2019年12月31日
2019年を振り返って
結婚してから21年間、これまで、二人して病気らしい病気もせずに過ごしてきました。
ところが、今年の8月に相方のガンが判明し、手術という運びとなりました。
手術は成功しました。しかし、年明けからは抗がん剤治療が始まります。
それを考えると、新しい年への期待というよりは不安ばかり頭をよぎってしまいます。
もちろん、沈んでばかりはいられません。どんな状況のときでも、相方を助け、明るい生活を維持したいものです。
それではみなさん、良いお年を。
2019年12月30日
中晦日
明日は大晦日です。
この言葉を聞いたときから、「なぜ、大晦日はあるのに、中晦日や小晦日、さらには何の接頭語もない晦日はないのだろうか」と不思議に思っていました。
後に、毎月の末日をかつては「晦日」呼んでいたものの、その習慣が廃れて「大晦日」だけが残った、という事を知りました。
それはともかく、やはり大晦日だけがあるのには違和感がぬぐえません。
そういうわけで、ある時期から、自分の中だけで12月30日を「中晦日」と勝手に呼ぶことにしました。
今日も、車を走らせながら、「さすがに中晦日なだけあって、空いているな」などと思ったりしました。
全くもって意味のない事ですが、自分的には気に入っています。
そうこうしつつ、明日の大晦日に向けて、鋭気を養っています。
2019年12月27日
相方とクリスマス兼忘年会
年末恒例の、相方とのクリスマス兼忘年会を行いました。
年明けから大変な状況になるのですが、今日はその事は考えず、二人で楽しく、会話と料理を楽しみました。
来年末も、この楽しい時間をぜひとも過ごしたいものです。それに向けて、二人でエネルギーを補給することができた、楽しい回になりました。
2019年12月25日
闘病の2020年
先日、手術を受けた相方の翔みならですが、検査の結果、年明けから抗がん剤治療を受けることになりました。
それもあり、コミケ参加などは当分の間、お休みとなります。もちろん、ツイッターなどには、適宜、絵を上げていくので、よろしければ、翔みならのツイッターをフォローしてください。
なお、相方がツイッターで本件を報告したところ、30人以上の方から、励ましの言葉をいただいていました。プロの漫画家さんや、プロ雀士さんなどがおり、改めて、相方が多くの人に慕われている事がわかりました。
抗がん剤ですから、かなりきつい副作用があります。色々大変な事になるかもしれませんが、何とか、健康を取り戻してほしいと願っています。
自分も、一番身近な存在として、可能な限りできることを頑張っていきたいと思っています。
色々ご心配をおかけするとは思いますが、引き続き、翔みならと「つれづれの館」をよろしくお願いいたいします。
2019年12月24日
最高のプレゼント
今日はクリスマスイブですが、仕事の関係で外泊しています。
そこで、夜に相方に電話しました。
先月の手術のあとも、いろいろ大変で、昨日も今後の治療について深刻な話を病院から聞きました。
二人してかなり落ち込んでいたのですが、相方が闘病することをツイッターに投稿したら、多くの方々から励ましをいただきました。
今日の電話ではその話をしました。皆さんの励ましを受けた相方は、かなり元気になっていました。
それを聞いた自分も、幸せな気分になることができました。
相方が最高のプレゼントを多くの方々からもらい、自分もそのおすそ分けにあずかった、といったところでしょうか。
自分は敬虔な無神論者で、当然ながらクリスマスを特別視していません。
とはいえ、今晩においては、相方が最高のクリスマスプレゼントを貰えた事を、大変うれしく思うことができました。
2019年12月23日
笑いを絶やさずに
ちょっと深刻な事があり、相方と色々話していました。
かなり沈んだ雰囲気になったのですが、そこに、BGMで「ロマンスの神様」が流れてきました。
それを機に、話題を変えて、「ロマンスの神様がいるなら、ロマンスの悪魔とかもいるのかな」とぼそっと言ったら、相方は大受けでした。そこで、会話の雰囲気が変わりました。
もちろん、それで事態が良くなったわけではありません。とはいえ、どんな大変なときでも、常に笑いと楽しさは必要ですし、それが元気を呼ぶと思っています。
本当に大変なのは年明けですが、そこでも、常に笑いは絶やさずに行こうと強く思いました。
2019年12月22日
曇り空の冬至
今日は冬至でした、早朝に用事があり、真っ暗ななか、外出しました。朝7時に帰宅したのですが、曇り空という事もあり、まだまだ薄暗く、朝から、冬至ならではの日の短さを堪能(?)することができました。
夜はゆず湯に入りました。職場の人の庭になっている「完全天然物」を使ったので、香りはさほど出ませんでした。
とはいえ、湯の中に柚子があると、年に一度の日だな、と感じます。
というわけで、朝と晩に、冬至を堪能した一日となりました。
2019年12月21日
懐かしい人の安否
今朝は、前職のパソコン教室元生徒さんの自宅に伺って、トラブル対処をしました。
当時、この方の叔父さんも、自分の教室に通っておられました。
どちらが紹介したわけではなく、偶然、二人で同じ教室に通っていたわけです。
ただ、その叔父さんとは、教室をやめて以来、音信不通でした。また、姪である方に尋ねることもしませんでした。かなりの高齢だったので、こちらから話を振るのがちょっと不安だったのです。
しかし、今日は、その姪である元生徒さんから、お話を伺うことができました。もう83歳ですが、現役の士業として活躍し、趣味のテニスもバリバリこなしている、という事でした。
パソコンで困った時に、自分の助けを借りたいとおっしゃっている、という話も聞きました。
その叔父さんは、聴覚に障がいがあったため、パソコン画面を通じた「筆談」で説明をしていました。最初、「耳が聴こえないのだが、授業ができますか」と尋ねられ、とっさにこの方法を思いついたのは、懐かしい思い出です。
そんなことを思い出しながら、またこちらの方にも、パソコンを説明する機会がほしいものだ、と思ったりしました。
2019年12月20日
バッテリー切れ初経験
自分の部署が管理している車を使った人から、出先でエンジンがかからなくなった、とSOSが入りました。
色々あって、車を管理する部署の担当者になっていますが、自分自身運転歴4年弱かつ、生まれて50年間、自分自身はもちろん、24歳まで住んでいた実家でも自家用車を持っていない、というくらい自動車に疎い人間です(ちなみに実家は、自分が別居した直後に、自動車を購入しました)。
というわけで、とりあえず、自動車に詳しい先輩に頼んで現場に行きました。経験豊富な先輩は手慣れたもので、バッテリー切れだとわかり、教習所時代に画像で見た、「救援自動車から緊急充電する」というのを初めて経験しました。
しかしながら、無知なもので、緊急充電が終わったあと、エンジンを切ってしまい、再び緊急充電をするはめになりました。
その後、バッテリーを交換し、一件落着しました。耳情報で知ってはいましたが、改めて、バッテリー切れというものの恐ろしさを痛感させられた日となりました。
2019年12月19日
「持病」が出る
年に数回、猛烈な頭痛と吐き気に襲われます。
今日、それがやってきました。しかも、「発作」が起きたのは運転中だったので、えらく苦労しました。何とか、無事故で終えることができましたが…。
原因が、「疲れ」であることは、経験則でわかっています。おそらく、日頃のバタバタと、一昨日のあった精神的なものが尾を引いたの思われます。
いずれにせよ、これは体から出たSOSなわけです。それを意識して、しっかりと休養を取らねば、と思っています。
2019年12月18日
久々に豆腐屋で豆腐を買う
職場の近くに豆腐屋さんがあります。
一度も行った事はなかったのですが、複数の知り合いから、「あそこのは美味しい」と言われたので、買ってみました。
飛び抜けて美味しいわけではありませんでしたが、やはり、しっかりとした大豆の味がしました。
改めて、スーパーで売られている豆腐には、さまざまな混ぜものがあるのだな、と実感させられました。
味相応の値段だったので、毎回というわけにはいきませんが、週に一回くらいはここの豆腐を楽しもう、と思っています。
ところで、昨日書いた件ですが、特に好転しませんでしたが、昨日よりは状況が良くなりました。
まだまだ「禍」の領域を抜けることはできませんが、いつか「福」に転じる事ができるよう、頑張っていきたいと思っています。
2019年12月17日
禍福は糾える縄の如し
昨日、ちょっといい事があって、楽しい気分で過ごせました。
ところが、今日は一転して、深刻な事態が発生し、一気に沈んでしまいました。
生きていると、色々とつらい気持ちになるものです。
まあ、逆に明日になれば、またいい事が起きるかも、と思うことにしました。
2019年12月15日
跡地
所要で市原市の施設に行きました。
昔の地図を見ると、ジェフ市原(当時)の事務所をはじめ、さまざまな団体が活用していました。
地理的にも、五井駅から歩いてすぐで、国道からもさほど離れていない、という至便なところです。
ところが、今では、貸しホールが一つと、市の機関が一つはいっているだけで、あとはガラガラの「跡地」みたいになっています。
古い建物ではあるのですが、まだまだ使えそうな感じです。
これだけの場所を遊ばせている一方で、色々と新たな建物が造られているわけです。
ある意味、今の世の中の矛盾を象徴するような建物だな、と思いました。
2019年12月13日
四半世紀経っても現役のセーター
今日は飲み会がありました。上着を脱いで座ったら、向かいに座った20代の方に、「大野さん、面白いデザインのセーターを着ていますね。どこで買ったんですか?」と尋ねられました。
そこで正直に、「25年ほど前に、新宿タカシマヤで買いました」と答えました。
その頃の自分は、20代であるにも関わらず、ファッションセンスゼロの格好をしていました。
それを心配してくれた、二人の妹が、新宿タカシマヤでお洒落な服を選んでくれました。今日着たセーターはその時に購入したものです。
兄想いの妹二人には本当に感謝したものでした。それもあって、その服購入のあと、タカシマ屋の料理店で打ち上げをやったこと、そこで出たサラダにカメムシが入っていた事、それを見た妹が店員さんに「無農薬なんですね」とフォローしたことなども、四半世紀経った今でも鮮明に覚えています。
ちなみに、妹たちの期待(?)に応え、約23年前、このセーターを着て、今の相方と「初デート」したものでした。
そんな事を思い出しつつ、改めて、妹たちに感謝をしました。
2019年12月08日
22年契約していた業者と契約終了
22年前、今のアパートを契約したとき、仲介した不動産屋がアパートの管理会社を兼ねていました。
安い管理費でしたが、いい仕事をしてくれました。庭の手入れ一つ見ても、隣接するマンションがすぐ草ぼうぼうになるのに対し、こちらは定期的に手入れされていました。
トラブルで対立した事もありましたが、なんだかんだで22年間、お世話になってきました。
ところが、先日、管理会社が変更となるという封書が届きました。
会社のサイトを見たところ、数年前に始めた新規事業があたり、大幅に売上が増えていました。
そちらに力を入れるために、たいして儲からないアパート管理から手を引いた、という事なのでしょう。
同じ会社と22年間関わり続けてきたわけです。これより長いつきあいのある企業は、24年前に口座を開設した銀行くらいでしょう。
それだけに、付き合いがなくなる事にちょっとした寂しさも感じました。
ぜひ、引き継いだ管理会社においても、これまでの管理品質を維持していただきたいものだと思っています。
2019年12月06日
目先の幸せと未来
「将来の地球環境を守るために二酸化炭素などの温暖化ガス排出を減らすべき」という主張と、「そんな事より、今の経済成長が重要だ。そのためには化石燃料を燃やして利益を得る」という主張が激しく対立しています。
自分は当然、前者の立場ですが、後者の気持ちもわからなくはありません。
何しろ、後者の人々の住む豪邸は、温暖化ガスで海面が上昇しようと、台風が来ようと、まず被害は受けません。
地球の気温が更に上がれば、より深刻な気象被害が発生するわけですが、その頃には、そのお金持ちたちは死んでいるから、関係ないわけです。
にも関わらず、温暖化ガス規制に協力したら、目先の儲けが減って、贅沢な暮らしができなくなるわけです。
だからこそ、執拗に反対するわけです。
自分も、もう50歳ですから、生きている間に、深刻な被害を受ける可能性は相対的には低いわけです。
しかしながら、前者の立場で、温暖化ガス削減をすべきだと主張します。
人間誰も、いつかは死にます。そして、死んだあとに起きたことを認識する事はできません。
とはいえ、生きている間に、自分が死んだあと、どうなるかを想像することはできます。
そのときに、温暖化ガスの影響で、海面が上昇して島嶼国が滅亡し、気象災害が頻発して、多くの人の生活が脅かされる、などという「死後の世界」を想像しながら世を去るなどというのは惨めな生き方だと言わざるを得ません。
一方で、温暖化ガス削減に頑張った。その結果、後世の人は安心して暮らせる、と思って世を去るのは、幸せな生き方だと思っています。
いくら化石燃料を燃やして、多額の富を得たとしても、死ねばそれを使うことはできません。
目先の利益を重視して温暖化ガス排出制限に反対している人たちに、その事をぜひ気づいてほしいものだ、と思ってやみません。
2019年12月05日
服の痛み具合
軽く外食に行きました。
席についたら、相方に服について言及されました。着ていたセーターは、23年前に、新宿タカシマヤで妹たちに選んでもらったものです。
襟周りはちょっと傷んでいますが、それ以外は十分使えるね、と言われました。
帰宅後、はいていたズボンについて、かなり傷んでいるね、と言われました。
こちらは、5年くらい前に、同じ新宿タカシマヤで妹に選んでもらったものでした。別に、酷使したわけでもありません。
同じ店で同じ人に選んでもらったのに、経年劣化に差があるわけです。
この20数年で、洋服の作り方に変化が生じたのだろうか、と思わざるを得ませんでした。
2019年12月01日
最寄りのATMが閉鎖
家から歩いて2分くらいのところにある、口座を持っている銀行のATMが閉鎖されました。
22年前、ここに来たときからあったATMですが、その時点では、自分が口座を持っているのとは違う銀行でした。
ところが、銀行の合併が続くうちに、何度か名前が変わり、14年前、ついに自分が口座を持つ銀行と合併したため、手数料なしで使えるATMになりました。
その時の、棚ぼた的なお得感は、今でもよく覚えています。
それ以降、非常に長い間愛用させてもらいました。
したがって、閉鎖となったとはいえ、利便性については、合併された14年前に戻っただけとはいえます。
そして、同じ銀行のATMは、歩いて6分のところにあるので、さほど不便になったわけではありません。
とはいえ、長年のつきあいだっただけに、かなりの損失感がありました。
同時に、その歩いて6分のところにあるATMの存続が不安になっています。さすがにそこが閉鎖されたら、かなりの手間がかかりますが、銀行を変えねばなるまい、と思っています。
2019年11月30日
電飾の季節
明日から12月です。
この月の特徴として、広場や個人宅に電飾がほどこされる、というのがあります。
別に自分の家をどうしようとその人の勝手ではありますが、この電飾を見ると、なんかげんなりします。
特に、公園などで大規模な電飾をしているのを見ると、見ていて非常に安っぽく思えてきます。
別に夜景が嫌いなわけではありません。特に好きな、神戸の夜景は何度も見に行きました。30年近く前に見た函館の夜景も覚えていますし、また行きたいと思っています。
しかし、それらの夜景を美しいと思うのは、人々の日常生活によって生じる光と、その向こうにある暗い海の対比ゆえだからです。
見栄えを良くするために意識して作られた電飾には夜景の美しさを感じることができません。
そういうわけで、この一ヶ月の夜は、ちょっと楽しくない時間帯になっています。
2019年11月29日
22年ぶりに水炊きを作る
相方の体調が万全でないので、夕食の水炊きを作りました。
我が家では結婚して以来、料理を作るのは相方で、洗い物をするのは自分という家事分担ルールがあります。
そういう事もあり、二人でいるときとしてはかなり久しぶりに料理担当になりました。
もっとも、鍋に水を張って、そこに鶏肉とぶつ切り状態で売られた白菜を入れ、煮立ってきたら豆腐とうどんを入れただけなので、「料理した」というのはおこがましいのですが…。
実は、22年前の今頃、しょっちゅう、この水炊きを作っていました。
当時、翌年1月の結婚を控え、アパートの契約の都合もあり、ひとまず先に自分がここに引っ越し、「一人暮らし」をしていました。
必然的に料理をする機会が生じたのですが、楽な上に好物である水炊きを3日に一度くらいの割合で作ったものでした。
そんな昔の事を思い出しながら、久々に自ら作った水炊きを楽しみました。
2019年11月28日
久々の「普通の休日」
今日は休みでした。
昼過ぎに相方が食事し、そのあとにスーパーで買物をした以外は、家でのんびりと過ごしました。
定期的に休みは取っていますが、先週の休みは相方の入院・手術で、その前の週の休みはその準備に費やしており、肉体的にはともかく、精神的には休めたという感じではありませんでした。
それだけに、今日はかなり久しぶりに休めた、という気分になることができました。
まだ、相方は、体力も戻らず、手術の傷もときおり痛むようです。
とはいえ、今日は、ほぼ普通に過ごしていました。
何度も書きますが、当たり前だと思っている光景が実は貴重なものである、という事をしみじみ味わった「久々の休日」となりました。
2019年11月27日
退院
相方の翔みならが退院しました。
手術はちょっと時間がかかりましたが、その後は、極めて順調だったとのことでした。
というわけで、一週間ぶりに自宅で相方と過ごすことができました。
22年近く、当たり前に過ごしていたわけですが、それが貴重なものである、という事を強く感じさせられました。
帰る途中に、幕張スイーツファクトリーで昼食を食べました。
この店の本店は幕張本郷にあり、我々が幕張本郷に住み始めた直後に開業しています。
長年、愛用しているので、社長さんとも顔なじみになっています。
来店したら、社長さんに声をかけられ、相方が退院した快気祝いだと言ったら、食前のコーヒーをサービスしてくれました。
今回の入院においては、家族をはじめ、色々な方に心配や励ましをいただきました。改めて、我々が多くの人に支えていただいているのだ、という事をしみじみ感じることができました。
まだまだ万全とはいえませんが、一日でも早く、元の生活に戻れるよう、頑張っていきたいと思っています。
2019年11月25日
血圧
今日は健康診断を受けました。
問診で、「血圧が高い」と言われました。
これまで何度も血圧を測っていますが、こんな事を言われたのは初めてです。
これまで一切指摘をされていなかったので、血圧の標準値すら知りませんでした。
調べて見たところ、標準値をちょっと上回った程度です。とは言え、血圧が上がったことは間違いない事実です。
というわけで、今後は、塩分を少し控えねば、と心に決めまいsた。
2019年11月22日
長い待ち時間
昨日の補足みたいな話です。
朝8時過ぎに相方が手術室に入ったあと、こちらはずっと待合室兼患者食堂みたいな所で待つ必要があります。
何か予想外の事が生じた時、家族の意向を確認することになるためです。
途中、昼食を買いに行ったときだけは、そこを離れました。そのときは、ナースステーションに携帯番号を預けました。
それ以外は、そこに座りっぱなしなわけです。
他の患者家族とも同室になるわけですが、中には、辛い結果になり、涙している方々もいました。
それを見たときは、相方も同じようになるのでは、という不安がよぎったものでした。
しかも、他の患者家族には声がかかるのですが、自分には7時間経っても声がかからないわけです。
かなり不安で落ち着かない、かつ座りっぱなしで下半身が辛い時間を延々と過ごしました。
一度、先生に手術の結果報告を教えてもらうために呼び出されたのですが、その時点では相方には会えません。
それから30分以上経ち、まだ意識は戻らないものの、ベッドに寝ている相方を見たときの喜びはかなりのものがありました。
今振り返っても、長い一日だったと思います。
その疲れもかなりなもので、今日はずっと倦怠感と闘っていました。
というわけで、今日は早寝します。
2019年11月21日
手術無事終了
昨日書いた、相方の翔みならが手術を受けた件ですが、本日、無事に終了しました。
朝8時過ぎに手術室に入り、出てきたのは16時過ぎ、という長時間でした。お医者さんの話によると、いくつか想定外の事もあったそうですが、最終的には手術成功、との事でした。
病院で8時間以上待ったわけですが、途中、不安に思うこともありました。それだけに、意識が戻った相方と会話できたときは、心底安心しました。
まだまだ退院まで時間がかかりますが、全快する日は遠くなさそうです。
大切な人が元気に生きている、という一見当たり前のような事が、実はかけがえのない貴重な物だ、という事を強く再認識した一日となりました。
2019年11月20日
入院と手術
相方の翔みならが入院しました。明日、手術を受けます。
入院も手術も、かなり前から予定されていた事なので、驚きはありません。
また、お医者さんの説明を聞く限りは、症状も初期で、成功率も高く、この手術で全快するとのことです。
とはいえ、無事終わるまで、安心できない、というのが率直な本音です。
もっとも、自分にできることは、見守るだけです。
無事に手術が終わり、元気になった相方をねぎらう事を、今から楽しみにしています。
2019年11月19日
「頑張りにかかる」ようではダメ
指導者から、「成功するかどうかは、皆さんの頑張りにかかっている」という言葉が発せられる事が多々あります。
しかしながら、このような言葉が発せられて、実際に成功した、という事例を、少なくとも自分は経験した事がありません。
本来、物事をうまく進めるためには、事前にきちんと準備して、成功させる手立てを取る必要があります。
それをしっかりやっていれば、あとは、それぞれがやるべき事をきちんとやれば、成功することができるわけです。
もちろん、結果的には、事前の準備に問題があっても「頑張り」によって成功した、という事例はあるでしょう。
