2019年05月19日

自分の立ち位置をごまかす姑息な手段

 ネットで、よく「自分は中立だが…」などと前置きして、自らの主張を語る人が多々います。
 その主張をした時点で中立などというのが大嘘で、その人が特定の立ち位置のもとに語っている事は明白です。
 もし本当に「中立」ならば、その問題について、主張をすることはないからです。
 つまるところ、自分の主張の説得力を増すために、「中立」を偽るという姑息な手段を弄しているわけです。もちろん、そのような人の主張は、読む価値すらありません。
 こういうのは、ネットの常套手段だと思っていたのですが、今日、ある新聞社のサイトで、それの二番煎じとしか言いようがない記事を見ました。
 その記事の主題はヘイトスピーチ(差別扇動発言)でした。冒頭に、ヘイトスピーチをする人間に話しかけられた記者が、そのヘイターに同意しない、という記載をすることにより、自分はヘイトスピーチをする側の人間でない、という「ポジション設定」をします。
 しかしそこからは、客観性を装いつつ、ヘイトをする側の問題点をほとんど書かず、ヘイトされる側が悪いであるかのような「記事」が流れていました。
 読み終われば、この記事の目的がヘイトスピーチ擁護であることは明白です。それを隠すために、冒頭で反ヘイトであるかのように偽る導入文を書いていたわけです。
 その姑息さに心底呆れました。そして、そのような小細工を行いつつ、ヘイト記事を垂れ流すという腐敗した新聞社のことを、心の底から軽蔑しました。

2019年05月19日 21:31