2019年11月09日

社説

 新聞には必ず「社説」というコーナーがあります。
 その題名を見れば、新聞社としての考えや方針を表明している記事だと思うのが普通でしょう。
 確かに、読売や日経などは、社説と記事が連動しています。読売は自公政権に忠実な社の姿勢を、日経は経団連に忠実な姿勢を、社説に書いています。
 そして、記事にもその姿勢が反映されています。
 それに対してズレがあるのが、朝日と毎日です。
 社説ではちょくちょく現政権に批判的な事を書きます。
 しかし、その新聞社としての考えは、記事には反映されません。
 国会で重大な疑惑が指摘されたり、首相などが問題を起こしても、その異常さを批判せず、逆に野党の指摘に問題があるかのような記事を堂々と掲載します。
 社説と記事に整合性がない、というのは組織としてどうなのか、と思います。
 おそらくは、普通の読者は読みとばす社説で批判的なポーズを取りながら、多くの人が読む記事や見出しでは権力に媚びへつらっている、という事なのでしょう。
 後にその報道姿勢を指摘された時の免罪符になると思っているのでしょうか。
 姑息さに呆れると同時に、「社説」の価値を落として平然としている姿勢に惨めさを感じさせられました。

2019年11月09日 23:17