しかし、それは僥倖によるものであり、それを前提にしていいものではありません。
そういうこともあり、「皆さんの頑張りにかかっている」という言葉を聞くと、それだけで成功が遠のいたと感じてしまいます。
2019年11月18日
どうでもいいニュースを大事件のように流すテレビ
仕事で使っている自動車のランプが切れたので、修理に行きました。
修理中、待合室にいると、TVの音が聞こえてきました。
そこでは、先日、薬物問題で逮捕された芸能人について延々と流していました。
逮捕前にどこかの店に友達と遊びに行った、などという事を、大事件であるかのように「報道」していました。
はっきり言いますが、こんなもの、報道する価値など何一つありません。
だいたい、逮捕された人が裁判の結果無罪だったらどうするのでしょうか。仮に容疑が事実だとしても、有名人が薬物中毒になっていた、というだけの話です。
逮捕前のプライベートな行動など報じる必要も意味も何一つありません。
一方で、我々の生活に関することで、もっと詳しく報じるべきことは山程あるのですが…。
あまりの酷さに呆れて、音量を絞りました。しかしながら、待合室にいる他の人からは何の反応もありませんでした。皆、その程度の関心でしかないわけです。
改めて、今の商業マスコミの酷さに呆れました。同時に、それに価値を感じない人が増えているのかも、と少し希望が持てました。
2019年11月17日
冷麺とサラダ冷麺
津田沼パルコにある韓国料理屋さんに久しぶりに行きました。
ここの冷麺とトウモロコシ茶は美味しいので、その再会を楽しみにしていました。
一方、相方は、より健康的と思って「サラダ冷麺」を注文していました。
普通に考えれば、冷麺の上に、野菜サラダが乗っているあっさりした料理だと想定するものです。
ところが、なぜかその「サラダ冷麺」は油がふんだんに使われており、相方は胃もたれしてしまいました。
「サラダ」という概念にも微妙な違いがあるのだな、と思いました。
自分が食べた冷麺は普通に美味しかったのですが、トッピングの白菜キムチがなくなっていました。
これもやはり増税の影響なのだろうか、などと思い、相方の件も含め、ちょっと寂しさを感じたランチになってしまいました。
2019年11月15日
思い出の場所にマイナスイメージが
都内で働いていた頃、桜の季節に新宿御苑に花見に行くのは、年に一度の楽しみでした。
枝ぶりがいいソメイヨシノが、地表すれすれまで枝を伸ばし、その枝に咲く満開の桜は本当に美しいと思ったものでした。
また、同じく仕事の関係でホテルニューオータニに出入りしていた事もありました。
従業員用休憩室が広かった事をよく覚えています。社食で昼食後、その広い休憩室で横になって寝るのは、昼食後の昼寝を好む身として、大変ありがたいものでした。
その2つの場所が、連日、ニュースで取り上げられています。
もちろん、新宿御苑の桜も、ホテルニューオータニも何一つ悪くはありません。
にも関わらず、それらを利用して極めて不適切な事をやった連中のおかげで、この2つに、マイナスの印象が持たれてしまっているのは本当に残念です。
早く問題が解決し、不適切な税金の使い方をしたり、公職選挙法に抵触するような事をした輩にそれ相応の報いが下ることを願っています。
それらが片付いて春を迎えたら、久々に新宿御苑で花見をしたり、ニューオータニに行ってみようかなどと思っています。
2019年11月12日
懐かしの道
以前は休日に、相方と二人で歩いて津田沼に行くのが定番でした。
しかし、約4年前に千葉市の職場で働くようになってからは、津田沼に行く回数が激減しました。
たまに行くときも電車となり、歩いて行くことはなくなりました。
その、津田沼へ向かう道を久しぶりに自転車で通りました。
ちょっとわかりにくい道なのですが、間違えなく行くことができ、「やはりしばらく使わなくても、かつてよく使ったから体が覚えているんだな」と思ったりもしました。
しかしながら、途中に階段があった事をすっかり忘れていました。
仕方がないので、自転車を抱えて、階段を降りました。
その時は、前言(?)撤回で「やはり使わないと忘れるものだな」と思いました。
いずれにせよ、久々に通った道には懐かしさを感じました。
また、相方と散歩に行きたいものだと思いました。
2019年11月11日
千葉県知事たたき
テレビ番組は週に1時間しか見ないのであまりテレビに詳しくはないのですが、なんでも、いま、各局は森田健作千葉県知事を懸命に叩いているそうです。
森田千葉県知事を批判することについて何ら反対する気は起きません。
何しろ、財政力は全国トップクラスなのに、福祉・社会保障は全国ボトムクラスです。
今回叩かれているのは、一連の台風に対する対応が酷すぎた件のようですが、これまでやってきた県政から考えれば、必然とも言える行動です。
ただ、叩くのは森田県知事だけでいいのでしょうか。
9月に15号が来た時、事前に既に桁違いという情報はありました。
にも関わらず、中央政府は内閣改造を行い、マスコミもそれを大々的に報じました。
そちらのほうは、叩けない事情があるのでしょうか。
もちろん、災害に対して極めて不適切な行動をとった森田健作千葉県知事はもっと批判すべきです。しかしながら、同様に、不適切な対応を取った首相をはじめとする他の政治家も叩かねば、不公平だと思うのですが…。
逆に言えば、そのような報道ができない限り、森田知事をスケープゴートにして、問題の本質を覆い隠しているのでは、と疑わざるをえません。
2019年11月10日
専門家と嘘
専門知識を持っている人が、その分野で嘘をつく、という事例を少なからず見ます。
当たり前ですが、聞く人は専門家として信用しているわけですから、簡単に騙されてしまいます。
それだけに、専門家が専門分野で嘘をつくのは、悪質なわけです。
しかしながら、そのような悪質な嘘をついても、その「専門家」の地位が保たれる、というのが、今では普通になっています。
その結果、さらに多くの人が騙されてしまうわけです。
本来なら、専門分野で嘘をついた時点で、二度と表に出られない、くらいの処置が必要なはずなのですが…。
そういう当たり前の事が当たり前にできないのが、今の世の中です。
一日でも早く、正常な状態に戻さねば、と思っています。
2019年11月09日
社説
新聞には必ず「社説」というコーナーがあります。
その題名を見れば、新聞社としての考えや方針を表明している記事だと思うのが普通でしょう。
確かに、読売や日経などは、社説と記事が連動しています。読売は自公政権に忠実な社の姿勢を、日経は経団連に忠実な姿勢を、社説に書いています。
そして、記事にもその姿勢が反映されています。
それに対してズレがあるのが、朝日と毎日です。
社説ではちょくちょく現政権に批判的な事を書きます。
しかし、その新聞社としての考えは、記事には反映されません。
国会で重大な疑惑が指摘されたり、首相などが問題を起こしても、その異常さを批判せず、逆に野党の指摘に問題があるかのような記事を堂々と掲載します。
社説と記事に整合性がない、というのは組織としてどうなのか、と思います。
おそらくは、普通の読者は読みとばす社説で批判的なポーズを取りながら、多くの人が読む記事や見出しでは権力に媚びへつらっている、という事なのでしょう。
後にその報道姿勢を指摘された時の免罪符になると思っているのでしょうか。
姑息さに呆れると同時に、「社説」の価値を落として平然としている姿勢に惨めさを感じさせられました。
2019年11月06日
疲れによる錯覚
夕食用として、そばをゆで、レタスのサラダをボウルにあけていました。
そこから、水の切れたレタスを皿に移そうとしたのですが、やけに皿が大きくて、不思議に思いました。
よくよく見たら、そばを入れるざるに、レタスを入れようとしていました。
他にも、ちょっと集中力が抜けると、奇妙な事をしてしまう事が少なからずあります。
まあ、公私とも色々と忙しいことが多いので、ついつい集中力が削がれてしまうのでしょう。
2019年11月04日
記述式と採点
自分が子供の頃、よく「学校のテストはマークシートなどの選択式ばかりだ。記述式でないと本当の学力は分からない」みたいな言説が流れていました。
確かに、仮に4択の選択式だと、問題の意味がぜんぜんわからなくても、当てずっぽうに選択すれば1/4の確率で正解となります。
それもあって、「選択式でなく記述式でテストをすべき」というその言説を真に受けていた時期もありました。
しかしながら、一定以上の年齢に達したときに、「選択式と記述式における採点の手間と採点者に必要な能力」について思いを寄せるようになり、大量の人が受ける試験で選択式になるのは当然、という理解に達することができました。
今回の入試騒動を見ていると、一部の偉い人は、「採点者の手間」に気づかないまま、大人になってしまったのでは、などと思ってしまいました。
もちろん、それだけではなく、利権などもあるのでしょうが…。
いずれにせよ、早くまともな形で解決してほしいものです。
2019年11月03日
筋肉痛が引くまで一週間
週の頭に、ちょっと頑張って体を動かしました。
すると、2日後あたりから腰痛と足首痛が襲ってきました。
日常生活に影響を及ぼすほどではありませんでしたが、なかなか痛みが引いてくれませんでした。
やはり、50すぎると、筋肉痛の治りも遅くなるようです。
平均年齢が高い職場なので、この年でも相対的には「若年層」となり、ついつい力仕事を引き受けてしまいます。
しかし、いくら気が若くても体は正直だな、と思いました。
今後は、もう少し実年齢を意識せねば、痛感した次第です。
2019年11月02日
10代将軍徳川家治
ちょっとした必要があり、徳川家治のことを調べてみました。
すると、自分と同じ誕生日で、趣味の将棋をかなり熱心にやっていた、などという共通点もありました。
そして、彼が50歳の8月に亡くなった、という事も知りました。
自分も今、50歳なだけに、より他人事とは思えませんでした。
意外なところから歴史上の人物に親近感を持つこともあるのだな、とちょっと不思議な気分になりました。
2019年11月01日
11月になったものの…
今日から11月になりました。
しかしながら、昼下がりに、車の乗ったら、車内が日光で熱せられており、クーラーをつけて運転する事になりました。
そして、仕事を終えて帰宅したら、南向きの我が家も日光で熱せられていたためか、ベランダの窓は全開になっていました。
晩秋になったとは思えない暑さを感じた日となりました。
毎度のことですが、温暖化を感じさせられた11月初日となりました。
2019年10月31日
懐かしい問い合わせ
6年ほど前に知り合い、色々とお世話になっている新聞記者の方から、電話が入りました。
用件は、新聞に掲載した詰将棋の回答について、読者から質問が来たが、どう説明していいかわからない、というものでした。
話を聞いて、早速その詰将棋を並べてみたのですが、質問した方が疑問に思ったのはもっともだ、と思いました。
詰将棋の仕組みに触れてもほとんどの人はわからないので省略しますが、質問した方は、「詰将棋の専門知識がある人にとっては共通認識のルールだが、普通に将棋を楽しむ人だとまずわからないルール」を知らなかったため、疑問にさいなまれてしまいました。
もちろん、知らないから悪いわけではありません。知らないのが普通です。
むしろ問題なのは、そのような詰将棋を一般向けの新聞に掲載する出題者にあるのでは、と思いました。
いずれにせよ、久しぶりに、仕事で将棋に関する説明をする機会を得ることができました。
ちなみに14年ほど前まで勤務していた職場は、将棋との関わりが深いところでした。
そして当時の自分はそこにおいて「職場で一番将棋にくわしい人」でした。将棋関係の面倒な質問がくると、自分に電話がまわってきたものでした。
今回も、記者の方は、「困った質問だな。そういえば、知り合いに将棋に詳しいのがいたっけ」という感じで自分に電話してきたわけです。
それを思い、14年前までやっていた質問対応の事をちょっと懐かしく思い出したりもしました。
いずれにせよ、困ったときに頼ってもらえるのは嬉しいことですね。
2019年10月30日
新たな事を始めるための必須条件
世の中には、常に新たな企画が登場します。
企画が登場すれば、それを実行しよう、と皆は考えます。
しかし、単に今やっている業務にその新たな企画を追加すれば、間違いなくオーバーワークになってしまいます。
その結果、新たな企画が仮にうまくいっても、現場が疲弊してしまい、最終的にはマイナスになってしまいます。
自分もこれまで、色々と新たな企画を立ち上げてきましたが、その前提にあるのは、「既存の業務を効率化して時間を作り、空いた時間を新たな業務に充当する」でした。
しかしながら、世の中を見ると、この前提がなく、無理やり新たな事を現場に押し付けるという事例が多々見られます。
それを改めない限り、せっかくの新たな企画も「百害あって一利なし」の結果に終わってしまうのでは、と強く思っています。
2019年10月28日
辛さの記憶
過去の辛かった記憶というのは色々とあります。
ただ、不思議な事に、その時に辛かった事は記憶しているのですが、その辛かった時の自分の心理状態は正確に思い出せません。
これについての科学的知見はないのですが、過去の嫌な思い出でストレスを感じないように、脳が記憶から感情を除去しているのだろうか、などと勝手に想像しています。
もちろん、その辛い心境をいつまでも引きずるのは良くないので、この機能には色々と助けられています。ただ同時に、過去の自分がどう感じたかを正しく再生できない、というのには、ちょっと困る事もあります。
難しいものですね。
2019年10月27日
フリーマーケット
人生初のフリーマーケット出店をしました。まあ、自分は設営と撤収の手伝いなので、実際に販売活動を行ったのは1時間も満たなかったのですが…。
短い間でしたが、色々な人間模様を見ることができました。
そこそこ人生を重ねている人から、50円単位の値引きを執拗に粘られた時は、改めて、年金削減などで、生活が苦しくなっている人が増えているのだな、と思ったりしました。
あと、知り合いに勧められて買ってみたものの、好きになれずに出品した漫画を、大喜びして買ってくれた中学生ぐらいの方がいました。
その漫画を買った時は「失敗した」と思ったものですが、その喜びぶりを見たときは、ちょっと元が取れたような気分になりました。
次があったら、もっと長時間参加したいものだ、などと思ったりもしました。
2019年10月22日
ゆうゆう窓口
郵便局から荷物を送る予定を立てていました。
ところが、今日になって、実は「休日」だった、ということに気づきました。
ただ、職場の最寄りにある郵便局は、土日も営業しています。
そこで、とりあえずサイトを見ることにしました。すると、郵便窓口は「お取り扱いできません」となっている一方で、「ゆうゆう窓口」は営業している、と書かれていました。
しかしながら、その「ゆうゆう窓口」が何を取り扱っているのかわかりません。局のサイトにも案内がありません。仕方がないので、「ゆうゆう窓口」でネット検索したのですが、どんなサービスをやっているか、についての情報は、公式サイトにもありませんでした。
仕方ないので、直接郵便局に電話をかけ、荷物が送れることをやっと確認することができました。
「休日」も営業してくれたので助かりましたが、それとは別に「ゆうゆう窓口」の定義くらい、サイトに載せておけばいいのに、と思いました。
2019年10月19日
「頑張りが足りない」という考え方
物事がうまくいかないときに、「頑張りが足りないからだ。もっと頑張ればうまくいく」と主張する人がいます。
しかし、この指摘は間違っていると思っています。
たとえば、普通なら一人で持てないほど重いものを運ぶ時、全力を振り絞って頑張れば持てる、という事はあります。しかしながら、その「頑張り」には、腰などを痛めたり、物を足に落とすなどのリスクが生じるわけです。
したがって、この場面で必要なのは「頑張り」でなく、二人以上で運搬するとか、機械を用いて運ぶ、なのです。
物事をうまくいかせるには、無理せずに行う方法を考えるのが正しい道です。それを考えずに、「頑張ればできる」というのでは、一度くらいは成功するかもしれませんが、ほとんどは失敗する上に、「頑張った人」に多大なリスクが生じると思っています。
2019年10月18日
初めて大学病院に行く
相方の付添で大学病院に行きました。
かなり新しい建物で、真ん中のところは、3階まで吹き抜けになっていました。
電子化が進んでおり、診察室の入り口をはじめ、各所にモニタが設置され、さまざまな情報を表示していました。
ちなみに、本日の予約者は2,300人以上いたとのことでした。
それだけ最新技術が駆使されていたのですが、そのモニタや掲示されている紙には、無料素材のイラストが多用されていました。
立派な建物や電子機器を揃えたぶん、告知用のコンテンツに使える予算が削られている、という事でしょうか。
また、面談したお医者さんからも、かなり率直に、経営的な苦しさを話されました。
大学病院でこれなのですから、普通の病院はもっと大変なのでしょう。
もちろん、一番心配なのは相方の病状ですが、それに次いで、日本医療の先行きも心配になりました。
2019年10月17日
善意と責任者
先日の台風がらみで、ちょっと面倒な仕事が入りました。
そこで、現場に入ったのですが、自分が到着した時は、既に二人の人が作業をしていました。
一人は、本来来るべき時間より早く来ており、もう一人に至っては、本来、作業する義務がない人です。
にも関わらず、面倒な仕事である事を意識して、こうやって来てくださったわけです。
しかしながら、結果的には、それによって、別の不具合が発生してしまいました。
理由は、その業務の責任者である自分が指示・管理する前に行った作業に間違いがあったためです。
とはいえ、その二人を批判する気は毛頭生じませんでした。なにしろ、いずれも良かれと思ってやってくださったからです。
もし、自分がその二人と同じ考えで、もう少し早く来ていたら、最高の結果になっていただけに悔やまれます。
改めて、いくら善意で頑張ってくれる人がいくらいても、責任者がしっかり動かないと、いい結果が出ない、という事を身を以て理解することができました。
2019年10月15日
災害デマ
年に数回の大水害がすっかり当たり前になった日本ですが、水害のたびにネットに流されるデマがあります。
それは、「民主党政権のときに、『スーパー堤防』を事業仕分けで中止したため、今回の水害は防げなかった」というものです。
この言説には何重ものデマが絡まっているのですが、とりあえず、一番明らかな事は、「スーパー堤防とは洪水を劇的に防ぐものではない」という事です。
仮に「スーパー堤防」が完成していたとしても、今回の水害の軽減にはなりませんでした。
ついでに、「スーパー堤防」の完成見込みを調べてみると、さらに興味深い事実がつかめます。お時間のある方は調べてみてください。
もう一つ、今回の19号で流れたデマとして、「群馬の八ッ場ダムが直前に完成したので、利根川は決壊しなかった。八ッ場ダムには大きな効果があった」というものです。
これも事実ではありません。だいたい、日本一流域面積の広い利根川の決壊を、支流のダム一つで防げるわけがありません。
詳しくはこちらのサイトをご参照願います。
なお、ネットでは、「八ツ橋ダム」という用語で、この「八ッ場ダム必要論」を投稿している人が多数いるそうです。
ネットにせよ、商業マスコミにせよ、このたぐいのデマが平然と流れるのがいまの世の中です。
もっともらしい言説をすぐに信じないことが、より重要になっているな、と思っています。
2019年10月13日
台風一過
ここ数日、台風の事ばかり書いていました。
結果的には、昨日書いた、短時間の停電を除けば、我が家の被害は何もありませんでした。
もっとも、隣の市原市で自分と同年齢の方が犠牲になったのをはじめ、現時点で判明しているだけでも、19人の方が亡くなられたわけです。
また、報道的には関東を通り過ぎて一安心、という雰囲気がありました。しかしながら、東北でも、大変な状況になっています。
改めて、地球温暖化に伴う自然災害の激烈化と、それに対応しきれていない現状を痛感させられました。
2019年10月12日
停電と大行列
朝、30分ほど停電がありました。幸い、すぐに復旧しましたが、その間、水も止まっていました。
おそらく、電力で水を汲み上げる仕組みなのでしょう。
短時間ながら、色々と苦労しました。改めて、「問題なく電気が使える」ことの貴重さを痛感しました。
その後、スーパーに行きました。レジには桁違いの大行列ができており、副店長さんまで出てきてレジ打ちしていました。
結局、30分近く「レジ待ち」する羽目になりました。
続いて、ガソリンスタンドに行ったのですが、こちらも車が行列になっていました。
昨日、スタンドが閉まっていた事もあり、ガス欠寸前、という状況でした。もし、自分の番になる前に、売り切れになったら…。とかなり不安になりましたが、何とか入れる事ができました。
というわけで、台風が本格的に来るのは夜だというのに、午前中から台風対応でてんやわんやになりました。
まあ、この程度で済めば、幸運というべきでしょう。
何とか、無事に通り過ぎることを願っています。
2019年10月11日
窓を目張りする
我が家の海側に麺した部分は、ベランダに出入りするガラスがあり、その上に天窓があります。
ベランダに出入りする部分には雨戸がありますが、天窓にはありません。
今回、台風に備え、その天窓をダンボールとガムテープで目張りしました。
半世紀生きてきましたが、窓の目張りをするなど、初めての事です。
それだけ、今回の台風情報の恐怖感は半端ではありません。
これ以上できることはもうないのですが、とりあえず、人事は尽くしました。この目張りが結果的に無意味になることを願っています。
2019年10月10日
台風に備える
先月の台風15号の時は、雨戸を閉めるくらいの対策しか取らず、また、幸運にも何一つ被害はありませんでした。
しかしながら、今週末に来る台風19号は、それ以上の規模と強さと言うことです。そこで、我が家も、物干しを補強したり、保存食を買い込むなど、「台風対策」を行いました。
この家に住むようになって、今月でちょうど22年になりますが、こんな事は初めてです。
もちろん、直接の被害はなかったとはいえ、あの台風15号がもたらした惨状にショックを受けた、というのもあります。
というわけで、とりあえず「備え」はしました。もっとも、だからといって「憂いなし」にはならないのが、困ったものです。
2019年10月09日
「英語を話す能力」とは?
