2015年03月11日

現在進行中の災害の報じ方

 床屋に行ったら、ラジオで4年前の震災の事を報じていました。
 といっても、別にあれから四年経っても、いまだに仮設住宅で暮らしている人を取材した、とかいうわけではありません。
 一応、仮設暮らしを続けている人数や、親を失って故郷を離れて暮らしている子どもの数などは出していました。しかしながら、いずれも単なる「数値データ」でしかありませんでした。
 一方、アナウンサーが東北に行って「あの日も今日のような雪が降っていました」などという、感傷的な事は、長々と話していました。

 さらに、ある新聞社のサイトを見たら、震災で妻と次男を失った人の記事が載っていました。
 その人の次男は「引きこもり」で、震災の時も、避難せずに亡くなったとの事でした。それについて、記者が「引きこもりでなければ助かったかもしれない」などと書いていました。
 取材の対象となった人が、次男の死後、引きこもり対策の活動をしており、それと関連付ける記事を作りたかったようです。
 しかしながら、引きこもりでない奥さんもなくなっているわけです。それだけで、この「引きこもりでなければ助かったかもしれない」は突っ込みどころ満載である事がわかります。
 これも、先ほどのラジオ同様、「過去におきた大災害を感傷的に伝える」だけの記事でした。
 ほかにも、この類の記事はいくつか見ました。
 福島第一原発周辺に住んでいた人をはじめ、この災害はまだ「現在進行中」です。
 にも関わらず、そのような現実はほとんど書かず、「昔の話」であるかのように流す事には、かなり強い違和感がありました。

2015年03月11日 22:20