幸せになるサークル
 14年前の4月7日に大学に入学した。といっても初日は武道館で入学式があっただけで、式典終了後、校舎に寄らずに帰った。したがって、初めて学生として校舎に入ったのは翌日の8日であった。
 最初の一週間はオリエンテーリングの期間で、公式行事としては健康診断・授業案内しかない。実質的にはサークル勧誘を受けるために学校に行くような期間である。ところが、この年はちょっとした異常気象で、4月8日だというのに、東京は雪だった。したがって、サークルが中庭に出す「出店」もなく、ごく一部の体育会やそれに準じるような文化系サークルくらいしか勧誘は行っていなかった。
 「これではサークル探しは明日からだな」と思い、校門を出ようとすると、「新入生の方ですか」と声をかけられた。「雪の中熱心なサークルもあるな」と思って振り返ると、その人は「恒河沙」なる文字と、涙を流している少年時代の星飛雄馬のイラストの入ったチラシをくれて「ウチのサークルは近所のアパートに部屋を借りているんだけど、良かったらそこで説明を聞いてみない?」と言った。
 まだ世の中というものを知らない18歳の筆者は、「こんな絵をチラシに使っているところを見ると、ギャグでもやるサークルなのだろうか」と思い、その人についていった。すると学校からすぐ近くの線路沿いのアパートに案内された。すでに先客の新入生が何人かおり、他の勧誘員が説明をしていた。まず、お茶とお菓子が出てきた。雪の中で冷えているところにお茶を出してくれるとは有難い、などと思いながら、話を聞いた。
 まず最初にサークル名の由来の説明があった。「『恒河沙(こうがしゃ)』って何のことだか分かる?」「うーん、どこかで聞いたような気もするのですが・・・」「数字の単位(※)だよ。『恒河』とはインドのガンジス川の事で、『沙』は砂のこと。つまりガンジス川の砂くらいの大きさを表しているんだ」(※ちなみに1恒河沙=1兆×1兆×1兆×1万)。
 言われて見れば、確かに小学生の時に読んだ算数の本にそのような単位があったような気もした。しかし、どう見てもこの人たちは数学の大きい数について研究しているようには見えない。そこで尋ねてみた。
 「なるほど。で、恒河沙とはどんなサークルなのですか?」すると彼はおもむろにこう言った「我々は幸せになるためにいろいろと活動しているんだ」。なぜ数の単位がガンジス川の砂で、それが幸せに結びつくかわからない。しかし、胡散臭いということだけはなんとなく分かった。しかし、ここまで来てどんな集団であるかがわからないのも残念なので、「どんな活動を通じて幸せになるのですか?」と尋ねてみた。しかし、彼は「とにかく色々な活動を通して幸せになるんだよ」としか答えない。さすがに不気味にもなったので「どうもお世話様でした。しかし私にはむかなそうなので、遠慮しておきます」と答えた。するとあっさり、「そうなんだ。それは残念」というような感じで、あっさり返してくれた。
 その頃は、サークル勧誘のふりをしたあやしい宗教団体の存在などは知らなかったので、気楽についていったりしたのだが、今振り返ってみると、自分は相当危ないことをしていたのだな、とつくづく思う。アパートから出してもらえずに、執拗に勧誘されていた危険性すらありえるのだ。

 ちなみに、怪しげなサークルに勧誘されたのはこの時だけではなかった。入学して1ヶ月くらい経ったときに、学食の前に張ってあった過激派の新聞を何気なく読んでいたら後ろから声がかかってきた「君、こういうのに興味があるのか。どうだい、一緒に社会問題研究会に入らないかい?」と。
 もちろん断ったが、この時に顔を覚えられてしまい、しばらく後のクラスに過激派が来て「自治会のクラス委員を決める」という「儀式」があったときに、「そうか、このクラスは君で決まりだね」と指名されてしまった。その後、クラスの行事に顔を出さなかったこともあり、1年くらいの間、「大野は過激派だ」という噂をクラス内を流布されてしまった。

 この二つの経験から、「とにかく怪しいものに近づいてはいけない」という、当たり前ながら重要なものを、大学入学早々学ばせてもらった。それにしても宗教に過激派、いずれも一歩間違えたら大学入学早々に、自分の人生が終わってしまった恐れすらあった。
 当時を振り返ると、「地雷原を目をつぶって走っている」に近い行動を取っていたのだな、と思う次第である。