2011年09月09日

無意味な結果論

 なぜだか分かりませんが、3月11日の津波で児童の大半がなくなった宮城県の小学校がとった避難方法を非難する記事が定期的に掲載されます。
 別に、何か衝撃的な新事実が伝えられるわけではありません、繰り返しのように「学校の裏山に避難すれば助かったのに、新北上大橋に避難させたために教師も子供も死んでしまった」というのを記事にしているだけです。
 ちなみに、今回明かされた「新事実」は、学校にはスクールバスが止まっており、それに子供を乗せて安全な所に逃げればよかった、という「証言」でした。
 しかしながら、そのバスの運転手さんも津波の犠牲になっています。したがって、「スクールバスに乗せていれば助かった」という事を立証しているわけではありません。
 そして、その記事は、「なぜ、山に避難させなかったのか」。遺族の疑問は今も解けない。などと書いています。しかしながら、それは「避難誘導した教師が、自分や児童が死なずにすむには、そちらに逃げたほうがいいと判断した。しかし、結果的にはそれは誤りだった」だという事くらい、普通に考えれば分かると思うのですが・・・。
 率直に行って、この「裏山に逃げれば助かったのになぜ川辺に逃げたのだ」という批判は、「40年前にドルを売って円を買っておけば、今頃4倍以上に増えていたのに、なぜそれをしなかったのか」と批判しているのと同じです。
 このような結果論を百万回掲載したところで、亡くなった人達はかえっていません。もちろん、次に同じような災害が発生した時の指針にもなりません。
 半年前の震災においては、他にも様々な被害があります。中には、今でも被害を拡大し続けているものすらあります。にも関わらず、なぜこのような、「今更批判しても何の意味もない結果論」を繰り返し語り続けるのでしょうか。
 何か別の意図でもあるのでは、と思えたほど、不可解かつ無価値な記事でした。

2011年09月09日 23:17