2009年10月07日

バレンタイン監督、本拠地最終戦で勝利

 今季の千葉主催最終戦になる、千葉-東北戦の観戦に行きました。幕張本郷駅では、「当日券はあとわずかです」と係員が言っていましたが、あいにくの雨という事もあり、出足はあまりよくありませんでした。おかげで、内野自由2階バックネット裏にある「いつもの席」を無事に取ることができました。
 試合のほうは、成瀬投手と岩隈投手が先発。千葉の打順は一番遊撃西岡選手、二番二塁堀選手、三番一塁福浦選手、四番右翼サブロー選手という、「2005年オーダー」でした。この並びも、堀選手のスタメン二塁も今季初と記憶しています。
 以下も、六番今江選手、七番橋本将選手、八番里崎選手と、五番の大松選手、九番の早川選手以外は、2005年の優勝に貢献した顔ぶれでした。当時を懐かしく思うと同時に、僅か4年でこのような事になってしまったとは、と思い、少々もの悲しくなりました。

 1回はともに三人ずつで終わります。しかし2回表、成瀬投手は先頭の山崎武選手に安打されると、そこから制球を乱し、連続四死球で無死満塁に。そして、1死後、昨日の死球で欠場した鉄平選手に代わって抜擢された聖澤選手に、一塁ベースを直撃する2点適時打を打たれてしまいます。
 さらに打席は、バスター打法の中谷選手が。打法の利を活かして、一度スクイズするもののファウルに、さらに次の球もスクイズしようとしますが、これはバッテリーが読んで外し、三塁走者のリンデン選手を挟みます。リンデン選手は本塁でアウトになる際に、グラブを肘で弾いて球を飛ばし、その間に一塁走者が三塁まで進みましたが、さすがにこれは守備妨害を取られ、走者も二塁に戻されました。
 その裏の先頭は、9月12日以来の出場となったサブロー選手でした。久々の打席でしたが、岩隈投手の球を右中間に弾き返すと、そのまま右翼席に入り、22号ソロで即座に1点差に迫ります。
 さらに続く3回、先頭の早川選手が二塁打して内野ゴロで1死三塁とし、堀選手が中前に抜ける適時打を放って追いつきます。この「2005年打順」が成功して追いついた、というのは嬉しいことでした。
 追いついてもらった成瀬投手は、直後の4回に2安打されますが、0点に抑えます。その裏、二死無走者から橋本将選手が右翼方向に飛球を打ち上げます。風はたいしてないのですが、雨の影響か、これを中島選手が捕りきれません。しかし、アウトと思いながら橋本将選手は二塁に走っており、球は二塁に帰ってタッチアウト、「珍プレー」となってしまいました。
 なお、この4回に、オーロラビジョンなどで小宮山投手の語録などが流れます。ところが、その時、右翼席からはランビン選手の応援歌が流れました。今季での退団と言われているランビン選手とバーナムJr選手が、何と右翼席に来ていたのです。続いて、バーナムJr選手の応援歌も流れました。
 続く5・6回といずれも先頭打者を安打で出しますが、岩隈投手を攻略しきれません。一方、成瀬投手も5回から7回までを1安打に抑え、2対2のまま終盤に入ります。
 7回に東北は二番手に佐竹投手を投入し、0点に抑えられます。一方、千葉も7回で137球投げた成瀬投手が降板します。そして8回からは渡辺俊介投手が登板。しかし、いきなり死球で走者を出し、続く打者の犠打は二塁でアウトにしたものの、四球で危機を広げて降板となりました。あと2/3イニング投げれば今年の規定投球回数に達したのですが、1/3を残した事になります。果たして、明日は登板するのでしょうか。
 そして、この危機に荻野投手が登板。3球で併殺に打ち取ります。
 その裏、福浦選手が佐竹投手に打ち取られると、三番手に福盛投手が登板。サブロー選手は打ち取られますが、二死無走者から大松選手が右翼線に二塁打を放ちます。すると、続く今江選手が左翼手の脇を抜く二塁打を放ち、ついに勝ち越しに成功します。
 さらに橋本将選手が0-3となり、最後は捕手が立ち上がる形で四球に。続く里崎選手の打球は、右翼線にフラフラと上がりますが、前進守備を敷いていた右翼手が取りきれず、2点適時三塁打となり、5対2となりました。
 9回表、場内からは「小宮山コール」が流れますが、シコースキー投手が登板。いきなり安打されますが、そこから抑えて2死2塁となります。するとここでバレンタイン監督が立ち上がり、再び流れる「小宮山コール」の中、今度は本当に小宮山投手が登板します。
 そして、代打のセギノール選手が初球をいい当たりで弾き返しますが、これはサブロー選手の守備範囲で試合終了。小宮山投手は1球で引退登板を飾ると同時に、プロ野球史上最年長である44歳でのセーブを達成。また札幌ドームが試合中だったため、この瞬間、北海道が2年ぶりの優勝を決めました。
 引退登板でプロ野球記録を作り、かつリーグ優勝が決まるなど、空前絶後でしょう。
 試合開始前から終わるまで、ずっと雨が降り続いていましたが、試合終了後も客足は増す一方で、最終的には2万9千392人でした。中には、8回くらいに入場したお客さんもいたほどでした。

