2005年03月13日

意識ゆえの不自然さ

[ 交通 ]

 私が現役の鉄道ファンだった十代の頃、日本で最も長い名前の駅名は、札幌市の路面電車の「西線9条旭山公園通り」であると、そのテの本に書いてありました。カナにすると20字になります。19歳の時に札幌に行った時、この電停で降りて「日本一長い駅に降りた」などと心の中で一人喜んだものでした。しかし、その駅名票は「日本一」などというものはどこにも感じられない、「普通に地名をつけただけの、生活に溶け込んだ電停」で、極めて自然でした。
 その後、鉄道ファンから半引退状態になったのですが、どこからか、「一部の地方私鉄や第三セクターが『最長駅名』を争っている」という話を知りました。調べてみると、数年ごとに「日本一」が変わっているとの事でした。
 集客に苦労している中、「最長駅名」というものを「観光資源」にしようとする経営努力は素晴らしい事で、私にどうこう言う権利はありません。しかしながら、やはり「最長駅名一位になるために駅名をつける」というのは違和感があります。現在の「一位」は「外国人のフルネームを冠した施設の最寄駅」という事で文字の半分はその外国人の名前です。また、それまで「一位」だった駅は、「水の生まれる里」などと、述語のある「文」を含んでいました。はっきり言って、手段が目的になっています。
 仮に自分の鉄道趣味が復活して、現在の「日本一」や「二番目」の駅に行っても、かつて札幌の電停で味わったような「自然な達成感」は味わえないだろうな、などと思いました。

2005年03月13日 23:36