海外在住経験のミュージシャンが、「日本でまじめに6年、9年間英語の授業を受けてもほとんどの人が英語を話せない。そんなの普通に考えておかしい。」とツイッターに投稿していました。
自分的には、英語はまだマシなほうで、数学や理科だとはっきり言って、高校必修レベルの知識すら持っていません。ただ、それがおかしいとは思っていません。何しろ、使う事がなかったからです。
一方で、コンピュータに関するものは、学校では一切習わなかったにも関わらず、それを10年以上仕事にしていました。
ちなみに、自分の英語ですが、大学受験をピークに、あとは下がり続ける一方でした。
とはいえ、大学卒業してから4年半後に、オーストラリアで公共交通機関の終電を逃した時は、英語でタクシー会社に電話をし、今いる場所を伝え、無事に宿に帰る事ができました。
また、最近になって、英語のニュースをちょくちょく読むのですが、文法とか構文を学校や受験で勉強したおかげで、単語の意味を調べつつ、何とか意味を理解することができます。
それもあって、冒頭で紹介したミュージシャン氏のツイートは、ちょっと本質からずれているのでは、と思わざるを得ませんでした。
2019年10月06日
文字通り一山こえる
先月下旬から、非常に忙しかったのですが、その忙しさの何割かを占めていた仕事が何とか片付きました。
この仕事の厄介なところは、本来、長年、自分が非常に得意としている分野だ、という事です。
ならば簡単に解決するだろう、と普通の人は思うでしょう。
しかしながら、その仕事には、いろいろなしがらみがあり、それゆえに、自分の経験が活かせない、という問題があります。
それゆえに、もどかしさが生じ、動きがぎこちなくなる、という事が悩みのタネでした。
しかしながら、今回は、失敗してしまった事もふくめ、その、しがらみに悩まされた部分もかなり、理解できたように感じました。
やっと、「自分のもの」にできた、という感じです。
というわけで、かなり疲れましたが、来年に向けて、いい感触を持つことができました。
2019年10月05日
10月で真夏日
今日の気温は30度を越えました。定義では「真夏日」にあたります。
もちろん、10月上旬でも暑さを感じる日は、昔もありました。
とはいえ、「真夏日」を記録するというのは記憶にありません。
改めて、年を追うごとに、温暖化が深刻になっている事を実感させられた一日になりました。
2019年10月04日
目一杯働く
今の仕事は月末月初が一番多忙になります。それに加えて、年に一度入ってくる仕事と、突発的に生じたトラブルに伴う仕事が重なり、極めて多忙な一週間を過ごしました。
それだけ忙しいと、本当に物を考えることができなくなります。ただ、目先の業務をこなしていくだけ、という感じになってしまっています。
まあ、数年に一度の忙しさだと割り切ることにしました。とりあえず、日曜を過ぎれば一段落しますので、それが終わったら、休養を取って、色々と考え事をしていこうと思っています。
2019年10月03日
都内運転デビュー
仕事の都合で、御徒町まで車を運転しました。免許を取ってそろそろ4年めになりますが、千葉県外を運転したのは初めてです。
京葉道路から首都高に入り、錦糸町で降りました。
そこから、御徒町まで行くのに、えらく苦労しました。右折レーンに入りそこねて、秋葉原から反対方向の神田に行ってしまったりもしました。
また、離合や車線変更なども、千葉とはちょっと違うこともあり、非常に神経を使いました。
用事をすませ、再び首都高から京葉道路に入り、「ここから千葉県」という表示を見た時は、安堵感がありました。
今月で、千葉市在住22年めとなります。しかしながら、まだまだ東京に住んでいた期間のほうが5年ほど長いというのが自分の経歴です。
さらに、千葉に住んでから14年半は、東京で働く「千葉都民」でした。
そういう事もあり、いまでも東京に行くと、「出かける」というよりは「戻ってきた」という気分になります。
しかし、今日は、慣れない東京での運転に苦心し、千葉に戻った時に安心したわけです。このような気分になったのは初めての事でした。
それも含め、色々と貴重な経験ができた一日となりました。
2019年09月30日
身を持って値上げを実感
今回の消費税増税に伴い、政府は、10月になってからの消費大幅減を防ぐためと称して、事前に値上げすることを奨励しました。
実際、毎月、さまざまなものが値上げされたり、値段は同じだけれど量が減る、などという事が起きています。
そして、実際に家計を見ていると、明らかに出費が増えています。
増税前でこれなのですから、明日からはさらに物価が上がるわけです。
これでは、お金を使うことを控えざるを得ません。
もちろん、これは我が家だけの話ではないわけです。
そうやって皆が消費を控えれば、経済がどうなるかは火を見るより明らかだと思うのですが…。
様々な愚策を行い続けている今の政権ですが、この消費税10%増税は、その中でも特に酷い悪政として、将来、語り継がれると思っています。
2019年09月29日
「手書き」の価値
最近はさすがに減りましたが、ある時期まで「手書きの文章には誠意が込められている」などという俗説が吹聴されていました。
パソコンで紙に打ち出した文書でも、メールなどで電子的に送付した文書でも、誠意を込める事はいくらでも可能です。
一方で、手書きの文章で大嘘を書き、読み手を騙すことも簡単にできます。
こんな事、ほんの少し考えれば、誰でもわかることです。にもかかわらず、この「手書き=誠意」みたいな戯言が、かなりの期間、流布されていました。
まあ、手書きというものに過剰な価値を見出す人たちによる風説だったのでしょうね。それが自然淘汰されつつある、という現状には好ましいものを感じています・
2019年09月26日
久々に嬉しくなったニュース
13年前に辞めた職場で色々とお世話になった人にいい事がありました。
そのニュースを見た時は、かなり嬉しい気分になりました。
しばらく喜びに浸ったあと、このような嬉しいニュースを見たのはいつ依頼だろうか、と思いました。
実際、今日も、世の中を80年前の暗黒時代に戻すような、ろくでもない事を政府が決定した、というニュースがありました。
残念な話ですが、当分の間は、このような、良くないニュースばかりが続く日々になりそうです。
しかしながら、嫌なニュースに耐え続けようと思う気は毛頭ありません。
このろくでもない世の中を根本から変え、楽しいニュースがそうでないニュースを上回るような生活を送れるよう、自分なりに頑張っていきたいと思っています。
2019年09月25日
マウンティングの典型例
国連で、16歳の環境活動家のグレタ=トゥンベリさんが、現在起きている環境破壊を非常にわかりやすく批判する演説を行いました。
日本の各メディアもトップニュースで扱っていました。おそらく、世界各国でも各メディアが大第的に取り上げた事でしょう。
当たり前のことですが、このように世界的な影響力を持つことなど、普通の人間にはできません。天才的な活動家であることは明らかです。
ところが、ネットでは、彼女が16歳である、というだけのことで、「年上の自分のほうが、世の中の事を解っている」という趣旨で彼女を見下す投稿が大量に発信されています。
当然ながらこの人達は、国連で演説して、内外のメディアにトップで取り上げられた経験などありませんし、今後もほぼ100%、そのような可能性はありません。
にも関わらず、「年上」というだけで彼女にマウンティングして、偉そうに「説教」をしているわけです。
「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」の典型例、ともいうべき、醜態を見させられました。
2019年09月24日
囲碁のテレビ中継
昨日の話ですが、囲碁のテレビ中継を見ました。
囲碁については、自称33級という腕前です。相方に至ってはほとんど打った事すらありません。
しかしながら、画面を見ていると、かなり楽しめました。
こういうご時世らしく、プロ棋士たちは、AIを使って解説しています。そして、AIは現在の形成を「黒23、白77」という感じで表示をします。
さらに、次の手も予想し、ここに打ったら「黒20、白80になる」と表示します。
もちろん、我々は囲碁の形勢判断などできません。しかし、それを見ながら、「お、AIの予想通り打った」などと楽しめるわけです。
途中まで、白が良かったのですが、ミスがあって、AIが「ここに打てば逆転」という場所に黒が打ちます。その直後、白番の棋士が、「失敗した・・・」という動作をした、というのが面白いと思いました。
将棋にも言えることですが、AIがプロより上にいった事で、解説や観戦のやりかたも変わったのだな、と思いました。
また、たまには囲碁中継も見てみようか、と思いました。
2019年09月20日
予測と願望
未来の事を想定するのは当然ながら難しいことです。
当然ながら、普通の人は「こうなったらいい」という未来を想定し、それにあわせて実現計画を立てます。
ただ、その際に「こうなったらいい」という願望が強すぎると、ついつい現実とかけ離れた計画を立ててしまいがちです。
もちろん、現実に縛られては、希望の持てる未来は描けません。とはいえ、あまりにも現実離れをしてしまっては、誰も実現性を認めてくれず、相手にしてもらえなくなります。
この「予測」と「願望」の線引は難しいものではあります。とはいえ、常に未来の計画を立てるときには、それが「願望」になっていないか、注意深く確認する必要があります。
2019年09月19日
電話対応の劣化
普段使わないメガバンクATMでお金をおろす必要が生じました。
車でいくつもりだったのですが、銀行には駐車場がなく、提携駐車場を利用するという形になっています。
そこで、ATMを使うだけで提携駐車場が無料になるのかどうかを確認することにし、銀行のサイトにあった地元の市外局番から始まる番号にかけました。
ところが、つながったのは、銀行の事務所でなく、コールセンターでした。
まず、すっかりお馴染みになった、「問い合わせ内容にあわせた番号をダイヤルしてください」という自動音声が流れてきました。
そして、延々と、「○○という用事でしたら1番を…という案内を聞かされ、やっと自分の目的にあった「用事」が出てきたので、番号を押しました。
そして、出てきたオペレーターの方に用件を話しました。すると、オペレーターの方は、筆者が行こうとした支店に電話をし、数分後に「ATM利用だけでも駐車券がもらえる」という回答をしてくれました。
以前だったら、店舗の番号にかけたら、そこで働いている方が応対していた事でしょう。そして、筆者の問い合わせ内容には、即座に回答し、架電時間は1分以内ですんでいたでしょう。
しかし、銀行が事務職をリストラして電話応対をコールセンター化したため、こんなに余計な時間を取られてしまったわけです。
かつてなら1分以内ですんだ事に、5分近く時間がかかる、というのが日本三大銀行でおきている、という事にちょっと驚きました。
同時に、人件費削減という目先の利益のために、働く人をリストラで苦しめ、利用者に不便を強いる、という事が主流になっている日本企業の将来はかなり暗いのでは、と非常に気になりました。
2019年09月18日
ギブアンドテイクとテイクアンドテイク
昔から、他人の事を手伝ったりサポートしたりするのが好きです。
別に、見返りを期待しているわけではありません。ただ、そうしたいからしているわけです。
ただ、それへの対応は、人それぞれです。ある人は、こちらが手伝うと、その分、なにかこちらも手伝えないか、と全力で対応してくれます。
今日は、そのように日頃から助け合っている人にサポートしてもらったおかげで、突発的なトラブルに対し、万全の対応を取ることができました。本当に感謝です。
一方で、これまでの長い社会人生活では、こちらが頑張ってサポートすると、それが自分の当然の権利であるかのように勘違いし、さらなるサポートを当然のように求めてくる人も少なくありませんでした。
さすがの自分も、こういう人のサポートや手伝いを続ける気はなくなってしまいます。こういう人たちが、なぜ「ギブアンドテイク」という発想がなく、「テイクアンドテイク」という発想になるのか、本当に不思議です。
2019年09月16日
風邪が抜けない
土曜日に快方に向かったと思われた風邪ですが、連休にバタバタしていた結果、ぶりかえしてしまいました。
やはり、風邪をひいた時は安静にしないといけないと、つくづく身にしみました。
少し余裕を作りましたので、その間、しっかり休んで、今度こそ全開させねば、と思っています。
2019年09月14日
早く風邪を治す方法
朝、起きたら喉が痛く、鼻水と痰が出ました。典型的な風邪の症状です。
そこで、布団にもぐりました。まだまだ暑さが残っている時期ですが、冬用布団を出して、そこに入ります。
かなり熱いのですが、しばらくウトウトしていると、体が中から熱くなります。
それこそ、滝のように汗をかくのですが、我慢して布団に潜ります。そして、しばらくすると、汗が引くので、寝間着を取り替えて、汗を拭きます。
これを何回かやっているうちに、喉の痛みはかなり引きました。
詳しい原理はわからないのですが、おそらくは、体内に入った風邪ウイルスに対し、免疫機能のようなものが、対処をするのでしょう。そのために、エネルギーを使い、体が熱くなって汗が出るのだ、と思っています。
そのためにも、休息と一定の暖かさが必要となるわけです。
毎度のことながら「風邪をひいたら暖かくして寝る」という「伝統」がいかに正しいかを実感しました。
同時に、昨今の医薬品メーカーが出している「風邪をひいても出勤しなければならない人向けの薬」がいかに本質的な治癒を妨げているか、という事も痛感させられました。
2019年09月12日
停電が復旧しない
台風から4日経ってやっと、我が職場の人たちの停電・断水は解消されました。
しかしながら、南房総や伊豆諸島など、停電が続いている地域は多々あります。いまだに復興の見込みすら経っていません。
もちろん、送電線の鉄塔が倒れるなどといった、「想定外」の被害だった、というのもあるのでしょう。
しかし、電力会社にしろ、行政にしろ、根本的な要因として、人不足があるのでは、と思っています。
電力会社の話ですと、検針する人すら、偽装請負の「個人事業主」になっているそうです。
また、行政でも非正規化と正職員の長時間労働の話をよく聞きます。自分の大学の後輩にも100時間残業して休職した県庁職員がいました。
そんな状況では、普段ならなんとか回せるのかもしれませんが、このような大事件が起きたら、完全にキャパオーバーになってしまいます。
ここ30年近く、日本は「人減らし合理化」が素晴らしいことと扱われ、どんどん人を減らし、人件費を削っていきました。その結果起きているのが現在の状況だと思っています。
この考え方から脱却しない限り、今後、増え続ける災害に対する回復力はさらに下がっていくこと間違いないでしょう。
2019年09月08日
家事をこなす
相方が風邪でダウンしました。
そこで、普段の洗い物に加え、食事作り・買い物・クリーニング引き取りなど、家事全般をこなしました。
昼食で作ったゆで卵の具合がよく、相方にも褒めてらいました。
これまで、料理は完全に相方まかせでしたが、やはり自分もきちんと出来るようになったほうがいい、強く思いました。
そのためにも、料理のレパートリーを増やさねばなりません。
やはり「好きこそのものの上手なれ」ですので、自分の好物を作れるように研究するのがいいのだろう、と思っています。
2019年09月05日
凡ミス
極めて初歩的なミスをしてしまいました。
しかも、自分がこれまで長年得意としてきた分野が3つくらい重なった業務でのミスです。
我ながら、よくもこんなミスができるものだ、と呆れてしまいました。
まあ、それだけ、公私ともどもえらく疲れている、という事なのでしょう。
ありえないミスをしたのは心底悔しいですが、これも一つの警告と思い、今後の体調管理の指針にしようと思った次第です。
2019年09月02日
ヘイト(差別扇動)にまみれた国
先週、毎日新聞の川柳投稿欄に、韓国ヘイト(差別扇動)を煽ったものが「秀逸」として掲載されました。
さらに、本日発売の週刊ポストは、異常としか言いようのない「韓国ヘイト特集記事」を掲載しました。そして、その広告が、電車の中吊りや大手商業新聞に掲示されたわけです。
政府が煽り、商業マスコミがそれに従って拡大している、ヘイトスピーチが日に日に拡がっています。
世の中がおかしくなっているのは今に始まったことではありませんが、ここ数年、特にその転落ぶりが加速しています。
非常に悲しく思うと同時に、一刻も早くこんな異常な世の中を変えて、「2019年の日本は本当に酷かったけれど、今はかなり良くなった」と言えるような時代を作らねば、と強く思いました。
2019年09月01日
不調なとき
様々な理由で調子が悪くなるときがあります。
そんなときの仕事の進め方は、コンクリートの海を泳いでいるような感じになります。
これまで普通にできた事ができなくなり、えらく時間がかかってしまいます。
ただ、その厳しい状況で諦めずに、コンクリートの海を泳ぎ続けていると、苦労しながら目的地に到達します。
そのとき、不調から抜けることができるわけです。
率直に言って、まだまだ不調な状態から抜け出せていないのですが、この経験をもとに、なんとか、あがきつつ、目的地に到達できれば、と思っています。
2019年08月31日
地図と実地
子どもの頃から地図を見るのが大好きでした。
そして、地図で色々想像して、実際にその場所に行き、「なるほど、あの地図の場所は実際にはこうだったんだな」と感慨にふけったものでした。
趣味でやるぶんには楽しいのですが、仕事でやると楽しさと別の感情が生じます。
今日も、「地図で見ると普通の道だけれど、実は、崖みたいな狭い急坂だった」というところに行きました。近日中にここを自分で運転する必要があり、感慨どころか不安感が生じました。
やはり、趣味でやるのと仕事でやるのでは、同じ事でも全然精神的に違うものだな、とつくづく思いました。
色々と忙しい案件が重なっていますが、余裕ができたら、地図を見てみつけた場所に遊びに行きたいと思っています。
2019年08月30日
11回めの契約更新
奇数年のこの時期になると、アパートの契約更新があります。
ここに住んで今年で22年目になります。そのため、契約更新も11回目になりました。
書類を書くのが面倒だったのですが、今年からついにネット更新ができるようになりました。
当然ではありますが、手続きの手間が全く違います。印鑑や署名などの法律的な問題をクリアするなど、頑張ってくれた管理会社には感謝しています。
というわけで、今回は家賃値下げ交渉をしなかったのにも関わらず、満足感がある契約更新をすることができました。
2019年08月29日
エネルギー源
今月半ばから、気力の低下に苛まれていました。
家の事とか、暑さで体力が低下したこととかが原因だったと思われます。
しかし、先日、不合理な案件が発生し、ちょっと闘わねばならない案件が生じました。
すると、この気力低下がかなり改善されました。
家のことも、気候の悪さも相変わらずですが、一つのモチベーションができたことで、気力が回復したわけです。
自分の存在意義かつ、自分を動かすものが「不合理なものと闘い、正すこと」であることが改めてよくわかりました。
2019年08月28日
FBの不適切広告の法則
フェイスブックに、フェイクニュース系の雑誌広告が出てきました。
早速、「広告を報告」ボタンを押して「フェイクニュース」を選択して送信しました。
すると、それ以来、似たようなインチキ商売系の広告がバンバン表示されるようになりました。
もしかしたら、「広告を報告」したら、似たような広告を表示させて報告させ、スパム広告を利用者にチェックさせる機能でもあるのだろうか、と思いました。
まあ、無料で使っているので文句は言えませんが、鬱陶しいことには変わりはありません。
とりあえず、フェイスブックを視る頻度は減らさねば、と思いました。
2019年08月26日
二週連続で厳しい通告
先週、日頃から大変お世話になっており、かつ、今の仕事においてなくてはならない立場の方から、病院の検査で深刻な結果が出た、と言われました。
それだけでかなりショックを受けたところで、今日は、大切な家族から、同じような結果が出た話を聞きました。
さすがの自分も、少なからぬ精神的ダメージを連続して受けました。まあ、今の時代ですから、大変な結果が出たところで、それを覆せるくらい、対抗技術は進歩しています。
それを信じて、元気に回復できる事を願っています。とはいえ、やはり心配は消すことができませんが…。
2019年08月24日
気温と寝苦しさ
しばらく前まで、かなり寝苦しさを感じていました。
熟睡できないうえに、4時から5時にかけて目がさめてしまいます。
なにか、病気にでもなったのか、と心配していましたが、昨晩はぐっすり眠ることができました。
そして、朝、外に出たら、これまでと違う涼しさを感じました。
どうやら、眠りが良くなかったのは、夜の暑さのせいだったようです。
一安心しましたが、これからまた夜が暑くなった時の対策を練らねば、と思いました。
2019年08月23日
成長は難しいが、劣化は簡単
朝日新聞を読んでいたら、外交関係の記事で政府関係者が「やれるものならやってみろ」と言った、と書かれていました。
えらく程度の低い暴言ですが、別に、記事はその政府関係者を批判しているわけではありません。むしろ、当然の発言であるかのように書いていました。
当たり前でのことですが、公の場で「やれるものならやってみろ」などと言うのは、まともな社会人のやることではありません。ましてや、外交でそんな事を言うのは論外です。
そのような異常な事を、政府関係者が当然のように言い、大手新聞が当然のように記事にするわけです。
関係者も記者も今の地位を得るまで、若い頃はたくさん努力して、自分を高めていたと思われます。
しかし、政府のトップが先導した劣化に迎合した結果、こんなレベルまで堕ちてしまったわけです。
人間が成長するのは大変ですが、劣化するのは簡単にできるものなのだな、と呆れつつ、今後について色々と心配になりました。
2019年08月22日
騙す方も騙されるほうも喜ぶ商売?
