2016年12月24日
京成で「途中下車」
京成千原線の千葉寺駅近辺に行く用事がありました。
この千原線は、路線図だけ見ると、京成千葉線と一体化しています。
しかし、「千原線」の部分は、もともと、京成も出資した「千葉急行電鉄」として開業しました。その会社が経営破綻して京成が引き取った、という経緯があります。
そのため、同じ京成でありながら、境界である千葉中央駅をまたぐと、運賃が跳ね上がります。
たとえば、京成千葉駅から3つ西側にある、みどり台駅に行くには4分乗って133円です。ところが、京成千葉駅から2つ西側にある、千葉寺駅に行くと、所要時間は同じ4分なのに、倍の268円かかるのです。
久しぶりに行った千葉寺駅は、開業時同様、ホームは上下線分用意されていながら、実際に使われていたのは、「下りホーム」だけの単線駅でした。
向かいに見える「上りホーム」を見ながら、ここに電車が止まることは、永遠にないのだろうな、とちょっとさびしく思いながら見ていました。
用事が済んだとき、ちょっと空腹感をおぼえました。そこで、千葉中央で途中下車して、改札近くにあるファーストフードでおやつを食べ、再び京成千葉線に乗りました。
普通、このような「途中下車」をすると、非常に割高になるものです。しかしながら、この千原線・千葉線の独特な運賃体系により、100円弱しか運賃が増えませんでした。
得したのか損したのかよくわかりませんが、とりあえず、特異な運賃体系をうまく使えたとは思いました。
いずれにせよ、京成においては、「同じ鉄道を4分乗って268円」などという異常事態を一日でも早く改善してほしいものだと思っています。
2016年12月02日
野球場の名称変更
海辺にある野球場が、ネーミングライツの契約変更に伴って12/1付けで名称変更しました。
ただ、京成バスのサイトを見ると、バス停の名前などでは、いまだに、先月までネーミングライツを持っていた会社の名前を使っています。
今回の話が急だったので、対処が間に合わなかったのでしょうか。まあ、1月1日付で変わるとは思いますが…。
ちなみにこの野球場が本来の「千葉マリンスタジアム」という名前だった時はよく観戦に行きました。しかしながら、そこを本拠地としている球団において、色々と楽しくない事があったので、今では足が遠のいています。
その結果、ネーミングライツを導入してからは、一度も行った事がありません。
新たにネーミングライツを得た会社は、近所の海辺に工場があるようで、幕張本郷から従業員用の送迎バスが出ています。そのバスの外見が護送車みたいなので、以前からあまりいい印象は持っていません。
いつの日か、千葉市がネーミングライツという悪趣味な事をやめ、球団もかつてのような楽しい存在に戻ったら、また千葉マリンスタジアムで野球を楽しみたいものだな、などと思いました。
その日がいつ来るかについては、現時点で見通しがつかないのが大変残念です。
2016年11月13日
無意味な悩み
海浜幕張駅からイオン城までバスで行くことになりました。
この区間は、現金だと100円ですが、ICカードだと165円です。当然ながら、現金で乗ろうと思って財布を見たら、お札と10円玉しかありませんでした。
これだとICカードで乗らざるを得ない。たかだか65円とはいえ、余計に払うのは悔しい。どうやって両替しようか、などと思いました。
一瞬、何か飲み物でも買ってそのお釣りで乗るか、などとまで思いました。しかしながら、65円節約するためにそれ以上の金額を使って必要のない飲み物を買うなど、愚の骨頂です。
しばらく悩んでいたのですが、そのうち、バス車内には1,000円札対応の両替機がある、という事を思い出しました。
10年以上、バスはICカードで乗る生活を続けた結果、現金払いの仕組みを忘れてしまっていたわけです。
何事も、使わないと忘れてしまうものだな、と驚きました。
あと余談ですが、同じ京成バスでも、千葉駅周辺では、現金でもICカードでも100円で乗れる区間があります。なぜ、こちらだと、ICカードの場合165円になるのだろうか、とちょっと不思議に思いました。
2016年11月11日
