2016年03月11日

5年前、一番心配した事

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 5年前の2011年3月11日も金曜日でした。
 当時は四谷にある会社で働いており、翌日からの土日の松山旅行を楽しみにしながら、取引先との打ち合わせを行っていました。
 そこで、あの地震が起きたわけです。
 これまで自分が体験した中で、最も強い地震に驚きました。そして、震源が東北沖だというニュースを見ながら、家族の事を考えました。
 相方は自分より一足先に松山に行っています。また、上の妹夫妻はアメリカに赴任していました。したがって、いずれも大丈夫でしょう。
 そして、両親をはじめとする他の家族は、当時の職場からそう離れていない所に住んでいます。ならば、家に多少の被害があったかもしれませんが、これまた無事でしょう。
 実際、電車が止まって千葉の家に帰れず、両親の住む家に泊まったのですが、ちょっと物が落ちたくらいで、室内は普通でした。
 そうなると、一番気になったのは、近所に住む弟でした。
 都内より震源に近い上に、我が家近辺は、以前より都内より震度の強い地震が頻発していました。
 そして、弟はワンルームの部屋で、壁には本棚がぎっちり、という環境で生活していました。
 しかも、当時は夜に仕事が入る事もあり、昼に部屋にいた可能性もあります。
 というわけで、メールを送ったのですが、返事はありませんでした。
 後に、メールの送受信量が多すぎて、遅滞が激しかった事がわかりました。しかしながら、当時はもちろん、そんな事、全然分かりません。
 そういう事もあり、かなり遅い時間に、弟の安全を確認できたときは、心底安堵したものでした。それまでの不安感並びに、確認できた時の安心感は、いまでも覚えています。
 今日帰宅してから、そのような想い出を、部屋に飾ってある弟の写真に話しかけました。

2016年03月11日 21:49