今世紀に入ってから、本屋の一角に「崩壊する中国経済」だの「お先真っ暗の韓国経済」だの「中韓の没落と対象的に日本経済が栄える」などという本が積まれるようになりました。
これらの本に書かれた「予言」は何一つ実現していません。しかしながら、「嘘の予想を書くな!」などと出版社や著者にクレームが殺到した、などという話は聞きません。
そして、同じ著者が同じ「予想」の本を出し続けているわけです。という事は、商業的には成功しているのでしょう。
大外れの「予想本」が売れ続ける、というのは奇妙なものです。
まあ、その類の戯言本を読んでいる人は、別にその本を今後の経済を見る指標に使っているわけでなく、自分の持つ中韓への悪意を補強してくれる事が嬉しくて買っているのでしょう。
かなりみっともない「ビジネスモデル」ですが、それが成立してしまう、というのが今の日本の現状なわけです。
一刻もはやく、このようなみっともない商売が廃れる事を願っています。
2019年08月20日
絶対に冷凍餃子を焦がさない方法
ちょくちょく書いてきたように、週に一回、冷凍餃子を料理していました。
一回目は袋に記載されている焼き方を見ただけで焼いて焦がしてしまい、二回目はネットで焼き方を検索したものの、前回よりマシとは言え、やはり焦がしてしまいました。
そこで、今度こそ焦げていない餃子を食べようと、「冷凍餃子 焦がさない」で検索してみました。
焦がさずに焼く方法が色々書いてあったのですが、具体的に実践できるようなものはありませんでした。
そうやって検索し続けているうちに、絶対に焦がさない方法にたどり着きました。
それは、冷凍餃子を水餃子にする解説でした。
確かにこれなら絶対に焦げません。
茹でているうちに油が抜け、淡白になりましたが、焦げるよりはマシです。
というわけで、やっと自分の料理の腕に相応した、餃子の料理法を習得することができました。
2019年08月19日
あおり運転を大報道
今日の日中における民放テレビ欄は、「あおり運転」一色でした。
半年くらい前にも、同じようにマスコミが「あおり運転」で大騒ぎした事がありました。
その時期に、仕事であるところに言ったらたまたまワイドショーがついており、30分間、ひたすら同じような「あおり運転」の詳報を流し続け、心底呆れたことがありました。
確かに問題ですが、はっきり言って、「遭遇した時の対処法」さえわかれば、あとのニュースは一切必要がありません。
だいたい、今、「あおり運転」より重大かつ報道が必要なニュースは山程あるはずです。
にも関わらず、それを流さずに延々と「あおり運転」ばかり流し続けるわけです。
あおり運転に劣るともまさらず、今のマスコミも酷いと思いました。
2019年08月18日
自転車のスタンドが壊れる
愛車・チャーリー号で目的地に着き、スタンドを立てようと足で蹴りました。
すると、バキッという感じで、スタンドが折れてしまいました。
この部分が壊れるというのは初めての経験でした。
もっとも、来月で購入してから丸6年となります。その間、ほぼ毎日、スタンドを蹴っていたわけです。
それだけの負荷があれば、壊れるのも仕方ないな、と思いました。
普段は、スタンドの事を意識して見ることもありません。壊れてはじめて、こんなボロボロに錆びていたんだな、と驚きました。
その後、無事に新たなスタンドがつきました。引き続き、この愛車・チャーリー号にはお世話になります。大切に使い続けたいものです。
2019年08月16日
74回目の敗戦記念日
昨日書くつもりでしたが、睡魔に勝てなかったので、一日遅れた今日書きます。
毎年、この時期になると、「戦争は愚かだ」とか「戦争は虚しい」という言説が流れます。
たしかに、兵隊として駆り出された人や、戦地に住んでいて被害にあった人にとってはそれが真理です。普通の人にとって戦争は百害あって一利ないものです。
しかしながら、全体的な比率からすれば少ないのですが、世の中にはそうでない人も確実に存在します。
実際、74年前に国としての日本は惨敗し、多くの命が失われました。しかしながら、その日本でもその戦争を利用して大儲けした人は存在します。
彼らにとっては、「戦争は儲かるもの」であり、愚かでも虚しくもありません。
そして、そういう人たちがいるからこそ、戦争が始まるのです。
そのような存在を隠して「虚しい」とか「愚か」と言っても説得力はないでしょう。
やはり、戦争というのは、ごく一部の人が幸せになるために、残りの大多数の人を不幸にするもの、というふうに伝える必要があるのでは、と強く思っています。
2019年08月14日
豪雨と熱波のちゃんぽん
朝、9時過ぎにいきなり豪雨になりました。
30分ほど降り続いたと思うと、カラッと雨が上がり、今度は熱波の日差しとなりました。
その後も、何度か、豪雨→熱波→豪雨の繰り返しがありました。
10年くらい前だったら、ありえないような異常気象ですが、もはやすっかりこんなパターンにも慣れてしまいました。
毎度のことですが、気候変動が進んでいる事を実感させられます。
ニュースではパリで40度超えなどというのが話題になっています。これを見たときは驚きましたが、そのうち、こんな情報にも慣れてしまうのかも、などと思いました。
2019年08月11日
引きこもった一日
今日は朝から夜まで、相方と二人して一歩も家を出ませんでした。
昨日のうちに、今日の朝食と昼食の材料を買い込んで、買い物に行かずにすむようにしたのです。
ゆっくり寝たあと、パソコンに向かったり、雑誌を読んだり、テレビを見て過ごしました。
はたから見れば、何もしていないようですが、かなりの懸案をこなせました。
あと、ぼーっと過ごすことにより、頭の中がかなりスッキリしたように思えました。
やはり、休養というのは重要だな、としみじみ思いました。
明日も休みですが、外は暑そうなので、同じような感じで過ごそうと思っています。
2019年08月10日
ビッグサイト南館
昨日ですが、相方の手伝いでコミケに行ってきました。
今回のスペースは、先月完成したばかりの南館でした。
完成直後という事もあり、空調管理なども完璧で、外の猛暑に全然影響されていませんでした。
考えてみれば、既存の東館・西館・会議棟は1996年開業ですから「築23年」になるわけです。
それだけに色々老朽化しているところもあるでしょう。それもあってここ数年は暑さ寒さで苦労することもありました。
それだけに、23年後にできただけあって、そのあたりの欠点を克服しているのだな、などと思ったりもしました。
そういうわけで、入ってからは過ごしやすかったのですが、入るまでは大変でした。
特に、りんかい線の国際展示場駅からだと、かなり長い時間歩かされます。
物理的に仕方ないとは言え、これは何とかならないものか、と延々と歩きながら思いました。
2019年08月06日
生まれて始めて餃子を焼く
自分の大好物の一つに餃子があります。
特に、我が大野家に伝わる、市販と違う独自性のある餃子には目がありません。
いまでも実家に行くと母が作ってくれる餃子や、かつて弟が近所に住んでいたときに遊びに行くと作ってくれた餃子を食べる事ができたのは、自分にとって最大の幸福の一つです。
というわけで、餃子を作ってもらう事は得意ですが、自分で作った事はありませんでした。
ところが、ある事情で、大量の冷凍餃子を処理しなくてはならなくなり、自分で焼く必要性が生じました。
そこで、人生初の餃子焼きに挑戦してみました。冷凍餃子の袋に書いてある簡単な説明を読みましたが、それでうまくいくわけはありません。
一回目は最初に焼きすぎて「焦げ餃子」になり、二回目は水を入れすぎて「焼き水餃子」になってしまいました。
なんとか食べる事はできましたが、やはりど素人が袋だけみてできるものではないな、と痛感させられました。
しかしながら、まだまだ冷凍庫には餃子がたくさんあります。
捨てるわけにはいかないので、なんとかこれを機に、餃子の焼き方を習得せねば、と思っています。
2019年08月05日
いろいろ経験ができた一日
昨日は道を間違えた事を除けば、かなり楽しく、有意義な時間を過ごせた一日でした。
しかし、その反動がきたのか、今日は早朝からろくなことがありませんでした。
一つは自業自得なものだったのですが、それ以外は、とばっちりとしか言いようのない原因で不愉快な想いをさせられたものばかりでした。
もっとも、これだけ集中してやってくると、逆に対抗心が強くわきだします。
また、今後、改善していくためのいい材料でもあります。
そういうわけで、ろくでもない事にさらされながらも、むしろ色々と意欲が出た一日となりました。
とはいえ、どうせ一日を過ごすなら、昨日のような楽しい日のほうがいい、というのもまた明白な事実でありますが…。
2019年08月04日
方向感覚を過信して間違える
若い頃から、方向感覚には自信があります。関西に旅行中に地元の人に道を尋ねられ、案内した事もありました。
しかし、今日は、駅から目的地に行こうとして、正反対の方向に歩いてしまう、という失態をおかしてしまいました。
これまで2回しか行った事のないところです。したがって、駅についた時点で、スマホの地図検索をするのが当然でした。ところが、自分の方向感覚を過信し、猛暑のなか、ムダに歩いてしまったわけです。
何事も過信するのはいけない、という事、また、暑いときは判断力が鈍るからより慎重に行動すべき、という2つの教訓を得ることができました。
2019年08月03日
車に入り込んだアリ
車を運転していたら、フロントガラスにアリがいました。羽のない働きアリです。
どこかの駐車場でドアを開いたときに入ってきたようです。
社会生活を送っている働きアリです。車に乗ってしまった以上、もとの社会には戻れないわけです。
しばらく窓を開けていたら出ていきましたが、出た先でどんな生活を送るのでしょうか。
もはや故郷に戻るのは不可能です。新たなところで、そこに住むアリの社会に入ることができるのでしょうか。
数分間一緒になっただけですが、そんな感じで、将来をおもんばかってしまいました。
2019年08月02日
将棋道場
10年ぶりくらいに、将棋道場で対局しました。
場所は稲毛の駅前です。ちなみに、千葉に来て22年近く経ちますが、千葉にある将棋道場に行ったのは初めてでした。
実は、今年初めて将棋を指したのですが、何とか一回は勝つことができました。
もはや、「強くなろう」どころか「将棋を指そう」と思うことすらほとんどありません。とはいえ、勝てるとやはり嬉しく思いました。
同時に次に将棋道場に将棋を指しに行くのはいつになるだろうか、と思いました。今の生活パターンを考えると、今日が人生最後だったのかもしれないな、などと思ったりもしました。
2019年08月01日
塀越しににらみ合う猫
帰宅していると、ある街角で猫の戦闘的な声が聞こえてきました。
何だと思って見てみたら、ある家の塀の前に、茶色い猫が二本足で立って、声をあげていました。
塀の向こうには、その家に住んでいる猫がいました。その二人で、声を出し合っていたのです。
本来は四本脚であるにも関わらず、二本足で立ち続け、塀の向こうの猫に声をあげ続けている姿は、心に響くものがありました。
ただ、せっかくそこまで身体能力を使うなら、できれば仲良くしてほしいものだ、とも思いました。
2019年07月28日
昔ながらのサイト
このサイトには、いまだにアクセスカウンターとリンク集があります。
20世紀末のインターネット黎明期には、サイトにこの2つをつけるのは、基本中の基本でした。
しかしながら、今は昔で、いま、そのようなものがあるサイトはほとんどありません。
このサイトにおいても、カウンターやリンク集が必要なわけではありません。
ただ、サイト作成時から存在していたわけですし、手間かけて外すほど不要なものではありません。
それはともかく、久々にリンク集の掃除をしました。消えてしまったサイトはもちろん、最終更新が9年前だったり、サイトの趣旨がすっかり変わっているところなどを整理しました。
いくつかのサイトは、かつての体裁を保ったままで、「ああ、昔はこんなデザインのサイトが一般的だったな」などと懐かしく思ったりしました。
もっとも、このサイトも、14年近く、外観を変えていません。
いろいろと変えたいところはあるのですが、研究したり作業をしたりする時間もないので、このままになっています。
おそらくは、当分はこの外観が続くと思いますが、引き続きご愛顧いただければ幸いです。
2019年07月27日
年に一度の売り子
年に一度の、夏祭り出店で売り子をやりました。
屋台で呼び込みをして物を売る、というのは、自分が普段やっている仕事と、かなり異なります。
しかしんがら、年に一度、この祭りに出た時は、声を出して商品を宣伝する、という行動を自然に行うことができます。
年に一度、しかも数時間のことなのに、それが、あたかもいつもやっている事のようにできる、というのは不思議なものだな、と思いつつ、今年も祭りを楽しみました。
2019年07月25日
休みと疲れる
久々の休養日でした。
以前も書いたかもしれませんが、かなり懸命に働いたあと休むと、むしろ疲れを感じます。
これは、頑張っていたときは交感神経などの関係で、実際に疲れていてもそれを感じなくなっているからだと思っています。
それが、休養を取ることにより、体の感覚が正常になり、これまで溜め込んできた疲れを正常に感じる事ができるようになったから、だと思っています。
このように、無理な働き方をしても「自分は疲れを感じないから大丈夫だ」と思っている人は、本当に疲れていないわけはありません。
そういう人が過労死しないためにも、雇用契約がある人はもちろん、そうでない人も、絶対に定期的な休息は必要だと改めて強く思いました。
2019年07月24日
汗だく対策
連日蒸し暑いうえに、ものを運ぶ仕事が多く、かなり汗だくになります。
そんなときに頭に浮かぶのは、春先に肩と背中を痛めて整形外科に行ったときに言われた言葉です。
それは、水分補給の重要性でした。鳥の胸肉にたとえながら、水分を補給しないと筋肉が痛む事をわかりやすく説明してくれた担当者の方には感謝しています。
というわけで、今日もかいた汗の分+@をすぐに水や麦茶で補給しました。
おかげで、今日もなんとか快適に過ごせました。
2019年07月21日
一段落
仕事のほうが一段落しました。
3月からバタバタしていたのですが、これでしばらくは忙しさに追われることはなくなります。
とはいえ、いろいろな意味で、やりたい事がさらに増えました。
今まで以上に面倒な事ではありますが、これまで半世紀積み重ねてきた自分の経験を最大限に活かすことができるのでは、と思っています。
とりあえずは、疲れを取ることが最優先です。体を休めながら、今後の構想を練っていこうと思っています。
2019年07月13日
10ヶ月ぶりに猫をなでる
とあるアパートに行きました。二階への階段を上がると、そこで猫が昼寝をしていました。
共有部分に「寝床」が存在しているということは、アパートのみんなで世話をしている、という事なのでしょう。
見知らぬ自分の姿を見ても、微動だにしません。よほど人間に慣れているのでしょう。
せっかくなので、写真を撮って背中をなでさせてもらいました。
猫をなでるのは、昨年9月に近所にいた友達のニャン孫が引っ越して以来、10ヶ月ぶりでした。
猫をなでることができる幸せを、久々に感じることができました。
おそらく、この猫と会うことは二度とないでしょう。
別れをつげながら、これからも幸せに過ごしてほしいものだと思いました。
2019年07月10日
チューハイの値段
縁日に出店することになり、缶チューハイを仕入れる事になりました。
そこで、量販店に行って価格を調べました。
一番安いのが税込み108円だったのですが、その殆どがアルコール分が高い「ストロングチューハイ」でした。
しばらく前までの缶チューハイはすべてアルコール分5%前後だったのですが、そちらのほうが、10円くらい高いのです。
アルコール度数が高いほうが値段が上がると思っていたので、ちょっと意外でした。
普段、気軽に買っている酒ですが、意外にわからない事があるものなんだな、とちょっと驚きました。
2019年07月04日
直感の重要性
昨日、更新頻度を下げる、などと宣言しましたが、ここに書きたい事があったので、「公約違反」して更新することにしました。
日頃よく使っているコインパーキングに車を駐めました。
いつもはガラガラなのですが、今日はなぜか盛況で、駐められるところは一番奥の一箇所だけです。
普段は、空いている場所にいったん入り、そこからバックして目的の場所に駐めます。
しかし、それができず、頭から入れなければなりません。
そうしようと思ったとき、頭の中で、もうひとりの自分から警告が来ました。
それは「なんか嫌な予感がする、ここでの駐車は諦めて、別の場所に行くべきだ」というものでした。
一瞬、その警告にしたがおうかと思いました。しかし「別に今からバックしてこの駐車場を出ても、駐めたあとにバックして出ても操作は同じだよな。ならばこのまま駐めよう」と自らの警告を無視しました。
ところが、狭さのために、目測を誤り、前輪を車止めにぶつけてしまいました。
しかも、当たった角度が悪く、タイヤがパンクしてしまい、交換する羽目になってしまいました。
あのとき、自らが発した警告をちゃんと聞いていれば…。と心底後悔しました。
やはり、「嫌な予感」というのは侮れませんね。
2019年07月03日
お知らせ201907
明日から二週間半ほど、かなり忙しくなります。
そのため、ここの更新頻度が普段より下がります。
愛読してくださっている方々にはご迷惑をおかけしますが、何卒よろしくお願い致します。
期間中、更新停止するわけではありませんので、気が向いたらのぞきに来ていただければ幸いです。
2019年07月02日
納豆の摂取量を倍に
長年、夜は納豆ご飯を食べる習慣があります。
いつ頃からかは覚えていませんせんが、少なくとも、26年前に今はなき弟と二人暮らしを始めた時はすでにそうでした。
その後、結婚して相方と二人暮らしになっても変わらないので、少なくとも四半世紀はその習慣が続いていることになります。
一方、昼食については、結婚してからはずっと相方の作ってくれる弁当を食べています。
何度か仕事を変えましたが、この昼食だけはどこでも同じです。
ただ、数ヶ月前から、弁当の食べ方がちょっと変わりました。こちらにも納豆をかけて食べるようになったのです。
きっかけが何だったのかは覚えていません。ただ、今ではすっかり、納豆のない弁当など考えられなくなるほど、当たり前になりました。
幼少時から大好きだった納豆への愛着がさらに深まったからでしょうか。それとも、血栓が気になる年になったため、本能的に納豆の摂取量を増やしたくなったのでしょうか。
我ながらよくわかりませんが、今日も、「納豆弁当」を楽しみました。
2019年07月01日
強烈な湿度
えらく蒸し暑い一日でした。
自分の職場は、気温が上がらず、夏の暑さはかなりしのぎやすいのですが、湿度は別です。
おかげでえらく汗をかきました。
ちなみに、印刷機を使う仕事があったのですが、紙が湿気でヘニョヘニョになっており、何度も紙詰まりを起こしました。
天気予報を見ても毎日傘マークですので、当分、この多湿は続きそうですね。
空調全開にして除湿をせねば、と強く思った一日になりました。
2019年06月29日
真理が我らを自由にする
国会図書館には、「真理が我らを自由にする」という言葉が入り口に記されています。
日本で最も多い文献を所蔵している図書館ならではの言葉だと思います。
本当の事を知らないと、事実でないことに束縛されて自由を奪われてしまいます。
