2019年04月18日

「時代」という概念

 なんでも、今月末で「平成時代」なるものが終わりを告げるそうです。
 その一つ前は「昭和時代」というのがあったそうです。
 しかしながら、「昭和時代」なるものの最初の20年間は専制的で他国を侵略し、その結果、多くの人々が殺し殺されたという日本史上最悪の暗黒時代でした。
 その後、戦争に破れ、問題は多々あったものの平和国家としての地位を確立したのがその後の44年間だったわけです。
 この二つを「昭和時代」として一括りにするのは、どう考えても無理があります。
 同様に、「天皇が代わった」という理由だけで、1989年1月7日からを「別の時代」と設定するのも無理がありすぎます。
 一人の人間が死んだり引退したりすることによって「時代」が変わる、などという事は歴史的にありえない話なのです。
 にも関わらず、今、マスコミでは「時代の終わり・始まり」なる「報道」が氾濫しています。
 歴史感覚はもちろん、国民主権という事も理解できていない、と言わざるを得ないと思っています。

2019年04月16日

赤の他人からの「アドバイス」

 SNSをやって悩み事などを書くと、見ず知らずの人から「アドバイス」が送られてくる、という事がよくあります。
 会ったこともない人の、しかも状況の一部分だけを書いた文章を見ただけで、解決法が提示することなど100%不可能です。
 もちろん、それを実行して失敗しても、その「アドバイス」をした人は何一つ責任を取りません。
 つまり、そのような「アドバイス」は百害あって一利なしなのです。
 もし、そんなもんを送りつける輩がいたら、即座にSNSのブロック機能などを使うべきでしょう。
 もちろん。SNSで繋がっている人が困っているときに、自分なりの案を伝えたくなる時はあります。
 その時は、「アドバイス」ではなく、参考になればいい程度に、自分の考えを伝えるようにしています。

2019年04月15日

二択の罠

 他人を従わせるテクニックとして、「どちらを回答しても自分にとって都合がいい二択の問題を出して回答を迫る」というのがあります。
 「◯◯してくれ」と言っても、まず断られる、という状況があるとします。その際に質問を「◯◯か☓☓のどちらかを選んでくれ」というと、その☓☓が、◯◯と同様のメリットがないものでも、ついついどちらかを選んでしまう、というものです。
 選択肢を与えられると、かならずどちらかを選んでしまう、という心理状態を利用したものなのでしょうね。
 そういうものに引っかからないためにも、常に「選択肢を出されても、その中の一つを選ぶ必要があるとは限らない」という事を認識している必要があります。
 ちなみにある時、全然仲良くない昔の知り合いから、飲みに誘われた事がありました。
 最初に「三連休の初日は空いてる?」と尋ねられたので断ったら、「なら二日目と三日目だったらどちらが都合がいい?」と尋ねてきたのです。
 もちろん、このパターンは承知していたので、何の予定も入っていなかったのですが、即座に「どちらも都合が悪い」と答えたものでした。

 

2019年04月14日

都内の駅構造を忘れる

 今日は所要で蒲田に行き、続いて新宿に行きました。
 蒲田から京浜東北で品川に出て、そこから山手線に乗り換えました。
 続く大崎で埼京線に乗り換えようと思ったのですが、「確か、埼京線の大崎駅は、山手線ホームの南にあったはずだ」と思い、最後尾に乗りました。
 ところが、乗り換え階段は編成の真ん中あたりにありました。前に大崎で乗り換えてからかなり時間が経ってはいました。とはいえ、ここまで忘れるとは思ってもいませんでした。
 さらに、埼京線で新宿で降りたのですが、地下街にある店に行こうとしたのに、なぜか南口の階段を登ってしまいました。
 埼京線の大宮寄り先頭車両に乗ったのですが、降りたら目の前に登り階段があったので、つい登ってしまったのです。
 上に着いてから、「いや、ホームの端には地下行きの階段があったはずだ」と思い出し、再び階段を降りる、という間抜けな事をやってしまいました。
 都内での乗り換えはかなり研究したものです。しかし、どんな知識も、使わないと衰えるのだな、と再認識させられた一日となりました。

2019年04月13日

桜が散り始める

 開花のあとに冬に戻ったような気温になったため、今年の桜はかなり長持ちしました。これだけ花見シーズンが長かったのも久々ではないでしょうか。
 もっとも、自分はいろいろあってなかなか桜を楽しむ精神的余裕はできなかったのですが…。
 とりあえず、来年は桜をのんびり楽しみたいものだ、などと思いつつ。青空に映えた桜を撮ったりしました。
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2019年04月12日

アイデンティティ

 今に始まった事ではありませんが、自分は「腰が低く他人を立てる人」と「理不尽を許さず、そのためには既存の悪弊をぶっ壊してもかまわない人」という二つの側面を持っています。
 基本的には、前者がメインですが、状況によっては後者を前面に出します。
 あまり後者ばかりを目立たせすぎるとバーサーカーみたいになってしまいます。
 一方で、前者ばかり出しすぎると、勘違いした人から、無礼千万な態度を取られてしまいます。
 二つの側面は別に相矛盾しているわけではありません。どちらも「素の自分」です。とはいえ、その比率の出し方には悩まされます。
 まあ、この調整は死ぬまで苦労し続けるのでしょうね。

