2020年06月30日

今月残り数時間のときに衝撃

 6月も今日で最後です。
 色々と忙しい事があった月でしたが、なぜかこのブログは一日も欠かさずに書くことができました。
 だいたい、月に1~4日は更新できない日があるのですが、それがなかった、という事は、そこそこ余裕のあった月なのだろうか、などと昨日まで思っていました。
 ところが、今月もあと数時間、という今晩になって、突発的な困った事態が発生しました。
 なかなか、世の中うまくいかないものだな、と思いつつ、対応策を考えています。
 しばらく忙しくなりそうですが、来月の末日にはどのように一ヶ月を振り返っているのだろうか、などとも思ったりしています。

2020年06月29日

百足

 何度か書いていますが、今の職場は、すぐ裏が林になっています。そのため、林からやってきた、色々な生物が、事務所に入ってきます。
 この前は、事務所の廊下を、百足が歩いていました。半世紀以上行きていますが、百足を間近に見るのは初めてです。
 「名前のように百本もないけれど、確かに沢山の足があるな。なんでこんなにあるのだろう」などと思いながら、二十本以上ある足をすべて動かして、懸命に動いている百足を見ていました。
 しかしながら、事務所の中に入っていくのは、百足にとっても人間にとってもいい事ではありません。
 そこで、百足の行き先に紙をおいて、それに乗せて外に出そうとしました。
 しかし、百足は、そのようなものを見ると、行き先を帰る習性があるようです。いきなり、反対方向に向かって歩き出しました。
 その習性を利用して、無事に他の人間に見られることなく、庭に出てもらうことに成功しました。
 数分のつきあいでしたが、全ての足を懸命に動かす百足を見れたのは、いい経験になりました。

2020年06月28日

信号のない横断歩道

 ツイッターで、「信号のない横断歩道で、車が止まったら、運転手に最敬礼する小中学生」という写真が拡散されていました。
 どうやら、その地域では、子どもたちに、そのように「最敬礼」するような教育がなされているようです。
 道交法では、信号のない横断歩道で、歩行者が渡ろうとしたら、自動車は止まる、と定められています。
 それを促すために、信号のない横断歩道の近くには、ひし形のマークを路上に描き、運転手に注意を促しています。
 しかしながら、自分も含め、信号のない横断歩道で車を見ると、渡るのを躊躇してしまいます。
 理由は当然で、仮に車がスピードを落とさずにそのまま来たら、自分が轢かれてしまうからです。

 というわけで、渡る人は躊躇し、運転している人はそれを見て渡る人がいるのに止まらない、という悪慣習ができてしまうわけです。
 この慣習をあらため、道交法を遵守させるのは、信号のない横断歩道に「歩行者を見たら停止」という標識でもつけるしかないと思っています。

2020年06月27日

焼いた「すき焼き」

 お中元で、すき焼き用牛肉をいただきました。
 そのため、結婚生活22年半で初となる、すき焼きを食べることになりました。
 料理担当の相方が作ったのですが、「まず、肉を焼いて…」と言ったので、驚きました。
 子どもの頃、何度か食べたことがあるのですが、いずれも、普通の鍋物だったからです。
 お中元についていた調理法にも書いてありましたが、関東と関西では、すき焼きをの作り方がまるで違うとのことでした。
 そこで、四国出身の相方は、関西風の「肉を焼いてから鍋にする」すき焼きを当たり前のように食べていたわけです。
 自分は、関東出身ですが、味覚的には関西の味付けのほうが好きです。それもあって、この相方の作った「焼いたすき焼き」は大変美味でした。
 これまで、すき焼きは好みでありませんでした。その概念が大きく変わった、相方の作った「焼いたすき焼き」でした。

2020年06月26日

少しずつ成果が

 今日は、仕事やそれ以外の事で、色々と嬉しい連絡や出会いがありました。
 これまで、地道に積み重ねてきた努力の成果が少しずつ出てきた、という感じです。
 結果が出るまで色々ありましたが、少しずつでも思っている方向に進めたので、これまでの苦労が吹っ飛び、かつ嬉しい気分になることができました。
 やはり、地道な積み重ねは重要ですね。引き続き、頑張っていきます。

