2018年04月15日

訳語

 鎖国が終わり、外国の文献が日本に入ってきた時、いろいろな訳語が産まれました。
 そのなかには「なるほど」と思える言葉もありますが、逆に「なんじゃこりゃ」と言うものも少なくありません。
 たとえば、「唯物論」と言われれば、なんとなく、現実主義的な考え方なのだろうな、と思えます。
 しかし、「形而上学」とか「弁証法」とか言われると、何を言いたいのかまったくもってわかりません。
 ちなみに、先日読んだ本をもとに大雑把に言うと、前者は物事を固定的に見て分析する考え方で、後者は物事を流転し変化するものと見る考え方だそうです。
 しかしながら、いずれもその名称に使われている漢字とまったくもって関連性がありません。
 当時の翻訳者は、色々と苦労して、この日本語訳にたどり着いたのでしょう。その努力には敬意を表します。しかしながら、時代にあった訳語の見直しも検討していいのでは、とも思っています。

2018年04月15日 20:02