久々の東京「出勤」
今日は仕事で東京に行きました。
4年半ほど前までは、この、幕張本郷から都内に「出勤」するというのは、毎日行っていた事でした。
しかしながら、それ以降は千葉で働くことになりました。そういう事もあり、かなり久々となった「都内への出勤」になりました。
久々に、朝の総武線の混雑した電車に乗り、西船橋で始発に乗り換えました。
かつての事を思い出し、懐かしく思ったりもしました。
ちなみに、電車は雨と混雑で遅れました。さらに、遅れた電車に焦る人たちの駆け込み乗車がほぼ前駅で発生し、さらに遅れに拍車をかけました。
自分はかなり余裕を持って出たので影響はありませんでした。とはいえ、途中では少々不安になったほどのノロノロ運転でした。
それも含め、かつての事を色々懐かむことができた、久々の「東京出勤」でした。
2016年10月27日
電車内での化粧
東急が「マナーキャンペーン」サイトで「電車の中での化粧はみっともない」などというフレーズを用いて不評を買っています。
この、「電車内での化粧」が見かけられるようになったのは、今世紀に入ってからでしょうか。自分も都内に通勤していたときは、何度か見ました。
しかしながら、別に「みっともない」などと思った事は一度もありませんでした。別に、周辺の客に何か迷惑をかけているわけではありません。うるさい音を立てているわけでもなければ、他人の乗車スペースを妨害しているわけでもありません。
にも関わらず、なぜこれを「みっともない」などとサイトで「批判」するのか、不思議でなりません。
ちなみに、電車の中で行われる、極めて「みっともない」行為として、「見ず知らずの他の乗客に喧嘩を売る」というのがあります。そのような人が、この「化粧批判」広告を見たら、大喜びして、車内で化粧をしている女性に喧嘩を売るという「極めてみっともない」行為を助長するのでは、と心配にもなりました。
2016年10月20日
国交省の「斬新な」荷物運搬法
トラック運転手の人員が不足しているそうです。
特に深刻らしいヤマト運輸は、トラックに人員募集広告を貼り付けて走らせています。
それを見るたびに、「そりゃあんな低賃金で過酷労働させられれば、辞める人が激増するのもしかたないよな」と納得(?)しています。
その人手不足に対し、国交省が斬新な解決法を発表していました。
それは、大型トラックの荷台つないで長ーく 運転手不足解消へというものでした。
つまり、道路法を改正して、一台のトラックの長さの規制を伸ばし、荷台を二つ繋げて走らせる、というものです。
見たときは、心底呆れました。
我が地元の幕張本郷には、「連節バス」が走っています。しかしながら、走ることができ区間は限定されており、それ以外の場所を走ることはできません。
当然の話で、あんな長い車両が所かまわず走りまくったら、周囲の運転手はそれだけ神経をつかう事になります。
ちなみに、連接バスが走ることができる場所は、全て十分な車線が保持されています。
もし、所構わずそんなトラックが走るようになったら、周囲の運転手は大変です。当然、事故のリスクも増えます。
そんな事も考えずに、この「斬新的な解決法」を思いついたのだろうな、と呆れました。
ついでに言うと、この国交省の人が「発見」した方法は、実は百年以上前から日本でも他国でも使われていました。それは、「貨物列車」というものです。
鉄道でしたら、二両どころか、十両以上の「荷台」を繋げても、安全に運送することができます。
しかし、1980年代の日本は、「もはやトラックの時代だ」という感じで、この貨物列車を激減させました。そして、広大な貨物ターミナルは売却されてマンションだの商業用地だのになりました。
そして現在、トラックによる運送に無理が生じ、国交省がこのような「斬新な計画」を発表しているわけです。
長期的な視点で評すると、コントでもやっているようにしか見えないでしょう。
改めて、30数年前に行われた鉄道に関する「改革」の間違いっぷりがよくわかりました。
2016年10月15日
京成千葉線の輸送力増強
京成電鉄が11月に行うダイヤ改正の概要を発表しました。
