12万分の1
戦争法案に反対する集会に行きました。
「メイン会場」は国会前ですが、出発した時点で、そこは人で満杯という情報を得たため、第二会場的存在である、日比谷公園に行きました。
公園は人でいっぱいでした。なんとか、場所を確保はできましたが、そこでは、演説している人の顔はもちろん、姿を見ることすら出来ない場所でした。
もちろん、ここに自分がいてもいなくても、大局的に見れば何ら違いはありません。
とはいえ、そのような一人ひとりの個人が集まった事により、このような国会周辺が人で埋め尽くされている状況ができたわけです。
昔から、「自分の存在意義」というのは、常に頭の中にありました。
もちろん、いまだに明快な答えは出ていません。
とはいえ、今日、「この国会と日比谷を埋め尽くした行動を構成した一人」になれた事は、自分の存在意義というものを、ある程度ではありますが、感じることができました。
2015年08月30日 23:42