そのためにも、さまざまな書物を読んで、「真理」を知らねばなりません。
それゆえの「真理が我らを自由にする」だと思っています。
ちなみに国会図書館は通っていた高校の近くにありました。当時は読書が大好きで、学校の図書室と地元の図書館から毎週本を借りて読んでいました。
それだけに憧れていたのですが、大学に入って読書が減ってしまい、結局、いまだに行ったことがないまま50歳を過ぎてしまいました。
一度は行かねば、と思っているのですが、その日がいつ来るのかはなんとも言えません。
2019年06月27日
フードコートの席取り
千葉駅ホーム下にできたフードコートに相方と行きました。
昼飯時なので、なかなか席があきません。そこで、注文する前に座席を確保しようと、空席を苦労して探し、やっと見つかった席の椅子に荷物を置いて注文しに行きました。
注文を終えて荷物を置いた席に戻ってきたら、そこでは小さいお子さんが食事をしていました。一人で食べるとは思えません。おそらくは近くに親御さんもいたのでしょう。
椅子に荷物があるのに気づかなかったとは思えません。ただ、席取りが大変なので、気づかないふりをしてそこを占拠した、という事なのだろうな、と思いました。
お子さんに文句を言うわけにもいかないので、別の席を探しました。
色々思うところはありましたが、とりあえず、フードコートの席確保ルールはもっと明確にしたほうがいいのでは、と強く感じました。
2019年06月25日
気遣いしながら少数派の自分を保つ
自分は昔から、組織内で周囲に気は使うが、安易に全体の意見にあわせず少数派としての意見を持つ、という考えを持っています。
とはいえ、「気遣い」をしていると、ついつい周りに合わせてしまい、思っている事が言えなくなったりもしてしまいます。
最初は、多数派の意見と違うことを話すつもりが、気を使って引っ込めてしまった、という経験も多々あります。
ただ、周囲にあわせるより、場から浮いてもかまわず自己主張したほうが、あとから振り返ると良かった、というのがこれまでの経験則です。
もちろん、気遣いは続けますが、それと両立しながら、「少数派」としての意見を主張し続けねば、と思っています。
2019年06月24日
言葉遣いの揚げ足取り
新聞・TV・ネットなどに、よく「日本語の乱れ」なるものが特集されます。
どれを読んでも、正しいかどうかもよくわからず、かつ枝葉末節なくだらない事ばかりです。
一時期よく流行ったのは、レジ打ちの店員さんが「○○円からお預かりします」という言葉への批判でした。べつに「から」という言葉があろうとなかろうと、自分が出した金額とあっている事が確認できれば何の問題もありません。こんな事を批判するほうがおかしいとしか言いようがありません。
数日前には「おられる」という言い回しはおかしい、というのを見かけました。
これもまた別にどうでもいい事です。意味も通じますし、敬意を持っている事も伝わっているので何の問題もありません。
だいたい、日本には津軽弁から沖縄言葉まで、さまざまな方言があり、それを使う人がいます。「言葉の正しさ」にいちゃもんをつける人は、それらの方言一つ一つの使い方が正しいか間違っているかを判断することでもできるのでしょうか。
加えて言えば、様々な形で、他国から日本に来て、そこで生活する人がいるわけです。
他国出身者はもちろん、その人から生まれた人も、親の母語が日本語でない以上、独特の日本語を使う事になるでしょう。
そういう人の日本語について、「これは正しくない」などと文句をつける事が不適切であることは明らかです。
こうやって考察していけば考察するほど、「正しい日本語へのこだわり」は百害あって一利なしである事がわかります。
というわけで、この言い回しは正しいとか正しくないとか言っている人の言説は、読む価値がないと思っています。
2019年06月23日
保険
相方に、生命保険の検討を頼まれました。
実は、20代の頃に簡易保険に入っていたのですが、満期になった時に色々あって、再加入しておらず、そのままになっていました。
さすがに、50を過ぎて、相方も気になったのでしょう。そういう年ですから仕方ありません。
そこで、営業の人に話を聞いたのですが、保険の基本が分かっていなかったので、色々と目からウロコ状態になりました。
営業の人には迷惑をかけたくはないのですが、保険料も保険料なので、慎重に検討して決めようと思っています。
2019年06月22日
嘘つき脳
嘘を付き続けると、脳が変化して、嘘をつくことにためらいがなくなる、という研究結果を見ました。
それを読んだとき、嘘つきが常態化した人とのやりとりが頭に浮かびました。
その嘘つきは、まず「A」という嘘をつきました。ところが、その嘘は、先日話していた「B]という発言と矛盾します。
その事を指摘したら、何のためらいもなく、即座に「実は今回もBだったんです」と嘘をつきました。そこで、「それは、さっき話していた『A』という言説と矛盾しますね」と指摘しました。当然ですが、嘘つきの人は反論不能に陥っていました。
ほんの少し前に話していた「A」と完全に矛盾する「B」を平然と言った事にはちょっと驚きました。もう少し、うまい嘘をついてくると想定していたからです。
なるほど、確かに嘘ばかりつくと脳が変質するのだな、と納得しました。
同時に、嘘つきだけにはなるものではないな、と強く思いました。
2019年06月21日
人員配置を完全に間違えている組織
外出中に警察から電話がありました。折返し電話がほしいというので指定された警察署の代表番号に電話をしましたが、全然繋がりません。そのうち、「ただいま、電話が大変込み合っています、おかけなおしください」という自動音声が流れました。
その後、何度かかけなおして、要件は片付いたのですが、その間、何度もこの「つながらない→自動音声」という対応をされました。
よほど人手不足なようです。実際、交番をちょっとのぞくと「ただいま不在です」という表示があったり、人がいても警官でなく、シルバー人材センターから来た人だった、という経験をしたことがあります。
その一方で、こんな事がありました。
ある日、自転車に乗っていたら、公園の片隅に、五人くらいの警官がたむろしていたのです。
その公園の脇には、時間限定で車両進入禁止になる道路があります。そこに入ってくる車を捕まえるために待ち構えているわけです。しかしながら、車の通行量が少なく、暇をもてあまして公園でぼーっとしているわけです。
よほど暇だったのか、自分に声をかけてきました。自分の自転車は、購入時についている車輪鍵が壊れたので外しています。目ざとくそれに気づき、盗難車でないかと疑って「職務質問」してきたわけです。
任意なので断ってもいいのですが、せっかくなので対応しました。登録番号を照会すれば、即座に盗難車でないことはわかります。するとゴマをするかのように「ヘルメットをかぶっているのですね。安全のためいいですね」などと言ってきました。
そんな事をやっている暇があるのならば、本署で電話応対をすべきなのでは、と強く思いました。
警察にも「民間の考え」とやらが浸透して、「市民からの電話に出るよりも、交通違反の反則切符で設けることが大切だ」となってしまっているのでしょうか。
ちなみに、その職質された二日後に帰宅しようとしたら、後ろからバイクに乗った警官がまた職質してきました。さすがに呆れて「2日前にも聞かれましたよ」と言ってそのまま走り去りました。
もっとも、これはまだマシなほうです。
公安警察に至っては、何十年もずっと政党・ペンクラブ・平和団体などを「監視」し続けています。その結果判明したことは、「彼らの監視対象は平和的かつ民主的な団体である」という至極当然の事だけでした。
莫大な税金を使って「安全性」を保証してくれているわけです。もちろん、監視対象の団体にとっては、迷惑以外の何物でもないわけですが…。
ちなみに、冒頭の警察からの電話ですが、自分が犯罪者としてあらぬ疑いをかけられたとか、犯罪に巻き込まれたとかいう事ではありません。念のため。
2019年06月19日
燻製たまご
燻製のたまごを買いました。
利尻昆布と伯方の塩で味付けして、6日間燻した無添加の食品です。
パックから出すと、まず燻製の香りを楽しむことができます。
そして、卵自体も、味も香りも最高で、何より、食べやすい硬さになっています。
殻を向けばただのちょっとくすんだゆで卵なわけですが、そこに至る過程が凝縮されたような美味しさと香りを楽しめました。
普段は安物ばかり買って食べているのですが、たまにちょっと根が張っても「本物の美味しさ」は楽しまねばな、と改めて思った次第でした。
2019年06月18日
「悪気はない」という言葉の無意味さ
他人を苦しめたり、嫌な思いをさせた人間がよく使う言い訳に「悪気はなかった」というものがあります。
困ったことに、それを真に受けて、「彼は悪気がなかったのだから許してやってくれ」などと「仲介」する人間が現れたりします。
しかし、加害者の「悪気の有無」など実は何の意味がありません。
ストーカー行為においても、被害者に対する「強い好意」や「愛情」を加害者は自覚しています。しかしながら、それは被害者にとっては迷惑なだけです。
「悪気はなかった」も同様です。本人が悪いことをしていると思っていなくても、被害者は精神的や肉体的な苦痛を味わうわけです。しかも、精神的な傷となれば、何年、何十年とその被害は続きます。
その結果が全てであり、加害者の自己認識を根拠に免罪するなど、ありえないことです。
加えて言えば、他人を苦しめておきながら「悪気はなかった」などという人間は、善悪の感覚が正常ではなくなっているわけです。
そんな危険な人間を放置しておくと、さらに被害者は増え続けるでしょう。
したがって、「悪気はなかった」などと言う輩については、むしろ加える処分をより厳しくするのが正しい対処法だと思っています。
2019年06月17日
警官の危機管理
関西で、警官が襲撃されて拳銃を奪われた、という事件がありました。
幸い、容疑者の身柄は確保されましたが、一歩間違えれば、先日の登戸を上回る大量殺人が行われた危機があったわけです。
実際、欧米やオセアニアで、銃を用いた大量殺人事件が起き、桁違いの死傷者を発生させています。
それらを総合的に考えると、危機管理のため、警官に拳銃を持たせるのをやめさせたほうがいいのでは、と思いました。
実際、昨年にも、警官から奪った銃で殺傷事件を起こした人とか、上司を射殺した警官などという事件が起きています。
そもそも、警官というのは専門的な訓練を受けている上に、柔道や剣道などに熟達するなど、拳銃なしでも一般人が相手にならないほどの力を持っています。
ならば、拳銃などなくてもいいのではないでしょうか。加えて、今回の事件のように、持っていても役に立たない上に、奪われることにより近隣に住む人を不安に陥れる事例が発生しているわけです。
経費の削減にもなるので、ぜひとも検討してもらいたいものだと思いました。
2019年06月15日
夢を語りすぎると
最初に転職して二年ほど、自称「ベンチャー企業」で働きました。
ちなみに、先日、久々にその会社のサイトを見たら、まだ「ベンチャー企業」を名乗っていました。
創業が1995年だったので、四半世紀ずっと「ベンチャー企業」なわけです。
基幹商品が動いているあるサーバーの保守契約費をケチって、サーバーダウンをした時に顧客に大きな損害を出すなど、素人レベルの会社でした。
それが四半世紀ももったのは、創業者である社長のハッタリでした。
「夢を語るのが大切」などと社内で公言しながら、技術的な裏付けのない計画を堂々と語り、それでカネを集め、自転車操業的に会社をもたせていました。
それで四半世紀もやっていけるのですから、ある種の才能かもしれません。もちろん、零細「ベンチャー企業」を続けるだけの才能であり、そこから一歩も先に進めないわけですが…。
2年弱のつきあいでしたが、「出来もしないことを言えば、騙される人はいる。だが、しょせんは一時しのぎだから、やはり、出来もしない事を言うべきでない」というのが、その会社で得た財産(?)だと思っています。
2019年06月13日
写真展に行く
上野の美術館で開催された写真展に相方と行きました。
さまざまな主題で、色々な写真が展示されていました。アニメキャラのコスプレから、福島原発事故後の状況まで、多くの人が、さまざまな主題で写真を撮っていました。
改めて、世の中には色々な事象があるのだな、と思いました。
自分的には、漁業の現場として、大量の魚が水揚げされた写真が印象に残りました。
魚は好物ですが、それがどうやって漁をされているのかは見たことがありません。
半世紀ほど生きましたが、改めて見たことがないものが山程あるのだな、と再認識させられました。
見聞が広がり、大変有意義でした。
2019年06月12日
モラハラの恐怖
ネットを見ていたら、異常なまでのモラハラ事例を見てしまいました。
結婚するまでは、ずっと女性の事を「さん」付で読んでいた男が、結婚したその日に、女性を「お前」と呼ぶようになり、女性がそれを嫌がったら「上下関係を明白にするためだ」などと言い出した、という話です。
寒気がしたのですが、それに対する返信で「自分もそうだった」というのが多々あった事にもまた驚きました。
どうやら、少なからぬ男性が、結婚したら、相手は自分よりも下の存在になる、と本気で信じているようです。
それに端を発して配偶者や子どもに様々なハラスメント行為をするのを「モラハラ(モラルハラスメント)」と言う事をちょっと前に知りました。
そういう人間が多々いることに驚きました。同時に、これまでいた組織の中で見聞きした言動を省みるに、もしかして、実は身の回りにそういうモラハラ人間は山程いたのでは、と思い、さらに不快感が増しました。
この「モラハラ」、研究すると精神的に疲れそうです。それに耐えつつ、もう少し知識を深めてみようと思っています。
2019年06月09日
失敗を認められないと起きること
一般的に、成功と失敗の判断というのは簡単だと思います。
いい結果が出れば成功で、悪い結果が出れば失敗だからです。
ところが、失敗を認めると責任を取ることになるから、という理由で、頑なに失敗を認めない事があります。
そうすると、なんだかんだ理屈をつけて、失敗だったものを「成功」にしてしまいます。
この典型例は、戦時中の大日本帝国並びに、いまだに大日本帝国が敗れ去った事を認められない今の権力者たちです。
その結果、歴史的に失敗だった事が「成功体験」になってしまい、さらに酷い失敗をしてしまう、という結果になってしまいます。
やはり、いくらその時は屈辱的な気分になっても、失敗は素直に失敗と認めないといけません。
自分的には、成功だか失敗だかよくわからないくらいの結果が出たときも、失敗と判定して改善策を考えるくらいがいいのでは、と思っています。
2019年06月04日
「人減らし合理化」がもたらしたもの
自分が社会の事を理解できるようになった1980年台から一貫して、「合理化」の名のもとに、さまざまな人員が削減されました。
会社は受付を人でなく内線電話に任せるようになり、駅のホームから駅員がいなくなりました。他にも、様々な「人員削減」が各所で行われました。
しかしながら、それは会社の人件費削減による利益増大には役立ったものの、利用する人にとってはサービス低下でしかありませんでした。
同様に、働くひとにとっても、安定した身分と収入がある就労機会の減少になったわけです。
その結果、日本はどんどん他国に追い抜かれ、格差ばかりが広がっています。
その現状を見ると、やはり何かが間違っていたと言わざるを得ません。
結果的に、人減らしは利用者や働く人にとっては「不合理化」でしかなかったのではないでしょうか。
そろそろ、「人減らし」が素晴らしいことである、という考えから抜け出すべきでは、と思っています。
2019年06月03日
同性婚雑感
台湾で同性婚が合法化されました。日本でも、同性婚を実現しようとする動きがあります。
結論から言えば自分は大賛成です。一刻でも早く実現すべきだと思っています。
自分は異性愛者で、相方と結婚して21年半になります。
好きな人と結婚し、二人で楽しく過ごしています。
その理由は、相方が「自分が一番好きな異性」であるからではありません。「自分が一番好きな人」だからです。
自分の場合は、たまたま、「一番好きな人」が異性だったわけですが、当然ながら、「一番好きな人」が同性である人もいます。
かつては、それを異常視する言説が多数を占めていましたが、科学の発展もあって、今ではそれも普通の事であることが明らかになっています。
もちろん、同性婚が制度化されたところで、自分たちを含め、異性愛者には何らデメリットはありません。ですから、一刻も早く合法化すべきなのです。
ちなみに、同性婚に反対する口実として「子どもが生まれない」というのがあります。しかしながら、同性婚ができない現在、同性カップルは事実婚をして暮らしているわけです。どちらにせよ、子どもはできないわけですから、こんな言説は成り立ちません。
加えて言えば、我が家は異性婚ですが、子どもはいません。したがって、子どもを理由に同性婚を否定するのは何重にも間違っています。
というわけで、日本でも一刻も早く同性婚を実現させるべきだ、と強く思っています。
2019年06月02日
久々の、とんかつ茶漬け
秋葉原のすずやで、相方と二人で、久々に、とんかつ茶漬けを食べました。
発祥の地は新宿で、もともと、母方の祖父が愛用しており、その紹介で母が、さらには息子である自分が、そして自分がきっかけで相方も大好きになった、という由緒ある店です。
独特の味付けでソースをかけずに食べるとんかつと、つけあわせのキャベツ炒めが絶品です。おかずはおかわり自由なので、今日もキャベツを二回もおかわりしてしまいました。
一番近い店が秋葉原店なので、千葉に住んでいるとなかなか行く機会がありません。
それだけに、久しぶりかつ貴重な味を堪能しました。
2019年06月01日
先送りの功罪
一般的に、先送りという言葉は、良くないこととして使われる事が多いようです。
確かに、その場で決めたりやったりしないと多くの人が困ることを「先送り」してしまうのはよろしくありません。
しかしながら、逆に急いでやる必要がない場合は、先送りしたほうがいい、という事例も多々あります。
特に、対処すべき問題の全体がつかめていない時は、下手に急いで動くと、よくない結果をもたらします。
そういう場合は、いったん、「先送り」にして様子を見て、もっと情報が揃った時に動いたほうがうまくいく、という事は多々あります。
このように、「先送り」がいい場合も存在するのです。
やっていはいけない「先送り」があるのも確かですが、一概に「先送りはいけない」という風潮ができるのも問題だと思っています。
2019年05月31日
相手に伝わる話し方・書き方
基本的に、ものを話したり書いたりするのは、聞いたり読んだりした人に、自分の考えを伝えるのが目的です。
ただ、実際に、それが相手に伝わるのは非常に難しいものです。
自分も、毎日、さまざまな形でネットを使って発信していますが、「少なからぬ人たちに伝わったかな」と思えることは、月に一度あるかないか、「これは多くの人々に伝わったに違いない」と満足できることは年に一度あるかないかです。
それだけ、「伝える」というのは難しいことです。
しかも、五年前の「正解」が、今では「間違い」になっている、というように、方法の流行り廃りも多々あります。
それだけに大変ですが、これからも、この「伝え方」を色々模索していこうと思っています。
2019年05月30日
誰のための報道?