2020年06月25日

6月末に暖房

 冷たい雨の降る朝でした。
 寒そうなので、カッパ代わりに表面が化繊のジャンパーを着て自転車ででかけたのですが、ずぶ濡れになってしまいました。
 目的地に着いてから自動車に乗り換えたのですが、気化熱で体温が奪われ、寒気を感じました。そこで、暖房を入れて運転しました。
 6月末に暖房…などと思いつつも、おかげで運転中に、濡れた服がかなり乾きました。
 年々、気象がおかしくなっていますが、特に今年は寒暖差の激しさを感じます。
 それだけ温暖化が進んでいる、という事なのでしょう。
 一刻も早く、対策を取らねばならないな、と改めて強く思いました。

2020年06月24日

仕事仲間の評価方法

 自分は一緒に組んで仕事をしている人を見るときに、とにかく長所に目を向ける事にしています。
 もちろん、明らかな間違いがあったら指摘しますし、考え方の相違があればそれは伝えます。
 しかし、あら探しのたぐいは一切せずに、逆にいいところを探します。
 それについて、本人に直接話すこともありますが、自分の心の中で褒めることもあります。
 当たり前ですが、そちらのほうが、相手も仕事をしやすいし、自分もいい気分で仕事ができます。必然的に、仕事の質も高まり、結果も出ます。
 ところが、自分が過去に一緒に仕事をした人の中には、これと正反対で、他人のあら探しばかりしている人が多々いました。
 これではいい仕事はできません。実際、自分も「ここでちょっと頭を使って工夫すれば上手くいくかもしれないが、その結果、あのあら探しする奴がいい思いをするだけだ。それなら、余計な能力や時間はつかわずに、機械的に仕事をこなせばいい」と割り切って仕事をしたことが多々ありました。
 どう考えても、前者のやりかたのほうがいいと思うのですが、残念ながら、自分の経験則でも、ネットなどを見ても、後者のような仕事のやりかたをする人のほうが多いように感じます。
 その結果、その人のちっぽけなプライドは満足するのかもしれませんが、その代わりに多くのものを失うわけです。
 まあ、それを理解する能力がないから、そのような、あら探しをするのでしょうが…。

2020年06月23日

折りたたみ椅子の意外なしまい方

 とある集会がありました。終わったら参加者が片付ける決まりなので、撤収作業を行いました。
 椅子は折りたたみで、運営者が、舞台の下から長大な収納用台車を引っ張り出してきました。
20代の頃に、これと似た台車で、椅子の出し入れを何十回かやりました。
 その時ことを思い出しつつ、同じやり方で椅子を入れたのですが、収納する際にひっかかってしまいました。
 その結果、この会場での椅子の収納方法が、以前、経験していたのと違うことがわかりました。
 ほとんど同じ外見の収納用台車なのに、椅子の入れ方が違う、というのには驚きました。
 長年、いろいろな椅子の収納をやってきましたが、まだまだ知らないやり方があるのだな、と驚きました。
 あと、「撤収」と聞くと、椅子を折りたたんで壁に立てかけるという、「迷惑行為」をする人がいました。
 これも、どの時代でも、どんな性質の集会でも、必ず存在します。それにもまた驚きました。

2020年06月22日

梅雨とマスク

 梅雨に入り、蒸し暑い日が続きます。
 当たり前ですが、そんな時期にマスクをしていると息苦しくなります。
 だからと言って、新型コロナウイルスの問題は全然片付いていないので、マスクを外すわけにもいきません。
 それもあって先週も似たような事を書きましたが、自転車運転中は人がいないところではマスクを顎にひっかけ、人を見かけたらマスクをかける事にしています。
 会議などでも、自分がしゃべっているときはマスクをつけ、人の話を聞くときは外します。
 少なくともこうすれば、仮に自分がウイルスに感染していても、他人にうつす事はないと思われます。
 「新しい生活様式」をうたうなら、この「梅雨時や猛暑時のマスクマナー」についても「新しい生活様式」として提示してほしいものだ、と思っています。

2020年06月21日

夏至の夕焼け

 今日は夏至でした。19時ころ、西に向かって自転車を走らせたら、夕焼けが広がっていました。
 昔から、夏至ならではの、夕暮れ空を見るのが好きです。
 この夕焼けのおかげで、今年も夏至を楽しめたな、と思いました。
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2020年06月20日

