2008年11月26日

時間調整に感じた時代の変遷

[ 交通 ]

 夕方、四谷から晴海埠頭に行くバスに乗りました。いつもの事ですが、この時間帯の新宿通りはさほど込みません。したがって、スイスイと行くと思いきや、バス停ごとに、時間調整で止まっていました。
 20年ほど前、暗くなるまで都バスに乗りまくっていた時期がありましたが、そのような記憶はありませんでした。そういう意味で最初は不思議でしたが、そのうち、理由が思い浮かびました。
 まず、バス時刻表がどこでも見れるようになった、という事です。かつてはバス停以外で見ることはできませんでした。しかし、今の都バスはPCさらには携帯で、バス停ごとの時刻表や接近情報まで分かります。実際、私もあらかじめ時刻を確認していました。

 そうすると、遅延が生じるとクレームも大きくなる可能性があります。そのため、ほとんどの日は道が空いているところでも、余裕を持ったダイヤを組む必要が生じるのでしょう。そのため、道が空いていたら、停留所単位で細かく調整するわけです。
 あと、これはこの路線に限った話ですが、かつてはここは新宿から都内を横断して銀座を経て晴海に抜ける大幹線でした。1980年代後半に、都バスが主要路線のテコ入れとして行なった「都市新バス」にも、三番目に選ばれたほどでした。その頃は、10分も待たずにバスに乗れたと記憶しています。
 しかし、地下鉄の開通などで、状況は変わりました。名前こそまだ「都市新バス」ですが、新宿-四谷間が廃止された上に、四谷から銀座の間も大幅に減便されてしまい、30分に1本程度のローカル線になってしまいました。
 それゆえ、万が一にも早発などできないわけで、時刻表どおりの運行がより求められるのでしょう。
 都バス全体のものと、この路線独特のものとという、二つの事情を思ったりしました。そんな中、バスは皇居の堀端、銀座の繁華街、勝どき橋から見える川沿いの新興ビル群と、短い時間で様々な車窓風景を見せながら、最後は私一人を乗せて、ひと気のない晴海の埋め立て地を走っていました。

2008年11月26日 23:58