 その結果、夕方からかなりの空腹感が生じました。
 そこで晩ごはんの量を増やしたのですが、今度はちょっと胃もたれをする結果になってしまいました。
 空腹感により、食べる適量を見誤ったわけです。
 自分の体なのに、なかなか上手くいかないものだと思いました。そして、今後は変わった事はせず、いつもと同じものを食べるようにしよう、と心に誓いました。

2019年01月19日

つきたての餅を食べる

 とある餅つき大会に参加しました。
 一昨年の正月に、人生初餅つきをやったのですが、そのときは、仕事の関係上、餅をついただけで、食べずに別の場所に移動したものでした。
 それに対し、今回は、準備から餅つき、そして食べるところまで参加することができました。その結果、初めて、つきたての餅を食べることができました。
 つきたての餅には、一度固まって焼いたり似たりした餅とは全く違う食感がありました。
 何もつけないで食べても、十分に美味しさがあるのです。ちなみに、一緒に小学生くらいの方が参加していたのですが、「何もつけないで食べる」と言っていました。
 次の機会がいつあるかわかりませんが、また、この「つきたて」を味わってみたいものだと思いました。

2019年01月18日

久々に会って語る

 大学将棋研究会の後輩と久々に会いました。
 20代の頃は何度も一緒に飲み、家族ぐるみで食事をした事もあったのですが、ここ10数年、ご無沙汰していました。
 それが、年賀状のコメントがきっかけで、久しぶりに会うことができたのです。
 19時くらいから飲み始めたのですが、話しているうちに「ラストオーダーです」と言われました。一瞬、なんでそんな早いのか、と不思議に思ったのですが、時計を見たらたしかにそんな時刻でした。
 つまり、時を感じないくらい、話が盛り上がっていたわけです。
 何年経っても変わらないものだ、と思いました。そしてまた、このような時間を作りたいものだ、と思いました。

2019年01月15日

甘さと厳しさ

 よく「甘い人」と「厳しい人」という区分けがあります。
 その中では、自分はよく「甘い人」に分類される事が多いようです。基本的に他人にきつい事はいいません。あと、失敗が発生した場合、その失敗を執拗に追及することは絶対にせず、むしろフォローする、という習性からかと思われます。
 しかし、自分としては、「甘い人」という認識はありません。
 先述したような些細な事に関しては確かに「甘い対応」をします。しかしながら、本質的に許されない事については、絶対に妥協しないからです。これは20代の頃から今にかけ、全く変わっていません。
 これまで経験した色々な件で、自分より「厳しい」と言われた人はたくさん見ました。しかしながら、そのような本質的に重要な事件が起きた時に、「なるほど厳しいな」と思える対応ができた人は、数人しかいません。
 どうでもいい事に対しても「厳しさ」を発揮する必要があるとは到底思えません。むしろ、必要なときだけに発揮するのが「厳しさ」だと思っていますし、今後もそうありたいと思っています。

2019年01月14日

18年前と違う読み方

 21世紀に入ってから連載して大ヒットした漫画を久しぶりに読みました。
 当時は普通に楽しく読んでいた記憶がありました。しかし、再度読んでみたら、その人権感覚のなさに驚きました。
 主人公はヒロインを普通に罵倒し、なにかあるとひっぱたきます。途中からは、性的少数者の方々を馬鹿にしたようなキャラまででてきていました。
 我ながら、よくこんな漫画を、当時は普通に読めたものだ、と驚きました。
 まあ、それだけ人権侵害に対する世間の意識が進み、自分もその影響を受けた、というのもあるのでしょう。

 もっとも、この2019年になっても、このような人権感覚で描かれている漫画はすくなくありません。先日も、超大手雑誌が性差別的な企画を行い、問題になったものでした。
 漫画界の健全な発展のためにも、これについては何とか改めて欲しいものだと思っています。

2019年01月13日

学びたいものが次々と

 先月にちょっと書きましたが、年末年始にかけて、ちょっと力を入れて読書をしました。
 仕事に関する本ですが、改めて、物事の基本を理解することができ、大変有意義でした。
 情報を入手するのならネットのほうが早くて多彩な情報を選べます。しかし、物事の「基礎体力」をつけるにはやはり読書だな、と思いました。
 読み終わる頃には、また新しい課題が生まれ、さらに本を買いたくなります。
 あと5ヶ月ほどで50歳になりますが、学ぶ気持ちは、これからもずっと持ち続けたいものだな、と思っています。

2019年01月12日

30年めの飲み会

 大学時代、将棋研究会に所属していました。卒業後はOB会活動を初め、現在まで継続しています。
 入学した年の暮れ、同期のNくんが、クリスマスパーティ兼忘年会を企画しました。自分はそのときは欠席しましたが、その後、参加をするようになりました。この会は、卒業後も続きました。
 7年ほどまえ、それまでずっと幹事を務めていたNくんが急逝しました。その後は、自分が幹事を引き継ぎました。そして、本日、30回めの会を開くことができました。
 皆、年をとり、いろいろな経験をしました。しかし、将棋に関しては、30年前と同じ感覚で、楽しく語り合うことができました。
 この会を、40年、50年と続けていければと、思いました。同時に、かつて主催者であったNくんがいないことに寂しさを感じたりもしました。

