2008年10月24日

「燃える男」の演出

 昨日から再び話題になっている星野仙一氏は現役時代に「燃える男」と言われていました。なんでも、この呼称を守るため、当時の星野仙一投手は、限界が来てコーチに交代を要請しておきながら、いざ交代が告げられると、あたかも不当な扱いを受けたかのように、ベンチで「怒り」を表現していたそうです。
 そして、後でその事を咎められると、「私は燃える男といわれとるんです。どんな状況でも弱気なとこは見せられんのです」と答えたそうです。そんなら最初から、限界が来ないような体力をつければ、と思うのですが、氏はそのような野球の練習より、演技力の練習を優先していたようです。
 「卵が先か、鶏が先か」ではありませんが、このような逸話を知ると、「燃える男」の呼称が、投球によってついたのか、演出によってついたのか、分からなくなってしまいます。

 今回の騒動を見たとき、その逸話を思い出しました。通算で13年と長年監督をやり続けた割りには、優勝3回で日本一はゼロです。にも関わらず、「闘将」などの異名を持ち、なぜか「名監督」みたいに報道されていました。
 そして、五輪ではいつの間にか「日本代表監督」となり、テレビ・新聞には「星野ジャパン」なる言葉が氾濫しました。何でも、「氏の友人」がその言葉を商標登録しようとしたそうです。
 ただ、残念ながら、代表監督としての星野氏は「闘将」になることができませんでした。勝ち越す事すらできなかった上に、帰国後は責任転嫁と言い訳に終始しました。にも関わらず、WBC監督にも色気を見せ、「若者に夢を持たせるためにもやりたい。批判する人は時が止まった人」などと、自分の功名心を一般論に置換える(?)ような詭弁を言ったりしていました。
 そして、WBCアジア予選を主催している読売新聞社の会長氏による、強い推薦もあったようです。その結果、代表監督としての実績がないにも関わらず、「他に国際大会を経験している監督経験者がいない」などという訳の分からない理由で、「WBC監督確実」となりつつありました。
 このあたりの経緯を見ていた時は、「監督としての能力でなく、読売の会長への根回しによって決められる人事」に強い不快感を覚えました。同時に、虚像でしかない「闘将」の技量に期待するような報道を見て、現役時代に行なった「『燃える男』の虚像」から何も進歩がないな、などと思いました。

 とりあえず、今回の宣言でさすがに「星野WBC監督」がなくなったので、一安心してはいます。もっとも、これはあくまでも「やっと最低限まともな状態」になっただけの話です。しかも、本来は、五輪の結果が出た時点で決まるべき事でした。
 既に出遅れてしまったわけですが、ここから何とか巻き返してほしいののです。そして、3月にはまた「日本最強チーム」の活躍を楽しみたいものです。

2008年10月24日 00:19