2018年03月31日

年度末

 今の職場には、事業年度という概念はありません。ついでに言うと、前職もそうで、前々職は10月が事業年度の起点でした。
 ただ、客先には4月が事業年度のところもあり、その対応で、そこそこ忙しい月末でした。それが一段落した時、ふと最初に入った職場は、4月が年度初めだったな、という事を思い出しました。色々な締めがあり、3月末にはかなり忙しい思いをしたものでした。
 ちなみに、その職場をやめたのも、年度末である3月31日でした。その事を思い出し、同時に、あれから12年経った事に気づきました。
 そうか、もうあれから一回りしたのか、と色々な事を思い出しました。

2018年03月29日

体調と感受性

 桜が満開になっています。
 しかし、ここ数日、いくら桜を見ても、「咲いているなあ」という感想しか持てませんでした。
 風邪で体調がおかしいと、それが感受性に悪影響を与えるようです。
 昨日あたりから、少し体調が戻り、おかげで少しずつ「きれいに咲いているな」と感じることができるようになりました。
 自然を楽しむためにも、体調はきちんと管理せねば、と思いました。
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2018年03月27日

風邪とつきあいつつ

 日曜にひいた風邪がなかなか抜けません。
 日曜に、体が非常にダルくなり、「いったいこれは何なのだろうか?」と不思議に思ったものでした。そして、月曜に喉が痛くなり、それで「だるさも風邪によるものだったのか」と気づいた次第です。
 かなり寝て汗を出し、喉の痛みも引きました。なかなか完全休養できないのですが、はやく全快させたいものです。

2018年03月26日

花粉症と風邪の併発

 花粉症に悩んでいたのに加え、風邪までひいてしまいました。
 そのため、くしゃみや鼻水に対し、「これは花粉症起因なのだろうか、それとも風邪によるものだろうか…」などといちいち考えてしまうようになりました。まあ、どちらが原因でも別にかまわないのですが…。
 ちなみに、病院に行ったら、痛み止めは処方されましたが、風邪薬はありませんでした。要は、安静にして自力で治せ、という事なのでしょうね。
 というわけで、お医者さんの指示に従って、早寝します。

2018年03月25日

ニャン孫の新拠点

 春になり、ニャン孫と会う機会が増えました。
 今日は、ニャン孫が自宅アパートまでついてくる「ニャン散歩」を二度も楽しむことができました。
 そのニャン孫ですが、新たな寝床を開拓しました。従来の「ニャンベッド」は居心地がいいのですが、「逃げ場」がないので、強い敵に襲われた時には難儀するのか、そこにいる回数がかなり減りました。
 その代わり、という感じで、移動が自由にできる場所を見つけた、という感じでした。
 そこにいるときは、「ニャンベッド」にいるときと同じように、声をかけても殆ど動かず、一方で指をなめたり、首もみを促したりします。
 ニャン孫の生活環境も、日々変わっているのだな、と思ったりしました。
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2018年03月23日

パソコン用眼鏡が壊れる

 現在、外で使う眼鏡と、パソコンや読書をする時に使う眼鏡をそれぞれ使い分けています。
 ところが、そのパソコン用眼鏡のレンズが外れてしまいました。
 ちょっとずれただけなのですが、眼鏡屋さんに見てもらったら、無情にも「治りません」との宣告を受けました。
 残念でしたが、もし壊れたのが外用の眼鏡だったら、車や自転車の運転に支障をきたしていたわけです。逆だったのが不幸中の幸いだと思うことにしました。
 そして、眼鏡のメンテナンスは、よりこまめにやらねば、と強く思いました。

2018年03月21日

曜日感覚

 毎週水曜日は、朝7時ころに穴川インターから京葉道路に入って自宅まで運転する、という生活になっています。
 宮野木JCTをすぎると渋滞が始まり、武石インターあたりではノロノロ運転になる、というのが通例なのですが、なぜか今朝は渋滞がなく、幕張インターまで快適に行くことができました。
 「不思議な事もあるもんだ」などと思いながら、出勤しました。
 すると、バス通勤している人が「今日は祝日ダイヤだとわからず、乗り間違えた」と言っていました。
 その時はじめて、今日は春分の日であり、それゆえ、京葉道路が空いていた、という事に気づきました。
 仕事柄、「祝日」という感覚がほとんどありません。しかも、相方も祝日と関係しない生活をしているので、日常生活からも「祝日」という認識がないのです。
 そのような形で「祝日」を意識した一日となりました。

2018年03月20日

モードチェンジ

 この前の日曜日、2年ぶりに関東大学OB戦という将棋大会の運営をしました。
 仕事でも囲碁将棋大会の運営をやってはいるのですが、やはり、仕事でやるのと、趣味でやるのではかなり違います。
 そして、2年ぶりにも関わらず、大会の運営については、問題なく行うことができました。
 やはり、20年くらい続けていると、少々ブランクがあっても体や口が勝手に動くものだな、と思いました。
 またいろいろと忙しくなりそうですが、この将棋大会運営という趣味は、続けていきたいものだと思っています。