生兵法

 昨日の続きですが、都内にある思い出の道や場所をドライブしたあと、高速には乗らずに、蔵前橋通りで千葉に戻りました。
 前々から、蔵前橋通りは千葉に向かっているけれど、千葉に入ったらどうなるのだろうか、と思っていました。
 そして、江戸川を越えたのですが、いきなり表記が「国道14号線」に変わっていて、ちょっと驚きました。
 そこまでは良かったのですが、市川に入ってすぐ渋滞につかまりました。
 「もう夕方だから仕方ないか、あと14号はここから幕張までずっと片側一車線だから、このままだとえらく時間がかかるな」と思い、高速の京葉道路で帰る事にしました。
 そして、無事に入れたのですが、直後の表示で「この先渋滞あり」と出ていました。それを見て、その時点では順調なのですが、「京葉道路といえば、朝の東京方面行き渋滞で有名だ。という事は夕方の千葉方面も…」と思い、反射的に次の出口で降りてしまいました。
 そこから湾岸道路で帰ろうとしたのですが、14号が渋滞なら並走する湾岸道路も渋滞していて当たり前です。
 結局、再び高速に入り直したのですが、湾岸道路から高速入り口までの道も渋滞しており、えらく時間がかかりました。
 そして高速に戻ったら、渋滞無しであっという間に幕張本郷まで戻れました。

 最初に高速に乗ると決めたまでは良かったのですが。あとは失敗の連続でした。
 4年半、千葉市ではかなり運転していましたが、市川や船橋の一般道を運転するのはこの時が初めてです。
 当然、渋滞や迂回路に対する知識も一切ありません。
 にも関わらず、ナビも使わず、思いつきで経路を変えれば、失敗するのも当然です。
 時間に余裕があって、色々やってみたい、という心境もあったとは思いますが、我ながら、この判断ミスの連発には呆れました。
 やはり経験値が低いときは、普通に動くのが最善で、奇をてらうべきではない、と痛感させられました。

2020年06月19日

初の「ドライブ」

 免許を取って4年半経ちました。それまで何百回も運転をしてきましたが、いずれも仕事で必要性が生じたか、相方の病院送迎でした。
 今日は、家の用事で都内まで運転しました。しかし、用事が終わった後は、「自由時間」になりました。レンタカーを使っているのですが、5時間以内に返却する契約になっており、その間は、自分が好きなところを走ることができるわけです。
 というわけで、人生初の「ドライブ」をすることになりました。
 どこに行こうかと考えた結果、「思い出をたどるドライブ」にすることしました。

 まず、10代から20代にかけて住んでいた家に行きました。
 当時の家は既になく、別の建物になっています。しかし、隣の公園に生えている大木は昔と変わっていませんでした。
 高校時代は、この家を出て、坂を下ってバス停に行き、そこから高校の最寄りバス停である赤坂見附まで通学をしていました。
 その経路と全く同じ道を走ってみました。
 今日も含め、都内を運転すると、車線取りに苦労するのですが、この区間に関しては、ほとんど順調に行きました。
 高校時代に乗っていたバスの記憶が活きているのだろうか、と思ったりしました。
 赤坂見附に着いたら、今度は青山通りを左折し、最高裁のところを曲がって九段下から神保町に行きました。
 この道は、高校時代、授業が終わってからバスの定期券を使って神保町に遊びに行った経路です。
 そして、駿河台交差点を曲がり、かつて通った大学の前を通って、千葉に帰りました。

 高校時代・大学時代、さらには東京で働いていいた時代に行ったところを何箇所も通りました。大きく変わったところもあれば、変わっていないところもありました。
 そういうわけで、色々と感慨のあった「初ドライブ」となりました。
 楽しみのための運転もいいものだと思いました。またやってみたいものです。

