2017年01月31日

津田沼の西友が閉店

 本日をもって、津田沼パルコ地下の西友津田沼店が閉店しました。
 約20年前にここに引っ越して以来、何百回も利用した店でした。
 閉店の数日前に行きましたが、すでに「店じまいモード」に入っており、ほとんどの棚はガラガラでした。
 特に、チョコレートの棚に何もないのを見た時は、直前に行ったイオンのバレンタインフェアとのあまりの差に、寂しさをおぼえました。

2017年01月30日

時計が帰還

 年末に腕時計が止まりました。
 1997年に、当時婚約者だった相方にプレゼントしてもらったものです。
 電池切れかと思って修理に出したところ、分解掃除が必要と時計屋さんに言われました。
 その結果、一ヶ月近く、腕時計のない生活を余儀なくされました。
 別に、普段それほど腕時計を見ているわけではないと自分では思っていました。
 時刻を知りたければ、携帯を見る、という手段もあります。
 ところが、思っていた以上に、この腕時計のない生活は不便でした。
 というわけで、戻ってきて、再び腕に巻き、時刻を確認した時は、かなりホッとしました。
 当たり前のように存在するものが、実は大切な存在である、という事を改めて認識させられました。

2017年01月29日

今年初の梅林公園と久々の津田沼散歩

 今年初の習志野市鷺沼台にある梅林公園に相方と行きました。
 昨年、道路工事などの関係で梅林公園は大幅に改築されており、梅の木も移設されていました。
 その結果、一番最初に梅が咲く、日当たりのいい斜面から梅がなくなっていました。その結果、1月下旬だというのに、例年に比べると大幅に低い開花率となっていました。
 まあ、逆に言えば、今年はかなり遅い時期まで、梅を楽しめる、という事なのでしょう。
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 その後、そのまま津田沼まで歩きました。
 以前はよくやっていましたが、最近は、休みの日もなかなかバタバタしており、行けていませんでした。
 相方と話したら、5年ぶりくらいではないか、との事でした。
 実際、歩いている間に、広大な空き地ができていたり、公務員官舎が閉鎖されているなど、色々と変化がありました。
 その変わりようを見ながら、確かに、それくらい間が空いていたな、と思ったりしました。
 やはり、年齢を重ねると、比較的近い過去の記憶が、はっきりしなくなってしまいます。
 いずれにせよ、久々に二人で一時間近く歩き続ける時間を持つことができ、いい気分転換になりました。

2017年01月28日

弁当箱

 弁当箱の蓋が閉じにくくなりました。経年劣化のためと思われます。
 仕方ないので、買い換えることにしました。
 今の弁当箱をいつ買ったかは覚えていません。ただ、前職のみならず、その前の職場で働いていた時も、この弁当箱のお世話になっていた事は確かです。
 一番印象に残っているのは、前々職でシステム管理をしていた時、深刻な障害が発生した時のことでした。
 食事をする余裕などなく、なんとか片付いたあと、帰りの電車に乗るために駅に行き、そこのベンチで22時ころに「昼食」を食べた事は、おそらく一生忘れないでしょう。
 そのように、様々な時間・場所でお世話になった弁当箱での最後の食事を行いました。
 食べ終わった後は、いつもどおり洗いました。もう二度と使うことはないとはいえ、長年お世話になったわけです。心のなかで、長年世話になった事をねぎらいつつ、普段同様、きちんと洗い、いつもどおりに片付けて持ち帰りました。

2017年01月26日

20年

 今日は、19回目の結婚記念日でした。
 同時に、相方と初めて直接会ってから20年目という記念日でもありました。
 20年前、当時相方が住んでいた愛媛に旅行し、そこで、今の相方に街を案内してもらったり、食事をしたりしたものでした。
 夕方5時頃、喫茶店に入って会話を始め、ふと気づいたら、周りの店のシャッターが閉まり、一瞬のうちに3時間が経過していてお互い驚いた、というのは今でもよく覚えています。
 それだけ、直接会うのは初めてなのに、会話がはずんで、時の経過を忘れてしまったわけです。
 それから1年後に結婚し、現在に至っていまです。
 その間、嬉しいこと、楽しいこと、面白いこと、悲しいことなど、色々あった20年でした。
 いずれにせよ、20年前に喫茶店で話し込み、時間の経過を忘れた事は、昨日の事のように覚えています。
 次の節目の年も、同じような事を考えるのだろうな、などと思った20年めの1月26日になりました。

