2019年10月31日

懐かしい問い合わせ

 6年ほど前に知り合い、色々とお世話になっている新聞記者の方から、電話が入りました。
 用件は、新聞に掲載した詰将棋の回答について、読者から質問が来たが、どう説明していいかわからない、というものでした。
 話を聞いて、早速その詰将棋を並べてみたのですが、質問した方が疑問に思ったのはもっともだ、と思いました。
 詰将棋の仕組みに触れてもほとんどの人はわからないので省略しますが、質問した方は、「詰将棋の専門知識がある人にとっては共通認識のルールだが、普通に将棋を楽しむ人だとまずわからないルール」を知らなかったため、疑問にさいなまれてしまいました。
 もちろん、知らないから悪いわけではありません。知らないのが普通です。
 むしろ問題なのは、そのような詰将棋を一般向けの新聞に掲載する出題者にあるのでは、と思いました。

 いずれにせよ、久しぶりに、仕事で将棋に関する説明をする機会を得ることができました。
 ちなみに14年ほど前まで勤務していた職場は、将棋との関わりが深いところでした。
 そして当時の自分はそこにおいて「職場で一番将棋にくわしい人」でした。将棋関係の面倒な質問がくると、自分に電話がまわってきたものでした。
 今回も、記者の方は、「困った質問だな。そういえば、知り合いに将棋に詳しいのがいたっけ」という感じで自分に電話してきたわけです。
 それを思い、14年前までやっていた質問対応の事をちょっと懐かしく思い出したりもしました。
 いずれにせよ、困ったときに頼ってもらえるのは嬉しいことですね。

2019年10月30日

新たな事を始めるための必須条件

 世の中には、常に新たな企画が登場します。
 企画が登場すれば、それを実行しよう、と皆は考えます。
 しかし、単に今やっている業務にその新たな企画を追加すれば、間違いなくオーバーワークになってしまいます。
 その結果、新たな企画が仮にうまくいっても、現場が疲弊してしまい、最終的にはマイナスになってしまいます。
 自分もこれまで、色々と新たな企画を立ち上げてきましたが、その前提にあるのは、「既存の業務を効率化して時間を作り、空いた時間を新たな業務に充当する」でした。
 しかしながら、世の中を見ると、この前提がなく、無理やり新たな事を現場に押し付けるという事例が多々見られます。
 それを改めない限り、せっかくの新たな企画も「百害あって一利なし」の結果に終わってしまうのでは、と強く思っています。

2019年10月28日

辛さの記憶

 過去の辛かった記憶というのは色々とあります。
 ただ、不思議な事に、その時に辛かった事は記憶しているのですが、その辛かった時の自分の心理状態は正確に思い出せません。
 これについての科学的知見はないのですが、過去の嫌な思い出でストレスを感じないように、脳が記憶から感情を除去しているのだろうか、などと勝手に想像しています。
 もちろん、その辛い心境をいつまでも引きずるのは良くないので、この機能には色々と助けられています。ただ同時に、過去の自分がどう感じたかを正しく再生できない、というのには、ちょっと困る事もあります。
 難しいものですね。

2019年10月27日

フリーマーケット

 人生初のフリーマーケット出店をしました。まあ、自分は設営と撤収の手伝いなので、実際に販売活動を行ったのは1時間も満たなかったのですが…。
 短い間でしたが、色々な人間模様を見ることができました。
 そこそこ人生を重ねている人から、50円単位の値引きを執拗に粘られた時は、改めて、年金削減などで、生活が苦しくなっている人が増えているのだな、と思ったりしました。
 あと、知り合いに勧められて買ってみたものの、好きになれずに出品した漫画を、大喜びして買ってくれた中学生ぐらいの方がいました。
 その漫画を買った時は「失敗した」と思ったものですが、その喜びぶりを見たときは、ちょっと元が取れたような気分になりました。
 次があったら、もっと長時間参加したいものだ、などと思ったりもしました。