2020年06月18日

「いなげ駅」行きバス

 美浜区で、行き先が「いなげ駅」となっているバスを見ました。
 基本的に、稲毛駅行きのバスの方向幕は漢字表記です。しかし、このバスの路線はちょっと変わっています。
 稲毛駅と稲毛海岸駅を結ぶのですが、ハングルの「여」のような形になっています。そして、「○」の部分は、稲毛駅行きと稲毛海岸駅行きが同じ方向で一周します。
 そのため、うっかりすると、「稲毛」だけを見て、稲毛駅に行きたいのに稲毛海岸駅行きに乗ってしまう羽目になります。
 それもあって、稲毛駅行きをひらがな表記に変えたのでしょう。
 ちなみに、「いなげ」というのは相方の故郷である松山では「変」という意味で使われます。「変な事=いなげな事」なわけです。
 それもあって、松山の人がこの方向幕を見たら、変なところに連れて行かれるのでは、と思うのでは、などと思ったりもしました。

2020年06月17日

レジ袋有償化とマイバックサービス廃止

 7月から全面的にレジ袋有償化が実施されます。
 自分が仕事帰りに利用しているスーパーは半月早く、6月15日から実施されました。
 レジ袋の料金表とあわせて、これまで袋を使わなかった人につけていた2円相当のエコポイントが廃止されていました。
 別のスーパーでも、7月から袋持参の人にやっていた2円引きのサービスを辞める、と告知していました。
 という事は、これまでレジ袋を使わなかった人にとっては、「値上げ」でしかありません。
 わずか2円とはいえ、毎日スーパーを使えば、600円ほどの負担になるわけです。
 本来の趣旨は、レジ袋によって引き起こされる環境破壊を防ぐ事だったはずです。
 にも関わらず、以前から環境を考えてレジ袋を断っていた人が「値上げ」される、というのは変な話です。
 改めて、日本の企業の環境に対する意識の低さがよくわかった事例でした。

2020年06月16日

業務スーパーで久々の蕎麦

 緊急事態宣言のちょっと前から、地元の業務スーパーの蕎麦が品切れになりました。
 どの流通の経路が止まったのかわかりません。同じ棚にあるうどんやラーメンはあるのですが、なぜか蕎麦の所だけ空っぽになっていました。
 その蕎麦が約二ヶ月ぶりに、幕張本郷店に並びました。
 安物のうえに、調理をするのは自分ですから、お世辞にも美味しいとは言えません。
 しかし、久々に売られているのを見ると、ちょっとした感慨がありました。
 おかげで今晩は、久々にこの自分が茹でた業務スーパーもり蕎麦を味わうことができました。

2020年06月15日

矛盾した言説

 マスコミが「正義の暴走」と報じる事をよく見ます。
 「暴走」した結果、悪いことを行う、という意味合いで使われています。
 要は「正義の名のもとに悪いことを行った」と言いたいわけです。
 しかし、「正義」と「悪」は相反する概念ですから、この言説は矛盾しています。
 「黒い白馬」とか「曲がった直線」と同じようなものです。
 そのような誤謬が行われる原因として、少なからぬ人が「正義=悪をやっつける」と勘違いしているからなのでは、と思っています。
 さらにそこから飛躍して、「自分が悪と認識した相手なら、どんな手段を使って倒しても正義」という認識になってしまい、冒頭の誤謬に行きついてしまうのでは、と思っています。
 もちろん、そんなのは「正義」とはかけ離れているのですが…。
 何十年も前から、TV番組などで「正義の味方」という言葉を安易に使った弊害が生じている、という側面もあるのでしょうね。

 

2020年06月14日

高温多湿とマスク

 高温多湿の季節になりました。
 一方で、コロナ禍のほうは、東京の感染者が日々増え続けるなど、緊急事態宣言の終了と裏腹に、危険性はむしろ高まっています。
 したがって、マスクやフェイスシールドなどの感染防止のためのものが、熱中症を誘発しかねない、という事態が生じています。
 健康を守るためにどうすればいいか、自分もはっきり言ってよくわかりません。
 とりあえずは、人が集まらないところでは、マスクはあごにかけ、人が来たら鼻と口を覆うようにしています。
 難しい問題ではありますが、ぜひとも専門家の知見を知りたいものだと思っています。