先日起きた通り魔事件について、新聞やテレビが、「状況再現」をしています。
そのようなものを報じる価値はどこにあるのでしょうか。
仮に通り魔の手段が明らかになったところで、再発防止策にはなりません。このような予告なしの凶行を未然に防ぐのは不可能です。
逆に、犯人と同じ考えを持っている人間が「なるほど、こういうやり方もあるのか」と理解し、類似事件を発生させる危険性すらあります。
もちろん、そんな情報がいくら流れたところで、遺族の方々も悲しみが増すだけでしょう。
このような悲しい事件を「ニュースのネタ」として「消費」するのは辞めるべきです。そんなことより、報道すべきことは山程あると思うのですが…。
2019年05月27日
退化
10年くらい前に読んで非常に参考になった本がありました。
その作者にかなり関心は持ったのですが、その次に買った本は面白くなくて、途中で読むのをやめ、ついでに作者に対する関心もなくなりました。
その作者の名前を久々に見ました。しかしながら、そこで書かれていた「作品」は、極めて残念なもので、かつて持っていた敬意が一気に吹っ飛んでしまったものでした。
自らの「品質」を維持するのは簡単でないのだな、と改めて思いました。
自分も年齢的には下り坂に入っています。「退化」しないよう気をつけねば、と他山の石としました。
2019年05月26日
北海道が猛暑に
一昨日、夏日になった、と書きましたが、今日の北海道東部は、真夏日になっていました。
オホーツク沿岸にある佐呂間町に至っては、39℃を記録したそうです。もちろん、この地での観測史上最高気温でした。
ちなみに、佐呂間町の5月平均気温は10℃とのことでした。いかに、異常な暑さだったかがわかります。
仮に20年前に、「5月下旬の佐呂間で気温が39℃になった」などと言っても、誰一人信じなかったでしょう。
しかし、今日のニュースは驚きはしたものの、ここ数年の温暖化の進行からして、「驚いたけど、こんな事もあるんだな」くらいの気分にしかなりませんでした。
もっとも、このまま温暖化が続けば、沈む島も出てくるでしょうし、他にも様々な災害も起きるでしょう。
次の世代が安心して暮らせるようにするためにも、この温暖化をなんとかせねば、と改めて思った5月の真夏日でした。
2019年05月23日
物持ち
高校生だったとき、「DCブランド」なる言葉が流行していました。
柄にもなく、「おしゃれ」に興味を持っていた事もあり、初めてもらったバイト代から奮発して、渋谷あたりのデパートに行って「DCブランド」のカーディガンを買いました。
もっとも、買ったはいいけれど、「着こなし」などできるわけがありません。当時としては大枚はたいたわけですが、ほとんど着ることがありませんでした。
それから34年経ちました。その間、体型がほとんど変わらなかったおかげで、そのDCブランドのカーディガンは、ちょっと肌寒い日に羽織る服として現役で活躍しています。
せっかく50まで着れたので、ぜひとも還暦までは使い続けたいものだと思っています。
2019年05月22日
半世紀生きる
50回目の誕生日を迎えることができました。
長年、お世話になった人たちには本当に感謝です。
今日も、家族に祝ってもらいました。ありがとうございました。
もう半世紀?という感じですが、確かに、自分が生まれてから今まで、世の中は大きく変わりました。
ただ、率直に言って、この半世紀で世の中はこれだけ良くなった、とは言い難いものがあります。
あと何年生きられるかわかりませんが、できれば、50年後に、「この半世紀、それまでと違って、世の中は良くなった」と多くの人が実感できるようになればいいな、と思っています。
2019年05月21日
雨天の通院
今日は朝から激しい雨が降っていました。
あいにく、朝に病院の予約を入れていました。
公共交通機関の便が悪いので、普段は自転車で通っています。
しかしながら、この天気ではカッパを着て行くしかありません。
その準備をしようとしたのですが、ふと「雨に濡れたカッパを病院のどこに置いておけばいいのだろうか?」という疑問が頭をよぎりました。
病院の自転車置場は屋外なので、自転車のかごに入れておくわけにはいきません。
そうやって悩んだ末、自転車をやめて歩いて行くことにしました。
数年前に改定された道交法で、傘をさしての自転車運転は禁止されました。しかし、相変わらず、「傘さし運転」をする人の姿はよく見ます。
今までずっと不思議に思いながら見ていたのですが、その理由が「カッパだと、行った先に置き場がない」なのだろうか、と思い至りました。
多くの人が安心して安全に自転車で移動するためにも、病院・店・公的機関に「雨天時のカッパ置き場」を確保し、その存在を広報してほしいものだと思ったりしました。
2019年05月20日
GAFAとBATH
読んでいる雑誌が、多国籍企業特集を組んでいました。
こういうご時世だなだけあって、ネットの基礎部分で巨大な力を持つ、「プラットフォーマー」と呼ばれる企業に関する記事が多々ありました。
アメリカ発であるGAFA(グーグル・アマゾン・フェイスブック・アップル)については、以前からよく知っていました。しかしながら、それと対抗して成長してきた、中国のプラットフォーマーであるBATH(バイドゥ・アリババ・テンセント・ファーウェイ)が、ここまで大きくなっていたとは知らず、驚きました。
特に、テンセントというゲーム会社については、世界でもトップクラスの資産を持っているとのことです。
ゲームとはすっかり縁遠くなっていたので、すっかり疎くなっていました。それだけに余計驚きました。
やはり、経済に関する知識も定期的にアップデートしないと取り残されるな、と思いました。同時に、これだけの超巨大企業が育つ中で、アメリカでも中国でも貧困問題が深刻である、という現実にも考えさせられました。
2019年05月19日
自分の立ち位置をごまかす姑息な手段
ネットで、よく「自分は中立だが…」などと前置きして、自らの主張を語る人が多々います。
その主張をした時点で中立などというのが大嘘で、その人が特定の立ち位置のもとに語っている事は明白です。
もし本当に「中立」ならば、その問題について、主張をすることはないからです。
つまるところ、自分の主張の説得力を増すために、「中立」を偽るという姑息な手段を弄しているわけです。もちろん、そのような人の主張は、読む価値すらありません。
こういうのは、ネットの常套手段だと思っていたのですが、今日、ある新聞社のサイトで、それの二番煎じとしか言いようがない記事を見ました。
その記事の主題はヘイトスピーチ(差別扇動発言)でした。冒頭に、ヘイトスピーチをする人間に話しかけられた記者が、そのヘイターに同意しない、という記載をすることにより、自分はヘイトスピーチをする側の人間でない、という「ポジション設定」をします。
しかしそこからは、客観性を装いつつ、ヘイトをする側の問題点をほとんど書かず、ヘイトされる側が悪いであるかのような「記事」が流れていました。
読み終われば、この記事の目的がヘイトスピーチ擁護であることは明白です。それを隠すために、冒頭で反ヘイトであるかのように偽る導入文を書いていたわけです。
その姑息さに心底呆れました。そして、そのような小細工を行いつつ、ヘイト記事を垂れ流すという腐敗した新聞社のことを、心の底から軽蔑しました。
2019年05月16日
八正道
仏教徒ではありませんが、たまに仏典を読むことがあります。
その中で、一番興味を持っているのは「八正道」というものです。
正しく見て、正しく考えて、正しく語って…などと、一見すると「何を当たり前のことを…」みたいな事が述べられています。
しかしながら、長年、社会で働いていると、これは確かに実践するのは難しいことだ、というのが分かります。
一番最初の「正しく見る」ですが、自分的には「都合の悪いことも含め、現実を直視する」というふうに勝手に解釈しています。
色々なしがらみがあると、明らかな現実でも、歪んで解釈して、自分に都合のよい結論を出そうとしてしまいます。
これだと当然ながら、正しく思うことも、正しく語ることもできません。
そういう意味でも、この「八正道」の冒頭が「正しく見る」なのだろうな、と素人判断しています。
他にやることが多くてなかなかそこまで手が回りませんが、いつかこういう仏典も本格的に研究したいものだと思っています。
2019年05月15日
考える力を上げるために必要なこと
考える力を上げるために必要な事は?と尋ねられたら、即座に「休むこと」と答えます。
もちろん、大前提としては、知識・情報を得ること、そして考え方を学ぶことです。
しかし、仮に休むことなしに、本を読んだりネットを見たりし続けて、それらを得たり学んだりしても、それだけでは考える力は上がりません。むしろ入手した情報に翻弄されるだけで終わってしまいます。
入手した情報を元に、思考を行うには、絶対に休むことが必要です。それをしなければ、考えがまとまるわけありません。
日本の企業が社員に長時間労働を強い続け、その一方で、日本のイノベーションが下がっているという現実があります。それも、この「休まなければ考えられない」という事を理解していないからだと思っています。
2019年05月14日
寒暖の差
昼はかなり暑くなりました。長袖のワイシャツを着て歩いていると、袖をまくりたくなります。
一方で、日が暮れると急に気温が下がります。そうなると、カーディガンを羽織らないと寒さを感じてしまいます。
一日でこれだけ寒暖の差を感じるのは、これまであまりありませんでした。
やはり、日本の気候は温帯から乾燥帯に移りつつあるのだろうか、と思えてきます。だんだんと過ごしにくくなっていますね。
2019年05月13日
時給1300円がニュースになる時代
近所にある洋服通販会社の社長さんが、時給1300円のアルバイトを大量雇用する、と大大的に宣言して話題になっていました。
社長さんは月に行くと宣言したり、野球場のネーミングライツを買ったり、100万円を配ったりと色々と目立っている人です。
しかしながら、筆者は1991年に時給1200円で都内ホテルの鍋洗いをバイトをしていました。ちなみに契約していた会社はマンションの一室が事務所という零細企業でした。
当時の東京の最低賃金は575円でした。そして今の千葉は最低賃金が895円です。それを考えれば、この「時給1300円」は、社長が自慢するようなものでないことは分かるのではないでしょうか。
だいたい、月に行ったり100万円を配るくらいの利益があるならば、「月給40万円で社員を大量に雇う」と宣言することくらいできるはずです。
それだけに、改めて、今の大金持ちがいかに低賃金不安定雇用で人を使い倒して儲けている、という事が浮き彫りになっただけの話題作りだったな、と思いました。
2019年05月12日
間違いを認める力
世の中には自分の間違いを絶対に認めない人や組織があります。
よく「謝ったら死んじゃう病」などと揶揄されますが、とにかく誤りを認められません。
まあ、典型的なのは今の首相と内閣なのですが…
本当に正しさに自信があれば、誤りを認めることは簡単な事です。なぜならば、誤りを認めないと、自分の中で「正しさ」の整合性が取れなくなるからです。
言い換えれば、誤りが認められない、というのはそれだけ自分の正しさに自信がないから、と言えます。
自分は、数年前にとんでもない誤りをおかしたことがありました。それゆえ、逆に自分が間違えをおかしたときは、それを冷静に評価することができるようになりました。
それだけに、自らの誤りを認められない人や組織を見ると、滑稽に思えてきます。
もっとも、その境地を得るために支払った代償はあまりにも大きいものでした。それだけに、今の自分の到達を喜ぶような気は毛頭ありません。
2019年05月11日
体育と簿記の「授業」を受ける
昼に、整形外科に行きました。
4月末に首から肩にかけて激痛が走った時に行った病院です。そこで、リハビリをすることになりました。
生まれて初めての「リハビリ体験」です。
トレーナーの方の指示にしたがい、体のさまざまな筋肉を伸ばしました。改めて、自分の体が固くなっていたのだな、と認識させられました。
それが、2週間前の激痛になったようなので、再発防止かつ、今後の健康維持のためにも、このストレッチを習得しようと頑張りました。
そして、夜は長年世話になっている団体が行っている簿記講座に行きました。
今の仕事をしている限り、簿記の資格は必要ありません。
ただ、決算書などの財務諸表が読めるようになれば、色々と利点があります。
というわけで、簿記3級試験を受ける可能性は低そうですが、参加しました。
以前、自営業だったときに、ネット講座で簿記の勉強をしたことがありました。そこで理解できないことが色々とあったのですが、やはりプロに教わると、勘所がつかめます。
というわけで、有意義な時間を過ごせました。
というわけで、当分の間、「体を柔らかくすること」「簿記の基本を身につけること」を目標に、「50の手習い」(50歳の誕生日まであと11日ありますが…)で二課目の「授業」を頑張ろうと思っています。
2019年05月10日
信頼と変貌
自分は、他人の評価を簡単に変えるタイプです。
かつて親友だと思っていた人に、極めて無礼な事をされ、口もきかなくなった、などという事も一度ならずあります。
そんななか、一年以上、不審に思いつつも、それ以前の言動から、「この人は悪い人でないはずだ」と判断していた人がいました。
しかし、現実が明らかになったとき、正しかったのは「不審に思っていた気持ち」のほうでした。
改めて、昔の言動などは、現在自分が判断した事の参考にはならない、と痛切に実感させられました。
この判断を一年前にできていれば…と後悔しつつも、現状の認識をもとに、被害を最小限に食い止めるために頑張らねば、と思っています。
2019年05月08日
不気味な集中報道
保育園で園外散歩していた、お子さんたちと保育士さんたちが交通事故に巻き込まれ、幼い命が失われる、という事件がありました。
すると、商業マスコミは、保育園の関係者に執拗な取材を行いました。目的が「こんなリスクのある場所に散歩をさせた保育園が悪い」という言葉を引き出そうとしているのが露骨に分かるくらい酷い取材をやっています。
事故そのものは、交差点で右折車と直進車がぶつかるという、どこでも起きうる事故です。その危険性を前提に、その交差点を散歩ルートから外すなどありえない事です。
にも関わらず、事故が起きた直後から、そのような保育園に責任を押し付けるような取材が行われた、というのは本当に気味が悪いと思いました。
自分が子供の頃は、保育園が独自の園庭を持つ、というのが当たり前でした。
それが、政府主導の「規制緩和」によって、園庭のない保育園が許可されるようになり、このような「園児を連れて公園に遊びに行かせる」という形態が日常化したわけです。
つまり、そんな「規制緩和」が行われなければ、このような痛ましい事故は起き得なかったわけです。
そのような事情には一切ふれずに、商業マスコミが保育園に責任を押し付けようとする「報道」を即座に始めたわけです。
最初から、このような事故が起きた時は、そのように「報道」するように、とどこからか指示でもあったのだろうか、と思うほどの整然とした報道でした。
改めて、今の報道の劣化を感じさせられて、暗澹たる気分になりました。
2019年05月07日
正義の暴走?
最近、ネットで「正義の暴走」という言葉をよく見ます。
正しい事をやっているつもりが、「暴走」して悪事になってしまった、という意味合いで使われているようです。
しかし、この言葉はかなり非論理的です。
正義というのは当然ながら「正しい事」です。一方、暴走というのは「間違った事」です。つまり、「正しいけれど間違った事をした」と言っているわけで、これは明らかな矛盾です。
実際に「正義の暴走」などと評される事例を見ていると、そのどこにも「正義」など存在していません。
よく使われる事例としては、悪いことをした人の個人情報をネットに出すなど過剰に攻撃するなどがあるようです。しかしながら、「相手が悪人なら何をしてもいい」という出発点がそもそも「正義」ではありません。
悪いことをした人を裁くのはすべて法にのっとって行うのが「正義」です。それ以外の方法で、権限のない人間が「悪人」に制裁を加えようとした時点で、それは「正義」ではありません。ただの「悪」です。
つまり、そもそもが「正義」ではないのですから、「正義の暴走」など存在しないのです。
そういうわけで、「正義の暴走」などと論じている人を見たら、「この人は『正義』の事を知らないのか、知っていて人を騙そうとしているのだな」と理解し、その言説は相手にしないのが得策だと思っています。
2019年05月06日
期間限定で前職に?
この三日間、前職だったパソコン教室の元お客さんに頼まれて、短期集中講座を行っていました。
そのお客さんの家は、前職の教室だったところから歩いて3分くらいのところにあります。
そのため、かつての「通勤ルート」とほぼ同じ道を自転車で通うことになりました。
そして、久々に、複数の人にそれぞれパソコンを説明する、という「仕事」をしました。
今の職場でもパソコンを教えたりトラブル対応するのはしょっちゅうありますが、このような形式でやるのは、3年半ぶりのことでした。それもあって、色々と前職の事を思い出したりもしました。
なかなか充実した時間を過ごせました。
もちろん、今の仕事は充実しています。
しかしながら、やはりこうやって、一緒に前の仕事を続けることができたらな…、と寂しく思いながら、今は亡き弟と一緒に働いた時間を懐かしみました。
2019年05月03日
逆方向の渋滞
早朝に稲毛区で用事を済ませ、京葉道路で帰宅しました。
平日だと、京葉道路の東京方面は6時前から渋滞が始まります。
しかし、GWという事もあり、東京方面はガラガラで、東関道や館山道方面は6時台というのに渋滞になっていました。平日と正反対の状況だったわけです。
そのガラガラの道を、快適な運転で帰宅しました。
多くの人がGW渋滞で大変な目にあっているなか、「逆GW渋滞」で快走できたので、ちょっと得をした気分になりました。
2019年05月02日
疲れとルーティンワーク
いくら疲れているときでも、定期的に行っているルーティンワークをこなす事は十分に可能です。
言い換えれば、ルーティンワークもこなせなくなったら、その疲れのレベルは既に「過労死一歩手前」と言えると思います。
いずれにせよ、ルーティンワークをこなせていると、問題なく仕事ができているように見えてしまいます。それだけに、自分も他人も、過労であると認識できません。
しかし、それ以外の仕事は全然できなくなってしまいます。やる時間があっても、気力がわかないのです。
こういう状態のときは、いくら普通に仕事ができているように見えても、即刻休養する必要があります。
この認識が広まれば、過労による健康被害も減るのでは、と思っています。
もちろんそれ以前の問題として、「過労死しても会社が儲かればいいや」という考え方で経営している「ブラック企業」を根絶する必要があるのですが…。
2019年04月29日
落ちない桜
ソメイヨシノのシーズンもすっかり終わり、緑の葉が生い茂っています。
そんななか、職場の裏に生えているソメイヨシノの樹を見たら、一輪だけ花が残っていました。
なぜ、この花だけ散らないのだろうか、と不思議に思いました。
「周りが散ったからといって、自分も一緒に散る筋合いはない」みたいな反骨精神の持ち主なのでしょうか。まあ、花に意思があるわけないのでしょうが…。
せっかくなので、いつまで咲き続けるのか、見てみようと思いました。
2019年04月28日
肩痛その後
一昨日発生した肩から首にかけての激痛ですが、病院で処方された痛み止めの湿布&飲み薬で何とかおさまっています。
これまで、病院で痛み止めを処方された時は薬を買わず、多少の傷みに耐えて過ごしていたのですが、今回の痛みは格が違いました。それゆえに、ポリシーを曲げて(?)痛み止めに頼っています。
とはいえ、もちろんこれはあくまでも一時しのぎです。肩痛を根本から治すために、生活習慣をはじめ、いろいろと改めなければ、と思っています。
2019年04月27日
冬に戻った日
えらく寒い一日でした。そのため、久々にコートを着て外出しました。
もう4月も終わりだというのに、何でここまで、と驚きました。
ちなみに、低音と言えば、アメリカで冷害が発生するたびに、地球温暖化否定論者であるトランプ大統領は「温暖化はどこに行ったんだ?」などと揶揄するツイートをするそうです。
しかしながら、局地的に異常な寒さというのも、温暖化の副作用によるものが多く、そのような批判(?)は的外れだそうです。
それはともかく、久々に冬気分で過ごした一日となりました。
2019年04月26日
突然の肩痛
出勤してしばらくしたら、いきなり首から肩にかけて激痛が走りました。
病院に行ったのですが、最初の内科病院では原因がわからず、近所の整形外科を紹介されました。一日で二つの病院に行ったのは生まれて初めてです。
レントゲンを撮ったりしたのですが、根本的な原因はわかりませんでした。
とりあえず、激痛は引いたのですが、相変わらず、痛みと違和感が残っています。
40代の残り1ヶ月を切ったのですが、そのギリギリに来た四十肩なのでしょうか。それとも五十肩の先取りなのでしょうか。
いずれにせよ、早く治して、この痛みから開放されたいものです。
2019年04月23日
10連休が迫る
来週から10連休が始まります。もっとも、自分の場合は、例年どおり、三連休が一回あるだけ、というので、自分のこととしての実感は全くもってありません。
しかし、仕事においては、この連休で多大な迷惑を被ります。
特に困るのは、銀行の窓口が4月27日から5月6日まで閉まることです。
仕事柄、月末に入金が多く、この時期は、毎日のように銀行の窓口を利用します。それが使えなくなるわけですから、その間の現金管理に神経を使うことになります。
他にも本来平日のはずの日が祝日になるため、いろいろと面倒な事が生じます。
働いている人に長期の休みをとってもらいたければ、ヨーロッパのように、有給休暇制度並びに、それを長期間使える習慣を作ればいいだけの話です。
そうでなく、このような「強制的長期連休」を作られても、ありがた迷惑としか言いようがないよな、と思っています。
2019年04月22日
一時的な失敗と根源的な間違い
人間、絶対に失敗します。いくら経験を重ねても同様です。当然ながら、加齢によって失敗は増えます。
したがって、失敗することそのものは過度に意識する必要はありません。同様に、他人のちょっとした失敗を過度に問題視するのもおかしな話です。
ただ、同じ失敗を何度も繰り返す、となると、話は別です。
一つ失敗をすれば、同じ失敗は繰り返すまいと反省し、何らかの対処を取るのが普通です。
ところが、世の中には、失敗してもそれを反省せず、同じ失敗を繰り返す人が少なからず存在します。
そして、自己弁護をしているうちに失敗したことがあたかも正しかった事のようになってしまいます。
こうなると、単なる失敗でなく、根源的な間違いとなってしまいます。
身近な例ですと、戦前の暗黒時代に軍事国家として膨張していた大日本帝国などはこの典型例と言えそうです。
いずれにせよ、小さな失敗に対しては、成功の素くらいに考えるべきでしょう。一方で、失敗を繰り返して正当化しようとする姿勢には厳しく批判すべきだと思っています。
2019年04月20日
夢見と体調
疲れていて、少しでも睡眠をとっておきたい、という状況で仮眠すると、たいてい、悪夢を見ます。
一方、翌朝は休みで好きなだけ寝られる、という時は、いい夢を見ることが多々あります。
夢のメカニズムはよく知りませんが、まあ、自分の脳がやっている事ですから、こうなるのも普通だよな、などと思いました。
生活リズムの調整は相変わらず難しいものがあります。とはいえ、せっかくですから、もっといい夢が見れるようにしたいものだな、などと思っています。
