溢れる手前
他人に迷惑をかけて平気な人がいます。
長年、そのたぐいの人とつきあっていて分かったのですが、そういう人達は、一度他人に不愉快な思いをさせても、相手が怒らなかったら「セーフ」だと思っています。
すると、それが「成功体験」になってしまい、以降は平然と、同じように不愉快な思いをさせる言動を続けます。
しかし、受ける方は、容認したわけではありません。我慢しているだけです。そして、その言動による不快や怒りは、段々とたまっていきます。
そして、許容量をこえると、もはやこの人は駄目だ、と見切ります。そして、失礼な人は、これまで溜め込まれた怒りをまとめて受ける羽目になるわけです。
自分もこれまで、そのように、我慢の限界をこえ、人間関係を終わらせた事があります。
不思議なことに、そのような態度を取る人は、それまで既に複数人から、同じように限度を超えて絶縁された事があるのです。
なぜ、その教訓を生かさないのか、と不思議には思います。
まあ、それを一生理解できないから、そのような言動を取り続けるのかも、と思ってはいます。
2020年07月06日 23:24