主な改正内容は、スカイライナーの増発と成田空港アクセス特急の増発です。ここのところ、いつのダイヤ改正でも、この成田空港アクセスの改善がメインとなっているので、これはまあ予想通りと言えるでしょう。
ところが、続いて、「京成千葉線の輸送力増強」が目玉として上がっていたのにはちょっと驚きました。
まあ、輸送力増強と言っても、本数を増やすのではなく、4両編成を6両編成に増やすだけなのですが…。
一時期、朝の通勤時間帯に京成千葉線を一駅だけ使っており、たしかに4両編成では少々混雑がきついと思ってはいました。
もっとも、朝夕を除けば、4両でも余裕で座れる、というのが普通なのですが…。
まあ、地元の路線が「輸送力増強」されるのは嬉しいことです。次はぜひとも、乗り換えが極めて不便な日中の新京成乗り入れを見直すとか、乗客に喧嘩を売っているとしか思えない、成田方面からの接続の悪さを何とかするなど、より画期的な「輸送力増強」をしてほしいののだ、と願いました。
2016年09月15日
京葉線今昔
夕方に、京葉線の千葉港から南船橋を経由して西船橋に行きました。
当初は、海浜幕張で始発の西船橋経由府中本町行き電車に乗り換えようと思っていました。
ところが、海浜幕張駅に着いたら、既に向かいのホームに止まっていた府中本町行きはすでに立ち客が出ていました。
そこで、南船橋まで京葉線快速に乗り、後から来た府中本町行きに乗り換えたのですが、車内は完全にぎゅうぎゅう詰めでした。
急いでいなかったので、一本見送り、約25分ほど待って次の府中本町行きに乗ったのですが、それも、前の電車と同じくらいの満員で、辛うじて「積み残し」が出なかったほどでした。
というわけで、立錐の余地もない車内で、南船橋から西船橋まで行きました。
その混雑の中で思い出したのが、30年前、初めてこの区間に乗った時のことでした。
当時の「京葉線」は、西船橋と千葉港(当時の駅名は千葉みなと)を往復していました。
蘇我及び、新木場・東京を結ぶ路線は貨物線で、旅客電車はありませんでした。
さらに、沿線は文字通り「何もない」という状態で、ひたすら広大な空き地の中を電車は走っていました。
当然ながら、4両編成の電車はガラガラでした。
当時の終点で、周りに何もない千葉みなと駅からバスで千葉駅に出たのですが、その時、何か大都会に来たような気分になった事は、今でも忘れられません。
30年間でこれほどまで変わるとは、と驚きました。
同時に、こんな立錐の余地もない満員になるにも関わらず、帰宅ラッシュ時にも関わらず、25分ヘッドのダイヤを組むのはいかがなものか、と思いました。
ホームも開いているのだから、南船橋-西船橋間を往復する電車を設定すれば、通勤する人ももう少し楽ができるのでは、と思わざるを得ませんでした。
2016年09月13日
バス乗り継ぎ計画大失敗
ある目的地に行くのに、二つのバス路線を乗り継げば、非常に楽に行ける、という事に気づきました。
ただ、どちらの路線も本数が少なく、事前にきちんと調べておく必要があります。
最近では、どのバス会社も時刻表をサイトに掲載しています。
それを見たら、非常に接続がよく、1分待てば乗り換えができることが分かりました。
これはいい方法を見つけた、と喜びながら、バスに乗りました。ところが、最初の曲がり角で、前に数台詰まっており、信号が赤になってしまいました。
すると、そこから作ったように、赤信号が続きます。
その結果、道はガラガラなのに、ダイヤより5分も遅れる、という現象が発生しました。
当然ながら、乗り換えのバス停に着いた時、乗り継ぎたかったバスは発車した後でした。
「この時間帯だから渋滞はないだろう」と思って定時運行を予想していた自分がいかに愚かだったかに気づきました。
おかげで、えらい目に会いましたが、まあいい教訓になったと思うことにしました。
2016年08月19日
六甲の麓における「川と駅」
子供の頃、ちょっとだけ西宮市に住んでいた事があります。
阪急電車の「夙川(しゅくがわ)」という駅をよく利用していたのですが、この駅のホームは、その夙川の上にあり、ホームから川面が見えました。