2017年01月24日

贈り物

 妹から、宅配便が届きました。
 開けて見てみたら、防寒性能の高い衣類が色々と入っていました。
 ここのところ、寒空の下での立ち仕事が増えており、これからの寒さ本番の季節において、さらにその頻度が増す事が決まっています。
 それを察してくれて、わざわざ選んで買って贈ってくれたのでしょう。
 もちろん、この妹のみならず他の家族にも、色々と世話になっています。
 あらためて、家族の思いやりに感謝させられました。

2017年01月23日

誕生祝いと結婚祝い

[ ]

 今日は、弟の誕生日でした。
 20代なかばの頃に弟と二人暮らしをしていました。その頃は、よく新宿に遊びに行ったのですが、二人して気に入った店がありました。
 自分が結婚して、別々に暮らすようになったあとも、それぞれ、お気に入りの店として愛用していました。
 今日は休みが取れたので、昼過ぎにそこに行き、ビールと名物のホットドッグを楽しみました。
 自分は昼にはアルコールを摂取しない主義なのですが、今日は、誕生日という事があり、昼飲みが大好きだった弟にあわせました。

 そして、夜は銀座に移動して、数日前倒ししての結婚記念日祝いをやりました。
 昨年春に結婚式を挙げた姪の引き出物がカタログで、その中に、銀座の高級寿司屋でのペア食事、というのがありましたので、それを選んだわけです。
 いつもどおり、趣味の話で盛り上がりましたが、記念日らしく、お互いの両親の金婚式や、6年後に迫った、我々の銀婚式の話などもしました。
 こうやって、いつまでも色々と記念日を祝い続けたいものだと思いながら、楽しい時間を過ごしました。

2017年01月22日

ITの経験豊富?

 元ライブドア経営者で、その後証券取引法で有罪となり実刑判決を受けた人が、どこかの自治体の顧問だかアドバイザーだかになった、というニュースを見ました。
 なんでも、そのITに関する知識や経験を期待してとのことです。
 ちなみに、一年ほど前、Jリーグも同じ理由でこの人をアドバイザーに招いています。
 しかし、その人が経営者として飛ぶ鳥を落とす勢いだったのは、別に画期的なIT関連のサービスや商品を開発したからではありません。
 金融や証券で色々やって、巨万の富を得ただけです。もちろん、結果的にその少なからぬ部分は違法行為によるものだったわけですが…。
 実際、当時のライブドアが提供しているサービスは、ヤフーなどの先行大手が提供しているサービスの焼き直しみたいなものばかりでした。
 また、あるとき、当時自分が勤めていた職場の機関誌にこの人が登場して「対談」を行い、職場に対する「IT活用の提言」を行った事がありました。しかしながら、その「提言」の中身は、とっくの昔に実現されていたものでした。
 実際、Jリーグのアドバイザーになって一年経ちましたが、IT関係でJリーグのサービスが向上した、などという話は何一つ聞いたことがありません。
 ネットで検索しても、出てくるのは、アドバイザーになった時の大言壮語だけです。
 この事を考えると、未だに世の中に少なくない「偉い人」は、「IT関連企業の株で巨額の富を築いた」事と、「IT関連で質の高いサービスを提供した」事の違いがわからないのでは、と思えてきてしまいます。
 インターネットが普及して20年以上経つのに、なぜこのような認識が堂々とまかり通るのか、不思議でなりません。