2019年04月19日
積み重ねの価値
よく、「学校で勉強した事が何の役に立つのか」という言説が流されます。
それを読んで思うのは、自分が過去にやっていた仕事の事です。
新卒で入って14年ほどいた職場では、8年目くらいから、この職場に関する歴史などで、難しい問い合わせがあったら自分に電話がまわってくる、という風習になっていました。
それらの知識や経験は、転職後の仕事においては全く無価値になりました。しかし、その職場でも、半年くらいしたら、メイン商品の操作方法で難しい問い合わせがあったら自分に電話がまわってくる、という風習が確立されました。
次の転職先は、前の会社の知識を買われてのものだったのでしたので、前職の積み重ねが無になる事はありませんでした。
とはいえ、そこを退職して、ちょっと方向性の違う分野で独立したので、2つ目および3つ目の会社で持っていた知識の大半は役に立たなくなりました。
そして、今の職場でも、それらの知識が役立つ事はありません。
とはいえ、今の自分と直接関係ないとは言え、、それまでの職場で積み重ねた知識や経験は大いに役立っていると思っています。
学校の勉強も同様だと思います。直接役に立つことはないかもしれませんが、そこで得た経験や考え方は、形を変えて仕事や生活に役立つこと、間違いありません。
それも含め、過去に頑張って習得したものは、全て今の自分に役立っていると思っています。
2019年04月18日
「時代」という概念
なんでも、今月末で「平成時代」なるものが終わりを告げるそうです。
その一つ前は「昭和時代」というのがあったそうです。
しかしながら、「昭和時代」なるものの最初の20年間は専制的で他国を侵略し、その結果、多くの人々が殺し殺されたという日本史上最悪の暗黒時代でした。
その後、戦争に破れ、問題は多々あったものの平和国家としての地位を確立したのがその後の44年間だったわけです。
この二つを「昭和時代」として一括りにするのは、どう考えても無理があります。
同様に、「天皇が代わった」という理由だけで、1989年1月7日からを「別の時代」と設定するのも無理がありすぎます。
一人の人間が死んだり引退したりすることによって「時代」が変わる、などという事は歴史的にありえない話なのです。
にも関わらず、今、マスコミでは「時代の終わり・始まり」なる「報道」が氾濫しています。
歴史感覚はもちろん、国民主権という事も理解できていない、と言わざるを得ないと思っています。
2019年04月16日
赤の他人からの「アドバイス」
SNSをやって悩み事などを書くと、見ず知らずの人から「アドバイス」が送られてくる、という事がよくあります。
会ったこともない人の、しかも状況の一部分だけを書いた文章を見ただけで、解決法が提示することなど100%不可能です。
もちろん、それを実行して失敗しても、その「アドバイス」をした人は何一つ責任を取りません。
つまり、そのような「アドバイス」は百害あって一利なしなのです。
もし、そんなもんを送りつける輩がいたら、即座にSNSのブロック機能などを使うべきでしょう。
もちろん。SNSで繋がっている人が困っているときに、自分なりの案を伝えたくなる時はあります。
その時は、「アドバイス」ではなく、参考になればいい程度に、自分の考えを伝えるようにしています。
2019年04月15日
二択の罠
他人を従わせるテクニックとして、「どちらを回答しても自分にとって都合がいい二択の問題を出して回答を迫る」というのがあります。
「◯◯してくれ」と言っても、まず断られる、という状況があるとします。その際に質問を「◯◯か☓☓のどちらかを選んでくれ」というと、その☓☓が、◯◯と同様のメリットがないものでも、ついついどちらかを選んでしまう、というものです。
選択肢を与えられると、かならずどちらかを選んでしまう、という心理状態を利用したものなのでしょうね。
そういうものに引っかからないためにも、常に「選択肢を出されても、その中の一つを選ぶ必要があるとは限らない」という事を認識している必要があります。
ちなみにある時、全然仲良くない昔の知り合いから、飲みに誘われた事がありました。
最初に「三連休の初日は空いてる?」と尋ねられたので断ったら、「なら二日目と三日目だったらどちらが都合がいい?」と尋ねてきたのです。
もちろん、このパターンは承知していたので、何の予定も入っていなかったのですが、即座に「どちらも都合が悪い」と答えたものでした。
2019年04月13日
桜が散り始める
開花のあとに冬に戻ったような気温になったため、今年の桜はかなり長持ちしました。これだけ花見シーズンが長かったのも久々ではないでしょうか。
もっとも、自分はいろいろあってなかなか桜を楽しむ精神的余裕はできなかったのですが…。
とりあえず、来年は桜をのんびり楽しみたいものだ、などと思いつつ。青空に映えた桜を撮ったりしました。
2019年04月12日
アイデンティティ
今に始まった事ではありませんが、自分は「腰が低く他人を立てる人」と「理不尽を許さず、そのためには既存の悪弊をぶっ壊してもかまわない人」という二つの側面を持っています。
基本的には、前者がメインですが、状況によっては後者を前面に出します。
あまり後者ばかりを目立たせすぎるとバーサーカーみたいになってしまいます。
一方で、前者ばかり出しすぎると、勘違いした人から、無礼千万な態度を取られてしまいます。
二つの側面は別に相矛盾しているわけではありません。どちらも「素の自分」です。とはいえ、その比率の出し方には悩まされます。
まあ、この調整は死ぬまで苦労し続けるのでしょうね。
2019年04月10日
「考え」と「休み」
将棋の格言(?)に「下手の考え休むに似たり」というのがあります。「弱い人がいくら考えてもいい手は浮かばないから休んでいるのも同じだ」という意味です。
ある意味間違ってはいません。弱いうちは、延々と考えることなく、思いついた手を指したほうが、上達しやすいと自分も思っています。
その一方で、一定の実力のある人が、弱い人が懸命に考える姿を見て、このように揶揄する、というのは、上位者にふさわしくないとも思っています。
前置きが長くなりましたが、ここから本題です。
この「下手の考え休むに似たり」を逆(?)にしたらどうなるでしょうか。
今日はここ一ヶ月の疲れを癒やすため、昼まで布団で横になっていました。
眠ったり起きたりしていたのですが、目が醒めていると、色々な考えが浮かびます。
やはり、休まないといい考えは浮かばないものだな、と思ったりしました。
「下手の考え休むに似たり」は事実なのでしょうが、「下手でも休むといい考えが浮かぶ」というのもまた事実なのかもしれませんね。
2019年04月09日
因果関係の誤解
「○○した結果☓☓になった」という因果関係の考察は、毎日のようになされています。
しかし、この因果関係は、仮説レベルで提唱された時点で、たいして検証されずに認められてしまうケースが少なくありません。
その結果、「○○」と「☓☓」に実は因果関係がなかったにも関わらず、「前回、○○したおかげで☓☓といういい結果を得ることができた。だから、今回も○○は行うべきだ」という主張がまかり通ってしまい、実際には意味のない○○を無駄に行ってしまって失敗してしまう、という事が多々発生してしまいます。
「○○した」結果が「☓☓になった」からとはいえ、「☓☓になったのは○○したからだ」が成り立たないのは中学の数学で習うレベルの話なのですが…。
安易な考察でこのような失敗をしないよう、もっと因果関係について深く考える習慣を強めるようにせねば、と日々思っています。
2019年04月08日
禍福は糾える縄の如し
昨日の選挙で、自分が特に力を入れて応援していた人が落選してしまいました。
あまりにも悔しく、昨晩は3時半まで寝付けませんでした。
応援において、やろうとしていた事が、他の業務との兼ね合いでやりきれませんでした。それだけに、悔いが残ります。
4年前の選挙では、その人が当選し、大変喜んだものでした。当時のFBには「これだけ自分や家族以外の事で喜んだのは15年ぶり」と書いています。
ところがそれから半年後、弟が世を去り、一転してこの2015年は自分の人生にとって最も悲しい年になってしまいました。
そんな事を思い出しながら、「4年前そうだったのだから、今年もその逆があるかもしれない」などと自分に言い聞かせています。
いずれにせよ、今後は、できることをやりきって、このような悔しさを味合わなくてすむようにせねば、と思っています。
2019年04月05日
時間と結果は比例しない
時間をかければかけるほど、いい結果がでるかのような風潮があります。
一例を挙げると、徹夜して頑張ると、それだけで褒められます。
しかし、それは本当なのでしょうか。
普通の人なら、徹夜して仕事をすれば、だんだんと思考力が落ちてきます。
その状態で行うわけですから、質が落ちるのは当然です。
そんな事をするくらいなら、仕事の取捨選択をしたり、人を増やすなりして、その「徹夜してやり遂げた仕事」を日中で片付け、8時間働いた時点で帰れるようにしたほうが、仕事の質も、働くひとの健康もずっと良くなります。
その逆を続けた結果、日本は長時間労働ばかりが目立つ一方で、かつての技術立国が廃れてしまったのではないか、と思っています。
発想を変えて、「残業せずに短時間で終わらせる事が最優先」というのが前提になれば、もっと仕事の質も上がるのでは、と思っています。
2019年04月02日
本当の締切
かつて、雑誌に寄稿する人がよく「本当の締切」という言葉を使う人がいました。
これは、編集者から提示された締切日に原稿が上がらなくても、その数日後に設定された「本当の締切」に間に合えば原稿は掲載される、ということでした。
自分も四半世紀前くらいにちょっと雑誌の編集をやった事がありました。
確かに、その「本当の締切」というのは存在しました。ただし、ならば「本当の締切」までに原稿を上げればいい、というのは間違いなのです。
本来の締切日までに原稿を上げれば、事実誤認や表記ミスなどのチェックもきちんと入ります。さらに、原稿の良さを可能な限り引き出すレイアウトを行い、写真や図表もそれにあったものを追加できます。
しかし、「本当の締切」に入稿された原稿だと、そのような事をする時間がありません。
その結果、ミスがそのまま掲載される危険性も高まり、レイアウトや写真・図表も雑になるわけです。結果的に記事の質が下がります。
その結果、同じ原稿でも、本来の締切を守った記事より、質が落ちるわけです。
約束を守らず、「本当の締切」に頼っていた人が、この「真実」を知ったらどう思うのだろうか、とよく考えたものでした。
いずれにせよ、当時も今も変わらない結論は、「約束の時間以内にきちんと終わらせるのがいい仕事で、それを守らずにダラダラやるのは、いくら時間をかけてもだめな仕事」ということです。
2019年03月30日
間違いを認めない事による弊害
自分の間違いを絶対に認めない人がいます。
いくら事実をつきつけても、意味不明かつ論理的に破綻している「反論」で絶対に間違っていたと言いません。
当然の事ですが、そうやって開き直れば、本人の中では本来間違っている事が、「正しい前提」になってしまいます。
その結果、それ以降は、やることなすこと全て間違ってきてしまうわけです。
当然、その結果生じた不具合も間違いとは認められないわけですから、「間違いスパイラル」に陥ってしまうわけです。
最初に素直に間違いを認めていたら、こんな悲惨な事にはならないのですが…。
そして、今の日本では、強い権力を持っている人間が、この「間違いスパイラル」に陥り、周囲の人間はおろか、官僚やマスコミまで一緒になって「間違いを絶対に認めない」をやっています。
本当に困ったものです。もちろん、他人事にはなりえないので、何とかそれをやめさせねばなりません。
2019年03月27日
仮説と検討する時間
自分は大学で社会科学を教わり、現在、それを実践する仕事をしています。
そういうわけで、大学時代の学びを仕事で思い出す事は多々あります。
その中で、強く覚えている事の一つに、「観察→仮説→検証→概念化」という組み立てがあります。
社会で起きている事象を観察し、それが発生する因果関係の仮説を立て、それが成り立つか検証し、成り立つなら一つの概念として成立する」というものです。
しかしながら、実際に仕事をしていると、「観察→仮説」まではできるのですが、それを検証して概念化する時間を持つことがなかなかできません。
特に今は、月末・年度末・選挙本番、という3つの多忙が重なった、4年に一度の最も忙しい時なので、立てた仮説の検証をする時間がまったくもってありません。
残念に思っているのですが、これだけは仕方ないでしょう。
まあ、落ち着いたら久々にゆっくり休んで、この「観察→仮説→検証→概念化」の作業をじっくりしたいものだ、と思っています。
2019年03月26日
気遣いが損をする
あと二ヶ月弱で半世紀生きた事になります。
そのなかの3分の2くらいにあたる社会人生活では、かなり他人に気を遣って生きていたと思っています。
そちらのほうが、軋轢が少なく、皆が楽しく過ごせると思っていたからです。
ただ、そのなかで、少なからぬ人が、気遣えば気遣うほど、図に乗って無礼な事をする、という事例をさんざん体験してきました。
信じられない事ですが、明らかに実績に大差がある自分に対し、その専門分野の技術がゼロな人が、上から目線で文句をつけてくるのです。
何度か遠回しに批判をしてきましたが、残念ながら、遠回しな指摘では通用しない事が、やっと理解できました。
余計なストレスを溜めないために、かつ素人考えで時間を無駄にしないためにも、遠回しに言わず、単刀直入に間違いを指摘せねば、と強く思うようになっています。
2019年03月22日
宣伝と教育
隣町に中学校があります。
数年前、その壁に、水泳で全国トップクラスの成績を残した生徒の名前を書いた看板が掲示されました。
よくわかりませんが、おそらくは、将来の五輪出場も狙えるような生徒だったのでしょう。
その能力はすごいと思いますが、こうやってわざわざ看板まで作って学校に掲示する、というのははっきり言って異常としか思えませんでした。
もちろん、優勝したときに垂れ幕を出すくらいならわからなくもありません。
しかしながら、壁にずっとその生徒の名前を掲示する必要があるとは到底思えません。
久々に学校の前を通ったら、卒業したのか、看板は消えていました。
やっと自然な学校風景に戻った事に安堵しつつ、改めて、あの看板は異常だったよな、と思いました。
2019年03月19日
謎の「ロックンローラー」
ロックンロールで有名な人の訃報記事を見ました。
かなり前から存在は知っていましたが、歌をきいたのは、選挙に出たときに政見放送で演奏したという一節だけです。どんな曲がヒットしたのかも全くもって知りません。
知っているのは、決め台詞(?)と、配偶者が昨年亡くなったという事くらいです。
最近の音楽はわかりませんが、80年台と00年前後はかなり熱心に歌番組を見ていました。にも関わらず、この人の曲は全くもって知らないわけです。
なぜか音楽に関する情報だけ流れてこないまま訃報をむかえたわけです。ちょっと不思議な気分でした。
2019年03月16日
完全休養日
疲れがピークに達していたので、今日は完全休養日にしました。
外出したのは買い物と床屋だけで、あとはほとんどを布団の中で過ごしました。
本当はいくつかやりたい事があったのですが、疲労回復を最優先にしました。
休めば休むほど、疲労感が増してきます。
これは、仕事しているときには気が張って疲労を感じないのに対し、休息に入ると、気が抜けてそれまで抑えていた疲労を感じるようになるからなのでしょう。
ほとんど何もしない一日、というのは無駄のようにも思えます。しかしながら、これから特に忙しくなる事もあり、こうやって充電する日は必要です。
そんな事を思いながら、布団で過ごした一日となりました。
2019年03月12日
卒業式の思い出
卒業式シーズンです。自分も4回ほど、卒業式を経験しました。しかしながら、いい思い出など一つもありません。
小中学校のときは、ひたすら「卒業式の練習」をさせられた事だけが記憶に残っています。
費やした時間にせよ、教師の熱意にせよ、完全に「卒業式の練習>>>>>卒業式」でした。そういう事もあり、心の中では、「卒業式なんか出なくていいから、練習を免除してほしいものだ」と思っていました。
高校の卒業式は、別の意味で心に残りました。
祝辞を言うはずの校長が、いきなり生徒が誰一人も知らない歌を唄いだしたからです。もちろん、参加者全員ドン引きでした。
数日後、この校長が勤務中に飲酒している、という事を告発した文書が回ってきたものでした。
世の中、ろくでもない大人もいる、という事を18歳の我々に対し、身をもって教えて(?)くれたわけです。もちろん、この校長に対し、一片の敬意も持てなかった事は言うまでもありません。
大学の卒業式は、過去に何度か書きましたが、講演をする有名人が遅刻してきた事が最も印象に残っています。社会に出る人々を前に、堂々と遅刻をする、というのもなかなかの反面教師だな、と思い、面倒だから講演は聞かずに退場したものでした。
高校と大学の件は偶然ですが、小中学校での思い出は多くの人も持っていると思います。
とにもかくにも、形式張った「式」ならびに、その予行演習に莫大な無駄な時間をかけるのが心底嫌いなわけです。
おそらく、この考え方は、死ぬまで変わらないだろうな、と思っています。
2019年03月11日
8年目
早いもので、あの地震から8年が経ちました。
当時は都内で働いていました。会議中に地震が起き、20時くらいまで会社で待ち、千葉に帰るのが無理な事が明白だったので、1時間ほど歩いて都内の実家で泊まったものでした。
途中、六本木から麻布十番のあたりには沿道に飲み屋があったのですが、どこも満員でした。帰宅できないと開き直った人たちだったのでしょう。
その時点で、多くの街が津波で流され、福島では原発が爆発し、放射能が撒き散らされていたわけです。
もちろん、その時点では自分もそんな事になっているとは夢にも思っていませんでした。
あのとき、宴会をしていた人も、酔いがさめてニュースを見たとき、心底驚いたのだろうな、などと、思ったりしました。
8年経ちますが、故郷に戻れない人、公的援助が不足しているために苦しみながら生活している人はいまでもたくさんいます。また、福島第一原発の中がどうなっているのかは、いまでもわかっていません。
8年という時の経過の早さに驚くとともに、震災も原発事故も継続中だという現実を改めて認識させられた一日となりました。
2019年03月10日
眼鏡が壊れる
朝、出かけようとしたら、眼鏡のつるがポッキリ折れました。
この眼鏡は、8年ほど前、まだ会社づとめしていた頃に買いました。
その後、自営業時代を経て、今の仕事でも使っていたわけです。
これまでも色々な眼鏡をかけていましたが、この眼鏡は、一番色々なものを見たと思います。
特に、この眼鏡を通して、最後に弟の顔を見た時のことは、一生忘れる事はないでしょう。
他にも、車の上から、自分を応援しに集まった方々を見る、という貴重な経験をしたのもこの眼鏡でした。
愛着がありましたが、壊れてしまってはどうしようもありません。新しいのに買い替えますが、これからも捨てずに部屋に置いておこうと思っています。
2019年03月08日
懐かしの店がなくなる
かつての職場の近くにあり、仕事が終わったあとに何度も飲みに行っていた店が今月末で閉店する、というニュースを見ました。
そば系の居酒屋で、もりそば・こんにゃくの味噌田楽・そば焼酎の蕎麦湯割りなどのメニューは、最後に行ってから15年近く経った今でもよく覚えています。
昨年、ひょんな事からマスコミにも取り上げられており、商売繁盛なのだなと密かに喜んでいたのですが…。
小さい個人経営の店はどんな業種・地域でも経営が大変です。少々マスコミに取り上げられたくらいでは、焼け石に水、というのが現状なのでしょう。
寂しく思うと同時に、久々に、そば焼酎の蕎麦湯割りを飲みたくなり、近所の店をネットで探したりしました。
2019年03月07日
エコノミックアニマル
今となっては死語となった言葉の一つに「エコノミックアニマル」という英語があります。
20世紀の間、驚異的な経済成長を遂げた日本ですが、同時に、金儲けのためになりふり構わない、というやりかたがアメリカを始めとする諸国から批判されていました。その金儲け最優先を揶揄してつけられた言葉です。
しかしながら、日本の経済成長が終わり、それどころか、慢性的に経済が後退するようになりました。
その結果、もはや諸外国にとって「エコノミック」でくなってしまった日本は、「エコノミックアニマル」ではなくなってしまったわけです。
しかしながら、相変わらず、多くの会社は、金儲けのためになりふり構わない姿勢を強めています。
しかも、大手携帯会社が高齢者を騙して儲けたり、大手電機メーカーが陰湿なリストラをやって利益を挙げたりしているわけです。
他国は驚異と思っていないから「エコノミックアニマル」とは呼びません。しかしながら、経済が後退するのと比例して、その「エコノミックアニマル」ぶりはより酷くなっているよな、と常日頃思っています。
2019年03月05日
謎の食パン屋
色々なところで、「食パン専門店」を見かけます。
地元に開業したとき、連日行列ができており、その人気に驚いたものでした。
しかし、一ヶ月もしたら、行列はなくなりました。
そして最近、職場の近くにチェーン店が開業したのですが、そこも、開業当初は行列ができていました。
開業してすぐ行列ができる、というのは凄いと思いますが、率直に言って、割高の食パンを食べるのに行列をつくる、というのもちょっと奇妙です。
しかも、その行列がなくなった頃、数キロ離れたところに別の店ができるとまた行列ができる、というのもなんか不思議です。
そこの食パンには興味はないのですが、この開業直後に必ず行列ができる、という仕組みの謎については、少なからぬ興味を持っています。
2019年03月03日
「桃太郎」での分担見直し
幕張本郷のモスバーガーで食事をしていました。隣の席には幼稚園くらいの子どもさんと両親がいました。
子どもさんが「お父さん、お話して」とせがむと、桃太郎の話が始まりました。
ただ、「原作」と違い、おじいさんは川に洗濯に行き、おばあさんは、たきぎを拾いにいきます。
子どもさんは「お話とちがうよ」とツッコミを入れたのですが、お父さんは「たまには、おじいさんが洗濯をする事があってもいいじゃないか」などと答えていました。
封建時代に作られた話なので当然ではありますが、多くの昔話は「男は外仕事、女は家事」という「ジェンダーロール」が前提となっています。
このお父さんは、それを子どもさんに植え付けないように、このように改変したのかも、と思いました。
真意はわかりませんが、隣で聞いていて、ちょっと幸せな気分になることができました。
2019年02月28日
ディープ・パープルで子守唄
道を歩いていたら、後ろから鼻歌が聞こえてきました。
振り返ってみたら、幼児を抱っこしたお父さんと思しき人がいました。
歌で子どもをあやしているのでしょう。
それ自体は珍しくもなんともないのですが、あやしている曲に驚かされました。
それは、ディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」という曲でした。
分野で言えば「ハードロック」となる曲です。
それで、子どもをあやす、という発想には驚かされました。
同時に、どんな曲でも、愛情をこめて子どもに歌うと、子守唄になるのだな、という事にも気付かされました。
2019年02月27日
早朝に懐かしい場所に
仕事柄、早朝に出かけることが少なからずあります。
今日も突発的なトラブルで、早朝に、はじめての場所に行きました。
目的地の近くまで来たら、一年半に仕事で行ったところに着きました。
そこではちょっとした思い出があり、その事を思い出したりしました。