2019年10月25日

この秋3度目の豪雨

 今朝は早起きして、相方の通院につきあいました。
 その時点でかなりの豪雨だったのですが、とりあえず千葉の駅ビルでブランチを食べて帰宅しました。
 その後、昼寝をしたのですが、起きてネットを見たら、先程歩いていた、千葉駅のすぐそばで道路が冠水している画像が流れていました。
 また、所要で、とある事務所を訪れると、台風19号に続く雨漏りで、事務所にブルーシートが吊られていました。
 この秋だけで既に三度目の風水害です。そして、多くの人達が何度も被害を受けています。
 抜本的な災害対策および、手厚い被災者サポートが必要です。ここに税金を使わずして、どこに使うのか、と思っています。

2019年10月24日

広告クリックの報い

 フェイスブックを開いたら、ちょうど必要としていたアプリを配布している会社の広告が出てきました。
 そこで、それをクリックしてアプリをダウンロードし、今後の情報入手のために、その会社をフォローしました。
 すると、翌日から、フェイスブックにおける広告表示回数が激増しました。おそらく、AIが「こいつは広告表示された会社をクリックし、しかも『いいね』までするカモだぞ」と判定したのでしょう。
 なかには、そこそこ有名なカルト団体の広告まで表示されるようになりました。
 おかげで、迷惑広告を非表示にする作業に追われ、「友達」の投稿を見るのもままならなくなりました。
 これに懲りて、どんなに有益なものでも、絶対にフェイスブックの広告はクリックしない、と心に誓いました。
 もし有益な情報を見たら、その名前をコピーして検索サイトにかければ情報は得られるので、問題はありません。
 改めて、広告をクリックすることのリスクを痛感させられた一件になりました。

2019年10月23日

四度目の命日

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 今日で弟が世を去ってから四年目になりました。
 帰宅する際に、弟が最後に住んでいたアパートに寄ってきました。弟と最後に会ったのはこのアパートでした。
 その最後にあった時のことや、このアパートに遊びに行き、弟にご飯をふるまってもらった時の事を思い出しました。
 弟の部屋の玄関に行くと、中から美味しそうな料理の匂いが流れてきて、それだけで嬉しい気分になった事を思い出したりもしました。
 4年も経ちましたが、弟と過ごした日々の事を思い出すと、つい先日の事のように思えてきます。
 それだけ、長い時間を一緒に過ごした、大切な存在でした。
 この四年間、弟の事を思い出さなかった日はありません。とはいえ、やはり命日という事があり、特別の感慨と、深い寂しさ・悲しさを感じた日となりました。

2019年10月22日

ゆうゆう窓口

 郵便局から荷物を送る予定を立てていました。
 ところが、今日になって、実は「休日」だった、ということに気づきました。
 ただ、職場の最寄りにある郵便局は、土日も営業しています。
 そこで、とりあえずサイトを見ることにしました。すると、郵便窓口は「お取り扱いできません」となっている一方で、「ゆうゆう窓口」は営業している、と書かれていました。
 しかしながら、その「ゆうゆう窓口」が何を取り扱っているのかわかりません。局のサイトにも案内がありません。仕方がないので、「ゆうゆう窓口」でネット検索したのですが、どんなサービスをやっているか、についての情報は、公式サイトにもありませんでした。
 仕方ないので、直接郵便局に電話をかけ、荷物が送れることをやっと確認することができました。
 「休日」も営業してくれたので助かりましたが、それとは別に「ゆうゆう窓口」の定義くらい、サイトに載せておけばいいのに、と思いました。

2019年10月21日

野球賭博今昔

 昨日のことですが、相方が日本シリーズを見ていました。
 パソコン作業中、音が耳に入ってきましたが、途中から出てきた投手の名前にちょっと驚きました。
 数年前、その投手が野球賭博をやっていた事がばれ、失格選手になったというニュースを記憶していたからです。
 同姓の別人かと思ったのですが、調べたところ、まごうことなき本人でした。
 何でも、一年間の謹慎後、選手に復帰したとの事でした。
 1970年代前半に、「黒い霧」という事件があり、ちょっと野球賭博勢力と接触しただけで、永久追放された選手が少なからずいました。
 それを知っていただけに、ちょっと驚きました。
 まあ、その賭博投手を起用した監督は、女性問題を起こし、暴力団に億単位のカネを払った事で有名な人物です。
 そういう意味では、日本プロ野球界のモラルが地に堕ちた象徴みたいな組み合わせだと思いました。

