「できない理由」と「できなかった理由」
何か新たな事をやろうとすると、「できない理由」を並べ立てて反対される事があります。
もう20年前の話なのですが、その時にいた職場で、これまでやっていなかったクレジットカード販売を導入しようとした事がありました。
すると、「本当にあるかどうかわからないクレーム、かつ別にクレカ払いでも対応できるもの」を挙げてきて、「こうなったらどうするんだ」と言われたものでした。
結果的には無事導入でき、しかもそのような「レアケースのクレーム」で困った事などもなかったのですが…。
というわけで、「できない理由」を並び立てるのは好きではありません。
ただ一方で、同じ反対でも「できなかった理由」には価値があると思っています。
こちらが実際に何度もやってできなかった事を、またやってみようとする、という事例も少なからずあります。
向こうとしては、「こんな簡単なこと、できるはずだ」と思っているのですが、実際に同じことをこちらは経験し、できなかった事が立証されているのです。
そういう経験に基づいた理由は重視すべきだと思っています。
もっとも、この考え方にも落とし穴はあります。
たとえば、20年前はたしかにできなかったが、その後の技術や環境の変化でできるようになった、という事もあるからです。
それも踏まえつつ、実証された経験と、反対するための空想的な過程を区別する必要性を感じています。
2020年04月16日 23:54