早朝の緊急出動は色々大変ですが、このように、懐かしの場所に行ける、という特典(?)もあります。
朝から大変でしたが、おかげで、ちょっと気分が和みました。
2019年02月22日
値引きの代償
自営業をやっていたとき、たまに値引き交渉をしてくる人がいました。
店によっては、意図的に本来の定価より高い売値を表示し、客が「まけてくれ」と言うと、「勉強しまっせ」などと「交渉」に応じて、本来の定価まで「値引き」して販売する、という手法をとっているところもあります。
しかし、そのような例外を除けば、適切な価格を提示し、また実際にその価格で商品やサービスを提供しているわけです。もちろん、自分もそうでした。
したがって、「この値段に下げてくれないと仕事を頼まない」などと交渉されると非常に困るわけです。
何しろ、値引きをした金額で、定価に相当する仕事をしたら、利益は出ません。さらに、同じ商品やサービスを定価で購入してくれた人に対して失礼です。
その結果、値引きした分、質を下げざるを得なくなります。
たとえば、パソコンの初期設定を依頼された場合、希望する人には、起動時のパスワード入力を省略するサービスをしていました。しかし、値引きした相手には、その設定は行わない、といった具合です。
不思議な事に、値引きをした側の人のほとんどは、「値引き後のサービスも、定価のサービスと同じ内容だ」と勝手に思い込んでいるようです。
その結果、値引き交渉を続け、質の落ちた商品やサービスを買い続けるという、「安物買いの銭失い」状態に陥っている事に気づかないわけです。
電車の運賃で、1,000円かかるところ、「値引きしてよ」などと言って500円しか払わなかったら、500円分の区間しか乗れません。他の商取引においても、基本的には同じなことが、なぜ分からないのか不思議です。
2019年02月21日
ストレス発散と押し付け 続き
昨日書いた事について、ちょっと不十分な点があったと思いましたので、追記します。
自分のストレスを他人に話すことが、即座に「ストレス押し付け」になるわけではありません。
たとえば、自分にストレスを与えている人間(仮にその人をAとします)が、ストレス発散の話をする相手(仮にその人をBとします)にとっても嫌な人間だった場合は、Aに対する愚痴を言う事は、Bさんにとってストレスになりません。そのため、ストレス押し付けとはならず、「ストレス発散」となります。
しかしながら、Bさんにとって、Aが大切な人の場合、Aに与えられたストレスを語ることは、Bさんにとってストレスになり、「ストレス押し付け」になるわけです。
つまり、話し相手がどう感じるかが「ストレス発散」と「ストレス押し付け」の境界線になるわけです。
それを意識しながら、相手にストレスを押し付けないように「ストレス発散」すべきだな、と思っています。
2019年02月20日
ストレス発散と押しつけ
ストレスを感じた時に、その状況を他人に話して発散させる事は、ストレス解消に役立ちます。
ただ、このストレス解消法には重大な問題点があります。それは、話を聞いた人にとって、それが重大なストレスになる、という事です。
もっとも、ストレスを発散している人にとっては、それが目的というのもあるのでしょう。話を聞いた人がストレスを感じることにより、自分のストレスが軽減されるという認識があるように思われます。
とはいえ、やはりこれはストレス「発散」ではなく「他人へのストレス押し付け」ではないか、と思えてきます。
ストレスをなくすのは大切な事ですが、やはり他人を苦しめない方法で解決すべきだな、と改めて思いました。
2019年02月18日
ネットのデマが新聞社の公式サイトにそのまま掲載
デマを流すことで悪名高いタレントが、またツイッターで事実と180度異なるデマを流しました。
すると、それを検証もせずに、日刊スポーツと報知が記事にして公式サイトに掲載しました。さらに、日刊スポーツのサイトに掲載された記事は自動的に朝日新聞のサイトにも転載される仕組みになっていたらしく、そちらにも載ってしまいました。
ネットでは直後からデマの指摘があり、それを受けて、各新聞社も記事を削除したり訂正しました。
元となったデマツイートの内容は、ある個人や団体の名誉を不当に毀損するものです。にも関わらず、新聞社が検証もせずに公式サイトに載せたわけです。
かつて、ネットに大きなデマが流れると、朝日も含めた新聞社は「ネットには無検証のデマが流れる。チェック体制のある新聞とはそこが違う」みたいな記事を出していました。
しかしながら、今回の件で、そのような主張に何ら根拠がない事が明らかになってしまいました。何しろ、ネットのデマを検証するどころか、デマ増幅装置として新聞社が機能してしまったわけです。
まあ、昔から、冤罪事件においては、警察発表を無検証に流して、無実の人を極悪人として「報道」していました。今回の件と根は一緒と言えるでしょう。
ネットの時代になり、そのような本質がよりわかりやすく可視化されたのが今回の事件だと思っています。
2019年02月14日
社員寮の跡地
通勤経路の道端に、人の住んでいない集合住宅があります。
見た目は小洒落たマンションで、手入れもされているのですが、入り口はしまっており、人の気配もありません。
近所の人に教わったのですが、そこは、海浜幕張にあるホテルの社員寮だったそうです。そのホテル自体は今でも普通に営業しています。
よく、訪日客が増え、ホテルの稼働率は極めて高い、というニュースを見ます。
ならば、このような外観もよく、かつ通勤に便利な寮は、有効活用すべきだろうと部外者としては思うのですが、経営的にはそうではないのでしょうか。
詳しい理由は分かりませんが、やはり、非正規の割合が増えている事と関係があるのだろうか、などと思いながら、今日も真っ暗な「社員寮跡地」の前を通り過ぎました。
2019年02月12日
値段が不明な「お得」
携帯キャリアの会社から、「お得に機種変更できる」というダイレクトメールが送られてきました。
手紙で送ってきたにも関わらず、申込書は入っておらず、電話をかけて申し込んでほしい、と書かれていました。
しかも、「お得」と書いてあるにも関わらず、購入を勧めている携帯電話の値段が書かれていませんでした。
携帯キャリアの名前が書いてなければ、インチキ会社による詐欺商法だと断言できてしまうレベルです。
もっとも、別に驚くことはありませんでした。
これまで、携帯キャリア会社が、機種変更などをしにきた客に対し、詐欺まがいの売り込みで、不要なサービスを契約させた例は山程知っているからです。
もはやすっかり、「客を騙す」というのがビジネスの基本となってしまっているのでしょう。
日本経済は相変わらず落ち込む一方で、消費は減り続けています。そんななか、有名企業が、インチキ会社のレベルに堕ちる事例は他にも色々と聞いています。
改めて、今の企業や経済の異常さを認識させられたダイレクトメールでした。
2019年02月11日
中一日でまた雪に
一昨日に続いて雪になりました。
一昨日は、雪を警戒して、自動車や自転車で移動する予定だったのを、全て電車移動に変えました。
一方、今日は、前回電車移動に変えた意味があまりなかったのと、予報では午後にはやむと出ていた事もあり、自転車で移動しました。
向かい風だったので、雪が顔に当たってくるのはかなり大変でした。そして、当然ですが、眼鏡の曇りも普段以上です。一度、ガードしたで自転車を止め、眼鏡を拭いたほどでした。
とりあえず、問題なく移動できて一安心でした。とはいえ、やはり雪の日の移動方法は慎重に考えねば、と反省もさせられました。
2019年02月09日
雪が積もる
雪が降りました。
朝起きたら、そこそこの降りだったので、色々と心配したのでしたが、結果的に積もることはありませんでした。
雪対策として、色々と予定変更をしたのですが、結果的には、変更しなくても何の問題もありませんでした。
ちょっと拍子抜けしました。しかし、これは結果論であり、雪が積もった可能性もあったわけです。それを考えれば、この予定変更は正解だったと思っています。
月曜の朝も雪が降るそうです。仕事柄、雪が積もると色々と困るので、こちらも、軽い雪で終わってくれるよう、今から願っています。
2019年02月06日
加害者と同レベルのクレーマー
小学生の方が虐待で殺された事件がマスコミを賑わしています。
それに煽られた人々が、その地域の児童相談所に「抗議の電話」を大量にしているそうです。
言うまでもないことですが、そんな電話を何千本かけても、事件の再発防止につながりません。むしろ、その電話によって児童相談所で働くひとが疲弊し、むしろ虐待被害が増えるリスクが生じるだけです。
もちろん、電話をかけている人々にとって、そんな事は全く関心などないのでしょう。
彼らの表層意識は、自分は正義感でやっているとなっているのでしょう。しかし、その本質は、「弱い者いじめ」でしかありません。相手は絶対に反論も抵抗もしないとわかっているからこそ、電話で罵倒して、いい気分になっているだけなのです。
言うまでもなく、この事件で一番悪いのは、実際に子どもを殺したその父親です。彼は罵声を放つなどして、関係者を脅していました。これについては、嫌がらせ電話をしている人々とやっている事は同じではないでしょうか。
毎度のことですが、このような「いやがらせ電話」をする連中が「いじめ」をやっているだけでしかない事が、社会常識として共有される世の中になってほしいものだと強く思いました。
2019年02月02日
低価格朝食
牛丼チェーン各社が、300円を切る朝食セットを相次いではじめました。
松屋では、以前から360円で提供していた朝食セットがありました。
その構成は、ご飯・味噌汁・卵・小鉢(ミニ牛皿など)・海苔・漬物小皿でした。
そこから、海苔と漬物小皿を抜いたものを290円で提供していました。
それだけの違いなのですが、なんかえらく簡素な雰囲気が漂っていました。
このメニューを各社が出したのも、長引く不況で人々の財布の紐が固くなったからです。
そんな事を思いながら、簡素な朝食をすませました。
2019年01月31日
初雪
外で初雪が舞っています。
今の仕事は、道路状態が悪いと色々と面倒な事が起きます。それもあり、とにかく積もってほしくない、という思いしかありません。
今の所、アスファルトの上は積もっていないようです。予報では日付が変わると上がるそうなので、ぜひとも予報どおりに積もらないでほしいと願っています。
ちなみに明日は早朝から自転車で走り回る用事があります。万が一積もった時の事を考え、慎重に動こうと今から自分に言い聞かせています。
2019年01月27日
旅行椅子
昨日は21回めの結婚記念日でした。
一夜明け、今日は内房線に乗る用事がありました。
千葉で乗り換えたら、クロスシートの車両でした。
それを見た時、「お、久々の旅行椅子」と思いました。
「旅行椅子」というのは、相方が名付けたクロスシートの「和訳」です。旅行に行くような列車だけについている設備なので、そう命名したのでしょう。
自分は、中学のときから、「クロスシート」という正式名称を使っていました。最初に相方が「旅行椅子」と言ったときは、「変わった言い方をするものだな」と思ったものでした。
それが、21年経ったら、パッと見た時に「旅行椅子」という言葉が頭に浮かぶようになったわけです。
これも、21年の結婚生活が為せる技だな、などと思いました。
2019年01月26日
久々の東南アジア料理
とある新年会で、タイ・ベトナム料理を出す居酒屋に行きました。
自分は東南アジア料理はあまり得意でなく、ちょっと不安だったのですが、あまりクセが強くなく、普通に楽しめました。
苦手意識を払拭できたかも、などと思いました。
今回はコースだったので、自ら注文することはなかったのですが、次はアラカルトにして、色々たのんでみたいものだと思いました。
2019年01月23日
多様な嘘
総理大臣を筆頭に、社会的地位のある人が嘘をつくのが当たり前の世の中になってしまいました。
しかも、その総理大臣と大手マスコミ幹部が定期的に酒食をともにし、そこで仕込まれたミエミエの嘘が、当たり前のように「報道」されます。
そして、トップの影響を受けて、その下にいる人々も平然と嘘をつき、バレたら新たな嘘をついて平然とする、というのがもはや日常茶飯事になってしまいました。
おかげさまで、嘘を見抜く能力は格段と上がりました。事例が多いので、それをパターン化することができ、分析も簡単に行えるからです。
そういう意味では「経験値」が上がりました。もっとも、その理由が、嘘にまみれた今の世の中であることを考えれば、何ら嬉しくは思いませんが…。
2019年01月21日
「猫車」を習得(?)
職場で、大量の紙類を運搬する必要が生じました。
未舗装の箇所で運ぶ際には「猫車」と呼ばれる一輪車を使います。今の職場に来て、最初にこれを使ったときは失敗しまくり、、「なんでこんな構造の車で、転がさずに重いものを運べるのだろうか」と思ったものでした。
しかし、何度かやってコツを掴んだ結果、スイスイと運べるようになりました。
もともと不器用な事もあり、我ながら、よくここまで上達できたな、と驚いています。
同時に、自分が初めて就職した時の事を思い出し、まさか社会人になって、こんな「技能」を習得する事になるとは、当時は夢にも思わなかったよな、とこれまでの仕事の変遷に感慨を覚えたりもしました。
2019年01月20日
食べる量
週に1回、仕事の関係で自分で食事を作っています。
基本的に、いつも同じ量を食べるのですが、今日は昼にいつもと違うものを食べました。
その結果、夕方からかなりの空腹感が生じました。
そこで晩ごはんの量を増やしたのですが、今度はちょっと胃もたれをする結果になってしまいました。
空腹感により、食べる適量を見誤ったわけです。
自分の体なのに、なかなか上手くいかないものだと思いました。そして、今後は変わった事はせず、いつもと同じものを食べるようにしよう、と心に誓いました。
2019年01月19日
つきたての餅を食べる
とある餅つき大会に参加しました。
一昨年の正月に、人生初餅つきをやったのですが、そのときは、仕事の関係上、餅をついただけで、食べずに別の場所に移動したものでした。
それに対し、今回は、準備から餅つき、そして食べるところまで参加することができました。その結果、初めて、つきたての餅を食べることができました。
つきたての餅には、一度固まって焼いたり似たりした餅とは全く違う食感がありました。
何もつけないで食べても、十分に美味しさがあるのです。ちなみに、一緒に小学生くらいの方が参加していたのですが、「何もつけないで食べる」と言っていました。
次の機会がいつあるかわかりませんが、また、この「つきたて」を味わってみたいものだと思いました。
2019年01月18日
久々に会って語る
大学将棋研究会の後輩と久々に会いました。
20代の頃は何度も一緒に飲み、家族ぐるみで食事をした事もあったのですが、ここ10数年、ご無沙汰していました。
それが、年賀状のコメントがきっかけで、久しぶりに会うことができたのです。
19時くらいから飲み始めたのですが、話しているうちに「ラストオーダーです」と言われました。一瞬、なんでそんな早いのか、と不思議に思ったのですが、時計を見たらたしかにそんな時刻でした。
つまり、時を感じないくらい、話が盛り上がっていたわけです。
何年経っても変わらないものだ、と思いました。そしてまた、このような時間を作りたいものだ、と思いました。
2019年01月15日
甘さと厳しさ
よく「甘い人」と「厳しい人」という区分けがあります。
その中では、自分はよく「甘い人」に分類される事が多いようです。基本的に他人にきつい事はいいません。あと、失敗が発生した場合、その失敗を執拗に追及することは絶対にせず、むしろフォローする、という習性からかと思われます。
しかし、自分としては、「甘い人」という認識はありません。
先述したような些細な事に関しては確かに「甘い対応」をします。しかしながら、本質的に許されない事については、絶対に妥協しないからです。これは20代の頃から今にかけ、全く変わっていません。
これまで経験した色々な件で、自分より「厳しい」と言われた人はたくさん見ました。しかしながら、そのような本質的に重要な事件が起きた時に、「なるほど厳しいな」と思える対応ができた人は、数人しかいません。
どうでもいい事に対しても「厳しさ」を発揮する必要があるとは到底思えません。むしろ、必要なときだけに発揮するのが「厳しさ」だと思っていますし、今後もそうありたいと思っています。
2019年01月14日
18年前と違う読み方
21世紀に入ってから連載して大ヒットした漫画を久しぶりに読みました。
当時は普通に楽しく読んでいた記憶がありました。しかし、再度読んでみたら、その人権感覚のなさに驚きました。
主人公はヒロインを普通に罵倒し、なにかあるとひっぱたきます。途中からは、性的少数者の方々を馬鹿にしたようなキャラまででてきていました。
我ながら、よくこんな漫画を、当時は普通に読めたものだ、と驚きました。
まあ、それだけ人権侵害に対する世間の意識が進み、自分もその影響を受けた、というのもあるのでしょう。
もっとも、この2019年になっても、このような人権感覚で描かれている漫画はすくなくありません。先日も、超大手雑誌が性差別的な企画を行い、問題になったものでした。
漫画界の健全な発展のためにも、これについては何とか改めて欲しいものだと思っています。
2019年01月13日
学びたいものが次々と
先月にちょっと書きましたが、年末年始にかけて、ちょっと力を入れて読書をしました。
仕事に関する本ですが、改めて、物事の基本を理解することができ、大変有意義でした。
情報を入手するのならネットのほうが早くて多彩な情報を選べます。しかし、物事の「基礎体力」をつけるにはやはり読書だな、と思いました。
読み終わる頃には、また新しい課題が生まれ、さらに本を買いたくなります。
あと5ヶ月ほどで50歳になりますが、学ぶ気持ちは、これからもずっと持ち続けたいものだな、と思っています。
2019年01月12日
30年めの飲み会
大学時代、将棋研究会に所属していました。卒業後はOB会活動を初め、現在まで継続しています。
入学した年の暮れ、同期のNくんが、クリスマスパーティ兼忘年会を企画しました。自分はそのときは欠席しましたが、その後、参加をするようになりました。この会は、卒業後も続きました。
7年ほどまえ、それまでずっと幹事を務めていたNくんが急逝しました。その後は、自分が幹事を引き継ぎました。そして、本日、30回めの会を開くことができました。
皆、年をとり、いろいろな経験をしました。しかし、将棋に関しては、30年前と同じ感覚で、楽しく語り合うことができました。
この会を、40年、50年と続けていければと、思いました。同時に、かつて主催者であったNくんがいないことに寂しさを感じたりもしました。
2019年01月11日
一日だけ「利子生活」
10年ものの定額預金が満期になりました。その利息の一部で、今日の食事をまかないました。
つまり、今日一日は、「利子で生活」したわけです。
20世紀は、定期預金の利率が3~5%くらいありました。そのため、一定の貯金があれば、その利息だけで生活することが可能でした。そのため、「利子生活者」などという言葉もありました。
もちろん、この超低金利の時代においては、完全に死語となってしまいましたが…。
言い換えれば、この低金利政策により、本来、庶民が受け取れたはずの利子が吹っ飛んでしまったわけです。その一方で、この政策により、大儲けした人がいたわけですが…。
そんな事を思いながら、チェーンのファーストフード店で、「一日だけ利子生活」をつつましく楽しみました。
2019年01月08日
チャリィー号の修理
通勤などに愛用している自転車・チャーリィ号の後輪が大晦日に壊れました。パンクではなく、車輪交換が必要とされるレベルです。
正月休みもあってなかなか治せなかったのですが、今日、やっと修理することができました。ついでに、以前に外れた時に「限界に近い」と言われたチェーンも交換しました。
これまでも、まずは後輪を、続いて前輪を一回ずつ交換しています。それと今回の修理費を足したところ、5年半前にチャーリィ号を購入した時の費用をちょっと上回ってしまいました。
このように書くと、「なら最初に後輪を交換した時に買い換えればよかったのでは」と思ってしまいがちです。しかしそれは違います。
最初の後輪を修理した時に買い換えれば、確かに、次の前輪と今回のチェーンの交換は不要になります。しかし、後輪は今回二度目の交換をしたことからわかるように、その時に買い替えても今回の交換は必須だったわけで、その分の費用はどっちにしろ発生するわけです。
そう考えると、結局のところ、買い換えなかったほうが安上がりだった事がわかります。
とはいえ、自転車屋さんには、6年も乗っていて、日頃、屋外に置いているなら、そろそろ限界に近い、と指摘されました。
次に壊れるときは、交換不能になる可能性が高いようです。
この6年間、色々な形で使い続けてきたチャーリィ号なだけに、別れを意識するのはちょっと寂しいものがありました。ただ、寿命である以上は仕方がありません。乱暴に扱わないようにして、一日も長く使い続けなければ、と思いました。
2019年01月07日
不快にさせるテクなら最高の営業電話
職場に電話がかかってきました。いきなり「そちら様が電話の基本料金が無料になった事を知らなかったのでお電話しました」と言ってきたのです。
もし言っている事が本当で、基本料金が無料になったていたとしても、なぜこの電話をかけてきた人は、それをこちらが「知らない」という事がわかるのでしょうか。
しかもそれを「どうせあんたは無知だからしらないだろう」という口調で話しかけてくるのです。
もちろん、「電話料金(もしくはインターネット)が安くなります(もしくは無料になります)」という電話をかけてくる業者は100%相手にすべきではありません。
その電話を真に受けて契約し、得したひとなどいません。
したがって、どんな言い方だろうと切るのですが、ここまでガチャ切りしたい欲求にかられる電話ははじめてでした。
ちなみに、リストでかけているので、しばらくしたら、同じ建物内の別の部署にも続けてかけてきました。別の人が出たのですが、その人も、あまりの無礼さに呆れてすぐに切っていました。
電話営業は話術が重要なわけですが、このような相手を不快にするテクに磨きをかけたものは初めて聞きました。
まあ、最近は国内外問わず、偉い人が傲慢な態度で嘘をつき、それがまかりとおっています。
それゆえに、こんな話し方の電話営業でも成り立つのでしょうか。
そう考えると、さらに不快さが増しました。
2019年01月05日
休みの効用
この正月休みは、特にでかけたりしませんでした。
ある意味ダラダラと過ごしたわけですが、ダラダラしていると、色々な考えが頭に浮かびます。
どうでもいい事も多いのですが、その中には、一見、当然のようで、普段暮らしていては思い浮かばないようなものもあります。
そういう経験をするたびに、「やはり長い休みというのは必要だな」と思います。
正月休みは終わりました。今年は忙しくなりそうですが、このように休んで発想力を高める時間は確保し続けたいものだと思っています。
2019年01月01日
謹賀新年2019
新年あけましておめでとうございます。
本年も「つれづれの館」をよろしくお願いいたします。
仕事の関係で、大晦日は深夜まで働き、そのまま職場に泊まりました。そして、朝はいくつかのトラブル対応のため、千葉市内を車で移動して、荷物を回収したり届けたりしました。
そして、昼前に帰宅し、そこから「年末年始休暇」が始まりました。
ひたすら、家にこもって、寝たり、TVを見たり、パソコンを叩いたりして過ごしました。
というわけで、まだまだ正月という実感はありません。明日からは、正月休みにやろうと思っていた事を少しずつ手をつけようと思っています。