2014年10月13日

「見出し」の劣化

 半月ほど前、若者がビールを飲むと脳の機能が高まることが判明!しかし…という見出しのネット記事を見ました。
 この見出しを見る限り、「若い人間がビールを飲むと脳の機能が高まる」という事実が何らかの形で判明したと普通の人は解釈するでしょう。
 しかしながら、記事本文を見ると、「若いマウスにビールのホップに含まれる一成分を服用させて迷路を走らせると、服用していないマウスより早かった。老齢のマウスではそのような結果にならなかった」という事しか書いてありませんでした。
 要は人間の話でもなければ、ビールの話でもないわけです。

 当然、記事を書いた人もその事は分かっています。それゆえ、見出しの最後に「しかし…」をつけたのでしょう。
 確かに、「若いマウスにホップの一成分を投与したら迷路脱出が早くなった」という見出しより、「若者がビールを飲むと脳の機能が高まる事が判明!」のほうが、見る人に対する訴求力は高いでしょう。
 とはいえ、ここまで「飛躍」すれば、もはや見出しとして正常とは思えません。実際、この見出しだけ見て、誤解をする人もいた事でしょう。
 もっとも、これは特異な例というわけではありません。このような、「目標を達成するためなら、誤解を招くことや、事実でないことを吹聴しても構わない」という傾向は、特にここ数年顕著になっています。
 何しろ、経済・歴史・原発などにおいては、政治家が率先して同様の事を行い、それを大新聞やテレビが拡散させているのが現状です。
 そのような世情を象徴するような、この「若者がビール…」見出しだと思いました。

2014年10月13日 20:10