2019年10月20日

「日本代表」いろいろ

 今日、居酒屋に行ったら、ラグビーワールドカップの中継が流れていました。
 ラグビーはルールすら知りません。ネットなどで日本代表が勝ち残っている事は知っていましたが、「そんなニュースがあるな」程度の関心しかありませんでした。
 周りのお客さんにはプレーに歓声を挙げている人もいましたが、ルールすらわからない自分にとっては、球技の試合をやっているな、という認識しかありませんでした。
 その後、帰宅したら日本代表が負けた、というニュースが流れていましたが、もちろん、感想は同じでした。

 そんな自分ですが、14年近く前に行われたWBCの時は、日本代表チームを熱心に応援したものでした。
 それまでの五輪と違い、大リーガーも含めたプロ野球のトップ選手で組まれた初のチームでした。当時は、熱心にプロ野球を見ていたので、出場する選手については、多くの情報を持っていましたし、思い入れもありました。
 だからこそ、応援できたわけです。
 ちなみに、それから数年後、野球への興味が薄れたので、第2回以降のWBCはほとんど見ていません。
 あと、一時期サッカーを熱心に見ていた時期もありました。しかし、応援していたチームはJ2の愛媛FCで、日本代表に選手を出すようなチームではありません。
 それだけに、Jリーグは見ても、ワールドカップには興味を持てませんでした。

 そんな事を思い出しながら、「日本代表だから」という理由で、日頃から興味や関心のない分野のスポーツに熱中するのは自分には無理だな、と改めて思いました。

2019年10月19日

「頑張りが足りない」という考え方

 物事がうまくいかないときに、「頑張りが足りないからだ。もっと頑張ればうまくいく」と主張する人がいます。
 しかし、この指摘は間違っていると思っています。
 たとえば、普通なら一人で持てないほど重いものを運ぶ時、全力を振り絞って頑張れば持てる、という事はあります。しかしながら、その「頑張り」には、腰などを痛めたり、物を足に落とすなどのリスクが生じるわけです。
 したがって、この場面で必要なのは「頑張り」でなく、二人以上で運搬するとか、機械を用いて運ぶ、なのです。
 物事をうまくいかせるには、無理せずに行う方法を考えるのが正しい道です。それを考えずに、「頑張ればできる」というのでは、一度くらいは成功するかもしれませんが、ほとんどは失敗する上に、「頑張った人」に多大なリスクが生じると思っています。

2019年10月18日

初めて大学病院に行く

 相方の付添で大学病院に行きました。
 かなり新しい建物で、真ん中のところは、3階まで吹き抜けになっていました。
 電子化が進んでおり、診察室の入り口をはじめ、各所にモニタが設置され、さまざまな情報を表示していました。
 ちなみに、本日の予約者は2,300人以上いたとのことでした。
 それだけ最新技術が駆使されていたのですが、そのモニタや掲示されている紙には、無料素材のイラストが多用されていました。
 立派な建物や電子機器を揃えたぶん、告知用のコンテンツに使える予算が削られている、という事でしょうか。
 また、面談したお医者さんからも、かなり率直に、経営的な苦しさを話されました。
 大学病院でこれなのですから、普通の病院はもっと大変なのでしょう。
 もちろん、一番心配なのは相方の病状ですが、それに次いで、日本医療の先行きも心配になりました。

