2012年12月13日

同期の友との別れ

 大学の将棋研究会の同期にN君という人がいました。将棋の実力は彼のほうが、大駒一枚分強かったのですが、お互い部室によく来た事と、特撮という共通の趣味があったため、かなり親しくなりました。
 したがって、将棋のほうもかなり指しました。最初の一年間だけで、200局から300局は指していたと思います。
 そして一年の冬、彼は同期並びに先輩に、「クリスマスですし、パーティーをやりませんか?」と声をかけました。当時、将棋研究会には男性しかいませんでした。つまり、男だけでクリスマスパーティーをやろうと言ってきたわけです。

 当時は、クリスマスとコミケが重ねっていました。そのため、飲み会どころではないので、あっさり断ったと記憶しています。
 しかし、彼はそのクリスマス会を続けていました。その後、コミケが年末になった事もあり、社会人になってからは自分も参加するようになりました。
 彼は居酒屋探訪が好きで、独特の感覚で店を選んでいました。特に好きなのが、高田馬場・明治通り沿いにあった岡山料理の店と、沼袋にあった魚を売りにしていた店でした。
 確かに美味しいのですが、いずれも店が狭すぎます。そういう事もあり、私はよく彼にクレームを言ったものでした。
 彼は法学部出身で、そのまま法律の道に進みました。そして、ある有名な塾の裏方として活躍していました。そしてよく、私には解り用のない、法律の例題を持って来ました。そして、嬉しそうに、「ここに出てくる『高野大』 という原告は、キミの名前をモデルにしたんだよ」などと言っていました。
 そうこうしている内に、私は相方と結婚することになりました。当然、彼も披露パーティに呼び、その後、大学時代の仲間たちでカラオケに行きました。
 すると彼はその席で、死ね死ね団のテーマを歌ってくれました。誰がどう考えても、結婚パーティで歌うのに最もふさわしくない曲です。それをサイトのネタにしたら、Yahoo!で「結婚式 歌」で検索すると上位に来るようになりました。おかげさまで、当サイトでもトップクラスになる、1ページだけで5万6千ものアクセスを達成しました。
 その後も、毎年暮れには、彼が主催する忘年会には参加していました。「死ね死ね団」の話を、肴代わりにするのも恒例になっていました。そして、去年も同じように飲み、また次の年もこの面子で飲むのだろうな、と思いつつ、例年通り別れました。

 ところが、今年はなぜか連絡がきません。業を煮やした同期の一人から自分に、「彼と連絡が取れないが、何か分からないか?」というメールが来ました。
 それを読んで自分も、おかしい事に気づきました。数ヶ月前、一度携帯に連絡を入れたのですが「使われていない番号です」と言われたのを思い出したのです。
 しかしながら、その時点では、「何かの事情で、携帯番号を変えたのだろうな。まあ、どうせ暮れには連絡がくるから、その時登録変更すればいいな」程度にしか思っていませんでした。
 いずれにせよ、彼がそこそこ有名な所に務めているのは知っています。そこで、彼の名前と会社で検索すれば、所属部署くらいは分かるだろう、最悪、そこに電話しよう、と思い、ググってみました。
 その結果出てきたものは、彼の上司の方が書かれた「Nさんを偲ぶ」というブログでした。なんでも、不慮の事故で、7月に亡くなっていたとのことでした。

 当然の事ではありますが、いまだに、現実感がありません。明日当たりひょっこりと、彼から、忘年会の案内メールが届き、一連の話は勘違いだった、というハッピーエンドになるのでは、と今でも心の片隅では思っています。
 3年前の忘年会で彼は、「あと30年は続けたい」と言っていました。その約束は、何とか守り抜きたいものです。
 自分があとどれだけ生きていられるか分かりません。しかしながら、命ある間は、彼の名前を冠した忘年会を続けたいと思います。そして、2039年の暮れには、約束を守れた事を、泉下の彼に自慢したいと思っています。
 とにかく、早すぎる別れでした。かなう事なら、もう一局、彼と将棋を指したいです。

2012年12月13日 23:47