とはいえ、この地域ではこれは特殊でも何でもありません。一つとなりにある芦屋川駅も、ホームの下に、芦屋川が流れています。
他にも、この近辺には、武庫川の上にホームがある武庫川駅や、石屋川の上にホームがある石屋川駅があります。
といっても、別にこれがこの地域の「常識」というわけではありません。10数分東に行って大阪府に入れば、神崎川駅も淀川駅も、川のほとりにホームがあります。
また、同じ兵庫県でも、姫路にある夢前川駅は、やはり川のほとりにあります。
というわけで、この「川の上に、その川の名前を持った駅のホームがある」というのは、極めて限られた地域においてのみ「一般的」になっているようです。
ちなみに、これらの「川の上にある駅」は、いずれも六甲山地の麓にある、という共通点があります。
六甲山地の麓には何か特別な「駅と川の関係」でもあるのだろうか、と不思議に思いました。
2016年07月27日
最終が通過電車
京成津田沼の駅時刻表を見ていて、奇妙な事に気づきました。最終列車が「通勤特急・佐倉行き」だったのです。
20分ほど前に最終の各駅停車が出たあと、その通勤特急が出るわけです。
もっとも、その通勤特急が通過する駅は大久保・実籾・大和田の三駅だけです。
その三駅に停車させたところで、所要時間は2分しか変わりません。ならば、杓子定規に「通勤特急だからその三駅を通過」などとせず、「特急京成津田沼行きとし、津田沼からは各駅停車佐倉行き」とすればいいのに、と思いました。
2016年07月08日
幕張駅に京葉線の車両
帰りがけに幕張駅の前を通ったらやけに違和感のある車両が止まっていました。
近づいてよく見たら、京葉線を走っているE233系でした。
海浜幕張ではいくらでも見ますが、幕張で見るのは初めてです。
思わず、バッグの中のデジカメを取り出し、「にわか撮り鉄」をやってしまいました。
ちなみに、線路の脇には、立派な三脚を構えた「本物の撮り鉄」の方が二人ほどいました。
こんな情報、どこで探してくるのか、と驚きかつ感心しました。
2016年07月01日
スルっとKANSAI終了
関西の私鉄の共通カードである「スルッとKANSAI」が終了する、というニュースを見ました。
今では、関東で購入したSUICAで、札幌や博多の電車に乗れる時代です。
しかし、20年前、この仕組ができた時は、「一枚のカードで複数の鉄道会社に乗ることができる」というシステムはかなり驚いたものでした。
導入された頃は、年に1回くらい、関西に遊びに行っていまました。そこで、「関東にはない先進的なサービスだな」と思いながら、このカードを使っていたものでした。
その後、SUICAのようなICカードが主流になり、さらには先述したように、関東のカードが関西でも仕えるようになりました。
しかし、関西の私鉄が「スルッとKANSAI」のIC版として導入した「ピタパ」はちょっと独特の仕様があり、関東のSuicaとの相互利用はなかなか進みませんでした。
2008年から数年間、関西に出張して鉄道で移動する機会が多々ありました。その時も、この「スルッとKANSAI」カードを愛用したものでした。
そういう事もあり、自分の生活圏からは離れて関西専用のカードでありながら、長期にわたって使ったものでした。
昨年、4年ぶりに関西に行ったら、私鉄でもSUICAが使えるようになっていました。それだけに、今回の廃止を知った時は、時代の流れだと理解しました。とはいえ、長年愛用していただけに、少々寂しいものがありました。
2016年06月09日
朝の市役所
仕事で、朝早く千葉市役所に行きました。
雨が降っていた事もあり、千葉駅からモノレールに乗りました。
このモノレール、これまで、どの曜日・どの時間帯に乗ってもガラガラでした。
しかし今日は、市役所への通勤時間帯という事もあり、5分に1本以上の頻度で運転されているにも関わらず、積み残しが出るのか、と思われるほどの混雑ぶりでした。
千葉都市モノレールでこのような経験ができるとは、夢にも思っていませんでした。
運賃とか乗り継ぎとかを改善し、この「大混雑」が他の区間・時間帯でも起きるようになってほしいものだ、と思いました。
