2013年11月04日

投手酷使と報道

 昨日の日本シリーズ最終戦で、東北が読売に勝っていました。
 中継を見ていたのですが、8回を終わって3-0でした。普通ならリリーフエースが出てくるところです。
 普段、プロ野球はほとんど見ないので東北の戦力はよく分かりませんが、優勝したのですから、信頼出来る救援投手が何人かいるはずでしょう。
 ところが、そこで登板したのは、前の日に160球完投して敗戦投手になっていた田中投手でした。

 今期、東北は、優勝した試合も、CS通過を決めた試合も最後に田中投手に「抑え」をやらせています。しかしながら、いずれのケースも、ある程度登板間隔が空いていました。
 しかし、今回は完投した翌日なのです。1960年代までならともかく、分業制が確立した現在ではありえない投手起用です。
 もちろん、勝ったほうが日本一になる試合です。たとえば延長戦が進み、投手を使い切った、という展開ならこの起用も仕方ないでしょう。しかしながら、ベンチにはこの一年間を支えた救援投手が何人も控えていたのです。
 どんな素人が考えても、これはチーム勝利のために最善の継投ではありません。さらに、田中投手の将来の事も全然考えていない「酷使」としか言いようがありません。
 単に、自意識過剰な監督が、自分を目立たすために派手な演出をしただけです。

 この「異常な継投」を見て思い出したのが、2006年の日本シリーズ第5戦でした。
 この試合は、ドラゴンズの山井投手と北海道のダルビッシュ投手の投げ合いとなり、山井投手が8回まで走者を一人も出していませんでした。一方、ダルビッシュ投手も当然ながら好投し、1対0のまま最終回を迎えました。
 ここで、当時の落合監督は完全試合のかかった山井投手を降板させ、岩瀬投手を起用しました。なんでも、山井投手はマメを潰していたそうです。そして、三者凡退に抑え、ドラゴンズは52年ぶりの日本一となりました。
 ところが、翌日のスポーツマスコミは、この日本一を決めた采配に対し、非難轟々でした。なぜ、完全試合のかかった山井投手を続投させなかったのか、という論調です。
 別に8回まで完全投球をしていたからといって、9回を三者凡退に抑えられる保証など何もありません。試合に勝って日本一になるには、最も信頼出来るリリーフエースを投入するのは当然です。
 ましてや、その継投で、ここまで勝ち続けていたのです。極めて普通の事をやったにすぎません。そして最善の結果を出したわけです。
 にも関わらず、その采配は誤っており、達成できるかどうか分からない個人記録を優先すべきだ、などと書いた記者や評論家・「識者」の談話には心底呆れたものでした。

 そして、今朝のスポーツ新聞のサイトを見て、ある程度予想はついていましたが、呆れた気分になりました。
 7年前、あれだけ日本一を決めた采配を批判していたしていたわけです。しかし、自分の見た限り、あの「酷使采配」を批判した論調はひとつも見ることがありませんでした。
 少なくとも、試合中にツイッターを見た限りでは、ダルビッシュ投手をはじめ、かなりの人が、あの起用に疑問を示していました。しかしながら、スポーツマスコミも評論家・識者も何一つ批判をしていないのです。
 記事には「田中投手に感動を貰った」みたいな事が多々書かれていました。ならば、その感動を与えてくれた田中投手の投手生命を心配しようと思わないのでしょうか。

 まあ、昔から、スポーツマスコミには「酷使は素晴らしい」という風潮が根強くあります。夏の甲子園大会など、あんな猛暑の中、投手に連投させるという、熱中症にさせるためにやっているとしか思えない行為すら、まともに批判しません。
 確かに、酷使された投手の「頑張り」を題材にすると、比較的簡単に「感動的な記事」が作れます。そう考えれば、昨日の酷使は、彼らにとって「美味しいネタ元」なのかもしれません。
 そんな事を思いつつ、スポーツマスコミ(まあ、スポーツに限ったことではありませんですが)の質の低さにあらためて呆れました。

2013年11月04日 20:38