2020年06月13日

毎日通っている所で事故

 ちょっと前の話ですが、自転車通勤で毎日通っている場所で、自転車に乗っていた人が自動車にはねられて死亡するという事故があった事を知りました。
 事故があったのは昼間だったのですが、同じ日に同じ場所を、自分は朝と晩に自転車で通っていました。
 また、仕事の関係で、同じ場所を自動車で通ることもあります。
 というわけで、自分としては、加害者にも被害者にもなりうる事故なので、他人事とは思えませんでした。
 詳細はわかりませんが、おそらく、自転車で道を横切ろうとして、走ってくる自動車に気づかずにはねられたのだと思われます。
 その場所は、自動車がなければ数秒で横切れるのですが、状況によっては、左右からひっきりなしに自動車が来て、全然渡れなくなります。
 しかしながら、信号をつけるのは物理的に無理な場所で、防ぎようがありません。
 亡くなられてた方はまだ若く、本人やご家族の無念を思うと、知らない人ながら辛いものがあります。
 自動車に乗っている立場としては、数秒間待って自転車を渡らせたからといって、特に損するわけではありません。
 しかしながら、少なからぬドライバーが、横断歩道で渡ろうとしている人がいても、速度を緩めずに通り過ぎていきます。
 全ドライバーがその考え方を抜本から改めない限り、このような悲劇は続くのでは、と思ったりもしました。

2020年06月12日

非常識がまかり通ること

 自分が子どもの頃は、「運動中に水を飲むのは良くない」という非科学的な言説がまかり通っていました。
 運動していれば汗が出るわけです。そして実際に喉もかわきます。という事は水分が必要な事など、中学生レベルの知識があればわかるはずです。
 にも関わらず、当時の「指導者」たちは、運動中の水分補給を禁止し、その結果、体調を崩したり、倒れたりする人が多数発生しました。
 まあ、仮に「水分補給が必要だ」とまっとうな事を考える指導者がいたとしても、周りの同調圧力もあって、主張はできなかったのだろうな、と思っています。
 もちろん、今では運動中の水分補給の必要性は誰もが認めるようになりました。
 しかし一方で、新たな「非常識のまかり通り」が発生しています。
 義務教育レベルの常識が通用せず、異常な言動がまかりとおるのが、国会でも見られます。
 仮に正常化すれば「運動中の水分補給」と同様に、「なんで当時はこんな異常な事がまかり通ったのだろうか」と後世の人は誰もが思うでしょう。
 しかし、現在ではその「非常識」があたかも常識であるかのように扱われています。
 困った事ではありますが、何とか頑張って正常化せねば、と思っています。

2020年06月11日

宣言と実態

 緊急事態宣言が解除されてかなりの時間が経ちました。
 おかげで、営業自粛で困っていた店の人は再開できてかなり喜んでいる感じです。
 それはいい事ですし、自分も応援をかねて個人経営の飲食店に意識して通うようにしています。
 しかし一方で、宣言解除には科学的な根拠があるわけではない、という事を忘れてはなりません。実際、自分が行った飲食店も感染防止のために様々な配慮をしています。
 そして、解除後も、新たに感染した人は出続けています。
 したがって、日常生活を過ごすにあたっては、以前と変わらぬ用心が必要です。
 しかし、昨日、スーパーで買い物していたら、店が間隔を保つよう床にテープを張っているのに、それを無視して前の人に詰めている人がいました。
 こういうのを見ると、色々と不安になります。
 マスコミも、東京や大阪の無意味な電飾などを報じるなど無意味な事はやめ、現在の感染リスクやそれを防ぐ方法などを、もっと報じてほしいものです。

2020年06月10日

「うなぎの寝床」に無線LANを設定

 「うなぎの寝床」みたいに、左右が狭く、奥行きが長い2階建ての事務所に無線LANを設定することになりました。
 無線LANの設定をはじめてから10年経ちます。なかには、東京にいながら、一度も行った事も見たこともない名古屋の事業所に設置し、遠隔で運用サポートしたこともありました。
 しかしながら、こんな特殊な建物で、しかも全体に無線LANを飛ばす、という作業は始めてです。
 とりあえず、第一段階までは完了したのですが、想定内とは言え、問題点が発生しました。
 それをどうカバーしていくのか、そのための予算をどうするのか、など色々と悩んでいます。
 また、苦労する割には、この経験が他に応用がきかない、というのもちょっと困っているところです。
 とはいえ、色々な人の通信環境に関る問題なので、何とか成功させねば、と思っています。

2020年06月09日

公共放送によるヘイト(差別扇動)