2016年03月28日
政令市を持つ県で唯一新幹線がない
先日、北海道新幹線が開業しました。
それに伴い、ネットで、「これで、政令市がある都道府県で新幹線が通っていないのは千葉県だけになった」という書き込みを見ました。
書いた人がどういう意図を持って書いたのかは分かりません。しかしながら、これは、千葉県民としては誇らしい事でした。
なぜかと言うと、千葉県には無駄な新幹線計画を撤回させた実績があるからです。
40年ほど前、成田空港の建設にあわせ、東京から新幹線で空港を結ぶ、という計画が立てられました。
実際、起点となる東京駅の一部と、成田空港地下ホームならびにその手前の路盤までは建設されました。しかし、それ以外の部分は、沿線住民の反対運動などがあって頓挫しました。
ちなみに、その「幻の成田新幹線東京駅」は京葉線の東京駅として、空港地下のホームは、京成とJRのホームとして活用されています。
北海道新幹線を含め、無駄な新幹線の建設並びに、並行在来線の廃止・第三セクター化による値上げを見るたびに、この「新幹線建設を阻止した」というのは誇るべきことだとつくづく思います。
ちなみに、夜に成田エクスプレスを見ると、車内が見えるのですが、極めて低い乗車率です。それを見ても、やはり成田新幹線など作る必要はなかったな、と思わざるを得ません。
2016年03月25日
8時ちょうどの「あずさ2号」
40年近く前に「あずさ2号」という曲が流行しました。
サビの部分は「8時ちょうどの、あずさ2号で、私は私は貴方から旅経ちます」というものです。
今では、首都圏から地方に行く「下り」の特急には1号とか13号のような奇数番号が、逆に、首都圏に向かう「上り」の特急には2号とか18号のような偶数番号がつけられます。
しかしながら、この歌が出た頃は、「下りの1号、2号…」「上りの1号、2号…」となっており、「あずさ2号」は新宿を8時ちょうどに出て、山梨県・長野県に向かっていました。
それが、30数年前のルール変更で、今の「下りは奇数、上りは偶数」となりました。
その結果、かつて「東京にいた私」が「あなた」から旅だった「あずさ2号」は、現在ではスーパーあずさ5号になり、「あずさ2号」は、朝6時過ぎに松本を出て、東京へ向かう特急に変わりました。
ちなみに、7時59分に大月駅を出るので、8時ちょうどには、東京へ向かって加速中となっています。
その「あずさ2号」が、今度のダイヤ改正で、1分ほどずれ、大月駅を「8時ちょうど」に発車する事になったとのことです。要は、「8時ちょうどのあずさ2号」が復活したわけです。
もっとも、大月を8時ちょうどに出たあずさ2号は、かつてとは逆に、新宿を経て東京へ向かいます。要は、ちょっと遅目に仕事が始まる会社への「通勤特急」となっているわけです。
そのダイヤを見た時は、今「あずさ2号」を作ったら、「苦労してマイホームを買ったものの、賃下げ時代ゆえに大月に住むことになり、『8時ちょうどのあずさ2号』で出勤するサラリーマン哀歌」になるだろうな、などと思いました。
2016年02月20日
京葉線、久々に強風減便
昨日の時点で、今日の夕方はかなりの風雨になる、という予報になっていました。
それを受け、夕方になると、京葉線が減便している、という情報が入ってきました。
何年か前まで、京葉線は強風になるとすぐに運休となっていました。
当時は、幕張本郷駅から都内に通勤していたのですが、風が強い日はすぐに京葉線が運休となりました。そして、振替輸送として使われる幕張本郷と海浜幕張を結ぶバスに長蛇の列ができたものでした。
その後、暴風柵をつけるなど、対策を施し、運休や減便は激減しました。しかしながら、今日の予報は、風が吹く前から減便せざるを得ないレベルだったようです。
結果的には、予報に比べると雨も風も大したことはありませんでした。
それを考えれば、結果的に減便は「肩透かし」になってしまいました。まあ、一定以上の予報が出たら減便する、という規則があってやっているのでしょうから、仕方ないところでした。
