2013年02月11日

「怒鳴る」事の正当性

 近所にかなり常識の欠けた人が引っ越して来ました。何かあるとすぐ、同居人と思しき人を怒鳴りつけます。時間などお構いなしで、この前は、深夜12時近くに怒鳴り声が聞こえてきました。
 あまりにも酷いので、管理会社にクレームを入れました。とりあえず、告知文を送る形で対処するとの事でした。それでもダメだったら次の対処法を検討するとの事です。
 まあ、文書を読んで自分がいかに異常か気づくくらいなら、最初から深夜に怒鳴り声を上げたりはしないでしょう。おそらくは、「次の対処」が必要になるだろうな、と思っています。

 今回のケースは、明らかにその人が異常すぎるわけです。しかしながら、それに限らず、日常生活で怒鳴り声が上がる、という事はよくあります。
 そして、一部の逆切れを除けば、怒鳴っている人は常に自分が正しいと思っています。
 もし仮に、その怒鳴っている人の主張が100%正しかったとします。ところが、それが耳に入ってくる周囲の第三者にとっては、精神を不愉快にする迷惑な騒音であり、怒鳴っている人は「歩く公害」でしかないのです。
 つまり、どんな正しい主張でも、怒鳴ってしまった時点で、その正当性は消し飛び、迷惑行為となってしまうわけです。
 今回の経験により、「怒鳴る」という行為が不当なものか、という事が改めてよく分かりました。
 それを再確認できた、という点においては、この引っ越してきた人が撒き散らす騒音が自分に役立ったと言えなくもありません。
 とはいえ、その人に感謝する気は毛頭ありません。一秒でも早く、その迷惑極まりない口を塞いでほしいものだと思っています。

2013年02月11日 19:12