「木原線」の旅

2012/4/1

 千葉県のJRおよび、小湊鉄道・いすみ鉄道・銚子電鉄に乗り放題で1,800円というフリー切符が販売された。幕張本郷からなら、久留里線に片道乗るだけでほとんど元が取れる、という値段だ。
 千葉県の鉄道で乗っていないのが、久留里線と銚子電鉄の一部、という身として、これは、これを使って未乗区間を乗りつぶせ、という天啓だと思った。
 行く前に悩んだのは、久留里線に乗って上総亀山まで行った後にどうするか、という事だった。折角だから、その後に銚子電鉄に乗る予定だが、そこまでの経路をどうするか、という問題が発生した。
 一番安上がりなのは、そのまま久留里線、さらには内房線を同じ経路で戻って千葉に出て、そこから総武本線に乗り換える、というものだ。
 これなら、余計な料金は一切かからない。ただ、折角どんな路線にも乗れるにも関わらず、2時間かけて同じ区間を戻る、というのはかなり勿体無く感じた。
 第2案は、上総亀山からバスで安房鴨川に抜け、そこから外房線と東金線で成東に出て総武本線に乗り換える、というものだ。
 これなら800円かけるだけで、同じ経路を一切使わずに銚子に向かえる。ただ、外房線には半年ほど前に乗ったばかりなので、あまり新鮮味がない、というのが問題としてあった。

 そして最後に思いついたのは、上総亀山から山の中を抜けて上総中野に行き、そこから、いすみ鉄道で大原に出て、外房線→東金線の経路を使う、というものだった。
 いすみ鉄道に最後に乗ったのは10年以上前だから新鮮味もある。そして何より、この経路は、「木原線」を未成区間も含めて乗れる、という魅力があった。
 木原線というのは、いすみ鉄道が国鉄時代に使っていた名前である。木原線の「木」は木更津を、「原」は大原を意味する。つまり、木更津から出ている久留里線と、大原から出ている、いすみ鉄道は、二つを繋げて房総半島を横断する路線として建設されたものだったのだ。
 しかし、1930年代半ばに、それぞれ上総亀山・上総中野まで開通したものの、その間を結ぶ区間については、建設計画すら立てられなかった。そのまま、木原線は第三セクター化され、二つの路線が結ばれる事は永久になくなった。
 その、建設構想があった区間を通して乗ることにより、「木原線」を完乗できる、というのがこの経路の魅力だ。ただ、問題点として、途中まではバスで行けるが、最奥部にはバス路線すらない、という事があった。
 ネットを見ると、その区間を歩いた人もいるとのことだった。ただ、今回のスケジュールだと、バスのダイヤの問題があり、もし歩くと、上総亀山を7時40分に出て、上総中野発10時45分の列車に乗ることになってしまう。これだと、その後、銚子に行くスケジュールが厳しくなる。
 少々悩んだが、今回を最後に、当分の間、旅行をする機会を得るのは難しい。ならば、一番面白そうな路線にしようと決めた。そして、路線のない区間はタクシーを利用することに決めた。タクシー代だけでフリーきっぷより高くつきそうだが、それは仕方ないと考えることにした。

 朝、5時過ぎに家を出て、総武線から内房線を乗り継ぎ、木更津で久留里線の一番列車に乗った。乗り換え時間が1分しかなく、走る覚悟をしていたが、内房線と同一ホームに止まっており、心配は杞憂に終わった。
 編成は国鉄塗色のキハ30と久留里線用にイメージキャラクターの「しょじょ寺の狸」が描かれたキハ38の二両編成である。
 乗るとすぐに気動車は発車した。そして、大きなカーブを曲がって内房線と別れた。山の中に向かって入るのだが、房総半島はなだらかな地形なため、なかなか山道にならない。一応、終点の上総亀山駅は千葉県で最も標高が高い駅なのだが、それでも99mしかない。千葉ポートタワーより低いのだ。
 というわけで、道路沿いの田園地帯を走るのだが、しばらくして、車内が異様に寒いことに気づいた。
 3月末ではあるが、最高気温は10度ちょっとでしかも早朝の一番列車である。しかしながら、暖房が一切入っていないのだ。こちらも、外を歩く事を考え、真冬に近い格好で来たのだが、それでもかなり寒い。
 寒さに震えながら車窓を見るが、ずっと平地を走っている。いくつかの駅には、「タブレット閉塞が3月16日で終了」という横断幕がかかっていた。この線は、人気漫画「鉄子の旅」第1話に取り上げられ、そこでタブレット交換なども描かれていた。それが10日ほど前に終了したらしい。
 そんな事を思いながら、線名になった久留里駅に着く。ここで高校生を含む乗客のほとんどが降り、代わりに少年野球チームの一団が乗ってきた。
 そしてやっと上り勾配に入り、気動車のエンジン音も強くなった。そして、終点の一つ手前の駅を過ぎると、この路線初めてのトンネルを抜け、しばらくすると、終点の上総亀山駅に着いた。