2019年10月17日

善意と責任者

 先日の台風がらみで、ちょっと面倒な仕事が入りました。
 そこで、現場に入ったのですが、自分が到着した時は、既に二人の人が作業をしていました。
 一人は、本来来るべき時間より早く来ており、もう一人に至っては、本来、作業する義務がない人です。
 にも関わらず、面倒な仕事である事を意識して、こうやって来てくださったわけです。
 しかしながら、結果的には、それによって、別の不具合が発生してしまいました。
 理由は、その業務の責任者である自分が指示・管理する前に行った作業に間違いがあったためです。
 とはいえ、その二人を批判する気は毛頭生じませんでした。なにしろ、いずれも良かれと思ってやってくださったからです。
 もし、自分がその二人と同じ考えで、もう少し早く来ていたら、最高の結果になっていただけに悔やまれます。
 改めて、いくら善意で頑張ってくれる人がいくらいても、責任者がしっかり動かないと、いい結果が出ない、という事を身を以て理解することができました。

2019年10月15日

災害デマ

 年に数回の大水害がすっかり当たり前になった日本ですが、水害のたびにネットに流されるデマがあります。
 それは、「民主党政権のときに、『スーパー堤防』を事業仕分けで中止したため、今回の水害は防げなかった」というものです。
 この言説には何重ものデマが絡まっているのですが、とりあえず、一番明らかな事は、「スーパー堤防とは洪水を劇的に防ぐものではない」という事です。
 仮に「スーパー堤防」が完成していたとしても、今回の水害の軽減にはなりませんでした。
 ついでに、「スーパー堤防」の完成見込みを調べてみると、さらに興味深い事実がつかめます。お時間のある方は調べてみてください。

 もう一つ、今回の19号で流れたデマとして、「群馬の八ッ場ダムが直前に完成したので、利根川は決壊しなかった。八ッ場ダムには大きな効果があった」というものです。
 これも事実ではありません。だいたい、日本一流域面積の広い利根川の決壊を、支流のダム一つで防げるわけがありません。
 詳しくはこちらのサイトをご参照願います。
 なお、ネットでは、「八ツ橋ダム」という用語で、この「八ッ場ダム必要論」を投稿している人が多数いるそうです。
 ネットにせよ、商業マスコミにせよ、このたぐいのデマが平然と流れるのがいまの世の中です。
 もっともらしい言説をすぐに信じないことが、より重要になっているな、と思っています。

 

2019年10月14日

山梨に旅立てない「あずさ」

 近所の電車車庫に「あずさ」が止まっていました。
 「あずさ」は夜に千葉に来て、朝7時には山梨に向かって千葉を出る電車なのに、なんで今ここにいるのだろうか、と一瞬疑問に思いました。
 そして、中央線が台風で重大な被害を受けて運休中だという事を思い出しました。
 その結果、本来走るべき山梨や長野に行けず、幕張本郷で暇を持て余しているわけです。
 それを思うと、車庫に佇む「あずさ」には哀愁みたいなものを感じました。
 中央線をはじめとする全国各地の災害が一日も早く復旧し、早く、この「あずさ」も本来の活躍場所に戻れることを願っています。

2019年10月13日

台風一過

 ここ数日、台風の事ばかり書いていました。
 結果的には、昨日書いた、短時間の停電を除けば、我が家の被害は何もありませんでした。
 もっとも、隣の市原市で自分と同年齢の方が犠牲になったのをはじめ、現時点で判明しているだけでも、19人の方が亡くなられたわけです。
 また、報道的には関東を通り過ぎて一安心、という雰囲気がありました。しかしながら、東北でも、大変な状況になっています。
 改めて、地球温暖化に伴う自然災害の激烈化と、それに対応しきれていない現状を痛感させられました。

2019年10月12日

停電と大行列

 朝、30分ほど停電がありました。幸い、すぐに復旧しましたが、その間、水も止まっていました。
 おそらく、電力で水を汲み上げる仕組みなのでしょう。
 短時間ながら、色々と苦労しました。改めて、「問題なく電気が使える」ことの貴重さを痛感しました。
 その後、スーパーに行きました。レジには桁違いの大行列ができており、副店長さんまで出てきてレジ打ちしていました。
 結局、30分近く「レジ待ち」する羽目になりました。
 続いて、ガソリンスタンドに行ったのですが、こちらも車が行列になっていました。
 昨日、スタンドが閉まっていた事もあり、ガス欠寸前、という状況でした。もし、自分の番になる前に、売り切れになったら…。とかなり不安になりましたが、何とか入れる事ができました。
 というわけで、台風が本格的に来るのは夜だというのに、午前中から台風対応でてんやわんやになりました。
 まあ、この程度で済めば、幸運というべきでしょう。
 何とか、無事に通り過ぎることを願っています。

