2010年11月03日

耳かき

 ここ数日、ネットで「耳かき」なる言葉を異常なほどよく見ました。なんでも、耳かきのサービスを行う店舗の従業員とその祖母が、ストーカー化した客に殺されたという事件があったそうです。そして、死刑が休憩されたこの裁判の一審が裁判員裁判になったとの事です。
 そのような「話題性」のため、マスコミが連日大きく報じているようです。中には「耳かき殺人」「耳かき店裁判」など、事件の本質と大きくずれた言葉を見出しにしている記事もありました。

 別に、事件としてさほど社会的価値があるとは思えません。要は「耳かき店」という珍しい業種で働いていた人が殺された、という事が見る人の興味をひきつける、と思っているから、このような書き方をしているのでしょう。このことは、もう一人の被害者である老女については、「耳かき店員ら」などと、非常に軽く扱っていることからも分かります。
 それに加え、「一般人である裁判員が死刑判決を出せるか」などという事を書き、より興味をかきたてようとしています。裁判員制度については今一つ必要性がわかりません。とはいえ、法として定まっている以上、プロの裁判官が下そうと裁判員が下そうと同じ判決です。
 それに対し、商業マスコミやそこに雇われた評論家が判決の妥当性を論じる、というのもおかしな話です。
 まあ、結局のところ、被害者の職業にせよ、判決の出る過程にせよ、多くの人の目を引きつけて、それが自社の収益に繋がりさえすれば何をしてもいい、という感覚なのでしょう。
 このような、殺人事件を興味本位に報じる、というのがまともとは思えません。金のためなら何を書いてもいい、というこの業界の無神経さを改めて実感した、見出し並びに報道でした。

2010年11月03日 00:12