 NHKの「これでわかった!世界のいま」という番組が話題になっています。
 話題になっているといっても、なんか画期的な番組を放送したわけではありません。
 アメリカで起きた、白人警官がアフリカ系アメリカ人男性を殺害したヘイトクライムに端を発した抗議活動を題材に、アフリカ系アメリカ人を差別する差別扇動(ヘイトスピーチ)動画・漫画・記事を番組公式サイトやツイッターで発信したからです。
 それがアメリカの駐日大使に批判されたら、慌てて動画を削除し、日本語と英語で それぞれ謝罪文を発表しました。
 しかも、謝罪文には人種差別行為を行った事の反省はありません。最近の定番である「配慮に欠けた」「不快な思いをさせたことをお詫びします」というテンプレを張り付けたような代物でした。
 そして、指摘された動画は削除したものの、差別扇動やデマの流布にあたるコンテンツは残したままです。
 ここまで来ると、担当者は骨の髄まで差別思想に染まった人間であると言わざるをえません。
 そんな人が公共放送の番組や宣伝を任されている事は異常なのですが、「特異な例」というよりも、「これが今の日本マスコミの堕ちた姿」という印象しかありませんでした。
 今後も、このようは差別扇動(ヘイトスピーチ)を公共の電波が発信する事は増えるだろうな、と思っています。

2020年06月08日

納豆の天ぷら

 前から興味を持っていた西千葉の居酒屋都久志に行きました。
 メニューを見たら、イワシや納豆といった、自分の好物をふんだんに使っていました。
 納豆料理には、「天ぷら」「オムレツ」「包み焼き」の3つがありました。
 迷った末に天ぷらを頼んだら、大葉に包んだ納豆を天ぷらにした料理がでてきました。
 なるほど、こういう発想があったのだな、と感心させられました。
 このコロナ禍で営業は大変だったとのことです。
 生活圏からかなり離れているので、通うのは大変ですが、また、応援がてら納豆やイワシを食べにいきたいものだと思いました。

2020年06月07日

ヒゲよさらば

 先月、自転車で転んで顎をすりむいて以来、あご髭を伸ばしていました。
 時節柄、家の外では常にマスクをしていたので、この髭を見たのは相方しかいませんでしたが…。
 そして今日、床屋に行き、1ヶ月弱つきあった、あご髭とお別れしました。
 剃る前と現在を見比べてみると、やはり自分に髭は似合わないな、と思いました。
 ただ、晩年になってあご髭を伸ばしていた、今はなき弟と、この髭づらでツーショットを撮ってみたかったな、とは思いました。

2020年06月06日

虎ノ門ヒルズ駅開業

 日比谷線の虎ノ門ヒルズ駅が開業した、というニュースを見ました。
 この駅のあるところは、高校時代、バス通学で通っていたところです。
 あの頃は、低層ビルの並んだ、都心らしからぬ町並みがありました。
 しかし、現状をグーグルマップで見ると、大きな道が通り、巨大なビルが林立していました。
 時代の流れといえばそれまでですが、そこまで開発する必要があるのだろうか、と思うのが率直な感想です。
 いずれにせよ、当時を懐かしみつつ、銀座線虎ノ門駅との乗り換えがどうなっているのかを調査するために、コロナ禍が落ち着いたら訪れようと思っています。

2020年06月05日

猫舌向け什器

 レストランでオムレツとチキンソテーを頼みました。
 すると、鉄板に乗って出てきました。
 自分は猫舌なので、あまり熱いと困ります。
 時間もないので、冷ます余裕もなく、アツアツのオムレツとチキンソテーを食べました。
 美味しかったのは確かですが、もう少し温度が低ければ、さらに美味しかったのにな、ともったいなく思いました。
 別に普通の皿に載せて出せないこともないはずです。
 誰もがアツアツが好きなわけではないのですから、こういう時に、鉄板に乗せるか皿に乗せるかを選べるようなサービスがあってもいいのでは、と思ったりしました。