いずれにせよ、かつての「風に弱い京葉線」を久々に思い起こした減便ニュースでした。
2016年02月19日
10年前の通勤経路
所用により、幕張本郷-西船橋-九段下-永田町、という総武線と地下鉄を乗り継ぐ移動をしました。
約10年前となる2006年の4月に、人生初となる転職をしました。
その時の経路が、ちょうど、今日使ったものと全く同じでした。
1997年秋に幕張本郷に来てからの9年半ほど、ずっと中央・総武線各駅停車を使って通勤していました。それだけに、地下鉄を使っての通勤は色々と新線でした。
いろいろと興味を持ち、つれづれの乗換案内という、都心部の地下鉄を中心にした、乗換案内ブログを立ち上げたほどでした。
もっとも、その職場は半年後に飯田橋に移転しました。そのため、再び中央・総武線各駅停車のみの通勤に戻りました。
その後の転職先も四谷にあったため、幕張本郷から都内に通勤していた14年半のうち、地下鉄を使ったのは半年だけでした。
とはいえ、その間の事は、いろいろと記憶に残っています。
九段下に着いた時は、転職早々、ここで財布を落としてえらい目にあった事を思い出したりもしました。
それも、含め、色々と懐かしかった、「思い出の通勤経路再訪」となりました。
なお、「つれづれの乗換案内」は、4年ほど更新をサボっていますが、落ち着いたら再開しようと思ってはいます。
2016年02月03日
空白地帯に路線バス開通
昨年まで、毎月1回、稲毛駅からバスに乗って通っていた所がありました。
ここは、公共交通機関の空白地域でした。
歩いて数分の所にバス停があるにはあるのですが、そこにバスが来るのは1日に5本しかありません。
そのため、歩いて15分の所にあるバス停を利用せざるを得まえんでした。
ところが、今月になって、その場所近くに新路線ができ、バス停もできました。
月に1回、15分歩く手間が省けただけですが、かなり嬉しく思いました。
ならば、近隣に住んでいる人はよりいっそう喜んでいる事でしょう。
まだまだ本数は少ないですが、ぜひとも多くの人が利用して、路線が発展してほしいものだ、と思いました。
2016年01月16日
一日一人の駅
北海道で、ある駅の廃止が決まったが、その駅を唯一利用している高校生の卒業まで、廃止を猶予する、というニュースが流れました。
それを取り上げたネットニュースの一つは、「このニュースに、諸外国のネットユーザーから『日本はすごい』という声が上がっている」などと、「愛国美談」に仕上げていました。
しかしながら、この「決定」をしたJR北海道は運転中の特急車両が発火したのをはじめ、とんでもない事故を多発させている会社です。
これを「日本の凄さ(?)を代表する会社」とされるのは、いかがなものだろうか、と言わざるを得ません。
ちなみに、この話には、「撮り鉄」の人たちがその駅に押しかけ、駅を利用している高校生にポーズを要求して顰蹙を買う、という「後日談」がありました。
しかしながら、それについての「諸外国のネットユーザーの声」を紹介したサイトはありませんでした。
たまに、この類の「日本でちょっとした心あたたまる話があり、それを諸外国のネットユーザーが賞賛する」というニュースがあります。
その類のニュースの品質について再認識させられた、「諸外国のネットユーザーが絶賛した駅廃止ニュース」でした。
2016年01月15日
約4年ぶりにディーゼルカーを見る
仕事で市原市の五井駅に行きました。
ちょうど、小湊鉄道の列車と接続しており、向かいのホームにはディーゼルカーが止まっており、エンジンをふかしていました。
ディーゼルカーを見るのは、2012年3月以来、約4年ぶりです。
その時は、日帰りで房総半島を横断しました。
その際、久留里線と、いすみ鉄道のディーゼルカーに乗ったものでした。
それ以降、前の仕事が忙しく、旅行に行く時間など取れなくなりました。一度だけ、出張で神戸に一泊で行ったのが、唯一の「お出かけ」でした。
そんな事を思いながら、約4年ぶりに聞く、ディーゼルカーの音を懐かしさを感じながら聞きました。
2016年01月08日
地下鉄東西線用車両が千葉駅に
