2007年09月16日

久保田投手、登板数日本記録を達成

[ 野球 ]

 甲子園のタイガース対ドラゴンズは安藤投手と小笠原投手が先発。安藤投手は初回の1死1・2塁、2回の無死2・3塁、4回の無死1塁と、毎回のように安打されますが、好守もあって、何とか0点に抑えます。
 一方、小笠原投手は3回まで無安打投球。4回にシーツ選手に初安打が出ますが、5回までその1安打に抑えられ、投手戦となります。

 そして迎えた6回、ドラゴンズは先頭の荒木選手が二塁打し、進塁打で1死3塁とまたもや先制機を作ります。しかし、ここも昨日のヒーローであるウッズ選手以下が倒れ、得点になりません。
 するとその裏、ここまで1安打1死球のみのタイガースでしたが、安藤投手の代打で登場した野口選手が二塁打を放ち、犠打で1死3塁とします。ここで打順は2番に入っている浜中選手。大きいファウルを二つ放ち、フルカウントまで粘った後の7球目を左中間スタンドに打ち込み、タイガースが2点を先制します。
 直後の7回は久保田投手が登板。これが今季81試合目で、一昨年に藤川投手が作った記録を抜き、日本新記録となりました。そして、1死から安打と四球を出しますが、併殺で凌いで、記録に花を添えます。さらに8回はウイリアムス投手が久々の登板。安打はされるも、ウッズ選手を併殺に打ち取り、三人で抑えます。そして9回は2試合連続失点中の藤川投手が登板。しかし今日は三振こそなかったものの、三人で抑えて完封リレー完成。タイガースが2対0で勝ち、首位を守っています。観客数は4万8千5百人ほどでした。

 さて、表題にあるように、久保田投手が記録を達成しました。二年前の時と比べると、所属チームも監督も同じです。また、首位争いをしているというチーム状況も同じです。
 ところが、なぜか同じ記録達成でも当時とは報道の雰囲気が違います。あの時は、各メディアが「稲尾越え」という言葉を乱発しました。2004年までの登板記録は、元西鉄ライオンズの稲尾和久投手が1961年に、現合併球団の菊地原投手がカープ在籍中の2001年に達成した78登板でした。にも関わらず、「稲尾・菊地原越え」でなく、「稲尾越え」でした。
 ところが、今日の久保田投手の記録に対し、「藤川越え」という言葉を使う報道はまず見ません。
 では、一昨年の藤川投手の記録は「稲尾投手を越えた」にふさわしく、逆に今年の久保田投手の記録は「藤川投手を越えた」に値しない記録なのでしょうか。そんなことがないどころか、むしろ正反対です。それは、以下の表を見れば明確です(引用元・ウィキペディアほか。久保田投手は9月15日現在の成績)。

氏名 年度 登板 勝率 安打 四球 死球 三振 失点 自責 防率 完投 完封
稲尾和久 1961 78 42 14 .750 404.0 308 22 72 6 353 93 76 1.69 25 7
藤川球児 2005 80 7 1 .875 92 1/3 57 5 20 1 139 20 14 1.36
久保田智之 2007 81 7 3 .700 96.2/3 90 6 29 0 91 24 21 1.96
菊地原毅 2001 78 2 2 .500 51 1/3 51 29 4.91

 投球回数はいずれも300回以上、勝数は35もの差があります。ちなみに、昨年の両リーグあわせての最多投球回数はドラゴンズの川上投手の215回。つまり、現在の最多投球回数を1.5倍したくらいの差があるのです。
 もちろん、46年前とは時代が続きます。久保田投手や藤川投手に400投球回を求める必要などどこにもないですし、81登板が日本新記録である事は明確な事実です。
 しかしながら、なぜ一昨年は「稲尾越え」で今年が「藤川越え」ではないのか、どうしても理解できません。もちろん、逆なら分かります。一昨年の藤川投手の記録は稲尾投手の1961年の記録とは全く内容が異なります。一方、今年の久保田投手の記録は、一昨年の藤川投手と同じような内容でありながら、上回っています。
 今回、「藤川越え」という言葉がほとんど見られなかった事により、改めて二年前の最多登板に関する報道の品質が極めて低かった事を再認識させられました。
 なお、繰り返しになりますが、そのような事とは関係なく、この度、久保田投手が達成した記録も、一昨年に藤川投手が達成した記録も素晴らしいことには、何ら変わりはありません。

2007年09月16日 00:12