2017年01月21日

公共の電波でギャンブル中毒者

 カーラジオで地元FM局を聞いていました。
 CMになり、若い男性の声で「課長、明日お休みいただきます。スロットの◯◯店のオープンなんです」というのが流れました。
 そしてオチは、その部下の熱いパチスロへの思い入れを聞いた課長が、「部長、自分も明日休みます」と言う、というものでした。
 パチスロ店がオープンするという理由で会社を休んで打ちに行く、などというのはどう見てもギャンブル中毒の末期症状です。しかも、課長も「同類」なわけですから、部署レベルでギャンブル中毒が蔓延しているわけです。
 聞いていて、カジノで106億円突っ込んだ会社社長の事が自然と頭に浮かんできてしまいました。
 そして、このような異常な広告を公共の電波が流す、という事が普通に行われている今の報道の異常さに改めてゲンナリしました。

2017年01月20日

久々に客車を見る

 幕張本郷駅に通じる橋を歩いていたら、脚立に乗って、電車を撮影している人がいました。
 確かに、ここには色々な珍しい車両が来るので、鉄道ファンに人気がある所です。しかしながら、19年間住んでいますが、脚立に乗って撮影している人は初めて見ました。
 何事かと思って見たところ、総武快速用の電車に混ざって、ディーゼルカーに牽引された客車列車が停留していました。
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 客車の車型は12系か14系の座席列車のようです。
 10代から20代にかけて、この青い客車列車には大変お世話になりました。

 初めて乗ったのは、上野から会津若松に行く、夜行急行「ばんだい」でした。その後も、上野と青森を結ぶ「八甲田」「津軽」、北海道内を走る「利尻」「大雪」「まりも」、九州の「かいもん」などを一度ならず利用したものでした。
 これらの座席夜行急行は、周遊券を買うと別料金なしで乗ることができます。そういう事もあり、学生時代の貧乏旅行では重宝したものでした。
 しかし、時代の流れもあり、客車列車はだんだんと減っていきました。昨年、夜行急行「はまなす」の廃止で、定期旅客列車で客車が使われることはなくなりました。現在は、全てイベント的な列車において使われているようです。
 この客車も、千葉で行われるイベントのために幕張本郷に来たのでしょう。
 というわけで、20年ぶりくらいに、この青い客車を生で見ることができました。
 そして、これに乗って国内の様々なところを旅した若い頃を思い出し、懐かしさに浸りました。

2017年01月19日

スーツを着ない習慣

 昨年暮れあたりから、スーツにネクタイで仕事をする機会が増えました。
 2012年春に、当時勤めていた会社を辞めるまでは、20年間の社会人生活で、ほぼずっとスーツを着て出勤していました。
 ところが、その後に始めた前職並びに、昨年1月に今の仕事を初めてからの10ヶ月間は、スーツを着る必要はほとんどありませんでした。
 その結果、すっかり仕事にスーツを着てくのが面倒になりました。別に、スーツが嫌いなわけではありません。このあたりは、自分でもよくわかりません。
 今日などは、出勤中に、「そういえば、夕方にスーツ着てやる仕事が入っていた」と気づいたほどでした。そこで、自宅に戻ってスーツに着替えて「再出勤」しました。このあたり、車なら職場と自宅の間を片道10分かからない職住接近環境ゆえと言えるでしょう。
 別に普段の業務で汚れ仕事があるわけではありません。ならば、可能性がある以上、毎日スーツで出勤すればいいだけの話ですが、なぜかそういう気にはなりません。
 20年の「スーツで働く習慣」が、その後の5年間の「非スーツで働く習慣」に上書きされてしまったような感じです。我ながら面白いと思いつつ、「明日の仕事でスーツ着用はあったっけ」と前日に確認する日々となっています。

2017年01月18日

手あれ

 先月半ば以降、手荒れに悩まされています。
 もともと、定期的の手のひらがボロボロになる体質ではありました。しかし、それは一週間程度で自然に治っていました。一昨年の秋に、いつまで経っても治らず、皮膚科のお世話になりました
 その時期は、精神的に非常に辛い事があり、その影響だろう、などと思っていました。
 ところが、一年後にもまた、手荒れが治らず、再び皮膚科に行く羽目になりました。
 しかも、薬を使い切っても完治しません。その後も、少しずつ快方に向かってはいたのですが、本日、手を使った肉体労働をしたら、再度悪化してしまいました。
 もともとの手荒れ体質が、加齢によってさらに深刻になった、という事でしょうか。
 このままなら、再度の通院も視野に入れねばならなさそうです。いずれにせよ、手の管理について、これまでと違うやりかたをせねば、と痛感させられました。