2018年03月17日

千代田線に丸の内

 明日から、東京メトロ千代田線の二重橋前駅が「二重橋前(丸の内)」となるそうです。
 「実は、東京丸の内のすぐそばにある」という事をアピールする意味があるとのことでした。
 その気持は分からなくもないですが、丸ノ内線があるのに、千代田線に「(丸の内)」という駅ができるのは紛らわしいのでは、と気になりました。
 ちなみに、二重橋前駅のすぐそばには、丸ノ内線の東京駅があります。せっかくだから、対抗してそちらも「東京(千代田)」と副駅名をつければいいのに、などと思ったりしました。

2018年03月16日

ITをダシにすればごまかせるという風潮

 いわゆる「IT革命」が起きてから20年近く経ちます。しかしながら、相変わらず、コンピュータ関係の話しを持ち出せば、相手を煙に巻けると思っている人が多々存在します。
 先日もあるニュースで、お役所が「先日、存在しないと言ったデータが発見された。個人が業務で使っているパソコンの深いフォルダ階層の場所に保存されており、何度もクリックしないと開けなかった(だから気づかなかった)」などという言い訳を見ました。
 しかしながら、そんなもの、Windows付属の検索機能を使えば、一瞬で引っ張り出すことができます。フォルダ階層など、全く関係はありません。
 ちょっと専門的知識があればすぐに分かることです。にも関わらず、このように、事実と異なっていても「IT」を持ち出せば、ごまかすことができる、という風潮には呆れています。

2018年03月15日

遠隔会議

 遠隔会議に参加しました。
 5人前後の小規模な会議に、スマホのスカイプで加わる、という形になりました。
 会話に入るタイミングが難しいなどの問題点はありましたが、現地に行かずに話し合いに参加できる、というのはやはり便利だなと思いました。
 10年近く前、、一度だけですが、取引先の遠隔会議に参加した事もありました。ただ、その時は、自分はメインの会議室にいて、そこから離れたところにいる人が、ネットを介して参加する、という設定でした。
 その時の事を懐かしく思うと同時に、遠くの人から話を聞くのと、遠くの人として話をするのは大きく違うな、などと思ったりもしました。
 また機会があったらやってみたいものです。

2018年03月14日

今年の花粉は強烈

 10年くらい前から花粉症が出てきました。
 さほど激しい症状は出ないので、基本的には病院に行ったり薬を飲んだりしません。
 しかし、今年は花粉の量が多いのか、いろいろ疲れているせいなのかわかりませんが、かなり強い症状が出ます。
 久々に病院で薬をもらわねば、と思いつつ、眼のかゆみに耐える日々を過ごしています。

2018年03月13日

ここでやめたら、これまでつぎ込んだ経費が無駄になる?

 多くの人が問題点を指摘している事業を、無理やり継続しようとするときに使われる言葉に「ここでやめたら、この事業にここまでつぎこんだ金額が無駄になる」というものがあります。
 群馬の八ッ場ダムや豊洲市場など、どう見ても破綻している事業を継続するときも、この言葉が使われました。しかし、この論法は成り立つのでしょうか。
 事業そのものに問題があるから、中止が検討されているのです。にも関わらず、それまでの「投資」を無駄にしないようにするには、莫大な金額を投じざるをえません。しかし、それをしたから成功できる保証などどこにもないのです。
 その結果、これまで投資した金額のみならず、これから投資する金額まで無駄になるリスクが生じるわけです。
 それを考えれば、この「ここでやめたらこれまでつぎ込んだ金額が無駄になる」という論法が成り立たないのは、明確でしょう。

2018年03月11日

7年目

 早いもので、あの震災と原発事故から7年経ちました。
 当時の職場で打ち合わせ中におきた経験したことのない揺れ、近所に住んでいた弟と連絡がやっと取れ無事を確認できた時に心底ホッとしたこと、電車が止まり四谷から当時の実家まで歩いて帰宅したこと、そこで見た想像を絶する地震と津波、数日後判明した原発の爆発など、今でもあの時の事は、昨日の事のように覚えています。
 原発事故については、当初の報道と、その後明らかになった事実のギャップに心底驚いたものでした。
 もともと原発反対派でしたが、この事件を機に、はじめてのデモ参加をしたものでした。
 そういう事もあり、この3月11日という日は、自分にとって、二番目くらいに運命を変えた日なのでは、と思っています。
 これからも毎年、この日が来るたびに、そういう事を思うのでしょう。
 そして、7年経ってもいまだに故郷に帰れない方々、生活を取り戻せない方々が、一日でも早く、元の暮らしを取り戻せる事を強く願っています。

