総武流山電鉄(当時・現在は「流鉄」)

2005/07/05

 「流山」という地名を知ったのは、子供の頃に読んだ「すすめ、パイレーツ」というプロ野球を題材としたギャグ漫画だった。千葉の豪農が千葉県民を集めて作った弱小球団、という設定なのだが、そこの主要人物たちが「流山産業大学」というところの出身で、田舎っぽさをギャグにしており、その「流れる山」という語感とともに、妙に印象に残る地名となっていた。
 その後、武蔵野線や東武野田線に乗った時に流山市を通った事はあったが、実際に流山市に降り立った事はなかった。その流山市を代表する交通機関である総武流山電鉄に先日、ついに乗りに行った。「流山」の存在を知ってから約25年後のことだった。

 総武流山鉄道は常磐線の馬橋駅から流山市の中心部まで5.7kmを結ぶミニ私鉄である。それで「総武」とは大袈裟な気もするが、おそらくはかつては流山駅のすぐそこを流れている江戸川に橋をかけて、対岸の「武蔵」まで伸ばす計画でもあったのだろう。
 この路線、起点は常磐線の馬橋駅だが、次の幸谷(こうや)駅でも常磐線・武蔵野線の新松戸駅と接続している。というよりは、もともと幸谷駅だけがあり、その地点で新たに開業した武蔵野線が常磐線と交差したために、幸谷駅近くに新松戸駅を作った、という歴史がある。実際、新松戸駅の住所は「松戸市幸谷」である。

 というわけで、武蔵野線に乗って新松戸→幸谷の乗り換えをして乗ることにした。夏至も近い日曜の夕方18時頃、新松戸駅に着く。武蔵野線のホームから、総武流山電鉄の踏み切りが見えた。そこで、その踏切を目標に歩いたのだが、線路から幸谷駅は見えるものの、駅へ行く道は見えてこない。しばらく迷った末、もう一度新松戸駅前に戻る。再度よく見ると、ロッテリアの脇に袋小路みたいな道(下写真左側参照)があった。位置的にはこれが幸谷駅に通じているようだ。そこでその道に入ると線路とホームが見え、左側に小さい踏み切りがあった。それを渡ると、総武流山電鉄直営のマンションの入口と一体化した幸谷駅の入口があった。ちなみに、駅へ行く道はこの一本のみである。

幸谷駅から見た新松戸駅 幸谷駅駅名票
幸谷駅から見た新松戸駅 幸谷駅駅名票
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 自動券売機で切符を買う。磁気券となっていたが、改札は有人だった。ホームへ入ろうとすると、ちょうど電車が入ってきた。逆方向の馬橋行きだ。多くの乗客が降りてきて、改札は出る客に占拠された。これでは、馬橋行きに乗る人は困るのでは、とも一瞬思ったが、おそらく、ここから馬橋方面に行く人は、本数も速さも上の常磐線を使う、という事なのだろう。一応、馬橋までの運賃は、総武流山鉄道のほうが10円ほど安いのだが。
 というわけで、幸谷駅に入って電車を待つ。新松戸の駅前はそこそこ華やかだが、袋小路みたいになっているこの幸谷駅はなんか別の空間のような感じだった。有人改札や、ちょっと古びた駅の施設が一層その印象を強くするのかもしれない。

 10分ほどすると、先ほどの電車が折り返してきた。正面には「青空号」と書かれている。この電車はかつて西武鉄道で走っていたもので、「昭和42年製造 西武車両」という刻印があった。幼い頃を西武沿線で過ごした身としては懐かしい車両だ。当時、まだ西武新宿線の冷房化率は半分くらいで、この型番の車両は「きれいな冷房のある電車」として一ランク上の車両という認識があった。刻印や車内を見ていると、そのような事が思い出された。
 線路は単線で、家の裏手みたいなところを走っている。ほどなく小金城跡駅に到着。ここは唯一の交換可能駅だ。しばらく停車すると、向こうから電車がやってきた。筆者の乗っている車両は「青空号」の名の通り、青く塗られている。しかし、向こうから来た車両は「なの花号」という事で黄色を主にした塗色だ。西武鉄道時代の色に近く、懐かしさをおぼえた。
 再び単線に戻り、ここからが流山市になる。沿線風景は少し畑の比率が増えたか、という感じだ。ほどなく鰭ケ崎(ひれがさき)駅へ。武蔵野線および近日開業予定のつくばエクスプレスの南流山駅とさほど離れていないそうだが、そのような雰囲気は全然なかった。次の駅は平和台駅。他の駅と違い、駅前に大型スーパーとホームセンターがあって、「栄えている」という雰囲気が漂っていた。
 その平和台駅を出て1分程度で終点の流山駅に着いた。終点なだけあって構内は広い。線路の向こうには車庫があり、2編成ほど電車が止まっていた。いずれも同じ車型だが、色は違い、名前は「明星」と「若葉」だった。また、到着したホームの向かい側には三両編成の車両があり、こちらは「流星」だった。

 改札を出ると、小さい駅前広場があった。駅舎には直営と思われる「流鉄タクシー」が併設されており、何台か客待ちしていた。広場の向こうには地図と観光案内がある。周囲は普通の住宅地なだけにちょっと違和感があるが、市を代表する駅という事なのだろう。なんでも新撰組の近藤勇と土方歳三が別れ、近藤勇が捕らえられた場所という事で、それ関連の史跡があるとの事だった。
 また、駅の裏手にはちょっと大きな建物がある。最初は、「総武流山電鉄の本社か?それにしてはやけに立派だな」と思ったが、地図を見た所、流山市役所だった。下の右側の写真をみていただければわかるが、この位置から見ると、まるで駅と一体化しているようだ。

流山駅 流山市役所
流山駅流山市役所
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 乗ってきた「青空」号は数分で馬橋に戻って行った。次の電車まで間があるので、ちょっと駅から向こうまで歩いてみた。何の変哲もない住宅街という感じだった。もちろん、「流山産業大学」もなかった。
 そのまま、ぶらぶら歩いて駅前に戻り、市役所の写真などを撮っていると、電車が来た。先ほどすれ違った「なの花」号だった。
 休日の夕食時の上りなだけあって、あまり乗客はいなかった。下りでは車窓だけ見ていたので、今度は車内を見る。すると、吊り広告のところに、「広告募集」がかかっていた。何でもA4一週間で3,150円とのこと。なかなか手軽な値段だと思った。もちろん、公私含め、この電車の中に広告を出す機会はまずないだろうが・・・。
 車窓は進むにつれ、だんだんと畑が減って住宅が増えていく(行きと同じ線を戻っているのだから当然だが)。そして家の裏を通るようになったと思ったら、幸谷駅に着いた。ここで乗客の7割方は下車する。そして先ほど同様、誰も乗ってこない。
 ここからは常磐線に沿って走るのだが、高架の常磐線に対し、地上の総武流山電鉄は相変わらず家の裏みたいな沿線風景だ。そしてしばらくして馬橋駅に着いた。常磐線ホームとはちょっと離れているが、陸橋でつながっている。なぜか、線路と駅前の間に、広大な空き地があった。
 こうして、総武流山電鉄を乗り通した。沿線風景は単調なのだが、なぜか不思議に充実感のある片道11分の旅だった。

※なお、総武流山鉄道の車両や沿線風景などの写真が、たわたわのページさんの地元密着、総武流山電鉄に多数掲載されています。
※2008年8月に「総武流山電鉄」は「流鉄」に改称されました。