2017年01月17日

寒さ対策

 ここのところ、冷え込みが厳しく、朝の出勤時には防寒対策をどうしようかと悩みます。
 さらに、自分の場合、週に1~2回、早朝に自転車をこいで走り回る必要がある日があります。
 普段の日の防寒対策を強化しすぎると、その早朝の日に寒さにやられてしまうのでは、と不安になり、ついつい普段の日の防寒を甘くして、寒さに震えたりします。
 冷静に考えれば、早朝自転車の日に、セーターを二枚着るなど、一番寒いときの防寒レベルを上げればいいだけの話なのですが…。我ながら、奇妙な考えをするものだと思っています。
 とりあえず、明日は久々の早朝自転車です。お隣の市原市は、昨日、氷点下6度まで下がったそうです。
 海辺の我が地域ではそこまで下がることはなさそうですが、普段以上の防寒体制を取る必要があります。その後の、朝出勤時の体制との差別化も含め、念入りに計画せねば、と思っています。

2017年01月16日

修正機能

 SNSの中で、ツイッターには修正機能がありません。
 もし、間違いに気付いた場合は、削除して書き直すより対処法がありません。
 ツイッターのように短文で拡散度が強いシステムだと、確かに記載内容をコロコロ変更できるのはまずいと思います。
 しかし、「変更不可」というのはどうなのでしょうか。
 実際、ツイッターではよく「事実と異なるセンセーショナルな投稿が大きく拡散され、発信者が誤りを指摘されて、デマツイートを削除のうえ、訂正をツイートしても、それがほとんど拡散されない、という現象が一度ならず起きています。
 それを考えると、元の投稿に取り消し線をつけたうえでの訂正機能は必要なのでは、と思わざるを得ません。

2017年01月15日

個室夜行バス

 東京と大阪を結ぶ夜行バスに、全席個室の車両が登場する、というニュースをみました。
 「走るホテル」みたいな売り文句を見たので、どんな内装なのか、と見てみましたが、とても「ホテル」という域には達していない、としか言いようがありませんでした。
 ちなみに、バスという事もあり、あくまでもリクライニングシートであり、横になることはできません。
 せいぜい「走るネットカフェ」という感じです。
 もちろん、従来の座席に比べれば大幅に環境アップしたことは確かです。しかしながら、その表現はホテルに失礼なのでは、と思いました。

2017年01月14日

家族で祝う

[ ]

 祝い事がありました。
 今年は、ちょっと離れた所に住む姉が、わざわざ幕張本郷まで来てくれて、相方と自分にお祝いの品をたくさんのくれました。本当に感謝です。
 祝宴を開いたのは、かつて弟と相方と三人でよく行った店でした。
 リニューアルでメニューはかつてと大幅に変わっていましたが、店の内装は以前と同じでした。
 それだけに、弟と飲んでいた時の事を思い出しながらの飲みとなりました。
 姉と弟と自分は年子三人で、物心つくまえから、常に一緒に子供時代を過ごしていました。
 それだけに、弟と一緒に何度も行った店で、姉と飲んでいるのに、弟がいない、という事に違和感と寂しさを感じることもありました。
 それはともかく、大変楽しい時間を過ごすことができました。本当に感謝です。

2017年01月13日

Microsoftアカウント

 Windows8.1以降、パソコンの設定において「Microsoftアカウント」が必須になりました。
 そして、Windows10になってから、その位置づけが少し変わりました。
 Windowsそのものにおいては、Microsoftアカウントが不要になったのですが、相変わらず、Word・ExcelといったOfficeソフトにおいては、Microsoftアカウントでの登録が必須となっています。
 しかも、その設定方法がえらく面倒で、ちょっと失敗すると、普通の人なら設定不能状態に陥りかねない状況が生じてしまいます。
 このあたりの認証の厳密化は、不正使用を防ぐためのものなのでしょう。
 その気持は解りますが、かなり高価である規定の料金を支払って購入した人が、そのおかげで設定で苦労する、というのは本末転倒です。
 不正を弾く機能を強化するのは結構ですが、適正に購入した人に苦労させない仕組みを作るべきなのでは、と強く思いました。

