2015年01月30日

配慮したふりを見せた無配慮

 先日、ある猟奇的な事件が発生し、連日報道されています。
 そのなかで、容疑者とされる人がツイッターに書いた言葉が報じられていました。
 一応、「配慮」され、容疑者のツイッターアカウントはモザイクをかけられて報道されていました。
 しかしながら、そのツイッターに投稿した言葉は極めて特異です。
 したがって、その言葉で検索すれば、一発でそのアカウント並びに、過去のツイートも閲覧することができます。
 技術的にもそんな難しくなく、インターネットを初めて一ヶ月の小学生でも、そのくらいの検索はできるでしょう。
 つまり、モザイクをかけた意味など、ないに等しいのです。

  そして、そのツイートにはマスコミが紹介した事以外にも、色々と不適切な事が書かれていました。その中には、他人の人権を侵害するようなものもありました。
 別に、新聞社がその容疑者のツイートを公開しなくても、世の中で困る人など一人もいません。ただ、猟奇的な事件だから「晒した」だけの話です。
 アカウント名にモザイクをかける必要がある、と判断した時点で、そのツイートそのものの公開をすべきかどうか、もう一度じっくり考える必要があったのでは、と思いました。

2015年01月30日 19:14