2020年06月04日

ユーザーインターフェースの退化

 インクジェット複合機の入れ替えを行いました。
 同じメーカーの後継機みたいな感じの機種にしたのですが、操作方法は色々と異なっていました。
 特に驚いたのは、「カラー」「モノクロ」のボタンがなくなっていた事です。
 このボタンを使えば、ワンタッチで、カラーコピーと白黒コピーを切り替えることができました。
 ところが、後継機種では、小さい液晶のメニューがあり、そこからボタンを4回押さないと、カラーとモノクロを切り替えることができません。
 そして、初期設定はカラーですから、これだと、本来モノクロでいいコピーでも間違ってカラーコピーしてしまう事例が増えること間違いありません。
 もちろん、カラーコピーをすればするほど、インクの減りが早くなります。その結果、インクの売上が増え、会社の利益も増えるわけです。
 とはいえ、それは利用者に不必要な出費をさせての儲けなのです。
 大手メーカーでもこのような儲けのために、ユーザーインターフェースを退化させる、というのはちょっとした驚きでした。
 こんな状況で海外メーカーが本気で参入したら、携帯やパソコンのように、日本メーカーのプリンタもあっという間に駆逐されるのでは、とも思いました。

2020年06月03日

短時間でできても、やるべきでない仕事

 世の中には「やる必要はないけれど、昔から慣習として行われていたので続けられている仕事」というものがあります。
 たとえば、データベースが整っているのに、以前から作っている紙ベースの台帳も作っている、などという事例です。
 もちろん、法律などで紙の台帳を残さねばならないように規定されているのでしたら仕方がありません。
 しかしながら、「原本保管」の義務もなく、実際に調べる場合、コンピュータで10秒でできるのに、紙の台帳だと3分かかる、などという場合は、どう考えても不要と言わざるを得ません。
 もちろん、台帳をプリントアウトしてファイルする手間は10分くらいですむかもしれません。
 しかし、その10分を毎月続ければ、年間で2時間、無意味な時間を空費し、ついでに紙も無駄にすることになるわけです。
 それを考えれば、仮に10分でできる仕事でも、一刻も早くやめるべきなのです。

2020年06月02日

過剰な競争がもたらすもの

 競争が進歩につながると考えている人が少なくありません。
 確かに、競争に勝つ事を目的にした結果、能力を高める人がいるのは事実です。
 しかし一方で、競争に勝ちたい意識が高まると、相手の足を引っ張ることによって勝利を得ようとする人が出てきます。
 実際、手っ取り早く競争に勝つには、そちらのほうが効率的なので、これはある意味必然です。
 その結果、競争相手どころか、周りの人まで不幸にしてしまう事も多々あります。

 一方、能力向上において、競争は必須なのでしょうか。
 自分はそうは思いません。
 実際、これまで自分が身に着けてきた知識や技術を顧みても、競争に勝つために身に着けたものはありません。
 自分の能力を高めたいとか、誰かの助けになりたいと思って習得してきたからです。
 それによって別の誰かの上に行きたい、という動機はありませんでした。
 誰かを上回るためではなく、自分や他人に役立つために能力を磨くべき、という考えが一般的になれば、過剰な競争も、勝つために足を引っ張ることもなくなるのでは、と思っています。

     

2020年06月01日

「問い」そのものが間違っている命題

 信憑性に欠ける「記事」を流すことで有名なネットメディアがツイッター社とタイアップして「芸能人の政治的発言は許されるか 10代20代に聞いてみた」という動画を流していました。
 もちろん、こんな動画を見る価値は何一つありません。その主題である「芸能人の政治的発言は許されるか」というのが、完全に間違っているからです。
 日本は国民主権の国です。したがって主権者たる国民には政治発言をする権利があります。そして、芸能人は国民です。したがって、芸能人が政治的発言をするのは当然の権利です。「許されるかどうか」を問うこと自体が完全に間違っているのです。
 これが、「芸能人の飲食は許されるのか」とか「芸能人の睡眠はゆるされるのか」だったら誰でも「この命題は論外だ」という事はわかると思います。
 しかし、人々の政治発言の権利を、同調圧力も使って抑圧し続けてきた社会だと、このような戯言が「論議の的」になると錯覚をする人も出てくるのでしょう。
 とはいえ、社会的な題材を発信する「メディア」がそんな企画を立てた事には呆れました。その目的が、連休時に話題になったような芸能人の政治批判を封じ込めたい、であることは明白です。
 もともと、そのネットメディアに対する信用度はゼロでしたが、これで信用度はマイナスにまで落ち込みました。