川原湯温泉(1998/11/18・19)

 休みが取れたので、群馬の知人宅にお邪魔し、ついでに近辺の温泉に行く事にした。知人に群馬の情報誌を借りたところ、川原湯温泉の「やまきぼし旅館」というところが目に付いた。
 ここは鉄道で行ける(うちには車がない)・安い(1泊2食8千円から)・食事がおいしそう(宿の社長さんは洋食の調理師)と、筆者らの求める諸条件を満たしていた。週の真ん中の平日という事もあり、あっさり予約は取れた。

 まず最初に高崎近くの知人宅に行った。総武線・武蔵野線・京浜東北線を乗り継いで大宮に出てから上越新幹線に乗ったのだが、京浜東北線で事故があったらしく、ノロノロ運転をしている。筆者らは自由席なので遅れたら次の新幹線に乗ればいいのだが、指定を取っている見知らぬオバサンはパニくっており、車内の人たちに「どうなってるの?」と尋ねまくっていた。
 新幹線で高崎に行き、知人宅での用をすまして吾妻線(群馬県の渋川から西に進む線。草津などの温泉に近いため、上野からの直通も走っている)に乗ろうと駅に行く。するとまた「列車が遅れます」とのアナウンス。どうもダイヤに恵まれていないようだ。だが、この列車は京浜東北線と違い、各駅らしからぬスピードで飛ばし、途中で定時ダイヤに戻ってはいた。
 ところで、我々の座った席はトイレの隣だった。そのトイレに学校帰りの男子高校生が二人で入っていった。嫁さんは「まさか『やおい』!?(爆)」と盛り上がっていたが、その後も入れ替わり立ち代わり違う「カップル」がトイレに入っていく。どうやら、煙草を吸うためのようだ。5年くらい前まではよく各駅停車で旅をしていたが、このような「風習」は見られなかった。車内禁煙が進んだためなのか、高校生の気質が変わったのか、それとも吾妻線のみに見られる風習なのか。いずれにせよ、珍しいものを見た。

 さて、無事に「川原湯温泉駅」に着き、宿の送迎車で「やまきぼし旅館」に着く。中くらいの温泉街で、品のない風俗施設もない。雑誌には「駅から歩いて15分」とあったが、上り坂なので、歩くのはちょっときつそうだ。
 部屋は二食付き8千円にしてはまあまあ、という感じ。とりあえず風呂に行くが、露天は他の客が使用中で鍵がかかっている。そこで内湯に入った。
 ちょっと熱かったが我慢して入る。そこで湯船の奥を見たら何か書いてある。読んでみると「足→手→体→頭の順に掛け湯をしてから入るといい」と書いてある。間の抜けた話だが、一度湯船を出て、掛け湯をしてから入り直した。たしかに、こうすると熱くはない。しかし、筆者のような強度の近視(0.1以下)の客も少なくないのだから、こういう表示は脱衣所にしておけばいいのに、と思った。
 夕食のほうは、宣伝通り、質量とも十分に満足できた。山の幸の和食にグラタンやビーフシチューが一緒に出たが、あまり違和感がない。筆者の苦手なキノコが多かったが、場所・季節を考えると仕方ないだろう。
 食後しばらくテレビを見て、露天に行く。脱衣所がすでに屋外になっており、とても寒い。しかし、寒さのおかげで湯温は適温になっている。後で宿の人に聞いたところ、露天だけは源泉の湯をそのまま使っているので、季節によっては入れる時間が限定される、とのことだ。
 夜なので外は見えないが、渓谷のせせらぎが聞こえ、清涼感がある。壁にある「川原湯温泉の由来」によると、「源頼朝が発見した温泉」などと書かれている。
 風景を見ないまま帰るのももったいないので、翌日の早朝にまた露天に入った。すると、山は一面の紅葉だった。例年ならもう散っているのだが、暖冬のおかげでまだ残っていたのだ。晩秋の山の紅葉の美しさは言葉では言い表せないものがある。ちょうど朝日が昇ったところなので、山の一部には日が照っており、影の部分との対照がまた素晴らしい。自然というのはここまで美しいものを描けるのか、と感服してしまった。

 朝食はいわゆる「旅館の朝食」だった。ただ、卵は温泉卵だった。夕食同様おいしいのだが、仲居さんがしつこく「栗入りお赤飯」を勧めるのには参った。朝から赤飯というのはちょっと苦しい。結局、朝から赤飯一膳に白飯二膳も食べてしまった。
 とまあ、こんな感じで、1泊2食8千円の元を十分取っておつりが出るほどの温泉だった。残念な事に、この川原湯温泉一帯は、ダム建設のため2006年には水没してしまうそうだ。それまでにはもう一度、また秋にでも行こうと思っている。



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