2017年01月12日

3年でバス停名全とっかえ

 昨年暮の事ですが、イオン城開業三周年にあわせ、周辺のバス停名が改称されました。
 まず、多くのバスが終点としている「イオンモール幕張新都心バスターミナル」が、「イオンモール幕張新都心ファミリーモール前」に改称されました。
 理由は公表されていませんが、この「バスターミナル」がイオン城全体では西端に近い所に存在しているのが一因では、と思います。

 そこで降りてから、一番大きい「グランドモール」にある専門店街まで行こうとしたら、かなりの距離を歩かざるをえません。
 そのあたりのクレームを受けて改称した可能性が高そうです。
 また、それとバランスをとるために、「イオンモール幕張新都心グランドモール」などの他のバス停も「イオンモール幕張新都心グランドモール前」と最後に「前」がつくように統一され、改称されました。
 今回、イオン城域内で唯一改称されなかったのは「イオンモール幕張新都心イオンスタイル口」だけです。
 しかし、このバス停は3年前は「イオンモール幕張新都心従業員口」という名前で開業したものの、すぐ「イオンモール幕張新都心グランドモール北」と改称され、さらに「イオンモール幕張新都心イオンスタイル口」と、3年間で2回も改称されています。
 要は、開業三年で、全てのバス停が改称したわけです。
 それだけバス停名がわかりにくく、不評だという事でしょう。実際、自分も先日、海浜幕張からツタヤのあるあたりに行こうと思い、「確か蔦屋書店口とかいうバス停ができたはずだ、そこで降りよう」と思っていたら、そのバスは蔦屋書店口には停車せず、当時の「イオンモール幕張新都心バスターミナル」で降りざるをえなくなり、そこから延々と歩かされた、という経験をしています。
 ちなみに、その際、自分が降りるべきだったバス停は「豊砂公園」という、「イオン」を冠していないところだった、というオチもあります。
 バス停名の基本的なつけかたに問題があると言わざるを得ません。全てのバス停に「イオンモール幕張新都心」という接頭語がついているわけですが、乗っている人は誰だって、そこがイオン城だという事は解ります。
 したがって、それを取っ払った上にそれぞれの「モール」に日本語で注釈をつければいいのではないでしょうか。
 たとえば、「イオンモール幕張新都心グランドモール前」だったら「グランドモール(中心施設)」で、「イオンモール幕張新都心ファミリーモール前」だったら「ファミリーモール(子供服売り場など)」としたほうが、よほど分かりやすいのではないでしょうか。
 今の体系だと相変わらずわかりにくいので、また暮れの4周年の頃には、バス停改称があるのでは、などと思っています。

2017年01月10日

携帯が帰還

 昨年末、突然、携帯がフリーズしました。
 ショップに持ち込んだところ、引取修理が必要との事でした。そのため、ここ2週間ほど、代替機を使っていました。
 その修理完了の連絡がやってきたので、早速、引き取りに行きました。
 先方の説明によると、中のデータは全て初期化した、とのことでした。実際に、携帯を開いたところ、そのとおりになっていました。
 ただ、待受画像だけは、修理に出す前と同じニャン孫の写真でした。そこは、初期化の対象外だったようです。
 もし、このニャン孫写真がなければ、修理に出す前との共通点は何もなかったわけです。それだけに、そのニャン孫写真を見た時は、「自分の携帯が戻ってきたのだな」と思うことができました。

