2012年01月13日

25年で変わった「常識」

 先日、2005年に発生したJR西日本福知山線事故で、当時の社長だった人の刑事裁判が行われ、無罪になった、というニュースがありました。それに関してツイッターで何人かの人が「JR西日本の事故は許されるものではない。今後も再発防止に全力を尽くして欲しい。一方で、利用者は過度な定時性を求めすぎている感もある。」みたいな投稿をしていた人が何人かいました。
 つまり、あの事故の原因を、「利用者が遅れると怒る→会社が遅延が生じないように命じる→運転手が遅れを取り戻そうと無理をして事故になった」という認識なのでしょう。
 書いている人に悪意はないのでしょうが、見当違いにもほどがあると思いました。だいたい、「安全」と「定時運行」を「二択」というのがありえない話です。
 公共交通機関は安全かつ正確な運行をするのが使命です。それには、安全と定時制の双方を維持できるダイヤとシステムを組めばいいだけの話です。JR西日本はそれができなかったから、あのような大惨事をもたらしたわけです。
 もしかすると、そのような投稿をした人は、かつての安全かつ時計並の正確さを誇っていた国鉄時代の事を知らないのだろうか、とも思いました。それならば、安全かつ正確な鉄道などありえない、と思い込んでいるのも理解できます。
 まあ、国鉄が解体されて今年で25年目です。四半世紀も経てば、「常識」が変わるのも無理はないでしょう。
 そんな自分も、今朝の出勤時、「事故で3分遅延」というアナウンスを聞いて、「そうか。ならば下車時に鳴らす寝過ごし防止の携帯目覚ましを3分遅らせなければな」と、日常茶飯事のように対応してしまいました。
 要はJRの遅れに慣らされてしまったわけです。改めて、この25年間の時の流れおよび変化というものを感じさせられました。

2012年01月13日 23:34