2016年09月15日

京葉線今昔

 夕方に、京葉線の千葉港から南船橋を経由して西船橋に行きました。
 当初は、海浜幕張で始発の西船橋経由府中本町行き電車に乗り換えようと思っていました。
 ところが、海浜幕張駅に着いたら、既に向かいのホームに止まっていた府中本町行きはすでに立ち客が出ていました。
 そこで、南船橋まで京葉線快速に乗り、後から来た府中本町行きに乗り換えたのですが、車内は完全にぎゅうぎゅう詰めでした。
 急いでいなかったので、一本見送り、約25分ほど待って次の府中本町行きに乗ったのですが、それも、前の電車と同じくらいの満員で、辛うじて「積み残し」が出なかったほどでした。

 というわけで、立錐の余地もない車内で、南船橋から西船橋まで行きました。
 その混雑の中で思い出したのが、30年前、初めてこの区間に乗った時のことでした。
 当時の「京葉線」は、西船橋と千葉港(当時の駅名は千葉みなと)を往復していました。
 蘇我及び、新木場・東京を結ぶ路線は貨物線で、旅客電車はありませんでした。
 さらに、沿線は文字通り「何もない」という状態で、ひたすら広大な空き地の中を電車は走っていました。
 当然ながら、4両編成の電車はガラガラでした。
 当時の終点で、周りに何もない千葉みなと駅からバスで千葉駅に出たのですが、その時、何か大都会に来たような気分になった事は、今でも忘れられません。
 30年間でこれほどまで変わるとは、と驚きました。
 同時に、こんな立錐の余地もない満員になるにも関わらず、帰宅ラッシュ時にも関わらず、25分ヘッドのダイヤを組むのはいかがなものか、と思いました。
 ホームも開いているのだから、南船橋-西船橋間を往復する電車を設定すれば、通勤する人ももう少し楽ができるのでは、と思わざるを得ませんでした。

2016年09月15日 21:30