 

2019年10月11日

窓を目張りする

 我が家の海側に麺した部分は、ベランダに出入りするガラスがあり、その上に天窓があります。
 ベランダに出入りする部分には雨戸がありますが、天窓にはありません。
 今回、台風に備え、その天窓をダンボールとガムテープで目張りしました。
 半世紀生きてきましたが、窓の目張りをするなど、初めての事です。
 それだけ、今回の台風情報の恐怖感は半端ではありません。
 これ以上できることはもうないのですが、とりあえず、人事は尽くしました。この目張りが結果的に無意味になることを願っています。

2019年10月10日

台風に備える

 先月の台風15号の時は、雨戸を閉めるくらいの対策しか取らず、また、幸運にも何一つ被害はありませんでした。
 しかしながら、今週末に来る台風19号は、それ以上の規模と強さと言うことです。そこで、我が家も、物干しを補強したり、保存食を買い込むなど、「台風対策」を行いました。
 この家に住むようになって、今月でちょうど22年になりますが、こんな事は初めてです。
 もちろん、直接の被害はなかったとはいえ、あの台風15号がもたらした惨状にショックを受けた、というのもあります。
 というわけで、とりあえず「備え」はしました。もっとも、だからといって「憂いなし」にはならないのが、困ったものです。

2019年10月09日

「英語を話す能力」とは?

 海外在住経験のミュージシャンが、「日本でまじめに6年、9年間英語の授業を受けてもほとんどの人が英語を話せない。そんなの普通に考えておかしい。」とツイッターに投稿していました。
 自分的には、英語はまだマシなほうで、数学や理科だとはっきり言って、高校必修レベルの知識すら持っていません。ただ、それがおかしいとは思っていません。何しろ、使う事がなかったからです。
 一方で、コンピュータに関するものは、学校では一切習わなかったにも関わらず、それを10年以上仕事にしていました。

 ちなみに、自分の英語ですが、大学受験をピークに、あとは下がり続ける一方でした。
 とはいえ、大学卒業してから4年半後に、オーストラリアで公共交通機関の終電を逃した時は、英語でタクシー会社に電話をし、今いる場所を伝え、無事に宿に帰る事ができました。
 また、最近になって、英語のニュースをちょくちょく読むのですが、文法とか構文を学校や受験で勉強したおかげで、単語の意味を調べつつ、何とか意味を理解することができます。
 それもあって、冒頭で紹介したミュージシャン氏のツイートは、ちょっと本質からずれているのでは、と思わざるを得ませんでした。

2019年10月07日

ヤフー離れ

 前職のお客さんで、今でもPC周りのサポートをしている方から、「ヤフーメールをやめたい」という依頼を受けました。
 先日、ヤフーブログが廃止になりましたが、別にヤフーメールがなくなるわけではありません。
 そして、新メールアドレスの伝達など、手間がかかります。ちょっと不思議に思いながら、先方宅に向かいました。

 そして、別のメールアドレスを作りました。すると、次にブラウザの初期画面をヤフーから変えるように、という依頼を受けました。
 理由は、ヤフーのトップに載るニュースの質が低すぎて、見るに耐えないから、という事でした。
 確かに、自分も何年か前から、ヤフーのトップは見なくなりました。誤報や虚報が多いことで有名な産経新聞の記事がトップに載るのをはじめ、まともに取材されていない記事ばかりになったからです。
 今でも、天気予報などの情報入手では自分もヤフーを使ってはいます。しかし、そこの表示される、隣国への敵意を煽るようなリンク広告を見るとげんなりしてしまいます。
 それだけに、依頼してきた人の気持は良くわかりました。ヤフーがすっかり嫌になり、メールも使いたくなくなったのでしょう。
 そこで、別のニュースサイトをブラウザ初期画面に設定しました。それを読んだ依頼主は「まともなニュースが出ている」と喜んでくださいました。
 黎明期は、「インターネットを見るなら、とりあえずヤフー」という風潮がありました。
 しかし、質の低下により、その傾向は過去のものとなりつつあるようです。
 今後も、こういう依頼が増えるだろうな、と思いました。