2017年01月09日

玉電があれば・・・

 慢性的な通勤ラッシュ混雑に悩んでいる東急田園都市線が、渋谷-三軒茶屋間で、「電車の定期券でバスも」キャンペーンというキャンペーンを行っている、というニュースを見ました。
 混雑緩和のために、三軒茶屋から渋谷の間を利用する人に、「バス代行輸送」を提案する、というわけです。
 このニュースを見て思ったのは、自分が産まれた頃に廃線になった「玉電」の事でした。
 今の田園都市線とほぼ同じ経路で、渋谷と二子玉川を結んでいた路面電車です。非常に便利な路線だったのですが、246号線の渋滞がひどくなるにつれ、「玉電(たまでん)は『じゃまでん』だ」などと批判され、廃線に追い込まれました。
 そして、玉電が廃止されたあとの246号線にの上には、高速道路が建設されました。
 その高速が重要であることは理解しています。とはいえ、玉電を廃止しなければ、田園都市線がここまで混雑で困ることもなかったのでは、と思わざるを得ませんでした。

2017年01月08日

2017/1/8の更新

 トップ絵を更新しました。
 翔みならブログめもちょうを更新しました。

2017年01月07日

複合機のプリンタ機能

 職場のある拠点でサイト閲覧でトラブルが発生したため、その現場に行きました。
 その問題はあっさり解決したのですが、それに関してパソコンの使い勝手について話した際に、「プリンタが故障しており、印刷する時は、データをUSBメモリに落として、複合機に挿してプリントアウトしている」という話を聞きました。
 その拠点にはネットワーク環境は整っており、複合機にもLANの口があります。そこで、ネットワークプリンタの設定を行い、パソコンから直接複合機にプリントアウトできるようにしました。
 そのパソコンを設置したのも自分だったのですが、その時は、複合機から出力するという意識が全くありませんでした。
 15年ほど前、当時の職場に、複合機での印刷を自分が主体となって導入した事がありました。そして、今の職場でも、複合機でプリントアウトしています。
 にも関わらず、いまだに複合機を見ても、「プリンタ」という認識が持てません。そのため、パソコンを設置した時も、そのような考えが頭に浮かばなかったのです。
 前世紀までの「パソコンから出力するのはプリンタで、複合機はコピーやFAXをするもの」という固定観念が何故かいまだに頭にこびりついているようです。
 我ながら不思議だとは思いましたが、これを機に、もう少し頭を柔軟にせねば、と強く思いました。

2017年01月06日

長年のサポート

 20代半ばで膝を痛めました。
 普通に暮らしている分には何ら影響はないのですが、寒い季節にちょっと走ったりすると、痛みが走り、歩くのにも苦労するようになったのです。
 医者に行ったら、膝関節がちょっと変形して棘ができ、それが神経を圧迫するためと言われました。
 対処法としては、屈伸運動を繰り返して、「筋肉の鎧」を作るか、サポーターで膝の負担を軽減するかのいずれか、と言われました。
 屈伸運動を繰り返す気力もないので、サポーターを購入し、冬はそれを膝に装着することにしました。最初に走った時は、膝に痛みが生じず、その効果に感心したものでした。
 というわけで、20年以上愛用していましたが、相方から、いい加減ボロボロなので、買い換えるべき、と指摘されました。
 それに従い、新しいのを購入し、これまで20数年お世話になっていたサポーターはゴミ箱行きとなりました。
 わずか数10グラムの布とゴムですが、長年世話になっただけに、捨てる時は寂しさがありました。
 その分、二代目の膝サポーターにも活躍してもらいたいものだな、などと思ったりもしました。