2019年01月11日

一日だけ「利子生活」

 10年ものの定額預金が満期になりました。その利息の一部で、今日の食事をまかないました。
 つまり、今日一日は、「利子で生活」したわけです。
 20世紀は、定期預金の利率が3~5%くらいありました。そのため、一定の貯金があれば、その利息だけで生活することが可能でした。そのため、「利子生活者」などという言葉もありました。
 もちろん、この超低金利の時代においては、完全に死語となってしまいましたが…。
 言い換えれば、この低金利政策により、本来、庶民が受け取れたはずの利子が吹っ飛んでしまったわけです。その一方で、この政策により、大儲けした人がいたわけですが…。
 そんな事を思いながら、チェーンのファーストフード店で、「一日だけ利子生活」をつつましく楽しみました。

2019年01月08日

チャリィー号の修理

 通勤などに愛用している自転車・チャーリィ号の後輪が大晦日に壊れました。パンクではなく、車輪交換が必要とされるレベルです。
 正月休みもあってなかなか治せなかったのですが、今日、やっと修理することができました。ついでに、以前に外れた時に「限界に近い」と言われたチェーンも交換しました。
 これまでも、まずは後輪を、続いて前輪を一回ずつ交換しています。それと今回の修理費を足したところ、5年半前にチャーリィ号を購入した時の費用をちょっと上回ってしまいました。

 このように書くと、「なら最初に後輪を交換した時に買い換えればよかったのでは」と思ってしまいがちです。しかしそれは違います。
 最初の後輪を修理した時に買い換えれば、確かに、次の前輪と今回のチェーンの交換は不要になります。しかし、後輪は今回二度目の交換をしたことからわかるように、その時に買い替えても今回の交換は必須だったわけで、その分の費用はどっちにしろ発生するわけです。
 そう考えると、結局のところ、買い換えなかったほうが安上がりだった事がわかります。
 とはいえ、自転車屋さんには、6年も乗っていて、日頃、屋外に置いているなら、そろそろ限界に近い、と指摘されました。
 次に壊れるときは、交換不能になる可能性が高いようです。
 この6年間、色々な形で使い続けてきたチャーリィ号なだけに、別れを意識するのはちょっと寂しいものがありました。ただ、寿命である以上は仕方がありません。乱暴に扱わないようにして、一日も長く使い続けなければ、と思いました。

2019年01月07日

不快にさせるテクなら最高の営業電話

 職場に電話がかかってきました。いきなり「そちら様が電話の基本料金が無料になった事を知らなかったのでお電話しました」と言ってきたのです。
 もし言っている事が本当で、基本料金が無料になったていたとしても、なぜこの電話をかけてきた人は、それをこちらが「知らない」という事がわかるのでしょうか。
 しかもそれを「どうせあんたは無知だからしらないだろう」という口調で話しかけてくるのです。
 もちろん、「電話料金(もしくはインターネット)が安くなります(もしくは無料になります)」という電話をかけてくる業者は100%相手にすべきではありません。
 その電話を真に受けて契約し、得したひとなどいません。

 したがって、どんな言い方だろうと切るのですが、ここまでガチャ切りしたい欲求にかられる電話ははじめてでした。
 ちなみに、リストでかけているので、しばらくしたら、同じ建物内の別の部署にも続けてかけてきました。別の人が出たのですが、その人も、あまりの無礼さに呆れてすぐに切っていました。
 電話営業は話術が重要なわけですが、このような相手を不快にするテクに磨きをかけたものは初めて聞きました。
 まあ、最近は国内外問わず、偉い人が傲慢な態度で嘘をつき、それがまかりとおっています。
 それゆえに、こんな話し方の電話営業でも成り立つのでしょうか。
 そう考えると、さらに不快さが増しました。

2019年01月05日

休みの効用

 この正月休みは、特にでかけたりしませんでした。
 ある意味ダラダラと過ごしたわけですが、ダラダラしていると、色々な考えが頭に浮かびます。
 どうでもいい事も多いのですが、その中には、一見、当然のようで、普段暮らしていては思い浮かばないようなものもあります。
 そういう経験をするたびに、「やはり長い休みというのは必要だな」と思います。
 正月休みは終わりました。今年は忙しくなりそうですが、このように休んで発想力を高める時間は確保し続けたいものだと思っています。

2019年01月01日

謹賀新年2019

 新年あけましておめでとうございます。
 本年も「つれづれの館」をよろしくお願いいたします。

 仕事の関係で、大晦日は深夜まで働き、そのまま職場に泊まりました。そして、朝はいくつかのトラブル対応のため、千葉市内を車で移動して、荷物を回収したり届けたりしました。
 そして、昼前に帰宅し、そこから「年末年始休暇」が始まりました。
 ひたすら、家にこもって、寝たり、TVを見たり、パソコンを叩いたりして過ごしました。
 というわけで、まだまだ正月という実感はありません。明日からは、正月休みにやろうと思っていた事を少しずつ手をつけようと思っています。

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