2016年08月20日

発奮するために暴言?

 指導的立場にある人が、目下の人間の失敗に対して暴言を言い、それを「彼が発奮するためにあえて行った」などと言い訳する、というのがよくあります。
 自分も社会人になりたての頃、先輩や上司から仕事のミスに対し、よく暴言としか言いようのない形で「叱責」されました。時には自分のみならず、家族に対してまで侮辱的な言葉を投げつけた輩もいました。
 しかし、それに対して「発奮」する事など、全くもってありませんでした。
 自分の未熟さ故の失敗はもちろん事実として受け止め、反省します。
 しかし、だからと言って、自分より経験が豊富だから仕事をこなせるだけの人間に、自分の人格を否定されるいわれなどありません。
 その一方で、失敗や未熟さに対しては厳しい事を言うけれど、決して自分を見下すような事はしない上司もいました。
 その人の説教や叱責は、本当に役に立ちました。また、不当な事はなかったので自分の未熟さに対する怒りはあっても、その上司に対する怒りは一切ありませんでした。
 その後、経験を積み、またそのような優れた上司の指導もあって、かつて自分に暴言を放った人々を上回る仕事ができるようになりました。
 もちろん、その時、「今の自分があるのはこの人達の発言に発奮したからだ」などとは一瞬たりとも思いませんでした。
 単に、「あいつら、この程度の仕事しかできないくせに、ちょっと経験があるからと言って、あんなに偉そうな態度をとっていたんだな」と呆れただけでした。
 そういう事もあり、自分はその後も、後輩などに対し、「発奮させるための暴言」などは、絶対に言わないよう、強く心がけています。

2016年08月20日 23:30