2017年01月05日

2017/1/5の更新

 交通博物館千葉駅シャトルバス(旧パルコバス)を掲載しました。
 

2017年01月04日

年明けそうそう嫌なものを見る

 昨日のことですが、自転車を走らせていたら、進行方向の路上にゴミ袋が散乱していました。
 この地域の生ゴミ収集日は水曜と土曜です。したがって、三が日かつ火曜である昨日に生ゴミが捨てられるはずはありません。
 しかしながら、ここのみならず、少なからぬ場所に生ゴミが捨てられていました。どうやら、みな、大晦日だった土曜日に捨てたようです。
 千葉市は数年前に「有料化」と称してゴミ袋を大幅値上げし、その代償として、祝日でもごみ収集をするようになりました。そのため、大晦日でも収集すると誤解した人が多々いたと思われます。
 とはいえ、集積所には年末年始の収集中止の告知くらいしただろう、と思いました。しかし、詳しくみたところ、驚きました。
 確かに、年末年始の収集告知は掲示されていました。しかし、紙は小さく、きちんと貼ってもいません。その結果、ちぎれ飛んでしまったのです。
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 これでは、皆が気づく訳ありません。その結果、大晦日に大量の生ゴミが捨てられ、カラスがそれをつついてこのような路上にゴミ袋が散乱する結果になったわけです。
 千葉市のゴミ行政には多くの人が不満の声を挙げています。それを象徴するような出来事だと、正月少々嫌な気分になってしまいました。
(※「続きを見る」をクリックすると、ゴミの散乱具合を見ることができます。食事中などの閲覧はお勧めしません)

ゴミの散乱具合です。
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2017年01月03日

職住近接

 今日は自宅と職場を二往復しました。
 早朝と昼前に仕事があったのですが、その間にはそこそこ空き時間が生じたためです。
 もちろん、職場で休んでもいいのですが、特にいる必要がなければ、ただ休むだけでも自宅のほうが落ち着きます。
 そういう事もあり、自宅に戻って休憩し、再度職場に行く、という事を二回もやりました。
 これも、職場まで自動車で10分、自転車で20分という職住近接の環境がなせるわざです。
 そして、移動時間をかけただけの事もあり、効率的に休養することができました。

2017年01月02日

2017/1/2の更新

 漫画資料室「今日もどこかでデビルマン」と漫画版「デビルマン」を書きました。
 アニメ版のEDと、漫画版の重要な場面の意外な関連性について述べています。

金星と月

 夜になって空を見たら、三日月が輝いていました。そして、そのすぐ近くでは金星が瞬いていました。
 なかなか見ることのできない組み合わせだと思い、写真に撮りました。
 正月で空気がきれいだから、これだけよく見えたのだろうか、などとも思いました。
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2017年01月01日

謹賀新年2017(2017/1/1の更新)

 トップ絵を更新しました。

 新年明けましたおめでとうございます。昨年は大変お世話になりました。本年も「つれづれの館」をよろしくお願いします。
 今年も、ふたりとも色々と忙しくなりそうなので、この日記と、相方のコミケ情報・お仕事情報以外の更新はあまりできそうにありません。
 でも、それらにつきましては、今まで通り発進してまいりますので、なにとぞよろしくお願いします。

新年のニャン孫

 外出先で年越しして、未明に自転車で帰宅しました。
 ニャンマンションの前を通ったところ、ニャン孫が現れたので、新年の挨拶をしました。
 そのまま一緒に帰宅し、相方とも賀詞交換をしていました。
 さらに昼、相方が買い物に行くと、ニャン孫がマンションの庭で遊んでいました。
 そして夕方、年賀状の返礼分を出しにいったら、アパートの敷地内にニャン孫がいました。
 そのまま通りまで「ニャン散歩」しました。
 ポストは通りを渡った所にあります。ニャン孫は、以前は通りの向こうまでついてきました。しかし、最近は車の危険性を学び、自分が通りを渡ると、手前でじっと待っています。
 そして、投函後、再合流して、また、家まで「ニャン散歩」しました。
 一日に三度もニャン孫に会うことはなかなかありません。新年早々、縁起がいいと思いました。
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全日本選手権。鹿島が優勝

 全日本選手権決勝の鹿島-川崎が行われました。
 鹿島が先制し、川崎が追いついて延長に入り、延長前半で鹿島が挙げた得点が決勝点になり、鹿島がJ1に続いての二冠を達成しました。
 J1の後期は完全に浦和が圧倒しており、CS決勝1戦において、浦和がアウェイで勝利した時は、「これで決まりだ」と思っていました。
 ところが第2戦で逆転勝利で優勝し、さらにはクラブW杯準優勝、そしてこの全日本選手権制覇なわけです。
 終わってみれば、鹿島が圧倒した一年となりました。
 CS第2戦で流れが完全に変わったわけです。そういう意味でも、興味深い2016年のサッカーだと思いました。