「酷使」と「美談」
かつてのオリンピックで起きた、マラソン選手が熱中症になり、フラフラとなってゴールインした、という話をみました。
当時のマスコミは、それを「美談」としてもてはやしたそうです。
しかし、いくら本人が走る意思があろうとも、熱中症になったのが明らかならば棄権させるのが当然ではないでしょうか。
その結果、重大な後遺症が残ったらどうなるのでしょうか。
これは、高校野球などでもよくあります。怪我に耐えて出場することを「美談」にするのです。その結果、その選手が高校で選手生命が潰れる事が実際に起きているのですが…。
古代ローマでは、人間同士を死ぬまで戦わせ、それを見物する、という「娯楽」があったそうです。当然、今の社会では許されない事です。
しかし、このような「熱中症ランナー」や「怪我した高校球児」をもてはやす風潮を見ると、形を変えただけで、この古代ローマで残酷な協議を楽しんだという「人権感覚」は今の世にも引き継がれているのでは、と思えてきてしまいます。
2017年07月10日 23:19