2019年10月06日

文字通り一山こえる

 先月下旬から、非常に忙しかったのですが、その忙しさの何割かを占めていた仕事が何とか片付きました。
 この仕事の厄介なところは、本来、長年、自分が非常に得意としている分野だ、という事です。
 ならば簡単に解決するだろう、と普通の人は思うでしょう。
 しかしながら、その仕事には、いろいろなしがらみがあり、それゆえに、自分の経験が活かせない、という問題があります。
 それゆえに、もどかしさが生じ、動きがぎこちなくなる、という事が悩みのタネでした。
 しかしながら、今回は、失敗してしまった事もふくめ、その、しがらみに悩まされた部分もかなり、理解できたように感じました。
 やっと、「自分のもの」にできた、という感じです。
 というわけで、かなり疲れましたが、来年に向けて、いい感触を持つことができました。

2019年10月05日

10月で真夏日

 今日の気温は30度を越えました。定義では「真夏日」にあたります。
 もちろん、10月上旬でも暑さを感じる日は、昔もありました。
 とはいえ、「真夏日」を記録するというのは記憶にありません。
 改めて、年を追うごとに、温暖化が深刻になっている事を実感させられた一日になりました。

2019年10月04日

目一杯働く

 今の仕事は月末月初が一番多忙になります。それに加えて、年に一度入ってくる仕事と、突発的に生じたトラブルに伴う仕事が重なり、極めて多忙な一週間を過ごしました。
 それだけ忙しいと、本当に物を考えることができなくなります。ただ、目先の業務をこなしていくだけ、という感じになってしまっています。
 まあ、数年に一度の忙しさだと割り切ることにしました。とりあえず、日曜を過ぎれば一段落しますので、それが終わったら、休養を取って、色々と考え事をしていこうと思っています。

2019年10月03日

都内運転デビュー

 仕事の都合で、御徒町まで車を運転しました。免許を取ってそろそろ4年めになりますが、千葉県外を運転したのは初めてです。
 京葉道路から首都高に入り、錦糸町で降りました。
 そこから、御徒町まで行くのに、えらく苦労しました。右折レーンに入りそこねて、秋葉原から反対方向の神田に行ってしまったりもしました。
 また、離合や車線変更なども、千葉とはちょっと違うこともあり、非常に神経を使いました。
 用事をすませ、再び首都高から京葉道路に入り、「ここから千葉県」という表示を見た時は、安堵感がありました。

 今月で、千葉市在住22年めとなります。しかしながら、まだまだ東京に住んでいた期間のほうが5年ほど長いというのが自分の経歴です。
 さらに、千葉に住んでから14年半は、東京で働く「千葉都民」でした。
 そういう事もあり、いまでも東京に行くと、「出かける」というよりは「戻ってきた」という気分になります。
 しかし、今日は、慣れない東京での運転に苦心し、千葉に戻った時に安心したわけです。このような気分になったのは初めての事でした。
 それも含め、色々と貴重な経験ができた一日となりました。

2019年10月02日

最後の飲み会

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 4年前の10月1日に、相方と弟と三人で飲みました。
 その頃の自分は、色々と行き詰まっており、かなり無茶飲みしてしまいました。
 そろそろお開き、というときに、弟がボトルを追加しました。
 かなり酩酊していたのですが、「なんで、これだけ飲んでいるのに、ボトルを追加するのだろうか」とちょっと不思議に思ったものでした。
 とはいえ、このボトルを、次の飲み会で弟と開けようとは思いました。
 しかしながら、結果的に、この飲み会は、弟との最後の飲みになりました。
 その時点では、まさかこれが最後だとは自分は夢にも思っていませんでした。
 4年経ちましたが、そのとき、弟がボトルを追加したことは、なぜか今でも鮮明に覚えています・