 駅前はちょっとした広場になっている。予約したタクシー会社もそこにあり、ちょうど一台の車が発車していった。
 それから数分後に、君津市のコミュニティバスがやってきた。最近多い、自治体運営の小型バスである。この路線も、廃止された民営路線を引き継いで開業したとのことだった。
 さすがにこちらは暖房がきいており、乗って一安心する。二人ほど乗客が乗っていたが、次のバス停で降り、そこからは筆者の貸切状態となった。そして、山間の狭い道を抜け、終点の黄和田車庫というバス停に着いた。
 名前だけ見ると、バスが何台か停まっている営業所でもある感じだ。しかし、実際には、トタン製と思しき小さい車庫が一つあるだけだ。筆者を降ろしたバスはその車庫に入っていった。
 その「車庫」以外に建物はない。ただ、周囲の土はならされ、これから工事が始まる、という雰囲気だった。
 周囲を見ていると、ウグイスの鳴き声が聞こえてきた。そして、季節は3月だが、今年は寒かったのでまだ梅が咲いている。おかげで初めて、「ウグイスの声を聞きながら梅を見る」という日本の伝統を堪能することができた。
 そして、予約していたタクシーに乗る。予想通り、先程駅前で見かけた車だった。のどかな高原をタクシーは走る。途中、トンネル工事を行なっている箇所があった。それを見た時は、もし木原線が全通していたら、このあたりに鉄道トンネルができていたのだろうか、と思った。
 途中、筒森というバス停があり、そこから上総中野行きのバスが設定されているのだが、本数は一日二本しかなく、既に朝の便は発車済みである。そのため、さらに進んで老川というバス停の所でタクシーを降りた。
 次の上総中野行きのバスが出るまで20分ほど時間がある。そこで、バス通りに沿って歩くことにした。サイトにはこの区間はフリー乗降区間と書いてあったはずなので、仮にバス停のない所でバスに追いつかれても問題ない。
 というわけで、山道をしばらく歩いた。そして20分ほど歩いたところでバスに乗り、上総中野駅に着いた。

 上総中野駅は、いすみ鉄道と小湊鉄道の終着駅だ。小湊鉄道も名前の通り、外房線の安房小湊を目指して建設されたが、同様の理由で上総中野以降は建設されなかった。
 というわけで、二つの鉄道の終着駅なわけだが、駅員はおらず、小さな待合室があるのみだ。ただ、ホームは共用していない。待合室と隣接しているホームが小湊鉄道の、線路を渡った向こうが、いすみ鉄道のホームとなっている。そして、それぞれの線路はホームの端にある車止めで終わっている。
 不思議なことに、いすみ鉄道の駅名票は「かずさなかの」、小湊鉄道の駅名票は「かづさなかの」となっていた。
 なお、いすみ鉄道のホームの向こうにもう一本線路があり、そちらを使うと、両鉄道を直通することができる。かつて貨物輸送をしていた頃はそのような運用があったのだろうか。
 待合室には、バスから乗り継いできた若い人と、歩いてきた妙齢の女性二人組がいた。しばらくすると、いすみ鉄道のレールバスが単行でやってきた。若い人はすぐにレールバスに移動したが、妙齢の女性二人はしゃべり続けている。少々不思議に思ったが、発車間際になって、一人だけが乗ってきた。もう一人は、話し相手として駅まで見送りに来ていたようだ。

 いすみ鉄道のレールバスも、当然ながら暖房がきいていた。そして、ワンマンの運転手兼車掌さんも、頻繁に企画切符の案内をしたりしている。
 線路沿いに菜の花が植わっている箇所も少なからずあった。ちょうどシーズンなだけあって、線路沿いに咲き誇っている。そして、一部では線路の両脇に桜を植えている区間があった。満開時には「桜のトンネル」になるのだろう。
 いすみ鉄道は、色々と経営努力をしており、ちょくちょくローカルニュースにもなる。これらも、その一環なのだろう。いくつかの駅では、スポンサーの名前をつけるというネーミングライツまで行なっていた。
 一方で、久留里線は車両も沿線も旧態依然のままだ。本来、一本の路線となるべく造られ、沿線の状況も似たようなものである。
 しかしながら、いすみ鉄道は常に経営危機にさらされ、久留里線は安泰のままである。もちろん、だからと言って、久留里線も第三セクター化しろ、などと言う気はない。とはいえ、この二つの路線の対照性は印象に残った。
 そして、のどかな日差しのなかを、レールバスは進む。車内には、鉄道ファンと思しき、カメラを抱えた人もちらほら見えた。しばらく後に来る、かつての国鉄の車両・デザイン・。ヘッドマークを使った「観光急行列車」を撮る人なのだろうか。
 そうやって、乗客を入れ替えながら、沿線風景から山が見えなくなっていった。そして西大原駅を出てしばらくすると、大きくカーブして外房線と合流し、終点の大原駅に着いた。
 その様子を、運転台のすぐ後ろの席で見ていたのだが、いすみ鉄道の入線と入れ替わるように、外房線の下り列車が出ていった。調べてみたところ、この列車の大原着が10時で、下り列車は9時58分発となっていた。
 まさか、いすみ鉄道から下り列車に乗り換える需要が一切存在しない、という事はないだろう。ならば、2〜3分くらい待ってもいいのでは、とも思った。このあたりも、第三セクターゆえの悲哀なのだろうか。
 というわけで、二つの路線の対照ぶりが印象に残った、「木原線の旅」だった。
※なお、この後に行った銚子電鉄の乗った感想も宜しければお読みください。