2019年04月11日

貨物コンテナの中を見る

 要らなくなった書類を、回収業者さんのところに捨てに行きました。
 するとそこに、鉄道貨物コンテナがトラックに積まれていました。
 この事業所で整理した古紙を積んで、それを鉄道でどこかに運ぶようです。
 その積むところを見ることができました。
 子供の頃から貨物コンテナは何百回も見てきましたが、中を見るのは初めてです。
 そして、コンテナの中は板張りになっていました。
 その外観から、てっきり中も金属だと思いこんでいただけに、かなり驚かされました。
 改めて、世の中にはまだまだ知らないことがたくさんあるのだな、と思いました。

2019年04月10日

「考え」と「休み」

 将棋の格言(?)に「下手の考え休むに似たり」というのがあります。「弱い人がいくら考えてもいい手は浮かばないから休んでいるのも同じだ」という意味です。
 ある意味間違ってはいません。弱いうちは、延々と考えることなく、思いついた手を指したほうが、上達しやすいと自分も思っています。
 その一方で、一定の実力のある人が、弱い人が懸命に考える姿を見て、このように揶揄する、というのは、上位者にふさわしくないとも思っています。

 前置きが長くなりましたが、ここから本題です。
 この「下手の考え休むに似たり」を逆(?)にしたらどうなるでしょうか。
 今日はここ一ヶ月の疲れを癒やすため、昼まで布団で横になっていました。
 眠ったり起きたりしていたのですが、目が醒めていると、色々な考えが浮かびます。
 やはり、休まないといい考えは浮かばないものだな、と思ったりしました。
 「下手の考え休むに似たり」は事実なのでしょうが、「下手でも休むといい考えが浮かぶ」というのもまた事実なのかもしれませんね。

2019年04月09日

因果関係の誤解

 「○○した結果☓☓になった」という因果関係の考察は、毎日のようになされています。
 しかし、この因果関係は、仮説レベルで提唱された時点で、たいして検証されずに認められてしまうケースが少なくありません。
 その結果、「○○」と「☓☓」に実は因果関係がなかったにも関わらず、「前回、○○したおかげで☓☓といういい結果を得ることができた。だから、今回も○○は行うべきだ」という主張がまかり通ってしまい、実際には意味のない○○を無駄に行ってしまって失敗してしまう、という事が多々発生してしまいます。
 「○○した」結果が「☓☓になった」からとはいえ、「☓☓になったのは○○したからだ」が成り立たないのは中学の数学で習うレベルの話なのですが…。
 安易な考察でこのような失敗をしないよう、もっと因果関係について深く考える習慣を強めるようにせねば、と日々思っています。

2019年04月08日

禍福は糾える縄の如し

 昨日の選挙で、自分が特に力を入れて応援していた人が落選してしまいました。
 あまりにも悔しく、昨晩は3時半まで寝付けませんでした。
 応援において、やろうとしていた事が、他の業務との兼ね合いでやりきれませんでした。それだけに、悔いが残ります。
 4年前の選挙では、その人が当選し、大変喜んだものでした。当時のFBには「これだけ自分や家族以外の事で喜んだのは15年ぶり」と書いています。
 ところがそれから半年後、弟が世を去り、一転してこの2015年は自分の人生にとって最も悲しい年になってしまいました。

 そんな事を思い出しながら、「4年前そうだったのだから、今年もその逆があるかもしれない」などと自分に言い聞かせています。
 いずれにせよ、今後は、できることをやりきって、このような悔しさを味合わなくてすむようにせねば、と思っています。

2019年04月05日

時間と結果は比例しない

 時間をかければかけるほど、いい結果がでるかのような風潮があります。
 一例を挙げると、徹夜して頑張ると、それだけで褒められます。
 しかし、それは本当なのでしょうか。
 普通の人なら、徹夜して仕事をすれば、だんだんと思考力が落ちてきます。
 その状態で行うわけですから、質が落ちるのは当然です。
 そんな事をするくらいなら、仕事の取捨選択をしたり、人を増やすなりして、その「徹夜してやり遂げた仕事」を日中で片付け、8時間働いた時点で帰れるようにしたほうが、仕事の質も、働くひとの健康もずっと良くなります。
 その逆を続けた結果、日本は長時間労働ばかりが目立つ一方で、かつての技術立国が廃れてしまったのではないか、と思っています。
 発想を変えて、「残業せずに短時間で終わらせる事が最優先」というのが前提になれば、もっと仕事の質も上がるのでは、と思っています。

2019年04月02日

本当の締切

 かつて、雑誌に寄稿する人がよく「本当の締切」という言葉を使う人がいました。
 これは、編集者から提示された締切日に原稿が上がらなくても、その数日後に設定された「本当の締切」に間に合えば原稿は掲載される、ということでした。
 自分も四半世紀前くらいにちょっと雑誌の編集をやった事がありました。
 確かに、その「本当の締切」というのは存在しました。ただし、ならば「本当の締切」までに原稿を上げればいい、というのは間違いなのです。

 本来の締切日までに原稿を上げれば、事実誤認や表記ミスなどのチェックもきちんと入ります。さらに、原稿の良さを可能な限り引き出すレイアウトを行い、写真や図表もそれにあったものを追加できます。
 しかし、「本当の締切」に入稿された原稿だと、そのような事をする時間がありません。
 その結果、ミスがそのまま掲載される危険性も高まり、レイアウトや写真・図表も雑になるわけです。結果的に記事の質が下がります。
 その結果、同じ原稿でも、本来の締切を守った記事より、質が落ちるわけです。
 約束を守らず、「本当の締切」に頼っていた人が、この「真実」を知ったらどう思うのだろうか、とよく考えたものでした。
 いずれにせよ、当時も今も変わらない結論は、「約束の時間以内にきちんと終わらせるのがいい仕事で、それを守らずにダラダラやるのは、いくら時間をかけてもだめな仕事」ということです。