 終了後、いつもの本拠地最終戦同様、全選手がマウンド後方に並びます。そしてまずは小宮山投手の引退セレモニーが始まりました。
 これまでの活躍や、引退時の談話などが流れた後、小宮山投手の挨拶に。「子供の頃から投げるのが好きで、プロの投手になろうと思っていた」と言っていました。二浪して大学に入るなど、若い頃から苦労していただけに、その言葉は身に染みるものがありました。
 そして、このような体に産んでくれた両親に感謝した後、家族には「色々と迷惑をかけてごめんなさい」と謝っていました。大リーグに挑戦し、一年で解雇され、「浪人」として練習をしながら評論家活動をしていた経緯があるだけに、これまた心からの本音なのだろうな、と思いました。
 「オーナー・オーナー代行をはじめ、色々な方にお世話になった」と言い、最後に今の自分があるのは全てバレンタイン監督のおかげ、とお礼を終えたあと、「近い将来、このユニホームを着て、この場所に立てる日が来ることを願っています」と締めていました。
 お礼の対象にした球団幹部をオーナー代行までで止めたことおよび、残留要請をされながら、「ユニフォームを着て再び」と言ったのには色々な含みを感じました。もし、小宮山投手の希望がかなう日がくれば、その時は、またこの球場で指導者となった小宮山投手を応援したいものだ、と思いました。
 続いては恒例の「子供達による花束贈呈」となります。ところが、小宮山投手は三塁ベンチ脇から出てきた三人の子供からの花束を受け取らず、代わりに、一塁ベンチに行くように促します。
 そして、三人の子供さんは、ベンチにいるバレンタイン監督に花束を渡しました。改めて、小宮山投手がいかに監督に感謝していたかが改めて分かりました。

 続いて、バレンタイン監督の挨拶に。これまで、冒頭だけ日本語で話し、途中から英語に切り替えていた監督ですが、今日は最後まで日本語で話す、と最初に言いました。そして、その日本語を中曽根通訳が英訳する、という珍しい形になりました。
 そして、ファンへの感謝を述べた後、最後は「愛しています」で締め、グランド一周となりました。
 左翼席には、雨の中、東北のファンも残ってくれて、声援を送っていました。
 そして、場内が監督の応援歌を歌う中、右翼席前にいきます。すると、まず「プポ」コールが起きました。今季限りで退団する、統計アナリストのポール=プポ氏へのコールです。さらに、ランペンコーチ、さらには試合中はスタンドにもいたランビン選手・バーナムJr選手に続き、最後はベニー選手へのコールがありました。ランビン選手は、最後の「ランビンダンス」を披露してくれました。また、右翼席にはランビンコーチの背番号である「83」の幕も掲示されていました。
 そして一周した後は、一塁ベンチ前での胴上げに。2005年の優勝した時から、選手達は「マリンスタジアムで胴上げを」と言っていました。それがこのような形で実現するとは、当時は夢にも思っていませんでした。
 しばらくは名残を惜しんでいましたが、最後に大声援の中、バレンタイン監督がベンチに引き上げ、セレモニーは終了になりました。
 終了後も、しばらく一人で内野席に座り、色々な事を思い出していました。昨年暮れあたりからは不愉快な事のほうが多くなりましたが、それまではこの球場でいろいろ楽しむことができました。
 特に2005年は、自分の事で色々悩んでいた中、この球場でバレンタイン監督を初めとする千葉の選手の活躍を見て、エネルギーを貰う事ができました。それらをはじめ、色々ないい想い出をこの球場で得ることができました。
 そんな事が頭をよぎり、去りがたくはありましたが、いつまでもいるわけにもいかないので、先刻までの余韻を味わいながら、球場を後にしました。

2009年10月07日 01:50