「今日もどこかでデビルマン」と漫画版「デビルマン」

2017/1/2

 小学生の頃、アニメ「デビルマン」を楽しく見ていた。変身ヒーローものの定番である、「敵(この作品では妖獣)が、ヒロイン・牧村美樹をはじめとする人間に危害を加える」→「不動明がデビルマンに変身してやっつける」という作品である。
 ただ、この作品は、敵にも味方にも個性的なキャラが多く、それが戦闘以外のところで、独特のかけあいなどをやっていた。そういう事もあり、他のヒーロー物とはひと味ちがう面白さがあり、とても好きだったし、今でも心に残っている。
 そして、話が終わると、今日もどこかでデビルマンというエンディング曲が流れていた。
 東京タワーの鉄骨に座るデビルマンに始まり、印象深い絵が流れる。また、曲調も哀愁を帯びていて大好きだった。
 一方で、その歌詞にはちょっと疑問を持っていた。歌詞の中味は「デビルマンの正体を知られてはいけない」と「人の世には愛や夢という美しいものがあり、それに起因する安らぎの心を知った今、それを守るためにデビルマンは闘う」というものだった。
 しかしながら、アニメを見ていて、なぜデビルマンの正体が知られてはいけないのか分からなかった。
 実際、アニメの最終回では、不動明は、牧村美樹の目の前で変身した。しかし、別に牧村美樹は、それについて何ら気にすることなく、最後は二人でバイクに乗っている描写で終わっていた。そして、相変わらずエンディングでは「誰も知らない知られちゃいけない。デビルマンは誰なのか」と歌っていた。子供心に「なんじゃこりゃ」と思ったものだった。

 そして、中学生になり、漫画版「デビルマン」の存在を知った。メインキャラクターに飛鳥了という不動明の親友が追加された以外は、アニメとほぼおなじキャラが登場していた。
 また、序盤の筋立ても、デビルマンが敵(この作品では悪魔)を倒す、という点ではアニメと類似していた。ただ、表現はTVには流せないような過激なものが多々あったが…。
 ただ、途中から、話の流れはアニメと全く違うものとなった。
 敵のデーモンが総攻撃を行い、人類は大打撃を受ける。そして、ノーベル賞を獲得した生物学の権威は、この敵(悪魔)は、世の中に不満を持つ人間が変身したものだ、という説を発表し、その結果、「人間狩り」が行われるようになるのだ。
 さらに、主人公・不動明の親友だった飛鳥了がテレビに登場し、不動明がデビルマンに変身する映像を公開する。さらに、「これを見れば分かるように、貴方の身近な人もいつ悪魔になるか分からない」と扇動するのだ。
 不動明はその裏切りに驚く。実は、当初は本人も気づいていなかったが、飛鳥了は、敵であるデーモン一族の神とも言える存在・サタンだったのだ。そして、人類滅亡のために、記憶を消して人間として振る舞っていた。その結果、記憶が戻った時、人間を滅ぼすのには、自滅させるのが一番だという結論に達し、このような行動を行ったわけだ。
 それにより扇動された大衆が、不動明が居候している牧村家を襲撃し、牧村美樹とその弟「タレちゃん」は惨殺される。
 この、登場人物は同じ名前・顔なのに、コミカルに描かれたアニメと全く異なるこの展開には衝撃を受けたものだった。
 ちなみに漫画版は、この一件で人類を守るつもりだったデビルマンが人類を見限った事もあり、その後ほどなく人類は自滅した。そして、最後に不動明=デビルマンと、飛鳥了=サタンが最終決戦を行い、敗れた不動明が、飛鳥了と並んで空を見ながら絶命する、という形で話が終わる。

 コミカルなヒーロー物のアニメも、衝撃的な展開を迎える漫画もどちらも好きで、何かあると漫画を読み返したり、カラオケでアニメの歌を唄ったりしていた。
 そんななか、先日ふと、あのエンディング曲と漫画での牧村家襲撃を同時に思い出した。
 そして、この二つに意外な関連性があることに気付いた。
 飛鳥了=サタンは、「デビルマンが誰でその故郷がどこか」を皆に知らせてしまったわけだ。要は「誰も知らない知られちゃいけない」という掟を破ったわけだ。
 そして、不動明は牧村家に「もうこれで帰れなく」なり、「安らぎ」を得ることができなくなってしまったわけだ。
 さらに、人類が疑心暗鬼にかられてお互いを信じることができなくなり、「人の世の愛や夢」は滅び去ってしまった。
 いうなれば、漫画の世界では、デビルマンが誰なのか知られた事が、牧村家、さらには人類の滅亡につながった形になった。
 その事を鑑み、毎週欠かさず「誰も知らない知られちゃいけない。デビルマンが誰なのか」と「警告」が流れていた意味をやっと理解できたな、と思った。

ページ別アクセス数調査用