2018年03月10日

ポスト「ゆとり教育」

 最近は誰も言わなくなりましたが、10年ちょっと前に、「ゆとり教育」というものが目の敵にされていた時代がありました。
 当時の、あまり詰め込まない、ゆとりのある学習方針が、なんか諸悪の根源みたいに扱われ、その課程の教育を受けていた世代は「ゆとり世代」と呼ばれ、それだけで劣っているとマスコミをはじめ、多くの人々が主張していました。
 しかし、この「ゆとり世代」なる言葉がすっかり聞かれなくなった事からもわかるように、そのような事実はありませんでした。
 その一方で、今、教員の過重労働、「ブラック部活」など、教育現場でさまざまな深刻な問題が起きています。
 それを見ると、どうやら「ゆとり教育」をやめた事は誤りだったのでは、と思えてきます。
 まあ、これに限らず、あの頃さんざん否定されていたものが、後から見ると否定する必要があったのかと思えてくるものは、色々とありますね。

2018年03月09日

仮想通貨の旬

 いろいろと話題の仮想通貨ですが、思っていたより歴史があることを知りました。
 そして確かに、ある時期に大幅に値上がりし、その前に持っていた人々が濡れ手に粟の大儲けをしていた事も分かりました。
 その時の「大儲け」を餌に、広告・書籍・スパムなどが大々的に仮想通貨を宣伝しています。
 しかし、大儲けしたのは、そのような宣伝がない時代に持っていた人たちでした。言い換えれば、もうそのような大儲けは二度とないから、今度は、大々的に宣伝をしていて、仮想通貨を持たせようとしているわけです。
 25年ほど前に描かれた「ナニワ金融道」に「赤の他人にわざわざ儲け話を電話するマヌケがいるわけないんやけどなー」という台詞がありました。時代は変わり、電話以外にも多様な宣伝手段が生じましたが、本質は同じだな、と思いました。

2018年03月08日

「食べ物を大切にする」際に気をつけること

 当たり前ですが、食べ物を大切にすることは、極めて重要な事です。
 廃棄する食物はないに越したことがありません。
 しかしながら、食べ物というのは、一定期間をすぎると、体にとって危険なものに変化します。それを食べれば、健康を害するわけです。だからこそ、食べられないまま時間が経ったものは、捨てざるを得ないわけです。
 つまり、悪いのは「食べ物を捨てること」ではなく、「食べきれず、捨てざるを得ないほどの量を作りすぎること」なわけです。
 そのあたりを取り違えるからこそ、「食べれないものを無理やり食べさせる」などと言った虐待が生じるのでは、と思っています。

2018年03月07日

約2ヶ月ぶりにニャン孫に会う

 寒い時期には室内にいるようで、ニャン孫になかなか会うことができませんでした。
 日中には外に出るので、相方はちょくちょく見ているのですが、自分は2ヶ月くらいご無沙汰していました。
 ところが先日、ニャンハウスの前を通ったら、ニャン孫が柵に囲われた所でくつろいでいました。
 そして、「ニャン孫」と声をかけると、すぐに柵をジャンプし、自分のところに来ました。
 二ヶ月ぶりでしたが、自分の事をしっかり覚えていたわけです。
 以前にも書きましたが、「ネコは三日会わなければその人を忘れる」という言説が事実と大きく異なっている、と再認識させられました。
 写真は、アロエの葉っぱをかじったりしているニャン孫です。食べるわけではないのですが、アロエが好きなようです。
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2018年03月05日

失敗で得た幸運

 今朝は、とんでもない忘れ物をしてしまいました。
 気づかずに、いったん、幕張本郷から稲毛に行き、電車から降りてから気づいたため、再び自宅に戻る、という有様でした。
 ただ、その自宅に戻る途中で、久々にとてもいい思いをすることができました。
 失敗自体は大変残念で反省していますが、その結果得られた良かった事については、素直に喜ぼうと思いました。

2018年03月02日

タダより高いものはない

 急用で、朝に自転車で出かける事になりました。
 何も食べずに出たこともあり、用事が済んだあと、マクドナルドに入りました。
 とりあえずソーセージマフィンだけを持ち帰りで買って、飲み物は別に調達しようと思っていました。
 ところが、注文したら店員さんに「只今、ホットコーヒーを無料でおつけしています」と言われました。
 もともと、飲むつもりはなかったわけですが、「無料」という言葉に反応してしまい、貰う事にしました。
 ところが、いざ店を出てから、この選択が誤りだった事に気づきました。
 自転車のカゴに入れると、振動でコーヒーがこぼれてしまいます。
 自分は猫舌で、熱いものは飲めません。
 仕方ないので、自転車を引いてしばらくあるき、少々冷めた時点で飲みました。しかしながら、まだまだ暑く、口内に軽度の火傷をおってしまいました。
 無料だろうが今の自分に必要ないものは断るべきだったと痛感し、改めて「タダより高いものはない」という格言を思い出しました。