東西線乗り入れ専用のJR車両が、千葉駅まで試運転されている、という情報を見ました。
東西線の千葉側乗り入れは、昔からずっと、西船橋-津田沼間のみです。それが、千葉まで乗り入れとなると、かなり便利になると思います。
しかしながら、3月に予定されているダイヤ改正に関するJR東日本のサイトを見ても、そのような乗り入れが実現するとは書いていません。
また、千葉に来たのは、JR東日本の車両だけで、東京メトロの車両が来た、という情報はありませんでした。
それを加味すると、どうやら、東西線が千葉に来る事はなさそうです。
となると、数年前、山手線で使われていた車両が総武線に転用されたのと同様に、東西線で使われているJR車両が総武線専用に転用される準備なのでは、と思いました。
今の仕事では、東西線が千葉まで来ようと来まいと何ら関係ありません。
とはいえ、かつて都内に通勤していた元「千葉都民」としては、一瞬期待してしまったニュースでした。
2016年01月06日
「こんど」と「つぎ」
昔からよくあるツッコミ(?)に「駅の表示に『こんど』と『つぎ』があるが、どっちがどっちだか分からない」というのがあります。
確かに、ただ言葉の意味だけを比較すれば「こんど」と「つぎ」ではどちらが先か、分かりにくいでしょう。
しかしながら、実際問題、駅の表示では、上に「こんど」、下に「つぎ」と書いてあります。これを見て、どちらが先に来るのか分からない人などいるのでしょうか。
ちなみに、「こんど」と「つぎ」の言葉の意味がどうこう、というツッコミ(?)は何十回も見ました。しかしながら、「言葉が紛らわしいので、『つぎ』の所に記載されている電車が先に来ると勘違いして迷惑を被った」などと言う人など見たことも聞いたこともありません。
要は実害は「こんど」の下に「つぎ」があっても何ら実害はないわけです。
そんなどうでもいい事を気にする暇があるなら、ちょっとでも周りを見渡して、もっと重大な「気にすべき事」を探したほうがいいのに、と思いました。
2016年01月02日
Suicaグリーン券
都内に用事があって相方とでかけました。
ところが、予想外の面倒な事などが生じ、二人して心身ともかなり疲れてしまいました。特に相方の疲れはかなりのものでした。
そのため、帰りは奮発して、品川から総武快速のグリーン車に久々に乗りました。
現在、首都圏の中距離列車のグリーン車に乗る場合、大きく分けると四つのの方法があります。
一つは、モバイルSuicaの画面上でグリーン券を購入する方法です。
次に、カード型のSuicaで、ホーム上の発券機を用いて購入する方法です。この二つを使うと、グリーン車席上にある改札装置を使う事ができます。
あとは、駅の改札機でグリーン券を買うという、昔ながらの方法と、席に座ってから車掌さんから買う、という方法です。ちなみに、最後の「座ってから」だと、260円ほど料金が高くなります。
これだけ方法が多様だと、往々にして正しく理解はされません。実際、自分も、久々にグリーン車に乗るにあたり、どんな買い方が正しかったのか、と少々時間をかけて考えたほどでした。
そして、使い方を間違えている人を一度ならず見かけました。
カードのSuicaで乗るときは、事前に券売機でSuicaにグリーン券購入情報を登録せねばなりません。
ところが、それをせずに乗車し、席で改札システムにSuicaをかざす人が何人かいました。
当然ながら、システムは「未改札」を示す赤ランプを表示させます。しかしながら、その人は、そのまま座っていました。自分が正当な手続きをしたと思い込んでいるのですから、無理はありません。
しかも、通路に人が立つほど、車内は混雑しており、車掌さんの検札もできません。
こういう状況を見ると、もっとグリーン券の「正しい購入方法」の告知をきちんと行うべきなのでは、と思いました。
乗る場所は一編成につき四カ所しかありません。そこに、立て札でもたてておけば、このような「誤解」はなくなるのですが…。
そんな事を考えているうちに、後ろの席では何やら言い争いまで始まっていました。
そういうわけで、奮発したわりにはくつろげなかった久々のグリーン車となりました。